昭公(元年~三十二年)
成大夫公孫朝謂平子曰:“有都以衛國也,請我受師。”許之。請納質,弗許,曰:“信女,足矣。”告於齊師曰:“孟氏,魯之敝室也。用成已甚,弗能忍也,請息肩於齊。”齊師圍成。成人伐齊師之飲馬於淄者,曰:“將以厭眾。”魯成備而後告曰:“不勝眾。”師及齊師戰於炊鼻。齊子淵捷從洩聲子,射之,中楯瓦。繇朐汰輈,匕入者三寸。聲子射其馬,斬鞅,殪。改駕,人以為鬷戾也而助之。子車曰:“齊人也。”將擊子車,子車射之,殪。其御曰:“又之。”子車曰:“眾可懼也,而不可怒也。”子囊帶從野洩,叱之。洩曰:“軍無私怒,報乃私也,將亢子。”又叱之,亦叱之。冉豎射陳武子,中手,失弓而罵。以告平子,曰:“有君子白皙,鬒鬚眉,甚口。”平子曰:“必子強也,無乃亢諸?”對曰:“謂之君子,何敢亢之?”林雍羞為顏鳴右,下。苑何忌取其耳,顏鳴去之。苑子之御曰:“視下顧。”苑子刜林雍,斷其足。{輕金}而乘於他車以歸,顏鳴三入齊師,呼曰:“林雍乘!”四月,單子如晉告急。五月戊午,劉人敗王城之師於屍氏。戊辰,王城人、劉人戰於施谷,劉師敗績。
成大夫公孫朝が平子に曰わく、「有都は國を保衛するためです。私に軍隊を受けさせてください」。許した。人質を納めるを請うたが許さず、曰わく、「あなたを信任すれば足れり」。齊軍に告げて曰わく、「孟氏は魯の破落家族です。成を用いるは已に過分で、忍び難く、齊で歇肩するを請います」。齊軍が成を包圍した。成人が淄で馬を飲ませる齊軍を攻めて曰わく、「將に衆人を壓制するに用いん」。魯が成で防備して然る後に告知して曰わく、「衆人に勝てず」。軍隊が齊軍と炊鼻で交戰した。齊子淵捷が泄聲子を追い、彼を射て盾瓦に中った。軛より轅を穿り、箭頭が三寸入った。聲子が彼の馬を射て鞅を斬斷し、馬が死んだ。別の車に改乘し、他人は鬷戾と以為して助けた。子車が曰わく、「これは齊人です」。將に子車を撃たんとし、子車が彼を射て死んだ。その御者が曰わく、「また來い」。子車が曰わく、「衆人は怕らせる可し、激怒すべからず」。子囊帶が野泄を追い、叱罵した。泄が曰わく、「軍に私怒なし。報復は即ち私で、將にあなたに抗衡せん」。又叱罵し、亦叱罵した。冉豎が陳武子を射て手に中り、弓を丟棄して罵った。平子に告げて曰わく、「君子ありて皮膚白く、須眉黑密で、甚だ能く罵ります」。平子が曰わく、「必ず子强で、おそらく抗衡したのでしょうか」。對えて曰わく、「君子と叫做すれば、どこに敢えて抗衡せん」。林雍が顏鳴の車右を為すを羞とし、下車した。苑何忌が彼の耳を取り、顏鳴が離れた。苑子の御者が曰わく、「下を看よ」。苑子が林雍を砍って脚を斬斷した。獨輪の類の車を以て別の車に乘りて歸り、顏鳴が三たび齊軍に入り、呼喊して曰わく、「林雍が車に上れ!」。四月、單子が晋に至り急を告げた。五月戊午、劉人が尸氏で王城の軍を敗った。戊辰、王城人・劉人が施谷で交戰し、劉軍が敗戰した。
秋,盟於鄟陵,謀納公也。
秋、鄟陵で盟約を結んだは昭公を送り入れるを謀るなり。
七月己巳,劉子以王出。庚午,次於渠。王城人焚劉。丙子,王宿於褚氏。
七月己巳、劉子が王を帶びて出た。庚午、渠に駐屯した。王城人が劉を焚燒した。丙子、王が褚氏に住んだ。
丁丑,王次於萑谷。庚辰,王入於胥靡。辛巳,王次於滑。晉知躒、趙鞅帥師納王,使汝寬守關塞。
丁丑、王が萑谷に駐屯した。庚辰、王が胥靡に入った。辛巳、王が滑に駐屯した。晋知躒・趙鞅が軍を率いて王を送り入れ、汝寬を遣わして關塞を守らせた。
九月,楚平王卒。令尹子常欲立子西,曰:“大子壬弱,其母非適也,王子建實聘之。子西長而好善。立長則順,建善則治。王順國治,可不務乎?”子西怒曰:“是亂國而惡君王也。國有外援,不可瀆也。王有適嗣,不可亂也。敗親、速仇、亂嗣,不祥,我受其名。賂吾以天下,吾滋不從也。楚國何為?必殺令尹!”令尹懼,乃立昭王。
九月、楚平王が薨じた。令尹子常が子西を立てんと欲して曰わく、「太子壬は幼弱で、その母は嫡にあらず、實は王子建が聘した者です。子西は年長で善を好む。長を立てれば順し、善を建てれば治す。王順して國家治まるは、致力せざる可けんや」。子西が怒りて曰わく、「これは國を亂し君王を惡むなり。國に外援ありて輕慢すべからず。王に嫡嗣ありて亂すべからず。親を敗壞し、仇を加速し、嗣を擾亂するは不祥で、我はその名を承受す。天下を以て我に賄賂すとも、我はなお聽從せず。楚國は何を為す。必ず令尹を殺せ!」。令尹が懼れ、ここに昭王を立てた。
冬十月丙申,王起師於滑。辛丑,在郊,遂次於屍。十一月辛酉,晉師克鞏。
冬十月丙申、王が滑で起兵した。辛丑、郊に在り、ここに尸に駐屯した。十一月辛酉、晋軍が鞏を攻克した。
召伯盈逐王子朝,王子朝及召氏之族、毛伯得、尹氏固、南宮嚚奉周之典籍以奔楚。陰忌奔莒以叛。召伯逆王於屍,及劉子、單子盟。遂軍圉澤,次於堤上。癸酉,王入於成周。甲戌,盟於襄宮。晉師使成公般戍周而還。十二月癸未,王入於莊宮。
召伯盈が王子朝を驅逐し、王子朝及び召氏の族・毛伯得・尹氏固・南宮嚚が周の典籍を捧げて楚に出奔した。陰忌が莒に出奔して叛変した。召伯が尸で王を迎接し、劉子・單子と盟約を結んだ。ここに軍を駐め圉澤に在り、堤上に駐屯した。癸酉、王が成周に入った。甲戌、襄宮で盟約を結んだ。晋軍が成公般を遣わして周を戍守せしめて然る後に歸った。十二月癸未、王が莊宮に入った。
王子朝使告於諸侯曰:“昔武王克殷,成王靖四方,康王息民,並建母弟,以蕃屏周。亦曰:‘吾無專享文、武之功,且為後人之迷敗傾覆,而溺入於難,則振救之。’至於夷王,王愆於厥身,諸侯莫不併走其望,以祈王身。至於厲王,王心戾虐,萬民弗忍,居王於彘。諸侯釋位,以間王政。宣王有志,而後效官。
王子朝が人を遣わして諸侯に告げて曰わく、「昔武王が殷を克し、成王が四方を安んじ、康王が百姓を休息し、一幷に同母弟を建立して以て周を藩屏せしめた。亦曰く、『我は文・武の功を專享せず、かつ後人の迷亂敗壞傾覆し、沉溺して難に入るを以て、則ち振救す』。夷王に至り、王自身に病あり、諸侯は皆一起に奔走して群望に、王身のため祈禱した。厲王に至り、王心が暴戾虐にして萬民が忍び能わず、王を彘に安置した。諸侯が位を放下して來りて王政を塡補した。宣王に志ありて、然る後に官職を交還した。
至於幽王,天不弔周,王昏不若,用愆厥位。攜王奸命,諸侯替之,而建王嗣,用遷郟鄏。則是兄弟之能用力於王室也。至於惠王,天不靖周,生頹禍心,施於叔帶,惠、襄闢難,越去王都。則有晉、鄭,鹹黜不端,以綏定王家。則是兄弟之能率先王之命也。在定王六年,秦人降妖,曰:‘周其有頿王,亦克能修其職。諸侯服享,二世共職。王室其有間王位,諸侯不圖,而受其亂災。’至於靈王,生而有頿。王甚神聖,無惡於諸侯。靈王、景王,克終其世。今王室亂,單旗、劉狄,剝亂天下,壹行不若。謂:‘先王何常之有?唯餘心所命,其誰敢請之?’帥群不弔之人,以行亂於王室。侵欲無厭,規求無度,貫瀆鬼神,慢棄刑法,倍奸齊盟,傲很威儀,矯誣先王。晉為不道,是攝是贊,思肆其罔極。茲不穀震盪播越,竄在荊蠻,未有攸厎。若我一二兄弟甥舅,獎順天法,無助狡猾,以從先王之命,毋速天罰,赦圖不穀,則所願也。敢盡布其腹心,及先王之經,實深圖之。昔先王之命曰:‘王后無適,則擇立長。年鈞以德,德鈞以卜。’王不立愛,公卿無私,古之制也。穆後及大子壽早夭即世,單、劉贊私立少,以間先王,亦唯伯仲叔季圖之!”閔馬父聞子朝之辭,曰:“文辭以行禮也。子朝幹景之命,遠晉之大,以專其志,無禮甚矣,文辭何為?”齊有彗星,齊侯使禳之。晏子曰:“無益也,只取誣焉。天道不諂,不貳其命,若之何禳之?且天之有彗也,以除穢也。君無穢德,又何禳焉?若德之穢,禳之何損?《詩》曰:‘惟此文王,小心翼翼,昭事上帝,聿懷多福。厥德不回,以受方國。’君無違德,方國將至,何患於彗?《詩》曰:‘我無所監,夏後及商。用亂之故,民卒流亡。’若德回亂,民將流亡,祝史之為,無能補也。”公說,乃止。
幽王に至り、天が周を憐れまず、王が昏亂順せず、これにより位を失った。攜王が命令を觸犯し、諸侯が廢し、王の嗣を建立し、これにより郟鄏に遷った。これは即ち兄弟が能く王室に力を用いたなり。惠王に至り、天が周を安寧せず、頹の禍心を生じ、叔帶に延及し、惠・襄が難を避け、王都を離れた。ここに晋・鄭ありて、皆不端を廢黜して以て王家を安定せしめた。これは即ち兄弟が能く先王の命令に率いるなり。定王六年に秦人が妖を降して曰く、『周に大概長き鬍子の王ありて、亦能くその職を修めん。諸侯が服享し、兩世が職事を恭敬せん。王室に大概人ありて空隙を鑽り王位を奪い、諸侯が謀らざれば、亂災を受けん』。靈王に至り、生まれて即ち鬍子あり。王は甚だ神聖で、諸侯に惡なし。靈王・景王は能くその世代を終えたり。今王室が亂れ、單旗・劉狄が天下を剥亂し、專行して順せず。曰く、『先王に何の常規かあらん。ただ我が心の命令する所に按って、誰が敢えて請示せん』。一群の不善の人を率いて王室で亂を作す。侵欲は滿足なく、規求は限度なく、鬼神を輕慢するに慣れ、刑法を怠慢拋棄し、盟約を背棄奸犯し、威儀を傲慢し、先王を矯誣す。晋が無道を為し、攝持贊助して放肆して極限なからんと欲す。今不穀は震盪流亡し、荆蠻に逃竄して止息なし。もし我ら一二位の兄弟甥舅が、贊助して天法に順從し、狡猾を助けず、以て先王の命令に從い、天罰を加速せず、不穀を赦免謀劃せば、即ち願う所なり。敢えて腹心を全部陳述し、先王の經に及び、實に深謀劃す。昔先王の命令に曰く、『王后に嫡なければ、則ち長を擇び立てる。年歲が同じければ德に按り、德が同じければ占卜す』。王は愛する所を立てず、公卿に私なきは古代の制度なり。穆后及び太子壽が早く死して去世し、單・劉が贊助して私に年少を立て、以て先王の空隙を鑽るは、亦ただ伯仲叔季の謀劃を請うのみ!」。閔馬父が子朝の辭を聞き、曰わく、「文辭は以て禮を實行するなり。子朝は景の命令を冒犯し、遠大の晋を疏遠し、以てその心志を專にす。無禮は太過分で、文辭は何を為さん」。齊に彗星あり、齊侯が人を遣わして禳せしめた。晏子が曰わく、「益處なく、ただ誣を取るのみ。天道は諂媚せず、その命を改變せず。何で禳せん。況んや天に彗あるは以て穢を除去するなり。君に穢德なく、また何を禳せん。もし德穢れば、禳して何を減損せん。《詩》に曰く、『この文王、小心翼翼、昭明して上帝に事奉し、多福を懐く。その德は邪せず、以て方國を受く』。君に違德なくば、方國は將に至らん。彗を憂うるは何を為さん。《詩》に曰く、『我に鑑なく、夏后及び商。亂の故を以て、百姓は終に流亡す』。もし德邪亂なれば、百姓は將に流亡せん。祝史の作為は補う能わず」。公が喜び、ここに停止した。
齊侯與晏子坐於路寢,公嘆曰:“美哉室!其誰有此乎?”晏子曰:“敢問何謂也?”公曰:“吾以為在德。”對曰:“如君之言,其陳氏乎!陳氏雖無大德,而有施於民。豆區釜鍾之數,其取之公也簿,其施之民也厚。公厚斂焉,陳氏厚施焉,民歸之矣。《詩》曰:‘雖無德與女,式歌且舞。’陳氏之施,民歌舞之矣。後世若少惰,陳氏而不亡,則國其國也已。”公曰:“善哉!是可若何?”對曰:“唯禮可以已之。在禮,家施不及國,民不遷,農不移,工賈不變,士不濫,官不滔,大夫不收公利。”公曰:“善哉!我不能矣。吾今而後知禮之可以為國也。”對曰:“禮之可以為國也久矣。與天地並。君令臣共,父慈子孝,兄愛弟敬,夫和妻柔,姑慈婦聽,禮也。君令而不違,臣共而不貳,父慈而教,子孝而箴;兄愛而友,弟敬而順;夫和而義,妻柔而正;姑慈而從,婦聽而婉:禮之善物也。”公曰:“善哉!寡人今而後聞此禮之上也。”對曰:“先王所稟於天地,以為其民也,是以先王上之。”
齊侯と晏子が路寢に坐し、公が歎息して曰わく、「屋は美しいな!誰がこれを有さん」。晏子が曰わく、「敢えて問う、何を説くか」。公が曰わく、「我は德に在りと以為す」。對えて曰わく、「君の説く如くは、おそらく陳氏でしょうか!陳氏は大德なき雖も、百姓に施あり。豆區釜鐘の數は公より取るは薄く、百姓に施すは厚し。公は厚斂し、陳氏は厚施し、百姓が歸附しました。《詩》に曰く、『雖か德なく汝に、亦歌唱して舞踊す』。陳氏の施は百姓已に歌舞せり。後世がもし稍怠惰し、陳氏が如し滅亡せざれば、國家は彼の國とならん」。公が曰わく、「善し!これをどうするか」。對えて曰わく、「ただ禮を以て止住する可し。禮に於ては、家の施は國に及ばず、百姓は遷らず、農は移らず、工賈は改變せず、士は濫れず、官は放縱せず、大夫は公利を收めず」。公が曰わく、「善し!我は能わず。我は今より以後、禮が以て國を治むるを知る」。對えて曰わく、「禮が以て國を治むるは已に久し。天地と並列す。君が令を發し臣が恭敬し、父が慈し子が孝し、兄が愛し弟が敬し、夫が和し妻が柔し、姑が慈し婦が聽くは禮なり。君が令を發して違背せず、臣が恭敬して二心なく、父が慈して教え、子が孝して規勸し、兄が愛して友し、弟が敬して順し、夫が和して義し、妻が柔して正し、姑が慈して聽從し、婦が聽きて婉なり。是れ禮の善物なり」。公が曰わく、「善し!寡人は今より以後、これ禮の崇尚を聞かん」。對えて曰わく、「先王が天地より禀受し、以てその百姓を為す。ゆえに先王が崇尚せり」。
◇昭公二十七年
◇昭公二十七年
【經】二十有七年春,公如齊。公至自齊,居於鄆。夏四月,吳弒其君僚。
【経】二十七年春、昭公が齊に行った。昭公が齊より歸り、鄆に住んだ。夏四月、呉がその國君僚を弑した。
楚殺其大夫郤宛。秋,晉士鞅、宋樂祁犁、衛北宮喜、曹人、邾人、滕人會於扈。
楚がその大夫郤宛を殺した。秋、晋士鞅・宋樂祁犁・衛北宮喜・曹人・邾人・滕人が扈で會合した。
冬十月,曹伯午卒。邾快來奔。公如齊。公至自齊,居於鄆。
冬十月、曹伯午が薨じた。邾快が投奔に來た。昭公が齊に行った。昭公が齊より歸り、鄆に住んだ。
【傳】二十七年春,公如齊。公至自齊,處於鄆,言在外也。
【伝】二十七年春、昭公が齊に行った。昭公が齊より歸り、鄆に住んだは外に在るを説くなり。
吳子欲因楚喪而伐之,使公子掩餘、公子燭庸帥師圍潛。使延州來季子聘於上國,遂聘於晉,以觀諸侯。楚莠尹然,工尹麇帥師救潛。左司馬沈尹戌帥都君子與王馬之屬以濟師,與吳師遇於窮。令尹子常以舟師及沙汭而還。左尹郤宛、工尹壽帥師至於潛,吳師不能退。
呉子が楚の喪事に借りて攻めんと欲し、公子掩余・公子燭庸を遣わして軍を率い潛を包圍せしめた。延州來季子を遣わして上國に聘問せしめ、ここに晋に聘問し、以て諸侯を觀察せしめた。楚莠尹然・工尹麇が軍を率いて潛を救援した。左司馬沈尹戌が都君子と王馬の部屬を率いて增援に來り、呉軍と窮で相遇った。令尹子常が舟師を率いて沙汭に至れば即ち歸った。左尹郤宛・工尹壽が軍を率いて潛に至り、呉軍は退く能わず。
吳公子光曰:“此時也,弗可失也。”告鱄設諸曰:“上國有言曰:‘不索何獲?’我,王嗣也,吾欲求之。事若克,季子雖至,不吾廢也。”鱄設諸曰:“王可弒也。母老子弱,是無若我何。”光曰:“我,爾身也。”
呉公子光が曰わく、「これは時機で、失う可からず」。鱄設諸に告げて曰わく、「上國に話ありて曰く、『求取せざれば、何を獲得せん』。我は王の嗣で、我は求めんと欲す。事がもし成功すれば、季子はたとえ至るも、我を廢する能わず」。鱄設諸が曰わく、「王は弑する可し。母は老い子は弱し。我をどうせん」。光が曰わく、「我は即ちあなたの身なり」。
夏四月,光伏甲於堀室而享王。王使甲坐於道,及其門。門階戶席,皆王親也,夾之以鈹。羞者獻體改服於門外,執羞者坐行而入,執鈹者夾承之,及體以相授也。光偽足疾,入於堀室。鱄設諸置劍於魚中以進,抽劍刺王,鈹交於胸,遂弒王。闔廬以其子為卿。
夏四月、光が地下室に甲士を埋伏し、王のため享禮を設けた。王が甲士を遣わして路上に坐らせ、門に至るまで。門階戶席は皆王の親信で、鈹を以て夾んだ。進獻する者は門外で體を露にして衣服を改換し、羞を持つ者は跪いて入り、鈹を持つ者は兩旁より承接し、身體に至りて乃ち互相授した。光が脚に病あるを偽り、地下室に入った。鱄設諸が劍を魚に置きて進獻し、劍を抽出して王を刺し、鈹が胸に交叉し、ここに王を弑した。闔廬が彼の兒子を卿とした。
季子至,曰:“苟先君無廢祀,民人無廢主,社稷有奉,國家無傾,乃吾君也。吾誰敢怨?哀死事生,以待天命。非我生亂,立者從之,先人之道也。”覆命哭墓,復位而待。吳公子掩餘奔徐,公子燭庸奔鍾吾。楚師聞吳亂而還。
季子が至り、曰わく、「もし先君が祭祀を廢せず、民人が主を廢せず、社稷に供奉あり、國家が傾覆せざれば、即ち我が國君なり。我は誰を敢えて怨まん。死を哀しみ生に事奉し、以て天命を待つ。我が亂を生ずるにあらず。立つ者は即ち從うは先人の道理なり」。命令に回復して墓上で哭き、位に歸りて待った。呉公子掩余が徐に出奔し、公子燭庸が鍾吾に出奔した。楚軍が呉の亂を聞きて即ち歸った。
郤宛直而和,國人說之。鄢將師為右領,與費無極比而惡之。令尹子常賄而信讒,無極譖郤宛焉,謂子常曰:“子惡欲飲子酒。”又謂子惡:“令尹欲飲酒於子氏。”子惡曰:“我,賤人也,不足以辱令尹。令尹將必來辱,為惠已甚。
郤宛は正直にして和して、國人が好んだ。鄢將師が右領を為し、費無極と勾結して彼を惡んだ。令尹子常は賄を貪り讒言を聽信し、無極が子常に向かい郤宛を誣陷して、子常に對して曰わく、「子惡があなたに酒を請わんと欲す」。又子惡に對して曰わく、「令尹があなたの家で酒を飲まんと欲す」。子惡が曰わく、「我は賤人で、令尹を屈尊せしむるに足らず。令尹が將に必ず來り屈尊せんとすれば、恩惠は已に過分なり。
吾無以酬之,若何?”無極曰:“令尹好甲兵,子出之,吾擇焉。”取五甲五兵,曰:“置諸門,令尹至,必觀之,而從以酬之。”及饗日,帷諸門左。無極謂令尹曰:“吾幾禍子。子惡將為子不利,甲在門矣,子必無往。且此役也,吳可以得志,子惡取賂焉而還,又誤群帥,使退其師,曰:‘乘亂不祥。’吳乘我喪,我乘其亂,不亦可乎?”令尹使視郤氏,則有甲焉。不往,召鄢將師而告之。將師退,遂令攻郤氏,且爇之。子惡聞之,遂自殺也。國人弗爇,令曰:“不爇郤氏,與之同罪。”或取一編菅焉,或取一秉稈焉,國人投之,遂弗爇也。令尹炮之,盡滅郤氏之族黨,殺陽令終與其弟完及佗與晉陳及其子弟。晉陳之族呼於國曰:“鄢氏、費氏自以為王,專禍楚國,弱寡王室,蒙王與令尹以自利也。令尹盡信之矣,國將如何?”令尹病之。
我に以て酬謝する無し。どうせん」。無極が曰わく、「令尹は甲兵を好む。あなたは出せ、我が選擇せん」。五甲五兵を取り、曰わく、「門口に置け。令尹が至れば、必ず觀看し、則ち從い酬謝せよ」。饗日に至り、門左に帷を設けた。無極が令尹に對して曰わく、「我はあなたを禍害せんとす。子惡は將にあなたに不利せんとし、甲は門口に在り。あなたは必ず往く勿れ。況んやこの役は、呉が志を得る可きに、子惡が賂を取りて歸り、また各位の軍帥を誤らせ、彼らに軍を退かせて曰く、『亂に乘ずるは不祥』。呉が我らの喪に乘ずれば、我らは彼の亂に乘ずるは、また可ならずや」。令尹が人を遣わして郤氏を看せしめ、甲あり。往かず、鄢將師を召して告知した。將師が退き、ここに令を下して郤氏を攻め、かつ火を放って燒いた。子惡が聞き、ここに自殺した。國人が燒かず、令を下して曰わく、「郤氏を燒かざれば、彼と同罪」。或る者は一編の菅を取り、或る者は一把の稈を取り、國人が扔掉し、ここに燒かず。令尹が炮烙し、全部郤氏の族黨を滅亡し、陽令終とその弟完及び佗と晋陳及び彼らの子弟を殺した。晋陳の族が國中で呼喊して曰わく、「鄢氏・費氏は自ら王を為し、專擅して楚國を禍害し、寡弱な王室を削弱し、王と令尹を蒙蔽して自利を來す。令尹が全部相信した。國家は將にどうせん」。令尹がこれを以て病とした。
秋,會於扈,令戍周,且謀納公也。宋、衛皆利納公,固請之。範獻子取貨於季孫,謂司城子梁與北宮貞子曰:“季孫未知其罪,而君伐之,請囚,請亡,於是乎不獲。君又弗克,而自出也。夫豈無備而能出君乎?季氏之復,天救之也。
秋、扈で會合し、周を戍守するを命令し、かつ昭公を送り入れるを謀った。宋・衛が皆昭公を送り入るを利と以為し、堅持して請うた。范献子が季孫より貨を取り、司城子梁と北宮貞子に對して曰わく、「季孫はなお罪を知らず。國君が彼を攻め、囚禁を請い、逃亡を請い、ここに獲得する能わず。國君もまた克つ能わず、自ら出でた。あえて防備なくして能く國君を放出せんや。季氏の恢復は天が彼を救うなり。
休公徒之怒,而啟叔孫氏之心。不然,豈其伐人而說甲執冰以遊?叔孫氏懼禍之濫,而自同於季氏,天之道也。魯君守齊,三年而無成。季氏甚得其民,淮夷與之,有十年之備,有齊、楚之援,有天之贊,有民之助,有堅守之心,有列國之權,而弗敢宣也,事君如在國。故鞅以為難。二子皆圖國者也,而欲納魯君,鞅之願也,請從二子以圍魯。無成,死之。”二子懼,皆辭。乃辭小國,而以難復。
公の徒衆の怒を止息し、叔孫氏の心を開啟す。然らざれば、どこに人を攻めて卻って甲を脫ぎ箭筒を持ちて游逛せん。叔孫氏が禍の氾濫を怕れ、自ら季氏と同じなるは天の道理なり。魯君は齊に守り、三年成せず。季氏は甚だ百姓を得、淮夷が親附し、十年の防備あり、齊・楚の援助あり、天の贊助あり、百姓の幫助あり、堅守の心あり、列國の權あるに、卻って宣揚する敢えず、國中に在るが如く國君に事奉す。ゆえに鞅は難と以為す。兩位は皆國を謀る人なるに、卻って魯君を送り入れんと欲するは鞅の願望です。兩位に從い魯を包圍するを請います。成せざれば、これがため死せん」。兩位が懼れ、皆推辭した。ここに小國を辭謝し、難を以て回復した。
孟懿子、陽虎伐鄆。鄆人將戰,子家子曰:“天命不慆久矣。使君亡者,必此眾也。天既禍之,而自福也,不亦難乎?猶有鬼神,此必敗也。烏呼!為無望也夫,其死於此乎!”公使子家子如晉,公徒敗於且知。
孟懿子・陽虎が鄆を攻めた。鄆人が將に交戰せんとし、子家子が曰わく、「天命は懷疑なきこと已に久し。君を逃亡せしむるは必ずこれらの部衆なり。天は已に禍を降し、自ら福を求むるは、また難くないか。もし鬼神あらば、今次は必ず敗れん。嗚呼!これは指望なし、おそらくここに死せんか」。公が子家子を遣わして晋に行かせた。公の徒衆が且知で敗戰した。
楚郤宛之難,國言未已,進胙者莫不謗令尹。沈尹戌言於子常曰:“夫左尹與中廄尹莫知其罪,而子殺之,以興謗讟,至於今不已。戌也惑之。仁者殺人以掩謗,猶弗為也。今吾子殺人以興謗,而弗圖,不亦異乎?夫無極,楚之讒人也,民莫不知。去朝吳,出蔡侯朱,喪太子建,殺連尹奢,屏王之耳目,使不聰明。
楚郤宛の難は國中の話がまだ停止せず、胙を進める者は令尹を謗らざるなし。沈尹戌が子常に對して曰わく、「左尹と中廐尹は彼らの罪を知る人なく、あなたが彼らを殺し、怨謗を興起し、今に至りて停止せず。戌は迷惑す。仁者は人を殺して以て謗を掩蓋するも、なお為さず。今吾子が人を殺して以て謗を興起し、卻って謀らず。また怪異ならずや。無極は楚の讒人で、百姓の知らざるなし。朝吳を去り、蔡侯朱を趕い、太子建を喪失し、連尹奢を殺し、王の耳目を屏蔽し、聰明ならざらしむ。
不然,平王之溫惠共儉,有過成、莊,無不及焉。所以不獲諸侯,邇無極也。今又殺三不辜,以興大謗,幾及子矣。子而不圖,將焉用之?夫鄢將師矯子之命,以滅三族,國之良也,而不愆位。吳新有君,疆埸日駭,楚國若有大事,子其危哉!知者除讒以自安也,今子愛讒以自危也,甚矣其惑也!”子常曰:“是瓦之罪,敢不良圖。”九月己未,子常殺費無極與鄢將師,盡滅其族,以說於國。謗言乃止。
然らざれば、平王の溫惠恭儉は成・莊に超過ありて、及ばざるなし。諸侯を獲得する能わざる所以は無極に接近せればなり。今また三個の無辜を殺し、大謗を興起し、幾なんとしてあなたに至らんとす。あなたが卻って謀らずば、將にあなたを以て何を為さん。鄢將師があなたの命令を假託し、三族を滅亡したは國の賢良なるに、卻って位に在りて錯を犯さず。呉が新たに國君を有し、疆場が日日驚駭す。楚國がもし大事あれば、あなたはおそらく危険ならん!智者は讒を除去して自ら安んじ、今あなたは讒を愛して自ら危ぶむは、迷惑の太過分なり!」。子常が曰わく、「これは瓦の罪で、敢えて好く謀らざらん」。九月己未、子常が費無極と鄢將師を殺し、全部その族を滅亡し、以て國人を取悅せしめた。謗言が乃ち停止した。
冬,公如齊,齊侯請饗之。子家子曰:“朝夕立於其朝,又何饗焉?其飲酒也。”乃飲酒,使宰獻,而請安。子仲之子曰重,為齊侯夫人,曰:“請使重見。”
冬、昭公が齊に行き、齊侯が饗禮を設けるを請うた。子家子が曰わく、「朝夕にその朝廷に立つに、また何を饗せん。なお酒を飲め」。ここに酒を飲み、宰を遣わして進獻し、安を請うた。子仲の兒子を重と曰い、齊侯夫人を為し、曰わく、「重をして來りて見えしむるを請う」。
子家子乃以君出。
子家子がここに國君を帶びて出た。
十二月,晉籍秦致諸侯之戍於周,魯人辭以難。
十二月、晋籍秦が諸侯の戍守を周に送った。魯人が難を以て推辭した。
◇昭公二十八年
◇昭公二十八年
【經】二十有八年春王三月,葬曹悼公。公如晉,次於乾侯。夏四月丙戌,鄭伯寧卒。六月,葬鄭定公。秋七月癸巳,滕子寧卒。冬,葬滕悼公。
【経】二十八年春、周天子の暦の三月、曹悼公を葬った。昭公が晋に行き、乾侯に駐屯した。夏四月丙戌、鄭伯寧が薨じた。六月、鄭定公を葬った。秋七月癸巳、滕子寧が薨じた。冬、滕悼公を葬った。
【傳】二十八年春,公如晉,將如乾侯。子家子曰:“有求於人,而即其安,人孰矜之?其造於竟。”弗聽。使請逆於晉。晉人曰:“天禍魯國,君淹恤在外。
【伝】二十八年春、昭公が晋に行き、將に乾侯に至らんとした。子家子が曰わく、「人に求むる有りて、卻ってその安に就くは、人は誰が憐れまん。なお邊境に至れ」。聽かず。人を遣わして晋に迎接を請うた。晋人が曰わく、「天が魯國を禍害し、君が淹留して外に憂恤す。
君亦不使一個辱在寡人,而即安於甥舅,其亦使逆君?”使公復於竟而後逆之。
君もまた一人を遣わして寡人に屈尊せず、卻って甥舅の所に就安するは、おそらくまた君を迎接せしめんや」。公をして邊境に歸らせて然る後に迎接せんとした。
晉祁勝與鄔臧通室,祁盈將執之,訪於司馬叔遊。叔遊曰:“《鄭書》有之:‘惡直醜正,實蕃有徒。’無道立矣,子懼不免。《詩》曰:‘民之多闢,無自立闢。’姑已,若何?”盈曰:“祁氏私有討,國何有焉?”遂執之。祁勝賂荀躒,荀躒為之言於晉侯,晉侯執祁盈。祁盈之臣曰:“鈞將皆死,憖使吾君聞勝與臧之死以為快。”乃殺之。夏六月,晉殺祁盈及楊食我。食我,祁盈之黨也,而助亂,故殺之。遂滅祁氏、羊舌氏。
晋祁勝と鄔臧が妻室を互換し、祁盈が將に執えんとし、司馬叔游に咨詢した。叔游が曰わく、「《鄭書》にこの話あり、『正直を惡み正を醜化す。この徒衆は實に多し』。無道は已に立ち、あなたは怕れて免れざらん。《詩》に曰く、『百姓は多く邪僻、自ら邪僻を立てる勿れ』。姑く停止せんはどうか」。盈が曰わく、「祁氏が私に討伐するは國に何の相干あらん」。ここに執えた。祁勝が荀躒に賄賂し、荀躒が彼のため晋侯に説き、晋侯が祁盈を執えた。祁盈の臣が曰わく、「同じく皆將に死せん。寧ろ我らの國君に勝と臧の死を聞かせて快意を為さん」。ここに彼らを殺した。夏六月、晋が祁盈及び楊食我を殺した。食我は祁盈の黨で、亂を幫助し、ゆえに殺した。ここに祁氏・羊舌氏を滅亡した。
初,叔向欲娶於申公巫臣氏,其母欲娶其黨。叔向曰:“吾母多而庶鮮,吾懲舅氏矣。”其母曰:“子靈之妻殺三夫,一君,一子,而亡一國、兩卿矣。可無懲乎?吾聞之:‘甚美必有甚惡,’是鄭穆少妃姚子之子,子貉之妹也。子貉早死,無後,而天鍾美於是,將必以是大有敗也。昔有仍氏生女,鬒黑而甚美,光可以鑑,名曰玄妻。樂正後夔取之,生伯封,實有豕心,貪婪無饜,忿類無期,謂之封豕。有窮后羿滅之,夔是以不祀。且三代之亡,共子之廢,皆是物也。女何以為哉?夫有尤物,足以移人,苟非德義,則必有禍。”叔向懼,不敢取。平公強使取之,生伯石。伯石始生,子容之母走謁諸姑,曰:“長叔姒生男。”姑視之,及堂,聞其聲而還,曰:“是豺狼之聲也。狼子野心,非是,莫喪羊舌氏矣。”遂弗視。
初め、叔向が申公巫臣氏より娶らんと欲し、その母が彼女の黨を娶らんと欲した。叔向が曰わく、「我が母は多くて庶出は少し。我は已に舅氏より懲戒を得たり」。その母が曰わく、「子靈の妻は三人の丈夫・一位の國君・一人の兒子を殺し、一國・兩位の卿を滅亡せり。懲戒せざる可けんや。我は聞くに、『甚だ美しければ必ず甚だ惡し』。これは鄭穆少妃姚子の兒子・子貉の妹なり。子貉が早く死して後嗣なく、天が美をここに聚集せり。將に必ずこれにより大有敗せん。昔有仍氏が女兒を生み、頭髮が黑くて甚だ美しく、光は人を照らす可し。名を玄妻と曰う。樂正后夔が彼女を娶り、伯封を生み、實に豬心ありて、貪婪して滿足なく、忿怒に期限なし。封豕と叫做す。有窮后羿が彼を滅亡し、夔はこれにより祭祀せず。況んや三代の滅亡・共子の廢は皆この物なり。あなたは何を為さん。尤物ありて、足りて人を改變す。もし德義にあらざれば、必ず禍あらん」。叔向が懼れ、敢えて娶らず。平公が彼を强迫して娶らせ、伯石を生んだ。伯石が剛に生まるや、子容の母が走りて姑姑に告げて曰わく、「長叔姒が男兒を生んだり」。姑姑が往きて看るに、堂に至り、聲音を聞きて即ち返回し、曰わく、「これは豺狼の聲なり。狼子野心、これの人にあらざれば、羊舌氏を喪亡する人なし」。ここに看ず。
秋,晉韓宣子卒,魏獻子為政。分祁氏之田以為七縣,分羊舌氏之田以為三縣。司馬彌牟為鄔大夫,賈辛為祁大夫,司馬烏為平陵大夫,魏戊為梗陽大夫,知徐吾為塗水大夫,韓固為馬首大夫,孟丙為盂大夫,樂霄為銅鞮大夫,趙朝為平陽大夫,僚安為楊氏大夫。謂賈辛、司馬烏為有力於王室,故舉之。謂知徐吾、趙朝、韓固、魏戊,餘子之不失職,能守業者也。其四人者,皆受縣而後見於魏子,以賢舉也。
秋、晋韓宣子が薨じ、魏献子が執政した。祁氏の田を分けて七縣とし、羊舌氏の田を分けて三縣とした。司馬彌牟を鄔大夫とし、賈辛を祁大夫とし、司馬烏を平陵大夫とし、魏戊を梗陽大夫とし、知徐吾を塗水大夫とし、韓固を馬首大夫とし、孟丙を盂大夫とし、樂霄を銅鞮大夫とし、趙朝を平陽大夫とし、僚安を楊氏大夫とした。賈辛・司馬烏が王室に力あるを以て、ゆえに舉用した。知徐吾・趙朝・韓固・魏戊は余子の中で職を失わず能く業を守るを以てす。その四人は皆縣を受けて然る後に魏子に見えたは賢に按りて舉用せればなり。
魏子謂成鱄:“吾與戊也縣,人其以我為黨乎?”對曰:“何也?戊之為人也,遠不忘君,近不逼同,居利思義,在約思純,有守心而無淫行。雖與之縣,不亦可乎?昔武王克商,光有天下。”其兄弟之國者十有五人,姬姓之國者四十人,皆舉親也。夫舉無他,唯善所在,親疏一也。《詩》曰:‘唯此文王,帝度其心。莫其德音,其德克明。克明克類,克長克君。王此大國,克順克比。比於文王,其德靡悔。既受帝祉,施於孫子。’心能制義曰度,德正應和曰莫,照臨四方曰明,勤施無私曰類,教誨不倦曰長,賞慶刑威曰君,慈和遍服曰順,擇善而從之曰比,經緯天地曰文。九德不愆,作事無悔,故襲天祿,子孫賴之。主之舉也,近文德矣,所及其遠哉!”賈辛將適其縣,見於魏子。魏子曰:“辛來!昔叔向適鄭,鬷蔑惡,欲觀叔向,從使之收器者而往,立於堂下。一言而善。叔向將飲酒,聞之,曰:‘必鬷明也。’下,執其手以上,曰‘昔賈大夫惡,娶妻而美,三年不言不笑,御以如皋,射雉,獲之。其妻始笑而言。賈大夫曰:“才之不可以已,我不能射,女遂不言不笑夫!”今子少不揚,子若無言,吾幾失子矣。言不可以已也如是。’遂如故知。今女有力於王室,吾是以舉女。行乎!敬之哉!毋墮乃力!”仲尼聞魏子之舉也,以為義,曰:“近不失親,遠不失舉,可謂義矣。”又聞其命賈辛也,以為忠:“《詩》曰:‘永言配命,自求多福’,忠也。魏子之舉也義,其命也忠,其長有後於晉國乎!”冬,梗陽人有獄,魏戊不能斷,以獄上。其大宗賂以女樂,魏子將受之。魏戊謂閻沒、女寬曰:“主以不賄聞於諸侯,若受梗陽人,賄莫甚焉。吾子必諫。”
魏子が成鱄に對して曰わく、「我が戊に縣を與えれば、人はおそらく我を偏袒と以為せんか」。對えて曰わく、「何ぞ。戊の人となりは遠は國君を忘れず、近は同僚を逼迫せず、利に處りて義を想い、窮約に處りて純を想い、守心ありて淫行なし。たとえ彼に縣を與えても、また可ならずや。昔武王が商を克し、天下を光有し、兄弟の國は十五人、姬姓の國は四十人、皆親を舉用せり。舉用に別なく、ただ善の在所に在り、親疏は一樣なり。《詩》に曰く、『この文王、帝がその心を度量す。靜かにその德音、その德は能く明らかなり。能く明らかに能く類し、能く長に能く君たり。この大國に王を稱し、能く順し能く比す。文王に比するに、その德は悔なし。已に帝祉を受け、孫子に延及す』。心が能く義を制約するを度と曰い、德正しく應和するを莫と曰い、四方を照臨するを明と曰い、勤施して私なきを類と曰い、教誨して倦まざるを長と曰い、賞慶刑威するを君と曰い、慈和して普遍に服すを順と曰い、善を擇びて從うを比と曰い、天地を經緯するを文と曰う。九德が錯を犯さず、事を作して悔なし。ゆえに天禄を承襲し、子孫が依賴す。主の舉用は文德に接近して、及ぶ所の遠きかな!」。賈辛が將にその縣に至らんとして、魏子に見えた。魏子が曰わく、「辛來れ!昔叔向が鄭に至り、鬷蔑は貌が醜く、叔向を看せんと欲し、派して器具を收める人に從い往きて、堂下に立った。一言して即ち善し。叔向が將に飲酒せんとして、聞き、曰わく、『必ず鬷明なり』。下りて、彼の手を握り上りて曰く、『昔賈大夫は貌が醜く、妻を娶れば美しく、三年話さず笑わず。車を駕して皋に至り、雉を射て獲得せり。その妻が乃ち笑い乃ち話せり。賈大夫が曰く、「才能は停止すべからず。我が射する能わざれば、あなたは話さず笑わざらん!」今あなたは稍揚せず。あなたがもし話なくば、我は幾なんとしてあなたを失わんとせり。話は停止すべからざることこの如し』。ここに舊交の如し。今あなたは王室に力あり。我はこれによりあなたを舉用す。行け!敬慎せよ!あなたの力を堕落する勿れ!」仲尼が魏子の舉用を聞き、義と以為して曰わく、「近は親を失わず、遠は舉を失わず、義と曰う可し」。又その賈辛に命ずるを聞き、忠と以為し、「《詩》に曰く、『永遠に天命に配合し、自ら多福を求む』は忠なり。魏子の舉用は義、その命令は忠。おそらく將に長久に晋國で後嗣を有せんか!」。冬、梗陽人に獄訟あり、魏戊が裁斷する能わず、獄を上に送った。その大宗が女樂を以て賄賂し、魏子が將に接受せんとした。魏戊が閻沒・女寬に對して曰わく、「主は受賄せざるを以て諸侯中に聞名す。もし梗陽人を接受せば、賄はこれより甚しきなし。吾子は必ず進諫せよ」。
皆許諾。退朝,待於庭。饋入,召之。比置,三嘆。既食,使坐。魏子曰:“吾聞諸伯叔,諺曰:‘唯食忘憂。’吾子置食之間三嘆,何也?”同辭而對曰:“或賜二小人酒,不夕食。饋之始至,恐其不足,是以嘆。中置,自咎曰:‘豈將軍食之,而有不足?’是以再嘆。及饋之畢,願以小人之腹為君子之心,屬厭而已。”獻子辭梗陽人。
皆應諾した。退朝し、庭で待った。饋食が送り進められ、彼らを召した。擺設するに及び、三たび歎息した。已に食し、坐を讓った。魏子が曰わく、「我が伯叔より聞くに、諺語に曰く、『ただ飯を食うは憂を忘る』。吾子が食物を擺設する間に三たび歎息したは何ぞ」。一同に對えて曰わく、「ある人が我ら兩個の小人に酒を賜い、晚飯を食せず。饋食が剛に至り、足らざるを怕れ、ゆえに歎息せり。中間に擺到し、自ら責備して曰わく、『あえて將軍が飯を請うに、また足らざらんや』。ゆえに再び歎息せり。饋食の完畢するに及び、小人の肚子を以て君子の心を為さんを希望し、剛好滿足すれば即ち可と」。献子が梗陽人を辭謝した。
◇昭公二十九年
◇昭公二十九年
【經】二十有九年春,公至自乾侯,居於鄆,齊侯使高張來唁公。公如晉,次於乾侯。夏四月庚子,叔詣卒。秋七月。冬十月,鄆潰。
【経】二十九年春、昭公が乾侯より歸り、鄆に住み、齊侯が高張を遣わして來りて昭公を弔唁せしめた。昭公が晋に行き、乾侯に駐屯した。夏四月庚子、叔詣が薨じた。秋七月。冬十月、鄆が潰散した。
【傳】二十九年春,公至自乾侯,處於鄆。齊侯使高張來唁公,稱主君。子家子曰:“齊卑君矣,君只辱焉。”公如乾侯。
【伝】二十九年春、昭公が乾侯より歸り、鄆に住んだ。齊侯が高張を遣わして來りて昭公を弔唁し、主君と稱した。子家子が曰わく、「齊は君を看輕しました。君はただ辱を受くるのみ」。昭公が乾侯に行った。
三月己卯,京師殺召伯盈、尹氏固及原伯魯之子。尹固之復也,有婦人遇之周郊,尤之,曰:“處則勸人為禍,行則數日而反,是夫也,其過三歲乎?”夏五月庚寅,王子趙車入於鄻以叛,陰不佞敗之。
三月己卯、京師が召伯盈・尹氏固及び原伯魯の兒子を殺した。尹固が歸るとき、婦人ありて周郊に遇い、責めて曰わく、「住めば即ち人を勸めて禍を為し、去れば數日にして返回す。この人は、三年を超過する能わんや」。夏五月庚寅、王子趙車が鄻に入りて叛変し、陰不佞が彼を敗った。
平子每歲賈馬,具從者之衣屨,而歸之於乾侯。公執歸馬者,賣之,乃不歸馬。衛侯來獻其乘馬曰啟服,塹而死,公將為之櫝。子家子曰:“從者病矣,請以食之。”乃以幃裹之。
平子が每年馬を買い、隨從の衣屨を準備し、乾侯に送った。公が馬を送る人を執え、賣掉し、ここに馬を送らず。衛侯が來りてその乘馬を献じ、名を啓服と曰う。塹に墜ちて死し、公が將にそれがため棺を作らんとした。子家子が曰わく、「隨從が病しております。彼らに食わせるを以てすを請います」。ここに幃を以て裹んだ。
公賜公衍羔裘,使獻龍輔於齊侯,遂入羔裘。齊侯喜,與之陽穀。公衍、公為之生也,其母偕出。公衍先生,公為之母曰:“相與偕出,請相與偕告。”三日,公為生,其母先以告,公為為兄。公私喜於陽穀而思於魯,曰:“務人為此禍也。且後生而為兄,其誣也久矣。”乃黜之,而以公衍為大子。
公が公衍に羔裘を賜い、彼を遣わして齊侯に龍輔を献ぜしめ、ここに羔裘を送入れた。齊侯が喜び、彼に陽谷を與えた。公衍・公為が出生し、彼らの母が一起に出た。公衍が先に生まれ、公為の母が曰わく、「互相に一起に出で、互相に一起に告知せんを請う」。三日、公為が生まれ、その母が先に告知し、公為が兄を為した。公が私に陽谷を喜び魯を思念して曰わく、「務人がこの禍を造成せり。況んや後に生まれた者が卻って兄を為すは、誣は已に久し」。ここに廢黜し、公衍を太子とさせた。
秋,龍見於絳郊。魏獻子問於蔡墨曰:“吾聞之,蟲莫知於龍,以其不生得也。謂之知,信乎?”對曰:“人實不知,非龍實知。古者畜龍,故國有豢龍氏,有御龍氏。”獻子曰:“是二氏者,吾亦聞之,而知其故,是何謂也?”對曰:“昔有飂叔安,有裔子曰董父,實甚好龍,能求其耆欲以飲食之,龍多歸之。
秋、龍が絳郊に出現した。魏献子が蔡墨に問うて曰わく、「我は聞くに、蟲に龍より智なるはなく、活捉する能わざるを以てなり。智と曰うは信じる可きか」。對えて曰わく、「人が實に不智なり、龍が實に智なるにあらず。古代に龍を畜養し、ゆえに國に豢龍氏あり、御龍氏あり」。献子が曰わく、「この二氏は、我もまた聞けり。故を知るは何を意謂するか」。對えて曰わく、「昔飂叔安ありて、裔子ありて董父と曰い、實に甚だ龍を喜好し、能くその嗜欲を求得して以て飲食せしめ、龍が多く歸附せり。
乃擾畜龍,以服事帝舜。帝賜之姓曰董,氏曰豢龍。封諸鬷川,鬷夷氏其後也。
ここに龍を馴養し、以て帝舜に服事した。帝が姓を賜い董と曰い、氏を豢龍と曰う。鬷川に封じ、鬷夷氏はその後代なり。
故帝舜氏世有畜龍。及有夏孔甲,擾於有帝,帝賜之乘龍,河、漢各二,各有雌雄,孔甲不能食,而未獲豢龍氏。有陶唐氏既衰,其後有劉累,學擾龍於豢龍氏,以事孔甲,能飲食之。夏後嘉之,賜氏曰御龍,以更豕韋之後。龍一雌死,潛醢以食夏後。夏後饗之,既而使求之。懼而遷於魯縣,范氏其後也。”獻子曰:“今何故無之?”對曰:“夫物,物有其官,官修其方,朝夕思之。一日失職,則死及之。失官不食。官宿其業,其物乃至。若泯棄之,物乃坻伏,鬱湮不育。
ゆえに帝舜氏が世代畜養の龍あり。有夏孔甲に及び、天帝に順從し、帝が彼に乘龍を賜い、河・漢に各二あり、各々雌雄あり。孔甲が餵養する能わず、まだ豢龍氏を獲得せず。陶唐氏ありて已に衰え、後代に劉累ありて、豢龍氏に向かい馴龍を學び、以て孔甲に事奉し、能く飲食せしめた。夏后が嘉許し、氏を賜いて御龍と曰い、以て豕韋の後代を替代せしめた。龍に一條の雌ありて死し、偷偷に醢を為して夏后に食わせた。夏后が享用し、隨後に人を遣わして求めた。懼れて魯縣に遷り、范氏はその後代なり」。献子が曰わく、「今は何でないか」。對えて曰わく、「物は物にその官あり、官が方法を修治し、朝夕に想う。一日職を失えば、死が至る。官を失えば即ち食さず。官が持久してその業を為せば、その物が乃ち至る。もし泯滅拋棄すれば、物は則ち潛伏し、郁湮して生育せず。
故有五行之官,是謂五官。實列受氏姓,封為上公,祀為貴神。社稷五祀,是尊是奉。木正曰句芒,火正曰祝融,金正曰蓐收,水正曰玄冥,土正曰后土。龍,水物也。水官棄矣,故龍不生得。不然,《周易》有之,在《乾》ⅰⅰ之《姤》ⅰⅳ,曰:‘潛龍勿用。’其《同人》ⅰⅵ曰:‘見龍在田。’其《大有》ⅵⅰ曰:‘飛龍在天。’其《夬》ⅷⅰ曰:‘亢龍有悔。’其《坤》ⅱⅱ曰:‘見群龍無首,吉。’《坤》之《剝》ⅶⅱ曰:‘龍戰於野。’若不朝夕見,誰能物之?”獻子曰:“社稷五祀,誰氏之五官也?”對曰:“少皞氏有四叔,曰重、曰該、曰修、曰熙,實能金、木及水。使重為句芒,該為蓐收,修及熙為玄冥,世不失職,遂濟窮桑,此其三祀也。顓頊氏有子曰犁,為祝融;共工氏有子曰句龍,為后土,此其二祀也。后土為社;稷,田正也。有烈山氏之子曰柱為稷,自夏以上祀之。周棄亦為稷,自商以來祀之。”
ゆえに五行の官ありて、五官と曰う。實に序列して氏姓を受け、上公に封じ、祭祀して貴神と為す。社稷五祀はこれらを尊奉す。木正を句芒と曰い、火正を祝融と曰い、金正を蓐收と曰い、水正を玄冥と曰い、土正を后土と曰う。龍は水物なり。水官が拋棄したれば、ゆえに龍は活捉する能わず。然らざれば、《周易》にあり、《乾》の《姤》に變ずるに曰く、『潛龍勿用』。その《同人》に曰く、『見龍在田』。その《大有》に曰く、『飛龍在天』。その《夬》に曰く、『亢龍有悔』。その《坤》に曰く、『見群龍無首、吉』。《坤》の《剥》に變ずるに曰く、『龍戰于野』。もし朝夕に見るにあらざれば、誰が能く描述せん」。献子が曰わく、「社稷五祀は誰が氏の五官か」。對えて曰わく、「少皞氏に四個の叔父ありて、重と曰い、該と曰い、修と曰い、熙と曰う。實に能く金・木及び水。重をして句芒と為し、該を蓐收と為し、修及び熙を玄冥と為し、世代職を失わず、ここに窮桑を成就し、これは其中の三祀なり。顓頊氏に兒子ありて犁と曰い、祝融を為し。共工氏に兒子ありて句龍と曰い、后土を為す。これは其中の二祀なり。后土は社、稷は田正なり。烈山氏の兒子ありて柱と曰い、稷を為し、夏より以來祭祀せり。周棄もまた稷を為し、商より以來祭祀せり」。
冬,晉趙鞅、荀寅帥師城汝濱,遂賦晉國一鼓鐵,以鑄刑鼎,著範宣子所為刑書焉。仲尼曰:“晉其亡乎!失其度矣。夫晉國將守唐叔之所受法度,以經緯其民,卿大夫以序守之。民是以能尊其貴,貴是以能守其業。貴賤不愆,所謂度也。文公是以作執秩之官,為被廬之法,以為盟主。今棄是度也,而為刑鼎,民在鼎矣,何以尊貴?貴何業之守?貴賤無序,何以為國?且夫宣子之刑,夷之蒐也,晉國之亂制也,若之何以為法?蔡史墨曰:“范氏、中行氏其亡乎!中行寅為下卿,而幹上令,擅作刑器,以為國法,是法奸也。又加范氏焉,易之,亡也。
冬、晋趙鞅・荀寅が軍を率いて汝濱に城を築き、ここに晋國に向かい一鼓鐵を賦し、刑鼎を鑄造し、范宣子の作りし刑書を著錄した。仲尼が曰わく、「晋はおそらく亡びんか!法度を失えり。晋國は將に唐叔の受けし法度を守り、以て百姓を經緯し、卿大夫は次序に按って守るべし。百姓はこれにより能く貴を尊敬し、貴はこれにより能く業を守る。貴賤が錯を犯さざるは、即ち所謂度なり。文公はこれにより執秩の官を設置し、被廬之法を制定し、盟主を為したり。今この度を拋棄し、刑鼎を作るは、百姓は鼎上に在り。何を憑って貴を尊敬せん。貴は何の業を守らん。貴賤に次序なく、何を憑って國を為さん。況んや宣子の刑は夷の大蒐にして、晋國の亂制なり。何で法と為さん」。蔡史墨が曰わく、「范氏・中行氏はおそらく亡びんか!中行寅は下卿なるに、卻って上令を冒犯し、擅自に刑器を作り、以て國法と為すは、これ法奸なり。又范氏を加え、改換するは亡なり。
其及趙氏,趙孟與焉。然不得已,若德,可以免。”
將に趙氏に至らん、趙孟もまた參與せり。しかし已むを得ず。もし德あれば、免る可し」。
◇昭公三十年
◇昭公三十年
【經】三十年春王正月,公在乾侯。夏六月庚辰,晉侯去疾卒。秋八月,葬晉頃公。冬十有二月,吳滅徐,徐子章羽奔楚。
【経】三十年春、周天子の暦の正月、昭公が乾侯に在り。夏六月庚辰、晋侯去疾が薨じた。秋八月、晋頃公を葬った。冬十二月、呉國が徐を滅ぼし、徐子章羽が楚に出奔した。
【傳】三十年春,王正月,公在乾侯。不先書鄆與乾侯,非公,且徵過也。
【伝】三十年春、周天子の暦の正月、昭公が乾侯に在り。《春秋》が先に鄆と乾侯を記載せざるは公を責備し、かつ過錯を表明すればなり。
夏六月,晉頃公卒。秋八月,葬。鄭遊吉吊,且送葬,魏獻子使士景伯詰之,曰:“悼公之喪,子西吊,子蟜送葬。今吾子無貳,何故?”對曰:“諸侯所以歸晉君,禮也。禮也者,小事大,大字小之謂。事大在共其時命,字小在恤其所無。以敝邑居大國之間,共其職貢,與其備禦不虞之患,豈忘共命?先王之制:諸侯之喪,士吊,大夫送葬;唯嘉好、聘享、三軍之事,於是乎使卿。晉之喪事,敝邑之間,先君有所助執紼矣。若其不間,雖士大夫有所不獲數矣。大國之惠,亦慶其加,而不討其乏,明厎其情,取備而已,以為禮也。靈王之喪,我先君簡公在楚,我先大夫印段實往,敝邑之少卿也。王吏不討,恤所無也。今大夫曰:‘女盍從舊?’舊有豐有省,不知所從。從其豐,則寡君幼弱,是以不共。從其省,則吉在此矣。唯大夫圖之。”晉人不能詰。
夏六月、晋頃公が卒した。秋八月に下葬した。鄭游吉が弔いに往き、かつ葬を送り、魏献子が士景伯を遣わして彼を責問して曰わく、「悼公の喪に、子西が弔い、子蟜が送葬せり。今吾子に第二の人なきは何の故ぞ」。對えて曰わく、「諸侯の晋君に歸向する所以は禮なり。禮は即ち小が大に事奉し、大が小を撫愛するなり。大に事奉するは供給按時の命令に在り、小を撫愛するはその有らざる所を体恤するに在り。敝邑を以て大國の間に處り、職貢を供給し、又意外の禍患を防禦するを預備す。何で敢えて喪事を供給する命令を忘れん。先王の制度は、諸侯の喪は士が弔い、大夫が葬を送る。ただ嘉好・聘享・三軍の事のみ、これ乃ち卿を遣派す。晋の喪事に、敝邑に閑暇あれば、先君もまた紼を執るを幫助せしことあり。もし閑暇なくば、たとえ士大夫でも禮數に按る能わざるあり。大國の恩惠はまたその加禮を嘉許し、その不足を責備せず、その情實を表明し送達し、能く禮を備うるを取るのみ。これを以て禮と為す。靈王の喪に、我先君簡公が楚に在り、我先大夫印段が實に前往し、是れ敝邑の少卿なり。王吏が責備せざるは有らざる所を体恤せればなり。今大夫が曰く、『あなたは何で舊例に依從せざるか』。舊例に豐あり省あり。どれに依從するかを知らず。その豐に依從せば、寡君は幼弱にして、これにより供給する能わず。その省に依從せば、然らば吉は已にここに在り。大夫の考慮を請う」。晋人は再び責問する能わず。
吳子使徐人執掩餘,使鍾吾人執燭庸,二公子奔楚,楚子大封,而定其徙。
呉子が徐人に掩余を捉えさせ、鍾吾人に燭庸を捉えさせ、兩位の公子が楚に逃奔し、楚子が大いに封賜し、かつ彼らの遷徙を安定せしめた。
使監馬尹大心逆吳公子,使居養。莠尹然、左司馬沈尹戌城之,取於城父與胡田以與之。將以害吳也。子西諫曰:“吳光新得國,而親其民,視民如子,辛苦同之,將用之也。若好吳邊疆,使柔服焉,猶懼其至。吾又強其仇以重怒之,無乃不可乎!吳,周之胄裔也,而棄在海濱,不與姬通。今而始大,比於諸華。光又甚文,將自同於先王。不知天將以為虐乎,使翦喪吳國而封大異姓乎?其抑亦將卒以祚吳乎?其終不遠矣。我盍姑億吾鬼神,而寧吾族姓,以待其歸。將焉用自播揚焉?”王弗聽。吳子怒。冬十二月,吳子執鍾吳子,遂伐徐,防山以水之。
監馬尹大心を遣わして呉公子を迎接し、彼らを養に住まわせた。莠尹然・左司馬沈尹戌がそこに城を築き、城父と胡の田を取出して彼らに與えた。將に彼らを以て呉を害さんとした。子西が進諫して曰わく、「呉光が新たに國を得、彼の民に親しみ、民を兒子の如く看待し、辛苦を共同に擔當し、將に彼らを使用せん。もし呉の邊疆と交好し、彼らを柔服せしめば、なお彼らの到來を怕れん。我らがまた彼の仇人を增強して以てその怒を加重するは、ただ怕れて不可かもしれぬ!呉は周の後裔で、海濱に丟棄され、姬姓と往來せず。今や始めて强大し、諸華に比す。光もまた甚だ文德ありて、將に自ら先王に比同せんとす。知らず、天は將に彼を虐と為して呉國を翦滅せしめ異姓を封大せんとするか、それとも終に將に呉を福佑せんとするか。その結果は遠からず。我らは何で姑く我らの鬼神を安定し、我らの族姓を寧靜せしめ、以てその歸宿を待たざらん。どこに自ら往きて播揚するを用いん」。王が聽かず。呉子が發怒した。冬十二月、呉子が鍾吾子を捉え(底本は「鍾吳子」、即ち上文の鍾吾の君)、ここに徐を伐ち、山谷を堵住して水を以て灌いだ。
己卯,滅徐。徐子章禹斷其發,攜其夫人,以逆吳子。吳子唁而送之,使其邇臣從之,遂奔楚。楚沈尹戌帥師救徐,弗及,遂城夷,使徐子處之。
己卯、徐を滅ぼした。徐子章禹が頭髮を割斷し、夫人を帶び、來りて呉子を迎接した。呉子が弔慰して彼を送り、その近臣に從わせ、ここに楚に逃奔した。楚沈尹戌が師を率いて徐を救ったが趕上せず、ここに夷に城を築き、徐子をそこに住まわせた。
吳子問於伍員曰:“初而言伐楚,餘知其可也,而恐其使餘往也,又惡人之有餘之功也。今餘將自有之矣,伐楚何如?”對曰:“楚執政眾而乖,莫適任患。
呉子が伍員に問うて曰わく、「当初あなたが楚を伐つと説き、我は可と知るも、彼が我を遣わすを怕れ、又他人が我が功勞を占有するを惡めり。今我は自らそれを占有せん。楚を伐つはどうか」。對えて曰わく、「楚の執政する者は多くて乖離し、專一に禍患を承擔するなし。
若為三師以肄焉,一師至,彼必皆出。彼出則歸,彼歸則出,楚必道敝。亟肄以罷之,多方以誤之。既罷而後以三軍繼之,必大克之。”闔廬從之,楚於是乎始病。
もし三軍に分けて突撃騷擾せば、一軍が到れば、彼らは必ず全部出撃せん。彼らが出撃すれば我らは歸り、彼らが歸れば我らは出撃し、楚は必ず道路上で疲憊せん。屢々突撃騷擾して以て彼らを疲困せしめ、多方面を以て彼らを迷惑せん。已に疲困して然る後に三軍を以て接上すれば、必ず大いに彼らに勝たん」。闔廬が聽き從い、楚はこれより困病し始めたり。
◇昭公三十一年
◇昭公三十一年
