成唯識論巻第四
此十煩惱,何受相應?
この十煩悩は何の受と相応するや。
貪、瞋、痴三,俱生分別,一切容與五受相應。貪會違緣,憂、苦俱故;瞋遇順境,喜、樂俱故。
貪・瞋・癡の三は倶生・分別にて、一切は容く五受と相応す。貪は違縁に会えば憂・苦と倶のゆえん。瞋は順境に遇えば喜・楽と倶のゆえん。
有義:俱生分別起慢,容與非苦四受相應,恃苦劣蘊,憂相應故。
一義有り:倶生・分別起の慢は苦に非ざる四受と相応するを容す。苦劣の蘊を恃めば憂と相応するのゆえん。
有義:俱生亦苦俱起,意有苦受,前已說故。
一義有り:倶生もまた苦と倶に起こる。意に苦受有るは前に已に説けるのゆえん。
分別慢等,純苦趣無,彼無邪師、邪教等故。然彼不造引惡趣業,要分別起能發彼故。
分別の慢等は純苦趣に無し。かの処に邪師・邪教等無きのゆえん。しかし彼らは悪趣を引く業を造らず。分別起にて乃ちそれを発するを得るのゆえん。
疑後三見,容四受俱。欲疑無苦等,亦喜受俱故;二取若緣憂俱見等,爾時得與憂相應故。
疑と後の三見は四受に倶を容す。欲界の疑は苦等無きにしてもまた喜受と倶のゆえん。二取もし憂に倶の見等に縁ぜば、かの時憂と相応するを得るのゆえん。
有義:俱生身邊二見,但與喜、樂、捨、受相應,非五識俱,唯無記故。分別二見,容四受俱,執苦俱蘊為我、我所。常、斷見翻此,與憂相應故。
一義有り:倶生の身辺の二見はただ喜・楽・捨受と相応す。五識と倶に非ざるにして、ただ無記なるのゆえん。分別の二見は四受に倶を容す。苦に倶の蘊を執して我・我所と為す。常・断の見はこれに翻して憂と相応するのゆえん。
有義:二見若俱生者,亦苦受俱,純受苦處,緣極苦蘊,苦相應故。論說:俱生一切煩惱,皆於三受現行可得,廣說如前,餘如前說。
一義有り:二見もし倶生のは、もまた苦受と倶なり。純受苦の処にて極苦の蘊に縁じて苦と相応するのゆえん。論に説く:倶生の一切煩悩は皆三受に於て現行し得。広く説くは前の如し。其余は前の説くが如し。
此依實義,隨麁相者,貪、慢、四見,樂、喜、捨俱。瞋唯苦、憂、捨受俱起。痴與五受皆得相應。邪見及疑四俱,除苦。
これは実義に依る。麁相に随うは、貪・慢・四見は楽・喜・捨に倶なり。瞋はただ苦・憂・捨受と倶に起こる。癡は五受と倶に相応するを得。邪見および疑は四に倶にして苦を除く。
貪、痴俱樂,通下四地,餘七俱樂,除欲通三,疑、獨行痴欲唯憂、捨,餘受俱起,如理應知。
貪・癡は倶に楽して、下の四地に通ず。其余の七は倶に楽して、欲を除きて三に通ず。疑・独行の癡は欲にてただ憂・捨のみ。其余の受は倶に起こる。理の如くまさに知るべし。
此與別境幾互相應?
これは別境といくつ互いに相応するや。
貪、瞋、痴、慢容五俱起,專注一境,得有定故。疑及五見,各容四俱,疑除勝解,不決定故;見非慧俱,不異慧故。
貪・瞋・癡・慢は五に倶起を容す。一境に専注して定有るを得るのゆえん。疑および五見は各々四に倶を容す。疑は勝解を除く。決定せざるのゆえん。見は慧と倶せず。慧に異ならざるのゆえん。
此十煩惱何性所攝?
この十煩悩は何の性の摂する所ぞ。
瞋唯不善,損自、他故,餘九通二。
瞋はただ不善なり。自・他を損するのゆえん。其余の九は二に通ず。
上二界者,唯無記攝,定所伏故。若欲界繫分別起者,唯不善攝,發惡行故。若是俱生,發惡行者,亦不善攝,損自、他故。餘無記攝,細不障善,非極損惱自、他處故。當知俱生身、邊二見,唯無記攝,不發惡業,雖數現起,不障善故。
上の二界のはただ無記の摂する所なり。定の伏する所なるのゆえん。もし欲界繋の分別起は、ただ不善の摂する所なり。悪行を発するのゆえん。もし倶生にして悪行を発するは、もまた不善の摂する所なり。自・他を損するのゆえん。其余は無記の摂する所なり。細くして善を障らず。極に自・他を損悩する処に非ざるのゆえん。まさに知るべし、倶生の身・辺の二見はただ無記の摂する所なり。悪業を発せず。数・数現起すると雖も、善を障らざるのゆえん。
此十煩惱何界繫耶?瞋唯在欲,餘通三界。
この十煩悩は何の界の繫する所ぞ。瞋はただ欲に在り。其余は三界に通ず。
生在下地,未離下染,上地煩惱,不現在前。要得彼地根本定者,彼地煩惱容現前故。
下地に生じて下染を離れざるは、上地の煩悩は前に現せず。彼の地の根本定を得るを要して、彼の地の煩悩は容く現前するのゆえん。
謂有漏道,雖不能伏分別起惑及細俱生,而能伏除俱生麁惑,漸次證得上根本定。
いわゆる有漏道は分別起の惑および細き倶生を伏すること能わざると雖も、しかし能く倶生の麁惑を伏除して、漸次に上の根本定を証得す。
彼但迷事,依外門轉,散亂、麁動,正障定故。
それらはただ事に迷い、外門に依って転じて、散乱・麁動して正しく定を障るのゆえん。
得彼定已,彼地分別、俱生諸惑,皆容現前。
彼の定を得已って、彼の地の分別・倶生の諸惑は倶に現前を容す。
生在上地,下地諸惑,分別、俱生皆容現起。
上地に生ずるに下地の諸惑の分別・倶生は倶に現起を容す。
生第四定中有中者,由謗解脫,生地獄故;身在上地,將生下時,起下潤生俱生愛故。
第四定中に中有に生ずるは、解脱を謗するに由って地獄に生ずるのゆえん。身は上地に在りて将に下に生ぜんとする時、下の潤生の倶生愛を起こすのゆえん。
而言生上,不起下者,依多分說,或隨轉門。
しかし上に生ずるは下を起こさずと説くは、多分に依って説き、あるいは転門に随う。
下地煩惱,亦緣上地。《瑜伽》等說:欲界繫貪,求上地生,味上定故。既說瞋恚憎嫉滅、道,亦應憎嫉離欲地故。總緣諸行,執我、我所斷常,慢者得緣上故。餘五緣上,其理極成。
下地の煩悩もまた上地に縁ず。《瑜伽》等に説く:欲界繋の貪は上地の生を求めて、上定を味わうのゆえん。すでに瞋恚は滅・道を憎嫉すと説けば、もまた離欲の地を憎嫉するのゆえん。諸行を総縁して我・我所・断・常を執するは、慢もまた上に縁ずるを得るのゆえん。其余の五は上に縁ずるはその理極成せり。
而有處言:貪、瞋、慢等不緣上者,依麁相說,或依別緣,不見世間執他地法為我等故;邊見必依身見起故。
しかし処有りて説く:貪・瞋・慢等は上に縁ぜざるは、麁相に依って説き、あるいは別縁に依る。世間は他地の法を我等と執するを見ざるのゆえん。辺見は必ず身見に依って起こるのゆえん。
上地煩惱亦緣下地,說生上者,於下有情,恃己勝德,而陵彼故。
上地の煩悩もまた下地に縁ず。上に生ずる人は下の有情に対して、己の勝徳を恃みて、彼を陵するのゆえんと説く。
總緣諸行,執我、我所、斷、常、愛者,得緣下故。疑後三見,如理應思。
諸行を総縁して我・我所・断・常・愛を執するは、下に縁ずるを得るのゆえん。疑と後の三見は理の如くまさに思択すべし。
而說上或不緣下者,彼依多分或別緣說。
しかし上はあるいは下に縁ぜずと説くは、彼らは多分あるいは別縁に依って説く。
此十煩惱,學等何攝?非學無學,彼唯善故。
この十煩悩は学等の何の摂する所ぞ。是れ学にも無学にも非ず。それらはただ善のみなるのゆえん。
此十煩惱何所斷耶?
この十煩悩は何の断ずる所ぞ。
非非所斷,彼非染故。
断ぜざる所に非ず。それらは染に非ざるのゆえん。
分別起者,唯見所斷,麁易斷故;若俱生者,唯修所斷,細難斷故。
分別起はただ見の断ずる所なり。麁くして断ぜし易きのゆえん。もし倶生のはただ修の断ずる所なり。細くして断ぜ難きのゆえん。
見所斷十,實俱頓斷,以真見道總緣諦故。
見の断ずる十は実は皆頓断す。真見道は諦を総縁するのゆえん。
然迷諦相,有總、有別。總謂十種,皆迷四諦。苦、集是彼因依處故;滅、道是彼怖畏處故。
しかし諦相に迷うに総・別有り。総とは十种は倶に四諦に迷うを説く。苦・集はそれらの因の依処なるのゆえん。滅・道はそれらの怖畏する処なるのゆえん。
別謂別迷四諦相起,二唯迷苦,八通迷四,身、邊二見,唯果處起,別空、非我,屬苦諦故。
別とは別に四諦の相に迷いて起こるを説く。二はただ苦に迷い、八は四に迷うに通ず。身・辺の二見はただ果の処に起こる。別に空・非我は苦諦に属するのゆえん。
謂疑、三見,親迷苦理。二取執彼三見、戒禁及所依蘊為勝能淨,於自、他見及彼眷屬,如次隨應,起貪、恚、慢。相應無明,與九同迷;不共無明,親迷苦理。疑及邪見,親迷集等。二取、貪等,準苦應知。然瞋亦能親迷滅、道,由怖畏彼,生憎嫉故。
いわゆる疑・三見は親しく苦理に迷う。二取はかの三見・戒禁および依る所の蘊を執して勝にして能く浄するを得と為して、自・他の見およびそれらの眷属に対して、この次第に按して随応して、貪・恚・慢を起こす。相応の無明は九と同じく迷う。不共の無明は親しく苦理に迷う。疑および邪見は親しく集等に迷う。二取・貪等は苦に准じてまさに知るべし。しかし瞋もまた能く親しく滅・道に迷う。それらを怖畏するに由って憎嫉を生ずるのゆえん。
迷諦親疎,麁相如是。
諦に迷うの親疎の麁相はこの如し。
委細說者,貪、瞋、慢、三見、疑俱生,隨應如彼。
委細に説かば、貪・瞋・慢・三見・疑の倶生は、随応してそれらの如し。
俱生二見及彼相應愛、慢、無明,雖迷苦諦,細難斷故,修道方斷。
倶生の二見およびそれらに相応の愛・慢・無明は、苦諦に迷うと雖も、細くして断ぜ難きのゆえんに、修道にて乃ち断ず。
瞋餘愛等,迷別事生,不違諦觀,故修所斷。
瞋と其余の愛等とは別の事に迷いて生ず。諦観に違せず。ゆえに是れ修の断ずる所なり。
雖諸煩惱,皆有相分,而所仗質,或有或無,名緣有事、無事煩惱。
諸煩悩は皆相分有ると雖も、しかし仗る所の質はあるいは有りあるいは無し。名づけて有事に縁ずる・無事に縁ずる煩悩という。
彼親所緣,雖皆有漏,而所仗質,亦通無漏,名緣有漏、無漏煩惱。
それらの親しき所縁は倶に有漏なると雖も、しかし仗る所の質もまた無漏に通ず。名づけて有漏に縁ずる・無漏に縁ずる煩悩という。
緣自地者,相分似質,名緣分別所起事境。緣滅、道諦及他地者,相分與質不相似故,名緣分別所起名境。
自地に縁ずるは相分は質に似たり。名づけて分別の起こす所の事境に縁ずるという。滅・道諦および他地に縁ずるは相分と質とは相似ならざるのゆえん。名づけて分別の起こす所の名境に縁ずるという。
餘門分別如理應思。
其余の門の分別は理の如くまさに思択すべし。
已說根本六煩惱相,諸隨煩惱其相云何?
已に根本の六煩悩の相を説きたり。諸随煩悩の行相はいかん。
頌曰:
頌に説く:
隨煩惱謂:忿、恨、覆、惱、嫉、慳、
随煩悩とは説く:忿・恨・覆・悩・嫉・慳、
13誑、諂與害、憍、無慚與無愧、
誑・諂と害・憍・無慚と無愧、
掉舉與惛沈、不信並懈怠、
掉挙と惛沈・不信並びに懈怠、
14放逸及失念、散亂不正知。
放逸および失念・散乱・不正知。
論曰:唯是煩惱分位差別、等流性,故名隨煩惱。
論に説く:ただ煩悩の分位差別・等流性のみなり。ゆえに名づけて随煩悩という。
此二十種,類別有三:謂忿等十,各別起故,名小隨煩惱;無慚等二,遍不善故,名中隨煩惱;掉舉等八,遍染心故,名大隨煩惱。
この二十種の類別は三有り。いわゆる忿等の十は各々別に起こるのゆえん、名づけて小随煩悩という。無慚等の二は不善に遍するのゆえん、名づけて中随煩悩という。掉挙等の八は染心に遍するのゆえん、名づけて大随煩悩という。
云何為忿?依對現前不饒益境,憤發為性;能障不忿,執杖為業。謂懷忿者,多發暴惡身表業故。此即瞋恚一分為體,離瞋無別忿相用故。
何をか忿と謂う。現前の饒益ならざる境に対して依って、憤発を性と為す。能く不忿を障り、杖を執るを業と為す。いわゆる忿を懐くは多く暴悪の身表業を発するのゆえん。これすなわち瞋恚の一分を体と為す。瞋を離れて別に忿の相用無きのゆえん。
云何為恨?由忿為先,懷惡不捨,結怨為性;能障不恨,熱惱為業。謂結恨者,不能含忍,恆熱惱故。此亦瞋恚一分為體,離瞋無別恨相用故。
何をか恨と謂う。忿を以って先と為して、悪を懐いて捨てず、怨を結ぶを性と為す。能く不恨を障り、熱悩を業と為す。いわゆる恨を結ぶは含忍すること能わず。恒に熱悩するのゆえん。これもまた瞋恚の一分を体と為す。瞋を離れて別に恨の相用無きのゆえん。
云何為覆?於自作罪,恐失利、譽,隱藏為性;能障不覆,悔惱為業。謂覆罪者,後必悔惱,不安隱故。
何をか覆と謂う。自己の作す所の罪に対して、利・誉を失わんことを恐れて、隱藏を性と為す。能く不覆を障り、悔悩を業と為す。いわゆる罪を覆うは後に必ず悔悩して安隱ならざるのゆえん。
有義:此覆,痴一分攝。論唯說此痴一分故,不懼當苦,覆自罪故。
一義有り:この覆は癡の一分の摂する所なり。論にただこれは癡の一分と説くのゆえん。当来の苦を惧れずして己が罪を覆うのゆえん。
有義:此覆,貪、痴一分攝,亦恐失利譽,覆自罪故。論據麁顯,唯說痴分,如說掉舉是貪分故,然說掉舉遍諸染心,不可執為唯是貪分。
一義有り:この覆は貪・癡の一分の摂する所なり。もまた利誉を失わんことを恐れて己が罪を覆うのゆえん。論は麁顯に據りてただ癡分を説く。掉挙は貪分と説けるが如きのゆえん。しかし掉挙は諸染心に遍すと説く。ただ貪分のみと執すべからず。
云何為惱?忿、恨為先,追觸暴熱,佷戾為性;能障不惱,䖧螫為業。謂追往惡,觸現違緣,心便佷戾,多發囂暴、兇鄙麁言,䖧螫他故。此亦瞋恚一分為體,離瞋無別惱相用故。
何をか悩と謂う。忿・恨を先と為して、往悪を追触して暴熱にして、狠戻を性と為す。能く不悩を障り、虻の螫すを業と為す。いわゆる往の悪を追いて、現の違縁に触れれば、心は便ち狠戻して、多く囂暴・凶鄙の麁言を発して、他を虻螫するのゆえん。これもまた瞋恚の一分を体と為す。瞋を離れて別に悩の相用無きのゆえん。
云何為嫉?徇自名利,不耐他榮,妬忌為性;能障不嫉,憂慼為業。謂嫉妬者聞見他榮,深懷憂慼,不安隱故。此亦瞋恚一分為體,離瞋無別嫉相用故。
何をか嫉と謂う。己の名利に徇って、他の栄に耐えず、妒忌を性と為す。能く不嫉を障り、憂戚を業と為す。いわゆる嫉妒するは他の栄を聞見して深く憂戚を懐いて安隱ならざるのゆえん。これもまた瞋恚の一分を体と為す。瞋を離れて別に嫉の相用無きのゆえん。
云何為慳?耽著財、法,不能慧捨,秘悋為性;能障不慳,鄙畜為業。謂慳悋者,心多鄙澁,畜積財法,不能捨故。此即貪愛一分為體,離貪無別慳相用故。
何をか慳と謂う。財・法に耽著して、能く慧捨せず、秘吝を性と為す。能く不慳を障り、鄙蓄を業と為す。いわゆる慳吝するは心多く鄙澀して、財法を蓄積して能く捨てざるのゆえん。これすなわち貪愛の一分を体と為す。貪を離れて別に慳の相用無きのゆえん。
