昭公(元年~三十二年)
韓宣子使邾人取其眾,將以叔孫與之。叔孫聞之,去眾與兵而朝。士彌牟謂韓宣子曰:“子弗良圖,而以叔孫與其仇,叔孫必死之。魯亡叔孫,必亡邾。邾君亡國,將焉歸?子雖悔之,何及?所謂盟主,討違命也。若皆相執,焉用盟主?”乃弗與,使各居一館。士伯聽其辭而訴諸宣子,乃皆執之。士伯御叔孫,從者四人,過邾館以如吏。先歸邾子。士伯曰:“以芻蕘之難,從者之病,將館子于都。”
韓宣子が邾人に彼の部衆を帶びさせ、將に叔孫を彼らに與えんとした。叔孫が聞き、部衆と兵器を去りて朝に上った。士彌牟が韓宣子に曰わく、「あなたが好く謀らず、叔孫を彼の仇人に與えるは、叔孫は必ずこれがため死せん。魯が叔孫を失えば、必ず邾を滅ぼさん。邾君が國を亡ぼせば、將に何處に歸向せん。あなたはたとえ悔いるも、どこに及ばん。所謂盟主は違命を討伐するなり。もし皆互いに執えるならば、どこに盟主を用いん」。ここに與えず、各々一館に住まわせた。士伯がその辭を聽き宣子に控訴し、ここに皆執えた。士伯が叔孫のため駕車し、隨從四人、邾の館を經て吏に至った。先に邾子を歸らせた。士伯が曰わく、「割草打柴の難と隨從の病により、將に都であなたに館舍を安排せん」。
叔孫旦而立,期焉。乃館諸箕。舍子服昭伯於他邑。
叔孫が朝に立ち、時を約定した。ここに箕で安排した。子服昭伯を別の邑に安置した。
範獻子求貨於叔孫,使請冠焉。取其冠法,而與之兩冠,曰:“盡矣。”為叔孫故,申豐以貨如晉。叔孫曰:“見我,吾告女所行貨。”見,而不出。吏人之與叔孫居於箕者,請其吠狗,弗與。及將歸,殺而與之食之。叔孫所館者,雖一日必葺其牆屋,去之如始至。
范献子が叔孫に貨を求め、人を遣わして帽子を請うた。彼の帽子の法式を取り、彼に兩頂の帽子を與えて曰わく、「盡きたり」。叔孫の故により、申豐が貨を帶びて晋に至った。叔孫が曰わく、「來りて我に見えよ。我はあなたに貨を送る辦法を告げん」。見えたが出でさせなかった。叔孫と箕に住む吏人が彼の吠狗を請うたが、與えず。將に歸らんとするに及び、殺して彼らに食わせた。叔孫の住む館は、たとえ一日でも必ず牆屋を修繕し、離るる時は剛に到りしが如し。
夏四月乙酉,單子取訾,劉子取牆人、直人。六月壬午,王子朝入於尹。癸未,尹圉誘劉佗殺之。丙戌,單子從阪道,劉子從尹道伐尹。單子先至而敗,劉子還。己丑,召伯奐、南宮極以成周人戍尹。庚寅,單子、劉子、樊齊以王如劉。
夏四月乙酉、單子が訾を取り、劉子が牆人・直人を取った。六月壬午、王子朝が尹に入った。癸未、尹圉が劉佗を誘騙して彼を殺した。丙戌、單子が阪道より、劉子が尹道より尹を攻めた。單子が先に至りて敗戰し、劉子が返回した。己丑、召伯奐・南宮極が成周人を率いて尹を戍守した。庚寅、單子・劉子・樊齊が王を帶びて劉に至った。
甲午,王子朝入於王城,次於左巷。秋七月戊申,尋阝羅納諸莊宮。尹辛敗劉師於唐。丙辰,又敗諸尋阝。甲子,尹辛取西闈。丙寅,攻蒯,蒯潰。
甲午、王子朝が王城に入り、左巷に駐屯した。秋七月戊申、𬩽羅が莊宮に送り入れた。尹辛が唐で劉軍を敗った。丙辰、また𬩽で敗った。甲子、尹辛が西闈を取った。丙寅、蒯を攻め、蒯が潰散した。
莒子庚輿虐而好劍,苟鑄劍,必試諸人。國人患之。又將叛齊。烏存帥國人以逐之。庚輿將出,聞烏存執殳而立於道左,懼將止死。苑羊牧之曰:“君過之!烏存以力聞可矣,何必以弒君成名?”遂來奔。齊人納郊公。
莒子庚輿が暴虐で劍を好み、もし劍を鑄れば、必ず人身で試した。國人が憂えた。又將に齊を背叛せんとした。烏存が國人を率いて彼を驅逐した。庚輿が將に出でんとし、烏存が殳を持ちて道左に立つを聞き、留められて死せんを怕れた。苑羊牧之が曰わく、「君王は經過せよ!烏存は力を以て聞名すれば可。何ぞ必ずしも君を弑して名を成さん」。ここに投奔に來た。齊人が郊公を送り入れた。
吳人伐州來,楚薳越帥師及諸侯之師奔命救州來。吳人御諸鍾離。子瑕卒,楚師熸。吳公子光曰:“諸侯從於楚者眾,而皆小國也。畏楚而不獲已,是以來。吾聞之曰:‘作事威克其愛,雖小必濟’。胡、沈之君幼而狂,陳大夫齧壯而頑,頓與許、蔡疾楚政。楚令尹死,其師熸。帥賤、多寵,政令不壹。而七國同役不同心,帥賤而不能整,無大威命,楚可敗也,若分師先以犯胡、沈與陳,必先奔。三國敗,諸侯之師乃搖心矣。諸侯乖亂,楚必大奔。請先者去備薄威,後者敦陳整旅。”吳子從之。戊辰晦,戰於雞父。吳子以罪人三千,先犯胡、沈與陳,三國爭之。吳為三軍以擊於後,中軍從王,光帥右,掩餘帥左。吳之罪人或奔或止,三國亂。吳師擊之,三國敗,獲胡、沈之君及陳大夫。舍胡、沈之囚,使奔許與蔡、頓,曰:“吾君死矣!”師噪而從之,三國奔,楚師大奔。書曰:“鬍子髡、沈子逞滅,獲陳夏齧。”君臣之辭也。不言戰,楚未陳也。
呉人が州來を攻め、楚䓕越が軍及び諸侯の軍を率いて奔命して州來を救援した。呉人が鐘離で抵禦した。子瑕が薨じ、楚軍の士氣が盡きた。呉公子光が曰わく、「諸侯の楚に從う者は多いも、皆小國なり。楚を怕れ已むを得ず、ゆえに來る。我は聞くに、『事を作すに威が愛に勝れば、たとえ小でも必ず成す』。胡・沈の國君は幼にして狂し、陳大夫囓は壯にして頑なり。頓と許・蔡は楚政を痛恨す。楚令尹が死し、軍隊の士氣が盡き、軍帥は低賤で多寵あり、政令が專一せず。七國が一齊に役使して同心せず、軍帥が低賤で整齊する能わず、大なる威命なし。楚は敗る可し。もし軍隊を分けて先に胡・沈と陳を進犯せば、必ず先に逃げん。三國が敗れれば、諸侯の軍は動搖す。諸侯が乖亂すれば、楚は必ず大いに逃げん。請う、先發の者は防備を去り威を減薄し、後到する者は厚陣して旅を整えよ」。呉子が聽き從った。戊辰月末、雞父で交戰した。呉子が罪人三千を用い、先に胡・沈と陳を進犯し、三國が爭い抓んだ。呉が三軍を分けて後に攻撃し、中軍は王に從い、光が右を率い、掩余が左を率いた。呉の罪人は或いは跑り或いは停まり、三國が亂れた。呉軍が攻撃し、三國が敗れ、胡・沈の國君及び陳大夫を俘獲した。胡・沈の囚徒を釋放し、彼らを許と蔡・頓に向かい跑らせて曰わく、「我らの國君が死せり!」。軍隊が喧噪して從い、三國が逃げ、楚軍が大いに逃げた。《春秋》に「胡子髠・沈子逞が滅び、陳夏囓を獲たり」と記載したは君臣の文辭。交戰と曰わざるは楚がまだ列陣せざるなり。
八月丁酉,南宮極震。萇弘謂劉文公曰:“君其勉之!先君之力可濟也。周之亡也,其三川震。今西王之大臣亦震,天棄之矣!東王必大克。”
八月丁酉、南宮極が地震により死んだ。萇弘が劉文公に曰わく、「君はなお努力せよ!先君の力は成す可し。周が滅亡するに三川が地震す。今西王の大臣もまた震う。天は彼を棄てたり!東王は必ず大勝せん」。
楚大子建之母在郹,召吳人而啟之。冬十月甲申,吳大子諸樊入郹,取楚夫人與其寶器以歸。楚司馬薳越追之,不及。將死,眾曰:“請遂伐吳以徼之。”
楚太子建の母が郹にいて、呉人を召して門を開かせた。冬十月甲申、呉太子諸樊が郹に入り、楚夫人と寶器を取りて歸った。楚司馬䓕越が追趕したが及ばず。將に死せんとして、衆人が曰わく、「これに就きて呉を攻めて功を求めんことを請います」。
薳越曰:“再敗君師,死且有罪。亡君夫人,不可以莫之死也。”乃縊於薳澨。
䓕越が曰わく、「再び國君の軍を敗壞するは死してなお罪あり。君夫人を喪失するはこれがため死する人なくすべからず」。ここに䓕澨で縊れた。
公為叔孫故如晉,及河,有疾而復。
昭公が叔孫の故により晋に行き、黄河に至り、病あれば即ち歸った。
楚囊瓦為令尹,城郢。沈尹戌曰:“子常必亡郢!苟不能衛,城無益也。古者,天子守在四夷;天子卑,守在諸侯。諸侯守在四鄰;諸侯卑,守在四竟。慎其四竟,結其四援,民狎其野,三務成功,民無內憂,而又無外懼,國焉用城?今吳是懼而城於郢,守已小矣。卑之不獲,能無亡乎?昔梁伯溝其公宮而民潰。
楚囊瓦が令尹を為し、郢の城を修築した。沈尹戌が曰わく、「子常は必ず郢を喪失せん!もし保衛し得ざれば、城を築くに益處なし。古代は天子の守は四夷に在り。天子が卑微なれば、守は諸侯に在り。諸侯の守は四鄰に在り。諸侯が卑微なれば、守は四境に在り。四境を謹慎し、四援を結交し、百姓を郊野に安んじ、三務を成功し、百姓に内憂なく、また外懼なく、國家はどこに城を用いん。今呉を怕れて郢に城を築くは守は已に小さし。卑微をも得ずして、亡びざらんや。昔梁伯が公宮に溝を挖りて百姓が潰散した。
民棄其上,不亡何待?夫正其疆場,修其土田,險其走集,親其民人,明其伍候,信其鄰國,慎其官守,守其交禮,不僣不貪,不懦不耆,完其守備,以待不虞,又何畏矣?《詩》曰:‘無念爾祖,聿修厥德。’無亦監乎若敖、蚡冒至於武、文?土不過同,慎其四竟,猶不城郢。今土數圻,而郢是城,不亦難乎?”
百姓が上の人を拋棄すれば、滅亡せずして何を待たん。疆場を端正し、土田を修治し、走集を加固し、民人を親近し、伍候を顯明し、鄰國に信を取り、官守を謹慎し、邦交の禮を守り、僭越せず貪らず、懦弱せず貪求せず、守備を完善し、以て意外に待つ。何を怕れん。《詩》に曰く、『あなたの祖先を忘るるな、その德を修めよ』。また若敖・蚡冒より武・文に鑑みざらんや。土は一同を超えず、四境を謹慎し、なお郢城を築かず。今土は幾圻なるに、卻って郢城を築くは、また難くないか」。
◇昭公二十四年
◇昭公二十四年
【經】二十四年春王三月丙戌,仲孫玃卒。婼至自晉。夏五月乙未朔,日有食之。秋八月,大雩。丁酉,杞伯鬱釐卒。冬,吳滅巢。葬杞平公。
【経】二十四年春、周天子の暦の三月丙戌、仲孫玃が薨じた。婼が晋より歸った。夏五月乙未朔、日食。秋八月、大雩祭を行った。丁酉、杞伯郁厘が薨じた。冬、呉國が巢を滅ぼした。杞平公を葬った。
【傳】二十四年春,王正月辛丑,召簡公、南宮嚚以甘桓公見王子朝。劉子謂萇弘曰:“甘氏又往矣。”對曰:“何害?同德度義。《大誓》曰:‘紂有億兆夷人,亦有離德。餘有亂臣十人,同心同德。’此周所以興也。君其務德,無患無人。”戊午,王子朝入於鄔。
【伝】二十四年春、周天子の暦の正月辛丑、召簡公・南宮嚚が甘桓公を帶びて王子朝に見えた。劉子が萇弘に曰わく、「甘氏がまた去った」。對えて曰わく、「何の害かあらん。德を同じくし義を度量す。《大誓》に曰く、『紂に億兆の夷人あり、また離德あり。我に治亂の臣十人あり、同心同德す』。これは周の興る所以なり。君はなお德に致力し、人なきを憂慮するな」。戊午、王子朝が鄔に入った。
晉士彌牟逆叔孫於箕。叔孫使梁其踁待於門內,曰:“餘左顧而欬,乃殺之。右顧而笑,乃止。”叔孫見士伯,士伯曰:“寡君以為盟主之故,是以久子。
晋士彌牟が箕より叔孫を迎接した。叔孫が梁其踁を門内に待たせて曰わく、「我が左を視て咳嗽すれば、彼を殺せ。右を視て笑えば、止めよ」。叔孫が士伯に見え、士伯が曰わく、「寡君は盟主を為す故により、ゆえに久しくあなたを留めた。
不腆敝邑之禮,將致諸從者。使彌牟逆吾子。”叔孫受禮而歸。二月,婼至自晉,尊晉也。
豐厚ならざる敝邑の禮を將に隨從に送らんとす。彌牟を遣わして吾子を迎接せしめたり」。叔孫が禮を受けて歸った。二月、婼が晋より歸ったは晋を尊敬すればなり。
三月庚戌,晉侯使士景伯蒞問周故,士伯立於乾祭而問於介眾。晉人乃辭王子朝,不納其使。
三月庚戌、晋侯が士景伯を遣わして來りて周の故を詢問せしめ、士伯が乾祭に立ちて大衆に詢問した。晋人はここに王子朝を辭謝し、その使者を接納せず。
夏五月乙未朔,日有食之。梓慎曰:“將水。”昭子曰:“旱也。日過分而陽猶不克,克必甚,能無旱乎?陽不克莫,將積聚也。”
夏五月乙未朔、日食。梓慎が曰わく、「將に水あらん」。昭子が曰わく、「これは旱です。日が春分を過ぎて陽がなお勝つ能わず。勝てば必ず過分で、旱ならざらんや。陽が勝つ能わずして暮すれば、將に積聚せん」。
六月壬申,王子朝之師攻瑕及杏,皆潰。
六月壬申、王子朝の軍が瑕及び杏を攻め、皆潰散した。
鄭伯如晉,子大叔相,見範獻子。獻子曰:“若王室何?”對曰:“老夫其國家不能恤,敢及王室。抑人亦有言曰:‘嫠不恤其緯,而憂宗周之隕,為將及焉。’今王室實蠢蠢焉,吾小國懼矣。然大國之憂也,吾儕何知焉?吾子其早圖之!《詩》曰:瓶之罄矣,惟罍之恥。’王室之不寧,晉之恥也。”獻子懼,而與宣子圖之。乃徵會於諸侯,期以明年。
鄭伯が晋に行き、子大叔が輔佐し、范献子に見えた。献子が曰わく、「王室に對してどうするか」。對えて曰わく、「老夫は自分の國家も体恤できず、敢えて王室に及ぼさん。ただ人にも話あり、『寡婦はその緯を恤めず、宗周の隕落を憂うは將に自らに及ぶを以てなり』。今王室が實に蠢動し、我ら小國は懼れました。しかしあれは大國の憂で、我らこれらの人が何を知らん。吾子はなお早く謀れ!《詩》に曰く、『瓶が空なるは罍の恥なり』。王室が安寧せざるは晋の恥です」。献子が懼れ、宣子と謀った。ここに諸侯に征召會合し、明年を約定した。
秋八月,大雩,旱也。
秋八月、大雩祭を行ったは旱の故である。
冬十月癸酉,王子朝用成周之寶珪於河。甲戌,津人得諸河上。陰不佞以溫人南侵,拘得玉者,取其玉,將賣之,則為石。王定而獻之,與之東訾。
冬十月癸酉、王子朝が成周の寶珪を黄河に沈めた。甲戌、津人が河上で得た。陰不佞が溫人を率いて南に侵襲し、玉を得た人を拘拿し、その玉を取り、將に賣らんとするも、卻って石であった。王が安定して後に献上し、彼に東訾を與えた。
楚子為舟師以略吳疆。沈尹戌曰:“此行也,楚必亡邑。不撫民而勞之,吳不動而速之,吳踵楚,而疆埸無備,邑能無亡乎?”越大夫胥犴勞王於豫章之汭。越公子倉歸王乘舟,倉及壽夢帥師從王,王及圉陽而還。吳人踵楚,而邊人不備,遂滅巢及鍾離而還。沈尹戌曰:“亡郢之始,於此在矣。王一動而亡二姓之帥,幾如是而不及郢?《詩》曰:‘誰生厲階,至今為梗?’其王之謂乎?”
楚子が舟師を組建して呉の疆界を巡視した。沈尹戌が曰わく、「この出行で、楚は必ず城邑を喪失せん。百姓を安撫せずして勞苦し、呉が動かざるに彼らを催促し、呉が楚を跟蹤し、疆場に防備なく、城邑は喪失せざらんや」。越國大夫胥犴が豫章之汭で王を慰勞した。越公子倉が王に乘舟を送り、倉及び壽夢が軍を率いて王に從い、王が圉陽に至れば即ち歸った。呉人が楚を跟蹤し、邊人が防備せず、ここに巢及び鐘離を滅ぼして歸った。沈尹戌が曰わく、「郢を喪失する始めはここに在り。王が一動すれば兩姓の軍帥を喪失す。幾次この如くして郢に至らざらん。《詩》に曰く、『誰が禍階を生み、今に至りて病となれるか』。おそらく王を説くのでしょうか」。
◇昭公二十五年
◇昭公二十五年
【經】二十五年春,叔孫婼如宋。夏,叔詣會晉趙鞅、宋樂大心,衛北宮喜、鄭遊吉、曹人、邾人、滕人、薛人、小邾人於黃父。有鴝鵒來巢。秋七月上辛,大雩;季辛,又雩。九月己亥,公孫於齊,次於陽州。齊侯唁公於野井。冬十月戊辰,叔孫婼卒。十有一月己亥,宋公佐卒於曲棘。十有二月,齊侯取鄆。
【経】二十五年春、叔孫婼が宋に行った。夏、叔詣が黃父で晋趙鞅・宋樂大心、衛北宮喜・鄭游吉・曹人・邾人・滕人・薛人・小邾人と會見した。鸜鵒が來て巢を作った。秋七月上辛、大雩祭を行い。季辛、また雩祭を行った。九月己亥、昭公が齊に出奔し、陽州に駐屯した。齊侯が野井で昭公を弔唁した。冬十月戊辰、叔孫婼が薨じた。十一月己亥、宋公佐が曲棘で薨じた。十二月、齊侯が鄆を取った。
【傳】二十五年春,叔孫婼聘於宋,桐門右師見之。語,卑宋大夫,而賤司城氏。昭子告其人曰:“右師其亡乎!君子貴其身而後能及人,是以有禮。今夫子卑其大夫而賤其宗,是賤其身也,能有禮乎?無禮必亡。”
【伝】二十五年春、叔孫婼が宋に聘問し、桐門右師が彼に見えた。話して、宋大夫を看輕し、司城氏を賤視した。昭子が彼に告げる人に曰わく、「右師はおそらく亡びん!君子は自身を貴重して然る後に能く他人に至る。これにより禮あり。今夫子が大夫を看輕して宗を賤視するは自身を賤視するなり。能く禮あらんや。禮なければ必ず滅亡せん」。
宋公享昭子,賦《新宮》。昭子賦《車轄》。明日宴,飲酒,樂,宋公使昭子右坐,語相泣也。樂祁佐,退而告人曰:“今茲君與叔孫,其皆死乎?吾聞之:‘哀樂而樂哀,皆喪心也。’心之精爽,是謂魂魄。魂魄去之,何以能久?”季公若之姊為小邾夫人,生宋元夫人,生子以妻季平子。昭子如宋聘,且逆之。公若從,謂曹氏勿與,魯將逐之。曹氏告公,公告樂祁。樂祁曰:“與之。
宋公が昭子のため享禮を設け、《新宮》を賦した。昭子が《車轄》を賦した。翌日宴し、酒を飲み、快樂し、宋公が昭子を右に坐らせ、話して互いに哭泣した。樂祁が佐を為し、退きて人に告げて曰わく、「今年國君と叔孫はおそらく皆死せんか?我は聞くに、『哀すべきに樂し、樂すべきに哀するは皆心を喪失す』。心の精爽を魂魄と曰う。魂魄が離るれば、何を憑って能く長久せん」。季公若の姊が小邾夫人となり、宋元夫人を生み、子を生み季平子に嫁いだ。昭子が宋に聘問し、かつ迎えた。公若が從い、曹氏に對して與えぬよう曰い、魯が將に彼を驅逐せんと。曹氏が公に告げ、公が樂祁に告げた。樂祁が曰わく、「與えよ。
如是,魯君必出。政在季氏三世矣,魯君喪政四公矣。無民而能逞其志者,未之有也。國君是以鎮撫其民。《詩》曰:‘人之雲亡,心之憂矣。’魯君失民矣,焉得逞其志?靖以待命猶可,動必憂。”
この如くなれば、魯君は必ず出でん。政は季氏に三代、魯君が政を喪失して四位の公なり。百姓なくして能く志を逞しくするは、かつてなし。國君はこれにより百姓を鎮撫す。《詩》に曰く、『人亡なば、心憂うるなり』。魯君は百姓を失い、どこに能く志を逞しくせん。安靜に命令を待つはなお可。動けば必ず憂あらん」。
夏,會於黃父,謀王室也。趙簡子令諸侯之大夫輸王粟,具戍人,曰:“明年將納王。”子大叔見趙簡子,簡子問揖讓周旋之禮焉。對曰:“是儀也,非禮也。”簡子曰:“敢問何謂禮?”對曰:“吉也聞諸先大夫子產曰:‘夫禮,天之經也。地之義也,民之行也。’天地之經,而民實則之。則天之明,因地之性,生其六氣,用其五行。氣為五味,發為五色,章為五聲,淫則昏亂,民失其性。
夏、黃父で會合したは王室を謀るなり。趙簡子が諸侯の大夫に王の粟を輸送し、戍守の人を準備せよと命じて曰わく、「明年に將に王を送り入れん」。子大叔が趙簡子に見え、簡子が揖讓周旋の禮を問うた。對えて曰わく、「これは儀で禮にあらず」。簡子が曰わく、「敢えて問う、何を禮と曰うか」。對えて曰わく、「吉は先大夫子産より聞くに、『禮は天の經、地の義、民の行なり』。天地の經は百姓が實に效法す。天の明を效法し、地の性に依據し、六氣を生じ、五行を使用す。氣は五味となり、發して五色となり、顯れて五聲となる。過度すれば昏亂し、百姓が本性を失う。
是故為禮以奉之:為六畜、五牲、三犠,以奉五味;為九文、六採、五章,以奉五色;為九歌、八風、七音、六律,以奉五聲;為君臣、上下,以則地義;為夫婦、外內,以經二物;為父子、兄弟、姑姊、甥舅、昏媾、姻亞,以象天明,為政事、庸力、行務,以從四時;為刑罰、威獄,使民畏忌,以類其震曜殺戮;為溫慈、惠和,以效天之生殖長育。民有好、惡、喜、怒、哀、樂,生於六氣。是故審則宜類,以制六志。哀有哭泣,樂有歌舞,喜有施捨,怒有戰鬥;喜生於好,怒生於惡。是故審行信令,禍福賞罰,以制死生。生,好物也;死,惡物也;好物,樂也;惡物,哀也。哀樂不失,乃能協於天地之性,是以長久。”簡子曰:“甚哉,禮之大也!”對曰:“禮,上下之紀,天地之經緯也,民之所以生也,是以先王尚之。故人之能自曲直以赴禮者,謂之成人。大,不亦宜乎?”簡子曰:“鞅也請終身守此言也。”宋樂大心曰:“我不輸粟。我於周為客?”若之何使客?”晉士伯曰:“自踐土以來,宋何役之不會,而何盟之不同?曰‘同恤王室’,子焉得闢之?子奉君命,以會大事,而宋背盟,無乃不可乎?”右師不敢對,受牒而退。士伯告簡子曰:“宋右師必亡。奉君命以使,而欲背盟以幹盟主,無不祥大焉。”
ゆえに禮を制定して奉守す。六畜・五牲・三犧を制定して以て五味を奉じ、九文・六采・五章を制定して以て五色を奉じ、九歌・八風・七音・六律を制定して以て五聲を奉じ、君臣・上下を制定して以て地義を效法し、夫婦・外內を制定して以て二物を經營し、父子・兄弟・姑姊・甥舅・昏媾・姻亞を制定して以て天明を象徵し、政事・庸力・行務を制定して以て四時に順從し、刑罰・威獄を制定して百姓を畏忌せしめ以て震曜殺戮に類し、溫慈・惠和を制定して以て天の生殖長育を效法す。百姓に好・惡・喜・怒・哀・樂ありて六氣より生ず。ゆえに法則を審察し適宜類比して以て六志を制約す。哀に哭泣あり、樂に歌舞あり、喜に施舍あり、怒に戰鬥あり。喜は好より生じ、怒は惡より生ず。ゆえに審慎に行事し誠信に令を發し、禍福賞罰して以て死生を制約す。生は好の物、死は惡の物。好物は樂、惡物は哀。哀樂が失誤せざれば、乃ち能く天地の性を協和し、ゆえに長久す」。簡子が曰わく、「禮の大なるは太過分なり!」。對えて曰わく、「禮は上下の紀、天地の經緯、百姓の生存する所以にして、ゆえに先王が崇尚す。ゆえに人の能く自ら曲直して禮に奔赴するを成人と曰う。大なるはまた當ならずや」。簡子が曰わく、「鞅は終身この話を守らんことを請う」。宋樂大心が曰わく、「我は粟を輸送せず。我は周に對して客なり。何で客を役使せん」。晋士伯が曰わく、「踐土より以來、宋はどの役も參加せず、どの盟も相同せざりしか。『一同に王室を体恤せよ』と曰うに、あなたはどこに避けん。あなたは君命を奉じて大事に會するに、宋が卻って盟を背くは、おそらく不可でしょうか」。右師が敢えて對えず、簡札を受けて退いた。士伯が簡子に告げて曰わく、「宋右師は必ず滅亡せん。君命を奉じて出使するに、卻って盟を背きて盟主を冒犯せんと欲するは、不祥はこれより大きいものなし」。
‘有鴝鵒來巢’,書所無也。師己曰:“異哉!吾聞文、武之世,童謠有之,曰:‘鴝之鵒之,公出辱之。鴝鵒之羽,公在外野,往饋之馬。鴝鵒跦跦,公在乾侯,徵褰與襦。鴝鵒之巢,遠哉遙遙。稠父喪勞,宋父以驕。鴝鵒鴝鵒,往歌來哭。’童謠有是,今鴝鵒來巢,其將及乎?”秋,書再雩,旱甚也。
『鸜鵒來て巢す』、《春秋》に記載するはかつて有らざるなり。師己が曰わく、「怪異なり!我は聞くに文・武の世代に童謠にこれありて曰く、『鸲や鹆や、公出でて辱を受く。鸜鵒の羽毛、公は外野に在り、往きて馬を饋贈す。鸜鵒跳跳、公は乾侯に在り、褲子と短衣を求む。鸜鵒の巢、遠きかな遥遥。稠父は勞に死し、宋父はこれにより驕れり。鸜鵒鸜鵒、去る時は唱い帰る時は哭く』。童謠にこれあり、今鸜鵒が來て巢を作るは、おそらく將に至らんか」。秋、《春秋》に兩次の雩祭を記載したは旱の甚だしきなり。
初,季公鳥娶妻於齊鮑文子,生甲。公鳥死,季公亥與公思展與公鳥之臣申夜姑相其室。及季姒與饔人檀通,而懼,乃使其妾抶己,以示秦遄之妻,曰:“公若欲使餘,餘不可而抶餘。”又訴於公甫,曰:“展與夜姑將要餘。”秦姬以告公之,公之與公甫告平子。平子拘展於卞而執夜姑,將殺之。公若泣而哀之,曰:“殺是,是殺餘也。”將為之請。平子使豎勿內,日中不得請。有司逆命,公之使速殺之。故公若怨平子。
初め、季公鳥が齊鮑文子の家より妻を娶り、甲を生んだ。公鳥が死し、季公亥と公思展と公鳥の臣申夜姑がその家を治理した。季姒が饔人檀と私通するに及び、懼れ、ここにその妾に自らを打たせ、秦遄の妻に見せて曰わく、「公若が我を欲すれば、我が同意せずして我を打つ」。また公甫に控訴して曰わく、「展と夜姑が將に我を要挾せん」。秦姬が公之に告げ、公之と公甫が平子に告げた。平子が展を卞に拘し夜姑を執え、將に彼を殺さんとした。公若が哭泣哀傷して曰わく、「これを殺すは即ち我を殺すなり」。將に彼のため請わんとした。平子が竪に放ち入れぬよう命じ、日中に至るも請う能わず。有司が命令を迎受し、公之が速く殺させた。ゆえに公若が平子を怨んだ。
季、郈之雞鬥。季氏介其雞,郈氏為之金距。平子怒,益宮於郈氏,且讓之。故郈昭伯亦怨平子。臧昭伯之從弟會,為讒於臧氏,而逃於季氏,臧氏執旃。平子怒,拘臧氏老。將禘於襄公,萬者二人,其眾萬於季氏。臧孫曰:“此之謂不能庸先君之廟。”大夫遂怨平子。公若獻弓於公為,且與之出射於外,而謀去季氏。公為告公果、公賁。公果、公賁使侍人僚柤告公。公寢,將以戈擊之,乃走。公曰:“執之。”亦無命也。懼而不出,數月不見,公不怒。又使言,公執戈懼之,乃走。又使言,公曰:“非小人之所及也。”公果自言,公以告臧孫,臧孫以難。告郈孫,郈孫以可,勸。告子家懿伯,懿伯曰:“讒人以君僥倖,事若不克,君受其名,不可為也。舍民數世,以求克事,不可必也。
季・郈の雞鬥した。季氏が雞に甲を穿かせ、郈氏がそれに金距を作した。平子が怒り、郈氏に向かい宮室を擴展し、かつ責めた。ゆえに郈昭伯もまた平子を怨んだ。臧昭伯の從弟會が臧氏に讒を進め、季氏に逃げ、臧氏が彼を執えた。平子が怒り、臧氏の家老を拘拿した。將に襄公で禘祭を行わんとし、萬舞を跳ぶ兩人、衆人が季氏で萬舞を跳んだ。臧孫が曰わく、「これを不能して先君の廟に酬勞すと曰う」。大夫がここに平子を怨んだ。公若が公のため弓を献じ、かつ彼と外で射し、季氏を去らんを謀った。公為が公果・公賁に告げた。公果・公賁が侍人僚柤を遣わして公に告げさせた。公が寢て、將に戈を以て彼を撃たんとし、ここに跑った。公が曰わく、「執えよ」。も命令なし。懼れて出でず、數月見えず、公は怒らず。又説かせ、公が戈を持ちて彼を怕らせ、ここに跑った。又説かせ、公が曰わく、「小人の及ぶ所能にあらず」。公果が自ら説き、公が臧孫に告げ、臧孫が難と以為す。郈孫に告げ、郈孫が可と以為し、勸めた。子家懿伯に告げ、懿伯が曰わく、「讒人が國君を以て僥倖するは、事がもし成らずば、國君がその名を承受す。為すべからず。百姓を舍棄する幾世、以て事の成功を求むるは必ずすべからず。
且政在焉,其難圖也。”公退之。辭曰:“臣與聞命矣,言若洩,臣不獲死。”
況んや政はそこに在り、難く謀らん」。公が彼を退かせた。推辭して曰わく、「臣はすでに參與して命令を聞き、話がもし泄漏せば、臣は死を獲得する能わず」。
乃館於公。
ここに公の所に住んだ。
叔孫昭子如闞,公居於長府。九月戊戌,伐季氏,殺公之於門,遂入之。平子登臺而請曰:“君不察臣之罪,使有司討臣以干戈,臣請待於沂上以察罪。”
叔孫昭子が闞に行き、公が長府に住んだ。九月戊戌、季氏を攻め、門口で公之を殺し、ここに入った。平子が臺に登り請うて曰わく、「君が臣の罪を考察せず、有司を遣わして干戈を以て臣を討伐す。臣は沂上で待って罪を考察するを請います」。
弗許。請囚於費,弗許。請以五乘亡,弗許。子家子曰:“君其許之!政自之出久矣,隱民多取食焉。為之徒者眾矣,日入慝作,弗可知也。眾怒不可蓄也,蓄而弗治,將薀。薀畜,民將生心。生心,同求將合。君必悔之。”弗聽。郈孫曰:“必殺之。”公使郈孫逆孟懿子。叔孫氏之司馬鬷戾言於其眾曰:“若之何?”莫對。又曰:“我,家臣也,不敢知國。凡有季氏與無,於我孰利?”皆曰:“無季氏,是無叔孫氏也。”鬷戾曰:“然則救諸!”帥徒以往,陷西北隅以入。公徒釋甲,執冰而踞。遂逐之。孟氏使登西北隅,以望季氏。見叔孫氏之旌,以告。孟氏執郈昭伯,殺之於南門之西,遂伐公徒。子家子曰:“諸臣偽劫君者,而負罪以出,君止。意如之事君也,不敢不改。”公曰:“餘不忍也。”
許されず。費で囚禁することを請うも許されず。五乘を以て逃亡することを請うも許されず。子家子が曰わく、「君はなお許せ!政は彼より出ること久しく、隱民は多くそこより食を取ります。彼の徒衆となる者多し。日入後に奸惡が發作すれば知るべからず。衆怒は蓄積すべからず。蓄積して治せざれば、將に積聚せん。積聚蓄藏すれば、百姓は將に異心を生ぜん。異心生じれば、同じく求むる者は將に會合せん。君は必ず悔いん」。聽かず。郈孫が曰わく、「必ず彼を殺せ」。公が郈孫を遣わして孟懿子を迎えさせた。叔孫氏の司馬鬷戾が部衆に曰わく、「どうするか」。答える人なし。又曰わく、「我は家臣で、敢えて國事を知らず。季氏あるとないと、我らにどちらが利か」。皆曰わく、「季氏なければ、即ち叔孫氏なし」。鬷戾が曰わく、「然らば救援せよ!」。徒衆を率いて往き、西北角を攻陷して入った。公の徒衆が甲を脫ぎ、箭筒を持ちて蹲いた。ここに彼らを驅逐した。孟氏が人を遣わして西北角に登らせ、季氏を眺望した。叔孫氏の旌を見て告げた。孟氏が郈昭伯を執え、南門西で彼を殺し、ここに公の徒衆を攻めた。子家子が曰わく、「諸臣は劫持國君を偽り、罪を背負い出でよ。君は留まれ。意如が國君に事奉するは、敢えて改めざらん」。公が曰わく、「我は忍びず」。
與臧孫如墓謀,遂行。
臧孫と墓地に至りて謀り、ここに去った。
己亥,公孫於齊,次於陽州。齊侯將唁公於平陰,公先至於野井。齊侯曰:“寡人之罪也。”使有司待於平陰,為近故也。書曰:“公孫於齊,次於陽州,齊侯唁公於野井。”禮也。將求於人,則先下之,禮之善物也。齊侯曰:“自莒疆以西,請致千社,以待君命。寡人將帥敝賦以從執事,唯命是聽,君之憂,寡人之憂也。”公喜。子家子曰:“天祿不再,天若胙君,不過周公,以魯足矣。
己亥、昭公が齊に出奔し、陽州に駐屯した。齊侯が將に平陰で公を弔唁せんとし、公が先に野井に至った。齊侯が曰わく、「これは寡人の罪なり」。有司を遣わして平陰で待たせたは近きの故なり。《春秋》に「公が齊に孫し、陽州に次し、齊侯が公を野井で唁す」と記載したは禮に合う。將に人に求めんとして、先に下に處るは禮の善物なり。齊侯が曰わく、「莒疆より以西、千社を致送して君命を待たんことを請う。寡人は將に敝賦を率いて執事に從い、ただ命に聽かん。君の憂は寡人の憂なり」。公が喜んだ。子家子が曰わく、「天禄は再び來らず。天がもし君に福を賜えば、周公を超えず、魯を以て足れり。
失魯,而以千社為臣,誰與之立?且齊君無信,不如早之晉。”弗從。臧昭伯率從者將盟,載書曰:“戮力壹心,好惡同之。信罪之有無,繾綣從公,無通外內。”
魯を失いて、卻って千社を以て臣と為すは、誰が彼と立たん。況んや齊君は信用なし。早く晋に至るに如かず」。聽き從わず。臧昭伯が從う人を率いて將に盟約を結ばんとし、載書に曰わく、「合力一心、好惡相同す。罪の有無を信じ、纏綿して公に從い、外內を溝通せず」。
以公命示子家子。子家子曰:“如此,吾不可以盟,羈也不佞,不能與二三子同心,而以為皆有罪。或欲通外內,且欲去君。二三子好亡而惡定,焉可同也?陷君於難,罪孰大焉?通外內而去君,君將速入,弗通何為?而何守焉?”乃不與盟。
公命を以て子家子に見せた。子家子が曰わく、「この如くなれば、我は盟約を結ぶべからず。羈は不才で、几位と同心する能わず、卻って皆罪ありと以為す。或る者は外內を溝通せんと欲し、かつ國君を離れんと欲す。几位は逃亡を好み安定を惡み、どこに相同すべからん。國君を難に陷れるは、罪はどれか大きい。外內を溝通して國君を離れれば、國君は將に速く入らん。溝通せずして何を為す。何を守らん」。ここに盟に參加せず。
昭子自闞歸,見平子。平子稽顙,曰:“子若我何?”昭子曰:“人誰不死?子以逐君成名,子孫不忘,不亦傷乎!將若子何?”平子曰:“苟使意如得改事君,所謂生死而肉骨也。”昭子從公於齊,與公言。子家子命適公館者執之。公與昭子言於幄內,曰將安眾而納公。公徒將殺昭子,伏諸道。左師展告公,公使昭子自鑄歸。平子有異志。冬十月辛酉,昭子齊於其寢,使祝宗祈死。戊辰,卒。
昭子が闞より歸り、平子に見えた。平子が叩頭して曰わく、「あなたは我をどうするか」。昭子が曰わく、「人は誰が死せざらん。あなたは國君を驅逐して名を成すに、子孫は忘れず。また傷心せざらんや!將にあなたをどうせん」。平子が曰わく、「もし意如をして過を改め國君に事奉し得せしめば、即ち所謂死人を復活せしめ白骨に肉を長ぜしむるなり」。昭子が齊に至り公に從い、公と話した。子家子が公館に至る人に執えるよう命じた。公と昭子が帳內で話し、將に衆人を安定し公を送り入れんと曰うた。公の徒衆が將に昭子を殺さんとし、路上に埋伏した。左師展が公に告げ、公が昭子に鑄より歸らせた。平子に異志あり。冬十月辛酉、昭子が寢で齋戒し、祝宗を遣わして死を求めた。戊辰、薨じた。
左師展將以公乘馬而歸,公徒執之。
左師展が將に公の乘馬を帶びて歸らんとし、公の徒衆が彼を執えた。
壬申,尹文公涉於鞏,焚東訾,弗克。
壬申、尹文公が鞏で河を渡り、東訾を焚燒したが克てず。
十一月,宋元公將為公故如晉。夢大子欒即位於廟,己與平公服而相之。旦,召六卿。公曰:“寡人不佞,不能事父兄,以為二三子憂,寡人之罪也。若以群子之靈,獲保首領以沒,唯是楄柎所以藉幹者,請無及先君。”仲幾對曰:“君若以社稷之故,私降暱宴,群臣弗敢知。若夫宋國之法,死生之度,先君有命矣。群臣以死守之,弗敢失隊。臣之失職,常刑不赦。臣不忍其死,君命只辱。”
十一月、宋元公が將に公の故により晋に行かんとした。太子欒が廟で即位し、自らと平公が禮服を著て輔佐する夢を見た。朝、六卿を召した。公が曰わく、「寡人は不才で、父兄に事奉する能わず、几位の憂となるは寡人の罪なり。もし諸位の靈に憑りて腦袋を保住して死するを獲れば、ただ楄柎が棺を墊するに用いるを、先君の如く至らぬを請う」。仲幾が對えて曰わく、「君がもし社稷の故により私に親昵宴飲を降低せば、群臣は敢えて知らず。宋國の法・死生の法度に至りては、先君に命令あり。群臣は死を以て守り、敢えて失落せず。臣が職を失えば、常刑は赦さず。臣はあのように死するに忍びず。君命はただ辱を受くるのみ」。
宋公遂行。己亥,卒於曲棘。
宋公がここに出行した。己亥、曲棘で薨じた。
十二月庚辰,齊侯圍鄆。
十二月庚辰、齊侯が鄆を包圍した。
初,臧昭伯如晉,臧會竊其寶龜僂句,以卜為信與僣,僣吉。臧氏老將如晉問,會請往。昭伯問家故,盡對。及內子與母弟叔孫,則不對。再三問,不對。
初め、臧昭伯が晋に行き、臧會がその寶龜僂句を偷み、誠信と僭越を占卜し、僭越が吉利であった。臧氏の家老が將に晋に至り問候せんとし、會が往くを請うた。昭伯が家の故を問うに、全部對えた。內子と同母弟叔孫に及ぶと、對えず。再三問うも、對えず。
歸,及郊,會逆,問,又如初。至,次於外而察之,皆無之。執而戮之,逸,奔郈。郈魴假使為賈正焉。計於季氏。臧氏使五人以戈盾伏諸桐汝之閭。會出,逐之,反奔,執諸季氏中門之外。平子怒,曰:“何故以兵入吾門?”拘臧氏老。
歸り、郊に至り、會が迎接し、問うに、また当初の如し。至り、外に住み考察するに、皆無し。執えて將に殺さんとすれば、逃走し、郈に出奔した。郈魴假が彼を賈正とさせた。季氏に賬を報した。臧氏が五人を遣わして戈盾を持ち桐汝の里門に埋伏せしめた。會が出れば、追趕し、反りて跑り、季氏の中門外で執えた。平子が怒り、曰わく、「何で兵器を帶びて我が門に入るか」。臧氏の家老を拘拿した。
季、臧有惡。及昭伯從公,平子立臧會。會曰:“僂句不餘欺也。”
季・臧に惡あり。昭伯が公に從うに及び、平子が臧會を立てた。會が曰わく、「僂句は我を欺かず」。
楚子使薳射城州屈,復茄人焉。城丘皇,遷訾人焉。使熊相衤某郭巢,季然郭卷。子大叔聞之,曰:“楚王將死矣。使民不安其土,民必憂,憂將及王,弗能久矣。”
楚子が䓕射を遣わして州屈に城を築き、茄人を歸らせた。丘皇に城を築き、訾人を遷した。熊相禖を遣わして巢に郭を築き(底本「衤某」は禖)、季然が卷に郭を築いた。子大叔が聞き、曰わく、「楚王は將に死せん。百姓を土地に安んぜしめず、百姓は必ず憂え、憂は將に王に及ばん。長久ならじ」。
◇昭公二十六年
◇昭公二十六年
【經】二十有六年春王正月,葬宋元公。三月,公至自齊,居於鄆。夏,公圍成。秋,公會齊侯、莒子、邾子、杞伯,盟於鄟陵。公至自會,居於鄆。九月庚申,楚子居卒。冬十月,天王入於成周。尹氏、召伯、毛伯以王子朝奔楚。
【経】二十六年春、周天子の暦の正月、宋元公を葬った。三月、昭公が齊より歸り、鄆に住んだ。夏、昭公が成を包圍した。秋、昭公が齊侯・莒子・邾子・杞伯と會見し、鄟陵で盟約を結んだ。昭公が盟會より歸り、鄆に住んだ。九月庚申、楚子居が薨じた。冬十月、天王が成周に入った。尹氏・召伯・毛伯が王子朝を帶びて楚に出奔した。
【傳】二十六年春,王正月庚申,齊侯取鄆。
【伝】二十六年春、周天子の暦の正月庚申、齊侯が鄆を取った。
葬宋元公,如先君,禮也。
宋元公を葬ること先君の如くしたは禮に合う。
三月,公至自齊,處於鄆,言魯地也。
三月、昭公が齊より歸り、鄆に住んだは魯地を説くなり。
夏,齊侯將納公,命無受魯貨。申豐從女賈,以幣錦二兩,縛一如瑱,適齊師。謂子猶之人高齮:“能貨子猶,為高氏後,粟五千庾。”高齮以錦示子猶,子猶欲之。齮曰:“魯人買之,百兩一布,以道之不通,先入幣財。”子猶受之,言於齊侯曰:“群臣不盡力於魯君者,非不能事君也。然據有異焉。宋元公為魯君如晉,卒於曲棘。叔孫昭子求納其君,無疾而死。不知天之棄魯耶,抑魯君有罪於鬼神,故及此也?君若待於曲棘,使群臣從魯君以卜焉。若可,師有濟也。
夏、齊侯が將に昭公を送り入れんとし、魯の貨を接受せぬよう命じた。申豐が女賈に從い、幣錦二兩を帶び、瑱の如く捆し、齊軍に至った。子猶の人高𬺈に對して曰わく、「能く貨を子猶に與えば、高氏の後嗣を為し、粟五千庾を與えん」。高𬺈が錦を子猶に見せ、子猶が欲した。𬺈が曰わく、「魯人がこれを買い、百兩を一堆とし、道路が通ぜざるを以て、先に幣財を送入れり」。子猶が接受し、齊侯に對して曰わく、「群臣が魯君に盡力せざるは、能く君に事奉せざるにあらず。しかし據に怪異あり。宋元公が魯君のため晋に行き、曲棘で薨じた。叔孫昭子がその國君を送り入れんを求め、病なくして死せり。知らず、天が魯を拋棄するか、それとも魯君が鬼神に罪ありて、ゆえにこの歩に至るか。君がもし曲棘で待ち、群臣をして魯君に從わせ來りて占卜せしめば、もし可なれば、軍隊は成する功あり。…」
君而繼之,茲無敵矣。若其無成,君無辱焉。”齊侯從之,使公子鉏帥師從公。
君は再接續し、こうすれば敵手なし。もし成功せずとも、君は辱を受けず」。齊侯が聽き從い、公子鉏を遣わして軍を率い公に從わせた。
