Libo

宣公

战国 · 公羊高 · 第30巻 / 44

(經十一六)公至自伐鄭。

(経十一六)襄公は鄭討伐の軍から帰った。

(經十一七)楚子、鄭伯伐宋。

(経十一七)楚子、鄭伯が宋を攻めた。

(經十一八)公會晉侯、宋公、衛侯、曹伯、齊世子光、莒子、邾婁子、滕子、薛伯、杞伯、小邾婁子伐鄭,會於蕭魚。

(経十一八)襄公は晋侯、宋公、衛侯、曹伯、斉の世子光、莒子、邾婁子、滕子、薛伯、杞伯、小邾婁子と会して鄭を攻め、蕭魚で相会した。

(傳)此伐鄭也,其言會於蕭魚何?蓋鄭與會爾。

(伝)これは鄭を攻めたのであるのに、なぜ「会于蕭魚」と書くのか。おそらく鄭も会盟に加わったからである。

(經十一九)公至自會。

(経十一九)襄公は会盟から帰った。

(經十一十)楚人執鄭行人良霄。

(経十一十)楚人が鄭の行人良霄を捕らえた。

(經十一十一)冬,秦人伐晉。

(経十一十一)冬、秦人が晋を攻めた。

襄公(經十二一)十有二年

襄公(経十二一)十有二年

春,王三月,莒人伐我東鄙,圍臺。

春、周暦三月、莒人がわが魯の東部の辺境を攻め、台を包囲した。

(傳)邑不言圍,此其言圍何?伐而言圍者,取邑之辭也;伐而不言圍者,非取邑之辭也。

(伝)城邑は例によって「囲」と書かないのに、ここで「囲」と書くのはなぜか。伐と書き囲とも書くのは、城邑を奪い取る措辞であり、伐と書いて囲と書かなければ、城邑を奪い取る措辞ではないのである。

(經十二二)季孫宿帥師救臺,遂入運。

(経十二二)季孫宿が軍を率いて台を救い、続いて運に入った。

(傳)大夫無遂事,此其言遂何?公不得為政爾。

(伝)大夫には「遂」と続けて行うことはないのに、ここで「遂」と書くのはなぜか。襄公が政事を主うことができないだけである。

(經十二三)夏,晉侯使士彭來聘。

(経十二三)夏、晋侯は士彭を派遣して聘問させた。

(經十二四)秋,九月,吳子乘卒。

(経十二四)秋九月、呉子乗が薨去した。

(經十二五)冬,楚公子貞帥師侵宋。

(経十二五)冬、楚の公子貞が軍を率いて宋に侵入した。

(經十二六)公如晉。

(経十二六)襄公は晋に行った。

襄公(經十三一)十有三年

襄公(経十三一)十有三年

春,公至自晉。

春、襄公は晋から帰った。

(經十三二)夏,取詩。

(経十三二)夏、詩を奪い取った。

(傳)詩者何?邾婁之邑也。曷為不繫乎邾婁?諱亟也。

(伝)詩とは何か。邾婁の城邑である。なぜ邾婁に係属させないのか。求めるのが急すぎたことを諱むからである。

(經十三三)秋,九月庚辰,楚子審卒。

(経十三三)秋九月庚辰、楚子審が薨去した。

(經十三四)冬,城防。

(経十三四)冬、防を修築した。

襄公(經十四一)十有四年

襄公(経十四一)十有四年

春,王正月,季孫宿、叔老會晉士丐、齊人、宋人、衛人、鄭公孫囆、曹人、莒人、邾婁人、滕人、薛人、杞人、小邾婁人會吳於向。

春、周暦正月、季孫宿、叔老は晋の士丐、斉人、宋人、衛人、鄭の公孫蠆、曹人、莒人、邾婁人、滕人、薛人、杞人、小邾婁人と会し、向で呉と会見した。

(經十四二)二月乙未朔,日有食之。

(経十四二)二月乙未朔、日食があった。

(經十四二)夏,四月,叔孫豹會晉荀偃、齊人、宋人、衛北宮結、鄭公孫囆、曹人、莒人、邾婁人、滕人、薛人、杞人、小邾婁人伐秦。

(経十四二)夏四月、叔孫豹は晋の荀偃、斉人、宋人、衛の北宮結、鄭の公孫蠆、曹人、莒人、邾婁人、滕人、薛人、杞人、小邾婁人と会して秦を攻めた。

(經十四三)己未,衛侯衎出奔齊。

(経十四三)己未、衛侯衎が斉に出奔した。

(經十四四)莒人侵我東鄙。

(経十四四)莒人がわが魯の東部の辺境に侵入した。

(經十四五)秋,楚公子貞帥師伐吳。

(経十四五)秋、楚の公子貞が軍を率いて呉を攻めた。

(經十四六)冬,季孫宿會晉士丐、宋華閱、衛孫林父、鄭公孫囆、莒人、邾婁人於戚。

(経十四六)冬、季孫宿は晋の士丐、宋の華閲、衛の孫林父、鄭の公孫蠆、莒人、邾婁人と戚で会合した。

襄公(經十五一)十有五年

襄公(経十五一)十有五年

春,宋公使向戌來聘。二月己亥,及向戌盟於劉。

春、宋公は向戌を派遣して聘問させた。二月己亥、向戌と劉で会盟した。

(經十五二)劉夏逆王后於齊。

(経十五二)劉夏が斉に行って王后を迎えた。

(傳)劉夏者何?天子之大夫也。劉者何?邑也。其稱劉何?以邑氏也。外逆女不書,此何以書?過我也。

(伝)劉夏とは何者か。天子の大夫である。劉とは何か。城邑である。なぜ「劉」と称するのか。邑をもって氏としたのである。外で女子を娶ることは例によって記さないのに、ここではなぜ記すのか。彼が魯を通過したからである。

(經十五三)夏,齊侯伐我北鄙,圍成。公救成,至遇。

(経十五三)夏、斉侯がわが魯の北部の辺境を攻め、成を包囲した。襄公は成を救い、遇に至った。

(傳)其言至遇何?不敢進也。

(伝)「至遇」と書くのはどういう意味か。進むことを敢えてしなかったのである。

(經十五四)季孫宿、叔孫豹帥師城成郛。

(経十五四)季孫宿、叔孫豹は軍を率いて成の外城を修築した。

(經十五五)秋,八月丁巳,日有食之。

(経十五五)秋八月丁巳、日食があった。

(經十五六)邾婁人伐我南鄙。

(経十五六)邾婁人がわが魯の南部の辺境を攻めた。

(經十五七)冬,十有一月癸亥,晉侯周卒。

(経十五七)冬十一月癸亥、晋侯周が薨去した。

襄公(經十六一)十有六年

襄公(経十六一)十有六年

春,王正月,葬晉悼公。

春、周暦正月、晋悼公を葬った。

(經十六二)三月,公會晉侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯、莒子、邾婁子、薛伯、杞伯、小邾婁子於湨梁;戊寅,大夫盟。

(経十六二)三月、襄公は晋侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯、莒子、邾婁子、薛伯、杞伯、小邾婁子と湨梁で会合し、戊寅、大夫が会盟した。

(傳)諸侯皆在是,其言大夫盟何?信在大夫也。何言乎信在大夫?遍剌天下之大夫也。曷為遍剌天下之大夫?君若贅旒然。

(伝)諸侯は皆ここにいるのに、なぜ「大夫盟」と書くのか。信用が大夫の手にあるからである。なぜ信用が大夫の手にあるというのか。天下の大夫を遍く譏刺するのである。なぜ天下の大夫を遍く譏刺するのか。国君が旗に連なる飾りの房のようになっているからである。

(經十六三)晉人執莒子、邾婁子以歸。

(経十六三)晋人が莒子・邾婁子を捕らえて連れ帰った。

(經十六四)齊侯伐我北鄙。

(経十六四)斉侯がわが魯の北部の辺境を攻めた。

(經十六五)夏,公至自會。

(経十六五)夏、襄公は会盟から帰った。

(經十六六)五月甲子,地震。

(経十六六)五月甲子、地震があった。

(經十六七)叔老會鄭伯、晉荀偃、衛寧殖、宋人,伐許。

(経十六七)叔老は鄭伯、晋の荀偃、衛の寧殖、宋人と会して許を攻めた。

(經十六八)秋,齊侯伐我北鄙,圍成。

(経十六八)秋、斉侯がわが魯の北部の辺境を攻め、成を包囲した。

(經十六九)大雩。

(経十六九)大雩を行った。

(經十六十)冬,叔孫豹如晉。

(経十六十)冬、叔孫豹が晋に行った。

襄公(經十七一)十有七年

襄公(経十七一)十有七年

春,王二月庚午,邾婁子瞷卒。

春、周暦二月庚午、邾婁子瞷が薨去した。

(經十七二)宋人伐陳。

(経十七二)宋人が陳を攻めた。

(經十七三)夏,衛石買帥師伐曹。

(経十七三)夏、衛の石買が軍を率いて曹を攻めた。

(經十七四)秋,齊侯伐我北鄙,圍洮。齊高厚帥師伐我北鄙,圍防。

(経十七四)秋、斉侯がわが魯の北部の辺境を攻め、洮を包囲した。斉の高厚が軍を率いてわが魯の北部の辺境を攻め、防を包囲した。

(經十七五)九月,大雩。

(経十七五)九月、大雩を行った。

(經十七六)宋華臣出奔陳。

(経十七六)宋の華臣が陳に出奔した。

(經十七七)冬,邾婁人伐我南鄙。

(経十七七)冬、邾婁人がわが魯の南部の辺境を攻めた。

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