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損卦(兌下艮上)

唐 · 史徵 · 第9巻 / 14

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

兌下艮上。損:有孚,元吉,無咎,可貞,利有攸往。曷之用,二簋可用享。彖曰:損,損下益上,其道上行。損而有孚,元吉,無咎,可貞,利有攸往。曷之用,二簋可用享,二簋應有時,損剛益柔有時,損益盈虛,與時偕行。象曰:山下有澤,損。君子以懲忿窒欲。

損卦は下卦が兌、上卦が艮で、沢が山下にあり、下体を減損して上体を增益する。ゆえに損と名づける。卦辞は言う、損は、心に誠信を懐く、大いに吉利、咎なし、正を守りうる、往くところあるに宜しい、何をもって祭献するか、二簋の薄食をもって享祀しうる、と。《彖伝》は言う、損は、下を減損して上を增益し、その道は上に向かい運行する。減損して誠信を保ちうるので、大吉・无咎・可貞・往くに宜しきを得る。何をもって祭献するか、二簋の薄食で足りる、ただこれは特定の時にのみ適用する。剛を減損し柔を増益するにもその時機あり、減損・増益・盈満・虧虚は、みな時勢に随いともに推移する。《大象伝》は言う、山下に沢あり、これが損である、君子はこれに法り、自分の忿怒を懲戒し自分の私欲を堵塞する、と。

初九,已事遄往,無咎,酌損之。象曰:已事遄往,尚合志也。九二,利貞,征凶,弗損益之。象曰:九二利貞,中以為志也。六三,三人行則損一人,一人行則得其友。象曰:一人行,三則疑也。六四,損其疾,使遄有喜,無咎。象曰:損其疾,亦可喜也。六五,或益之十朋之,弗克違,元吉。象曰:六五元吉,自上佑也。上九,弗損益之,無咎,貞吉,利有攸往,得臣無家。象曰:弗損益之,大得志也。

初九の爻辞、自分の事を弁じ終えれば速やかに往く、咎なし、ただ斟酌して減損すべし。《小象伝》は言う、事畢えて速やかに往くは、上に在る者の心志に相合わんとするからだ、と。九二の爻辞、正を守るに宜しく、出征すれば凶、自分を減損しないことがすなわち増益である。《小象伝》は言う、九二が利貞は、中を守るを心志とするからだ、と。六三の爻辞、三人が同行すれば一人を減ずる、一人が独行すればかえって伙伴を得る。《小象伝》は言う、一人独行してこそよい、三人同行すれば互相猜疑する、と。六四の爻辞、自分の疾患を減損し、相手を速やかに来らしめれば喜慶あり、咎なし。《小象伝》は言う、その疾を損するも、また欣喜すべきだ、と。六五の爻辞、人が彼に価値十朋の大亀を贈り、推辞できない、大いに吉利。《小象伝》は言う、六五が大吉なのは、上天よりの保佑からだ、と。上九の爻辞、他人を減損しないことがすなわち増益、咎なし、正を守れば吉利、往くところあるに宜しい、臣民を得て内外親疎を分たない。《小象伝》は言う、損せずして益するは、心志が大いに実現したからだ、と。

損有孚,元吉,無咎,可貞,利有攸往者。損是減損之名,喻人臣損下而益於上,故名損也。夫損之為道,若不以誠信,即咎莫大焉,必須有信然後大吉,故曰有孚元吉也。既立誠信而獲大吉,即無咎過而可止,故曰無咎可貞。以無咎可貞之徳,故利有攸往也。

卦辞「損、有孚、元吉、无咎、可貞、利有攸往」。「損」は減損の名称で、臣子が自身を減損して君上に奉益するを喩える。ゆえに卦名を損と言う。およそ減損の道を行うに、もし誠信より出でなければ、咎はこれより大きいはない。必ずまず誠信あって然る後に大吉を得られる。ゆえに「有孚、元吉」と言う。すでに誠信を樹立して大吉を獲れば、咎がなく止まりて変えずあるべき。ゆえに「无咎、可貞」と言う。この無咎可貞の徳性に凭るので、往くところあるに宜しい。

曷之用,二簋可用享者。曷,何也。當損之時,物皆儉損,何用豐厚,但以簋薄之禮,應時而行,可以享獻神明也。

「曷之用、二簋可用享」。「曷」は「何」である。まさに減損の時にあたり、一切の事物はみな倹省に趨く。どうして豊盛厚重の祭品を用いることがあろうか。ただ二簋の薄食という簡朴の礼数を用い、時勢に順応して行えば、神明に祭献するに足りる。

象曰:山下有澤,損者。澤在山下,澤卑山高,以澤自損以崇于山,亦猶下之自損,奉益於上也。君子以懲忿窒欲者,懲,止也;窒,塞也。夫情慾所興,隨境而動,若任其情慾,患必生焉。故君子修徳益損其身,當須懲止忿怒,窒塞情慾,即善莫大焉。

《大象伝》の言う「山下有沢、損」――沢は山の下面にあり、沢は低く山は高い。沢が自ら不断に掏挖減損されて、反って山をさらに崇高に顕せしめる。これはまた在下者が自分を減損し、もって在上者に奉献增益するに似る。「君子以懲忿窒欲」の「懲」は遏止、「窒」は堵塞である。情欲が一旦興れば、外境に随って躁動する。もし情欲を放任すれば、禍患は必ずここから生ずる。ゆえに君子は徳性を修養し自身を損抑するに、まさに忿怒を遏止し情欲を堵塞すべきで、これこそ最大の善である。

初九已事遄往,無咎,酌損之者。已,竟也;遄,速也。損之為道,損下益上,猶如人臣損己而奉於君。然初九猶有權務,若廢職而往,潛為求進,即咎莫大焉;若已事不往,即為拒上敖貴。故事竟速往,乃得無咎,故曰已事遄往無咎也。夫剛往即柔危,若全以剛往,即四不相納,故酌減損之,與四合志,故曰酌損之也。

初九の爻辞「已事遄往、无咎、酌損之」。「已」は完畢、「遄」は迅速である。減損の道は下を減損し上を増益するにあり、ちょうど臣子が己を損抑して君主に奉事するがごとし。ただ初九は手上にまだ職務を担う。もし本職を抛いて上に走り、暗裏に進身を謀れば、咎はこれより大きいはない。反対にもし事が弁じ終えても往かなければ、また上級に拒絶し尊者に傲視するとなる。ゆえに本職の事務が弁じ終えた後に即ち往き、こうすれば咎がない。よって事畢えて速やかに往けば咎なしと言う。剛爻が上行すれば、柔爻は危険を感ずる。もし一味に剛強の姿態をもって往けば、六四はそれを容納しようとしない。ゆえに斟酌して自ら減損し、六四と心志相合せしむる。よって「酌損之」と言う。

九二利貞,征凶,弗損益之者。當損之時,雖以下奉上,損剛益柔,然損剛太極,即剝道成焉。故九二利居其位,守正而處,即可以貞;若進於柔,即凶,故曰利貞征凶。然知進必有凶,故九二以中為志,不求損已而務增益,故曰弗損益之也。

九二の爻辞「利貞、征凶、弗損益之」。まさに減損の時にあたり、下者をもって上者に奉事し、陽剛を減損して陰柔を増益するを要するが、陽剛が極点まで減損されれば、剥落の道が形成される。ゆえに九二は自分の位置に安守し、正を持して自処するに宜しく、こうすれば貞を守り得る。もし一味に上行して陰柔に遷就すれば、反って凶あり。よって正を守るに宜しく出征すれば凶と言う。それがすでに冒進すれば必ず凶険あるを明白に知るので、九二は中を守るを自分の心志とし、一味に己を損じて媚を求めない。これはすなわち増益である。ゆえに「弗損益之」と言う。

六三三人行則損一人,一人行則得其友者。處損之時,損之為義,其道上行。三人謂六三已上三陰也。夫天地之道,以淳一相感;男女之道,以正一相配。今六三應於上九,若往就上九,即六四、六五緣同類必隨之俱行,此茅義也。若六三獨行,即上九納之無疑而得配友,故曰三人行即六三獨損,六三自行即得匹配,此是致一之道也。

六三の爻辞「三人行則損一人、一人行則得其友」。減損の時に処り、減損の意義はその道が上に向かい運行するにある。ここでの「三人」は六三およびその上の六四・六五という三つの陰爻を指す。天地の道は、純一無雑をもって彼此感応し、男女の道は、専一守正をもって彼此匹配する。いま六三は上九と相応する。もしそれが前に進みて上九に親就すれば、六四・六五は同じ陰類に属するゆえ必ず随いて俱に行く。これは泰卦・否卦の「拔茅連茹」牽連して行く意である。もし六三が単独で往けば、上九は疑慮なくそれを容納し、よって配偶を結成する。ゆえに三人同行すれば六三という一個を減じ、六三が独自で往けば匹配を得ると言う。これはまさに専一に帰する理である。

六四損其疾,使遄有喜,無咎者。疾謂相思之疾也。久而不相見,必有勤望之憂,故積憂成疾。六四以柔納剛,同志斯來,即無復勤思之疾,故使遄速乃有喜,有喜乃無咎矣,故曰使遄有喜無咎也。

六四の爻辞「損其疾、使遄有喜、无咎」。ここでの「疾」は彼此思念して成る心病を指す。久しく相見えなければ、必ず殷切に盼望の憂愁あり、憂愁が積久すれば病となる。六四は陰柔の質をもって初九の陽剛を容納し、志同道合の一方が随いて至れば、思念の疾はもうない。ゆえに相手を速やかに来らしめてこそ喜慶あり、喜慶あれば咎なし。よって彼を速く来らしめれば喜あって咎なしと言う。

六五或益之十朋之,弗克違,元吉者。處損之時,以柔處尊,是能益損於已而用柔和,則天下莫不歸而益之,故曰或益之。朋,黨也。者,決疑明鑑之物,喻明智也。克,能也。六五以柔居尊,是損己奉人,納賢自輔,即賢智必歸,各貢其能,不違於五,故曰不克違也。群才既至,天與我民無不扶佑,天人並助,故獲大吉,故曰元吉也。先儒皆云:十朋者,一曰神,二曰靈,三曰攝,四曰寶,五曰文,六曰筮,七曰山,八曰澤,九曰水,十曰火。

六五の爻辞「或益之十朋之、弗克違、元吉」。減損の時に処り、六五は陰柔をもって尊位に居り、まさに己を損抑して柔和をもって人に接しうる。こうすれば天下人は帰附せぬはなくまた来てそれを增益する。ゆえに「或益之」と言う。「朋」は朋党・成群の義。(底本「朋、党也」の下に「亀」字あるべく脱去、いま照録して補わない。)指す所はあの疑难を決断し吉凶を明鑑しうる宝物で、明智を喩える。「克」は能够である。六五は陰柔をもって尊に居り、己を損抑して他人に奉事し、賢才を容納して自身を輔佐せしむる。ここにおいて賢能智慧の士は必ず帰り来て、各々その才能を貢献し、六五に相違背しない。ゆえに「弗克違」と言う。衆多の人才がすでに至れば、上天と百姓は扶佑せぬはなく、天人両方面がみな来て助ける。ゆえに大吉を獲る。よって「元吉」と言う。先儒はみな言う、いわゆる十朋の亀は、一を神亀と言い、二を霊亀と言い、三を摂亀と言い、四を宝亀と言い、五を文亀と言い、六を筮亀と言い、七を山亀と言い、八を沢亀と言い、九を水亀と言い、十を火亀と言う、と。

上九弗損益之,無咎,貞吉,利有攸往,得臣無家者。損極反益,象人能抑損其身而奉它人,乃為物所益,故曰弗損益之。損極而反受益,即剛徳遂長,不憂於咎,用正而吉,故曰無咎貞吉也。既備斯徳,何往不利,故曰利有攸往也。居上乘柔,損極反益,體本剛徳,為物所歸,故曰得臣。得臣者,謂得臣子而輔君為政,使天下通而為一,故曰無家。無家者,光宅天下,不為私已,以天下為一家,故曰無家也。

上九の爻辞「弗損益之、无咎、貞吉、利有攸往、得臣无家」。減損が極点に至れば増益に転ず。人が己を抑制減損して他人に奉養するを象徴し、結果はかえって外物に增益される。ゆえに他人を減損しないことがすなわち増益と言う。減損が極に至ってかえって增益を受ければ、陽剛の徳はここに増長し、咎を憂慮する必ずしもなく、正道を行いて吉を獲る。ゆえに咎なし、貞吉と言う。すでにこのような徳性を具備すれば、どこへ往っても不利ではない。ゆえに往くところあるに宜しいと言う。上九は最上に身を居し下に陰柔を乗り、減損が極に至って増益に転じ、本体はまた陽剛の徳で、万物の帰向する所となる。ゆえに「得臣」と言う。いわゆる得臣は、臣子を得て君主を輔佐し政事を治め、天下を貫通して一体に合せしむるを言う。ゆえに「无家」と言う。いわゆる无家は、光明に天下を覆臨し、それを私有とせず、天下を一家となすことを指す。ゆえに「无家」と言う。

益卦(震下巽上)

震下巽上。益:利有攸往,利涉大川。彖曰:益,損上益下,民說無疆;自上下下,其道大光。利有攸往,中正有慶;利涉大川,木道乃行。益動而巽,日進無疆;天施地生,其益無方。凡益之道,與時偕行。象曰:風雷,益。君子以見善則遷,有過則改。

益卦は下卦が震、上卦が巽で、風雷が相益し、上体を減損して下体を增益する。ゆえに益と名づける。卦辞は言う、益は、往くところあるに宜しく、大河を渡るに宜しい、と。《彖伝》は言う、益卦は、上を減損して下を增益し、百姓は喜悦して疆りがない、上に在る者が身を下位に屈すれば、その道は大いに光明を放つ。「利有攸往」は、九五・六二が中正にして福慶あるから、「利渉大川」は、巽木が舟を成す道が施行を得るからである。益卦は下が動き上が順うので、日々に進益して辺際がない。天が施降して地が化生し、その増益は在る所なし。およそ増益の道は、みな時勢に随いともに推行する。《大象伝》は言う、風と雷が相助ける、これが益である、君子はこれに法り、善行を見れば随いて行い、過ちあれば即ち改正する、と。

初九,利用為大作,元吉,無咎。象曰:元吉無咎,下不厚事也。六二,或益之十朋之,弗克違,永貞吉,王用享于帝,吉。象曰:或益之,自外來也。六三,益之用凶事,無咎,有孚中行,告公用圭。象曰:益用凶事,固有之也。六四,中行告公從,利用為依遷國。象曰:告公從,以益志也。九五,有孚惠心,勿問元吉,有孚惠我徳。象曰:有孚惠心,勿問之矣;惠我徳,大得志也。上九,莫益之,或擊之,立心勿恆,凶。象曰:莫益之,偏辭也;或擊之,自外來也。

初九の爻辞、大事を興弁するに用いるに宜しく、大いに吉利、咎なし。《小象伝》は言う、元吉无咎は、下位に在る者が本来厚重の事務を担うべきでないからだ、と。六二の爻辞、人が彼に価値十朋の大亀を贈り、推辞できない、長く正を守れば吉、君王がこれをもって上帝に祭享する、吉利。《小象伝》は言う、人が来て彼を益するは、外より来たからだ、と。六三の爻辞、凶を救い難を済う方式で増益を求める、咎なし、誠信を懐きて中道を行い、圭を執って王公に禀告する。《小象伝》は言う、凶事に藉りて益を得るは、それが本来かくあるべきだからだ、と。六四の爻辞、中道を行いて王公に禀告し王公が聴従する、依托に凭って国都を遷移するに宜しい。《小象伝》は言う、公に告げて聴従されるは、公家を益する心志のためだ、と。九五の爻辞、誠信の施恵の心を懐く、問わずとも大いに吉と知れる、衆人もまた誠信をもって我が恩徳を感念する。《小象伝》は言う、有孚恵心は、問う必ずしも要せず、衆人が我が徳沢を感念するは、心志が大いに実現したからだ、と。上九の爻辞、彼を益する人なく、かえって彼を撃つ人あり、心を立てて恒せず、凶。《小象伝》は言う、益する人なきは、一方に偏する説法、撃つ人あるは、外より招いたからだ、と。

益利有攸往者。益是増長之名,饒裕為義也。損卦損下益上,益卦損上益下者,亦猶人君能自損己而惠下人。故宋衷云:明君之徳,必須損己而利人,則下盡益矣。君能以益物為意,動而無有違者,即斯而往,何所不利,故曰利有攸往也。利渉大川者,能益於物,則理絶難險,故利涉大川也。

卦辞「益、利有攸往」。「益」は増長の名称で、富饒寛裕の意を取る。損卦は下を減損し上を増益し、益卦は上を減損し下を増益する。これはまた君主が自ら己を減損して下民に恵を施すに似る。ゆえに東漢の宋衷は言う、賢明君主の徳性は、必ず己を損抑して人に利すべく、こうすれば下は人人益を得る、と。君主がすでに万物を益するを心とすれば、一挙動に違逆する人なく、これに照らして往けば、何の不利あらん。ゆえに往くところあるに宜しいと言う。「利渉大川」は、万物を益できれば、理の上に険難が絶無なので、大河を渡るに宜しいと言う。

象曰:風雷,益者。雷以發生,風能長育,萬物皆益,故益之為義在雷風也。君子以見善則遷,有過則改。遷,進移也;改,更懲也。君子求益,莫過遷進,企慕道徳;其有過惡,改更懲戒,不再為也。

《大象伝》の言う「風雷、益」――雷はもって万物の萌発を鼓動し、風はもって万物の生育を助長し、万物はみなこれによって益を得る。ゆえに「益」の意義は雷と風に體現される。「君子以見善則遷、有過則改」の「遷」は歩を移して進取し、「改」は更正懲戒である。君子の求める進益は、善に遷り移り道徳を企慕するより緊要なるはない。一旦過失悪行あれば、更正懲戒して重ねて犯さない。

初九利用為大作,元吉無咎者。處益之初,應巽之始,體剛乾事,能堪建大事之端,以成王事者也。然雖有其才而得其時,不居其位,實時人不輔,欲有興作,即禍必生焉,必須有大功以補其過,即得無咎,故曰元吉無咎。元吉是有功之詞,大作謂興作大事也。

初九の爻辞「利用為大作、元吉、无咎」。それは益卦の端緒に処り、上卦巽の第一爻六四と相応し、自身は陽剛で事を任ずべく、大事の興弁の端緒を担当するに足り、よって王家の事業を成就する。ただそれはこの才幹があり時機に遇うも、相当の高位に居らず、当時の人は必ずしもそれを輔助しようとしない。この時もし大いに興作せんと欲すれば、禍患は必ず生ずる。ゆえに必ず大功を樹立してありうべき過失を弥補し、咎なきを得なければならない。よって「元吉、无咎」と言う。「元吉」は功労を立てたの説法を指し、「大作」は大事を興作するを指す。

六二或益之十朋之龜,弗克違,永貞吉,王用享于帝吉者。以柔居中,又應於□,處益而懷巽,即物皆歸焉,故曰或益之。朋,眾也;龜,靈鑑也。六二既懷謙沖,即物自外來,朋靈獻策,群才響應,故十朋之龜弗克違也。然位不當尊,故永貞吉也。處益如斯,上下歸徳,故王用此時可以享獻天帝,即朋靈降福,故曰王用享于帝吉也。

六二の爻辞「或益之十朋之亀、弗克違、永貞吉、王用享于帝、吉」。六二は陰柔をもって下卦の中に居り、また上の九五と相応する。それは受益の時に身を処り心に謙遜を懐く。ここにおいて万物がみな帰附する。ゆえに人が来てそれを益すと言う。「朋」は衆多、「亀」は通霊明鑑しうる宝物である。六二がすでに謙虚冲和の心を懐けば、外物は自ずから外より来り、衆多の霊物が智謀を献上し、各路の人才が紛々として響応する。ゆえに価値十朋の大亀もそれに違背できない。ただその居る位は至尊ではない。ゆえに長く正を守ってこそ吉となる。受益の世に処りこのようになしうれば、上下ともにその徳性に帰向する。ゆえに君王はこの時に祭享上帝の大礼を挙行でき、衆霊は福沢を降下する。よって君王が用いて上帝に祭享すれば吉と言う。(文中の「□」は底本の缺字で、いま缺を存し補わない。)

六三益之用凶事,無咎,有孚中行,告公用圭者。以陰居陽,以剛健而求於益,故曰益之。不能行謙而用剛壯求益,即物所不與;若以謙讓責之,理合誅討。若以意測原本,情志在救難,即物皆恃之,是用凶事而得免咎,故曰用凶事無咎也。若乃求益不為私已,志在救難,用壯不至剛暴,斯乃適合時宜,是有信實而得中行。此中行之道,執圭以告於公,救凶危之事,故曰有孚中行告公用圭也。

六三の爻辞「益之用凶事、无咎、有孚中行、告公用圭」。六三は陰爻が陽位に居り、剛健の姿態をもって増益を求取する。ゆえに「益之」と言う。それは謙遜を奉行できず、かえって剛強に凭って益を求める。本来は衆人に認められない。もし謙譲の標準をもってそれを責めれば、理に照らせば誅討を受くべきである。しかしその本心を推究すれば、その志向は危難の救助にあることが分かり、衆人はここにおいてみなそれに依頼する。よってそれは凶危の事を処理するに藉りて咎を免除される。ゆえに凶事を用いて咎なしと言う。もし増益を求めるが己の私利のためでなく、志が難の救いにあり、剛強を用いて暴戻に至らなければ、これはまさに時宜に適合し、誠信ありて中道を行くと算えられる。このような中道に凭り、玉圭を手に執って王公に禀告し、弁ずるは凶危を救助する大事である。ゆえに誠信を懐き、中道を行い、圭を執って公に告ぐと言う。

六四中行告公從,利用為依遷國者。以柔處臣位,居□之初,在上應下,位雖不中,用中而行,故曰中行。與君相近,即是藩屏之臣。以此中行之道而告於公,公必從之。以此道依人而遷國,人無不順,明以中行之道而遷國,人無不利矣,故曰利用為依遷國也。

六四の爻辞「中行告公従、利用為依遷国」。六四は陰柔をもって臣属の位に居り、上卦の頭の一爻に処り、上に在りて下に初九と応ずる。その居る位置は卦中の位ではないが、中道に按じて行事できる。ゆえに「中行」と言う。それは君主九五と相隣り、まさに王室を拱衛する藩屏の臣である。このような中道に凭って王公に禀告すれば、王公は必ず聴従する。この方式に凭って他人に依托して国都を遷移すれば、人々は順従せぬはない。これは中道を用いて国を遷すは、衆人に不利なしを説明する。ゆえに依托に凭りて国都を遷移するに宜しいと言う。(文中の「□」は底本の缺字で、いま缺を存し補わない。)

九五有孚惠心,勿問元吉,有孚惠我徳者。得位處尊,為益之主,兼張徳義。徳義之本,莫盛乎信;為益之大,莫大於心。因人所欲而已與人,有信有惠,盡物之心,益之盛矣。既有斯徳,必獲大吉,不假疑問,徳必昭彰,故曰有孚惠心勿問元吉。我既以信惠被於物,則天下皆以信惠歸我,故有孚惠我徳也。

九五の爻辞「有孚恵心、勿問元吉、有孚恵我徳」。九五は正位を得て至尊に居り、益卦の主宰で、徳と義を兼ねて張る。徳義の根本は、誠信より盛大なるはない。益を施す要は、本心より出ずるより重大なるはない。それは人の望む所に順って与え、誠信ありて恵みもあり、万物を体恤する心を尽くす。これは増益の道の極盛である。すでにこのような徳性を具備すれば、必ず大吉を獲る。疑慮追問する必ずしもなく、徳沢は自ずから昭然と彰顕する。ゆえに誠信の施恵の心を懐き、問わずとも大吉と言う。我がすでに誠信恩惠を万物に被及すれば、天下人もみな誠信感念をもって我に帰向する。ゆえに衆人が誠信を懐きて我が徳沢を感念すると言う。

上九莫益之,或擊之,立心勿恆,凶者。處益之極,益之甚也。既已過盈,即人之不與,故曰莫益之也。無厭之求,怨怒非一,故曰或擊之也。勿,無也。益以過極而更有求,是立心無恆,凶禍必至,故曰立心勿恆凶也。

上九の爻辞「莫益之、或撃之、立心勿恒、凶」。それは益卦の極点に処り、受ける増益はすでに過分である。すでに盈満に過ぎれば、人々はもうそれに賛成しない。ゆえにそれを益する人なしと言う。それは貪求して厭くことなく、招く怨恨憤怒は一処に止まらない。ゆえにそれを撃つ人ありと言う。「勿」はここでは「无」である。増益がすでに極点を過ぎたのに、なお索求する。これは心を立てて恒常がないことで、凶禍は必ず至る。ゆえに心を立てて恒せざれば凶と言う。

周易口訣義巻第五・下経二(夬より艮まで)

夬卦(乾下兌上)

下經二。乾下兌上。夬:揚于王庭,孚號有厲,告自邑,不利即戎,利有攸往。彖曰:夬,決也,剛決柔也。健而說,決而和。揚于王庭,柔乘五剛也。孚號有厲,其危乃光也。告自邑,不利即戎,所尚乃窮也。利有攸往,剛長乃終也。象曰:澤上於天,夬。君子以施祿及下,居德則忌。

これは下経の第二巻である。夬卦は下卦が乾、上卦が兌で、五陽が一陰を決去する。ゆえに夬と名づける。卦辞は言う、夬は、君王の朝廷に公開宣揚し、誠信に号令して心に危懼を存す、まず自分の城邑より誥戒を発し、即ち兵を動かすに宜しくず、往くところあるに宜しい、と。《彖伝》は言う、「夬」は決断で、陽剛が陰柔を決除する。剛健にして和悦、決断にして平和である。「揚于王庭」は、上六という柔爻が五つの剛爻の上に凌駕するからである。「孚号有厲」は、心に危懼を存してこそ道が光大すると言う。「告自邑、不利即戎」は、一味に武力を崇尚すれば窮途に至ると言う。「利有攸往」は、陽剛が増長して最後に至れば成功すると言う。《大象伝》は言う、沢水が天上に升る、これが夬である、君子はこれに法り、俸禄を下の人に施及し、徳を己に居るに戒忌する、と。

初九,壯于前趾,往不勝為咎。象曰:不勝而往,咎也。九二,惕號,莫夜有戎,勿恤。象曰:有戎勿恤,得中道也。九三,壯于頄,有凶,君子夬夬獨行,遇雨若濡,有慍,無咎。象曰:君子夬夬,終無咎也。九四,臀無膚,其行次且,牽羊悔亡,聞言不信。夬至艮。象曰:其行次且,位不當也;聞言不信,聰不明也。九五,莧陸夬夬,中行無咎。象曰:中行無咎,中未光也。上六,無號,終有凶。象曰:無號之凶,終不可長也。

初九の爻辞、強壮が前脚趾に表れる、往いて勝てなければ咎となる。《小象伝》は言う、勝てないと明白に知りながらなお往く、これが咎だ、と。九二の爻辞、警ふして呼号する、傍晚夜間に敵兵が襲来しても、憂慮する必ずしも要せず。《小象伝》は言う、敵兵あれど憂えざるは、九二が中道を得たからだ、と。九三の爻辞、強壮が面頰顴骨に表れる、凶険あり、君子は断然決絕して独り前行すべし、途中で雨に遇いて濡れ、人に怨怒を招いても、咎なし。《小象伝》は言う、君子が断然決絕するは、終に咎なし、と。九四の爻辞、臀部に皮肉なく、行走が躊躇して進み難し、もし強壮なる者に牽係すれば悔恨が消える、惜しむらくは忠言を聞いても肯じて信ぜぬ。(ここの「夬至艮」の三字は原書の巻内書眉の標目で、本巻が夬卦から艮卦まで講じることを標明し、経文ではない。)《小象伝》は言う、行走が躊躇するは、九四の居る位が当たらないからだ、言を聞きて信ぜざるは、聴覚はあれど事理を明らかにしないからだ、と。九五の爻辞、莧陸を剷除するがごとく断然決除する、中道を行けば咎なし。《小象伝》は言う、中行して咎なきは、その居中の徳がまだ光大せざるを言う、と。上六の爻辞、呼号しても益なし、終に凶あり。《小象伝》は言う、号呼して益なきの凶は、それが終に長くできざるを言う、と。

夬揚于王庭者。夬,決也。陽長至五,上六一柔而乘五剛,以人事喻,猶小人乘陵君子而為不順,眾共決之,故曰夬也。以剛決柔,以君子除小人,以剛正之德去邪謟,故可顯然於王者之庭,發揚決斷之事,示公正而無私隱,故曰揚于王庭。王庭亦公庭也。

卦辞「夬、揚于王庭」。「夬」は決断清除である。陽気が増長して第五爻に至り、上六という一つの陰爻のみが残って五つの陽爻の上に凌駕する。人事をもって喩えれば、ちょうど小人が君子を欺凌し行事が悖逆するに、衆人が共に立ちて彼を清除するがごとし。ゆえに夬と言う。陽剛をもって陰柔を決除し、君子をもって小人を剷除し、剛健方正の徳性をもって邪僻諂佞を除く。ゆえに光明正大に君王の朝廷においてこの決断の事を公開宣揚でき、処置の公正で私下の隠蔵なきを表明する。よって「揚于王庭」と言う。王庭はすなわち公開の朝堂である。

孚號有厲者。號,號令也;厲,危也。以剛正之德而行孚信號令,施決斷之事,即上六之柔,亦喻邪謟小人憂危之理,分明可見矣。

「孚号有厲」。「号」は号令、「厲」は危懼である。剛健方正の徳性に凭って誠信の号令を発し、決除の挙措を施行する。こうなれば、上六という陰柔者――すなわち邪僻諂佞の小人――その処境が岌岌として危うきの理は、分明に眼前に現れる。

告自邑,不利即戎者。夫興師動眾,必擾國亂人。今上六一柔既乘剛不順,更喻小小之人,要除只可獨行決斷,不必更興師旅,故不利即戎也。利有攸往者,剛德既長,柔邪必消,剛道既成,利有所往也。

「告自邑、不利即戎」。およそ兵を興し衆を動かすは、必ず国家を騒擾し百姓を擾乱する。いま上六はただ一つの陰爻に過ぎず、陽剛の上に騎って行事は順ならざれども、ただ渺小の人に比作できるのみ。彼を清除するには、ただ独り果断に処置すれば足り、さらに師旅を興動する必ずしも要せず。ゆえに即ち兵を動かすに宜しくずと言う。「利有攸往」は、陽剛の徳がすでに増長すれば、陰柔邪僻は必ず消退し、剛正の道がすでに形成されるゆえ、往くところあるに宜しいと言う。

象曰:澤上於天,夬者。澤性流動,雖蹔上天,必決而下,故取夬象。君子以施祿及下,居德則忌者。夫行決斷之道,必維恩並行。若威而不恩,即過在苛暴;若恩而不威,即失於制斷。君子行決之時,必須恩祿及於下人,又須居德於身,人則稟其威禁也。忌是禁也。

《大象伝》の言う「沢上于天、夬」――沢水の本性は流動で、たとえ一時天上に蒸腾されても、終に必ず潰決して降り下る。ゆえに「夬」という決潰の象を取る。「君子以施禄及下、居徳則忌」は、およそ決断の道を施行するに、必ず威厳と恩沢を並行せしめなければならない。もし威厳のみで恩沢なければ、過失は苛酷暴烈に在る。もし恩沢のみで威厳なければ、裁断できないに失する。君子が決断を施行する時、必ず恩惠俸禄を下の人に施及し、同時に必ず徳操を己身に立てなければならない。こうすれば衆人は自ずからその威厳禁令を禀受する。「忌」はここでは禁の意である。

初九壯于前趾,往不勝為咎。趾,足也,處體最下。初九處決之首,欲行決斷之事,必須審其事宜,量其可否,然後始行其令。今為剛健之初,所壯在於趾足,剛壯未全,往必不勝,先有咎生,故曰往不勝為咎也。

初九の爻辞「壮于前趾、往不勝為咎」。「趾」は脚で、身体の最下部に処る。初九は決除の事の開頭に処り、決断を施行せんと欲すれば、必ずまず事情が合宜かを審察し可行かを衡量し、然る後に命令を発しなければならない。いまそれは剛健の初めに過ぎず、強壮の部位はただ脚趾にあり、剛強の力量はまだ完備せず、猛然として往けば必ず勝てず、過失が先行して生ずる。ゆえに往いて勝てなければ咎となると言う。

九二惕號,莫夜有戎,勿恤者。惕,懼;號,呼也。九二以剛處中,剛則正直,中又不偏,而有此德,能行決斷。雖有人懼呼來報雲至莫必有戎寇侵害,緣九二自恃中直,不枉刑斷,雖聞此言,心無疑憂而惑,故曰勿恤也。

九二の爻辞「愓号、莫夜有戎、勿恤」。「愓」は戒懼、「号」は呼喊である。九二は陽剛をもって下卦の中に居る。剛であれば正直、中であれば偏らず。このような徳性を具備するので、決断を施行できる。たとえ人が慌てて走り来て、傍晚に黒くなれば必ず敵兵が侵害に来ると報告しても、九二は自ら行事が居中正直で断案用刑が人を枉げないを恃む。ゆえにこの言を聞くも、心中に疑慮憂懼を生ぜず。よって「勿恤」と言う。「莫夜」は暮夜、日が暮れた後である。

九三壯于頄,有凶,君子夬夬獨行,遇雨若濡,有慍,無咎者。頄,面顴也,謂上六也。上六居眾陽之上,居而不安,若顴之處面。以九三剛陽而應上六,即是君子以助小人。頄之處面,誰人不見,故曰壯于頄有凶也。剝卦以陰應陽為善,為陰柔須有所附;今九三以陽應陰,眾欲決去,獨往應之為凶。若達理君子,知小人不可與親,而能舎其本應,決之不疑,故曰君子夬夬也。若獨行殊志,應於小人,即有罪罰,如遇雨沾濡,徒懷忿恨;能無怨於人,即須有慍無咎也。

九三の爻辞「壮于頄、有凶、君子夬夬独行、遇雨若濡、有愠、无咎」。「頄」は面頰の顴骨で、ここでは上六を指す。上六は衆陽の上に居り、処境が安穏でなく、ちょうど顴骨が顔面に突出するがごとく顕眼である。九三は陽剛の身でありながら上六と相応する。これは君子が小人を助けるに等しい。顴骨は顔に生える、誰が見えざらん。ゆえに強壮が顴骨に顕露して凶ありと言う。剥卦においては、陰爻が陽爻に上応するは善と算えられた、陰柔は本来依附する所を要するゆえ。いま九三は陽爻をもって陰爻に応ずる。衆陽はみな上六を清除せんと欲する中、独り前に往きてそれに響応する。ゆえに凶あり。もし事理に通達する君子であれば、小人を親近すべからずと明白に知り、よって自分の本有の正応を捨棄し、遅疑せずこれを決除する。ゆえに君子が断然決絶すると言う。もしそれが一意孤行し衆と異なりて小人に響応すれば、責罰を受くべく、ちょうど途中で雨に遇いて濡れるがごとく、空しく一腹の忿恨を懐く。ただそれが他人を怨怪しなければ、怒恼あれど咎なし。

九四臀無膚,其行次且,牽羊悔亡,聞言不信者。次且,行不前之貎也;羊,壯也。九四據下三陽,前進必見侵傷,猶如臀無膚,則居不得安;居不得安,行亦難進。然五陽當位,體又剛壯,四若牽繫於五,身有所託,即不剛,不敢侵傷,故曰牽羊悔亡也。然四亦是剛陽,雖五有剛壯,未肯信服事五,故曰聞言不信也。

九四の爻辞「臀无膚、其行次且、牽羊悔亡、聞言不信」。「次且」は行かんと欲して行き動かざるさま、「羊」はここでは剛壮の者を代表する。九四は下の三つの陽爻の上に凌駕し、一旦前進すれば必ず侵害を受ける。ちょうど臀部に皮肉なく、坐って安穏できないがごとし。坐してすでに安まざれば、行くもまた前進し難い。ただ九五は陽爻が正位に居り体質が剛強で、九四がもし九五に牽係依附し身に託する所あれば、自ら強を逞しゅうする必ずしもなく、他人も敢えてそれを侵害しない。ゆえに剛壮の者に牽係すれば悔恨が消えると言う。しかし九四自身もまた陽剛で、たとえ九五が剛強であっても、それは肯じて心悦誠服して九五に奉事しない。ゆえに勧告を聞いても肯じて信信ぜぬと言う。

九五莧陸夬夬,中行無咎者。莧陸,草之柔脆,謂上六也。以九五之剛,決上六之柔,決之至易,如決柔脆之物,故曰莧陸夬夬。以居尊位而親決上六,即是以至尊而敵至卑,雖其克勝,不足為貴,但處位中行,才得免咎而已,故曰中行無咎也。

九五の爻辞「莧陸夬夬、中行无咎」。「莧陸」は柔嫩脆弱の草で、ここでは上六を指す。九五の陽剛をもって上六の陰柔を決除するは、実に易挙で、ちょうど柔脆の草を折るがごとし。ゆえに莧陸を剷除するがごとく断然決除すると言う。ただそれは尊位に身を居しながら親ら上六と較量する。これは至尊の身をもって至卑の人に対するに等しい。たとえ勝利しても、貴ぶに足らない。ただその居る位に凭って中道を守り、辛うじて咎を免れるのみである。ゆえに中道を行いてこそ咎なしと言う。

上六無號,終有凶者。以柔乘剛而居眾陽之上,其猶小人乘陵君子,凶危必至,故戒之曰不用號咷,終致凶也。

上六の爻辞「无号、終有凶」。それは陰柔をもって陽剛の上に騎り、また高く衆陽の頂に居る。これはちょうど小人が君子を欺凌するがごとく、凶険危難は必ず降臨する。ゆえに爻辞は誥戒して言う、号咷して救いを呼んでも益なく、終に凶禍を招く、と。

姤卦(巽下乾上)

巽下乾上。姤:女壯,勿用取女。彖曰:姤,遇也,柔遇剛也。勿用取女,不可與長也。天地相遇,品物咸章也。剛遇中正,天下大行也。姤之時義大矣哉。象曰:天下有風,姤。后以施命誥四方。

姤卦は下卦が巽、上卦が乾で、一陰が五陽の下に生じ、柔が来て剛に遇う。ゆえに姤と名づける。卦辞は言う、姤は、女子が過度に強壮、このような女子を娶るなかれ、と。《彖伝》は言う、「姤」は相遇で、陰柔が陽剛に遇う。このような女子を娶るなかれは、彼女と長久に相処すべからずと言う。天地二気が相遇すれば、各類の物種はみな彰顕する。陽剛が中正の位に遇えば、教化は天下に大行する。姤卦の含む時機の意義はまことに重大である。《大象伝》は言う、天下に風が吹行する、これが姤である、君主はこれに法り、政令を頒布して四方に誥戒する、と。

初六,繫于金柅,貞吉,有攸往,見凶,羸豕孚蹢躅。象曰:繫于金柅,柔道牽也。九二,包有魚,無咎,不利賓。象曰:包有魚,義不及賓也。九三,臀無膚,其行次且,厲,無大咎。象曰:其行次且,行未牽也。九四,包無魚,起凶。象曰:無魚之凶,逺民也。九五,以杞包瓜,含章,有隕自天。象曰:九五含章,中正也;有隕自天,志不舎命也。上九,姤其角,吝,無咎。象曰:姤其角,上窮吝也。

初六の爻辞、銅製の車閘に拴る、正を守れば吉利、もし往くところあれば、凶険に遇う、痩弱の母豚は確かに躁動徘徊する。《小象伝》は言う、金柅に拴るは、柔弱の道が牽制されるからだ、と。九二の爻辞、厨中に魚あり、咎なし、ただ賓客を待つに用いるに宜しくず。《小象伝》は言う、厨中に魚あるは、理に照らせば賓客に分与すべからず、と。九三の爻辞、臀部に皮肉なく、行走が躊躇して進み難し、危厲あり、大きな咎なし。《小象伝》は言う、行走が躊躇するは、それがまだ牽係されざるからだ、と。九四の爻辞、厨中に魚なし、動けば凶あり。《小象伝》は言う、魚なきの凶は、民衆を疎遠にしたからだ、と。九五の爻辞、枸杞の枝葉をもって瓠瓜を包裹する、内に章美を含む、天より降るものあり。《小象伝》は言う、九五が章を含むは、それが中正だからだ、天より隕るは、心志が天命を捨棄せんと肯ぜざるからだ、と。上九の爻辞、遇う所はただ犄角、憾惜あり、咎なし。《小象伝》は言う、角に遇うは、上に居りて窮極するゆえ憾惜あり、と。

姤女壯,勿用取女者。姤者,遇也。初六一柔而遇五剛,譬之人事,即是一女而遇五男。夫女之為道,固合婉娩貞順,處於幽室,待禮乃行。今遇五男,淫壯若斯,故不可取,故曰女壯勿用取女也。

卦辞「姤、女壮、勿用取女」。「姤」は相遇である。初六という一つの陰爻が五つの陽爻に遇う。人事に喩えれば、一女子が同時に五男子に遇うである。女子の正道は、本来柔婉安順にして貞静に自守し、深閨の中に安処して、礼数に合う求聘を待ってこそ行動すべきである。いま彼女は一下に五男子に遇い、放縦強横がこの地步に至る。ゆえに彼女を娶るべからず。よって女子が過度に強壮、彼女を娶るなかれと言う。

象曰:天下有風,姤者。風行天下,無物不遇,故是姤象也。后以施命誥四方者,後,君也;誥,誡也。風譬王者風教也,故風行草偃,所以人君象此,以施命誥戒於四方也。

《大象伝》の言う「天下有風、姤」――風が天下に吹行して、それと遇わぬ物はない。ゆえにこれは相遇の形象である。「后以施命誥四方」の「后」は君主を指し、「誥」は誥戒である。風は君王の風化教令を喩えるのに用いる。ゆえに風が一吹きすれば草は伏倒する。これによって君主はこれに法り、政令を頒布し四方に誥戒する。

初六繫于金柅,貞吉,有攸往見凶,羸豕孚蹢躅者。金者,堅剛之物;柅者,制動之主,謂九四也。初六應在九四,若繫於正應,制動由四,即合理之宜,正之吉矣,故曰繫于金柅貞吉也。然初六處遇之初,性又躁動,即是不牽繫於四而有所往,斯乃凶危立見,故曰有攸往見凶。然淫躁若斯,又如羸弱之豕蹢躅而進,故曰羸豕乎蹢躅也。羸豕,牝豕,為淫醜也;蹢躅,行不正貎。

初六の爻辞「繫于金柅、貞吉、有攸往見凶、羸豕孚蹢躅」。「金」は堅硬剛強の物、「柅」は車輪の転動を制止する物で、ここでは九四を指す。初六は九四と相応する。もしそれが自分の正応に繫属して、九四に己の躁動を節制させれば、事理の適宜に合し、正を守りて吉を獲る。ゆえに金柅に繫れば正を守りて吉利と言う。しかし初六は相遇の端緒に処り、性情はまた浮躁して動を好む。もし九四に牽係せず擅りに往くところあれば、凶険はたちまち現れる。ゆえに往くところあれば凶を見ると言う。このように放縦浮躁するは、また痩弱の母豚が来回躁動して前に拱るがごとし。ゆえに痩母豚は果たして徘徊躁動すると言う。「羸豕」は母豚で、淫乱醜悪を象徴するのに用いる。「蹢躅」は行走が端正ならざるさまである。

九二包有魚,無咎,不利賓者。初六陰柔處下位,故稱魚也。初六與二相近,不能逆於所近,樂充九二之包廚,故曰包有魚也。初自願來,非已侵奪,故無咎也。擅人之物以為已恵,故不利賓也。

九二の爻辞「包有魚、无咎、不利賓」。初六は陰柔で最も下の位置に処る。ゆえに「魚」をもってそれを呼称する。初六は九二と緊鄰し、自分に最も近い一方に違逆できず、よって九二の庖厨に入るを楽しむ。ゆえに厨中に魚ありと言う。これは初六が自願して来るのであって、九二が侵奪したのではない。ゆえに咎なし。ただ他人の物を拿って自分の人情とするは、賓客を款待するに用いるに適しない。ゆえに賓に利せずと言う。

九三臀無膚,其行次且,厲,無大咎者。九三居下卦之上,是一卦之主。今初六與二相得,而九三失其所據,居即不安,行亦不進,故曰臀無膚,其行次且。然九三履得其位,非為妄處,直以不遇其時,故致危厲,災非已招,故無大咎,故厲無咎也。

九三の爻辞「臀无膚、其行次且、厲、无大咎」。九三は下卦の最上の爻に居り、本は一卦の中の分量ある一爻である。いま初六はすでに九二と相投合し、九三は依拠すべき相手を失い、坐って安穏できず行くも進まない。ゆえに臀部に皮肉なく行走が躊躇すると言う。ただ九三は陽爻が陽位に居り位を得、妄りに占めるべからざる処に占めたのではなく、ただちょうど合適の時機に遇わず、よって危厲を招く。災禍はそれ自ら招いたのではない。ゆえに大きな咎なし。よって危厲あれど咎なしと言う。

九四包無魚,起凶。初六與二相近,樂充九二之包廚,四失本應,故曰包無魚。九四既失其應,即是下無民人;若無人而動,失應而作,有所興為,即致凶災,故曰起凶也。

九四の爻辞「包无魚、起凶」。初六は九二と緊鄰し、九二の庖厨に入るを楽しみ、九四はこれによって本来自分と相応する一方を失う。ゆえに厨中に魚なしと言う。九四がすでに相応の爻を失えば、下に民衆なきに等しい。人手なきの情况下に猛然として行動し、応援を失いてなお興作あれば、凶禍を招く。ゆえに動けば凶ありと言う。

九五以杞包瓜,含章,有隕自天者。杞,枸杞也;瓜,瓠瓜也。杞生於肥地,瓠瓜為物,繫而不食也。五居尊位,下無其應,猶如杞包瓜,繫而不食,其猶人君雖居貴位,下既無人,何以施其教命,故曰以杞包瓜也。下無應援,教命不可行,雖有章美之德而但包含之,故曰含章也。然以剛居尊,懷剛中之德,雖即教命不行,無人敢有傾隕矣,所有隕絶惟天而已,故曰有隕自天也。

九五の爻辞「以杞包瓜、含章、有隕自天」。「杞」は枸杞、「瓜」は瓠瓜である。枸杞は肥沃の土地に生え、瓠瓜という物はただ懸りて食用に供しない。九五は尊位に身を居し、下には相応の爻がない。ちょうど枸杞の枝葉で瓠瓜を包裹して、懸かっても食べられないがごとし。これはまた君主が尊貴の地位を占めても、下にすでに人なければ、何をもって己の教令を施行するかに似る。ゆえに「以杞包瓜」と言う。下に応援なく教令が推行できなければ、章美の徳性あるも含蔵するのみできる。ゆえに「含章」と言う。ただそれは陽剛をもって尊位に居り、剛健中正の徳を懐く。たとえ教令が一時行き通らなくても、それを傾覆しに来る者はない。それを隕落断絶させうるは、ただ上天のみである。ゆえに天より降る変故ありと言う。

上九姤其角,吝無咎者。處遇之極,無所復遇,其猶一體之中,遇角而已,故曰姤其角也。角既處上,即非所安,與不遇無異,故生悔吝。然下既無應,不與物競,故無凶災,故曰吝無咎也。

上九の爻辞「姤其角、吝、无咎」。それは相遇の道の極点に処り、さらに遇うべきがない。ちょうど身体全体を摸索して、最後に頭上の犄角に触れたのみに似る。ゆえに「姤其角」と言う。犄角はすでに最高処に生える、本は身を安ずる所にあらず。この相遇は遇わぬと異なりなし。ゆえに悔恨憾惜を生ず。ただそれの下にはすでに相応の爻なければ、人と争奪せず。よって凶禍災殃なし。ゆえに憾惜あれど咎なしと言う。

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