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大過卦

春秋 · 卜子夏 · 第6巻 / 15

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

巽下兌上 大過,棟橈,利有攸往,亨。彖曰:大過,大者過也。棟橈,本末弱也。剛過而中,巽而說行,利有攸往,乃亨。大過之時,大矣哉。大過,強大者能過也。本無正,而末不能治者也。棟既橈矣,法無從矣,何所承乎。唯強行者,不拘於細,不守其弊,過之而後治也。下剛過中,上巽而後悅,行利往而後乃亨。從大然後過也,非才大者不能行。權而合悅也。

《大過》卦は下卦を巽・上卦を兌と為す。卦辞は言う:大過は、屋梁彎曲す。前往する所有るに利ありて亨通す。《彖伝》は解釈す:大過とは陽大なる者の過盛なり。棟梁の彎曲するは、首尾両端の軟弱なればなり。陽剛過盛するも中に居り、遜順にして欣悦に推行すれば、前往する所有るに利ありて、ここをもって亨通す。大過の処する所の時勢は、意義実に重大なり。注者は以為す:大過とは強大の人の能く常規を超越するを言うなり。根本上端正の規矩なければ、末梢も亦た整治するに由なし。棟梁既に彎曲して、法度は依憑を失う。復た何の重任を承当するを得べきや。唯だ敢えて強行する者のみ、瑣細に拘泥せず、既有の弊病を死守せず、常規を超越して然る後に乃ち局面を収拾するを得。下体陽剛過盛にして能く中を守り、上体遜順して然る後に人を欣悦せしむ。此の如くして推行して乃ち前往に利ありて然る後に亨通す。先ず大なる徳才を具備して然る後に乃ち常規の超越を談ずべし。才干宏大の人にあらざれば此の一歩を為る能わず。之れ通権達変して又た衆人の歓心を得るを要すればなり。

象曰:澤滅木,大過。君子以獨立不懼遯世,無悶。木為澤所沒,下過其上也。本無政矣,舉而治之亦無患也。故君子當於是,獨立而濟,不懼群邪,然後能通,過上乃行。雖曰得之不足以榮也。遭其用,遯世無悶,失之不足恥也。

《象伝》は言う:大水の樹木を淹没するは、此れ即ち大過卦の象なり。君子は此より世に独立して畏懼せず、世を避け隠居するも煩悶せざるを懂得す。注者は以為す:樹木の大沢に淹没せらるるは、下の水の上の木に超過するなり。此の時に当たりて本より様になる政治なく、身を挺して出でて之を整治するも禍患ある所なし。ゆえに君子は此の局面に処して、独り立ちて時を救い、成群の邪佞の輩を懼れずして、然る後に乃ち局面を打通し、上の者の成規を超越して己の主張を推行するを得。便ち此の如くなるも、任用を得るも以て栄と引くに足らず。任用せられんに碰上せば出でて事を為り、隠退して世を避くるも苦悶を覚えず、機会を失うも同じく羞恥と為すに足らず。

初六,藉用白茅,無咎。象曰:藉用白茅,柔在下也。君子之於大過也,必本於誠敬然後濟之也。雖曰藉用白茅,薄之至而誠之著也。柔處於下,謹敬於初,不私於己,則動而無咎矣。

初六爻辞は言う:潔白の茅草を用いて襯墊と為せば、過ちなし。《象伝》は解釈す:白茅を用いて墊と為すは、陰柔の下位に居ればなり。注者は以為す:君子は大過の時に面して、必ず誠敬を以て根本と為して、然る後に乃ち時局を挽救するを得。謂う所の白茅を用いて墊と為すは、此の物は薄くして再び薄き能わざるも、誠意は此を因に格外分明に顕わる。陰柔は最下の位に処りて、事情の開端に就きて謹慎恭敬して、己の為に私を謀らざれば、然らば一たび挙動あれば便ち過ちなからん。

九二,枯楊生稊,老夫得其女妻,無不利。象曰:老夫女妻,過以相與也。陽舉於陰,過初之本事,過其位。剛而得中,行權以合說也。老夫重合女妻,枯而復生,其實時過而相與得復生之理。故其無不利也。

九二爻辞は言う:枯乾の楊樹は重新して嫩芽を抽出し、年老の男子は年軽の妻子を娶り得たり。利あらざる無し。《象伝》は解釈す:老夫が少妻に配するは、常規を超越して彼此相与するなり。注者は以為す:陽爻は陰爻に托挙せらるるは、初六の本分内の事を越過して、亦た己の処すべき位置を越過す。九二は陽剛にして下卦の「中」に居り、能く権に通じ変に達して欣悦の道に合す。老年男子の再度婚配して少妻を得るは、正に枯木の重新して生発するが如く、実は時序已に過ぐるも彼此相配して、なお重新生長の道理を得るを得べし。ゆえに利あらざる無しと曰う。

九三,棟橈。凶。象曰:棟橈之凶,不可以有輔也。不能拯弱自守其位,棟之橈也。而又應柔本末弱矣。柔何輔焉,凶之道也。

九三爻辞は言う:棟梁彎曲して凶険。《象伝》は解釈す:棟梁彎曲の凶険は、有力の輔助を得る能わざればなり。注者は以為す:九三は衰弱の局面を拯救する能わずして、顧みて己の位子を守住するのみ。此れ棟梁の彎曲下垂するが如し。其の相「応」する所は又た上六の此の柔爻にして、ここに於て首尾両端皆軟弱無力なり。柔弱の一方はそれに何の輔助を与え得んや。ゆえに凶険の道なり。

九四,棟隆吉。有它。吝。象曰:棟隆之吉,不橈乎下也。以陽而與,其柔志在拯時也。得其吉矣。情以求應,不撓於下也。不能自與。可惜也已。

九四爻辞は言う:棟梁の上に向かいて隆起して吉祥。別に牽掛あらば、則ち困窘せん。《象伝》は解釈す:棟梁隆起して吉なるは、其の下に向かいて彎曲せざればなり。注者は以為す:九四は陽剛の質を以て陰柔と相交して、心志を時局を拯救するの上に放つ。ここをもって吉祥を獲得す。それ真情を以て相応の爻を尋求して、下の牽累する所と為らず。ただそれ能く完全に己に靠りて事を成さざるは、此れ稍々可惜なり。

九五,枯楊生華,老婦得其士夫,無咎無譽。象曰:枯楊生華,何可久也。老婦士夫亦可醜也。陽處陽也,自守而已,不能大過者也。雖欲拯之其能得乎,不足以濟衰也。則老婦得其士夫,猶枯而徒華,可丑而已,當尊而徳不能濟,力而不能勝也。無功可譽,亦無咎矣。

九五爻辞は言う:枯乾の楊樹はただ花を開出するのみ、年老の婦人は少壮の男子に嫁を得たり。過錯なく亦た称賛すべき処なし。《象伝》は解釈す:枯楊開花は、豈に長久維持する能わんや。老婦が少夫に配するも、亦た可羞なり。注者は以為す:九五は陽爻を以て陽位に居りて、ただ本分を自守するの能くするのみ、常規を超越する大事を為出す能わず。それ時局を挽救せんと欲するも、又た豈に為り遂げらるるを得んや。衰敗を救助するに足らず。此れ老婦の少夫に嫁するが如く、又た枯木のただ開花して結実せざるが如く、徒らに可羞なるのみ。身は尊位に居りて徳行は世を済うに足らず、力を使うも勝任する能わず。ゆえに称誉すべき功業なく、亦た何の災禍あるを談ずるに及ばず。

上六,過涉滅頂,凶,無咎。象曰:過涉之凶,不可咎也。過涉襄危之極,罪咎之地也。況以柔終乎。過涉之深,滅其頂,頂滅身之終也,於何而咎哉。

上六爻辞は言う:水を渉ること過深にして、水は頭頂を淹没す。凶険なるも、卻って彼に罪を帰する能わず。《象伝》は解釈す:過渉の凶険は、彼を責怪す可からざるなり。注者は以為す:水を渉りて極端の危難に深陷するは、本より罪責を招致するの処境にして、況んや上六は又た陰柔の質を以て全卦の終点に処するをや。それ渉ること太だ深くして、水は頭頂を淹過す。頭頂の淹没せらるるは即ち身命の終結なり。事已に此に至りて、復た彼を如何に責怪せんや。

習坎卦

坎下坎上 習,坎有孚,維心,亨。行有尚。彖曰:習,坎重險也。水流而不盈,行險而不失其信,維心,亨。乃以剛中也行,有尚往有功也。天險不可升也,地險山川丘陵也。王公設險以守其國,險之時用大矣哉。習,重也。水重至,流而不盈乎,兩坎也。為其嫌於止水也,故以習,坎名之。剛中而有孚,浚之斯流,流之斯止,浮之斯濟,沈之斯溺,不違於人,而人不可欺,不失信於,險也。

《習坎》卦は上下皆坎なり。卦辞は言う:重重の険陥の中に誠信を懐き、ただ内心を維係せば、即ち亨通するを得。行動は嘉尚を受けん。《彖伝》は解釈す:習坎とは重畳の険陥なり。水は流動して盈満せず、険境の中に走りて己の信実を失わず、内心を維係してここをもって亨通するは、陽爻の「中」に居るに憑る。行動の嘉尚を受くるは、前往せば必ず功效あるを言うなり。天の険は高くして攀援すべからざるに在り、地の険は山川丘陵に在り。王公は険要を設置して己の国家を守衛す。険の時勢と功用は実に重大なり。注者は以為す:「習」は重畳の意思なり。水は一重接一重に涌き来り、流動して盈満せざるは、正に両の坎の相畳の象なり。人の静止不流の水と誤会せんことを怕るればなり。ゆえに「習」の字を用いて坎に命名す。陽爻は中に居りて心に誠信を懐く。之を疏浚すれば即ち流れ去り、其の流るるに任せば自然停下し、其の上に浮かべば即ち渡るを得、沈下せば即ち溺亡す。それ従来人事の常理に違背せず、人も亦た之を欺騙する能わず。険境の中に処りて信用を失わざるなり。

夫行險而自能通者,固繫於心乎。能剛中志,果濟乎險而得其道者,則行險而有功也。天險絶其升也,地險山川丘陵也,天地猶險以成,而況於人乎。王公設城池以險國也,剛中藏用,以應險也。物之情而為險之用,非知者不能用,而終於正也。

注者は接ぎて言う:険境の中に走りて能く自ら出路を打通する者は、要は豈に心に在らずや。能く剛強に中を守りて心志堅定にして、果決に険難を渡過して其の正道を得る者は、険境を行走して却って功業を建立せん。天の険は人の攀升し上る能わざるに在り、地の険は山川丘陵に在り。天地なお険を以て己を成就す。況んや人事をや。王公は城池を修築す。即ち国家の為に険阻を設下するなり。陽剛は中に居りて作用を内に蔵して、用いて険難に応対す。勢いに因りて利導し事物の本情を利用して険の功用を発揮するは、智慧ある人にあらざれば為る能わず。而して始終端正に帰すべし。

象曰:水洊至習,坎。君子以常徳行習敎事,水至柔而順,剛中而信,故能險而不滯也。雖洊流而至,其道一也。故君子以常行而存乎中習敎事,以御其險,則得其正而有功也。

《象伝》は言う:水の一重接一重に流れ来るは、此れ即ち習坎卦の象なり。君子は此より徳行を常あるを使し、反復して教化の事を演習す。注者は以為す:水は極めて柔順なるも、内裡は卻って剛強にして信を守る。ゆえに能く険境の中に流行して停滞せず。重重畳畳として涌き来るも、其の道理は始終一如なり。ゆえに君子は恒常の操行を以て心中に存養し、反復して教化の事を演練して、用いて険難を抵御す。此の如くして便能ち其の正道を得て功業を建立す。

初六,習。坎入于坎窞凶。象曰:習坎入坎,失道,凶也。初柔而居重險之下,質弱而無心不知,濟險之道,習坎而入于坎窞,何以濟乎,故凶也。習重也,謂治其事也。

初六爻辞は言う:重重の険陥の中に身を処して、卻って坎中の深穴に掉り落ちり。凶険。《象伝》は解釈す:習坎にして坎中に落入するは、正道を喪失せるを以て凶と為すなり。注者は以為す:初六は陰柔の質を以て重険の最下に居り、本質柔弱にして心中に主なく、険難を渡過するの方法を懂得せず、身は重険の中に在りて却って坎底の深穴に墮入す。何を憑りて脱せんや。ゆえに凶険。「習」は重畳の意思にして、此処に用うるも亦た其の事を操習治理するの意味を含む。

九二,坎有險,求小得。象曰:求小得,未出中也。居坎之內,前尚有險也。行險得中,而二柔附之體,險而有功也。雖求小得,未出險中也。

九二爻辞は言う:坎中はなお険あり。求むる所はただ小に得る有るのみ。《象伝》は解釈す:求めて小に得る所有るは、未だ険陥の中を走出せざればなり。注者は以為す:九二は下坎の内に処りて、前はなお一重の険あり。それ険中を行走して能く「中」を守り、上下両の柔爻皆之に依附す。身は険境に在りて卻って能く功を建つ。但だしそれ小に得る所有りといえども、畢竟未だ険境を脱出せず。

六三,來之坎,坎險且枕入于坎窞,勿用。象曰:來之坎,坎終無功也。位剛而以柔治,難矣。況兩坎之間乎。二剛,險也。而且枕之求可得乎。上坎之底,坎窞者也,之可得乎。進退莫可終,無功也。

六三爻辞は言う:来るも坎にして去るも坎なり。険上に険を加えて、其の間に枕卧して又た深穴に墜入す。施為する所有るべからず。《象伝》は解釈す:来去皆坎なるは、終竟功效あらざらん。注者は以為す:六三の居る所は本より陽剛の位にして、卻って陰柔の方式を用いて応付す。已に甚だ吃力にして、況んやそれ正に両重の坎の間に夾まれるをや。下の九二は陽剛にして、本身就是険なり。六三は之に枕靠して求取すれば、何を得る能わんや。上は又た上坎の底部にして、正に坎中の深穴なり。去りて又た何を得る能わんや。進むも行かず、退くも行かず。終竟功效あらざらん。

六四,樽酒,簋貳,用缶,納約自牖,終無咎。象曰:樽酒,簋貳,剛柔際也。陰弱質也,附陽而濟居於上,體依五得位,濟其險矣。夫欲上之盡者,必自盡者也。誠之至,豈假於豐哉。則樽酒而簋,副器約而納寡,自至於牖以盡其忠,剛柔之際,承上之道也,終何咎矣。

六四爻辞は言う:一樽の薄酒・两簋の素食を、瓦缶を用いて盛りて、窓口より此の簡約の心意を送り入る。終に過ちなし。《象伝》は解釈す:一樽の酒・两簋の食とは、剛柔の此に於て交接するを言うなり。注者は以為す:六四は陰柔の質にして、陽剛に依附して乃ち事を成すを得。それ身は上体に処りて、九五に緊靠して又た位に当たりて「正」を得。ここをもって能く険難を渡過す。上の者をして心を尽さしめんと欲する人は、必ず先ず自ら心を尽さん。誠意極点に到れば、豈に豊盛の排場を借助せんことを要せんや。ゆえにただ一樽の酒・一簋の飯を用いて、副器簡単にして進献微薄にして、親ら窓前に送りて以て己の忠誠を表達す。剛と柔は此に於て交接す。此れ正に上の者を承奉するの正道にして、終に何の過ちあらんや。

九五,坎不盈,祇既平。無咎。象曰:坎不盈,中未大也。在坎中矣,坎豈盈乎。夫濟險者,盡斯泰乎。斯無咎矣。處其險,尊安而不慮,則險為咎矣,未至乎大,可無愼歟。

九五爻辞は言う:坎中の水は未だ満たず、ただ剛き坎口と斉平するのみ。過ちなし。《象伝》は解釈す:坎水未だ盈たざるは、中に居るの徳未だ充分に光大せざればなり。注者は以為す:人は正に坎険の中に在れば、坎水豈に満たんや。険難を渡越する人は、力量を尽処に用いて乃ち平安に轉向するを得。此の如くして便ち過ちなからん。若し身は険境に処しながら地位の尊貴を因に心安理得にして思慮を加えざれば、然らば険難は災禍と変成せん。既に光大の地步に達せざれば、何ぞ謹慎せざるべからんや。

上六,係用徽纆,寘于叢棘,三歲不得,凶。象曰:上六失道,凶。三歲也,柔而無心小人也。乘剛而履於極險,居於峻法之時,行極險之事,故用繫纆,索寘于叢棘,失其謀身之道也,以是三歲而凶。乃終。

上六爻辞は言う:繩索を用いて捆綁して、荊棘叢生の牢獄に関入れられ、三年も脱身する能わず。凶険。《象伝》は解釈す:上六は正道を喪失せり。ゆえに凶。注者は以為す:謂う所の三年とは、時間の久しきを言うなり。上六は陰柔にして心中に主なく、正に小人なり。それ陽剛に凌乗して又た最も険なる位置の上に踏み、法度厳峻の時に処して、卻って極めて冒険の事を為すに往く。ゆえに繩索に捆縛せられて、荊棘叢中の牢獄に投入せらる。此れ身を謀り自ら全うするの道を喪失せるなり。ここをもって三年の久しきも皆困頓凶険にして、全卦終了するに至る。

離卦

離下離上 離,利貞,亨。畜牝牛吉。彖曰:離,麗也。日月麗乎天,百榖草木麗乎土。重明以麗乎正,乃化成天下。柔麗乎中正,故亨,是以畜牝牛吉也。麗,安附也。而利以正,故能通也。日月得天,故能長守其明。百榖草木得乎附土,故能永保其種。麗其所麗者也。上下皆明,咸安其處,利而不正,何為化成矣。柔麗大中,強而不武,利而得正,化之元也。是以能通天下也。故畜牝牛,柔而強力,以濟者相麗之道也。

《離》卦は上下皆離なり。卦辞は言う:離は正を守るに利ありて亨通す。母牛を畜養せば吉祥。《彖伝》は解釈す:離とは即ち附麗にして、日月は天に附麗し、百穀草木は土に附麗す。重畳の光明は正道に附麗して、ここに於て能く教化して天下を成就す。柔爻は中正の位に附麗す。ゆえに亨通し、ここをもって母牛を畜養して吉祥なり。注者は以為す:謂う所の麗とは、即ち安然に依附して、而して依附するに端正にして乃ち通達するを得べきなり。日月は天に依托せば、ゆえに能く其の光明を長久に保持す。百穀草木は土に依托せば、ゆえに能く己の種類を永遠に保住す。此れ即ち依附すべき物に依附するなり。上下両体皆光明にして、各々其の処に安んず。若し只だ利を図って端正ならざれば、又何の教化成就を談ぜんや。柔爻は中に居るの大位に依附して、強健にして武力を逞しうせず、利ありて又た正を守る。此れ教化の開端にして、ここをもって能く天下に通行す。ゆえに母牛を畜養すと曰うは、其の柔順にして又た力量あるを取りて、用いて事を成すべきをもってなり。此れ正に彼此依附の道理なり。

象曰:明兩作離,大人以繼。明照于四方。兩明嗣麗,天下大明也。得麗之大者,莫過於大人。麗於大位也。累聖之治,兩明而繼,而天下化矣。

《象伝》は言う:両重の光明升るは、此れ即ち離卦の象なり。大人は此より光明を承継して四方を照耀す。注者は以為す:両重の光明前後相続して依附すれば、天下便ち一片大明なり。能く最大の依附を得る者は、大人に比する者無し。其の依附する所は最も尊貴の大位なればなり。歴代聖人の相承する治世は、正に光明の光明に接ぐるにして、天下ここを因に教化を得たり。

初九,履錯然,敬之,無咎。象曰:履錯之敬,以辟咎也。求保所安者,履其初,錯然內省而敬懼之,即能保所麗,而免於咎也。

初九爻辞は言う:脚步交錯雑乱するも、ただ恭敬に対待せば、過ちなし。《象伝》は解釈す:步履交錯して心に恭敬を存するは、用いて災禍を避開するなり。注者は以為す:己の安ずる所を保住せんと欲する人は、起步の時に於て紛雑の形勢に面して、能く警醒して反躬自省して心に敬畏を懐けば、即ち己の依附する所の位置を守住して、ここをもって過錯を免るべし。

六二,黃離元吉。象曰:黃離元吉,得中道也。黃者,文之中也。柔居中正,治麗其文,故元吉也。

六二爻辞は言う:黄色の文采を以て相依附すれば、大いに吉祥。《象伝》は解釈す:黄離の大吉は、中道を得ればなり。注者は以為す:黄は各種の色彩の中に於て最も中和に居るの一種なり。六二は陰柔を以て下卦の「中」に居りて位に当たりて「正」を得、己の依附する所の文采を整治して恰好好処に至らしむ。ゆえに大いに吉祥。

九三,日昃之離,不鼓缶而歌,則大耋之嗟,凶。象曰:日昃之離,何可久也。三者將進之地也,在於離。麗得其正,則吉,過之則凶。離明而行,陽麗於三,止於所也,可以鼓缶樂,終於此矣過。以求之日之昃也,將何往哉。耊之凶也。易戒其於分,而麗得其所也。

九三爻辞は言う:太陽の偏西する時の附麗に、瓦缶を敲きて歌うて自ら楽しまざれば、即ち年老力衰の悲嘆を発出せん。凶険。《象伝》は解釈す:日已に偏西の附麗は、豈に長久なる能わんや。注者は以為す:第三爻は将に上に向かいて推進せんとするの位置にして、離卦の中に処り、依附するに端正なれば吉祥にして、分寸を超過すれば凶険。離の光明を憑りて行うに、陽爻は第三位に依附せば、則ち己の処すべき所に止まるべく、缶を敲きて楽しむを尽くすべし。此処に至りて止めよ。若し越分して追求せば、那れ則ち太陽の已に西斜するに好比如して、復た何処に往かんや。此れ即ち老邁の年の凶険なり。《周易》は正に人に己の本分を守住して、依附を恰好在る位置の上に落とすべきを告誡す。

九四,突如其來如,焚如,死如,棄如。象曰:突如其來如,無所容也。

九四爻辞は言う:来勢突兀にして猛烈に、烈火の焚焼するが如く、死亡するが如く、拋棄せらるるが如し。《象伝》は解釈す:来ること此の如く突兀なるは、其の上下の間に於て容身する処なきが故なり。

四者,行上之道,首進之地,進逼於五,不當其位,無徳之至,突如而來如也。五尊嚴之盛,不可陵也,故為焚如而死棄矣。搏殘之而不容也。六五,出涕沱若,戚嗟若,吉。象曰:六五之吉,離王公也。柔居尊陽,故為下之謀也。有乘剛之逼焉,故為出涕矣。以柔正而居王公之位,憂嗟之深,天下歸助,故終吉。

注者は《離》卦の九四を解して曰く:九四の此の一爻は、上に向かいて行進する通道の上・先んじて突進する位置に処り、上に向かいて九五の君位を直逼し、而して其の自身は陽爻の陰位に居りて「位に当たらず」。是れ毫も徳行なきの極端にして、ゆえに爻辞は「突如其来如」を用いて其の猝然の闖入を形容す。九五の君位は尊厳極盛にして侵犯を容れず。ここをもって九四の下場は焚焼・死亡・拋棄と為り、扑灭剷除せられて容納せられず。 経文六五に曰く:淚水滂沱として流下し、憂愁悲嘆す。吉祥。《象伝》に曰く:六五の吉祥なる所以は、其の王公の位に依附すればなり。 注者は解釈して曰く:六五は柔順の陰爻を以て尊貴の陽位に居る。ゆえに能く下の臣民の為に謀劃す。其の下は九四の此の剛爻を壓して、「乗剛」の逼迫を受く。ここをもって淚の雨下するが如き象あり。然れどそれ柔順守正の品德を以て王公の位を占據し、憂懼悲嘆の此の如く深切なるに、天下皆来たりて帰附相助す。ゆえに終に吉を得たり。

上九,王用出征,有嘉,折首獲匪,其丑無咎。象曰:王用出征,以正邦也。柔之道,非天下大服焉,故終於用師之正,以重明之,治為天下之麗,以柔順之徳,為天下之歸。其終或用師,則出征,而折首矣,有其嘉,以剛終也。獲其非類,而天下正也。

経文上九に曰く:君王は兵を出して征討し、嘉美の功績ありて、敵方の首悪を斬殺し、俘獲するは同類の党羽にあらず。過ちなし。《象伝》に曰く:君王の兵を出して征討するは、以て邦国を端正するが為なり。 注者は解釈して曰く:単に柔順の道に靠るは、天下人をして徹底に心服せしむる能わず。ゆえに《離》卦は終に用兵の正当性に帰せんとする所以なり。《離》は重明にして、文明の治を以て天下の依附する対象と為し、柔順の徳行を以て天下の帰心の在る所と為す。終局に到りて武を動かざるを得を得ざれば、則ち兵を出して征討し首悪を斬殺す。能く此の嘉美の功績あるは、上九の剛爻を以て全卦を収束すればなり。俘獲する所は己の同類党羽にあらざれば、天下ここに於て端正に帰す。

巻四 周易下経咸伝第四

咸卦

艮下兌上。咸,亨,利貞,取女吉。彖曰:咸,感也。柔上而剛下,二氣感應以相與,止而說,男下女,是以亨利貞,取女吉也。天地感而萬物化生,聖人感人心而天下和平,觀其所感而天地萬物之情可見矣。

《咸》卦は「艮」下に在り「兌」上に在り。卦辞は言う:咸は亨通し、正を守るに利あり、妻を娶れば吉祥。《彖伝》は言う:咸とは即ち感応なり。柔順の陰爻は上位に上昇し、剛健の陽爻は下位に降到し、陰陽二気は互に感応して結合す。下卦「艮」は静止にして、上卦「兌」は欣悦なり。男方は主動に女方の下に屈居す。ゆえに亨通し正を守るに利あり、妻を娶れば吉祥。天地は互に感応して、万物即ち化育生長す。聖人は人心を感化して、天下即ち和睦太平す。其の感応する所の情形を観察すれば、天地万物の実情は皆看清楚なるを得べし。

二氣之相感應也,中無間也,故得萬物變化乎其內,天氣下降而地氣上,濟陽下陰而陰從陽也。止於所說,其利之正也,故取女以之吉也。而感應之道取焉,聖人無為與天地準,寂然虛中通天下之情,因其情而通天下之故,而咸得其治則天下和平矣。夫相下而不私則感之而通也。觀天地萬物之情,而感一也。彖語其感大者,如此也。至於爻則形相趨也,利相逐也,豈及於感之至哉。天下忘於情而有累於質者,則於物不盡矣,故見利則躁,後時則絶,皆凶悔之道也。

注者は解釈して曰く:陰陽二気は互に感応して、中間毫も阻隔なし。ゆえに万物は能く此の感応の中に於て変化生成す。天の陽気は下降し地の陰気は上昇し、陽は先ず陰の下に屈居して之を成全せば、陰は便ち陽に順従す。感応は彼此欣悦の分寸に止まる。此れ即ち「利貞」の正道にして、ゆえに妻を娶るは此を因に吉祥なり。感応の道の要領は正に此に取る。聖人は清靜無為にして天地と同一の法則と為り、内心寂然空明にして、ここをもって能く天下人の真情を通達し、此の真情に順いて天下の事理を貫通せば、人人皆治理を得て、天下即ち和睦太平せん。彼此謙下して私心を存せざれば、感応即ち通達するを得。天地万物の実情を観察すれば、感応の道理は原本ただ一なり。《彖伝》の講ずる所は感応中の最も宏大の彼の一層にして、即ち此くの如し。六爻に至りては、説く所は卻って形体上の趨附・利害上の追逐にして、何ぞ感応の極致に足らんや。天下人若し只だ情欲を顧みて又た形質に拖累せられれば、外物に対して体察するに尽きず。ここに於て利を見れば浮躁妄動し、時機を錯過すれば往来を断絶す。此れ皆凶を招き悔を生ずるの路数なり。

象曰:山上有澤,咸。君子以虛受人。澤,說來也。山,止受也。君子感人之來,虛中以止之,受其情也。情之得,治之生也。失其情,得治者未之有也。初六,咸其拇。象曰:咸其拇,志在外也。拇,體於下者。將行之物也。有應於外始有志於感而未行也。未涉于吉凶之鄉也。

《象伝》は言う:山の上に沼沢あるは、此れ即ち《咸》卦なり。君子は此より領悟して、虚懐を以て他人を接納すべきを得たり。 注者は解釈して曰く:「兌」は沢と為りて欣悦に前来し、「艮」は山と為りて静止に承受す。君子は他人の来帰を感応するに、虚空の心胸を用いて相手を穏やかに接住し、彼らの真情を接納す。真情を得れば、治理即ち之に随いて生ず。真情を丟棄して能く治理せし者は、従来之有らざるなり。 経文初六に曰く:感応は脚の大拇指に発生す。《象伝》に曰く:感応は大拇指に在りて、心志の外に向かうを説明す。 注者は解釈して曰く:拇指は身体の最下端に長じて、将に歩を邁さんとする時先ず動くの部位なり。初六は上卦に相「応」の爻ありて、ただ剛き感応の念頭を萌生して未だ行動に付せざれば、ゆえに未だ吉凶の領地に踏み入らず。

六二,咸其腓,凶,居吉。象曰:雖凶居吉,順不害也。下體之中,當於腓之為物,足往。斯往矣,獨而往之,即妄動也,何益於行乎。妄動則不見其情也,不得於事冝,其凶哉。居以守位,順以待令,吉矣。得其中者也。

経文六二に曰く:感応は小腿肚に発生して凶険あり。安居して動かざれば則ち吉祥。《象伝》に曰く:凶険あるも安居して吉を得るは、柔順なれば則ち害を受けざるを以てなり。 注者は解釈して曰く:六二は下卦の中位に処りて、正に小腿肚の此の部位に対応す。脚は一たび邁動すれば、それ即ち跟いて走る。然れど它若し己に依りて単独に走らば、便ち妄動にして、行事に何の好処あらんや。妄動すれば即ち相手の真情を看清する能わず、事を為るに分寸を失う。当然凶険なり。安居して本位を守住し、柔順に上の号令を等候せば、即ち吉祥なり。此れ乃ち「中」を守住せるなり。

九三,咸其股,執其隨,往吝。象曰:咸其股,亦不處也。志在隨人,所執下也。居下體之上,隨上體而往止,亦非自處之物也。感止於下,以下事而求感也,豈由已乎。執賤隨感可惜者也。

経文九三に曰く:感応は大腿に発生して、人に跟従するの做法を死守せば、前往すれば憾惜あらん。《象伝》に曰く:感応は大腿に在りて、亦た安処する能わざるの表現なり。 注者は解釈して曰く:九三は心志ただ他人を追随するに在りて、其の執守する所の物は太だ卑下なり。それ下卦の最上位に居りて、上卦は一動すればそれ即ち跟いて走るか停むかして、亦た自主安処する能くする角色にあらず。感応はただ下体に停留して、卑下の方式を用いて感応を求めば、何ぞ復た己に由るを得んや。執守は低賤にして人に随いて感ず。実に惜しむべし。

九四,貞吉,悔亡。憧憧往來,朋從爾思。象曰:貞吉悔亡,未感害也。憧憧往來,未光大也。升於上體而兼於下,始以兩體相逐追也。凡物以形利相感者,未極於志也。神遇者,豈假役哉。無慮澹然而居於形之上,不言而信,不行而至天下,感之況於明乎。而以形質相感,未感則害至,故貞吉。而獲悔亡,憧憧相追,朋乃從思。

経文九四に曰く:正を守れば吉にして悔恨消失す。心神不定に往来奔走すれば、ただ同類の朋友のみ汝の心思に順従せん。《象伝》に曰く:正を守りて吉祥にして悔恨消失するは、未だ感応に傷害せられざればなり。心神不定に往来するは、感応未だ光大ならざればなり。 注者は解釈して曰く:九四は已に上卦に升入して又た下卦を兼顧す。起初は上下両体の彼此追逐するなり。凡そ形体・利害を以て相感応するは、皆未だ心志の層面に深入せず。真に精神を以て相遇する者は、豈に奔走駆使せんことを要せんや。心中計較する所なく恬淡に形体の上に超然として、言を出さずして人自信服し、出行せずして天下を感召す。此の如き感応は況んやなお光明なるをや。若し只だ形体資質を以て相感応せば、一旦感応成らざれば禍害は直ちに来る。ゆえに必ず正を守って乃ち吉なり。能く悔恨消失を保住するは、其の心神不定に互に追逐して、亦たただ同類の朋友のみ其の心思に順従を肯ずればなり。

九五,咸其脢,無悔。象曰:咸其脢,志末也。至脢,心脊之肉,近於心也。感近於情而非志也,故無悔而己。可以言者,物之質也,況其脢乎。上六,咸其輔頰舌。象曰:咸其輔頰舌,滕口說也。感至極,未有至於言說而已,於情逺矣,何足咸哉。浮之甚也。

経文九五に曰く:感応は背脊肉に発生して、悔恨なし。《象伝》に曰く:感応は背脊肉に在りて、心志已に末梢に落つるを説明す。 注者は解釈して曰く:「脢」は心口と脊背の間の肉にして、心臓に靠近す。感応は情感に貼近するに到るもなお心志より出づるの地步に至らず。ゆえにただ悔恨なしと為すを得るのみ。能く口より説き出だすを得るは、過ぎず事物の表層形質にして、況んやただ背上の彼の一塊の肉をや。 経文上六に曰く:感応は牙床・面頬と舌頭に発生す。《象伝》に曰く:感応は牙床・面頬と舌頭に在りて、ただ誇誇たる談を為すのみ。 注者は解釈して曰く:感応は極点に走り至りて、結果は卻ってただ口頭言語の上に落つ。真情に離るること已に遠く、何ぞ感応と称せんや。浮浅にして極点に到れり。

恒卦

巽下震上。恆,亨,無咎,利貞,利有攸往。彖曰:恆,久也。剛上而柔下,雷風相與。巽而動,剛柔相應,恆。恆亨無咎,利貞,久於其道也。天地之道,恆久而不已也。利有攸往,終則有始也。日月得天而能久照,四時變化而能久成,聖人久於其道而天下化成。觀其所恆而天地萬物之情可見矣。恆而得其久也。

《恒》卦は「巽」下に在り「震」上に在り。卦辞は言う:恒は亨通して過ちなく、正を守るに利あり、前往する所有るに利あり。《彖伝》は言う:恒とは即ち長久なり。剛爻は上に居り柔爻は下に処り、雷と風は互に助長し、下卦「巽」は順入・上卦「震」は震動にして、剛柔各々相「応」す。此れ即ち《恒》なり。恒は能く亨通して過ちなく正を守るに利あるは、長久に己の正道上に守るに在ればなり。天地の運行の規律は、即ち恒久にして停息せざるなり。前往する所有るに利あるは、一段の終結は正に另一段の開始なればなり。日月は天道に依循して乃ち長久に照耀するを得、四季は更迭変化して乃ち長久に万物を成就するを得、聖人は長久に其の道を守りて天下乃ち教化有成せん。万物の各自恒守する所を観察すれば、天地万物の実情は皆看清楚なるを得べし。此れ即ち恒守して長久を得るなり。

剛上而柔下,剛柔交而下承也。雷行風從,増其大逺矣。巽而動,往無不從也。剛柔皆應外內逹也。此可久之道也。能久則通矣。保其無咎矣。利而得正矣。久而得其終始之道也。則何往而不利焉。天地恆久也,而萬物生。聖人恆久也,而天下化。以恆久而觀之,天地萬物之情得其恆者,長也。

注者は解釈して曰く:剛爻は上に在りて柔爻は下に在り、剛柔交接して下位は上位を承奉す。雷は一たび響けば風は即ち跟いて来り、声勢は彼此増大して伝えること更に遠し。下卦は順入して上卦は震動すれば、前往すれば順従せざる無し。六爻は剛柔两両として相「応」して内外通達す。此れ即ち能く長久なるの道理なり。能く長久なれば自然通暢して、即ち「過ちなし」を保住し、利ありて又た正道を守住するを得、長久にして終に復た始まるの規律を懂得すれば、然らば往く所何れにか順利ならざらんや。天地恒久にして、万物乃ち化生を得。聖人恒久にして、天下乃ち教化を得。「恒久」の此の角度より看れば、天地万物の実情の中に於て、凡そ恒常を守住する能くする者は、皆長遠なり。

象曰:雷風,恆。君子以立不易方。雷之震,風必從之。君子行,必由其道。得其恆而増,其恆而増其大也。故獨立其所不以物易。初六,浚恆,貞凶,無攸利。象曰:浚恆之凶,始求深也。恆者,久於其道,不煩而物自歸也。處於極下,深底者也。不修其恆,不度其分,遂求其應,初以深極而求於人。人斯竭之矣,何以終乎。正之凶而無所利也。

《象伝》は言う:雷と風の相随するは、此れ即ち《恒》卦なり。君子は此より領悟して、卓然として自立して己の方向を改変せざるべきを得たり。 注者は解釈して曰く:雷は一たび震動すれば、風は必ず之に随いて来る。君子は行動する所有れば、必ず己の正道を遵循す。恒常を守住すれば即ち增益する所有り、恒常に增益すれば即ち日漸に宏大す。ゆえに君子は独立して自守して、外物を因に改易せず。 経文初六に曰く:一上りて即ち深く挖して恒久を求むれば、占問の結果は凶にして、好処ある所なし。《象伝》に曰く:深く挖して恒久を求むるの凶なる所以は、開始に於て求むること太だ深きを要すればなり。 注者は解釈して曰く:謂う所の恒とは、長久に己の道上に守りて、人を煩擾せずして万物自ずから帰附せん。初六は全卦の最下面に処りて、最も深きの底部なり。それ己の恒徳を修養せず、己の分際を衡量せずして、急ぎて上の相「応」の爻を求めに往く。開始より即ち極深の索求を以て人に加う。人は其の索取する所に枯竭せられて、此の関係は豈に好き結末あるを得んや。ゆえに便ち此の一套を守るも凶にして、毫も好処なし。

九二,悔亡。象曰:九二,悔亡。能久中也。非其位久失道也,剛而自正,退而久中,可以悔亡。九三,不恆其徳,或承之羞,貞吝。象曰:不恆其徳,無所容也。三者,終下至上之地,進退之所也。不能修徳守位,而復上以求應,無其恆也,何以容哉。以是為政可惜者也。

経文九二に曰く:悔恨消失す。《象伝》に曰く:九二の悔恨消失するは、能く長久に中位を守住すればなり。 注者は解釈して曰く:九二は陽爻を以て陰位に居りて、本より位に当たらず。時間一久しければ即ち道を失わんとす。然れどそれ剛健にして能く自ら其の正を守り、退居して下卦に在りて長久に「中」を守住す。ここをもって悔恨を消失せしむるを得べし。 経文九三に曰く:能く恒久に己の徳行を保持せざれば、時に此を因に羞辱を蒙受せん。占問の結果は憾惜なり。《象伝》に曰く:能く恒久に徳行を保持せざれば、即ち容身する処なし。 注者は解釈して曰く:三の此の位置は、下卦の終結して上卦に通往するの処にして、進む可く退く可きの関口なり。九三は徳を修めて本位を守住するに肯ぜずして、反って上に攀求して相「応」の爻を求む。此れ即ち恒心なきにして、復た何処にか之を容れるを得んや。此の態度を用いて政事を処理するは、実に惜しむべし。

九四,田無禽。象曰:久非其位,安得禽也。承上之地,柔以奉上而剛居之。求應於下位已失矣,安所獲乎。六五,恆其徳,貞,婦人吉,夫子凶。象曰:婦人貞吉,從一而終也。夫子制義,從婦凶也。從繫以為正,守中而為恆,婦人以之吉也,夫子可以制義矣。而從人之政,狹之至矣,固其凶也。上六,振恆,凶。象曰:振恆,在上大無功也。極上,終盡之地,柔振而將久之道窮也,久何之乎。雖有其應,不足振也。失時之極,無功已矣,凶之道也。

経文九四に曰く:田獵するも禽獣を打獲れず。《象伝》に曰く:長久に己に属せざる位置上に待てば、豈に禽獣を打獲る能わんや。 注者は解釈して曰く:四は君上を承奉するの位置にして、本より柔爻の恭順に上位を侍奉すべきに、如今は卻って剛爻に占據せらる。それ又た下に向かいて相「応」の爻を求めば、本位已に失守せり。復た何を獵獲する能わんや。 経文六五に曰く:恒久に己の徳行を保持せば、占問の結果は婦人吉祥・男子凶険なり。《象伝》に曰く:婦人の正を守りて吉祥なるは、一を從って終わればなり。男子は事宜を裁断すべく、一味に婦人に順従せば凶険なり。 注者は解釈して曰く:順従依附を以て正と為し中道を守住するを以て恒と為すは、婦人此の如く為すは吉祥なり。男子は本より自ら合宜の事を裁断すべきに、卻って一味に他人に聴憑して政務を決定せしむれば、那れ則ち狭隘にして極点に到り、凶険は自然必定なり。 経文上六に曰く:動蕩不安に恒久を求むれば凶険。《象伝》に曰く:動蕩に恒久を求むるは、身は上位に居りて毫も功效なし。 注者は解釈して曰く:上六は全卦の最上端に在りて、終結窮尽の地にして、柔爻を以て此処に震蕩不安す。長久の道已に尽頭に走り至りて、復た何処に長久せんと往かんや。下面に相「応」の爻あるも、亦た其の此の如き振動を支撐するに足らず。時機を錯失すること極点に到りて、一事も成らず。此れ即ち凶を招くの路数なり。

遯卦

艮下乾上。遯,亨,小利貞。彖曰:遯亨,遯而亨也。剛當位而應與時行也。小利貞,浸而長也。遯之時,義大矣哉。陰長而君子外於時也。隱其道,逃其情,從而正之,而後乃亨。夫彼之生也,微其終大而不可御者,時之來也。故君子觀其兆,而不待其至也。當位而應,猶不果制,與時行而已矣。陰浸而長,其患未害,我志猶行也,故小利而貞。剛而應柔,和而不同,遯而反制,非大徳不能消息也。

《遯》卦は「艮」下に在り「乾」上に在り。卦辞は言う:遯は亨通して、小に正を守るに利あり。《彖伝》は言う:遯にして亨通するは、退避して乃ち亨通を得ればなり。九五は剛爻の正位に居りて「位に当たり」、又た六二と相「応」して、能く時勢に順いて行く。小に正を守るに利あるは、陰気正に漸漸生長すればなり。退避の時機は、意義真に重大なりや。 注者は解釈して曰く:陰気増長して、君子は時勢に排斥せられて外に在り。彼は己の主張を隠蔵し、己の心跡を収斂して、形勢に順いて之を矯正して、然る後に乃ち亨通するを得。小人は初生の時はなお微弱なるも、終に壮大にして抵御する法なきに至る。此れ時勢の自ら門に尋ね来るなり。ゆえに君子は苗头剛き現われんとする時に即ち看清し、其の長成を待たずして動身す。九五は位に当たりて又た応ありて、なお能く果決に相手を制服する能わざれば、亦た只好く時勢に随いて行くのみ。陰気は漸長するも、禍患は未だ真に災と成らず。我が志向はなお施行の開き得べし。ゆえに「小利貞」と曰う。剛爻と柔爻は相応して能く和睦相処するも、流を同じうして污を合わせず、退避の中に於て反って相手を制約す。徳行宏大の人にあらざれば此の如く消長を把握する能わず。

象曰:天下有山,遯。君子以逺小人,不惡而嚴。山侵於天,下通上也。君子逃情於小人,不以力爭,嚴以制也。初六,遯尾,厲。勿用有攸往。象曰:遯尾之厲,不往何災也。遯,以逃避患也。患未至而首遯之,則逺於患矣。陰過二矣,而後遯焉,遯之尾也。見而逃之,反相疑也。不往而和,則何災哉。

《象伝》は言う:天底下に山あるは、此れ即ち《遯》卦なり。君子は此より領悟して、小人を疎遠して、疾言厲色を用いずして自ずから威厳あるべきを得たり。 注者は解釈して曰く:山は高聳して天に逼近するは、下より上に通向するなり。君子は小人に対してはただ心跡を収斂して彼を躲开して、彼と強を争い力を闘わずして、威厳を用いて彼を制約す。 経文初六に曰く:退避は最後に落ちて、危険あり。前往する所有る勿れ。《象伝》に曰く:退避の最後に落つるの危険は、ただ前往せざれば又た何の災禍あらんや。 注者は解や。 注者は解釈して曰く:謂う所の遯とは、即ち禍患を逃開するなり。禍患の未だ到らざるに就きて先んじて退避して、乃ち禍患を遠離するを得。如今陰気已に六二を越過したる後に乃ち退避するは、此れ退避の尾巴なり。人に看見せられて始めて逃ぐれば、反って相手の猜疑を招来す。前に走らずして之と相安せば、又た何の災禍あらんや。

六二,執之用黃牛之革,莫之勝說。象曰:執用黃牛,固志也。小人之道,狹而鮮親,至於履位,人多逃也。則以法執也,或繫之以利,質之以愛,然後人不得去。堅其志而不可拔也,乃得小人之中,而獲其順矣。

経文六二に曰く:黄牛皮の做れる繩索を用いて彼を捆住せば、誰も解脱し開く能わず。《象伝》に曰く:黄牛皮を用いて捆縛するは、心志を堅定せんと欲するなり。 注者は解釈して曰く:小人の路数は、気量狭窄にして人の親近に願う者少なく、其の高位に登るを待たば、人は大多逃開せんと欲す。ここに於て彼は即ち法令を用いて人を拘執し、或いは利益を用いて籠絡し、恩愛を用いて抵押と為す。此くして人乃ち走り去る能わず。心志堅定にして動揺する能わざれば、此れ即ち小人一路の「中」を守住せると算して、ここをもって其の要する所の順従を得たり。

九三,係遯有疾厲,畜臣妾吉。象曰:係遯之厲有疾,憊也。畜臣妾吉,不可大事也。繫志於陰,不能遯也。為小人所制,危憊之道也。施於畜臣妾,吉也。繫於鄙賤,豈可大事乎。九四,好遯君子吉,小人否。象曰:君子好遯,小人否也。君子知幾絶而好遯小人,情繫不能遯也。

経文九三に曰く:牽係せられて退避成らず、患病するが如き危険あり。用いて奴僕侍妾を畜養するは卻って吉祥。《象伝》に曰く:牽係せられて退り能わざるの危険は、疾病の如くにして困頓疲憊なり。奴僕侍妾を畜養して吉祥とは、大事を承当すべからざるを言うなり。 注者は解釈して曰く:九三は心志下の陰爻の上に牽掛して、ここをもって退避する能わず、小人の牽制する所と為る。此れ危殆困頓の路数なり。此の牽係を用いて奴僕侍妾を畜養するに放てば卻って吉祥。心思は卑賤の事情の上に拴せられて、何ぞ復た大事を為る能わんや。 経文九四に曰く:退避を楽しめば、君子吉祥にして、小人は為る能わず。《象伝》に曰く:君子は退避を楽しめば、小人は卻って為る能わず。 注者は解釈して曰く:君子は能く苗头を洞察して、断然割舍して退避を楽しむ。小人は則ち情感に牽絆せられて、退かんと欲するも退く能わざるなり。

九五,嘉遯,貞吉。象曰:嘉遯貞吉,以正志也。當位相應,能制於內,遯情而治,志在乎正,可謂遯之嘉也。上九,肥遯,無不利。象曰:肥遯無不利,無所疑也。過於卦外,無應小人,不勞慮於進退,可謂遯之肥而無不利也。

経文九五に曰く:美好の退避は、正を守れば吉。《象伝》に曰く:美好の退避は正を守りて吉を得るは、其の心志を端正せしめればなり。 注者は解釈して曰く:九五は陽爻を以て陽位に居りて「位に当たり」、又た六二と相「応」して、能く内部に於て節制を加う。心跡を収斂して退避するもなお事情を治理して好く、心志は始終正を守るに在り。此れ退避中の最も美好の一種と称すべし。 経文上九に曰く:寛綽従容に退避すれば、利あらざる無し。《象伝》に曰く:寛綽従容に退避して不利なきは、心中に疑慮の毫もあらざればなり。 注者は解釈して曰く:上九は已に全卦の外に超出して、下の小人と相「応」の牽連なく、進退の為に操心するを要せず。此れ退避中の最も寛裕従容の一種と称すべく、ゆえに利あらざる無し。

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