Libo

昭公(元年~三十二年)

春秋 · 左丘明(旧题) · 第45巻 / 56

二月丙申,齊師至於蒲隧。徐人行成。徐子及郯人、莒人會齊侯,盟於蒲隧,賂以甲父之鼎。叔孫昭子曰:“諸侯之無伯,害哉!齊君之無道也,興師而伐遠方,會之,有成而還,莫之亢也,無伯也夫!《詩》曰:‘宗周既滅,靡所止戾。

二月丙申、斉軍が蒲隧に至った。徐人が和を求めた。徐子および郯人・莒人が斉侯と会見し、蒲隧で盟約を結び、甲父之鼎を以て賄賂とした。叔孫昭子が曰わく、「諸侯に霸主なきは害です!斉君は無道で、師を興して遠方を攻め、会合し、和あれば帰り、抗衡する人なし。これは霸主なきです!《詩》に曰く、『宗周はすでに滅び、止息する所なし。

正大夫離居,莫知我肄。’其是之謂乎!”二月,晉韓起聘於鄭,鄭伯享之。子產戒曰:“苟有位於朝,無有不共恪。”

正大夫は離散して居り、我が労苦を知る人なし』。おそらくこれを説くのでしょう!」。二月、晋韓起が鄭国に聘問し、鄭伯が享礼を設けた。子産が告戒して曰わく、「もし朝廷に位子あれば、不恭敬あるべからず」。

孔張後至,立於客間。執政御之,適客後。又御之,適縣間。客從而笑之。事畢,富子諫曰:“夫大國之人,不可不慎也,幾為之笑而不陵我?我皆有禮,夫猶鄙我。國而無禮,何以求榮?孔張失位,吾子之恥也。”子產怒曰:“發命之不衷,出令之不信,刑之頗類,獄之放紛,會朝之不敬,使命之不聽,取陵於大國,罷民而無功,罪及而弗知,僑之恥也。孔張,君之昆孫,子孔之後也,執政之嗣也,為嗣大夫,承命以使,周於諸侯,國人所尊,諸侯所知。立於朝而祀於家,有祿於國,有賦于軍,喪祭有職,受脤、歸脤,其祭在廟,已有著位,在位數世,世守其業,而忘其所,僑焉得恥之?辟邪之人而皆及執政,是先王無刑罰也。子寧以他規我。”

孔張が後れて至り、客人の中間に立った。執政が阻み、客人の後ろに至った。また阻み、懸楽の中間に至った。客人が従って彼を笑った。事が畢わり、富子が進諫して曰わく、「大国の人には謹慎すべからず。ほとんど彼らに笑われて我らを陵しないことがありましょうか。我らが皆礼あるに彼らはなお我らを鄙視します。国家に礼なければ、何を憑って栄を求めん。孔張が位子を失うは吾子の恥です」。子産が怒って曰わく、「命を發して恰當せず、令を出して信用なく、刑罰偏頗し、獄訟放紛し、会朝敬せず、使命聴かれず、大国に陵され、百姓を疲惫して功労なく、罪至るを知らざるは僑の恥です。孔張は国君の兄孫、子孔の後代、執政の嗣で、嗣大夫を為し、命令を受けて出使し、諸侯に遍く、国人の尊ぶ所、諸侯の知る所です。朝廷に位子あり、家に祭祀あり、国に禄あり、軍に賦あり、喪祭に職あり、脤を受け脤を送還し、祭祀は廟にあり、すでに固定位あり、位に在ること幾世、世々業を守るのに処所を忘るるは、僑はどこを以て恥とせん。邪僻の人が皆執政に帰するは先王に刑罰なきです。あなたは寧ろ他を以て我を規勸せよ」。

宣子有環,有一在鄭商。宣子謁諸鄭伯,子產弗與,曰:“非官府之守器也,寡君不知。”子大叔、子羽謂子產曰:“韓子亦無幾求,晉國亦未可以貳。晉國、韓子,不可偷也。若屬有讒人交鬥其間,鬼神而助之,以興其兇怒,悔之何及?吾子何愛於一環,其以取憎於大國也,盍求而與之?”子產曰:“吾非偷晉而有二心,將終事之,是以弗與,忠信故也。僑聞君子非無賄之難,立而無令名之患。

宣子に玉環があり、一只が鄭国の商人の所にあった。宣子が鄭伯に求めたが、子産が与えず曰わく、「官府が守る器物にあらず。寡君は知りません」。子大叔・子羽が子産に曰わく、「韓子もまた多少の要求なく、晋国もまた二心すべからず。晋国・韓子は怠慢すべからず。もし恰好に讒人が中間に交斗し、鬼神が助け、凶怒を興せば、悔いるに何処で及ばん。吾子が一只の環を愛惜するは大国に憎を取るに用いる。何で求めて彼に与えざるか」。子産が曰わく、「我は晋を怠慢して二心するにあらず。終始事奉せんとし、ゆえに与えず。これは忠信の故です。僑が聞くに、君子が難とするは賄なきにあらず、立身に美名なきを患う。

僑聞為國非不能事大字小之難,無禮以定其位之患。夫大國之人,令於小國,而皆獲其求,將何以給之?一共一否,為罪滋大。大國之求,無禮以斥之,何饜之有?吾且為鄙邑,則失位矣。若韓子奉命以使,而求玉焉,貪淫甚矣,獨非罪乎?出一玉以起二罪,吾又失位,韓子成貪,將焉用之?且吾以玉賈罪,不亦銳乎?”韓子買諸賈人,既成賈矣,商人曰:“必告君大夫。”韓子請諸子產曰:“日起請夫環,執政弗義,弗敢復也。今買諸商人,商人曰,必以聞,敢以為請。”

僑が聞くに、国を治めるに難きは大に事奉し小を安撫できざるにあらず、礼を以て位子を安んずるなきを患う。大国の人が小国に令を發し、皆求むる所を獲れば、何を以て供給せん。一は給し一は給せずば、罪は更に大。大国の求に礼を以て駁斥せざれば、どこに満足があらん。我らは辺邑となり、位子を失うでしょう。もし韓子が奉命出使して玉を求めば、貪淫太過分で、罪ではありませんか。一塊の玉を出して両様の罪を興し、我らはまた位子を失い、韓子は貪となる。それを何に用いん。況んや我が玉を以て罪を買うは、尖刻ではありませんか」。韓子が商人に買い、すでに成交したが、商人が曰わく、「必ず君大夫に告げます」。韓子が子産に請求して曰わく、「往日にその環を請うたが、執政が不義と以為し、敢えて再び求めず。今商人に買うに、商人が必ず聞かせると曰う。敢えてこれを以て請います」。

子產對曰:“昔我先君桓公,與商人皆出自周,庸次比耦,以艾殺此地,斬之蓬蒿藜藿,而共處之。世有盟誓,以相信也,曰:‘爾無我叛,我無強賈,毋或丐奪。爾有利市寶賄,我勿與知。’恃此質誓,故能相保,以至於今。今吾子以好來辱,而謂敝邑強奪商人,是教弊邑背盟誓也,毋乃不可乎!吾子得玉而失諸侯,必不為也。若大國令,而共無藝,鄭,鄙邑也,亦弗為也。僑若獻玉,不知所成,敢私布之。”韓子辭玉,曰:“起不敏,敢求玉以徼二罪?敢辭之。”

子産が対えて曰わく、「昔我らの先君桓公は商人とともに皆周より出て、輪次配对し、この地を開墾し、蓬蒿藜藿を斬除し、共に居住しました。世々盟誓あり、互いに信任して曰わく、『あなたは我を背叛するな。我は強買せず、乞掠するな。あなたに利市宝賄あれば、我は参与して知ること勿れ』。この質誓に憑り、ゆえに互いに保ち今に至ります。今吾子が友好に因り屈尊して来り、しかるに敝邑が商人を強奪するというは、弊邑に盟誓を背棄せしむるを教え、おそらく不可でしょう!吾子が玉を得て諸侯を失うは必ず為さず。もし大国が下令し、供給に限度なければ、鄭は辺邑で、また為さず。僑がもし玉を献ずれば、何を成就するか知らず。敢えて私に陳述します」。韓子が玉を辞谢し、曰わく、「起は聡敏ならず。敢えて玉を求めて両様の罪を求めましょうか。敢えて辞谢します」。

夏四月,鄭六卿餞宣子於郊。宣子曰:“二三君子請皆賦,起亦以知鄭志。”

夏四月、鄭国の六卿が郊で宣子のために餞行した。宣子が曰わく、「几位君子、皆詩を賦することを請います。起もこれに借りて鄭の心志を知らん」。

子齹賦《野有蔓草》。宣子曰:“孺子善哉!吾有望矣。”子產賦鄭之《羔裘》。宣子曰:“起不堪也。”子大叔賦《褰裳》。宣子曰:“起在此,敢勤子至於他人乎?”子大叔拜。宣子曰:“善哉,子之言是!不有是事,其能終乎?”子游賦《風雨》,子旗賦《有女同車》,子柳賦《蘀兮》。宣子喜曰:“鄭其庶乎!二三君子以君命貺起,賦不出鄭志,皆暱燕好也。二三君子,數世之主也,可以無懼矣。”宣子皆獻馬焉,而賦《我將》。子產拜,使五卿皆拜,曰:“吾子靖亂,敢不拜德?”宣子私覲於子產以玉與馬,曰:“子命起舍夫玉,是賜我玉而免吾死也,敢不藉手以拜?”公至自晉。子服昭伯語季平子曰:“晉之公室,其將遂卑矣。君幼弱,六卿強而奢傲,將因是以習,習實為常,能無卑乎?”平子曰:“爾幼,惡識國?”秋八月,晉昭公卒。

子齹が《野有蔓草》を賦した。宣子が曰わく、「孺子よい哉!我に指望あり」。子産が鄭の《羔裘》を賦した。宣子が曰わく、「起は堪えられません」。子大叔が《褰裳》を賦した。宣子が曰わく、「起はここに在り。敢えてあなたを他人の所に労せしめましょうか」。子大叔が下拜した。宣子が曰わく、「よい哉、あなたがこれを説く!この事なくして、終結あらんや」。子游が《風雨》を賦し、子旗が《有女同車》を賦し、子柳が《蘀兮》を賦した。宣子が喜び曰わく、「鄭はおそらく差不多でしょう!几位君子が君命を以て起を賞し、賦するは鄭の詩を出ず、皆親近燕好です。几位君子は幾世の主で、懼れざるべし」。宣子が皆馬を献じ、《我将》を賦した。子産が下拜し、五卿に皆拜させて曰わく、「吾子が乱を安定せしむるに、敢えて徳を拜せざらんや」。宣子が玉と馬を以て私に子産に見え、曰わく、「あなたが起にあの玉を放下せよと命じたは、我に玉を賜いかつ我を死を免れしむる。敢えて手を借りて拜せざらん」。昭公が晋から帰った。子服昭伯が季平子に曰わく、「晋の公室はおそらく将に卑微に終わらん。国君は幼弱で、六卿が強く奢傲。これにより習慣を養い、習慣は実に常となる。卑微ならざらんや」。平子が曰わく、「あなたは年幼し。どこに国を懂らん」。秋八月、晋昭公が薨じた。

九月,大雩,旱也。鄭大旱,使屠擊、祝款、豎柎有事於桑山。斬其木,不雨。子產曰:“有事于山,蓺山林也,而斬其木,其罪大矣。”奪之官邑。

九月、大雩祭を行ったのは旱のためである。鄭国が大旱で、屠擊・祝款・竪柎を遣わして桑山で祭祀した。樹木を斬ったが雨が降らなかった。子産が曰わく、「山で祭祀するは山林を養護するを、しかるに樹木を斬るは罪大なり」。彼らの官邑を剥奪した。

冬十月,季平子如晉葬昭公。平子曰:“子服回之言猶信,子服氏有子哉!”

冬十月、季平子が晋に行き昭公を葬った。平子が曰わく、「子服回の話はなお信ずべし。子服氏に子あり!」

◇昭公十七年

◇昭公十七年

【經】十有七年春,小邾子來朝。夏六月甲戌朔,日有食之。秋,郯子來朝。

【経】十七年春、小邾子が朝見に来た。夏六月甲戌朔、日食。秋、郯子が朝見に来た。

八月,晉荀吳帥師滅陸渾之戎。冬,有星孛於大辰。楚人及吳戰於長岸。

八月、晋荀呉が軍を率いて陸渾之戎を滅ぼした。冬、星孛が大辰に現れた。楚人と呉が長岸で交戦した。

【傳】十七年春,小邾穆公來朝,公與之燕。季平子賦《採叔》,穆公賦《菁菁者莪》。昭子曰:“不有以國,其能久乎?”夏六月甲戌朔,日有食之。祝史請所用幣。昭子曰:“日有食之,天子不舉,伐鼓於社;諸侯用幣於社,伐鼓於朝。禮也。”平子御之,曰:“止也。唯正月朔,慝未作,日有食之,於是乎有伐鼓用幣,禮也。其餘則否。”大史曰:“在此月也。日過分而未至,三辰有災。於是乎百官降物,君不舉,闢移時,樂奏鼓,祝用幣,史用辭。故《夏書》曰:‘辰不集於房,瞽奏鼓,嗇夫馳,庶人走。’此月朔之謂也。當夏四月,是謂孟夏。”平子弗從。昭子退曰:“夫子將有異志,不君君矣。”

【伝】十七年春、小邾穆公が朝見に来て、昭公が彼と宴飲した。季平子が《采叔》を賦し、穆公が《菁菁者莪》を賦した。昭子が曰わく、「国を治めるに用いるなくして、長久あらんや」。夏六月甲戌朔、日食。祝史が用いる币を請示した。昭子が曰わく、「日食に、天子は盛饌を挙げず、社で鼓を伐ち。諸侯は社で币を用い、朝廷で鼓を伐つ。これは礼です」。平子が止めて曰わく、「止めよ。ただ正月初一のみ、陰悪まだ發作せず、日食に、ここに鼓を伐ち币を用いるは礼です。其余は然らず」。太史が曰わく、「この月に在り。日が春分を過ぎて夏至に至らず、三辰に災あり。ここに百官は物を降し、国君は盛饌を挙げず、避けて時を移し、楽人が鼓を撃ち、祝が币を用い、史が辞を用います。ゆえに《夏書》に曰く、『辰が房に集まらず、楽師が鼓を撃ち、嗇夫が馳せ、庶人が走る』。説くはこの月の初一です。正に夏四月に当り、孟夏と曰います」。平子が聴き従わなかった。昭子が退き曰わく、「夫子は将に異志あらん。国君を以て国君とせず」。

秋,郯子來朝,公與之宴。昭子問焉,曰:“少皞氏鳥名官,何故也?”郯子曰:“吾祖也,我知之。昔者黃帝氏以雲紀,故為雲師而云名;炎帝氏以火紀,故為火師而火名;共工氏以水紀,故為水師而水名;大皞氏以龍紀,故為龍師而龍名。我高祖少皞摯之立也,鳳鳥適至,故紀於鳥,為鳥師而鳥名。鳳鳥氏,歷正也;玄鳥氏,司分者也;伯趙氏,司至者也;青鳥氏,司啟者也;丹鳥氏,司閉者也。祝鳩氏,司徒也;鴡鳩氏,司馬也;鳲鳩氏,司空也;爽鳩氏,司寇也;鶻鳩氏,司事也。五鳩,鳩民者也。五雉,為五工正,利器用、正度量,夷民者也。九扈為九農正,扈民無淫者也。自顓頊以來,不能紀遠,乃紀於近,為民師而命以民事,則不能故也。”仲尼聞之,見於郯子而學之。既而告人曰:“吾聞之:‘天子失官,學在四夷’,猶信。”

秋、郯子が朝見に来て、昭公が彼と宴飲した。昭子が彼に問うて曰わく、「少皞氏が鳥で官を名づけたのは何の故か」。郯子が曰わく、「我が祖先で、我は知ります。昔黄帝氏は雲を以て記し、ゆえに雲師を為して雲で名づけ。炎帝氏は火を以て記し、ゆえに火師を為して火で名づけ。共工氏は水を以て記し、ゆえに水師を為して水で名づけ。大皞氏は龍を以て記し、ゆえに龍師を為して龍で名づけました。我が高祖少皞摯が即位し、鳳鳥が恰好至り、ゆえに鳥を以て記し、鳥師を為して鳥で名づけました。鳳鳥氏は暦正。玄鳥氏は春分秋分を主管。伯趙氏は冬至夏至を主管。青鳥氏は立春立夏を主管。丹鳥氏は立秋立冬を主管。祝鳩氏は司徒。鴡鳩氏は司馬。鳲鳩氏は司空。爽鳩氏は司寇。鶻鳩氏は司事。五鳩は百姓を聚集する者。五雉は五工正を為し、器用を便利し度量を端正し、百姓を平らかにする者。九扈は九農正を為し、百姓に節制なきを防止する者。顓頊より以来、遠きを記し得ず、近きを記し、百姓の師を為して民事を以て命名したのは、その旧法を用い得ざる故です」。仲尼が聞き、郯子に見えて学んだ。随いて人に告げて曰わく、「我は聞くに、『天子が官守を失えば、学問は四夷に在り』。なお信ずべし」。

晉侯使屠蒯如周,請有事於雒與三塗。萇弘謂劉子曰:“客容猛,非祭也,其伐戎乎?陸渾氏甚睦於楚,必是故也。君其備之!”乃警戎備。九月丁卯,晉荀吳帥師涉自棘津,使祭史先用牲於洛。陸渾人弗知,師從之。庚午,遂滅陸渾,數之以其貳於楚也。陸渾子奔楚,其眾奔甘鹿。周大獲。宣子夢文公攜荀吳而授之陸渾,故使穆子帥師,獻俘於文宮。

晋侯が屠蒯を遣わして周に行き、雒と三涂で祭祀することを請わせた。萇弘が劉子に曰わく、「客の容貌は凶猛で、祭祀にあらず、おそらく戎を攻めるのでしょうか。陸渾氏と楚は甚だ和睦す。必ずこの故です。君はなお防備せよ」。ここに戎の守備を警戒した。九月丁卯、晋荀呉が軍を率いて棘津より渡り、祭史を遣わして先に洛で犠牲を用いさせた。陸渾人が知らず、軍隊が従った。庚午、ここに陸渾を滅ぼし、彼の楚に二心あるを数説した。陸渾子が楚に出奔し、部衆が甘鹿に出奔した。周が大いに俘獲した。宣子が文公が荀呉を引いて陸渾を彼に授ける夢を見たので、穆子を遣わして軍を率いさせ、文宮で俘虜を献じた。

冬,有星孛於大辰,西及漢。申須曰:“彗所以除舊佈新也。天事恆象,今除於火,火出必布焉。諸侯其有火災乎?”梓慎曰:“往年吾見之,是其徵也,火出而見。今茲火出而章,必火入而伏。其居火也久矣,其與不然乎?火出,於夏為三月,於商為四月,於周為五月。夏數得天。若火作,其四國當之,在宋、衛、陳、鄭乎?宋,大辰之虛也;陳,大皞之虛也;鄭,祝融之虛也,皆火房也。

冬、星孛が大辰に現れ、西に向かって漢に至った。申須が曰わく、「彗は以て旧を除き新を布く所以です。天事は常に象あり。今火の上で掃除すれば、火が現れれば必ず布散します。諸侯におそらく火災があるでしょうか」。梓慎が曰わく、「往年に我が見たは征象で、火が現れてやっと見えました。今年火が現れて顕著なれば、必ず火が入りて潜伏します。それが火に留まることすでに久し。然らざらんや。火が現れるは夏は三月、商は四月、周は五月。夏の数は天を得ます。もし火が發作すれば、四国が承当するは宋・衛・陳・鄭でしょうか。宋は大辰の虚。陳は大皞の虚。鄭は祝融の虚。皆火の房です。

星孛天漢,漢,水祥也。衛,顓頊之虛也,故為帝丘,其星為大水,水,火之牡也。其以丙子若壬午作乎?水火所以合也。若火入而伏,必以壬午,不過其見之月。”鄭裨灶言於子產曰:“宋、衛、陳、鄭將同日火,若我用瓘斝玉瓚,鄭必不火。”子產弗與。

星孛が天漢にあり、漢は水の祥です。衛は顓頊の虚で、ゆえに帝丘。それの星は大水で、水は火の牡です。おそらく丙子か壬午に發作するでしょうか。水火の会合する所以です。もし火が入りて潜伏すれば、必ず壬午で、見えたその月を超えず」。鄭裨竈が子産に曰わく、「宋・衛・陳・鄭は同日に火災あるでしょう。もし我が瓘斝玉瓚を用いれば、鄭は必ず火災しません」。子産が与えなかった。

吳伐楚。陽匄為令尹,卜戰,不吉。司馬子魚曰:“我得上流,何故不吉。

呉国が楚を攻めた。陽匄が令尹を為し、交戦のため卜に問うたが不吉。司馬子魚が曰わく、「我らは上游を占めるに、なぜ不吉か。

且楚故,司馬令龜,我請改卜。”令曰:“魴也,以其屬死之,楚師繼之,尚大克之”。吉。戰於長岸,子魚先死,楚師繼之,大敗吳師,獲其乘舟餘皇。使隨人與後至者守之,環而塹之,及泉,盈其隧炭,陳以待命。吳公子光請於其眾,曰:“喪先王之乘舟,豈唯光之罪,眾亦有焉。請藉取之,以救死。”眾許之。

況んや楚の旧例は司馬が亀を命ず。我は改卜を請います」。命じて曰わく、「魴が部屬を帯びて死し、楚軍が接続し、大勝を望む」。吉。長岸で交戦し、子魚が先に死に、楚軍が接続し、呉軍を大いに敗り、彼らの乗舟余皇を繳獲した。随人と後到の者を遣わして看守させ、環りて堑を掘り、泉水に至り、隧道に炭を填め、陣を列ねて命を待った。呉公子光が部衆に請うて曰わく、「先王の乗舟を喪失したは、あえて光の罪のみか、衆人もまたあり。これに借りて取り帰し、死を救うことを請います」。衆人が許した。

使長鬛者三人,潛伏於舟側,曰:“我呼餘皇,則對,師夜從之。”三呼,皆迭對。楚人從而殺之,楚師亂,吳人大敗之,取餘皇以歸。

長鬚の三人を遣わして船側に潜伏させ、曰わく、「我が余皇を呼喊すれば、応答せよ。軍隊は夜に従う」。三度呼喊し、皆交替に応答した。楚人がついて彼らを殺し、楚軍が乱れ、呉人が彼らを大いに敗り、余皇を取って帰った。

◇昭公十八年

◇昭公十八年

【經】十有八年春王三月,曹伯須卒。夏五月壬午,宋、衛、陳、鄭災。六月,邾人入鄅。秋,葬曹平公。冬,許遷於白羽。

【経】十八年春、周天子の暦の三月、曹伯須が薨じた。夏五月壬午、宋・衛・陳・鄭に火災。六月、邾人が鄅に入った。秋、曹平公を葬った。冬、許国が白羽に遷った。

【傳】十八年春,王二月乙卯,周毛得殺毛伯過而代之。萇弘曰:“毛得必亡,是昆吾稔之日也,侈故之以。而毛得以濟侈於王都,不亡何待!”三月,曹平公卒。

【伝】十八年春、周天子の暦の二月乙卯、周毛得が毛伯過を殺し彼に代わった。萇弘が曰わく、「毛得は必ず亡びる。これは昆吾の惡貫滿盈の日で、奢侈の故です。毛得が王都で奢侈を成せば、亡びずして何を待たん!」。三月、曹平公が薨じた。

夏五月,火始昏見。丙子,風。梓慎曰:“是謂融風,火之始也。七日,其火作乎!”戊寅,風甚。壬午,大甚。宋、衛、陳、鄭皆火。梓慎登大庭氏之庫以望之,曰:“宋、衛、陳、鄭也。”數日,皆來告火。裨灶曰:“不用吾言,鄭又將火。”鄭人請用之,子產不可。子大叔曰:“寶,以保民也。若有火,國幾亡。可以救亡,子何愛焉?”子產曰:“天道遠,人道邇,非所及也,何以知之?灶焉知天道?是亦多言矣,豈不或信?”遂不與,亦不復火。

夏五月、大火星が始めて黄昏に現れた。丙子、風が吹いた。梓慎が曰わく、「これを融風と曰う、火の始まりです。七日後、火はおそらく發作するでしょう!」。戊寅、風は更に甚だしく。壬午、大いに甚だしく。宋・衛・陳・鄭が皆火災した。梓慎が大庭氏の庫に登り眺望して曰わく、「これは宋・衛・陳・鄭です」。数日後、皆来て火災を告知した。裨竈が曰わく、「我が言を用いざれば、鄭はまた火災するでしょう」。鄭人が用いることを請うたが、子産が同意しなかった。子大叔が曰わく、「寶は百姓を保つに用います。もし火災あれば、国家はほとんど亡びます。亡を救うべきに、あなたは何を愛惜しますか」。子産が曰わく、「天道は遠く、人道は近し。及ぶ所にあらず。何を以て知らん。竈はどこで天道を知らん。これも話が多すぎ、あえて偶に言中せざらんや」。ここに与えず、また火災せず。

鄭之未災也,裡析告子產曰:“將有大祥,民震動,國幾亡。吾身泯焉,弗良及也。國遷其可乎?”子產曰:“雖可,吾不足以定遷矣。”及火,裡析死矣,未葬,子產使輿三十人,遷其柩。火作,子產辭晉公子、公孫於東門。使司寇出新客,禁舊客勿出於宮。使子寬、子上巡群屏攝,至於大宮。使公孫登徙大龜。

鄭がまだ火災しない時、里析が子産に告知して曰わく、「将に大なる変異あらん。百姓が震動し、国家はほとんど亡びます。我が身は泯滅し、追いつけません。遷都は可ですか」。子産が曰わく、「たとえ可でも、我は遷を決定するに足らず」。火災に及び、里析はすでに死し、まだ葬られず、子産が車子三十人を遣わし、彼の柩を遷した。火が起き、子産が東門で晋国の公子・公孫を辞谢した。司寇を遣わして新来の客を送出させ、旧客が宮を出ぬよう禁止した。子寛・子上を遣わして各所を屏攝巡視させ、大宮に至らせた。公孫登を遣わして大亀を遷させた。

使祝史徙主祏於周廟,告於先君。使府人、庫人各儆其事。商成公儆司宮,出舊宮人,置諸火所不及。司馬、司寇列居火道,行火所焮。城下之人,伍列登城。

祝史を遣わして主祏を周廟に遷し、先君に告知させた。府人・庫人を遣わして各々職事を警戒させた。商成公が司宮を警戒し、旧宮人を放出し、火の及ばぬ所に安置した。司馬・司寇が火道に列し、火の焼く所を巡行した。城下の人は伍に按じて城に登った。

明日,使野司寇各保其徵。郊人助祝史除於國北,禳火於玄冥、回祿,祈於四鄘。

翌日、野司寇を遣わして各々征役を保せしめた。郊人が祝史を助けて国都の北辺で清除し、玄冥・回禄に火を禳い、四鄘に祈祷した。

書焚室而寬其徵,與之材。三日哭,國不市。使行人告於諸侯。宋、衛皆如是。

焼けた屋を登記して征役を放寛し、彼らに木材を与えた。三日哭して、国中で市を開かず。行人を遣わして諸侯に告知した。宋・衛も皆この如くした。

陳不救火,許不弔災,君子是以知陳、許之先亡也。

陳は火を救わず、許は災を弔わず。君子はこれにより陳・許が先に亡ぶと知った。

六月,鄅人藉稻。邾人襲鄅,鄅人將閉門。邾人羊羅攝其首焉,遂入之,盡俘以歸。鄅子曰:“餘無歸矣。”從帑於邾,邾莊公反鄅夫人,而舍其女。秋,葬曹平公。往者見周原伯魯焉,與之語,不說學。歸以語閔子馬。閔子馬曰:“周其亂乎?夫必多有是說,而後及其大人。大人患失而惑,又曰:‘可以無學,無學不害。’不害而不學,則苟而可。於是乎下陵上替,能無亂乎?夫學,殖也,不學將落,原氏其亡乎?”七月,鄭子產為火故,大為社,祓禳於四方,振除火災,禮也。乃簡兵大蒐,將為蒐除。子大叔之廟在道南,其寢在道北,其庭小。過期三日,使除徒陳於道南廟北,曰:“子產過女而命速除,乃毀於而鄉。”子產朝,過而怒之,除者南毀。子產及沖,使從者止之曰:“毀於北方。”

六月、鄅人が稲を収めるに借りた。邾人が鄅を襲撃し、鄅人が将に城門を關えんとした。邾人羊羅が門を守る者の頭を割り落とし、ここに入り、全部を俘虜として帰った。鄅子が曰わく、「我に帰処なし」。妻児に従って邾に至り、邾荘公が鄅夫人を返還し、その女を留めた。秋、曹平公を葬った。往く者が周原伯魯に見え、彼と話して学を好まぬを見た。帰りて閔子馬に告げた。閔子馬が曰わく、「周はおそらく乱れるでしょうか?必ず先にこのような説法が多く、然る後に大人に至ります。大人が失うを怕れて迷惑し、また曰わく、『学ばずとも可、学ばずして害なし』。害なければ学ばず、苟且も可とします。ここに下が陵して上が替わるに、乱れざらんや。学は殖です。学ばずんば将に凋落せん。原氏はおそらく滅亡するでしょうか」。七月、鄭子産が火災の故により、大挙して社を為し、四方に祓禳し、火災を振除したのは礼に合う。ここに軍隊を簡選して大蒐を行い、蒐のため道路を清除せんとした。子大叔の廟は道南に、寝は道北に、庭が小さかった。期限を過ぎること三日、除道徒衆を道南廟北に陳列させて曰わく、「子産があなたを経て速く除せと命ずれば、あなたがたの方に向かって毀れ」。子産が上朝し、経て怒り、除道の人が南に毀った。子産が路口に至り、従う人を遣わして阻止して曰わく、「北の方で毀れ」。

火之作也,子產授兵登陴。子大叔曰:“晉無乃討乎?”子產曰:“吾聞之,小國忘守則危,況有災乎?國之不可小,有備故也。”既,晉之邊吏讓鄭曰:“鄭國有災,晉君、大夫不敢寧居,卜筮走望,不愛牲玉。鄭之有災,寡君之憂也。今執事扌間然授兵登陴,將以誰罪?邊人恐懼,不敢不告。子產對曰:“若吾子之言,敝邑之災,君之憂也。敝邑失政,天降之災,又懼讒慝之間謀之,以啟貪人,薦為弊邑不利,以重君之憂。幸而不亡,猶可說也。不幸而亡,君雖憂之,亦無及也。鄭有他竟,望走在晉。既事晉矣,其敢有二心?”楚左尹王子勝言於楚子曰:“許於鄭,仇敵也,而居楚地,以不禮於鄭。晉、鄭方睦,鄭若伐許,而晉助之,楚喪地矣。君盍遷許?許不專於楚。鄭方有令政。

火が起きた時、子産が兵器を發して女墻に登った。子大叔が曰わく、「晋国がおそらく討伐するでしょうか」。子産が曰わく、「我は聞くに、小国が守を忘れれば危うし。況んや災あるをや。国家が小看せられざるは防備あるを以てです」。随いて、晋の辺吏が鄭を責めて曰わく、「鄭国に災あり、晋君・大夫は安居せず、卜筮して群望に奔走し、牲玉を愛惜せず。鄭に災あるは寡君の憂です。今執事が勁健に兵器を發して女墻に登る(底本「扌间」は撊)は、誰を怪罪せんとするか。辺人が恐懼し、敢えて告げざらざるなし」。子産が対えて曰わく、「吾子の曰う如く、敝邑の災は君の憂です。敝邑が政を失い、天が災を降し、また讒惡の人が間隙に乗じて謀り、貪人を啓開し、再び弊邑の不利とならんことを畏れ、君の憂を加重します。幸いに亡びずんば、なお解釈すべし。不幸にして亡びんば、君はたとえ憂うるも、及びません。鄭に別の辺境あれば、奔走して晋を指望します。すでに晋に事奉し、敢えて二心せんや」。楚左尹王子勝が楚子に曰わく、「許は鄭に対して仇敵で、楚地に住み、鄭に礼を以てせず。晋・鄭が正に和睦するに、鄭がもし許を攻め、晋が助ければ、楚は地を喪失します。君は何で許を遷さざるか。許は楚に専属しません。鄭は正に好政あり。

許曰:‘餘舊國也。’鄭曰:‘餘俘邑也。’葉在楚國,方城外之蔽也。土不可易,國不可小,許不可俘,仇不可啟,君其圖之。”楚子說。冬,楚子使王子勝遷許於析,實白羽。

許が曰く、『我は旧国なり』。鄭が曰く、『我は俘獲の邑なり』。葉は楚国にあって方城外の屏蔽です。土地は交換すべからず、国家は小看すべからず、許国は俘虜すべからず、仇は啓開すべからず。君はなお謀れ」。楚子が喜んだ。冬、楚子が王子勝を遣わして許を析に遷し、実は白羽である。

◇昭公十九年

◇昭公十九年

【經】十有九年春,宋公伐邾。夏五月戊辰,許世子止弒其君買。己卯,地震。秋,齊高發帥師伐莒。冬,葬許悼公。

【経】十九年春、宋公が邾国を攻めた。夏五月戊辰、許太子止がその国君買を弑した。己卯、地震。秋、斉高發が軍を率いて莒国を攻めた。冬、許悼公を葬った。

【傳】十九年春,楚工尹赤遷陰於下陰,令尹子瑕城郟。叔孫昭子曰:“楚不在諸侯矣!其僅自完也,以持其世而已。”

【伝】十九年春、楚工尹赤が陰を下陰に遷し、令尹子瑕が郟に城を築いた。叔孫昭子が曰わく、「楚は諸侯の中に在らず!ただ自ら保全して世代を維持するのみ」。

楚子之在蔡也,郹陽封人之女奔之,生大子建。及即位,使伍奢為之師。

楚子が蔡にいるとき、郹陽封人の女が彼に奔り、太子建を生んだ。即位に及び、伍奢を遣わして彼の師とした。

費無極為少師,無寵焉,欲譖諸王,曰:“建可室矣。”王為之聘於秦,無極與逆,勸王取之,正月,楚夫人嬴氏至自秦。

費無極が少師を為し、寵を得ず、王に誣陷せんと欲して曰わく、「建は家を成すべきです」。王が彼のために秦に聘問し、無極が迎えに参与し、王に彼女を娶るを勸めた。正月、楚夫人嬴氏が秦より至った。

鄅夫人,宋向戌之女也,故向寧請師。二月,宋公伐邾,圍蟲。三月,取之。乃盡歸鄅俘。

鄅夫人は宋向戌の女で、ゆえに向寧が兵を出すことを請うた。二月、宋公が邾国を攻め、虫を包囲した。三月、取った。ここに鄅の俘虜を全部帰還した。

夏,許悼公瘧。五月戊辰,飲大子止之藥卒。大子奔晉。書曰:“弒其君。”

夏、許悼公が瘧疾した。五月戊辰、太子止の藥を飲んで薨じた。太子が晋に出奔した。《春秋》に「その君を弑す」と記載した。

君子曰:“盡心力以事君,舍藥物可也。”

君子が曰わく、「心力を盡くして国君に事奉し、藥物を放棄すれば可です」。

邾人、郳人、徐人會宋公。乙亥,同盟於蟲。

邾人・郳人・徐人が宋公と会見した。乙亥、虫で共に盟約を結んだ。

楚子為舟師以伐濮。費無極言於楚子曰:“晉之伯也,邇於諸夏,而楚闢陋,故弗能與爭。若大城城父而置大子焉,以通北方,王收南方,是得天下也。”王說,從之。故太子建居於城父。

楚子が舟師を組建して濮を攻めた。費無極が楚子に曰わく、「晋が稱覇し、諸夏に接近し、楚は偏僻簡陋で、ゆえに争えません。もし大挙して城父の城を修築して太子を安置し、北方を溝通し、王が南方を収めれば、これは天下を得ることです」。王が喜び、聴き従った。ゆえに太子建が城父に住んだ。

令尹子瑕聘於秦,拜夫人也。

令尹子瑕が秦に聘問したのは夫人を拜謝するためである。

秋,齊高發帥師伐莒。莒子奔紀鄣。使孫書伐之。初,莒有婦人,莒子殺其夫,已為嫠婦。及老,托於紀鄣,紡焉以度而去之。及師至,則投諸外。或獻諸子占,子占使師夜縋而登。登者六十人。縋絕。師鼓譟,城上之人亦噪。莒共公懼,啟西門而出。七月丙子,齊師入紀。

秋、斉高發が軍を率いて莒国を攻めた。莒子が紀鄣に出奔した。孫書を遣わして攻めさせた。初め、莒に婦人あり、莒子がその夫を殺し、自ら寡婦となった。老いて、紀鄣に托身し、紡線で城を量り去った。軍が至ると、城外に投げた。ある人が子占に献じ、子占が軍に夜に繩で縋り登らせた。登った者六十人。繩が断れた。軍が鼓を撃ち喧噪し、城上の人も喧噪した。莒共公が懼れ、西門を開いて出た。七月丙子、斉軍が紀に入った。

是歲也,鄭駟偃卒。子游娶於晉大夫,生絲,弱。其父兄立子瑕。子產憎其為人也,且以為不順,弗許,亦弗止。駟氏聳。他日,絲以告其舅。冬,晉人使以幣如鄭,問駟乞之立故。駟氏懼,駟乞欲逃。子產弗遣。請龜以卜,亦弗予。

この年、鄭駟偃が薨じた。子游が晋国の大夫家より妻を娶り、絲を生み、幼弱。彼の父兄が子瑕を立てた。子産がその人となりを憎悪し、かつ順ならずと以為し、許さず、また阻止しなかった。駟氏が驚懼した。後に、絲がその舅に告げた。冬、晋人が币を帯びて鄭に来させ、駟乞の立ち得た故を問うた。駟氏が懼れ、駟乞が逃れんと欲した。子産が打發せず。亀で占卜することを請うも、与えなかった。

大夫謀對,子產不待而對客曰:“鄭國不天,寡君之二三臣,札瘥夭昏,今又喪我先大夫偃。其子幼弱,其一二父兄懼隊宗主,私族於謀而立長親。寡君與其二三老曰:‘抑天實剝亂是,吾何知焉?’諺曰:‘無過亂門。’民有兵亂,猶憚過之,而況敢知天之所亂?今大夫將問其故,抑寡君實不敢知,其誰實知之?平丘之會,君尋舊盟曰:‘無或失職。’若寡君之二三臣,其即世者,晉大夫而專制其位,是晉之縣鄙也,何國之為?”辭客幣而報其使。晉人舍之。

大夫が應對を謀り、子産が待たずに客に対して曰わく、「鄭国は天に保佑されず、寡君の几位の臣が疫病夭死し、今また我らの先大夫偃を喪失しました。その子が幼弱で、一两位の父兄が宗主の墜落を畏れ、私に族里で年長の親を立てるを謀りました。寡君がその几位の老臣と曰わく、『おそらく天が実にこれを剥乱するか。我らは何を知らん』。諺に曰く、『乱門を経るな』。百姓に兵乱あれば、なお経るを畏れ、況んや敢えて天の乱る所を知らんや。今大夫が将に故を問わんとすれば、寡君は実に敢えて知らず、誰が実に知らん。平丘之会に、君が旧盟を重温して曰わく、『人の職を失わしむるな』。もし寡君の几位の臣に去世する者あれば、晋大夫がその位を専断するは、これは晋の県鄙で、何を以て国とせん」。客の币を辞谢し、使者に回報した。晋人がこの事を放下した。

楚人城州來。沈尹戌曰:“楚人必敗。昔吳滅州來,子旗請伐之。王曰:‘吾未撫吾民。’今亦如之,而城州來以挑吳,能無敗乎?”侍者曰:“王施捨不倦,息民五年,可謂撫之矣。”戌曰:“吾聞撫民者,節用於內,而樹德於外,民樂其性,而無寇仇。今宮室無量,民人日駭,勞罷死轉,忘寢與食,非撫之也。”

楚人が州来に城を築いた。沈尹戌が曰わく、「楚人は必ず敗れます。昔呉が州来を滅ぼしたとき、子旗が攻めるを請いました。王が曰わく、『我はまだ我が百姓を安撫せず』。今もこの如くなのに、州来に城を築いて呉を挑動するは、敗れざらんや」。侍者が曰わく、「王が施舍に倦まず、百姓を五年休息させたは安撫と言えます」。戌が曰わく、「我は聞くに、百姓を安撫する者は内に用度を節約し、外に徳を樹立し、百姓が性命を楽しみ、寇仇なし。今宮室に限量なく、民人が日日に驚駭し、労苦疲弊して死転し、寝食を忘るるは安撫にあらず」。

鄭大水,龍鬥於時門之外洧淵。國人請為禜焉,子產弗許,曰:“我鬥,龍不我覿也。龍鬥,我獨何覿焉?禳之,則彼其室也。吾無求於龍,龍亦無求於我。”

鄭国に大水あり、龍が時門の外の洧淵で争闘した。国人が禜祭を行うことを請うたが、子産が許さず曰わく、「我らが争闘するに、龍は我らを見ず。龍が争闘するに、我はあえて独り見に行かん。それを禳うに、そこはその屋です。我が龍に求むるなく、龍が我に求むるなし」。

乃止也。

ここに止めた。

令尹子瑕言蹶由於楚子曰:“彼何罪?諺所謂‘室於怒,市於色’者,楚之謂矣。舍前之忿可也。”乃歸蹶由。

令尹子瑕が楚子に蹶由を説いて曰わく、「彼に何の罪があるか。諺の曰う『家で怒を發し、市で色を作す』は楚を説くものです。从前の忿恨を放下すれば可です」。ここに蹶由を帰還した。

◇昭公二十年

◇昭公二十年

【經】二十年春王正月。夏,曹公孫會自鄸出奔宋。秋,盜殺衛侯之兄縶。

【経】二十年春、周天子の暦の正月。夏、曹公孫会が鄸より宋に出奔した。秋、盗が衛侯の兄絷を殺した。

冬十月,宋華亥、向寧、華定出奔陳。十有一月辛卯,蔡侯盧卒。

冬十月、宋華亥・向寧・華定が陳に出奔した。十一月辛卯、蔡侯盧が薨じた。

【傳】二十年春,王二月己丑,日南至。梓慎望氛曰:“今茲宋有亂,國幾亡,三年而後弭。蔡有大喪。”叔孫昭子曰:“然則戴、桓也!汏侈無禮已甚,亂所在也。”

【伝】二十年春、周天子の暦の二月己丑、日南至。梓慎が氛を望んで曰わく、「今年宋に乱あり、国家はほとんど亡び、三年して後に平息す。蔡に大喪あり」。叔孫昭子が曰わく、「然らば戴・桓です!驕汰奢侈して礼なく、すでに過分なれば、乱はそこに在り」。

費無極言於楚子曰:“建與伍奢將以方城之外叛。自以為猶宋、鄭也,齊、晉又交輔之,將以害楚。其事集矣。”王信之,問伍奢。伍奢對曰:“君一過多矣,何信於讒?”王執伍奢。使城父司馬奮揚殺大子,未至,而使遣之。三月,大子建奔宋。王召奮揚,奮揚使城父人執己以至。王曰:“言出於餘口,入於爾耳,誰告建也?”對曰:“臣告之。君王命臣曰:‘事建如事餘。’臣不佞,不能苟貳。奉初以還,不忍後命,故遣之。既而悔之,亦無及已。”王曰:“而敢來,何也?”對曰:“使而失命,召而不來,是再奸也。逃無所入。”王曰:“歸。”從政如他日。

費無極が楚子に曰わく、「建と伍奢が将に方城の外を帯びて叛変せんとします。自ら以為うらくなお宋・鄭の如く、斉・晋がまた交差して輔助し、将に楚を害せんとします。事はすでに凑斉しました」。王が信じ、伍奢に問うた。伍奢が対えて曰わく、「君王の一次の過はすでに多し。なぜ讒言を聴信しますか」。王が伍奢を執えた。城父司馬奮揚を遣わして太子を殺させたが、まだ至らず、先に人を遣わして彼を打發し去らせた。三月、太子建が宋に出奔した。王が奮揚を召し、奮揚が城父人に自らを執えさせて至った。王が曰わく、「話が我の口より出て、あなたの耳に入る。誰が建に告げたか」。対えて曰わく、「臣が告げました。君王が臣に命じて曰わく、『建に事奉するは我に事奉るが如く』。臣は不才で、苟且に二心できません。最初の命令を奉じて帰り、後命に按るに忍びず、ゆえに彼を打發しました。随いて悔いるも、及びません」。王が曰わく、「あなたは敢えて来る。何の故か」。対えて曰わく、「出使して命令を失い、召されて来ざるは、再び触犯です。逃げて入る所なし」。王が曰わく、「帰れ」。往日の如く政に従った。

無極曰:“奢之子材,若在吳,必憂楚國,盍以免其父召之。彼仁,必來。

無極が曰わく、「奢の子は才能あり。もし呉に在れば、必ず楚国を憂えます。何で彼の父を免ずるを以て召さざるか。彼は仁で、必ず来ます。

不然,將為患。”王使召之,曰:“來,吾免而父。”棠君尚謂其弟員曰:“爾適吳,我將歸死。吾知不逮,我能死,爾能報。聞免父之命,不可以莫之奔也;親戚為戮,不可以莫之報也。奔死免父,孝也;度功而行,仁也;擇任而往,知也;知死不闢,勇也。父不可棄,名不可廢,爾其勉之,相從為愈。”伍尚歸。

然らずんば、将に禍患となります」。王が人を遣わして彼らを召して曰わく、「来い。我はあなたがたの父を免じん」。棠君尚が弟員に曰わく、「あなたは呉に行け。我は将に帰りて死せん。我が智慮は及ばず、我は死し得、あなたは報い得。父を免ずる命を聞いて、奔赴する人なくすべからず。親戚が殺されて、報復する人なくすべからず。死に奔赴して父を免ずるは孝。功労を度量して行動するは仁。任務を選択して往くは智。死を知りて避けざるは勇。父は棄つべからず、名は廃すべからず。あなたは努力せよ。互いに成全するがよし」。伍尚が帰った。

奢聞員不來,曰:“楚君、大夫其旰食乎!”楚人皆殺之。

奢が員の来ざるを聞き、曰わく、「楚君・大夫はおそらく晩く飯を食うでしょう!」。楚人が皆彼らを殺した。

員如吳,言伐楚之利於州於。公子光曰:“是宗為戮而欲反其仇,不可從也。”

員が呉国に到り、州于に楚を攻める利を陳説した。公子光が曰わく、「これは宗族が殺されて仇を報復せんとするもの。聴くべからず」。

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