荘公
(傳)齊高傒者何?貴大夫也。曷為就吾微者而盟?公也。公則曷為不言公?諱與大夫盟也。
(伝)斉の高傒とは何者か。貴い大夫である。なぜ我が魯国の微しい者に就いて盟したのか。実は荘公である。荘公なら、なぜ「公」と書かないのか。大夫と盟することを隠したのである。
(經二二六)冬,公如齊納幣。
(経二二六)冬、荘公が斉に行って聘の礼を納めた。
(傳)納幣不書,此何以書?譏。何譏爾?親納幣,非禮也。
(伝)聘の礼を納めるのは例によって記さないのに、ここではなぜ記したのか。譏刺である。何を譏刺したのか。自ら聘の礼を納めるのは礼ではない。
莊公(經二三一)二十有三年
荘公(経二三一)二十有三年
春,公至自齊。
春、荘公が斉から帰った。
(傳)桓之盟不日,其會不致,信之也;此之桓國何以致?危之也。何危爾?公一陳佗也。
(伝)桓公の盟は日を記さず、彼の会は帰国を書かない。彼を信頼したのである。今回桓公の国に行ったのに、なぜ帰国を書いたのか。彼を危ぶんだのである。何を危ぶんだのか。荘公はもう一人の陳佗のようだからである。
(經二三二)蔡叔來聘。
(経二三二)蔡叔が来て聘した。
(經二三三)夏,公如齊觀社。
(経二三三)夏、荘公が斉に行って社を観た。
(傳)何以書?譏。何譏爾?諸侯越竟觀社,非禮也。
(伝)なぜ記したのか。譏刺である。何を譏刺したのか。諸侯が国境を越えて社祭を観るのは礼ではない。
(經二三四)公至自齊。
(経二三四)荘公が斉から帰った。
(經二三五)荊人來聘。
(経二三五)荊人が来て聘した。
(傳)荊何以稱人?始能聘也。
(伝)荊はなぜ「人」と称するのか。彼が初めて聘に来ることができたからである。
(經二三六)公及齊侯遇於谷。蕭叔朝公。
(経二三六)荘公が斉侯と穀で遇った。蕭叔が荘公を朝見した。
(傳)其言朝公何?公在外也。
(伝)なぜ「朝公」と書いたのか。荘公が外にいたからである。
(經二三七)秋,丹桓宮楹。
(経二三七)秋、桓公廟の楹を丹で塗った。
(傳)何以書?譏。何譏爾?丹桓宮楹,非禮也。
(伝)なぜ記したのか。譏刺である。何を譏刺したのか。桓公廟の楹を丹で塗るのは礼ではない。
(經二三八)冬,十有一月,曹伯射姑卒。
(経二三八)冬十一月、曹伯射姑が卒した。
(經二三九)十有二月甲寅,公會齊侯盟於扈。
(経二三九)十二月甲寅、荘公が斉侯に会い、扈で盟した。
(傳)桓之盟不日,此何以日?危之也。何危爾?我貳也。魯子曰:「我貳者,非彼然,我然也。」
(伝)桓公の盟は日を記さないのに、ここではなぜ日を記したのか。彼を危ぶんだのである。何を危ぶんだのか。我が魯国に二心があった。魯子曰く、「二心とは、相手がそうするのではなく、我らがそうするのである」。
莊公(經二四一)二十有四年
荘公(経二四一)二十有四年
春,王三月,刻桓宮桷。
春、周暦の三月、桓公廟の桷を刻んだ。
(傳)何以書?譏。何譏爾?刻桓宮桷,非禮也。
(伝)なぜ記したのか。譏刺である。何を譏刺したのか。桓公廟の桷を刻むのは礼ではない。
(經二四二)葬曹莊公。
(経二四二)曹荘公を葬った。
(經二四三)夏,公如齊逆女。
(経二四三)夏、荘公が斉に行って女を迎えた。
(傳)何以書?親迎禮也。
(伝)なぜ記したのか。自ら迎えるのは礼にかなう。
(經二四四)秋,公至自齊。八月丁丑,夫人姜氏入。
(経二四四)秋、荘公が斉から帰った。八月丁丑、夫人姜氏が入った。
(傳)其言入何?難也。其言日何?難也。其難奈何?夫人不僂不可使入;與公有所約,然後入。
(伝)なぜ「入」と書いたのか。この事が難しかったからである。なぜ日を記したのか。この事が難しかったからである。どう難しかったのか。夫人が屈従しようとせず、彼女を入れる術がなかった。荘公と約束があって、それから入ったのである。
(經二四五)戊寅,大夫、宗婦覿用幣。
(経二四五)戊寅、大夫・宗婦が進見し、幣を用いた。
(傳)宗婦者何?大夫之妻也。覿者何?見也。用者何?用者不宜用也;見用幣,非禮也。然則曷用?棗、栗云乎!腶、修云乎!
(伝)宗婦とは何者か。大夫の妻である。「覿」とは何か。進見である。「用」とは何か。「用」の字は、用いるべきでないことを示す。進見に幣を用いるのは礼ではない。では何を用いるべきか。棗・栗の類、腶・脩の類である。
(經二四六)大水。
(経二四六)大水があった。
(經二四七)冬,戎侵曹,曹羈出奔陳。
(経二四七)冬、戎が曹に侵め入り、曹羈は陳に逃げた。
(傳)曹羈者何?曹大夫也。曹無大夫,此何以書?賢也。何賢乎曹羈?戎將侵曹,曹羈諫曰:「戎眾以無義,君請勿自敵也。」曹伯曰:「不可。」三諫,不從,遂去之,故君子以為得君臣之義也。
(伝)曹羈とは何者か。曹の大夫である。曹に大夫はいないのに、ここではなぜ記したのか。賢だからである。曹羈はどこが賢なのか。戎が曹に侵め入らんとしたとき、曹羈は諫めて曰く、「戎は多く、また義を解しない。国君は自ら敵に当たらないでください」。曹伯曰く、「いけない」。三度諫めても聴かず、ついに去った。ゆえに君子は彼が君臣の義を得たと思ったのである。
(經二四八)赤歸於曹郭公。
(経二四八)赤が曹に帰った。郭公。
(傳)赤者何?曹無赤者,蓋郭公也。郭公者何?失地之君也。
(伝)赤とは何者か。曹に赤という者はいない。おそらく郭公であろう。郭公とは何者か。地を失った国君である。
莊公(經二五一)二十有五年
荘公(経二五一)二十有五年
春,陳侯使女叔來聘。
春、陳侯が女叔を遣わして聘に来た。
(經二五二)夏,五月癸丑,衛侯朔卒。
(経二五二)夏五月癸丑、衛侯朔が卒した。
(經二五三)六月辛未朔,日有食之,鼓、用牲於社。
(経二五三)六月辛未朔、日食があり、鼓を撃ち、牲を用いて社に祭った。
(傳)食之則曷為鼓、用牲於社?求乎陰之道也,以朱絲營社,或曰脅之,或曰闇之,恐人犯之,故營之。
(伝)日食のとき、なぜ鼓を撃ち、牲を用いて社に祭ったのか。これは陰に求請する方法で、朱絲をもって社を縈った。ある者はそれを脅したと言い、ある者はそれを暗くして、人が犯すのを恐れて縈ったと言う。
(經二五四)伯姬歸於杞。
(経二五四)伯姫が杞に嫁いだ。
(經二五五)秋,大水,鼓、用牲於社於門。
(経二五五)秋、大水があり、鼓を撃ち、牲を用いて社と門に祭った。
(傳)其言於社於門何?於社,禮也;於門,非禮也。
(伝)なぜ「于社于門」と書いたのか。社は礼にかなうが、門は礼ではない。
(經二五六)冬,公子友如陳。
(経二五六)冬、公子友が陳に行った。
莊公(經二六一)二十有六年
荘公(経二六一)二十有六年
春,公伐戎。
春、荘公が戎を伐った。
(經二六二)夏,公至自伐戎。
(経二六二)夏、荘公が戎を伐った軍から帰った。
(經二六三)曹殺其大夫。
(経二六三)曹がその大夫を殺した。
(傳)何以不名?眾也。曷為眾殺之?不死於曹君者也。君死乎位曰滅,曷為不言其滅?為曹羈諱也。此蓋戰也,何以不言戰?為曹羈諱也。
(伝)なぜ名を称しないのか。人が多いからである。衆はなぜ彼らを殺したのか。彼らが曹の国君のために死ななかったからである。国君が位で死ぬのを「滅」と言うのに、なぜ滅と書かないのか。曹羈のために隠したのである。これはおそらく戦なのに、なぜ戦と書かないのか。これも曹羈のために隠したのである。
(經二六四)秋,公會宋人、齊人伐徐。
(経二六四)秋、荘公が宋人・斉人と会して徐を伐った。
(經二六五)冬,十有二月癸亥朔,日有食之。
(経二六五)冬十二月癸亥朔、日食があった。
莊公(經二七一)二十有七年
荘公(経二七一)二十有七年
春,公會齊伯姬於洮。
春、荘公が洮で斉の伯姫に会った。
(經二七二)夏,六月,公會齊侯、宋公、陳侯、鄭伯,同盟於幽。
(経二七二)夏六月、荘公が斉侯・宋公・陳侯・鄭伯と会し、幽で同盟した。
(經二七三)秋,公子友如陳,葬原仲。
(経二七三)秋、公子友が陳に行き、原仲の葬に与った。
(傳)原仲者何?陳大夫也。大夫不書葬,此何以書?通乎季子之私行也。何通乎季子之私行?闢內難也。君子闢內難而不闢外難。內難者何?公子慶父、公子牙、公子友皆莊公之母弟也。公子慶父、公子牙通乎夫人以脅公,季子起而治之,則不得與於國政,坐而視之則親親。因不忍見也,故於是復請至於陳,而葬原仲也。
(伝)原仲とは何者か。陳の大夫である。大夫は葬を記さないのに、ここではなぜ記したのか。季子の私行に一路を通ずるためである。なぜ季子の私行に通ずるのか。国内の患難を避けるためである。君子は国内の患難は避けるが、国外の患難は避けない。国内の患難とは何か。公子慶父・公子牙・公子友はみな荘公の同母弟である。公子慶父・公子牙は夫人と私通して、荘公を脅迫し、季子が起ち上がってこれを治めようとすれば国政に与ることができず、坐して見ていれば、また親を愛するに忍びない。見るに忍びないので、再び陳に行って原仲を葬ることを請うたのである。
(經二七四)冬,杞伯姬來。
(経二七四)冬、杞伯姫が来た。
(傳)其言來何?直來曰來,大歸曰來歸。
(伝)なぜ「来」と書いたのか。普通の帰りを「来」と言い、遣られて娘家に帰るのを「来帰」と言う。
(經二七五)莒慶來逆叔姬。
(経二七五)莒慶が来て叔姫を迎えた。
(傳)莒慶者何?莒大夫也。莒無大夫,此何以書?譏。何譏爾?大夫越竟逆女,非禮也。
(伝)莒慶とは何者か。莒の大夫である。莒に大夫はいないのに、ここではなぜ記したのか。譏刺である。何を譏刺したのか。大夫が国境を越えて女を迎えるのは礼ではない。
(經二七六)杞伯來朝。
(経二七六)杞伯が来朝した。
