Libo

襄公(元年~三十一年)

春秋 · 左丘明(旧题) · 第35巻 / 56

衛甯惠子疾,召悼子曰:“吾得罪於君,悔而無及也。名藏在諸侯之策,曰:‘孫林父、寧殖出其君。’君入則掩之。若能掩之,則吾子也。若不能,猶有鬼神,吾有餒而已,不來食矣。”悼子許諾,惠子遂卒。

衛の寧恵子は病み、悼子を召して言った、「私は国君の罪を得た。悔いるに及ばず。名は諸侯の簡策に蔵されて言う、『孫林父・寧殖はその国君を逐出した』と。国君が入れば掩盖する。もし掩盖できれば、即ちわが子である。もし能わずば、なお鬼神あり。私はただ飢餓するのみ、来て食わない」と。悼子は応え、恵子はこうして死去した。

◇襄公二十一年

◇襄公二十一年

【經】二十有一年春王正月,公如晉。邾庶其以漆、閭丘來奔。夏,公至自晉。秋,晉盈出奔楚。九月庚戌朔,日有食之。冬十月庚辰朔,日有食之。曹伯來朝。公會晉侯、齊侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯、莒子、邾子於商任。

【経】二十一年春、周天子の暦の正月、襄公は晋に行った。邾庶其は漆・閭丘を帯びて奔り来た。夏、襄公は晋から帰った。秋、晋盈は楚に出奔した。九月庚戌の朔日、日食があった。冬十月庚辰の朔日、日食があった。曹伯が朝見に来た。襄公は晋侯・斉侯・宋公・衛侯・鄭伯・曹伯・莒子・邾子と商任で会見した。

【傳】二十一年春,公如晉,拜師及取邾田也。

【伝】二十一年春、襄公は晋に行き、出兵および邾の田を取得したを拜謝した。

邾庶其以漆、閭丘來奔。季武子以公姑姊妻之,皆有賜於其從者。

邾庶其は漆・閭丘を帯びて奔り来た。季武子は襄公の姑姉を彼に嫁がせ、その随従に皆賞賜した。

於是魯多盜。季孫謂臧武仲曰:“子盍詰盜?”武仲曰:“不可詰也,紇又不能。”季孫曰:“我有四封,而詰其盜,何故不可?子為司寇,將盜是務去,若之何不能?”武仲曰:“子召外盜而大禮焉,何以止吾盜?子為正卿,而來外盜;使紇去之,將何以能?庶其竊邑於邾以來,子以姬氏妻之,而與之邑,其從者皆有賜焉。若大盜禮焉以君之姑姊與其大邑,其次皂牧輿馬,其小者衣裳劍帶,是賞盜也。賞而去之,其或難焉。紇也聞之,在上位者,灑濯其心,壹以待人,軌度其信,可明徵也,而後可以治人。夫上之所為,民之歸也。上所不為而民或為之,是以加刑罰焉,而莫敢不懲。若上之所為而民亦為之,乃其所也,又可禁乎?《夏書》曰:‘念茲在茲,釋茲在茲,名言茲在茲,允出茲在茲,惟帝念功。’將謂由己壹也。信由己壹,而後功可念也。”

当時魯に盗賊が多かった。季孫は臧武仲に言った、「あなたは何ぞ盗賊を詰問せざる」と。武仲は言った、「詰問すべからず。紇はまた能わず」と。季孫は言った、「私は四面の封疆あるに、境内の盗を詰問する。なぜ不可か。あなたは司寇を為し、まさに盗を去るを務めとせんとす。どうして能わず」と。武仲は言った、「あなたは外盗を召来して大いに礼遇する。何をもってわが盗を禁止せん。あなたは正卿を為すに、かえって外盗を招来す。紇に去らせるは、まさに何をもって能きとせん。庶其は邾から城邑を窃みて来たに、あなたは姫氏を彼に嫁がせ、かつ彼に城邑を与え、その随従は皆賞賜あり。もし大盗に国君的姑姉と大邑をもって礼遇し、その次は皂牧輿馬、小は衣裳剣帯を与えれば、これは盗を賞する。賞して去るは、あるいは困難でしょう。紇が聞くに、上位に在る者はその心を洗濯し、専一に人を待ち、その信用を法度して、明らかに検証すべくして、然る後人を治めるべし。上の為す所は、百姓の帰向である。上が為さずして百姓あるいは為せば、これによって刑罰を施加すれば、人は敢えて懲戒せざるなし。もし上の為す所にして百姓もまた為せば、すなわち彼らの処所である。また禁止すべからんや。《夏書》に言う、『これを念ずるはこれに在り、これを放下するはこれに在り、名言これはこれに在り、誠信はこれを出すはこれに在り、ただ帝は功労を思念す』と。自ら専一するを言う。信用は自ら専一し、然る後功労は思念すべし」と。

庶其非卿也,以地來,雖賤必書,重地也。

庶其は卿ではないが、土地を帯びて来た。たとえ低賤でも必ず記す。土地を重んずるからである。

齊侯使慶佐為大夫,復討公子牙之黨,執公子買於句瀆之丘。公子鉏來奔。

斉侯は慶佐に大夫を為らせ、再び公子牙の党羽を討伐し、句瀆之丘で公子買を執えた。公子鉏は奔り来た。

叔孫還奔燕。

叔孫還は燕に出奔した。

夏,楚子庚卒,楚子使薳子馮為令尹。訪於申叔豫,叔豫曰:“國多寵而王弱,國不可為也。”遂以疾辭。方署,闕地,下冰而床焉。重繭衣裘,鮮食而寢。

夏、楚の子庚が死去し、楚子は䓕子馮に令尹を為らせた。申叔豫に諮詢すると、叔豫は言った、「国家に寵幸の人多く君王は弱い。国家は治めるべからず」と。こうして病をもって辞した。まさに暑熱で、底本の「署」は即ち暑。地を挖り、下に氷を放ちて再び床を設けた。両層の綿衣と皮衣を穿ち、食を少なくして然る後睡った。

楚子使醫視之,復曰:“瘠則甚矣,而血氣未動。”乃使子南為令尹。

楚子は医を遣わして察看させると、回報して言った、「痩せたは甚だ痩せたが、血気は動かず」と。こうして子南に令尹を為らせた。

欒桓子娶於範宣子,生懷子。範鞅以其亡也,怨欒氏,故與欒盈為公族大夫而不相能。桓子卒,欒祁與其老州賓通,幾亡室矣。懷子患之。祁懼其討也,愬諸宣子曰:“盈將為亂,以范氏為死桓主而專政矣,曰:‘吾父逐鞅也,不怒而以寵報之,又與吾同官而專之,吾父死而益富。死吾父而專於國,有死而已,吾蔑從之矣!’其謀如是,懼害於主,吾不敢不言。”範鞅為之徵。懷子好施,士多歸之。宣子畏其多士也,信之。懷子為下卿,宣子使城著而遂逐之。

欒桓子は范宣子の女を娶り、懐子を生んだ。范鞅はその逃亡の事によって欒氏を怨恨したので、欒盈とともに公族大夫を為るも合わなかった。桓子が死去し、欒祁はその家臣の長州賓と私通し、ほぼ家室を失わんとした。懐子はこの事を憂患した。祁は彼が討伐するを怕れ、宣子に訴えて言った、「盈はまさに乱を為さんとし、范氏が桓主を弄死して政事を専断したとし、言う、『わが父は鞅を驅逐し、怒らずしてかえって寵幸をもって報い、またわと同一官職にして専断す。わが父が死ねばますます富む。わが父を弄死して国中で専断するは、ただ死するのみ。私は彼に従わない!』その謀はこのようである。主君を妨害するを怕れ、私は敢えて言わざるべからず」と。范鞅は彼女のために証を為した。懐子は施舍を好み、士は多く彼に帰附した。宣子はその士多きを怕れ、信じた。懐子は下卿を為り、宣子は彼に著を修築させて然る後彼を驅逐した。

秋,欒盈出奔楚。宣子殺箕遺、黃淵、嘉父、司空靖、邴豫、董叔、邴師、申書、羊舌虎、叔羆。囚伯華、叔向、籍偃。人謂叔向曰:“子離於罪,其為不知乎?”叔向曰:“與其死亡若何?《詩》曰:‘優哉遊哉,聊以卒歲。’知也。”

秋、欒盈は楚に出奔した。宣子は箕遺・黄淵・嘉父・司空靖・邴豫・董叔・邴師・申書・羊舌虎・叔羆を殺した。伯華・叔向・籍偃を囚禁した。人あって叔向に言った、「あなたが罪に陥るは、おそらく不智でしょうか」と。叔向は言った、「死亡と比べてどうか。《詩》に言う、『優遊たるかな、しばらく歳月を過ごさん』と。即ち智である」と。

樂王鮒見叔向曰:“吾為子請!”叔向弗應。出,不拜。其人皆咎叔向。叔向曰:“必祁大夫。。”室老聞之,曰:“樂王鮒言於君無不行,求赦吾子,吾子不許。

楽王鮒は叔向に見えて言った、「私はあなたのために請いましょう!」叔向は応えず。出て、拜さず。その人は皆叔向を責めた。叔向は言った、「必ず祁大夫であろう」と。室老は聞いて言った、「楽王鮒は国君に言うに行なわざるなし。吾子を赦免するを請い、吾子は応えず。

祁大夫所不能也,而曰‘必由之’,何也?”叔向曰:“樂王鮒,從君者也,何能行?祁大夫外舉不棄仇,內舉不失親,其獨遺我乎?《詩》曰:‘有覺德行,四國順之。’夫子,覺者也。”

祁大夫の能わざる所に、かえって『必ず彼による』と言う。なぜか」と。叔向は言った、「楽王鮒は国君に従う人である。どうして行えよう。祁大夫は外に举荐して仇人を棄てず、内に举荐して親人を失わず。あに独り私を遺棄せんや。《詩》に言う、『正直の徳行あれば、四方の国は順従す』と。夫子は正直の人である」と。

晉侯問叔向之罪於樂王鮒,對曰:“不棄其親,其有焉。”於是祁奚老矣,聞之,乘馹而見宣子,曰:“《詩》曰:‘惠我無疆,子孫保之。’《書》曰:‘聖有謨勳,明徵定保。’夫謀而鮮過,惠訓不倦者,叔向有焉,社稷之固也。

晋侯は楽王鮒に叔向の罪を問うと、答えて言った、「その親人を棄てず。おそらくあるでしょう」と。当時祁奚はすでに告老していたが、聞いて、駅車に乗って宣子に見えて言った、「《詩》に言う、『恵を我に施すこと疆界なし、子孫はこれを保有す』と。《書》に言う、『聖明にして謀略功勳あり、明らかに検証して安定保護す』と。謀りて過ち少なく、恵を施し教訓して倦怠せざるは、叔向はこれを備える。是れ社稷の穏固である。

猶將十世宥之,以勸能者。今壹不免其身,以棄社稷,不亦惑乎?鯀殛而禹興。

なお十世に寛宥して、もって才能あるを勉励せん。今一度もその身を免ぜずして、もって社稷を拋棄するは、また迷惑ではないか。鯀は誅せられて禹が興起した。

伊尹放大甲而相之,卒無怨色。管、蔡為戮,周公右王。若之何其以虎也棄社稷?子為善,誰敢不勉?多殺何為?”宣子說,與之乘,以言諸公而免之。不見叔向而歸。叔向亦不告免焉而朝。

伊尹は太甲を放逐してかえって彼を輔佐し、終に怨色なし。管・蔡は殺され、周公は王を輔佐した。どうして虎のために社稷を棄てん。あなたが善事を為せば、誰が敢えて努力せざらん。多殺して何を為さん」と。宣子は喜び、彼と同乗し、公に言って赦免した。叔向に見えずして帰った。叔向もまた赦免を告知せずして朝に上った。

初,叔向之母妒叔虎之母美而不使,其子皆諫其母。其母曰:“深山大澤,實生龍蛇。彼美,餘懼其生龍蛇以禍女。女,敝族也。國多大寵,不仁人間之,不亦難乎?餘何愛焉!”使往視寢,生叔虎。美而有勇力,欒懷子嬖之,故羊舌氏之族及於難。

初め、叔向の母は叔虎の母の美を妒忌して侍寝させず、子たちは皆母を勧諫した。母は言った、「深山大沢は、実に龍蛇を生ず。彼女は美である。私は彼女が龍蛇を生みてなんじらを禍害するを怕れる。なんじらは衰敗の族である。国に大宠多く、不仁の人はその中から離間する。また困難ではないか。私に何の惜しむことがあろう!」彼女をして侍寝せしめ、叔虎を生んだ。美しくして勇力あり、欒懐子は彼を寵愛した。だから羊舌氏の族は災難に趕いた。

欒盈過於周,周西鄙掠之。辭於行人,曰:“天子陪臣盈,得罪於王之守臣,將逃罪。罪重於郊甸,無所伏竄,敢布其死。昔陪臣書能輸力於王室,王施惠焉。

欒盈は周を経過し、周の西部辺境の人は彼を掠奪した。行人に陳辞して言った、「天子の陪臣盈は、王の守臣の罪を得て、まさに罪を逃避せんとす。罪は郊甸に重く、逃窜する場所なし。敢えて死罪を陳述す。昔陪臣書は王室に力を出す能く、王は恩恵を施した。

其子黶,不能保任其父之勞。大君若不棄書之力,亡臣猶有所逃。若棄書之力,而思黶之罪,臣,戮餘也,將歸死於尉氏,不敢還矣。敢布四體,唯大君命焉!”王曰:“尤而效之,其又甚焉!”使司徒禁掠欒氏者,歸所取焉。使候出諸轘轅。

その子黶は、父の労苦を保任できず。大君もし書の出力を棄てずば、逃亡の臣はなお逃るべき所あり。もし書の出力を棄てて黶の罪を思念せば、臣は刑戮の余剩、まさに帰って尉氏で死せん。敢えて帰らず。敢えて四肢を攤開し、ただ大君の命令を聴くのみ!」王は言った、「責めてかえって仿效するは、即ちさらに甚だし!」司徒を遣わして欒氏を掠奪する人を禁止させ、取った所を帰還させた。候人を遣わして轘轅から彼を送り出させた。

冬,曹武公來朝,始見也。

冬、曹武公が朝見に来た。初めての進見である。

會於商任,錮欒氏也。齊侯、衛侯不敬。叔向曰:“二君者必不免。會朝,禮之經也;禮,政之輿也;政,身之守也;怠禮失政,失政不立,是以亂也。”

商任で会見したのは、欒氏を禁錮するである。斉侯・衛侯は恭敬でなかった。叔向は言った、「この二国の君は必ず免れない。会見朝見は、礼の綱常。礼は、政事の車子。政事は、身の守護。礼を怠慢すれば政事を失い、政事を失えば立身できず。これによって乱あり」と。

知起、中行喜、州綽、邢蒯出奔齊,皆欒氏之黨也。樂王鮒謂範宣子曰:“盍反州綽、邢蒯,勇士也。”宣子曰:“彼欒氏之勇也,餘何獲焉?”王鮒曰:“子為彼欒氏,乃亦子之勇也。”

知起・中行喜・州綽・邢蒯は斉に出奔した。皆欒氏の党羽である。楽王鮒は范宣子に言った、「何ぞ州綽・邢蒯を帰らせざる。彼らは勇士である」と。宣子は言った、「あれは欒氏の勇である。私は何を得よう」と。王鮒は言った、「あなたが彼らの欒氏を為れば、即ちあなたの勇と成る」と。

齊莊公朝,指殖綽、郭最曰:“是寡人之雄也。”州綽曰:“君以為雄,誰敢不雄?然臣不敏,平陰之役,先二子鳴。”莊公為勇爵。殖綽、郭最欲與焉。

斉荘公は朝に上り、殖綽・郭最を指して言った、「これは寡人の雄である」と。州綽は言った、「君王がこれを雄とせば、誰が敢えて雄ならざらん。しかるに臣は聡敏ならず、平陰の戦に、あの両人より先に鳴いた」と。荘公は勇爵を設置した。殖綽・郭最は参与せんと欲した。

州綽曰:“東閭之役,臣左驂迫,還於門中,識其枚數。其可以與於此乎?”公曰:“子為晉君也。”對曰:“臣為隸新。然二子者,譬於禽獸,臣食其肉而寢處其皮矣。”

州綽は言った、「東閭の戦に、臣の左の驂馬は擠れ、門中で盤旋し、門扇の枚数を認識す。おそらくこのに参与できるでしょうか」と。公は言った、「あなたは晋君のためであった」と。答えて言った、「臣は隸を為ること新たなり。しかるにあの両人は、禽獣に比すれば、臣はその肉を食いその皮に睡った」と。

◇襄公二十二年

◇襄公二十二年

【經】二十有二年春王正月,公至自會。夏四月。秋七月辛酉,叔老卒。冬,公會晉侯、齊侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯、莒子、邾子、薛伯、杞伯、小邾子於沙隨。公至自會。楚殺其大夫公子追舒。

【経】二十二年春、周天子の暦の正月、襄公は会から帰った。夏四月。秋七月辛酉、叔老が死去した。冬、襄公は晋侯・斉侯・宋公・衛侯・鄭伯・曹伯・莒子・邾子・薛伯・杞伯・小邾子と沙随で会見した。襄公は会から帰った。楚はその大夫公子追舒を殺した。

【傳】二十二年春,臧武仲如晉,雨,過御叔。御叔在其邑,將飲酒,曰:“焉用聖人!我將飲酒而已,雨行,何以聖為?”穆叔聞之曰:“不可使也,而傲使人,國之蠹也。”令倍其賦。

【伝】二十二年春、臧武仲は晋に行き、雨が降り、御叔の所を経過した。御叔はその城邑に在り、まさに酒を飲まんとして言った、「圣人を用いて何を為さん!私はまさに酒を飲むのみ。雨を冒して路を趕くは、何をもって聖と算せん」と。穆叔は聞いて言った、「出使すべからざるに、使者を傲視す。是れ国家の蠹虫」と。その賦税を加倍するを命じた。

夏,晉人徵朝於鄭。鄭人使少正公孫僑對曰:“在晉先君悼公九年,我寡君於是即位。即位八月,而我先大夫子駟從寡君以朝於執事。執事不禮於寡君。寡君懼,因是行也,我二年六月朝於楚,晉是以有戲之役。楚人猶競,而申禮於敝邑。敝邑欲從執事而懼為大尤,曰晉其謂我不共有禮,是以不敢攜貳於楚。我四年三月,先大夫子蟜又從寡君以觀釁於楚,晉於是乎有蕭魚之役。謂我敝邑,邇在晉國,譬諸草木,吾臭味也,而何敢差池?楚亦不競,寡君盡其土實,重之以宗器,以受齊盟。遂帥群臣隨於執事以會歲終。貳於楚者,子侯、石盂,歸而討之。湨梁之明年,子蟜老矣,公孫夏從寡君以朝於君,見於嘗酎,與執燔焉。間二年,聞君將靖東夏,四月又朝,以聽事期。不朝之間,無歲不聘,無役不從。以大國政令之無常,國家罷病,不虞薦至,無日不惕,豈敢忘職?大國若安定之,其朝夕在庭,何辱命焉?若不恤其患,而以為口實,其無乃不堪任命,而翦為仇讎,敝邑是懼。其敢忘君命?委諸執事,執事實重圖之。”

夏、晋人は鄭に朝見を征求した。鄭人は少正公孫僑を遣わして答えさせて言わせた、「晋の先君悼公九年に、わが寡君はここに即位した。即位八ヶ月、わが先大夫子駟は寡君に従いて執事に朝見した。執事は寡君に礼なし。寡君は恐懼し、この出行によって、われわれは二年六月に楚に朝見し、晋はこれによって戯の戦あり。楚人はなお強盛なれど、かえって敝邑に礼を申明す。敝邑は執事に従おうと欲すも大過と為るを怕れ、晋はおそらくわれわれを恭敬有礼ならずとするであろうと言い、これによって敢えて楚に二心せず。われわれ四年三月、先大夫子蟜はまた寡君に従いて楚に至り間隙を観察し、晋はこうして蕭魚の戦あり。わが敝邑を晋に近しとして、草木に比すれば、われわれは同一の匂いである。どうして敢えて差池せん。楚もまた強盛せず。寡君は土地の出産を尽く出し、宗廟の器物を加えて、もって斎戒の盟約を受けた。こうして群臣を率いて執事に従いて歳終の会合に来た。楚に二心あるは、子侯・石盂。帰りて彼らを討伐した。湨梁の明年、子蟜は告老し、公孫夏は寡君に従いて君王に朝見し、嘗酎の時に進見し、執燔に参与した。二年を隔て、君王がまさに東夏を安定せんとするを聞き、四月また朝見に来て、事務の日期を聴いた。朝見せざる間隔、聘問せざる年なく、戦役に従わざるなし。大国の政令に常規なきがために、国家は疲弊困病し、意外の事は接続して至り、一日も警惕せざるなし。あに敢えて職分を忘れんや。大国もし敝邑を安定せば、即ち朝夕に庭上に在らん。どうして辱くも命令を臨まん。もしその患難を体恤せずして、かえってこれを話柄と為さば、おそらく任命を承当できず、翦除せられて仇敵と為らん。敝邑はこれを怕れる。あに敢えて君王の命令を忘れんや。執事に委托す。執事は実に鄭重に謀るべし」と。

秋,欒盈自楚適齊。晏平仲言於齊侯曰:“商任之會,受命於晉。今納欒氏,將安用之?小所以事大,信也。失信不立,君其圖之。”弗聽。退告陳文子曰:“君人執信,臣人執共,忠信篤敬,上下同之,天之道也。君自棄也,弗能久矣!”九月,鄭公孫黑肱有疾,歸邑於公。召室老、宗人立段,而使黜官、薄祭。

秋、欒盈は楚から斉に至った。晏平仲は斉侯に言った、「商任の会に、晋から命令を受けた。今欒氏を接納するは、まさに彼をどう用いん。小なるは大なるに事えるは、信用。信用を失えば立身できず。君王はなお謀れ」と。聴かず。退いて陳文子に告げて言った、「人君を為るは信用を執守し、人臣を為るは恭敬を執守す。忠信篤敬、上下共同す。是れ天の道理。君王は自ら拋棄す。長久できない!」九月、鄭の公孫黑肱は病あり、城邑を公に帰還した。室老・宗人を召して段を立て、官属を減省し祭祀を菲薄せしめた。

祭以特羊,殷以少牢。足以共祀,盡歸其餘邑。曰:“吾聞之,生於亂世,貴而能貧,民無求焉,可以後亡。敬共事君,與二三子。生在敬戒,不在富也。”己巳,伯張卒。君子曰:“善戒。《詩》曰:‘慎爾侯度,用戒不虞。’鄭子張其有焉。”

祭祀は特羊を用い、殷祭は少牢を用いた。祭祀に供給するに足り、余りの城邑を全部帰還した。言った、「私が聞くに、乱世に生まれて、尊貴にして能く貧窮なれば、百姓は彼に需求なく、後れて亡びるべし。敬恭して国君に事え、あの数名とともにせよ。生存は敬戒に在り、富に在らず」と。己巳、伯張が死去した。君子は言った、「戒備を善くす。《詩》に言う、『なんじ諸侯の法度を謹慎し、もって意外に戒備せよ』と。鄭の子張はおそらくこれを備える」と。

冬,會於沙隨,復錮欒氏也。

冬、沙随で会見し、再び欒氏を禁錮した。

欒盈猶在齊,晏子曰:“禍將作矣!齊將伐晉,不可以不懼。”

欒盈はなお斉に在り、晏子は言った、「禍乱はまさに発作せん!斉はまさに晋を攻めん。懼れざるべからず」と。

楚觀起有寵於令尹子南,未益祿,而有馬數十乘。楚人患之,王將討焉。子南之子棄疾為王御士,王每見之,必泣。棄疾曰:“君三泣臣矣,敢問誰之罪也?”王曰:“令尹之不能,爾所知也。國將討焉,爾其居乎?”對曰:“父戮子居,君焉用之?洩命重刑,臣亦不為。”王遂殺子南於朝,轘觀起於四竟。子南之臣謂棄疾,請徙子屍於朝,曰:“君臣有禮,唯二三子。”三日,棄疾請屍,王許之。既葬,其徒曰:“行乎?”曰:“吾與殺吾父,行將焉入?”曰:“然則臣王乎?”曰:“棄父事仇,吾弗忍也。”遂縊而死。

楚の観起は令尹子南の寵幸を受け、まだ俸禄を増さざるに、馬数十乗あり。楚人は憂患し、王はまさに討伐せんとした。子南の子棄疾は王の御士を為り、王は彼を見るたびに、必ず哭泣した。棄疾は言った、「君王は臣に対して三度哭いた。敢えて誰の罪か問います」と。王は言った、「令尹の不能は、なんじの知る所。国はまさに彼を討伐せん。なんじはなお留まるか」と。答えて言った、「父が殺されて子が留まるは、君王は何に用いん。命令を泄漏するは重刑。臣もまた為さず」と。王はこうして朝廷で子南を殺し、四境で観起を車裂した。子南の家臣は棄疾に言い、子の尸を朝廷から遷るを請い、言った、「君臣に礼あり。ただあの数名に在る」と。三日、棄疾は尸を請い、王は許した。すでに安葬し、その徒衆は言った、「走るか」と。言った、「私は父を殺すに参与した。走ればどこに入らん」と。言った、「では王の臣を為るか」と。言った、「父を棄てて仇人に事えるは、私は忍びず」と。こうして縊りて死んだ。

復使薳子馮為令尹,公子齮為司馬。屈建為莫敖。有寵於薳子者八人,皆無祿而多馬。他日朝,與申叔豫言。弗應而退。從之,入於人中。又從之,遂歸。

再び䓕子馮に令尹を為らせ、公子𬺈を司馬とした。屈建は莫敖を為った。䓕子の寵幸を受ける八人は、皆俸禄なくして馬多し。後のある日朝に上り、申叔豫と語った。応えずして退下した。彼に跟い、人の群れに入った。また跟い、こうして帰った。

退朝,見之,曰:“子三困我於朝,吾懼,不敢不見。吾過,子姑告我。何疾我也?”對曰:“吾不免是懼,何敢告子?”曰:“何故?”對曰:“昔觀起有寵於子南,子南得罪,觀起車裂。何故不懼?”自御而歸,不能當道。至,謂八人者曰:“吾見申叔,夫子所謂生死而肉骨也。知我者,如夫子則可。不然,請止。”

朝を退き、彼に見えて言った、「あなたは三度朝廷で私を困らせた。私は懼れ、敢えて見えざるべからず。私に過失あれば、あなたはしばらく私に告げよ。なぜ私を悪むか」と。答えて言った、「私は罪を免れる能わざるを怕れる。どうして敢えてあなたに告げん」と。言った、「何の故か」と。答えて言った、「昔観起は子南の寵幸を受け、子南は罪を得、観起は車裂せられた。どうして懼れざらん」と。自ら車を駕して帰り、道路の正中を走る能わず。至り、あの八人に言った、「私は申叔に見えた。夫子は即ち謂うところの死人を復生せしめ白骨に肉を長ぜしめる人。私を了解するは、夫子のごときであれば可。さもなくば、停止を請う」と。

辭八人者,而後王安之。

あの八人を辞退し、然る後王はやっと心安くなった。

十二月,鄭遊販將歸晉,未出竟,遭逆妻者,奪之,以館於邑。丁巳,其夫攻子明,殺之,以其妻行。子展廢良而立大叔,曰:“國卿,君之貳也,民之主也,不可以苟。請舍子明之類。”求亡妻者,使復其所。使遊氏勿怨,曰:“無昭惡也。”

十二月、鄭の游販はまさに晋に帰らんとして、まだ国境を出ず、妻を迎娶する人に遇い、彼女を奪い、城邑に安置した。丁巳、その夫は子明を攻め、彼を殺し、妻を帯びて走った。子展は良を廃して大叔を立てて言った、「国卿は、国君の副手、百姓の主人である。苟且すべからず。子明のこの類を捨棄することを請います」と。妻を失った人を尋ね、彼を原所に帰らせた。游氏に怨恨せざらしめて言った、「邪悪を顕明するな」と。

◇襄公二十三年

◇襄公二十三年

【經】二十有三年春王二月癸酉朔,日有食之。三月己巳,杞伯匄卒。夏,邾畀我來奔。葬杞孝公。陳殺其大夫慶虎及慶寅。陳侯之弟黃自楚歸於陳。晉欒盈復入於晉,入於曲沃。秋,齊侯伐衛,遂伐晉。八月,叔孫豹帥師救晉,次於雍榆。己卯,仲孫速卒。冬十月乙亥,臧孫紇出奔邾。晉人殺欒盈。齊侯襲莒。

【経】二十三年春、周天子の暦の二月癸酉の朔日、日食があった。三月己巳、杞伯匄が死去した。夏、邾畀我が奔り来た。杞孝公を葬った。陳はその大夫慶虎および慶寅を殺した。陳侯の弟黄は楚から陳に帰った。晋の欒盈は再び晋に入り、曲沃に入った。秋、斉侯は衛を攻め、こうして晋を攻めた。八月、叔孫豹は軍を率いて晋を救い、雍楡に駐屯した。己卯、仲孫速が死去した。冬十月乙亥、臧孫紇は邾に出奔した。晋人は欒盈を殺した。斉侯は莒を襲撃した。

【傳】二十三年春,杞孝公卒,晉悼夫人喪之。平公不徹樂,非禮也。禮,為鄰國闕。

【伝】二十三年春、杞孝公が死去し、晋悼夫人は彼のために喪を服した。平公は音楽を撤除せず。礼に合わない。礼は、隣国のために音楽を停止する。

陳侯如楚。公子黃愬二慶於楚,楚人召之。使慶樂往,殺之。慶氏以陳叛。

陳侯は楚に行った。公子黄は楚に二慶を訴え、楚人は彼らを召した。慶楽を遣わして往かせたが、彼を殺した。慶氏は陳に拠りて背叛した。

夏,屈建從陳侯圍陳。陳人城,板隊而殺人。役人相命,各殺其長。遂殺慶虎、慶寅。楚人納公子黃。君子謂:“慶氏不義,不可肆也。故《書》曰:‘惟命不於常。’”晉將嫁女於吳,齊侯使析歸父媵之,以藩載欒盈及其士,納諸曲沃。欒盈夜見胥午而告之。對曰:“不可。天之所廢,誰能興之?子必不免。吾非愛死也,知不集也。”盈曰:“雖然,因子而死,吾無悔矣。我實不天,子無咎焉。”許諾。伏之,而觴曲沃人。樂作。午言曰:“今也得欒孺子,何如?”對曰:“得主而為之死,猶不死也。”皆嘆,有泣者。爵行,又言。皆曰:“得主,何貳之有?”盈出,遍拜之。

夏、屈建は陳侯に従いて陳を包囲した。陳人は城を築き、夾板が墜ちれば即ち人を殺した。役夫は互いに令を伝え、各々その頭目を殺した。こうして慶虎・慶寅を殺した。楚人は公子黄を送り帰した。君子は思う、「慶氏は不義、放縦すべからず。だから《書》に言う、『天命は常ならず』と」。晋はまさに女を呉に嫁がせんとし、斉侯は析帰父を遣わして媵妾を送らせ、藩籬ある車をもって欒盈とその士を装い、曲沃に送り入れた。欒盈は夜に胥午に見えて告げた。答えて言った、「不可。天の廃する所、誰が能くこれを興さん。あなたは必ず免れない。私は死を吝惜するにあらず、事の成就できざるを知る」と。盈は言った、「このようと雖も、あなたに借りて死する。私は悔いなし。私は実に天に保佑せられず。あなたに過ちなし」と。許した。彼を蔵め、曲沃人に酒を飲ませた。音楽が奏起すると、午は言った、「今欒孺子を得れば、どうか」と。答えて言った、「主君を得れば彼のために死す。なお死せざるがごとし」と。皆歎息し、哭泣する者あり。酒爵を巡行し、また言うと、皆言った、「主君を得れば、何の二心があらん」と。盈は出て、一々彼らを拜した。

四月,欒盈帥曲沃之甲,因魏獻子,以晝入絳。初,欒盈佐魏莊子於下軍,獻子私焉,故因之。趙氏以原、屏之難怨欒氏,韓、趙方睦。中行氏以伐秦之役怨欒氏,而固與范氏和親。知悼子少,而聽於中行氏。程鄭嬖於公。唯魏氏及七輿大夫與之。

四月、欒盈は曲沃の甲士を率い、魏献子に倚り、白昼に絳に入った。初め、欒盈は下軍で魏荘子を輔佐し、献子は彼と親近した。だから彼に倚る。趙氏は原・屏の災難によって欒氏を怨恨し、韓・趙はまさに和睦す。中行氏は秦を攻めた戦役によって欒氏を怨恨し、もとより范氏と和親す。知悼子は年少く、中行氏に命を聴いた。程鄭は公の寵幸を受けた。ただ魏氏および七輿大夫のみ欒氏に従った。

樂王鮒待坐於範宣子。或告曰:“欒氏至矣!”宣子懼。桓子曰:“奉君以走固宮,必無害也。且欒氏多怨,子為政,欒氏自外,子在位,其利多矣。既有利權,又執民柄,將何懼焉?欒氏所得,其唯魏氏乎!而可強取也。夫克亂在權,子無懈矣。”公有姻喪,王鮒使宣子墨縗冒絰,二婦人輦以如公,奉公以如固宮。

楽王鮒は范宣子の辺に侍坐した。人あって報告して言った、「欒氏が至った!」宣子は懼れた。桓子は言った、「国君に事えて固宮に跑り入れば、必ず妨害なし。しかも欒氏は怨恨多く、あなたは執政し、欒氏は外から来る。あなたは位子上に在る。利益は多い。すでに利権あり、また百姓の権柄を掌握す。なお何を怕れん。欒氏の得られる所は、おそらくただ魏氏のみでしょう!しかし強取できる。乱を平定するは権に在り。あなたは懈怠するな」と。公に姻親の喪事あり、王鮒は宣子に黒衰・蒙絰を着せ、二つの婦人が車を推して公の所に至り、公に事えて固宮に入った。

範鞅逆魏舒,則成列既乘,將逆欒氏矣。趨進,曰:“欒氏帥賊以入,鞅之父與二三子在君所矣。使鞅逆吾子。鞅請驂乘。”持帶,遂超乘,右撫劍,左援帶,命驅之出。僕請,鞅曰:“之公。”宣子逆諸階,執其手,賂之以曲沃。

范鞅は魏舒を迎え、すでに行列を排して車に上り、まさに欒氏を迎えんとした。歩を進めて言った、「欒氏は賊を率いて入った。鞅の父はあの数名とともに国君の所に在る。鞅を遣わして吾子を迎えさせた。鞅は驂乗を為るを請います」と。帯を拉し、こうして車に跳び乗り、右手は剣を按え、左手は帯を拉し、駆車して出るを命じた。御者が請示すると、鞅は言った、「公の所に至れ」と。宣子は階で迎え、その手を握り、曲沃を彼に賂した。

初,斐豹隸也,著于丹書。欒氏之力臣曰督戎,國人懼之。斐豹謂宣子曰:“苟焚丹書,我殺督戎。”宣子喜,曰:“而殺之,所不請於君焚丹書者,有如日!”乃出豹而閉之,督戎從之。逾隱而待之,督戎逾入,豹自後擊而殺之。范氏之徒在臺後,欒氏乘公門。宣子謂鞅曰:“矢及君屋,死之!”鞅用劍以帥卒,欒氏退。攝車從之,遇欒氏,曰:“樂免之,死將訟女於天。”樂射之,不中;又注,則乘槐本而覆。或以戟鉤之,斷肘而死。欒魴傷。欒盈奔曲沃,晉人圍之。

初め、斐豹は奴隷で、丹書に記載されていた。欒氏の力士を督戎と言い、国人は彼を怕れた。斐豹は宣子に言った、「もし丹書を焼掉せば、私は督戎を殺す」と。宣子は喜び、言った、「なんじが彼を殺せば、国君に丹書を焼掉するを請わざるあらば、太陽のごとくあれ!」こうして豹を放出して關じた。督戎は彼に跟った。矮牆を越えて待ち、督戎が越えて入ると、豹は後ろから彼を撃殺した。范氏の徒衆は台の後ろにあり、欒氏は公門に登った。宣子は鞅に言った、「箭は国君の屋に至る。これのために死せ!」鞅は剣をもって士卒を率い、欒氏は退去した。車に跳び乗りて追趕し、欒氏に遇い、言った、「楽は私を放過せよ。死せばまさに天上でなんじと争訟せん」と。楽は彼を射たが、中らず。また箭を搭うるに、車子は槐樹の根に碰上して翻った。人あって戟をもって彼を鈎り、肘を砍断して死んだ。欒魴は傷を受けた。欒盈は曲沃に逃げ奔り、晋人は彼を包囲した。

秋,齊侯伐衛。先驅,谷榮御王孫揮,召揚為右。申驅,成秩御莒恆,申鮮虞之傅摯為右。曹開御戎,晏父戎為右。貳廣,上之登御邢公,盧蒲癸為右。啟,牢成御襄罷師,狼蘧疏為右。胠,商子車御侯朝,桓跳為右。大殿,商子游御夏之禦寇,崔如為右,燭庸之越駟乘。

秋、斉侯は衛を攻めた。先鋒は、穀榮が王孫揮のために車を駕し、召揚が車右を為った。第二隊は、成秩が莒恒のために車を駕し、申鮮虞の子傅摯が車右を為った。曹開が戎車を駕し、晏父戎が車右を為った。副車は、上之登が邢公のために車を駕し、盧蒲癸が車右を為った。左翼は、牢成が襄罷師のために車を駕し、狼蘧疏が車右を為った。右翼は、商子車が侯朝のために車を駕し、桓跳が車右を為った。大殿は、商子游が夏之御寇のために車を駕し、崔如が車右を為り、燭庸之越が駟乗を為った。

自衛將遂伐晉。晏平仲曰:“君恃勇力以伐盟主,若不濟,國之福也。不德而有功,憂必及君。”崔杼諫曰:“不可。臣聞之,小國間大國之敗而毀焉,必受其咎。君其圖之!”弗聽。陳文子見崔武子,曰:“將如君何?”武子曰:“吾言於君,君弗聽也。以為盟主,而利其難。群臣若急,君於何有?子姑止之。”

衛より将に続けて晋を攻めんとした。晏平仲は言った、「君王は勇力を恃んで盟主を攻める。もし成功せずば、是れ国の福。徳なくして功労あれば、憂患は必ず君王の身に至る」と。崔杼は進諫して言った、「不可。臣が聞くに、小国は大国の失敗の隙を鑚けてこれを毀壊すれば、必ず災咎を承受す。君王はなお謀れ!」聴かず。陳文子は崔武子に見えて言った、「まさに国君をどうせん」と。武子は言った、「私は国君に言ったが、国君は聴かず。彼を盟主と為すに、かえってその災難を利用す。群臣もし急ならば、国君はなお何かあらん。あなたはしばらく停止せよ」と。

文子退,告其人曰:“崔子將死乎!謂君甚,而又過之,不得其死。過君以義,猶自抑也,況以惡乎?”齊侯遂伐晉,取朝歌,為二隊,入孟門,登大行,張武軍於熒庭,戍郫邵,封少水,以報平陰之役,乃還。趙勝帥東陽之師以追之,獲晏犛。八月,叔孫豹帥師救晉,次於雍榆,禮也。

文子は退き、その人に告げて言った、「崔子はまさに死せんか!国君を过分と言って、自らまた彼に過ぐ。善死を得られない。義をもって国君に過ぐるも、なお自ら抑制するを要す。まして悪をもってせんや」と。斉侯はこうして晋を攻め、朝歌を取得し、二隊に分かれ、孟門に入り、太行に登り、熒庭に武軍を設け、郫邵を戍守し、少水で土を封じて功を記し、平陰の戦に報復し、こうして帰った。趙勝は東陽の軍を率いて追趕し、晏牦を俘獲した。八月、叔孫豹は軍を率いて晋を救い、雍楡に駐屯した。これは礼に合う。

季武子無適子,公彌長,而愛悼子,欲立之。訪於申豐,曰:“彌與紇,吾皆愛之,欲擇才焉而立之。”申豐趨退,歸,盡室將行。他日,又訪焉,對曰:“其然,將具敝車而行。”乃止。訪於臧紇,臧紇曰:“飲我酒,吾為子立之。”

季武子に嫡子なく、公彌は年長なれど、かえって悼子を喜愛し、彼を立てようと欲した。申豐に諮詢して言った、「彌と紇は、私は皆喜愛す。才能あるを選んで立てたい」と。申豊は歩を進めて退下し、帰り、家を整えてまさに行かんとした。後のある日、また諮詢すると、答えて言った、「もしこのようであれば、まさに破車を備えて行かん」と。こうして停止した。臧紇に諮詢すると、臧紇は言った、「我に酒を飲ませよ。私はあなたのために彼を立てん」と。

季氏飲大夫酒,臧紇為客。既獻,臧孫命北面重席,新尊絜之。召悼之,降,逆之。大夫皆起。及旅,而召公鉏,使與之齒,季孫失色。

季氏は大夫に酒を飲ませ、臧紇を客人とした。すでに酒を献じ、臧孫は朝北に座席を重畳するを命じ、新たな酒尊を拭き潔くした。悼子を召し、階を下りて迎えた。大夫は皆身を起こした。旅酬に至って、やっと公鉏を召し、彼らと年齢によって排列せしめた。季孫は色を変えた。

季氏以公鉏為馬正,慍而不出。閔子馬見之,曰:“子無然!禍福無門,唯人所召。為人子者,患不孝,不患無所。敬共父命,何常之有?若能孝敬,富倍季氏可也。奸回不軌,禍倍下民可也。”公鉏然之。敬共朝夕,恪居官次。季孫喜,使飲己酒,而以具往,盡舍旃。故公鉏氏富,又出為公左宰。

季氏は公鉏に馬正を為らせたが、惱怒して門を出ず。閔子馬は彼に見えて言った、「あなたはこのようになるな!禍福に門なく、ただ人の召く所。子を為るは、不孝を憂え、処所なきを憂えず。父の命令を敬恭すれば、何の常規があらん。もし能く孝敬せば、富は季氏に加倍すべし。奸邪不軌なれば、禍は下民に加倍すべし」と。公鉏は然とした。朝夕に敬恭し、官位に謹んで処した。季孫は喜び、彼に自らに酒を飲ませ、器具を帯びて往き、全部留めた。だから公鉏氏は富み、また出て公の左宰を為った。

孟孫惡臧孫,季孫愛之。孟氏之御騶豐點好羯也,曰:“從餘言,必為孟孫。”

孟孫は臧孫を悪み、季孫は彼を喜愛した。孟氏の御騶豊点は羯を喜好し、言った、「わが言に従えば、必ず孟孫を為さん」と。

再三云,羯從之。孟莊子疾,豐點謂公鉏:“苟立羯,請仇臧氏。”公鉏謂季孫曰:“孺子秩,固其所也。若羯立,則季氏信有力於臧氏矣。”弗應。己卯,孟孫卒,公鉏奉羯立於戶側。季孫至,入,哭,而出,曰:“秩焉在?”公鉏曰:“羯在此矣!”季孫曰:“孺子長。”公鉏曰:“何長之有?唯其才也。且夫子之命也。”遂立羯。秩奔邾。

再三言い、羯は彼に従った。孟荘子は病み、豊点は公鉏に言った、「もし羯を立てば、臧氏を仇視することを請う」と。公鉏は季孫に言った、「孺子秩は、もとよりその位である。もし羯が立てば、季氏は臧氏に対して確かに力あり」と。許さず。己卯、孟孫が死去し、公鉏は羯に事えて門の旁に立たせた。季孫は至り、入り、哭し、然る後出て言った、「秩はどこに在る」と。公鉏は言った、「羯はここに在る!」季孫は言った、「孺子は年長である」と。公鉏は言った、「何の年長があらん。ただその才能を見るのみ。しかも夫子の命令である」と。こうして羯を立てた。秩は邾に出奔した。

臧孫入,哭甚哀,多涕。出,其御曰:“孟孫之惡子也,而哀如是。季孫若死,其若之何?”臧孫曰:“季孫之愛我,疾疢也。孟孫之惡我,藥石也。美疢不如惡石。夫石猶生我,疢之美,其毒滋多。孟孫死,吾亡無日矣。”

臧孫は入り、哭くこと甚だ哀傷し、眼涙は多かった。出て、その御者は言った、「孟孫はあなたを悪むに、哀傷することこのよう。季孫もし死せば、まさにどうせん」と。臧孫は言った、「季孫が私を喜愛するは、疾病である。孟孫が私を悪むは、薬石である。美なる疾病は悪なる薬石に如かず。石はなお我を生かす能く、疾病はたとえ美なりとも、毒素はさらに多し。孟孫が死した。我が滅亡は数日なし」と。

孟氏閉門,告於季秋曰:“臧氏將為亂,不使我葬。”季孫不信。臧孫聞之,戒。冬十月,孟氏將闢,藉除於臧氏。臧孫使正夫助之,除於東門,甲從己而視之。孟氏又告季孫。季孫怒,命攻臧氏。乙亥,臧紇斬鹿門之關以出,奔邾。

孟氏は門を關じて、季孫に告げて言った、「臧氏はまさに乱を為さんとし、われわれに安葬を許さず」と。底本の「季秋」は即ち季孫。季孫は信じず。臧孫は聞き、警戒した。冬十月、孟氏はまさに墓道を挖らんとして、臧氏に除役を借りた。臧孫は正夫を遣わして助けさせ、東門で清除し、甲士は自らを跟えて見に行った。孟氏はまた季孫に告げた。季孫は怒り、臧氏を攻めるを命じた。乙亥、臧紇は鹿門の門閂を砍断して出て、邾に出奔した。

初,臧宣叔娶於鑄,生賈及為而死。繼室以其侄,穆姜之姨子也。生紇,長於公宮。姜氏愛之,故立之。臧賈、臧為出在鑄。臧武仲自邾使告臧賈,且致大蔡焉,曰:“紇不佞,失守宗祧,敢告不弔。紇之罪,不及不祀。子以大蔡納請,其可。”賈曰:“是家之禍也,非子之過也。賈聞命矣。”再拜受龜。使為以納請,遂自為也。臧孫如防,使來告曰:“紇非能害也,知不足也。非敢私請!苟守先祀,無廢二勳,敢不闢邑。”乃立臧為。臧紇致防而奔齊。其人曰:“其盟我乎?”臧孫曰:“無辭。”將盟臧氏,季孫召外史掌惡臣,而問盟首焉,對曰:“盟東門氏也,曰:‘毋或如東門遂,不聽公命,殺適立庶。’盟叔孫氏也,曰:‘毋或如叔孫僑如,欲廢國常,蕩覆公室。’”季孫曰:“臧孫之罪,皆不及此。”

初め、臧宣叔は鑄国から妻を娶り、賈および為を生んで死んだ。その姪女をもって継室と為し、是れ穆姜の姨母の女である。紇を生み、公宮で長じた。姜氏は彼を喜愛したので、彼を立てた。臧賈・臧為は出て鑄に居った。臧武仲は邾より人を遣わして臧賈に告げ、かつ大蔡の龜を送りて言った、「紇は不才、宗廟を失守した。敢えて吊問を善くせざるを告ぐ。紇の罪は、なお祭祀を断絶するに至らず。あなたは大蔡をもって交納して請えば、おそらく可」と。賈は言った、「これは家の禍で、あなたの過ちではない。賈は命令を聞いた」と。再拜して龜を受けた。為を遣わして交納して請わせるに、こうして自らのために請うた。臧孫は防に至り、人を遣わして告げさせて言わせた、「紇は能く人を害するにあらず。智謀の足らざるである。敢えて私に請わず!もし先人の祭祀を守り、両位の功勲を廃棄せざれば、敢えて城邑を離れざらん」と。こうして臧為を立てた。臧紇は防を交出して斉に出奔した。その人は言った、「われわれと盟約を結ぶか」と。臧孫は言った、「盟辞なし」と。まさに臧氏と盟約を結ばんとして、季孫は悪臣を掌管する外史を召し、盟辞の開頭を問うと、答えて言った、「東門氏と盟約を結ぶに、言う、『東門遂のごとくするな。公の命令を聴かず、嫡を殺し庶を立てた』と。叔孫氏と盟約を結ぶに、言う、『叔孫僑如のごとくするな。国家の常規を廃棄せんと欲し、公室を傾覆した』と」と。季孫は言った、「臧孫の罪は、皆このに至らず」と。

孟椒曰:“盍以其犯門斬關?”季孫用之。乃盟臧氏曰:“無或如臧孫紇,幹國之紀,犯門斬關。”臧孫聞之,曰:“國有人焉!誰居?其孟椒乎!”晉人克欒盈於曲沃,盡殺欒氏之族黨。欒魴出奔宋。書曰:“晉人殺欒盈。”

孟椒は言った、「何ぞ彼が城門に沖犯して門閂を砍断したを以てせざる」と。季孫は採用した。こうして臧氏と盟約を結んで言った、「臧孫紇のごとくするな。国家の法紀に触犯し、城門に沖犯して門閂を砍断した」と。臧孫は聞いて言った、「国に人あり!是れ誰ぞ。おそらく孟椒であろう!」晋人は曲沃で欒盈を攻克し、欒氏の族党を殺し尽くした。欒魴は宋に出奔した。《春秋》に記して「晋人殺欒盈」と。

The original text is in the public domain. The Japanese is a machine-assisted translation of this library’s own Chinese paraphrase, checked against a fixed glossary so that technical terms match the definitions used elsewhere on this site. It is a reading aid and does not replace the original.