巻十一 周易雑卦伝第十一
乾剛坤柔,比樂師憂,臨觀之義,或與或求。屯見而不失其居,蒙雜而著。震,起也。艮,止也。損,益,盛衰之始也。大畜,時也。無妄,災也。萃聚而升不來也。謙輕而豫怠也。噬嗑,食也。賁,無色也。兊見而巽伏也。隨,無故也,蠱則飭也。剝爛也。復反也。晉晝也。明夷誅也。井通而困相遇也。咸速也。恆久也。渙離也。節止也。解緩也。蹇難也。睽外也。家人內也。
《乾》は剛健にして《坤》は柔順、《比》は楽しむべくして《師》は憂うべし。《臨》と《観》の意義は、一個は上に居りて下に臨みて施与する所有り、一個は下に在りて仰観して求取する所有り。《屯》は剛爻始めて動きて顕現す、而もその安居の処を失わず。《蒙》は雑乱蒙昧にして後に漸々昭著す。《震》は奮起、《艮》は止息なり。《損》と《益》は、盛より衰に転じ衰より盛に転ずるの開端なり。《大畜》が講ずるは時機、《无妄》が講ずるは災殃なり。《萃》は下に於て聚合し、《升》は上行して返らず。《謙》は自らを軽くして自牧し、《豫》は安楽して怠を生ず。《噬嗑》は咬合して食を進め、《賁》は文飾極処に至りて反って無色に帰す。《兌》は情外に顕れ、《巽》は情内に伏す。《随》は旧事に循う無く、《蛊》は則ち弊乱を整飭す。《剥》は爛熟剥落し、《復》は本原に回返す。《晋》は白昼光明の如く、《明夷》は明德の誅傷せらるるなり。《井》は通達にして、《困》は険と相遇うなり。《咸》は感応神速、《恒》は持久不易なり。《渙》は離散、《節》は節止なり。《解》は寛緩、《蹇》は艱難なり。《睽》は乖離して外に向かい、《家人》は和合して内に在り。
否泰反其類也。大壯則止,遯則退也。大有眾也。同人親也。革去故也。鼎取新也。小過過也。中孚信也。豐多故也。親寡旅也。離上而坎下也。小畜寡也。履不處也。需不進也。訟不親也。大過顚也。姤遇也。柔遇剛也。漸女歸待男行也。頤養正也。旣濟定也。歸妹女之終也。未濟男之窮也。夬決也。剛決柔也。君子道長小人道憂也。
《否》と《泰》は各々相反の類に返帰す。《大壮》は壮盛にして止まるべく、《遯》は幾を知りて退避す。《大有》は所有する者众多、《同人》は人と親和す。《革》は旧きを革除し、《鼎》は新しきを取用す。《小過》は稍々常度を過越し、《中孚》は内心篤実にして信有り。《豊》は事故繁多、親人稀少なるは《旅》なり。《離》は火性炎上、《坎》は水性潤下なり。《小畜》は畜する所甚だ少なく、《履》は行いて安処せず。《需》は時を待ちて軽進せず、《訟》は相争いて親和せず。《大過》は本末転倒なり。《姤》は期せずして遇い、柔爻の剛爻に遇上るなり。《漸》は女子嫁ぐは男方の礼を行い迎え来るを待つなり。《頤》は正道を以て之を養うなり。《旣済》は各々その定位を得たるなり。《帰妹》は女子の帰宿、《未済》は男子の困窮なり。《夬》は決断、剛爻の柔爻を決去するなり、君子の道増長して小人の道憂懼す。
乾不偏其用,無執其體,無不周也,剛之用也。坤守其形,不敢先也,受命而無不行也,柔之道也。體得其用,故?保其久也。比剛樂師則憂集也。剛以臨觀,行其道也。巽說與眾,求其治也。屯者,剛始動於下,而立於難也。方將見矣,民之歸矣,故不遷而建侯利也。蒙者,時之昧也,雜亂不足以明也,而中心昭著矣,待其時而行然後通也。
乾は某一方面に偏用せず、亦た某一形体に固執せず、故に周遍せざる無し、これは剛の功用なり。坤は自らの形体を守住して、搶先敢えてせず、命令を接受して奉行せざる無し、これは柔の道理なり。形体は恰当の功用を得、故に?長久を保持する能し。《比》は一陽を主として衆人和楽し、《師》は則ち憂患聚集す。剛道を以て上に居りて下に臨み人の観仰を受くるは、自らの道を推行するなり。謙順喜悦を以て衆人に対するは、天下の治理を求得するなり。《屯》卦は陽剛始めて下面に於て萌動す、而も艱難の中に立身す。それは正しく将に顕現せんとし、百姓正しく帰附せんとす、故に遷徙を急がずして諸侯を建立するに利有り。《蒙》卦は時運昏昧にして、雑乱にして顕明するに足らず、然るに心中は実は已に明白、ただ時機を等待して後に行動し、然る後に通達する能し。
震,可舉而動也。艮,可止而息也。損者盛之始,益者衰之始也。大畜之時,時之得也,時在內也。無妄之眚,人之失也,外其時也,可不愼乎。柔而聚之可以保矣。升而求進,失其歸也。謙不自重,故終吉也。豫樂自惰,故終凶也。噬而嗑之,無繫情於噬,食之道也,故用獄,齊之而巳,不過當也。賁者,文飾也。升降有度,尊卑有數,禮之文也,治之飾也。尚色為賁,賁之末也。政以正之,刑以齊之,文以賁之,聖人之治也。
《震》は足を挙げて動くべく、《艮》は停下して休息すべし。《損》は盛より衰に転ずる開端、《益》は衰より盛に転ずる開端なり。《大畜》の講ずる所の時機は、時機を得到するにして、而も時機は内に在り。《无妄》の説く所の災眚は、人自らの過失にして、彼は時機を錯失するに因る、何ぞ謹慎せざるを得んや。柔道を以て衆人を聚合せば、即ち保全すべし。一味に上昇して進を求めば、却って帰宿を失う。《謙》卦は自らを看重せず、故に最終吉利。《豫》卦は安楽に耽りて自ら懈怠に甘んず、故に最終凶険。東西を咬合して心思を吃の上に牽系せざる、これこそ進食の道、故に《噬嗑》は断獄に用う、不過民衆を斉整するのみ、処罰は応有の分寸を超過せず。《賁》は文飾。昇降法度有り、尊卑定数有り、これは礼の文采にして、亦た治世の修飾なり。至於色彩を崇尚して乃ち文飾と算すは、あれ已に賁の末流なり。政令を以て民衆を端正し、刑罰を以て民衆を斉整し、文采を以て民衆を修飾す、これこそ聖人の治道なり。
兊,剛中而柔外,見其情而說人也。巽,剛中而柔內,隱其情而巽物也。隨,剛來而下柔,不守其常,不修其事,動而說之,終失其正也。無正而隨器斯蠱矣。器蠱而治,乾其蠱也。剛上而柔下,得其通也。巽而止之,可飾治也。剝者自消其道而潰也。思其反之,復其正也。順明以晉,昭天下也。明夷失德,眾所誅也。井也者,德之附也。德之成而通利於物,君子之遇困,修其德而不責於人,井德之通,由困而遇也。
《兌》は剛爻中に居りて柔爻外に在り、真情を顕露出して人を喜悦せしむ。《巽》は剛爻中に居りて柔爻内に在り、真情を隠蔵して外物に順従す。《随》は剛爻下り来りて柔爻の下に居り、常規を守らず職事を修めず、一動すれば即ち人に取悦し、最終に正道を失掉す。正道無くして人に随えば、器物これに由りて敗壊し、即ち《蛊》と成る。器物敗壊せば即ち整治を加うるを要し、これ即ち「幹蛊」なり。《蛊》卦は剛上に在りて柔下に在り、通達の理を得。順従して之を止息せしめば、即ち文飾整治すべし。《剥》は自らその道を消損して潰敗す。それの必ず反転せんを思えば、即ち正道に回復す。柔順にして光明に附麗して上に行くは《晋》にして、天下を照臨する能し。《明夷》は明德を喪失して、衆人の誅討する所と為る。《井》は德行の依附する地方。德行成就して万物に通利す。君子は困厄に遭遇して、ただ自らの德行を修治して別人を責怪せず。井德の通達は、正しく困厄の中より相遇して得るなり。
咸剛下柔,柔升剛,兩而相感也。神以相感,不疾而速也。感得其正,恆久之道。剛上而柔下,可以久矣。渙者,上下通志,柔順其上,剛巽柔德,乗木於水,離行從逺,不待設禁而自治也。其終則不禁,故反之以節。剛柔分其德也。水澤保其潤也。解者,乗險以動,而免於險也,則緩於小矣。小之緩則積於大,蹇矣,險猶在也,其可緩乎。道反之然也。
《咸》は剛柔の下に屈居し、柔升りて剛降り、両者互相に感応す。神妙の理を以て相感し、急促せずして自然迅速なり。感応正を得れば、即ち恒久の道。剛上に在りて柔下に在れば、即ち長久すべし。《渙》卦は上下心志相通じ、柔順に在上者を承奉し、剛を以て柔順の德を行い、木舟に乗りて水上を行くが如く、附麗して行いて遠行滞らず、禁令を設下するを必とせずして自然治理す。然るに最後に至りて禁約する所無し、故に《節》卦を以て之に反制し、剛柔各々その德を分かたしめ、水沢の中に在りてその潤沢を保住せしむが如し。《解》卦は険難に乗じて行動して、因りて険難を脱出す、是に於て小事に対し寛緩す。小事一たび寛緩なれば、積累して大事と成り、《蹇》難又た来る、険難は実は仍ほ在るに因り、何ぞ寛緩すべきや。事理の反覆は本来この如し。
睽,合外以成也。家人,由內以成也。否者,小人之道也。泰者,君子之道也。反其類不可以相從也。大壯,陽長君子可以制小人也。道變斯,遯則退之矣。大有,柔得大中,而?柔服,無有逺邇,皆有而容之,大有其眾也。同人,親其同也。性同相與,無閒上下也,是以天?與火也。唯同者,同之水火相息,不革則亡。革,去其故而不相見乃可也。革水火而成新,用者鼎也。新必反故,乃治也。
《睽》は外面の力量を合して事を成し、《家人》は内部の治理に由りて事を成す。《否》は小人当道、《泰》は君子当道、両者各々その類に返りて、互相に依従する能わず。《大壮》は陽気増長して、君子は小人を制服すべし。時勢一たび変ずれば、《遯》卦に至りて即ち退避すべし。《大有》は柔爻尊に居りて大中を得、因りて?衆人をして柔順帰服せしめ、遠近を論わず一概に包容す、故にそれは众多を擁有すると曰う。《同人》は同類と親しむ。性情相同なれば便ち彼此相与し、上下の間に隔阂無し、故に天?と火の親するが如し。ただ同類のみ相同なる能し、然るに水と火は互相に熄滅し、変革を加えざれば即ち敗亡せん。故に《革》卦は旧きを革去して、水火をして正面に相犯せざらしめて乃ち可なり。水火を変革して新物を成就す、用うる所の器具は便ち鼎なり。新しき物も亦た必ず旧き根本に返回して、斯くして乃ち治と為る。
小過者,柔得中,小人之正也。小人者,篤於小事而不知通濟君子。過行小事而合之,知可屯而過,動也。中孚,兩柔向而無迕也。外內剛中,皆情實著說而巽,信發於中也。小過,過行中孚,實信君子之道可者,與之豐明以動之,則物盡陳矣。事皆舉矣。事之多則未有周矣,愼其大者也。旅者,柔得中乎,外而下寄於剛也。自寄旅矣,人何親哉,不可以有附也。戒其止則明也。離得其所,麗可以上而昭也。坎陷其所,居可以下而經也。
《小過》は柔爻中を得、これは小人の正道なり。小人は小事に篤実にして通達済世の君子の道を懂得せず。君子は時に或いは過に小事を行いて彼らに遷就し、聚守すべきを知る時便ち稍々過ぐる一点、これも亦た一種の権変の挙動なり。《中孚》は両個の柔爻相向して抵觸無く、内外剛爻中に居りて、情実皆顕著、喜悦して又た謙順、誠信は内心より発出す。《小過》は行事上稍々過ぎ、《中孚》は内心篤実にして信有り、皆君子の行うべき道なり。それらと相配する《豊》卦は、光明を以て発動し、万物は即ち皆陳列出て、事情は即ち皆弁起す。然るに事情一たび多ければ即ち周全し難し、故にその中の大事を謹慎対待するを要す。《旅》は柔爻外卦に於て中を得て下に於て剛爻に寄托す。既に自ら羈旅に処すれば、別人は何を憑りて彼と親近せん、故に依附する所有るべからず、戒慎して止を知る能くば乃ち明智と算す。《離》はそれの処すべき地方を得、上に附麗して昭明する能し。《坎》はそれの居る所の地方に陥落して、下面に処して流行常有る能し。
小畜之寡,知足而不多藏,終得其畜也。履之不處,恭謙而不敢自恃,保其履也。需上險也。待命而不敢自任,全其健也。訟下險不可親也,與處而塞之,失謀於險也。大過正之末也。本無正而末不?興也。唯剛大者?過之而治也。政自其下,顚之道也。姤者,柔遇剛也。修巳自敬,守素安下,君子之素行也。時遇而得天之幸也。雖漸而進剛,行乃行也。
《小畜》の畜する所甚だ少なきは、知足して多蔵せざるに因り、最終に却ってその畜を保住す。《履》は行いて安処せざるは、恭敬謙譲して自恃敢えてせざるに因り、斯くして乃ち自らの践履を保住する能し。《需》卦は上体険にして、時命を等待して自作主張敢えてせず、乃ちその剛健を保全する能し。《訟》卦は下体険にして、故に親近すべからず。この如き人と相処して阻塞を受くるは、険の中に於て謀算を失するに因る。《大過》は正道の末流。根本上正無ければ、末梢は?興起する能わず、ただ剛大の人?常度を過越して整治を加うる能し。政令下位より出ずるは、あれ本末転倒の道なり。《姤》は柔の剛に遇上るなり。自らを修養し敬慎を存し、本分を安守して下位に甘居す、これは君子平素の操行なり。好時機に遇上るは、あれは上天の幸運を得るなり。漸々前進するのみなるも、剛道一たび行えば、事情も亦た行通るを得。
頤治自其上,養之正也。動之以妄,躁凶之道也。旣濟之道也。旣濟定矣,力窮而至於濟,無復加也,不可以不自知也。歸妹,少配長,道窮而無所往,所以行而終也。未濟,剛不全正以至於失位,道之窮也。而以為未濟,復將求也。如之何哉。夬,決也。剛決柔也。小人之道,雖形殘而不足以相治,無其正也。君子之道,長言之而可以決矣,明於始而無所諱,以至於天下正也。
《頤》卦の治養は上位より出づ、これは養育の正道なり。若し妄動を以て養えば、あれは即ち躁進して凶を取る路子なり。これも亦た即ち旣済の道なり。旣済已に安定し、力量用い尽して乃ち成功に達し、再び增益有る能わず、故に自らを知らざるべからず。《帰妹》は少女長男に配して、道路窮窘にして往く可き処無し、故に此処に行きて終結す。《未済》は剛爻完全に帰正する能わざるを以て本位を失掉するに至り、道の窮尽なり。然るに正しくそれを「未済」と看作するに因りて、尚ほ重新に追求すべし、然らざれば又た如何せん。《夬》は決断、剛爻の柔爻を決去するなり。小人の道は即ち形跡残破するも、亦た互相に整治するに足らず、それは本身正無きに因る。君子の道は、ただ伸張し開けば即ち小人を裁決する能く、開端に於て明察して隠諱する所無く、天下正に帰するを為すに至るまで。
