閔公
春,介葛盧來。
春、介葛盧が来た。
(傳)介葛盧者何?夷狄之君也。何以不言朝?不能乎朝也。
(伝)介葛盧とは何人か。夷狄の君である。なぜ「朝」と言わないのか。朝見の礼を行うことができないからである。
(經二九二)公至自圍許。
(経二九二)僖公は許を囲む軍から帰った。
(經二九三)夏,六月,公會王人、晉人、宋人、齊人、陳人、蔡人、秦人,盟於狄泉。
(経二九三)夏の六月、僖公は王人・晋人・宋人・斉人・陳人・蔡人・秦人と会し、狄泉で盟した。
(經二九四)秋,大雨雹。
(経二九四)秋、大いに雹が降った。
(經二九五)冬,介葛盧來。
(経二九五)冬、介葛盧が来た。
僖公(經三十一)三十年
僖公(経三十一)三十年
春,王正月。
春、周暦の正月。
(經三十二)夏,狄侵齊。
(経三十二)夏、狄が斉に侵入した。
(經三十三)秋,衛殺其大夫元咺及公子瑕。
(経三十三)秋、衛がその大夫元咺および公子瑕を殺した。
(傳)衛侯未至,其稱國以殺何?道殺也。
(伝)衛侯がまだ至っていないのに、なぜ国を称して殺を書くのか。道で殺したのである。
(經三十四)衛侯鄭歸於衛。
(経三十四)衛侯鄭が衛に帰った。
(傳)此殺其大夫,其言歸何?歸惡乎元咺也。曷為歸惡乎元咺?元咺之事君也,君出則己入,君入則己出,以為不臣也。
(伝)これは大夫を殺したのに、なぜ「帰」と言うのか。悪を元咺に帰したのである。なぜ悪を元咺に帰すのか。元咺が君に事えるや、君が出れば己は入り、君が入れば己は出て、臣らしくないとされたのである。
(經三十五)晉人、秦人圍鄭。
(経三十五)晋人・秦人が鄭を囲んだ。
(經三十六)介人侵蕭。
(経三十六)介人が蕭に侵入した。
(經三十七)冬,天王使宰周公來聘。
(経三十七)冬、天子が宰周公を遣わして聘問に来させた。
(經三十八)公子遂如京師,遂如晉。
(経三十八)公子遂が京師に行き、続いて晋に行った。
(傳)大夫無遂事,此其言遂何?公不得為政爾。
(伝)大夫には「遂」する事はないのに、ここで「遂」と言うのはなぜか。僖公が政を執ることができなかっただけである。
僖公(經三一一)三十有一年
僖公(経三一一)三十有一年
春,取濟西田。
春、済水の西の田を取った。
(傳)惡乎取之?取之曹也。曷為不言取之曹?諱取同姓之田也。此未有伐曹者,則其言取之曹何?晉侯執曹伯,班其所取侵地於諸侯也。晉侯執曹伯,班其所取侵地於諸侯,則何諱乎取同姓之田?久也。
(伝)どこから取ったのか。曹から取ったのである。なぜ曹から取ったと言わないのか。同姓の田を取ることを諱んだのである。ここに曹を伐つ者はいないのに、曹から取ったと言うのはなぜか。晋侯が曹伯を捕らえ、その取った侵地を諸侯に班したのである。晋侯が曹伯を捕らえ、侵地を諸侯に班したのなら、なぜ同姓の田を取ることを諱むのか。時がすでに久しいからである。
(經三一二)公子遂如晉。夏,四月,四卜郊不從,乃免牲,猶三望。
(経三一二)公子遂が晋に行った。夏の四月、四度郊祭を卜して従わず、乃ち牲を免ぜたが、依然として三望を行った。
(傳)曷為或言三卜?或言四卜?三卜,禮也;四卜,非禮也。三卜何以禮?四卜何以非禮?求吉之道三。禘、嘗不卜,郊何以卜?卜郊,非禮也。卜郊何以非禮?魯郊,非禮也。魯郊何以非禮?天子祭天,諸侯祭土。天子有方望之事,無所不通。諸侯山川有不在其封內者,則不祭也。曷為或言免牲?或言免牛?免牲,禮也;免牛,非禮也。免牛何以非禮?傷者曰牛。三望者何?望祭也。然則曷祭?祭泰山、河海。曷為祭泰山、河海?山川有能潤於百里者,天子秩而祭之。觸石而出,膚寸而合,不崇朝而遍雨乎天下者,唯泰山爾。河海潤於千里。猶者何?通可以已也。何以書?譏不郊而望祭也。
(伝)なぜあるいは「三卜」と言い、あるいは「四卜」と言うのか。三卜は礼に合い、四卜は礼に合わない。三卜はなぜ礼に合うのか。四卜はなぜ礼に合わないのか。吉を求める道は三をもって限りとする。禘・嘗は卜しないのに、郊はなぜ卜するのか。郊を卜するのは礼に合わない。郊を卜するのはなぜ礼に合わないのか。魯の郊はもともと礼に合わない。魯の郊はなぜ礼に合わないのか。天子は天を祭り、諸侯は土を祭る。天子には四方の望祭の事があり、通じない所はない。諸侯の山川でその封内にないものは祭らない。「免牲」と「免牛」はなぜ二つの書き方があるのか。免牲は礼に合い、免牛は礼に合わない。免牛はなぜ礼に合わないのか。傷ついたものを「牛」と言うからである。三望とは何か。望祭である。然らば何を祭るのか。泰山・河・海を祭る。なぜ泰山・河・海を祭るのか。山川に百里を潤すこと能くするものあれば、天子は等次をもってこれを祭る。石に触れて出で、肤寸にして合し、崇朝を待たずして天下に遍く雨を降らすものは、泰山のみである。河・海は千里を潤す。「猶」とは何か。みなもとより已めることができるということである。なぜ書くのか。郊を行わずして望祭するのを譏ったのである。
(經三一三)秋,七月。
(経三一三)秋の七月。
(經三一四)冬,杞伯姬來求婦。
(経三一四)冬、杞伯姫が婦を求めに来た。
(傳)其言來求婦何?兄弟辭也。其稱婦何?有姑之辭也。
(伝)「来求婦」と言うのは何か。兄弟の辞である。なぜ「婦」と称するのか。姑のある辞である。
(經三一五)狄圍衛。
(経三一五)狄が衛を囲んだ。
(經三一六)十有二月,衛遷於帝丘。
(経三一六)十二月、衛は帝丘に迁った。
僖公(經三二一)三十有二年
僖公(経三二一)三十有二年
春,王正月。
春、周暦の正月。
(經三二二)夏,四月己丑,鄭伯接卒。
(経三二二)夏の四月己丑、鄭伯接が卒した。
(經三二三)衛人侵狄。
(経三二三)衛人が狄に侵入した。
(經三二四)秋,衛人及狄盟。
(経三二四)秋、衛人が狄と盟した。
(經三二五)冬,十有二月己卯,晉侯重耳卒。
(経三二五)冬の十二月己卯、晋侯重耳が卒した。
僖公(經三三一)三十有三年
僖公(経三三一)三十有三年
春,王二月,秦人入滑。齊侯使國歸父來聘。
春、周暦の二月、秦人が滑に入った。斉侯が国帰父を遣わして聘問に来させた。
(經三三二)夏,四月辛巳,晉人及姜戎敗秦於殽。
(経三三二)夏の四月辛巳、晋人および姜戎が殽で秦を破った。
(傳)其謂之秦何?夷狄之也。曷為夷狄之?秦伯將襲鄭,百里子與蹇叔子諫曰:「千里而襲人,未有不亡者也。」秦伯怒曰:「若爾之年者,宰上之木拱矣,爾曷知!」師出,百里子與蹇叔子送其子而戒之曰:「爾即死,必於殽之嶔巖,是文王之所闢風雨者也,吾將屍爾焉。」子揖師而行。百里子與蹇叔子從其子而哭之。秦伯怒曰:「爾曷為哭吾師?」對曰:「臣非敢哭君師,哭臣之子也。」弦高者,鄭商也,遇之殽,矯以鄭伯之命而犒師焉,或曰往矣,或曰反矣。然而晉人與姜戎要之殽而擊之,匹馬輪無反者。其言及姜戎何?姜戎微也,稱人亦微者也。何言乎姜戎之微?先軫也,或曰襄公親之。襄公親之,則其稱人何?貶。曷為貶?君在乎殯而用師危,不得葬也。詐戰不日,此何以日?盡也。
(伝)なぜ「秦」と称して「秦人」と称さないのか。それを夷狄としたのである。なぜ夷狄とするのか。秦伯は将に鄭を襲わんとし、百里子と蹇叔子が諫めて曰く。「千里も行って人を襲うのに、亡びないことはありません。」秦伯は怒って曰く。「そなたたちの年のような者は、墓の上の木が両手で抱えるほどになっている。そなたたちが何を知るか!」軍が出発し、百里子と蹇叔子はその子を送って戒めて曰く。「そなたたちがもし死ぬなら、必ず殽の嶮巌で死ぬであろう。そこは文王が風雨を避けた所であり、吾はそこでそなたたちの屍を収めよう。」子は軍に揖して行った。百里子と蹇叔子はその子に従ってこれを哭いた。秦伯は怒って曰く。「そなたたちはなぜ吾の軍を哭くのか。」対えて曰く。「臣はあえて君の軍を哭しません。臣の子を哭するのです。」弦高は鄭の商人で、殽で彼らに遇い、鄭伯の命と偽って軍を労った。ある者は進もうと言い、ある者は帰ろうと言った。しかるに晋人と姜戎が殽で遮って撃ち、一馬一匹、一輪も帰らなかった。「及姜戎」と言うのは何か。姜戎は身分が微しく、「人」と称しても身分が微しい。なぜ姜戎を身分微しいと言うのか。実は先轸であり、一説には襄公自ら与ったともいう。襄公が自ら与ったなら、なぜ「人」と称するのか。貶めたのである。なぜ貶めるのか。君がまだ殯に在るのに兵を用いたのは、危険で、葬を得ないからである。約期のない戦いは例により日を記さないのに、ここでなぜ日を記すのか。殺し尽くしたからである。
(經三三三)癸巳,葬晉文公。
(経三三三)癸巳、晋文公を葬った。
(經三三四)狄侵齊。
(経三三四)狄が斉に侵入した。
(經三三五)公伐邾婁,取叢。
(経三三五)僖公が邾婁を伐ち、叢を取った。
(經三三六)秋,公子遂率師伐邾婁。
(経三三六)秋、公子遂が軍隊を率いて邾婁を伐った。
(經三三七)晉人敗狄於箕。
(経三三七)晋人が箕で狄を破った。
(經三三八)冬,十月,公如齊。
(経三三八)冬の十月、僖公は斉に行った。
(經三三九)十有二月,公至自齊。
(経三三九)十二月、僖公は斉から帰った。
(經三三十)乙巳,公薨於小寢。
(経三三十)乙巳、僖公は小寝で薨じた。
(經三三十一)隕霜不殺草,李、梅實。
(経三三十一)霜が降りても草を殺さず、李・梅が実を結んだ。
(傳)何以書?記異也。何異爾?不時也。
(伝)なぜ書くのか。異常を記したのである。どこが異常なのか。時季に合わないのである。
(經三三六)晉人、陳人、鄭人伐許。
(経三三六)晋人・陳人・鄭人が許を伐った。
