Libo

襄公(元年~三十一年)

春秋 · 左丘明(旧题) · 第36巻 / 56

不言大夫,言自外也。

大夫と言わざるは、外から入ったを言う。

齊侯還自晉,不入。遂襲莒,門於且於,傷股而退。明日,將復戰,期於壽舒。杞殖、華還載甲,夜入且於之隧,宿於莒郊。明日,先遇莒子於蒲侯氏。莒子重賂之,使無死,曰:“請有盟。”華周對曰:“貪貨棄命,亦君所惡也。昏而受命,日未中而棄之,何以事君?”莒子親鼓之,從而伐之,獲杞梁。莒人行成。

斉侯は晋から帰り、城に入らず。こうして莒を襲撃し、且于を攻め、大腿を傷つけて退いた。翌日、まさに再び交戦せんとして、寿舒で約定した。杞殖・華還は甲士を装い、夜に且于の隧道に入り、莒の郊外に住んだ。翌日、先に蒲侯氏で莒子に遇った。莒子は重ねて彼らに賂し、彼らに死なざらしめんとして言った、「盟約を結ぶことを請います」と。華周は答えて言った、「貨物を貪りて命令を拋棄するは、また君王の悪む所。黄昏に命令を受けて、太陽がまだ中午に至らずして拋棄するは、何をもって君王に事えん」と。莒子は自ら鼓を撃ち、跟って彼らを攻め、杞梁を俘獲した。莒人は和を求めた。

齊侯歸,遇杞梁之妻於郊,使吊之。辭曰:“殖之有罪,何辱命焉?若免於罪,猶有先人之敝廬在,下妾不得與郊吊。”齊侯吊諸其室。

斉侯は帰り、郊外で杞梁の妻に遇い、人を遣わして吊問させた。推辞して言った、「殖もし罪あれば、どうして辱くも命令を臨まん。もし罪を免れれば、なお先人の破房子あり。下妾は郊外の吊問に参与できません」と。斉侯はその家に至りて吊問した。

齊侯將為臧紇田。臧孫聞之,見齊侯,與之言伐晉,對曰:“多則多矣!抑君似鼠。夫鼠晝伏夜動,不穴於寢廟,畏人故也。今君聞晉之亂而後作焉。寧將事之,非鼠如何?”乃弗與田。

斉侯はまさに臧紇に田を与えんとした。臧孫は聞き、斉侯に見え、彼と晋を攻めるを談ずるに、答えて言った、「多しは多し!ただ君王は老鼠のごとし。老鼠は昼は蔵れ夜は動く。寝廟に洞を打たざるは、人を怕るる故である。今君王は晋の乱を聞いて然る後行動す。寧ろこれに事えよ。老鼠でなくして何ぞ」と。こうして田を与えず。

仲尼曰:“知之難也。有臧武仲之知,而不容於魯國,抑有由也。作不順而施不恕也。《夏書》曰:‘念茲在茲。’順事、恕施也。”

仲尼は言った、「智は難しい。臧武仲の智ありても、魯に容れられる能わず。なお故あり。為すに順ならずして、施与するに恕ならず。《夏書》に言う、『これを念ずるはこれに在り』と。事に順い、恕道をもって施与するを言う」と。

◇襄公二十四年

◇襄公二十四年

【經】二十有四年春,叔孫豹如晉。仲孫羯帥師侵齊。夏,楚子伐吳。秋七月甲子朔,日有食之,既。齊崔杼帥師伐莒。大水。八月癸巳朔,日有食之。公會晉侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯、莒子、邾子、滕子、薛伯、杞伯、小邾子於夷儀。冬,楚子、蔡侯、陳侯、許男伐鄭。公至自會。陳針宜咎出奔楚。叔孫豹如京師。大飢。

【経】二十四年春、叔孫豹は晋に行った。仲孫羯は軍を率いて斉を侵伐した。夏、楚子は呉を攻めた。秋七月甲子の朔日、日食あり、食尽した。斉の崔杼は軍を率いて莒を攻めた。大水あり。八月癸巳の朔日、日食があった。襄公は晋侯・宋公・衛侯・鄭伯・曹伯・莒子・邾子・滕子・薛伯・杞伯・小邾子と夷儀で会見した。冬、楚子・蔡侯・陳侯・許男は鄭を攻めた。襄公は会から帰った。陳の針宜咎は楚に出奔した。叔孫豹は京師に行った。大饑饉あった。

【傳】二十四年春,穆叔如晉。範宣子逆之,問焉,曰:“古人有言曰,‘死而不朽’,何謂也?”穆叔未對。宣子曰:“昔匄之祖,自虞以上,為陶唐氏,在夏為御龍氏,在商為豕韋氏,在周為唐杜氏,晉主夏盟為范氏,其是之謂乎?”穆叔曰:“以豹所聞,此之謂世祿,非不朽也。魯有先大夫曰臧文仲,既沒,其言立。其是之謂乎!豹聞之,大上有立德,其次有立功,其次有立言,雖久不廢,此之謂不朽。若夫保姓受氏,以守宗祊,世不絕祀,無國無之,祿之大者,不可謂不朽。”

【伝】二十四年春、穆叔は晋に行った。范宣子は彼を迎え、彼に問うて言った、「古人に言あり、『死して朽ちず』とは、何の意か」と。穆叔はまだ答えず。宣子は言った、「昔匄の祖先は、虞以上は陶唐氏、夏には御龍氏、商には豕韋氏、周には唐杜氏、晋が華夏の盟会を主持するは范氏である。おそらくこれを言うのでしょうか」と。穆叔は言った、「豹の聞く所を以てすれば、これを世禄と言う。不朽ではない。魯に先大夫あって臧文仲と言う。すでに死すれど、その言はなお立つ。おそらくこれを言うのでしょう!豹が聞くに、最上は徳を立て、其の次は功を立て、其の次は言を立つ。たとえ久しくとも廃棄せず。これを不朽と言う。姓氏を保有し氏号を受けて、もって宗廟を守り、世々祭祀を断絶せざるに至るは、国なくしてなきことなし。是れ禄の大なる、不朽と言うべからず」と。

範宣子為政,諸侯之幣重。鄭人病之。二月,鄭伯如晉。子產寓書於子西以告宣子,曰:“子為晉國,四鄰諸侯,不聞令德,而聞重幣,僑也惑之。僑聞君子長國家者,非無賄之患,而無令名之難。夫諸侯之賄聚於公室,則諸侯貳。若吾子賴之,則晉國貳。諸侯貳,則晉國壞。晉國貳,則子之家壞。何沒沒也!將焉用賄?夫令名,德之輿也。德,國家之基也。有基無壞,無亦是務乎!有德則樂,樂則能久。《詩》云:‘樂只君子,邦家之基。’有令德也夫!‘上帝臨女,無貳爾心。’有令名也夫!恕思以明德,則令名載而行之,是以遠至邇安。毋寧使人謂子‘子實生我’,而謂‘子濬我以生’乎?象有齒以焚其身,賄也。”宣子說,乃輕幣。是行也,鄭伯朝晉,為重幣故,且請伐陳也。鄭伯稽首,宣子辭。

范宣子は執政し、諸侯の币は重かった。鄭人はこれを病とした。二月、鄭伯は晋に行った。子産は書信を子西に托付して宣子に告げさせて言わせた、「あなたは晋を治め、四隣の諸侯は美徳を聞かずして、かえって重币を聞く。僑はこれに迷惑す。僑が聞くに、君子の国を掌管するは、財貨なきを憂患するにあらずして、美名なきに難しとす。諸侯の財貨が公室に聚れば、諸侯は即ち二心あり。もし吾子がこれに倚りて利を得れば、晋は即ち二心あり。諸侯に二心あれば、晋は即ち毀壞す。晋に二心あれば、あなたの家は即ち毀壞す。なぜこのように沉迷する!まさにどこに財貨を用いん。美名は、徳の車子。徳は、国家の根基。根基あれば毀壞せず。なおこれに致力すべからずや。徳あれば快楽し、快楽すれば即ち長久す。《詩》に言う、『楽しきかな君子、邦家の根基なり』と。美徳あるである!『上帝はなんじを臨視す。なんじの心に二を為すな』と。美名あるである!恕道をもって思索して徳行を顕明せば、美名は即ちそれを承載して実行す。これによって遠は到来し近は安定す。寧ろ人に言わしめよ『あなたは実に我を生かす』と。しかして『あなたは我を榨取して自らを養う』と言わせんや。象は牙あってこそ自らを毀滅す。即ち財貨である」と。宣子は喜び、こうして币を軽減した。この出行は、鄭伯が晋に朝見したは、重币の故のためであり、かつ陳を攻めるを請うた。鄭伯は叩頭し、宣子は推辞した。

子西相,曰:“以陳國之介恃大國而陵虐於敝邑,寡君是以請罪焉。敢不稽首。”

子西は輔佐して言った、「陳が大国を恃んで敝邑を陵虐するがために、寡君はこれによって罪を請う。敢えて叩頭せざらんや」と。

孟孝伯侵齊,晉故也。

孟孝伯は斉を侵伐した。晋の故のためである。

夏,楚子為舟師以伐吳,不為軍政,無功而還。

夏、楚子は水軍を組成して呉を攻め、軍政を整治せず、功労なくして帰った。

齊侯既伐晉而懼,將欲見楚子。楚子使薳啟強如齊聘,且請期。齊社,搜軍實,使客觀之。陳文子曰:“齊將有寇。吾聞之,兵不戢,必取其族。”

斉侯はすでに晋を攻めたるも怕れ、まさに楚子に見えんとした。楚子は䓕啓彊を遣わして斉に聘問させ、かつ日期を請わせた。斉は社神を祭祀し、軍実を検閲し、客人に観せしめた。陳文子は言った、「斉はまさに寇あらん。私が聞くに、兵器を収斂せざれば、必ずその族を危害す」と。

秋,齊侯聞將有晉師,使陳無宇從薳啟強如楚,辭,且乞師。崔杼帥師送之,遂伐莒,侵介根。

秋、斉侯はまさに晋軍あらんとするを聞き、陳無宇を遣わして䓕啓彊に従いて楚に行かせ、致歉し、かつ出兵を請わせた。崔杼は軍を率いて送行し、こうして莒を攻め、介根を侵伐した。

會於夷儀,將以伐齊,水,不克。

夷儀で会見し、まさに斉を攻めんとしたが、大水のために、成功しなかった。

冬,楚子伐鄭以救齊,門於東門,次於棘澤。諸侯還救鄭。晉侯使張骼、輔躒致楚師,求御於鄭。鄭人卜宛射犬,吉。子大叔戒之曰:“大國之人,不可與也。”對曰:“無有眾寡,其上一也。”大叔曰:“不然,部婁無松柏。”二子在幄,坐射犬於外,既食而後食之。使御廣車而行,己皆乘乘車。將及楚師,而後從之乘,皆踞轉而鼓琴。近,不告而馳之。皆取胄於櫜而胄,入壘,皆下,搏人以投,收禽挾囚。弗待而出。皆超乘,抽弓而射。既免,復踞轉而鼓琴,曰:“公孫!同乘,兄弟也。胡再不謀?”對曰:“曩者志入而已,今則怯也。”皆笑,曰:“公孫之亟也。”

冬、楚子は鄭を攻めて斉を救援し、東門を攻め、棘沢に駐屯した。諸侯は帰りて鄭を救った。晋侯は張骼・輔躒を遣わして楚軍に挑戦させ、鄭に御者を求めた。鄭人は宛射犬のために卜に問うと、吉利。子大叔は彼に告誡して言った、「大国の人は、彼らと平起平坐すべからず」と。答えて言った、「人多きと少なきとを問わず、上に在るは同一である」と。大叔は言った、「このようではない。小土山に松柏なし」と。あの両人は帳幕の裏に在り、射犬を外面に坐させ、自ら食い畢って然る後彼に食わせた。彼に広車を駕して行かせ、自らは皆乗車に乗った。まさに楚軍に至らんとして、然る後彼と同乗し、皆車の横木上に蹲りて琴を彈いた。近づくと、告げずして敵営に馳向かった。皆袋の中から頭盔を取り出して戴上し、営塁に入り、皆車を下り、人を抓住して扔出し、俘虜を收拾し囚犯を夾えた。彼を待たずして出た。皆車に跳び乗り、弓を抽きて射撃した。すでに危険を免れ、また横木上に蹲りて琴を彈き、言った、「公孫!同乗は兄弟である。なぜ二度も商量せざるか」と。答えて言った、「先にはただ入るを思うのみ。今は即ち胆怯である」と。皆笑いて言った、「公孫は真に急ぐ」と。

楚子自棘澤還,使薳啟強帥師送陳無宇。

楚子は棘沢から帰り、䓕啓彊を遣わして軍を率いて陳無宇を送らせた。

吳人為楚舟師之役故,召舒鳩人,舒鳩人叛楚。楚子師於荒浦,使沈尹壽與師祁犁讓之。舒鳩子敬逆二子,而告無之,且請受盟。二子覆命,王欲伐之。薳子曰:“不可。彼告不叛,且請受盟,而又伐之,伐無罪也。姑歸息民,以待其卒。卒而不貳,吾又何求?若猶叛我,無辭有庸。”乃還。

呉人は楚の水軍の戦の故のために、舒鳩人を召し、舒鳩人は楚に背叛した。楚子は荒浦に軍を駐め、沈尹寿と師祁犁を遣わして彼らを責めさせた。舒鳩子は恭敬に両人を迎え、無此の事を告げ、かつ盟約を接受するを請い求めた。両人は帰って復命し、王は攻めようと欲した。䓕子は言った、「不可。彼らは背叛せずと告げ、かつ盟約を接受するを請い求めたに、かえって彼らを攻めるは、無罪を攻める。しばらく帰りて百姓を休息させ、もってその結果を待て。結果に二心なくば、われわれはまた何を求めん。もしなおわれわれを背叛せば、彼らに言なくわれわれに功労あり」と。こうして帰った。

陳人復討慶氏之黨,針宜咎出奔楚。

陳人は再び慶氏の党羽を討伐し、針宜咎は楚に出奔した。

齊人城郟。穆叔如周聘,且賀城。王嘉其有禮也,賜之大路。

斉人は郟城を修築した。穆叔は周に聘問し、かつ城を築いたを祝賀した。天子は彼の礼あるを嘉許し、彼に大路を賜った。

晉侯嬖程鄭,使佐下軍。鄭行人公孫揮如晉聘。程鄭問焉,曰:“敢問降階何由?”子羽不能對。歸以語然明,然明曰:“是將死矣。不然將亡。貴而知懼,懼而思降,乃得其階,下人而已,又何問焉?且夫既登而求降階者,知人也,不在程鄭。其有亡釁乎?不然,其有惑疾,將死而憂也。”

晋侯は程鄭を寵幸し、彼に下軍を輔佐させた。鄭の行人公孫揮は晋に聘問した。程鄭は彼に問うて言った、「敢えて官階を降低するはどこから来るか問います」と。子羽は答える能わず。帰りて然明に告げると、然明は言った、「この人はまさに死せん。さもなくばまさに逃亡せん。尊貴にして懼れるを知り、懼れれば即ち下降せんと欲し、こうしてその階位を得る。ただ人の下に居るのみ。また何を問わん。しかもすでに登りて下降せんを求むるは、智者である。程鄭に在らず。おそらく逃亡の迹象あらんか。さもなくば、おそらく迷惑の病あり。まさに死して憂慮せん」と。

◇襄公二十五年

◇襄公二十五年

【經】二十有五年春,齊崔杼帥師伐我北鄙。夏五月乙亥,齊崔杼弒其君光。

【経】二十五年春、斉の崔杼は軍を率いてわが国の北部辺境を攻めた。夏五月乙亥、斉の崔杼はその国君光を弑殺した。

公會晉侯、宋公、衛侯、鄭伯、曹伯、莒子、邾子、滕子、薛伯、杞伯、小邾子於夷儀。六月壬子,鄭公孫舍之帥師入陳。秋八月己巳,諸侯同盟於重丘。公至自會。衛侯入於夷儀。楚屈建帥師滅舒鳩。冬,鄭公孫夏帥師伐陳。十有二月,吳子遏伐楚,門於巢,卒。

襄公は晋侯・宋公・衛侯・鄭伯・曹伯・莒子・邾子・滕子・薛伯・杞伯・小邾子と夷儀で会見した。六月壬子、鄭の公孫舍之は軍を率いて陳に入った。秋八月己巳、諸侯は重丘で共に盟を結んだ。襄公は会から帰った。衛侯は夷儀に入った。楚の屈建は軍を率いて舒鳩を滅ぼした。冬、鄭の公孫夏は軍を率いて陳を攻めた。十二月、呉子遏は楚を攻め、巢の城門を攻め、死去した。

【傳】二十五年春,齊崔杼帥師伐我北鄙,以報孝伯之師也。公患之,使告於晉。孟公綽曰:“崔子將有大志,不在病我,必速歸,何患焉!其來也不寇,使民不嚴,異於他日。”齊師徒歸。

【伝】二十五年春、斉の崔杼は軍を率いてわが国の北部辺境を攻めた。孝伯の出兵に報復するである。襄公は憂患し、人を遣わして晋に告げた。孟公綽は言った、「崔子はまさに大志あらん。われわれを困病するに在らず。必ず速やかに帰る。何を憂患せん!彼が来て侵掠せず、百姓を役使して厳しくせず、往日と異なる」と。斉軍は手を空しくして帰った。

齊棠公之妻,東郭偃之姊也。東郭偃臣崔武子。棠公死,偃御武子以吊焉。

斉の棠公の妻は、東郭偃の姉である。東郭偃は崔武子の家臣を為った。棠公が死すと、偃は武子のために車を駕して吊問に往った。

見棠姜而美之,使偃取之。偃曰:“男女辨姓,今君出自丁,臣出自桓,不可。”

棠姜を見てその美しきを覚え、偃に自らのために彼女を娶らせた。偃は言った、「男女は姓を分別するを要す。今君王は丁公より出で、臣は桓公より出づ。不可」と。

武子筮之,遇《困》ⅷⅴ之《大過》ⅷⅳ。史皆曰:“吉。”示陳文子,文子曰:“夫從風,風隕,妻不可娶也。且其《繇》曰:‘困於石,據於蒺藜,入於其宮,不見其妻,兇。’困於石,往不濟也。據於蒺藜,所恃傷也。入於其宮,不見其妻,兇,無所歸也。”崔子曰:“嫠也何害?先夫當之矣。”遂取之。莊公通焉,驟如崔氏。以崔子之冠賜人,侍者曰:“不可。”公曰:“不為崔子,其無冠乎?”崔子因是,又以其間伐晉也,曰:“晉必將報。”欲弒公以說於晉,而不獲間。

武子は占筮し、《困》を得て《大過》に変わった。史官は皆言った、「吉利」と。陳文子に見せると、文子は言った、「夫は風に従い、風は墜落す。妻は娶るべからず。しかもその繇辞に言う、『石に困み、蒺藜に拠り、その宮に入りて、その妻を見ず。凶』と。石に困むは、往けども成就せず。蒺藜に拠るは、依拠する所は傷害せん。その宮に入りて、その妻を見ずとは、凶。帰る処なし」と。崔子は言った、「寡婦に何の妨害があらん。先夫はすでに承当した」と。こうして彼女を娶った。荘公は彼女と私通し、屢々崔氏に至った。崔子の帽子を人に賜るに、侍者は言った、「不可」と。公は言った、「崔子でなければ、帽子なしとや」と。崔子はこれによって、また彼が隙を鑚けて晋を攻めたによって、言った、「晋は必ずまさに報復せん」と。公を弑殺して晋を取悦せんと欲したが、空隙を得なかった。

公鞭侍人賈舉而又近之,乃為崔子間公。

公は侍人賈举を鞭打してかえって彼に親近した。こうして崔子のために公の空隙を窺探した。

夏五月,莒為且於之役故,莒子朝於齊。甲戌,饗諸北郭。崔子稱疾,不視事。乙亥,公問崔子,遂從姜氏。姜入於室,與崔子自側戶出。公拊楹而歌。侍人賈舉止眾從者,而入閉門。甲興,公登臺而請,弗許;請盟,弗許;請自刃於廟,勿許。皆曰:“君之臣杼疾病,不能聽命。近於公宮,陪臣幹掫有淫者,不知二命。”公逾牆。又射之,中股,反隊,遂弒之。賈舉,州綽、邴師、公孫敖、封具、鐸父、襄伊、僂堙皆死。祝佗父祭於高唐,至,覆命。不說弁而死於崔氏。申蒯侍漁者,退,謂其宰曰:“爾以帑免,我將死。”其宰曰:“免,是反子之義也。”與之皆死。崔氏殺融蔑於平陰。

夏五月、莒は且于の戦の故のために、莒子は斉に朝見した。甲戌、北郭で宴享した。崔子は病を称して、事務を処理せず。乙亥、公は崔子を問候し、こうして姜氏に従った。姜は内室に入り、崔子とともに側門から出た。公は柱を拍ちて歌った。侍人賈举は衆の随従を拦え、入って門を關じた。甲士が起こり、公は台に登りて請うも、許されず。盟約を結ぶを請うも、許されず。廟で自殺するを請うも、許されず。皆言った、「君王の臣杼は病重く、命を聴く能わず。公宮に近く、陪臣は夜を巡りて淫者を捉えた。第二种の命令を知らず」と。公は牆を翻る。また彼を射て、大腿に中り、墜ちた。こうして彼を弑殺した。賈举・州綽・邴師・公孫敖・封具・鐸父・襄伊・僂堙は皆死んだ。祝佗父は高唐で祭祀し、至りて、復命した。弁帽を脱がずして崔氏で死んだ。申蒯は漁を侍る者で、退き、その家宰に言った、「なんじは家属を帯びて逃げよ。私はまさに死せん」と。その家宰は言った、「逃げるは、あなたの義に違反す」と。彼とともに死んだ。崔氏は平陰で融蔑を殺した。

晏子立於崔氏之門外,其人曰:“死乎?”曰:“獨吾君也乎哉?吾死也。”

晏子は崔氏の門外に立ち、その人は言った、「死するか」と。言った、「ただ我一人の国君か。我死せん」と。

曰:“行乎?”曰:“吾罪也乎哉?吾亡也。”“歸乎?”曰:“君死,安歸?君民者,豈以陵民?社稷是主。臣君者,豈為其口實,社稷是養。故君為社稷死,則死之;為社稷亡,則亡之。若為己死而為己亡,非其私暱,誰敢任之?且人有君而弒之,吾焉得死之,而焉得亡之?將庸何歸?”門啟而入,枕屍股而哭。興,三踴而出。人謂崔子:“必殺之!”崔子曰:“民之望也!舍之,得民。”盧蒲癸奔晉,王何奔莒。

言った、「走るか」と。言った、「我の罪か。我逃亡せん」「帰るか」と。言った、「国君が死した。どこに帰らん。百姓の国君を為るは、あに百姓を陵駕せんとするか。是れ社稷を主持す。国君の臣を為るは、あにその俸禄のためか。是れ社稷を養護す。だから国君が社稷のために死すれば、即ち彼のために死す。社稷のために逃亡すれば、即ち彼のために逃亡す。もし自らのために死し、自らのために逃亡するは、彼の私人親暱にあらざれば、誰が敢えて担当せん。しかも他人に国君あってかえって彼を弑殺するに、我はどうして彼のために死せん、どうして彼のために逃亡せん。まさにどこに帰らん」と。門が開きて入り、尸を大腿に枕して哭いた。起き、脚を跳らせること三度して然る後出た。人あって崔子に言った、「必ず彼を殺せ!」崔子は言った、「是れ百姓の仰望する人!彼を放過せば、民心を得る能し」と。盧蒲癸は晋に出奔し、王何は莒に出奔した。

叔孫宣伯之在齊也,叔孫還納其女於靈公。嬖,生景公。丁丑,崔杼立而相之。慶封為左相。盟國人於大宮,曰:“所不與崔、慶者。”晏子仰天嘆曰:“嬰所不唯忠於君利社稷者是與,有如上帝。”乃歃。辛巳,公與大夫及莒子盟。

叔孫宣伯が斉に在った時、叔孫還はその女を霊公に送った。寵を受け、景公を生んだ。丁丑、崔杼は彼を立てて輔佐した。慶封は左相を為った。太宮で国人と盟約を結んで言った、「崔・慶に親附せざるあらば」と。晏子は天を仰ぎて歎息して言った、「嬰もしただ国君に忠で社稷に利あるに親附せざれば、上帝のごとくあれ」と。こうして歃血した。辛巳、公は大夫および莒子と盟約を結んだ。

大史書曰:“崔杼弒其君。”崔子殺之。其弟嗣書而死者,二人。其弟又書,乃舍之。南史氏聞大史盡死,執簡以往。聞既書矣,乃還。

太史は記載して言った、「崔杼はその国君を弑殺した」と。崔子は彼を殺した。その弟は接続して記載し、こうして死したるは、二人あり。その弟はまた記載し、こうして放過した。南史氏は太史が皆死したを聞き、簡を執りて往かんとした。すでに記載したを聞き、こうして帰った。

閭丘嬰以帷縛其妻而載之,與申鮮虞乘而出,鮮虞推而下之,曰:“君昏不能匡,危不能救,死不能死,而知匿其暱,其誰納之?”行及弇中,將舍。嬰曰:“崔、慶其追我!”鮮虞曰:“一與一,誰能懼我?”遂舍,枕轡而寢,食馬而食。駕而行,出弇中,謂嬰曰:“速驅之!崔、慶之眾,不可當也。”遂來奔。

閭丘嬰は帷幕をもって妻を綁して車に装い、申鮮虞と同乗して出ると、鮮虞は彼女を車から推し下ろして言った、「国君の昏乱を匡正する能わず、危険を救援する能わず、死して従って死する能わずして、かえって親暱の人を藏匿するを知るは、誰が接納せん」と。弇中に至りて、まさに宿せんとした。嬰は言った、「崔・慶はおそらく我を追わん!」鮮虞は言った、「一対一ならば、誰が我を懼れしめん」と。こうして宿り、轡を枕して睡り、馬を喂いて然る後自ら食った。車を駕して行き、弇中を出て、嬰に言った、「疾く車を駆れ!崔・慶の兵衆は、抵当すべからず」と。こうして奔り来た。

崔氏側莊公於北郭。丁亥,葬諸士孫之裡,四翣,不蹕,下車七乘,不以兵甲。

崔氏は荘公の棺側を北郭に放った。丁亥、士孫之里に安葬し、四把の翣扇、行人を禁止せず、下車七乗、兵器鎧甲を用いず。

晉侯濟自泮,會於夷儀,伐齊,以報朝歌之役。齊人以莊公說,使隰鉏請成。

晋侯は泮から渡り、夷儀で会見し、斉を攻めて、朝歌の戦に報復した。斉人は荘公の事をもって解説し、隰鉏を遣わして講和を請わせた。

慶封如師,男女以班。賂晉侯以宗器、樂器。自六正、五吏、三十帥、三軍之大夫、百官之正長、師旅及處守者,皆有賂。晉侯許之。使叔向告於諸侯。公使子服惠伯對曰:“君舍有罪,以靖小國,君之惠也。寡君聞命矣!”晉侯使魏舒、宛沒逆衛侯,將使衛與之夷儀。崔子止其帑,以求五鹿。

慶封は軍隊の裏に至り、男女は班列によって分かれた。宗器・樂器を晋侯に賂した。六正・五吏・三十帥・三軍の大夫・百官の正長・師旅および留守の者より、皆賂あり。晋侯は許した。叔向を遣わして諸侯に告げさせた。襄公は子服恵伯を遣わして答えさせて言わせた、「君王は有罪を赦免し、もって小国を安定す。是れ君王の恩恵。寡君は命令を聞いた!」晋侯は魏舒・宛没を遣わして衛侯を迎えさせ、まさに衛に夷儀を与えんとした。崔子はその家属を扣留して、もって五鹿を求めた。

初,陳侯會楚子伐鄭,當陳隧者,井堙木刊。鄭人怨之,六月,鄭子展、子產帥車七百乘伐陳,宵突陳城,遂入之。陳侯扶其大子偃師奔墓,遇司馬桓子,曰:“載餘!”曰:“將巡城。”遇賈獲,載其母妻,下之,而授公車。公曰:“舍而母!”辭曰:“不祥。”與其妻扶其母以奔墓,亦免。子展命師無入公宮,與子產親御諸門。陳侯使司馬桓子賂以宗器。陳侯免,擁社。使其眾,男女別而累,以待於朝。子展執縶而見,再拜稽首,承飲而進獻。子美入,數俘而出。祝祓社,司徒致民,司馬致節,司空致地,乃還。

初め、陳侯は楚子と会合して鄭を攻め、まさに陳の軍隊の経過する所、水井は填塞し樹木は砍伐された。鄭人は怨恨した。六月、鄭の子展・子産は兵車七百乗を率いて陳を攻め、夜に陳城を突撃し、こうして入った。陳侯は太子偃師を扶えて墓地に逃げ、司馬桓子に遇い、言った、「我を載せよ!」言った、「まさに城を巡らん」と。賈獲に遇い、その母と妻を装い、彼らに車を下りさせ、車を公に交した。公は言った、「なんじの母を放下せよ!」推辞して言った、「不吉」と。彼の妻とともに母を扶えて墓地に逃げ、また難を免れた。子展は軍隊に公宮に入るなかれと命じ、子産とともに自ら門前で抵御した。陳侯は司馬桓子を遣わして宗器をもって賂した。陳侯は上衣を脱ぎ去り、社主を抱えた。その民衆に、男女を分かちて捆綁し、朝廷で待たせた。子展は牽牲の繩を執りて進見し、再拜叩頭し、飲器を捧げて進献した。子美は入り、俘虜を清点数えて然る後出た。祝は社神の前で祓除し、司徒は百姓を交還し、司馬は符節を交還し、司空は土地を交還し、こうして帰った。

秋七月己巳,同盟於重丘,齊成故也。

秋七月己巳、重丘で共に盟を結んだ。斉が講和を成した故である。

趙文子為政,令薄諸侯之幣而重其禮。穆叔見之,謂穆叔曰:“自今以往,兵其少弭矣!齊崔、慶新得政,將求善於諸侯。武也知楚令尹。若敬行其禮,道之以文辭,以靖諸侯,兵可以弭。”

趙文子は執政し、諸侯の币を軽減して礼を加重するを命じた。穆叔は彼に見えた。彼は穆叔に言った、「今より後、兵事はおそらくやや停息せん!斉の崔・慶は新たに政事を得て、まさに諸侯に好を求めん。武は楚の令尹を了解す。もし恭敬に礼を実行し、文辞をもって引導し、もって諸侯を安定せば、兵事は停息すべし」と。

楚薳子馮卒,屈建為令尹。屈蕩為莫敖。舒鳩人卒叛楚。令尹子木伐之,及離城。吳人救之,子木遽以右師先,子強、息桓、子捷、子駢、子盂帥左師以退。

楚の䓕子馮が死去し、屈建が令尹を為った。屈蕩は莫敖を為った。舒鳩人は終に楚に背叛した。令尹子木は彼らを攻め、離城に至った。呉人は救援し、子木は急いで右師をもって先に行かせ、子彊・息桓・子捷・子駢・子盂は左師を率いて退下した。

吳人居其間七日。子強曰:“久將墊隘,隘乃禽也。不如速戰!請以其私卒誘之,簡師陳以待我。我克則進,奔則亦視之,乃可以免。不然,必為吳禽。”從之。

呉人は彼らの中間に処ること七日。子彊は言った、「久しければまさに頓困狭窄し、狭窄すれば即ち擒せらる。快く打つに如かず!わが私卒をもって誘引し、精選の軍隊は陣を列ねて我を待つを請います。我が勝てば即ち前進し、敗逃すればまた見て処す。乃ち免るべし。さもなくば、必ず呉に擒獲せらる」と。従った。

五人以其私卒先擊吳師。吳師奔,登山以望,見楚師不繼,復逐之,傅諸其軍。

五人はその私卒をもって先に呉軍を攻撃した。呉軍は奔逃し、山に登りて眺望し、楚軍の接上せざるを見て、また追逐し、彼らの本軍に逼近した。

簡師會之,吳師大敗。遂圍舒鳩,舒鳩潰。八月,楚滅舒鳩。

精選の軍隊は会合し、呉軍は大敗した。こうして舒鳩を包囲し、舒鳩は崩潰した。八月、楚は舒鳩を滅ぼした。

衛獻公入於夷儀。

衛献公は夷儀に入った。

鄭子產獻捷於晉,戎服將事。晉人問陳之罪,對曰:“昔虞閼父為周陶正,以服事我先王。我先王賴其利器用也,與其神明之後也,庸以元女大姬配胡公,而封諸陳,以備三恪。則我周之自出,至於今是賴。桓公之亂,蔡人慾立其出。

鄭の子産は晋に捷を献じ、軍服を着て事を弁じた。晋人は陳の罪を問うと、答えて言った、「昔虞閼父は周の陶正を為り、わが先王に服事した。わが先王はその器具の好用なると、および彼が神明の後代なるに依頼し、こうして長女大姬を胡公に匹配し、陳に封じて、もって三恪に備えた。然ればわれわれは周の外甥で、今に至るもなお依頼す。桓公の乱事に、蔡人はその外甥を立てんと欲した。

我先君莊公奉五父而立之,蔡人殺之。我又與蔡人奉戴厲公,至於莊、宣,皆我之自立。夏氏之亂,成公播蕩,又我之自入,君所知也。今陳忘周之大德,蔑我大惠,棄我姻親,介恃楚眾,以憑陵我敝邑,不可億逞。我是以有往年之告。未獲成命,則有我東門之役。當陳隧者,井堙木刊。敝邑大懼不竟,而恥大姬。天誘其衷,啟敝邑之心。陳知其罪,授手於我。用敢獻功!”晉人曰:“何故侵小?”對曰:“先王之命,唯罪所在,各致其闢。且昔天子之地一圻,列國一同,自是以衰。今大國多數圻矣!若無侵小,何以至焉?”晉人曰:“何故戎服?”對曰:“我先君武、莊,為平、桓卿士。城濮之役,文公佈命,曰:‘各復舊職!’命我文公戎服輔王,以授楚捷,不敢廢王命故也。”士莊伯不能詰,復於趙文子。

わが先君荘公は五父に事えて彼を立てたが、蔡人は彼を殺した。われわれはまた蔡人とともに事えて厲公を擁戴し、荘公・宣公に至るまで、皆われわれ自らの立つ所である。夏氏の乱事に、成公は流離し、またわれわれ自ら彼を送り帰したは、君王の知る所である。今陳は周の大德を忘れ、われわれの大惠を蔑視し、われわれの姻親を拋棄し、楚の兵衆を恃んで、もって敝邑を陵駕す。欲望は滿足すべからず。われわれはこれによって去年の報告あり。成命を獲得せずして、即ちわれわれ東門の戦あり。まさに陳の軍隊の経過する所、水井は填塞し樹木は砍伐された。敝邑は甚だ強盛ならざるを怕れ、大姬を辱めしむるを以てす。上天はその内心を誘導し、敝邑の心意を開啓す。陳はその罪を知り、手をわれわれに交した。これによって敢えて功労を献ず!」晋人は言った、「なぜ小国を侵伐したか」と。答えて言った、「先王の命令は、ただ罪の在る所を見て、各々刑罰を施加す。しかも昔天子の土地は一千里、列国は百里、これより遞減す。今大国は多数の千里!もし小国を侵伐せざれば、何をもってこの歩に至らん」と。晋人は言った、「なぜ軍服を着たか」と。答えて言った、「わが先君武公・荘公は、平王・桓王の卿士である。城濮の戦に、文公は命令を発布して言う、『各々旧職を恢復せよ!』と。わが文公に軍服を着て天子を輔佐し、もって楚に対する捷報を進献せよと命じたは、敢えて王命を廢棄せざる故である」と。士荘伯は詰問する能わず、趙文子に回報した。

文子曰:“其辭順,犯順不祥。”乃受之。

文子は言った、「その言辞は理に順う。理に順うを冒犯するは不吉」と。こうして接受した。

冬十月,子展相鄭伯如晉,拜陳之功。子西復伐陳,陳及鄭平。仲尼曰:“《志》有之:‘言以足志,文以足言。’不言,誰知其志?言之無文,行而不遠。晉為伯,鄭入陳,非文辭不為功。慎辭也!”楚蒍掩為司馬,子木使庀賦,數甲兵。甲午,蒍掩書土田,度山林,鳩藪澤,辨京陵,表淳滷,數疆潦,規偃豬,町原防,牧隰皋,井衍沃,量入修賦。賦車籍馬,賦車兵、徒卒、甲楯之數。既成,以授子木,禮也。

冬十月、子展は鄭伯を輔佐して晋に行き、陳に対する功労を拜謝した。子西は再び陳を攻め、陳は鄭と講和した。仲尼は言った、「《志》にこの言あり、『言語はもって心意を完成し、文采はもって言語を完成す』と。言わずば、誰がその心意を知らん。言いて文采なくば、行くこと遠からず。晋が霸主を為り、鄭が陳に入るは、文辞あらざれば成功せざるなり。言辞を謹慎すべし!」楚の𫇭掩は司馬を為り、子木は彼に軍賦を治理させ、甲兵を清点させた。甲午、𫇭掩は土地田畝を記載し、山林を度量し、藪沢を聚集し、丘陵を辨別し、鹽鹹地を標明し、水淹地を計算し、陂塘を規劃し、堤防間の田を劃分し、低湿水辺に放牧し、平美の地に井田を劃り、收入を估量して軍賦を修訂した。賦車は馬を登記し、賦車兵・徒卒・甲楯の數目を記した。すでに完成し、子木に交した。これは礼に合う。

十二月,吳子諸樊伐楚,以報舟師之役。門於巢。巢牛臣曰:“吳王勇而輕,若啟之,將親門。我獲射之,必殪。是君也死,疆其少安!”從之。吳子門焉,牛臣隱於短牆以射之,卒。

十二月、呉子諸樊は楚を攻め、水軍の戦に報復した。巢の城門を攻めた。巢の牛臣は言った、「呉王は勇猛にして軽率。もし開けば、まさに自ら門を攻めん。我は彼を射るを得て、必ず射殺さん。この君王が死せば、辺疆はやや安定せん!」従った。呉子は門を攻め、牛臣は短牆の後ろに蔵れて彼を射た。死去した。

楚子以滅舒鳩賞子木。辭曰:“先大夫蒍子之功也。”以與蒍掩。

楚子は舒鳩を滅ぼしたによって子木を賞賜した。推辞して言った、「是れ先大夫𫇭子の功労」と。𫇭掩に与えた。

晉程鄭卒。子產始知然明,問為政焉。對曰:“視民如子。見不仁者誅之,如鷹鸇之逐鳥雀也。”子產喜,以語子大叔,且曰:“他日吾見蔑之面而已,今吾見其心矣。”子大叔問政於子產。子產曰:“政如農功,日夜思之,思其始而成其終。朝夕而行之,行無越思,如農之有畔。其過鮮矣。”

晋の程鄭が死去した。子産は始めて然明を了解し、彼に為政を問うた。答えて言った、「百姓を看待すること兒子のごとくせよ。不仁の人を見れば即ち誅殺せよ。鷹鸇の鳥雀を追逐するがごとく」と。子産は喜び、子大叔に告げ、かつ言った、「往日私はただ蔑の面孔を見るのみ。今その心を見た」と。子大叔は子産に政を問うた。子産は言った、「政事は農功のごとし。日夜に思索し、その開始を想いかつその終結を完成す。朝夕に実行し、行動は想う所を越えず。農田に田界あるがごとし。過ちは即ち少なし」と。

衛獻公自夷儀使與寧喜言,寧喜許之。大叔文子聞之,曰:“烏乎!《詩》所謂‘我躬不說,皇恤我後’者,寧子可謂不恤其後矣。將可乎哉?殆必不可。

衛献公は夷儀より人を遣わして寧喜と話させ、寧喜は応えた。大叔文子は聞いて言った、「ああ!《詩》の謂う所の『我が身はなお容れられる能わず、どこでわが後嗣を顧みん』と。寧子はその後嗣を顧みずと言うべし。まさに可ならんか。おそらく必ず不可。

君子之行,思其終也,思其復也。《書》曰:‘慎始而敬終,終以不困。’《詩》曰:‘夙夜匪解,以事一人。’今寧子視君不如弈棋,其何以免乎?弈者舉棋不定,不勝其耦。而況置君而弗定乎?必不免矣。九世之卿族,一舉而滅之。可哀也哉!”會於夷儀之歲,齊人城郟。其五月,秦、晉為成。晉韓起如秦蒞盟,秦伯車如晉蒞盟,成而不結。

君子の行動は、その終結を想い、その再次を想う。《書》に言う、『開始を謹慎し終結を敬重せば、終結はこれによって困らず』と。《詩》に言う、『早晚に懈怠せず、もって一人に事えよ』と。今寧子は国君を看待するに下棋に如かず。何をもって免れん。下棋する人は棋を举げて定まらざれば、対手に勝つ能わず。まして国君を安置して確定せざるをや。必ず免れない。九世の卿族、一度の举动に即ち滅亡す。悲しむべきかな!」夷儀で会見したあの年に、斉人は郟城を修築した。その年五月、秦・晋は講和を成した。晋の韓起は秦に至りて盟約に参加し、秦の伯車は晋に至りて盟約に参加した。講和を成すも牢固ならず。

◇襄公二十六年

◇襄公二十六年

【經】二十有六年春王二月辛卯,衛寧喜弒其君剽。衛孫林父入於戚以叛。

【経】二十六年春、周天子の暦の二月辛卯、衛の寧喜はその国君剽を弑殺した。衛の孫林父は戚に入りて背叛した。

甲午,衛侯衎復歸於衛。夏,晉侯使荀吳來聘。公會晉人、鄭良霄、宋人、曹人於澶淵。秋,宋公殺其世子痤。晉人執衛寧喜。八月壬午,許男寧卒於楚。冬,楚子、蔡侯、陳侯伐鄭。葬許靈公。

甲午、衛侯衎は再び衛に帰った。夏、晋侯は荀呉を遣わして聘問に来させた。襄公は晋人・鄭の良霄・宋人・曹人と澶淵で会合した。秋、宋公はその世子痤を殺した。晋人は衛の寧喜を執えた。八月壬午、許男寧は楚で死去した。冬、楚子・蔡侯・陳侯は鄭を攻めた。許霊公を葬った。

【傳】二十六年春,秦伯之弟針如晉修成,叔向命召行人子員。行人子朱曰:“朱也當御。”三云,叔向不應。子朱怒,曰:“班爵同,何以黜朱於朝?”撫劍從之。叔向曰:“秦、晉不和久矣!今日之事,幸而集,晉國賴之。不集,三軍暴骨。子員道二國之言無私,子常易之。奸以事君者,吾所能御也。”拂衣從之。人救之。平公曰:“晉其庶乎!吾臣之所爭者大。”師曠曰:“公室懼卑。

【伝】二十六年春、秦伯の弟鍼は晋に至りて和好を重ね温め、叔向は行人子員を召すを下した。行人子朱は言った、「朱はまさに当値すべし」と。三度言うも、叔向は応えず。子朱は怒りて言った、「班爵は相同なり。なぜ朝廷で朱を貶黜するか」と。剣を按えて跟い上った。叔向は言った、「秦・晋の不和はすでに久し!今日の事は、僥倖に成功せば、晋はこれに依頼す。成功せざれば、三軍は尸骨を暴露せん。子員は両国の話を溝通するに私心なし。あなたは常に改換す。奸邪をもって国君に事えるは、我は抵御する能し」と。衣を拂い跟い上った。人々は救い開いた。平公は言った、「晋はおそらくほぼ足りるであろう!我が臣の争う所は大事である」と。師曠は言った、「公室は怕くは卑微せん。

臣不心競而力爭,不務德而爭善,私慾已侈,能無卑乎?”衛獻公使子鮮為復,辭。敬姒強命之。對曰:“君無信,臣懼不免。”敬姒曰:“雖然,以吾故也。”許諾。初,獻公使與寧喜言,寧喜曰:“必子鮮在,不然必敗。”故公使子鮮。子鮮不獲命於敬姒,以公命與寧喜言,曰:“苟反,政由寧氏,祭則寡人。”寧喜告蘧伯玉,伯玉曰:“瑗不得聞君之出,敢聞其入?”遂行,從近關出。告右宰谷,右宰谷曰:“不可。獲罪於兩君,天下誰畜之?”悼子曰:“吾受命於先人,不可以貳。”谷曰:“我請使焉而觀之。”遂見公於夷儀。反曰:“君淹恤在外十二年矣,而無憂色,亦無寬言,猶夫人也。若不已,死無日矣。”悼子曰:“子鮮在。”右宰谷曰:“子鮮在,何益?多而能亡,於我何為?”悼子曰:“雖然,不可以已。”孫文子在戚,孫嘉聘於齊,孫襄居守。

臣は心裏に競争せずして気力を争い、徳を致力せずして善を称うを争い、私欲はすでに奢侈す。能く卑微せざらんや」と。衛献公は子鮮に復位を謀らせた。推辞した。敬姒は強迫して彼に命じた。答えて言った、「君王は信用なし。臣は免れざるを怕れます」と。敬姒は言った、「このようと雖も、我の份上を見よ」と。応えた。初め、献公は人を遣わして寧喜と話させ、寧喜は言った、「必ず子鮮の在るを要す。さもなくば必ず失敗す」と。だから公は子鮮を遣わした。子鮮は敬姉より命令を獲得せずして、公の命令をもって寧喜と話して言った、「もし帰れば、政事は寧氏により、祭祀は即ち寡人による」と。寧喜は蘧伯玉に告げ、伯玉は言った、「瑗は君王の出るを聞く能わず。敢えてその入るを聞かんや」と。こうして走り、近關から出た。右宰穀に告げ、右宰穀は言った、「不可。二つの国君の罪を得れば、天下の誰が収養せん」と。悼子は言った、「私は先人より命令を受けた。二心すべからず」と。穀は言った、「私は出使して観察するを請います」と。こうして夷儀で公に見えた。帰りて言った、「君王は外に憂患すること十二年に、しかも憂色なく、また寛厚の話なし。なおあの人である。もし停止せざれば、死は数日なし」と。悼子は言った、「子鮮が在る」と。右宰穀は言った、「子鮮が在るも、何の益あらん。多くても逃亡する能くのみ。われわれに何を為さん」と。悼子は言った、「このようと雖も、停止すべからず」と。孫文子は戚に在り、孫嘉は斉に聘問し、孫襄は留守した。

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