Libo

宣公

战国 · 公羊高 · 第36巻 / 44

(經十四四)秋,葬曹武公。

(経十四四)秋、曹武公を葬った。

(經十四五)八月,莒子去疾卒。

(経十四五)八月、莒子去疾が卒した。

(經十四六)冬,莒殺其公子意恢。

(経十四六)冬、莒がその公子意恢を殺した。

昭公(經十五一)十有五年

昭公(経十五一)十有五年

春,王正月,吳子夷昧卒。

春、周暦正月、呉子夷昧が卒した。

(經十五二)二月癸酉,有事於武宮。

(経十五二)二月癸酉、武宮で祭祀があった。

(經十五三)龠入,叔弓卒,去樂卒事。

(経十五三)龠舞が入って来ると、叔弓が卒した。音楽を止めて、祭事をやり終えた。

(傳)其言去樂卒事何?禮也。君有事於廟,聞大夫之喪,去樂,卒事。大夫聞君之喪,攝主而往。大夫聞大夫之喪,屍事畢而往。

(伝)「去楽卒事」と書くのはどういう意味か。礼にかなうのである。国君が廟で祭祀をしていて大夫の喪を聞いたなら、音楽を止めて祭事をやり終える。大夫が国君の喪を聞いたなら、主祭を代理する者は去る。大夫が大夫の喪を聞いたなら、尸事を済ませてから行く。

(經十五四)夏,蔡昭吳奔鄭。

(経十五四)夏、蔡の昭呉が鄭に出奔した。

(經十五五)六月丁巳朔,日有食之。

(経十五五)六月丁巳朔、日食。

(經十五六)秋,晉荀吳帥師伐鮮虞。

(経十五六)秋、晋の荀呉が軍を率いて鮮虞を攻めた。

(經十五七)冬,公如晉。

(経十五七)冬、昭公が晋に行った。

昭公(經十六一)十有六年

昭公(経十六一)十有六年

春,齊侯伐徐。

春、斉侯が徐を攻めた。

(經十六二)楚子誘戎曼子,殺之。

(経十六二)楚子が戎曼子を誘い騙して殺した。

(傳)楚子何以不名?夷狄相誘,君子不疾也。曷為不疾?若不疾,乃疾之也。

(伝)楚子はなぜ名を称されないのか。夷狄どうしが誘い騙し合うことは、君子はとくに悪まない。なぜとくに悪まないのか。悪まないなら、それこそが真に悪むことなのである。

(經十六三)夏,公至自晉。

(経十六三)夏、昭公が晋から帰った。

(經十六四)秋,八月己亥,晉侯夷卒。

(経十六四)秋八月己亥、晋侯夷が卒した。

(經十六五)九月,大雩。

(経十六五)九月、大雩を行った。

(經十六七)季孫隱如如晉。

(経十六七)季孫隠如が晋に行った。

(經十六八)冬,十月,葬晉昭公。

(経十六八)冬十月、晋昭公を葬った。

昭公(經十七一)十有七年

昭公(経十七一)十有七年

春,小邾婁子來朝。

春、小邾婁子が朝見に来た。

(經十七二)夏,六月甲戌朔,日有食之。

(経十七二)夏六月甲戌朔、日食。

(經十七三)秋,郯子來朝。

(経十七三)秋、郯子が朝見に来た。

(經十七四)八月,晉荀吳帥師滅賁渾戎。

(経十七四)八月、晋の荀呉が軍を率いて賁渾戎を滅ぼした。

(經十七五)冬,有星孛於大辰。

(経十七五)冬、孛星が大辰に現れた。

(傳)孛者何?彗星也。其言於大辰何?在大辰也。大辰者何?大火也。大火為大辰,伐為大辰,北辰亦為大辰。何以書?記異也。

(伝)孛とは何か。彗星である。「于大辰」と書くのはどういう意味か。大辰にあるということである。大辰とは何か。大火である。大火は大辰であり、伐星は大辰であり、北辰も大辰である。なぜ記すのか。異常を記すのである。

(經十七六)楚人及吳戰於長岸。

(経十七六)楚の人々が呉と長岸で交戦した。

(傳)詐戰不言戰,此其言戰何?敵也。

(伝)期日を約さない交戦は「戦」と書かないのに、ここで「戦」と書くのはなぜか。勢いが拮抗していたからである。

昭公(經十八一)十有八年

昭公(経十八一)十有八年

春,王三月,曹伯須卒。

春、周暦三月、曹伯須が卒した。

(經十八二)夏,五月,壬午,宋、衛、陳、鄭災。

(経十八二)夏五月壬午、宋・衛・陳・鄭で火災があった。

(傳)何以書?記異也。何異爾?異其同日而俱災也。外異不書,此何以書?為天下記異也。

(伝)なぜ記すのか。異常を記すのである。異常とは何か。同じ日にいっせいに災いを被ったことである。国外の異常は例によって記さないのに、ここでなぜ記すのか。天下のために異常を記すのである。

(經十八三)六月,邾婁人入鄅。

(経十八三)六月、邾婁の人が鄅に入った。

(經十八四)秋,葬曹平公。

(経十八四)秋、曹平公を葬った。

(經十八五)冬,許遷於白羽。

(経十八五)冬、許が白羽に遷った。

昭公(經十九一)十有九年

昭公(経十九一)十有九年

春,宋公伐邾婁。

春、宋公が邾婁を攻めた。

(經十九二)夏,五月戊辰,許世子止弒其君買。

(経十九二)夏五月戊辰、許の世子止がその君である買を殺した。

(經十九三)己卯,地震。

(経十九三)己卯、地震。

(經十九四)秋,齊高發帥師伐莒。

(経十九四)秋、斉の高発が軍を率いて莒を攻めた。

(經十九五)冬,葬許悼公。

(経十九五)冬、許悼公を葬った。

(傳)賊未討,何以書葬?不成於弒也。曷為不成於弒?止進藥而藥殺也。止進藥而藥殺,則曷為加弒焉爾?譏子道之不盡也。其譏子道之不盡奈何?曰:樂正子春之視疾也。復加一飯則脫然愈,復損一飯則脫然愈;復加一衣則脫然愈,復損一衣則脫然愈。止進藥而藥殺,是以君子加弒焉爾,曰「許世子止弒其君買」,是君子之聽止也;「葬許悼公」,是君子之赦止也。赦止者,免止之罪辭也。

(伝)賊がまだ討伐されていないのに、なぜ葬と書くのか。弑が成立しなかったからである。なぜ弑が成立しなかったのか。止は薬を進めたが、薬が国君を毒死させたのである。止が薬を進めて薬が殺したのに、なぜなお「弑」の字を加えるのか。子の道が尽くされなかったことを譏刺するのである。子の道が尽くされなかったとはどういうことか。答えて曰く、楽正子春は病人を見るに、食事を一口増やせば霍然として癒え、食事を一口減らしても霍然として癒え、衣を一枚加えれば霍然として癒え、衣を一枚減らしても霍然として癒える。止が薬を進めて薬が殺したからこそ、君子は「弑」の字を加え、「許世子止弑其君買」と書いて、これは君子が止の罪を聴き取ったのである。「葬許悼公」と書くのは、君子が止を赦したのである。止を赦すとは、止の罪を免じる措辞である。

昭公(經二十一)二十年

昭公(経二十一)二十年

春,王正月。

春、周暦正月。

(經二十二)夏,曹公孫會自鄸出奔宋。

(経二十二)夏、曹の公孫会が鄸から宋に出奔した。

(傳)奔未有言自者,此其言自何?畔也。畔則曷為不言其畔?為公子喜時之後諱也。《春秋》為賢者諱。何賢乎公子喜時?讓國也。其讓國奈何?曹伯廬卒於師,則未知公子喜時從與?公子負芻從與?或為主於國?或為主於師?公子喜時見公子負芻之當主也,逡巡而退。賢公子喜時,則曷為為會諱?君子之善善也長,惡惡也短,惡惡止其身,善善及子孫。賢者子孫,故君子為之諱也。

(伝)出奔に「自」と書く例はいまだかつてないのに、ここでなぜ「自」と書くのか。反叛したからである。反叛したのに、なぜ彼の反叛と書かないのか。公子喜時の後代のために隠し諱るのである。《春秋》は賢者のために隠し諱る。公子喜時の賢はどこにあるか。国を譲ったことである。どうして国を譲ったのか。曹伯廬が軍中で死んだとき、公子喜時が従っていたのか、公子負芻が従っていたのか分からない。ある者は国内で主をなし、ある者は軍中で主をなした。公子喜時は公子負芻が主となるべきことを見て、逡巡して退き譲った。公子喜時を賢としながら、なぜ会のために隠し諱るのか。君子は善を称えるのは長く、悪を悪むのは短く、悪を悪むのはその身に止まり、善を称えるのは子孫に及ぶ。賢者の子孫ゆえに、君子は彼のために隠し諱るのである。

(經二十三)秋,盜殺衛侯之兄輒。

(経二十三)秋、盗賊が衛侯の兄である輒を殺した。

(傳)母兄稱兄,兄何以不立?有疾也。何疾爾?惡疾也。

(伝)同母の兄を「兄」と称するが、この兄はなぜ立たなかったのか。病があったからである。どんな病か。悪疾である。

(經二十四)冬,十月,宋華亥、向寧、華定出奔陳。

(経二十四)冬十月、宋の華亥・向寧・華定が陳に出奔した。

(經二十五)十有一月辛卯,蔡侯廬卒。

(経二十五)十一月辛卯、蔡侯廬が卒した。

昭公(經二一一)二十有一年

昭公(経二一一)二十有一年

春,王三月,葬蔡平公。

春、周暦三月、蔡平公を葬った。

(經二一二)夏,晉侯使士鞅來聘。

(経二一二)夏、晋侯が士鞅を派遣して聘問に来た。

(經二一三)宋華亥、向寧、華定自陳入於宋南里以畔。

(経二一三)宋の華亥・向寧・華定が陳から宋の南里に入って反叛した。

(傳)宋南里者何?若曰:因諸者然。

(伝)宋の南里とは何か。「因諸」のようなものと言えばよい。

(經二一四)秋,七月壬午朔,日有食之。

(経二一四)秋七月壬午朔、日食。

(經二一五)八月乙亥,叔痤卒。

(経二一五)八月乙亥、叔痤が卒した。

(經二一六)冬,蔡侯朱出奔楚。

(経二一六)冬、蔡侯朱が楚に出奔した。

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