Libo

文公

战国 · 公羊高 · 第18巻 / 44

(經六二)夏,季孫行父如陳。

(経六二)夏、季孫行父が陳に行きました。

(經六三)秋,季孫行父如晉。

(経六三)秋、季孫行父が晋に行きました。

(經六四)八月乙亥,晉侯讙卒。

(経六四)八月乙亥、晋侯驩が亡くなりました。

(經六五)冬,十月,公子遂如晉。

(経六五)冬十月、公子遂が晋に行きました。

(經六六)葬晉襄公。

(経六六)晋襄公を葬りました。

(經六七)晉殺其大夫陽處父,晉狐射姑出奔狄。

(経六七)晋がその大夫陽処父を殺し、晋の狐射姑が狄に出奔しました。

(傳)晉殺其大夫陽處父,則狐射姑曷為出奔?射姑殺也。射姑殺則其稱國以殺何?君漏言也。其漏言奈何?君將使射姑將。陽處父諫曰:「射姑民眾不說,不可使將。」於是廢將。陽處父出,射姑入。君謂射姑曰:「陽處父言曰:『射姑民眾不說,不可使將。』」射姑怒,出刺陽處父於朝而走。

(伝)晋が大夫陽処父を殺したとき、狐射姑はなぜ出奔したのですか。射姑が殺したからです。射姑が殺したのなら、なぜ国名で殺と書くのですか。国君が言葉を漏らしたからです。どのように漏らしたのですか。国君は射姑に兵を率いさせようとしていました。陽処父が諫めて言いました。「射姑は民衆に好かれていません。兵を率いさせてはなりません。」そこでこの任命を取りやめました。陽処父が出て行き、射姑が入ってきました。国君が射姑に言いました。「陽処父が言った。『射姑は民衆に好かれていない。兵を率いさせてはならない』と。」射姑は怒り、出て行って朝廷で陽処父を刺し殺すと逃げました。

(經六八)閏月不告月,猶朝於廟。

(経六八)閏月に告月を行わず、それでも廟で朝見しました。

(傳)不告月者何?不告朔也。曷為不告朔?天無是月也。閏月矣,何以謂之天無是月?是月非常月也。猶者何?通可以已也。

(伝)「告月しない」とはどういう意味ですか。告朔しないということです。なぜ告朔しないのですか。天にはこの月がないからです。すでに閏月なのに、なぜ天にこの月がないと言うのですか。この月は正常な月ではないからです。「猶」とは何ですか。本来はどちらもやめてよかったということです。

文公(經七一)七年

文公(経七一)七年

春,公伐邾婁。

春、文公が邾婁を攻めました。

(經七二)三月甲戌,取須朐。

(経七二)三月甲戌、須朐を取りました。

(傳)取邑不日,此何以日?內辭也,使若他人然。

(伝)城邑を取ることは例によって日を記しません。ここでなぜ日を記すのですか。魯国内部の措辞で、他人が取ったように見せるためです。

(經七三)遂城郚。

(経七三)続けて郚城を築きました。

(經七四)夏,四月,宋公王臣卒。

(経七四)夏四月、宋公王臣が亡くなりました。

(經七五)宋人殺其大夫。

(経七五)宋の人がその大夫を殺しました。

(傳)何以不名?宋三世無大夫,三世內娶也。

(伝)なぜ名を称さないのですか。宋国には三代にわたり大夫がいなかったからです。三代とも国内で妻を娶ったからです。

(經七六)戊子,晉人及秦人戰於令狐,晉先眛以師奔秦。

(経七六)戊子、晋の人と秦の人が令狐で交戦し、晋の先眛が軍隊を率いて秦に奔りました。

(傳)此偏戰也,何以不言師敗績?敵也。此晉先眛也,其稱人何?貶。曷為貶?外也。其外奈何?以師外也。何以不言出?遂在外也。

(伝)これは期日を約して戦ったものです。なぜ軍隊の大敗を書かないのですか。勢力が拮抗していたからです。この人は晋の先眛ですが、なぜ「人」と称するのですか。貶めているのです。なぜ貶めるのですか。外に逃げたからです。どのように外に逃げたのですか。軍隊を率いて外に逃げたのです。なぜ「出」と書かないのですか。もともと外にいたからです。

(經七七)狄侵我西鄙。

(経七七)狄がわが魯の西の辺境に侵入しました。

(經七八)秋,八月,公會諸侯、晉大夫,盟於扈。

(経七八)秋八月、文公が諸侯・晋の大夫と会し、扈で会盟しました。

(傳)諸侯何以不序?大夫何以不名?公失序也。公失序奈何?諸侯不可使與公盟,眣晉大夫使與公盟也。

(伝)諸侯はなぜ順序どおりに書かれていないのですか。大夫はなぜ名を称さないのですか。文公が順序を失ったからです。文公はどのように順序を失ったのですか。諸侯が文公と会盟しようとしなかったので、晋の大夫に目くばせをさせて文公と会盟させたのです。

(經七九)冬,徐伐莒。公孫敖如莒蒞盟。

(経七九)冬、徐が莒を攻めました。公孫敖が莒に行って会盟に臨みました。

文公(經八一)八年

文公(経八一)八年

春,王正月。

春、周暦正月。

(經八二)夏,四月。

(経八二)夏四月。

(經八三)秋,八月戊申,天王崩。

(経八三)秋八月戊申、天子が亡くなりました。

(經八四)冬,十月壬午,公子遂會晉趙盾,盟于衡雍。

(経八四)冬十月壬午、公子遂が晋の趙盾と会見し、衡雍で会盟しました。

(經八五)乙酉,公子遂會伊雒戎,盟於暴。

(経八五)乙酉、公子遂が伊洛の戎と会見し、暴で会盟しました。

(經八六)公孫敖如京師,不至復;丙戌,奔莒。

(経八六)公孫敖が京師に行き、到着しないまま帰りました。丙戌、莒に出奔しました。

(傳)不至復者何?不至復者,內辭也,不可使往也。不可使往,則其言如京師何?遂公意也。何以不言出?遂在外也。

(伝)「不至復」とはどういう意味ですか。「不至復」は魯国内部の措辞で、実は彼を派遣することができなかったのです。派遣できなかったのに「如京師」と書くのはなぜですか。文公の心意を成し遂げさせるためです。なぜ「出」と書かないのですか。もともと外にいたからです。

(經八七)螽。

(経八七)螽斯が災害となりました。

(經八八)宋人殺其大夫司馬;宋司城來奔。

(経八八)宋の人がその大夫司馬を殺しました。宋の司城が投奔してきました。

(傳)司馬者何?司城者何?皆官舉也。曷為皆官舉?宋三世無大夫,三世內娶也。

(伝)司馬とは何ですか。司城とは何ですか。どちらも官名を挙げたものです。なぜどちらも官名を挙げるのですか。宋国には三代にわたり大夫がいなかったからです。三代とも国内で妻を娶ったからです。

文公(經九一)九年

文公(経九一)九年

春,毛伯來求金。

春、毛伯が金を求めに来ました。

(傳)毛伯者何?天子之大夫也。何以不稱使?當喪未君也。逾年矣,何以謂之未君?即位矣,而未稱王也。未稱王,何以知其即位?以諸侯之逾年即位,亦知天子之逾年即位也。以天子三年然後稱王,亦知諸侯於其封內三年稱子也。逾年稱公矣,則曷為於其封內三年稱子?緣民臣之心,不可一日無君;緣終始之義,一年不二君,不可曠年無君;緣孝子之心,則三年不忍當也。毛伯來求金,何以書?譏。何譏爾?王者無求,求金非禮也。然則是王者與?曰:非也。非王者則曷為謂之王者?王者無求,曰:是子也。繼文王之體,守文王之法度,文王之法無求而求,故譏之也。

(伝)毛伯とはどのような人ですか。天子の大夫です。なぜ「使」と称さないのですか。ちょうど喪期中で、まだ正式の君がいないからです。年を越えているのに、なぜまだ正式の君がいないと言うのですか。即位はしたけれど、まだ王と称していないからです。まだ王と称していないのに、どうして即位したと分かるのですか。諸侯は年を越えると即位するので、天子も年を越えると即位すると分かります。天子は三年してから王と称するので、諸侯も封疆の内で三年は「子」と称すると分かります。年を越えればすでに公と称しているのに、なぜ封疆の内では三年「子」と称するのですか。民臣の心に従えば、一日も君なしではいられません。終始の義に従えば、一年に二人の君はおらず、一年じゅう君なしでもありません。孝子の心に従えば、三年は承当するに忍びないのです。毛伯が金を求めに来たことをなぜ記すのですか。譏刺です。何を譏刺するのですか。王者には「求」がないのに、金を求めるのは礼にかなわないからです。ではこの人は王者なのですか。答えて言います。そうではありません。王者でないのに、なぜ彼を王者と称するのですか。王者には「求」がないからです。答えて言います。この人は子です。彼は文王の体統を継ぎ、文王の法度を守っています。文王の法に「求」はないのに彼が求めてきたので、彼を譏刺するのです。

(經九二)夫人姜氏如齊。

(経九二)夫人姜氏が斉に行きました。

(經九三)二月,叔孫得臣如京師。

(経九三)二月、叔孫得臣が京師に行きました。

(經九四)辛丑,葬襄王。

(経九四)辛丑、襄王を葬りました。

(傳)王者不書葬,此何以書?不及時書,過時書,我有往者則書。

(伝)王者は例によって葬りを記しません。ここでなぜ記すのですか。時期に至らなくて記し、時期を過ぎて記し、魯の人が葬儀に会して参加すれば記すのです。

(經九五)晉人殺其大夫先都。

(経九五)晋の人がその大夫先都を殺しました。

(經九六)三月,夫人姜氏至自齊。

(経九六)三月、夫人姜氏が斉から帰りました。

(經九七)晉人殺其大夫士眛及箕鄭父。

(経九七)晋の人がその大夫士縠と箕鄭父を殺しました。

(經九八)楚人伐鄭。

(経九八)楚の人が鄭を攻めました。

(經九九)公子遂會晉人、宋人、衛人、許人救鄭。

(経九九)公子遂が晋の人・宋の人・衛の人・許の人と会して鄭を救いました。

(經九十)夏,狄侵齊。

(経九十)夏、狄が斉に侵入しました。

(經九十一)秋,八月,曹伯襄卒。

(経九十一)秋八月、曹伯襄が亡くなりました。

(經九十二)九月癸酉,地震。

(経九十二)九月癸酉、地震がありました。

(傳)地震者何?動地也。何以書?記異也。

(伝)地震とは何ですか。地が動くことです。なぜ記すのですか。異常を記すためです。

(經九十三)冬,楚子使椒來聘。

(経九十三)冬、楚子が椒を派遣して聘問に来ました。

(傳)椒者何?楚大夫也。楚無大夫,此何以書?始有大夫也。始有大夫,則何以不氏?許夷狄者不一而足也。

(伝)椒とはどのような人ですか。楚の大夫です。楚には大夫がいないのに、ここでなぜ記すのですか。大夫ができ始めたからです。大夫ができ始めたのに、なぜ氏を書かないのですか。夷狄に許可を与えながらも、一気に与えきらないのです。

(經九十四)秦人來歸僖公成風之襚。

(経九十四)秦の人が僖公・成風への襚を届けに来ました。

(傳)其言僖公成風何?兼之。兼之非禮也。曷為不言及成風?成風尊也。

(伝)「僖公成風」と書くのはどういう意味ですか。二つの事を一つに並べたのです。並べるのは礼にかないません。なぜ「及成風」と書かないのですか。成風の地位が尊いからです。

(經九十五)葬曹共公。

(経九五)曹共公を葬りました。

文公(經十一)十年

文公(経十一)十年

春,王三月辛卯,臧孫辰卒。

春、周暦三月辛卯、臧孫辰が亡くなりました。

(經十二)夏,秦伐晉。

(経十二)夏、秦が晋を攻めました。

(經十三)楚殺其大夫宜申。

(経十三)楚がその大夫宜申を殺しました。

(經十四)自正月不雨,至於秋七月。

(経十四)正月から雨が降らず、秋七月まで続きました。

The original text is in the public domain. The Japanese is a machine-assisted translation of this library’s own Chinese paraphrase, checked against a fixed glossary so that technical terms match the definitions used elsewhere on this site. It is a reading aid and does not replace the original.