荘公
(經二七七)公會齊侯於城濮。
(経二七七)荘公が城濮で斉侯に会った。
莊公(經二八一)二十有八年
荘公(経二八一)二十有八年
春,王三月甲寅,齊人伐衛,衛人及齊人戰,衛人敗績。
春、周暦の三月甲寅、斉人が衛を伐ち、衛人が斉人と戦い、衛人は大いに敗れた。
(傳)伐不日,此何以日?至之日也。戰不言伐,此其言伐何?至之日也。《春秋》伐者為客,伐者為主,故使衛主之也。曷為使衛主之?衛未有罪爾。敗者稱師,衛何以不稱師?未得乎師也。
(伝)伐つことは日を記さないのに、ここではなぜ日を記したのか。至った日である。戦は「伐」を書かないのに、ここで「伐」と書いたのはなぜか。これも至った日である。《春秋》は伐つ者を客とし、伐たれる者を主とする。ゆえに衛を主とした。なぜ衛を主としたのか。衛に罪がなかったからである。敗れたほうは「師」と称するのに、衛はなぜ「師」と称しないのか。まだ軍を成していなかったからである。
(經二八二)夏,四月丁未,邾婁子瑣卒。
(経二八二)夏四月丁未、邾婁子瑣が卒した。
(經二八三)秋,荊伐鄭,公會齊人、宋人、邾婁人救鄭。
(経二八三)秋、荊が鄭を伐ち、荘公が斉人・宋人・邾婁人と会して鄭を救った。
(經二八四)冬,築微。大無麥、禾。
(経二八四)冬、微を築いた。麦も禾も大いに収穫がなかった。
(傳)既見無麥、禾矣,曷為先言築微,而後言無麥、禾?諱以凶年造邑也。
(伝)すでに麦がなく禾がないと見られるのに、なぜ先に「築微」と書き、次に「無麦・禾」と書いたのか。荒年に城邑を築くことを隠したのである。
(經二八五)臧孫辰告糴於齊。
(経二八五)臧孫辰が斉に告糴した。
(傳)告糴者何?請糴也。何以不稱使?以為臧孫辰之私行也。曷為以為臧孫辰之私行?君子之為國也,必有三年之委;一年不熟,告糴,譏也。
(伝)「告糴」とは何か。糧を買うことを請うことである。なぜ「使」と称しないのか。これを臧孫辰の私行としたのである。なぜ私行としたのか。君子が国を治めるには、必ず三年の蓄えがある。一年熟れないだけで告糴するのは、譏刺である。
莊公(經二九一)二十有九年
荘公(経二九一)二十有九年
春,新延廄。
春、延厩を新たにした。
(傳)新延廄者何?修舊也。修舊不書,此何以書?譏。何譏爾?凶年不修。
(伝)「新延厩」とは何か。旧いものを修めることである。旧いものを修めるのは例によって記さないのに、ここではなぜ記したのか。譏刺である。何を譏刺したのか。荒年には修めるべきではない。
(經二九二)夏,鄭人侵許。
(経二九二)夏、鄭人が許に侵め入った。
(經二九三)秋,有蜚。
(経二九三)秋、蜚があった。
(傳)何以書?記異也。
(伝)なぜ記したのか。異常を記したのである。
(經二九四)冬,十有二月,紀叔姬卒。
(経二九四)冬十二月、紀叔姫が卒した。
(經二九五)城諸及防。
(経二九五)諸と防を築いた。
莊公(經三十一)三十年
荘公(経三十一)三十年
春,王正月。(經三十二)夏,師次於成。
春、周暦の正月。(経三十二)夏、軍が成に次した。
(經三十三)秋,七月,齊人降鄣。
(経三十三)秋七月、斉人が鄣を降させた。
(傳)鄣者何?紀之遺邑也。降之者何?取之也。取之則曷為不言取之?為桓公諱也。外取邑不書,此何以書?盡也。
(伝)鄣とは何か。紀国の残った城邑である。「降之」とは何か。奪うことである。奪うのなら、なぜ「取」と書かないのか。桓公のために隠したのである。外が城邑を奪うことは例によって記さないのに、ここではなぜ記したのか。取り尽くしたからである。
(經三十四)八月癸亥,葬紀叔姬。
(経三十四)八月癸亥、紀叔姫を葬った。
(傳)外夫人不書葬,此何以書?隱之也。何隱爾?其國亡矣,徒葬乎叔爾。
(伝)外の夫人は葬を記さないのに、ここではなぜ記したのか。彼女を哀れんだのである。何を哀れんだのか。彼女の国は亡び、ただ叔のもとに葬られたにすぎない。
(經三十五)九月庚午朔,日有食之,鼓、用牲於社。
(経三十五)九月庚午朔、日食があり、鼓を撃ち、牲を用いて社に祭った。
(經三十六)冬,公及齊侯遇於魯濟。
(経三十六)冬、荘公が斉侯と魯済で遇った。
(經三十七)齊人伐山戎。
(経三十七)斉人が山戎を伐った。
(傳)此齊侯也,其稱人何?貶。曷為貶?子司馬子曰:「蓋以操之為已蹙以矣!」此蓋戰也,何以不言戰?《春秋》敵者言戰,桓公之與戎狄,驅之爾。
(伝)この人は斉侯なのに、なぜ「人」と称したのか。貶めたのである。なぜ貶めたのか。子司馬子曰く、「おそらく事をあまりに急ぎすぎたからであろう」。これはおそらく戦なのに、なぜ戦と書かないのか。《春秋》は敵体のものを戦と書く。桓公は戎狄に対し、ただ彼らを追い去るのみである。
莊公(經三一一)三十有一年
荘公(経三一一)三十有一年
春,築臺於郎。
春、郎に台を築いた。
(傳)何以書?譏。何譏爾?臨民之所漱浣也。
(伝)なぜ記したのか。譏刺である。何を譏刺したのか。百姓の洗濯する所に臨んでいたからである。
(經三一二)夏,四月,薛伯卒。
(経三一二)夏四月、薛伯が卒した。
(經三一三)築臺於薛。
(経三一三)薛に台を築いた。
(傳)何以書?譏。何譏爾?遠也。
(伝)なぜ記したのか。譏刺である。何を譏刺したのか。遠すぎたからである。
(經三一四)六月,齊侯來獻戎捷。
(経三一四)六月、斉侯が来て戎の俘と戦利品を献じた。
(傳)齊,大國也,曷為親來獻戎捷?威我也。其威我奈何?旗獲而過我也。
(伝)斉は大国なのに、なぜ自ら来て戎捷を献じたのか。我が魯国を威嚇したのである。どのように威嚇したのか。獲得した旗を掲げて我が魯国を通り過ぎたのである。
(經三一五)秋,築臺於秦。
(経三一五)秋、秦に台を築いた。
(傳)何以書?譏。何譏爾?臨國也。
(伝)なぜ記したのか。譏刺である。何を譏刺したのか。他国に臨んでいたからである。
(經三一六)冬,不雨。
(経三一六)冬、雨が降らなかった。
(傳)何以書?記異也。
(伝)なぜ記したのか。異常を記したのである。
莊公(經三二一)三十有二年
荘公(経三二一)三十有二年
春,城小谷。
春、小谷を城した。
(經三二二)夏,宋公、齊侯遇於梁丘。
(経三二二)夏、宋公・斉侯が梁丘で遇った。
(經三二三)秋,七月癸巳,公子牙卒。
(経三二三)秋七月癸巳、公子牙が卒した。
(傳)何以不稱弟?殺也。殺則曷為不言刺?為季子諱殺也。曷為為季子諱殺?季子之遏惡也,不以為國獄,緣季子之心而為之諱。季子之遏惡奈何?莊公並將死,以病召季子,季子至而授之以國政,曰:「寡人即不起此病,吾將焉致乎魯國?」季子曰:「般也存,君何憂焉?」公曰:「庸得若是乎?牙謂我曰:『魯一生一及,君已知之矣。』慶父也存。」季子曰:「夫何敢?是將為亂乎!夫何敢!」俄而,牙弒械成。季子和藥而飲之,曰:「公子從吾言而飲此,則必可以無為天下戮笑,必有後乎魯國。不從吾言而不飲此,則必為天下戮笑,必無後乎魯國。」於是從其言而飲之,飲之無傫氏,至乎王堤而死。公子牙今將爾,辭曷為與親弒者同?君親無將,將而誅焉。然則善之與?曰:然。殺世子母弟,直稱君者,甚之也。季子殺母兄,何善爾?誅不得闢兄,君臣之義也。然則曷為不直誅,而酖之?行諸乎兄,隱而逃之,使托若以疾死然,親親之道也。
(伝)なぜ弟と称しないのか。殺された者だからである。殺されたのに、なぜ「刺」と書かないのか。季子のために殺を隠したのである。なぜ季子のために殺を隠したのか。季子は悪を遏止し、それを国の獄案としなかった。季子の心に順って彼のために隠したのである。季子はどのように悪を遏止したのか。荘公がまさに死なんとして、病のまま季子を召した。季子が至ると、国政を彼に付けて言った、「寡人のこの病が起き上がれなければ、魯国をどこに付そうか」。季子曰く、「般はなお在り、君王は何を憂えるのか」。荘公曰く、「どうしてそうであろう。牙が私に言うには『魯は一代に子を伝え、一代に弟を伝える。君王はすでにご存じだ』。慶父もなお在る」。季子曰く、「彼はどうして敢えてできよう。これは乱をなさんとすることか。彼はどうして敢えてできよう」。まもなく、牙が君を弑す布置が整った。季子は薬を調して彼に飲ませて言った、「公子が私の言葉を聴いてこれを飲めば、必ず天下に殺戮され恥笑されず、魯国に必ず後嗣があろう。私の言葉を聴かずこれを飲まなければ、必ず天下に殺戮され恥笑され、魯国に必ず後嗣がないであろう」。そこで彼の言葉に従って飲み、飲み終えて無傘氏に至り、王堤に歩み至って死んだ。公子牙はいまだ将にそうせんとするのみなのに、措辞が手ずから君を弑した者と同じなのはなぜか。国君と至親に対しては「将に」の説がなく、将にすれば即ち誅する。では彼を是とするのか。答えて曰く、しかりである。太子や同母弟を殺すとき、直に国君を出すのは、事を重く言うのである。季子が同母兄を殺すのに、何がよいのか。誅討は兄を避けることができない。これは君臣の義である。ではなぜ直に誅殺せず、毒酒を用いたのか。兄に手を下すものは、隠れて避け、人に病死のようだと託辞させる。これは親を愛する道である。
(經三二四)八月癸亥,公薨於路寢。
(経三二四)八月癸亥、荘公が路寝で薨じた。
(傳)路寢者何?正寢也。
(伝)路寝とは何か。正寝である。
(經三二五)冬,十月乙未,子般卒。
(経三二五)冬十月乙未、子般が卒した。
(傳)子卒雲子卒,此其稱子般卒何?君存稱世子,君薨稱子某,既葬稱子,逾年稱公。子般卒,何以不書葬?未逾年之君也。有子則廟,廟則書葬;無子不廟,不廟則不書葬。
(伝)君の子が卒すれば、普通は「子卒」と書くのに、ここで「子般卒」と称するのはなぜか。君在りては世子と称し、君薨じては子某と称し、すでに葬っては子と称し、年を踰えては公と称する。子般が卒したのに、なぜ葬を記さないのか。まだ年を踰えていない君だからである。子あれば廟を立て、廟を立てれば葬を記す。子なければ廟を立てず、廟を立てなければ葬を記さない。
(經三二六)公子慶父如齊。狄伐邢。
(経三二六)公子慶父が斉に行った。狄が邢を伐った。
