昭公(元年~三十二年)
員曰:“彼將有他志。餘姑為之求士,而鄙以待之。”乃見鱄設諸焉,而耕於鄙。
員が曰わく、「彼は将に別の心志あらん。我は姑く彼のために士を求め、辺境で待とう」。ここに鱄設諸を引見し、辺境で耕種した。
宋元公無信多私,而惡華、向。華定、華亥與向寧謀曰:“亡愈於死,先諸?”華亥偽有疾,以誘群公子。公子問之,則執之。夏六月丙申,殺公子寅、公子御戎、公子朱、公子固、公孫援、公孫丁,拘向勝、向行於其廩。公如華氏請焉,弗許,遂劫之。癸卯,取大子欒與母弟辰、公子地以為質。公亦取華亥之子無戚、向寧之子羅、華定之子啟,與華氏盟,以為質。
宋元公は信用なく私心多く、華・向を悪んだ。華定・華亥と向寧が謀って曰わく、「逃亡は死に勝る。先に手を動かそうか」。華亥が病を偽り、諸公子を誘引した。公子が問えば執えた。夏六月丙申、公子寅・公子御戎・公子朱・公子固・公孫援・公孫丁を殺し、向勝・向行を糧倉に拘した。公が華氏に請うたが許されず、ここに劫持した。癸卯、太子欒と同母弟辰・公子地を取って人質とした。公もまた華亥の子無戚・向寧の子羅・華定の子啓を取り、華氏と盟約を結び、人質とした。
衛公孟縶狎齊豹,奪之司寇與鄄,有役則反之,無則取之。公孟惡北宮喜、褚師圃,欲去之。公子朝通於襄夫人宣姜,懼,而欲以作亂。故齊豹、北宮喜、褚師圃、公子朝作亂。
衛公孟縶が斉豹を軽慢し、彼の司寇と鄄を奪い、役事あれば還し、なければ取った。公孟が北宮喜・褚師圃を悪み、彼らを去らせんと欲した。公子朝が襄夫人宣姜と私通し、懼れ、乱を作さんと欲した。ゆえに斉豹・北宮喜・褚師圃・公子朝が乱を作した。
初,齊豹見宗魯於公孟,為驂乘焉。將作亂,而謂之曰:“公孟之不善,子所知也。勿與乘,吾將殺之。”對曰:“吾由子事公孟,子假吾名焉,故不吾遠也。雖其不善,吾亦知之。抑以利故,不能去,是吾過也。今聞難而逃,是僣子也。子行事乎,吾將死之,以周事子,而歸死於公孟,其可也。”
初め、斉豹が公孟に宗魯を引見し、驂乗とした。将に乱を作さんとして、彼に曰わく、「公孟は不善、あなたはこれを知る。共に乘るな。我は将に彼を殺さん」。対えて曰わく、「我はあなたを経て公孟に事奉し、あなたが我に名を借すので、我を疏遠せず。たとえ彼が不善でも、我は知る。ただ利の故により去る能わずは我の過です。今難を聞いて逃げるはあなたを冒犯する。あなたは事を行え。我は将にこれがため死せんとし、以てあなたに事奉るを周全し、帰りて公孟に死せん。おそらく可ならん」。
丙辰,衛侯在平壽,公孟有事於蓋獲之門外,齊子氏帷於門外而伏甲焉。使祝蛙置戈於車薪以當門,使一乘從公孟以出。使華齊御公孟,宗魯驂乘。及閎中,齊氏用戈擊公孟,宗魯以背蔽之,斷肱,以中公孟之肩,皆殺之。
丙辰、衛侯が平寿にいて、公孟が蓋獲の門外で事あり、斉子氏が門外に帷を設けて甲士を埋伏した。祝蛙を遣わして戈を車薪上に置き門を擋がせ、一乘を遣わして公孟に従い出させた。華斉を遣わして公孟のために駕車させ、宗魯が驂乗となった。閎中に至り、斉氏が戈を以て公孟を撃ち、宗魯が背を以て遮蔽し、肱が断れ、公孟の肩に中り、皆殺された。
公聞亂,乘,驅自閱門入,慶比御公,公南楚驂乘,使華寅乘貳車。及公宮,鴻魋駟乘於公,公載寶以出。褚師子申遇公於馬路之衢,遂從。過齊氏,使華寅肉袒,執蓋以當其闕。齊氏射公,中南楚之背,公遂出。寅閉郭門,逾而從公。公如死鳥,析朱鉏宵從竇出,徒行從公。
公が乱を聞き、車に乘り、閲門より馳入し、慶比が公のために駕車し、公南楚が驂乗となり、華寅を遣わして副車に乘らせた。公宮に至り、鴻魋が公車上で駟乗となり、公は寶を載せて出た。褚師子申が馬路の衢で公に遇い、ここに従った。斉氏を経るに、華寅を遣わして肉袒し、蓋を持って缺口を擋がせた。斉氏が公を射、南楚の背に中り、公はここに出た。寅が郭門を關じ、翻って公に従った。公が死鳥に至り、析朱鉏が夜に竇より出て、歩行して公に従った。
齊侯使公孫青聘於衛。既出,聞衛亂,使請所聘。公曰:“猶在竟內,則衛君也。”乃將事焉。遂從諸死鳥,請將事。辭曰:“亡人不佞,失守社稷,越在草莽,吾子無所辱君命。”賓曰:“寡君命下臣於朝,曰:‘阿下執事。’臣不敢貳。”主人曰:“君若惠顧先君之好,昭臨敝邑,鎮撫其社稷,則有宗祧在。”
斉侯が公孫青を遣わして衛に聘問させた。すでに出發し、衛乱を聞き、人を遣わして聘する所を請示した。公が曰わく、「まだ境内に在れば、衛君である」。ここに将に聘事を行わんとした。死鳥に従い至り、聘事を行うことを請うた。推辞して曰わく、「逃亡の人は不才で、社稷を失守し、草莽に越す。吾子に屈尊すべき君命なし」。賓客が曰わく、「寡君が朝廷で下臣に命じて曰く、『下執事に親附せよ』。臣は敢えて二心せず」。主人が曰わく、「君がもし惠を加え先君の友好を顧念し、敝邑を照臨し、社稷を鎮撫せば、すなわち宗廟あり」。
乃止。衛侯固請見之,不獲命,以其良馬見,為未致使故也。衛侯以為乘馬。賓將掫,主人辭曰:“亡人之憂,不可以及吾子。草莽之中,不足以辱從者。敢辭。”賓曰:“寡君之下臣,君之牧圉也。若不獲扞外役,是不有寡君也。臣懼不免於戾,請以除死。”親執鐸,終夕與於燎。
ここに止まった。衛侯が堅持して見ることを請うも許されず、その良馬を以て見たのはまだ出使が完成せざる故である。衛侯が乘馬とした。賓客が将に夜を巡らんとし、主人が推辞して曰わく、「逃亡人の憂は吾子に及ぶべからず。草莽の中、従を屈尊するに足らず。敢えて辞谢します」。賓客が曰わく、「寡君の下臣は君の牧圉です。もし捍衛外役を獲得せずば、心中に寡君なし。臣は罪を免れぬを畏れ、これを以て死を免れるを請います」。自ら鐸を持ち、整夜燎火に参与した。
齊氏之宰渠子召北宮子。北宮氏之宰不與聞謀,殺渠子,遂伐齊氏,滅之。
斉氏の家宰渠子が北宮子を召した。北宮氏の家宰が謀に参与せず、渠子を殺し、ここに斉氏を攻めて滅ぼした。
丁巳晦,公入,與北宮喜盟於彭水之上。秋七月戊午朔,遂盟國人。八月辛亥,公子朝、褚師圃、子玉霄、子高魴出奔晉。閏月戊辰,殺宣姜。衛侯賜北宮喜諡曰貞子,賜析朱鉏諡曰成子,而以齊氏之墓予之。
丁巳月末、公が入り、北宮喜と彭水上で盟約を結んだ。秋七月戊午朔、ここに国人と盟約を結んだ。八月辛亥、公子朝・褚師圃・子玉霄・子高魴が晋に出奔した。閏月戊辰、宣姜を殺した。衛侯が北宮喜に諡号貞子を賜い、析朱鉏に諡号成子を賜い、かつ斉氏の墓地を彼らに与えた。
衛侯告寧於齊,且言子石。齊侯將飲酒,遍賜大夫曰:“二三子之教也。”
衛侯が斉に安寧を報告し、かつ子石を説いた。斉侯が将に酒を飲まんとして、遍く大夫に賜して曰わく、「これは几位の教導です」。
苑何忌辭,曰:“與於青之賞,必及於其罰。在《康誥》曰:‘父子兄弟,罪不相及。’況在群臣?臣敢貪君賜以幹先王?”琴張聞宗魯死,將往吊之。仲尼曰:“齊豹之盜,而孟縶之賊,女何吊焉?君子不食奸,不受亂,不為利疚於回,不以回待人,不蓋不義,不犯非禮。”
苑何忌が推辞して曰わく、「青の賞に参与すれば、必ず彼の罰に及ぶ。《康誥》に曰く、『父子兄弟は罪は互いに及ぼさず』。況んや群臣に在るをや。臣は敢えて君の賜を貪りて先王を冒犯せんや」。琴張が宗魯の死を聞き、将に往きて弔唁せんとした。仲尼が曰わく、「斉豹の盗、孟縶の賊、あなたは何を弔唁するか。君子は奸を食せず、乱を受けず、利のため邪僻の中に内疚せず、邪僻を以て人に對せず、不義を掩蓋せず、非礼を触犯せず」。
宋華、向之亂,公子城、公孫忌、樂舍、司馬強、向宜、向鄭、楚建、郳甲出奔鄭。其徒與華氏戰於鬼閻,敗子城。子城適晉。華亥與其妻必盥而食所質公子者而後食。公與夫人每日必適華氏,食公子而後歸。華亥患之,欲歸公子。
宋華・向の乱に、公子城・公孫忌・楽舍・司馬強・向宜・向鄭・楚建・郳甲が鄭に出奔した。彼らの徒衆が華氏と鬼閻で交戦し、子城を敗った。子城が晋に行った。華亥がその妻と必ず盥洗して後に人質たる公子に飯を給し、然る後に自ら食した。公と夫人が毎日必ず華氏に至り、公子に飯を給して後に帰った。華亥が憂え、公子を歸還せんと欲した。
向寧曰:“唯不信,故質其子。若又歸之,死無日矣。”公請於華費遂,將攻華氏。對曰:“臣不敢愛死,無乃求去憂而滋長乎!臣是以懼,敢不聽命?”公曰:“子死亡有命,餘不忍其訽。”冬十月,公殺華、向之質而攻之。戊辰,華、向奔陳,華登奔吳。向寧欲殺大子,華亥曰:“幹君而出,又殺其子,其誰納我?且歸之有庸。”使少司寇牼以歸,曰:“子之齒長矣,不能事人,以三公子為質,必免。”公子既入,華牼將自門行。公遽見之,執其手曰:“餘知而無罪也,入,復而所。”
向寧が曰わく、「ただ信用なきが故に、彼の子を以て人質としました。もしまた歸還せば、死は数日なきです」。公が華費遂に請い、将に華氏を攻めんとした。対えて曰わく、「臣は敢えて死を愛惜せず。憂を去らんと求めて滋長せんことを恐れます!臣はこれにより懼れ、敢えて命を聴かざらん」。公が曰わく、「子の死生は命あり。我はあの辱罵に忍びず」。冬十月、公が華・向の人質を殺しかつ攻めた。戊辰、華・向が陳に出奔し、華登が呉に出奔した。向寧が太子を殺さんと欲し、華亥が曰わく、「国君を冒犯して出て、またその子を殺せば、誰が我らを接納するか。況んや彼を歸還するは功労あり」。少司寇牼を遣わして送還し、曰わく、「あなたの年齒は長し。他人に事奉する能わず。三位の公子を以て人質とすれば、必ず禍を免れん」。公子がすでに入り、華牼が将に門より行かんとした。公が急いで彼に見え、彼の手を握り曰わく、「我はあなたに罪なきを知る。入れ、あなたの処所を回復せよ」。
齊侯疥,遂痁,期而不瘳,諸侯之賓問疾者多在。梁丘據與裔款言於公曰:“吾事鬼神豐,於先君有加矣。今君疾病,為諸侯憂,是祝史之罪也。諸侯不知,其謂我不敬。君盍誅於祝固、史囂以辭賓?”公說,告晏子。晏子曰:“日宋之盟,屈建問範會之德於趙武。趙武曰:‘夫子之家事治,言於晉國,竭情無私。
斉侯が疥瘡を長引かせ、ここに瘧疾し、一年愈えず、諸侯の賓客の疾を問う者多く在り。梁丘據と裔款が公に曰わく、「我らが鬼神に事奉するは豊盛で、先君より増加あり。今君王が疾病し、諸侯の憂となるは祝史の罪です。諸侯が知らず、おそらく我らを不敬と曰うでしょう。君は何で祝固・史囂を誅殺して賓客に辞谢せざるか」。公が喜び、晏子に告げた。晏子が曰わく、「往日宋の盟に、屈建が趙武に范会の徳を問いました。趙武が曰わく、『夫子の家事は治理し、晋国で話すは竭情にして私なし。
其祝史祭祀,陳信不愧。其家事無猜,其祝史不祈。’建以語康王,康王曰:‘神人無怨,宜夫子之光輔五君,以為諸侯主也。’”公曰:“據與款謂寡人能事鬼神,故欲誅於祝史。子稱是語,何故?”對曰:“若有德之君,外內不廢,上下無怨,動無違事,其祝史薦信,無愧心矣。是以鬼神用饗,國受其福,祝史與焉。其所以蕃祉老壽者,為信君使也,其言忠信於鬼神。其適遇淫君,外內頗邪,上下怨疾,動作辟違,從欲厭私。高臺深池,撞鐘舞女,斬刈民力,輸掠其聚,以成其違,不恤後人。暴虐淫從,肆行非度,無所還忌,不思謗讟,不憚鬼神,神怒民痛,無悛於心。其祝史薦信,是言罪也。其蓋失數美,是矯誣也。進退無辭,則虛以求媚。是以鬼神不饗其國以禍之,祝史與焉。所以夭昏孤疾者,為暴君使也。其言僣嫚於鬼神。”公曰:“然則若之何?”對曰:“不可為也:山林之木,衡鹿守之;澤之萑蒲,舟鮫守之;藪之薪蒸,虞候守之。海之鹽蜃,祈望守之。縣鄙之人,入從其政。逼介之關,暴徵其私。承嗣大夫,強易其賄。
その祝史の祭祀は誠信を陳列して慚愧せず。その家事に猜疑なく、祝史は祈祷せず』。建が康王に告げ、康王が曰わく、『神人に怨なく、怪しむに足らず夫子が五位の国君を光輔して諸侯の主となる』」。公が曰わく、「據と款が寡人は鬼神に事奉し得ると曰い、ゆえに祝史を誅殺せんと欲す。あなたがこれらの話を称説するは何の故か」。対えて曰わく、「もし徳ある国君ならば、外内に廢棄なく、上下に怨なく、行動が事に違背せず、祝史が誠信を進献し、愧心なし。ゆえに鬼神が享用し、国家が福を受け、祝史もまた参与します。ゆえに蕃祉長寿し得るは、誠信の国君のため出使し、その話が鬼神に忠信なればです。もし恰好淫君に遇えば、外内は偏邪し、上下は怨恨し、動作は邪僻して違背し、欲望を放縦して私を滿足します。高台深池に撞鐘舞女、民力を斬割し、輸送掠奪して積聚し、以て違背を成就し、後人を体恤せず。暴虐淫從し、肆行に法度なく、顧忌なく、怨謗を思わず、鬼神を怕れず、神怒り民痛めど、心中に改過せず。祝史が誠信を進献すれば、すなわち罪を説く。過失を掩蓋し美を數説するは矯誣です。進退に辞なく、空虚を以て媚を求む。ゆえに鬼神がその国を享用せず禍を降し、祝史もまた参与します。ゆえに夭死孤疾するは暴君のため出使です。その話は鬼神に僭越輕慢です」。公が曰わく、「然らばどうするか」。対えて曰わく、「為すべからず。山林の木は衡鹿が看守し、澤の萑蒲は舟鮫が看守し、藪の薪蒸は虞候が看守し、海の鹽蜃は祈望が看守します。縣鄙の人が入りて政事に従い、逼近の關はその私を暴征し、承嗣大夫はその賄を強換します。
布常無藝,征斂無度;宮室日更,淫樂不違。內寵之妾,肆奪於市;外寵之臣,僣令於鄙。私慾養求,不給則應。民人苦病,夫婦皆詛。祝有益也,詛亦有損。
常規を颁布して限度なく、征斂に節度なし。宮室は日日に更換し、淫楽は離れず。内寵の妾は市上で放肆に奪取し、外寵の臣は辺鄙で僭越して令を發し、私欲を供養し求取し、給せざれば承應して罪を治します。民人が苦病し、夫婦は皆詛咒します。祝に益処あれば、詛咒にも損害あり。
聊、攝以東,姑、尤以西,其為人也多矣。雖其善祝,豈能勝億兆人之詛?君若欲誅於祝史,修德而後可。”公說,使有司寬政,毀關,去禁,薄斂,已責。
聊・攝以東、姑・尤以西、そこの人は多し。たとえ祝に善くとも、どうして億兆人の詛咒に勝たん。君がもし祝史を誅殺せんと欲せば、徳を修めて然る後に可です」。公が喜び、有司に政を放寛させ、關を毀り、禁を去り、斂を減輕し、債を免除した。
十二月,齊侯田於沛,招虞人以弓,不進。公使執之,辭曰:“昔我先君之田也,旃以招大夫,弓以招士,皮冠以招虞人。臣不見皮冠,故不敢進。”乃舍之。仲尼曰:“守道不如守官,君子韙之。”
十二月、斉侯が沛で打獵し、弓を以て虞人を召したが進まなかった。公が人を遣わして執えさせ、推辞して曰わく、「昔我らの先君が打獵するに、旃を以て大夫を召し、弓を以て士を召し、皮冠を以て虞人を召しました。臣は皮冠を見ず、ゆえに敢えて進まず」。ここに釋放した。仲尼が曰わく、「道を守るは官を守るに如かず。君子は対と以為す」。
齊侯至自田,晏子侍於遄臺,子猶馳而造焉。公曰:“唯據與我和夫!”晏子對曰:“據亦同也,焉得為和?”公曰:“和與同異乎?”對曰:“異。和如羹焉,水火醯醢鹽梅以烹魚肉,燀之以薪。宰夫和之,齊之以味,濟其不及,以洩其過。君子食之,以平其心。君臣亦然。君所謂可而有否焉,臣獻其否以成其可。君所謂否而有可焉,臣獻其可以去其否。是以政平而不幹,民無爭心。故《詩》曰:‘亦有和羹,既戒既平。鬷嘏無言,時靡有爭。’先王之濟五味,和五聲也,以平其心,成其政也。聲亦如味,一氣,二體,三類,四物,五聲,六律,七音,八風,九歌,以相成也。清濁,小大,短長,疾徐,哀樂,剛柔,遲速,高下,出入,周疏,以相濟也。君子聽之,以平其心。心平,德和。故《詩》曰:‘德音不瑕。’今據不然。君所謂可,據亦曰可;君所謂否,據亦曰否。若以水濟水,誰能食之?若琴瑟之專一,誰能聽之?同之不可也如是。”
斉侯が打獵より帰り、晏子が遄台で陪侍し、子猶が馬を馳せて來至した。公が曰わく、「ただ據が我と和谐する哉!」。晏子が対えて曰わく、「據もまた同なり。どこを以て和と称せん」。公が曰わく、「和と同に異ありや」。対えて曰わく、「異あり。和は羹の如く、水火醯醢鹽梅を以て魚肉を烹し、薪を以て燒く。宰夫が調和し、味を以て齊え、不足を補い、過を泄る。君子が食して心を平らかにす。君臣もまたこの如し。君の謂う可に否あれば、臣が否を献上して可を成就す。君の謂う否に可あれば、臣が可を献上して否を去る。ゆえに政事は平らかで冒犯せず、百姓に爭心なし。ゆえに《詩》に曰く、『また和羹あり、既に戒備しまた平らかなり。總祭に言なく、時時に爭いなし』。先王は五味を濟し、五聲を和して心を平らかにし、政を成就しました。聲もまた味の如く、一氣・二體・三類・四物・五聲・六律・七音・八風・九歌を以て相成す。清濁・小大・短長・疾徐・哀樂・剛柔・遲速・高下・出入・周疏を以て相濟す。君子が聽いて心を平らかにす。心平らかなれば徳和す。ゆえに《詩》に曰く、『徳音に瑕なし』。今據は然らず。君の謂う可に據もまた可と曰い、君の謂う否に據もまた否と曰う。もし水を以て水を濟さば、誰が食せん。もし琴瑟が専一なれば、誰が聽かん。同の不可はこの如し」。
飲酒樂。公曰:“古而無死,其樂若何?”晏子對曰:“古而無死,則古之樂也,君何得焉?昔爽鳩氏始居此地,季萴因之,有逢伯陵因之,蒲姑氏因之,而後大公因之。古者無死,爽鳩氏之樂,非君所願也。”
飲酒して樂し。公が曰わく、「古代にもし死なければ、その快樂は如何」。晏子が対えて曰わく、「古代にもし死なければ、それは古代の快樂で、君は何を得ん。昔爽鳩氏が始めてこの地に住み、季荝が因襲し、有逢伯陵が因襲し、蒲姑氏が因襲し、然る後に太公が因襲しました。古代に死なければ、これは爽鳩氏の快樂で、君の願う所にあらず」。
鄭子產有疾,謂子大叔曰:“我死,子必為政。唯有德者能以寬服民,其次莫如猛。夫火烈,民望而畏之,故鮮死焉。水懦弱,民狎而玩之,則多死焉。故寬難。”疾數月而卒。大叔為政,不忍猛而寬。鄭國多盜,取人於萑苻之澤。大叔悔之,曰:“吾早從夫子,不及此。”興徒兵以攻萑苻之盜,盡殺之,盜少止。
鄭子産が病あり、子大叔に曰わく、「我が死せば、あなたは必ず執政せん。ただ徳ある者のみ能く寬を以て百姓を服せしむ。其の次は猛に如かず。火は猛烈で、百姓は望見して怕れ、ゆえに死する者少なし。水は懦弱で、百姓は輕慢し玩弄し、死する者多し。ゆえに寬は難し」。病むこと數月にして薨じた。大叔が執政し、猛を忍ばずして寬を用いた。鄭国に盗多く、萑苻之澤で人を抓んだ。大叔が悔い、曰わく、「我が早く夫子に聽き従えば、この歩に至らざりしを」。徒兵を出動して萑苻の盗を攻め、全部殺し、盗は少々止んだ。
仲尼曰:“善哉!政寬則民慢,慢則糾之以猛。猛則民殘,殘則施之以寬。
仲尼が曰わく、「善い哉!政が寛なれば百姓は怠慢し、怠慢すれば猛を以て糾正す。猛なれば百姓は殘傷し、殘傷すれば寬を以て施す。
寬以濟猛,猛以濟寬,政是以和。《詩》曰:‘民亦勞止,汔可小康。惠此中國,以綏四方。’施之以寬也。‘毋從詭隨,以謹無良。式遏寇虐,慘不畏明。’糾之以猛也。‘柔遠能邇,以定我王。’平之以和也。又曰:‘不競不絿,不剛不柔。佈政優優,百祿是遒。’和之至也。”
寬を以て猛を濟し、猛を以て寬を濟す。政はこれにより和す。《詩》に曰く、『百姓もまた労苦せり。希望して小康せん。惠をこの中國に加え、以て四方を安定せん』。これは寬を以て施す。『詭隨を放縱するな、以て不良を謹防せよ。寇虐を遏止し、慘毒は明を畏れず』。これは猛を以て糾正す。『遠きを安撫し近きを親しみ、以て我が王を安定せん』。これは和を以て平らかにす。また曰わく、『爭わず急がず、剛ならず柔ならず。政を布くこと優優として、百禄が聚集す』。これは和の極致です」。
及子產卒,仲尼聞之,出涕曰:“古之遺愛也。”
子産の薨ずるに及び、仲尼が聞き、涙を流して曰わく、「これは古代の遺愛です」。
◇昭公二十一年
◇昭公二十一年
【經】二十有一年春王三月,葬蔡平公。夏,晉侯使士鞅來聘。宋華亥、向寧、華定自陳入於宋南里以叛。秋七月壬午朔,日有食之。八月乙亥,叔輒卒。
【経】二十一年春、周天子の暦の三月、蔡平公を葬った。夏、晋侯が士鞅を遣わして聘問に來た。宋華亥・向寧・華定が陳より宋南里に入り叛変した。秋七月壬午朔、日食。八月乙亥、叔輒が薨じた。
冬,蔡侯朱出奔楚。公如晉,至河乃復。
冬、蔡侯朱が楚に出奔した。昭公が晋に行き、黄河に至って帰った。
【傳】二十一年春,天王將鑄無射。泠州鳩曰:“王其以心疾死乎?夫樂,天子之職也。夫音,樂之輿也。而鍾,音之器也。天子省風以作樂,器以鍾之,輿以行之。小者不窕,大者不槬,則和於物,物和則嘉成。故和聲入於耳而藏於心,心億則樂。窕則不鹹,槬則不容,心是以感,感實生疾。今鍾槬矣,王心弗堪,其能久乎?”三月,葬蔡平公。蔡大子朱失位,位在卑。大夫送葬者歸,見昭子。昭子問蔡故,以告。昭子嘆曰:“蔡其亡乎!若不亡,是君也必不終。《詩》曰:‘不解於位,民之攸塈。’今蔡侯始即位,而適卑,身將從之。”
【伝】二十一年春、天王が将に無射を鑄造せんとした。泠州鳩が曰わく、「王はおそらく心病により死せんか。樂は天子の職。音は樂の車。鐘は音の器。天子は風氣を省察して樂を作し、器は以て匯聚し、車は以て實行す。小なれば細弱せず、大なれば粗大せず、則ち物と和谐し、物和谐すれば嘉成す。ゆえに和聲が耳に入り心に藏まり、心安んずれば樂す。細弱すれば遍せず、粗大すれば容れず、心はこれにより感じ、感じて實に疾病を生ず。今鐘が粗大なれば、王心は堪えられず。長久せんや」。三月、蔡平公を葬った。蔡太子朱が位子を失い、位が卑下に在り。大夫の葬を送る者が帰り、昭子に見えた。昭子が蔡の故を問い、告げた。昭子が嘆息して曰わく、「蔡はおそらく亡びん!もし亡びずば、この国君は必ず善終し得ざらん。《詩》に曰く、『位子に在りて懈怠せず、百姓はこれにより安息す』。今蔡侯が剛に即位するに卑下に至り、身は将に従わん」。
夏,晉士鞅來聘,叔孫為政。季孫欲惡諸晉,使有司以齊鮑國歸費之禮為士鞅。士鞅怒,曰:“鮑國之位下,其國小,而使鞅從其牢禮,是卑敝邑也。將復諸寡君。”魯人恐,加四牢焉,為十一牢。
夏、晋士鞅が聘問に來て、叔孫が執政した。季孫が彼を晋に惡ませんと欲し、有司に斉鮑國が費を歸還した禮を以て士鞅に對待させた。士鞅が怒り、曰わく、「鮑國の位は低下し、その国は小さいのに、鞅にあの牢禮に從わしむるは敝邑を看輕するなり。将に寡君に回復せん」。魯人が恐懼し、四牢を加え、十一牢とした。
宋華費遂生華貙、華多僚、華登。貙為少司馬,多僚為御士,與貙相惡,乃譖諸公曰:“貙將納亡人。”亟言之。公曰:“司馬以吾故,亡其良子。死亡有命,吾不可以再亡之。”對曰:“君若愛司馬,則如亡。死如可逃,何遠之有?”公懼,使侍人召司馬之侍人宜僚,飲之酒而使告司馬。司馬嘆曰:“必多僚也。
宋華費遂が華䝙・華多僚・華登を生んだ。䝙が少司馬を為し、多僚が御士を為し、䝙と互いに惡み、ここに公に誣陷して曰わく、「䝙は将に逃亡の人を接納せん」。屢々曰う。公が曰わく、「司馬が我らの故により、その好子を逃亡せしめた。死生は命あり。我は再び彼を逃亡せしむべからず」。對えて曰わく、「君がもし司馬を愛すれば、逃亡に如かず。死がもし逃るべきなら、何の遠きかあらん」。公が懼れ、侍人を遣わして司馬の侍人宜僚を召し、彼に酒を與えて司馬に告知させた。司馬が嘆息して曰わく、「必ず多僚だ。
吾有讒子而弗能殺,吾又不死,抑君有命,可若何?”乃與公謀逐華貙,將使田孟諸而遣之。公飲之酒,厚酬之,賜及從者。司馬亦如之。張匄尤之,曰:“必有故。”使子皮承宜僚以劍而訊之。宜僚盡以告。張匄欲殺多僚,子皮曰:“司馬老矣,登之謂甚,吾又重之,不如亡也。”五月丙申,子皮將見司馬而行,則遇多僚御司馬而朝。張匄不勝其怒,遂與子皮、臼任、鄭翩殺多僚,劫司馬以叛,而召亡人。壬寅,華、向入。樂大心、豐愆、華牼御諸橫。華氏居盧門,以南里叛。六月庚午,宋城舊鄘及桑林之門而守之。
我に讒子ありて殺す能わず、我また死せず、しかるに君に命令あり。能くどうせん」。ここに公と謀って華䝙を驅逐し、将に彼を孟諸で打獵させて打發せんとした。公が彼に酒を與え、厚く酬を加え、賞賜が從に及んだ。司馬もまたこの如くした。張匄が責怪して曰わく、「必ず緣故あり」。子皮に劍を以て宜僚に對し訊問させた。宜僚が全部告知した。張匄が多僚を殺さんと欲し、子皮が曰わく、「司馬は老いたり。登はすでに甚だし。我らはまた加重せば、逃亡に如かず」。五月丙申、子皮が将に司馬に見えて然る後に行かんとし、卻って多僚が司馬のため駕車して朝に上るに遇うた。張匄が怒りに忍びず、ここに子皮・臼任・鄭翩と多僚を殺し、司馬を劫持して叛變し、逃亡の人を召回した。壬寅、華・向が入った。樂大心・豐愆・華牼が橫で抵禦した。華氏が盧門に住み、南里を帶びて叛變した。六月庚午、宋が舊鄘及び桑林之門を修築して守った。
秋七月壬午朔,日有食之。公問於梓慎曰:“是何物也,禍福何為?”對曰:“二至、二分,日有食之,不為災。日月之行也,分,同道也;至,相過也。其他月則為災,陽不克也,故常為水。”
秋七月壬午朔、日食。昭公が梓慎に問うて曰わく、「これは何の物か。禍福は何を作すか」。對えて曰わく、「二至・二分に日食するは災を成さず。日月の運行は、分の時は同道し、至の時は相過ぐ。其の他の月は則ち災で、陽が勝つ能わず、ゆえに常に水なり」。
於是叔輒哭日食。昭子曰:“子叔將死,非所哭也。”八月,叔輒卒。
この時叔輒が日食のため哭した。昭子が曰わく、「子叔は将に死せん。哭すべきにあらず」。八月、叔輒が薨じた。
冬十月,華登以吳師救華氏。齊烏枝鳴戍宋。廚人濮曰:“《軍志》有之:‘先人有奪人之心,後人有待其衰。’盍及其勞且未定也伐諸?若入而固,則華氏眾矣,悔無及也。”從之。丙寅,齊師、宋師敗吳師於鴻口,獲其二帥公子苦雂、偃州員。華登帥其餘以敗宋師。公欲出,廚人濮曰:“吾小人,可藉死而不能送亡,君請待之。”乃徇曰:“楊徽者,公徒也。”眾從之。公自楊門見之,下而巡之,曰:“國亡君死,二三子之恥也,豈專孤之罪也?”齊烏枝鳴曰:“用少莫如齊致死,齊致死莫如去備。彼多兵矣,請皆用劍。”從之。華氏北,復即之。廚人濮以裳裹首而荷以走,曰:“得華登矣!”遂敗華氏於新裡。翟僂新居於新裡,既戰,說甲於公而歸。華妵居於公里,亦如之。
冬十月、華登が呉軍を率いて華氏を救援した。齊烏枝鳴が宋を戍守した。厨人濮が曰わく、「《軍志》にこの話あり。『先發する人は人心を奪取し、後到する人は彼の衰を待つ』。何で彼らの勞苦してまだ安定せざるに趁って攻めざるか。もし入りて穩固せば、華氏は人多くなり、悔うるに及ばず」。聽き從った。丙寅、齊軍・宋軍が鴻口で呉軍を敗り、兩位の軍帥公子苦雂・偃州員を俘獲した。華登が其の余を率いて宋軍を敗った。公が出でんと欲し、厨人濮が曰わく、「我は小人で、死を借る可きも逃亡を送る能わず。君の待つを請います」。ここに巡行して曰わく、「徽識を揚げるは公の徒衆なり」。衆人が從った。公が楊門より見え、車を下りて巡視し、曰わく、「國亡び君死するは几位の恥で、あえて孤の罪のみならんや」。齊烏枝鳴が曰わく、「少量の人を用いるは一齊に拼死するに如かず、一齊に拼死するは防備を去るに如かず。彼らは兵器多し。皆劍を用いるを請います」。聽き從った。華氏が敗逃し、再び追い上げた。厨人濮が裳を以て頭を裹み扛着して跑り、曰わく、「華登を得たり!」。ここに新里で華氏を敗った。翟僂新が新里に住み、すでに交戰し、公に向かい甲を脫ぎて帰った。華妵が公里に住み、またこの如くした。
十一月癸未,公子城以晉師至。曹翰胡會晉荀吳、齊苑何忌、衛公子朝救宋。
十一月癸未、公子城が晋軍を率いて至った。曹翰胡が晋荀吳・齊苑何忌・衛公子朝と會合して宋を救援した。
丙戌,與華氏戰於赭丘。鄭翩願為鸛,其御願為鵝。子祿御公子城,莊堇為右。
丙戌、華氏と赭丘で交戰した。鄭翩が鸛陣を為さんと願い、その御者が鵝陣を為さんと願った。子禄が公子城のため駕車し、莊堇が車右となった。
幹犨御呂封人華豹,張匄為右。相遇,城還。華豹曰:“城也!”城怒而反之,將注,豹則關矣。曰:“平公之靈,尚輔相餘。”豹射,出其間。將注,則又關矣。曰:“不狎,鄙!”押矢。城射之,殪。張丐抽殳而下,射之,折股。扶伏而擊之,折軫。又射之,死。幹丐請一矢,城曰:“餘言汝於君。”對曰:“不死伍乘,軍之大刑也。幹刑而從子,君焉用之?子速諸。”乃射之,殪。大敗華氏,圍諸南里。華亥搏膺而呼,見華貙,曰:“吾為欒氏矣。”貙曰:“子無我。不幸而後亡。”使華登如楚乞師。華貙以車十五乘,徒七十人,犯師而出,食於睢上,哭而送之,乃復入。楚薳越帥師將逆華氏。大宰犯諫曰:“諸侯唯宋事其君,今又爭國,釋君而臣是助,無乃不可乎?”王曰:“而告我也後,既許之矣。”
干犨が呂封人華豹のため駕車し、張匄が車右となった。相遇い、城が返った。華豹が曰わく、「城や!」。城が怒りて返り、將に箭を搭さんとするに、豹はすでに弓を拉開した。曰わく、「平公の神靈、なお我を輔佐せんことを」。豹が射て中間より穿過した。將に箭を搭さんとするに、またすでに拉開した。曰わく、「輪流せざるは鄙陋なり!」。矢を壓下した。城が彼を射て死せり。張丐が殳を抽き車を下り、彼を射て股を折った。爬りて撃ち、軫を折った。また射て死せり。干丐が一支の矢を請い、城が曰わく、「我は國君にあなたを説く」。對えて曰わく、「伍乘と共に死せざるは軍の大刑。刑を触犯してあなたに從うは、君はあなたを何に用いん。あなたは速やかに」。ここに彼を射て死せり。華氏を大いに敗り、南里に包圍した。華亥が胸を捶いて呼喊し、華䝙に見えて曰わく、「我は欒氏となる」。䝙が曰わく、「あなたはこの如くするな。不幸なれば然る後に亡ぶ」。華登を遣わして楚に軍を乞わせた。華䝙が車十五乘・步卒七十人を以て軍を衝出し、睢上で飯を食い、哭して送り、再び入った。楚䓕越が軍を率い將に華氏を迎接せんとした。太宰犯が進諫して曰わく、「諸侯の中に宋のみが國君に事奉するに、今また國を爭い、國君を放下して臣を助くるは、おそらく不可でしょうか」。王が曰わく、「あなたが我に告げるは已に晚し。已に許しました」。
蔡侯朱出奔楚。費無極取貨於東國,而謂蔡人曰:“朱不用命於楚,君王將立東國。若不先從王欲,楚必圍蔡。”蔡人懼,出朱而立東國。朱愬於楚,楚子將討蔡。無極曰:“平侯與楚有盟,故封。其子有二心,故廢之。靈王殺隱大子,其子與君同惡,德君必甚。又使立之,不亦可乎?且廢置在君,蔡無他矣。”公如晉,及河,鼓叛晉。晉將伐鮮虞,故辭公。
蔡侯朱が楚に出奔した。費無極が東國より貨を取り、蔡人に對して曰わく、「朱が楚に命を用いず、君王は將に東國を立てん。もし先に王の欲望に順從せずば、楚は必ず蔡を包圍せん」。蔡人が懼れ、朱を趕き東國を立てた。朱が楚に控訴し、楚子が將に蔡を討伐せんとした。無極が曰わく、「平侯と楚に盟あり、ゆえに封ぜり。その子に二心あり、ゆえに廢す。靈王が隱太子を殺し、その子は君と同惡し、君を感激すること必ず甚だ深し。また彼を立て得しめば、亦可ではないか。況んや廢置は君に在り、蔡に別なし」。昭公が晋に行き、黄河に至り、鼓が晋を背叛した。晋が將に鮮虞を攻めんとし、ゆえに昭公を辭謝した。
◇昭公二十二年
◇昭公二十二年
【經】二十有二年春,齊侯伐莒。宋華亥、向寧、華定自宋南里出奔楚。大蒐於昌間。夏四月乙丑,天王崩。六月,叔鞅如京師,葬景王,王室亂。劉子、單子以王猛居於皇。秋,劉子、單子以王猛入於王城。冬十月,王子猛卒。十有二月癸酉朔,日有食之。
【経】二十二年春、斉侯が莒国を攻めた。宋華亥・向寧・華定が宋南里より楚に出奔した。昌間で大蒐を行った。夏四月乙丑、天王が崩じた。六月、叔鞅が京師に行き、景王を葬り、王室が乱れた。劉子・単子が王猛を帯びて皇に住んだ。秋、劉子・単子が王猛を帯びて王城に入った。冬十月、王子猛が薨じた。十二月癸酉朔、日食。
【傳】二十二年春,王二月甲子,齊北郭啟帥師伐莒。莒子將戰,苑羊牧之諫曰:“齊帥賤,其求不多,不如下之。大國不可怒也。”弗聽,敗齊師於壽餘。
【伝】二十二年春、周天子の暦の二月甲子、斉北郭啓が軍を率いて莒国を攻めた。莒子が将に交戦せんとし、苑羊牧之が進諫して曰わく、「斉の軍帥は低賤で、求むる所は多からず。彼に低頭するに如かず。大国は激怒すべからず」。聴かず、寿余で斉軍を敗った。
齊侯伐莒,莒子行成。司馬灶如莒蒞盟,莒子如齊蒞盟,盟子稷門之外。莒於是乎大惡其君。
斉侯が莒国を攻め、莒子が和を求めた。司馬灶が莒に至り盟会に参加し、莒子が斉に至り盟会に参加し、稷門外で盟約を結んだ。莒はここに甚だその国君を悪んだ。
楚薳越使告於宋曰:“寡君聞君有不令之臣為君憂,無寧以為宗羞?寡君請受而戮之。”對曰:“孤不佞,不能媚於父兄,以為君憂,拜命之辱。抑君臣日戰,君曰‘餘必臣是助’,亦唯命。人有言曰:‘唯亂門之無過’。君若惠保敝邑,無亢不衷,以獎亂人,孤之望也。唯君圖之!”楚人患之。諸侯之戍謀曰:“若華氏知困而致死,楚恥無功而疾戰,非吾利也。不如出之,以為楚功,其亦能無為也已。救宋而除其害,又何求?”乃固請出之。宋人從之。己巳,宋華亥、向寧、華定、華貙、華登、皇奄傷、省臧,士平出奔楚。宋公使公孫忌為大司馬,邊卬為大司徒,樂祁為司馬,仲幾為左師,樂大心為右師,樂輓為大司寇,以靖國人。
楚䓕越が人を遣わして宋に告知して曰わく、「寡君は君に不善の臣ありて君の憂となるを聞く。あえて宗廟の羞となさんや。寡君は受けて殺すを請います」。對えて曰わく、「孤は不才で、父兄に媚を取る能わず、君の憂となり、命令の屈辱を拜謝す。ただ君臣は日日に交戰し、君が曰く『我は必ず臣を助けん』も、また命を聴くのみ。人に話あり、『ただ乱門を経るな』。君がもし惠を加え敝邑を保護し、不衷を庇護せず、以て乱人を奨励するは孤の指望なり。ただ君の謀るを請う!」。楚人が憂えた。諸侯の戍守が謀って曰わく、「もし華氏が困を知りて拼死し、楚が無功を恥として急戰せば、我らの利にあらず。彼らを放出し、楚の功勞として、彼らもまた能く為すなし。宋を救いかつ害を除く。何を求めん」。ここに堅持して放出を請うた。宋人が聽き從った。己巳、宋華亥・向寧・華定・華䝙・華登・皇奄傷・省臧・士平が楚に出奔した。宋公が公孫忌を遣わして大司馬とし、邊卬を大司徒とし、樂祁を司馬とし、仲幾を左師とし、樂大心を右師とし、樂挽を大司寇として、国人を安定させた。
王子朝、賓起有寵於景王,王與賓孟說之,欲立之。劉獻公之庶子伯蚡事單穆公,惡賓孟之為人也,願殺之。又惡王子朝之言,以為亂,願去之。賓孟適郊,見雄雞自斷其尾。問之,侍者曰:“自憚其犠也。”遽歸告王,且曰:“雞其憚為人用乎?人異於是。犠者,實用人,人犠實難,己犠何害?”王弗應。
王子朝・賓起が景王に寵を得、王と賓孟が喜び、彼を立てんと欲した。劉献公の庶子伯蚡が單穆公に事奉し、賓孟の人となりを惡み、彼を殺さんを望み。また王子朝の話を惡み、亂と以為し、去らんを望んだ。賓孟が郊に至り、雄雞が自ら尾を弄断するを見た。問うと、侍者が曰わく、「自ら犧牲となるを怕れます」。急ぎ帰りて王に告げ、かつ曰わく、「雞はおそらく人に用いられるを怕れるか?人はこれと異なり。犧牲は實に人を用いる。人が犧牲となるは實に難く、自ら犧牲となるは何の害かあらん」。王が應えなかった。
夏四月,王田北山,使公卿皆從,將殺單子、劉子。王有心疾,乙丑,崩於榮錡氏。戊辰,劉子摯卒,無子,單子立劉蚠。五月庚辰,見王,遂攻賓起,殺之,盟群王子於單氏。
夏四月、王が北山で打獵し、公卿に皆從わせ、將に單子・劉子を殺さんとした。王に心病あり、乙丑、榮錡氏で崩じた。戊辰、劉子摯が薨じ、子なし。單子が劉蚠を立てた。五月庚辰、王を朝見し、ここに賓起を攻めて殺し、單氏で諸王子と盟約を結んだ。
晉之取鼓也,既獻,而反鼓子焉,又叛於鮮虞。
晋が鼓を取り、すでに俘を献じたが、鼓子を送還し、また鮮虞に叛変した。
六月,荀吳略東陽,使師偽糴者,負甲以息於昔陽之門外,遂襲鼓,滅之。
六月、荀吳が東陽を巡視し、軍隊に糧を買う人を偽らせ、甲を負い昔陽門外で休息させ、ここに鼓を襲撃して滅ぼした。
以鼓子鳶鞮歸,使涉佗守之。
鼓子鳶鞮を連れて帰り、涉佗を遣わして看守させた。
丁巳,葬景王。王子朝因舊官、百工之喪職秩者,與靈、景之族以作亂。帥郊、要、餞之甲,以逐劉子。壬戌、劉子奔揚。單子逆悼王於莊宮以歸。王子還夜取王以如莊宮。癸亥,單子出。王子還與召莊公謀,曰:“不殺單旗,不捷。
丁巳、景王を葬った。王子朝が旧官・百工の職秩を喪失した者に憑り、靈・景の族と亂を作した。郊・要・餞の甲士を率い、劉子を驅逐せんとした。壬戌、劉子が揚に出奔した。單子が莊宮より悼王を迎えて帰した。王子還が夜に王を取りて莊宮に至した。癸亥、單子が出た。王子還が召莊公と謀って曰わく、「單旗を殺さずんば、成功し得ず。
與之重盟,必來。背盟而克者多矣。”從之。樊頃子曰:“非言也,必不克。”
彼と重ねて盟約を結べば、必ず來る。盟約を背棄して成功する者多し」。聽き從った。樊頃子が曰わく、「話にあらず。必ず成し得ず」。
遂奉王以追單子。及領,大盟而復,殺摯荒以說。劉子如劉,單子亡。乙丑,奔於平畤,群王子追之。單子殺還、姑、發、弱、鬷延、定、稠,子朝奔京。丙寅,伐之,京人奔山。劉子入於王城。辛未,鞏簡公敗績於京。乙亥,甘平公亦敗焉。
ここに王を奉じて單子を追った。領に至り、大盟して然る後に返り、摯荒を殺して解釋とした。劉子が劉に至り、單子が逃亡した。乙丑、平畤に出奔し、諸王子が追趕した。單子が還・姑・發・弱・鬷延・定・稠を殺し、子朝が京に出奔した。丙寅、攻め、京人が山に逃げた。劉子が王城に入った。辛未、鞏簡公が京で敗戰した。乙亥、甘平公もまた敗戰した。
叔鞅至自京師,言王室之亂也。閔馬父曰:“子朝必不克,其所與者,天所廢也。”
叔鞅が京師より帰り、王室の亂を説いた。閔馬父が曰わく、「子朝は必ず成し得ず。彼の親附する所は天の廢棄する所なり」。
單子欲告急於晉,秋七月戊寅,以王如平畤,遂如圃車,次於皇。劉子如劉。單子使王子處守於王城,盟百工於平宮。辛卯,尋阝肸伐皇,大敗,獲尋阝肸。壬辰,焚諸王城之市。八月辛酉,司徒醜以王師敗績於前城,百工叛。己巳,伐單氏之宮,敗焉。庚午,反伐之。辛未,伐東圉。冬十月丁巳,晉籍談、荀躒帥九州之戎及焦、瑕、溫、原之師,以納王於王城。庚申,單子、劉蚡以王師敗績於郊,前城人敗陸渾於社。十一月乙酉,王子猛卒,不成喪也。已醜,敬王即位,館於子旅氏。
單子が晋に急を告げんと欲し、秋七月戊寅、王を帯びて平畤に至り、ここに圃車に至り、皇に駐屯した。劉子が劉に至った。單子が王子處を遣わして王城を守衞せしめ、平宮で百工と盟約を結んだ。辛卯、𬩽肸が皇を攻め、大いに敗れ、𬩽肸を俘獲した。壬辰、王城の市上で焚燒した。八月辛酉、司徒醜が王師を率いて前城で敗戰し、百工が叛変した。己巳、單氏の宮を攻め、敗戰した。庚午、反りて攻めた。辛未、東圉を攻めた。冬十月丁巳、晋籍談・荀躒が九州の戎及び焦・瑕・溫・原の軍を率い、王を王城に送り入れた。庚申、單子・劉蚡が王師を率いて郊で敗戰し、前城人が社で陸渾を敗った。十一月乙酉、王子猛が薨じ、喪禮を成さず。己丑、敬王が即位し、子旅氏に住んだ。
十二月庚戌,晉籍談、荀躒、賈辛、司馬督帥師軍於陰,於侯氏,於溪泉,次於社。王師軍於氾,於解,次於任人。閏月,晉箕遺、樂徵,右行詭濟師,取前城,軍其東南。王師軍於京楚。辛丑,伐京,毀其西南。
十二月庚戌、晋籍談・荀躒・賈辛・司馬督が軍を率いて陰に駐屯し、侯氏に在り、溪泉に在り、社に駐屯した。王師が泛に駐屯し、解に在り、任人に駐屯した。閏月、晋箕遺・樂征・右行詭が軍を渡し、前城を取り、その東南に駐屯した。王師が京楚に駐屯した。辛丑、京を攻め、その西南を毀壞した。
◇昭公二十三年
◇昭公二十三年
【經】二十有三年春王正月,叔孫婼如晉。癸丑,叔鞅卒。晉人執我行人叔孫婼。晉人圍郊。夏六月,蔡侯東國卒於楚。秋七月,莒子庚輿來奔。戊辰,吳敗頓、胡、沈、蔡、陳、許之師於雞父,鬍子髡、沈子逞滅,獲陳夏齧。天王居於狄泉。尹氏立王子朝。八月乙未,地震。冬,公如晉,至河,有疾,乃復。
【経】二十三年春、周天子の暦の正月、叔孫婼が晋に行った。癸丑、叔鞅が薨じた。晋人が我が国の行人叔孫婼を執えた。晋人が郊を包圍した。夏六月、蔡侯東國が楚で薨じた。秋七月、莒子庚輿が投奔に來た。戊辰、呉が雞父で頓・胡・沈・蔡・陳・許の軍を敗り、胡子髠・沈子逞が滅亡し、陳夏囓を俘獲した。天王が狄泉に住んだ。尹氏が王子朝を立てた。八月乙未、地震。冬、昭公が晋に行き、黄河に至り、病あれば即ち帰った。
【傳】二十三年春,王正月壬寅朔,二師圍郊。癸卯,郊、尋阝潰。丁未,晉師在平陰,王師在澤邑。王使告間,庚戌,還。
【伝】二十三年春、周天子の暦の正月壬寅朔、両軍が郊を包圍した。癸卯、郊・𬩽が潰散した。丁未、晋軍が平陰に在り、王師が澤邑に在り。王が人を遣わして空隙あるを告知し、庚戌、返回した。
邾人城翼,還,將自離姑。公孫鉏曰:“魯將御我。”欲自武城還,循山而南。徐鉏、丘弱、茅地曰:“道下,遇雨,將不出,是不歸也。”遂自離姑。武城人塞其前,斷其後之木而弗殊。邾師過之,乃推而蹶之。遂取邾師,獲鉏、弱、地。
邾人が翼に城を築き、帰り、將に離姑より行かんとした。公孫鉏が曰わく、「魯が將に我らを抵禦せん」。武城より帰らんと欲し、山に沿いて南に向かった。徐鉏・丘弱・茅地が曰わく、「路が低下し、雨に遇えば、將に出で得ず。これは歸らざるなり」。ここに離姑より行った。武城人が前を堵住し、後の樹を砍すも斷せず。邾軍が經過すれば、推倒した。ここに邾軍を取り、鉏・弱・地を俘獲した。
邾人訴於晉,晉人來討。叔孫婼如晉,晉人執之。書曰:“晉人執我行人叔孫婼。”言使人也。晉人使與邾大夫坐。叔孫曰:“列國之卿,當小國之君,固周制也。邾又夷也。寡君之命介子服回在,請使當之,不敢廢周制故也。”乃不果坐。
邾人が晋に控訴し、晋人が來りて討伐した。叔孫婼が晋に行き、晋人が執えた。《春秋》に「晋人が我が行人叔孫婼を執う」と記載したは使者を説く。晋人が彼を邾大夫と對坐して爭訟させようとした。叔孫が曰わく、「列國の卿は小國の国君に相當するはもとより周の制度です。邾はまた夷なり。寡君の任命する副手子服回が在り。彼に承當せしむるを請います。敢えて周制を廢棄せざる故です」。ここに終に對坐せず。
