Libo

辟卦序・乾坤二宮の十二月への分配

清 · 陆宗舆 · 第13巻 / 14

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

易之合歲時者,有闢卦序、有六日七分、歲象序。闢卦者,以乾坤二宮卦,除游魂歸魂二卦外,分配十二月:自四月起乾,五月乾之一世姤,六月二世遯,七月三世否,八月四世觀,九月五世剝;十月則為坤,十一月坤之一世復,十二月二世臨,正月三世泰,二月四世大壯,三月五世夬。周而復始,以象二氣之流行,明寒暑之迭更也。

《易》の中に一年の節候に配合する卦序に、「辟卦序」ありて、また「六日七分」の「歳象序」あり。いわゆる「辟卦」は、乾・坤両宮の卦を取って、游魂・帰魂の両卦を除き、各々十二個月に配る。四月は乾卦より起り、五月は乾宮一世卦の姤に配し、六月は二世卦の遯に配し、七月は三世卦の否に配し、八月は四世卦の観に配し、九月は五世卦の剥に配す。十月は坤卦に輪到り、十一月は坤宮一世卦の復に配し、十二月は二世卦の臨に配し、正月は三世卦の泰に配し、二月は四世卦の大壮に配し、三月は五世卦の夬に配す。かくのごとく周してまた始めに復して、陰陽二気の流行を象徴し、寒来暑往の更替を説明するに用いる。

另有分各月屬春夏秋冬四時,而分各宮分配之者,即以震巽二宮分配四孟月,離坎二宮分配四仲月,艮兌二宮分配四季月,而循環交錯,以周一歲,與十二闢卦相應。其取義蓋本周天之數,三百六十;天地主其綱,則半為天,半為地,各得百八十;故以乾坤二宮之卦,分主冬夏。自已至戌,屬天氣,即乾主之;自亥至辰,屬地氣,即坤主之;而更以六子,分象四季之氣。

別にまた一種の排法ありて、各月を春夏秋冬の四時に帰入し、更に八宮に按じて分配す。震・巽両宮は四個の「孟月」に配し、離・坎両宮は四個の「仲月」に配し、艮・兌両宮は四個の「季月」に配して、循環交錯して、一年を走り満たし、十二辟卦と互いに呼応す。それの取義する根拠は周天の数三百六十である。天地はその綱を統領して、半分は天に属し半分は地に属して、各々一百八十を得る。だから乾・坤両宮の卦を用いて、各々冬夏両端を主管す。巳より戌に至るこの半圏は天気に属して乾に主管せしめ、亥より辰に至るこの半圏は地気に属して坤に主管せしめ、更に乾坤の生ずる六個の子卦を用いて、各々四季の気を象徴す。

震巽為長,乾坤之長男長女,故震配春夏二孟月,即正月四月;巽配秋冬二孟月,即七月十月。坎離為中男中女,故配四仲月,即二五八十一月;艮兌為少男少女,故配四季月,即三六九十二月。如是乾坤二宮總主一歲,猶二氣之升降消息也。

震・巽は長に居りて、乾坤の生ずる長男・長女なれば、震は春・夏の両個の孟月に配し、すなわち正月と四月である。巽は秋・冬の両個の孟月に配し、すなわち七月と十月である。坎・離は中男・中女なれば、四個の仲月に配し、すなわち二月・五月・八月・十一月である。艮・兌は少男・少女なれば、四個の季月に配し、すなわち三月・六月・九月・十二月である。こうなれば、乾・坤両宮は一年を総管して、ちょうど陰陽二気の升降消長のごとし。

震巽六子分主四時,猶五行之分合生化也。故一年三百六十餘日,合之於六子之爻,亦三百六十爻;乾坤二宮,則合十二月。雖綱目交錯,日月代嬗,若不相接,實則後天二五生化,固交錯而行,代嬗以成,非復先天之單純也。故卦象往復,爻象錯雜;氣數相間,循環無盡。雖以一歲為例,非限於歲月也。

震・巽等の六個の子卦は四時を分管して、ちょうど五行の分合生化のごとし。だから一年三百六十余天は、六子各卦の爻の上に合すれば、正にまた三百六十爻で、乾・坤両宮は、すなわち十二個月に合す。表面に看れば綱と目とは彼此交錯して日月は輪番に更替して、一処に接し得ざるがごとく見ゆ。実は后天の生化はもとより陰陽二気と五行のこの「二五」の交錯して行い遞相接替するに依頼して初めて完成を得るので、更に先天のごとき単純には似ず。だから卦象に往あり復あり、爻象は参差错雑し、気と数とは彼此相間して、循環に窮尽なし。ここにただ一年を取って例と為すとはいえ、実は一年をもって限と為さざるなり。

本來卦象,無所不包;其序既殊,其用自異。而一歲氣數,恰符周天之數;日月推行,恰符陰陽消息之度。遠者可譬於近,難者可喻於易;就其簡明者衍之,足以推於精微,極於高深;非日六十四卦,專為歲序用也。故此歲序之易,亦言易之一例,有不可不知者焉。

卦象はもともと包まざるなし。卦序すでに各々異なれば、用処は自然にこれに隨って同じからず。しかして一年の気数はちょうど周天の数に符合し、日月の運行はちょうど陰陽消長の度数に符合す。遠きは近きを借りて比方を作し得、難きは懂え易きを借りて譬喩を作し得る。この簡明の一年に就着いて推衍し開けば、便ち足りて精微に推し至り高深に達す。これは六十四卦が専ら歳時の序のために設けたを説くではない。だからこの一套の「歳序」の易も、またただ《易》を講ずる一個の体例なれども、易を学ぶ人の知らざるべからざるなり。

六日七分歳象序

六日七分歲象序者,以全易六十四卦分配一歲,而將坎離震兌四卦,當二至二分:震主春分,離主夏至,兌主秋分,坎主冬至,謂之四正。餘六十卦,以每月五卦,一卦主六日七分。因一歲三百六十五日又四分一,則卦六十合三百六十爻;每日八十分,一卦合六日七分,恰當一歲之數。

いわゆる「六日七分」の歳象序は、六十四卦を全く一年の中に分配して、しかも坎・離・震・兌の四卦をもって二至二分に当つ。震は春分を主り、離は夏至を主り、兌は秋分を主り、坎は冬至を主る。「四正」卦と称す。その余の六十卦は、每月に五卦を分得て、一卦は六日七分を主管す。一年は三百六十五又四分の一日なれば、六十卦は共に三百六十爻に合す。一日を八十分に分作せば、すなわち每卦は六日又七分を得て、ちょうど一年の日数に抵当す。

其氣始於中孚,其時始於冬至之月。由復至咸,共半歲,為八十八陽爻,九十二陰爻;自姤至中孚,亦半歲,為八十八陰爻,九十二陽爻,恰當百八十爻,而主陰陽寒暑之數。而中孚至復,咸至姤,恰得六日七分,定為例,實天時之度數,自然之序也。

この一套の卦序は、気は中孚卦より起り、時令は冬至の在る所の月份より起る。復卦より咸卦に至るは半年で、その中に八十八個の陽爻・九十二個の陰爻あり。姤卦より中孚卦に至るもまた半年で、その中に八十八個の陰爻・九十二個の陽爻ありて、各自ちょうど一百八十爻で、陰陽寒暑の度数を主管するに用いる。しかして中孚より復へ、咸より姤への間は、ちょうど六日七分を得て、これによって通例を定む。これは実に天時の度数、自然而然の次序である。

卦以交錯,爻以次第;一升一降,一往一復;象氣之周行,後天生化之例也。故其序可以紀歲候時,可以占天驗氣;即四正之卦,分管四時,以候四氣;春夏秋冬有其序,生長收藏有其令;木以長春,火以長夏,金以長秋,水以長冬;五行不失其常,二氣不亂其道;以往復循環無盡,而消息進退可見;其易之傳,蓋已久矣!

卦と卦とは彼此交錯し、爻と爻とは依次相接して、一升一降、一往一復して、気の周流運行を象徴す。これは正に后天生化の条例である。だからこの套の卦序は用いて紀年候時と為し得、用いて占天験気と為し得る。四正の卦に就いて言えば、四時を分管して、四時の気を測候するに用いる。春夏秋冬は各々次序あり、生長収蔵は各々時令あり。木は春に当って生長し、火は夏に当って盛大なり、金は秋に当って粛成し、水は冬に当って閉蔵す。五行はその常軌を失わず、陰陽二気はその法度を乱らず。その往復循環に窮尽なきに因って、消長進退は歴歴として見ゆべし。この一套の易法の流伝し下るは、実にすでに久し。

蓋自黃帝造甲子,曆數漸明;堯舜之時,曆象尤備。其制仿於易卦,本於河洛之圖,合於日月之紀,非率爾之作也。《易傳》曰:「懸象著明,莫大乎日月。」日為陽,月為陰;後天之離坎,代先天之乾坤,故歲象以坎離為主,當冬夏二至。冬至為陽生陰消,夏至陰生陽消。

黄帝が甲子を創制してより、暦数は初めて漸く明白と為った。尭舜の時に至っては、象を観て時を授ける制度は殊に完備せり。これらの制度は《易》卦に仿照して立て、本を《河図》《洛書》に置き、また日月運行の紀度に合して、随意に造作し出たではない。《易・繋辞上伝》に曰く、「象を懸けて明なるは、日月より大なるはなし」。日は陽に属し、月は陰に属す。后天の離・坎二卦は先天の乾・坤に替代わった。だから「歳象」のこの套の卦序は坎・離をもって主と為し、正に冬至・夏至の両端に当る。冬至は陽気の生じ初め陰気の漸く消ゆる時、夏至は陰気の生じ初め陽気の漸く消ゆる時である。

實一歲寒暑之樞機,而四時氣候之中宰。震司春分,如日之升;兌司秋分,如月之上;為陰陽之管鑰,實歲時之道路。皆為氣數所至,而象最明。以之合時令,則足為歷家之所法;以之體天道,則足為生化之模範。

この両個の節気は実に一年の寒暑の枢紐で、また四時気候の中枢主宰である。震卦は春分を司る。ちょうど太陽の初めて升るがごとし。兌卦は秋分を司る。ちょうど月亮の上弦するがごとし。それらは陰陽出入の鎖鑰で、また歳時運行の通道である。これらは皆気数の自然到達する結果で、しかも卦象の表現するが最も分明なり。それを取って時令に配合すれば、足りて暦を治める者の取法する依拠と為る。それを取って天道を体察すれば、足りて生化運行の範式と為る。

蓋其序之取義,雖近闢卦,而尤善焉。不過闢卦法乎先天,故以乾坤二宮,為一歲之綜;而歲象法乎後天,故以坎離四正,為一歲之綱。先天乾坤對位,主於上下,此伏羲八卦之序;後天坎離震兌分主四正,此文王八卦之序。二者各有取義,而後者最宜於後天之用,以所象無不交錯往復,所配皆以消長平均,以合一陰一陽之道,而能會通日月之行也。

この套の卦序の取義は辟卦と相近るとはいえ、辟卦よりも更に周備なり。辟卦は先天に效法すれば、乾・坤両宮を用いて一年を総束す。歳象は后天に效法すれば、坎・離等の四正卦を用いて一年の綱領を作す。先天の裏において乾・坤は対位して上下を主る。これは《伏羲八卦》の次序である。后天の裏において坎・離・震・兌は分かちて四正を主る。これは《文王八卦》の次序である。両者は各々取義あれども、後の一種は最も后天の実用に合す。それの取る卦象は交錯往復せざるなく、それの配する節候は皆消長均平をもって准と為すがゆえに。正に《繋辞》の「一陰一陽これを道と謂う」の道理に合して、因りて日月の運行を貫通し得る。

故中國之曆法,實本此序;而後人以之占筮,亦無不驗。其為易之精妙,亦足與《周易》相證;即合之其它各易,不問為先天後天,亦無不貫通。要以後人多不明其用,忽其旨趣;門戶之見,以責難之;方技之辭,以鄙夷之;遂使上古流傳之易,反為俗人所訛,豈不惜歟!

だから中国の暦法は、実際すなわちこの套の卦序をもって本と為す。後人がそれを取って占筮と為すも、応験せざるなし。それは《易》学の精妙の処と作して、足りて《周易》と互いに印証す。すなわちそれを取ってその他各家の易法に合するも、先天を論ぜず后天を論ぜず、また貫通せざるなし。ただ惜しいかな後人は多くはその用処を明白にせず、その旨趣を忽略す。あるい門戸の見を抱いてそれを責難し、あるいはそれを方術家の言辞と貶して鄙視を加え、そこで上古に流伝し下った易法は、かえって俗人に訛伝誤解せらる。これは豈に可惜ならざるか。

述聖講義(二)――子思

周易之用,在乎人之誠,不必一例。如周易之序,固為周時太卜所司;而太卜所用,兼及連、歸,不限文王之易也。則可知易之為用,不以序為限;但有是序,即有是變;有是變,即有是用。伏羲之易,有伏羲之用;文王之易,有文王之用。夫子合二者而作雜卦序,即夫子之易,亦有夫子之用也。

《周易》の功用は、全く易を用いる人の誠なるか誠ならざるかに在りて、並び一成不変の定式なし。ちょうど《周易》の卦序は、固より周代の「太卜」この一官職の掌管する所なれども、太卜の用いる所はなお《連山》《帰蔵》に兼及して、文王一家の易に限らざるがごとし。これによって知る。易の功用は某一卦序の制限を受けず。このごとき一種の卦序あれば、便ちこのごとき一種の変化あり。このごとき一種の変化あれば、便ちこのごとき一種の用法あり。伏羲の易には、伏羲の用法あり。文王の易には、文王の用法あり。孔夫子は先天・后天の両者を合して《雑卦》の序を作した。見れば夫子の易にもまた、自ら夫子の用法あり。

推之連山之易,有連山之用;歸藏之易,有歸藏之用;八宮之易,有八宮納甲之用;歲象之見,有六日七分之用,分而言之,各有其用;合而通之,則易之用,廣無不包,變無可窮;而能通之為一者,則見天地之心;斯非聖知不克也!就其最簡易者,則但執一易;審其象,參其數,列其圖;而合其先後天,明其辭而衍之經與傳,則亦可以得易之用矣!

これによって推し開けば、《連山》に《連山》の用法あり、《帰蔵》に《帰蔵》の用法あり。八宮の易に、「八宮納甲」の用法あり。歳象の易に、「六日七分」の用法あり。分かちて言えば、各々その用処あり。合わせて貫通すれば、すなわち易の功用は広大にして包まざるなく、変化多くして窮尽する由なし。しかしてそれらを貫通して一と為す能くする人は、すなわち天地生生の心を見る。これは聖人の智慧あらざれば便ち致し得ざるなり。もし最も簡易の処より入れば、すなわちただ一種の易を執定せよ。その卦象を審察し、その数理を参究し、その図式を排列し、更に先天后天を合して看て、その卦爻辞を明白にし、併せて経より伝に推衍せば、かくのごとくしてもまた同じく易の功用を得るべし。

故易之種類雖眾,精其一者,能通其餘;若一而未精,雖多奚益?目迷於象數之異,手迷於圖表之繁,能紀其粗,而遺其精;逐其物、忘其神;則為易百年,曾不得易道之一二;此後世有掃象之說也。

だから易の種類は多きとはいえ、ただその中の一種に精通すれば、便ち類に触れてその余の各種に通じ得る。もし一種すら精せざれば、学ぶこと多けれどもまた何の益かあらん。眼は各家の象数の差異に弄ばれて花し、手は各種図表の繁瑣に弄ばれて乱れ、ただ粗浅の皮毛を記得して、精要の内核を漏掉し、外在の物象を追逐して内在の神理を遺忘す。かくのごとくして易を治めること百年なれども、易道の十分の一二を得ざらん。後世の「掃象」の説ある所以は、根子すなわちここに在る。

夫易之本在象,而掃之,將何以見易?豈非以世人之馳於外,而遺其內;求其未,而棄其本歟!故習易者,必先去其蔽,所敝者,多而不精,博而不深;能於貌,而不及於神;以為能通習,而不知無一得也。

易の根本はすなわち「象」に在る。象を掃除し干浄くすれば、なお何をもって易を見んや。これは豈に正に世人が一味に外に向かいて馳求して内裏を丢し、ただ末梢を追って根本を抛棄するがゆえにや。だから易を学ぶ人は、必ずまず自己の遮蔽を去らねばならない。いわゆる遮蔽は、すなわち学ぶこと多けれども精ならず、渉猟広けれども深からず、ただ外貌を摹得するも神理に到らず、自ら以てすでに融会貫通したと為すも、実は一も得る所なし。

故各易之序,夫子不錄;僅取文王者著為經,而集其它關乎易理者,述之為傅;做學者知所宗,而不紛其智,知所本,而不亂其思;庶由一以通其餘,由易以達事難,由近以賅其遠;則習之有成,而易道亦不荒塞;此則夫子刪易之微旨也。

だから各家の易の卦序は、夫子は一々に収録せず、ただ文王の一種を取って「経」と著して、その他の易理に関渉する材料を汇集して、叙述して「伝」と為した。易を学ぶ人に宗奉すべき所を知らしめ、智慮を紛雑に至らしめず、依拠すべき所を知らしめ、思路を紊乱に至らしめざらんと欲するがよい。こうして初めて一種よりその余の各種に通じ、容易のより艱難のに通じ、切近のより深遠のに推及し得る。かくのごとく学び下れば便ち成あり得、易道もまた荒廃壅塞に至らず。これがすなわち夫子の《易》を刪定した深微の用意である。

易の致用は卜筮に在らず

夫易之致用,非為卜筮也;若為卜筮,則巫祝在,夫子不以之首六經也;夫子以易為六經之首者,以其用明天人之道,類萬物之情;定日月之行,奠山河之度;可以致治平之業,可以正性命之功;可以四達神鬼之情;可以敷教化之德;故其用在此,而不為卜筮也。

易が有用であるのは占いのためではない。もし占いだけが目的なら、巫祝(ふしゅく・祭祀や祈祷を司る者)のたぐいがすでにいるのだから、夫子(孔子)はこれを六経の首に据えはしなかった。夫子が《易》を六経の筆頭としたのは、その功用が天人相通の道を明らかにし、万物の情を類別して比べはかり、日月の運行を推定し、山河の度数を奠立でき、国を治め天下を平らげる事業を成し遂げ、性を尽くし命に至る工夫を正しくでき、鬼神の幽微なる情に通達し、教化の徳を施せるからである。その用はまさにここにあり、占いにはない。

然卜筮亦易所固有,卦爻之辭,吉凶之占;悔吝之途,君子小人之道;皆著於象數,徵於言文;苟按其數而卜之,因其辭而決之;則所謂易逆數也。通變化而行鬼神者,皆在傳中揲卦之法,可見之也;故經不備者,傳則補之;經取其約,約而后尊;傳取其博,博而後宏。

ただし卜筮もまた易にもともと備わる内容である。卦辞・爻辞、吉凶の占断、悔吝(悔やみと恨み)の趨向、君子・小人それぞれの道は、みな象数(しょうすう)に落ち着き、文辞に徴験される。もし卦の数にしたがって卜し、爻辞によって決断するなら、それは《説卦》のいう「易は逆数なり」である。変化を貫通して鬼神を運行させる理は、《繋辞》に載る「揲蓍(せっし・蓍を分けて卦を立てる)成卦」の法のうちに見て取れる。だから経文に言い尽くされていないことは伝が補う。経は簡約を取り、簡約であってこそ尊い。伝は博洽を取り、博洽であってこそ宏大である。

用宏而道尊,則易之精粗皆備;故傳所舉者,有各易之例;凡連山歸藏之類,八宮歲象之圖;上自先天,旁及河洛,無不徵取,以為周易之輔,而明易道之大也。故讀經則專文王之制,雖伏羲之序不列;讀傳則必廣搜各易之圖,而不限於一種;此講易時必旁及各序也。

用が宏大で道体が尊ければ、易の精微も粗顕もすべて備わる。だから《易伝》に挙げられたものには各家の易の体例が含まれる。《連山》《帰蔵》のたぐい、八宮・歳象のたぐいの図式、上は先天の卦位にさかのぼり、傍ら《河図》《洛書》にまで及んで、引き取られないものはなく、みな《周易》の輔翼として用いられ、易道の大いなることを明らかにする。それゆえ経を読むときは文王一家の制度のみを主とし、伏羲(ふっき)の卦序さえ列ねないが、伝を読むときは必ず各家の易の図式を広く捜し求め、一種に限らない。易を講ずるとき必ず種々の卦序に旁及するのはこのためである。

人或疑其言之雜,不知正欲其雜也;人或謂異於經文,不知正求其異也;雜則變例多,而用可廣;異則分類明,而道可通;此傳之本旨,夫子訂易之徵意也。故傳中之辭,各不相類;方位次序各不同;名類上下各不一,其所以然者,各易之原制如是也。

ある人は《易伝》の言うことが駁雑すぎると疑うが、まさに駁雑であることを要しているのだと知らない。またある人は伝が経文と一致しないと言うが、まさに一致しないことを求めているのだと知らない。駁雑であれば変通の体例が多くて用を広めることができ、一致しなければ分類が明らかで理を貫通できる。これが伝を作った本意であり、夫子が《易》を訂定した深い意である。だから伝中の文辞は互いに類せず、方位・次序はそれぞれ同じでなく、名目と上下の配列も各々一致しない。その所以然は、各家の易のもともとの制式がそのようであったからである。

各易皆可用於卜筮,而周易最善;其次則八宮納甲法,其次則歲象六日七分術;而伏羲先天本卦方圓序,則為示修養之道,明先天之氣;若用於卜筮則淺矣!然亦能通,不過難測耳;至俗傅各種卜易法,皆由數者變化而來,有當有未當也;與周易等者,前有連山、歸藏,後有夫子雜卦;皆以卦爻象數為本,不取甲辰,不用日月;其道簡而理微,人多難知;故卜者不用,而好八宮與歲象術;其實理數一也,苟通者無所忤焉。

各家の易はみな卜筮に用いることができ、その中では《周易》が最も完備している。次いで八宮納甲(のっこう・幹支を爻に配する法)、その次が歳象・六日七分の術である。伏羲先天本卦の方図・円図の序については、本来は修養の道を示し先天の気を明らかにするためのもので、占いに用いれば浅いものに流れてしまう。もちろんそれも同じく通ずるが、ただ測度しにくいだけである。世俗に伝わる種々の卜易の法は、いずれも以上の各家から変化して出たもので、当を得たものもあれば得ていないものもある。《周易》と並び論じうるものは、前に《連山》《帰蔵》があり、後に夫子の《雑卦》がある。みな卦爻・象数を本とし、干支を取らず日月を用いない。その道は簡で理は精微なので、一般の人にはわかりにくく、ゆえに卜者はこれを用いず、かえって八宮と歳象の術を好む。実のところ理と数はもともと一つであり、まことに通達した者ならどれを用いても抵牾を感じない。

做周易之卜,古之史傳常見其例;其應甚靈,豈古可用,而今不宜哉?蓋用之在人,能誠而通神者,何易不可靈?否則雖俗淺之術,亦不得其效;故易之用,不在序之異也;序之所異,不為卜也;其理見前,可以知矣。周易之精,在以後天之物象,明先天之氣數;一卦一爻,各有所象,而貫通先後天,以明其變化;故不枝不離,而獨來獨往;為最宜於時中之道,合於戒慎之教也。

《周易》で占った例は、古代の史書や伝記によく見え、たいへん霊験があった。古人には用いられて今人には適さない、ということがあろうか。要は用いる人にある。誠を尽くして神明に通ずる者なら、どの易が霊験でないことがあろうか。そうでなければ、世俗の浅い術を用いてもやはり効はない。だから易の用は卦序の異同にはない。卦序に異同があるのは、もともと占いのために設けられたのではない。この理は前に述べた通りで、知るべきである。《周易》の精妙は、後天の物象をもって先天の気数を明らかにする点にある。一卦一爻それぞれ象するものがありながら、先天・後天を貫通してその変化を説き明かす。だから枝を分かつことも本から離れることもなく、独り往き独り来て、最も「時中」の道にかない、「戒慎恐懼」の教えに合致する。

以文王作此,正囚辱之時;憂天下之亂,存革正之心;鑑前人之敝,立新教之意;故其辭巽而決,其旨正而中,其道極變化,而仍守常度;其志攘暴亂,而先重仁德,故與夫子中庸之教,修道戒慎為本;忠恕時中為用,立誠復始為成,其義正同。

文王がこの易を作ったのは、まさに囚われ辱められた時であった。天下の乱れを憂え、弊政を革め世を正す心を抱き、先人の積弊を鑑みて新しい教えを立てる意を定めた。だからその文辞は巽(そん・へりくだり)にして決断があり、その旨は正しく中にあり、その道は変化を極めながらなお常度を守り、その志は暴乱を払わんとしながら先に仁徳を重んじる。これは夫子の《中庸》の教え――修道と戒慎を根本とし、忠恕と時中を用とし、誠を立て本に返るを成就とする――と、義理がまさに一致する。

夫子取之以繼堯舜之傳,而明文武之治,即所謂祖述憲章者,易經居其首也,中庸之書,繼易而作;皆言事而歸於道,言人而歸於天,原怡返終,正其性命,明物達情,通其精粗;故言博而約,辭詳而明;為古聖心傳之所存,而儒家至教之所寄也。後之學者當加意焉!

夫子が《周易》を取ったのは、堯・舜に伝わる心法を継ぎ、文王・武王の治道を明らかにするためであり、《中庸》にいう「祖述堯舜、憲章文武(堯舜を祖とし述べ、文武を憲章とする)」において、《易経》はその筆頭に位置する。《中庸》の書はまさに《易》に続いて作られた。ともに事について言って道に帰し、人について言って天に帰し、本始を推し原めて終極に返り、人の性命を正し、万物を明らかにし物情に通達し、精微と粗顕を一貫する。だから言は博くして約を失わず、辞は詳しくして明を失わない。古聖の心伝(しんでん)が存するところであり、儒家の最高の教えが託されるところである。後の学者はこの上に意を用いるべきである。

亜聖の講述――孟子

夫子刪定六經,取文王之易為首,同於《尚書》,為三代以上之遺;於此可見二帝三王之政教,神農伏羲之制作也;而不取《連山》《歸藏》,及伏羲神農之易,獨採文王者,為文王之易,即各家之所傳;傳至文王變例已多,易道更明,易習易知也。伏羲神農堯舜之時,有象無文,有文未備;《連山》《歸藏》之易,有文異義,有變未全;唯文王之易,象仍古昔,文備義明;變推新例,體具用昭;故言易至文王,為最宜於時之制,而易道亦更發皇光大矣!

夫子が六経を删定したとき、文王の易を最前に列ねたのは、《尚書》と同じく、みな夏・商・周三代以上から伝わる遺典だからである。そこからは堯・舜二帝と禹・湯・文武の三王の政教、および神農・伏羲の制作を見ることができる。《連山》《帰蔵》および伏羲・神農の易を取らず、ひとえに文王の易を採用したのは、文王の易がすでに各家の所伝を集約していたからである。文王の手に伝わる頃には変通の体例がすでに多く、易理はいっそう明白で、学びやすく知りやすくなっていた。伏羲・神農・堯・舜の時代は、卦象はあっても文辞がなく、文辞があっても完備していなかった。《連山》《帰蔵》の二易は、文辞はあっても義旨が互いに異なり、変例はあっても周到でなかった。ただ文王の易のみ、卦象は古の法にしたがい、文辞は完備し義理は明白で、さらに新たな変例を推し出し、体制が備わり功用が著しかった。だから易を論じて文王に至り、はじめてその時の制度に最も適したものとなり、易道もこれによっていっそう発皇光大したのである。

此夫子序易,以周易為本者也;然周易雖善,舊制亦不可盡棄;伏羲之作,固為易之源,不可不知;即神農堯舜夏商之易,亦不可不明;則將其說備載於傳,繫之於經,故曰繫辭。而以證諸經文,廣其變,推其用也。

これが夫子が《易》を編次するにあたり《周易》を本とした所以である。しかし《周易》がよいからといって、旧来の制式をすべて捨て去ることはできない。伏羲の作はもとより易の源であり、知らないわけにいかない。神農・堯・舜および夏・商各代の易もまた明らかにしないわけにいかない。そこでこれらの説を伝の中に完備に記載し、経文の下に繋げたので、「繋辞」と称する(繋とは経に繋ぐの意)。これをもって諸々の経文に証し、変例を広げ、用を推し進めたのである。

故有先天乾坤上下之位序,為伏羲之遺,即天地定位一章所述也;有日月成歲,合乎天行之序,即揲蓍求卦象一歲之一章所述也;有納甲應爻,分宮飛伏之序,即出震齊巽,先甲後甲各所述也;有日月代行,水火上下之序,即後天卦位,三索得男女各節所述也。

だから伝には、先天の乾上・坤下という方位の序があり、これは伏羲の残した旧制で、《説卦伝》「天地定位」の章に述べられている。また日月がめぐって一歳を成し、天行に合う卦の序があり、これは《繋辞》の「揲蓍して卦を求め、期(一年)の日に当たる」と説く章に述べられている。また納甲し爻を配し、宮を分かち飛伏する序があり、これは《説卦伝》の「帝、震に出づ、巽に斉う」および経中の「先甲三日、後甲三日」の諸文に述べられている。また日月が迭(かわ)り行い、水火が上下する序があり、これは後天の卦位と《説卦伝》「三索して男女を得る」の各節に述べられている。

其它如地代有終,《歸藏》之羲也;艮為終始,《連山》之義也;方圓之圖,伏羲之制也;納甲納音,黃帝之制也;歲象闢卦,神農之制,及於堯舜,而更推衍者也;九宮五行,五運六氣,河洛之遺,及於黃帝,而更發明者也。

そのほか、「地道は代わりて終わる」という説は《帰蔵》の義旨であり、「艮を終始と為す」という説は《連山》の義旨である。方図・円図は伏羲の制作、納甲・納音(のういん)は黄帝の制作、歳象・辟卦(へきか・十二消息卦)は神農の制作で、堯・舜の時に至ってさらに推衍された。九宮・五行、五運・六気は《河図》《洛書》の残した遺法で、黄帝の時に至ってさらに発明された。

故易者成於各聖,傳於千古,而其義備於傳,以與周易證明也。夫子猶以為未足,更合伏羲文王之作,先後天之象,各家之制,而成雜卦傳;雜者合也,合各種而一之,以見其會通一貫之義也;故以之終諸書,而成夫子之易,是易雖取文王,而仍包各書,夫子之作亦附焉,此讀者所宜知也。

このように《易》という書は、歴代の聖人が共に成し遂げ、千古に伝わったもので、その義理はすべて「伝」のうちに備わり、《周易》と互いに証明し合う。夫子はなお足りないと思い、さらに伏羲と文王の作、先天・後天の卦象、各家の制式を合わせて《雑卦伝》を作った。「雑」とは合の意であり、種々を合わせて一つとし、それらが会通一貫する義を見せるためである。だからこれを諸篇の終わりに据えて夫子自身の易を成し立たせた。つまり《易》は文王一家を取りながら、なお各家の書を包容し、夫子自身の作もそこに附属するのである。これは《易》を読む者が知っておくべきことである。

各易は道を明らかにするも、その方は一ならず

易之致用,一而已;一者道也,故各易,皆為明道用;無論為伏羲,為文王,為先天後天,為《連山》《歸藏》,皆不離於道;然道自一,何以各易不同?則為明道之方,有不同耳,道本無方無體,人之求之也,則有其方,以悟其體;是猶行路,或車或馬或步行,其行一也;所以行不同也,故各易各有其方,以明其用。

易の功用は帰するところただ一つである。その一つとは「道」であり、だから各家の易はみな道を明らかにするために設けられた。伏羲の易であれ文王の易であれ、先天・後天であれ、《連山》《帰蔵》であれ、道を離れはしない。しかし道はもともと一つなのに、なぜ各家の易が異なるのか。それは道を明らかにする門径に違いがあるだけである。道自体は方所も形体もない。人がそれを求めるには門径が要り、それによってその本体を悟る。ちょうど旅をするに、車に乗る者、馬に乗る者、歩く者があり、行くということは同じでも行き方が異なるようなものだ。だから各家の易にはそれぞれ門径があり、もってその用を明らかにする。

在太上之時,道至簡,事至略;人樸物醇,生計至易;故象之者,亦直樸無文,而見道亦真;其後則漸降漸變,漸繁而文;而象之者,隨之而異;故易自古入今,自簡趨繁,人事使然;道之為道,固未改也。故一易之用,為應時之需;時之不居,易亦必變,此易之所以為易也。

大上(上古)の世は、道は至って簡、事は至って略で、人の心は質朴、物の性は淳厚で、生計も至って容易だった。だから取象する卦も直朴で文飾がなく、しかし道を見ることはかえって真実だった。その後、世風はしだいに下り変わり、事は繁になり文飾が増し、取象する卦もこれに随って異なった。だから易は古より今に至り、簡から繁へと向かう。これは人事のしからしむるところであり、道が道であることはもともと変わらない。だから一つの易の用は、その時の必要に応ずるためのものであり、時勢は留まることがなく、易も必ずこれに随って変わる。これが「易」が「易」(変易)と名づけられた所以である。

伏羲之易,名為先天,義為修道,政尚虛靜,教崇純樸,其時然也;神農黃帝以迄堯舜,生息日眾,世事日新;政日以備,教日以詳;善惡以明,吉凶斯判;故其易亦由簡而繁,其用由純而雜;堯舜之後,文勝於質,政明於教;禮備於德,事增於物;變化既多,氣數以分;於是三代之易,更張其舊,名適時宜,以為新制。

伏羲の易は「先天」と称し、義旨は修道にあり、政事は虚静を尊び、教化は純朴を崇めた。その時の世情がそうであったのだ。神農・黄帝から堯・舜に至ると、人口は日ましに蕃殖し、世事は日ましに新しくなった。政令は日々備わり、教化は日々詳密になり、善悪はこれによって明らかになり、吉凶はここに判然とした。だからその時の易も簡から繁に変わり、その用も純から雑に変わった。堯・舜以後は、文飾が質朴に勝り、政令が教化より明らかになり、礼制が徳行より整い、事務が器物より多くなった。変化が多くなれば、気数はこれによって分かれる。ここにおいて夏・商・周三代の易は、旧制を改め、名目を別立てして時宜に適わせ、新しい制度とした。

至文王而變益異,時勢既迫,事物乃非;道晦不明,教亡不復;政失其紀,俗失其常;善不敵惡,吉不侔凶;君子道消,小人在位;易道至是窮矣!窮則必變,敝則必革;此湯伐桀之時也;文王師之,以變為新易,而寓教於卦象焉;故周易者,革舊改新,正教明道者也。

文王の時に至ると、変化はますます異なった。時勢はすでに逼迫し、事物は変質していた。道は晦んで明らかでなく、教化は亡びて復らず、政令は綱紀を失い、風俗は常軌を失っていた。善は悪に敵せず、吉は凶に侔(ひと)しくなく、君子の道は消え、小人が高位を占めた。易道はこのとき窮まったのである。窮すれば必ず変じ、弊れれば必ず革まる。これはかつて殷の湯が夏の桀を討った時の局面と同じである。文王は湯に倣い、変革の法をもって新しい易を作り、教化を卦象に寓した。だから《周易》という書は、旧弊を革め新法を立て、教化を正し大道を明らかにする書なのである。

當時晦塞,值身窮因,而欲為此挽回教政,光復道德,其非易事。蓋可知矣。故其為象曲折反覆,為辭宛委丁寧;一變前日之作,而成獨有之制;此其與伏羲之舊大殊,與連歸之辭亦異;而成一後天之易也。

当時、世は晦んで塞がり、文王自身も困厄の中にあったのに、この書をもって教化・政令を挽回し、道徳を光復しようとしたのだから、その容易でないことは推して知るべしである。だから彼の取った卦象は曲折反復し、繋げた文辞は婉曲で再三の丁寧を重ねる。昔日の作を一変して、独り格の制度を成した。これが伏羲の旧制と大いに異なり、《連山》《帰蔵》の文辞とも同じでなく、自ら一つの後天の易を成した所以である。

蓋文王之易,與時相宜;後天者,奉時也;本無先後天之名,以別於伏羲,故曰後天;以能奉天時,故曰後天;其實易一也,用異耳;若分先後,則文王以前者,皆宜先之;伏羲以後者,皆宜後之;而獨先伏羲後文王者,以二易足盡易之體用耳。

文王の易は時勢と相宜(あいかな)う。「後天」とは天時に奉順する意である。もともと先天・後天という名目はなく、伏羲の易と区別するために「後天」と呼んだのである。また天時に奉順できるゆえに「後天」と呼んだ。実は易は一つであり、用が異なるだけである。もし真に先後を分かつなら、文王より前はみな先とすべきであり、伏羲より後はみな後とすべきである。ひとえに伏羲を先とし文王を後とするのは、この二家の易が、易の体と用を説き尽くすに足るからである。

若推而言之,則連、歸各易,皆後天也;以其明伏羲之變,同於周易也;不過歸藏出,而連山亡;周易成,而歸藏息;時之既易,易亦隨之,由歷代之文物考之,則連歸可備參證;若以時之宜,變之極,明易之道,為後世之則;則唯周易足與伏羲表裡,取周易而他易其中矣!此夫子以周易為輕,而博搜各易之義為傳也。

押し広げて言えば、《連山》《帰蔵》各家の易もみな後天である。伏羲の易の変化を明らかにする点で《周易》と同じだからだ。ただ《帰蔵》が出ると《連山》は亡び、《周易》が成ると《帰蔵》は息んだ。時勢がすでに変われば、易もこれに随う。歴代の文物によって考証すれば、《連山》《帰蔵》はなお参証に備えうる。しかし時宜に合い、変化を極め、易道を明らかにして後世の法則たるに足るものを論じれば、《周易》のみが伏羲の易と表裏に応ずる――《周易》を取れば、他の各家の易もその中に含まれるのである。これが夫子が《周易》を宗としながら、なお広く各家の易の義旨を捜して「伝」を作った所以である。

六爻三極、人道を綱と為す

周易之用,為救時明道,而本於易之原旨;易者以六爻三極,合天地人者也;天道陰陽,居上兩爻;地道剛柔,居下兩爻;人道仁義,居於中央;此名三極,以人道為綱。故三四爻,人之位,善惡之門,吉凶之途,皆在是焉;人為天地之中,道之所存,時之所依;教政所出,生化所成。

《周易》の用は、時弊を救い大道を明らかにするにあり、その根本はなお易の原旨から出る。易とは、六爻を「三極」に分かち、天・地・人を一つに合わせたものである。天道は陰陽で、上の二爻に居る。地道は剛柔で、下の二爻に居る。人道は仁義で、中央の二爻に居る。これを三極と名づけ、人道を綱領とする。だから第三爻・第四爻は人の位であり、善悪の門、吉凶の途は皆ここに在る。人は天地の中にあって、道の寄せ存るところ、時の依るところであり、教化・政令の出るところ、生養・化育の成るところである。

故天地之道,依人而明,時之敝,依人而新,教政之失,依人而復振;仁義之不講,時之亂也;教政之不明,人之責也;唯人能理亂救亡,正失止敝。故聖人則之,以負其任;而文王適逢之,乃明易之變,而濟道之窮;以教寓於象,而濟道之窮;以教寓於象,以心存於卦。

だから天地の道は人によって明らかになり、時勢の弊は人によって新たになり、教化・政令の失は人によって再び振るう。仁義が講ぜられないのは時勢の乱であり、教化・政令が明らかでないのは人の責である。ただ人のみが禍乱を理し危亡を救い、失を正し弊を止めることができる。だから聖人は天地に則り、自らこの任を負う。文王はちょうどこのような時代に遇い、易の変化を明らかにして道の窮を済い、教化を卦象に寓し、心を卦画に存した。

故其易與前異者,應夫時也。道之不明,時之所為;時之不回,則人心失所主,而變生焉;變之亂者,時之咎也;變之治者,人之功也;人應時而為變,變乃通,通乃道;故道在時,而聖人乃能用時;用時變時,是曰時中;道之存也,時之隆也,則守其常;道之晦也,時之汙也,則達其變;唯變乃復於中道,而道乃明。

だから彼の易が昔日と異なるのは、まさに時勢に応じたためである。道が明らかでないのは時勢のなすところであり、時勢が回らなければ人心は主を失って変乱が生ずる。変じて乱に至るは時勢の咎であり、変じて治に至るは人の功である。人が時勢に応じて変革を成せば、変じてこそ通じ、通じてこそ道に合う。だから道は時に存り、聖人のみが時勢を善く用いうる。時を用い時を変じる、これを「時中」という。道が存し時勢が隆んな時はその常を守り、道が晦み時勢が汚れた時はその変に通ず。ただ変に通ずるのみが再び中道に復りえ、道は明らかになるのである。

聖人在因時明道,非守死而忘時也;乃因時而變之,以存亡正失也。故文王之易在於是,其意若曰:伏羲之易,經常之道,不可變也;時無明之者,易乃日晦;必以變而新之,則前者益光大;其義取在革卦,革以去故,言去時之汙也;而其用取之鼎卦,鼎取新也,言新易之道,而光大伏羲之制也。

聖人の貴ぶところは時に因って道を明らかにするにあり、旧法を死守して時を忘れるのではない。時に因って変じ、亡びんとするものを存せしめ失を正すのである。文王の易はまさにこの上に落ちる。その意はあたかもこう言っているようだ――伏羲の易は恒常の道であり、本来改めるべきでない。ただ当時これを明らかにする者がいなかったため、易理は日ましに晦んでいった。必ず変革によってこれを新たにせねばならず、そうすれば昔日の法はかえってさらに光る。だから義を《革》卦に取った。「革」は故(ふるき)を去る意で、時の汚れを革め去ると言う。用を《鼎》卦に取った。「鼎」は新たにするを取り、易の法度を新たに立て、もって伏羲の旧制を光らせると言う。

故其序以往復循環為則,以吉凶相對,善惡相當;明世道之無往不復,而人心無時不動;必以善制惡,以新革故,以成循環之數,而復歸於道;此則文王之易所以異也。夫連、歸遞嬗,夏商異代;其政教不一,制度各殊,故文王因之;而鑑於二者,成其新作,存其所長;尤能揭二代之善制,合兩易之成規;以開有周之政教,為盡美盡善之禮樂制度;此夫子有從周之嘆也!

だから《周易》の卦序は往復循環を法則とし、吉と凶を相対せしめ、善と悪を相当せしめ、世道に往きて復らざるなく、人心に動かざる時なきを明らかにし、必ず善をもって悪を制し、新をもって故を革め、循環の定数を成し遂げて、再び道に帰する。これが文王の易が衆と異なるところである。《連山》《帰蔵》は先後に禅(ゆず)り替わり、夏・商は各々一代を成し、両代の政教は一ならず、制度は各々殊なので、文王はこれに因り、またこの二者を鑑察して新しい易を作り、その長を存した。とりわけ夏・商二代の良法を掲げ、二つの易の成規を揉み合わせ、周代の政教を開いて、尽美尽善の礼楽制度とした。これが夫子が「吾は周に従わん」と嘆じた所以である。

故文王之易,為易道之大明;其旨在變,變以復道;乃宜於時之敝,道之衰,教之亡,政之失也;故夫子獨取之,以鑑於周道之微;春秋之亂,非重新易教,不克以復堯舜文王之道,而續伏羲神農黃帝之德也。其意見於雜卦焉,苟有明哲之主,而取用之;以新政教,振仁義;以盡人道,合乎天地之原旨;而因時推變,以孚革故鼎新之義;則文武之治,周初之禮樂制度,固當復見於世。

だから文王の易は、易道の大きな光明である。その旨は「変」にあり、変は道に復るためであり、時勢の弊、道の衰、教の亡、政の失に適用する。だから夫子はひとえにこの易を取った。周道が衰微し春秋が大乱するのを見て、易教を再び振り起こさなければ、堯・舜・文王の道を復し、伏羲・神農・黄帝の徳を継ぐことができないと思ったからである。この意は《雑卦》に見える。もし明哲な君主があってこれを取り用い、政教を新たにし仁義を振り起こし、人道を尽くして天地の本旨に合わせ、時勢に因って変を推し、革故鼎新(かっこていしん)の義に孚(かな)うならば、文王・武王の治世、周初の礼楽制度は、もとより再び世に現れうるのである。

則夫子老安少懷之志,大同之願,時中之智,皆將見於行事,非復微言之擬,文章之可知而已;觀夫《雜卦傳》末云:「君子道長,小人道消。」云云,蓋已自言其效,或者他日必驗於世;時乎時乎,吾知之矣!運之流行,寧無極乎!請留吾言,以待後人之證之也。

そうすれば夫子の「老いた者を安んじ、少なき者を懐く」という志、天下大同の願、時に随って中を得る智は、いずれも実際の行事に現れ、もはや隠微な言辞のうちの比喩や、文章から推し知るべきものに留まらない。《雑卦伝》の末に「君子の道長らん、小人の道消えん」とあるのを見よ。夫子はみずからその効験を言い表したのであって、あるいは他日必ず世に験(あら)れよう。時よ時よ、吾はこれを知っている。気運の流行に極まりのないことがあろうか。どうか我が言を留めて、後人の証を待とう。

The original text is in the public domain. The Japanese is a machine-assisted translation of this library’s own Chinese paraphrase, checked against a fixed glossary so that technical terms match the definitions used elsewhere on this site. It is a reading aid and does not replace the original.

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