隠公(元年~十一年)
會於首止,會王大子鄭,謀寧周也。
会于首止、会王大子鄭、謀寧周也。
陳轅宣仲怨鄭申侯之反己於召陵,故勸之城其賜邑,曰:“美城之,大名也,子孫不忘。吾助子請。”乃為之請於諸侯而城之,美。遂譖諸鄭伯,曰:“美城其賜邑,將以叛也。”申侯由是得罪。
陳轅宣仲怨鄭申侯之反己于召陵、故勸之城其賜邑、曰「美城之、大名也、子孫不忘。吾助子請」。乃為之請于諸侯而城之、美。遂譖諸鄭伯、曰「美城其賜邑、将以叛也」。申侯由是得罪。
秋,諸侯盟。王使周公召鄭伯,曰:“吾撫女以從楚,輔之以晉,可以少安。”
秋、諸侯盟。王使周公召鄭伯、曰「吾撫女以従楚、輔之以晋、可以少安」
鄭伯喜於王命而懼其不朝於齊也,故逃歸不盟。孔叔止之曰:“國君不可以輕,輕則失親。失親患必至,病而乞盟,所喪多矣,君必悔之。”弗聽,逃其師而歸。
鄭伯喜于王命、而懼其不朝于斉也、故逃帰不盟。孔叔止之、曰「国君不可以軽、軽則失親。失親患必至、病而乞盟、所喪多矣、君必悔之」。弗聴、逃其師而帰。
楚鬥谷於菟滅弦,弦子奔黃。
楚鬬穀於菟滅弦、弦子奔黄。
於是江、黃、道、柏方睦於齊,皆弦姻也。弦子恃之而不事楚,又不設備,故亡。
于是江・黄・道・柏方睦于斉、皆弦姻也。弦子恃之而不事楚、又不設備、故亡。
晉侯復假道於虞以伐虢。宮之奇諫曰:“虢,虞之表也。虢亡,虞必從之。
晋侯復仮道于虞以伐虢。宮之奇諫曰「虢、虞之表也。虢亡、虞必従之。
晉不可啟,寇不可翫,一之謂甚,其可再乎?諺所謂‘輔車相依,唇亡齒寒’者,其虞、虢之謂也。”公曰:“晉,吾宗也,豈害我哉?”對曰:大伯、虞仲,大王之昭也。大伯不從,是以不嗣。虢仲、虢叔,王季之穆也,為文王卿士,勳在王室,藏於盟府。將虢是滅,何愛於虞?且虞能親於桓,莊乎,其愛之也?桓、莊之族何罪,而以為戮,不唯逼乎?親以寵逼,猶尚害之,況以國乎?”公曰:“吾享祀豐潔,神必據我。”對曰:“臣聞之,鬼神非人實親,惟德是依。故《周書》曰:‘皇天無親,惟德是輔。’又曰:‘黍稷非馨,明德惟馨。’又曰:‘民不易物,惟德繄物。’如是,則非德,民不和,神不享矣。神所馮依,將在德矣。若晉取虞而明德以薦馨香,神其吐之乎?”弗聽,許晉使。宮之奇以其族行,曰:“虞不臘矣,在此行也,晉不更舉矣。”
(宮之奇は続けて言う)晋不可啓、寇不可翫、一之謂甚、其可再乎?諺所謂『輔車相依、唇亡歯寒』者、其虞虢之謂也」。公曰「晋吾宗也、豈害我哉」。對曰「大伯・虞仲、大王之昭也。大伯不従、是以不嗣。虢仲・虢叔、王季之穆也、為文王卿士、勲在王室、蔵于盟府。将虢是滅、何愛于虞?且虞能親于桓荘乎、其愛之也?桓荘之族何罪、而以為戮、不唯偪乎?親以寵偪、猶尚害之、況以国乎?」公曰「吾享祀豊絜、神必拠我」。對曰「臣聞之、鬼神非人実親、惟徳是依。故『周書』曰『皇天无親、惟徳是輔』。又曰『黍稷非馨、明徳惟馨』。又曰『民不易物、惟徳繄物』。如是、則非徳民不和、神不享矣。神所馮依、将在徳矣。若晋取虞而明徳以薦馨香、神其吐之乎?」弗聴、許晋使。宮之奇以其族行、曰「虞不臘矣、在此行也、晋不更挙矣」
八月甲午,晉侯圍上陽。問於卜偃曰:“吾其濟乎”?對曰:“克之。”公曰:“何時?”對曰:“童謠云:‘丙之晨,龍尾伏辰,均服振振,取虢之旂。
八月甲午、晋侯囲上陽。問于卜偃曰「吾其済乎」。對曰「克之」。公曰「何時」。對曰「童謡云『丙之晨、龍尾伏辰、均服振振、取虢之旂。
鶉之賁賁,天策焞々,火中成軍,虢公其奔。’其九月、十月之交乎。丙子旦,日在尾,月在策,鶉火中,必是時也。”
(卜偃は続けて言う)鶉之賁賁、天策焞焞、火中成軍、虢公其奔』。其九月十月之交乎。丙子旦、日在尾、月在策、鶉火中、必是時也」
冬十二月丙子朔,晉滅虢,虢公醜奔京師。師還,館於虞,遂襲虞,滅之,執虞公及其大夫井伯,以媵秦穆姬。而修虞祀,且歸其職貢於王。
冬十二月丙子朔、晋滅虢、虢公醜奔京師。師還、館于虞、遂襲虞、滅之、執虞公及其大夫井伯、以媵秦穆姫。而脩虞祀、且帰其職貢于王。
故書曰:“晉人執虞公。”罪虞,且言易也。
故書曰「晋人執虞公」。罪虞、且言易也。
◇僖公六年
◇僖公六年
【經】六年春王正月。夏,公會齊侯、宋公、陳侯、衛侯、曹伯伐鄭,圍新城。秋,楚人圍許,諸侯遂救許。冬,公至自伐鄭。
【経】六年春、周天子の暦の正月。夏、僖公会斉侯・宋公・陳侯・衛侯・曹伯伐鄭、囲新城。秋、楚人囲許、諸侯遂救許。冬、僖公至自伐鄭。
【傳】六年春,晉侯使賈華伐屈。夷吾不能守,盟而行。將奔狄,郤芮曰:“後出同走,罪也。不如之梁。梁近秦而幸焉。”乃之梁。
【伝】六年春、晋侯使賈華伐屈。夷吾不能守、盟而行。将奔狄、郤芮曰「後出同走、罪也。不如之梁。梁近秦而幸焉」。乃之梁。
夏,諸侯伐鄭,以其逃首止之盟故也。圍新密,鄭所以不時城也。
夏、諸侯伐鄭、以其逃首止之盟故也。囲新密、鄭所以不時城也。
秋,楚子圍許以救鄭,諸侯救許,乃還。
秋、楚子囲許以救鄭、諸侯救許、乃還。
冬,蔡穆侯將許僖公以見楚子於武城。許男面縛,銜璧,大夫衰絰,士輿櫬。
冬、蔡穆侯将許僖公以見楚子于武城。許男面縛銜璧、大夫衰絰、士輿櫬。
楚子問諸逢伯,對曰:“昔武王克殷,微子啟如是。武王親釋其縛,受其璧而祓之。焚其櫬,禮而命之,使復其所。”楚子從之。
楚子問諸逢伯、對曰「昔武王克殷、微子啓如是。武王親釈其縛、受其璧而祓之。焚其櫬、礼而命之、使復其所」。楚子従之。
◇僖公七年
◇僖公七年
【經】七年春,齊人伐鄭。夏,小邾子來朝。鄭殺其大夫申侯。秋七月,公會齊侯、宋公、陳世子款、鄭世子華盟於寧母。曹伯班卒。公子友如齊。冬,葬曹昭公。
【経】七年春、斉人伐鄭。夏、小邾子来朝。鄭殺其大夫申侯。秋七月、僖公会斉侯・宋公・陳世子款・鄭世子華盟于寧母。曹伯班が亡くなった。公子友如斉。冬、葬曹昭公。
【傳】七年春,齊人伐鄭。孔叔言於鄭伯曰:“諺有之曰:‘心則不競,何憚於病。’既不能強,又不能弱,所以斃也。國危矣,請下齊以救國。”公曰:“吾知其所由來矣。姑少待我。”對曰:“朝不及夕,何以待君?”夏,鄭殺申侯以說於齊,且用陳轅濤塗之譖也。
【伝】七年春、斉人伐鄭。孔叔言于鄭伯曰「諺有之曰『心則不競、何憚于病』。既不能強、又不能弱、所以斃也。国危矣、請下斉以救国」。公曰「吾知其所由来矣。姑少待我」。対曰「朝不及夕、何以待君?」夏、鄭殺申侯以説于斉、且用陳轅涛塗之譖也。
初,申侯,申出也,有寵於楚文王。文王將死,與之璧,使行,曰,“唯我知女,女專利而不厭,予取予求,不女疵瑕也。後之人將求多於女,女必不免。
むかし、申侯、申出也、有寵于楚文王。文王将死、与之璧、使行、曰「唯我知女。女専利而不厭、予取予求、不女疵瑕也。後之人将求多于女、女必不免。
我死,女必速行。無適小國,將不女容焉。”既葬,出奔鄭,又有寵於厲公。子文聞其死也,曰:“古人有言曰‘知臣莫若君。’弗可改也已。”
(楚文王は続けて言う)我死、女必速行。无適小国、将不女容焉」。既葬、出奔鄭、又有寵于厲公。子文聞其死也、曰「古人有言曰『知臣莫若君』。弗可改也已」
秋,盟於寧母,謀鄭故也。
秋、盟于寧母、謀鄭故也。
管仲言於齊侯曰:“臣聞之,招攜以禮,懷遠以德,德禮不易,無人不懷。”
管仲は斉侯に言った。「臣が聞くところでは、離心の者を招き撫するには礼を用い、遠方の者を安んずるには徳を用います。徳と礼が変わらなければ、帰附しない者はありません」と。
齊侯修禮於諸侯,諸侯官受方物。
斉侯は諸侯に礼儀を修明し、諸侯の官はそれぞれ貢ぐべき土産を受け取った。
鄭伯使大子華聽命於會,言於齊侯曰:“洩氏、孔氏、子人氏三族,實違君命。若君去之以為成。我以鄭為內臣,君亦無所不利焉。”齊侯將許之。管仲曰:“君以禮與信屬諸侯,而以奸終之,無乃不可乎?子父不奸之謂禮,守命共時之謂信。違此二者,奸莫大焉。”公曰:“諸侯有討於鄭,未捷。今苟有釁,從之,不亦可乎?”對曰:“君若綏之以德,加之以訓辭,而帥諸侯以討鄭,鄭將覆亡之不暇,豈敢不懼?若總其罪人以臨之,鄭有辭矣,何懼?且夫合諸侯以崇德也,會而列奸,何以示後嗣?夫諸侯之會,其德刑禮義,無國不記。記奸之位,君盟替矣。作而不記,非盛德也。君其勿許,鄭必受盟。夫子華既為大子而求介於大國,以弱其國,亦必不免。鄭有叔詹、堵叔、師叔三良為政,未可間也。”齊侯辭焉。子華由是得罪於鄭。
鄭伯は太子華を会上に遣わして命を聴かせた。太子華は斉侯に言った。「洩氏・孔氏・子人氏の三族は、実にあなたの命令に背いています。もしあなたが彼らを除いて講和されるなら、私は鄭国をあなたの内臣とさせ、あなたに不利なこともありません」と。斉侯は許そうとした。管仲は言った。「あなたは礼と信を以て諸侯を糾合しながら、奸邪を以て締めくくるのは、恐らくできないでしょう。父子が背かないを礼と言い、君命を守り時宜に合うを信と言います。この二条に背くことは、奸邪はこれより大きいものはありません」と。斉侯は言った。「諸侯は鄭国を討ったが、まだ勝っていない。今もし間隙があれば、この機会に乗じるのも、よいではないか」と。管仲は答えた。「あなたが徳を以て彼らを安んじ、訓戒の言葉を加え、再び諸侯を率いて鄭国を討てば、鄭国は危亡を救うのに間に合わず、どうして敢えて恐れないでしょう。もし彼らの罪人を連れて彼らを圧すれば、鄭国は言い分ができて、何を恐れましょうか。しかも諸侯を会すのは徳を崇めるためです。会盟で奸人を位次に列せば、何を以て後代に見せましょうか。諸侯の会見では、徳・刑・礼・義、どの国も記録しないものがありません。奸人の位次を記録すれば、あなたの盟約は廃れます。行って記録しないも、盛徳ではありません。あなたはやはりお許しにならないでください。鄭国は必ず来て盟を受けるでしょう。子華はすでに太子でありながら、大国に依頼して自国を削弱しようとすれば、また必ず免れられないでしょう。鄭国には叔詹・堵叔・師叔の三人の賢臣が政を執っており、まだ隙を窺うことはできません」と。斉侯は断った。子華はこれより鄭国で罪を得た。
冬,鄭伯請盟於齊。
冬、鄭伯は斉国と盟約を結ぶことを請うた。
閏月,惠王崩。襄王惡大叔帶之難,懼不立,不發喪而告難於齊。
閏月、恵王が亡くなった。襄王は大叔帯が乱を起こすことを恐れ、自ら立てないことを怕れて、発喪せずに斉国に急を告げた。
◇僖公八年
◇僖公八年
【經】八年春王正月,公會王人、齊侯、宋公、衛侯、許男、曹伯、陳世子款盟於洮。鄭伯乞盟。夏,狄伐晉。秋七月,禘於大廟,用致夫人。冬十有二月丁未,天王崩。
【経】八年春、周天子の暦の正月、僖公は王室の人・斉侯・宋公・衛侯・許男・曹伯・陳国の世子款と洮で盟約した。鄭伯は盟に加わることを請うた。夏、狄人は晋を攻めた。秋七月、太廟で禘祭を行い、夫人の神主を入れた。冬十二月丁未、天子が崩じた。
【傳】八年春,盟於洮,謀王室也。鄭伯乞盟,請服也。襄王定位而後發喪。
【伝】八年春、洮で盟約したのは、王室を安んじることを謀るためである。鄭伯が盟に加わることを請うたのは、罪に服する請いである。襄王の地位が安らいで後に発喪した。
晉裡克帥師,梁由靡御。虢射為右,以敗狄於採桑。梁由靡曰:“狄無恥,從之必大克。”裡克曰:“拒之而已,無速眾狄。”虢射曰:“期年,狄必至,示之弱矣。”
晋の里克は軍を率い、梁由靡が御し、虢射が車右を務め、采桑で狄人を敗った。梁由靡は言った。「狄人は恥を知らない、追撃すれば必ず大勝ちできます」と。里克は言った。「彼らを止めるだけでよい、各部の狄人を招くな」と。虢射は言った。「一年後、狄人は必ず再来します。すでに軟弱を彼らに見せました」と。
夏,狄伐晉,報採桑之役也。復期月。
夏、狄人が晋を攻めたのは、采桑の戦いの報復である。満一年の期限に応えた。
秋,禘而致哀姜焉,非禮也。凡夫人不薨於寢,不殯於廟,不赴於同,不祔於姑,則弗致也。
秋、禘祭を行い哀姜の神主を太廟に入れたのは、礼に合わない。凡そ夫人は、正寝で死なず、祖廟で殯を停めず、同盟の国に訃を告げず、祖姑に陪祀せざれば、神主を入れない。
冬,王人來告喪,難故也,是以緩。
冬、王室の人が来て喪を告げたのは、禍難があったためで、遅れた。
宋公疾,大子茲父固請曰:“目夷長,且仁,君其立之。”公命子魚,子魚辭,曰:“能以國讓,仁孰大焉?臣不及也,且又不順。”遂走而退。
宋公が病み、太子茲父は強く請うて言った。「目夷は年長であり、かつ仁愛です。あなたは彼を立ててください」と。宋公は子魚に継がせることを命じ、子魚は辞して言った。「国を他者に譲ることができるなら、これより大きな仁があるでしょうか。臣は彼に及ばず、しかもこれは順ではありません」と。于是快歩して退いた。
◇僖公九年
◇僖公九年
【經】九年春王三月丁丑,宋公御說卒。夏,公會宰周公、齊侯、宋子、衛侯、鄭伯、許男、曹伯於葵丘。秋七月乙酉,伯姬卒。九月戊辰,諸侯盟於葵丘。
【経】九年春、周天子の暦の三月丁丑、宋公御説が亡くなった。夏、僖公は宰周公・斉侯・宋子・衛侯・鄭伯・許男・曹伯と葵丘で会見した。秋七月乙酉、伯姫が亡くなった。九月戊辰、諸侯は葵丘で盟約した。
甲子,晉侯佹諸卒。冬,晉裡奚克殺其君之子奚齊。
甲子、晋侯佹諸が亡くなった。冬、晋の里克は国君の子奚斉を殺した。底本は「里奚克」とする、即ち里克である。
【傳】九年春,宋桓公卒,未葬而襄公會諸侯,故曰子。凡在喪,王曰小童,公侯曰子。
【伝】九年春、宋桓公が亡くなり、まだ葬られていないのに、襄公は諸侯に会いに行ったので、『春秋』は彼を「子」と称した。凡そ喪事の期間は、天子は小童と称し、公侯は子と称する。
夏,會於葵丘,尋盟,且修好,禮也。
夏、葵丘で会見し、旧盟を重温し、かつ友好を修め直したのは、礼に合う。
王使宰孔賜齊侯胙,曰:“天子有事於文武,使孔賜伯舅胙。”齊侯將下拜。
天子は宰孔を遣わして斉侯に祭肉を賜い、言った。「天子は文王・武王に祭祀があり、孔を遣わして伯舅に祭肉を賜る」と。斉侯は階を下りて拝謝しようとした。
孔曰:“且有後命。天子使孔曰:‘以伯舅耋老,加勞,賜一級,無下拜’”。
宰孔は言った。「さらに後の命令があります。天子が孔を遣わして言うには『伯舅が年高であり、功労を加え、一等を進めて賜い、階を下りて拝むことは要らない』」と。
對曰:“天威不違顏咫尺,小白餘敢貪天子之命無下拜?恐隕越於下,以遺天子羞。敢不下拜?”下,拜;登,受。
斉侯は答えた。「天子の威厳は私の顔から咫尺も離れていないのに、小白の私が天子の命令を貪って下拝しないとは、恐らく下で礼を失し、天子に羞辱をもたらすでしょう。敢えて下拝しないでいられようか」と。于是階を下り、拝謝し、堂に登り、受け取った。
秋,齊侯盟諸侯於葵丘,曰:“凡我同盟之人,既盟之後,言歸於好。”宰孔先歸,遇晉侯曰:“可無會也。齊侯不務德而勤遠略,故北伐山戎,南伐楚,西為此會也。東略之不知,西則否矣。其在亂乎。君務靖亂,無勤於行。”晉侯乃還。
秋、斉侯は諸侯と葵丘で盟約し、言った。「凡そ我らが同盟の者は、盟約を結んだ後、皆友好に帰れ」と。宰孔は先に帰り、晋侯に遇い、言った。「参加しなくてもよい。斉侯は徳を務めずして遠方を経略に勤しむので、北に山戎を攻め、南に楚を攻め、西でこの会を開いた。東はどう経略するかまだ知れず、西はもう駄目だ。晋国の憂患は恐らく内乱にあるだろう。あなたは内乱を平定することに専念し、出行に急ぐ必要はない」と。晋侯は于是帰った。
九月,晉獻公卒,裡克、鄭欲納文公,故以三公子之徒作亂。
九月、晋献公が亡くなった。里克・鄭は文公を迎え入れたいので、三公子の党羽に依頼して乱を起こした。
初,獻公使荀息傅奚齊,公疾,召之,曰:“以是藐諸孤,辱在大夫,其若之何?”稽首而對曰:“臣竭其股肱之力,加之以忠貞。其濟,君之靈也;不濟,則以死繼之。”公曰:“何謂忠貞?”對曰:“公家之利,知無不為,忠也。送往事居,耦俱無猜。貞也。”及裡克將殺奚齊,先告荀息曰:“三怨將作,秦、晉輔之,子將何如?”荀息曰:“將死之。”裡克曰:“無益也。”荀叔曰:“吾與先君言矣,不可以貳。能欲復言而愛身乎?雖無益也,將焉闢之?且人之慾善,誰不如我?我欲無貳而能謂人已乎?”冬十月,裡克殺奚齊於次。書曰:“殺其君之子。”未葬也。荀息將死之,人曰:“不如立卓子而輔之。”荀息立公子卓以葬。十一月,裡克殺公子卓於朝,荀息死之。君子曰:“詩所謂‘白圭之玷,尚可磨也;斯言之玷,不可為也,’荀息有焉。”
むかし、献公は荀息に奚斉を輔けさせた。献公が病み、荀息を召見して言った。「この幼弱な孤児を大夫に託す、あなたはどうするつもりか」と。荀息は頭を叩いて答えた。「臣は股肱の力を尽くし、さらに忠貞を加えます。事が成れば、あなたの天の霊に托り、成らなければ、死を以て従います」と。献公は言った。「忠貞とは何か」と。荀息は答えた。「公家に利ある事は、知れば為さないことはない、これが忠です。死者を送り生者に事えて、両方に猜疑がない、これが貞です」と。里克が奚斉を殺そうとするに及び、先ず荀息に告げて言った。「三方面の怨みが発作しようとしており、秦国・晋国に人が彼らを輔けています。あなたはどうするつもりか」と。荀息は言った。「私はこれのために死ぬだろう」と。里克は言った。「益はない」と。荀息は言った。「私はすでに先君に言いました。二心を持つことはできません。諾を践みながら身を惜しむことがあろうか。益がなくても、どこに避けることができようか。しかも人が善を為そうとするのは、誰が私と異ならないでしょう。私自身が二心を持たないと思うのに、人に止めろと要求できますか」と。冬十月、里克は居喪の茅屋で奚斉を殺した。『春秋』は「殺其君之子」と記す。まだ葬られていないためである。荀息は死のうとしたが、ある人が言った。「卓子を立てて輔けるのがよい」と。荀息は公子卓を立てて葬礼を成し遂げた。十一月、里克は朝廷で公子卓を殺し、荀息はこれのために死んだ。君子は言う。「『詩』に云う『白圭の瑕は磨くことができる、言葉の瑕は去ることができない』、荀息はこれである」と。
齊侯以諸侯之師伐晉,及高梁而還,討晉亂也。令不及魯,故不書。
斉侯は諸侯の軍を率いて晋を攻め、高梁に至って帰った、晋の内乱を討ったのである。命令は魯に下らなかったので、『春秋』は記さない。
晉郤芮使夷吾重賂秦以求入,曰:“人實有國,我何愛焉。入而能民,土於何有。”從之。齊隰朋帥師會秦師,納晉惠公。秦伯謂郤芮曰:“公子誰恃?”對曰:“臣聞亡人無黨,有黨必有仇。夷吾弱不好弄,能鬥不過,長亦不改,不識其他。”公謂公孫枝曰:“夷吾其定乎?對曰:“臣聞之,唯則定國。《詩》曰:‘不識不知,順帝之則。’文王之謂也。又曰:‘不僣不賊,鮮不為則。’無好無惡,不忌不克之謂也。今其言多忌克,難哉!”公曰:“忌則多怨,又焉能克?是吾利也。”
晋の郤芮は夷吾に重い賂を以て秦国に請い、彼を国に帰させるよう言った。「国家はもともと他人が据えているもの、私に何を惜しむことがあろうか。入れば百姓を得られ、土地はまた何ものでもない」と。夷吾は従った。斉の隰朋は軍を率い秦軍と会し、晋恵公を晋に送り入れた。秦伯は郤芮に問うた。「公子は誰に依るか」と。郤芮は答えた。「臣が聞くところでは、逃亡する者に党羽はなく、党羽があれば必ず仇人があります。夷吾は幼い頃遊びを好まず、争いはできても過度ではなく、長じても改めず、その他は知りません」と。秦伯は公孫枝に言った。「夷吾は国を安んじられるか」と。公孫枝は答えた。「臣が聞くところでは、法則に合うのみ国を安んじられます。『詩』に云う『知らず識らず、天の法則に順う』、これは文王を言います。また云う『僭越せず賊害せず、法則とならないことは少ない』。私好なく私悪なく、嫉妬せず勝を好まざれば、これがその意です。今彼の言葉には嫉妬と好勝が多い、難しいでしょう」と。秦伯は言った。「嫉妬すれば多くの怨恨を持ち、またどうして勝つことができようか。これは我に利がある」と。
宋襄公即位,以公子目夷為仁,使為左師以聽政,於是宋治。故魚氏世為左師。
宋襄公が即位し、公子目夷を仁愛と認め、彼を左師にして政を掌らせたので、宋国は治まった。故に魚氏は世々左師を為す。
◇僖公十年
◇僖公十年
【經】十年春王正月,公如齊。狄滅溫,溫子奔衛。晉裡克弒其君卓及其大夫荀息。夏,齊侯、許男伐北戎。晉殺其大夫裡克。秋七月。冬,大雨雪。
【経】十年春、周天子の暦の正月、僖公は斉に如いた。狄人は温を滅ぼし、温子は衛に奔たり。晋の里克は其の君卓及び大夫荀息を弑した。夏、斉侯・許男は北戎を伐った。晋は其の大夫里克を殺した。秋七月。冬、大雨雪。
【傳】十年春,狄滅溫,蘇子無信也。蘇子叛王即狄,又不能於狄,狄人伐之,王不救,故滅。蘇子奔衛。
【伝】十年春、狄人が温を滅ぼしたのは、蘇子に信がなかったためである。蘇子は天子に叛き狄に親しみ、しかも狄の喜びを得られなかったので、狄が彼を伐ち、天子は救わず、因而滅んだ。蘇子は衛に奔たり。
夏四月,周公忌父、王子黨會齊隰朋立晉侯。晉侯殺裡克以說。將殺裡克,公使謂之曰:“微子則不及此。雖然,子弒二君與一大夫,為子君者不亦難乎?”對曰:“不有廢也,君何以興?欲加之罪,其無辭乎?臣聞命矣。”伏劍而死。
夏四月、周公忌父・王子党は斉の隰朋と会して晋侯を立てた。晋侯は里克を殺して説明し討ちを悦ばせた。里克を殺そうとする時、晋侯は人に言わせた。「あなたがいなければ私はこの歩みに至れなかった。然りといえども、あなたは二君と一大夫を弑した。あなたの君となるのは難しくないか」と。里克は答えた。「廃黜がなければ、君は何を以て興るのか。罪名を加えたいなら、措辞がないことを恐れるか。臣は命令を聞いた」と。于是伏剣して死んだ。
於是鄭聘於秦,且謝緩賂,故不及。
この時鄭は秦に聘問し、かつ財貨の交付を遅らせたことを謝したので、この事に間に合わなかった。
晉侯改葬共大子。
晋侯は恭太子を改葬した。
秋,狐突適下國,遇大子,大子使登,僕,而告之曰:“夷吾無禮,餘得請於帝矣。將以晉畀秦,秦將祀餘。”對曰:“臣聞之,神不歆非類,民不祀非族。
秋、狐突は曲沃に如き、太子に遇った。太子は彼を車に乗せ、自ら御し、彼に告げて言った。「夷吾は礼数がない。私はすでに天帝に請いました。晋を秦に与え、秦は私を祭るでしょう」と。狐突は答えた。「臣が聞くところでは、神霊は其の族類でない祭品を享さず、百姓は其の族類でない人を祭りません。
君祀無乃殄乎?且民何罪?失刑乏祀,君其圖之。”君曰:“諾。吾將復請。七日新城西偏,將有巫者而見我焉。”許之,遂不見。及期而往,告之曰:“帝許我罰有罪矣,敝於韓。”
(狐突は続けて言う)あなたの祭祀は恐らく絶えるでしょう。しかも百姓に何の罪がありますか。刑罰が当たらず祭祀が乏絶するのは、あなたが考えてください」と。太子は言った。「よし。私は再び請います。七日後に新城の西辺で、巫師があなたに私を見せます」と。狐突は許した。太子は見えなくなった。約束の日に至って往くと、巫師は彼に告げて言った。「天帝は私に罪ある者を罰することを許しました。彼は韓で敗れるでしょう」と。
