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睽卦(兌下離上)

宋 · 耿南仲 · 第11巻 / 14

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

兌下離上。睽:小事吉。彖曰:暌,火動而上,澤動而下,二女同居,其志不同行。說而麗乎明,柔進而上行,得中而應乎剛,是以小事吉。天地睽而其事同也,男女睽而其志通也,萬物睽而其事類也,睽之時用大矣哉。

『睽(けい)』卦は下体が兌、上体が離。卦辞に言う、「睽、小事吉」と。『彖伝』に言う、「睽は、火動きて上り、沢動きて下る、二女同居して、其の志同じく行われず。説びて明に麗り、柔進みて上に行き、中を得て剛に応ず、是の以て小事吉なり。天地睽れて其の事同じ、男女睽れて其の志通ず、万物睽れて其の事類(るい)す、睽の時用大なるかな」と。

火動而上,澤動而下,火與澤相違而不相遇,此睽之象也。故動而違行,然後為睽;如二女之有情,則不必違行也,則雖同行而暌矣。有違行而暌矣,有違行而暌者,有同居而暌者,則萬物之情舉矣。

火動きて上り、沢動きて下る、火と沢相違いて相遇わざる、此れ睽の象なり。故に動きて行を違えば、然る後に睽と為る。二女の情有るが如くなれば、則ち必ずしも行を違えざるなり。則ち同行すと雖も睽る。行を違いて睽る者有り、同居して睽る者有れば、則ち万物の情挙(あ)がるなり。

夫萬物暌離而不合,正大有為之時也。以卦之才,悅而麗乎明,柔進而上行,得中而應乎剛,是宜小事而已。蓋麗乎物之所麗、應乎人而不為人之所應,其上行又以柔而已,故云然。然其所麗者明也,其所應者剛也,又進而行有得為之勢也,是以小事之俱能吉。

夫れ万物睽離して合わざるは、正大に為す有るの時なり。卦の才を以てすれば、説びて明に麗り、柔進みて上に行き、中を得て剛に応ず、是れ宜しく小事のみ。蓋し物の麗る所に麗り、人に応じて人に応ぜられざるは、其の上に行く又柔を以てするのみ。故に然りと云う。然れども其の麗る所は明なり、其の応ずる所は剛なり、又進みて行く為す有るの勢いを得る。是の以て小事の俱に能く吉なり。

一謂之同,兩謂之類。天地無心,?而為一,故曰其志通;萬物則象矣,故事則類也。天地終暌而不同,則陰陽不和而災生;男女終暌而不通,則婚媾不時而怨曠作;萬物終暌隔而不類,則相逮之功熄矣。若夫有為於天下,使交通而咸和、協比而為一,非大人曷能為此哉?故曰暌之時義大矣哉。

一を同と謂い、両を類と謂う。天地心无く、渾(こん)として一と為る。故曰く、其の志通ずと。万物は則ち象有る。故に事は則ち類なり。天地終に睽りて同じからざれば、則ち陰陽和せずして災生ず。男女終に睽りて通ぜざれば、則ち婚媾時ならずして怨旷(えんこう)作(おこ)る。万物終に睽隔して類せざれば、則ち相逮(およ)ぶの功熄(や)む。若し夫れ天下に為す有りて、交通して咸和し、協比して一と為らしめば、大人に非ざれば曷ぞ能く此れを為さんや。故曰く、睽の時義大なるかなと。

象曰:上火下澤,睽,君子以同而異。君子以同而異,而不害其為同。天地睽而其事同也,同乎為道而治有忠、質、文之異;同乎為聖而行有清、任、和之異。如是故足以酬酢萬變,不為執一而廢百也。

『象』に曰く、上火下沢、睽、君子以て同にして異なりと。君子同にして異なり、而して其の同と為るに害无し。天地睽れて其の事同じ、道を為るに同じくして治に忠、質、文の異有り。聖を為るに同じくして行に清、任、和の異有り。是くの如くなるが故に以て万変に酬酢(しゅうさく)するに足り、一を執りて百を廃すると為らざるなり。

初九:悔亡,喪馬勿逐自復,見惡人無咎。象曰:見惡人,以辟咎也。馬有健行之才者也。睽之時,進而上行,則雖柔而可以吉小事;初九窮而在下,雖健,喪其所以為健矣,故曰喪馬。夫物睽而求合則益疑,窮而求行則益躓,故勿逐;然相合者,物之情也,我不求而有待,則物豈舍我哉?故曰自復也。

初九の爻辞に言う、「悔亡ぶ、馬を喪うも逐(お)う勿れ、自ら復たる、悪人に見(あ)うも咎无し」。『小象伝』に言う、「悪人に見うは、以て咎を辟(よ)くるなり」と。馬は健行の才有る者なり。睽の時は、進みて上に行けば、則ち柔なりと雖も以て小事に吉ならしむ可し。初九窮まりて下に在れば、健なりと雖も、其の健と為る所以を喪う。故曰く馬を喪うと。夫れ物睽れて合を求むれば則ち益々疑い、窮まりて行を求むれば則ち益々躓(つまづ)く。故に逐う勿れ。然れども相合するは、物の情なり。我求めずして待つ有れば、則ち物豈に我を舎てんや。故曰く自ら復たると。

九二剛以乗已,惡人也,避而不見則疑梗生而患至,屈身而見之,所以避咎也。九二:遇主于巷,無咎。象曰:遇主于巷,未失道也。九二之應九五,過主于巷者也。物方睽乖而已獲應,則其獲若應邂逅然也,故曰遇焉。巷者,非道之常而亦可通於道,故曰遇主于巷,未失道也。

九二剛を以て己に乗ずるは、悪人なり。避けて見えざれば則ち疑梗(ぎこう)生じて患至る。身を屈して之に見う、以て咎を避くる所以なり。九二の爻辞に言う、「巷(こう)に主に遇(あ)う、咎无し」と。『小象伝』に言う、「巷に主に遇うは、未だ道を失わざるなり」と。九二の九五に応ずるは、巷に主に遇う者なり。物方に睽乖して已に応を獲れば、則ち其の獲る所は邂逅(かいこう)然たり。故曰く遇うと。巷とは、道の常に非ざるも亦た道に通ずる可し。故曰く、巷に主に遇う、未だ道を失わざるなりと。

六三:見輿曳,其牛掣,其人天且劓,無初有終。象曰:見輿曳,位不當也;無初有終,遇剛也。見輿曳,有為難於下者也;其牛掣,有為難於其前者也。輿方以載己者,牛順而引己者,乃為之難,何也?以所遇者睽故也。如賁初九舍車而徒,則載己者豈能為哉?

六三の爻辞に言う、「輿の曳(ひ)かるるを見、其の牛掣(せい、ひか)さる、其の人天(てん、額に墨刑)且つ劓(ぎ、鼻をそぐ)、初め无くして終わり有り」と。『小象伝』に言う、「輿の曳かるるを見るは、位当らざるなり。初め无くして終わり有るは、剛に遇うなり」と。輿の曳かるるを見るは、下に難を為す者有るなり。其の牛掣さるるは、其の前に難を為す者有るなり。輿は方に己を載する者、牛は順にして己を引く者なり。乃ち之が難を為すは何ぞや。遇う所の睽なるを以てなり。賁(ひ)の初九車を舎てて徒(かち)とするが如くなれば、則ち己を載する者豈に能く為さんや。

六三應在上九,有志於行者也;輿曳而牛掣,不得行焉,非其志也。上欲以其不行也而刑之,則我之所持以生者絶其通也,故曰其人天且劓。然所遇者上九之剛也,剛而克明而不蔽於其所感,剛?而不惑於初,然將有所合而無所疑,故曰無初有終,而象曰遇剛也。

六三の応は上九に在り、行かんと志す者有るなり。輿曳かれて牛掣さるれば、行くを得ざるなり、其の志に非ざるなり。上其の行かざるを以て之を刑せんと欲せば、則ち我の生を持する所以絶つ其の通なり。故曰く、其の人天且つ劓なりと。然れども遇う所は上九の剛なり。剛にして能く明らかにして其の感ずる所に蔽(おお)われず、剛にして果にして初に惑わざれば、然れども将に合する所有りて疑う所无きなり。故曰く、初め无くして終わり有りと。而して象に曰く剛に遇うなりと。

九四:睽孤,遇元夫,交孚,厲無咎。象曰:交孚無咎,志行也。九四無正應,與有應而未合者睽孤也。九四雖睽孤,然所遇者元夫也。以位稱則曰遇主,以徳稱則曰遇元夫,則仁智異矣。遇元夫而至誠相與,則雖孤寡助之危,何咎之有?

九四の爻辞に言う、「睽孤(こ)なり、元夫(げんぷ)に遇う、孚を交(か)わす、厲しきも咎无し」と。『小象伝』に言う、「孚を交わして咎无きは、志行わるるなり」と。九四正応无く、応有るも未だ合せざるは睽孤なり。九四睽孤と雖も、然れども遇う所は元夫なり。位を以て称せば則ち主に遇うと曰い、徳を以て称せば則ち元夫に遇うと曰う。則ち仁智異なり。元夫に遇うて至誠相与せば、則ち孤寡助けの危と雖も、何の咎か有らんや。

六五:悔亡,厥宗噬膚,往何咎。象曰:厥宗噬膚,往有慶也。九二於六五則稱主,主者尊之也,下之於上宜尊之者也;六五於九二則稱宗,宗者親之也,上之於下宜親之者也。六三以柔為物之間,其易噬猶之膚也;九二噬六三之間而求合於上,則其一志於承上者不疑也,六五宜屈體而往從之也,故曰厥宗噬膚,往何咎也。

六五の爻辞に言う、「悔亡ぶ、厥(そ)の宗(そう)膚(ふ)を噬(か)む、往きて何の咎か有らん」と。『小象伝』に言う、「厥の宗膚を噬むは、往きて慶有るなり」と。九二は六五に於て則ち主と称す、主とは之を尊ぶなり、下の上に於て宜しく之を尊ぶべき者なり。六五は九二に於て則ち宗と称す、宗とは之を親しむなり、上の下に於て宜しく之を親しむべき者なり。六三柔を以て物の間と為る、其の噬み易き猶ほ之膚なり。九二六三の間を噬みて上に合を求めば、則ち其の上を承くるに一志にして疑わざるなり。六五宜しく体を屈して往きて之に従うべし。故曰く、厥の宗膚を噬む、往きて何の咎か有らんと。

上九:睽孤,見豕負塗,載鬼一車,先張之弧,後說之弧,匪?婚媾,往遇雨則吉。象曰:遇雨之吉,群疑亡也。物之情,睽則疑,疑斯疾之矣。故九二之於六三,乃安而載之之輿也,而自上九視之則塗也;九四之於六三,乃順而引之之牛也,而自上九視之則鬼也,其疾之可謂至矣。

上九の爻辞に言う、「睽孤なり、豕(いのこ)の涂(どろ)を負うを見、鬼一車を載す、先づ之弧(こ)を張り、後に之弧を説(だつ、ぬ)く、寇に匪(あら)ず婚媾(こんこう)なり、往きて雨に遇えば則ち吉」と。『小象伝』に言う、「雨に遇うの吉は、群疑亡ぶなり」と。物の情は、睽れば則ち疑い、疑えば斯に之を疾(にく)む。故に九二の六三に於ては、乃ち安くして之を載するの輿なり。而して上九より之を視れば則ち涂なり。九四の六三に於ては、乃ち順にして之を引くの牛なり。而して上九より之を視れば則ち鬼なり。其の之を疾むや至と謂う可し。

然六三有趍下之性,以為如豕之負塗,理或有之;以為載一車,則無是道也。無是道而以為有是,則疑之甚故也。疑甚則怒而思攻之矣,故有張弧之辭焉。然上九之剛,非終惑之也,故曰後脫之弧;脫則知其匪?而婚媾之情通矣。其始也疑而疾之,又從而攻之,則已甚矣;雖脫弧而婚媾之情通,然非屈道以往,則六三之情未易得也,故曰往遇雨則吉。雨者,陰陽和而及於物也,不止婚媾而已。

然れども六三下に趨(はし)るの性有りて、以て豕の涂を負うが如きは、理或いは之有るなり。以て一車を載すれば、則ち是の道无きなり。是の道无くして以て是の有りと為せば、則ち之を疑うの甚(はなは)だしきが故なり。疑甚(はなは)だしければ則ち怒りて之を攻めんと思う。故に弧を張るの辞有るなり。然れども上九の剛は、終に之を惑わすに非ざるなり。故曰く、後に弧を脱(ぬ)くと。脱げば則ち其の寇に匪ざるを知りて婚媾の情通ず。其の始めや疑いて之を疾み、又従りて之を攻めば、則ち已に甚だし。弧を脱いて婚媾の情通ずと雖も、然れども道を屈して往くに非ざれば、則ち六三の情得易からざるなり。故曰く、往きて雨に遇えば則ち吉と。雨とは、陰陽和して物に及ぶなり。止まらず婚媾のみならず。

蹇卦(艮下坎上)

艮下坎上。蹇:利西南,不利東北,利見大人,貞吉。彖曰:蹇,難也,險在前也。見險而能止,知矣哉。蹇利西南,往得中也;不利東北,其道窮也。利見大人,往有功也;當位貞吉,以正邦也。蹇之時用大矣哉。

『蹇(けん)』卦は下体が艮、上体が坎。卦辞に言う、「蹇、西南に利し、東北に利ならず、大人を見るに利し、貞吉」と。『彖伝』に言う、「蹇とは、難なり、険前に在るなり。険を見て能く止まるは、知なるかな。蹇西南に利しは、往きて中を得るなり。東北に利ならずは、其の道窮まるなり。大人を見るに利しは、往きて功有るなり。位に当りて貞吉は、以て邦を正すなり。蹇の時用大なるかな」と。

天下之險,固有可平者,雖不可平,亦有犯之而不至於?者。至若險在前而不可平,又不可犯,雖有智亦末如之何而止,是乃所以蹇也。然則所貴乎智者,為其逺險而止也,非迫險而止之謂也;如迫險而止,則是愚而不知去耳,曷足以言智哉?

天下の険は、固より平(たい)らぐ可き有り。平らぐ可からざると雖も、亦た之を犯して凶に至らざる者有り。至る若し険前に在りて平らぐ可からず、又犯すべからざれば、智有ると雖も亦た之を如何せんも末きにして止まる。是れ乃ち蹇と為す所以なり。然らば則ち智を貴ぶ所は、其れ険を遠ざけて止まるを為すなり。険に迫りて止まるの謂に非ざるなり。険に迫りて止まるが如くなれば、則ち是れ愚にして去るを知らざるのみ。曷ぞ以て智を言うに足らんや。

故曰利西南,不利東北。蓋上卦之坎,正北方之卦,則是正北者乃險之所在也;下卦之艮,東北之卦也,迫險而知止者也。迫險而知止則其道窮,故不若東南之逺險而得中於利也。且去東北而之東南與正南,亦既逺矣,必曰西南,則是君子之避險不厭乎逺甚也。

故曰く、西南に利し、東北に利ならずと。蓋し上卦の坎は、正北方の卦、則ち是れ正北は乃ち険の在る所なり。下卦の艮は、東北の卦、険に迫りて止まるを知る者なり。険に迫りて止まるを知れば則ち其の道窮まる。故に東南の険を遠ざけて中を得るに利するに若かざるなり。且つ東北を去りて東南と正南とに之くも、亦た既に遠し。必ず西南と曰うは、則ち君子の険を避くるは遠きに厭(あ)かざる甚(はなは)だしきなり。

其曰得中者,安而無難然後能守中;若其于臲卼險難之際,則或過或不及,與時俛仰,亦以自完矣。利見大人,往有功也;當位正吉,以正邦也,此九五之才也。蓋所謂大人者,非止有知險之智,而又有平險之才焉,宜其為蹇難之時所利見也。

其の中を得ると曰うは、安くして難无き然る後に能く中を守るなり。其れ臲卼(げつげつ、ぐらつき)険難の際に於ては、則ち或いは過ぎ或いは及ばず、時と俛仰(ふぎょう)して、亦た以て自ら完(まっと)うするのみ。大人を見るに利し、往きて功有りとは、位に当りて正吉、以て邦を正す、此れ九五の才なり。蓋し所謂大人とは、止まらず険を知るの智有るのみならず、而又た険を平らぐの才有るなり。其れ蹇難の時の利見る所と為る宜しきなり。

功業者,見乎變者也,天下平而無故,則雖有大人之功業,何自而興哉?故曰利見大人,往有功也。有大人之才,又須當位有得為之勢,然後能正邦,故曰當位正吉,以正邦也。有大人然後有大人之功,以大人而當位然後能正邦,則在蹇之時而大有為者,豈小丈夫之事哉?故曰蹇之時用大矣哉。

功業とは、変に見ゆる者なり。天下平かにして故无ければ、則ち大人の功業有ると雖も、何の自りて興らんや。故曰く、大人を見るに利し、往きて功有りと。大人の才有りて、又須(しか)らく位に当りて為す有るの勢いを得て、然る後に能く邦を正しくす。故曰く、位に当りて正吉、以て邦を正すと。大人有りて然る後に大人の功有り、大人を以て位に当りて然る後に能く邦を正しくすれば、則ち蹇の時に在りて大いに為す有るは、豈に小丈夫の事ならんや。故曰く、蹇の時用大なるかなと。

象曰:山上有水,蹇,君子以反身修徳。蹇之成象,見險而能止,乃智者之事,故象辭亦無取乎正邦之功,而曰反身修徳,則亦見險而止之之類也。初六:往蹇來譽。象曰:往蹇來譽,宜待也。蹇之時以險在前,宜待而不宜往,故往則為蹇,來則有譽。夫譽不必興事造業而後能致也,識時之宜、知所以自保,則人斯歸之以智而有譽矣。

『象』に曰く、山上に水有り、蹇、君子以て身に反りて徳を修むと。蹇の象を成すは、険を見て能く止まる、乃ち智者の事なり。故に象辞も亦た邦を正すの功を取る无くして、身に反りて徳を修むと曰う。則ち亦た険を見て止まるの類なり。初六の爻辞に言う、「往けば蹇(けん)にして來れば誉(ほま)れ」と。『小象伝』に言う、「往けば蹇にして來れば誉れは、宜しく待つべきなり」と。蹇の時は険前に在るを以て、宜しく待つべくして往く宜しからず。故に往けば則ち蹇と為り、來れば則ち誉れ有り。夫れ誉れは必ずしも事を興し業を造して然る後に能く致すに非ざるなり。時の宜しきを識り、自ら保つ所以を知れば、則ち人斯に之に帰するに智を以てして誉れ有るなり。

六二:王臣蹇蹇,匪躬之故。象曰:王臣蹇蹇,終無尤也。九五王也,六二應之,王臣也。遇險之時,上下皆蹇,王臣之蹇蹇也;自為王臣,則國安與安、國危與危,安得自為私謀哉?故曰匪躬之故。如其躬之故而為自安之計,則不復蹇,則有其終尤;惟所以為蹇,故曰王臣蹇蹇,終無尤也。

六二の爻辞に言う、「王臣蹇蹇(けんけん)たり、躬(みずか)らの故に匪(あら)ず」と。『小象伝』に言う、「王臣蹇蹇たりは、終に尤(とが)无きなり」と。九五は王なり、六二之に応ずるは、王臣なり。険に遇うの時は、上下皆蹇なり。王臣の蹇蹇たるなり。自ら王臣と為れば、則ち国安ければ与(とも)に安く、国危うければ与に危うし。安んぞ自ら私謀を為すを得んや。故曰く、躬らの故に匪ずと。其の躬らの故の如くして自ら安んずるの計を為せば、則ち復た蹇ならず、則ち其の終尤有るなり。惟れ蹇と為す所以なり。故曰く、王臣蹇蹇たり、終に尤无きなりと。

九三:往蹇來反。象曰:往蹇來反,內喜之也。九三雖剛過,而體艮之止,則知往之蹇而來反者也。來反則為主於內,內之所待而喜之者也;然既以迫險,則先見之明為未足,是以不如初六之有譽也。六四:往蹇來連。象曰:往蹇來連,當位實也。往則犯難,故曰往蹇;來又乗剛,故曰來連。此前跋其胡,則往蹇來連非自取也,何凶之有?是以不言凶咎也。

九三の爻辞に言う、「往けば蹇にして來れば反(かえ)る」と。『小象伝』に言う、「往けば蹇にして來れば反るは、内之を喜ぶなり」と。九三剛過ぐると雖も、而して艮の止を体すれば、則ち往の蹇を知りて來り反る者なり。來り反れば則ち内に主と為る、内の待ちて之を喜ぶ者なり。然れども既に険に迫るを以てすれば、則ち先見の明は未だ足らず。是の以て初六の誉れ有るに如かざるなり。六四の爻辞に言う、「往けば蹇にして來れば連(つら)なる」と。『小象伝』に言う、「往けば蹇にして來れば連なるは、位に当りて実なり」と。往けば則ち難に犯す、故曰く往けば蹇と。來れば又剛に乗ず、故曰く來れば連と。此れ前に其の胡(こ)を跋(ふ)むれば、則ち往けば蹇にして來れば連は自ら取るに非ざるなり。何の凶か有らんや。是の以て凶咎を言わざるなり。

九五:大蹇朋來。象曰:大蹇朋來,以中節也。九五,大者之蹇也。大者之蹇,苟不失大中之位以節制天下,則朋來;朋來則拯之者眾而難散矣。中者其位也,節者其權也;居位而有其權,則何患哉?

九五の爻辞に言う、「大蹇朋來る」と。『小象伝』に言う、「大蹇朋來るは、以て中節なり」と。九五は、大なる者の蹇なり。大なる者の蹇は、苟も大中の位を失わずして以て天下を節制すれば、則ち朋來る。朋來れば則ち之を拯(すく)う者衆くして難散ず。中とは其の位なり、節とは其の権なり。位に居りて其の権有れば、則ち何の患(うれ)えか有らんや。

上六:往蹇來碩,吉,利見大人。象曰:往蹇來碩,志在內也;利見大人,以從貴也。六四乗九三之剛,九三非其君也,為難者也,故曰來連;上六來而乗九五之剛,九五蓋其君也,故曰來碩。臣之得為,則庇完其身而不為物剝,又得以擴充其志而不為物挫,是以為碩也。利見大人,為九五也;九五居大中以合天下而為朋來之主,則上六所以利見也。其曰從貴,何也?蹇之時名分亂矣,於是知從貴,則臣節為不失矣;不知從貴而惟強之從,則終隨以亡,非所謂利見也。

上六の爻辞に言う、「往けば蹇にして來れば碩(せき、おおき)し、吉、大人を見るに利し」と。『小象伝』に言う、「往けば蹇にして來れば碩しは、志内に在るなり。大人を見るに利しは、以て貴に従うなり」と。六四九三の剛に乗ず、九三其の君に非ざるなり、難を為す者なり。故曰く來れば連と。上六來りて九五の剛に乗ず、九五蓋し其の君なり。故曰く來れば碩と。臣の為すを得れば、則ち其の身を庇完(ひかん)して物に剥(はく)せられず、又得て其の志を拡充して物に挫(くじ)かれざるなり。是を以て碩と為す。大人を見るに利しは、九五と為すなり。九五大中に居りて天下を合わせて朋來の主と為れば、則ち上六の利見る所以なり。其の貴に従うと曰うは何ぞや。蹇の時は名分乱る。是に於て貴に従うを知れば、則ち臣節失わざるを為す。貴に従うを知らずして惟れ強に従うは、則ち終に随いて以て亡ぶ。所謂利見に非ざるなり。

解卦(坎下震上)

坎下震上。觧:利西南,元所往,其來復吉,有攸往夙吉。彖曰:觧,險以動,動而免乎險,觧。觧利西南,往得眾也;其來復吉,乃得中也;有攸往夙吉,往有功也。天地觧而雷雨作,雷雨作而百果草木皆甲坼,觧之時大矣哉。

『解』卦は下体が坎、上体が震。卦辞に言う、「解、西南に利し、往く所无ければ其の來り復(かえ)るに吉、往く所有れば夙(はや)く吉」と。『彖伝』に言う、「解とは、険にして動き、動きて険を免る、解なり。解西南に利しは、往きて衆を得るなり。其の來り復るに吉は、乃ち中を得るなり。往く所有れば夙く吉は、往きて功有るなり。天地解して雷雨作(おこ)る、雷雨作りて百果草木皆甲(こう)を坼(さ)く、解の時大なるかな」と。

動乎險中而免乎險而為觧。屯者其始也,觧者其終也。天下皆險,則聖人動乎險中;動乎險中,其卒免險,則天下之險亦從而觧矣。夫聖人動乎險中而求解,非止免一身之險,蓋將以平天下之險也,故貴得眾而利西南焉,西南坤之為眾故也。

険中に動きて険を免れて解と為る。屯とは其の始めなり、解とは其の終わりなり。天下皆険なれば、則ち聖人険中に動く。険中に動きて、其の卒険を免れば、則ち天下の険も亦た従りて解す。夫れ聖人険中に動きて解を求むるは、止まらず一身の険を免るるのみならず、蓋し将に天下の険を平らげんとするなり。故に衆を得るを貴びて西南に利す。西南は坤の衆と為るが故なり。

屯言勿用有攸往,觧言無所往,何也?雷雨動而為屯,作而為解,二屯一觧。猶雷雨動而作,則屯難有時而行之而已;屯惟宜動,勿用有攸往可也;解又既免,無所往可也。如草木節解、麋鹿角解,皆氣至而自然矣,是以無所往,其來復吉也。

屯は往く所有るを用る勿れと言い、解は往く所无しと言うは、何ぞや。雷雨動きて屯と為り、作りて解と為る、二つは屯一つは解なり。猶ほ雷雨動きて作れば、則ち屯難は時有りて之を行うのみ。屯は惟れ宜しく動くべく、往く所有るを用る勿れは可なり。解は又既に免る、往く所无きは可なり。草木の節解(せっかい)し、麋鹿(びろく)の角解するが如く、皆気至りて自然なり。是の以て往く所无く、其の來り復るに吉なり。

解動則必復,其情然也;緩則必失,其勢然也。既以緩而失,則不可緩而救;以緩而救,則不及事,故欲往而有功,在攸往之夙也。天地之解,怒氣激而為雷,和氣散而為雨,百果草木之微,甲者皆坼,其功可謂大矣。能解天下之難,亦若天地之解萬物,非大人孰能與乎此哉?故曰解之時義大矣哉。

解動けば則ち必ず復る、其の情然るなり。緩なれば則ち必ず失う、其の勢い然るなり。既に緩を以て失えば、則ち緩にして救う可からず。緩を以て救えば、則ち事に及ばず。故に往きて功有らんと欲するは、攸往の夙きに在るなり。天地の解は、怒気激して雷と為り、和気散じて雨と為る。百果草木の微、甲有る者皆坼(さ)く。其の功大と謂う可し。能く天下の難を解するは、亦た天地の万物を解するが若し。大人に非ざれば孰か能く此に与らんや。故曰く、解の時義大なるかなと。

象曰:雷雨作,解,君子以赦過宥罪。處亂而不改其度者,唯君子能之;使小人居屯難未解之時,其能不為非者寡矣。退而誅之,則更起天下之難,非所以為解也,故過者赦之、罪者宥之,然後應雷雨博施之象焉。

『象』に曰く、雷雨作る、解、君子以て過を赦し罪を宥(ゆう)すと。乱に処りて其の度を改めざる者は、唯れ君子能く之を為す。小人をして屯難未だ解せざるの時に居らしめば、其の能く非を為さざるは寡し。退きて之を誅せば、則ち更に天下の難を起す。解と為す所以に非ざるなり。故に過有る者は之を赦し、罪有る者は之を宥して、然る後に雷雨博施の象に応ずるなり。

初六:無咎。象曰:剛柔之際,義無咎也。屯之六二,所遇者屯也,而又乗剛,是以有難;解之初六,所遇者解也,又有應剛,是以無咎也。剛上柔下,相際以禮,咎何由而至哉?

初六の爻辞に言う、「咎无し」と。『小象伝』に言う、「剛柔の際は、義咎无きなり」と。屯の六二は、遇う所は屯なり、而又剛に乗ず。是の以て難有り。解の初六は、遇う所は解なり、又剛に応ずる有り。是の以て咎无きなり。剛上柔下、相際(あいせ)するに礼を以てせば、咎何の由りて至らんや。

九二:田獲三狐,得黃矢,貞吉。象曰:九二貞吉,得中道也。方解之初,眾莫知天命之有歸、人事之有在也,則疑所適從,有三狐之象焉。三,眾辭也;狐,疑物也。以湯王之舉,眾有舍我嗇事而割夏正之嫌,則解之眾疑可知矣。

九二の爻辞に言う、「田(でん、かり)三狐を獲る、黄矢を得る、貞吉」と。『小象伝』に言う、「九二貞吉は、中道を得るなり」と。方に解の初めは、衆未だ天命の帰有り、人事の在有るを知らず。則ち従う所を疑う、三狐の象有るなり。三とは、衆の辞なり。狐とは、疑うの物なり。湯王の挙(こ)を以てすれば、衆我が嗇事(しょくじ)を舎てて夏正を割かんとするの嫌有れば、則ち解の衆疑知る可し。

九二剛正而應,能大有為,以得群疑使之順服,則田獲三狐之象也。若然者,非示人以中、威物以直者不能至此。蓋以示人以中,則小者懐;威物以直,則大者畏。小者懐、大者畏,則群疑安所逃哉?故曰得黃者,示人以中也;矢,言威物以直也。

九二剛正にして応じ、能く大いに為す有り。以て群疑を得て之を順服せしめば、則ち田三狐を獲るの象なり。然る者は、人に中を示し、物を威するに直を以てするに非ざれば此に至る能わず。蓋し以て人に中を示せば、則ち小なる者懐(なつ)く。物を威するに直を以てせば、則ち大なる者畏る。小なる者懐き、大なる者畏れば、則ち群疑安んぞ逃るる所か。故曰く、黄を得るは、人に中を示すなり。矢は、物を威するに直を以てするを言うなり。

六三:負且乗,致?至,貞吝。象曰:負且乗,亦可醜也;自我致戎,又誰咎也。負者,小人之事也,謂六為之也;乗,君子之器也,謂三之為位也。以小人而乗君子之器,則居之不安,不能固有,是慢藏也;慢藏則益知其可奪矣。雖慢藏可奪,苟其上有庇、其下有助,則盜亦未至也。

六三の爻辞に言う、「負い且つ乗じ、寇(こう)を致す、貞吝」と。『小象伝』に言う、「負い且つ乗ずるは、亦た醜(はづ)べきなり。我より戎(じゅう)を致せば、又誰の咎か」と。負とは、小人の事なり、六が之を為すを謂うなり。乗とは、君子の器なり、三が位と為すを謂うなり。小人を以て君子の器に乗ずれば、則ち之に居りて安んぜず、能く固有らず。是れ慢蔵(まんぞう)なり。慢蔵すれば則ち益々其の奪う可きを知る。慢蔵奪う可きと雖も、苟も其の上庇(ひ)有り、其の下助け有れば、則ち盗も亦た未だ至らざるなり。

六三又上慢而下暴:上慢則上疾之,不為庇矣;下暴則下去之,不為助矣。如此,則非徒可奪,亦且可伐,此其所以致?之。奪,奪其物;伐,伐其人;象言致戎,又言伐其人也。九四:解而拇,朋至斯孚。象曰:解而拇,未當位也。拇在下而微者也,初六之象也;九四應在初六,解而拇之象也。解而拇,則所解狹矣;所解者狹,則所應者寡,故曰朋至斯孚。其朋信而已,則豈若有孚于小人者哉?雖然,九四未當位也,如其當位而所解若此,則吝矣,故不言悔吝,而象曰未當位也。

六三又上に慢りて下に暴なり。上に慢れば則ち上之を疾(にく)みて庇と為らず。下に暴なれば則ち下去りて助けと為らず。是くの如くなれば、則ち徒らに奪う可きのみならず、亦た且つ伐つ可し。此れ其の寇を致す所以なり。奪とは、其の物を奪うなり。伐とは、其の人を伐つなり。象に戎を致すと言い、又其の人を伐つと言うなり。九四の爻辞に言う、「而(なんぢ)が拇(おやゆび)を解け、朋至りて斯に孚(まこと)有り」と。『小象伝』に言う、「拇を解くは、未だ位に当らざるなり」と。拇は下に在りて微なる者、初六の象なり。九四初六に応ずるは、拇を解くの象なり。拇を解けば、則ち解く所狭し。解く所狭ければ、則ち応ずる所寡し。故曰く、朋至りて斯に孚有りと。其の朋信ずるのみ、則ち豈に小人に孚有る者の若くならんや。然りと雖も、九四未だ位に当らざるなり。其の位に当りて解く所此くの若くなれば如(し)くは、則ち吝なり。故に悔吝を言わずして、象に曰く未だ位に当らざるなりと。

六五:君子維有解,吉,有孚于小人。象曰:君子有解,小人退也。天地之解萬物,不擇物而解也,則君子之解天下,又焉可擇人而解哉?維有解而已。故有過者亦赦、有罪者亦宥,勿問其如何而一切解之,與之更始,則小人信其有愛人利物之心而退聴矣。若乃擇無過而後釋之、無罪而後原之,則小人自知其不免,難復作矣,非所以為解也。天地之解及草木,君子之解及小人。

六五の爻辞に言う、「君子維(こ)れ解有り、吉、小人に孚有り」と。『小象伝』に言う、「君子解有れば、小人退くなり」と。天地の万物を解するや、物を択ばずして解す。則ち君子の天下を解するも、又焉(いずく)んぞ人を択びて解する可からんや。維れ解有るのみ。故に過有る者も亦た赦し、罪有る者も亦た宥して、其の如何を問う勿れて一切之を解し、之と更始(こうし)せば、則ち小人其の人を愛し物を利するの心有るを信じて退きて聴(ゆる)す。若し乃ち无過を択びて然る後に之を釈(と)き、无罪して然る後に之を原(ゆる)せば、則ち小人自ら其の免がれざるを知りて、難復た作(おこ)る。解と為す所以に非ざるなり。天地の解は草木に及び、君子の解は小人に及ぶ。

上六:公用射隼于髙墉之上,獲之,無不利。象曰:公用射隼,以解悖也。公者,尊髙之位;隼者,貪殘之禽也;髙墉者,顯著之地也。上六處尊髙之位,勢可以有為矣;遇解之極,時可以為用。六三乃如貪悖之禽,止乎顯著之地,非所據而據焉,則射而獲之,何不利之有哉?即六三而言之,則以小人而乗君子之器者也;自上六視之,則以隼而在髙墉之上者也。所處非宜,在理則逆,則所謂悖也;上六射而獲之,則所解悖理而天下之大順成矣。

上六の爻辞に言う、「公隼(しゅん)を高墉(こうよう)の上に射るに用い、之を獲る、利ならざる无し」と。『小象伝』に言う、「公隼を射るに用うるは、以て悖(はい)を解すなり」と。公とは、尊高の位なり。隼とは、貪残の禽なり。高墉とは、顕著の地なり。上六尊高の位に処れば、勢い以て為す有る可し。解の極に遇うは、時以て用いる可し。六三は乃ち貪悖の禽の如く、顕著の地に止まり、拠る所に非ざるを拠(よ)れば、則ち射て之を獲る。何の利ならざるか有らんや。即ち六三より之を言えば、則ち小人を以て君子の器に乗ずる者なり。上六より之を視れば、則ち隼を以て高墉の上に在る者なり。処る所宜しきに非ざれば、理に在りて則ち逆なり。則ち所謂悖なり。上六射て之を獲れば、則ち解く所悖理にして天下の大順成るなり。

損卦(兌下艮上)

兌下艮上。損:有孚,元吉,無咎,可貞,利有攸往。曷之用?二簋可用享。彖曰:損,損下益上,其道上行。損而有孚,元吉,無咎,可貞,利有攸往。曷之用?二簋可用享。二簋應有時,損剛益柔有時,損益盈虛,與時偕行。

『損』卦は下体が兌、上体が艮。卦辞に言う、「損、孚有り、元吉、咎无し、貞に可し、往く所有るに利し。曷(なに)を之を用いん。二簋(にき、にこのき)以て享(きょう、まつ)る可し」と。『彖伝』に言う、「損は、下を損して上に益す、其の道上に行く。損して孚有れば、元吉、咎无し、貞に可し、往く所有るに利し。曷を之を用いん。二簋以て享る可し。二簋は時に応ずる有り、剛を損して柔に益すも時有り、損益盈虚、時と偕に行く」と。

損之為卦,下卦受損,上卦得益,則是損下而益上者也。損下而益上,非強本厚下之道,故於卦為損。夫財賦、力征,皆損下益上之事也。財賦有節而民信其非斂我也,力役有程而民信其非役我也,則損而有孚者也。損而有孚,則元吉無咎、可正而利有攸往矣。

損の卦と為るは、下卦損を受け、上卦益を得る。則ち是れ下を損して上に益する者なり。下を損して上に益するは、本を強くし下を厚くするの道に非ざるなり。故に卦に於て損と為る。夫れ財賦、力征(りきせい)は、皆下を損して上に益するの事なり。財賦節有りて民其の我を斂(あつ)めるに非ずと信じ、力役程有りて民其の我を役するに非ずと信ぜば、則ち損して孚有る者なり。損して孚有れば、則ち元吉咎无く、正にして往く所有るに利する可し。

何以知損有孚也?損之上體艮,艮,止也;其下體兌,兌,說也。上得益而知止,則其求於下不過矣;下受損而咸說,則其輸於上不倦矣。上止而下說,則損之有孚可知矣。曷之用?二簋可用享。以損下非厚下之道,故上於用財不敢厚,二簋可用享也。夫享禮以備物焉為盛者也,為其損下而取之為享,故宜備者亦捐之而用二簋焉。用二簋以應損下之宜,非常道也,故曰二簋以應損下之宜,非常道也,故曰二簋應有時。

何を以て損孚有るを知るや。損の上体は艮、艮とは止まるなり。其の下体は兌、兌とは説(よろこ)びなり。上益を得て止まるを知れば、則ち其の下に求むる過ぎざるなり。下損を受けて咸説べば、則ち其の上に輸(おさ)むる倦(う)まざるなり。上止まりて下説べば、則ち損の孚有る知る可し。曷を之を用いん。二簋以て享る可し。下を損するは下を厚くするの道に非ざるを以て、故に上用財に於て厚くするを敢えてせず、二簋以て享る可し。夫れ享礼は物を備うるを以て盛んと為す者なり。其れ下を損して之を取りて享と為るを為すが故に、宜しく備うべき者も亦た之を捐(す)てて二簋を用うるなり。二簋を用いて以て下を損するの宜しきに応ずるは、常道に非ざるなり。故曰く、二簋時に応ずる有りと。

剛者,上道也;柔者,下道也。上剛反不足,下剛乃有餘,損以益上之柔,亦有時而然也,故曰損剛益柔有時。損之不己則至於虛,益之不已則至於盈;然而損生於盈,益生於虛,相因於無窮,與時偕行而已,故曰損益盈虛與時行也。

剛とは、上の道なり。柔とは、下の道なり。上剛反(かえ)つて足らず、下剛乃ち余有り。損して以て上の柔に益すは、亦た時有りて然るなり。故曰く、剛を損して柔に益する時有りと。之を損して已まざれば則ち虚に至り、之を益して已まざれば則ち盈に至る。然れども損は盈に生じ、益は虚に生ず。無窮に相因(あいよ)りて、時と偕に行くのみ。故曰く、損益盈虚時と行くなりと。

象曰:山下有澤,損,君子以懲忿窒欲。山澤,通氣者也,以風日之過河猶有損,則山澤之通氣,焉得為無損哉?人之所損莫甚於忿欲:突而上陵,其忿如山;受而不厭,其虛如澤,損莫大焉。於是君子以懲忿窒欲;懲忿而不忮,窒慾而不求,則性質愈完而充實之美成矣。茲損也,祇其所以為益也。

『象』に曰く、山下に沢有り、損、君子以て忿(いか)りを懲(こ)らし欲を窒(ふさ)ぐと。山沢とは、気を通ずる者なり。風日の河を過ぐるに猶ほ損有るを以てすれば、則ち山沢の気を通ずるは、焉(いずく)んぞ損无きと為るを得んや。人の損する所は忿欲に甚だしきは莫し。突(とつ)として上に陵(しの)ぐ、其の忿山の如し。受けて厭(あ)かざる、其の虚沢の如し。損大なるは莫し。是に於て君子忿を懲らし欲を窒ぐ。忿を懲らして忮(し、は)からず、欲を窒いで求めざれば、則ち性質愈々完(まっと)うして充実の美成る。兹の損は、祇(ただ)其の益と為す所以なり。

初九:已事遄往,無咎,酌損之。象曰:已事遄往,尚合志也。曰愛君而欲益之,其誠則至矣;然道事而行,為之以遽,則有先迷之失,故必待其已事後往。已事而後往,則往雖遄無傷也。夫已事而後往,不失順承之義,則其往之遄,乃所以愛君也,何咎之有哉?酌損之者,懼其過也,以剛而遄往,故以過損為戒焉。尚合者,其愛君之心又不失事君之義,而六四亦能應而納之故也。

初九の爻辞に言う、「事已(や)みて遄(と)く往く、咎无し、酌(く)みて之を損す」と。『小象伝』に言う、「事已みて遄く往くは、尚ほ志に合うなり」と。曰く君を愛して之に益せんと欲すは、其の誠至るなり。然れども道事に順いて行う、之を為すに遽(にわ)かを以てせば、則ち先に迷うの失有り。故に必ず其の事已むを待ちて然る後に往く。事已みて然る後に往けば、則ち往きて遄しと雖も傷无し。夫れ事已みて然る後に往けば、順承の義を失わず。則ち其の往く遄きは、乃ち君を愛する所以なり。何の咎か有らんや。酌みて之を損するは、其の過ぎるを懼るるなり。剛を以て遄く往けば、故に過損を以て戒(いまし)むるなり。尚ほ合うとは、其の君を愛するの心又君に事うるの義を失わず、而して六四も亦た能く応じて納(い)るるが故なり。

九二:利貞,征凶,弗損益之。象曰:九二利貞,中以為志也。九二損益非常也,得中則可以止矣。九二益上而得中,故利正征凶;益上而得中,則無所事損也,將有益之者矣,故曰弗損益之。夫自損者人益之,自益者人損之,不期然矣。

九二の爻辞に言う、「貞に利し、征せば凶、損せずして之に益す」と。『小象伝』に言う、「九二貞に利しは、中を以て志と為すなり」と。九二損益は常に非ざるなり。中を得れば則ち以て止まる可し。九二上に益して中を得る、故に貞に利して征せば凶なり。上に益して中を得れば、則ち損を事とする所无し。将に之に益する者有らん。故曰く、損せずして之に益すと。夫れ自ら損するは人之に益し、自ら益するは人之を損す。期(き)せずして然るなり。

六三:三人行則損一人,一人行則得其友。象曰:一人行,三則疑也。道不貴多,多則疑雜;天地之合、君臣之交,所以貴夫致一也。六三志在益上者也,然為主於內而二陽從之以進,則有三人行之象焉。三人行則上疑於所與而其志不專,故六三有損焉;如其絶類離群而一人,則上之任賢不貳而下之得君亦專矣,然後可以修輔厥後而不疑,故曰得友也。

六三の爻辞に言う、「三人行けば則ち一人を損し、一人行けば則ち其の友を得る」と。『小象伝』に言う、「一人行けば、三なれば則ち疑うなり」と。道は多きを貴ばず、多ければ則ち疑雑す。天地の合、君臣の交は、致一(ちいつ)を貴ぶ所以なり。六三志上に益するに在る者なり。然れども内に主と為りて二陽之に従いて進めば、則ち三人行くの象有るなり。三人行けば則ち上与する所を疑いて其の志専ならず。故に六三損有るなり。其の類を絶ち群を離れて一人なれば如(し)くは、則ち上の賢を任ずるや貳(ふた)つならずして、下の君を得るも亦た専なり。然る後に以て其の后(きみ)を輔(たす)けて疑われざる可し。故曰く、友を得ると。

六四:損其疾,使遄有喜,無咎。象曰:損其疾,亦可喜也。物不得陰陽之中而所受皆偏者,皆疾也。偏乎陰則為愚,偏於陽則為躁;偏乎陰則損之宜以陽,偏乎陽則損之宜以陰。六四偏乎陰而能應陽以損其疾者也;然而陰之性緩,矯其性而使遄則有喜矣。六四之遄,非若初九之遄則其性也;六四之遄,乃使遄而非其性也。

六四の爻辞に言う、「其の疾を損して、遄くせしめて喜び有り、咎无し」と。『小象伝』に言う、「其の疾を損するは、亦た喜ぶ可きなり」と。物陰陽の中を得ずして受くる所皆偏なる者は、皆疾なり。陰に偏すれば則ち愚と為り、陽に偏すれば則ち躁(そう)と為る。陰に偏すれば則ち之を損するに宜しく陽を以てすべく、陽に偏すれば則ち之を損するに宜しく陰を以てすべし。六四陰に偏して能く陽に応じて其の疾を損する者なり。然れども陰の性は緩なり。其の性を矯(た)めて遄くせしめれば則ち喜び有るなり。六四の遄は、初九の遄の若くに非ざれば則ち其の性なり。六四の遄は、乃ち遄くせしむるにして其の性に非ざるなり。

六五:或益之十朋之,弗克違,元吉。象曰:六五元吉,自上佑也。六五居上而自損者也。九二居下而自損,物猶益之,又況居上而自損者乎?故曰或益之。或,言益之者眾也。不志於人養而曳尾於途中,則好違者也;六五居上而能自損,故使天下好違之人弗克違之,而聰明之才足以恂知休咎者皆為我用,且有十朋之多焉,則天下無遺賢、萬物無遺照矣,元吉不亦宜乎?有曰自天佑,有曰自上佑者,神祗祖考凡居上者皆佑,而不止謂天也。

六五の爻辞に言う、「或いは之に十朋(じっぽう、たから)の亀を益すも、克(よ)く違わず、元吉」と。『小象伝』に言う、「六五元吉は、上より祐(たす)けらるるなり」と。六五は上に居りて自ら損する者なり。九二下に居りて自ら損すれば、物猶ほ之に益す、又況んや上に居りて自ら損する者をや。故曰く、或いは之に益すと。或とは、之に益する者の衆きを言うなり。人養いを志とせずして途中に尾を曳(ひ)くは、則ち違うを好む者なり。六五上に居りて能く自ら損すれば、故に天下の違うを好むの人をして克く之に違わざらしめ、而して聡明の才以て休咎(きゅうきゅう)を恂知(しゅんち)するに足る者皆我が用と為り、且つ十朋の多有るなり。則ち天下に遺賢无く、万物に遺照(いしょう)无し。元吉亦た宜しきならずや。或いは曰く天祐するに由る、或いは曰く上祐するに由る者は、神祇祖考凡そ上に居る者皆祐する、而して止まらず天を謂うのみならず。

上九:弗損益之,無咎,貞吉,利有攸往,得臣無家。象曰:弗損益之,大得志也。上九為下而自損以益上,則戒於過,故九二曰弗損益之;為上而自損以益下,雖過可也,故上九曰弗損益之,而後曰無咎貞吉,皆在下不可過、在上可過之義也。蓋髙以下為基,下厚則上安焉,故上損可過而下損不可過也。上九自損以至於得益,則損之至矣,故得無家之臣焉。六二以應上,無家之臣也;允恭克遜而得過門之禹,蓋上九之謂也。

上九の爻辞に言う、「損せずして之に益す、咎无し、貞吉、往く所有るに利し、臣家无きを得る」と。『小象伝』に言う、「損せずして之に益すは、大いに志を得るなり」と。上九下と為りて自ら損して以て上に益せば、則ち過ぎるを戒む。故に九二に曰く損せずして之に益すと。上と為りて自ら損して以て下に益せば、過ぐると雖も可なり。故に上九に曰く損せずして之に益す、而して後に曰く咎无く貞吉と。皆下に在りては過ぐべからず、上に在りては過ぐべきの義なり。蓋し高は下を以て基と為す。下厚ければ則ち上安し。故に上の損は過ぐべくして下の損は過ぐべからざるなり。上九自ら損して以て益を得るに至れば、則ち損の至なり。故に家无きの臣を得るなり。六二以て上に応ずるは、家无きの臣なり。允恭克遜(いんきょうこくそん)にして門を過ぎるの禹を得るは、蓋し上九の謂なり。

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