Libo

文公

战国 · 公羊高 · 第20巻 / 44

(經十五三)夏,曹伯來朝。

(経十五三)夏、曹伯が朝見に来ました。

(經十五四)齊人歸公孫敖之喪。

(経十五四)斉の人が公孫敖の喪柩を返しました。

(傳)何以不言來?內辭也。脅我而歸之,筍將而來也。

(伝)なぜ「来」と書かないのですか。魯国内部の措辞です。脅されてやっと返し、竹の輿に載せて届けてきたのです。

(經十五五)六月辛丑朔,日有食之,鼓用牲於社。

(経十五五)六月辛丑の朔、日食があり、鼓を打ち犠牲を用いて社を祭りました。

(經十五六)單伯至自齊。

(経十五六)単伯が斉から帰りました。

(經十五七)晉郄缺帥師伐蔡;戊申,入蔡。

(経十五七)晋の郤缺が軍隊を率いて蔡を攻めました。戊申、蔡に入りました。

(傳)入不言伐,此其言伐何?至之日也。其日何?至之日也。

(伝)入ることは例によって「伐」と書きません。ここで「伐」と書くのはなぜですか。到着したその日に入ったからです。なぜ日を記すのですか。到着したその日だからです。

(經十五八)秋,齊人侵我西鄙。

(経十五八)秋、斉の人がわが魯の西の辺境に侵入しました。

(經十五九)季孫行父如晉。

(経十五九)季孫行父が晋に行きました。

(經十五十)冬,十有一月,諸侯盟於扈。

(経十五十)冬十一月、諸侯が扈で会盟しました。

(經十五十一)十有二月,齊人來歸子叔姬。

(経十五十一)十二月、斉の人が子叔姫を返しに来ました。

(傳)其言來何?閔之也。此有罪,何閔爾?父母之於子,雖有罪,猶若其不欲服罪然。

(伝)なぜ「来」と書くのですか。彼女を憐れむのです。この人は罪があります。何を憐れむのですか。父母は子に対して、罪があっても、なお彼女が服罪しようとしないかのように見るのです。

(經十五十二)齊侯侵我西鄙,遂伐曹,入其郛。

(経十五十二)斉侯がわが魯の西の辺境に侵入し、続けて曹を攻め、曹の外城に入りました。

(傳)郛者何?恢郭也。入郛書乎?曰:不書。入郛不書,此何以書?動我也。動我者何?內辭也。其實我動焉爾。

(伝)郛とは何ですか。拡大された外城です。外城に入ることは記しますか。答えて言います。記しません。外城に入ることは例によって記さないのに、ここでなぜ記すのですか。われわれを驚かせたからです。われわれを驚かせたとはどういう意味ですか。魯国内部の措辞です。実はわれわれが驚かされたのです。

文公(經十六一)十有六年

文公(経十六一)十有六年

春,季孫行父會齊侯於陽穀,齊侯弗及盟。

春、季孫行父が陽穀で斉侯と会見しましたが、斉侯は彼と会盟しませんでした。

(傳)其言弗及盟何?不見與盟也。

(伝)「弗及盟」と書くのはどういう意味ですか。斉侯が彼と会盟しようとしなかったのです。

(經十六二)夏,五月,公四不視朔。

(経十六二)夏五月、文公が四回視朔しませんでした。

(傳)公曷為四不視朔?公有疾也。何言乎公有疾不視朔?自是公無疾,不視朔也。然則曷為不言「公無疾不視朔」?有疾猶可言也,無疾不可言也。

(伝)文公はなぜ四回視朔しなかったのですか。文公に病気があったからです。なぜ文公に病気があって視朔しなかったと言うのですか。これ以後、文公は病気でなくても視朔しなくなったからです。ではなぜ「公無疾不視朔」と書かないのですか。病気があればまだ言えますが、病気がなければ言いにくいのです。

(經十六三)六月戊辰,公子遂及齊侯盟於犀丘。

(経十六三)六月戊辰、公子遂が斉侯と犀丘で会盟しました。

(經十六四)秋,八月辛未,夫人姜氏薨。

(経十六四)秋八月辛未、夫人姜氏が亡くなりました。

(經十六五)毀泉臺。

(経十六五)泉台を毀ちました。

(傳)泉臺者何?郎臺也。郎臺則曷為謂之泉臺?未成為郎臺,既成為泉臺。毀泉臺,何以書?譏。何譏爾?築之譏,毀之譏。先祖為之,己毀之,不如勿居而已矣!

(伝)泉台とは何ですか。郎台です。郎台なのに、なぜ泉台と呼ぶのですか。まだ建て終わっていないときは郎台と呼び、建て終わると泉台と呼ぶのです。泉台を毀ったことをなぜ記すのですか。譏刺です。何を譏刺するのですか。築くのも譏刺し、毀るのも譏刺します。先祖が築いたものを自分で毀るなら、そこに住まないだけでよかったのです。

(經十六六)楚人、秦人、巴人滅庸。

(経十六六)楚の人・秦の人・巴の人が庸を滅ぼしました。

(經十六七)冬,十有一月,宋人弒其君處臼。

(経十六七)冬十一月、宋の人がその君である処臼を殺しました。

(傳)弒君者曷為或稱名氏?或不稱名氏?大夫弒君稱名氏,賤者窮諸人;大夫相殺稱人,賤者窮諸盜。

(伝)国君を殺すのに、なぜ名氏を称するものと称しないものがあるのですか。大夫が国君を殺せば名氏を称し、低い身分の者は極まって「人」と称します。大夫同士が殺し合えば「人」と称し、低い身分の者は極まって「盗」と称します。

文公(經十七一)十有七年

文公(経十七一)十有七年

春,晉人、衛人、陳人、鄭人伐宋。

春、晋の人・衛の人・陳の人・鄭の人が宋を攻めました。

(經十七二)夏,四月癸亥,葬我小君聖姜。

(経十七二)夏四月癸亥、わが魯の小君聖姜を葬りました。

(傳)聖姜者何?文公之母也。

(伝)聖姜とはどのような人ですか。文公の母です。

(經十七三)齊侯伐我西鄙。

(経十七三)斉侯がわが魯の西の辺境を攻めました。

(經十七四)六月癸未,公及齊侯盟於谷。

(経十七四)六月癸未、文公が斉侯と穀で会盟しました。

(經十七五)諸侯會於扈。

(経十七五)諸侯が扈で相見しました。

(經十七六)秋,公至自谷。

(経十七六)秋、文公が穀から帰りました。

(經十七七)冬,公子遂如齊。

(経十七七)冬、公子遂が斉に行きました。

文公(經十八一)十有八年

文公(経十八一)十有八年

春,王二月丁丑,公薨於臺下。

春、周暦二月丁丑、文公が台の下で亡くなりました。

(經十八二)秦伯罃卒。

(経十八二)秦伯䓨が亡くなりました。

(經十八三)夏,五月戊戌,齊人弒其君商人。

(経十八三)夏五月戊戌、斉の人がその君である商人を殺しました。

(經十八四)六月癸酉,葬我君文公。

(経十八四)六月癸酉、わが魯の君である文公を葬りました。

(經十八五)秋,公子遂、叔孫得臣如齊。

(経十八五)秋、公子遂・叔孫得臣が斉に行きました。

(經十八六)冬,十月,子卒。

(経十八六)冬十月、子が亡くなりました。

(傳)子卒者孰謂?謂子赤也。何以不日?隱之也。何隱爾?弒也。弒則何以不日?不忍言也。

(伝)「子卒」とは誰のことですか。子赤のことです。なぜ日を記さないのですか。この事を痛み隠すためです。何を痛み隠すのですか。殺されたことです。殺されたのなら、なぜ日を記さないのですか。言うに忍びないからです。

(經十八七)夫人姜氏歸於齊。

(経十八七)夫人姜氏が斉に帰りました。

(經十八八)季孫行父如齊。

(経十八八)季孫行父が斉に行きました。

(經十八九)莒弒其君庶其。

(経十八九)莒がその君である庶其を殺しました。

(傳)稱國以弒何?稱國以弒者,眾弒君之辭。

(伝)なぜ国名で殺と書くのですか。国名で殺と書くのは、衆人が国君を殺す措辞です。

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