昭公(元年~三十二年)
股肱或虧,何痛如之?女弗聞而樂,是不聰也。”又飲外嬖嬖叔曰:“女為君目,將司明也。服以旌禮,禮以行事,事有其物,物有其容。今君之容,非其物也,而女不見。是不明也。”亦自飲也,曰:“味以行氣,氣以實志,志以定言,言以出令。臣實司味,二御失官,而君弗命,臣之罪也。”公說,徹酒。
股肱或虧、何痛如之?女弗聞而樂、是不聰也」又飲外嬖嬖叔、曰わく、「女為君目、將司明也。服以旌禮、禮以行事、事有其物、物有其容。今君之容、非其物也、而女不見。是不明也」亦自飲也、曰わく、「味以行氣、氣以實志、志以定言、言以出令。臣實司味、二御失官、而君弗命、臣之罪也」公說、徹酒。
初,公欲廢知氏而立其外嬖,為是悛而止。秋八月,使荀躒佐下軍以說焉。
初、公欲廢知氏而立其外嬖、為是悛而止。秋八月、使荀躒佐下軍以說焉。
孟僖子如齊殷聘,禮也。
孟僖子如齊殷聘、禮也。
冬,築郎囿,書,時也。季平子欲其速成也,叔孫昭子曰:“《詩》曰:‘經始勿亟,庶民子來。’焉用速成?其以剿民也?無囿猶可,無民其可乎?”
冬、築郎囿、書、時也。季平子欲其速成也、叔孫昭子曰わく、「《詩》曰わく、『經始勿亟、庶民子來』。焉用速成?其以勦民也。無囿猶可、無民其可乎?」
◇昭公十年
◇昭公十年
【經】十年春王正月。夏,齊欒施來奔。秋七月,季孫意如、叔弓、仲孫玃帥師伐莒。戊子,晉侯彪卒。九月,叔孫婼如晉,葬晉平公。十有二月甲子,宋公成卒。
【経】十年春王正月。夏、齊欒施來奔。秋七月、季孫意如・叔弓・仲孫玃帥師伐莒。戊子、晋侯彪卒。九月、叔孫婼如晋、葬晋平公。十有二月甲子、宋公成卒。
【傳】十年春,王正月,有星出於婺女。鄭裨灶言於子產曰:“七月戊子,晉君將死。今茲歲在顓頊之虛,姜氏、任氏實守其地。居其維首,而有妖星焉,告邑姜也。邑姜,晉之妣也。天以七紀。戊子,逢公以登,星斯於是乎出。吾是以譏之。”
【伝】十年春王正月、有星出于婺女。鄭裨竈言於子産曰わく、「七月戊子、晋君將死。今兹歲在顓頊之虛、姜氏・任氏實守其地。居其維首、而有妖星焉、告邑姜也。邑姜、晋之妣也。天以七紀。戊子、逢公以登、星斯於是乎出。吾是以譏之」
齊惠欒、高氏皆耆酒,信內多怨,強於陳、鮑氏而惡之。
齊惠欒・高氏皆耆酒、信內多怨、彊於陳・鮑氏而惡之。
夏,有告陳桓子曰:“子旗、子良將攻陳、鮑。”亦告鮑氏。桓子授甲而如鮑氏,遭子良醉而騁,遂見文子,則亦授甲矣。使視二子,則皆從飲酒。桓子曰:“彼雖不信,聞我授甲,則必逐我。及其飲酒也,先伐諸?”陳、鮑方睦,遂伐欒、高氏。子良曰:“先得公,陳、鮑焉往?”遂伐虎門。
夏、有告陳桓子曰わく、「子旗・子良將攻陳・鮑」亦告鮑氏。桓子授甲而如鮑氏、遭子良醉而騁、遂見文子、則亦授甲矣。使視二子、則皆從飲酒。桓子曰わく、「彼雖不信、聞我授甲、則必逐我。及其飲酒也、先伐諸?」陳・鮑方睦、遂伐欒・高氏。子良曰わく、「先得公、陳・鮑焉往?」遂伐虎門。
晏平仲端委立於虎門之外,四族召之,無所往。其徒曰:“助陳、鮑乎?”曰:“何善焉?”“助欒、高乎?”曰:“庸愈乎?”“然則歸乎?”曰:“君伐,焉歸?”公召之而後入。公卜使王黑以靈姑釒率,吉,請斷三尺焉而用之。
晏平仲端委立于虎門之外、四族召之、無所往。其徒曰わく、「助陳・鮑乎?」曰わく、「何善焉?」「助欒・高乎?」曰わく、「庸愈乎?」「然則歸乎?」曰わく、「君伐、焉歸?」公召之而后入。公卜使王黑以靈姑銔率、吉、請斷三尺焉而用之。
五月庚辰,戰於稷,欒、高敗,又敗諸莊。國人追之,又敗諸鹿門。欒施、高強來奔。陳、鮑分其室。
五月庚辰、戰于稷、欒・高敗、又敗諸莊。國人追之、又敗諸鹿門。欒施・高彊來奔。陳・鮑分其室。
晏子謂桓子:“必致諸公。讓,德之主也,讓之謂懿德。凡有血氣,皆有爭心,故利不可強,思義為愈。義,利之本也,蘊利生孽。姑使無蘊乎!可以滋長。”
晏子謂桓子曰わく、「必致諸公。讓、德之主也、讓之謂懿德。凡有血氣、皆有爭心、故利不可強、思義為愈。義、利之本也、蘊利生孽。姑使無蘊乎、可以滋長」
桓子盡致諸公,而請老於莒。
桓子盡致諸公、而請老于莒。
桓子召子山,私具幄幕、器用、從者之衣屨,而反棘焉。子商亦如之,而反其邑。子周亦如之,而與之夫於。反子城、子公、公孫捷,而皆益其祿。凡公子、公孫之無祿者,私分之邑。國之貧約孤寡者,私與之粟。曰:“《詩》云:‘陳錫載周’,能施也,桓公是以霸。”
桓子召子山、私具幄幕・器用・從者之衣屨、而反棘焉。子商亦如之、而反其邑。子周亦如之、而與之夫于。反子城・子公・公孫捷、而皆益其祿。凡公子・公孫之無祿者、私分其邑。國之貧約孤寡者、私與之粟。曰わく、「《詩》云、『陳錫載周』、能施也。桓公是以霸」
公與桓子莒之旁邑,辭。穆孟姬為之請高唐,陳氏始大。秋七月,平子伐莒,取郠,獻俘,始用人於亳社。臧武仲在齊,聞之,曰:“周公其不饗魯祭乎!周公饗義,魯無義。《詩》曰:‘德音孔昭,視民不佻。’佻之謂甚矣,而壹用之,將誰福哉?”戊子,晉平公卒。鄭伯如晉,及河,晉人辭之。遊吉遂如晉。九月,叔孫婼、齊國弱、宋華定、衛北宮喜、鄭罕虎、許人、曹人、莒人、邾人、薛人、杞人、小邾人如晉,葬平公也。鄭子皮將以幣行。子產曰:“喪焉用幣?用幣必百兩,百兩必千人,千人至,將不行。不行,必盡用之。幾千人而國不亡?”子皮固請以行。既葬,諸侯之大夫欲因見新君。叔孫昭子曰:“非禮也。”弗聽。叔向辭之,曰:“大夫之事畢矣。而又命孤,孤斬焉在衰絰之中。其以嘉服見,則喪禮未畢。其以喪服見,是重受吊也。大夫將若之何?”皆無辭以見。子皮盡用其幣,歸,謂子羽曰:“非知之實難,將在行之。夫子知之矣,我則不足。《書》曰:‘欲敗度,縱敗禮。’我之謂矣。夫子知度與禮矣,我實縱慾而不能自克也。”
公與桓子莒之旁邑、辭。穆孟姬為之請高唐、陳氏始大。秋七月、平子伐莒、取郠、獻俘、始用人於亳社。臧武仲在齊、聞之、曰わく、「周公其不饗魯祭乎!周公饗義、魯無義。《詩》曰わく、『德音孔昭、視民不佻』。佻之謂甚矣、而壹用之、將誰福哉?」戊子、晋平公卒。鄭伯如晋、及河、晋人辭之。游吉遂如晋。九月、叔孫婼・齊國弱・宋華定・衛北宮喜・鄭罕虎・許人・曹人・莒人・邾人・薛人・杞人・小邾人如晋、葬平公也。鄭子皮將以幣行。子産曰わく、「喪焉用幣?用幣必百兩、百兩必千人、千人至、將不行。不行、必盡用之。幾千人而國不亡?」子皮固請以行。既葬、諸侯之大夫欲因見新君。叔孫昭子曰わく、「非禮也」弗聽。叔向辭之、曰わく、「大夫之事畢矣。而又命孤、孤斬焉在衰絰之中。其以嘉服見、則喪禮未畢。其以喪服見、是重受弔也。大夫將若之何?」皆無辭以見。子皮盡用其幣、歸、謂子羽曰わく、「非知之實難、將在行之。夫子知之矣、我則不足。《書》曰わく、『欲敗度、縱敗禮』。我之謂矣。夫子知度與禮矣、我實縱欲而不能自克也」
昭子至自晉,大夫皆見。高強見而退。昭子語諸大夫曰:“為人子,不可不慎也哉!昔慶封亡,子尾多受邑而稍致諸君,君以為忠而甚寵之。將死,疾於公宮,輦而歸,君親推之。其子不能任,是以在此。忠為令德,其子弗能任,罪猶及之,難不慎也?喪夫人之力,棄德曠宗,以及其身,不亦害乎?《詩》曰:‘不自我先,不自我後。’其是之謂乎!”冬十二月,宋平公卒。初,元公惡寺人柳。欲殺之。及喪,柳熾炭於位,將至,則去之。比葬,又有寵。
昭子至自晋、大夫皆見。高彊見而退。昭子語諸大夫曰わく、「為人子、不可不慎也哉!昔慶封亡、子尾多受邑而稍致諸君、君以為忠而甚寵之。將死、疾于公宮、輦而歸、君親推之。其子不能任、是以在此。忠為令德、其子弗能任、罪猶及之、難不慎也?喪夫人之力、棄德曠宗、以及其身、不亦害乎?《詩》曰わく、『不自我先、不自我後』。其是之謂乎!」冬十二月、宋平公卒。初、元公惡寺人柳、欲殺之。及喪、柳熾炭于位、將至、則去之。比葬、又有寵。
◇昭公十一年
◇昭公十一年
【經】十有一年春王二月,叔弓如宋。葬宋平公。夏四月丁巳,楚子虔誘蔡侯般,殺之於申。楚公子棄疾帥師圍蔡。五月甲申,夫人歸氏薨。大蒐於比蒲。
【経】十有一年春王二月、叔弓如宋。葬宋平公。夏四月丁巳、楚子虔誘蔡侯般殺之于申。楚公子棄疾帥師圍蔡。五月甲申、夫人歸氏薨。大蒐于比蒲。
仲孫玃會邾子,盟於祲祥。秋,季孫意如會晉韓起、齊國弱、宋華亥、衛北宮佗、鄭罕虎、曹人、杞人於厥憖。九月己亥,葬我小君齊歸。冬十有一月丁酉,楚師滅蔡,執蔡世子有以歸,用之。
仲孫玃會邾子、盟于祲祥。秋、季孫意如會晋韓起・齊國弱・宋華亥・衛北宮佗・鄭罕虎・曹人・杞人于厥慭。九月己亥、葬我小君齊歸。冬十有一月丁酉、楚師滅蔡、執蔡世子有以歸、用之。
【傳】十一年春,王二月,叔弓如宋,葬平公也。
【伝】十一年春、周天子の暦の二月、叔弓が宋に行ったのは平公を葬るためである。
景王問於萇弘曰:“今茲諸侯,何實吉?何實兇?”對曰:“蔡兇。此蔡侯般弒其君之歲也,歲在豕韋,弗過此矣。楚將有之,然壅也。歲及大梁,蔡復,楚兇,天之道也。”
景王が萇弘に問うて曰わく、「今年の諸侯で、誰が実際に吉で、誰が実際に凶か」。対えて曰わく、「蔡が凶です。これは蔡侯般がその国君を弑した年で、歳星が豕韋にあり、この年を超えません。楚国が占有するでしょうが、壅塞するに過ぎません。歳星が大梁に至れば蔡が回復し、楚が凶となるのは天の道理です」
楚子在申,召蔡靈侯。靈侯將往,蔡大夫曰:“王貪而無信,唯蔡於感,今幣重而言甘,誘我也,不如無往。”蔡侯不可。五月丙申,楚子伏甲而饗蔡侯於申,醉而執之。夏四月丁巳,殺之,刑其士七十人。公子棄疾帥師圍蔡。
楚子が申にいて蔡霊侯を召した。霊侯が行こうとすると、蔡国の大夫が曰わく、「王は貪で信用がなく、蔡国にのみ憾みがあります。今币が重く言葉が甘いのは我々を誘騙するのです。行かない方がよいでしょう」。蔡侯は同意しなかった。五月丙申、楚子が甲士を申に伏せて饗礼を設け蔡侯を招待し、酔わせて執えた。夏四月丁巳、彼を殺し、士七十人に刑を加えた。公子棄疾が軍を率いて蔡国を包囲した。
韓宣子問於叔向曰:“楚其克乎?”對曰:“克哉!蔡侯獲罪於其君,而不能其民,天將假手於楚以斃之,何故不克?然肸聞之,不信以幸,不可再也。楚王奉孫吳以討於陳,曰:‘將定而國。’陳人聽命,而遂縣之。今又誘蔡而殺其君,以圍其國,雖幸而克,必受其咎,弗能久矣。桀克有緍以喪其國,紂克東夷而隕其身。楚小位下,而亟暴於二王,能無咎乎?天之假助不善,非祚之也,厚其兇惡而降之罰也。且譬之如天,其有五材而將用之,力盡而敝之,是以無拯,不可沒振。”
韓宣子が叔向に問うて曰わく、「楚国はおそらく克つでしょうか」。対えて曰わく、「克ちますよ!蔡侯はその国君に罪を得て、また民を得られず、天は楚国の手を借りて彼を毙そうとするのです。なぜ克たないことがありましょう。しかし肸が聞くに、信用を講らずして僥倖を得るのは再び可ならずです。楚王が孫呉を奉じて陳国を討ち、曰く『あなたの国を安定させよう』と。陳人が命を聴くと、ここに県を設けました。今また蔡国を誘騙してその国君を殺し、その国を包囲しました。たとえ僥倖に克っても、必ず咎を受け、長くは続きません。桀が有緍を克って国を失い、紂が東夷を克って身を陨したように。楚国は小さく位が低いのに、屡々二王に暴を加えます。咎がないことがあり得ましょうか。天は不善を借りて助けるのではなく、福を賜うのではなく、その凶悪を厚くしてから罰を降すのです。しかも天の例えに、五材があって将に用いんとし、力尽きれば敝棄します。ゆえに救う術がなく、再び振起できません」
五月,齊歸薨,大蒐於比蒲,非禮也。
五月、斉帰が薨じ、比蒲で大蒐を行ったのは礼に合わない。
孟僖子會邾莊公,盟於祲祥,修好,禮也。泉丘人有女夢以其帷幕孟氏之廟,遂奔僖子,其僚從之。盟於清丘之社,曰:“有子,無相棄也。”僖子使助薳氏之簉。反自祲祥,宿於薳氏,生懿子及南宮敬叔於泉丘人。其僚無子,使字敬叔。
孟僖子が邾荘公と会見し、祲祥で盟約を結び、旧好を修めたのは礼に合う。泉丘人に女子があって、帷幕で孟氏の廟を覆う夢を見て、僖子に奔り、その僚伴が従った。清丘之社で盟約を結び、曰わく、「子があれば互いに捨てないでほしい」。僖子は彼女に䓕氏の副妾を助けさせた。祲祥から帰り、䓕氏に住み、泉丘人に懿子および南宮敬叔を生んだ。僚伴に子がなかったので、彼女に敬叔を養育させた。
楚師在蔡,晉荀吳謂韓宣子曰:“不能救陳,又不能救蔡,物以無親,晉之不能,亦可知也已!為盟主而不恤亡國,將焉用之?”秋,會於厥憖,謀救蔡也。鄭子皮將行,子產曰:“行不遠。不能救蔡也。
楚軍が蔡国にいて、晋荀呉が韓宣子に曰わく、「陳を救えず、また蔡を救えず、事物はこれによって親附しません。晋国の不能は知るべきです!盟主でありながら亡国を恤めないなら、それを何に用いますか」。秋、厥慭で会見したのは蔡を救う計らいである。鄭国の子皮が行こうとすると、子産が曰わく、「遠くは行けません。蔡を救えません。
蔡小而不順,楚大而不德,天將棄蔡以壅楚,盈而罰之。蔡必亡矣,且喪君而能守者,鮮矣。三年,王其有咎乎!美惡周必復,王惡周矣。”晉人使狐父請蔡於楚,弗許。
蔡国は小さくて順せず、楚国は大きくて徳がありません。天は蔡を棄てて楚を壅塞させ、満ちてから罰するでしょう。蔡国は必ず亡びます。況んや国君を失ってなお守れる者は少ないのです。三年後、王はおそらく咎があるでしょう!美悪は循環して必ず回復し、王の悪はすでに循環しました」。晋人が狐父を遣わして楚国に蔡国を請うたが、許されなかった。
單子會韓宣子於戚,視下言徐。叔向曰:“單子其將死乎!朝有著定,會有表,衣有禬,帶有結。會朝之言,必聞於表著之位,所以昭事序也。視不過結、禬之中,所以道容貌也。言以命之,容貌以明之,失則有闕。今單子為王官伯,而命事於會,視不登帶,言不過步,貌不道容,而言不昭矣。不道,不共;不昭,不從。無守氣矣。”
単子が戚で韓宣子と会見し、視線が下で話が緩かった。叔向が曰わく、「単子はおそらく死ぬでしょう!朝には定まった位があり、会には表位があり、衣には交会有り、帯には結あり。会朝の言は必ず表著の位に聞かせ、事の次序を昭明にするためです。視線は結・交会の中を超えず、容貌を導くためです。言で命令し、容貌で表明し、失えば闕が生じます。今単子が王官伯として会で事を命ずるに、視線が帯に至らず、話が一歩を超えず、貌が容を導かず、言が昭明でありません。導かなければ恭ならず、昭明でなければ従いません。守気がありません」
九月,葬齊歸,公不戚。晉士之送葬者,歸以語史趙。史趙曰:“必為魯郊。”
九月、斉帰を葬り、昭公が哀戚しなかった。晋国の葬送する士が帰って史趙に告げた。史趙が曰わく、「必ず鲁国の郊外の人となるでしょう」
侍者曰:“何故?”曰:“歸,姓也,不思親,祖不歸也。”叔向曰:“魯公室其卑乎?君有大喪,國不廢蒐。有三年之喪,而無一日之戚。國不恤喪,不忌君也。君無戚容,不顧親也。國不忌君,君不顧親,能無卑乎?殆其失國。”
侍者が曰わく、「何の故ですか」。曰わく、「帰は姓で、親を思わず、祖先が帰附しません」。叔向が曰わく、「鲁国の公室はおそらく卑微でしょうか?国君に大喪があるのに国家が大蒐を廃止しません。三年の喪があるのに一日の哀戚がありません。国家が喪を恤めないのは国君を忌憚しないことです。国君に哀戚の容がないのは親を顧みないことです。国家が国君を忌憚せず、国君が親を顧みないなら、卑微でないことがあり得ましょうか。おそらく国を失うでしょう」
冬十一月,楚子滅蔡,用隱大子於岡山。申無宇曰:“不祥。五牲不相為用,況用諸侯乎?王必悔之。”
冬十一月、楚子が蔡国を滅ぼし、岡山で隠太子を用いて祭祀した。申無宇が曰わく、「不祥です。五牲は互いに牲とせず、況んや諸侯を用いるや?王は必ず悔いるでしょう」
十二月,單成公卒。
十二月、単成公が薨じた。
楚子城陳、蔡、不羹。使棄疾為蔡公。王問於申無宇曰:“棄疾在蔡,何如?”對曰:“擇子莫如父,擇臣莫如君。鄭莊公城櫟而置子元焉,使昭公不立。齊桓公城谷而置管仲焉,至於今賴之。臣聞五大不在邊,五細不在庭。親不在外,羈不在內,今棄疾在外,鄭丹在內。君其少戒。”王曰:“國有大城,何如?”對曰:“鄭京、櫟實殺曼伯,宋蕭、亳實殺子游,齊渠丘實殺無知,衛蒲、戚實出獻公,若由是觀之,則害於國。末大必折,尾大不掉,君所知也。”
楚子が陳・蔡・不羹に城を築いた。棄疾を蔡公とした。王が申無宇に問うて曰わく、「棄疾が蔡にいるが、どうか」。対えて曰わく、「子を選ぶに父に比べるものなく、臣を選ぶに国君に比べるものなし。鄭荘公が櫟に城を築き子元を安置し、昭公を立てられなくしました。斉桓公が穀に城を築き管仲を安置し、今もなお頼っています。臣が聞くに、五大は辺境になく、五細は朝廷にありません。親人は外に在らず、羈旅は内に在りません。今棄疾は外にいて、鄭丹は内にいます。君王はなお少々警戒されよ」。王が曰わく、「国家に大城があるが、どうか」。対えて曰わく、「鄭国の京・櫟が実に曼伯を殺し、宋国の蕭・亳が実に子游を殺し、斉国の渠丘が実に無知を殺し、衛国の蒲・戚が実に献公を出奔させました。これを見れば国に害があります。末梢が大きければ必ず折れ、尾が大きければ掉げません。君王が知るところです」
◇昭公十二年
◇昭公十二年
【經】十有二年春,齊高偃帥師納北燕伯於陽。三月壬申,鄭伯嘉卒。夏,宋公使華定來聘。公如晉,至河乃復。五月,葬鄭簡公。楚殺其大夫成熊。秋七月。冬十月,公子憖出奔齊。楚子伐徐。晉伐鮮虞。
【経】十二年春、斉高偃が軍を率いて北燕伯を陽に送った。三月壬申、鄭伯嘉が薨じた。夏、宋公が華定を遣わして聘問に来た。昭公が晋に行き、黄河に至って帰った。五月、鄭簡公を葬った。楚国がその大夫成熊を殺した。秋七月。冬十月、公子慭が斉に出奔した。楚子が徐国を攻めた。晋国が鮮虞を攻めた。
【傳】十二年春,齊高偃納北燕伯款於唐,因其眾也。
【伝】十二年春、斉高偃が北燕伯款を唐に送ったのはその部衆に憑ったのである。
三月,鄭簡公卒,將為葬除。及遊氏之廟,將毀焉。子大叔使其除徒執用以立,而無庸毀,曰:“子產過女,而問何故不毀,乃曰:‘不忍廟也!諾,將毀矣!’”既如是,子產乃使闢之。司墓之室有當道者,毀之,則朝而塴;弗毀,則日中而塴。子大叔請毀之,曰:“無若諸侯之賓何!”子產曰:“諸侯之賓,能來會吾喪,豈憚日中?無損於賓,而民不害,何故不為?”遂弗毀,日中而葬。
三月、鄭簡公が薨じ、葬事のため道路を清めようとした。游氏の廟に至り、毀そうとした。子大叔がその除道徒衆に器具を持たせて立たせたが毀さず、曰わく、「子産があなたを経て問うなら、なぜ毀さないかと。曰え、『廟を毀るに忍びません!これを毀ろうとしています!』」。すでにこのようになれば、子産は避けさせた。司墓の屋に道を遮るものがあれば毀れば朝に葬れ、毀らなければ日中に葬る。子大叔が毀ることを請うて曰わく、「諸侯の賓客に対してどうしますか!」。子産が曰わく、「諸侯の賓客が来て我らの喪に会するのに、日中を憚るでしょうか。賓客に損害がなく、百姓に害がなければ、なぜしないのですか」。ここに毀らず、日中に葬った。
君子謂:“子產於是乎知禮。禮,無毀人以自成也。”
君子が以為えらく、「子産はこの時に礼を知っていた。礼とは他人を毀って自己を成さないことである」
夏,宋華定來聘,通嗣君也。享之,為賦《蓼蕭》,弗知,又不答賦。昭子曰:“必亡。宴語之不懷,寵光之不宣,令德之不知,同福之不受,將何以在?”齊侯、衛侯、鄭伯如晉,朝嗣君也。公如晉,至河乃復。取郠之役,莒人訴於晉,晉有平公之喪,未之治也,故辭公。公子憖遂如晉。晉侯享諸侯,子產相鄭伯,辭於享,請免喪而後聽命。晉人許之,禮也。晉侯以齊侯宴,中行穆子相。投壺,晉侯先。穆子曰:“有酒如淮,有肉如坻。寡君中此,為諸侯師。”
夏、宋華定が聘問に来たのは新君のために通じるためである。享礼を設けて、彼のために《蓼蕭》を賦したが、知らず、また答賦しなかった。昭子が曰わく、「必ず亡びます。宴語に懐念せず、寵光を宣揚せず、令徳を知らず、同福を受けないなら、何を憑って存立しますか」。斉侯・衛侯・鄭伯が晋に行き、新君を朝見した。昭公が晋に行き、黄河に至って帰った。郠を取る戦いで、莒人が晋国に訴え、晋国に平公の喪があってまだ治めなかったので、昭公を辞した。公子慭がここに晋に行った。晋侯が諸侯のために享礼を設け、子産が鄭伯を輔佐し、享礼で辞し、免喪してから命を聴くことを請うた。晋人が許したのは礼に合う。晋侯と斉侯が宴飲し、中行穆子が傧相をした。投壺で、晋侯が先に投げた。穆子が曰わく、「酒は淮の如く、肉は坻の如し。寡君がこれを中てれば、諸侯の師となろう」。
中之。齊侯舉矢,曰:“有酒如澠,有肉如陵。寡人中此,與君代興。”亦中之。
中てた。斉侯が矢を挙げて曰わく、「酒は澠の如く、肉は陵の如し。寡人がこれを中てれば、君と交代で興ろう」。また中てた。
伯瑕謂穆子曰:“子失辭。吾固師諸侯矣,壺何為焉,其以中俊也?齊君弱吾君,歸弗來矣!”穆子曰:“吾軍帥強御,卒乘競勸,今猶古也,齊將何事?”公孫傁趨進曰:“日旰君勤,可以出矣!”以齊侯出。
伯瑕が穆子に曰わく、「あなたは辞を失しました。我らはもともと諸侯の師です。壺が何をしますか、投げて中てるだけで俊なのですか?斉君が我らの国君を軽んじているので、帰れば再び来ないでしょう!」。穆子が曰わく、「我らの軍帥は強御で、歩卒・車士が争って勉励し、今も古代の如くです。斉国は何をしますか」。公孫傁が快步進み曰わく、「日が晩くなり国君が勤労です。出るべきです!」。斉侯を連れて出た。
楚子謂成虎若敖之餘也,遂殺之。或譖成虎於楚子,成虎知之而不能行。書曰:“楚殺其大夫成虎。”懷寵也。
楚子が成虎を若敖の余党とし、ここに彼を殺した。ある人が楚子に成虎を誣告し、成虎は知ったが去ることができなかった。《春秋》に「楚がその大夫成虎を殺した」と記したのは寵を懐恋したからである。
六月,葬鄭簡公。
六月、鄭簡公を葬った。
晉荀吳偽會齊師者,假道於鮮虞,遂入昔陽。秋八月壬午,滅肥,以肥子綿皋歸。
晋荀呉が斉軍に会すると偽り、鮮虞に道を借り、ここに昔陽に入った。秋八月壬午、肥を滅ぼし、肥子綿皋を連れて帰った。
周原伯絞虐其輿臣,使曹逃。冬十月壬申朔,原輿人逐絞而立公子跪尋,絞奔郊。
周原伯絞がその輿臣を虐害し、彼らを成群に逃走させた。冬十月壬申朔、原の輿人が絞を逐い公子跪尋を立て、絞は郊に出奔した。
甘簡公無子,立其弟過。過將去成、景之族,成、景之族賂劉獻公。丙申,殺甘悼公,而立成公之孫鰍。丁酉,殺獻太子之傅庾皮之子過,殺瑕辛於市,及宮嬖綽、王孫沒、劉州鳩、陰忌、老陽子。
甘簡公に子がなく、その弟過を立てた。過は成・景の族を去ろうとし、成・景の族が劉献公に賄賂を送った。丙申、甘悼公を殺し、成公の孫鰍を立てた。丁酉、献太子の傅庾皮の子過を殺し、市上で瑕辛を殺し、および宮嬖綽・王孫没・劉州鳩・陰忌・老陽子を殺した。
季平子立,而不禮於南蒯。南蒯謂子仲:“吾出季氏,而歸其室於公。子更其位。我以費為公臣。”子仲許之。南蒯語叔仲穆子,且告之故。
季平子が立ったが、南蒯を礼で遇しなかった。南蒯が子仲に曰わく、「私は季氏を逐い、その家室を公に帰します。あなたはその位を代えてください。私は費を帯びて公臣となります」。子仲が許した。南蒯が叔仲穆子に告げ、また故を告げた。
季悼子之卒也,叔孫昭子以再命為卿。及平子伐莒,克之,更受三命。叔仲子欲構二家,謂平子曰:“三命逾父兄,非禮也。”平子曰:“然。”故使昭子。
季悼子が薨じた時、叔孫昭子は再命で卿となった。平子が莒国を攻めて克ったとき、再び三命を受けた。叔仲子が両家を構陥しようとし、平子に曰わく、「三命が父兄を超えるのは礼に合いません」。平子が曰わく、「そうだ」。これにより昭子を指嗾した。
昭子曰:“叔孫氏有家禍,殺適立庶,故婼也及此。若因禍以斃之,則聞命矣。
昭子が曰わく、「叔孫氏に家禍があり、嫡を殺し庶を立てたので、婼がこの歩に至りました。禍を借りて毙すれば、命令を聞きました。
若不廢君命,則固有著矣。”昭子朝,而命吏曰:“婼將與季氏訟,書辭無頗。”
君命を廃しなければ、もともと固定位があります」。昭子が朝に上り、吏に命じて曰わく、「婼が季氏と争訟するので、文辞を偏頗に書かないでください」。
季孫懼,而歸罪於叔仲子。故叔仲小、南蒯、公子憖謀季氏。憖告公,而遂從公如晉。南蒯懼不克,以費叛如齊。子仲還,及衛,聞亂,逃介而先。及郊,聞費叛,遂奔齊。
季孫が懼れ、罪を叔仲子に帰した。これにより叔仲小・南蒯・公子慭が季氏を謀った。慭が昭公に告げ、ここに昭公に従って晋に行った。南蒯が成し得ないことを懼れ、費を帯びて斉に叛変した。子仲が帰り、衛に至り、乱を聞き、副手を棄てて先に行った。郊に至り、費が叛変したと聞き、ここに斉に出奔した。
南蒯之將叛也,其鄉人或知之,過之而嘆,且言曰:“恤恤乎,湫乎,攸乎!深思而淺謀,邇身而遠志,家臣而君圖,有人矣哉!”南蒯枚筮之,遇《坤》ⅱⅱ之《比》ⅴⅱ,曰:“黃裳元吉。”以為大吉也,示子服惠伯,曰:“即欲有事,何如?”惠伯曰:“吾嘗學此矣,忠信之事則可,不然必敗。外強內溫,忠也。和以率貞,信也。故曰‘黃裳元吉’。黃,中之色也。裳,下之飾也。元,善之長也。中不忠,不得其色。下不共,不得其飾。事不善,不得其極。外內倡和為忠,率事以信為共,供養三德為善,非此三者弗當。且夫《易》,不可以占險,將何事也?且可飾乎?中美能黃,上美為元,下美則裳,參成可筮。猶有闕也,筮雖吉,未也。”
南蒯が叛変しようとし、その郷人のある者が知り、彼を経て叹息し、かつ曰わく、「憂愁や、愁や、遠いや!深く思うのに浅く謀り、身に近いのに志が遠く、家臣なのに国君を図る。こんな人がいるのか!」。南蒯が銜枚して占筮し、《坤》を得て《比》に変わり、曰わく、「黄裳元吉」。大吉と以為し、子服惠伯に見せて曰わく、「もし事を為そうとするなら、どうですか」。惠伯が曰わく、「私はかつてこれを学びました。忠信の事なら可ですが、さもなければ必ず敗れます。外が強く内が温なのは忠です。和を用いて貞を率いるのは信です。ゆえに『黄裳元吉』と曰う。黄は中の色です。裳は下の飾です。元は善の長です。中が忠でなければその色を得られません。下が恭でなければその飾を得られません。事が善でなければその極を得られません。外内が倡和するのは忠で、信を用いて事を率いるのは恭で、三徳を供養するのは善です。この三つでなければ相当しません。況んや《易》は険事を占うべきではありません。何の事を為そうとするのですか。それは飾りにできますか。中美は黄を能くし、上美は元で、下美は裳です。三つが完成すれば占筮できます。闕があれば、占筮が吉でもなお行えません」
將適費,飲鄉人酒。鄉人或歌之曰:“我有圃,生之杞乎!從我者子乎,去我者鄙乎,倍其鄰者恥乎!已乎已乎,非吾黨之士乎!”平子欲使昭子逐叔仲小。小聞之,不敢朝。昭子命吏謂小待政於朝,曰:“吾不為怨府。”楚子狩於州來,次於潁尾,使蕩侯、潘子、司馬督、囂尹午、陵尹喜帥師圍徐以懼吳。楚子次於乾溪,以為之援。雨雪,王皮冠,秦復陶,翠被,豹舄,執鞭以出,僕析父從。右尹子革夕,王見之,去冠、被,舍鞭,與之語曰:“昔我先王熊繹,與呂級、王孫牟、燮父、禽父,並事康王,四國皆有分,我獨無有。今吾使人於周,求鼎以為分,王其與我乎?”對曰:“與君王哉!昔我先王熊繹,闢在荊山,篳路藍縷,以處草莽。跋涉山林,以事天子。唯是桃弧、棘矢,以共御王事。齊,王舅也。晉及魯、衛,王母弟也。楚是以無分,而彼皆有。今周與四國服事君王,將唯命是從,豈其愛鼎?”王曰:“昔我皇祖伯父昆吾,舊許是宅。今鄭人貪賴其田,而不我與。我若求之,其與我乎?”對曰:“與君王哉!周不愛鼎,鄭敢愛田?”王曰:“昔諸侯遠我而畏晉,今我大城陳、蔡、不羹,賦皆千乘,子與有勞焉。諸侯其畏我乎?”對曰:“畏君王哉!是四國者,專足畏也,又加之以楚,敢不畏君王哉!”工尹路請曰:“君王命剝圭以為釒戚鉍,敢請命。”王入視之。析父謂子革:“吾子,楚國之望也!今與王言如響,國其若之何?”子革曰:“摩厲以須,王出,吾刃將斬矣。”王出,復語。左史倚相趨過。王曰:“是良史也,子善視之。
費に行こうとして、郷人に酒を請った。郷人のある者が歌って曰わく、「我に菜圃あり、杞を生ずるや!我に従う者は男子漢、我を離れる者は鄙陋、鄰居を背く者は恥辱!已矣已矣、我ら一党の人士ではないや!」。平子が昭子に叔仲小を逐わせようとした。小が聞き、敢えて朝に上がらなかった。昭子が吏に命じて小に朝廷で政事を待たせ、曰わく、「私は怨恨聚集の府庫とはなりません」。楚子が州来で冬猟し、潁尾に駐屯し、蕩侯・潘子・司馬督・囂尹午・陵尹喜を遣わして軍を率い徐国を包囲して呉国を懼れさせた。楚子が乾谿に駐屯して彼らの後援となった。雪が降り、王は皮冠を戴き、秦復陶を着、翠羽披、豹皮鞋を履き、鞭を持って出て、僕析父が従った。右尹子革が夜に進見し、王が彼を見て、冠・披を去り、鞭を下ろし、彼と話して曰わく、「昔我らの先王熊繹は、呂級・王孫牟・燮父・禽父とともに康王に事奉し、四国は皆分器があったのに我らだけがなかった。今我が周に人を遣わし、鼎を分器として求めれば、王はおそらく我らに与えるでしょうか」。対えて曰わく、「君王に与えますよ!昔我らの先王熊繹は、荊山に僻処し、柴車破衣で草莽に処り、山林を跋涉して天子に事奉しました。桃弧・棘矢のみで王事に供御しました。斉は王の舅です。晋および魯・衛は王の母弟です。楚はこのため分器がなく、彼らは皆ありました。今周と四国が君王に服事し、将に命令のみを聴かんとするのに、鼎を惜しみましょうか」。王が曰わく、「昔我が皇祖伯父昆吾は、旧許が住宅でした。今鄭人がその田を貪頼して我らに与えません。我が求めれば、おそらく与えるでしょうか」。対えて曰わく、「君王に与えますよ!周が鼎を惜しまないのに、鄭が田を惜しみましょうか」。王が曰わく、「昔諸侯が我らを疎遠にして晋を懼れました。今我が大挙して陳・蔡・不羹の城を修築し、賦は皆千乗です。あなたにも功労があります。諸侯はおそらく我を懼れるでしょうか」。対えて曰わく、「君王を懼れますよ!この四国は専らでも人を懼れさせるに足り、さらに楚を加えれば、敢えて君王を懼れないことがありましょうか!」。工尹路が請示して曰わく、「君王が圭を剥いで斧柄の装飾(底本「钅戚」は鏚の類)を作れと命じました。請示を敢えてします」。王が入って見た。析父が子革に曰わく、「吾子は楚国の望です!今王との話が回響の如くなら、国家はどうなりますか」。子革が曰わく、「磨き快く待ち、王が出れば、我の刃は斬るでしょう」。王が出て再び話した。左史倚相が快步で過ぎた。王が曰わく、「これは良史です。あなたはよく彼を看待しなさい。…」
是能讀《三墳》、《五典》、《八索》、《九丘》。”對曰:“臣嘗問焉。昔穆王欲肆其心,周行天下,將皆必有車轍馬跡焉。祭公謀父作《祈招》之詩,以止王心,王是以獲沒於祗宮。臣問其詩而不知也。若問遠焉,其焉能知之?”王曰:“子能乎?”對曰:“能。其詩曰:‘祈招之愔愔,式昭德音。思我王度,式如玉,式如金。形民之力,而無醉飽之心。’”王揖而入,饋不食,寢不寐,數日,不能自克,以及於難。
この人は《三墳》《五典》《八索》《九丘》を読むことができます」。対えて曰わく、「臣はかつて問いました。昔穆王が心意を放肆にして天下を遍く行こうとし、必ず至る所に車轍馬跡を留めようとしました。祭公謀父が《祈招》の詩を作り、王心を止めました。王はこれにより祗宮で善終を得ました。臣が彼に詩を問うたが知りませんでした。もし更に遠いことを問えば、彼はどこで知ることができましょう」。王が曰わく、「あなたはできますか」。対えて曰わく、「できます。詩に曰く、『祈招安和し、以て明德音を昭にす。我ら王の法度を思う、玉の如く、金の如し。百姓の力を衡量し、酔飽の心なし』」。王が揖して入り、食を進めて食わず、寝て寐せず、数日、自らを克制できず、これにより難に遇った。
仲尼曰:“古也有志:‘克己復禮,仁也’。信善哉!楚靈王若能如是,豈其辱於乾溪?”晉伐鮮虞,因肥之役也。
仲尼が曰わく、「古代に記載あり。『己を克して礼を復するは仁である』。実によい言葉だ!楚霊王がもしこのようであれば、どうして乾谿で辱めを受けただろうか」。晋国が鮮虞を攻めたのは肥の戦いを借りたのである。
◇昭公十三年
◇昭公十三年
【經】十有三年春,叔弓帥師圍費。夏四月,楚公子比自晉歸於楚,殺其君虔於乾溪。楚公子棄疾殺公子比。秋,公會劉子、晉侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯、莒子、邾子、滕子、薛伯、杞伯、小邾子於平丘。八月甲戌,同盟於平丘。
【経】十三年春、叔弓が軍を率いて費を包囲した。夏四月、楚公子比が晋から楚に帰り、乾谿でその国君虔を殺した。楚公子棄疾が公子比を殺した。秋、昭公が平丘で劉子・晋侯・宋公・衛侯・鄭伯・曹伯・莒子・邾子・滕子・薛伯・杞伯・小邾子と会見した。八月甲戌、平丘で共に盟約を結んだ。
公不與盟。晉人執季孫意如以歸。公至自會。蔡侯廬歸於蔡。陳侯吳歸於陳。冬十月,葬蔡靈公。公如晉,至河乃復。吳滅州來。
昭公は盟に参加しなかった。晋人が季孫意如を執えて帰った。昭公が盟会から帰った。蔡侯廬が蔡国に帰った。陳侯呉が陳国に帰った。冬十月、蔡霊公を葬った。昭公が晋に行き、黄河に至って帰った。呉国が州来を滅ぼした。
【傳】十三年春,叔弓圍費,弗克,敗焉。平子怒,令見費人執之以為囚俘。
【伝】十三年春、叔弓が費を包囲したが克てず、敗戦した。平子が怒り、費人を見れば執えて囚俘とするよう命じた。
冶區夫曰:“非也。若見費人,寒者衣之,飢者食之,為之令主,而共其乏困。
冶区夫が曰わく、「違います。もし費人を見れば、寒い者には衣を与え、飢えた者には食を与え、彼らの良き主となり、その困乏を供給すべきです。
