隠公(元年~十一年)
鄭之如秦也,言於秦伯曰:“呂甥、郤稱、冀芮實為不從,若重問以召之,臣出晉君,君納重耳,蔑不濟矣。”
鄭は秦に如いた時、秦伯に言った。「呂甥・郤称・冀芮は実際には服従しません。もし厚礼を以て彼らを召請すれば、私は晋君を逐い、あなたは重耳を納れ、成らないことはありません」と。
冬,秦伯使冷至報問,且召三子。郤芮曰:“幣重而言甘,誘我也。”遂殺鄭、祁舉及七輿大夫:左行共華、右行賈華、叔堅、騅顓、累虎、特宮、山祁,皆裡、之黨也。豹奔秦,言於秦伯曰:“晉侯背大主而忌小怨,民弗與也,伐之必出。”公曰:“失眾,焉能殺。違禍,誰能出君。”
冬、秦伯は冷至を遣わして報聘し、かつこの三人を召請した。郤芮は言った。「幣が重く言が甘いは、我らを誘うものです」と。于是鄭・祁挙と七輿大夫:左行共華・右行賈華・叔堅・騅顓・累虎・特宮・山祁を殺した、皆里克の党の人である。底本「里、」の下は疑わしく脱文あり。豹は秦に奔り、秦伯に言った。「晋侯は大きな靠山を背き小さな怨みを記し、百姓は彼に親しみません。彼を伐てば必ず彼を逐えます」と。秦伯は言った。「すでに衆を失い、どうして人を殺せよう。禍を避けるのに、誰が君を逐えよう」と。
◇僖公十一年
◇僖公十一年
【經】十有一年春。晉殺其大夫鄭父。夏,公及夫人姜氏會齊侯於陽穀。
【経】十一年春。晋は其の大夫鄭父を殺した。夏、僖公及び夫人姜氏は斉侯を陽穀で会した。
秋八月,大雩。冬,楚人伐黃。
秋八月、大雩。冬、楚人伐黄。
【傳】十一年春,晉侯使以鄭之亂來告。
【伝】十一年春、晋侯は人を遣わして鄭の乱を告げに来させた。
天王使召武公、內史過賜晉侯命。受玉惰。過歸,告王曰:“晉侯其無後乎。
天子は召武公・内史過を遣わして晋侯に命圭を賜った。晋侯が玉圭を受ける時態度が怠惰であった。内史過は帰りて天子に告げて言った。「晋侯は恐らく後嗣がないでしょう。
王賜之命而惰於受瑞,先自棄也已,其何繼之有?禮,國之幹也。敬,禮之輿也。
(内史過は続けて言う)天子が彼に命圭を賜うに、彼が瑞玉を受けるに怠惰であったのは、自ら先に自らを棄てたのです。まだ何の継承人があろうか。礼は国の躯干です。敬は礼を載せる車です。
不敬則禮不行,禮不行則上下昏,何以長世?”夏,揚、拒、泉、皋、伊、洛之戎同伐京師,入王城,焚東門,王子帶召之也。秦、晉、伐戎以救周。秋,晉侯平戎於王。
(内史過は続けて言う)敬しなければ礼は行えず、礼が行えなければ上下は昏乱し、何を以て長久とせよう」と。夏、揚・拒・泉・皋・伊・洛の戎が同じく京師を伐ち、王城に入り、東門を焚いた。王子帯が召したのである。秦・晋は戎を伐って周室を救った。秋、晋侯は天子のために戎を和せた。
黃人不歸楚貢。冬,楚人伐黃。
黄人は楚に貢品を納めなかった。冬、楚人は黄を伐った。
◇僖公十二年
◇僖公十二年
【經】十有二年春王三月庚午,日有食之。夏,楚人滅黃。秋七月。冬十有二月丁丑,陳侯杵臼卒。
【経】十二年春、周天子の暦の三月庚午、日有食之。夏、楚人滅黄。秋七月。冬十有二月丁丑、陳侯杵臼が亡くなった。
【傳】十二年春,諸侯城衛楚丘之郛,懼狄難也。
【伝】十二年春、諸侯は衛の楚丘の外城を築いたのは、狄人の禍難を惧れたためである。
黃人恃諸侯之睦於齊也,不共楚職,曰:“自郢及我九百里,焉能害我?”夏,楚滅黃。
黄人は諸侯が斉と睦び合うを恃み、楚に職貢を行わず、言った。「郢から我らまで九百里、どうして我らを害せよう」と。夏、楚は黄を滅ぼした。
王以戎難故,討王子帶。秋,王子帶奔齊。
天子は戎人の禍難のため、王子帯を討った。秋、王子帯は斉に奔たり。
冬,齊侯使管夷吾平戎於王,使隰朋平戎於晉。
冬、斉侯は管夷吾を遣わして天子のために戎を和し、隰朋を遣わして晋のために戎を和した。
王以上卿之禮饗管仲,管仲辭曰:“臣,賤有司也,有天子之二守國、高在。
天子は上卿の礼で管仲を饗し、管仲は辞して言った。「臣は低賤の執事、天子が任命する守臣国氏・高氏が在ります。
若節春秋來承王命,何以禮焉?陪臣敢辭。”王曰:“舅氏,餘嘉乃勳,應乃懿德,謂督不忘。往踐乃職,無逆朕命。”管仲受下卿之禮而還。君子曰:“管氏之世祀也宜哉!讓不忘其上。《詩》曰:‘愷悌君子,神所勞矣。’”
(管仲は続けて言う)彼らが春秋二季に王命を受けに来れば、また何の礼で彼らを遇しますか。陪臣は敢えて当たりません」と。天子は言った。「舅氏、私はあなたの功勲を嘉し、あなたの美しい徳を承け、深厚と言えて忘れない。あなたの職分を履行し、我が命令に逆らうな」と。管仲は下卿の礼を受けて国に帰った。君子は言う。「管氏が世々祭祀を享くるは当然である。譲りて上を忘れず。『詩』に云う『和楽平易の君子、神霊は彼を保つ』」と。
◇僖公十三年
◇僖公十三年
【經】十有三年春,狄侵衛。夏四月,葬陳宣公。公會齊侯、宋公、陳侯、鄭伯、許男、曹伯於鹹。秋九月,大雩。冬,公子友如齊。
【経】十三年春、狄人侵衛。夏四月、葬陳宣公。僖公会斉侯・宋公・陳侯・鄭伯・許男・曹伯于咸。秋九月、大雩。冬、公子友如斉。
【傳】十三年春,齊侯使仲孫湫聘於周,且言王子帶。事畢,不與王言。歸,覆命曰:“未可。王怒未怠,其十年乎。不十年,王弗召也。”
【伝】十三年春、斉侯は仲孫湫を遣わして周室に聘問し、かつ王子帯のことを談じた。事が済み、天子にこのことを談じなかった。帰りて命を復して言った。「未だ可ならず。天子の怒りは未だ消えず、恐らく十年でしょう。十年に至らなければ、天子は彼を召して帰さないでしょう」と。
夏,會於鹹,淮夷病杞故,且謀王室也。
夏、咸で会したのは、淮夷が杞を困らせ、かつ王室のことを謀るためである。
秋,為戎難故,諸侯戍周,齊仲孫湫致之。
秋、戎人の禍難のため、諸侯は兵を遣わして周室を戍し、斉の仲孫湫が戍卒を送った。
冬,晉荐饑,使乞糴於秦。秦伯謂子桑:“與諸乎?”對曰:“重施而報,君將何求?重施而不報,其民必攜,攜而討焉,無眾必敗。”謂百里:“與諸乎?”對曰:“天災流行,國家代有,救災恤鄰,道也。行道有福。”
冬、晋は連年饑饉し、人を遣わして秦に糴を請うた。秦伯は子桑に問うた「与うべきか」。子桑は答えた「重ねて恩を施して報いを得れば、あなたは何を求めますか。重ねて恩を施して報いられなければ、彼らの百姓は必ず離れ、離れて後に討てば、民なしに必ず敗れます」と。又百里に問うた「与うべきか」。百里は答えた「天災流行、国家は代々有り、災を救い鄰を恤むは、道です。道を行えば福あり」と。
鄭之子豹在秦,請伐晉。秦伯曰:“其君是惡,其民何罪?”秦於是乎輸粟於晉,自雍及絳相繼,命之曰泛舟之役。
鄭の子豹は秦に在り、晋を伐つことを請うた。秦伯は言った「其の君を惡むは、百姓何の罪ぞ」と。秦は于是粟を晋に輸し、雍より絳に至りて相継ぎ、この事を「泛舟之役」と称した。
◇僖公十四年
◇僖公十四年
【經】十有四年春,諸侯城緣陵。夏六月,季姬及鄫子遇於防。使鄫子來朝。秋八月辛卯,沙鹿崩。狄侵鄭。冬,蔡侯肝卒。
【経】十四年春、諸侯城縁陵。夏六月、季姫及び鄫子遇于防。使鄫子来朝。秋八月辛卯、沙鹿崩。狄人侵鄭。冬、蔡侯肸が亡くなった。底本は「肝」とする、即ち肸である。
【傳】十四年春,諸侯城緣陵而遷杞焉。不書其人,有闕也。
【伝】十四年春、諸侯は縁陵に城を築き杞を遷した。『春秋』に具体の人を記さざるは、記載に欠漏があるためである。
鄫季姬來寧,公怒,止之,以鄫子之不朝也。夏,遇於防,而使來朝。
鄫の季姫は寧に帰り、僖公は怒り、彼女を留めた、鄫子が来朝しないためである。夏、防で遇い、かつ鄫子に来朝させた。
秋八月辛卯,沙鹿崩。晉卜偃曰:“期年將有大咎,幾亡國。”
秋八月辛卯、沙鹿崩。晋卜偃曰「期年に将に大咎あり、幾亡国せん」と。
冬,秦飢,使乞糴於晉,晉人弗與。慶鄭曰:“背施無親,幸災不仁,貪愛不祥,怒鄰不義。四德皆失,何以守國?”虢射曰:“皮之不存,毛將安傅?”慶鄭曰:“棄信背鄰,患孰恤之?無信患作,失授必斃,是則然矣。”虢射曰:“無損於怨而厚於寇,不如勿與。”慶鄭曰:“背施幸災,民所棄也。近猶仇之,況怨敵乎?”弗聽。退曰:“君其悔是哉!”
冬、秦饑、使乞糴于晋、晋人弗与。慶鄭曰「背施無親、幸災不仁、貪愛不祥、怒鄰不義。四徳皆失、何以守国?」虢射曰「皮之不存、毛将安傅?」慶鄭曰「棄信背鄰、患孰恤之?無信患作、失援必斃。是則然矣」。虢射曰「無損于怨、而厚于寇、不如勿与」。慶鄭曰「背施幸災、民所棄也。近猶讐之、況怨敵乎?」弗聴。退曰「君其悔是哉!」
◇僖公十五年
◇僖公十五年
【經】十有五年春王正月,公如齊。楚人伐徐。三月,公會齊侯、宋公、陳侯、衛候、鄭伯、許男、曹伯盟於牡丘,遂次於匡。公孫敖帥師及諸侯之大夫救徐。夏五月,日有食之。秋七月,齊師、曹師伐厲。八月,螽。九月,公至自會。
【経】十五年春、周天子の暦の正月、僖公如斉。楚人伐徐。三月、僖公会斉侯・宋公・陳侯・衛侯・鄭伯・許男・曹伯盟于牡丘、遂次于匡。公孫敖帥師及諸侯之大夫救徐。夏五月、日有食之。秋七月、斉師・曹師伐厲。八月、螽。九月、僖公至自会。底本「衛候」即衛侯。
季姬歸於鄫。己卯晦,震夷伯之廟。冬,宋人伐曹。楚人敗徐於婁林。十有一月壬戌,晉侯及秦伯戰於韓,獲晉侯。
季姫帰于鄫。己卯晦、震夷伯之廟。冬、宋人伐曹。楚人敗徐于婁林。十有一月壬戌、晋侯及秦伯戦于韓、獲晋侯。
【傳】十五年春,楚人伐徐,徐即諸夏故也。三月,盟於牡丘,尋蔡丘之盟,且救徐也。孟穆伯帥師及諸侯之師救徐,諸侯次於匡以待之。
【伝】十五年春、楚人伐徐、徐即諸夏故也。三月、盟于牡丘、尋葵丘之盟、且救徐也。底本は「蔡丘」とする、即ち葵丘である。孟穆伯帥師及諸侯之師救徐、諸侯次于匡以待之。
夏五月,日有食之。不書朔與日,官失之也。
夏五月、日有食之。不書朔与日、官失之也。
秋,伐厲,以救徐也。
秋、伐厲、以救徐也。
晉侯之入也,秦穆姬屬賈君焉,且曰:“盡納群公子。”晉侯烝於賈君,又不納群公子,是以穆姬怨之。晉侯許賂中大夫,既而皆背之。賂秦伯以河外列城五,東盡虢略,南及華山,內及解梁城,既而不與。晉飢,秦輸之粟;秦飢,晉閉之糴,故秦伯伐晉。
晋侯之入也、秦穆姫属賈君焉、且曰「尽納群公子」。晋侯烝于賈君、又不納群公子、是以穆姫怨之。晋侯許賂中大夫、既而皆背之。賂秦伯以河外列城五、東尽虢略、南及華山、内及解梁城、既而不与。晋饑、秦輸之粟、秦饑、晋閉之糴、故秦伯伐晋。
卜徒父筮之,吉。涉河,侯車敗。詰之,對曰:“乃大吉也,三敗必獲晉君。
卜徒父筮之、吉。渉河、侯車敗。詰之、對曰「乃大吉也、三敗必獲晋君。
其卦遇《蠱》ⅶⅳ,曰:‘千乘三去,三去之餘,獲其雄狐。’夫狐蠱,必其君也。《蠱》之貞,風也;其悔,山也。歲雲秋矣,我落其實而取其材,所以克也。
(卜徒父は続けて言う)其卦遇蠱、曰『千乗三去、三去之餘、獲其雄狐』。夫狐蠱、必其君也。蠱之貞、風也、其悔、山也。歳云秋矣、我落其実而取其材、所以克也。
實落材亡,不敗何待?”三敗及韓。晉侯謂慶鄭曰:“寇深矣,若之何?”對曰:“君實深之,可若何?”公曰:“不孫。”卜右,慶鄭吉,弗使。步揚御戎,家僕徒為右,乘小駟,鄭入也。慶鄭曰:“古者大事,必乘其產,生其水土而知其人心,安其教訓而服習其道,唯所納之,無不如志。今乘異產,以從戎事,及懼而變,將與人易。亂氣狡憤,陰血周作,張脈僨興,外強中乾。進退不可,周旋不能,君必悔之。”
(卜徒父は続けて言う)実落材亡、不敗何待?」三敗及韓。晋侯謂慶鄭曰「寇深矣、若之何?」對曰「君実深之、可若何?」公曰「不孫」。卜右、慶鄭吉、弗使。歩揚御戎、家僕徒為右、乗小駟、鄭入也。慶鄭曰「古者大事、必乗其産、生其水土而知其人心、安其教訓而服習其道、唯所納之、无不如志。今乗異産以従戎事、及懼而変、将与人易。乱気狡憤、陰血周作、張脈僨興、外彊中乾。進退不可、周旋不能、君必悔之」
弗聽。
弗聴。
九月,晉侯逆秦師,使韓簡視師,復曰:“師少於我,鬥士倍我。”公曰:“何故?”對曰:“出因其資,入用其寵,飢食其粟,三施而無報,是以來也。
九月、晋侯逆秦師、使韓簡視師、復曰「師少于我、闘士倍我」。公曰「何故」。對曰「出因其資、入用其寵、饑食其粟、三施而無報、是以來也。
今又擊之,我怠秦奮,倍猶未也。”公曰:“一夫不可狃,況國乎。”遂使請戰,曰:“寡人不佞,能合其眾而不能離也,君若不還,無所逃命。”秦伯使公孫枝對曰:“君之未入,寡人懼之,入而未定列,猶吾憂也。苟列定矣,敢不承命。”
(韓簡は続けて言う)今又擊之、我怠秦奮、倍猶未也」。公曰「一夫不可狃、況国乎」。遂使請戦、曰「寡人不佞、能合其衆而不能離也。君若不還、無所逃命」。秦伯使公孫枝對曰「君之未入、寡人懼之、入而未定列、猶吾憂也。苟列定矣、敢不承命」
韓簡退曰:“吾幸而得囚。”
韓簡退曰「吾幸而得囚」
壬戌,戰於韓原,晉戎馬還濘而止。公號慶鄭。慶鄭曰:“愎諫違卜,固敗是求,又何逃焉?”遂去之。梁由靡御韓簡,虢射為右,輅秦伯,將止之。鄭以救公誤之,遂失秦伯。秦獲晉侯以歸。晉大夫反首拔舍從之。秦伯使辭焉,曰:“二三子何其戚也?寡人之從君而西也,亦晉之妖夢是踐,豈敢以至。”晉大夫三拜稽首曰:“君履后土而戴皇天,皇天后土實聞君之言,群臣敢在下風。”
壬戌、戦于韓原、晋戎馬還濘而止。公號慶鄭。慶鄭曰「愎諫違卜、固敗是求、又何逃焉」。遂去之。梁由靡御韓簡、虢射為右、輅秦伯、将止之。鄭以救公誤之、遂失秦伯。秦獲晋侯以帰。晋大夫反首拔舍従之。秦伯使辞焉、曰「二三子何其慼也?寡人之従君而西也、亦晋之妖夢是踐、豈敢以至」。晋大夫三拝稽首曰「君履后土而戴皇天、皇天后土実聞君之言、群臣敢在下風」
穆姬聞晉侯將至,以大子犖、弘與女簡、璧登臺而履薪焉,使以免服衰絰逆,且告曰:“上天降災,使我兩君匪以玉帛相見,而以興戎。若晉君朝以入,則婢子夕以死;夕以入,則朝以死。唯君裁之。”乃舍諸靈臺。
穆姫聞晋侯将至、以大子罃、弘与女簡璧登台而履薪焉、使以免服衰絰逆、且告曰「上天降災、使我両君匪以玉帛相見、而以興戎。若晋君朝以入、則婢子夕以死、夕以入、則朝以死。唯君裁之」。乃舎諸霊台。
大夫請以入。公曰:“獲晉侯,以厚歸也。既而喪歸,焉用之?大夫其何有焉?且晉人戚憂以重我,天地以要我。不圖晉憂,重其怒也;我食吾言,背天地也。重怒難任,背天不祥,必歸晉君。”公子縶曰:“不如殺之,無聚慝焉。”
大夫請以入。公曰「獲晋侯、以厚帰也、既而喪帰、焉用之?大夫其何有焉?且晋人慼憂以重我、天地以要我。不図晋憂、重其怒也、我食吾言、背天地也。重怒難任、背天不祥、必帰晋君」。公子縶曰「不如殺之、無聚慝焉」
子桑曰:“歸之而質其大子,必得大成。晉未可滅而殺其君,只以成惡。且史佚有言曰:‘無始禍,無怙亂,無重怒。’重怒難任,陵人不祥。”乃許晉平。
子桑曰「帰之而質其大子、必得大成。晋未可滅、而殺其君、只以成惡。且史佚有言曰『無始禍、無怙乱、無重怒』。重怒難任、陵人不祥」。乃許晋平。
晉侯使郤乞告瑕呂飴甥,且召之。子金教之言曰:“朝國人而以君命賞,且告之曰:‘孤雖歸,辱社稷矣。其卜貳圉也。’”眾皆哭。晉於是乎作爰田。呂甥曰:“君亡之不恤,而群臣是憂,惠之至也。將若君何?”眾曰:“何為而可?”對曰:“徵繕以輔孺子,諸侯聞之,喪君有君,群臣輯睦,甲兵益多,好我者勸,惡我者懼,庶有益乎!”眾說。晉於是乎作州兵。
晋侯使郤乞告瑕呂飴甥、且召之。子金教之言曰「朝国人而以君命賞、且告之曰『孤雖帰、辱社稷矣。其卜貳圉也』」。衆皆哭。晋于是乎作爰田。呂甥曰「君亡之不恤、而群臣是憂、惠之至也。将若君何?」衆曰「何為而可?」對曰「征繕以輔孺子、諸侯聞之、喪君有君、群臣輯睦、甲兵益多、好我者勧、惡我者懼、庶有益乎!」衆説。晋于是乎作州兵。
初,晉獻公筮嫁伯姬於秦,遇《歸妹》ⅲⅷ之《睽》ⅵⅷ。史蘇占之曰:“不吉。其繇曰:‘士刲羊,亦無{亡皿}也。女承筐,亦無貺也。西鄰責言,不可償也。《歸妹》之《睽》,猶無相也。’《震》之《離》,亦《離》之《震》,為雷為火。為嬴敗姬,車說其輹,火焚其旗,不利行師,敗於宗丘。《歸妹》《睽》孤,寇張之弧,侄其從姑,六年其逋,逃歸其國,而棄其家,明年其死於高梁之虛。”及惠公在秦,曰:“先君若從史蘇之占,吾不及此夫。”韓簡侍,曰:“龜,象也;筮,數也。物生而後有象,象而後有滋,滋而後有數。先君之敗德,及可數乎?史蘇是占,勿從何益?《詩》曰:‘下民之孽,匪降自天,僔沓背憎,職競由人。’”震夷伯之廟,罪之也,於是展氏有隱慝焉。
むかし、晋献公筮嫁伯姫于秦、遇帰妹之睽。史蘇占之、曰「不吉。其繇曰『士刲羊、亦無衁也。女承筐、亦無貺也。西鄰責言、不可償也。帰妹之睽、猶無相也』。底本「亡皿」為合文、即衁、血。震之離、亦離之震、為雷為火、為嬴敗姫。車説其輹、火焚其旗、不利行師、敗于宗丘。帰妹睽孤、寇張之弧、姪其従姑、六年其逋、逃帰其国、而棄其家、明年其死于高梁之虚」。及恵公在秦、曰「先君若従史蘇之占、吾不及此夫」。韓簡侍、曰「亀、象也、筮、数也。物生而後有象、象而後有滋、滋而後有数。先君之敗徳、及可数乎?史蘇是占、勿従何益?『詩』曰『下民之孽、匪降自天、僔沓背憎、職競由人』」。震夷伯之廟、罪之也、于是展氏有隠慝焉。
冬,宋人伐曹,討舊怨也。
冬、宋人伐曹、討舊怨也。
楚敗徐於婁林,徐恃救也。
楚人敗徐于婁林、徐恃救也。
十月,晉陰飴甥會秦伯,盟於王城。
十月、晋陰飴甥会秦伯、盟于王城。
秦伯曰:“晉國和乎?”對曰:“不和。小人恥失其君而悼喪其親,不憚徵繕以立圉也,曰:‘必報仇,寧事戎狄。’君子愛其君而知其罪,不憚徵繕以待秦命,曰:‘必報德,有死無二。’以此不和。”秦伯曰:“國謂君何?”對曰:“小人戚,謂之不免。君子恕,以為必歸。小人曰:‘我毒秦,秦豈歸君?’君子曰:‘我知罪矣,秦必歸君。貳而執之,服而舍之,德莫厚焉,刑莫威焉。服者懷德,貳者畏刑。此一役也,秦可以霸。納而不定,廢而不立,以德為怨,秦不其然。’”秦伯曰:“是吾心也。”改館晉侯,饋七牢焉。
秦伯曰「晋国和乎」。對曰「不和。小人恥失其君、而悼喪其親、不憚征繕以立圉也、曰『必報讐、寧事戎狄』。君子愛其君而知其罪、不憚征繕以待秦命、曰『必報徳、有死無二』。以此不和」。秦伯曰「国謂君何」。對曰「小人慼、謂之不免、君子恕、以為必帰。小人曰『我毒秦、秦豈帰君』。君子曰『我知罪矣、秦必帰君。貳而執之、服而舎之、徳莫厚焉、刑莫威焉。服者懐徳、貳者畏刑。此一役也、秦可以霸。納而不定、廢而不立、以徳為怨、秦不其然』」。秦伯曰「是吾心也」。改館晋侯、饋七牢焉。
蛾析謂慶鄭曰:“盍行乎?”對曰:“陷君於敗,敗而不死,又使失刑,非人臣也。臣而不臣,行將焉入?”十一月,晉侯歸。丁丑,殺慶鄭而後入。
蛾析謂慶鄭曰「盍行乎」。對曰「陷君于敗、敗而不死、又使失刑、非人臣也。臣而不臣、行将焉入?」十一月、晋侯帰。丁丑、殺慶鄭而後入。
是歲,晉又飢,秦伯又餼之粟,曰:“吾怨其君而矜其民。且吾聞唐叔之封也,箕子曰:‘其後必大。’晉其庸可冀乎!姑樹德焉以待能者。”於是秦始徵晉河東,置官司焉。
是歳、晋又饑、秦伯又餼之粟、曰「吾怨其君而矜其民。且吾聞唐叔之封也、箕子曰『其後必大』。晋其庸可冀乎!姑樹徳焉、以待能者」。于是秦始征晋河東、置官司焉。
◇僖公十六年
◇僖公十六年
【經】十有六年春王正月戊申朔,隕石於宋五。是月,六鷁退飛,過宋都。
【経】十六年春、周天子の暦の正月戊申朔、隕石于宋五。是月、六鷁退飛過宋都。
三月壬申,公子季友卒。夏四月丙申,鄫季姬卒。秋七月甲子,公孫茲卒。冬十有二月,公會齊侯、宋公、陳侯、衛侯、鄭伯、許男、邢侯、曹伯於淮。
三月壬申、公子季友が亡くなった。夏四月丙申、鄫季姫が亡くなった。秋七月甲子、公孫茲が亡くなった。冬十有二月、僖公会斉侯・宋公・陳侯・衛侯・鄭伯・許男・邢侯・曹伯于淮。
