Libo

昭公(元年~三十二年)

春秋 · 左丘明(旧题) · 第44巻 / 56

費來如歸,南氏亡矣,民將叛之,誰與居邑?若憚之以威,懼之以怒,民疾而叛,為之聚也。若諸侯皆然,費人無歸,不親南氏,將焉入矣?”平子從之,費人叛南氏。

費人が来ること家に帰るが如くなれば、南氏は亡びます。百姓は彼を叛き、誰が彼と城邑に同居しましょうか。威を用いて怕らせ、怒を用いて懼らせれば、百姓は痛恨して叛き、これは彼のために聚めることになります。諸侯が皆このようであれば、費人に帰処がなく、南氏に親附せず、どこに入りましょうか」。平子が聴き従い、費人が南氏を背叛した。

楚子之為令尹也,殺大司馬薳掩而取其室。及即位,奪薳居田;遷許而質許圍。蔡洧有寵於王,王之滅蔡也,其父死焉,王使與於守而行。申之會,越大夫戮焉。王奪鬥韋龜中犨,又奪成然邑而使為郊尹。蔓成然故事蔡公,故薳氏之族及薳居、許圍、蔡洧、蔓成然,皆王所不禮也。因群喪職之族,啟越大夫常壽過作亂,圍固城,克息舟,城而居之。

楚子が令尹の時、大司馬䓕掩を殺し、その家室を取った。即位に及び、䓕居の田を奪い、許を遷し許囲を人質とした。蔡洧が王に寵を得た。王が蔡を滅ぼすとき、その父がそこで死んだので、王は彼に守衛に参与させてから出行した。申之会で越国の大夫が殺された。王が斗韋亀の中犨を奪い、また成然の城邑を奪って彼を郊尹とした。蔓成然はかつて蔡公に事奉した。ゆえに䓕氏の族および䓕居・許囲・蔡洧・蔓成然は皆王が礼をもって遇しない者である。職を失った族の群に憑り、越国大夫常寿過を啓発して乱を作らせ、固城を包囲し、息舟を克り、城を築いて住んだ。

觀起之死也,其子從在蔡,事朝吳,曰:“今不封蔡,蔡不封矣。我請試之。”

観起が死んだとき、その子従が蔡国にいて朝呉に事奉し、曰わく、「今蔡を封ぜずんば、蔡は封ぜられません。私は試みることを請います」。

以蔡公之命召子幹、子皙,及郊,而告之情,強與之盟,入襲蔡。蔡公將食,見之而逃。觀從使子幹食,坎,用牲,加書,而速行。己徇於蔡曰:“蔡公召二子,將納之,與之盟而遣之矣,將師而從之。”蔡人聚,將執之。辭曰:“失賊成軍,而殺餘,何益?”乃釋之。朝吳曰:“二三子若能死亡,則如違之,以待所濟。

蔡公の命令を用いて子干・子皙を召し、郊に至ってやっと実情を告げ、強いて彼らと盟約を結ばせ、入って蔡を襲った。蔡公が将に食せんとする時、見て逃げ去った。観従が子干に食させ、坑を掘り、犠牲を用い、文書を加え、急いで行かせた。自ら蔡人に向かって巡行して曰わく、「蔡公が二位を召し、将に送り入れようとし、彼らと盟約を結んで遣わし去り、軍を率いて従おうとしています」。蔡人が聚集し、彼を執えようとした。推辞して曰わく、「賊人を失って軍隊を成したのに、私を殺して何の益がありますか」。ここに釈放した。朝呉が曰わく、「几位がもし死を去ることができれば、違抗して、成す所を待ちましょう。

若求安定,則如與之,以濟所欲。且違上,何適而可?”眾曰:“與之。”乃奉蔡公,召二子而盟於鄧,依陳、蔡人以國。楚公子比、公子黑肱、公子棄疾、蔓成然、蔡朝吳帥陳、蔡、不羹、許、葉之師,因四族之徒,以入楚。及郊,陳、蔡欲為名,故請為武軍。蔡公知之曰:“欲速。且役病矣,請藩而已。”乃藩為軍。蔡公使須務牟與史卑先入,因正僕人殺大子祿及公子罷敵。公子比為王,公子黑肱為令尹,次於魚陂。公子棄疾為司馬,先除王宮。使觀從從師於乾溪,而遂告之,且曰:“先歸復所,後者劓。”師及訾梁而潰。

もし安定を求めるなら、参与して、思う所を成し遂げましょう。況んや上にある者に違抗すれば、どこに至るのが適切ですか」。衆人が曰わく、「参与します」。ここに蔡公を奉じ、二位を召して鄧で盟約を結び、陳・蔡人に依り頼んで国を立てた。楚公子比・公子黑肱・公子棄疾・蔓成然・蔡朝呉が陳・蔡・不羹・許・葉の軍を率い、四族の徒衆に憑り、楚に入った。郊に至り、陳・蔡が名を求めようとしたので、武軍を作ることを請うた。蔡公が知って曰わく、「速いことを欲します。況んや役徒が疲病しているのに、藩籬のみを設けることを請います」。ここに藩籬を以て軍営とした。蔡公が須務牟と史卑を先に入れ、正仆人に憑って太子禄および公子罷敵を殺させた。公子比が王となり、公子黑肱が令尹となり、魚陂に駐屯した。公子棄疾が司馬となり、先に王宮を清除した。観従を乾谿に遣わして軍隊に従わせ、彼らに告知し、かつ曰わく、「先に帰る者は住所を回復し、後に至る者は鼻を割かれる」。軍隊が訾梁に至ると潰散した。

王聞群公子之死也,自投於車下,曰:“人之愛其子也,亦如餘乎?”侍者曰:“甚焉。小人老而無子,知擠於溝壑矣。”王曰:“餘殺人子多矣,能無及此乎?”右尹子革曰:“請待於郊,以聽國人。”王曰:“眾怒不可犯也。”曰:“若入於大都而乞師於諸侯。”王曰:“皆叛矣。”曰:“若亡於諸侯,以聽大國之圖君也。”王曰:“大福不再,只取辱焉。”然丹乃歸於楚。王沿夏,將欲入鄢。芋尹無宇之子申亥曰:“吾父再奸王命,王弗誅,惠孰大焉?君不可忍,惠不可棄,吾其從王。”乃求王,遇諸棘圍以歸。夏五月癸亥,王縊於芋尹申亥氏。申亥以其二女殉而葬之。

王が諸公子の死を聞き、自ら車下に投げて曰わく、「人がその子を愛するのも、我の如くか」。侍者が曰わく、「更に甚しいです。小人が老いて子がなければ、沟壑に挤らされると知ります」。王が曰わく、「我が人の子を殺すこと多し、この歩に至らないことがあり得ようか」。右尹子革が曰わく、「郊で待って、国人の言を聴くことを請います」。王が曰わく、「衆怒は犯せません」。曰わく、「もし大なる都城に入りて諸侯に軍を乞うたら」。王が曰わく、「皆叛変しました」。曰わく、「もし諸侯に逃亡し、大国に君王を謀らせたら」。王が曰わく、「大福は再び来ず、辱を取るのみです」。然丹がここに楚に帰った。王が夏水に沿い、鄢に入ろうとした。芋尹無宇の子申亥が曰わく、「我が父は二度王命を触犯したのに、王は誅殺しませんでした。恩惠はこれより大きいものがありましょうか。君は狠心すべからず、惠は棄てるべからず、私はなお王に従います」。ここに王を求め、棘囲で遇い連れて帰った。夏五月癸亥、王が芋尹申亥氏で縊れた。申亥がその二女を以て殉葬した。

觀從謂子幹曰:“不殺棄疾,雖得國,猶受禍也。”子幹曰:“餘不忍也。”

観従が子干に曰わく、「棄疾を殺さずんば、たとえ国を得ても、なお禍を受けます」。子干が曰わく、「我は忍びません」。

子玉曰:“人將忍子,吾不忍俟也。”乃行。國每夜駭曰:“王入矣!”乙卯夜,棄疾使周走而呼曰:“王至矣!”國人大驚。使蔓成然走告子幹、子皙曰:“王至矣!國人殺君司馬,將來矣!君若早自圖也,可以無辱。眾怒如水火焉,不可為謀。”又有呼而走至者曰:“眾至矣!”二子皆自殺。丙辰,棄疾即位,名曰熊居。葬子幹於訾,實訾敖。殺囚,衣之王服而流諸漢,乃取而葬之,以靖國人。

子玉が曰わく、「人はあなたに忍ぶでしょう。私は忍んで待ちます」。ここに去った。国中が夜ごと驚駭して曰わく、「王が入ってきた!」。乙卯の夜、棄疾が人を遣わして周走呼ばせて曰わく、「王が至った!」。国人が大驚した。蔓成然を遣わして走り子干・子皙に告知して曰わく、「王が至りました!国人が君王の司馬を殺し、将に来ます!君王がもし早く自ら謀れば、辱を受けずに済みます。衆怒は水火の如く、謀るべからず」。また呼喊して走り至る者があって曰わく、「衆人が至りました!」。二位は皆自殺した。丙辰、棄疾が即位し、名を熊居といった。訾で子干を葬り、実は訾敖である。囚徒を殺し、彼に王服を着せて漢水に漂わせ、再び取り来たって葬り、国人を安定させた。

使子旗為令尹。

子旗を令尹とした。

楚師還自徐,吳人敗諸豫章,獲其五帥。

楚軍が徐国から帰ると、呉人が豫章で彼らを敗り、五位の軍帥を俘獲した。

平王封陳、蔡,復遷邑,致群賂,施捨寬民,宥罪舉職。召觀從,王曰:“唯爾所欲。”對曰:“臣之先,佐開卜。”乃使為卜尹。使枝如子躬聘於鄭,且致犨、櫟之田。事畢,弗致。鄭人請曰:“聞諸道路,將命寡君以犨、櫟,敢請命。”對曰:“臣未聞命。”既復,王問犨、櫟。降服而對,曰:“臣過失命,未之致也。”王執其手,曰:“子毋勤。姑歸,不穀有事,其告子也。”他年芋尹申亥以王柩告,乃改葬之。

平王が陳・蔡を封じ、遷走した城邑を回復し、各様の賄賂を送還し、百姓に施舍寛待し、罪を赦免して職ある者を挙用した。観従を召し、王が曰わく、「あなたの欲する所にのみ従う」。対えて曰わく、「臣の先人は開卜を輔佐しました」。ここに彼を卜尹とした。枝如子躬を鄭国に遣わして聘問し、かつ犨・櫟の田を送還させた。事が畢わったが、送らなかった。鄭人が請うて曰わく、「道路上に聞くに、犨・櫟を寡君に命じると。敢えて請示します」。対えて曰わく、「臣は命令を聞きませんでした」。すでに回復し、王が犨・櫟を問うた。降服して対え、曰わく、「臣が命令を過ち、送达しませんでした」。王が彼の手を握り、曰わく、「あなたは労するな。姑く帰れ。不穀に事あれば、あなたに告げよう」。後に芋尹申亥が王の柩を告知し、ここに改葬した。

初,靈王卜,曰:“餘尚得天下。”不吉,投龜,詬天而呼曰:“是區區者而不餘畀,餘必自取之。”民患王之無厭也,故從亂如歸。

初め、霊王が卜に問うて曰わく、「我はなお天下を得たい」。不吉で、亀を投げ棄て、天を罵り呼喊して曰わく、「この一点々を我に与えないなら、我は必ず自ら取る」。百姓が王の不満足に苦しみ、ゆえに乱に従うこと家に帰るが如くであった。

初,共王無冢適,有寵子五人,無適立焉。乃大有事於群望,而祈曰:“請神擇於五人者,使主社稷。”乃遍以璧見於群望,曰:“當璧而拜者,神所立也,誰敢違之?”既,乃與巴姬密埋璧於大室之庭,使五人齊,而長入拜。康王跨之,靈王肘加焉,子幹、子皙皆遠之。平王弱,抱而入,再拜,皆厭紐。鬥韋龜屬成然焉,且曰:“棄禮違命,楚其危哉!”子幹歸,韓宣子問於叔向曰:“子幹其濟乎?”對曰:“難。”宣子曰:“同惡相求,如市賈焉,何難?”對曰:“無與同好,誰與同惡?取國有五難:有寵而無人,一也;有人而無主,二也;有主而無謀,三也;有謀而無民,四也;有民而無德,五也。子幹在晉十三年矣,晉、楚之從,不聞達者,可謂無人。族盡親叛,可謂無主。無釁而動,可謂無謀。為羈終世,可謂無民。亡無愛徵,可謂無德。王虐而不忌,楚君子幹,涉五難以弒舊君,誰能濟之?有楚國者,其棄疾乎!君陳、蔡,城外屬焉。苛慝不作,盜賊伏隱,私慾不違,民無怨心。先神命之。國民信之,羋姓有亂,必季實立,楚之常也。獲神,一也;有民,二也;令德,三也;寵貴,四也;居常,五也。有五利以去五難,誰能害之?子幹之官,則右尹也。數其貴寵,則庶子也。以神所命,則又遠之。其貴亡矣,其寵棄矣,民無懷焉,國無與焉,將何以立?”宣子曰:“齊桓、晉文,不亦是乎?”對曰:“齊桓,衛姬之子也,有寵於僖。有鮑叔牙、賓須無、隰朋以為輔佐,有莒、衛以為外主,有國、高以為內主。從善如流,下善齊肅,不藏賄,不從欲,施捨不倦,求善不厭,是以有國,不亦宜乎?我先君文公,狐季姬之子也,有寵於獻。

初め、共王に嫡長がなく、寵子五人があって、適当に立てる者がなかった。ここに群望に大挙祭祀し、祈祷して曰わく、「神に請う、五人の中から選び、社稷を主持させよ」。ここに遍く璧を取り群望に見え、曰わく、「璧に対して拜する者は、神の立つ所です。誰が敢えて違抗しましょう」。随い、巴姫と密かに璧を大室の庭に埋め、五人に斎戒させ、長幼の順に入らせ拜させた。康王は跨ぎ、霊王は胳膊肘を加え、子干・子皙は皆遠く離れた。平王は幼小で、抱かれて入り、二度拜し、皆紐を圧した。斗韋亀が成然を彼に託し、かつ曰わく、「礼を棄て命に背くなら、楚はおそらく危うい!」。子干が帰り、韓宣子が叔向に問うて曰わく、「子干はおそらく成功するでしょうか」。対えて曰わく、「難しいです」。宣子が曰わく、「同悪が互いに求め合うのは市の商賈の如く、何が難しいですか」。対えて曰わく、「同好がなければ、誰が彼と同悪しましょう。国を取るに五難あり。寵あるも人なし、一。人あるも主なし、二。主あるも謀なし、三。謀あるも民なし、四。民あるも徳なし、五。子干が晋に十三年、晋・楚の従者に通達したと聞かず、人なしと言えます。族尽し親人叛き、主なしと言えます。空隙なく動き、謀なしと言えます。羈旅として一生、民なしと言えます。逃亡に人愛の征象なく、徳なしと言えます。王は暴虐で忌憚せず、楚国は子干を君子とし、五難を渉って旧君を弑するに、誰が成功しましょう。楚国を有する者は、おそらく棄疾でしょう!陳・蔡の君となり、城外が帰属します。苛虐・奸悪が発作せず、盗賊が潜伏し、私欲が違背せず、百姓に怨心なし。先に神より命令あり。国民が信任し、芈姓に乱あれば必ず季子が実に立つを得るは楚の常理です。神を獲る、一。民有り、二。令徳、三。寵貴、四。居常、五。五利を以て五難を去るに、誰が彼を害しましょう。子干の官は右尹です。その貴寵を数えれば庶子です。神の命ずる所に按ずれば、また遠く離れます。その貴は亡び、寵は棄てられ、百姓は懐念せず、国内に親附なし。何を憑って立たん」。宣子が曰わく、「斉桓・晋文もまたこのようではなかったか」。対えて曰わく、「斉桓は衛姫の子で、僖に寵を得ました。鮑叔牙・賓須無・隰朋を輔佐とし、莒・衛を外主とし、国・高を内主としました。善に従うこと流るるが如く、下に善斉・粛で、賄を蔵せず、欲望を放縦せず、施舍に倦まず、善を求めて厭かず、これにより国を有したのは当然ではありませんか。我らの先君文公は狐季姫の子で、献に寵を得ました。…」

好學而不貳,生十七年,有士五人。有先大夫子餘、子犯以為腹心,有魏犨、賈佗以為股肱,有齊、宋、秦、楚以為外主,有欒、郤、狐、先以為內主。亡十九年,守志彌篤。惠、懷棄民,民從而與之。獻無異親,民無異望,天方相晉,將何以代文?此二君者,異於子幹。共有寵子,國有奧主。無施於民,無援於外,去晉而不送,歸楚而不逆,何以冀國?”晉成虒祁,諸侯朝而歸者皆有貳心。為取郠故,晉將以諸侯來討。叔向曰:“諸侯不可以不示威。”乃並徵會,告於吳。秋,晉侯會吳子於良。水道不可,吳子辭,乃還。

学を好み二心なく、生れて十七年、士五人あり。先大夫子余・子犯を腹心とし、魏犨・賈佗を股肱とし、斉・宋・秦・楚を外主とし、欒・郤・狐・先を内主としました。逃亡十九年、志を守ること益々篤く。恵・懐が百姓を棄て、百姓は従って彼に親附しました。献に他の親人なく、百姓に他の指望なく、天は正に晋を助く。何を以て文に代えん。この二国君は子干と同じくありません。共に寵子あり、国に深蔵の主あり。百姓に施すことなく、外に援なく、晋を離れて送る人なく、楚に帰って迎える人なし。何を憑って国を得んと望みましょう」。晋国が虒祁を成し、諸侯の朝見して帰る者は皆二心あり。郠を取った故により、晋は諸侯を率いて来討せんとした。叔向が曰わく、「諸侯に威を示さざるべからず」。ここに并せて征召会合し、呉に告げた。秋、晋侯が良で呉子と会見した。水道が不可で、呉子が推辞し、ここに帰った。

七月丙寅,治兵於邾南,甲車四千乘,羊舌鮒攝司馬,遂合諸侯於平丘。子產、子大叔相鄭伯以會。子產以幄幕九張行。子大叔以四十,既而悔之,每舍,損焉。及會,亦如之。

七月丙寅、邾南で治兵し、甲車四千乗、羊舌鮒が司馬を代理し、ここに平丘で諸侯を会合した。子産・子大叔が鄭伯を輔佐して会に来た。子産は幄幕九張を帯びて行き、子大叔は四十張を帯び、随後悔い、宿るごとに減らした。会に至っても、あの如くであった。

次於衛地,叔鮒求貨於衛,淫芻蕘者。衛人使屠伯饋叔向羹,與一篋錦,曰:“諸侯事晉,未敢攜貳,況衛在君之宇下,而敢有異志?芻蕘者異於他日,敢請之。”叔向受羹反錦,曰:“晉有羊舌鮒者,瀆貨無厭,亦將及矣。為此役也,子若以君命賜之,其已。”客從之,未退,而禁之。

衛地に駐屯し、叔鮒が衛に貨を求め、割草打柴の者を放任した。衛人が屠伯を遣わして叔向に羹を送り、一箱の錦を与えて曰わく、「諸侯が晋に事奉し、敢えて二心なく、況んや衛は君の屋檐下にあって、敢えて異志がありましょうか。割草打柴の者が往日と異なります。敢えて請います」。叔向が羹を受け錦を退けて曰わく、「晋に羊舌鮒あり、貨を貪って満足せず、また将に至るでしょう。今回の役のため、あなたがもし君命を以て彼に賜えば、おそらく止むでしょう」。客が聴き従い、まだ退かないうちに禁止した。

晉人將尋盟,齊人不可。晉侯使叔向告劉獻公曰:“抑齊人不盟,若之何?”對曰:“盟以厎信。君苟有信,諸侯不貳,何患焉?告之以文辭,董之以武師,雖齊不許,君庸多矣。天子之老,請帥王賦,‘元戎十乘,以先啟行’,遲速唯君。”叔向告於齊,曰:“諸侯求盟,已在此矣。今君弗利,寡君以為請。”對曰:“諸侯討貳,則有尋盟。若皆用命,何盟之尋?”叔向曰:“國家之敗,有事而無業,事則不經。有業而無禮,經則不序。有禮而無威,序則不共。有威而不昭,共則不明。不明棄共,百事不終,所由傾覆也。是故明王之制,使諸侯歲聘以志業,間朝以講禮,再朝而會以示威,再會而盟以顯昭明。志業於好,講禮於等。示威於眾,昭明於神。自古以來,未之或失也。存亡之道,恆由是興。晉禮主盟,懼有不治。奉承齊犠,而布諸君,求終事也。君曰:‘餘必廢之,何齊之有?’唯君圖之,寡君聞命矣!”齊人懼,對曰:“小國言之,大國制之,敢不聽從?既聞命矣,敬共以往,遲速唯君。”叔向曰:“諸侯有間矣,不可以不示眾。”八月辛未,治兵,建而不旆。壬申,復旆之。諸侯畏之。

晋人が盟約を重温せんとし、斉人が同意しなかった。晋侯が叔向を遣わして劉献公に告げて曰わく、「斉人が盟を結ばないが、どうすればよいか」。対えて曰わく、「盟は信用を達成するために用います。君がもし信あれば、諸侯に二心なく、何を憂えますか。文辞を以て告げ、武師を以て督察すれば、たとえ斉が許さなくても、君の功は多くなります。天子の老臣が、王の軍賦を率いることを請います。『元戎十乗、先に行を啓く』、快慢はただ君に聴きます」。叔向が斉に告げて曰わく、「諸侯が盟を求め、すでにここにあります。今君が利とせず、寡君はこれを以て請います」。対えて曰わく、「諸侯が二心あるを討伐するならば、重温の盟があります。もし皆命を用いれば、何の盟を重温しますか」。叔向が曰わく、「国家の敗亡は、事あって産業なければ、事は常ならず。産業あって礼なければ、常に次序なし。礼あって威なければ、次序に恭あらず。威あって昭明せざれば、恭は明白ならず。明白ならず恭を棄てれば、百事は終結せず、傾覆はこれによります。ゆえに明王の制度は、諸侯をして歳に聘問して産業を記し、時を隔てて朝見して礼を講じ、再び朝して会して威を示し、再び会して盟して昭明を顕さしめます。友好の中に産業を記し、等級の中に礼を講じます。衆人に威を示し、神に昭明す。古来より、失誤したことがありません。存亡の道理は、常にこれにより興ります。晋が礼を以て盟を主し、治めざるを畏れます。斉備の犠牲を奉承し、諸君に陳列するは事の完成を求めるためです。君が曰く、『我は必ず廃する。何の斉備があらん』と。ただ君の謀るを請います。寡君は命令を聞きました!」。斉人が懼れ、対えて曰わく、「小国が曰い、大国が裁断するに、敢えて聴かざらんや。すでに命令を聞きました。恭敬して往き、快慢はただ君に聴きます」。叔向が曰わく、「諸侯に空隙あり。衆人に示さざるべからず」。八月辛未、治兵し、旗を樹てて旆を垂れず。壬申、再び旆を垂れた。諸侯が懼れた。

邾人、莒人訁斥於晉曰:“魯朝夕伐我,幾亡矣。我之不共,魯故之以。”

邾人・莒人が晋国に訴えて曰わく、「鲁国が朝夕に我らを攻め、ほとんど亡びます。我らが供給できないのは魯の故です」。

晉侯不見公,使叔向來辭曰:“諸侯將以甲戌盟,寡君知不得事君矣,請君無勤。”

晋侯が昭公に見えず、叔向を遣わして来て辞谢して曰わく、「諸侯が甲戌に盟約を結ぼうとしています。寡君は君に事奉できないと知りました。君は労しないでください」。

子服惠伯對曰:“君信蠻夷之訴,以絕兄弟之國,棄周公之後,亦唯君。寡君聞命矣。”叔向曰:“寡君有甲車四千乘在,雖以無道行之,必可畏也,況其率道,其何敵之有?牛雖瘠,僨於豚上,其畏不死?南蒯、子仲之憂,其庸可棄乎?若奉晉之眾,用諸侯之師,因邾、莒、杞、鄫之怒,以討魯罪,間其二憂,何求而弗克?”魯人懼,聽命。

子服惠伯が対えて曰わく、「君が蛮夷の訴を聴信し、兄弟之国を断絶し、周公の後代を拋棄するも、ただ君によります。寡君は命令を聞きました」。叔向が曰わく、「寡君に甲車四千乗あり。たとえ無道を以て用いても、必ず畏るべし。況んや道に遵循すれば、何の敵手があらん。牛がたとえ瘦せても、小猪の上に圧せば、死を畏れざらんや。南蒯・子仲の憂は、棄てるべからざらんや。もし晋の部衆を奉じ、諸侯の軍を用い、邾・莒・杞・鄫の怒に憑り、魯の罪を討伐し、その二件の憂に乗ずれば、何を求めて成らざらん」。魯人が懼れ、命を聴いた。

甲戌,同盟於平丘,齊服也。令諸侯日中造於除。癸酉,退朝。子產命外僕速張於除,子大叔止之,使待明日。及夕,子產聞其未張也,使速往,乃無所張矣。

甲戌、平丘で共に盟約を結んだのは斉国が帰服したからである。諸侯に日中に除地に至るよう命じた。癸酉、退朝した。子産が外僕に除地で張設を急がせ、子大叔が阻止し、明日まで待たせた。晩に至り、子産がまだ張設していないと聞き、急いで行かせたが、すでに張設する所がなかった。

及盟,子產爭承,曰:“昔天子班貢,輕重以列,列尊貢重,周之制也。卑而貢重者,甸服也。鄭伯,男也,而使從公侯之貢,懼弗給也,敢以為請。諸侯靖兵,好以為事。行理之命,無月不至,貢之無藝,小國有闕,所以得罪也。諸侯修盟,存小國也。貢獻無及,亡可待也。存亡之制,將在今矣。”自日中以爭,至於昏,晉人許之。既盟,子大叔咎之曰:“諸侯若討,其可瀆乎?”子產曰:“晉政多門,貳偷之不暇,何暇討?國不競亦陵,何國之為?”公不與盟。晉人執季孫意如,以幕蒙之,使狄人守之。司鐸射懷錦,奉壺飲冰,以蒲伏焉。守者御之,乃與之錦而入。晉人以平子歸,子服湫從。

盟約を結ぶに及び、子産が貢賦の等級を争って曰わく、「昔天子が貢を排列し、軽重は位列に按ず。位列が尊ければ貢は重し。これは周の制度です。低下なのに貢重きは甸服です。鄭伯は男なのに、公侯の貢に従わせるは供給し得ぬを畏れ、敢えてこれを以て請います。諸侯が兵を停め、友好を以て事とします。行人の命令は月に至らざるなく、貢に限度なく、小国に闕あり、ゆえに罪を得ます。諸侯が盟を修めるは小国を存するためです。貢献が及ばざれば、滅亡は待つべし。存亡の制度は今日に在らん」。日中より昏黒まで争い、晋人が許した。すでに盟約を結び、子大叔が責めて曰わく、「諸侯がもし討伐すれば、軽慢すべきか」。子産が曰わく、「晋国の政事は多門で、二心苟且も及ばず、どこに討伐の暇があらん。国家が争わなくても陵されるに、何を以て国とするか」。昭公は盟に参加しなかった。晋人が季孫意如を執え、幕を以て蒙い、狄人に看守させた。司鐸射が懐に錦を蔵し、壺を捧げて氷を飲み、匍匐して往いた。看守が阻んだので、彼に錦を与えて入った。晋人が平子を連れて帰り、子服湫が従った。

子產歸,未至,聞子皮卒,哭,且曰:“吾已,無為為善矣,唯夫子知我。”

子産が帰り、まだ至らないうちに、子皮が薨じたと聞き、哭して曰わく、「我は完了した。善を共にする人がいない。ただ夫子のみが我を知っていた」。

仲尼謂:“子產於是行也,足以為國基矣。《詩》曰:‘樂只君子,邦家之基。’子產,君子之求樂者也。”且曰:“合諸侯,藝貢事,禮也。”

仲尼が以為えらく、「子産はこの行に、国家の根基となるに足る。《詩》に曰く、『楽しいかな君子、邦家の根基なり』。子産は君子が楽を求める人である」。かつ曰わく、「諸侯を会合し、貢事を制定するは礼である」。

鮮虞人聞晉師之悉起也,而不警邊,且不修備。晉荀吳自著雍以上軍侵鮮虞,及中人,驅沖競,大獲而歸。

鮮虞人が晋軍が全部出動したと聞くも、辺境を警戒せず、また守備を修めなかった。晋荀呉が著雍より上軍を率いて鮮虞を侵襲し、中人に至り、衝車を駆って競進し、大いに獲て帰った。

楚之滅蔡也,靈王遷許、胡、沈、道、房、申於荊焉。平王即位,既封陳、蔡,而皆復之,禮也。隱大子之子廬歸於蔡,禮也。悼大子之子吳歸於陳,禮也。

楚が蔡を滅ぼすとき、霊王が許・胡・沈・道・房・申を荊に遷した。平王が即位し、すでに陳・蔡を封じ、皆帰らせたのは礼に合う。隠太子の子廬が蔡に帰ったのは礼に合う。悼太子の子呉が陳に帰ったのは礼に合う。

冬十月,葬蔡靈公,禮也。

冬十月、蔡霊公を葬ったのは礼に合う。

公如晉。荀吳謂韓宣子曰:“諸侯相朝,講舊好也,執其卿而朝其君,有不好焉,不如辭之。”乃使士景伯辭公於河。

昭公が晋に行った。荀呉が韓宣子に曰わく、「諸侯が互いに朝見するは旧好を講ず。彼の卿を執えて彼の国君を朝見するは好ましからず。辞谢するに如かず」。ここに士景伯を遣わして黄河辺で昭公を辞谢した。

吳滅州來。令尹子期請伐吳,王弗許,曰:“吾未撫民人,未事鬼神,未修守備,未定國家,而用民力,敗不可悔。州來在吳,猶在楚也。子姑待之。”

呉国が州来を滅ぼした。令尹子期が呉を攻めることを請うたが、王が許さず曰わく、「我はまだ民人を安撫せず、まだ鬼神に事奉せず、まだ守備を修めず、まだ国家を安定せず、しかるに民力を用いる。敗れれば悔いても及ばず。州来が呉にあるは、なお楚にあるが如し。あなたは姑く待て」。

季孫猶在晉,子服惠伯私於中行穆子曰:“魯事晉,何以不如夷之小國?魯,兄弟也,土地猶大,所命能具。若為夷棄之,使事齊、楚,其何瘳於晉?親親,與大,賞共、罰否,所以為盟主也。子其圖之。諺曰:‘臣一主二。’吾豈無大國?”穆子告韓宣子,且曰:“楚滅陳、蔡,不能救,而為夷執親,將焉用之?”乃歸季孫。惠伯曰:“寡君未知其罪,合諸侯而執其老。若猶有罪,死命可也。

季孫がなお晋国にいるとき、子服惠伯が私に中行穆子に曰わく、「鲁国が晋に事奉するに、どこが夷の小国に如かざるか。魯は兄弟で、土地もなお大きく、命令する所は具備できます。もし夷のために棄て、それを斉・楚に事奉させれば、晋に何の益があらん。親を親しみ、大に親附し、供給する者を賞賜し、供給せぬ者を懲罰するは、盟主となる所以です。あなたはなお謀れ。諺に曰く、『臣は一主二なり』。我らに大国がないであろうか」。穆子が韓宣子に告げ、かつ曰わく、「楚が陳・蔡を滅ぼすに救えず、夷のために親人を執えるは、それを何に用いるか」。ここに季孫を帰らせた。惠伯が曰わく、「寡君はまだ罪を知らず、諸侯を会合して彼の老臣を執えます。もし罪あれば、命令に死すも可です。

若曰無罪而惠免之,諸侯不聞,是逃命也,何免之?為請從君惠於會。”宣子患之,謂叔向曰:“子能歸季孫乎?”對曰:“不能。鮒也能。”乃使叔魚。叔魚見季孫曰:“昔鮒也得罪於晉君,自歸於魯君。微武子之賜,不至於今。雖獲歸骨於晉,猶子則肉之,敢不盡情?歸子而不歸,鮒也聞諸吏,將為子除館於西河,其若之何?”且泣。平子懼,先歸。惠伯待禮。

もし罪なく加惠赦免するというなら、諸侯は聞かず、これは命令を逃避するで、何の赦免ぞや。会上で君の恩惠に従うことを請います」。宣子が憂え、叔向に曰わく、「あなたは季孫を帰らせることができるか」。対えて曰わく、「できません。鮒ができます」。ここに叔魚を遣わした。叔魚が季孫に見えて曰わく、「昔鮒が晋君に罪を得て、自ら魯君に帰向しました。武子の賜なくして今日に至らず。たとえ晋に帰骨を得るも、なおあなたが彼に肉を与えた。敢えて情を尽くさざらん。あなたを帰らせようとしてあなたが回らないのは、鮒が吏より聞くに、あなたのために西河に館舎を備えると。どうしますか」。かつ哭泣した。平子が懼れ、先に帰った。惠伯が礼を待った。

◇昭公十四年

◇昭公十四年

【經】十有四年春,意如至自晉。三月,曹伯滕卒。夏四月。秋,葬曹武公。

【経】十四年春、意如が晋から帰った。三月、曹伯滕が薨じた。夏四月。秋、曹武公を葬った。

八月,莒子去疾卒。冬,莒殺其公子意恢。

八月、莒子去疾が薨じた。冬、莒国がその公子意恢を殺した。

【傳】十四年春,意如至自晉,尊晉罪己也。尊晉、罪己,禮也。

【伝】十四年春、意如が晋から帰ったのは晋を尊敬し罪を自らに帰したからである。晋を尊敬し罪を自らに帰するは礼に合う。

南蒯之將叛也,盟費人。司徒老祁、慮癸偽廢疾,使請於南蒯曰:“臣願受盟而疾興,若以君靈不死,請待間而盟。”許之。二子因民之慾叛也,請朝眾而盟。遂劫南蒯曰:“群臣不忘其君,畏子以及今,三年聽命矣。子若弗圖,費人不忍其君,將不能畏子矣。子何所不逞欲?請送子。”請期五日。遂奔齊。侍飲酒於景公。公曰:“叛夫?”對曰:“臣欲張公室也。”子韓皙曰:“家臣而欲張公室,罪莫大焉。”司徒老祁、慮癸來歸費,齊侯使鮑文子致之。

南蒯が叛変せんとして、費人と盟約を結んだ。司徒老祁・慮癸が廃疾を偽り、南蒯に請うて曰わく、「臣は盟を受けることを願うも疾病が発作し、もし君の霊に憑り死なずば、空隙を待って再び盟することを請います」。許された。二位は百姓に憑り叛変せんとし、衆人に朝見して再び盟することを請うた。ここに南蒯を劫持して曰わく、「群臣は国君を忘れず、あなたを今まで畏れ、三年命を聴きました。あなたがもし謀らずば、費人は国君に忍びず、あなたを畏れなくなるでしょう。あなたはどこに在って欲望を満足させぬことがあらん。あなたを送り去ることを請います」。期限五日を請うた。ここに斉に出奔した。景公に陪侍して飲酒し、公が曰わく、「叛変した者か」。対えて曰わく、「臣は公室を張大せんと欲しました」。子韓皙が曰わく、「家臣なのに公室を張大せんと欲するは、罪はこれより大きいものなし」。司徒老祁・慮癸が来て費を帰還し、斉侯が鮑文子を遣わして送达した。

夏,楚子使然丹簡上國之兵於宗丘,且撫其民。分貧,振窮;長孤幼,養老疾,收介特,救災患,宥孤寡,赦罪戾;詰奸慝,舉淹滯;禮新,敘舊;祿勳,合親;任良,物官。使屈罷簡東國之兵於召陵,亦如之。好於邊疆,息民五年,而後用師,禮也。

夏、楚子が然丹を遣わして宗丘で上国の兵を檢閲し、かつ百姓を安撫した。貧なる者に分与し、窮なる者を救済し、孤幼を養長し、老病を養い、単身を收容し、災患を救い、孤寡を寛免し、罪戾を赦免した。奸悪を詰問し、淹滞を挙用し、新しきを礼待し、旧きを叙用し、功ある者に禄を与え、親人を聚合し、賢良を任用し、官吏を物色した。屈罷を遣わして召陵で東国の兵を檢閲し、またこの如くした。辺疆と友好し、百姓を五年休息させて後に兵を用いるは礼に合う。

秋八月,莒著丘公卒,郊公不戚。國人弗順,欲立著丘公之弟庚輿。蒲餘侯惡公子意恢而善於庚輿,郊公惡公子鐸而善於意恢。公子鐸因蒲餘侯而與之謀曰:“爾殺意恢,我出君而納庚輿。”許之。

秋八月、莒著丘公が薨じ、郊公が哀戚しなかった。国人が順従せず、著丘公の弟庚輿を立てんと欲した。蒲余侯が公子意恢を悪んで庚輿と交好し、郊公が公子鐸を悪んで意恢と交好した。公子鐸が蒲余侯に憑って彼と謀って曰わく、「あなたは意恢を殺し、我は国君を逐い庚輿を送り入れよう」。許した。

楚令尹子旗有德於王,不知度。與養氏比,而求無厭。王患之。九月甲午,楚子殺鬥成然,而滅養氏之族。使鬥辛居鄖,以無忘舊勳。

楚令尹子旗が王に恩徳あり、節度を知らず。養氏と勾結し、求取に満足なし。王が憂えた。九月甲午、楚子が斗成然を殺し、養氏の族を滅ぼした。斗辛を遣わして鄖に住まわせ、旧勲を忘れざらんとした。

冬十二月,蒲餘侯茲夫殺莒公子意恢,郊公奔齊。公子鐸逆庚輿於齊。齊隰黨、公子鋤送之,有賂田。

冬十二月、蒲余侯茲夫が莒公子意恢を殺し、郊公が斉に出奔した。公子鐸が斉から庚輿を迎えた。斉隰党・公子鋤が彼を送り、賄賂の田があった。

晉邢侯與雍子爭賂田,久而無成。士景伯如楚,叔魚攝理,韓宣子命斷舊獄,罪在雍子。雍子納其女於叔魚,叔魚蔽罪邢侯。邢侯怒,殺叔魚與雍子於朝。宣子問其罪於叔向。叔向曰:“三人同罪,施生戮死可也。雍子自知其罪而賂以買直,鮒也鬻獄,刑侯專殺,其罪一也。己惡而掠美為昏,貪以敗官為墨,殺人不忌為賊。《夏書》曰:‘昏、墨、賊,殺。’皋陶之刑也。請從之。”乃施邢侯而屍雍子與叔魚於市。

晋邢侯と雍子が賂田を争い、長く決着しなかった。士景伯が楚に行き、叔魚が獄官を代理し、韓宣子が旧獄を裁断するよう命じ、罪は雍子にあった。雍子がその女を叔魚に送り、叔魚が罪を邢侯に判した。邢侯が怒り、朝廷で叔魚と雍子を殺した。宣子が叔向に彼らの罪を問うた。叔向が曰わく、「三人は同じく罪あり。生きたるを殺し死せるを陳尸すれば可です。雍子は自ら罪を知りながら賄賂を以て直を買い、鮒は獄訟を出売し、邢侯は専擅して人を殺した。罪は同じです。自ら悪しきに美名を掠取するは昏、貪りて官守を敗壊するは墨、人を殺して忌憚せぬは賊。《夏書》に曰く、『昏・墨・賊は殺す』。これは皋陶の刑です。従うことを請います」。ここに邢侯を殺し、雍子と叔魚の尸を市上に置いた。

仲尼曰:“叔向,古之遺直也。治國制刑,不隱於親,三數叔魚之惡,不為末減。曰義也夫,可謂直矣。平丘之會,數其賄也,以寬衛國,晉不為暴。歸魯季孫,稱其詐也,以寬魯國,晉不為虐。邢侯之獄,言其貪也,以正刑書,晉不為頗。三言而除三惡,加三利,殺親益榮,猶義也夫!”

仲尼が曰わく、「叔向は古代の遺直です。国を治め刑を制するに、親を隠護せず、三度叔魚の悪を数説して減軽せず。義と曰うは、正直と言えます。平丘之会で、彼の貪賄を数説して衛国を寛待し、晋は暴虐ならず。魯の季孫を帰らせ、その詐を称説して魯国を寛待し、晋は残虐ならず。邢侯の獄で、その貪を説いて刑書を端正し、晋は偏頗ならず。三言で三悪を除き三利を加え、親を殺して益々栄えるはなお義です!」

◇昭公十五年

◇昭公十五年

【經】十有五年春王正月,吳子夷末卒。二月癸酉,有事於武宮。籥入,叔弓卒。去樂,卒事。夏,蔡朝吳出奔鄭。六月丁巳朔,日有食之。秋,晉荀吳帥師伐鮮虞。冬,公如晉。

【経】十五年春、周天子の暦の正月、呉子夷末が薨じた。二月癸酉、武宮で祭祀があった。籥が進み、叔弓が薨じた。楽を去って祭祀を畢えた。夏、蔡朝呉が鄭に出奔した。六月丁巳朔、日食。秋、晋荀呉が軍を率いて鮮虞を攻めた。冬、昭公が晋に行った。

【傳】十五年春,將禘於武公,戒百官。梓慎曰:“禘之日,其有咎乎!吾見赤黑之祲,非祭祥也,喪氛也。其在蒞事乎?”二月癸酉,禘,叔弓蒞事,籥入而卒。去樂,卒事,禮也。

【伝】十五年春、武公で禘祭を行おうとし、百官を告戒した。梓慎が曰わく、「禘祭の日、おそらく咎があるでしょう!私は赤黑の祲気を見ました。祭祀の祥ではなく、喪の氛です。おそらく臨事する人でしょう」。二月癸酉、禘祭をし、叔弓が臨事し、籥が進むと薨じた。楽を去って祭祀を畢えたのは礼に合う。

楚費無極害朝吳之在蔡也,欲去之。乃謂之曰:“王唯信子,故處子於蔡。

楚費無極が朝呉の蔡にいるを忌害し、彼を去らせたかった。ここに彼に対して曰わく、「王はただあなたを信任するので、あなたを蔡に安置した。

子亦長矣,而在下位,辱。必求之,吾助子請。”又謂其上之人曰:“王唯信吳,故處諸蔡,二三子莫之如也。而在其上,不亦難乎?弗圖,必及於難。”夏,蔡人遂朝吳。朝吳出奔鄭。王怒,曰:“餘唯信吳,故置諸蔡。且微吳,吾不及此。

あなたも年長いのに下位にいるのは辱です。必ず求めなさい。私はあなたのために請います」。また上の人に対して曰わく、「王はただ呉を信任するので蔡に安置した。几位は彼に及ぶ者なし。しかるに彼の上にいるのは難くないか。謀らずんば必ず難に至る」。夏、蔡人が朝呉を逐った。朝呉が鄭に出奔した。王が怒って曰わく、「我はただ呉を信任するので蔡に安置した。況んや呉なくして、我はこの歩に至らなかった。

女何故去之?”無極對曰:“臣豈不欲吳?然而前知其為人之異也。吳在蔡,蔡必速飛。去吳,所以翦其翼也。”

あなたはなぜ彼を去らせたか」。無極が対えて曰わく、「臣はあえて呉を欲しないのでしょうか。しかしあらかじめ彼の人となるが同じくあらざるを知りました。呉が蔡にあれば、蔡は必ず速く飛び去ります。呉を去るはその翼を剪る所以です」。

六月乙丑,王大子壽卒。

六月乙丑、王の太子寿が薨じた。

秋八月戊寅,王穆後崩。

秋八月戊寅、王穆后が崩じた。

晉荀吳帥師伐鮮虞,圍鼓。鼓人或請以城叛,穆子弗許。左右曰:“師徒不勤,而可以獲城,何故不為?”穆子曰:“吾聞諸叔向曰:‘好惡不愆,民知所適,事無不濟。’或以吾城叛,吾所甚惡也。人以城來,吾獨何好焉?賞所甚惡,若所好何?若其弗賞,是失信也,何以庇民?力能則進,否則退,量力而行。吾不可以欲城而邇奸,所喪滋多。”使鼓人殺叛人而繕守備。圍鼓三月,鼓人或請降,使其民見,曰:“猶有食色,姑修而城。”軍吏曰:“獲城而弗取,勤民而頓兵,何以事君?”穆子曰:“吾以事君也。獲一邑而教民怠,將焉用邑?邑以賈怠,不如完舊,賈怠無卒,棄舊不祥。鼓人能事其君,我亦能事吾君。率義不爽,好惡不愆,城可獲而民知義所,有死命而無二心,不亦可乎!”鼓人告食竭力盡,而後取之。克鼓而反,不戮一人,以鼓子鳶鞮歸。

晋荀呉が軍を率いて鮮虞を攻め、鼓を包囲した。鼓人のある者が城を帯びて叛変せんことを請うたが、穆子が許さなかった。左右が曰わく、「軍隊を労せずして城を獲られるに、なぜしませんか」。穆子が曰わく、「私は叔向に聞くに、『好悪が分を過ぎずば、百姓は往く所を知り、事は成らざるなし』。我らの城を帯びて叛変する者は我らの甚だ悪む所です。他人が城を帯びて来れば、我はあえて独り好みましょうか。甚だ悪むを賞するなら、好む所に対してどうしますか。もし賞せずば、これは信を失う。何を以て百姓を庇いましょう。力能あれば進み、否れば退き、力を量って事を行います。我は城を欲して奸に近づくべからず。失う所はなお多いです」。鼓人に叛変する者を殺させ守備を修繕させた。鼓を包囲すること三月、鼓人のある者が降服を請い、その百姓を見に来させ、曰わく、「まだ食う気色あり。姑くあなたがたの城を修めよ」。軍吏が曰わく、「城を獲て取らず、百姓を労苦し兵器を頓挫するは、何を以て国君に事奉しますか」。穆子が曰わく、「我はこれを以て国君に事奉します。一邑を獲て百姓に怠惰を教えるなら、邑を何に用いましょう。邑を以て怠惰を買うは旧を保全するに如かず。怠惰を買うは終結なく、旧を棄てるは不祥です。鼓人がその国君に事奉し得るなら、我もまた我らの国君に事奉し得ます。義に遵循して差なく、好悪が分を過ぎず、城は獲られて百姓は義の在所を知り、命令に死して二心なく、また可ではありませんか!」。鼓人が食糧竭き力尽きたと告知し、然る後にそれを取った。鼓を克って帰り、一人を殺さず、鼓子鳶鞮を連れて帰った。

冬,公如晉,平丘之會故也。

冬、昭公が晋に行ったのは平丘之会の故である。

十二月,晉荀躒如周,葬穆後,籍談為介。既葬,除喪,以文伯宴,樽以魯壺。王曰:“伯氏,諸侯皆有以鎮撫室,晉獨無有,何也?”文伯揖籍談,對曰:“諸侯之封也,皆受明器於王室,以鎮撫其社稷,故能薦彝器於王。晉居深山,戎狄之與鄰,而遠於王室。王靈不及,拜戎不暇,其何以獻器?”王曰:“叔氏,而忘諸乎?叔父唐叔,成王之母弟也,其反無分乎?密須之鼓,與其大路,文所以大蒐也。闕鞏之甲,武所以克商也。唐叔受之以處參虛,匡有戎狄。其後襄之二路,釒戚鉞,秬鬯,彤弓,虎賁,文公受之,以有南陽之田,撫征東夏,非分而何?夫有勳而不廢,有績而載,奉之以土田,撫之以彝器,旌之以車服,明之以文章,子孫不忘,所謂福也。福祚之不登,叔父焉在?且昔而高祖孫伯黶,司晉之典籍,以為大政,故曰籍氏。及辛有之二子董之晉,於是乎有董史。女,司典之後也,何故忘之?”籍談不能對。賓出,王曰:“籍父其無後乎!數典而忘其祖。”

十二月、晋荀躒が周に行き、穆后を葬り、籍談が副手となった。すでに葬り、喪服を除き、文伯と宴飲し、魯壺を樽とした。王が曰わく、「伯氏、諸侯は皆宮室を鎮撫するに用いるものがあるのに、晋だけがないのは何の故か」。文伯が籍談に揖して対えて曰わく、「諸侯が封を受けるとき、皆王室より明器を受けて社稷を鎮撫し、ゆえに王に彝器を進献できました。晋は深山に居り、戎狄と隣り、王室より遠く離れます。王の威霊が及ばず、戎に対するに及ばず、何を以て器を献ぜん」。王が曰わく、「叔氏、あなたは忘れたか。叔父唐叔は成王の母弟で、反って分器がなかったか。密須の鼓とその大路は文王が大蒐に用いたものです。闕鞏の甲は武王が商を克るに用いたものです。唐叔が受けて参虚に処り、戎狄を匡正しました。後に襄王の二路・斧鉞(底本「钅戚」は鏚)・秬鬯・彤弓・虎賁を文公が受け、これにより南陽の田があり、東夏を撫征した。分器でなくて何か。勲労あれば廃棄せず、功績あれば記載し、土田を以て奉じ、彝器を以て撫し、車服を以て旌表し、文章を以て顕明し、子孫が忘れざるは、いわゆる福です。福祚が登らざれば、叔父はどこにあらん。況んや昔あなたの高祖孫伯黶は晋の典籍を主管し、大政を為したので籍氏と曰われました。辛有の二子董が晋に至るに及び、ここに董史がありました。あなたは司典の後代で、なぜ忘れたか」。籍談は対えられなかった。賓客が出た後、王が曰わく、「籍父はおそらく後嗣がないでしょう!典を数えて祖先を忘れた」。

籍談歸,以告叔向。叔向曰:“王其不終乎!吾聞之:‘所樂必卒焉。’今王樂憂,若卒以憂,不可謂終。王一歲而有三年之喪二焉,於是乎以喪賓宴,又求彝器,樂憂甚矣,且非禮也。彝器之來,嘉功之由,非由喪也。三年之喪,雖貴遂服,禮也。王雖弗遂,宴樂以早,亦非禮也。禮,王之大經也。一動而失二禮,無大經矣。言以考典,典以志經,忘經而多言舉典,將焉用之?”

籍談が帰り、叔向に告げた。叔向が曰わく、「王はおそらく善終できないでしょう!私は聞くに、『楽しむ所は必ずそこに終わる』。今王は憂を以て楽とする。もし憂により死すれば、終と呼ぶべからず。王が一年に二度三年之喪あり、ここに喪賓を以て宴飲し、また彝器を求め、憂を以て楽とするが過分であり、かつ礼に合わず。彝器の至るは嘉功により、喪によるにあらず。三年之喪は、たとえ尊貴でも喪服を畢えるは礼です。王はたとえ畢えずとも、宴楽は太早すぎ、また礼に合わず。礼は王の大経です。一動して両様の礼を失えば、大経なし。話は典を考えるに用い、典は経を記すに用いる。経を忘れて多く話し典を列挙するは、それを何に用いん」。

◇昭公十六年

◇昭公十六年

【經】十有六年春,齊侯伐徐。楚子誘戎蠻子殺之。夏,公至自晉。秋八月己亥,晉侯夷卒。九月,大雩。季孫意如如晉。冬十月,葬晉昭公。

【経】十六年春、斉侯が徐国を攻めた。楚子が戎蛮子を誘騙して彼を殺した。夏、昭公が晋から帰った。秋八月己亥、晋侯夷が薨じた。九月、大雩祭を行った。季孫意如が晋に行った。冬十月、晋昭公を葬った。

【傳】十六年春,王正月,公在晉,晉人止公。不書,諱之也。

【伝】十六年春、周天子の暦の正月、昭公が晋にいて、晋人が昭公を留めた。《春秋》が記載しないのは避諱である。

齊侯伐徐。

斉侯が徐国を攻めた。

楚子聞蠻氏之亂也,與蠻子之無質也,使然丹誘戎蠻子嘉殺之,遂取蠻氏。

楚子が蛮氏の乱と蛮子に信質なきを聞き、然丹を遣わして戎蛮子嘉を誘騙して彼を殺し、ここに蛮氏を取得した。

既而復立其子焉,禮也。

随いて再びその子を立てたのは礼に合う。

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