五燈会元 巻第一
杭州徑山道欽禪師者
杭州徑山道欽禪師、
蘇州崑山人也。姓朱氏。初服膺儒教。年二十八。遇素禪師。謂之曰。觀子神氣溫粹。真法寶也。師感悟。因求為弟子。素躬與落髮。乃戒之曰。汝乘流而行。逢徑即止。師遂南邁。抵臨安。見東北一山。因問樵者。樵曰。此徑山也。乃駐錫焉。僧問。如何是道。師曰。山上有鯉魚。海底有蓬塵。馬祖令人送書到。書中作一圓相。師發緘。於圓相中著一點。卻封回(忠國師聞。乃雲。欽師猶被馬師惑)。問。如何是祖師西來意。師曰。汝問不當。曰。如何得當。師曰。待吾滅後。即向汝說。馬祖令智藏來問。十二時中以何為境。師曰。待汝回去時有信。藏曰。如今便回去。師曰。傳語卻須問取曹溪。崔趙公問。弟子今欲出家。得否。師曰。出家乃大丈夫事。非將相之所能為。公於是有省。唐大曆三年。代宗詔至闕下。親加瞻禮。一日。同忠國師在內庭坐次。見帝駕來。師起立。帝曰。師何以起。師曰。檀越何得向四威儀中見貧道。帝悅。謂國師曰。欲錫欽師一名。國師欣然奉詔。乃賜號國一焉。後辭歸本山。於貞元八年十二月示疾。說法而逝。諡大覺禪師。
蘇州崑山の人。姓は朱。初め儒教を服膺した。二十八歳、素禪師に遇う。素は彼に對して曰く、「お前の神氣は溫粹を看るに、真に法寶なり。」老師は感悟し、因って弟子を爲るを求めた。素は自ら彼に落髮せしめ、便ち誡めて曰く、「お前は流に乘じて行き、徑に逢うて止まれ。」老師は便ち南に行き、臨安に抵り、東北の一山を見て、便ち樵者に問うた。樵は曰く、「此れは徑山。」便ち彼處に錫を駐めた。僧は問うた、「如何にしてか道。」老師は曰く、「山上に鯉魚有り、海底に蓬塵有り。」馬祖は人を遣はして書を送り至らしめた。書の中に一個の圓相を作す。老師は緘を開き、圓相の中に一点を著け、却って封して回らしめた。(忠國師は之を聞きて、便ち曰く、「欽師は還た馬師に惑はされてをる。」)問うて、「如何にしてか祖師西來意。」老師は曰く、「お前の問は當らず。」曰く、「如何にしてか當を得ん。」老師は曰く、「我が滅するを待ちて、更に向かってお前に說かん。」馬祖は智藏を令して來りて問はしめた、「十二時の中に何を以てか境と爲す。」老師は曰く、「お前の回るを待ちて信有らん。」智藏は曰く、「如今便ち回る。」老師は曰く、「傳話は却って須く曹溪に問取せよ。」崔趙公は問うた、「弟子は如今出家せんと欲す、行不行。」老師は曰く、「出家は乃ち大丈夫の事、將相の爲し得る所に非ず。」公は是に於いて省あり。唐大曆三年、代宗は闕下に詔し、自ら瞻禮を加えた。一日、忠國師と同じく內庭に坐して、帝駕の來るを見た。老師は起立した。帝は曰く、「老師は何を以てか起つ。」老師は曰く、「檀越は何ぞ四威儀の中に向かって貧道を見ることを得ん。」帝は悅び、國師に對して曰く、「欽師に一個の名を賜はらんと欲す。」國師は欣然として詔を奉じ、便ち號を國一と賜うた。後に辭して本山に歸った。貞元八年十二月、疾を示し、法を說いて逝した。諡して大覺禪師と曰う。
四祖下八世(旁出)
四祖下八世(旁出)
佛窟則禪師法嗣
佛窟則禪師法嗣
天台山雲居智禪師
天臺山雲居智禪師
甞有華嚴院。僧繼宗問。見性成佛。其義云何。師曰。清淨之性。本來湛然。無有動搖。不屬有無.淨穢.長短.取捨.體自翛然。如是明見。乃名見性。性即佛。佛即性。故曰見性成佛。曰。性既清淨。不屬有無。因何有見。師曰。見無所見。曰。既無所見。何更有見。師曰。見處亦無。曰。如是見時。是誰之見。師曰。無有能見者。曰。究竟其理如何。師曰。汝知否。妄計為有。即有能所。乃得名迷。隨見生解。便墮生死。明見之人即不然。終日見。未甞見。求名處體相不可得。能所俱絕。名為見性。曰。此性徧一切處否。師曰。無處不徧。曰。凡夫具否。師曰。上言無處不徧。豈凡夫而不具乎。曰。因何諸佛菩薩不被生死所拘。而凡夫獨縈此苦。何曾得徧。師曰。凡夫於清淨性中計有能所。即墮生死。諸佛大士善知清淨性中不屬有無。即能所不立。曰。若如是說。即有能了不了人。師曰。了尚不可得。豈有能了人乎。曰。至理如何。師曰。我以要言之。汝即應念清淨性中無有凡聖。亦無了不了人。凡之與聖。二俱是名。若隨名生解。即墮生死。若知假名不實。即無有當名者。又曰。此是極究竟處。若雲我能了.彼不能了。即是大病。見有淨穢.凡聖。亦是大病。作無凡聖解。又屬撥無因果。見有清淨性可棲止。亦大病。作不棲止解。亦大病。然清淨性中。雖無動搖。且不壞方便應用。及興慈運悲。如是興運之處。即全清淨之性。可謂見性成佛矣。繼宗踴躍。禮謝而退。
かつて華嚴院の僧の繼宗あり、問うて曰く、「性を見て佛と成る、那の義は如何に。」老師は曰く、「淸淨の性は、本來湛然として、動搖無く、有無・淨穢・長短・取捨に屬せず、體は自ら翛然たり。此の如く明見するを、纔かに名づけて見性と曰う。性は即ち是れ佛、佛は即ち是れ性、故に見性成佛と說く。」問うて、「性は既に淸淨、有無に屬せざれば、何を因りてか見有る。」老師は曰く、「見る所無きを見。」問うて、「既に見る所無ければ、何ぞ更に見有らん。」老師は曰く、「見る處も亦た無し。」問うて、「此の如く見る時、是れ誰の見か。」老師は曰く、「能く見る者無し。」問うて、「究竟那の理は如何に。」老師は曰く、「お前は知るか。妄計して有と爲せば、便ち能所有り、纔かに迷と名づくることを得。見に隨いて解を生ぜば、便ち生死に墮す。明見の人は則ち是の如くならず。終日に見れども、未だ曾て見ず。名・處・體・相を求むるも得る可からず。能所は俱に絶し、名づけて見性と曰う。」問うて、「此の性は一切處に遍しや。」老師は曰く、「遍せざる處無し。」問うて、「凡夫は具有するか。」老師は曰く、「上面に遍せざる處無しと說く、豈に凡夫は則ち具せざらんや。」問うて、「何を因りてか諸佛菩薩は生死に拘らざる、而して凡夫は獨り此の苦に縈る。何ぞ曾て遍を得たる。」老師は曰く、「凡夫は淸淨性の中に能所有るを計り、便ち生死に墮す。諸佛大士は善く淸淨性の中に有無に屬せざるを知り、便ち能所を立てず。」問うて、「若し此の說くが如くならば、便ち能了・不了の人有らん。」老師は曰く、「了は尚ほ得る可からず、豈に能了の人有らんや。」問うて、「至理は如何に。」老師は曰く、「我は要處を以て說く。お前は即ち當に念るべし、淸淨性の中に凡聖無く、亦た了・不了の人無し。凡と聖、兩方皆是れ名。若し名に隨いて解を生ぜば、便ち生死に墮す。若し假名の不實を知れば、便ち其の名に當る者無し。」又曰く、「此れは極究竟の處。若し我が能了・他は不能了と說かば、即ち大病なり。淨穢・凡聖を見るも、亦是れ大病。凡聖無しの解を作すも、又た因果を撥無するに屬す。淸淨性の栖止すべきあるを見るも、亦是れ大病。栖止せざるの解を作すも、亦是れ大病。然れども淸淨性の中に動搖無しと雖も、且つ方便應用、及び慈を興し悲を運ぶを壞らず。此の如く興運の處、即ち是れ全淸淨の性、見性成佛と說くべし。」繼宗は踊躍して、禮謝して退いた。
徑山國一欽禪師法嗣
徑山國一欽禪師法嗣
杭州鳥窠道林禪師
杭州鳥窠道林禪師
本郡富陽人也。姓潘氏。母朱氏。夢日光入口。因而有娠。及誕。異香滿室。遂名香光。九歲出家。二十一於荊州果願寺受戒。後詣長安西明寺復禮法師學華嚴經.起信論禮示以真妄頌。俾修禪那。師問曰。初云何觀。云何用心。禮久而無言。師三禮而退。屬代宗詔國一禪師至闕。師乃謁之。遂得正法。及南歸孤山永福寺。有辟支佛塔。時道俗共為法會。師振錫而入。有靈隱寺韜光法師問曰。此之法會。何以作聲。師曰。無聲誰知是會。後見秦望山有長松。枝葉繁茂。盤屈如葢。遂棲止其上。故時人謂之鳥窠禪師。復有鵲巢於其側。自然馴狎。人亦目為鵲巢和尚。有侍者會通。忽一日欲辭去。師問曰。汝今何往。對曰。會通為法出家。和尚不垂慈誨。今往諸方學佛法去。師曰。若是佛法。吾此間亦有少許。曰。如何是和尚佛法。師於身上拈起布毛吹之。通遂領悟玄旨。元和中。白居易侍郎出守茲郡。因入山謁師。問曰。禪師住處甚危險。師曰。太守危險尤甚。白曰。弟子位鎮江山。何險之有。師曰。薪火相交。識性不停。得非險乎。又問。如何是佛法大意。師曰。諸惡莫作。眾善奉行。白曰。三歲孩兒也解恁麼道。師曰。三歲孩兒雖道得。八十老人行不得。白作禮而退。師於長慶四年二月十日告侍者曰。吾今報盡。言訖坐亡(有云師名圓修者。恐是諡號)。
本郡富陽の人。姓は潘。母の朱氏、日光の口に入るを夢見、因って娠有り。誕生に及んで、異香室に滿ち、便ち名づけて香光と曰う。九歳にて出家。二十一歳、荊州果願寺に於いて戒を受く。後に長安西明寺に至り、復禮法師に從い《華嚴經》・《起信論》を學ぶ。復禮は真妄の頌を出示し、彼をして禪那を修せしめた。老師は問うた、「初め如何にしてか觀じ、如何にしてか心を用ゆる。」復禮は良久話無し。老師は三禮して退いた。代宗が國一禪師を闕に詔するに遇い、老師は便ち謁見し、是に於いて正法を得た。南歸して孤山永福寺に及び、辟支佛の塔有り。當時道俗は共に法會を作した。老師は錫を振りて入った。靈隱寺の韜光法師ありて問うた、「此の法會、何を以てか聲を作す。」老師は曰く、「聲無ければ誰か是れ會と知らん。」後に秦望山に長松有るを見て、枝葉繁茂し、盤屈して蓋の如く、便ち其の上に栖止し、故に當時の人は彼を鳥窠禪師と呼んだ。又鵲の巢は傍に有りて、自然に馴狎し、人も亦た彼を鵲巢和尚と稱した。侍者の會通あり、忽然として一日辭去せんと欲した。老師は問うた、「お前は如今何の處に往く。」對えて曰く、「會通は法の爲に出家す、和尚は慈誨を垂れず、如今諸方に往きて佛法を學ばん。」老師は曰く、「若し佛法ならば、我が此處にも少許有り。」問うて、「如何にしてか和尚の佛法。」老師は身上より布毛を拈起して吹いた。會通は便ち玄旨を領悟した。元和年間、白居易侍郎は出でて此の郡を守り、因って山に入りて老師に謁した。問うて、「禪師の住處は甚だ危險。」老師は曰く、「太守は危險更に甚し。」白居易は曰く、「弟子は位として江山を鎭む、何の險か有らん。」老師は曰く、「薪火相交はり、識性は停まらず、險ならざるを得んや。」又問うて、「如何にしてか佛法の大意。」老師は曰く、「諸の惡は作すこと莫れ、衆の善は奉行せよ。」白居易は曰く、「三歳の孩兒も解して此の如く道えり。」老師は曰く、「三歳の孩兒は道えると雖も、八十の老人は行い得ず。」白居易は禮を作して退いた。老師は長慶四年二月十日、侍者に告げて曰く、「我は如今報盡く。」說き畢りて坐亡した。(老師の名は圓修と說く者あり、諡號なるを恐る。)
五祖大滿禪師旁出法嗣第一世
五祖大滿禪師の旁出法嗣第一世
北宗神秀禪師者(耶舍三藏誌雲。艮地生玄旨。通尊媚亦尊。比肩三九族。足下一毛分)
北宗神秀禪師、(耶舍三藏の志に曰く、艮地に玄旨生じ、通尊は媚亦是れ尊。比肩は三九の族、足下は一毛の分。)
開封人也。姓李氏。少親儒業。博綜多聞。俄捨愛出家。尋師訪道。至蘄州雙峰東山寺。遇五祖以坐禪為務。乃歎伏曰。此真吾師也。誓心苦節。以樵汲自役。而求其道。祖默識之。深加器重。祖既示滅。秀遂住江陵當陽山。唐武后聞之。召至都下。於內道場供養。特加欽禮。命於舊山置度門寺。以旌其德。時王公士庶皆望塵拜伏。暨中宗即位。尤加禮重。大臣張說甞問法要。執弟子禮。師有偈示眾曰。一切佛法。自心本有。將心外求。捨父逃走。神龍二年於東都天宮寺入滅。諡大通禪師。羽儀法物。送殯於龍門。帝送至橋。王公士庶皆至塟所。張說及徵士盧鴻一各為碑誄。門人普寂.義福等。並為朝野所重。
開封の人。姓は李。少年より儒業を親しみ、博綜多聞。久しからず愛を捨て出家し、師を尋ね道を訪ふ。蘄州雙峰東山寺に至り、五祖が坐禪を務とするに遇い、便ち嘆服して曰く、「此れ真に我が老師。」心を誓して苦節し、樵汲を以て自己を役して其の道を求めた。祖師は默默として彼を識得し、深く器重した。祖師は既に示滅し、神秀は便ち江陵當陽山に住した。唐の武后は之を聞き、都下に召し、內道場に於いて供養し、特に欽禮を加え、舊山に度門寺を置きて命じ、以て其の德を旌表せしめた。當時王公士庶は皆塵を望みて拜伏した。中宗の即位に及び、禮重するを加ふ。大臣の張說はかつて法要を問ひ、弟子禮を執った。老師は偈ありて衆に示した、「一切の佛法、自心に本來有り。心を將て外に求むるは、父を捨てて逃走す。」神龍二年、東都天宮寺に於いて入滅した。諡して大通禪師と曰う。羽儀法物、殯を送りて龍門に至る。帝は橋に送り、王公士庶は皆葬所に至った。張說と徵士の盧鴻一、各々碑誄を作る。門人の普寂・義福等、皆朝野に重ぜられた。
嵩嶽慧安國師(耶舍三藏誌雲。九女出人倫。八女絕婚姻。朽床添六腳。心祖眾中尊)
嵩岳慧安國師(耶舍三藏の志に曰く、九女は人倫を出づ、八女は婚姻を絶つ。朽牀は六脚を添え、心祖は衆中の尊。)
荊州枝江人也。姓衛氏。隋開皇十七年括天下私度僧尼。勘師。師曰。本無名。遂遁于山谷。大業中。大發丁夫開通濟渠。饑殍相枕。師乞食以救之。獲濟者眾。煬帝徵師。不赴。潛入大和山。暨帝幸江都。海內擾攘。乃杖錫登衡嶽。行頭陀行。唐貞觀中。至黃梅謁忍祖。遂得心要。麟德元年遊終南山石壁。因止焉。高宗甞召。師不奉詔。於是徧歷名跡。至嵩少。雲。是吾終焉之地也。自爾禪者輻湊。有坦然.懷讓二僧來參問曰。如何是祖師西來意。師曰。何不問自己意。曰。如何是自己意。師曰。當觀密作用。曰。如何是密作用。師以目開合示之。然於言下知歸。讓乃即謁曹溪。武后徵至輦下。待以師禮。與秀禪師同加欽重。後甞問師。甲子多少。師曰。不記。後曰。何不記邪。師曰。生死之身。其若循環。環無起盡。焉用記為。況此心流注。中間無間。見漚起滅者。乃妄想耳。從初識至動相滅時。亦只如此。何年月而可記乎。後聞稽顙。信受。神龍二年中宗賜紫袈裟。度弟子二七人。仍延入禁中供養。三年。又賜摩衲。辭歸嵩嶽。是年三月三日。囑門人曰。吾死已。將屍向林中。待野火焚之。俄爾萬回公來。見師猖狂。握手言論。傍侍傾耳。都不體會。至八日。閉戶偃身而寂。春秋一百二十八(隋開皇二年壬寅生。唐景龍三年己酉滅。時稱老安國師)。門人遵旨。舁置林間。果野火自然。闍維得舍利八十粒。內五粒色紫。留於宮中。至先天二年門人建浮圖焉。
荊州枝江の人。姓は衛。隋開皇十七年、天下の私度の僧尼を搜括し、老師を勘問した。老師は說いた、「本來名無し。」便ち山谷に逃げ入った。大業年間、大いに丁夫を發して通濟渠を開き、餓死する人は互相に枕藉した。老師は食を乞い來りて救い、濟を獲たる人甚だ多し。煬帝は老師を徵すれども、赴かず、潛かに大和山に入った。帝の江都に幸するに及んで、海內擾攘し、便ち錫を杖して衡岳に登り、頭陀の行を行った。唐貞觀年間、黄梅に至りて忍祖に謁し、便ち心要を得た。麟德元年、終南山の石壁に遊び、因って住した。高宗はかつて召しけれども、老師は詔を奉ぜず。是に於いて名跡を遍歴し、嵩少に至り、說いた、「此れは我が終焉の地。」此より禪者は輻湊した。坦然・懷讓の二僧ありて來りて參し、問うた、「如何にしてか祖師西來意。」老師は曰く、「何ぞ自己意を問はざる。」問うて、「如何にしてか自己意。」老師は曰く、「當に密作用を觀ずべし。」問うて、「如何にしてか密作用。」老師は眼の開合を以て彼に看た。坦然は話下に歸するを知った。懷讓は便ち去りて曹溪に謁した。武后は輦下に徵し、師禮を以て待ち、秀禪師と同じく欽重を加えた。后はかつて老師に問うた、「甲子は多少。」老師は曰く、「記さず。」后は曰く、「何を以てか記せざる。」老師は曰く、「生死の身は、循環の如し。環は起盡なく、何を用いてか記せん。何を況んや此の心は流注して、中間に間斷無し。漚の起滅するを看るは、只だ是れ妄想のみ。初識より動相の滅する時に至るも、亦た只だ是の如し、何の年月か記すべき。」后は之を聞きて稽顙し信受した。神龍二年、中宗は紫袈裟を賜い、弟子二十一人を度し、還た禁中に延入して供養せしめた。三年、又磨衲を賜う。辭して嵩岳に歸った。此の年三月三日、門人に囑して曰く、「我が死したらば、屍を林中に放き、野火の焚くを待て。」久しからず萬回公は來りて老師に見え、猖狂に手を握りて言論せしを、傍に侍立する者は耳を側て聽くも、皆體會せず。八日に至り、戶を閉ぢ身を偃して寂した。春秋一百二十八。(隋開皇二年壬寅に生まれ、唐景龍三年己酉に滅す。當時老安國師と稱す。)門人は旨に遵い、擡りて林間に放くに、果たして野火は自然に焚きた。闍維して舍利八十粒を得、內の五粒は色紫にして、宮中に留めた。先天二年に至り門人は浮圖を建てた。
袁州蒙山道明禪師者
袁州蒙山道明禪師、
鄱陽人。陳宣帝之裔也。國亡落於民間。以其王孫。甞受署。因有將軍之號。少於永昌寺出家。慕道頗切。往依五祖法會。極意研尋。初無解悟。及聞五祖密付衣法與盧行者。即率同志數十人。躡跡追逐。至大庾嶺。師最先見。餘輩未及。盧見師奔至。即擲衣缽於磐石曰。此衣表信。可力爭邪。任君將去。師遂舉之。如山不動。踟躕悚慄。乃曰。我來求法。非為衣也。願行者開示於我。盧曰。不思善。不思惡。正恁麼時。阿那箇是明上座本來面目。師當下大悟。徧體汗流。泣禮數拜。問曰。上來密語密意外。還更別有意旨否。盧曰。我今與汝說者。即非密也。汝若返照自己面目。密卻在汝邊。師曰。某甲雖在黃梅隨眾。實未省自己面目。今蒙指授入處。如人飲水。冷暖自知。今行者即是某甲師也。盧曰。汝若如是。則吾與汝同師黃梅。善自護持。師又問。某甲向後宜往何所。盧曰。逢袁可止。遇蒙即居。師禮謝。遽回至嶺下。謂眾人曰。向陟崔嵬。遠望杳無蹤跡。當別道尋之。皆以為然。師既回。遂獨往廬山布水臺。經三載後。始往袁州𫎇山。大唱玄化。初名慧明。以避六祖上字。故名道明。弟子等盡遣過嶺南。參禮六祖。
鄱陽の人。陳宣帝の後裔。國亡して民間に落ちた。彼が王孫なるを以て、かつて署を受け、因って將軍の稱有り。少年より永昌寺に於いて出家し、道を慕うこと甚だ切り、往きて五祖の法會に依り、意を極めて研尋すれども、初め解悟せず。五祖が密かに衣法を盧行者に密付するを聞くに及び、便ち同志數十人を率りて、蹤を追うて逐いた。大庾嶺に至り、老師は最も先に見え、餘の人は未だ至らず。盧は老師の奔至するを見て、便ち衣鉢を磐石の上に擲して曰く、「此の衣は信を表す、力を以て爭うべきか。君に任せて拿去れ。」老師は便ち之を擧ぐるに、山の如く動かず。踟蹰悚栗し、便ち曰く、「我は法を求めて來る、衣の爲に非ず。願はくは行者は我に開示せん。」盧は曰く、「善を思はず、惡を思はず、正に此の如くなる時、阿箇か是れ明上座の本來面目。」老師は當下に大悟し、遍體に汗流し、泣禮して數拜した。問うて、「上來の密語密意の外、還た更に別の意旨有るか。」盧は曰く、「我が如今お前に說く所は、即ち密に非ず。お前若し自ら面目を返照せば、密は却ってお前の邊に在り。」老師は曰く、「某甲は黄梅に於いて衆に隨うと雖も、實に未だ自己の面目を省かず。如今指授の入處を蒙るは、人の水を飲みて冷暖を自ら知るが如し。如今行者は即ち某甲の老師なり。」盧は曰く、「お前若し此の如くならば、那我とお前とは黄梅に同師す。好く自ら護持せよ。」老師は又問うた、「某甲は往後當に何の所在に往くべきか。」盧は曰く、「袁に逢うて止むべく、蒙に遇えば即ち居れ。」老師は禮謝し、立刻に嶺下に回り、衆人に對して曰く、「先ほど崔嵬に登り、遙かに望むに杳として蹤跡無し、別に路を尋ねて尋ぬべし。」皆然りと爲した。老師は既に回り、便ち獨り廬山布水臺に往きた。三年を過ぎて後、纔かに袁州蒙山に往き、大いに玄化を唱えた。初め名を慧明と曰い、六祖の上字を避けるが爲、故に名を道明と曰う。弟子等は皆嶺南に打發して、六祖に參禮せしめた。
五祖下二世(旁出)
五祖下二世(旁出)
北宗秀禪師法嗣
北宗秀禪師法嗣
五臺山巨方禪師
五臺山巨方禪師
安陸人也。姓曹氏。幼稟業於明福院朗禪師。初講經論。後參禪會。及造北宗。秀問曰。白雲散處如何。師曰。不昧。秀又問。到此間後如何。師曰。正見一枝生五葉。秀默許之。入室侍對。應機無爽。尋至上黨寒嶺居焉。數歲之間。眾盈千數。後於五臺山闡化二十餘年。示寂。塔於本山。
安陸の人。姓は曹。幼年、明福院の朗禪師の處に業を禀けた。初め經論を講じ、後に禪會に參した。北宗に造るに及んで、神秀は問うた、「白雲の散する處は如何。」老師は曰く、「昧せず。」神秀は又問うた、「此の間に至りて後は如何。」老師は曰く、「正に一枝が五葉を生ずるを見。」神秀は默默として許可した。入室して侍對し、機に應じて差錯無し。隨って上黨寒嶺に至りて住した。數年の間、衆は一千に滿ちた。後に五臺山に於いて化を闡くこと二十餘年。示寂した。塔は本山に在り。
河中府中條山智封禪師
河中府中條山智封禪師
姓吳氏。初習唯識論。滯於名相。為知識所詰。乃發憤罷講。遊方見秀禪師。疑心頓釋。乃辭去。居於蒲津安峰。不下山十年。木食㵎飲。州牧衛文昇建安國院居之。緇素歸依。憧憧不絕。使君問曰。某今日後如何。師曰。日從濛汜出。照樹全無影。使君初不能諭。拱揖而退。少選開曉。釋然自得。師來往中條山二十餘年。得其道者不可勝紀。滅後。門人於州城北建塔焉。
姓は吳。初め《唯識論》を習い、名相に滯在して、知識に詰られ、便ち憤を發して講を停め、方を遊びて秀禪師に見え、疑心頓に釋し、便ち辭去した。蒲津安峰に住し、十年山西を下らず、木食澗飮す。州牧の衛文升は安國院を建てて彼に住せしめた。緇素は歸依し、來往絶えず。使君は問うた、「某は今日より後如何。」老師は曰く、「日は蒙汜より出づ、樹を照らして全く影無し。」使君は初め曉諭する能はず、拱揖して退いた。許りを過ぎ開曉し、釋然として自得した。老師は中條山を來往すること二十餘年、其の道を得る人は數ふべからず。滅後、門人は州城の北に塔を建てた。
兗州降魔藏禪師
兗州降魔藏禪師
趙郡人也。姓王氏。父為亳掾。師七歲出家。時屬野多妖鬼。魅惑於人。師孤形制伏。曾無少畏。故得降魔名焉。即依廣福院明讚禪師落髮。後遇北宗盛化。便誓摳衣。秀問曰。汝名降魔。此無山精木怪。汝翻作魔邪。師曰。有佛有魔。秀曰。汝若是魔。必住不思議境界。師曰。是佛亦空。何境界之有。秀懸記之曰。汝與少皡之墟有緣。師尋入泰山。數稔。學者雲集。一日告門人曰。吾今老朽。物極有歸。言訖而逝。
趙郡の人。姓は王。父は亳掾を爲す。老師は七歳にして出家。當時野外に妖鬼多く、人を魅惑す。老師は孤身にて制伏し、一点も畏れず、故に降魔の名を得た。便ち廣福院の明贊禪師に依りて髮を落す。後に北宗の盛化に遇い、便ち摳衣を誓した。神秀は問うた、「お前の名は降魔。此處に山精木怪無し、お前は翻って魔と作るか。」老師は曰く、「佛有り魔有り。」神秀は曰く、「お前若し魔なれば、必ず不思議の境界に住せん。」老師は曰く、「是れ佛も亦た空なり、何の境界か之れ有らん。」神秀は彼に懸記した、「お前は少皞の墟と縁有り。」老師は隨って泰山に進んだ。數年、學者は雲集す。一日門人に告げて曰く、「我は如今老朽したり。物は極まれば歸有り。」說き畢りて逝した。
壽州道樹禪師
壽州道樹禪師
唐州人也。姓聞氏。幼探經籍。年將五十。因遇高僧誘諭。遂誓出家。禮本部明月山慧文為師。師恥乎年長。求法淹遲。勵志遊方。無所不至。後歸東洛。遇秀禪師。言下知微。乃卜壽州三峰山。結茅而居。常有野人。服色素樸。言譚詭異。於言笑外化作佛形及菩薩.羅漢.天仙等形。或放神光。或呈聲響。師之學徒覩之。皆不能測。如此涉十年。後寂無形影。師告眾曰。野人作多色伎倆。眩惑於人。只消老僧不見不聞。伊伎倆有窮。吾不見不聞無盡。唐寶曆元年。示疾而終。
唐州の人。姓は聞。幼年より經籍を探る。年紀は將に五十に近き、高僧に遇いて誘諭せられ、便ち出家を立誓し、本部明月山の慧文を師と禮した。老師は年長・法を求むること遲きを耻じ、志を勵まし方を遊び、到らざる處無し。後に東洛に歸り、秀禪師に遇い、言下に微を知り、便ち壽州三峰山に居を卜し、茅を結びて住した。常に野人あり、服色素朴にして、言談詭異、言笑の外に佛形・及び菩薩・羅漢・天仙等の形を化作し、或いは神光を放ち、或いは聲響を呈した。老師の學徒は之を見るも、皆測る能はず。此の如く十年を過ぎ、後に寂として形影無し。老師は衆人に告げて曰く、「野人は多色の伎倆を作して、人を眩惑す。只だ老僧の見ず聞かずに消ゆ。彼の伎倆は窮有り、我が不見不聞は盡き無し。」唐寶曆元年、疾を示して終わった。
嵩嶽安國師法嗣
嵩岳安國師法嗣
洛京福先寺仁儉禪師
洛京福先寺仁儉禪師
自嵩山罷問。放曠郊鄽。謂之騰騰和尚。唐天冊萬歲中。天后詔入殿前。仰視天后。良久曰。會麼。後曰。不會。師曰。老僧持不語戒。言訖而出。翌日。進短歌一十九首。天后覽而嘉之。厚加賜賚。師皆不受。又令寫歌辭傳布天下。其辭並敷演真理。以警時俗。唯了元歌一首盛行於世。
嵩山より問を罷めて後、郊廛に放曠し、騰騰和尚と呼ばれた。唐天冊萬歳年間、天后は殿前に詔し入れしめた。天后を仰視すること許りを過ぎ、曰く、「會するか。」后は曰く、「會せず。」老師は曰く、「老僧は不語戒を持す。」說き畢りて便ち出た。明日、短歌十九首を進めた。天后は之を看て嘉許し、賜賚を厚く加えた。老師は皆受けず。又歌辭を寫して天下に傳布せしめた。其の辭は皆真理を敷演し、以て時俗を警醒せしむ。唯だ《了元歌》一首のみ世に盛行せり。
嵩嶽破灶墮和尚
嵩岳破竈墮和尚
不稱名氏。言行叵測。隱居嵩嶽。山塢有廟甚靈。殿中唯安一灶。遠近祭祀不輟。烹殺物命甚多。師一日領侍僧入廟。以杖敲灶三下曰。咄。此灶只是泥瓦合成。聖從何來。靈從何起。恁麼烹宰物命。又打三下。灶乃傾破墮落。須臾。有一人青衣峩冠。設拜師前。師曰。是甚麼人。曰。我本此廟灶神。久受業報。今日蒙師說無生法。得脫此處。生在天中。特來致謝。師曰。是汝本有之性。非吾彊言。神再禮而沒。少選。侍僧問曰。某等久侍和尚。不蒙示誨。灶神得甚麼徑旨。便得生天。師曰。我只向伊道是泥瓦合成。別也無道理為伊。侍僧無言。師曰。會麼。僧曰。不會。師曰。本有之性。為甚麼不會。侍僧等乃禮拜。師曰。墮也。墮也。破也。破也。後義豐禪師舉似安國師。安嘆曰。此子會盡。物我一如。可謂如朗月處空。無不見者。難搆伊語脈。豐問曰。未審甚麼人搆得他語脈。安曰。不知者。時號為破灶墮。僧問。物物無形時如何。師曰。禮即唯汝非我。不禮即唯我非汝。其僧乃禮謝。師曰。本有之物。物非物也。所以道心能轉物。即同如來。有僧從牛頭處來。師問曰。來自何人法會。僧近前叉手。遶師一匝而出。師曰。牛頭會下。不可有此人。僧乃回師上肩叉手而立。師曰。果然。果然。僧卻問曰。應物不由他時如何。師曰。爭得不由他。曰。恁麼則順正歸元去也。師曰。歸元何順。曰。若非和尚。幾錯招愆。師曰。猶是未見四祖時道理。見後道將來。僧卻遶師一匝而出。師曰。順正之道。今古如然。僧作禮。又僧侍立久。師乃曰。祖祖佛佛。只說如人本性本心。別無道理。會取。會取。僧禮謝。師乃以拂子打之曰。一處如是。千處亦然。僧乃叉手近前。應喏一聲。師曰。更不信。更不信。僧問。如何是大闡提人。師曰。尊重禮拜。曰。如何是大精進人。師曰。毀辱嗔恚。其後莫知所終。
名氏を稱せず、言行測る可らず、嵩岳に隱居す。山の塢に廟ありて甚だ靈し、殿中に只だ一口の竈を安ず、遠近は祭祀停まらず、物命を烹殺すること甚だ多し。老師は一日侍僧を領して廟に進み、杖を以て竈を三下敲きて曰く、「咄、此の竈は只だ泥瓦より合成す。聖は何より來る、靈は何より起る。此の如く物命を烹宰せん。」又三下打つ。竈は便ち傾破墮落した。許りを過ぎ、一人ありて青衣峨冠にて、老師の前に拜を設く。老師は曰く、「是れ何人か。」曰く、「我は本是れ此の廟の竈神、久しく業報を受く。今日老師が無生法を說くを蒙り、此の處を脫することを得、天中に生れんとす、特地に來りて謝を致さんとす。」老師は曰く、「是れお前の本有の性、我が強く說くに非ず。」神は再禮して沒した。許りを過ぎ、侍僧は問うた、「某等は久しく和尚に侍すれども、示誨を蒙らず。竈神は何の徑旨を得て、便ち天に生るを得たるか。」老師は曰く、「我は只だ彼に向かって是れ泥瓦より合成すと說く、別に彼に與ふる道理無し。」侍僧は言無し。老師は曰く、「會するか。」僧は曰く、「會せず。」老師は曰く、「本有の性、何を以てか會せざる。」侍僧等は便ち禮拜した。老師は曰く、「墮なり墮なり、破なり破なり。」後に義豐禪師は擧げて安國師に似た。安は嘆じて曰く、「此の漢は盡く會せり。物我一如、朗月の空に處るが如し、見えざる無しと說く可し。彼の語脈を搆ふる難し。」義豐は問うた、「何人か彼の語脈を搆ふるを知らずや。」安は曰く、「知らざる者。」當時號して破竈墮と曰う。僧は問うた、「物物形無き時は如何。」老師は曰く、「禮すれば即ち唯だ汝にして我に非ず、不禮すれば即ち唯だ我にして汝に非ず。」其の僧は便ち禮謝した。老師は曰く、「本有の物は、物は物に非ざるなり。故に道く、心は能く物を轉ずれば、即ち如來に同じと。」僧ありて牛頭の處より來る。老師は問うた、「何人の法會より來るか。」僧は近前して叉手し、老師を繞ること一匝にして出た。老師は曰く、「牛頭の會下、此の人有る可からず。」僧は便ち回り、老師の上肩に叉手して立つ。老師は曰く、「果然果然。」僧は却って問うた、「物に應ずるに他に由らざれば如何。」老師は曰く、「爭いでか他に由らざらん。」曰く、「此の如くなれば則ち正に順い元に歸せり。」老師は曰く、「元に歸するは何を順わん。」曰く、「和尚に非ざれば、幾ほどか愆を錯招せし。」老師は曰く、「還た四祖を見ざる時の道理なり。見て後道って將來れ。」僧は却って老師を繞ること一匝にして出た。老師は曰く、「順正の道、今古如然なり。」僧は禮を作した。又僧ありて侍立すること久し。老師は便ち曰く、「祖祖佛佛は、只だ人の本性本心の如きを說く、別の道理無し。會取せよ會取せよ。」僧は禮謝した。老師は便ち拂子を以て彼を打ちて曰く、「一處是の如し、千處も亦然り。」僧は便ち叉手して近前し、應喏の一聲す。老師は曰く、「更に信せず、更に信せず。」僧は問うた、「如何にしてか大闡提の人。」老師は曰く、「尊重して禮拜す。」問うて、「如何にしてか大精進の人。」老師は曰く、「毁辱瞋恚す。」其の後終わる所を知らず。
嵩嶽元珪禪師
嵩岳元珪禪師
伊闕人也。姓李氏。幼歲出家。唐永淳二年。受具戒。𨽻閑居寺。習毗尼無懈。後謁安國師。頓悟玄旨。遂卜廬於嶽之龐塢。一日。有異人峩冠袴褶(徒頰切)而至。從者極多。輕步舒徐。稱謁大師。師覩其形貌。奇偉非常。乃諭之曰。善來仁者胡為而至。彼曰。師寧識我邪。師曰。吾觀佛與眾生等。吾一目之。豈分別邪。彼曰。我此嶽神也。能生死於人。師安得一目我哉。師曰。吾本不生。汝焉能死。吾視身與空等。視吾與汝等。汝能壞空與汝乎。苟能壞空及汝。吾則不生不滅也。汝尚不能如是。又焉能生死吾邪。神稽首曰。我亦聦明正直於餘神。詎知師有廣大之智辯乎。願授以正戒。令我度世。師曰。汝既乞戒。即既戒也。所以者何。戒外無戒。又何戒哉。神曰。此理也我聞茫昧。止求師戒我身為門弟子。師即為張座。秉爐正幾曰。付汝五戒。若能奉持。即應曰能。不能。即曰否。曰。謹受教。師曰。汝能不婬乎。曰。我亦娶也。師曰。非謂此也。謂無羅欲也。曰。能。師曰。汝能不盜乎。曰。何乏我也。焉有盜取哉。師曰。非謂此也。謂饗而福淫。不供而禍善也。曰。能。師曰。汝能不殺乎。曰。實司其柄。焉曰不殺。師曰。非謂此也。謂有濫誤疑混也。曰。能。師曰。汝能不妄乎。曰。我正直。焉有妄乎。師曰。非謂此也。謂先後不合天心也。曰。能。師曰。汝不遭酒敗乎。曰。能。師曰。如上是為佛戒也。又言。以有心奉持而無心拘執。以有心為物而無心想身。能如是。則先天地生不為精。後天地死不為老。終日變化而不為動。畢盡寂默而不為休。信此則雖娶非妻也。雖饗非取也。雖柄非權也。雖作非故也。雖醉非惽也。若能無心於萬物。則羅欲不為婬。福淫禍善不為盜。濫誤疑混不為殺。先後違天不為妄。惽荒顛倒不為醉。是謂無心也。無心則無戒。無戒則無心。無佛無眾生。無汝及無我。
伊闕の人。姓は李。幼年にて出家。唐永淳二年、具戒を受け、閑居寺に隸し、毗尼を習うこと懈怠無し。後に安國師に謁し、玄旨に頓悟し、便ち岳の龐塢に廬を卜した。一日、異人ありて峨冠袴褶(徒頰切)にて來り、從者極めて多く、輕歩舒徐にて、大師に謁すと稱した。老師は彼の形貌奇偉非常を看て、便ち曉諭して曰く、「善來の仁者、何を以てか此に到る。」其の人は曰く、「老師は豈に我を識らざるか。」老師は曰く、「我は佛と衆生との平等を看、我一律に看待す、豈に分別せんや。」其の人は曰く、「我は是れ此の岳の神、人をして生ぜしめ、人をして死せしむる能くす。老師は怎能く一律に我を看待せん。」老師は曰く、「我は本より生ぜず、お前は怎能く我を死せしめん。我は身を視るに空と等し、我を視るにお前と等し。お前は能く空とお前とを壞るか。若し能く空及びお前を壞らば、我は則ち不生不滅。お前は尚ほ此の如く能はず、又た怎能く我を生死せん。」神は稽首して曰く、「我も亦た聰明正直は餘の神に過過ぎ、豈に老師の廣大の智辯有るを知らんや。願はくは正戒を授けて、我をして世を度せしめよ。」老師は曰く、「お前は既に戒を乞ふ、即ち既是れ戒なり。何を以てか。戒外に戒無し、又た何の戒かあらん。」神は曰く、「此の理は我は聞きて茫昧。只だ老師が我が身を戒し、門弟子と作らんことを求む。」老師は便ち彼に座を張り、爐を秉り几を正しくし、曰く、「お前に五戒を付す。若し能く奉持せば、應じて能と說け。能はずんば、即ち否と說け。」曰く、「謹んで教を受けん。」老師は曰く、「お前は能く淫らざるか。」曰く、「我も亦た娶る。」老師は曰く、「此の個を說くに非ず、是れ羅欲無しを說く。」曰く、「能。」老師は曰く、「お前は能く盜まざるか。」曰く、「何ぞ曾て我を乏しましめん、何の盜取か有らん。」老師は曰く、「此の個を說くに非ず、是れ飨へば淫を福し、供せざれば善を禍すを說く。」曰く、「能。」老師は曰く、「お前は能く殺さざるか。」曰く、「實に其の柄を司る、怎能く殺さずと說かん。」老師は曰く、「此の個を說くに非ず、是れ濫誤疑混有りを說く。」曰く、「能。」老師は曰く、「お前は能く妄らざるか。」曰く、「我は正直なり、何の妄か有らん。」老師は曰く、「此の個を說くに非ず、是れ先後天心に合はざるを說く。」曰く、「能。」老師は曰く、「お前は酒に遭いて敗れざるか。」曰く、「能。」老師は曰く、「上の如く是れ佛戒と爲す。」又曰く、「心を以て奉持して心無く拘執せず、心を以て物と爲して心想身無し。能く此の如くならば、則ち天地に先んじて生まれて精と爲さず、天地に後れて死して老と爲さず、終日變化して動と爲さず、畢盡寂默して休と爲さず。此を信ずれば則ち娶ると雖も妻に非ず、飨すと雖も取に非ず、柄と雖も權に非ず、作すと雖も故に非ず、醉すと雖も惛に非ず。若し能く萬物に心無くんば、則ち羅欲は淫と爲さず、淫を福し善を禍すは盜と爲さず、濫誤疑混は殺と爲さず、先後天に違うは妄と爲さず、惛荒顚倒は醉と爲さず。是を心無しと謂う。心無ければ則ち戒無し、戒無ければ則ち心無し。佛無く衆生無く、お前無く及び我無し。
孰為戒哉。神曰。我神通亞佛。師曰。汝神通十句.五能五不能。佛則十句.七能三不能。神悚然避席。跪啟曰。可得聞乎。師曰。汝能戾上帝.東天行而西七曜乎。曰。不能。師曰。汝能奪地祗.融五嶽而結四海乎。曰。不能。師曰。是謂五不能也。佛能空一切相。成萬法智。而不能即滅定業。佛能知群有性。窮億劫事。而不能化導無緣。佛能度無量有情。而不能盡眾生界。是為三不能也。定業亦不牢久。無緣亦是一期。眾生界本無增減。亙無一人能主其法。有法無主。是謂無法。無法無主。是謂無心。如我解。佛亦無神通也。但能以無心通達一切法爾。神曰。我誠淺昧。未聞空義。師所授戒。我當奉行。今願報慈德。効我所能。師曰。吾觀身無物。觀法無常。塊然更有何欲邪。神曰。師必命我為世間事。展我小神功。使已發心.初發心.未發心.不信心.必信心五等人目我神蹤。知有佛有神。有能有不能。有自然有非自然者。師曰。無為是。無為是。神曰。佛亦使神護法。師寧隳叛佛邪。願隨意垂誨。師不得已而言曰。東巖寺之障。莽然無樹。北岫有之而背非屏擁。汝能移北樹於東嶺乎。神曰。已聞命矣。然昏夜必有喧動。願師無駭。即作禮辭去。師門送而且觀之。見儀衛逶迤。如王者之狀。嵐靄煙霞。紛綸間錯。幢幡環珮。凌空隱沒焉。其夕。果有暴風吼雷。奔雲掣電。棟宇搖蕩。宿鳥聲喧。師謂眾曰。無怖。無怖。神與我契矣。詰旦和霽。則北巖松栝盡移東嶺。森然行植。師謂其徒曰。吾沒後無令外知。若為口實。人將妖我。以開元四年丙辰歲囑門人曰。吾始居寺東嶺。吾滅。汝必寘吾骸於彼。言訖若委蛻焉。
聲喧し。老師は衆人に對して曰く、「怖るな怖るな。神は我と契れり。」明朝和霽し、北巖の松栝は盡く東嶺に移り、森然として成行に種植せり。老師は徒衆に對して曰く、「我が沒したらば外頭に知らしむること莫れ。若し口實と成らば、人は將に我を以て妖と爲さん。」開元四年丙辰歳、門人に囑して曰く、「我は初め寺の東嶺に住せり。我が滅したらば、お前たちは必ず我が骸を其の處に放け。」說き畢りて委蛻の如く逝した。
五祖下三世(旁出)
五祖下三世(旁出)
嵩山寂禪師法嗣
嵩山寂禪師法嗣
