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閔公

战国 · 公羊高 · 第13巻 / 44

春,王正月,公如齊。狄滅溫。溫子奔衛。

春、周暦の正月、僖公は斉に行った。狄が温を滅ぼした。温子は衛に奔った。

(經十二)晉裡克弒其君卓子及其大夫荀息。

(経十二)晋の里克がその君卓子およびその大夫荀息を弑した。

(傳)及者何?累也。弒君多矣,舍此無累者乎?曰:有,孔父、仇牧皆累也。舍孔父、仇牧無累者乎?曰:有。有則此何以書?賢也。何賢乎荀息?荀息可謂不食其言矣。其不食其言奈何?奚齊、卓子者,驪姬之子也,荀息傅焉。驪姬者,國色也。獻公愛之甚,欲立其子,於是殺世子申生。申生者,裡克傅之。獻公病將死,謂荀息曰:「士何如則可謂之信矣?」荀息對曰:「使死者反生,生者不愧乎其言,則可謂信矣。」獻公死,奚齊立。裡克謂荀息曰:「君殺正而立不正,廢長而立幼,如之何?願與子慮之。」荀息曰:「君嘗訊臣矣,臣對曰:『使死者反生,生者不愧乎其言,則可謂信矣。』」裡克知其不可與謀,退,弒奚齊。荀息立卓子,裡克弒卓子,荀息死之。荀息可謂不食其言矣!

(伝)「及」とは何か。累を及ぼすことである。弑君は多いが、これを除いて累のある者はいないのか。曰く、ある。孔父・仇牧はみな累である。孔父・仇牧を除いて累のある者はいないのか。曰く、ある。あるならばここでなぜ書くのか。荀息が賢だからである。荀息の何が賢なのか。荀息は言を食まない者と言うべきである。彼がどのように言を食まなかったのか。奚斉・卓子は驪姫の子であり、荀息は彼らの傅であった。驪姫は国色であり、献公は彼女を甚だ愛してその子を立てようとし、ここに世子申生を殺した。申生は里克が傅した。献公は病みて将に死なんとして、荀息に謂うた。「士はどうすれば信と謂うべきか。」荀息が対えた。「死者をして反らせ生き、生者がその言に愧じなければ、信と謂うべきです。」献公が死に、奚斉が立った。里克は荀息に謂うた。「君は正を殺して不正を立て、長を廃して幼を立てた。これをどうするか。願わくば子とともにこれを慮りたい。」荀息は言った。「君はかつて臣に訊ねた。臣は対えて曰く、『死者をして反らせ生き、生者がその言に愧じなければ、信と謂うべきです』と。」里克は彼と謀ることができないことを知り、退いて、奚斉を弑した。荀息は卓子を立て、里克は卓子を弑し、荀息は彼のために死んだ。荀息は言を食まない者と言うべきである!

(經十三)夏,齊侯、許男伐北戎。晉殺其大夫裡克。

(経十三)夏、斉侯・許男が北戎を伐った。晋がその大夫里克を殺した。

(傳)裡克弒二君,則曷為不以討賊之辭言之?惠公之大夫也。然則孰立惠公?裡克也。裡克弒奚齊、卓子,逆惠公而入。裡克立惠公,則惠公曷為殺之?惠公曰:「爾既殺夫二孺子矣,又將圖寡人,為爾君者,不亦病乎?」於是殺之。然則曷為不言惠公之入?晉之不言出入者,踴為文公諱也。齊小白入於齊,則曷為不為桓公諱?桓公之享國也長,美見乎天下,故不為之諱本惡也。文公之享國也短,美未見乎天下,故為之諱本惡也。

(伝)里克は二人の君を弑したのに、なぜ賊を討つの辞をもって言わないのか。彼は恵公の大夫だからである。然らば誰が恵公を立てたのか。里克である。里克は奚斉・卓子を弑し、恵公を迎え入れた。里克は恵公を立てたのに、恵公はなぜ彼を殺したのか。恵公は言った。「そなたはすでにあの二つの孺子を殺し、また将に寡人を圖らんとしている。そなたの君となる者、また病まないか。」こうして彼を殺した。然らばなぜ恵公の入を言わないのか。晋が出と入を言わないのは、踊んで文公のために諱むのである。斉の小白が斉に入ったとき、なぜ桓公のために諱まないのか。桓公の国に享くこと長く、美が天下に見えたから、彼の本の悪を諱まなかったのである。文公の国に享くこと短く、美はいまだ天下に見えないから、彼の本の悪を諱んだのである。

(經十四)秋,七月。

(経十四)秋の七月。

(經十五)冬,大雨雹。

(経十五)冬、大いに雹が降った。

(傳)何以書?記異也。

(伝)なぜ書くのか。異常を記したのである。

僖公(經十一一)十有一年

僖公(経十一一)十有一年

春,晉殺其大夫丕鄭父。

春、晋がその大夫丕鄭父を殺した。

(經十一二)夏,公及夫人姜氏會齊侯於陽穀。

(経十一二)夏、僖公および夫人姜氏が陽穀で斉侯に会した。

(經十一三)秋,八月,大雩。

(経十一三)秋の八月、大雩を行った。

(經十一四)冬,楚人伐黃。

(経十一四)冬、楚人が黄を伐った。

僖公(經十二一)十有二年

僖公(経十二一)十有二年

春,王三月庚午,日有食之。

春、周暦の三月庚午、日食があった。

(經十二二)夏,楚人滅黃。

(経十二二)夏、楚人が黄を滅ぼした。

(經十二三)秋,七月。

(経十二三)秋の七月。

(經十二四)冬,十有二月丁丑,陳侯處臼卒。

(経十二四)冬の十二月丁丑、陳侯処臼が卒した。

僖公(經十三一)十有三年

僖公(経十三一)十有三年

春,狄侵衛。

春、狄が衛に侵入した。

(經十三二)夏,四月,葬陳宣公。公會齊侯、宋公、陳侯、衛侯、鄭伯、許男、曹伯於鹹。

(経十三二)夏の四月、陳宣公を葬った。僖公は咸で斉侯・宋公・陳侯・衛侯・鄭伯・許男・曹伯に会した。

(經十三三)秋,九月,大雩。

(経十三三)秋の九月、大雩を行った。

(經十三四)冬,公子友如齊。

(経十三四)冬、公子友が斉に行った。

僖公(經十四一)十有四年

僖公(経十四一)十有四年

春,諸侯城緣陵。

春、諸侯が縁陵に城を築いた。

(傳)孰城之?城杞也。曷為城杞?滅也。孰滅之?蓋徐、莒脅之。曷為不言徐、莒脅之?為桓公諱也。曷為為桓公諱?上無天子,下無方伯,天下諸侯有相滅亡者,桓公不能救,則桓公恥之也。然則孰城之?桓公城之。曷為不言桓公城之?不與諸侯專封也。曷為不與?實與而文不與。文曷為不與?諸侯之義不得專封也。諸侯之義不得專封,則其曰實與之何?上無天子,下無方伯,天下諸侯有相滅亡者,力能救之,則救之可也。

(伝)誰が築いたのか。杞のために城を築いたのである。なぜ杞のために築城したのか。滅びていたからである。誰が滅ぼしたのか。おそらく徐・莒がこれを脅したのである。なぜ徐・莒が脅したと言わないのか。桓公のために諱んだのである。なぜ桓公のために諱むのか。上に天子なく、下に方伯なく、天下の諸侯に互いに滅ぼし合う者があり、桓公が救えなければ、桓公はそれを恥としたのである。然らば誰が築いたのか。桓公が築いたのである。なぜ桓公が築いたと言わないのか。諸侯が勝手に国を封じることを是としないからである。なぜ是としないのか。実は是としながら、文の上では是としないのである。文の上でなぜ是としないのか。諸侯の義として勝手に封じることは許されないからである。許されないのなら、なぜ実は是とすると言うのか。上に天子なく、下に方伯なく、天下の諸侯に互いに滅ぼし合う者があるとき、力をもって救えるならば、救うのはよいことだからである。

(經十四二)夏,六月,季姬及鄫子遇於防,使鄫子來朝。

(経十四二)夏の六月、季姫は鄫子と防で遇い、鄫子をして来て朝見させた。

(傳)鄫子曷為使乎季姬來朝?內辭也。非使來朝,使來請己也。

(伝)鄫子はなぜ季姫に使われて来て朝見したのか。これは魯国自身の辞である。彼に来て朝見させたのではなく、来て自らを請わせたのである。

(經十四三)秋,八月辛卯,沙鹿崩。

(経十四三)秋の八月辛卯、沙鹿が崩れた。

(傳)沙鹿者何?河上之邑也。此邑也,其言崩何?襲邑也。沙鹿崩,何以書?記異也。外異不書,此何以書?為天下記異也。

(伝)沙鹿とは何か。黄河のほとりの邑である。これは邑なのに、なぜ「崩」と言うのか。邑が襲われて没したのである。沙鹿が崩れたのを、なぜ書くのか。異常を記したのである。外の異常は例により書かないのに、ここでなぜ書くのか。天下のために異常を記したのである。

(經十四四)狄侵鄭。

(経十四四)狄が鄭に侵入した。

(經十四五)冬,蔡侯肸卒。

(経十四五)冬、蔡侯肸が卒した。

僖公(經十五一)十有五年

僖公(経十五一)十有五年

春,王正月,公如齊。

春、周暦の正月、僖公は斉に行った。

(經十五二)楚人伐徐。

(経十五二)楚人が徐を伐った。

(經十五三)三月,公會齊侯、宋公、陳侯、鄭伯、許男、曹伯盟於牡丘,遂次於匡。

(経十五三)三月、僖公は斉侯・宋公・陳侯・鄭伯・許男・曹伯と牡丘で盟し、続いて匡に驻屯した。

(經十五四)公孫敖率師及諸侯之大夫救徐。

(経十五四)公孫敖が軍隊を率いて諸侯の大夫たちとともに徐を救った。

(經十五五)夏,五月,日有食之。

(経十五五)夏の五月、日食があった。

(經十五六)秋,七月,齊師、曹師伐厲。

(経十五六)秋の七月、斉の軍隊・曹の軍隊が厲を伐った。

(經十五七)八月,螽。

(経十五七)八月、蝗虫が害をなした。

(經十五八)九月,公至自會。

(経十五八)九月、僖公は会から帰った。

(傳)桓公之會不致,此何以致?久也。

(伝)桓公の会は帰国を書かないのに、ここでなぜ帰国を書くのか。久しく拖びたからである。

(經十五九)季姬歸於鄫。己卯,晦,震夷伯之廟。

(経十五九)季姫が鄫に嫁いだ。己卯、晦の日、雷が夷伯の廟を撃った。

(傳)晦者何?冥也。震之者何?雷電擊夷伯之廟者也。夷伯者,曷為者也?季氏之孚也。季氏之孚則微者,其稱夷伯何?大之也。曷為大之?天戒之,故大之也。何以書?記異也。

(伝)「晦」とは何か。冥いことである。「震之」とは何か。雷電が夷伯の廟を撃ったことである。夷伯とは何人か。季氏が信頼する者である。季氏の信頼する者は微しいのに、なぜ夷伯と称するのか。彼を大きく書いたのである。なぜ大きく書くのか。天がこれを戒めたから、故に大きく書いたのである。なぜ書くのか。異常を記したのである。

(經十五十)冬,宋人伐曹。楚人敗徐於婁林。

(経十五十)冬、宋人が曹を伐った。楚人が婁林で徐を破った。

(經十五十一)十有一月,壬戌,晉侯及秦伯戰於韓,獲晉侯。

(経十五十一)十一月壬戌、晋侯と秦伯が韓で戦い、晋侯を捕らえた。

(傳)此偏戰也,何以不言師敗績?君獲,不言師敗績也。

(伝)これは約期の戦いなのに、なぜ「師敗績」と言わないのか。君が捕らえられたときは、「師敗績」と言わないのである。

僖公(經十六一)十有六年

僖公(経十六一)十有六年

春,王正月戊申朔,隕石於宋五。是月,六鷁退飛,過宋都。

春、周暦の正月戊申朔、宋に石が五つ隕った。この月、六羽の鷁が退き飛んで、宋の都を過ぎた。

(傳)曷為先言隕而後言石?隕石記聞,聞其嗔然,視之則石,察之則五。是月者何?僅逮是月也。何以不日?晦日也。晦則何以不言晦?《春秋》不書晦也。朔有事則書,晦雖有事不書。曷為先言六而後言鷁?六鷁退飛,記見也,視之則六,察之則鷁,徐而察之則退飛。五石六鷁,何以書?記異也。外異不書,此何以書?為王者之後,記異也。

(伝)なぜ先に「隕」と言い後に「石」と言うのか。隕石は聞いたことを記すのである。その磌然たる音を聞き、視れば石であり、察すれば五つであった。「是月」とは何か。わずかにこの月に及んだということである。なぜ日を記さないのか。晦日だからである。晦日ならばなぜ「晦」と言わないのか。《春秋》は晦日を書かないのである。朔日に事あれば書き、晦日は事ありと雖も書かない。なぜ先に「六」と言い後に「鷁」と言うのか。六鷁が退き飛んだのは、見たことを記すのである。視れば六羽であり、察すれば鷁であり、徐ろに察すれば退き飛んでいた。五石・六鷁を、なぜ書くのか。異常を記したのである。外の異常は例により書かないのに、ここでなぜ書くのか。宋は王者の後裔だから、彼のために異常を記したのである。

(經十六二)三月壬申,公子季友卒。

(経十六二)三月壬申、公子季友が卒した。

(傳)其稱季友何?賢也。

(伝)「季友」と称するのはなぜか。賢だからである。

(經十六三)夏,四月丙申,鄫季姬卒。

(経十六三)夏の四月丙申、鄫季姫が卒した。

(經十六四)秋,七月甲子,公孫慈卒。

(経十六四)秋の七月甲子、公孫慈が卒した。

(經十六五)冬,十有二月,公會齊侯、宋公、陳侯、衛侯、鄭伯、許男、邢侯、曹伯於淮。

(経十六五)冬の十二月、僖公は淮で斉侯・宋公・陳侯・衛侯・鄭伯・許男・邢侯・曹伯に会した。

僖公(經十七一)十有七年

僖公(経十七一)十有七年

春,齊人、徐人伐英氏。

春、斉人・徐人が英氏を伐った。

(經十七二)夏,滅項。

(経十七二)夏、項を滅ぼした。

(傳)孰滅之?齊滅之。曷為不言齊滅之?為桓公諱也。《春秋》為賢者諱。此滅人之國,何賢爾?君子之惡惡也疾始,善善也樂終。桓公嘗有繼絕,存亡之功,故君子為之諱也。

(伝)誰が滅ぼしたのか。斉が滅ぼしたのである。なぜ斉が滅ぼしたと言わないのか。桓公のために諱んだのである。《春秋》は賢者のために諱む。これは人の国を滅ぼしたのだが、どこが賢なのか。君子が悪を悪むのは始めを疾み、善を善むのは終わりを楽しむ。桓公はかつて絶えた世を継ぎ、亡びた国を存す功があったから、君子は彼のために諱んだのである。

(經十七三)秋,夫人姜氏會齊於卞。

(経十七三)秋、夫人姜氏が卞で斉に会した。

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