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升卦(巽下坤上)

宋 · 耿南仲 · 第13巻 / 14

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

巽下坤上。升:元亨,用見大人,勿恤,南征吉。彖曰:柔以時升,巽而順,剛中而應,是以大亨。用見大人勿恤,有慶也;南征吉,志行也。剛上而柔下,剛柔之分也;柔而升於上,則時焉而已,故曰柔以時升。其升也,必有巽順之道、剛中之才,而又有見應上之時,然後升而亨。

『升(しょう)』卦は下体が巽、上体が坤。卦辞に言う、「升、元亨、大人を見るに用いて恤うる勿れ、南征吉」と。『彖伝』に言う、「柔時を以て升る、巽にして順、剛中にして応ず。是の以て大亨なり。大人を見るに用いて恤うる勿きは、慶有るなり。南征吉は、志行わるるなり。剛上にして柔下は、剛柔の分なり。柔にして上に升れば、則ち時のみ。故曰く、柔時を以て升ると。其の升るや、必ず巽順の道、剛中の才有りて、而又応じ見ゆるの上有れば、然る後に升りて亨る」と。

夫山殺瘦、澤増肥、水息淵、木消支者,物惡乎為上也。今柔以時升而無巽順之道,則其升為陵犯;無剛中之才,則其升為循縁。雖有巽順之道、剛中之才而不見應於上,則亦不能升,雖升而必困,故巽而順、剛中而應,是以大亨也。

夫れ山は殺(さ)して痩(や)せ、沢は増して肥(こ)え、水は淵に息(いき)づき、木は支(えだ)に消ゆる者は、物上に為るを悪(にく)むなり。今柔時を以て升るも巽順の道无ければ、則ち其の升るは陵犯(りょうはん)と為る。剛中の才无ければ、則ち其の升るは循縁(じゅんえん)と為る。巽順の道、剛中の才有ると雖も上に応じ見えざれば、則ち亦た能く升らず、升ると雖も必ず困む。故に巽にして順、剛中にして応ず、是の以て大亨なり。

升以進為事,而其才又柔順、上為志者也。以順上為志而不用見大人,則其失言亦將由之矣,其過行亦將隨之矣。用見大人,以順上為志,所謂事聖君有聽從無諫爭也,何疑之有哉?故曰用見大人勿恤,有慶也。

『升』は進むを以て事と為す。而して其の才又柔順にして、上に順うを志と為る者なり。上に順うを以て志と為して大人に見ゆるを用いざれば、則ち其の失言も亦た之に由らん、其の過行も亦た之に随わん。大人に見ゆるを用い、上に順うを以て志と為すは、所謂聖君に事うるに聴從有りて諫爭无きなり。何の疑いか有らんや。故曰く、大人に見ゆるを用いて恤うる勿れ、慶有るなりと。

南征吉,動而趍明也。君子靜則嚮晦,動則趍明;動不趍於明,則?行而已,往則觸機蹈穽,故必能南征然後吉也。象曰:地中生木,升,君子以順徳,積小以髙大。地中以順而進,自乎毫毛至於合抱,故順徳積小以成髙大。君子之進徳也,其學有時,其入有序;因其時,循其序,不躐等,不先時,優遊委蛇,循循以進,故能自可欲之善積至於不可知之神,莫之能御也。

南征吉とは、動きて明に趨(はし)るなり。君子静なれば則ち晦(くら)きに向い、動けば則ち明に趨る。動きて明に趨らざれば、則ち闇(あん)行のみ。往けば則ち機に触れ穽(せい、おとしあな)に蹈(ふ)む。故に必ず能く南征して然る後に吉なり。『象』に曰く、地中木を生ず、升、君子以て徳に順い、小を積みて以て高大と為すと。地中順を以て進む、毫毛よりして合抱(がっぽう)に至る。故に徳に順いて小を積みて以て高大を成す。君子の徳を進むるや、其の学時有り、其の入り序有り。其の時に因り、其の序に循(したが)い、等を躐(お)かず、時に先(さき)だたず、優游委蛇(ゆうゆういい)として、循循(じゅんじゅん)として以て進む。故に能く欲しき可きの善より積みて知る可からざるの神に至る、之を御ぐ能くする莫し。

初六:允升,大吉。象曰:允升大吉,上合志也。九二以剛中之才見應於上而升,升之有喜也;初六信而從以升,而見大人者也,蓋得所附,是以大吉也。九二:孚乃利用禴,無咎。象曰:九二之孚,有喜也。升自下而交於上,苟不出於至誠,未有能獲於上者。九二之孚,可用薄祭以交於鬼神,則其誠至矣,是以無咎,象曰謂之有喜也。蓋人神一道也,能事人然後能事神;九二孚乃利用禴,可謂能事神矣,於事人也何有?

初六の爻辞に言う、「允(まこと)に升る、大吉」と。『小象伝』に言う、「允に升りて大吉は、上志に合うなり」と。九二剛中の才を以て上に応じ見えて升るは、升るの喜び有るなり。初六信じて従いて以て升る、而して大人を見る者なり。蓋し附(よ)る所を得る、是の以て大吉なり。九二の爻辞に言う、「孚乃ち禴(やく)を用いて利し、咎无し」と。『小象伝』に言う、「九二の孚は、喜び有るなり」と。下より升りて上に交わるは、苟も至誠より出でずんば、未だ上に獲る能くする者有らざるなり。九二の孚は、以て薄祭を用いて鬼神に交わる可し。則ち其の誠至るなり。是の以て咎无し。象に曰く之を喜び有ると謂うなり。蓋し人神は一道なり。能く人に事えて然る後に能く神に事う。九二孚乃ち禴を用いて利するは、能く神に事うと謂う可し。人に事うるに於て何ぞ有らんや。

九三:升虛邑。象曰:升虛邑,無所疑也。此湯武之升也。才雖剛過而道不失順,天人其交歸矣,是以其升若升虛邑,前無為之難者也。邑之小固不足以阨其沖,而又虛焉,則其升甚易也。

九三の爻辞に言う、「虚邑(きょゆう)に升る」と。『小象伝』に言う、「虚邑に升るは、疑う所无きなり」と。此れ湯武の升るなり。才剛過ぐると雖も而して道順を失わず、天人其れ交(とも)に帰す。是の以て其の升るや虚邑に升るが若し。前之を難と為す者无きなり。邑の小なるは固より以て其の衝(しょう、とおり)を阨(あい)するに足らず、而又虚なれば、則ち其の升る甚だ易し。

六四:王用亨于岐山,吉無咎。象曰:王用亨于岐山,順事也。此文王之升也。下有所事,時未可以升,則順以事上,用是故能亨於所國之岐山焉。升之為道,視地中之木而已;木可以極髙大之理,然方起於毫末而求為髙大,則助長為害矣,故文王不得先時,而武王不能後時也。

六四の爻辞に言う、「王用いて岐山(きざん)に享(きょう)す、吉咎无し」と。『小象伝』に言う、「王用いて岐山に享するは、順事なり」と。此れ文王の升るなり。下事うる所有れば、時未だ以て升る可からず、則ち順にして以て上に事う。是を用るが故に能く其の国せる岐山に享するなり。升の道と為るは、地中の木を視るのみ。木以て高大の理を極むる可きと雖も、然れども方に毫末より起こりて高大と為らんことを求めば、則ち長を助けて害と為る。故に文王時に先だつを得ず、而して武王時に後(おく)るる能わざるなり。

六五:貞吉升階。象曰:貞吉升階,大得志也。階者,平易而有等,以漸升而得位者也。舜禹之事,聖人之所欲也;湯武之事,豈聖人之所欲哉?故升階為大得志焉。夫聖人之志必至於是而後為得志歟?孟子曰:中天下而立,定四海之民,君子樂之。樂之者,樂行道也,謂之大得志,亦以所樂在此耳。

六五の爻辞に言う、「貞吉階(かい)を升る」と。『小象伝』に言う、「貞吉階を升るは、大いに志を得るなり」と。階とは、平易にして等有り、漸(ようや)く升りて以て位を得る者なり。舜禹の事は、聖人の欲する所なり。湯武の事は、豈に聖人の欲する所ならんや。故に階を升るは大いに志を得ると為るなり。夫れ聖人の志必ず是に至りて然る後に志を得ると為すか。孟子に曰く、天下の中に立ち、四海の民を定むるは、君子之を楽しむと。之を楽しむとは、道を行うを楽しむなり。之を大いに志を得ると謂うは、亦た以て楽しむ所此に在るのみ。

上六:?升,利于不息之貞。象曰:?升在上,消不富也。升至於?則極矣,?而猶升,其升必困,此舜所以辭耄期也。若施於進徳則利,故利於不息之正;蓋進徳惡夫畫也,升不息則窮髙極逺而至深厚,終乎為聖人矣,利莫大焉。

上六の爻辞に言う、「冥(めい、くらき)にして升る、息(や)まざるの貞に利し」と。『小象伝』に言う、「冥にして升りて上に在るは、消えて富まざるなり」と。升りて冥に至れば則ち極まるなり。冥にして猶ほ升れば、其の升る必ず困む。此れ舜の耄期(もうき)を辞する所以なり。若し徳を進むるに施せば則ち利し。故に息まざるの正に利す。蓋し徳を進むるは画(かぎ)るを悪(にく)む。升りて息まざれば則ち高を窮め遠きを極めて深厚に至り、終に聖人と為る。利大なるは莫し。

困卦(坎下兌上)

坎下兌上。困:亨,貞,大人吉,無咎,有言不信。彖曰:困,剛揜也。險以說,困而不失其所亨,其唯君子乎。貞大人吉,以剛中也;有言不信,尚口乃窮也。二卦之剛皆揜於柔矣。剛有健行之才而無所施,此所以為困也。君子雖無所施,其無所不裕者固自若也;且危而遂顛、險而遂陷,則無事乎有徳矣,故險而說、困而不失其所亨,其唯君子乎。

『困(こん)』卦は下体が坎、上体が兌。卦辞に言う、「困、亨る、貞、大人吉、咎无し、言有りて信ぜられず」と。『彖伝』に言う、「困とは、剛揜(えん、おお)わるるなり。険にして説ぶ、困みて其の亨る所を失わずは、其れ唯れ君子か。貞にして大人吉は、剛中を以てなり。言有りて信ぜられずは、口を尚(ほっ)すれば乃ち窮まるなり。二卦の剛皆柔に揜わる。剛健行の才有りて施す所无し。此れ困と為る所以なり。君子施す所无しと雖も、其の裕(ゆた)かならざる无きは固より自若(じじゃく)なり。且つ危にして遂に顛(たお)れ、険にして遂に陥(お)ちいれば、則ち徳有るを事とする无し。故に険にして説び、困みて其の亨る所を失わずは、其れ唯れ君子か」と。

險者,人之所憂;而困者,動而見窒者也。今險以說,則是心有以自說而不以天下之憂為憂者也;困而不失其所亨,則是身有以自亨而不以天下之窒為窒者也,非君子而能若是乎?君子雖險以說,然陷於險而不得免者;雖困而不失其所亨,然揜於困而無所逃也。如是則逺害避咎之際,不能不失其正;能不失其正而履險居危如居安者,大人而已,故曰大人吉,以剛中也。剛則健行而不陷,中則強立而不倚,以此處困,故正不失也。

険とは、人の憂うる所なり。而して困とは、動きて窒(ふさ)ぐを見る者なり。今険にして説ぶは、則ち心以て自ら説ぶ所有りて、天下の憂を以て憂と為さざる者なり。困みて其の亨る所を失わずは、則ち身以て自ら亨る所有りて、天下の窒を以て窒と為さざる者なり。君子に非ざれば能く是の若くせんや。君子険にして説ぶと雖も、然れども険に陥りて免るるを得ざる者なり。困みて其の亨る所を失わずと雖も、然れども困に揜われて逃るる所无きなり。是くの如くなれば則ち害を遠ざけ咎を避くるの際に、失わざる能わざるは其の正なり。能く其の正を失わずして険を履み危に居るや安きに居るが如きは、大人のみ。故曰く、大人吉、剛中を以てなりと。剛は則ち健行して陥らず、中は則ち強立(きょうりつ)して倚(よ)らず。此を以て困に処れば、故に正失わざるなり。

兌為口舌而在上體,有尚口之象。且人之未信,則忠諫以為厲已,況群小之盛,欲揜君子,而欲以辨說自解乎?欲以辨說自解,益足以致困,故曰有言不信,尚口乃窮也。象曰:澤無水,困,君子以致命遂志。澤有水則足以及物,澤無水則非徒利不足以及物而已,且無以利其身,故其象則為困。君子之道足以通天地、亨萬物,而況其身乎?以君子而無所逃困,則命也,非力之能爭也,於是君子以致命遂志。致命而不致力,則志自遂矣,所以險以說、困而不失其亨也。

兌は口舌と為りて上体に在るは、口を尚ぶの象有るなり。且つ人の未だ信ぜざれば、則ち忠諫以て己を厲(やま)うと為す。況んや群小の盛ん、君子を揜わんと欲して、而して辨説を以て自ら解かんと欲するをや。辨説を以て自ら解かんと欲すれば、益々以て困を致すに足る。故曰く、言有りて信ぜられず、口を尚すれば乃ち窮まるなりと。『象』に曰く、沢水无し、困、君子以て命を致して志を遂ぐと。沢水有れば則ち以て物に及ぶに足る。沢水无ければ則ち徒らに利以て物に及ぶに足らざるのみならず、且つ以て其の身を利する无し。故に其の象は則ち困と為る。君子の道以て天地を通じ万物を亨らするに足る、而して況んや其の身をや。君子を以て困を逃るる所无ければ、則ち命なり、力の争う能くする所に非ざるなり。是に於て君子命を致して志を遂ぐ。命を致して力を致さざれば、則ち志自ら遂ぐ。険にして説び、困みて其の亨を失わざる所以なり。

初六:臀困于株木,入于幽谷,三歲不覿。象曰:入于幽谷,幽不明也。在下而無能為者,臀也,初六之象也。木有庇下之道,茂其枝葉;而徒有株焉,則不能庇其下矣。九四困於九二而不能庇初六,既無能為之才,而所應又無庇下之道,此非所困而困焉。處坎險之底而體暗下之性,則入于幽谷者也;進則困于株木而不見庇,退又入于幽谷而不得達,此困而失其所亨者也。是過三歲則必出而覿明也。

初六の爻辞に言う、「臀(しり)株木(しゅぼく)に困む、幽谷に入り、三歳覿(てき、あ)わず」と。『小象伝』に言う、「幽谷に入るは、幽にして明ならざるなり」と。下に在りて為す能くする无きは、臀なり、初六の象なり。木下を庇(ひ)うの道有り、其の枝葉を茂らせば。而して徒らに株有るのみなれば、則ち能く其の下を庇わず。九四九二に困みて初六を庇う能わず。既に為す能くするの才无く、而して応ずる所又下を庇うの道无し。此れ困る所に非ざるにして困めるなり。坎険の底に処りて暗下の性を体すれば、則ち幽谷に入る者なり。進めば則ち株木に困みて庇うを見ず、退けば又幽谷に入りて達するを得ず。此れ困みて其の亨る所を失う者なり。是れ三歳を過ごせば則ち必ず出でて明に覿わん。

九二:困于酒食,朱紱方來,利用亨祀,征凶,無咎。象曰:困于酒食,中有慶也。九五中正在上,有需于酒食之才,方困於劓刖,施不得以及下,而九二不得所需焉,則困于酒食者也。然九五乃徐有說,理不終困,方將來而應二,故曰朱紱方來。

九二の爻辞に言う、「酒食に困む、朱紱(しゅひつ)方に來る、亨祀(きょうし)を用いて利し、征せば凶、咎无し」と。『小象伝』に言う、「酒食に困むは、中慶有るなり」と。九五中正上に在るは、酒食に需(う)けるの才有り、方に劓刖(ぎげつ)に困みて、施し以て下に及ぶを得ず。而して九二其の需む所を得ざれば、則ち酒食に困む者なり。然れども九五乃ち徐(しず)かに説(よろこ)び有り、理終に困まらず、方に將に來りて二に応ぜんとす。故曰く、朱紱方に來ると。

朱紱者,天子之所以飾下者也。朱紱雖有飾下之象,異乎株木無庇下之才,然能飾乎身而無所加乎人,以其尚處困故也。亨祀者,人臣之所以事宗廟也;祭祀者,天子之所以事百神也。臣得君然後能保宗廟,故九二朱紱方來則利用亨祀也;君得臣然後能爭百神,故九五困於朱紱、乃徐有說,則利用祭祀也。

朱紱とは、天子の下を飾る所以なり。朱紱下を飾るの象有ると雖も、株木の下を庇うの才无きに異なり。然れども能く身を飾りて人に加うる所无きは、其の尚ほ困に処るを以てなり。亨祀とは、人臣の宗廟に事うる所以なり。祭祀とは、天子の百神に事うる所以なり。臣君を得て然る後に能く宗廟を保つ。故に九二朱紱方に來れば則ち亨祀を用いて利し。君臣を得て然る後に能く百神に争(あらが)う。故に九五朱紱に困み、乃ち徐かに説び有れば、則ち祭祀を用いて利し。

六三:困于石,據于蒺藜,入于其宮,不見其妻,凶。象曰:據于蒺藜,乗剛也;入于其宮,不見其妻,不祥也。石,止而不動,上六也;蒺藜,剛而善傷,九二也。且以困而視夫蹇與坎,難尤甚焉,則是困者難之極也。物極必反,故困不能久。若初六闇下,猶三歲不覿焉,是以得其所困與非所困而困,固有辨也。

六三の爻辞に言う、「石に困み、蒺藜(しつり、いばら)に拠(よ)る、其の宮に入りて、其の妻を見ず、凶」と。『小象伝』に言う、「蒺藜に拠るは、剛に乗ずるなり。其の宮に入りて其の妻を見ざるは、祥(さき、よ)からざるなり」と。石とは、止まりて動かず、上六なり。蒺藜とは、剛にして善(よ)く傷つく、九二なり。且つ困を以て夫れ蹇と坎とを視れば、難尤(いっそう)甚し。則ち是れ困とは難の極なり。物極まれば必ず反(かえ)る。故に困久しき能わず。若し初六暗下にして、猶ほ三歳覿わざれば、是の以て其の困る所を得ると困る所に非ざるにして困ると、固より辨有るなり。

困不足責也,所困也,以困之既終,則復得酒食之養也。乃若困于石,則非所困而困焉者也;以困之既終,則亦頑然不動,猶若困之初也。上既困于石,非所困而困;又據于蒺藜,非所據而據,名辱身危,自底於滅,不祥莫甚焉。妻固所有之妻,猶不見,況非其應乎?

困むは責むるに足らざるなり、困る所なり。困の既に終わるを以てすれば、則ち復た酒食の養いを得るなり。乃ち若し石に困めば、則ち困る所に非ざるにして困める者なり。困の既に終わるを以てすれば、則ち亦た頑(がん)として動かず、猶ほ困の初めの若し。上既に石に困むは、困る所に非ざるにして困む。又蒺藜に拠るは、拠る所に非ざるにして拠る。名辱められ身危うく、自ら滅に底(いた)る。祥からざるは甚だしきは莫し。妻は固より有する所の妻にして、猶ほ見えず。況んや其の応に非ざるをや。

九四:來徐徐,困于金車,吝,有終。象曰:來徐徐,志在下也;雖不當位,有與也。九四所志在應初,而九二為之難,不敢亟犯以進也,故曰來徐徐。蓋九二有朱紱方來之勢,而九五有乃徐有說之理,假少頃則二自應五,弗復為初九之難矣,九四所以來徐徐而俟之也。

九四の爻辞に言う、「來ること徐徐(じょじょ)たり、金車(きんしゃ)に困む、吝なるも終わり有り」と。『小象伝』に言う、「來ること徐徐たるは、志下に在るなり。位に当らずと雖も、与する有るなり」と。九四志初に応ずるに在るにして、而して九二之が難を為す。敢えて亟(すみや)かに犯して進まず。故曰く、來ること徐徐たりと。蓋し九二朱紱方に來るの勢い有り、而して九五乃ち徐かに説び有るの理有り。少頃を假(か)せば則ち二自ら五に応じ、復た初九の難と為らざるなり。九四の來ること徐徐として之を俟(ま)つ所以なり。

金車謂九二也。夫金剛而能變,能變明非牽於初者也;車方以載上,載上則非比下者也。九二之才如此,而四反畏之,徐徐不敢進,所以為吝也;所以有終者,為其有與,不終為物奪也。九五:劓則困于赤紱,乃徐有說,利用祭祀。象曰:劓刖,志未得也;乃徐有說,以中直也;利用祭祀,受福也。上見揜於柔而害其通,故稱劓;下見陵於剛而害其行,故稱刖。則赤紱者,人臣之所以飾下也,謂九二也;九二自賁其身,又且飾下而不應上,故曰困于赤紱也。

金車は九二を謂うなり。夫れ金は剛にして能く変ず、能く変ずれば則ち明らかに初に牽かるる者に非ざるなり。車は方に上を載するを以てす、上を載すれば則ち下に比(ひ)する者に非ざるなり。九二の才此くの如くにして、四反つて之を畏れ、徐徐として敢えて進まず。吝と為る所以なり。終わり有る所以は、其れ与する有るを為る、終に物に奪はれざるなり。九五の爻辞に言う、「劓刖(ぎげつ)して赤紱(せきひつ)に困む、乃ち徐かに説び有り、祭祀を用いて利し」と。『小象伝』に言う、「劓刖は、志未だ得ざるなり。乃ち徐かに説び有るは、中直(ちゅうちょく)を以てなり。祭祀を用いて利しは、福を受くるなり」と。上柔に揜われて其の通を害せらるを見る、故に劓と称す。下剛に陵(しの)がれて其の行を害せらるを見る、故に刖と称す。則ち赤紱とは、人臣の下を飾る所以、九二を謂うなり。九二自ら其の身を賁(かざ)り、又且つ下を飾りて上に応ぜず。故曰く、赤紱に困むと。

九五上見揜於柔、下見陵於剛,則與六三進而困于石、退而據于蒺藜亦無以異也;而九五乃徐有說者,以九五中直故也。蓋中立而不倚其身,直行而不迃其心,則雖不得乎明必得其幽,雖不利乎先必利乎後,此同人九五所以先號咷後笑,而困之九五所以乃徐有說也。有說則九二來應而得臣矣;得臣故利用祭祀。何則?尊上帝在乎籲俊故也;籲俊乃可以尊上帝,況百神乎?宜其祭祀而受福也。

九五上柔に揜わるるを見、下剛に陵がるるを見れば、則ち六三の進みて石に困み退きて蒺藜に拠ると亦た以て異なる无し。而して九五乃ち徐かに説び有るは、九五一中直を以てなり。蓋し中に立ちて其の身を倚らせず、直く行いて其の心を迂(う)えらせざれば、則ち明を得ざると雖も必ず其の幽を得、先を利せざると雖も必ず後を利す。此れ同人九五の先づ号咷し後に笑う所以、而して困の九五の乃ち徐かに説び有る所以なり。説び有れば則ち九二來りて応じて臣を得る。臣を得れば故に祭祀を用いて利し。何となれば、上帝を尊ぶは俊を吁(よ)ぶに在るが故なり。俊を吁ばば乃ち以て上帝を尊ぶ可し。況んや百神をや。其の祭祀して福を受くる宜しきなり。

上六:困于葛藟,于臲卼,曰動悔,有悔,征吉。象曰:困于葛藟,未當也;動悔有悔,吉行也。上六牽於初,困于葛藟者也;乗於五剛,困于臲卼者也。初柔不可牽,則逺之可也;五剛不可乗,則去之可也。此困之終,有自通之路,可以行而求吉之時;若自為謀曰動而有悔,則有悔必矣。其所以自謀如此而不礙於行者,以不豫決陰之性故也。

上六の爻辞に言う、「葛藟(かつるい、かずら)に困み、臲卼(げつげつ、ぐらつき)に於て、曰く動けば悔い、悔い有り、征せば吉」と。『小象伝』に言う、「葛藟に困むは、未だ当らざるなり。動けば悔い悔い有るは、吉は行くなり」と。上六初に牽かるるは、葛藟に困む者なり。五剛に乗ずるは、臲卼に困む者なり。初柔牽く可からざれば、則ち之を遠ざくる可なり。五剛乗ず可からざれば、則ち之を去る可なり。此れ困の終わり、自ら通ずるの路有り、以て行きて吉を求む可きの時なり。若し自ら謀りて曰く動けば悔い有らん、則ち悔い必ず有るなり。其の自ら謀る此くの如くにして行きて礙(さまた)げられざる所以は、以て陰の性を豫(あらかじ)め決せざるが故なり。

井卦(巽下坎上)

巽下坎上。井:改邑不改井,無喪無得,往來井井,汔至亦未繘井,羸其瓶,凶。彖曰:巽乎水而上水,井;井養而不窮也。改邑不改井,乃以剛中也;汔至亦未繘井,未有功也;羸其瓶,是以凶也。

『井(せい)』卦は下体が巽、上体が坎。卦辞に言う、「井、邑を改めて井を改めず、喪(うしな)う无く得无し、往來井井、汔(ほと)んど至るも亦た未だ井を繘(きつ、くみあ)げず、其の瓶(へい、つるべ)を羸(やぶ)る、凶」と。『彖伝』に言う、「水に巽(い)りて水を上げる、井、井養いて窮まらざるなり。邑を改めて井を改めざるは、乃ち剛中を以てなり。汔んど至るも亦た未だ井を繘げざるは、未だ功有らざるなり。其の瓶を羸るは、是の以て凶なり」と。

井之為卦,巽下而坎上,巽乎水而上水,卦之所以為井也。井譬則性也。君子學以修性,則巽乎水之象也;既盡性矣而推之以及物,則上水之象也。井之為卦,甃之渫之以養其源,則汲之而不窮;人之性知所以養之,則動而愈出,亦猶井而已矣,故井養而不窮也。

井の卦と為るは、巽下りて坎上る、水に巽りて水を上げるは、卦の井と為る所以なり。井は譬(たと)えば則ち性なり。君子学を以て性を修むるは、則ち水に巽るの象なり。既に性を尽くして之を推して以て物に及ぼすは、則ち水を上げるの象なり。井の物と為るは、之を甃(いしが)き之を渫(せつ、さら)えて以て其の源を養えば、則ち之を汲(く)みて窮まらず。人の性養う所以を知れば、則ち動きて愈々出づ、亦た猶ほ井のみ。故に井養いて窮まらざるなり。

養源於內而用之不窮,則眾共資之以為生、利之以為說,故邑可改也。遷都改邑,重事也;邑可改而井不可改者,立本之有地也。剛中者,天徳之盛也;天命之謂性,則剛中之徳固其所性之中矣,以是立本,故不可改,亦猶天之不可變也。

内に源を養いて之を用いて窮まらざれば、則ち衆共に之に資(よ)りて以て生と為し、之を利して以て説びと為す。故に邑改む可きなり。都を遷し邑を改むるは、重事なり。邑改む可きにして井改む可からざるは、本を立つるの地有るなり。剛中とは、天徳の盛んなり。天命の性と謂うは、則ち剛中の徳固より其の性の中なり。是を以て本を立つれば、故に改む可からず。亦た猶ほ天の変わる可からざるが如し。

傳曰:聖人外化而內不化。改邑,所謂外化也;不改井,所謂內不化也。外化所以趍時,內不化所以立本也。故徳之地而不可改,則孟子所謂分定是也。分定,則窮居不損,何喪之有?盛行不加,何得之有?故曰無喪無得也。無得喪於其心,故往者取之,來者取之,取舍不同而吾之為井一也,故曰往來井井。

伝に曰く、聖人外は化し而して内は化せずと。邑を改むるは、所謂外化すなり。井を改めざるは、所謂内化せざるなり。外化するは時に趨る所以、内化せざるは本を立つる所以なり。故に徳の地にして改む可からざれば、則ち孟子の謂う分定(ふんじょう)是れなり。分定なれば、則ち窮居も損なわず、何の喪うか有らんや。盛行も加わらず、何の得るか有らんや。故曰く、喪う无く得无しと。其の心に得喪无ければ、故に往く者之を取り、來る者之を取る。取舍同じからずして吾が井と為るや一なり。故曰く、往來井井と。

九二巽乎水而在中,汔至者也;然未出,則未繘井者也;無應乎上,則羸其瓶者也。井以上出為功,今未繘井而羸其瓶,是以凶也。象曰:木上有水,井,君子以勞民勸相。不改井者,言性也;井道不可不革者,言治性也。性治而後善,則必以五教率天下而性其逸惰之民,故曰勞民;民勞則善心生矣。然民之勞也,有欲為之志而無能為之才者有矣,有能為之才而無慾為之志者有矣。無慾為之志,則君子勸之,勸之則知勉矣;無能為之才,則君子相之,相則有成矣。

九二水に巽りて中に在るは、汔んど至る者なり。然れども未だ出でざれば、則ち未だ井を繘げざる者なり。上に応无ければ、則ち其の瓶を羸る者なり。井上に出づるを以て功と為す。今未だ井を繘げずして其の瓶を羸れば、是の以て凶なり。『象』に曰く、木上に水有り、井、君子以て民を労(ねぎら)い相(たす)くるを勧むと。井を改めざるは、性を言うなり。井道革(あらた)めざる可からざるは、性を治むるを言うなり。性治まりて然る後に善なれば、則ち必ず五教を以て天下を率いて其の逸惰(いつだ)の民を性と為す。故曰く、民を労うと。民労すれば則ち善心生ず。然れども民の労するや、之を為さんと欲するの志有りて之を為す能くするの才无き者有り、之を為す能くするの才有りて之を為さんと欲するの志无き者有り。之を為さんと欲するの志无ければ、則ち君子之を勧む、之を勧むれば則ち勉むるを知る。之を為す能くするの才无ければ、則ち君子之を相く、之を相くれば則ち成る有り。

初六:井泥不食,舊井無禽。象曰:井泥不食,下也;舊井無禽,時舍也。初六以陰在下而上無應以引之,井泥不食者也。禽之於井無澤,無禽向之則井道廢矣。然則其不食,非特不如九三之不食也,乃為時之所舍者也。

初六の爻辞に言う、「井泥(せいでい)食(く)われず、旧井禽无し」と。『小象伝』に言う、「井泥食われざるは、下なり。旧井禽无きは、時舎(す)てらるるなり」と。初六陰を以て下に在りて上之を引くに応无きは、井泥食われざる者なり。禽の井に於て沢无ければ、禽之に向わざれば則ち井道廃る。然らば則ち其の食われざるは、特に九三の食われざるに如かざるのみならず、乃ち時の舎てらるる所と為るなり。

夫井有不窮之用,可以應無方之求;苟不可以應無方之求,則是其養之未至也。故井道必期於食,食之然後井之功成焉。若夫既可食矣而不見食,則命也,吾無喪焉,九三之不食是矣。

夫れ井窮まらざるの用有り、以て方无きの求めに応ず可し。苟も以て方无きの求めに応ず可からざれば、則ち是れ其の養うの未だ至らざるなり。故に井道必ず食わるるに期す、食われて然る後に井の功成る。若し夫れ既に食う可きにして食われざれば、則ち命なり、吾喪う无きなり。九三の食われざる是れなり。

九二:井谷射鮒,甕敝漏。象曰:井谷射鮒,無與也。井谷者,旁出而下流者也;射鮒,小物在下者也。稱甕,則既汲而上矣;敝則漏,自上趍下而井之井亡焉。蓋中人者可導而在下者也;九二在中而不正,其自守不固矣。上有與以引之則上達,無與以引之則下達,故有谷射鮒魚、甕敝漏之象,而孔子謂之無與也。

九二の爻辞に言う、「井谷(せいこく)鮒(ふ)を射(よ)る、瓮(おう)敝(やぶ)れて漏る」と。『小象伝』に言う、「井谷鮒を射るは、与する无きなり」と。井谷とは、旁(かたわ)らより出でて下に流るる者なり。鮒を射るは、小物下に在る者なり。瓮と称すれば、則ち既に汲みて上る。敝れれば則ち漏る、上より下に趨りて井の井亡(な)くなるなり。蓋し中人は導く可きにして下に在る者なり。九二中に在りて正ならず、其の自ら守る固からず。上与する有りて以て之を引けば則ち上達す、与する无きて以て之を引かざれば則ち下達す。故に谷鮒魚を射、瓮敝れて漏るの象有り。而して孔子之を与する无しと謂うなり。

九三:井渫不食,為我心惻,可用汲,王明,並受其福。象曰:井渫不食,行惻也;求王明,受福也。九三陽也,故為井渫;下也,故為不食。井渫可食而不食,故或者為我心惻焉。人為我惻而我未嘗惻,所謂人不知而不慍,故可用汲也。若其不為人惻,則是所謂時者也,不可用汲也;雖為人惻而我亦自惻,則又非所謂無喪無得者也,亦不可用汲也。

九三の爻辞に言う、「井渫(せいせつ)して食われず、我が心を惻(そく)たらしむ、汲むに用う可し、王明なれば、并(とも)に其の福を受く」と。『小象伝』に言う、「井渫して食われざるは、行く者惻むなり。王明を求むるは、福を受くるなり」と。九三は陽なり、故に井渫と為る。下なり、故に食われずと為る。井渫して食う可きにして食われざれば、故に或いは我が心を惻たらしむる有るなり。人我を惻みて我未だ嘗て惻まざるは、所謂人知らずして慍(うら)みざるなり。故に汲むに用う可し。若し其の人に惻まれざれば、則ち是れ所謂時なり、汲むに用う可からざるなり。人に惻まるると雖も而我も亦た自ら惻めば、則ち又所謂喪う无く得无き者に非ざるなり、亦た汲むに用う可からざるなり。

有可用汲之才而王明焉,則已與王並受其福矣。蓋井渫而不食,則是不為時所知者也;王之不明而徇一時之好惡,則無由汲矣,故九三求王明,非明則不合也。君聖臣賢,天下之盛福,況君臣乎?並受其福明矣。

汲むに用う可きの才有りて王明なれば、則ち己と王并に其の福を受くるなり。蓋し井渫して食われざれば、則ち是れ時に知られざる者なり。王の明ならずして一時の好悪に徇(したが)わば、則ち汲むに由(よ)る无し。故に九三王明を求む、明に非ざれば則ち合わざるなり。君聖にして臣賢なれば、天下の盛福、況んや君臣をや。并に其の福を受くる明らかなり。

六四:井甃,無咎。象曰:井甃無咎,修井也。六四在上,宜以動出為功者也,而以陰居陰乃反靜焉;然靜而正,得修井之道,故無咎也。夫務在利人而以動出為事者,必其在我者既裕也;在我者未裕而務在利人,則其涸也可立而待也。六四知其不裕,靜而正以自修焉,則其靜也乃所以為動出者,何咎之有哉?

六四の爻辞に言う、「井甃(せいしゅう)す、咎无し」と。『小象伝』に言う、「井甃して咎无きは、井を修むるなり」と。六四上に在るは、宜しく動きて出づるを以て功と為すべき者なり。而して陰を以て陰に居れば乃ち反つて静なるなり。然れども静にして正しければ、井を修むるの道を得る、故に咎无きなり。夫れ務めて人を利して動きて出づるを以て事と為す者は、必ず其の我に在る者既に裕かなり。我に在る者未だ裕かならずして務めて人を利すれば、則ち其の涸(か)るるや立ちて待つ可し。六四其の裕かならざるを知りて、静にして正しきを以て自ら修むれば、則ち其の静なるや乃ち動きて出づる者と為す所以なり。何の咎か有らんや。

九五:井冽寒泉食。象曰:寒泉之食,中正也。冽之為言,清也。井渫者,渫而後清;井冽則自清也,故井渫譬其修性,井冽譬其盡性也。其井冽、其泉寒,又在上而食焉,此聖人盡已之性而推之以及物者也。象曰中正也:人之性本中正,然徒以失中而偏、失正而邪,故不善耳;聖人盡性豈有他哉?不失其所受之中正而已矣。

九五の爻辞に言う、「井冽(せいれつ、きよ)し寒泉食わる」と。『小象伝』に言う、「寒泉の食わるるは、中正なり」と。冽の言と為るは、清(きよ)しなり。井渫とは、渫えて然る後に清し。井冽は則ち自ら清し。故に井渫は其の性を修むるを譬え、井冽は其の性を尽くすを譬う。其の井冽け、其の泉寒し、又上に在りて食わる。此れ聖人己の性を尽くして之を推して以て物に及ぼす者なり。象に曰く中正なり。人の性本より中正なり、然れども徒らに中を失い偏(かたよ)り、正を失い邪(よこしま)なるを以て、故に善ならざるのみ。聖人の性を尽くすは豈に他有らんや。其の受くる所の中正を失わざるのみ。

上六:井收勿幕,有孚無吉。象曰:元吉在上,大成也。此井道之大成也。井道大成,宜以不窮之用應無方之求,故曰勿幕。陰之性,故有勿幕之戒焉。井道大成而幕,則是有周公之才之美而使吝也。

上六の爻辞に言う、「井收(おさ)めて幕(と)ざす勿れ、孚有りて元吉」と。『小象伝』に言う、「元吉上に在るは、大成(たいせい)なり」と。此れ井道の大成なり。井道大成すれば、宜しく窮まらざるの用を以て方无きの求めに応ずべし。故曰く、幕ざす勿れと。陰の性、故に幕ざす勿れの戒め有るなり。井道大成して幕せば、則ち是れ周公の才の美有りて吝(りん)ならしむる有るなり。

革卦(離下兌上)

離下兌上。革:已日乃孚,元亨利貞,悔亡。彖曰:革,水火相息,二女同居,其志不相得,曰革。已日乃孚,革而信之;文明以說,大亨以正;革而當,其悔乃亡。天地革而四時成,湯武革命,順乎天而應乎人,革之時大矣哉。

『革(かく)』卦は下体が離、上体が兌。卦辞に言う、「革、已日(いじつ)乃ち孚(まこと)なり、元亨利貞、悔亡ぶ」と。『彖伝』に言う、「革は、水火相息(そく)し、二女同居して、其の志相得ず、革と曰う。已日乃ち孚は、革して之を信ず。文明にして説び、大亨して正し。革して当れば、其の悔乃ち亡ぶ。天地革して四時成り、湯武革命し、天に順いて人に応ず。革の時大なるかな」と。

傳曰:因者,君之綱也。君以因為綱,則疑若廢革;然所謂革者,因在其中矣。蓋當其可革而革,則亦因之謂也。革不廢因,故因形者為化,存質者為革也;金之從革也,質存焉,楊子以革、化並言之是也。革之為道,可息則息之,如水火之相息;可服則服之,如二女不同居,蓋亦不廢因之謂也。

伝に曰く、因(いん)とは、君の綱なりと。君因を以て綱と為せば、則ち革を廃するが若く疑う。然れども所謂革とは、因其の中に在るなり。蓋し其の革すべきに当りて革すれば、則ち亦た因の謂なり。革因を廃せず。故に形に因る者は化と為り、質を存する者は革と為るなり。金の革に従うや、質存するなり。楊子革、化を并せて之を言うは是れなり。革の道と為るは、息すべければ則ち之を息し、水火の相息するが如し。服すべければ則ち之を服す、二女同居せざるが如し。蓋し亦た因を廃せざるの謂なり。

雖不廢因,然革生以為熟,革剛以為柔,革柔以為剛,既以為剛,既以去其故矣,則人為求舊之情不能無危疑而不安者。惟聖人盡革之道而功利見於世,是以已日乃孚也。文明故能革陋以為華,說故能革倦以為樂。文明者,禮也;說者,義也。以禮義為革,故能大亨以正,則革而當矣,是變亂之悔亡焉。

因を廃せずと雖も、然れども革は生を以て熟と為し、革は剛を以て柔と為し、革は柔を以て剛と為す。既に以て剛と為れば、既に以て其の故を去る。則ち人の旧を求むるの情危疑して安んぜざる者无き能わず。惟れ聖人革の道を尽くして功利世に見ゆる。是の以て已日乃ち孚なり。文明なるが故に能く陋(ろう)を革して華と為し、説ぶが故に能く倦(けん)を革して楽しみと為す。文明とは、礼なり。説びとは、義なり。礼義を以て革と為れば、故に能く大亨して正し。則ち革して当る、是れ乱を変ずるの悔亡ぶなり。

天地不革而四時不成,則湯武之於革命豈得已哉?順天應人而已。人之於天,逆之則凶;其於人也,違之則怒。不順乎天、不順乎人,固不可以立於世,何必聖人而然哉?其說以謂:心非貴黃屋而富天下也,順天而不敢逆也,應人而不敢違也。夫天命之難諶而知所以順之,人心之難察而知所以應之,此則非大人不足以與此。

天地革せざれば四時成らず。則ち湯武の革命に於て豈に已むを得んや。天に順い人に応ずるのみ。人の天に於ては、之に逆えば則ち凶。其れ人に於ては、之に違えば則ち怒る。天に順わず、人に順わざれば、固より以て世に立つ可からず。何必ぞしも聖人にして然らんや。其の説以て謂う、心は黄屋を貴び天下を富むに非ざるなり。天に順いて敢えて逆わず、人に応じて敢えて違わざるなり。夫れ天命の谌(たの)み難きを以て順う所以を知り、人心の察り難きを以て応ずる所以を知る。此れ則ち大人に非ざれば以て此に与(あずか)るに足らざるなり。

象曰:澤中有火,革,君子以治歴明時。天地革而四時成,其革也又有數存焉;治歴以推其數,而時之消息明矣,敬以授人,所以理天地而為革也。初九:鞏用黃牛之革。象曰:鞏用黃牛,不可以有為也。人之有文明之才而體炎上之性,則必喜以功業自見乎時,君子所欲也;然上無其應,不可以有為,則以中順自固其志,待上革而後可,不然,動而見括,無益於革也。

『象』に曰く、沢中に火有り、革、君子以て歴を治め時を明らかにすと。天地革して四時成る、其の革や又有た数存るなり。歴を治めて以て其の数を推せば、而して時の消息明らかなり。敬して以て人に授うるは、天地を理(おさ)めて革と為す所以なり。初九の爻辞に言う、「鞏(きょう、かた)むるに黄牛の革を用い」と。『小象伝』に言う、「鞏むるに黄牛を用うるは、以て為す有る可からざるなり」と。人文明の才有りて炎上の性を体すれば、則ち必ず喜んで功業を以て時に自ら見ゆる、君子の欲する所なり。然れども上其の応无ければ、以て為す有る可からず。則ち中順を以て其の志を自ら固くし、上の革するを待ちて然る後に可なり。然らざれば、動きて括(くつ、つつ)まるを見る。革に益无きなり。

六二:已日乃革之,征吉無咎。象曰:已日革之,行有嘉也。已日乃孚,言革之功;已日乃革,言革之事。革之功則君所專,革之事則臣所與;然而革之事反常而為經,非君之則不可以先事,故六二雖見應於上而有可為之勢,亦以已日然後革也。革道貴剛而二柔順,必徵然後吉無咎,徵者所謂跂而及之也。

六二の爻辞に言う、「已日(いじつ)乃ち之を革す、征せば吉咎无し」と。『小象伝』に言う、「已日之を革するは、行に嘉(よ)き有るなり」と。已日乃ち孚とは、革の功を言うなり。已日乃ち革すとは、革の事を言うなり。革の功は則ち君の専らにする所、革の事は則ち臣の与(あずか)る所。然れども革の事は常に反(かえ)りて経(きょう)と為る、君の則に非ざれば以て事に先だつ可からず。故に六二上に応じ見えて為す可きの勢い有ると雖も、亦た已日を以て然る後に革す。革道は剛を貴ぶ、而して二は柔順なり。必ず征して然る後に吉咎无し。征とは所謂跂(き、つまだ)ちて及ぶの謂なり。

九三:征凶,貞厲,革言三就,有孚。象曰:革言三就,又何之矣。剛過乎中,故征凶正厲;然剛不失正,以之革物,則物之從之者眾矣,故曰革言三就有孚。夫以言為革,未若不待言而革者;然人不可以言教令使,而今以言為革,物多從之,則必信有在於言前、誠有在於令外者也;不則徒以言為革,何足令哉?

九三の爻辞に言う、「征せば凶、貞厲(ていれい)、革言三就(さんしゅう)、孚有り」と。『小象伝』に言う、「革言三就とは、又何くに之(ゆ)かん」と。剛中を過ぐれば、故に征せば凶貞厲なり。然れども剛正を失わず、以て物を革すれば、則ち物の之に従う者衆し。故曰く、革言三就孚有りと。夫れ言を以て革と為すは、未だ言を待たずして革する者に若かず。然れども人は言教令(きょうりょう)を以て使う可からざるなり。而今言を以て革と為して、物多く之に従えば、則ち必ず信言の前に在り、誠令の外に在る者有るなり。不(ふ)なれば則ち徒らに言を以て革と為す、何ぞ以て令するに足らんや。

九四:悔亡,有孚改命,吉。象曰:改命之吉,信志也。九四雖不當位而無私與,故悔亡;悔亡則上信之矣,故有孚。夫自立於無過之地,上又至誠勿貳而與之,則非徒可以革下而已,上命之不善亦可以改矣。傳曰:從道不從君。此之謂也。所惡於革,而不當也;何嫌之有?是以君有革命、臣有改命而不疑也。

九四の爻辞に言う、「悔亡ぶ、孚有りて命を改む、吉」と。『小象伝』に言う、「命を改むるの吉は、志を信ぜらるるなり」と。九四位に当らずと雖も而して私(わたくし)与する无し。故に悔亡ぶ。悔亡べば則ち上之を信ず。故に孚有り。夫れ自ら過无きの地に立ち、上又至誠貳(ふた)つ无くして之と与せば、則ち徒らに以て下を革する可きのみならず、上命の善ならざるも亦た改む可し。伝に曰く、道に従いて君に従わずと。此れの謂なり。革に悪(にく)む所は、当らざるを以てなり。何の嫌いか有らんや。是の以て君革命有り、臣命を改むる有りて疑われざるなり。

九五:大人虎變,未占有孚。象曰:大人虎變,其文炳也。剛中,大人之才也;以剛革,有虎變之象焉。傳曰:通其變,遂成天地之文。大人從事於變,則天地之文成矣,是以其文炳然而盛也。大人之為革也,革不以言;不以言而以道,故天下自革也。革不以面而以心,是以其孚見於未占,不待已日也。已日乃孚,為革者之所同也;未占有孚,大人之所獨也。

九五の爻辞に言う、「大人虎変(こへん)す、未だ占わずして孚有り」と。『小象伝』に言う、「大人虎変するは、其の文炳(へい)たるなり」と。剛中とは、大人の才なり。剛を以て革すれば、虎変の象有るなり。伝に曰く、其の変に通じて、遂に天地の文を成すと。大人変に従事すれば、則ち天地の文成る。是の以て其の文炳として盛んなり。大人の革と為るや、革は言を以てせず。言を以てせずして道を以てすれば、故に天下自ら革す。革は面(おもて)を以てせずして心を以てすれば、是の以て其の孚未だ占わざるに見ゆ、已日を待たざるなり。已日乃ち孚は、革を為す者の同じくする所なり。未だ占わずして孚有りは、大人の独りする所なり。

上六:君子豹變,小人革面,征凶,居貞吉。象曰:君子豹變,其文蔚也;小人革面,順以從君也。上六,豹者,其文之蔚然而茂密者也。君子通變而成制作之文,其蔚宻矣,而不若大人之文明盛如虎也,故曰君子豹變矣。茂末則本衰,文盛則質喪;君子之文至於茂宻如豹,可謂盛矣,是以其化淺、其功顯,徒能使小人革面而非心服也。象曰順以從君者,以謂民之從君乃其分耳,非果迴心而向道也。

上六の爻辞に言う、「君子豹変(ひょうへん)す、小人面を革す、征せば凶、居りて貞吉」と。『小象伝』に言う、「君子豹変するは、其の文蔚(うつ)たるなり。小人面を革するは、順にして以て君に従うなり」と。上六は、豹とは、其の文の蔚として茂密(もみつ)なる者なり。君子変に通じて制作の文を成す、其の蔚密なり、而して大人の文明の盛んなること虎の如くに若かず。故曰く、君子豹変すと。末茂れば則ち本衰え、文盛んなれば則ち質喪(ほろ)ぶ。君子の文茂密なること豹の如くに至れば、盛んと謂う可し。是の以て其の化浅く、其の功顕(あらわ)る、徒らに能く小人面を革さしめて心服(しんぷく)に非ざるなり。象に曰く順にして以て君に従うは、以て民の君に従うは乃ち其の分のみ、果して心を回(めぐ)らして道に向うに非ざるを謂うなり。

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