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閔公

战国 · 公羊高 · 第11巻 / 44

閔公(經一一)元年

閔公(経一一)元年

春,王正月。

春、周暦の正月。

(傳)公何以不言即位?繼弒君不言即位。孰繼?繼子般也。孰弒子般?慶父也。殺公子牙,今將爾,季子不免。慶父弒君,何以不誅?將而不免遏惡也。既而不可及,因獄有所歸,不探其情而誅焉,親親之道也。惡乎歸獄?歸獄僕人鄧扈樂。曷為歸獄僕人鄧扈樂?莊公存之時,樂曾淫於宮中,子般執而鞭之。莊公死,慶父謂樂曰:「般之辱爾,國人莫不知,盍弒之矣?」使弒子般,然後誅鄧扈樂而歸獄焉,季子至而不變也。

(伝)なぜ閔公の「即位」を書かないのか。弑された君の後に続く者は、即位を書かない。続くのは誰か。続くのは子般である。誰が子般を弑したのか。慶父である。公子牙を殺したのは、その時ただ将にそうせんとしたのみであったが、季子は彼を放さなかった。慶父が君を弑したのに、なぜ誅しないのか。将にするを放さないのは悪を遏止することで、すでに成れば及ばない。そこで罪案に落ち着きどころをつけ、実情を究めずそれによって処した。これは親を愛する道である。罪案はどこに落ちたのか。僕人の鄧扈楽に落ちた。なぜ僕人の鄧扈楽に落ちたのか。荘公がまだ在世のとき、楽はかつて宮中で淫乱し、子般が彼を捕えて鞭打った。荘公が死ぬと、慶父は楽に言った、「般はおまえを辱め、国人に知らぬ者はない。どうして彼を弑さないのか」。彼に子般を弑させて、それから鄧扈楽を誅殺し、罪案を彼に帰した。季子が至っても、またその説を変えなかった。

(經一二)齊人救邢。夏,六月辛酉,葬我君莊公。

(経一二)斉人が邢を救った。夏六月辛酉、我が魯国の君荘公を葬った。

(經一三)秋,八月,公及齊侯盟於洛姑。季子來歸。

(経一三)秋八月、閔公が斉侯と洛姑で盟した。季子が帰って来た。

(傳)其稱季子何?賢也。其言來歸何?喜之也。

(伝)「季子」と称するのはなぜか。賢だからである。なぜ「来帰」と書いたのか。彼を喜んだのである。

(經一四)冬,齊仲孫來。

(経一四)冬、斉の仲孫が来た。

(傳)齊仲孫者何?公子慶父也。公子慶父,則曷為謂之齊仲孫?系之齊也。曷為系之齊?外之也。曷為外之?春秋為尊者諱,為親者諱,為賢者諱。子女子曰:「以『春秋』為《春秋》,齊無仲孫,其諸吾仲孫與?」

(伝)斉の仲孫とは何者か。公子慶父である。公子慶父なのに、なぜ斉仲孫と言うのか。彼を斉に係属させたのである。なぜ斉に係属させたのか。彼を外人としたのである。なぜ外人としたのか。《春秋》は尊者のために隠し、親者のために隠し、賢者のために隠す。子女子曰く、「《春秋》の書き方をもって《春秋》を見れば、斉に仲孫はなく、これはおそらく我らの仲孫であろう」。

閔公(經二一)二年

閔公(経二一)二年

春,王正月,齊人遷陽。

春、周暦の正月、斉人が陽を遷した。

(經二二)夏,五月乙酉,吉禘於莊公。

(経二二)夏五月乙酉、荘公に吉禘を行った。

(傳)其言吉何?言吉者,未可以吉也。曷為未可以吉?未三年也。三年矣,曷為謂之未三年?三年之喪,實以二十五月。其言於莊公何?未可以稱宮廟也。曷為未可以稱宮廟?在三年之中矣。吉禘於莊公,何以書?譏。何譏爾?譏始不三年也。

(伝)なぜ「吉」と書いたのか。「吉」と書くのは、まだ吉とすべきでないことを言う。なぜまだ吉とすべきでないのか。まだ三年に満たない。すでに三年なのに、なぜまだ三年に満たないと言うのか。三年の喪は、実は二十五月である。なぜ「于荘公」と書いたのか。まだ宮廟と称すべきでない。なぜまだ宮廟と称すべきでないのか。なお三年の中にいるからである。荘公に吉禘を行ったのに、なぜ記したのか。譏刺である。何を譏刺したのか。ここから三年に満たないことを譏刺したのである。

(經二三)秋,八月辛丑,公薨。

(経二三)秋八月辛丑、閔公が薨じた。

(傳)公薨何以不地?隱之也。何隱爾?弒也。孰弒之?慶父也。殺公子牙,今將爾,季子不免。慶父弒二君,何以不誅?將而不免,遏惡也;既而不可及,緩追逸賊,親親之道也。

(伝)閔公が薨じたのに、なぜ地を記さないのか。彼を哀れんだのである。何を哀れんだのか。彼は弑されたのである。誰が弑したのか。慶父である。公子牙を殺したのは、その時ただ将にそうせんとしたのみであったが、季子は彼を放さなかった。慶父が二君を弑したのに、なぜ誅しないのか。将にするを放さないのは悪を遏止することで、すでに成れば及ばない。追捕を緩め、逃げる賊を走らせる。これは親を愛する道である。

(經二四)九月,夫人姜氏孫於邾婁。

(経二四)九月、夫人姜氏が邾婁に逃げた。

(經二五)公子慶父出奔莒。

(経二五)公子慶父が莒に出奔した。

(經二六)冬,齊高子來盟。

(経二六)冬、斉の高子が来て盟した。

(傳)高子者何?齊大夫也。何以不稱使?我無君也。然則何以不名?喜之也。何喜爾?正我也。其正我奈何?莊公死,子般弒,閔公弒,比三君死,曠年無君。設以齊取魯,曾不興師,徒以言而已矣。桓公使高子將南陽之甲,立僖公而城魯,或曰自鹿門至於爭門者是也,或曰自爭門至於吏門者是也。魯人至今以為美談,曰:「猶望高子也。」

(伝)高子とは何者か。斉の大夫である。なぜ「使」と称しないのか。我が魯国に君がいなかったからである。ではなぜ名を称しないのか。彼を喜んだのである。何を喜んだのか。彼が来て我が魯国を匡正した。どのように匡正したのか。荘公が死に、子般が弑され、閔公が弑され、続けて三君が死に、通年君がいなかった。もし斉が魯を取らんとすれば、師を興すまでもなく、ただ一言で足りたであろう。桓公は高子に南陽の甲士を率いさせ、僖公を立て、魯のために城を築いた。ある者は鹿門から争門までがこれだと言い、ある者は争門から吏門までがこれだと言う。魯人は今日に至るまで美談として、「なお高子を望んでいる」と言う。

(經二七)十有二月,狄入衛。鄭棄其師。

(経二七)十二月、狄が衛に入った。鄭がその師を棄てた。

(傳)鄭棄其師者何?惡其將也。鄭伯惡高克,使之將逐而不納,棄師之道也。

(伝)「鄭棄其師」とは何か。その将を憎むことである。鄭伯は高克を憎み、彼に兵を率いさせ、逐い去ってなお納れない。これが師を棄てるということである。

僖公

僖公(經一一)元年

僖公(経一一)元年

春,王正月。

春、周暦の正月。

(傳)公何以不言即位?繼弒君,子不言即位。此非子也,其稱子何?臣、子一例也。

(伝)なぜ僖公の「即位」を書かないのか。弑された君の後を継ぐ場合、子は即位と書かない。この人は子ではないのに、なぜ子と称するのか。臣と子は同一の例によるのである。

(經一二)齊師、宋師、曹師次於聶北,救邢。

(経一二)斉の軍隊・宋の軍隊・曹の軍隊が聶北に驻屯して、邢を救った。

(傳)救不言次,此其言次何?不及事也。不及事者何?邢已亡矣。孰亡之?蓋狄滅之。曷為不言狄滅之?為桓公諱也。曷為為桓公諱?上無天子,下無方伯,天下諸侯有相滅亡者,桓公不能救,則桓公恥之。曷為先言次而後言救?君也。君則其稱師何?不與諸侯專封也。曷為不與?實與而文不與。文曷為不與?諸侯之義不得專封也。諸侯之義不得專封,則其曰實與之何?上無天子,下無方伯,天下諸侯有相滅亡者,力能救之,則救之可也。

(伝)救うのに「次」(驻屯)とは書かないのに、ここで「次」と書くのはなぜか。事に間に合わなかったからである。事に間に合わなかったとはどういうことか。邢はすでに亡んでいた。誰が亡ぼしたのか。おそらく狄が滅ぼしたのである。なぜ狄が滅ぼしたと書かないのか。桓公のために諱んだのである。なぜ桓公のために諱むのか。上に天子なく、下に方伯なく、天下の諸侯に互いに滅ぼし合う者があり、桓公が救えなければ、桓公はそれを恥としたのである。なぜ先に「次」と言い、後に「救」と言うのか。君が率いていたからである。君ならばなぜ「師」と称するのか。諸侯が勝手に国を封じることを是としないからである。なぜ是としないのか。実は是としながら、文の上では是としないのである。文の上でなぜ是としないのか。諸侯の義として勝手に封じることは許されないからである。許されないのなら、なぜ実は是とすると言うのか。上に天子なく、下に方伯なく、天下の諸侯に互いに滅ぼし合う者があるとき、力をもって救えるならば、救うのはよいことだからである。

(經一三)夏,六月,邢遷於陳儀。

(経一三)夏の六月、邢は陳儀に迁った。

(傳)遷者何?其意也。遷之者何?非其意也。

(伝)「迁」とはどういうことか。自分の意思によるものである。「迁之」とはどういうことか。自分の意思によるものではない。

(經一四)齊師、宋師、曹師城邢。

(経一四)斉の軍隊・宋の軍隊・曹の軍隊が邢に城を築いた。

(傳)此一事也,曷為復言齊師、宋師、曹師?不復言師,則無以知其為一事也。

(伝)これは同一の事なのに、なぜ再び斉師・宋師・曹師と言うのか。再び「師」と言わなければ、それが同一の事であることを知る由もないからである。

(經一五)秋,七月戊辰,夫人姜氏薨於夷,齊人以歸。

(経一五)秋の七月戊辰、夫人姜氏が夷で薨じ、斉人が彼女を連れて帰った。

(傳)夷者何?齊地也。齊地,則其言齊人以歸何?夫人薨於夷,則齊人以歸。夫人薨於夷,則齊人曷為以歸?桓公召而縊殺之。

(伝)夷とは何か。斉の地である。斉の地ならば、なぜ「斉人以帰」と言うのか。夫人が夷で薨じたので、斉人が彼女を連れて帰ったのである。夫人が夷で薨じたのに、斉人はなぜ連れて帰ったのか。桓公が彼女を召して、縊り殺したのである。

(經一六)楚人伐鄭。八月,公會齊侯、宋公、鄭伯、曹伯、邾婁人於朾。九月,公敗邾婁師於纓。

(経一六)楚人が鄭を攻めた。八月、僖公は朾で斉侯・宋公・鄭伯・曹伯・邾婁人と会した。九月、僖公は纓で邾婁の軍隊を破った。

(經一七)冬,十月壬午,公子友帥師,敗莒師於犁,獲莒挐。

(経一七)冬の十月壬午、公子友が軍隊を率い、犁で莒の軍隊を破り、莒挐を捕らえた。

(傳)莒挐者何?莒大夫也。莒無大夫,此何以書?大季子之獲也。何大乎季子之獲?季子治內難以正,御外難以正。其御外難以正奈何?公子慶父弒閔公,走而之莒,莒人逐之,將由乎齊,齊人不納,卻反舍於汶水之上,使公子奚斯入請。季子曰:「公子不可以入,入則殺矣!」奚斯不忍反命於慶父,自南涘,北面而哭。慶父聞之曰:「嘻!此奚斯之聲也,諾已。」曰:「吾不得入矣!」於是抗輈經而死。莒人聞之曰:「吾已得子之賊矣!」以求賂乎魯。魯人不與,為是興師而伐魯,季子待之以偏戰。

(伝)莒挐とは何人か。莒の大夫である。莒に大夫はいないのに、ここでなぜ書くのか。季子の捕獲を大きく書いたのである。なぜ季子の捕獲を大きく書くのか。季子は正しい道をもって国内の禍難を治め、また正しい道をもって外の禍難を防いだ。彼がどのように正しい道で外の禍難を防いだのか。公子慶父が閔公を弑して莒に逃げ、莒人は彼を逐い、斉から出ようとしたが、斉人は受け入れず、退けて返し汶水のほとりに舍わせ、公子奚斯を入れて請わせた。季子は言った。「公子は入ってはならない。入れば殺す!」奚斯は慶父に復命するに忍びず、南の岸から北面して哭いた。慶父はこれを聞いて言った。「ああ、これは奚斯の声だ。もうだめだ。」また言った。「吾は入ることができない!」こうして車轅に寄りかかって縊れて死んだ。莒人はこれを聞いて言った。「吾らはすでにそなたたちの賊を得た!」魯に賄賂を求めた。魯人は与えず、このため軍を興して魯を伐ち、季子は約期の戦いをもってこれに対したのである。

(經一八)十有二月丁巳,夫人氏之喪至自齊。

(経一八)十二月丁巳、夫人氏の棺が斉から到着した。

(傳)夫人何以不稱姜氏?貶。曷為貶?與弒公也。然則曷為不於弒焉貶?貶必於其重者,莫重乎其以喪至也。

(伝)夫人はなぜ姜氏と称さないのか。貶めたのである。なぜ貶めるのか。閔公の弑に与ったからである。然らばなぜ弑の時に貶めないのか。貶めるのは必ずその最も重いところで行う。棺が至ることより重いものはないからである。

僖公(經二一)二年

僖公(経二一)二年

春,王正月,城楚丘。

春、周暦の正月、楚丘に城を築いた。

(傳)孰城之?城衛也。曷為不言城衛?滅也。孰滅之?蓋狄滅之。曷為不言狄滅之?為桓公諱也。曷為為桓公諱?上無天子,下無方伯,天下諸侯有相滅亡者,桓公不能救,則桓公恥之也。然則孰城之?桓公城之。曷為不言桓公城之?不與諸侯專封也。曷為不與?實與而文不與。文曷為不與?諸侯之義,不得專封。諸侯之義不得專封,則其曰實與之何?上無天子,下無方伯,天下諸侯有相滅亡者,力能救之,則救之可也。

(伝)誰が築いたのか。衛のために城を築いたのである。なぜ「城衛」と言わないのか。衛は滅びていたからである。誰が滅ぼしたのか。おそらく狄が滅ぼしたのである。なぜ狄が滅ぼしたと言わないのか。桓公のために諱んだのである。なぜ桓公のために諱むのか。上に天子なく、下に方伯なく、天下の諸侯に互いに滅ぼし合う者があり、桓公が救えなければ、桓公はそれを恥としたのである。然らば誰が築いたのか。桓公が築いたのである。なぜ桓公が築いたと言わないのか。諸侯が勝手に国を封じることを是としないからである。なぜ是としないのか。実は是としながら、文の上では是としないのである。文の上でなぜ是としないのか。諸侯の義として勝手に封じることは許されないからである。許されないのなら、なぜ実は是とすると言うのか。上に天子なく、下に方伯なく、天下の諸侯に互いに滅ぼし合う者があるとき、力をもって救えるならば、救うのはよいことだからである。

(經二二)夏,五月辛巳,葬我小君哀姜。

(経二二)夏の五月辛巳、わが魯の小君哀姜を葬った。

(傳)哀姜者何?莊公之夫人也。

(伝)哀姜とは何人か。荘公の夫人である。

(經二三)虞師、晉師滅夏陽。

(経二三)虞の軍隊・晋の軍隊が夏陽を滅ぼした。

(傳)虞,微國也,曷為序乎大國之上?使虞首惡也。曷為使虞首惡?虞受賂,假滅國者道,以取亡焉。其受賂奈何?獻公朝諸大夫而問焉,曰:「寡人夜者寢而不寐,其意也何?」諸大夫有進對者曰:「寢不安與?其諸侍御有不在側者與?」獻公不應。荀息進曰:「虞郭見與?」獻公揖而進之,遂與之入而謀曰:「吾欲攻郭,則虞救之;攻虞,則郭救之,如之何?願與子慮之。」荀息對曰:「君若用臣之謀,則今日取郭,而明日取虞爾,君何憂焉?」獻公曰:「然則奈何?」荀息曰:「請以屈產之乘與垂棘之白璧,往必可得也。則寶出之內藏,藏之外府;馬出之內廄,系之外廄爾,君何喪焉?」獻公曰:「諾。雖然,宮之奇存焉,如之何?」荀息曰:「宮之奇知則知矣!雖然,虞公貪而好寶,見寶必不從其言,請終以往。」於是終以往,虞公見寶許諾。宮之奇果諫:「記曰:『唇亡則齒寒。』虞、郭之相救,非相為賜,則晉今日取郭,而明日虞從而亡爾。君請勿許也。」虞公不從其言,終假之道以取郭。還,四年,反取虞。虞公抱寶牽馬而至。荀息見曰:「臣之謀何如?」獻公曰:「子之謀則已行矣,寶則吾寶也,雖然,吾馬之齒亦已長矣!」蓋戲之也。夏陽者何?郭之邑也。曷為不繫於郭?國之也。曷為國之?君存焉爾。

(伝)虞は小国なのに、なぜ大国の上に序列するのか。虞を首悪としたのである。なぜ虞を首悪とするのか。虞は賄賂を受けて、国を滅ぼす者に道を貸し、そのため自らも亡んだのである。彼はどのように賄賂を受けたのか。献公が大夫たちを朝見して問うた。「寡人が夜寝て眠れないのは、どういうことか。」大夫が進んで対えた。「寝て安らかでないのですか。それとも侍する者がそばにいないのですか。」献公は答えなかった。荀息が進んで言った。「虞と郭をご覧になったのではありませんか。」献公は揖して彼を請い入れ、ついに彼とともに入って謀り、言った。「吾は郭を攻めたいが、虞が救うであろう。虞を攻めれば郭が救う。どうすればよいか。そなたとともに考えたい。」荀息が対えた。「君王が臣の計を用いられれば、今日郭を取り、明日虞を取れます。君王は何を憂えられますか。」献公は言った。「然らばどうすればよいか。」荀息は言った。「屈の地の産する馬と垂棘の白璧をもって、これを送れば必ず得られます。宝物は内庫から出しても、外の府库に藏するに過ぎません。馬は内厩から出しても、外の馬厩に繋ぐに過ぎません。君王は何を失いましょうか。」献公は言った。「よし。然りと雖も、宮之奇がまだいる。どうするか。」荀息は言った。「宮之奇は聡いには聡い!然りと雖も、虞公は貪欲で宝を愛します。宝物を見れば必ず彼の言を聴きません。どうか固く送り続けてください。」こうして遂に送り、虞公は宝物を見て許した。宮之奇は果たして諫めた。「古の記に言います。『唇亡びて歯寒し。』虞と郭は互いに救い合うのであって、互いに賞賜し合うのではありません。然らば晋が今日郭を取れば、明日虞もこれに従って亡びます。どうか君王はお許しなさいませんように。」虞公は聴かず、遂に道を貸して晋に郭を取らせた。帰って、四年を過ぎてから、回師して虞を取った。虞公は宝物を抱え馬を牽いて来た。荀息はこれを見て言った。「臣の計はいかがでしたか。」献公は言った。「そなたの計はすでに行われた。宝物は依然として吾の宝物である。然りと雖も、吾の馬は年もすでに老いた!」おそらく彼と戯れたのである。夏陽とは何か。郭の邑である。なぜ郭の名下に繋げないのか。それを一国として扱ったのである。なぜ一国として扱うのか。そこに国君がいたからである。

(經二四)秋,九月,齊侯、宋公、江人、黃人盟於貫澤。(傳)江人、黃人者何?遠國之辭也。遠國至矣,則中國曷為獨言齊、宋至爾?大國言齊、宋,遠國言江、黃,則以其餘為莫敢不至也。

(経二四)秋の九月、斉侯・宋公・江人・黄人が貫沢で盟した。(伝)江人・黄人とは何か。遠国の辞である。遠国まで至ったのに、なぜ中国は斉・宋だけが至ったと言うのか。大国は斉・宋を言い、遠国は江・黄を言えば、それ以外の者は敢えて至らない者がないことを示すのである。

(經二五)冬,十月,不雨。

(経二五)冬の十月、雨が降らなかった。

(傳)何以書?記異也。(經二六)楚人侵鄭。

(伝)なぜ書くのか。異常を記したのである。(経二六)楚人が鄭に侵入した。

僖公(經三一)三年

僖公(経三一)三年

春,王正月,不雨。

春、周暦の正月、雨が降らなかった。

(經三二)夏,四月,不雨。

(経三二)夏の四月、雨が降らなかった。

(傳)何以書?記異也。

(伝)なぜ書くのか。異常を記したのである。

(經三三)徐人取舒。

(経三三)徐人が舒を取った。

(傳)其言取之何?易也。

(伝)なぜ「取之」と言うのか。容易だったからである。

(經三四)六月,雨。

(経三四)六月、雨が降った。

(傳)其言六月雨何?上雨而不甚也。

(伝)なぜ「六月雨」と言うのか。以前雨は降ったが、十分ではなかったのである。

(經三五)秋,齊侯、宋公、江人、黃人會於陽穀。

(経三五)秋、斉侯・宋公・江人・黄人が陽穀で会した。

(傳)此大會也,曷為末言爾?桓公曰:「無障谷,無貯粟,無易樹子,無以妾為妻。」

(伝)これは大会なのに、なぜ盟辞を書かないのか。桓公が言った。「谷を障塞するなかれ、粟を貯蔵するなかれ、立てた嫡子を易えるなかれ、妾をもって妻とするなかれ。」

(經三六)冬,公子友如齊蒞盟。

(経三六)冬、公子友が斉に行って莅盟した。

(傳)蒞盟者何?往盟乎彼也。其言來盟者何?來盟於我也。(經三七)楚人伐鄭。

(伝)「莅盟」とは何か。彼のところに往って盟することである。「来盟」と言うのは何か。こちらに来て我と盟することである。(経三七)楚人が鄭を攻めた。

僖公(經四一)四年

僖公(経四一)四年

春,王正月,公會齊侯、宋公、陳侯、衛侯、鄭伯、許男、曹伯侵蔡,蔡潰。

春、周暦の正月、僖公は斉侯・宋公・陳侯・衛侯・鄭伯・許男・曹伯と会して蔡に侵入し、蔡は潰散した。

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