宣公
(經七四)大旱。
(経七四)大旱魃があった。
(經七五)冬,公會晉侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯於黑壤。
(経七五)冬、宣公は晋侯・宋公・衛侯・鄭伯・曹伯と黒壤で会した。
宣公(經八一)八年
宣公(経八一)八年
春,公至自會。
春、宣公は会盟から帰った。
(經八二)夏,六月,公子遂如齊,至黃乃復。
(経八二)夏六月、公子遂が斉国へ行き、黄に至って帰った。
(傳)其言至黃乃復何?有疾也。何言乎有疾乃復?譏。何譏爾?大夫以君命出,聞喪徐行而不反。
(伝)「黄に至り乃ち復る」と書くのはどういう意味か。病気があったのである。なぜ病気があると言って帰るか。譏りである。何を譏るか。大夫は国君の命を奉じて出て、喪の報を聞いても緩やかに行くべきであって、帰るべきではない。
(經八三)辛巳,有事於太廟。
(経八三)辛巳、太廟で祭祀があった。
(經八四)仲遂卒於垂。
(経八四)仲遂が垂で卒した。
(傳)仲遂者何?公子遂也。何以不稱公子?貶。曷為貶?為弒子赤貶。然則曷為不於其弒焉貶?於文則無罪,於子則無年。
(伝)仲遂とは何者か。公子遂である。なぜ公子と称しないか。貶めである。なぜ貶めるか。子赤を殺したために貶める。ではなぜ彼が人を殺した所で貶めないか。文公の所ではまだ罪がなく、子赤の所ではまた年を記していないからである。
(經八五)壬午,猶繹。
(経八五)壬午、なお繹祭を行った。
(經八六)萬入去龠。
(経八六)万舞を入れ、籥を去った。
(傳)繹者何?祭之明日也。萬者何?幹舞也。龠者何?龠舞也。其言萬入去龠何?去其有聲者,廢其無聲者,存其心焉爾。存其心焉爾者何?知其不可而為之也。猶者何?通可以已也。
(伝)繹とは何か。正祭の翌日である。万とは何か。盾の舞である。籥とは何か。籥の舞である。「万を入れ籥を去る」と書くのはどういう意味か。声あるものを去り、声なきものを廃し、ただその心をそこに留めるのである。心をそこに留めるとはどういう意味か。不可と知りながらなお行うことである。「猶」とはどういう意味か。もとよりみな止め得たのである。
(經八七)戊子,夫人熊氏薨。
(経八七)戊子、夫人熊氏が卒した。
(經八八)晉師、白狄伐秦。
(経八八)晋軍・白狄が秦を攻めた。
(經八九)楚人滅舒蓼。
(経八九)楚国人が舒蓼を滅ぼした。
(經八十)秋,七月甲子,日有食之,既。
(経八十)秋七月甲子、日食があり、皆既であった。
(經八十一)冬,十月己丑,葬我小君頃熊。雨不克葬。庚寅,日中而克葬。
(経八十一)冬十月己丑、我が魯国の小君頃熊を葬ろうとした。雨のために葬ることができなかった。庚寅、日の中ば(正午)にようやく葬ることができた。
(傳)頃熊者何?宣公之母也。而者何?難也。乃者何?難也。曷為或言而?或言乃?乃難乎而也。
(伝)頃熊とは何者か。宣公の母である。「而」とはどういう意味か。困難である。「乃」とはどういう意味か。困難である。なぜある所には「而」と書き、ある所には「乃」と書くか。「乃」は「而」よりもさらに困難である。
(經八十二)城平陽。(經八十三)楚師伐陳。
(経八十二)平陽を修築した。(経八三)楚軍が陳を攻めた。
宣公(經九一)九年
宣公(経九一)九年
春,王正月,公如齊。公至自齊。
春、周暦正月、宣公が斉国へ行った。宣公は斉国から帰った。
(經九二)夏,仲孫蔑如京師。
(経九二)夏、仲孫蔑が京師へ行った。
(經九三)齊侯伐萊。
(経九三)斉侯が萊を攻めた。
(經九四)秋,取根牟。
(経九四)秋、根牟を奪った。
(傳)根牟者何?邾婁之邑也。曷為不繫乎邾婁?諱亟也。
(伝)根牟とは何か。邾婁の城邑である。なぜ邾婁に繋げて書かないか。求めるのが急すぎるのを隠諱するからである。
(經九五)八月,滕子卒。
(経九五)八月、滕子が卒した。
(經九六)九月,晉侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯會於扈。
(経九六)九月、晋侯・宋公・衛侯・鄭伯・曹伯が扈で相会した。
(經九七)晉荀林父帥師伐陳。
(経九七)晋国の荀林父が軍を率いて陳を攻めた。
(經九八)辛酉,晉侯黑臀卒於扈。
(経九八)辛酉、晋侯黒臀が扈で卒した。
(傳)扈者何?晉之邑也。諸侯卒其封內不地,此何以地?卒於會,故地也;未出其地,故不言會也。
(伝)扈とは何か。晋国の城邑である。諸侯が封疆の内で卒するのは例によって地を記さないのに、ここで地を記すのはなぜか。会盟の中で卒したので地を記し、まだその地を去らなかったので「会」と書かないのである。
(經九九)冬,十月癸酉,衛侯鄭卒。
(経九九)冬十月癸酉、衛侯鄭が卒した。
(經九十)宋人圍滕。
(経九十)宋国人が滕を包囲した。
(經九十一)楚子伐鄭,晉郄缺帥師救鄭。
(経九十一)楚子が鄭を攻め、晋国の郤缺が軍を率いて鄭を救った。
(經九十二)陳殺其大夫洩冶。
(経九十二)陳国がその大夫泄冶を殺した。
宣公(經十一)十年
宣公(経十一)十年
春,公如齊。公至自齊。
春、宣公が斉国へ行った。宣公は斉国から帰った。
(經十二)齊人歸我濟西田。
(経十二)斉国人が我が魯国の済水以西の田地を帰した。
(傳)齊已取之矣,其言我何?言我者未絕於我也。曷為未絕於我?齊已言取之矣,其實未之齊也。
(伝)斉国はすでにこれを取ったのに、なぜなお「我」と書くか。「我」と書くのは、まだ魯国から断絶していないからである。なぜまだ断絶していないか。斉国はすでに取ったと言ったが、実はまだ斉国の手に至っていないからである。
(經十三)夏,四月丙辰,日有食之。
(経十三)夏四月丙辰、日食があった。
(經十四)己巳,齊侯元卒。
(経十四)己巳、斉侯元が卒した。
(經十五)齊崔氏出奔衛。
(経十五)斉国の崔氏が衛に奔った。
(傳)崔氏者何?齊大夫也。其稱崔氏何?貶。曷為貶?譏世卿,世卿非禮也。
(伝)崔氏とは何者か。斉国の大夫である。なぜ「崔氏」と称するか。貶めである。なぜ貶めるか。世襲の卿を譏るのであり、世襲の卿は礼に合わないからである。
(經十六)公如齊。五月,公至自齊。
(経十六)宣公が斉国へ行った。五月、宣公は斉国から帰った。
(經十七)癸巳,陳夏徵舒弒其君平國。
(経十七)癸巳、陳国の夏征舒がその国君平国を殺した。
(經十八)六月,宋師伐滕。
(経十八)六月、宋軍が滕を攻めた。
(經十九)公孫歸父如齊,葬齊惠公。
(経十九)公孫帰父が斉国へ行き、斉恵公を葬った。
(經十十)晉人、宋人、衛人、曹人伐鄭。
(経十十)晋国人・宋国人・衛国人・曹国人が鄭を攻めた。
(經十十一)秋,天王使王季子來聘。
(経十十一)秋、天子が王季子を遣わして聘問に来た。
(傳)王季子者何?天子之大夫也。其稱王季子何?貴也。其貴奈何?母弟也。
(伝)王季子とは何者か。天子の大夫である。なぜ「王季子」と称するか。地位が尊いからである。どのように尊いか。天子の同母弟である。
(經十十二)公孫歸父帥師伐邾婁,取蘱。
(経十十二)公孫帰父が軍を率いて邾婁を攻め、蘱を奪った。
(經十十三)大水。
(経十十三)大水があった。
(經十十四)季孫行父如齊。
(経十十四)季孫行父が斉国へ行った。
(經十十五)冬,公孫歸父如齊。
(経十十五)冬、公孫帰父が斉国へ行った。
(經十十六)齊侯使國佐來聘。
(経十十六)斉侯が国佐を遣わして聘問に来た。
(經十十七)飢。
(経十十七)飢饉があった。
(傳)何以書?以重書也。
(伝)なぜ記すか。災情が甚だしいので記すのである。
(經十十八)楚子伐鄭。
(経十十八)楚子が鄭を攻めた。
宣公(經十一一)十有一年
宣公(経十一一)十有一年
春,王正月。
春、周暦正月。
(經十一二)夏,楚子、陳侯、鄭伯盟於辰陵。
(経十一二)夏、楚子・陳侯・鄭伯が辰陵で会盟した。
