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无妄卦(震下乾上)

宋 · 耿南仲 · 第8巻 / 14

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

震下乾上。無妄:元亨利貞,其匪正有眚,不利有攸往。彖曰:無妄,剛自外來而為主於內,動而健,剛中而應,大亨以正,天之命也。其匪正有眚,不利有攸往,無妄之往何之矣?天命不佑,行矣哉。序卦曰:復則不妄。蓋誘於物而自內出,則賓以從物,無往而不妄;遺物而自外來,則有主於中而性之貴得矣,故無妄之成卦,在剛自外來而為主於內也。

『无妄』卦は下体が震、上体が乾。卦辞に言う、「无妄、元亨利貞、其れ正に匪(あら)ざれば眚(あやま)ち有り、往く所有るに利しからず」と。『彖伝』に言う、「无妄は、剛自り外より來りて内に主と為り、動きて健なり、剛中にして応有り、大亨以て正なり、天の命なり。其れ正に匪ざれば眚ち有り、往く所有るに利しからざるは、无妄の往くは何に之(ゆ)かんや。天命佑(たす)けず、行かんや」と。序卦に曰く、復は則ち妄ならずと。蓋し物に誘われて自り内より出づれば、則ち賓にして以て物に従い、往かずして妄ならざるは无し。物を遺(す)てて自り外より來れば、則ち中に主有りて性の貴を得るなり。故に无妄の成卦は、剛自り外より來りて内に主と為るに在るなり。

剛自外來而為主,既不妄矣,是故動而健。何則?乗流而下者易以至,背風而馳者易以逺;今因性循理而不妄,是亦乗流而下、背風而馳之類也,其勢可勝御哉?既動而健矣,又九五之才剛中而應。夫剛不及中則易入為邪,剛過中則謂誠者所居以類至也。夫如是,則大亨以正矣。

剛自り外より來りて主と為るは、既に妄ならざるなり。是の故に動きて健なり。何ぞや。流に乗りて下る者は以て至るに易く、風に背きて馳る者は以て遠きに易し。今性に因り理に循いて妄ならざれば、是れ亦た流に乗りて下り、風に背きて馳るの類なり。其の勢い御(ふせ)ぐべからんや。既に動きて健なれば、又九五の才剛中にして応有り。夫れ剛中に及ばざれば則ち邪に入るに易し。剛中に過ぐれば則ち誠を謂う者の居る所以類至るなり。夫れ是くの如くなれば、則ち大亨以て正なり。

其畜諸中也,剛自外來而為主於內;其發於外也,動而健;其在天下皆有應無違,則雷之發於地中而行天下、以動化萬物,不過如此。然則剛自外來而為主於內、動而健、剛中而應,以致大亨以正,是天命非人為也。

其の中に畜(たくわ)うるは、剛自り外より來りて内に主と為る。其の外に発するは、動きて健なり。其の天下に在りては皆応有りて違う无し。則ち雷の地中に発して天下を行き、以て万物を動かし化するは、此くの如くに過ぎざるなり。然らば則ち剛自り外より來りて内に主と為り、動きて健なり、剛中にして応有り、以て大亨正を致すは、是れ天命にして人為に非ざるなり。

其匪正有眚,何也?目之虛也,不能受播糠之眯;耳之虛也,不能受聚蚊之蚋,凡以至理之中不受外也。今以匪正而容乎無咎之間,是播糠聚蚊之說也,故其匪正有眚。且無妄之世,雖以無妄行者猶有疑於其妄而或繫之,況以匪正行者乎?故曰不利有攸往,象曰無妄之往何之矣,天命不佑行矣哉。

其れ正に匪ざれば眚ち有りは、何ぞや。目の虚は、播糠(はこう、ぬかをまきあげる)の眯(まい)るを受くる能わず。耳の虚は、聚蚊(しゅうぶん)の蚋(ぜい)を受くる能わず。凡そ至理の中は外を受けざるを以てなり。今匪正を以て咎无きの間に容(い)れんは、是れ播糠聚蚊の説なり。故に其れ正に匪ざれば眚ち有り。且つ无妄の世は、无妄を以て行く者と雖も猶ほ其の妄に疑う有りて或いは之を繋(かか)らしむ。況んや匪正を以て行く者をや。故曰く、往く所有るに利しからずと。象に曰く、无妄の往くは何に之かんや、天命佑けず行かんやと。

象曰:天下雷行,物與無妄,先王以茂對時育萬物。雷在地中,以至地奮而行天下,皆有節焉,未嘗妄也。惟未嘗妄,故能感物而物應之;物之所以感,以乗理應時而不能違也。雷之動息以時,故物以時應而不能違。然則先王又烏能違時而求物之裕,若揠苗者哉?於是先王以茂對時育萬物。謂之茂對,則以四時之中,其氣機蒸濡而不測之變不與焉,則論其育之之法,不為不茂矣。

『象』に曰く、天下雷行く、物无妄に与(あずか)る、先王以て茂く時に対して万物を育すと。雷地中に在り、以て地を奮(ふる)い出でて天下を行くは、皆節有りて未だ嘗て妄ならざるなり。惟れ未だ嘗て妄ならざれば、故に能く物を感じて物之に応ず。物の感ずる所以は、理に乗じ時に応じて能く違わざるを以てなり。雷の動き息み時を以てすれば、故に物時に応じて能く違わざるなり。然らば則ち先王又烏ぞ能く時に違いて物の裕(ゆた)かを求めん、苗を揠(あ)ぐる者の若くせんや。是に於て先王以て茂く時に対して万物を育す。之を茂対と謂うは、則ち四時の中は、其の気機蒸濡(じょうじゅ、むしむしうるおす)して測るべからざる変は与らざるなり。則ち其の育の法を論ずれば、茂からざると為さざるなり。

初九:無妄,往吉。象曰:無妄之往,得志也。雜卦曰:震,起也;艮,止也。艮陽在上,為得其所故止;震陽在下,未得其所而止,未得其所而起,此理之常也。則初九以剛在下而往,亦理之常,豈曰妄哉?故曰無妄往吉也。

初九の爻辞に言う、「妄无し、往きて吉」と。『小象伝』に言う、「妄无きの往くは、志を得るなり」と。雑卦に曰く、震とは起るなり、艮とは止まるなりと。艮の陽は上に在り、其の所を得るを為すが故に止まる。震の陽は下に在り、未だ其の所を得ざれば止まるべからず、未だ其の所を得ざれば起つ。此れ理の常なり。則ち初九剛を以て下に在りて往くは、亦た理の常なり。豈に妄と曰わんや。故曰く、妄无く往きて吉なりと。

六二:不耕穫,不菑畬,則利有攸往。象曰:不耕穫,未富也。唱者,君之分;隨者,臣之分。六二執柔處中,隨而不唱,得臣之分者,故為不耕穫、不菑畬。不耕而獲,言終其功也;不菑而畬,言因其業也。六二體震之性,志於往而近妄者也;惟不耕而獲、不菑而畬,然後利有攸往,言其動如此,不為妄也。

六二の爻辞に言う、「耕さずして獲(と)らず、菑(し)らずして畬(よ)らざれば、則ち往く所有るに利し」と。『小象伝』に言う、「耕さずして獲らずは、未だ富まざるなり」と。唱ふるは君の分、随うは臣の分なり。六二柔を執りて中に処り、随いて唱えざるは、臣の分を得る者なり。故に耕さずして獲らず、菑らずして畬らずと為る。耕さずして獲るは、其の功を終わるを言う。菑らずして畬るは、其の業に因るを言う。六二は震の性を体(たい)し、志往くに在りて妄に近き者なり。惟れ耕さずして獲らず、菑らずして畬らずして、然る後に往く所有るに利し。其の動き此くの如くにして、妄と為らざるを言うなり。

六三:無妄之災,或繋之牛,行人之得,邑人之災。象曰:行人得牛,邑人災也。以柔應剛,其志不妄者也,而九四以剛阻其前,無妄之災也。匪正則稱眚,言人自為之也;無妄則稱災,言天實為之也。柔之為物,順者也;為順,故物或之然,言三之得九四之災也。蓋六三之行不妄,九四疑而繫之,乃所以為無妄,故曰行人之得,邑人災也。

六三の爻辞に言う、「妄无きの災、或いは之を牛に繋ぐ、行人の得、邑人の災」と。『小象伝』に言う、「行人牛を得るは、邑人の災なり」と。柔を以て剛に応ずるは、其の志妄ならざる者なり。而して九四剛を以て其の前に阻む、妄无きの災なり。正に匪ざれば則ち眚(あやま)ちと称す、人自ら為すを言うなり。妄ならざれば則ち災と称す、天実に之を為すを言うなり。柔の物と為るは、順なる者なり。順と為る、故に物或いは之然り。三の九四の災を得るを言うなり。蓋し六三の行妄ならず、九四疑いて之を繋ぐ。乃ち妄无きと為す所以なり。故曰く、行人の得、邑人の災なりと。

九四:可貞,無咎。象曰:可貞無咎,固有之也。其才、其位適當而不偏勝,乃所謂正也。不得不正,則才勝於位猶之可也,位勝其才則不可;九四才勝其位者也,故曰可正。而無咎者,為其足以固其位,與折足覆餗者異矣。

九四の爻辞に言う、「貞にすべし、咎无し」と。『小象伝』に言う、「貞にすべく咎无きは、固有りて之を有するなり」と。其の才、其の位当り適して偏勝(かたよ)らざるは、乃ち所謂正なり。得て正ならざれば、則ち才位に勝るは猶ほ之可なり、位其の才に勝れば則ち可ならず。九四才其の位に勝る者なり。故曰く可正なりと。而して咎无き者は、其の其の位を固くするに足るを為すなり。足を折り餗(そく)を覆す者と異なり。

九五:無妄之疾,勿藥有喜。象曰:無妄之藥,不可試也。易乗則為疾,然九五剛健中正,位乎天徳,與豫六五異矣,則其為疾可勿藥也。勿藥則有喜。蓋以謂蔽之所以為妄,譬諸飲藥以加疾也;非妄也,疑其為妄而繫之;以非疾也,疑於為疾而藥之,妄也。

九五の爻辞に言う、「妄无きの疾、薬する勿れ、喜び有り」と。『小象伝』に言う、「妄无きの薬は、試すべからざるなり」と。易(あなど)られ乗ぜられれば則ち疾と為る。然れども九五剛健中正、位乎天徳の位に在り、豫の六五と異なり。則ち其の疾と為るは勿薬すべし。薬せざれば則ち喜び有り。蓋し蔽の妄と為す所以を以て謂うは、譬えば薬を飲みて以て疾に加わるが如し。妄に非ざるなり、其の妄と疑いて之を繋ぐ。疾に非ざるを以てすれば、疾と為すと疑いて之を薬す、妄なり。

夫眾有之芸芸,迷者以為貞也,悟者以為妄也。以為貞者固非,以為妄者亦未是也。老氏曰:滌際元覽,至理則無一疵矣。若觀一疵而攻之,則是妄。上九:無妄,行有眚,無攸利。象曰:無妄之行,窮之災也。在下而未得其所則動,在上而已得其所則止,此理之常也。今上九懼乾而猶上行,是不知常而妄作者也,宜其有眚而無攸利也。

夫れ衆有の芸芸(うんうん)たるは、迷える者以て貞と為し、悟れる者以て妄と為す。貞と為す者は固より非なり、妄と為す者も亦た未だ是ならざるなり。老氏に曰く、際を滌(あら)いて元観(げんかん)すれば、至理に至れば則ち一疵无きなりと。若し一疵を観て之を攻むれば、則ち是れ妄なり。上九の爻辞に言う、「妄无し、行けば眚ち有り、利する所无し」と。『小象伝』に言う、「妄无きの行は、窮まりの災なり」と。下に在りて未だ其の所を得ざれば則ち動き、上に在りて已に其の所を得れば則ち止まる。此れ理の常なり。今上九乾に懼れて猶ほ上に行くは、是れ常を知らずして妄作する者なり。其の眚ち有りて利する所无き宜しきなり。

大畜卦(乾下艮上)

乾下艮上。大畜:利貞,不家食吉,利渉大川。彖曰:大畜,剛健篤實輝光,日新其徳。剛上而尚賢,能止健,大正也。不家食吉,養賢也。利渉大川,應乎天也。大畜,畜賢之卦也。能畜徳然後畜賢,故先曰剛健篤實輝光日新其徳,言畜徳也;次曰剛上而尚賢,能止健,大正,言畜賢也。

『大畜』卦は下体が乾、上体が艮。卦辞に言う、「大畜、貞に利し、家に食(く)らわざれば吉、大川を渉るに利し」と。『彖伝』に言う、「大畜は、剛健篤実輝光、其の徳を日に新たにす。剛上にして賢を尚び、能く健を止む、大正なり。家に食らわざれば吉は、賢を養うなり。大川を渉るに利しは、天に応ずるなり」と。大畜とは、賢を畜するの卦なり。能く徳を畜して然る後に賢を畜す。故に先に曰く、剛健篤実輝光、其の徳を日に新たにす、徳を畜するを言うなり。次に曰く、剛上にして賢を尚び、能く健を止む、大正、賢を畜するを言うなり。

人之生也,自其赤子含徳已厚矣,惟柔而不能有己也,順而不違物也,故萬物之來,得以搖動而攓取之,於是向之所畜蕩然一散,空空如也。聖人不然,立其大者以剛健,惟剛健故能積而篤實;其發外而為光輝,而其為光輝非若火然薪盡而滅也,足以日新其徳矣。

人の生や、其の赤子より徳を含む已に厚し。惟れ柔にして能く己有る能わず、順にして物に違わず。故に万物の來れば、以て之を揺動して攓取(けんしゅ)るを得。是に於て向の畜う所は蕩然として一散し、空空然たり。聖人は然らず。其の大なる者を立てるに剛健を以てす。惟れ剛健なるが故に能く積みて篤実と為る。其の外に発して輝光と為る。而して其の輝光と為るは火の然(も)えて薪尽きて滅するの若きに非ざるなり。以て其の徳を日に新たにするに足るなり。

日新其徳,故徳日新。徳已新者,徳成之終也;日新其徳者,畜徳之始也。畜徳至於輝光日新其徳,則賢者能者瞿瞿而向之,若輝之類明大矣,於是可以尚賢而止健也。謂之剛上者,上九之謂也。育賢宜以柔,畜賢宜以剛也。尚賢故賢者在位,止健故能者在職;尚賢止健,大者之正也。

其の徳を日に新たにすれば、故に徳日に新たなり。徳已に新たなるは、徳の成るの終なり。其の徳を日に新たにするは、徳を畜するの始めなり。徳を畜するは輝光其の徳を日に新たにするに至れば、則ち賢者能者瞿瞿(くく)として之に向かう。輝の明に類する若く大なり。是に於て以て賢を尚びて健を止む可し。之を剛上と謂うは、上九の謂なり。賢を育するは宜しく柔を以てすべく、賢を畜するは宜しく剛を以てすべし。賢を尚ぶが故に賢者位に在り、健を止むが故に能者職に在り。賢を尚び健を止むは、大なる者の正なり。

賢者能者有養之道,故詩以況嘉魚甘瓠焉。誠能尚賢使能,則天下不待家食而人被其養矣,故曰不家食吉,養賢也。夫涉險犯難,莫利乎能在職;眾助莫盛乎此,故有利涉大川。然則曰應乎天,何也?得人則得天,且既賚以涉難之良弼矣,內之扶之涉難,所以應天也。

賢者能者に養うの道有り。故に詩以て嘉魚甘瓠(かこ)に況(たと)うるなり。誠に能く賢を尚び能を使わば、則ち天下家食を待たずして人其の養いを被(こうむ)る。故曰く、家に食らわざれば吉、賢を養うなりと。夫れ険を渉り難を犯すは、能の職に在るに利するは莫し。衆助(しゅうじょ)は此れに盛んなるは莫し。故に大川を渉るに利し有り。然らば則ち天に応ずると曰うは何ぞや。人を得れば則ち天を得る。且つ既に渉難の良弼(りょうひつ)を以て賚(たま)わらば、内に之を扶(たす)けて難を渉るは、天に応ずる所以なり。

象曰:天在山中,大畜,君子以多識前言往行,以畜其徳。聖人之畜徳也求諸已,所謂剛健篤實輝光日新其徳是也;君子之畜徳也資乎人,所謂多識前言往行是也。有徳必有言,然則前言,徳在中矣;君子成徳為行,然則往行,徳在中矣,故君子之畜徳莫良乎前言往行也。然而前言悉皆徳言也,往行未必皆徳行也,在夫多見而識之;識之,則不逆於所聞矣。

『象』に曰く、天山の中に在り、大畜、君子以て前言往行を多く識(し)りて、以て其の徳を畜すと。聖人の徳を畜するや諸を己に求む。所謂剛健篤実輝光其の徳を日に新たにす是れなり。君子の徳を畜するや人に資(たす)けらる。所謂前言往行を多く識る是れなり。徳有れば必ず言有り。然らば則ち前言は、徳中に在り。君子成徳は行と為る。然らば則ち往行は、徳中に在り。故に君子の徳を畜するは前言往行に良きは莫し。然れども前言は悉く皆徳の言なり。往行は必ずしも皆徳の行ならざるなり。夫れ多く見て之を識るに在り。之を識れば、則ち聞く所に逆わざるなり。

初九:有厲利己。象曰:有厲利己,不犯災也。大畜之時,賢者在所尚,健者在所止。三陽以健進,皆在所止,而初九尤其健之始也。凡事於其正始則常嚴,故初九有厲利己,然後不犯災。所謂己者,謹其分守而不敢進越之謂也。

初九の爻辞に言う、「厲(あやう)し有り、己(や)むに利し」と。『小象伝』に言う、「厲し有り己むに利しは、災いに犯さざるなり」と。大畜の時は、賢者は尚ぶ所に在り、健なる者は止む所に在り。三陽健を以て進む、皆止む所に在り。而して初九は尤も其の健の始めなり。凡事其の正始に於ては則ち常に厳なり。故に初九厲し有り己むに利し、然る後に災いに犯さざるなり。所謂己とは、其の分守を謹して敢えて進み越えざるの謂なり。

九二:輿說輹。象曰:輿說輹,中無尤也。大有以柔有也,故九二大車以載,有攸往無咎;大畜以剛畜也,故九二輿說輹。為臣之道,欲方以載其上、圓以行乎下,故當取象於車焉。大畜之時,方且正君臣之分,取載其上而已,無事乎圓以行於下也,故稱輿焉。輿之所脫輹,以分守之至嚴,未可越而進也。

九二の爻辞に言う、「輿(こし)輹(ふく、車の伏兎)を説(だつ、ぬ)く」と。『小象伝』に言う、「輿輹を説くは、中にして尤(とが)无きなり」と。大有は柔を以て有る、故に九二大車以て載(の)せ、往く所有りて咎无し。大畜は剛を以て畜す、故に九二輿輹を説く。臣と為るの道は、方(ほう)にして以て其の上を載せ、円(えん)にして以て其の下に行うを欲す。故に当に車に取象すべし。大畜の時は、方に且つ君臣の分を正しくせんとす。其の上を載するを取るのみ、円にして以て下に行うに事(つか)うる无し。故に輿と称す。輿の輹を脱する所以は、分守の至厳を以て、未だ越えて進む可からざるなり。

九三:良馬逐,利艱貞,曰閒輿衛,利有攸往。象曰:利有攸往,上合志也。畜至於九三,則君臣之際志交而情通,畜道於是亨矣,故曰良馬逐,言三陽之並進也。方輿脫輹則知艱,及良馬逐則易之,人情之常也;天不假易,故曰利艱貞。又當戒習所以載其上而衛其亨之事,故曰閒衛。

九三の爻辞に言う、「良馬逐(お)う、艱貞に利し、曰く閑(かん、まな)び輿衛す、往く所有るに利し」と。『小象伝』に言う、「往く所有るに利しは、上志に合うなり」と。畜九三に至れば、則ち君臣の際志交わりて情通ず。畜道是に於て亨なり。故曰く良馬逐うと。三陽の並進を言うなり。方に輿輹を脱せば則ち艱を知り、良馬逐うに及べば則ち之を易(あなど)る、人情の常なり。天易を仮(か)さざるなり。故曰く艱貞に利しと。又当に習うべし其の上を載する所以と其の亨を衛るの事と。故曰く閑衛と。

夫方以載上之義,於其脫輹之時固不廢矣;衛其身之智,於其利已之時固不廢矣,非至良馬逐而始為之也,至是又習復而已。語曰:學而時習之。由始而習之於復也。夫利其身而忘其君,不若利其君而忘其身;利其君而忘其身,又不若方以載乎君而周衛其身之為兼得也,故稱輿衛焉。如是然後利有攸往,一有偏廢,則有攸往不利也。

夫れ方にして上を載するの義は、其の輹を脱するの時に於て固より廃せざるなり。其の身を衛るの智は、其の己むに利するの時に於て固より廃せざるなり。良馬逐うに至りて始めて之を為すに非ざるなり。是に至りて又習復(しゅうふく)するのみ。語に曰く、学びて時に之を習うと。始めより之を習い、復(かさ)ねるに於て也。夫れ其の身に利して其の君を忘るるは、其の君に利して其の身を忘るるに若かず。其の君に利して其の身を忘るるは、又方にして以て君に載りて周(あまね)く其の身を衛るの兼ね得ると為すに若かず。故に輿衛と称す。是くの如くして然る後に往く所有るに利し。一たび偏廃有れば、則ち往く所有るに利しからざるなり。

六四:童牛之牿,元吉。象曰:六四元吉,有喜也。下卦受畜者也,上卦皆畜其下者也,雖六四之柔,亦足以畜其下者,有分義故也。童牛,私慾不行而順者;牿,角械也。牛雖順物,其角猶剛,今且牿之,則剛又不用矣,此順之至也,燮友柔克,此之謂也。

六四の爻辞に言う、「童牛(どうぎゅう)の牿(こく、角につける横木)、元吉」と。『小象伝』に言う、「六四元吉は、喜び有るなり」と。下卦は畜を受くる者なり、上卦は皆其の下を畜する者なり。六四の柔と雖も、亦た以て其の下を畜するに足る、分義有るが故なり。童牛とは、私欲行われずして順なる者なり。牿とは、角の械(かせ)なり。牛順なる物と雖も、其の角は猶ほ剛なり。今且つ之を牿せば、則ち剛又不用となり。此れ順の至なり。燮(うるわ)しき友柔克(な)る、此れの謂なり。

六五:豶豕之牙,吉。象曰:六五之吉,有慶也。豶豕,不純乎陽矣,其能制物而物不敢犯者,以有牙也,所謂平康正直者也。六四、六五皆取其私慾不行然後能畜,徳既厚者何也?惟私慾不行然後能畜,既徳厚則無所事剛而不犯,所以取象如此也。六四有喜而已,六五有慶,則四方來賀之謂也。

六五の爻辞に言う、「豮豕(ふんし、去勢した豚)の牙、吉」と。『小象伝』に言う、「六五の吉は、慶(よろこ)び有るなり」と。豮豕とは、陽に純ならざるなり。其の能く物を制して物敢えて犯さざる者は、牙有るを以てなり。所謂平康正直(へいこうせいちょく)の者なり。六四、六五皆其の私欲行われざる然る後に能く畜するを取る。徳既に厚き者は何ぞや。惟れ私欲行われざる然る後に能く畜す。既に徳厚ければ則ち剛を事とする所无くして犯されざるなり。取象此くの如くする所以なり。六四喜び有るのみ、六五慶び有れば、則ち四方來り賀(が)するの謂なり。

上九:何天之衢,亨。象曰:何天之衢,道大行也。天衢,賢者之所由以天上達者也,畜道成則天衢以亨焉。大畜者,君臣相遇之時;君臣相遇而畜道大成,然後能使天衢亨,則賢才無不違矣。所以致此,則上九之福,故曰何天之衢亨也。

上九の爻辞に言う、「天の衢(く、大路)を何(こ)なす、亨」と。『小象伝』に言う、「天の衢を何なすは、道大いに行わるるなり」と。天衢とは、賢者の由りて以て天に上達する所なり。畜道成れば則ち天衢以て亨るなり。大畜とは、君臣相遇の時なり。君臣相遇いて畜道大いに成れば、然る後に能く天衢を亨らかにしむれば、則ち賢才違わざる无きなり。此れを致す所以は、則ち上九の福なり。故曰く、天の衢を何なす、亨なりと。

頤卦(震下艮上)

震下艮上。頥:貞吉,觀頥,自求口實。象曰:頥貞吉,養正則吉也。觀頥,觀其所養也;自求口實,觀其自養也。天地養萬物,聖人養賢以及萬民,頥之時大矣哉。頥之成卦,上止而下動,其中虛焉,頥之象也。草木之養枝葉者在其本,人之養百體者在其頥,故頥,養也。

『頤(い)』卦は下体が震、上体が艮。卦辞に言う、「頤、貞吉、頤を観る、自ら口実(こうじつ)を求む」と。『彖伝』に言う、「頤貞吉は、養正しければ則ち吉なり。頤を観るは、其の養う所を観るなり。自ら口実を求むるは、其の自養するを観るなり。天地万物を養い、聖人賢を養いて以て万民に及ぶ、頤の時大なるかな」と。頤の成卦は、上止まりて下動く、其の中虚なり、頤の象なり。草木の枝葉を養うは其の本に在り、人の百体を養うは其の頤に在り。故に頤とは養いなり。

所養正,則擴而充之無往而不正矣;所養邪,則擴而充之無不為邪,故養正則吉也。自養者也,然後可以觀人之所養與其自養,蓋取人必以身故也。人之所養有賢否,所養正則人賢可知矣,所謂不知其君視其臣是也;人之自養有邪正,自養正則施於人可知矣,所謂察其所安、人焉廋哉是也。

養う所正しければ、則ち拡げて之を充むれば往きて正ならざる无し。養う所邪なれば、則ち拡げて之を充むれば邪と為らざる无し。故に養正しければ則ち吉なり。自ら養う者なり、然る後に以て人の養う所と其の自養するを観る可し。蓋し人を取るは必ず身を以てするが故なり。人の養う所有るは賢否(けんぴ)有り。養う所正しければ則ち人の賢なる知る可し。所謂其の君を知らざれば其の臣を視る是れなり。人の自養所有るは邪正有り。自養正しければ則ち人に施す知る可し。所謂其の安んずる所を察すれば、人焉(いずく)んぞ廋(かく)さんや是れなり。

夫子以寡慾養心,以直養氣,其自養亦大矣;不觀其養氣與心之大,而觀其自求口實,何也?人之所以忘其大體,善以從事於口體之養;口體求不失義,則其大體可知矣,是以觀其自求口實,則足以知其自養也。

夫子欲を寡(すく)なくして以て心を養い、直を以て気を養うと為す。其の自養するも亦た大なり。其の気と心を養うの大を観ずして、其の自ら口実を求むるを観るは何ぞや。人の其の大体を忘るる所以は、善く口体の養に事(つか)うるを以てなり。口体の求失わざれば義に失わざれば、則ち其の大体知る可し。是の以て其の自ら口実を求むるを観れば、則ち以て其の自養するを知るに足るなり。

其曰自求,何謂也?蓋有與人求者,如冉子為子華請粟之類是也。為人求則雖請益而無嫌,而使自求,如是則汙矣,故觀人之廉貪,必以觀其自求口實也。君子自養斯可矣,必觀人之所養與自養,何也?蓋養道貴充者也。養既貴充,則一身之肥不如天下之肥為充之至也;欲天下之肥,勢不能人人食之,則必本乎養賢,而養賢以知人為始,是以必觀人之所養與自養,然後知賢而養賢以及萬民也。

其の自ら求むと曰うは何を謂うか。蓋し人と為に求むる者有り。冉子子華の為に粟(ぞく)を請うの類是れなり。人の為に求めれば則ち益を請うと雖も嫌(いぎ)无し。而して自ら求めしむれば、是くの如くなれば則ち汚(けが)るるなり。故に人の廉貪を観るは、必ず以て其の自ら口実を求むるを観るなり。君子自養すれば斯に可なり。必ず人の養う所と自養するを観るは何ぞや。蓋し養の道は充(あ)たるを貴ぶ者なり。養既に充たるを貴べば、則ち一身の肥(こ)ゆるは天下の肥ゆるに充の至と為すに如かず。天下の肥ゆるを欲せば、勢い能く人々に之を食(しょく)せしめざるなり。則ち必ず賢を養うに本づき、而して賢を養うは人を知るを以て始めと為す。是の以て必ず人の養う所と自養するを観て、然る後に賢を知りて賢を養いて以て万民に及ぶなり。

天地在六子以養萬物,聖人養賢以及萬民。外天地無為也,無為者不嫌於自在,故不言六子而直曰養萬物;聖人有為也,有為者嫌於自用,故養賢以及萬民焉。飬賢以及萬民而致天下之肥,非大人不足以與此,故頥之時大矣哉。

天地は六子(りくし)に在りて以て万物を養い、聖人は賢を養いて以て万民に及ぶ。天地は外れて為す无し、為す无きは自在を嫌(いぎ)とせざるなり。故に六子を言わずして直ちに万物を養うと曰う。聖人は為す有り、為す有るは自用を嫌うなり。故に賢を養いて以て万民に及ぶなり。賢を養いて以て万民に及びて天下の肥ゆるを致すは、大人に非ざれば以て此に与るに足らず。故に頤の時大なるかな。

象曰:山下有雷,頥,君子以慎言語,節飲食。山也者,附萬物之成形於外者也;雷也者,作萬物之生氣於內者也。所以養物,二者為盛,有頥之義焉。言語不慎則招外患,飲食不節則起內患,所以自養也。言語之不輕也如山,飲食之有節也如雷,視其後者而鞭之,則自養之道盡矣。

『象』に曰く、山下に雷有り、頤、君子以て言語を慎しみ、飲食を節すと。山とは、万物の成形を外に附する者なり。雷とは、万物の生気を内に作(おこ)す者なり。物を養う所以は、二者を盛んと為す。頤の義有るなり。言語慎しまざれば則ち外患を招き、飲食節せざれば則ち内患を起す。自ら養う所以なり。言語の軽(かろ)からざるや山の如く、飲食の節有るや雷の如く、其の後れるを視て之を鞭(むちう)てば、則ち自養の道尽くるなり。

初九:舍爾靈,觀我朶頥,凶。象曰:觀我朶頥,亦不足貴也。初九以剛明之才而在沉潛之地,靈之象也,君自養如靈龜則足矣,故莊子有曳尾於塗中之辭焉。初九不善自養,乃躁動而求養於人,故曰舍爾靈,觀我朶頥。夫靈善潛而不志於義,乃躁動而求養於人,朶頥而食斯賤矣。有靈之徳,則求口實無嫌也;舍靈之徳而觀朶頥,則不可也。舍己之靈而曰爾,觀人之朶頥而曰我,蓋不知物我之辨有如此也。

初九の爻辞に言う、「爾(なんぢ)の霊(れい、神亀)を舎て、我が朶頤(だい、あごを動かして食うさま)を観る、凶」と。『小象伝』に言う、「我が朶頤を観るは、亦た貴ぶに足らざるなり」と。初九剛明の才を以てして沉潜の地に在り、霊の象なり。君自ら養うは霊亀の如くなれば則ち足る。故に荀子涂中に尾を曳(ひ)くの辞有るなり。初九善く自養せず、乃ち躁動して人に養いを求む。故曰く、爾の霊を舎て、我が朶頤を観ると。夫れ霊は善く潜むも、志義に在らず、乃ち躁動して人に養いを求めば、朶頤して食えば斯に賤(いや)しきなり。霊の徳有れば、則ち口実を求むるに嫌无し。霊の徳を舎てて朶頤を観れば、則ち可ならず。己の霊を舎てて爾と曰い、人の朶頤を観て我と曰うは、蓋し物我の辨を知らざること此くの如く有るなり。

六二:顛頥,拂經,於丘頥,征凶。象曰:六二征凶,行失類也。以上養下謂之顛頥,六二之養初九,頥顛也;然二猶未離乎下體也,未離乎下體而養下,則亂頥之經矣。蓋在上者養、在下者受養於上,此頥之經故也。山,善養物者也;丘雖不足於山之徳,然亦不待下之養。六五,養道之不足者也,而往養焉,則是於丘頥者;於頥則征而凶矣。

六二の爻辞に言う、「頤を顛(てん)す、経に拂(そむ)く、丘頤に於て征せば凶」と。『小象伝』に言う、「六二征せば凶は、行きて類を失うなり」と。上以て下を養うを頤を顛すと謂う。六二の初九を養うは、頤顛なり。然れども二は猶ほ未だ下体を離れざるなり。未だ下体を離れずして下を養えば、則ち頤の経を乱る。蓋し上に在る者は養い、下に在る者は上に養わるを受く。此れ頤の経なるが故なり。山とは、善く物を養う者なり。丘は山の徳に足らずと雖も、然れども亦た下の養いを待たざるなり。六五は養道の足らざる者なり。而して往きて之を養えば、則ち是れ丘頤に於ける者なり。頤に於ては則ち征せば凶なり。

蓋六五從上九之養,不待六二也。如人君而受教者也,自有師傅與左右輔弼之臣,彼踈逖小臣惟祇若王明而已;亦欲有教焉,則失類而凶矣。失類而凶,言不足以得友也。

蓋し六五は上九の養いに従う、六二を待たざるなり。人君にして教えを受くる者の如し。自ら師傅と左右輔弼の臣有り。彼の疏逖(そてき)の小臣は惟れ王明に祇若(しじゃく、うやうやしくしたがう)るのみ。亦た教え有らんと欲せば、則ち類を失いて凶なり。類を失いて凶は、以て友を得るに足らざるを言うなり。

六三:拂頥,貞凶,十年勿用,無攸利。象曰:十年勿用,道大悖也。民不正,不能以自養也;又由上九以養,不能有所養也,則順之道喪矣,不止失上下之經而已,故曰拂頥。拂頥凶可知矣。觀其自養則不正,觀其所養又無有以資養於人也,則又何有足用之時?故曰十年勿用而無攸利。所以過十年而用者,以其知變而上有應故也。

六三の爻辞に言う、「頤に拂く、貞にして凶、十年用いる勿れ、利する所无し」と。『小象伝』に言う、「十年用いる勿れは、道大いに悖(もと)るなり」と。民正ならず、以て自ら養う能わざるなり。又上九に由りて養う、以て養う所有る能わざるなり。則ち順の道喪(うしな)わる、止まらずして上下の経を失うのみならず。故曰く、頤に拂くと。頤に拂くは凶知る可し。其の自養するを観れば則ち正ならず、其の養う所を観れば又以て人に資養する有る无し。則ち又何ぞ用うに足るの時有らんや。故曰く、十年用いる勿れにして利する所无しと。十年を過ぎて用いる所以は、其の変を知りて上応有るを以てなり。

六四:顛頥,吉,虎視眈眈,其欲逐逐,無咎。象曰:顛頥之吉,上施光也。自養正然後有所養,六二、六四皆自養焉能有所養者也;然六二未離乎下,而六四則在上矣,故六二不如六四顛頥而吉也。大扺自養正則於朶頥不觀,其自視正矣;自視正,故視則有威,如虎之眈眈然也。其欲逐逐,言不充其欲者也。虎亦食物者也,今曰其欲逐逐,則是有虎視威而元虎之貪也。夫自覧英華於外而懐歆羨之心,則徇物而喪矣;今其視眈眈,目不榮於紛華,其欲逐逐,心不主於歆羨,自養如此,宜無咎矣。

六四の爻辞に言う、「頤を顛す、吉、虎耽耽(たんたん)として視、其の欲逐逐(ちくちく)たり、咎无し」と。『小象伝』に言う、「頤を顛すの吉は、上施光なり」と。自養正しければ然る後に養う所有り。六二、六四皆自養して焉(そ)れ養う所有る能くする者なり。然れども六二は未だ下を離れず、而して六四は則ち上に在り。故に六二は六四の頤を顛して吉に如かざるなり。大抵自養正しければ則ち朶頤に於て観ず、其の自ら視る正し。自ら視る正しければ、故に視れば則ち威有り、虎の耽耽然たるが如し。其の欲逐逐は、其の欲を充(あ)てざるを言うなり。虎も亦た物を食らう者なり。今其の欲逐逐と曰うは、則ち是れ虎の視威有りて元(げん)虎の貪无きなり。夫れ自ら英華を外に覧て歆羨(きんせん)の心を懐けば、則ち物に徇(したが)い喪(うしな)わる。今其の視耽耽として、目紛華に栄(えい)せず、其の欲逐逐として、心歆羨に主と為らず。自養此くの如くなれば、宜しく咎无きべし。

六五:拂經,居貞吉,不可涉大川。象曰:居貞之吉,順以從上也。在上宜能養下者也,陰道常乏,不能有所養而從上九之養,拂乎經矣。六二、六五皆拂經而無凶,何也?君子所貴自養而已,自養者正中,雖不能有所養,於所養之經拂,未有害也,是以不言凶咎也。惟有所養則輔之者眾,然後可動;今不能有所養,則不可以動,是以利居而不可以涉大川也。

六五の爻辞に言う、「経に拂く、貞に居りて吉、大川を渉るべからず」と。『小象伝』に言う、「貞に居るの吉は、順にして上に従うを以てなり」と。上に在りては宜しく能く下を養うべき者なり。陰の道は常に乏し。能く養う所有らずして上九の養いに従えば、経に拂く。六二、六五皆経に拂きて凶无しは何ぞや。君子自養を貴ぶ所のみ。自養する者は正中なり。能く養う所有らずと雖も、養う所の経に拂くは、未だ害有らざるなり。是の以て凶咎を言わざるなり。惟れ養う所有れば則ち之を輔くる者衆し、然る後に動く可し。今能く養う所有らざれば、則ち以て動くべからず。是の以て居るに利して以て大川を渉るべからざるなり。

上九:由頥,厲吉,利涉大川。象曰:由頥厲吉,大有慶也。由頥,六五以下皆由我養也。以道養天下,乃居尊位大中者之事,而以上九為之則厲矣;其所以吉者,澤被生民故也,此周公之事也。由頥則得眾助,故利涉大川,與六五異矣。

上九の爻辞に言う、「頤に由(よ)る、厲して吉、大川を渉るに利し」と。『小象伝』に言う、「頤に由る厲吉は、大いに慶有るなり」と。頤に由るとは、六五以下皆我に由りて養わるなり。道を以て天下を養うは、乃ち尊位大中に居る者の事なり。而して上九以て之を為せば則ち厲し。其の吉なる所以は、沢生民に被(およ)ぶが故なり。此れ周公の事なり。頤に由れば則ち衆の助けを得。故に大川を渉るに利し。六五と異なり。

大過卦(巽下兌上)

巽下兌上。大過:棟橈,利有攸往,亨。彖曰:大過,大者過也。棟橈,本末弱也。剛過而中,巽而說行,利有攸往,乃亨。大過之時大矣哉。眾足以過寡,得位足以勝失位,得道足以勝失道;四陽眾矣,又得位中,則大者過矣,故為大過。

『大過』卦は下体が巽、上体が兌。卦辞に言う、「大過、棟橈(とうぎょう、たわ)む、往く所有るに利し、亨」と。『彖伝』に言う、「大過は、大なる者過ぐるなり。棟橈むは、本末弱きなり。剛過ぎて中にして、巽りて説びて行けば、往く所有るに利して乃ち亨なり。大過の時大なるかな」と。衆以て寡に過ぐるに足り、位を得る以て位を失うに勝るに足り、道を得る以て道を失うに勝るに足り。四陽衆し、又得て位中に在れば、則ち大なる者過ぐるなり。故に大過と為る。

雖然,大者過則必有為非常之事以立非常之功,豈聖人之心也哉?特以棟橈而已。且負眾榱以庇下者,棟也;今本末皆弱,其為棟也橈,則所以庇者將傾,大者安得不過哉?然過而不剛,則無獨立不懼之勇;過而不中,則有過涉滅頂之害,故曰剛過而中。

然りと雖も、大なる者過ぐれば則ち必ず非常の事を為して以て非常の功を立つ有り。豈に聖人の心ならんや。特に棟橈むを以てのみ。且つ衆榱(しゅうすい)を負いで以て下を庇(ひ)う者は、棟なり。今本末皆弱ければ、其れ棟と為るは橈む。則ち庇う所以将に傾かんとす。大なる者安んぞ過ぐるを得ざらんや。然れども過も過ぎて剛ならざれば、則ち独立懼れざるの勇无し。過ぎて中ならざれば、則ち渉りて頂を滅するの害有り。故曰く、剛過ぎて中なりと。

而又內伏行以巽而藏用,外見以說而顯諸仁。如此則利有攸往,利有攸往則藏弱者扶、衰者拯,而棟復隆矣,是以亨也。大過之時,非大者不足以有為也,故曰大過之時大矣哉。

而又内伏行に巽りて以て用を蔵(かく)し、外見に説びて以て諸を仁に顕(あら)わす。此くの如くなれば則ち往く所有るに利し。往く所有るに利すれば則ち弱きを蔵する者扶(たす)け、衰える者拯(すく)う。而して棟復た隆んなり。是の以て亨なり。大過の時は、大なる者に非ざれば以て為す有るに足らず。故曰く、大過の時大なるかなと。

象曰:澤滅木,大過,君子以獨立不懼,遯世無悶。獨立不懼、遯世無悶,二者皆君子之所以大過人者也。夫上有棟橈之勢未易救也,前有滅頂之害未易往也,君子乃獨立不懼,所以大過人者也。棟之橈也,民將失其庇焉;棟可隆也,君子不得有為於遯世焉,是則可悶也,乃謷然而不悶,是亦所以大過人者也。

『象』に曰く、沢木を滅す、大過、君子以て独立懼れず、世を遯(のが)れて悶(もん)无きなりと。独立懼れず、世を遯れて悶无きは、二者皆君子の以て人に大いに過ぐる所以なり。夫れ上棟橈むの勢い有りて未だ救うに易からざるなり。前頂を滅するの害有りて未だ往くに易からざるなり。君子乃ち独立懼れず。以て人に大いに過ぐる所以なり。棟の橈むや、民将に其の庇を失わんとす。棟隆んべきや、君子遯世に於て為す有るを得ざるなり。是れ則ち悶む可し。乃ち謷然(ごうぜん)として悶めず。是れ亦た以て人に大いに過ぐる所以なり。

初六:藉用白茅,無咎。象曰:藉用白茅,柔在下也。天下之勢,有可以為,有不可以為者,君子亦末如之何矣,所謂木顛於一繩所維是也。其可以為者,又須所處之地、所資之才兼得而後可。上六之才不足者也,初六則位不足也。君子進而有為,則可使棟橈成強直之勢;退而無為,則若白茅之無咎。當澤滅木之世,得平地以自措則斯安矣,又藉之以柔,何咎之有?

初六の爻辞に言う、「白茅(はくぼう)を藉(し)いて用う、咎无し」と。『小象伝』に言う、「白茅を藉いて用うるは、柔下に在るなり」と。天下の勢いは、以て為す可き有り、以て為す可からざる者有り。君子も亦た之を如何せんも末(まっ)きなり。所謂木の一繩に維(い)するに於て顛(たお)るる是れなり。其の以て為す可きは、又其の処る所の地、其の資る所の才を兼ね得て然る後に可なり。上六は才足らざる者なり、初六は則ち位足らざるなり。君子進みて為す有れば、則ち棟橈みて強直の勢いを成さしむ可し。退きて為す无ければ、則ち白茅の咎无きの若し。沢の木を滅するの世に当りて、平地を得て以て自ら措(お)けば則ち斯に安し。又之を藉くるに柔を以てせば、何の咎か有らんや。

九二:枯楊生稊,老夫得其女妻,無不利。象曰:老夫女妻,過以相與也。大過之象,或為枯楊,或為棟橈。橈則易拯,枯楊則難生;易棟橈而成棟隆者,人事也;枯楊之生稊,天理也。才有餘,則雖天理之難致者可以為;其才否,則雖人事之易拯者猶無補也,是以其象不同也。

九二の爻辞に言う、「枯楊稊(てい、新芽)を生ず、老夫其の女妻(じょさい)を得る、利ならざる无し」と。『小象伝』に言う、「老夫女妻は、過ぎて以て相与(あずか)るなり」と。大過の象は、或いは枯楊と為り、或いは棟橈と為る。橈は則ち拯(すく)うに易く、枯楊は則ち生じ難し。棟橈を易(か)えて棟隆を成すは、人事なり。枯楊の稊を生ずるは、天理なり。才余有れば、則ち天理の致し難き者と雖も以て為す可し。其の才否(いな)なれば、則ち人事の拯い易き者と雖も猶ほ補う无きなり。是の以て其の象同じからざるなり。

稊者,楊秀者也,弱不能遽強,蓋有漸焉,故有生稊之象。其所以生稊,以九二剛過而中故也。故九二之遇初六,老夫女妻之象也,過以相與而不相陵,是以無不利。如女承筐無實、士刲羊無血,若是則無攸利矣。

「稊」とは、楊の秀(ほ)なり。弱きは遽(にわ)かに強く能わず、蓋し漸有るなり。故に稊を生ずるの象有り。其の稊を生ずる所以は、九二剛過ぎて中なるを以てなり。故に九二の初六に遇うは、老夫女妻の象なり。過ぎて以て相与して相陵(おか)さざれば、是の以て利ならざる无し。女筐(かたみ)を承けて実无く、士羊を刲(けい)して血无きの若くなれば、則ち利する所无きなり。

九三:棟橈,凶。象曰:棟橈之凶,不可以有輔也。大過之世,剛過而中,然後足以輔世而成棟橈之功;九三不能過小者而又不中,則不足以輔世,故棟橈凶則傾矣。九四:棟隆,吉,有它吝。象曰:棟隆之吉,不橈乎下也。大過之所以亨,以剛過而中也;然與其不過,寜若不中。九三、九四皆不中者也,九三不過故棟橈,九四剛過故棟隆。九四雖不足以為亨而有吝,然與九三異矣。四猶應初,疑於有它;志在大過,不牽於小者,則不橈乎下矣。

九三の爻辞に言う、「棟橈む、凶」と。『小象伝』に言う、「棟橈むの凶は、以て輔有るべからざるなり」と。大過の世は、剛過ぎて中にして、然る後に以て世を輔けて棟橈むの功を成すに足る。九三能く小なる者に過ぎずして又中ならざれば、則ち以て世を輔くるに足らず。故に棟橈み凶なれば則ち傾く。九四の爻辞に言う、「棟隆(りゅう)ん、吉、他吝有り」と。『小象伝』に言う、「棟隆んの吉は、下に橈(たわ)めざるなり」と。大過の亨する所以は、剛過ぎて中なるを以てなり。然れども其の過ぎざるに与(より)は、寧(むし)ろ中ならざらんとす。九三、九四皆中ならざる者なり。九三過ぎざるが故に棟橈み、九四剛過ぐるが故に棟隆ん。九四以て亨と為すに足らずして吝有ると雖も、然れども九三と異なり。四は猶ほ初に応ず、他を疑うなり。志大過に在りて小なる者に牽(かん)せられざれば、則ち下に橈めざるなり。

九五:枯楊生華,老婦得其士夫,無咎無譽。象曰:枯楊生華,何可久也;老婦士夫,亦可醜也。生稊則長為條肄而終成壯實之才矣,生華則為一時之觀美而不可以久者也。九五剛中,故於衰弱之世能有所生;然而不過,則所生者華而已矣。上六之視九五,老婦士夫之象也。夫士夫之丑,則中制也;老夫女妻於制為反矣,是則可醜也。剛中有可制之資,是以無咎;然所生不可不久也,而其配亦可醜也,則亦安能有譽哉?

九五の爻辞に言う、「枯楊華を生ず、老婦其の士夫を得る、咎无し誉无し」と。『小象伝』に言う、「枯楊華を生ずは、何ぞ久しからんや。老婦士夫は、亦た醜(はづ)べきなり」と。稊を生ずれば則ち長じて条肄(じょうい、枝を伸ばす)と為りて終に壮実の才を成す。華を生ずれば則ち一時の観美にして以て久しきべからざる者なり。九五剛中、故に衰弱の世に於て能く生ずる所有り。然れども過ぎざれば、則ち其の生ずる所は華のみ。上六の九五を視るは、老婦士夫の象なり。夫れ士夫の醜は、則ち中の制なり。老夫女妻は制に於て反すと為る。是れ則ち醜ずべきなり。剛中に制する可きの資有り、是の以て咎无し。然れども其の生ずる所久しからざるべからず、而して其の配も亦た醜ずべきなり。則ち亦た安んぞ能く誉有らんや。

上六:過涉滅頂,凶,無咎。象曰:過涉之凶,不可咎也。滅木之澤瀰漫甚矣,而過涉焉,至於滅頂則又可知矣。夫不剛則無可涉之才,不中則無知節之徳;徒任智而往,不量其力,又奚可哉?然雖志在濟時,非喜功也,殺身成仁,何可咎也?

上六の爻辞に言う、「過ぎて渉りて頂を滅す、凶、咎无し」と。『小象伝』に言う、「過ぎて渉るの凶は、以て咎むべからざるなり」と。木を滅するの沢は瀰漫(びまん)として甚だし。而して過ぎて渉れば、頂を滅するに至れば則ち又知る可し。夫れ剛ならざれば則ち渉る可きの才无く、中ならざれば則ち節を知るの徳无し。徒らに智を任(まか)せて往きて、其の力を量(はか)らざれば、又奚ぞ可ならんや。然れども志時を済(すく)うに在ると雖も、功を喜ぶに非ざるなり。身を殺して仁を成すは、何ぞ咎むべからんや。

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