第十四 雑配を論ず・第二 声音を配することを論ず
《漢書·五行志》云:人命終而形藏,精神散越,聖人為之宗廟,以收魂氣,春秋祭祀,以修孝道。《尸子》曰:鬼,歸也,古者謂死人為歸人。《淮南子》曰:人精神者,天之有也;骸骨者,地之有也。精氣入其門,而骸骨反其根。又云:天氣為魂,地氣為魄。《禮記·郊特牲》云:凡祭慎諸此,魂氣歸乎天,形魄歸乎地,故祭求諸陰陽之義。故氣之清者曰神,卽陽魂也;氣之濁者曰鬼,卽陰魄也。
《漢書・五行志》にいう、人は寿が終った後、形体は埋藏され、精神は消散し飛越す。聖人はここに由りて彼のために宗廟を建立して以て魂気を収摂し、春秋の両季に祭祀を挙行し、これを以て孝道を修行す。《尸子》にいう、「鬼」とはすなわち「帰」で、古人は死去した人を「帰人」と呼んだ、と。《淮南子》にいう、人の精神は天に属するもので、骸骨は地に属するものである。人が死した後、精気はそれが進入したあの道の門に帰り、骸骨は則ちそれの出た本根に返回す。またいう、天の気は化して魂と為り、地の気は化して魄と為る、と。《礼記・郊特牲》にいう、凡そ祭祀はみなこの一点に留心するを要す――魂気は上に天に帰し、形魄は下に地に帰す。だから祭祀は分別して陰・陽の両処に向かって求めるを要す。因って、気の清なるを「神」と呼び、すなわち陽魂。気の濁るを「鬼」と呼び、すなわち陰魄。
延陵季子葬其子於嬴博之間云:骨肉歸乎土,命也;魂氣無不之。《越記》云:王問范子曰,寡人聞失其魂魄者死,得其魂魄者生也,物皆有之,將人乎?范蠡對曰:魄者,囊也;魂者,生氣之源。又云:魂者,生氣之精;魄者,死氣之舍。《韓詩》云:溱洧有二水,三月上巳,鄭國常於此水上招魂續魄。《左傅》昭二十五年,宋公燕,使叔孫昭子右坐,語相泣,樂祁子曰:今君與叔孫皆死乎!心之精爽,是謂魂魄,魂魄去之,何以能久?此並明人身有魂魄二別。
呉国の延陵季子(季札)は兒子を嬴・博の两地の間に葬る時にいう、骨肉は泥土に帰還す。これは命である。魂気に至っては、則ち往きて可ならざる処なし、と。《越絶書》は越王が范蠡に問うを記していう、寡人は聞くに魂魄を失った人はすなわち死し、魂魄を保ち得る人はすなわち活きると。万物はみな魂魄あるか、それともただ人のみ有するか。范蠡は回答す、魄はたとえば一只の口袋のごとく、形体を盛載する容器である。魂は則ち生気の源頭である。またいう、魂は生気の精華、魄は死気の居所である。《韓詩》にいう、溱水・洧水のこの両条の河は、三月の上巳のあの日、鄭国人は常に水辺にて招魂続魄の祓禊の俗を挙行す。《左伝》昭公二十五年は記載す、宋元公は宴を設け、叔孫昭子をして右席に坐らせ、両人は話を説いて相対して涙を流す。楽祁子は便ちいう、今年は国君と叔孫とはおそらくみな死せんとするであろう。心の精爽をすなわち魂魄と呼ぶ。魂魄が彼らを離れ去れば、なおどうして長く活きることを得んや。以上のこれらの記載は、みな人の身上に魂・魄の両樣の物の分別あるを説明す。
《老子經》云魂藏肝、魄藏肺者,魂既屬天,天氣為陽,陽主善,尚左,居肝,在東方木位;魄既屬地,地氣為陰,陰主惡,尚右,故居肺,在西方金位。《老子》云:吉事尚左,凶事尚右。亦云五氣藏於心、五味藏於胃者,此論氣則是陽,以藏受之,心為火藏,陽氣所處;味則是陰,以府受之,胃為五穀之府,味之所處。心主精神,胃主受納,不乖魂魄陰陽之理。
《老子》経は魂は肝に蔵れ魄は肺に蔵るという。その理由は、魂はすでに天に属し、天気は陽で、陽は善を主りて左辺を崇尚す。だから肝に住す。肝は東方の木位に在る。魄はすでに地に属し、地気は陰で、陰は悪を主りて右辺を崇尚す。だから肺に住す。肺は西方の金位に在る。《老子》本文は正に「吉事は左を尚び、凶事は右を尚ぶ」という。経中にまたいう、五気は心に蔵れ五味は胃に蔵る。気は陽に属す。だから臓に由りて承受せらる。心は火臓で、正に陽気の処する地である。味は陰に属す。だから腑に由りて承受せらる。胃は五穀の腑で、正に滋味の処する地である。心は精神を主管し、胃は受納を主管す。この如き安排は魂魄が陰陽に分属するの道理と並びに衝突せず。
又云魂有三、魄有七者,陽數奇,陰數偶。奇數始於一,一則元氣,魂雖是陽,非曰始元,一後次三,故魂數三。又云:因天地二氣合而生人,人又一氣,三材各一氣,故魂有三。陰數二,二亦陰之始,魄雖是陰,又非元始,次二後四,陰不孤立,必資於陽,就魂之三,合而成七。
経中にまたいう、魂は三個あり魄は七個あり。その推算の理由は、陽数は奇で陰数は偶である。奇数は一より頭を起こし、「一」は元気を代表す。魂は陽に属するといえども、最初の元と算すること能わず。一の後に依りて次いで数えて三に至る。だから魂の数目は三である。別の一説にいう、天地の二気は交合して人を生じ、人の自身もまた一気あり。天・地・人の三才は各々一気を占む。だから魂は三個あり。陰数は二より頭を起こす。二もまた陰の開端である。魄は陰に属するといえども、同じく最初の元始にあらず。二の後に依りて次いで数えて四に至る。しかして陰は孤零零として存在する能わず、必ず陽に凭藉するを要す。そこで陰に属する四と前面の陽に属する三とを相加して、合して七と為す。これがすなわち七魄の数の来歴である。
又一解云:魂在東方,取震數三;魄居西方,取兌數七。三魂七魄,合而為十,是應天五行、地五行,兩五合為十,共成人也。五是天五氣、地五味也。《春秋緯》云:人感十而生,故十月方生也。又云魂有五、魄有六者,此乃道家《三皇經》,以五藏神為五魂,六府神為六魄,此亦五行六氣之義也。魂魄,人之本,既配府藏,故釋之。《甲乙》云:魂屬精,魄屬神。
さらに一種の解釈あり。魂は東方に在りて、震卦の数三を取る。魄は西方に在りて、兌卦の数七を取る。三魂に七魄を加えて合して十と成す。正に天に五行あり地に五行あるに応じ、両個の五は相合して十と為り、合わせて一個の人を成就す。ここの「五」は、天の五気と地の五味とを指す。《春秋緯》にいう、人は十のこの数を感受して生ず。だって懐胎は十箇月に満ちてこそ降生す。経中にまた魂は五個あり魄は六個ありという者あるは、それは道家《三皇経》の講法で、五臓の神を以て五魂と為し、六腑の神を以て六魄と為す。これも同じく五行・六気の道理を出でず。魂魄は人の根本で、すでに臓腑に配属するを要するに、だからここに一併に解釈を加える。《甲乙経》は則ち別に一説あり、魂は精に属し魄は神に属す、と。
第十四 雑配を論ず・第五 五常を論ず
五常者,仁、義、禮、智、信也。行之終久,恆不可闕,故名為常;亦云五德,以此常行,能成其德,故云五德。而此五德,配於五行。鄭玄注《禮記·中庸》篇云:木神則仁,金神則義,火神則禮,水神則信,土神則智。《詩緯》等說亦同。毛公傳說及京房等說,皆以土為信,水為智。
「五常」とはすなわち仁・義・礼・智・信のこの五種の品行である。長久に奉行して一刻も缺少すべからず。だって「常」と呼ぶ。また「五徳」とも呼ぶ。常にそれに照って做せば能く徳行を成就するがゆえに、五徳と称す。この五徳は五行と相配するを要す。鄭玄の《礼記・中庸》篇の注にいう、木の神性は仁、金の神性は義、火の神性は礼、水の神性は信、土の神性は智、と。《詩緯》の一類の緯書の説法はこれと相同じ。しかして毛公《詩伝》の一派および京房等の人の説法は、則ちみな土を信に配し水を智に配す。――両派の分歧はただ水・土の両行の上に在るのみで、恰好互相交換す。
《漢書·天文志》云:歲星於人,五常,仁也;五事,貌也。仁虧貌失,逆春令,傷木氣,罰見歲星。熒惑於人,五常,禮也;五事,視也。禮虧視失,逆夏令,傷火氣,罰見熒惑。太白於人,五常,義也;五事,言也。義虧言失,逆秋令,傷金氣,罰見太白。辰星於人,五常,智也;五事,聽也。智虧聽失,逆冬令,傷水氣,罰見辰星。鎮星於人,五常,信也;五事,思也。仁義禮智,以信為主;貌言視聽,以思為正。四事皆失,鎮星乃為之動。按毛公及京房、漢史,皆以土為信,可謂其當,所以然者。
《漢書・天文志》は五星に按って説を立て、五常を《尚書・洪範》の「五事」(貌・言・視・聴・思)と一併に配し上ぐ。木星(歳星)は人事の上において、五常は仁に対応し、五事は容貌に対応す。仁徳に亏あって儀容に度を失えば、すなわち春天の政令に違逆して木気を傷り、天罰は便ち歳星の上に顕現す。火星(熒惑)は礼と視とに対応す。礼に亏あって看ること明白ならざれば、すなわち夏令に違逆して火気を傷り、天罰は熒惑の上に顕現す。金星(太白)は義と言とに対応す。義に亏あって言語が失当なれば、すなわち秋令に違逆して金気を傷り、天罰は太白の上に顕現す。水星(辰星)は智と聴とに対応す。智に亏あって聴くこと聡敏ならざれば、すなわち冬令に違逆して水気を傷り、天罰は辰星の上に顕現す。土星(鎮星)は信と思とに対応す。仁義礼智の四徳は信を以て主宰と為し、貌言視聴の四事は思を以て準繩と為す。だから必ずこの四事が全く失当せられてこそ、鎮星はそれがために変動す。これに照らして看れば、毛公・京房と《漢書》とはみな土を信に配してこそ、配して妥当と算する。理由は下文に見る。
夫五常之義,仁者以惻隱為體,博施以為用;禮者以分別為體,踐法以為用;智者以了智為體,明睿以為用;義者以合義為體,裁斷以為用;信者以不欺為體,附實以為用。其於五行,則木有覆冒滋繁,是其惻隱博施也;火有滅暗昭明,是其分別踐法也;水有含潤流通,是其了智明睿也;金有堅剛利刃,是其合義裁斷也;土有持載含容,以時生萬物,是其附實不欺也。
五常の含義は各々本体と功用の両面あり。仁は惻隠の心を以て本体と為し、広く恩惠を施すを以て功用と為す。礼は等差を分別するを以て本体と為し、法度を践行するを以て功用と為す。智は明了通達を以て本体と為し、明察叡断を以て功用と為す。義は道義に合乎するを以て本体と為し、裁断取舍を以て功用と為す。信は欺かざるを以て本体と為し、実際に切合するを以て功用と為す。五行の上に落実して看れば、木は能く覆蓋遮蔽し滋生繁茂す。これは正に惻隠博施に合す。火は能く黒暗を駆除し四方を照明す。これは正に分別践法に合す。水は能く含蓄滋潤し流通して滞らず。これは正に明了叡智に合す。金質は堅硬剛強にして鋒利の刃口あり。これは正に合義裁断に合す。土は能く承載包容し時節に按って万物を生養す。これは正に切実不欺に合す。見えるに土を信に配し水を智に配してこそ理に相符す。
鄭玄及《詩緯》以土為智者,以能了萬事莫過於智,能生萬物莫過於土,故以為智;水為信者,水之有潮,依期而至,故以水為信。此理寘證狹,於義乖也。其於五經,則仁以配《易》,其位東方;禮以配火,其位南方;義以配傳,其位西方;智以配《詩》,其位北方;信以配《尚書》,其位中央。
鄭玄と《詩緯》は土を智に配す。その理由は、能く万事を了達するは智に若くなく、能く万物を生養するは土に若くない。だから土を以て智と為す。水を信に配する理由は、海水に潮汐ありて、期に按って漲落して従来約を失わず。だから水を以て信と為す。ただしこの組の道理の依拠する例证はあまりに狭窄にして、義理において講じて通らず。五常と五経の配属に至っては、仁は《周易》に配し、方位は東。礼は《礼》経に配し(底本はここに「火」と作るが、上下文に拠れば《礼》を指すに当たる)、方位は南。義は《春秋》に配し(文中は「伝」と称す)、方位は西。智は《詩経》に配し、方位は北。信は《尚書》に配し、方位は中央。
《易》配東方仁者,《易》是創制之書,包括萬有,有變易之義。東方,四時之始,仁化能生,易故就新。又帝出震始作八卦,故以配仁。禮配南方者,禮能齊上下之法,別貴賤之差,君臣父子,莫不以禮節之,如火能成就五味,明照萬物,故以南方配禮。
《周易》の東方の仁に配する所以は、《易》は開創制作の書で、万有を包罗し、「変易」の意思を含有す。東方は四時の起頭で、仁の化育は能く万物を生養するに、《易》もまた旧きを革除し新しきに趨向することを講ず。さらに《説卦》は「帝は震に出づ」といい、伏羲は震位より手を起こして始めて八卦を画いた。震は正に東方。だから《易》を拿げて仁に配す。《礼》の南方に配する所以は、礼は能く上下の法度を斉整し貴賤の等差を区別し、君臣父子は礼を用いて節制せざるなし。たとえば火の能く五味を烹熟し万物を照明するがごとし。だから南方を拿げて礼に配す。
傳配西方義者,《春秋》是魯史,褒貶得失。是時王道既衰,諸侯力爭,戰伐之事,靡不書之,合義者褒,失德者貶,如金以義斷,裁制萬物,故以配義。《詩》配北方智者,《詩》言其志,以為風刺,有陰微之辭,和潤人情,動鬼神,感天地,以善惡之事,吟詠於聲樂,使聞者有益於行,作者無咎於身,如水潛流,無所不潤,故以智配。
《春秋》の西方の義に配する所以は、《春秋》はもともと魯国の史書で、もっぱら善行を褒揚し過失を貶斥することに事とす。当時の王道はすでに衰微し、諸侯は武力を以て相争い、凡そ征戦の事は載せざるなし。道義に合するはすなわち褒揚し、徳行を喪失するはすなわち貶斥す。たとえば金の義を以て決断し万物を裁制するがごとし。だからそれを拿げて義に配す。《詩》の北方の智に配する所以は、《詩》は以て心志を抒発し諷諫を為すに用い、多く隠約含蓄の辞あり。それは人情を調和潤沢し、能く鬼神を感動し天地を感通し、善悪の事を声楽の中に吟詠して、聴く人をして操行に益あらしめ、作る人もまた言に因りて罪を獲るに致らざらしむ。たとえば水の地下に潜流して滋潤せざる処なきがごとし。だから智を拿げてそれに配す。
《尚書》配中央信者,此是上古之書,傳述帝王之言,信誓之事,靡不存焉,可宗尚,故如土有信,以時生物,四時所宗,故以信配。經,卽常也,亦云由也,亦云法也。述經由事,故云由也;理可法則,故云法也;常為訓典,故卽常也。然經體既為常法,其當體各備五常,事有所專,但以一方為主。未論文義,故不備說。五常之行,由經而明,故以配釋。
《尚書》の中央の信に配する所以は、それは上古の典籍で、帝王の言論を伝述し、凡そ誓約守信の事は保存せざるなし。尊崇取法するに値す。正に土の信実の徳ありて、時節に按って万物を生養し、四時の共に宗と為す所に由るがごとし。だから信を拿げてそれに配す。「経」のこの字に至っては、それ自体はすなわち「常」の意思で、また「由」と訓し、また「法」と訓す。――経由した所の事を叙述す。だって「由」という。道理は以て準則と為すを取りうる。だって「法」という。恒久に訓誡典章と為すに用いる。だからすなわち「常」である。ただし、経書の本体はすでにみな常法なれば、則ち毎一部の経の自身もまたみな五常を兼備す。ただ各々側重する所有るのみで、こそ或る一常を拿げて主と為す。ここは各経の具体の文義を討論せず。だから詳しくは舗陳せず。五常の実行は経書を靠って闡明するを要す。だから二者を配合して解説す。
第十四 雑配を論ず・第六 五事を論ず
五事者,《尚書·洪範》云:敬用五事。蓋以人事配五行也。一曰貌,以配木;二曰言,以配金;三曰視,以配火;四曰聽,以配水;五曰思,以配土。《尙書·洪範》曰:貌曰恭,言曰從,視曰明,聽曰聰,思曰叡;恭作肅,從作乂,明作哲,聰作謀,叡作聖。
「五事」は《尚書・洪範》の「敬用五事」の一語より出でて、人の行為挙止を五行の上に配したるを把う。第一件を「貌」と呼び、木に配す。第二件を「言」と呼び、金に配す。第三件を「視」と呼び、火に配す。第四件を「聴」と呼び、水に配す。第五件を「思」と呼び、土に配す。《尚書・洪範》の原文にいう、容貌は恭敬するを要し、言語は理に順うを要し、観看は明晰するを要し、聴聞は聡敏するを要し、思慮は通達するを要す。恭敬は能く厳粛を生出し、理に順うは能く治理を生出し、明晰は能く叡智を生出し、聡敏は能く謀略を生出し、通達は能く聖明を成就す。これがすなわち五事の各々の標準と効験である。
貌曰恭者,天子之恭曰穆穆,上恭肅則下敬矣。孔子曰:其行己也恭,其事上也敬。又曰:在體曰恭,加於人、施於事曰敬。貌之不恭,是謂不肅。肅,敬也。夫《洪範》所陳五事,貌為首者,於《易》貌為震,震為木,木可觀也,故經列三德而服為其上。
まず「貌は恭という」を言う。天子の恭敬は、形容すれば「穆穆」と呼ぶ。上に在る人が恭粛なれば、下に在る人は自然に敬服す。孔子にいう、彼は身を持すること甚だ恭謹にして、彼は上級に事奉すること甚だ恭敬なり、と。また一種の分別あり。自己の身上に表現するを「恭」と呼び、別人の身上に施加し事情の上に落実するを「敬」と呼ぶ。容貌が恭ならざれば、すなわち「不粛」と呼ぶ。「粛」とはすなわち敬である。《洪範》の陳列する五事は、「貌」を頭の一位に放るは、《周易》の裏において貌は震卦に属し、震は木と為り、しかして草木の形貌は最も観看に供しうるがゆえである。だって経中が三徳を列挙する時も、また儀容服飾を最前に放つ。
《詩》云:敬慎威儀,惟人之則。有威而可畏謂之威,有儀而可象謂之儀。君有威儀,其臣畏而愛之,則而象之,故能長有其國;臣有威儀,故能長守其職。君子在位可畏,施舍可愛,進退可度,周旋可則,容止可觀,作事可法,德行可象,聲氣可樂,動作有文,言語有章,以臨其下,謂之威儀。
《詩経・大雅・抑》にいう、恭敬謹慎に威儀を保持するは、こそ衆人の準則である、と。威勢ありて人をして敬畏せしむるを「威」と呼び、儀表ありて効法に供しうるを「儀」と呼ぶ。君主に威儀あれば、臣下はすなわち彼を敬畏しまた愛戴して、彼を模様を当てて仿效す。だから能く長久に国家を保有す。臣子に威儀あれば、だから能く長久に自己の職位を守住す。君子は位に居りて人をして敬畏せしめ、財物を施舍して人をして愛戴せしめ、進退は法度に合乎し、応対周旋は準則を作りうるに足り、儀容挙止は観瞻に値し、弁事は効法に供しうるに足り、徳行は取象に供しうるに足り、声音気度は人をして愉悦せしめ、動作に文采あり、言語に條理あり。――この如き姿態を以て下属に臨御するを、すなわち「威儀」と呼ぶ。
孔子曰:正其衣冠,尊其瞻視,儼然人望而畏之,不亦威而不猛。又曰:不嚴以蒞之,則人不敬。故失威儀之節,怠慢驕恣,謂之狂,狂則下不肅矣。下不敬,則上無威。夫不敬其君,不從其政,則陰氣勝。陰氣勝,則水象至,故曰厥罰常雨。雨則飢寒至,飢寒至,則上下不相信,大臣奸軌,民為寇盜。民多被刑,則其服妖。服妖者,輕剛漂泆、暴慢之服,以象風氣之化也。
孔子にいう、自己の衣冠を端正し、自己の目光を荘重し、儀態は儼然として人をして望んで畏を生ぜしむ。これはすなわち「威厳にして凶猛ならず」ではないか、と。またいう、荘重の態度を以て民に臨まざれば、百姓はすなわち敬服せざるなり、と。だってひとたび威儀の節度を喪失し、怠慢驕縦に変ずれば、すなわち「狂」と呼ぶ。君主が狂妄なれば、下面はすなわち粛敬せず。下面が敬せざれば、上面に威厳なし。臣民が君主を敬重せず政令に服従せざれば、陰気はすなわち陽気に圧過す。陰気が陽気に圧過せば、水に属する灾象はすなわち来たる。だって《洪範》に「厥の罰は常に雨」という。――この過失の招致する天罰は久雨止まずである。久雨すれば則ち飢寒交迫し、飢寒交迫すれば則ち上下互いに信任せず、ここに由りて大臣は奸邪不法にして、百姓は淪落して盗賊と為る。刑を受ける人のひとたび多ければ、すなわち「服妖」が出現す。いわゆる服妖とは、軽佻剽悍・放蕩暴慢の怪異服飾を指し、以て風気の敗壊を応験するに用いる。
言者,於《易》之道曰兌,兌曰口,言之象。人君言出令行則從。故《易》曰:悅以使民,民忘其勞;悅以犯難,民忘其死。是以明君薄斂而厚祿,賞宜從重,罰宜從輕,則順民心,故其教不肅而成,其政不嚴而治,此得民心。民心得,則眾歸之;眾歸之,則民死沒且不忘之,況乎從其令也。若君失眾心,政令不從,亢陽自消,群陰不附,而下畏君之重刑,則陽氣勝。陽氣勝則旱,故曰厥罰常暘。常暘則飢貧,飢貧不足,不足,不敢正言,則先發於歌謠之口也。氣逆則惡言至,蟲蝗生,皆口事也。
さらに「言」を言う。《周易》の体系の裏において、言は兌卦に属し、兌は口と為る。正に言語の象である。君主が話を説出すれば政令はすなわち推行を得る。これをすなわち「従」(理に順う)と呼ぶ。だって《易・兌卦・彖伝》にいう、喜悦の道を以て百姓を役使すれば、百姓はすなわち労苦を忘掉し、喜悦の道を以て彼らを帯びて難に赴かしめば、百姓はすなわち生死を忘掉す、と。因って賢明の君主は賦斂を減軽して俸禄を厚給し、賞賜は寧ろ重より、刑罰は寧ろ軽より。このようにすればすなわち民心に順応す。そこで教化は必ずしも厳厲せずとも自然に成就し、政令は必ずしも苛刻せずとも自然に治理す。これをすなわち民心を得ると呼ぶ。民心を得れば、衆人はすなわち帰附す。衆人が帰附すれば、百姓は死するまで彼を忘懐せず、況んやただ彼の号令に服従するのみをや。反対に、もし君主が衆人の心を失掉し、政令に服従する人なく、亢盛の陽気は自ら消退し、羣陰はまた帰附せんと肯んぜず、臣下はただ君主の重刑を畏懼するに因りて勉强して聴命するのみ。この時反って陽気の偏勝と成る。陽気が偏勝すればすなわち干旱す。だって《洪範》に「厥の罰は常に暘」という。――天罰は久晴にして雨せずである。長旱すれば則ち飢荒貧困し、飢貧すれば則ち物用不足す。物用不足にして百姓はまた直言進諫せざるに敢えず。怨気は便ち先ず歌謡の口裏より発泄し出づ。気機逆乱すれば則ち悪毒の言語は四起し、蝗虫は灾を成す。――これらはみな「口」のこの一類に属する事応である。
視者,南方目之象,視曰明,明以知人為本,於《易》為離,離為火、為目。夫視不明,微弱不知所信,必長伺黨仇親同類。如此,賢者不進;賢者不進,則不肖者不退;不肖者不退,則犯上者不誅,無罪者橫罰,百職廢壞,庶事滯塞,教政舒緩,故曰厥罰常燠。燠則冬氣洩,冬氣洩則不塞,春夏氣錯,疾疫起矣。犯上者不誅,則草犯霜而不死;貪取百姓之財,則蝗螟亦食人之食矣。此皆視之所象也。
さらに「視」を言う。眼睛は南方の象に属す。だって「視は明という」といい、しかして明察は能く人を識るを以て根本と為す。《周易》の裏においてそれは離卦に属し、離は火と為り、また目と為る。もし看ること明白ならざれば、すなわち心志微弱にして誰を信任すべきかを知らず、勢い必ず長期に左右に窺伺せらる。――党を結する・私仇を挾する・同類に親附する者はみな囲み上る。このようにすれば、賢能の人は上がり来らず。賢能の人が上がり来らざれば、不肖の人は退き下りず。不肖の人が退き下らざれば、上を犯す人は誅戮を得ず、無罪の人はかえって濫罰に遭い、各項の職守は廃壊し、衆事は壅滞して通ぜず、政教は鬆弛す。だって《洪範》に「厥の罰は常に燠」という。――天罰は持続する暖熱である。暖熱すれば則ち冬気は外泄し、冬気外泄すればすなわち閉蔵して住まず、春夏の気は錯乱し、瘟疫はここに由りて起こる。上を犯す人は誅戮を受けず、草木は霜に遇うもまた枯死せんと肯んぜず。上面は百姓の財物を貪取すれば、蝗虫螟虫もまた来たりて人の口粮を食らう。これらはみな「視」の対応する徴象である。
聽者在耳,耳者,於《易》坎也。古者聖王有進善之旌,敢諫之鼓,謀於蒭蕘,所以博延而廣聽也。人君不好謀,則下莫敢言;下莫敢言,則上無所聞;上無所聞,則不聽。不聽者,由不謀政事,故曰不聽,無所聞知庶事,擁屈怨在心口,喜怒不節,故曰急也。夫寒者急物,冬物皆枯急,枯急,故曰厥罰常寒。常寒則不生百穀,不生百穀,則民貧窮矣。故妖生於耳,以類相動,則有鼓妖,聲音之類。坎為彘,耳氣傷,有彘禍;水色黑,有黑交。此皆聽也。
さらに「聴」を言う。聴は耳朵に靠る。耳朵は《周易》の裏において坎卦に属す。古時の聖王は「進善の旌」を設け、善言を献せんと願う人をして旗下に立たしめ、「敢諫の鼓」を設け、諫を進めんと願う人をして鼓を撃たしめ、また草を割り柴を打つ人に向かって請教す。為すは広く延納し多方に聴取せんがためである。君主が謀議を喜ばざれば、臣下はすなわち敢えて話す人なし。敢えて話す人なければ、上面はすなわち何をも聴き得ず。上面が何をも聴き得ざれば、すなわち「不聴」と呼ぶ。いわゆる不聴とは、人と政事を商議せざるに由る。だから彼を不聴という。衆事に対して一無所知にして、怨気は心口に壅塞屈結し、喜怒は節度を失掉す。だって「急」と呼ぶ。寒は能く物を緊縮せしむ。冬は万物はみな枯槁緊縮す。正にこの「急」の字に合す。だって《洪範》に「厥の罰は常に寒」という。――天罰は持続する厳寒である。長寒すれば則ち百穀は生ぜず、百穀生ぜざれば則ち百姓は貧窮す。だから妖異は耳より生ず。同類相感すれば、すなわち「鼓妖」あり。すなわち故なく聴聞する怪響の類である。坎卦は猪と為る。耳気傷られれば、すなわち猪の怪禍あり。水色は黒と為る。すなわち黒色の異兆が出現す。これらはみな「聴」に属す。
思者,心為五事之主,猶土體為五行主也,於《易》為坤。八正之氣,亦起於八風,風者,四時之主。思心得,謂之容,容者,能容畜臣子,故謂之聖也。思心不得,四者皆失,則不能容畜臣子,故曰思心不容,是謂不聖,過在霿亂失紀。
最後に「思」を言う。心は五事の主宰で、正に土体の五行の主宰たるがごとく、《周易》の裏において坤卦に属す。八方の節気もまたみな八風より起こり、しかして風は正に四時の主宰である。思慮が当を得れば、すなわち「容」と呼ぶ。「容」は能く臣子を容納畜養するなり。だからそれを「聖」と称す。思慮が当を得ざれば、前面の貌・言・視・聴の四事もまた跟って全く失当となり、そこで能く臣子を容納畜養せず。だって《洪範》に「思心は容れず、これを不聖という」といい、過失はすなわち昏昧混乱・綱紀失序に在る。
故風者,於《易》巽也,在三月、四月,純陽,而治於陽則為陰,於陰則為陽,大臣之象。君既霿亂,則大臣專恣;大臣專恣,而陰氣盛;陰氣盛則應,故厥罰常風。陰氣多者,陰而不雨,其甚也常陰。暗者,苞承於心,心氣傷,則為暗妖。《易》曰:坤為牛。坤,土也,土氣傷,則牛多死。又曰:土為內事,內事亂,則有華孽。此皆思之事也。五事所感,其例甚多,略舉如此。
だから風に說き至る。風は《周易》の裏において巽卦に属し、三月・四月の交に当たる。この時は純陽が当令す。巽は陽中に処すればすなわち陰に顕れ、陰中に処すればすなわち陽に顕る。正に大臣の象徴である。君主はすでに昏乱せば、大臣はすなわち権を専らにし放肆す。大臣が権を専らにし放肆すれば、陰気は便ち盛んなり。陰気はひとたび盛んなればすなわち相応の天象あり。だから「厥の罰は常に風」という。――天罰は久風止まずである。陰気はさらに多くなれば、すなわち陰雲密布して雨降らず。極処に到れば、便ち長久の陰晦である。この種の昏暗の象は、根子は心上に包蔵承接す。心気傷られれば、すなわち「暗妖」が出現す。《周易》に坤は牛と為るという。坤はすなわち土で、土気傷られれば、牛はすなわち大量に死亡す。またいう、土は内事を主る。内事はひとたび乱れば、すなわち草木の時ならずして花を開くの「華孽」が出現す。これらはみな「思」の事応に属す。五事の感召する徴応は、例証は極めて多し。ここはただその大略を挙ぐるに上のごとし。
五行大義 巻第四
第十五 律呂を論ず
《春秋元命苞》云:律之為言率也。《續漢書》云:律,術也。《律書》云:呂,序也,序述四時之氣,定十二月之位也。陰陽各六,合有十二,陽六為律,陰六為呂。律六者:黃鍾、大蔟、姑洗、蕤賓、夷則、無射也;呂六者:林鐘、南呂、應鐘、大呂、夾鐘、仲呂也。《史記》云:律曆者,天所以運五行八正之氣,成熟萬物也。
《春秋元命苞》にいう、「律」のこの字の意思は「率」で、すなわち統率・準則である。《続漢書・律暦志》にいう、「律」とはすなわち「術」で、すなわち法度である。《律書》にいう、「呂」とはすなわち「序」で、すなわち次に依りて四時の気を叙述し十二箇月の位次を確定す。陰と陽とは各々六個を占め、合わせて共に十二と為す。陽に属する六個を「律」と呼び、陰に属する六個を「呂」と呼ぶ。これがすなわち「十二律呂」である。六律は黄鐘・太簇・姑洗・蕤賓・夷則・無射。六呂は林鐘・南呂・應鐘・大呂・夾鐘・仲呂。《史記・律書》にいう、律暦とは、上天が以て五行と八方の節気を運行し万物を成熟せしむるの憑借である、と。
《帝王世紀》云:黃帝使伶倫於大夏之西、崑崙之陰,取竹解谷,其竅厚均者,斷兩節閒吹之,以為黃鐘之管,以象鳳鳴,雌雄各六,以定律呂,以分星次。伶洲鳩曰:律,所以立均出度也。故云:紀以三,平以六,成以十二,天之道也。此六中之元,古之神瞽考中聲而量之,以制度律,均鍾,故名黃鐘,所以宣養六氣。
《帝王世紀》は記載す、黄帝は楽官の伶倫を派して大夏の以西・崑崙山の北面に至らしめ、解谷にて竹を取り、あの孔径と管壁の厚薄の均勻なるを挑選し、両節の間の一段を截下して吹奏し、以て黄鐘の管を作成し、それを用いて鳳凰の鳴声を模擬し、雌雄は各々六個の音を定め、ここに由りて十二律呂を確定し、併せて以て周天の星次を划分す。周代の楽官伶州鳩にいう、律は以て音准を確立し度数を定出するに用いる、と。だからいう、三を以て綱紀と為し、六を以て均平と為し、十二を以て完成と為す。これは天の法則である。この十二律の中に居中する本元は便ち黄鐘である。――古代の楽師(瞽者は「神瞽」と称す)は中正の声を考定して度量を加え、拠って律度を制定し鐘音を校准す。だから名づけて「黄鐘」と為す。その職能は六気を宣通涵養するである。
二曰太蔟,所以金奏,乃贊陽出滯;三曰姑洗,所以修潔百物,考神納賓;四曰蕤賓,所以安靜神人,獻酬交酢;五曰夷則,所以詠歌九則,平民無貳;六曰無射,所以宣佈哲人之令德,示民軌儀。為之六閒,以揚沈伏而黜散越:元閒大呂,助宣物也;二閒夾鐘,出四隟之細;三間中呂,宣中氣也;四閒林鐘,和展百事,俾莫不任肅純恪也;五閒南呂,贊陽秀也;六間應鐘,均利器用,俾應復也。律呂不易,無奸物也。
六律の第二律を太簇と呼び、金石の楽の合奏に用いて、陽気が滞塞を冲開するを輔助す。第三律を姑洗と呼び、以て万物を修飭潔淨し神霊を考祭し賓客を迎納するに用いる。第四律を蕤賓と呼び、以て神と人とを安定し賓主は献酬酢答す。第五律を夷則と呼び、以て九種の法則を歌咏し、百姓をして平和にして二心なからしむ。第六律を無射と呼び、以て明哲の人の美徳を宣揚し、百姓に軌範儀則を樹立す。六律と交錯相間するは六呂で、以て沈伏の気を発揚し散逸の気を黜退す。第一間は大呂で、万物を宣発するを幇助す。第二間は夾鐘で、四方の縫隙の間の細微の気を透出す。第三間は仲呂で、中和の気を宣散す。第四間は林鐘で、百事を調和展布し、人人をして各々その事に任じて粛敬純誠ならしむ。第五間は南呂で、陽気の結する所の秀実を助成す。第六間は應鐘で、器物の用を均斉し、万物をして時に応じて復帰せしむ。律呂乱れざれば、則ち邪僻反常の物あらざるなり。
《三禮義宗》云:律者,法也,言陽氣施生,各有其法;呂者,助也,助陽成功。一云:律,帥也,帥導陽氣,使之通達也;呂者,侶也,以對於陽,與之為侶。亦呂距也,謂陰陽之氣有時相距,明陽出則陰除,陰升則陽損,故有相距之意。
《三礼義宗》にいう、「律」とはすなわち「法」で、言うは陽気が生機を施布するに、各々その法度あるをいう。「呂」とはすなわち「助」で、陽気が功業を成就するを幇助す。別の一種の説法にいう、「律」とはすなわち「帥」で、陽気を率領引導し、それを通達せしむ。「呂」とはすなわち「侶」で、陽と相対して伴侶を結ぶ。「呂」はなお「距」(抵拒)と訓しうる。言うは陰陽の二気は時に互相抵拒す――陽気出でれば陰気はすなわち消退し、陰気上昇すれば陽気はすなわち受損す。だから相拒の意を含有す、と。
《續漢書》云:陽以圜為形,其性動;陰以方為節,其性靜。動者數三,靜者數二。以陽生陰而倍之,以陰生陽半之,皆以三而一。陽生陰曰下生,陰生陽曰上生,皆參天兩地,圓蓋方覆,六偶承奇之道也。《淮南子》云:數始於一,一而不能生,故分為陰,陰陽合而生萬物,故一生二,二生三,三生萬物。故三月為一時,所以祭有三飯,喪有三踴,兵有三令,皆以三為節。三三如九,故黃鐘之律九寸,而宮音調,因而以九之,九九八十一,黃鐘之數立焉。
《続漢書・律暦志》は「三分損益」の算理を講ず。陽は円を以て形と為し、その性は動を主る。陰は方を以て節と為し、その性は静を主る。動の数は三、静の数は二。陽より陰を生ずるは原数を倍加するを要し(二を乗ず)、陰より陽を生ずるは則ちその一半を取る。最後はみな三を以て除するを要す。――すなわち下生は三分之二を乗じ、上生は三分之四を乗ず。陽が陰を生ずるを「下生」と呼び、陰が陽を生ずるを「上生」と呼ぶ。みな「参天両地」(天数は三を取り地数は二を取る)・天円の地方を覆蓋し承載する・六個の偶数が奇数を承接するの道理に本づく。《淮南子》にいう、数は一より始まる。一は自ら物を生出しえず。だから分かれて陰を出す。陰陽が交合してこそ万物を生ず。因って一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。だから三箇月を一季と為し、祭祀に三飯の礼あり、丧礼に三踊の節あり、用兵に三令の制あり。みな三を以て節度と為す。三三は九を得。だから黄鐘の律を九寸に定む。宮音はここに由りて調准す。さらに九を以て自乗し、九九は八十一。黄鐘の律数はここに就いて確立す。
黃鐘之氣在子,十一月建焉,其辰在星紀。下生林鐘,林鐘之數五十四,氣在未,六月建焉,其辰鶉火。上生大蔟,大蔟之數七十二,氣在寅,正月建焉,其辰諏訾。下生南呂,南呂之數四十八,氣在酉,八月建焉,其辰壽星。上生姑洗,姑洗之數六十四,氣在辰,三月建焉,其辰大梁。下生應鐘,應鐘之數四十二,氣在亥,十月建焉,其辰析木。
以下に「隔八相生」の次第に按って十二律を排す。黄鐘の気は子位に在り、十一月は子を建て、対する所の星次は「星紀」。黄鐘は下に林鐘を生じ(八十一に三分之二を乗じて五十四を得)、林鐘の律数は五十四、気は未位に在り、六月は未を建て、星次は「鶉火」。林鐘は上に太簇を生じ(五十四に三分之四を乗じて七十二を得)、太簇の律数は七十二、気は寅位に在り、正月は寅を建て、星次は「諏訾」。太簇は下に南呂を生じ、南呂の律数は四十八、気は酉位に在り、八月は酉を建て、星次は「壽星」。南呂は上に姑洗を生じ、姑洗の律数は六十四、気は辰位に在り、三月は辰を建て、星次は「大梁」。姑洗は下に應鐘を生じ、應鐘の律数は四十二(六十四に三分之二を乗じて整を取る)、気は亥位に在り、十月は亥を建て、星次は「析木」。
上生蕤賓,蕤賓之數五十六,氣在午,五月建焉,其辰鶉首。上生大呂,大呂之數七十六,氣在丑,十二月建焉,其辰玄枵。下生夷則,夷則之數五十一,氣在申,七月建焉,其辰鶉尾。上生夾鐘,夾鐘之數六十八,氣在卯,二月建焉,其辰降婁。下生無射,無射之數四十五,氣在戌,九月建焉,其辰大火。上生中呂,中呂之數六十,氣在巳,四月建焉,其辰實沈。辰之與建,交錯為表裡,卽其合。然相生以乾坤六體為之:黃鐘初九,下生林鐘初六,又上生大蔟。
應鐘は上に蕤賓を生じ、蕤賓の律数は五十六、気は午位に在り、五月は午を建て、星次は「鶉首」。蕤賓は上に大呂を生じ、大呂の律数は七十六、気は丑位に在り、十二月は丑を建て、星次は「玄枵」。大呂は下に夷則を生じ、夷則の律数は五十一、気は申位に在り、七月は申を建て、星次は「鶉尾」。夷則は上に夾鐘を生じ、夾鐘の律数は六十八、気は卯位に在り、二月は卯を建て、星次は「降婁」。夾鐘は下に無射を生じ、無射の律数は四十五、気は戌位に在り、九月は戌を建て、星次は「大火」。無射は上に仲呂を生じ、仲呂の律数は六十、気は巳位に在り、四月は巳を建て、星次は「實沈」。星次と月建とは方向相反して交錯して互いに表裏を為し、二者の相交る処は正にそれらの相合する地方である。相生の次第に至っては、なお乾坤の両卦の六爻を用いて配しうる。黄鐘は乾卦の初九に当たり、下生する林鐘は坤卦の初六に当たり、林鐘は再び上に太簇を生ず。
《樂緯》云:黃鐘中宮,數八十一,以天一地二人三之數,以增減律,成五音中和之氣。增治上生,減治下生。上生者,三分益一;下生者,三分減一。益者,以四乘之,以三除之;減者,以二乘之,以三除之。《三禮義宗》云:凡黃鐘之管,本長九寸。所以九者,陽數之極也。數之所起,起自於三,三才天地人之道合成數,故曰三才,是以天地人各有三數。陽得兼三,故稱九;陰但兼二,故稱六。以陽得氣兼三,故因而三之,三三如九,故陽數九為極,所以管用九寸,以度陽氣。陽氣應時而發,此自然神驗者也。
《楽緯》にいう、黄鐘は中に居りて宮と為り、律数は八十一。天一・地二・人三のこれらの数を用いて律数を増減すれば、すなわち五音の中和の気を生成す。加法を做るは上生に属し、減法を做るは下生に属す。上生はすなわち「三分益一」、下生はすなわち「三分損一」。算法の上に落ちれば、增益するは、原数を以て四を乗じ再び三を以て除す(すなわち原数の三分之四を取る)。減損するは、原数を以て二を乗じ再び三を以て除す(すなわち原数の三分之二を取る)。読者はこれに照って推算せば、すなわち黄鐘の八十一より逐層に十二律の全部の数値を算出しうる。《三礼義宗》にいう、黄鐘の管は原本長さ九寸。なにゆえ九を取るか。九は陽数の極点なれば。数の起点は三に在り、天・地・人の三才の道は合してこの数を成す。だって三才と称す。そこで天地人は各々一個の三を占む。陽は能く三個の三を兼含す。だから九と称す。陰はただ両個の三を兼含するのみ。だから六と称す。正に陽が気を得て三を兼ねるに因りて、則ち三をさらに三に乗じ、三三は九を得。だから陽数は九を以て極限と為し、管長は便ち九寸と定められ、以て陽気を度量するに用いる。陽気は節候に応じて発動し、冬至に一到すれば黄鐘の管中の葭灰は便ち飛出す。これは自然而然の神奇なる効験である。
又上生大蔟九二,又下生南呂六二,又上生姑洗九三,又下生應鐘六三,又上生蕤賓九四,又下生大呂六四,又上生夷則九五,又下生夾鐘六五,又上生無射上九,又下生中呂上六。所以同位象夫妻,異位象母子,所謂律娶妻而呂生子者也。
続けて下に乾坤の両卦の爻位を排す。太簇は乾卦の九二に当たり、下生する南呂は坤卦の六二に当たる。南呂は上に姑洗を生じて乾卦の九三に当たり、姑洗は下に應鐘を生じて坤卦の六三に当たる。應鐘は上に蕤賓を生じて乾卦の九四に当たり、蕤賓は下に大呂を生じて坤卦の六四に当たる。大呂は上に夷則を生じて乾卦の九五に当たり、夷則は下に夾鐘を生じて坤卦の六五に当たる。夾鐘は上に無射を生じて乾卦の上九に当たり、無射は下に仲呂を生じて坤卦の上六に当たる。爻位の相同じき一律一呂(たとえば初九が初六に配するがごとき)は夫妻を象徴し、爻位の同じからざるは母子を象徴す。これがすなわちいわゆる「律は妻を娶り呂は子を生ず」の説法である。
《白虎通》曰:黃鐘何?黃,中和之氣;鍾者,動也,言陽於黃泉之下動萬物也。《淮南子》云:黃,土色;鍾者,氣之所動。黃鐘為君,冬至得之。《三禮義宗》云:鍾,應也,言陽氣潛動於黃泉之下,應養萬物,萌牙欲出。大呂,大者,太也;呂者,距也,言陽氣欲出,陰距難也。《淮南子》云:呂者,旅也,旅而去也。《三禮義宗》云:呂,助也,十二月陽方生長,陰氣助之,生育之功,其道廣大也。故一云:呂者,侶也,與陽為侶,對生萬物。
以下に逐一に十二律呂の名義を解釈す。《白虎通》は問う、なにゆえ黄鐘と呼ぶか。答えていう、「黄」は中和の気、「鐘」はすなわち「動」で、言うは陽気が黄泉の下に万物を鼓動するなり。《淮南子》にいう、黄は土の顔色、鐘は気の鼓動する処。黄鐘は君と為り、冬至のこの日は正にこの律を得る。《三礼義宗》にいう、「鐘」はすなわち「應」で、言うは陽気が黄泉の下に潜動し、時に応じて万物を養育し、萌芽はまさに土を破らんとす。さらに大呂を言う。「大」はすなわち「太」、「呂」はすなわち「距」で、言うは陽気が出でんと欲するに、陰気は抵拒して難を為す。《淮南子》にいう、「呂」はすなわち「旅」で、伴を結びて去る。《三礼義宗》にいう、「呂」はすなわち「助」で、十二月は陽気がまさに生長し、陰気は旁よりそれを幇助す。生育の功、その道は広大なり。だってまた一説あり、「呂」はすなわち「侶」で、陽と伴侶を結び、相対して万物を生養す、と。
大蔟,言萬物始大,湊地而出也。《淮南子》云:萬物蔟而未出也。《三禮義宗》云:蔟者,湊之義也,正月之時,萬物始大,蔟地而出。夾鐘者,言萬物孚甲種類而出也。《淮南子》云:種始夾也。《三禮義宗》云:夾者,佐也,二月之中,物未盡出,陰佐陽氣,應時而出。一云:夾者,俠也,言萬物為孚甲所俠,至此方解,鍾應而出。
太簇:言うは万物が壮大を始め、地面に湊り向かって出づ。《淮南子》にいう、万物は聚集してまだ出でず、と。《三礼義宗》にいう、「簇」はすなわち「湊」の意思で、正月の時に万物は壮大を始め、地面に湊りて钻り出づ。夾鐘:言うは万物が外殻を帯び、種類に按って土を破り出づ。《淮南子》にいう、種子は夾裹せられ始む、と。《三礼義宗》にいう、「夾」はすなわち「佐」で、二月の中に万物はまだ全く出でず、陰気は陽気を輔佐し、それらをして時に応じて出でしむ。別の一説にいう、「夾」はすなわち「俠」(夾持)で、言うは万物が外殻に夾裹せられ、此の時に到ってこそ解开し、鐘声の應和に隨って土を破り出づ、と。
姑洗者,姑者,古也;洗者,鮮也,萬物去故就新,莫不鮮明也。《淮南子》云:姑洗,陳去而新來也。《三禮義宗》云:姑者,枯也;洗濯之義,三月物生新潔,洗除其枯也。中呂者,萬物當中皆出也。《淮南子》云:中,宛也。《三禮義宗》云:呂者,距難之義,言陰欲出,陽氣在於中距執之。一云:呂者,四月之時,陽氣盛長,陰助功微,故云爾。
姑洗:「姑」はすなわち「故」(旧)、「洗」はすなわち「鮮」で、万物は旧きを去掉し新しきを迎接し、鮮潔明亮せざるなし。《淮南子》にいう、姑洗は陳旧なるは去りて新しきは来たる、と。《三礼義宗》にいう、「姑」はすなわち「枯」、「洗」は洗濯の義を取る。三月は万物は新生潔淨にして、枯敗の物を洗い去る。仲呂:言うは万物が正に中に当たりてみな出づるなり。《淮南子》にいう、「中」はすなわち「宛」で、屈曲蓄積の義、と。《三礼義宗》にいう、「呂」は抗拒為難の義あり。言うは陰気が出でんと欲するに、陽気は中間にてそれを抗拒把持す。別の一説にいう、四月の時は陽気は正に盛長し、陰気の助する所の功は微弱なり。だってこそこの如く命名す、と。
蕤賓者,蕤,下也;賓,敬也,言陽氣下降,故敬之也。《淮南子》云:蕤賓,安而服也。《三禮義宗》云:蕤者,垂下之義;賓者,敬也,五月陽氣下降,陰氣始起,共相賓敬。林鐘者,林,眾也,萬物成熟,種類眾多也。《淮南子》云:林鐘,引而止之也。《三禮義宗》云:林,茂盛也,六月之中,物皆盛茂,聚積於野,故為林也。
蕤賓:「蕤」は下垂、「賓」は恭敬で、言うは陽気がここに到って下降を始むるがゆえに、それに対して敬礼を加う。《淮南子》にいう、蕤賓は安定して順服す、と。《三礼義宗》にいう、「蕤」は垂下の義を取り、「賓」はすなわち敬。五月は陽気は下降し陰気は初生し、二者は賓主のごとく互相敬待す。林鐘:「林」は衆多で、万物は成熟し種類は繁多す。《淮南子》にいう、林鐘は牽引してそれを停住せしむ、と。《三礼義宗》にいう、「林」は茂盛で、六月の中に万物はみな長じて盛茂し、原野の上に聚積して、林木のごとく多し。だから林と呼ぶ。この両条は一は五月の午位に属し一は六月の未位に属す。正に陽極まりて陰に転ずるの関口で、だから命名はみな盛より止まるの意味を帯びる。
夷則者,夷,傷也;則,法也,言萬物始傷,被刑法也。《淮南子》云:夷則,易其則也。《三禮義宗》云:夷,平也;則,法也,七月萬物將成,平均結實,皆有法則德吉也。南呂者,南,任也,言陽氣有任生孳長也。《淮南子》云:南呂者,任苞大也。《三禮義宗》云:南,任也,八月之中,物皆含秀,有懷任之象,助成功之義。
夷則:「夷」は傷、「則」は法で、言うは万物がここに到って受傷を始め、刑法のごとき裁制に遭う。《淮南子》にいう、夷則はその法則を変易す、と。《三礼義宗》は則ちいう、「夷」は平、「則」は法で、七月は万物はまさに成熟せんとして、平均に果実を結出し、みな循るべき法度ありて各々その吉を得る。南呂:「南」はすなわち「任」(担負孕育)で、言うは陽気がなお生養滋長の責任を担うなり。《淮南子》にいう、南呂は苞実を承載してそれを壮大ならしむ、と。《三礼義宗》にいう、「南」はすなわち「任」で、八月の中に万物はみな秀穂を含着して懐孕の象あり、輔助成功の義を取る、と。
無射者,射,終也,言萬物隨陽而終,當復隨陰而起,無終已也。《淮南子》云:無射者,人之無厭也。《三禮義宗》云:射,厭也,厭惡之義,九月物皆成實,無可厭惡。應鐘者,言萬物應時而鐘下藏也。《淮南子》云:應其所鍾。《三禮義宗》云:十月之時,歲功皆成,陰氣之用,應陽之功,收而聚積,故云鍾也。亦云:應者,應和之義,言此時將復應陽氣而動於下也。
無射:「射」は終で、言うは万物が陽気に隨って終結し、またまさに陰気に隨って重新に興起し、永遠に了結の時なし。《淮南子》にいう、無射は人の欲望の満足なきを指す、と。《三礼義宗》にいう、「射」はすなわち「厭」で、厭悪の義を取る。九月は万物はみなすでに結実し、厭悪すべきものなし。應鐘:言うは万物が時令に応じて聚攏し向下に収蔵す。《淮南子》にいう、それが帰聚する処に應和す、と。《三礼義宗》にいう、十月の時は一年の農功はみなすでに完成し、陰気は作用を発揮し始め、陽気の功績に應和し、万物を収斂聚積す。だから「鐘」(聚)と呼ぶ。あるいはいう、「應」は應和の義を取る。言うはこの時陽気はまたまさに地下に萌動せんとし、万物はこれに隨って相応ず、と。
《樂緯》云:黃鐘為宮,林鐘為徵,大簇為商,南呂為羽,姑洗為角,應鐘為變宮,蕤賓為變徵,以次配之,五音備矣。黃鐘下生林鐘,故林鐘為徵,次黃鐘;林鐘上生大簇,故大簇為商,次林鐘;大簇下生南呂,故南呂為羽,次大簇;南呂上生姑洗,故姑洗為角,次南呂;姑洗下生應鐘,故應鐘為變宮,次姑洗;應鐘上生蕤賓,故蕤賓為變徵。
《楽緯》にいう、黄鐘は宮と為り、林鐘は徵と為り、太簇は商と為り、南呂は羽と為り、姑洗は角と為り、應鐘は変宮と為り、蕤賓は変徵と為る。この次序に依りて相配すれば、五音に二変を連ねてすなわち斉備す。この一列の排列は全く「三分損益・隔八相生」の次第に由りて決定せらる。黄鐘は下に林鐘を生ず。だから林鐘は徵を作り、黄鐘に緊接す。林鐘は上に太簇を生ず。だから太簇は商を作り、林鐘に緊接す。太簇は下に南呂を生ず。だから南呂は羽を作り、太簇に緊接す。南呂は上に姑洗を生ず。だから姑洗は角を作り、南呂に緊接す。姑洗は下に應鐘を生ず。だから應鐘は変宮を作り、姑洗に緊接す。應鐘は上に蕤賓を生ず。だから蕤賓は変徵を作る。読者はただ次に依りて算し下れば、すなわち自らこの一串を排出しうる。
凡有七音,圜相為宮。七音者,蓋以相生數七故也。始黃鐘生林鐘,自十二月至六月,凡七月也。服虔解云:七律為七音。外傳解云:武王克商,歲在鶉火,日在天駟,鶉火去天駟凡七宿;又地辰日在甲子,從子至午又七。天象、地辰,其數皆七,聖人以律同其數,以聲招之,故以七音。
総じて七個の音が、循環相逓して輪番に宮音を充当す。これがすなわちいわゆる「旋宮」である。なにゆえ七音か。大概は相生の回数が正に七なればであろう。黄鐘が林鐘を生ずるより算起し、十二月より六月まで数えて、共に七箇月を経歴す。服虔は解釈す、七律はすなわち七音、と。《国語》(旧く《春秋外伝》と称す)の解釈は別に一路あり。周武王が商朝を攻克した時、歳星は「鶉火」の次に在り、太陽は「天駟」(房宿)に在り、鶉火より天駟に至るまで共に七宿を隔つ。さらに地支より看れば、あの日は甲子に在り、子より午まで数えてまた七位。天象と地辰の数目はみな七。聖人は便ち律数を用いてそれと相符し、声音を用いてそれを招引す。だから七音と定む。
樂以七律配七始,故以定三元四時。故黃鐘以配天,林鐘以配地,大簇以配人,姑洗以配春,蕤賓以配夏,南呂以配秋,應鐘以配冬。凡三元者,周以建子月為天正,故黃鐘之管配之;殷以建丑月為地正,應以大呂之管配之,但陰數偶,未土王,又為天社,故取其沖,應地之氣,以林鐘之管配之;夏以建寅月為人正,故大簇之管配之。夫陽徳自處,故以卽位為正;陰德在他,故取其沖。
楽は七律を用いて「七始」に配し、拠って三元と四時を確定す。黄鐘は天に配し、林鐘は地に配し、太簇は人に配し、姑洗は春に配し、蕤賓は夏に配し、南呂は秋に配し、應鐘は冬に配す。いわゆる「三元」とは、すなわち三代の三種の正朔である。周朝は建子の月(十一月)を以て歳首と為し、「天正」と称す。だから黄鐘の管を用いて相配す。殷朝は建丑の月(十二月)を以て歳首と為し、「地正」と称す。本当は大呂の管を用いて相配すべきに、ただし陰数は偶に属し、しかして丑の对冲は未に在り、未は土旺の位でまた天社の所在なれば、だからその对冲を取って以て地の気に応じ、改用して林鐘の管を以て相配す。夏朝は建寅の月(正月)を以て歳首と為し、「人正」と称す。だから太簇の管を用いて相配す。大凡そ陽徳は本位に安処すれば、すなわち本位の上に正を取る。陰徳は他処に寄托すれば、だからその对冲を取るを要す。
《漢書·律曆志》云:三元者,天施、地化、人事之紀也。十一月,干之初九,陽氣伏於地下,始著為一,萬物萌動,鍾於太陰,故黃鐘為天元,律長九寸。九者,所以窮極中和,為萬物之元也。《易》曰:立天之道,曰陰與陽。是也。六月,坤之初六,陰氣受任於太陽,繼養化軟,萬物生長,楙之,未令種剛強大,故林鐘為地元,律長六寸。六者,所以陰承陽之施,楙之於六合之內,令剛柔有體也。立地之道,曰柔與剛。是也。乾知大始,坤作成物。
《漢書・律暦志》にいう、三元は天施・地化・人事のこの三方面の綱紀である。十一月は乾卦の初九に当たり、陽気は地下に潜伏し、端倪を初露して「一」と為り、万物は萌動を始め、太陰の中に聚集す。だから黄鐘は「天元」で、律管の長さは九寸。九は、以て中和を窮尽し万物の本元と為すに用いる数である。《周易・説卦》に「天の道を立てるを、陰と陽と曰う」といい、講ずるは正にこの意思である。六月は坤卦の初六に当たり、陰気は太陽の彼方より職任を承接し、接続して養育し化生して柔軟と為し、万物はここに由りて生長す。陰気はそれらを繁茂せしめるも、種子をして過早に剛強壮大せしめず。だから林鐘は「地元」で、律管の長さは六寸。六は、陰が陽の施与を承接し天地四方の内に万物を繁茂せしめ、剛柔をして各々その体あらしむるの数である。《説卦》に「地の道を立てるを、柔と剛と曰う」といい、講ずるは正にこの意思である。《周易・繋辞》にまたいう、乾は開創の始を主り、坤は万物を完成することを主る、と。
正月,干之九三,萬物棣通,簇出於寅,人奉而成之,仁以養之,義以行之,令事物各得其理。寅,木也,為仁;其聲,商也,為義。故大簇為人元,律長八寸。八象於卦,庖羲氏之所以順天地,通神明,類萬物之情也。立人之道,曰仁與義。是也。在天成象,在地成形,后以裁成天地人道,是為三元,律之始也。
正月は乾卦の九三に当たり、万物は暢通して阻なく、簇拥して寅位より钻出し、人はここに由りて天時を奉承してそれを成就す。仁を用いて養育し、義を用いて推行し、万事万物をして各々その理を得しむ。寅は木に属し、木は仁を主る。それの配する所の声は商で、商は義を主る。だから太簇は「人元」で、律管の長さは八寸。八は八卦に取象す。それは伏羲が以て天地に順応し神明に通達し万物の情状を比類するに用いたるもの。《説卦》に「人の道を立てるを、仁と義と曰う」といい、講ずるは正にこの意思である。天上は物象を成就し、地上は形体を成就し、聖人は随い後に拠って天・地・人の三道を裁成す。これをすなわち三元と呼び、また正に律の起始である。
《感精符》云:十一月建子,天始施之端,謂之天統,周正服色尚赤,象物萌色赤也;十二月建丑,地始化之端,謂之地統,殷正服色尚白,象物牙色白;正月建寅,人始化之端,謂之人統,夏正服色尚黑,象物生色黑也。此三正律者,亦以五德相承。以前三皇為正,謂天皇、地皇、人皇,皆以天地人為法,周而復始。其歲首所書,乃因以為名,欲體三才之道而君臨萬邦。故受天命而王者,必調六律而改正朔,受五氣而易服色,法三正之道也。
緯書《感精符》にいう、十一月は子を建つるは、天が施生を始める端緒で、「天統」と呼ぶ。周朝の正朔はこれに属し、服色は赤を崇尚し、万物が萌動する時に赤色を呈するに取象す。十二月は丑を建つるは、地が化育を始める端緒で、「地統」と呼ぶ。殷朝の正朔はこれに属し、服色は白を崇尚し、萌芽の白色を呈するに取象す。正月は寅を建つるは、人が化育を始める端緒で、「人統」と呼ぶ。夏朝の正朔はこれに属し、服色は黒を崇尚し、物の初生する時に黒色を呈するに取象す。この三正の律は、また五徳相承の次序に按って循環す。さらに上に往けば則ち三皇を以て正と為す。すなわち天皇・地皇・人皇で、彼らは分別に天・地・人を以て効法の対象と為し、周して復始す。各朝の歳首の定めた月は、すなわち以てそれの一統の名称を作るに用いる。これは三才の道を体現して万邦に君臨せんと要するがゆえに、天命を承受して王と称する人は、必ず六律を調定し正朔を更改し、五行の気を禀受し服色を変換して、以て三正の道を効法するを要す。
周以天統,服色尚赤者,陽道尚左,故天左旋,周以木德王,火是其子,火色赤左行,用其赤色也。殷以地統,服色尚白者,陰道尚右,其行右轉,殷以水德王,金是其母,金色白,故右行,用其白色。夏以人統,服色尚黑者,人亦尚左,夏以金德王,水是其子,水色黑,故左行,用其黑色。
周朝は天統に属して服色は赤を尚ぶ。その理由は、陽道は左辺を崇尚するがゆえに、天は左に旋す。周は木徳を以て王と称し、火は木の生ずる所の子で、火色は赤にして左行の序に順う。因って赤色を取る。殷朝は地統に属して服色は白を尚ぶ。その理由は、陰道は右辺を崇尚するがゆえに、運行は右に向かって旋転す。殷は水徳を以て王と称し、金は水を生ずる母で、金色は白。だから右行の序に循って白色を取る。夏朝は人統に属して服色は黒を尚ぶ。その理由は、人もまた左辺を崇尚す。夏は金徳を以て王と称し、水は金の生ずる所の子で、水色は黒。だから左行の序に循って黒色を取る。見えるに三代の服色はみな本徳の色を取らずして、しかして子色あるいは母色を取る。
又云:帝王之興,多從符瑞。周感赤雀,故尚赤;殷致白狼,故尚白;夏錫元珪,故尚黑。此皆先兆氣王之符,子母相助之義。如漢以火德,鎮星之精降為黃石,授子房以兵信,助沛公而滅楚,非五運之色,相扶為用。孔子云:夏正得天。此謂得天道四時之氣,應八節生殺之期也。故云:行夏之時,乘殷之輅,服周之冕。兼三代而為法,蓋取其可久者也。秦以建亥之月而為歲首,漢初因秦正朔,自魏已後,自用夏正,至今無改,以其得天氣也。
別に一説あり。帝王の興起は大多は符瑞を伴う。周朝は赤雀が書を銜えたる瑞を感召し来たり。だから赤色を崇尚す。殷朝は白狼の瑞を招致せり。だから白色を崇尚す。夏朝は玄圭の瑞を獲賜せり。だから黒色を崇尚す。これらはみな気運のまさに旺えんとする時に先行して顕現する符験で、その中に母子相助の義を含む。譬えて漢朝は火徳を以て興起したるに、しかして土星(鎮星)の精気は世に降りて化して黄石公と為り、兵法の信物を張良に授与し、劉邦が項羽を消滅するを幇助せり。――黄色は並びに漢家の本運の顔色にあらず。これがすなわち別の五行の色が前来して相扶助して用と為すの例である。孔子に「夏朝の正朔は最も天道に合す」といい、意思是それが天道四時の気に合乎し、八節の生養粛殺の時期に應和するをいう。だから彼はまたいう、夏朝の暦法を施行し、殷朝の輅車を乗坐し、周朝の礼冠を戴上せよ、と。――三代の制を兼采して以て法を立つるに、取るはその中の久遠に行いうる部分である。秦朝は建亥の月(十月)を以て歳首と為し、漢初は秦の正朔を沿用せり。曹魏以後より改めて夏正を用い、今天に至るまで更改なく、ただ夏正が最も天時の気に合するがゆえに因る。
又,遁甲、太乙、九宮、元辰,皆有三元,並起甲子。初為天元,盡六甲;次甲子為地元;又次甲子為人元。遁甲以冬夏二至後甲己之日夜半時為甲子元首,三元各分為三,故一百八十日為元卒,陰陽兩道,盡一歲之用。太一以初元甲子六十年為一紀,次甲子為第二紀,滿六紀三百三十年為一周。
この外、遁甲・太乙・九宮・元辰のこれらの数家の術数も、またみな三元を設け、一槪に甲子より起算す。最初の一個の甲子を天元と為し、六十甲子を走満す。次の一個の甲子を地元と為す。さらに次の一個の甲子を人元と為す。遁甲は冬至・夏至の後に甲日あるいは己日に逢うの夜半を以て甲子の元首と為す。三元はまた各々さらに三に分かれ、だから一百八十日で一元を走完す。陰遁・陽遁の両道は合わせて、正に一年を用満す。太乙は則ち最初の一個の甲子の六十年を以て一紀と為し、次の一個の甲子を第二紀と為し、六紀に満ちて共に三百三十年を一周と為す(六紀に按れば本当は三百六十年と為すべきに、底本は三百三十と作る。姑く原文に依りて実録す)。
九宮別以己亥為元首,分為五元:初己亥六十年為天元,次己亥六十年為地元,次己亥六十年為人元,次己亥六十年為河元,次己亥六十年為海元。九年一周,四九三十六,亦周六甲之大數也。三元正朔,並從律呂,應歷定時,皆配五行,故同此釋。
九宮のこの一家は則ち別に己亥を以て元首と為し、分かちて五元を作る。最初の己亥より起きて六十年を天元と為し、接下する己亥の六十年を地元と為し、さらに接下する六十年を人元と為し、さらに接下する六十年を河元と為し、最後の六十年を海元と為す。それは九年を一周とし、四九は三十六。もまた正に六甲に周遍するの大数に合す。三元と正朔とはみな律呂に依従して定まり、暦法に應じて時節を確定し、しかしてそれらはまた統統五行に配属す。だからこの一篇の裏に一併に解釈を加える。
