Libo

宣公

战国 · 公羊高 · 第24巻 / 44

宣公(經十八一)十有八年

宣公(経十八一)十有八年

春,晉侯、衛世子臧伐齊。

春、晋侯と衛国の世子臧が斉を攻めた。

(經十八二)公伐杞。

(経十八二)宣公が杞を攻めた。

(經十八三)夏,四月。

(経十八三)夏四月。

(經十八四)秋,七月,邾婁人戕鄫子於鄫。

(経十八四)秋七月、邾婁人が鄫で鄫子を戕害した。

(傳)戕鄫子於鄫者何?殘賊而殺之也。

(伝)「鄫にて鄫子を戕う」とはどういう意味か。残虐にしてこれを殺したのである。

(經十八五)甲戌,楚子旅卒。

(経十八五)甲戌、楚子旅が卒した。

(傳)何以不書葬?吳、楚之君不書葬,闢其號也。

(伝)なぜ葬りを記さないか。呉・楚の国君は葬りを記さない。彼らの称号を避けるためである。

(經十八六)公孫歸父如晉。

(経十八六)公孫帰父が晋国へ行った。

(經十八七)冬,十月壬戌,公薨於路寢。

(経十八七)冬十月壬戌、宣公が路寝で卒した。

(經十八八)歸父還自晉,至檉,遂奔齊。

(経十八八)帰父が晋国から帰り、柽に至って、遂に斉に奔った。

(傳)還者何?善辭也。何善爾?歸父使於晉,還自晉,至檉,聞君薨家遣,墠帷,哭君成踴,反命乎介,自是走之齊。

(伝)「還」とはどういう意味か。称賛する言い方である。何を称賛するか。帰父は晋に使いし、晋から帰り、柽に至り、国君が薨じ家が遣散されたと聞き、そこで地を掃き平げ帷を張り、君を哭いて踊の礼を成し、介(副使)に復命して、これにより斉に走ったのである。

成公

成公(經一一)元年

成公(経一一)元年

春,王正月,公即位。

春、周暦の正月、成公が即位した。

(經一二)二月辛酉,葬我君宣公。

(経一二)二月辛酉、我が魯国の君主宣公を葬った。

(經一三)無冰。

(経一三)氷が張らなかった。

(經一四)三月,作丘甲。

(経一四)三月、丘甲を制作した。

(傳)何以書?譏。何譏爾?譏始丘使也。

(伝)なぜ記したのか?譏刺である。何を譏刺したのか?丘ごとに軍賦を出させ始めたことを譏刺したのである。

(經一五)夏,臧孫許及晉侯盟於赤棘。

(経一五)夏、臧孫許が晋侯と赤棘で会盟した。

(經一六)秋,王師敗績於貿戎。

(経一六)秋、周の天子の軍が貿戎で大敗した。

(傳)孰敗之?蓋晉敗之,或曰貿戎敗之。然則曷為不言晉敗之?王者無敵,莫敢當也。

(伝)誰が敗ったのか?おそらく晋が敗ったのであろう、一説に貿戎が敗ったとも言う。ではなぜ晋が敗ったと言わないのか?王者には敵がなく、敢えて当たる者はいないからである。

(經一七)冬,十月。

(経一七)冬、十月。

成公(經二一)二年

成公(経二一)二年

春,齊侯伐我北鄙。

春、斉侯が我が魯国の北部の辺境を攻めた。

(經二二)夏,四月丙戌,衛孫良夫帥師及齊師戰於新築,衛師敗績。

(経二二)夏四月丙戌、衛国の孫良夫が軍を率いて斉国の軍と新築で戦い、衛国の軍は大敗した。

(經二三)六月癸酉,季孫行父、臧孫許、叔孫僑如、公孫嬰齊帥師,會晉郄克、衛孫良夫、曹公子手及齊侯戰於鞍,齊師敗績。

(経二三)六月癸酉、季孫行父・臧孫許・叔孫僑如・公孫嬰斉が軍を率い、晋国の郤克・衛国の孫良夫・曹国の公子手と会して斉侯と鞍で戦い、斉国の軍は大敗した。

(傳)曹無大夫,公子手何以書?憂內也。

(伝)曹国には大夫がいないのに、公子手がなぜ記されるのか?魯国内を憂えたからである。

(經二四)秋,七月,齊侯使國佐如師。己酉,及國佐盟於袁婁。

(経二四)秋七月、斉侯は国佐を軍中に遣わした。己酉、国佐と袁婁で会盟した。

(傳)君不行使乎大夫,此其行使乎大夫何?佚獲也。其佚獲奈何?師還齊侯,晉郄克投戟逡巡再拜稽首馬前。逢醜父者,頃公之車右也。面目與頃公相似,衣服與頃公相似,代頃公當左。使頃公取飲,頃公操飲而至,曰:「革取清者。」頃公用是佚而不反。逢醜父曰:「吾賴社稷之神靈,吾君已免矣。」郄克曰:「欺三軍者,其法奈何?」曰:「法斮。」於是斮逢醜父。己酉,及齊國佐盟於袁婁,曷為不盟於師而盟於袁婁?前此者,晉郄克與臧孫許同時而聘於齊。蕭同侄子者,齊君之母也,踴於棓而窺客,則客或跛或眇,於是使跛者迓跛者,使眇者迓眇者。二大夫出,相與踦閭而語,移日然後相去。齊人皆曰:「患之起必自此始!」二大夫歸,相與率師為鞍之戰,齊師大敗。齊侯使國佐如師,郄克曰:「與我紀侯之甗,反魯、衛之侵地,使耕者東畝,且以蕭同侄子為質,則吾舍子矣。」國佐曰:「與我紀侯之甗,請諾。反魯、衛衛蕭同侄子為質,則吾舍子矣。」國佐曰:「與我紀侯之甗,請諾。反魯、衛之侵地,請諾。使耕者東畝,是則土齊也。蕭同侄子者,齊君之母也。齊君之母,猶晉君之母也,不可。請戰,壹戰不勝請再,再戰不勝請三,三戰不勝則齊國儘子之有也,何必以蕭同侄子為質?」揖而去之。郄克瞴魯、衛之使,使以其辭而為之請,然後許之。逮於袁婁而與之盟。

(伝)国君は大夫のもとに出向かせることはないのに、ここで大夫のもとに出向いたのはなぜか?捕らえられるのを逃れたからである。どのように捕らえられるのを逃れたか?軍が斉侯を包囲したとき、晋国の郤克は戟を投げ捨て、ためらいながら馬の前で再拝稽首した。逢丑父は頃公の車右で、顔かたちが頃公に似ており、衣服も頃公に似ていたので、頃公に代わって左に座った。頃公に水を取らせ、頃公は水を持って来て言った、「改めて清いものを取れ」。頃公はこれによって逃れて戻らなかった。逢丑父は言った、「私は社稷の神霊に頼り、我が君はすでに免れました」。郤克は言った、「三軍を欺く者は、その刑罰はどうか」。答えて曰く、「刑は斬である」。そこで逢丑父を斬った。己酉、斉国の国佐と袁婁で会盟したが、なぜ軍中で会盟せず袁婁で会盟したのか?この以前、晋国の郤克と臧孫許が同時に斉国に聘問に行った。蕭同姪子は斉君の母で、木組みの高所に登って客人をのぞき見した。客人には足の跛な者や片目の瞎えた者がいたので、跛な者には跛な者を迎えさせ、片目の瞎えた者には片目の瞎えた者を迎えさせた。二人の大夫は出て来て、門のそばに寄りかかって話し、長い間たってから別れた。斉国の人々は皆言った、「禍患の起こるのは、必ずここから始まるだろう!」二人の大夫は帰って、ともに軍を率いて鞍の戦いを行い、斉軍は大敗した。斉侯は国佐を軍中に遣わし、郤克は言った、「紀侯の甗をわれに渡し、魯・衛から侵した土地を返し、耕す者に田の畔を東西向きに作らせ、そして蕭同姪子を人質に取れば、お前たちを見逃そう」。国佐は言った、「紀侯の甗はお応えします。魯・衛から侵した土地を返すこともお応えします。耕す者に田の畔を東西向きに作らせるというのは、斉国の土地をあなた方のものとすることです。蕭同姪子は斉君の母です。斉君の母は、晋君の母と同じようなものです。できません。どうか交戦させてください。一戦して勝たなければ再戦を請い、再戦して勝たなければ三戦を請い、三戦して勝たなければ斉国はすべてあなたのものです。どうして蕭同姪子を人質に取る必要がありましょうか」。(底本では「反魯・衛」の下に残字の重複があるが、ここでは常本に従って連読する。)揖をして退いた。郤克は魯・衛の使者に目配せして、この言葉で斉国のために請わせ、それからようやく許した。袁婁に追い及いてやっと彼と会盟したのである。

(經二五)八月壬午,宋公鮑卒。

(経二五)八月壬午、宋公鮑が卒した。

(經二六)庚寅,衛侯遬卒。

(経二六)庚寅、衛侯遬が卒した。

(經二七)取汶陽田。

(経二七)汶水の北の田地を取った。

(傳)汶陽田者何?鞍之賂也。

(伝)汶陽田とは何か?鞍の戦いの賄賂である。

(經二八)冬,楚師、鄭師侵衛。

(経二八)冬、楚国の軍・鄭国の軍が衛に侵入した。

(經二九)十有一月,公會楚公子嬰齊於蜀。丙申,公及楚人、秦人、宋人、陳人、衛人、鄭人、齊人、曹人、邾婁人、薛人、鄫人盟於蜀。

(経二九)十一月、成公は蜀で楚国の公子嬰斉と会見した。丙申、成公は楚国人・秦国人・宋国人・陳国人・衛国人・鄭国人・斉国人・曹国人・邾婁人・薛国人・鄫国人と蜀で会盟した。

(傳)此楚公子嬰齊也,其稱人何?得一貶焉爾。

(伝)これは楚国の公子嬰斉だが、なぜ「人」と称するのか?一度の貶を受けたのである。

成公(經三一)三年

成公(経三一)三年

春,王正月,公會晉侯、宋公、衛侯、曹伯伐鄭。

春、周暦の正月、成公は晋侯・宋公・衛侯・曹伯と会して鄭を攻めた。

(經三二)辛亥,葬衛繆公。

(経三二)辛亥、衛繆公を葬った。

(經三三)二月,公至自伐鄭。

(経三三)二月、成公は鄭を伐つ軍から帰った。

(經三四)甲子,新宮災,三日哭。

(経三四)甲子、新宮が火災に遭い、三日泣いた。

(傳)新宮者何?宣公之宮也。宣宮則曷為謂之新宮?不忍言也。其言三日哭何?廟災三日哭,禮也。新宮災,何以書?記災也。

(伝)新宮とは何か?宣公の宮である。宣宮であるのに、なぜ新宮と言うのか?言うに忍びないからである。「三日哭」と書くのは何の意味か?宗廟が火災に遭って三日泣くのは、礼にかなう。新宮が火災に遭ったのを、なぜ記したのか?災害を記したのである。

(經三五)乙亥,葬宋文公。

(経三五)乙亥、宋文公を葬った。

(經三六)夏,公如晉。

(経三六)夏、成公は晋国に行った。

(經三七)鄭公子去疾率師伐許。

(経三七)鄭国の公子去疾が軍を率いて許を攻めた。

(經三八)公至自晉。

(経三八)成公は晋国から帰った。

(經三九)秋,叔孫僑如率師圍棘。

(経三九)秋、叔孫僑如が軍を率いて棘を包囲した。

(傳)棘者何?汶陽之不服邑也。其言圍之何?不聽也。

(伝)棘とは何か?汶陽の服従しない城邑である。なぜ「囲」と書くのか?従わないからである。

(經三十)大雩。

(経三十)大雩を行った。

(經三十一)晉郄克、衛孫良夫伐將咎如。

(経三十一)晋国の郤克・衛国の孫良夫が将咎如を攻めた。

(經三十二)冬,十有一月,晉侯使荀庚來聘。衛侯使孫良夫來聘。

(経三十二)冬十一月、晋侯は荀庚を遣わして聘問した。衛侯は孫良夫を遣わして聘問した。

(經三十三)丙午,及荀庚盟。丁未,及孫良夫盟。

(経三十三)丙午、荀庚と会盟した。丁未、孫良夫と会盟した。

(傳)此聘也,其言盟何?聘而言盟者,尋舊盟也。

(伝)これは聘問だが、なぜ「盟」と書くのか?聘問なのに会盟と書くのは、旧盟を重ねて温めたのである。

(經三十四)鄭伐許。

(経三十四)鄭が許を攻めた。

成公(經四一)四年

成公(経四一)四年

春,宋公使華元來聘。

春、宋公は華元を遣わして聘問した。

(經四二)三月壬申,鄭伯堅卒。

(経四二)三月壬申、鄭伯堅が卒した。

(經四三)杞伯來朝。

(経四三)杞伯が来て朝見した。

(經四四)夏,四月甲寅,臧孫許卒。

(経四四)夏四月甲寅、臧孫許が卒した。

(經四五)公如晉。

(経四五)成公は晋国に行った。

The original text is in the public domain. The Japanese is a machine-assisted translation of this library’s own Chinese paraphrase, checked against a fixed glossary so that technical terms match the definitions used elsewhere on this site. It is a reading aid and does not replace the original.