Libo

宣公

战国 · 公羊高 · 第32巻 / 44

(經二三四)葬杞孝公。

(経二三四)杞孝公を葬った。

(經二三五)陳殺其大夫慶虎及慶寅。

(経二三五)陳はその大夫慶虎と慶寅を殺した。

(經二三六)陳侯之弟光自楚歸於陳。

(経二三六)陳侯の弟光が楚から陳に帰った。

(經二三七)晉欒盈復入於晉、入於曲沃。

(経二三七)晋の欒盈が再び晋に入り、曲沃に入った。

(傳)曲沃者何?晉之邑也。其言入於晉、入於曲沃何?欒盈將入晉,晉人不納,由乎曲沃而入也。

(伝)曲沃とは何か。晋の城邑である。「入于晋、入于曲沃」と書くのはどういう意味か。欒盈がまさに晋に入ろうとし、晋人が受け入れなかったので、曲沃から入ったのである。

(經二三八)秋,齊侯伐衛,遂伐晉。八月,叔孫豹帥師救晉,次於雍渝。

(経二三八)秋、斉侯が衛を攻め、続いて晋を攻めた。八月、叔孫豹が軍を率いて晋を救い、雍渝に駐屯した。

(傳)曷為先言救而後言次?先通君命也。

(伝)なぜ先に「救」と書いてから「次」と書くのか。先に国君の命令を伝えるためである。

(經二三九)己卯,仲孫遬卒。

(経二三九)己卯、仲孫遬が卒した。

(經二三十)冬,十月乙亥,臧孫紇出奔邾婁。

(経二三十)冬十月乙亥、臧孫紇が邾婁に出奔した。

(經二三十一)晉人殺欒盈。

(経二三十一)晋人が欒盈を殺した。

(傳)曷為不言殺其大夫?非其大夫也。

(伝)なぜその大夫を殺したと書かないのか。彼はすでに大夫ではなかったからである。

(經二三十二)齊侯襲莒。

(経二三十二)斉侯が莒を襲撃した。

襄公(經二四一)二十有四年

襄公(経二四一)二十有四年

春,叔孫豹如晉。仲孫羯帥師侵齊。夏,楚子伐吳。

春、叔孫豹が晋に行った。仲孫羯が軍を率いて斉に侵入した。夏、楚子が呉を攻めた。

(經二四二)秋,七月甲子朔,日有食之,既。

(経二四二)秋七月甲子朔、日食があって、皆既食であった。

(經二四三)齊崔杼帥師伐莒。

(経二四三)斉の崔杼が軍を率いて莒を攻めた。

(經二四四)大水。

(経二四四)大水があった。

(經二四五)八月癸巳朔,日有食之。

(経二四五)八月癸巳朔、日食があった。

(經二四六)公會晉侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯、莒子、邾婁子、滕子、薛伯、杞伯、小邾婁子於陳儀。

(経二四六)襄公は晋侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯、莒子、邾婁子、滕子、薛伯、杞伯、小邾婁子と陳儀で会合した。

(經二四七)冬,楚子、蔡侯、陳侯、許男伐鄭。公至自會。

(経二四七)冬、楚子、蔡侯、陳侯、許男が鄭を攻めた。襄公は会盟から帰った。

(經二四八)陳咸宜咎出奔楚。

(経二四八)陳の咸宜咎が楚に出奔した。

(經二四九)叔孫豹如京師。

(経二四九)叔孫豹が京師に行った。

(經二四十)大飢。

(経二四十)大飢饉であった。

襄公(經二五一)二十有五年

襄公(経二五一)二十有五年

春,齊崔杼帥師伐我北鄙。

春、斉の崔杼が軍を率いてわが魯の北部の辺境を攻めた。

(經二五二)夏,五月乙亥,齊崔杼弒其君光。

(経二五二)夏五月乙亥、斉の崔杼がその君光を弑した。

(經二五三)公會晉侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯、莒子、邾婁子、滕子、薛伯、杞伯、小邾婁子於陳儀。

(経二五三)襄公は晋侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯、莒子、邾婁子、滕子、薛伯、杞伯、小邾婁子と陳儀で会合した。

(經二五四)六月壬子,鄭公孫舍之帥師入陳。

(経二五四)六月壬子、鄭の公孫舎之が軍を率いて陳に入った。

(經二五五)秋,八月己巳,諸侯同盟於重丘,公至自會。

(経二五五)秋八月己巳、諸侯がともに重丘で会盟し、襄公は会盟から帰った。

(經二五六)衛侯入於陳儀。

(経二五六)衛侯が陳儀に入った。

(傳)陳儀者何?衛之邑也。曷為不言入於衛?諼君以弒也。

(伝)陳儀とは何か。衛の城邑である。なぜ衛に入ったと書かないのか。詐りをもって国君を殺すためである。

(經二五七)楚屈建帥師滅舒鳩。

(経二五七)楚の屈建が軍を率いて舒鳩を滅ぼした。

(經二五八)冬,鄭公孫囆帥師伐陳。

(経二五八)冬、鄭の公孫蠆が軍を率いて陳を攻めた。

(經二五九)十有二月,吳子謁伐楚,門於巢卒。

(経二五九)十二月、呉子謁が楚を攻め、巣の城門で卒した。

(傳)門於巢卒者何?入門乎巢而卒也。入門乎巢而卒者何?入巢之門而卒也。吳子謁,何以名?傷而反,未至乎舍而卒也。

(伝)「門于巣卒」とはどういう意味か。巣の門に入って卒したのである。巣の門に入って卒したとはどういう意味か。巣の城門に入って卒したのである。呉子謁はなぜ名を称されるのか。傷を負って帰り、宿舎に着く前に死んだからである。

襄公(經二六一)二十有六年

襄公(経二六一)二十有六年

春,王二月辛卯,衛寧喜弒其君剽。衛孫林父入於戚以叛。甲午,衛侯衎復歸於衛。

春、周暦二月辛卯、衛の寧喜がその君剽を弑した。衛の孫林父が戚に入って反逆した。甲午、衛侯衎が衛に再び帰った。

(傳)此諼君以弒也,其言復歸何?惡剽也。曷為惡剽?剽之立於是未有說也。然則曷為不言剽之立?不言剽之立者,以惡衛侯也。

(伝)これは詐りをもって国君を殺したのであるのに、なぜ「復帰」と書くのか。剽を憎むからである。なぜ剽を憎むのか。剽の立てられたことにはこの時まだ言辞がなかったからである。ではなぜ剽の立てられたことを書かないのか。剽の立てられたことを書かないのは、衛侯を憎むためである。

(經二六二)夏,晉侯使荀吳來聘。

(経二六二)夏、晋侯は荀呉を派遣して聘問させた。

(經二六三)公會晉人、鄭良霄、宋人、曹人於澶淵。

(経二六三)襄公は晋人、鄭の良霄、宋人、曹人と澶淵で会合した。

(經二六四)秋,宋公弒其世子痤。

(経二六四)秋、宋公がその世子痤を殺した。

(經二六五)晉人執衛寧喜。

(経二六五)晋人が衛の寧喜を捕らえた。

(傳)此執有罪,何以不得為伯討?不以其罪執之也。

(伝)これは罪ある者を捕らえたのに、なぜ覇者の討伐と見なせないのか。彼の罪に従って捕らえたのではないからである。

(經二六六)八月壬午,許男寧卒於楚。

(経二六六)八月壬午、許男寧が楚で薨去した。

(經二六七)冬,楚子、蔡侯、陳侯伐鄭。

(経二六七)冬、楚子、蔡侯、陳侯が鄭を攻めた。

(經二六八)葬許靈公。

(経二六八)許霊公を葬った。

襄公(經二七一)二十有七年

襄公(経二七一)二十有七年

春,齊侯使慶封來聘。

春、斉侯は慶封を派遣して聘問させた。

(經二七二)夏,叔孫豹會晉趙武、楚屈建、蔡公孫歸生、衛石惡、陳孔瑗、鄭良霄、許人、曹人於宋。

(経二七二)夏、叔孫豹は晋の趙武、楚の屈建、蔡の公孫帰生、衛の石悪、陳の孔瑗、鄭の良霄、許人、曹人と宋で会合した。

(經二七三)衛殺其大夫寧喜,衛侯之弟鱄出奔晉。

(経二七三)衛はその大夫寧喜を殺し、衛侯の弟鱄が晋に出奔した。

(傳)衛殺其大夫寧喜,則衛侯之弟鱄曷為出奔晉?為殺寧喜出奔也。曷為為殺寧喜出奔?衛寧殖與孫林父逐衛侯而立公孫剽,寧殖病將死,謂喜曰:「黜公者,非吾意也,孫氏為之。我即死,女能固納公乎?」喜曰:「諾。」寧殖死,喜立為大夫,使人謂獻公曰:「黜公者,非寧氏也,孫氏為之。吾欲納公,何如?」獻公曰:「子茍欲納我,吾請與子盟。」喜曰:「無所用盟,請使公子鱄約之。」獻公謂公子鱄曰:「寧氏將納我,吾欲與之盟。其言曰:『無所用盟,請使公子鱄約之。』子固為我與之約矣。」公子鱄辭曰:「夫負羈縶,執鈇鑕,從君東西南北,則是臣僕庶孽之事也。若夫約言為信,則非臣僕庶孽之所敢與也。」獻公怒曰:「黜我者,非寧氏與孫氏,凡在爾。」公子鱄不得已而與之約。已約,歸至,殺寧喜。公子鱄挈其妻子而去之,將濟於河,攜其妻子而與之盟,曰:「茍有履衛地、食衛粟者,昧雉彼視。」

(伝)衛が大夫寧喜を殺したのに、衛侯の弟鱄はなぜ晋に出奔したのか。寧喜を殺したために出奔したのである。なぜ寧喜を殺したために出奔したのか。衛の寧殖と孫林父は衛侯を逐い出して公孫剽を立てた。寧殖は病重く死に臨んで、喜に言った、「国君を廃黜したのは、わが意ではない、孫氏のやったことだ。わしが死んだら、お前は国君を送り返すことを堅く持することができるか」と。喜は「はい」と言った。寧殖が死に、喜は大夫に立てられ、人を遣わして献公に言わせた、「国君を廃黜したのは寧氏ではなく、孫氏のやったことです。わたしはあなたを送り返したいのですが、いかがでしょう」と。献公は言った、「あなたが本当にわたしを送り返そうというなら、あなたと会盟することを請う」と。喜は言った、「会盟の必要はありません、公子鱄を遣わして約定してください」と。献公は公子鱄に言った、「寧氏がわたしを送り返そうとしており、わたしは彼と会盟したい。彼は『会盟の必要はない、公子鱄を遣わして約定せよ』と言う。あなたは必ずわたしのために彼と約定せよ」と。公子鱄は辞して言った、「羁绊を負い斧砧を持って、国君に従って東西南北するのは、臣僕や庶孽の務めです。約誓を結んで憑信とすることは、臣僕や庶孽の敢えて与るところではありません」と。献公は怒って言った、「わたしを廃黜したのは寧氏と孫氏ではなく、すべてあなたに在る」と。公子鱄はやむをえず彼と約定した。すでに約定し、献公は帰り、寧喜を殺した。公子鱄は妻子を連れて去り、まさに河を渡ろうとして、妻子を率いて彼らに誓って言った、「もし衛の地を踏み衛の粟を食むことがあれば、この雉のように見られますように」と。

(經二七四)秋,七月辛巳,豹及諸侯之大夫盟於宋。

(経二七四)秋七月辛巳、豹は諸侯の大夫と宋で会盟した。

(傳)曷為再言豹?殆諸侯也。曷為殆諸侯?為衛石惡在是也,曰惡人之徒在是矣。

(伝)なぜ再び「豹」と書くのか。諸侯を危うくするからである。なぜ諸侯を危うくするのか。衛の石悪がここにいて、悪人の党徒がここにいると言ったからである。

(經二七五)冬,十有二月乙亥朔,日有食之。

(経二七五)冬十二月乙亥朔、日食があった。

襄公(經二八一)二十有八年

襄公(経二八一)二十有八年

春,無冰。

春、氷が張らなかった。

(經二八二)夏,衛石惡出奔晉。

(経二八二)夏、衛の石悪が晋に出奔した。

(經二八三)邾婁子來朝。

(経二八三)邾婁子が朝見に来た。

(經二八四)秋,八月,大雩。

(経二八四)秋八月、大雩を行った。

(經二八五)仲孫羯如晉。

(経二八五)仲孫羯が晋に行った。

The original text is in the public domain. The Japanese is a machine-assisted translation of this library’s own Chinese paraphrase, checked against a fixed glossary so that technical terms match the definitions used elsewhere on this site. It is a reading aid and does not replace the original.