文公
(經十五)及蘇子盟於女栗。
(経十五)蘇子と女栗で会盟しました。
(經十六)冬,狄侵宋。
(経十六)冬、狄が宋に侵入しました。
(經十七)楚子、蔡侯次於屈貉。
(経十七)楚子・蔡侯が屈貉に駐屯しました。
文公(經十一一)十有一年
文公(経十一一)十有一年
春,楚子伐圈。
春、楚子が圏を攻めました。
(經十一二)夏,叔彭生會晉郄缺於承匡。
(経十一二)夏、叔彭生が承匡で晋の郤缺と会見しました。
(經十一三)秋,曹伯來朝。
(経十一三)秋、曹伯が朝見に来ました。
(經十一四)公子遂如宋。
(経十一四)公子遂が宋に行きました。
(經十一五)狄侵齊。
(経十一五)狄が斉に侵入しました。
(經十一六)冬,十月甲午,叔孫得臣敗狄於鹹。
(経十一六)冬十月甲午、叔孫得臣が咸で狄を破りました。
(傳)狄者何?長狄也。兄弟三人,一者之齊,一者之魯,一者之晉。其之齊者,王子成父殺之;其之魯者,叔孫得臣殺之;則未知其之晉者也。其言敗何?大之也。其日何?大之也。其地何?大之也。何以書?記異也。
(伝)狄とは何ですか。長狄です。兄弟三人で、一人は斉に行き、一人は魯に行き、一人は晋に行きました。斉に行った者は王子成父が殺し、魯に行った者は叔孫得臣が殺し、晋に行った者は分かりません。なぜ「敗」と書くのですか。この事を誇大に書くためです。なぜ日を記すのですか。この事を誇大に書くためです。なぜ地を記すのですか。この事を誇大に書くためです。なぜ記すのですか。異常を記すためです。
文公(經十二一)十有二年
文公(経十二一)十有二年
春,王正月,盛伯來奔。
春、周暦正月、盛伯が投奔してきました。
(傳)盛伯者何?失地之君也。何以不名?兄弟辭也。
(伝)盛伯とはどのような人ですか。地を失った国君です。なぜ名を称さないのですか。これは兄弟に対する措辞です。
(經十二二)杞伯來朝。
(経十二二)杞伯が朝見に来ました。
(經十二三)二月庚子,子叔姬卒。
(経十二三)二月庚子、子叔姫が亡くなりました。
(傳)此未適人,何以卒?許嫁矣。婦人許嫁,字而笄之,死則以成人之喪治之。其稱子何?貴也。其貴奈何?母弟也。
(伝)この人はまだ嫁いでいないのに、なぜ死を記すのですか。すでに嫁ぐことを許されていたからです。婦人は嫁ぐことを許されると、字を与えられて笄を加え、死ねば成人の喪礼で扱います。なぜ「子」と称するのですか。地位が尊いからです。どのように尊いのですか。国君の同母の妹だからです。
(經十二四)夏,楚人圍巢。
(経十二四)夏、楚の人が巣を包囲しました。
(經十二五)秋,滕子來朝。
(経十二五)秋、滕子が朝見に来ました。
(經十二六)秦伯使遂來聘。
(経十二六)秦伯が遂を派遣して聘問に来ました。
(傳)遂者何?秦大夫也。秦無大夫,此何以書?賢繆公也。何賢乎繆公?以為能變也。其為能變奈何?惟諓諓善竫言。俾君子易怠,而況乎我多有之,惟一介斷斷焉無他技。其心休休,能有容,是難也。
(伝)遂とはどのような人ですか。秦の大夫です。秦には大夫がいないのに、ここでなぜ記すのですか。繆公が賢いと思うからです。繆公のどこが賢いのですか。変わることができると思うからです。どのように変わることができるのですか。巧みな言葉でよく喋る人は君子を怠けさせやすく、ましてこちらにはそうした人が多くいます。ただ一人の正直な人がいて、ほかに技能はないけれど、心が広く人を容れることができる。これこそ得がたいものです。
(經十二七)冬,十有二月戊午,晉人、秦人戰於河曲。
(経十二七)冬十二月戊午、晋の人と秦の人が河曲で交戦しました。
(傳)此偏戰也,何以不言師敗績?敵也。曷為以水地?河曲疏矣,河千里而一曲也。
(伝)これは期日を約して戦ったものです。なぜ軍隊の大敗を書かないのですか。勢力が拮抗していたからです。なぜ地名に水を帯びさせるのですか。河曲はあまりに疎遠です。黄河は千里あってようやく一曲があるのです。
(經十二八)季孫行父帥師,城諸及運。
(経十二八)季孫行父が軍隊を率いて諸と運を築きました。
文公(經十三一)十有三年
文公(経十三一)十有三年
春,王正月。
春、周暦正月。
(經十三二)夏,五月壬午,陳侯朔卒。
(経十三二)夏五月壬午、陳侯朔が亡くなりました。
(經十三三)邾婁子蘧蒢卒。
(経十三三)邾婁子蘧蒢が亡くなりました。
(經十三四)自正月不雨,至於秋七月。
(経十三四)正月から雨が降らず、秋七月まで続きました。
(經十三五)世室屋壞。
(経十三五)世室の屋根が壊れました。
(傳)世室者何?魯公之廟也。周公稱太廟,魯公稱世室,群公稱宮。此魯公之廟也,曷為謂之世室?世室,猶世室也,世世不毀也。周公何以稱太廟於魯?封魯公以為周公也。周公拜乎前,魯公拜乎後。曰:生以養周公,死以為周公主。然則周公之魯乎?曰:不之魯也,封魯公以為周公主。然則周公曷為不之魯?欲天下之一乎周也。魯祭周公,何以為牲?周公用白牡,魯公用騂犅,群公不毛。魯祭周公,何以為盛?周公盛,魯公燾,群公廩。世室屋壞,何以書?譏。何譏爾?久不修也。
(伝)世室とは何ですか。魯公の廟です。周公を太廟と称し、魯公を世室と称し、そのほかの群公を宮と称します。これは魯公の廟なのに、なぜ世室と呼ぶのですか。「世室」とは「世室」で、世々毀れないという意味です。周公はなぜ魯で太廟と称されるのですか。魯公を封じたのは周公のためです。周公が前で拝し、魯公が後で拝しました。言うには、生きている間は周公を奉養するため、死んでからは周公の主祭とするためです。では周公は魯に行ったのですか。答えて言います。魯には行かず、魯公を封じたのは周公の主祭とするためです。では周公はなぜ魯に行かなかったのですか。天下をすべて周に統一させるためです。魯が周公を祭るには、どんな犠牲を用いますか。周公には白い雄牛を用い、魯公には赤い雄牛を用い、そのほかの群公には純色でないものを用います。魯が周公を祭るとき、祭器の中の黍稷はどうですか。周公には盛り満ちたものを用い、魯公には覆い隠したものを用い、そのほかの群公には倉廩の中の並のものを用います。世室の屋根が壊れたことをなぜ記すのですか。譏刺です。何を譏刺するのですか。長いこと修繕しないことです。
(經十三六)冬,公如晉。
(経十三六)冬、文公が晋に行きました。
(經十三七)衛侯會於沓。
(経十三七)衛侯が沓で相見しました。
(經十三八)狄侵衛。
(経十三八)狄が衛に侵入しました。
(經十三九)十有二月己丑,公及晉侯盟,還自晉。
(経十三九)十二月己丑、文公が晋侯と会盟し、晋から帰りました。
(經十三十)鄭伯會公於斐。
(経十三十)鄭伯が斐で文公と会見しました。
(傳)還者何?善辭也。何善爾?往黨,衛侯會公於沓,至得與晉侯盟。反黨,鄭伯會公於斐,故善之也。
(伝)「還」とはどういう意味ですか。称賛の措辞です。何を称賛するのですか。行くときには衛侯が沓で文公と会見し、着いてからやっと晋侯と会盟しました。帰るときには鄭伯が斐で文公と会見しました。だから彼を称賛するのです。
文公(經十四一)十有四年
文公(経十四一)十有四年
春,王正月,公至自晉。
春、周暦正月、文公が晋から帰りました。
(經十四二)邾婁人伐我南鄙。
(経十四二)邾婁の人がわが魯の南の辺境を攻めました。
(經十四三)叔彭生帥師伐邾婁。
(経十四三)叔彭生が軍隊を率いて邾婁を攻めました。
(經十四四)夏,五月乙亥,齊侯潘卒。
(経十四四)夏五月乙亥、斉侯潘が亡くなりました。
(經十四五)六月,公會宋公、陳侯、衛侯、鄭伯、許男、曹伯、晉趙盾。
(経十四五)六月、文公が宋公・陳侯・衛侯・鄭伯・許男・曹伯・晋の趙盾と会しました。
(經十四六)癸酉,同盟於新城。
(経十四六)癸酉、いっしょに新城で会盟しました。
(經十四七)秋,七月,有星孛入於北斗。
(経十四七)秋七月、孛星が北斗に入りました。
(傳)孛者何?彗星也。其言入於北斗何?北斗有中也。何以書?記異也。
(伝)孛とは何ですか。彗星です。「于北斗に入る」と書くのはどういう意味ですか。北斗には中宮があります。なぜ記すのですか。異常を記すためです。
(經十四八)公至自會。
(経十四八)文公が会盟から帰りました。
(經十四九)晉人納接菑於邾婁,弗克納。
(経十四九)晋の人が接菑を邾婁に入れようとしましたが、入れることができませんでした。
(傳)納者何?入辭也。其言弗克納何?大其弗克納也。何大乎其弗克納?晉郄缺帥師,革車八百乘,以納接菑於邾婁,力沛若有餘而納之。邾婁人言曰:「接菑,晉出也;貜且,齊出也。子以其指,則接菑也四,貜且也六。子以大國壓之,則未知齊、晉孰有之也,貴則皆貴矣。雖然,貜且也長。」郄缺曰:「非吾力不能納也,義實不爾克也。」引師而去之,故君子大其弗克納也。此晉郄缺也,其稱人何?貶。曷為貶?不與大夫專廢置君也。曷為不與?實與而文不與。文曷為不與?大夫之義,不得專廢置君也。
(伝)「納」とは何ですか。入れる措辞です。「弗克納」と書くのはどういう意味ですか。入れられなかったことを誇大に書くのです。なぜ入れられなかったことを誇大に書くのですか。晋の郤缺が軍隊を率い、兵車八百乗で接菑を邾婁に入れようとしました。力は十分で、余力があるように送り込めました。邾婁の人が言いました。「接菑は晋の女子の生んだ子、貜且は斉の女子の生んだ子です。あなたが指を折って数えれば、接菑は四、貜且は六です。大国を持ち出して圧しても、斉と晋のどちらが占めるか分かりません。貴さで言えば、二人とも貴いのです。それでもなお、貜且は年長です。」郤缺が言いました。「わたしの力が入れられないのではなく、義の上では実にこのように強いて入れることができないのだ。」軍隊を率いて去ったので、君子は入れられなかったことを誇大に書くのです。この人は晋の郤缺ですが、なぜ「人」と称するのですか。貶めているのです。なぜ貶めるのですか。大夫が勝手に国君を廃立することを是としないからです。なぜ是としないのですか。実際には是としながら、文面では是としないのです。文面でなぜ是としないのですか。大夫の職分として、勝手に国君を廃立してはならないからです。
(經十四十)九月甲申,公孫敖卒於齊。
(経十四十)九月甲申、公孫敖が斉で亡くなりました。
(經十四十一)齊公子商人弒其君舍。
(経十四十一)斉の公子商人がその君である舎を殺しました。
(傳)此未逾年之君也,其言弒其君舍何?己立之,己殺之,成死者而賤生者也。
(伝)これはまだ年を越えていない国君ですが、なぜ「其君舎を弑す」と書くのですか。自分で立てて自分で殺したので、死者を成し遂げさせて生者を貶めるのです。
(經十四十二)宋子哀來奔。
(経十四十二)宋の子哀が投奔してきました。
(傳)宋子哀者何?無聞焉爾。
(伝)宋の子哀とはどのような人ですか。聞いたことがありません。
(經十四十三)冬,單伯如齊。
(経十四十三)冬、単伯が斉に行きました。
(經十四十四)齊人執單伯,齊人執子叔姬。
(経十四十四)斉の人が単伯を捉え、斉の人が子叔姫を捉えました。
(傳)執者曷為或稱行人?或不稱行人?稱行人而執者,以其事執也;不稱行人而執者,以己執也。單伯之罪何?道淫也。惡乎淫?淫乎子叔姬。然則曷為不言齊人執單伯及子叔姬?內辭也,使若異罪然。
(伝)人を捉えるのに、なぜ「行人」と称するものと称しないものがあるのですか。「行人」と称して捉えられたのは、その務めた事のゆえに捉えられたからです。「行人」と称さずに捉えられたのは、その人自身のゆえに捉えられたからです。単伯の罪は何ですか。道で淫らなことをしたことです。どこで淫らなことをしたのですか。子叔姫と淫らなことをしたのです。ではなぜ斉の人が単伯と子叔姫を捉えたと書かないのですか。魯国内部の措辞で、二つの異なる罪のように見せるためです。
文公(經十五一)十有五年
文公(経十五一)十有五年
春,季孫行父如晉。
春、季孫行父が晋に行きました。
(經十五二)三月,宋司馬華孫來盟。
(経十五二)三月、宋の司馬華孫が会盟に来ました。
