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閔公

战国 · 公羊高 · 第15巻 / 44

僖公(經二五一)二十有五年

僖公(経二五一)二十有五年

春,王正月丙午,衛侯毀滅邢。

春、周暦の正月丙午、衛侯毀が邢を滅ぼした。

(傳)衛侯毀,何以名?絕。曷為絕之?滅同姓也。

(伝)衛侯毀はなぜ名を称するのか。絶ったのである。なぜ絶つのか。同姓を滅ぼしたからである。

(經二五二)夏,四月癸酉,衛侯毀卒。宋蕩伯姬來逆婦。

(経二五二)夏の四月癸酉、衛侯毀が卒した。宋の蕩伯姫が婦を迎えに来た。

(傳)宋蕩伯姬者何?蕩氏之母也。其言來逆婦何?兄弟辭也。其稱婦何?有姑之辭也。

(伝)宋の蕩伯姫とは何人か。蕩氏の母である。なぜ「来逆婦」と言うのか。兄弟の辞である。なぜ「婦」と称するのか。姑のある辞である。

(經二五三)宋殺其大夫。

(経二五三)宋がその大夫を殺した。

(傳)何以不名?宋三世無大夫,三世內娶也。

(伝)なぜ名を称さないのか。宋は三代大夫なし。三代とも国内で娶ったからである。

(經二五四)秋,楚人圍陳,納頓子於頓。

(経二五四)秋、楚人が陳を囲み、頓子を頓に納れた。

(傳)何以不言遂?兩之也。

(伝)なぜ「遂」と言わないのか。二つの事として扱ったのである。

(經二五五)葬衛文公。

(経二五五)衛文公を葬った。

(經二五六)冬,十有二月癸亥,公會衛子、莒慶,盟於洮。

(経二五六)冬の十二月癸亥、僖公は衛子・莒慶に会い、洮で盟した。

僖公(經二六一)二十有六年

僖公(経二六一)二十有六年

春,王正月己未,公會莒子、衛寧遬,盟於向。

春、周暦の正月己未、僖公は莒子・衛の寧遬に会い、向で盟した。

(經二六二)齊人侵我西鄙。公追齊師至酅,弗及。

(経二六二)斉人がわが魯の西の辺鄙に侵入した。僖公は斉の軍を追って酅に至ったが、及ばなかった。

(傳)其言「至酅,弗及」何?侈也。

(伝)なぜ「至酅、弗及」と言うのか。追いすぎたのである。

(經二六三)夏,齊人伐我北鄙。衛人伐齊。公子遂如楚乞師。

(経二六三)夏、斉人がわが魯の北の辺鄙を伐った。衛人が斉を伐った。公子遂が楚に行って軍隊を乞うた。

(傳)乞者何?卑辭也。曷為以外內同若辭?重師也。曷為重師?師出不正反,戰不正勝也。

(伝)「乞」とは何か。卑しい辞である。なぜ外と内で同じ辞を用いるのか。軍隊を重んじたのである。なぜ軍隊を重んじるのか。軍隊が出れば、帰ることが必ずしも正しいとは限らず、戦えば、勝つことが必ずしも正しいとは限らないからである。

(經二六四)秋,楚人滅隗,以隗子歸。

(経二六四)秋、楚人が隗を滅ぼし、隗子を連れて帰った。

(經二六五)冬,楚人伐宋,圍緡。

(経二六五)冬、楚人が宋を伐ち、緡を囲んだ。

(傳)邑不言圍,此其言圍何?刺道用師也。

(伝)邑については例により「囲」と言わないのに、ここで「囲」と言うのはなぜか。道すがら兵を用いたことを刺したのである。

(經二六六)公以楚師伐齊,取谷。公至自伐齊。

(経二六六)僖公は楚の軍隊を率いて斉を伐ち、穀を取った。僖公は斉を伐つ軍から帰った。

(傳)此已取谷矣,何以致伐?未得乎取谷也。曷為未得乎取谷?曰:患之起,必自此始也。

(伝)ここで既に穀を取ったのに、なぜ伐ったことからの帰還と書くのか。まだ取った穀を真に得ていなかったからである。なぜまだ真に得ていないのか。曰く、患の起こることは、必ずここから始まるのである。

僖公(經二七一)二十有七年

僖公(経二七一)二十有七年

春,杞子來朝。

春、杞子が来て朝見した。

(經二七二)夏,六月庚寅,齊侯昭卒。

(経二七二)夏の六月庚寅、斉侯昭が卒した。

(經二七三)秋,八月乙未,葬齊孝公。

(経二七三)秋の八月乙未、斉孝公を葬った。

(經二七四)乙巳,公子遂帥師入杞。

(経二七四)乙巳、公子遂が軍隊を率いて杞に入った。

(經二七五)冬,楚人、陳侯、蔡侯、鄭伯、許男圍宋。

(経二七五)冬、楚人・陳侯・蔡侯・鄭伯・許男が宋を囲んだ。

(傳)此楚子也,其稱人何?貶。曷為貶?為執宋公貶,故終僖之篇貶也。

(伝)この人は楚子なのに、なぜ「人」と称するのか。貶めたのである。なぜ貶めるのか。宋公を捕らえたために貶めるのであり、故に僖公の篇を終えてずっと貶めるのである。

(經二七六)十有二月甲戌,公會諸侯盟於宋。

(経二七六)十二月甲戌、僖公は諸侯に会して宋で盟した。

僖公(經二八一)二十有八年

僖公(経二八一)二十有八年

春,晉侯侵曹,晉侯伐衛。

春、晋侯が曹に侵入し、晋侯が衛を伐った。

(傳)曷為再言晉侯?非兩之也。然則何以不言遂?未侵曹也。未侵曹則其言侵曹何?致其意也。其意侵曹,則曷為伐衛?晉侯將侵曹,假塗於衛,衛曰不可得,則固將伐之也。

(伝)なぜ二度「晋侯」と言うのか。二つの事として扱ったのではない。然らばなぜ「遂」と言わないのか。まだ曹に侵入していなかったからである。まだ曹に侵入していないのに「侵曹」と言うのはなぜか。その意を致したのである。その意は曹を侵すことだったのに、なぜ衛を伐ったのか。晋侯は将に曹を侵そうとして、衛に道を借りたが、衛は借せられないと言った。ではもともと衛を伐つつもりだったのである。

(經二八二)公子買戍衛,不卒戍,刺之。

(経二八二)公子買が衛を戍ったが、戍り終わらず、彼を刺した。

(傳)不卒戍者何?不卒戍者,內辭也,不可使往也。不可使往,則其言戍衛何?遂公意也。刺之者何?殺之也。殺之則曷為謂之刺之?內諱殺大夫,謂之刺之也。

(伝)「不卒戍」とは何か。「不卒戍」は魯国内部の辞であり、実は彼を往かせることができなかったのである。往かせることができなかったのに「戍衛」と言うのはなぜか。僖公の意を遂げたのである。「刺之」とは何か。彼を殺したことである。殺したのになぜ「刺之」と謂うのか。魯国内部は大夫の殺を諱み、これを「刺之」と謂うのである。

(經二八三)楚人救衛。三月丙午,晉侯入曹,執曹伯、畀宋人。

(経二八三)楚人が衛を救った。三月丙午、晋侯が曹に入り、曹伯を捕らえて、宋人に渡した。

(傳)畀者何?與也。其言畀宋人何?與使聽之也。曹伯之罪何?甚惡也。其甚惡奈何?不可以一罪言也。

(伝)「畀」とは何か。与えることである。「畀宋人」と言うのは何か。彼らに渡して処断させることである。曹伯の罪は何か。甚だ悪い。どのくらい甚だ悪いのか。一つの罪をもって言い尽くせないほどである。

(經二八四)夏,四月己巳,晉侯、齊師、宋師、秦師及楚人戰於城濮,楚師敗績。

(経二八四)夏の四月己巳、晋侯・斉の軍隊・宋の軍隊・秦の軍隊が楚人と城濮で戦い、楚の軍隊は大敗した。

(傳)此大戰也,曷為使微者?子玉得臣也。子玉得臣則其稱人何?貶。曷為貶?大夫不敵君也。

(伝)これは大戦なのに、なぜ身分の微しい者として書くのか。実は子玉得臣である。子玉得臣ならば、なぜ「人」と称するのか。貶めたのである。なぜ貶めるのか。大夫は君に敵しないからである。

(經二八五)楚殺其大夫得臣。

(経二八五)楚がその大夫得臣を殺した。

(經二八六)衛侯出奔楚。

(経二八六)衛侯が出奔して楚に至った。

(經二八七)五月,癸丑,公會晉侯、齊侯、宋公、蔡侯、鄭伯、衛子、莒子,盟於踐土。陳侯如會。

(経二八七)五月癸丑、僖公は晋侯・斉侯・宋公・蔡侯・鄭伯・衛子・莒子に会し、践土で盟した。陳侯が会に駆けつけた。

(傳)其言如會何?後會也。

(伝)「如会」と言うのは何か。後れて会に及んだことである。

(經二八八)公朝於王所。

(経二八八)僖公は天子のいる所で朝見した。

(傳)曷為不言公如京師?天子在是也。天子在是,則曷為不言天子在是?不與致天子也。

(伝)なぜ僖公が京師に行ったと言わないのか。天子がここにいたからである。天子がここにいたのなら、なぜ天子がここにいたと言わないのか。天子を招き致すことを与しないのである。

(經二八九)六月,衛侯鄭自楚復歸於衛。

(経二八九)六月、衛侯鄭が楚から再び衛に帰った。

(經二八十)衛元咺出奔晉。

(経二八十)衛の元咺が出奔して晋に至った。

(經二八十一)陳侯款卒。

(経二八十一)陳侯款が卒した。

(經二八十二)秋,杞伯姬來。

(経二八十二)秋、杞伯姫が来た。

(經二八十三)公子遂如齊。

(経二八十三)公子遂が斉に行った。

(經二八十四)冬,公會晉侯、齊侯、宋公、蔡侯、鄭伯、陳子、莒子、邾婁子、秦人於溫。天王狩於河陽。

(経二八十四)冬、僖公は晋侯・斉侯・宋公・蔡侯・鄭伯・陳子・莒子・邾婁子・秦人と温で会した。天子は河陽で狩りをした。

(傳)狩不書,此何以書?不與再致天子也。魯子曰:「溫近而踐土遠也。」

(伝)狩は例により書かないのに、ここでなぜ書くのか。再び天子を招き致すことを与しないのである。魯子が言った。「温は近く、践土は遠い。」

(經二八十五)壬申,公朝於王所。

(経二八十五)壬申、僖公は天子のいる所で朝見した。

(傳)其日何?錄乎內也。

(伝)なぜ日を記すのか。魯国内部に対して詳しく記すからである。

(經二八十六)晉人執衛侯歸之於京師。

(経二八十六)晋人が衛侯を捕らえ、彼を京師に送り帰した。

(傳)歸之於者何?歸於者何?歸之於者罪已定矣,歸於者罪未定也。罪未定,則何以得為伯執?歸之於者,執之於天子之側者也,罪定不定,已可知矣。歸於者,非執之於天子之側者也,罪定不定,未可知也。衛侯之罪何?殺叔武也。何以不書?為叔武諱也。《春秋》為賢者諱。何賢乎叔武?讓國也。其讓國奈何?文公逐衛侯而立叔武,叔武辭立而他人立,則恐衛侯之不得反也,故於是已立,然後為踐土之會,治反衛侯。衛侯得反,曰:「叔武篡我。」元咺爭之曰:「叔武無罪。」終殺叔武,元咺走而出。此晉侯也,其稱人何?貶。曷為貶?衛之禍,文公為之也。文公為之奈何?文公逐衛侯而立叔武,使人兄弟相疑,放乎殺母弟者,文公為之也。

(伝)「帰之于」とは何か。「帰于」とは何か。「帰之于」は罪がすでに定まったものであり、「帰于」は罪がまだ定まっていないものである。罪がまだ定まっていないのに、どうして覇者の執とできるのか。「帰之于」は天子の側で捕らえたものであり、罪が定まったか定まらないかは、すでに知ることができる。「帰于」は天子の側で捕らえたものではなく、罪が定まったか定まらないかは、まだ知ることができない。衛侯の罪は何か。叔武を殺したことである。なぜ書かないのか。叔武のために諱んだのである。《春秋》は賢者のために諱む。叔武の何が賢なのか。国を譲ったことである。彼はどのように国を譲ったのか。文公は衛侯を逐って叔武を立て、叔武は立つことを辞したが、他の者が立てば衛侯が帰れないことを恐れ、故にまず自ら立ち、それから践土の会を成して衛侯を帰すことを治めた。衛侯は帰ることができて、言った。「叔武は吾を篡いだ。」元咺が争って曰く。「叔武に罪なし。」ついに叔武を殺し、元咺は走って出た。この人は晋侯なのに、なぜ「人」と称するのか。貶めたのである。なぜ貶めるのか。衛の禍は文公が為したのである。文公はどのように為したのか。文公は衛侯を逐って叔武を立て、人の兄弟をして互いに疑わせ、同母弟を殺すに放らしめたのは、文公が為したのである。

(經二八十七)衛元咺自晉復歸於衛。

(経二八十七)衛の元咺が晋から再び衛に帰った。

(傳)自者何?有力焉者也。此執其君,其言自何?為叔武爭也。

(伝)「自」とは何か。力のある者がその中にあることである。この人は自らの君を捕らえたのに、なぜ「自」と言うのか。叔武のために争ったからである。

(經二八十八)諸侯遂圍許。曹伯襄復歸於曹。遂會諸侯圍許。

(経二八十八)諸侯は続いて許を囲んだ。曹伯襄が再び曹に帰った。続いて諸侯に会して許を囲んだ。

僖公(經二九一)二十有九年

僖公(経二九一)二十有九年

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