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宣公

战国 · 公羊高 · 第31巻 / 44

襄公(經十八一)十有八年

襄公(経十八一)十有八年

春,白狄來。

春、白狄が来た。

(傳)白狄者何?夷狄之君也。何以不言朝?不能朝也。

(伝)白狄とは何者か。夷狄の国君である。なぜ「朝」と書かないのか。彼が朝見の礼を行うことができないからである。

(經十八二)夏,晉人執衛行人石買。

(経十八二)夏、晋人が衛の行人石買を捕らえた。

(經十八三)秋,齊師伐我北鄙。

(経十八三)秋、斉軍がわが魯の北部の辺境を攻めた。

(經十八四)冬,十月,公會晉侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯、莒子、邾婁子、滕子、薛伯、杞伯、小邾婁子同圍齊;曹伯負芻卒於師。

(経十八四)冬十月、襄公は晋侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯、莒子、邾婁子、滕子、薛伯、杞伯、小邾婁子とともに斉を包囲した。曹伯負芻が軍中で薨去した。

(經十八五)楚公子午帥師伐鄭。

(経十八五)楚の公子午が軍を率いて鄭を攻めた。

襄公(經十九一)十有九年

襄公(経十九一)十有九年

春,王正月,諸侯盟於祝阿。

春、周暦正月、諸侯が祝阿で会盟した。

(經十九二)晉人執邾婁子。

(経十九二)晋人が邾婁子を捕らえた。

(經十九三)公至自伐齊。

(経十九三)襄公は斉討伐の軍から帰った。

(傳)此同圍齊也,何以致伐?未圍齊也。未圍齊則其言圍齊何?抑齊也。曷為抑齊?為其亟伐也;或曰為其驕蹇,使其世子處乎諸侯之上也。

(伝)これはともに斉を包囲したのであるのに、なぜ征伐から帰ったと書くのか。まだ斉を包囲していなかったからである。まだ斉を包囲していなかったのに、斉を包囲したと書くのはなぜか。斉を抑えつけるためである。なぜ斉を抑えつけるのか。たびたび攻めてきたからである。一説に、彼が驕横で、その世子を諸侯の上に置かせたからである。

(經十九四)取邾婁田,自漷水。

(経十九四)邾婁の田地を取り、漷水からとした。

(傳)其言自漷水何?以漷為竟也。何言乎以漷為竟?漷移也。

(伝)「自漷水」と書くのはどういう意味か。漷水をもって境界としたのである。なぜ漷水をもって境界としたというのか。漷水が流れを変えたからである。

(經十九五)季孫宿如晉。

(経十九五)季孫宿が晋に行った。

(經十九六)葬曹成公。

(経十九六)曹成公を葬った。

(經十九七)夏,衛孫林父帥師伐齊。

(経十九七)夏、衛の孫林父が軍を率いて斉を攻めた。

(經十九八)秋,七月辛卯,齊侯瑗卒。

(経十九八)秋七月辛卯、斉侯瑗が薨去した。

(經十九九)晉士丐帥師侵齊,至谷,聞齊侯卒,乃還。

(経十九九)晋の士丐が軍を率いて斉に侵入し、谷に至り、斉侯の薨去を聞いて帰った。

(傳)還者何?善辭也。何善爾?大其不伐喪也。此受命乎君而伐齊,則何大乎其不伐喪?大夫以君命出,進退在大夫也。

(伝)「還」とはどういう意味か。称賛の措辞である。何を称賛するのか。彼が喪中の国を攻めなかったことを誇張するのである。これは国君の命令を受けて斉を伐ったのに、なぜ彼が喪中の国を攻めなかったことを誇張するのか。大夫は国君の命令を奉じて出たなら、進退は大夫にあるのである。

(經十九十)八月丙辰,仲孫蔑卒。

(経十九十)八月丙辰、仲孫蔑が卒した。

(經十九十一)齊殺其大夫高厚。

(経十九十一)斉はその大夫高厚を殺した。

(經十九十二)鄭殺其大夫公子喜。

(経十九十二)鄭はその大夫公子喜を殺した。

(經十九十三)冬,葬齊靈公。

(経十九十三)冬、斉霊公を葬った。

(經十九十四)城西郛。

(経十九十四)西面の外城を修築した。

(經十九十五)叔孫豹會晉士丐於柯。

(経十九十五)叔孫豹は柯で晋の士丐と会見した。

(經十九十六)城武城。

(経十九十六)武城を修築した。

襄公(經二十一)二十年

襄公(経二十一)二十年

春,王正月辛亥,仲孫遬會莒人盟於向。

春、周暦正月辛亥、仲孫遬は莒人と向で会盟した。

(經二十二)夏,六月庚申,公會晉侯、齊侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯、莒子、邾婁子、滕子、薛伯、杞伯、小邾婁子盟於澶淵。

(経二十二)夏六月庚申、襄公は晋侯、斉侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯、莒子、邾婁子、滕子、薛伯、杞伯、小邾婁子と澶淵で会盟した。

(經二十三)秋,公至自會。

(経二十三)秋、襄公は会盟から帰った。

(經二十四)仲孫遬帥師伐邾婁。

(経二十四)仲孫遬が軍を率いて邾婁を攻めた。

(經二十五)蔡殺其大夫公子燮。

(経二十五)蔡はその大夫公子燮を殺した。

(經二十六)蔡公子履出奔楚。

(経二十六)蔡の公子履が楚に出奔した。

(經二十七)陳侯之弟光出奔楚。

(経二十七)陳侯の弟光が楚に出奔した。

(經二十八)叔老如齊。

(経二十八)叔老が斉に行った。

(經二十九)冬,十月丙辰朔,日有食之。

(経二十九)冬十月丙辰朔、日食があった。

(經二十十)季孫宿如宋。

(経二十十)季孫宿が宋に行った。

襄公(經二一一)二十有一年

襄公(経二一一)二十有一年

春,王正月,公如晉。

春、周暦正月、襄公は晋に行った。

(經二一二)邾婁庶其以漆閭丘來奔。

(経二一二)邾婁の庶其が漆・閭丘を携えて奔亡してきた。

(傳)邾婁庶其者何?邾婁大夫也。邾婁無大夫,此何以書?重地也。

(伝)邾婁庶其とは何者か。邾婁の大夫である。邾婁には大夫がいないのに、ここではなぜ記すのか。土地を重んじるからである。

(經二一三)夏,公至自晉。

(経二一三)夏、襄公は晋から帰った。

(經二一四)秋,晉欒盈出奔楚。

(経二一四)秋、晋の欒盈が楚に出奔した。

(經二一五)九月庚戌朔,日有食之。

(経二一五)九月庚戌朔、日食があった。

(經二一六)冬,十月庚辰朔,日有食之。

(経二一六)冬十月庚辰朔、日食があった。

(經二一七)曹伯來朝。

(経二一七)曹伯が朝見に来た。

(經二一八)公會晉侯、齊侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯、莒子、邾婁子於商任。

(経二一八)襄公は晋侯、斉侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯、莒子、邾婁子と商任で会合した。

(經二一九)十有一月庚子,孔子生。

(経二一九)十一月庚子、孔子が生まれた。

襄公(經二二一)二十有二年

襄公(経二二一)二十有二年

春,王正月,公至自會。

春、周暦正月、襄公は会盟から帰った。

(經二二二)夏,四月。

(経二二二)夏四月。

(經二二三)秋,七月辛酉,叔老卒。

(経二二三)秋七月辛酉、叔老が卒した。

(經二二四)冬,公會晉侯、齊侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯、莒子、邾婁子、滕子、薛伯、杞伯、小邾婁子於沙隨。公至自會。

(経二二四)冬、襄公は晋侯、斉侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯、莒子、邾婁子、滕子、薛伯、杞伯、小邾婁子と沙随で会合した。襄公は会盟から帰った。

(經二二五)楚殺其大夫公子追舒。

(経二二五)楚はその大夫公子追舒を殺した。

襄公(經二三一)二十有三年

襄公(経二三一)二十有三年

春,王二月癸酉朔,日有食之。

春、周暦二月癸酉朔、日食があった。

(經二三二)三月己巳,杞伯丐卒。

(経二三二)三月己巳、杞伯丐が薨去した。

(經二三三)夏,邾婁鼻我來奔。

(経二三三)夏、邾婁の鼻我が奔亡してきた。

(傳)邾婁鼻我者何?邾婁大夫也。邾婁無大夫,此何以書?以近書也。

(伝)邾婁鼻我とは何者か。邾婁の大夫である。邾婁には大夫がいないのに、ここではなぜ記すのか。時代が近いから記すのである。

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