五燈会元 巻第一
又梁末真諦三藏於壇之側手植二菩提樹。謂眾曰。卻後一百二十年。有大開士於此樹下演無上乘。度無量眾。祖具戒已。於此樹下開東山法門。宛如宿契。明年二月八日。忽謂眾曰。吾不願此居。欲歸舊隱。即印宗與緇白千餘人。送祖歸寶林寺。韶州刺史韋據。請於大梵寺轉妙法輪。並受無相心地戒。門人紀錄。目為壇經。盛行於世。後返曹溪。雨大法雨。學者不下千數。中宗神龍元年降詔雲。朕請安秀二師宮中供養。萬機之暇。每究一乘。二師並推讓曰。南方有能禪師。密受忍大師衣法。可就彼問。今遣內侍薛簡馳詔迎請。願師慈念。速赴上京。祖上表辭疾。願終林麓。簡曰。京城禪德皆雲。欲得會道。必須坐禪習定。若不因禪定而得解脫者。未之有也。未審師所說法如何。祖曰。道由心悟。豈在坐也。經云。若見如來。若坐若臥。是行邪道。何故。無所從來。亦無所去。若無生滅。是如來清淨禪。諸法空寂。是如來清淨坐。究竟無證。豈況坐邪。簡曰。弟子回。主上必問。願和尚慈悲。指示心要。祖曰。道無明暗。明暗是代謝之義。明暗無盡。亦是有盡。相待立名。故經云。法無有比。無相待故。簡曰。明喻智慧。暗況煩惱。修道之人。儻不以智慧照破煩惱。無始生死。憑何出離。祖曰。煩惱即是菩提。無二無別。若以智慧照煩惱者。此是二乘小見。羊鹿等機。大智上根。悉不如是。簡曰。如何是大乘見解。祖曰。明與無明。其性無二。無二之性。即是實性。實性者。處凡愚而不減。在賢聖而不增。住煩惱而不亂。居禪定而不寂。不斷不常。不來不去。不在中間。及其內外。不生不滅。性相如如。常住不遷。名之曰道。簡曰。師說不生不滅。何異外道。祖曰。外道所說不生不滅者。將滅止生。以生顯滅。滅猶不滅。生說無生。我說不生不滅者。本自無生。今亦無滅。所以不同外道。汝若欲知心要。
又梁末の眞諦三藏は壇の傍に自ら兩棵の菩提樹を種え、衆人に對して曰く、「往後一百二十年、大開士ありて此の樹下に於いて無上乘を演び、無量の衆を度さん。」祖師は具戒を受け畢り、此の樹下に於いて東山法門を開き、宛如として宿契。明年二月八日、忽然として衆人に對して曰く、「我は此に住せんことを欲せず、舊隱に歸らんと欲す。」是れすなわち印宗と緇白一千餘人、祖師を送りて寶林寺に回らしめた。韶州刺史の韋據、請うて大梵寺に於いて妙法輪を轉じ、且つ無相心地戒を受く。門人は紀錄し、題して《壇經》と作す、世に盛行せり。後に曹溪に返回し、大法雨を雨らせ、學者は一千を下らず。中宗神龍元年に詔を降して曰く、「朕は安・秀二師を請じて宮中に供養す。萬機の暇、毎々一乘を究む。二師は皆推讓して曰く、南方に能禪師あり、密かに忍大師の衣法を受け、彼處に就いて問うべしと。如今内侍の薛簡を遣はして詔を馳せ迎請せん。願はくは老師は慈念して、速かに上京に赴け。」祖師は上表して病を以て推辭し、林麓に終老せんことを願う。薛簡は言った。「京城の禪德は皆曰く、道を得會せんと欲せば、必ず坐禪習定を須う。禪定に因らずして解脫を得るは、此の事有ること無しと。老師の說く所の法は如何に。」祖師は言った。「道は心より悟る、豈に坐に在らんや。經に說く、若し如來が若しくは坐し若しくは臥するを見るは、是れ邪道を行ず。何を以てか。來る所なく、亦た去る所なし。若し生滅無ければ、是れ如來淸淨禪。諸法空寂は、是れ如來淸淨坐。究竟に證なく、何を況んや坐をや。」薛簡は言った。「弟子は歸らば、主上必ず問わん。願はくは和尚は慈悲して、心要を指示せよ。」祖師は言った。「道に明闇無し。明闇は代謝の義なり。明闇は盡き無しと言うも、亦た盡有り。相待して名を立つ。故に經に曰く、法に比有ること無し、相待無きが故に。」薛簡は言った。「明は智慧に譬え、闇は煩惱に比況す。道を修する人、若し智慧を用いて照破して煩惱せずば、無始の生死、何を以てか出離せん。」祖師は言った。「煩惱は即ち是れ菩提、二無く別無し。若し智慧を用いて煩惱を照らば、是れ二乘の小見、羊鹿等の機なり。大智上根は、皆是の如くならず。」薛簡は言った。「如何にか是れ大乘の見解。」祖師は言った。「明と無明、其の性は二無し。二無き之性は、即ち是れ實性。實性は、凡愚に處りて減せず、賢聖に在りて增せず、煩惱に住して乱れず、禪定に居して寂せず。斷ぜず常ならず、來らず去らず、中間と其の内外に在らず、生せず滅せず。性相如如にして、常住して遷らず、名づけて道と曰う。」薛簡は言った。「老師の說く不生不滅は、外道と何の異同か有らん。」祖師は言った。「外道の說く不生不滅は、滅を將て生を止め、生を將て滅を顯はす。滅は還た滅せず、生は無生と說く。我が說く不生不滅は、本より生無く、今も亦た滅無し。故に外道に同じからず。お前若し心要を知らんと欲せば、
但一切善惡都莫思量。自然得入清淨心體。湛然常寂。妙用恆沙。簡蒙指教。豁然大悟。禮辭歸闕。表奏祖語。有詔謝師。並賜磨衲袈裟.絹五百匹.寶缽一口。十二月十九日。勑改古寶林為中興寺。三年十一月十八日。又勑韶州刺史重加崇飾。賜額為法泉寺。祖新州舊居為國恩寺。一日。祖謂眾曰。諸善知識。汝等各各淨心。聽吾說法。汝等諸人。自心是佛。更莫狐疑。外無一物而能建立。皆是本心生萬種法故。經云。心生種種法生。心滅種種法滅。若欲成就種智。須達一相三昧。一行三昧。若於一切處而不住相。彼相中不生憎愛。亦無取捨。不念利益成壞等事。安閑恬靜。虗融澹泊。此名一相三昧。若於一切處。行住坐臥。純一直心。不動道場。真成淨土。名一行三昧。若人具二三昧。如地有種。能含藏長養。成就其實。一相一行。亦復如是。我今說法。猶如時雨溥潤大地。汝等佛性。譬諸種子。遇茲霑洽。悉得發生。承吾旨者。決獲菩提。依吾行者。定證妙果。先天元年告諸四眾曰。吾忝受忍大師衣法。今為汝等說法。不付其衣。葢汝等信根淳熟。決定不疑。堪任大事。聽吾偈曰。心地含諸種。普雨悉皆生。頓悟華情已。菩提果自成。說偈已。復曰。其法無二。其心亦然。其道清淨。亦無諸相。汝等慎勿觀淨及空其心。此心本淨。無可取捨。各自努力。隨緣好去。甞有僧舉臥輪禪師偈曰。臥輪有伎倆。能斷百思想。對境心不起。菩提日日長。祖聞之曰。此偈未明心地。若依而行之。是加繫縛。因示一偈曰。慧能沒伎倆。不斷百思想。對境心數起。菩提作麼長(臥輪非名即住處也)。祖說法利生。經四十載。其年七月六日。命弟子往新州國恩寺。建報恩塔。仍令倍工。又有蜀僧。名方辯。來謁曰。善揑塑。祖正色曰。試塑看。方辯不領旨。乃塑祖真。可高七尺。曲盡其妙。祖觀之曰。汝善塑性。
(六祖は続けて曰く:)只だ一切の善惡を思量せずんば、自然に淸淨の心體に入ることを得、湛然として常寂、妙用は恆沙の如し。」薛簡は指教を蒙り、豁然として大悟し、禮して辭して闕に歸り、祖師の言を表奏した。詔ありて師に謝し、且つ磨衲袈裟・絹五百匹・寶鉢一口を賜う。十二月十九日、敕して古寶林を改めて中興寺と爲す。三年十一月十八日、又韶州刺史に敕して重ねて崇飾せしめ、額を賜うて法泉寺と爲す。祖師の新州の舊居を國恩寺と爲す。一日、祖師は衆人に對して曰く、「諸の善知識、お前たち各々心を淨め、我が說法を聽け。お前たち諸人、自心は即ち佛、更に狐疑すること莫れ。外に一物の建立し得る者無し、皆是れ本心が萬種の法を生ずるが故なり。經に曰く、心が生ずれば種種の法生じ、心が滅すれば種種の法滅すと。若し種智を成就せんと欲せば、須く一相三昧・一行三昧に達すべし。若し一切處に於いて相に住せざれば、其の相の中に憎愛を生ぜず、亦た取捨無く、利益成壞等の事を念ぜず、安閑恬靜・虛融淡泊、是れ名づけて一相三昧と曰う。若し一切處に於いて、行住坐臥、純一に直心し、道場を動かさず、眞に淨土を成ずるは、名づけて一行三昧と曰う。若し人が此の兩種の三昧を具すれば、地に種有るが如く、含藏長養し、其の果實を成就す。一相・一行も、亦是の如し。我如今法を說くは、猶ほ時雨が普遍に大地を潤すが如し。お前たちの佛性は、譬へば種子の如く、此の沾洽に遇ひて、皆發生することを得。我が旨を承くる者は、決して菩提を獲ん。我が行に依る者は、定めて妙果を證せん。」先天元年、諸の四衆に告げて曰く、「我は忝くも忍大師の衣法を受け、如今お前たちに法を說くも、其の衣は付さず。お前たちの信根淳熟にして、決定して疑はず、大事に堪へたるを以てなり。我が偈を聽け、『心地に諸種を含み、普く雨すれば悉く皆生ず。頓悟して華情已れば、菩提の果は自ら成る。』」偈を說き畢り、又曰く、「其の法に二無く、其の心も亦是の如し。其の道は淸淨にして、亦た諸相無し。お前たちは愼んで淨を觀じて其の心を空にすること莫れ。此の心は本より淨にして、取捨すべき無し。各自に努力して、縁に随い好く去れ。」かつて僧あり、臥輪禪師の偈を舉げて曰く、「臥輪に伎倆有り、能く百思想を斷ず。境に對して心起らず、菩提は日々に長ず。」祖師は之を聞いて曰く、「此の偈は未だ心地を明かさず。若し依りて行ぜば、是れ繫縛を加ふ。」因って一偈を示した、「慧能は伎倆無し、百思想を斷ぜず。境に對して心數起り、菩提は作麼にか長ぜん。」(臥輪は名字に非ず、即ち住處なり。)祖師は法を說き生を利すること、四十年を經た。其の年七月六日、弟子に命じて新州國恩寺に往きて報恩塔を建てしめ、還た功を倍せしめた。又蜀僧あり、名を方辯と曰い、來りて謁して曰く、「善く捏塑す。」祖師は正色して曰く、「試みに塑して看よ。」方辯は旨を領會せず、便ち祖師の眞を塑り、高さ約七尺、曲盡して其の妙なり。祖師は之を看て曰く、「お前は塑性を善くすれども、
不善佛性。酬以衣物。辯禮謝而去。先天二年七月一日。謂門人曰。吾欲歸新州。汝速理舟檝。時大眾哀慕。乞師且住。祖曰。諸佛出現。猶示涅槃。有來必去。理亦常然。吾此形骸。歸必有所。眾曰。師從此去。早晚卻回。祖曰。葉落歸根。來時無口。又問。師之法眼。何人傳受。祖曰。有道者得。無心者通。又問。後莫有難否。祖曰。吾滅後五六年。當有一人來取吾首。聽吾記曰。頭上養親。口裡須飱。遇滿之難。楊柳為官。又曰。吾去七十年。有二菩薩從東方來。一在家。一齣家。同時興化。建立吾宗。締緝伽藍。昌隆法嗣。言訖。往新州國恩寺。沐浴跏趺而化。異香襲人。白虹矚地。即其年八月三日也。時韶新兩郡。各修靈塔。道俗莫決所之。兩郡刺史。共焚香祝曰。香菸引處。即師之慾歸焉。時鑪香騰湧。直貫曹溪。以十一月十三日入塔。壽七十六。時韶州刺史韋據撰碑。門人憶念取首之記。遂先以鐵葉漆布固護師頸。塔中有達磨所傳信衣。(西域屈眴布也。緝木𦄋華心織成。後人以碧絹為裡)。中宗賜磨衲寶缽。以辯塑真道具等。主塔侍者屍之。開元十年壬戌八月三日。夜半。忽聞塔中如拽鐵索聲。僧眾驚起。見一孝子從塔中走出。尋見師頸有傷。具以賊事聞於州縣。縣令楊侃.刺史柳無忝得牒。切加擒捉。五月於石角村捕得賊人。送韶州鞠問。雲。姓張名淨滿。汝州梁縣人。於洪州開元寺受新羅僧金大悲錢二十千。令取六祖大師首。歸海東供養。柳守聞狀。未即加刑。乃躬至曹溪。問祖上足令韜曰。如何處斷。韜曰。若以國法論。理須誅夷。但以佛教慈悲。冤親平等。況彼欲求供養。罪可恕矣。柳守嘉歎曰。始知佛門廣大。遂赦之(爾後。甚有名賢贊述。檀施珍異。文繁不錄)。上元元年肅宗遣使就請師衣缽。歸內供養。至永泰元年五月五日。代宗夢六祖大師請衣缽。七日。
佛性を善くせず。」衣物を以て彼に酬いた。方辯は禮謝して去った。先天二年七月一日、門人に對して曰く、「我は新州に歸らんと欲す、お前たち速かに舟楫を料理せよ。」當時大衆は哀慕し、老師に且く住まらんことを求めた。祖師は曰く、「諸佛の出現、還た涅槃を示す。來有れば必ず去る、理は常然なり。我が此の形骸、歸れば必ず所あらん。」衆は曰く、「老師此より去れば、早晚に却って回るか。」祖師は曰く、「葉落ちて根に歸す、來る時口無し。」又問うて、「老師の法眼、何人か傳受せん。」祖師は曰く、「道有る者は得、心無き者は通ず。」又問うて、「後來難有ること莫れや。」祖師は曰く、「我が滅後五六年、當に一人ありて來りて我が首を取らん。我が記を聽け、頭上親を養い、口裏須く餐し、滿の難に遇う、楊柳官と為る。」又曰く、「我が去る七十年、二菩薩の東方より來る有らん、一は在家、一は出家、同時に興化して、我が宗を建立し、伽藍を締緝し、法嗣を昌隆せしめん。」說き畢り、新州國恩寺に往き、沐浴して跏趺して化した。異香人を襲い、白虹地を照らす。即ち是の年八月三日。當時韶・新兩郡は各々靈塔を修め、道俗は往く所を決する能はず。兩郡の刺史は一齊に香を焚き祝して曰く、「香煙の引き至る所、即ち老師の歸せんと欲する所。」當時爐香は騰涌して、直に曹溪に貫いた。十一月十三日塔に入る。壽七十六。當時韶州刺史の韋據は碑を撰す。門人は取首の記を憶念し、便ち先に鐵葉漆布を以て老師の頸を固護した。塔の中に達磨の傳へし信衣(西域の屈眴布、木棉華心を緝して織り成る。後人は碧絹を以て裏と作す)、中宗の賜へる磨衲寶鉢、及び方辯の塑れる眞・道具等あり、主塔侍者の掌る所。開元十年壬戌八月三日の夜半、忽然として塔の中に鐵索を拽くが如き聲を聞いた。僧衆は驚き起き、一孝子の塔中より走出するを見た。隨りて老師の頸上に傷有るを見、賊の事を一々州縣に報した。縣令の楊侃・刺史の柳無忝は牒を得て、嚴に擒捉を加えた。五月、石角村に於いて賊人を捕得し、韶州に送りて審問した。曰く、姓は張名は淨滿、汝州梁縣の人、洪州開元寺に於いて新羅僧の金大悲より錢二十千を受け、六祖大師の首を取り、海東に歸りて供養せしめんとすと。柳守は情狀を聞き、未だ刑を加えず、便ち自ら曹溪に至り、祖師の上足の令韜に問うて曰く、「如何にか處斷せん。」令韜は曰く、「若し國法を以て論ずれば、理は當に誅夷すべし。但し佛教の慈悲を按ずれば、冤親平等なり。何を況んや彼は供養を求め、罪は恕すべきなり。」柳守は嘉嘆して曰く、「始めて佛門の廣大なるを知る。」便ち彼を赦した。(此の後甚だ名賢の讚述・檀施の珍異あり、文は繁く錄せず。)上元元年、肅宗は使者を遣はして老師の衣鉢を請ひ、內に歸りて供養せしめた。永泰元年五月五日に至り、代宗は六祖大師が衣鉢を請ふを夢見た。七日、
勑刺史楊瑊曰。朕夢感禪師請傳法袈裟卻歸曹溪。今遣鎮國大將軍劉崇景頂戴而送。朕謂之國寶。卿可於本寺如法安置。專令僧眾。親承宗旨者。嚴加守護。勿令遺墜。後或為人偷竊。皆不遠而獲。如是者數四。憲宗諡大鑒禪師。塔曰元和靈照。皇朝開寶初。王師平南海劉氏。殘兵作梗。祖之塔廟。鞠為煨燼。而真身為守塔僧保護。一無所損。尋有制興修。功未竟。會太宗皇帝即位。留心禪宗。頗增壯麗焉。
刺史の楊瑊に敕して曰く、「朕は夢に感ず、禪師が傳法袈裟を請ひて曹溪に歸らんことを。如今鎭國大將軍の劉崇景を遣はし、頂戴して送らしめん。朕は之を國寶と呼ばん。卿は本寺に於いて法の如く安置し、專ら僧衆に令して宗旨を親承する者をして、嚴に守護を加え、遺墜せしむること莫れ。」後に時として人の竊取せしこと有るも、皆遠からずして拿獲せり、此の如く幾度か數を経た。憲宗は大鑑禪師と諡し、塔は元和靈照と曰う。本朝開寶の初、王師は南海劉氏を平げ、殘兵は梗を作した。祖師の塔廟は、悉く灰燼と成れり、而して眞身は守塔僧の保護せしを以て、一も損する所無し。久しからず制ありて興修す。功未だ畢らずして、太宗皇帝の即位に遇い、禪宗を留心し、愈々増し壯麗と爲した。
五燈會元卷第一
五燈會元卷第二
四祖大醫禪師旁出法嗣第一世
四祖大醫禪師の旁出法嗣第一世
牛頭山法融禪師者
牛頭山法融禪師、
潤州延陵人也。姓韋氏。年十九。學通經史。尋閱大部般若。曉達真空。忽一日歎曰。儒道世典。非究竟法。般若正觀。出世舟航。遂隱茅山。投師落髮。後入牛頭山幽棲寺北巖之石室。有百鳥銜華之異。唐貞觀中。四祖遙觀氣象。知彼山有奇異之人。乃躬自尋訪。問寺僧。此間有道人否。曰。出家兒那箇不是道人。祖曰。阿那箇是道人。僧無對。別僧曰。此去山中十里許。有一懶融。見人不起。亦不合掌。莫是道人麼。祖遂入山。見師端坐自若。曾無所顧。祖問曰。在此作甚麼。師曰。觀心。祖曰。觀是何人。心是何物。師無對。便起作禮曰。大德高棲何所。祖曰。貧道不決所止。或東或西。師曰。還識道信禪師否。祖曰。何以問他。師曰。嚮德滋久。冀一禮謁。祖曰。道信禪師。貧道是也。師曰。因何降此。祖曰。特來相訪。莫更有宴息之處否。師指後面曰。別有小庵。遂引祖至庵所。遶庵。唯見虎狼之類。祖乃舉兩手作怖勢。師曰。猶有這箇在。祖曰。這箇是甚麼。師無語。少選。祖卻於師宴坐石上書一佛字。師覩之竦然。祖曰。猶有這箇在。師未曉。乃稽首請說真要。祖曰。夫百千法門。同歸方寸。河沙妙德。總在心源。一切戒門.定門.慧門.神通變化。悉自具足。不離汝心。一切煩惱業障。本來空寂。一切因果。皆如夢幻。無三界可出。無菩提可求。人與非人。性相平等。大道虗曠。絕思絕慮。如是之法。汝今已得。更無闕少。與佛何殊。更無別法。汝但任心自在。莫作觀行。亦莫澄心。莫起貪嗔。莫懷愁慮。蕩蕩無礙。任意縱橫。不作諸善。不作諸惡。行住坐臥。觸目遇緣。總是佛之妙用。快樂無憂。故名為佛。師曰。心既具足。何者是佛。何者是心。祖曰。非心不問佛。問佛非不心。師曰。既不許作觀行。於境起時。心如何對治。祖曰。境緣無好醜。好醜起於心。心若不強名。
潤州延陵の人。姓は韋。十九歳にして、經史に學び通ず。隨るに大部の般若を讀み、真空に曉達す。忽然として一日嘆じて曰く、「儒道の世典は、究竟の法に非ず。般若の正觀、方に是れ出世の舟航なり。」便ち茅山に隱居し、師に投じて髮を落した。後に牛頭山幽棲寺北巖の石室に進み、百鳥が花を銜ぶの異象有り。唐貞觀年間、四祖は遙かに氣象を觀て、那の山に奇異の人有るを知り、便ち自ら尋訪した。寺僧に問うた、「此處に道人有るか。」曰く、「出家人は阿箇か道人ならざらん。」祖師は曰く、「阿箇か是れ道人。」僧は對えず。別の僧は曰く、「此處より山中に去ること約十里、一懶融あり、人を見て起たず、亦た合掌せず。道人有ること莫れや。」祖師は便ち山に入り、老師の端坐自若として、全く顧る所無きを見た。祖師は問うた、「此處に在りて何をか作す。」老師は曰く、「心を觀ず。」祖師は曰く、「觀は是れ何人、心是れ何物。」老師は對えず、便ち身を起し禮を作して曰く、「大德は何の所在に高栖するか。」祖師は曰く、「貧道は止まる所を決せず、或いは東或いは西。」老師は曰く、「還た道信禪師を識るか。」祖師は曰く、「何を以てか彼を問う。」老師は曰く、「那の德に向往すること久し、一たび禮謁せんことを冀う。」祖師は曰く、「道信禪師は、貧道是れなり。」老師は曰く、「何を因りてか此處に降る。」祖師は曰く、「特地に來りて相訪す。可に宴息の處所あらんか。」老師は後を指して曰く、「別に小庵有り。」便ち祖師を引きて庵所に至る。庵を繞るに、只だ虎狼の類を見る。祖師は便ち兩手を舉げて怖勢を作した。老師は曰く、「猶ほ此の個の在ることあらん。」祖師は曰く、「此の個は是れ何。」老師は語無し。許りを過ぎ、祖師は却って老師の宴坐の石上に一個の佛字を寫した。老師は見て、竦然たり。祖師は曰く、「猶ほ此の個の在ることあらん。」老師は未だ曉らず、便ち稽首して真要を說かんことを請うた。祖師は曰く、「那の百千法門、同じく方寸に歸す。河沙の妙德、總じて心源に在り。一切の戒門・定門・慧門・神通變化、皆自己に具足し、お前の心を離れず。一切の煩惱業障、本より空寂。一切の因果、皆夢幻の如し。出ずべき三界無く、求むべき菩提無し。人と非人、性相平等。大道は虛曠にして、思を絶ち慮を絶つ。此の如きの法、お前は如今已に得たり、更に缺少無く、佛と何の異るか有らん、更に別の法無し。お前は只管に心に任せ自在せよ、觀行を作すこと莫れ、亦た心を澄ますこと莫れ、貪瞋を起すこと莫れ、愁慮を懷くこと莫れ、蕩蕩として礙無く、意のままに縱橫し、諸の善を作さず、諸の惡を作さず。行住坐臥、目に觸れ緣に遇うは、總じて是れ佛の妙用、快樂無憂、故に名づけて佛と曰う。」老師は曰く、「心は既に具足、阿箇をか佛と為し、阿箇をか心と為す。」祖師は曰く、「心に非ざれば佛を問はず、佛を問へば心に非らず。」老師は曰く、「既に觀行を作すことを許さず、境起る時に於いて、心は如何にか對治せん。」祖師は曰く、「境緣に好醜無し。好醜は心より起る。心若し強く名づけざれば、
妄情從何起。妄情既不起。真心任徧知。汝但隨心自在。無復對治。即名常住法身。無有變異。吾受璨大師頓教法門。今付於汝。汝今諦受吾言。只住此山。向後當有五人達者。紹汝玄化。祖付法訖。遂返雙峰終老。師自爾法席大盛。唐永徽中。徒眾乏糧。師往丹陽緣化。去山八十里。躬負米一石八斗。朝往暮還。供僧三百。二時不闕。三年。邑宰蕭元善請於建初寺講大般若經。聽者雲集。至滅靜品。地為之震動。講罷歸山。博陵王問師曰。境緣色發時。不言緣色起。云何得知緣。乃欲息其起。師曰。境色初發時。色境二性空。本無知緣者。心量與知同。照本發非發。爾時起自息。抱暗生覺緣。心時緣不逐。至如未生前。色心非養育。從空本無念。想受言念生。起發未曾起。豈用佛教令。問曰。閉目不見色。境慮乃便多。色既不關心。境從何處發。師曰。閉目不見色。內心動慮多。幻識假成用。起名終不過。知色不關心。心亦不關人。隨行有相轉。鳥去空中真。問曰。境發無處所。緣覺了知生。境謝覺還轉。覺乃變為境。若以心曳心。還為覺所覺。從之隨隨去。不離生滅際。師曰。色心前後中。實無緣起境。一念自疑忘。誰能計動靜。此知自無知。知知緣不會。當自檢本形。何須求域外。前境不變謝。後念不來今。求月執玄影。討跡逐飛禽。欲知心本性。還如視夢裡。譬之六月氷。處處皆相似。避空終不脫。求空復不成。借問鏡中像。心從何處生。問曰。恰恰用心時。若為安隱好。師曰。恰恰用心時。恰恰無心用。曲譚名相勞。直說無繁重。無心恰恰用。常用恰恰無。今說無心處。不與有心殊。問曰。智者引妙言。與心相會當。言與心路別。合則萬倍乖。師曰。方便說妙言。破病大乘道。非關本性譚。還從空化造。無念為真常。終當絕心路。離念性不動。生滅無乖悞。谷響既有聲。鏡像能回顧。問曰。
(四祖は続けて曰く:)妄情は何の處より起る。妄情は既に起らず、眞心は遍知に任す。お前は只管に心に随い自在せよ、更に對治せざれば、即ち名づけて常住法身と曰う、變異無し。我は璨大師の頓教法門を受け、如今お前に付す。お前は如今諦かに我が言を受け、只だ此の山に住せよ。往後當に五人の達者有りて、お前の玄化を紹繼せん。」祖師は法を付し畢り、便ち雙峰に返りて終老した。老師は此より法席大いに盛ん。唐永徽年間、徒衆は糧を缺いた。老師は丹陽に往きて緣化し、山を離るること八十里、自ら米一石八斗を負い、朝に往き暮に還り、僧三百を供して、兩時も缺かず。三年、邑宰の蕭元善は請うて建初寺に於いて《大般若《大般若經》を講ぜしめ、聽く人は雲の如く聚まった。滅靜品に至りて、地は因って震動した。講じ畢りて山に回る。博陵王は老師に問うた、「境緣色發の時、言はず緣色起。云何にか知ることを得、緣に乃ち其の起を息めんと欲す。」老師は曰く、「境色初めて發るの時、色境は二性空。本より緣を知る者無く、心量は知と同じ。本を照すは發に非ず、爾の時起りは自ら息む。暗を抱きて覺緣を生じ、心の時緣は逐はず。未だ生前に至らずんば、色心は養育に非ず。空に從りて本より念無く、想受は言念を生ず。起發は曾て起らず、豈に佛教令を用いん。」問うて、「目を閉ぢて色を見ず、境慮は乃ち便ち多し。色は既に心に關はらず、境は何の處より發る。」老師は曰く、「目を閉ぢて色を見ず、内心は動慮多し。幻識は假に成用し、名を起して終に過ぎず。色は心に關はらざるを知り、心も亦た人に關はらず。行に随行相轉有り、鳥去りて空中真。」問うて、「境發は處所無く、緣覺は了知を生ず。境謝し覺は還轉して、覺は乃ち變じて境と爲る。若し心を以て心を曳けば、還た覺の覺する所と爲る。之に從い随随に去り、生滅の際を離れず。」老師は曰く、「色心は前後中に、實に緣起境無し。一念自ら疑忘す、誰か能く動靜を計らん。此の知は自ら知無く、知知は緣會せず。當に自ら本形を檢すべし、何ぞ須く域外を求めん。前境は變謝せず、後念は今に來らず。月を求めて玄影を執り、跡を討ちて飛禽を逐う。心の本性を知らんと欲せば、還た夢裏を視るが如し。之を譬へば六月の冰、處處に皆相似たり。空を避けて終に脫せず、空を求めて復た成らず。借問す、鏡中の像、心は何の處より生ず。」問うて、「恰恰に心を用ゆるの時、若しくは安隱を以て好しと爲すか。」老師は曰く、「恰恰に心を用ゆるの時、恰恰に心を用うること無し。曲談は名相を勞し、直說は繁重無し。心無ければ恰恰に用い、常に用いて恰恰に無し。今心無き處を說く、心有ると殊にせず。」問うて、「智者は妙言を引き、心と會當せしむ。言は心路と別れ、合すれば萬倍も乖る。」老師は曰く、「方便に妙言を說き、病を破して大乘の道。本性の談に關はらず、還た空化より造る。念無きを眞常と爲し、終に當に心路を絶つべし。念を離れて性は動かず、生滅に乖誤無し。谷響は既に聲有り、鏡像は能く回顧す。」問うて、
行者體境有。因覺知境亡。前覺及後覺。並境有三心。師曰。境用非體覺。覺罷不應思。因覺知境亡。覺時境不起。前覺及後覺。並境有三遲。問曰。住定俱不轉。將為正三昧。諸業不能牽。不知細無明。徐徐躡其後。師曰。復聞別有人。虗執起心量。三中事不成。不轉還虗妄。心為正受縛。為之淨業障。心塵萬分一。不了說無明。細細習因起。徐徐名相生。風來波浪轉。欲靜水還平。更欲前途說。恐畏後心驚。無念大獸吼。性空下霜雹。星散穢草摧。縱橫飛鳥落。五道定紛綸。四魔不前卻。既如猛火燎。還如利劒斫。問曰。賴覺知萬法。萬法本來然。若假照用心。只得照用心。不應心裡事。師曰。賴覺知萬法。萬法終無賴。若假照用心。應不在心外。問曰。隨隨無揀擇。明心不現前。復慮心闇昧。在心用功行。智障復難除。師曰。有此不可有。尋此不可尋。無揀即真擇。得闇出明心。慮者心冥昧。存心託功行。何論智障難。至佛方為病。問曰。折中消息間。實亦難安怗。自非用行人。此難終難見。師曰。折中欲消息。消息非難易。先觀心處心。次推智中智。第三照推者。第四通無記。第五解脫名。第六等真偽。第七知法本。第八慈無為。第九徧空陰。第十雲雨被。最盡彼無覺。無明生本智。鏡像現三業。幻人化四衢。不住空邊盡。當照有中無。不出空有內。未將空有俱。號之名折中。折中非言說。安怗無處安。用行何能決。問曰。別有一種人。善解空無相。口言定亂一。復道有中無。同證用常寂。知覺寂常用。用心會真理。復言用無用。智慧方便多。言亂與理合。如如理自如。不由識心會。既知心會非。心心復相泯。如是難知法。永劫不能知。同此用心人。法所不能化。師曰。別有證空者。還如前偈論。行空守寂滅。識見暫時翻。會真是心量。終知未了原。又說息心用。多智疑相似。良由性不明。
(博陵王は続けて問う:)「行者は境有るを體して、覺に因りて境の亡ぶを知る。前覺と後覺、境を併せて三心有り。」老師は曰く、「境用は體覺に非ず、覺を罷みて應じて思ふべからず。覺に因りて境の亡ぶを知る、覺の時境は起らず。前覺及び後覺、境を併せて三遲有り。」問うて、「定に住して俱に轉ぜず、將に正三昧と爲さんとす。諸業は牽くこと能はず、細き無明を知らず、徐徐に其の後を蹑む。」老師は曰く、「復た聞く別の人に、虛執して心量を起す。三中は事成らず、轉ぜずして還た虛妄。心は正受の爲に縛せられ、之が爲に淨業障。心塵の萬分の一、了せずして無明と說く。細細習因に起り、徐徐に名相を生ず。風來りて波浪轉じ、靜まらんと欲すれば水は還た平ら。更に前途の說を欲す、恐畏して後心驚かん。念無きは大獸の吼、性空は霜雹を下す。星散して穢草摧れ、縱橫に飛鳥落つ。五道は定めて紛綸し、四魔は前却せず。既に猛火の燎かるが如く、還た利劍の斫るが如し。」問うて、「覺に賴りて萬法を知る、萬法は本來然り。若し照用心を假れば、只だ照用心を得るのみ、心裏の事に應ぜず。」老師は曰く、「覺に賴りて萬法を知る、萬法は終に賴る所無し。若し照用心を假れば、應に心外に在らず。」問うて、「随随に揀擇無く、明心は現前せず。復た慮る心暗昧に、心に在りて功行を用い、智障は復た除き難しと。」老師は曰く、「此有るは有すべからず、此を尋ぬるは尋ぬべからず。揀無きは即ち真の擇、暗を得て明心を出づ。慮る者は心冥昧、心を存して功行に托す。何ぞ智障の難を論せん、佛に至りて方に病と爲る。」問うて、「折中消息の間、實に亦た安帖し難し。用行の人に非ざれば、此の難は終に見難し。」老師は曰く、「折中は消息せんと欲す、消息は難易に非ず。先づ心の處の心を觀じ、次いで智の中の智を推す。第三に推す者を照し、第四に無記を通ず。第五は解脫と名づけ、第六に真偽を等し。第七は法本を知り、第八は慈の無爲。第九は遍く空陰し、第十は雲雨の被すが如し。最盡彼の無覺、無明は本智を生ず。鏡像は三業を現じ、幻人は四衢を化す。空辺に住せずして盡き、當に有の中の無を照すべし。空有の内を出でず、未だ空有を俱に將せず。號して之を折中と名づく。折中は言說に非ず。安帖は安んずる處無く、用行は何ぞ能く決せん。」問うて、「別に一種の人有り、善く空と無相とを解す。口に定乱一と言い、復た有の中の無と道う。同く寂を證し、常に寂を用ゆ。心を用いて真理に會し、復た用うること無用と言う。智慧方便多く、言乱は理と合す。如如の理は自如にして、識心の會するに由らず。既に心會の非を知り、心心は復た相い泯す。是の如き難知の法、永劫も知る能はず。此に同じく心を用ゆる人、法の化し得る所に非ず。」老師は曰く、「別に空を證する者有り、還た前の偈論の如し。空を行じて寂滅を守り、識見は暫時に翻る。眞に會するは心量、終に未了の原を知る。又心を息むの用を說く、智多くして疑ふこと相似たり。良く由るは性の明ならざるに在り、
求空且勞己。永劫住幽識。抱相都不知。放光便動地。於彼欲何為。問曰。前件看心者。復有羅縠難。師曰。看心有羅縠。幻心何待看。況無幻心者。從容下口難。問曰。久有大基業。心路差互間。得覺微細障。即達於真際。自非善巧師。無能決此理。仰惟我大師。當為開要門。引導用心者。不令失正道。師曰。法性本基業。夢境成差互。實相微細身。色心常不悟。忽逢混沌士。哀怨愍群生。託疑廣設問。抱理內常明。生死幽徑徹。毀譽心不驚。野老顯分答。法相媿來儀。蒙發群生藥。還如色性為。顯慶元年。邑宰蕭元善請住建初。師辭不獲免。遂命入室上首智巖付囑法印。令以次傳授。將下山。謂眾曰。吾不復踐此山矣。時鳥獸哀號。踰月不止。庵前有四大桐樹。仲夏之月。忽自凋落。明年正月二十三日。不疾而逝。窆於雞籠山。
(融禪師は続けて曰く:)空を求むるは且く己を勞す。永劫に幽識に住し、相を抱きて皆知らず。光を放ちて便ち地を動かす、彼に於いて何をか為さんと欲す。」問うて、「前面の看心する人は、還た羅縠の難有り。」老師は曰く、「看心に羅縠有り、幻心は何ぞ看るを待たん。況んや幻心無き者は、從容に下口難し。」問うて、「久く大基業有り、心路は差互の間。微細の障を覺え得れば、即ち真際に達す。自ら善巧の師に非ざれば、此の理を決する能はず。仰ぎ惟る我が大師、當に要門を開かんことを爲に。用心する者を引導して、正道を失はしめず。」老師は曰く、「法性は本基業、夢境は差互を成す。實相は微細身、色心は常に悟らず。忽ち混沌の士に逢ひ、哀怨して群生を愍む。疑に托して廣く問を設け、理を抱きて內に常明。生死は幽徑に徹し、毁譽は心驚かず。野老は顯分の答、法相は來儀に愧ぢ。群生の藥を發すを蒙り、還た色性の爲するが如し。」顯慶元年、邑宰の蕭元善は請うて建初に住せしめんとした。老師は推辭して免れ得ず、便ち入室上首の智巖に命じて法印を付囑し、次いで傳授せしめた。將に山を下らんとし、衆人に對して曰く、「我は此の山を踏むことを再びせず。」當時鳥獸哀號し、一月を過ぎて止まず。庵前に四棵の大桐樹あり、仲夏の月、忽然として自ら凋落した。明年正月二十三日、病まずして逝した。鷄籠山に葬る。
四祖下二世(旁出)
四祖下二世(旁出)
金陵牛頭山融禪師法嗣
金陵牛頭山融禪師法嗣
牛頭山智巖禪師者
牛頭山智巖禪師、
曲阿人也。姓華氏。弱冠智勇過人。身長七尺六寸。隋大業中為郎將。常以弓掛一濾水囊。隨行所至汲用。累從大將徵討。頻立戰功。唐武德中。年四十。遂乞出家。入舒州皖公山。從寶月禪師為弟子。後一日宴坐。覩異僧身長丈餘。神姿爽拔。詞氣清朗。謂師曰。卿八十生出家。宜加精進。言訖不見。甞在谷中入定。山水暴漲。師怡然不動。其水自退。有獵者遇之。因改過修善。復有昔同從軍者二人。聞師隱遁。乃共入山尋之。既見。因謂師曰。郎將狂邪。何為住此。師曰。我狂欲醒。君狂正發。夫嗜色淫聲。貪榮冐寵。流轉生死。何由自出。二人感悟。歎息而去。師後謁融禪師發明大事。融謂師曰。吾受信大師真訣。所得都亡。設有一法勝過涅槃。吾說亦如夢幻。夫一塵飛而翳天。一芥墮而覆地。汝今已過此見。吾復何雲。山門化導。當付之於汝。師稟命為第二世。後以正法付方禪師。師住白馬.棲玄兩寺。又遷石頭城。於儀鳳二年正月十日示滅。顏色不變。屈伸如生。室有異香。經旬不歇。遺言水塟焉。
曲阿の人。姓は華。弱冠の時智勇は人に過ぎ、身長七尺六寸。隋大業年間、郎將を爲し、常に弓に一個の濾水囊を掛け、行く所に隨いて汲用した。屢々大將に從いて征討し、頻りに戰功を立てた。唐武德年間、四十歳にして、便ち出家を求め、舒州皖公山に進み、寶月禪師に從いて弟子と爲った。後に一日宴坐して、異僧の身長一丈餘、神姿爽拔、詞氣淸朗を見て、老師に對して曰く、「卿は八十生の出家、加えるに精進すべし。」說き畢りて見えず。かつて谷中に於いて定に入り、山水暴長すれども、老師は怡然として動かず、其の水は自ら退いた。獵者ありて彼に遇い、因って過を改め善を修した。又從前同じく軍に從った二人あり、老師の隱遁を聞き、便ち一齊に山に入りて彼を尋ねた。既に見て、便ち老師に對して曰く、「郎將は狂せるか。何を以てか此處に住する。」老師は曰く、「我が狂は將に醒めんとす、君の狂は正に發す。那の色に嗜み聲に淫し、榮を貪り寵を冒して、生死に流轉す、何を以てか自ら出づる。」二人は感悟し、嘆息して去った。老師は後に融禪師に謁し、大事を發明した。融は老師に對して曰く、「我は信大師の真訣を受け、得る所皆亡す。假令涅槃に勝るる一法あるとも、我が說くも夢幻の如し。一塵飛ばば便ち天を翳し、一芥墮ちば便ち地を覆う。お前は如今已に此の見を過ぐ、我は還た何をか說かん。山門の化導、當にお前に付すべし。」老師は命を禀けて第二世と爲った。後に正法を方禪師に付した。老師は白馬・栖玄兩寺に住し、又石頭城に遷った。儀鳳二年正月十日、示滅した。顏色變らず、屈伸は生けるが如し。室に異香あり、十日を過ぎて歇まず。遺言は水葬なり。
金陵鍾山曇璀禪師者
金陵鍾山曇璀禪師、
吳郡人也。姓顏氏。初謁融禪師。融目而奇之。乃告之曰。色聲為無生之鴆毒。受想是至人之坑穽。子知之乎。師默而審之。大悟玄旨。尋晦跡鍾山。多歷年所。茅庵瓦缶。以終老焉。唐天授三年二月六日。恬然入定。七日而滅。
吳郡の人。姓は顏。初め融禪師に謁す。融は彼を看て、奇と爲し、便ち彼に告げて曰く、「色聲は無生の鴆毒、受想は至人の坑穽。お前は知るか。」老師は默默として審察し、玄旨に大悟した。隨って晦跡して鍾山に隱れ、年所を歴ること多し。茅庵瓦缶、以て終老した。唐天授三年二月六日、恬然として定に入り、七日にして滅した。
四祖下三世四世(旁出)(不列章次)
四祖下三世・四世(旁出)(章次を列せず)
四祖下五世(旁出)
四祖下五世(旁出)
金陵牛頭山持禪師法嗣
金陵牛頭山持禪師法嗣
牛頭山智威禪師者
牛頭山智威禪師、
江寧人也。姓陳氏。依天寶寺統法師出家。謁法持禪師。傳授正法。自爾江左學徒。皆奔走門下。有慧忠者。目為法器。師甞有偈示曰。□□莫繫念。念成生死河。輪迴六趣海。無見出長波。忠答曰。念想由來幻。性自無終始。若得此中意。長波當自止。師又示偈曰。餘本性虗無。緣妄生人我。如何息妄情。還歸空處坐。忠答曰。虗無是實體。人我何所存。妄情不須息。即汎般若船。師知其了悟。乃付以院事。隨緣化導。終於延祚寺。
江寧の人。姓は陳。天寶寺の統法師に依りて出家す。法持禪師に謁し、正法を傳授せられた。此より江左の學徒は皆門下に奔走した。慧忠あり、法器と看なされた。老師はかつて偈を以て開示した、「□□念を繫ぐること莫れ、念は生死河と成る。輪回は六趣の海、見る無くして長波を出づ。」慧忠は答えた、「念想は由來幻、性は自ら終始無し。若し此の中意を得れば、長波は當に自ら止まん。」老師は又偈を示した、「我が本性は虛無、妄に緣りて人我を生ず。如何にしてか妄情を息め、還た空處に坐せん。」慧忠は答えた、「虛無は是れ實體、人我は何の存する所か。妄情は須く息めず、即ち般若船に泛べ。」老師は彼の了悟するを知り、便ち院事を彼に付した。縁に隨い化導し、延祚寺に終わった。
四祖下六世(旁出)
四祖下六世(旁出)
金陵牛頭山威禪師法嗣
金陵牛頭山威禪師法嗣
牛頭山慧忠禪師者
牛頭山慧忠禪師、
潤州人也。姓王氏。年二十三。受業於莊嚴寺。聞威禪師出世。乃往謁之。威才見曰。山主來也。師感悟微旨。遂給侍左右。後辭。詣諸方巡禮。威於具戒院。見凌霄藤遇夏萎悴。人慾伐之。因謂之曰。勿剪。慧忠還時。此藤更生。及師回。果如其言。即以山門付囑訖。出居延祚寺。師平生一衲不易。器用唯一鐺。甞有供僧糓兩廩。盜者窺伺。虎為守之。縣令張遜者。至山頂謁。問師。有何徒弟。師曰。有三五人。遜曰。如何得見。師敲禪床。有三虎哮吼而出。遜驚怖而退。後眾請入城。居莊嚴舊寺。師欲於殿東別創法堂。先有古木。群鵲巢其上。工人將伐之。師謂鵲曰。此地建堂。汝等何不速去。言訖。群鵲乃遷巢他樹。初築基。有二神人定其四角。復潛資夜役。遂不日而就。繇是四方學徒雲集。得法者有三十四人。各住一方。轉化多眾。師有安心偈曰。人法雙淨。善惡兩忘。直心真實。菩提道場。大曆三年石室前掛鐺樹.掛衣藤忽盛夏枯死。四年六月十五日。集僧布薩訖。命侍者淨髮浴身。至夜有瑞雲覆其精舍。空中復聞天樂之聲。詰旦。怡然坐化。時風雨暴作。震折林木。復有白虹貫於巖壑。五年春。茶毗。獲舍利不可勝計。
潤州の人。姓は王。二十三歳、莊嚴寺に於いて受業す。威禪師の出世を聞き、便ち往きて謁した。威は纔かに見て曰く、「山主來れり。」老師は微旨を感悟し、便ち左右に給侍した。後に辭別し、諸方に往きて巡禮した。威は具戒院に在り、凌霄藤の夏に趕きて萎悴するを見て、人は之を伐らんと欲した。便ち曰く、「剪ること莫れ。慧忠が回る時、此の藤は再生せん。」老師の回るに及び、果たして其の言の如し。便ち山門を付囑し畢り、出でて延祚寺に住した。老師は平生一件の衲衣を換えず、器用は一口の鐺のみ。かつて僧を供する穀兩廩あり、盜者は窺伺したれども、虎が彼の爲に之を守った。縣令の張遜は山頂に至りて謁し、老師に問うた、「何の徒弟か有る。」老師は曰く、「三五人有り。」張遜は曰く、「如何にしてか見ることを得ん。」老師は禪床を敲くに、三隻の虎ありて哮吼して出でた。張遜は驚怖して退下した。後に衆人は城に入れんことを請い、莊嚴の舊寺に住した。老師は殿東に別に法堂を創らんと欲した。先に古木有り、群鵲は其の上に巢を築く。工人は將に之を伐らんとした。老師は鵲に對して曰く、「此の地は堂を建つ、お前たちは何ぞ速かに去らざる。」說き畢り、群鵲は便ち巢を遷して別樹に移った。初め基を築くに、二神人ありて其の四角を定め、又暗に夜役を資助し、便ち日を不て成った。此より四方の學徒は雲集す。法を得たるは三十四人、各々一方に住して、衆多を轉化した。老師に安心の偈あり、「人法雙く淨め、善惡兩つ忘る。直心は真實、菩提の道場。」大曆三年、石室前の鐺を掛くる樹・衣を掛くる藤、忽然として盛夏に枯死した。四年六月十五日、僧を集めて布薩し畢り、侍者に命じて髮を淨め身を浴せしめた。夜に至りて瑞雲は其の精舍を覆い、空中に又天樂の聲を聞いた。翌朝、怡然として坐化した。當時風雨暴作し、林木を震折し、又白虹は巖壑に貫いた。五年春、荼毗して、舍利を獲ること數ふべからず。
宣州安國寺玄挺禪師
宣州安國寺玄挺禪師
初參威禪師。侍立次。有講華嚴僧問。真性緣起。其義云何。威良久。師遽召曰。大德。正興一念問時。是真性中緣起。其僧言下大悟。或問。南宗自何而立。曰。心宗非南北。
初め威禪師に參す。侍立する時、《華嚴》を講ずる僧ありて問うた、「真性の緣起、那の義は如何に。」威は良久。老師は便ち召して曰く、「大德、正に一念の問を興すの時、即ち是れ真性の中の緣起。」其の僧は言下に大悟した。人ありて問うて曰く、「南宗は何より立つるか。」曰く、「心宗は南北に非ず。」
舒州天柱山崇慧禪師者
舒州天柱山崇慧禪師、
彭州人也。姓陳氏。唐乾元初。往舒州天柱山創寺。永泰元年賜額。僧問。如何是天柱境。師曰。主簿山高難見日。玉鏡峰前易曉人。問。達磨未來此土時。還有佛法也無。師曰。未來且置。即今事作麼生。曰。某甲不會。乞師指示。師曰。萬古長空。一朝風月。僧無語。師復曰。闍梨會麼。曰。不會。師曰。自己分上作麼生。幹他達磨來與未來作麼。他家來。大似賣卜漢。見汝不會。為汝錐破卦文。才生吉㐫。盡在汝分上。一切自看。僧曰。如何是解卜底人。師曰。汝才出門時。便不中也。問。如何是天柱家風。師曰。時有白雲來閉戶。更無風月四山流。問。亡僧遷化向甚麼處去也。師曰。𤅬嶽峰高長積翠。舒江明月色光暉。問。如何是大通智勝佛。師曰。曠大劫來。未曾壅滯。不是大通智勝佛是甚麼。曰。為甚麼佛法不現前。師曰。只為汝不會。所以成不現前。汝若會去。亦無佛可成。問。如何是道。師曰。白雲覆青嶂。蜂蝶戀庭華。問。從上諸聖有何言說。師曰。汝今見吾有何言說。問。宗門中事。請師舉唱。師曰。石牛長吼真空外。木馬嘶時月隱山。問。如何是和尚利人處。師曰。一雨普滋。千山秀色。問。如何是天柱山中人。師曰。獨步千峰頂。優遊九曲泉。問。如何是西來意。師曰。白猿抱子來青嶂。蜂蝶銜華綠蘂間。大曆十四年歸寂。塔于山之北。
彭州の人。姓は陳。唐乾元の初、舒州天柱山に往きて寺を創めた。永泰元年、額を賜う。僧は問うた、「如何にしてか天柱の境。」老師は曰く、「主簿山は高くして日を見難し、玉鏡峰前は人を曉り易し。」問うて、「達磨は此の土に來らざる時、還た佛法有りや。」老師は曰く、「來らざるは且く放け。即今の事は作麼生。」曰く、「某甲は會せず、老師の指示を求む。」老師は曰く、「萬古の長空、一朝の風月。」僧は語無し。老師は又曰く、「闍梨は會するか。」曰く、「會せず。」老師は曰く、「自己の分上は作麼生。達磨の來ると來らざるとを干して作麼。他家が來るは、大いに卜を賣る漢に似たり。お前の會せざるを見て、お前に卦文を錐破し、纔かに吉凶を生ぜしむ、盡くお前の分上に在り、一切自己看よ。」僧は曰く、「如何にしてか卜を解する人。」老師は曰く、「お前は纔かに門を出づる時、便ち中らず。」問うて、「如何にしてか天柱の家風。」老師は曰く、「時に白雲ありて來りて戸を閉ぢ、更に風月は四山に流れず。」問うて、「亡僧は遷化して何の處か向かって去る。」老師は曰く、「灊岳の峰は高くして長く翠を積み、舒江の明月は色光暉り。」問うて、「如何にしてか大通智勝佛。」老師は曰く、「曠大劫より來り、未だ曾て壅滯せず。大通智勝佛に非ずんば是れ何ぞ。」曰く、「何を以てか佛法は現前せざる。」老師は曰く、「只だお前の會せざるが爲、故に現前せざるを成す。お前若し會するを得れば、亦た成す可き佛無し。」問うて、「如何にしてか道。」老師は曰く、「白雲は青嶂を覆い、蜂蝶は庭花に戀う。」問うて、「上よりの諸聖は何の言說か有る。」老師は曰く、「お前は如今我を見て何の言說か有る。」問うて、「宗門の中の事、老師の擧唱を請ふ。」老師は曰く、「石牛は長吼して真空の外、木馬は嘶く時に月は山に隱る。」問うて、「如何にしてか和尚の利人の處。」老師は曰く、「一雨は普く滋し、千山は秀色。」問うて、「如何にしてか天柱山中の人。」老師は曰く、「獨り歩む千峰の頂、優游たり九曲の泉。」問うて、「如何にしてか西來意。」老師は曰く、「白猿は子を抱きて青嶂に來り、蜂蝶は花を銜びて綠蕊の間。」大曆十四年歸寂した。塔は山の北に在り。
潤州鶴林玄素禪師者
潤州鶴林玄素禪師、
延陵人也。姓馬氏。晚參威禪師。遂悟性宗。後居鶴林寺。一日有屠者禮謁。願就所居辦供。師欣然而往。眾皆見訝。師曰。佛性平等。賢愚一致。但可度者。吾即度之。復何差別之有。僧問。如何是西來意。師曰。會即不會。疑即不疑。又曰。不會不疑底。不疑不會底。有僧扣門。師問。是甚麼人。曰。是僧。師曰。非但是僧。佛來亦不著。曰。為甚麼不著。師曰。無汝棲泊處。
延陵の人。姓は馬。晚年に威禪師に參し、便ち性宗を悟れた。後に鶴林寺に住す。一日屠者ありて禮謁し、所居に就きて供を辦せんことを願う。老師は欣然として前往した。衆人皆之を見て驚いた。老師は曰く、「佛性は平等、賢愚は一致。但だ度すべきは、我即ち之を度す、又た何の差別か有らん。」僧は問うた、「如何にしてか西來意。」老師は曰く、「會すれば即ち會せず、疑へば即ち疑はず。」又曰く、「會せずして疑はずんば、疑はずして會せず。」僧ありて門を扣く。老師は問うた、「是れ何人か。」曰く、「是れ僧。」老師は曰く、「非但僧なり、佛來りても著けず。」曰く、「何を以てか著けざる。」老師は曰く、「お前に栖泊の處無し。」
四祖下七世(旁出)
四祖下七世(旁出)
金陵牛頭山忠禪師法嗣
金陵牛頭山忠禪師法嗣
天台山佛窟巖惟則禪師者
天臺山佛窟巖惟則禪師、
京兆人也。姓長孫氏。初謁忠禪師。大悟玄旨。乃曰。天地無物也。物我無物也。雖無物也。而未甞無物也。如此。則聖人如影。百姓如夢。孰為死生哉。至人以是能獨照。能為萬物主。吾知之矣。遂南遊天台。隱於瀑布之西巖。元和中慕道者日至。有弟子可素。遂築室廬。漸成法席。佛窟之稱自師始也。僧問。如何是那羅延箭。師曰。中的也。忽一日告門人曰。汝其勉之。閱一日。跏趺而寂。後三年。塔全身於本山(唐韓文公撰碑。今存國清寺)。
京兆の人。姓は長孫。初め忠禪師に謁し、玄旨に大悟し、便ち曰く、「天地に物無し。物我に物無し。物無しと雖も、未だ曾て物無きにあらず。此の如くなれば、則ち聖人は影の如く、百姓は夢の如し、誰をか死生と爲さん。至人は此を以て能く獨り照らし、能く萬物の主と爲る。我は之を知る。」便ち南に天臺に遊び、瀑布の西巖に隱れた。元和年間、道を慕う人は日に至った。弟子の可素あり、便ち室廬を築き、漸く法席と成った。佛窟の稱は老師より始まる。僧は問うた、「如何にしてか那羅延の箭。」老師は曰く、「的を中つ。」忽然として一日門人に告げて曰く、「お前たち勉勵せよ。」一日を過ぎ、跏趺して寂した。後三年を過ぎ、全身を本山に塔す。(唐の韓文公は碑を撰す、如今國淸寺に存す。)
鶴林素禪師法嗣
鶴林素禪師法嗣
