昭公(元年~三十二年)
晉師將盟衛侯於鄟澤。趙簡子曰:“群臣誰敢盟衛君者?”涉佗、成何曰:“我能盟之。”衛人請執牛耳。成何曰:“衛,吾溫、原也,焉得視諸侯?”將歃,涉佗捘衛侯之手,及捥。衛侯怒,王孫賈趨進,曰:“盟以信禮也。有如衛君,其敢不唯禮是事,而受此盟也。”
晋師が將に鄟澤で衛侯と結盟せんとした。趙簡子が曰わく、「群臣は誰が敢えて衛君と結盟せん」。涉佗・成何が曰わく、「我らは能く彼と結盟せん」。衛人が牛耳を執るを請うた。成何が曰わく、「衛は不過我らの溫・原なり。どこに諸侯と看成せん」。將に歃血せんとし、涉佗が衛侯の手を擰りて手腕に至った。衛侯が發怒し、王孫賈が快步進前して曰わく、「盟は以て信守禮を申明するなり。衛君がここに在るが如く、あえて禮を事奉するに專一せざらんや。卻ってこの盟を接受せん」。
衛侯欲叛晉,而患諸大夫。王孫賈使次於郊,大夫問故。公以晉詬語之,且曰:“寡人辱社稷,其改卜嗣,寡人從焉。”大夫曰:“是衛之禍,豈君之過也?”公曰:“又有患焉。謂寡人‘必以而子與大夫之子為質。’”大夫曰:“苟有益也,公子則往。群臣之子,敢不皆負羈紲以從?”將行。王孫賈曰:“苟衛國有難,工商未嘗不為患,使皆行而後可。”公以告大夫,乃皆將行之。行有日,公朝國人,使賈問焉,曰:“若衛叛晉,晉五伐我,病何如矣?”皆曰:“五伐我,猶可以能戰。”賈曰:“然則如叛之,病而後質焉,何遲之有?”乃叛晉。晉人請改盟,弗許。
衛侯が晋を背叛せんと欲するも、諸大夫を擔心した。王孫賈が郊外に住まわせ、大夫が故を問うた。公が晋の詬辱を以て彼らに告げ、かつ曰わく、「寡人が社稷を辱沒せり。なお後嗣を改卜せよ。寡人は聽從せん」。大夫が曰わく、「これは衛の禍で、どこに君の過錯かあらん」。公が曰わく、「また憂患あり。彼らが我に對して曰く、『必ずあなたの兒子と大夫の兒子を人質と為せ』」。大夫が曰わく、「假如に益處あらば、公子は即ち往け。群臣の兒子は敢えて皆馬韁馬繩を背負い從わざらんや」。將に出發せんとす。王孫賈が曰わく、「假如に衛國に危難あらば、工商も何嘗禍患ならざらん。彼らを皆走らせて然る後に乃ち可」。公が大夫に告げ、ここに皆將に彼らを走らせんとした。出發に日あり、公が國人を朝見し、賈をして彼らに問わしめて曰わく、「もし衛が晋を背叛せば、晋が五次我らを伐てば、困病は如何」。皆曰わく、「五次我らを伐つも、なお作戰す可し」。賈が曰わく、「然らば即ち背叛せよ。困病して再び人質を送るに、何の晚かあらん」。ここに晋を背叛した。晋人が改盟を請うたが許さず。
秋,晉士鞅會成桓公,侵鄭,圍蟲牢,報伊闕也。遂侵衛。
秋、晋士鞅が成桓公と會合し、鄭を侵襲し、蟲牢を包圍したは伊闕を報復するなり。続いて衛を侵襲した。
九月,師侵衛,晉故也。
九月、軍隊が衛を侵襲したは晋の故を以てなり。
季寤、公鉏極、公山不狃皆不得志於季氏,叔孫輒無寵於叔孫氏,叔仲志不得志於魯。故五人因陽虎。陽虎欲去三桓,以季寤更季氏,以叔孫輒更叔孫氏,己更孟氏。冬十月,順祀先公而祈焉。辛卯,禘於僖公。壬辰,將享季氏於蒲圃而殺之,戒都車曰:“癸巳至。”成宰公斂處父告孟孫,曰:“季氏戒都車,何故?”孟孫曰:“吾弗聞。”處父曰:“然則亂也,必及於子,先備諸?”與孟孫以壬辰為期。
季寤・公鉏極・公山不狃が皆季氏の所で志を得る能わず、叔孫輒は叔孫氏の所で寵なく、叔仲志は魯で志を得る能わず。ゆえに五人が陽虎に依附した。陽虎が三桓を除掉せんと欲し、季寤を以て季氏を替換し、叔孫輒を以て叔孫氏を替換し、自ら孟氏を替換せんとした。冬十月、位次に按りて先公を祭祀し彼らに祈禱した。辛卯、僖公廟で禘祭を行った。壬辰、將に蒲圃で季氏を宴享して彼を殺さんとし、都邑の戰車に告誡して曰わく、「癸巳に到達せよ」。成の宰公斂處父が孟孫に告げて曰わく、「季氏が都邑の戰車に告誡す。何の故ぞ」。孟孫が曰わく、「我は聞かず」。處父が曰わく、「然らば是れ亂を作すなり。必ずあなたに延及せん。先に防備せよか」。孟孫と壬辰を期とするを約定した。
陽虎前驅,林楚御桓子,虞人以鈹盾夾之,陽越殿,將如蒲圃。桓子咋謂林楚曰:“而先皆季氏之良也,爾以是繼之。”對曰:“臣聞命後。陽虎為政,魯國服焉。違之,徵死。死無益於主。”桓子曰:“何後之有?而能以我適孟氏乎?”對曰:“不敢愛死,懼不免主。”桓子曰:“往也。”孟氏選圉人之壯者三百人,以為公期築室於門外。林楚怒馬及衢而騁,陽越射之,不中,築者闔門。有自門間射陽越,殺之。陽虎劫公與武叔,以伐孟氏。公斂處父帥成人,自上東門入,與陽氏戰於南門之內,弗勝。又戰於棘下,陽氏敗。陽虎說甲如公宮,取寶玉、大弓以出,舍於五父之衢,寢而為食。其徒曰:“追其將至。”虎曰:“魯人聞餘出,喜於徵死,何暇追餘?”從者曰:“嘻!速駕!公斂陽在。”公斂陽請追之,孟孫弗許。陽欲殺桓子,孟孫懼而歸之。子言辨舍爵於季氏之廟而出。陽虎入於讙、陽關以叛。
陽虎が前面に路を開き、林楚が桓子のため駕車し、虞人が鈹盾を以て夾護し、陽越が殿後し、將に蒲圃に至らんとした。桓子が突然林楚に對して曰わく、「あなたの先人は皆季氏の賢良なり。あなたはこれを以て繼承せよ」。對えて曰わく、「臣は命令を聞くこと已に晚し。陽虎が執政し、魯國が服從す。彼に違背するは死を找うなり。死しても主上に益處なし」。桓子が曰わく、「何の晚かあらん。あなたは能く我を孟氏の所に帶するか」。對えて曰わく、「敢えて死を愛惜せず。能く主上を保全せざるを怕れるのみ」。桓子が曰わく、「去れ」。孟氏が養馬人中の强壯三百人を挑選し、公期のため門外に室を築くを偽った。林楚が馬を鞭して大路に至れば即ち奔馳し、陽越が彼を射たが中らず、室を築く人が門を關上した。或る人が門縫より陽越を射て彼を殺した。陽虎が公と武叔を劫持し、來りて孟氏を攻打した。公斂處父が成人を率い、上東門より入り、陽氏と南門之內で作戰し、勝たず。又棘下で作戰し、陽氏が戰敗した。陽虎が甲を脫ぎて公宮に至り、寶玉・大弓を取出して出で、五父之衢に住み、躺下して飯を做った。その徒衆が曰わく、「追兵はおそらく將に至らん」。虎が曰わく、「魯人は我が出ずるを聞き、死を免るるが如く喜ぶ。どこに閑暇ありて我を追わん」。隨從が曰わく、「嘿!速く車を駕せよ!公斂陽がそこに在り」。公斂陽が追趕を請うたが、孟孫が許さず。陽が桓子を殺さんと欲するも、孟孫が害怕して彼を送り歸らせた。子言が季氏の廟で一一に酒を斟り祭告して然る後に出た。陽虎が讙・陽關に入りて叛變した。
鄭駟歂嗣子大叔為政。
鄭駟歂が子大叔を接替して執政した。
◇定公九年
◇定公九年
【經】九年春王正月。夏四月戊申,鄭伯蠆卒。得寶玉、大弓。六月,葬鄭獻公。秋,齊侯、衛侯次於五氏。秦伯卒。冬,葬秦哀公。
【経】九年春、周天子の暦の正月。夏四月戊申、鄭伯蠆が卒した。寶玉・大弓を得た。六月、鄭献公を葬った。秋、齊侯・衛侯が五氏に駐した。秦伯が卒した。冬、秦哀公を葬った。
【傳】九年春,宋公使樂大心盟於晉,且逆樂祁之屍。辭,偽有疾。乃使向巢如晉盟,且逆子梁之屍。子明謂桐門右師出,曰:“吾猶衰絰,而子擊鐘,何也?”右師曰:“喪不在此故也。”既而告人曰:“己衰絰而生子,餘何故舍鍾?”子明聞之,怒,言於公曰:“右師將不利戴氏,不肯適晉,將作亂也。不然無疾。”
【伝】九年春、宋公が樂大心を遣わして晋に至り結盟し、かつ樂祁の尸を迎接せしめた。推辭し、病あるを偽った。ここに向巢を遣わして晋に至り結盟し、かつ子梁の尸を迎接せしめた。子明が桐門右師に對して該國出ずるを説き、曰わく、「我はなお衰絰を著るに、あなたは卻って鐘を撃つ。何ぞ」。右師が曰わく、「喪がここに在らざる故なり」。隨後に他人に告げて曰わく、「自ら衰絰を著て卻って子を生む。我は何で鐘を放下せん」。子明が聞き、發怒し、公に對して曰わく、「右師は將に戴氏に不利せん。肯んじて晋に至らず、將に亂を作さん。然らざれば病なきことならじ」。
乃逐桐門右師。
ここに桐門右師を趕走した。
鄭駟歂殺鄧析,而用其《竹刑》。君子謂子然:“於是不忠。苟有可以加於國家者,棄其邪可也。《靜女》之三章,取彤管焉。《竿旄》‘何以告之’,取其忠也。故用其道,不棄其人。《詩》云:‘蔽芾甘棠,勿翦勿伐、召伯所茇。’思其人猶愛其樹,況用其道而不恤其人乎?子然無以勸能矣。”
鄭駟歂が鄧析を殺掉するも、卻ってその《竹刑》を用いた。君子が子然を評論す、「この事上に忠ならず。假如に國家に加益す可きあらば、その邪惡を拋棄すれば即ち可なり。《靜女》の三章は彤管を取るなり。《竿旄》の『何を以て彼に告げん』は忠を取るなり。ゆえにその道を用いてその人を拋棄せず。《詩經》に曰く、『茂盛の甘棠、剪る勿れ伐つ勿れ、是れ召伯の歇息せし所』。その人を思念してなおその樹を愛す。況んやその道を用いて卻ってその人を体恤せざるをや。子然は以て有才能の人を勸勉する無し」。
夏,陽虎歸寶玉、大弓。書曰“得”,器用也。凡獲器用曰得,得用焉曰獲。
夏、陽虎が寶玉・大弓を歸還した。記載して「得」と曰うは器用なればなり。凡そ器用を獲得するを得と曰い、生物を獲得するを獲と曰う。
六月,伐陽關。陽虎使焚萊門。師驚,犯之而出,奔齊,請師以伐魯,曰:“三加必取之。”齊侯將許之。鮑文子諫曰:“臣嘗為隸於施氏矣,魯未可取也。
六月、陽關を攻打した。陽虎が人を遣わして萊門を焚燒せしめた。軍隊が驚亂し、彼が衝出し、齊に逃奔し、師を出して魯を伐つを請い、曰わく、「三次兵を加えれば必ず取得せん」。齊侯が將に許可せんとした。鮑文子が進諫して曰わく、「臣はかつて施氏の所で隸役を為せり。魯はなお奪取すべからず。
上下猶和,眾庶猶睦,能事大國,而無天災,若之何取之?陽虎欲勤齊師也,齊師罷,大臣必多死亡,己於是乎奮其詐謀。夫陽虎有寵於季氏,而將殺季孫,以不利魯國,而求容焉。親富不親仁,君焉用之?君富於季氏,而大於魯國,茲陽虎所欲傾覆也。魯免其疾,而君又收之,無乃害乎!”齊侯執陽虎,將東之。陽虎願東,乃囚諸西鄙。盡借邑人之車,鍥其軸,麻約而歸之。載蔥靈,寢於其中而逃。追而得之,囚於齊。又以蔥靈逃,奔晉,適趙氏。仲尼曰:“趙氏其世有亂乎!”秋,齊侯伐晉夷儀。敝無存之父將室之,辭,以與其弟,曰:“此役也不死,反,必娶於高、國。”先登,求自門出,死於溜下。東郭書讓登,犁彌從之,曰:“子讓而左,我讓而右,使登者絕而後下。”書左,彌先下。書與王猛息。猛曰:“我先登。”書斂甲,曰:“曩者之難,今又難焉!”猛笑曰:“吾從子如驂之靳。”
上下がなお和し、衆庶がなお睦み、能く大國に事奉し、又天災なく、どうしてそれを奪取せん。陽虎は齊師を勤勞せしめんと欲するなり。齊師が疲困すれば、大臣は必ず多く死亡し、彼は自らこの時に詐謀を施展せん。陽虎は季氏の所で寵ありしに、卻って將に季孫を殺して以て魯國に不利せんとし、卻って來りて容納を求む。富に親近して仁に親近せず。君はどこに彼を用いん。君は季氏より富み、魯國より大なり。これは正に陽虎の傾覆せんと想う所なり。魯がその病害を免除したに、君が又彼を收容するは、ただ怕れて害あらんか!」。齊侯が陽虎を捉え、將に彼を東邊に安置せんとした。陽虎が東邊に往くを願うを表示し、ここに西部邊境に囚禁した。邑人の車を皆借り來り、車軸を刻傷し、麻を以て纏い還し歸還した。蔥靈車に裝し、その中で睡りて逃走した。追い捉えて齊に囚禁した。又蔥靈車を以て逃走し、晋に逃奔し、趙氏に投靠した。仲尼が曰わく、「趙氏はおそらく世世代代亂あらんか!」。秋、齊侯が晋の夷儀を伐った。敝無存の父が將に彼に妻を娶らんとし、彼が推辭し、弟に讓りて曰わく、「この一戰にもし死せざれば、歸りて、必ず高氏・國氏の女兒を娶らん」。率先して城に登り、又城門より出でんを求め、檐溜の下で死んだ。東郭書が謙讓して城に登り、犁彌が跟著して曰わく、「あなたは左に讓れ、我は右に讓れ。城に登る人が完して然る後に下去せん」。書が左に在り、彌が先に下去した。書が王猛と休息した。猛が曰わく、「我が先に城に登れり」。書が甲を收拾して曰わく、「さきほど難し、今また難し!」。猛が笑いて曰わく、「我があなたに從うは驂馬が當胸の皮帶に跟著するが如し」。
晉車千乘在中牟。衛侯將如五氏,卜過之,龜焦。衛侯曰:“可也。衛車當其半,寡人當其半,敵矣。”乃過中牟。中牟人慾伐之,衛褚師圃亡在中牟,曰:“衛雖小,其君在焉,未可勝也。齊師克城而驕,其帥又賤,遇,必敗之。不如從齊。”乃伐齊師,敗之。齊侯致禚、媚、杏於衛。齊侯賞犁彌,犁彌辭,曰:“有先登者,臣從之,皙幘而衣狸制。”公使視東郭書,曰:“乃夫子也,吾貺子。”公賞東郭書,辭,曰:“彼,賓旅也。”乃賞犁彌。
晋車一千乘が中牟に在り。衛侯が將に五氏に至らんとし、そこを經過するを占卜したが龜甲が焦燒した。衛侯が曰わく、「可なり。衛の車が彼の半に抵し、寡人が彼の半に抵すれば即ち對等なり」。ここに中牟を經過した。中牟人が彼を攻打せんと欲し、衛褚師圃が中牟に逃亡して曰わく、「衛は小なる雖も、その君がそこに在り。なお勝つ可からず。齊師が城邑を攻克して驕傲し、その帥は又低賤なり。遇えば、必ず彼らを打敗せん。齊に從うに如かず」。ここに齊師を攻打し、彼らを敗った。齊侯が禚・媚・杏を衛に送った。齊侯が犁彌を賞するに、犁彌が推辭して曰わく、「先に城に登る人ありて、臣は彼に跟著せり。白色頭巾・狸皮製の衣服を著けり」。公が人を遣わして東郭書を看せしめ、曰わく、「即ちあの夫子なり。我はあなたを賞せん」。公が東郭書を賞するに、推辭して曰わく、「彼は賓旅なり」。ここに犁彌を賞した。
齊師之在夷儀也,齊侯謂夷儀人曰:“得敝無存者,以五家免。”乃得其屍。
齊師が夷儀に在る時、齊侯が夷儀人に對して曰わく、「敝無存を得る者には五家に賦役を免除せん」。ここにその尸を得た。
公三襚之。與之犀軒與直蓋,而先歸之。坐引者,以師哭之,親推之三。
公が三次彼に衣を穿せ、彼に犀軒と直蓋を與え、先に送り歸らせた。車を拉く人をして跪かせ、軍隊を帶びて彼を哭し、自ら車を推して三次した。
◇定公十年
◇定公十年
【經】十年春王三月,乃齊平。夏,公會齊侯於夾谷。公至自夾谷。晉趙鞅帥師圍衛。齊人來歸鄆、讙、龜陰田。叔孫州仇、仲孫何忌帥師圍郈。秋,叔孫州仇、仲孫何忌帥師圍郈。宋樂大心出奔曹。宋公子地出奔陳。冬,齊侯、衛侯、鄭遊速會於安甫。叔孫州仇如齊。宋公之弟辰暨仲佗、石彄出奔陳。
【経】十年春、周天子の暦の三月、齊と講和した。夏、公が夾谷で齊侯と會見した。公が夾谷より歸った。晋趙鞅が師を率いて衛を包圍した。齊人が來りて鄆・讙・龜陰の田を歸還した。叔孫州仇・仲孫何忌が師を率いて郈を包圍した。秋、叔孫州仇・仲孫何忌が師を率いて郈を包圍した。宋樂大心が曹に出奔した。宋公子地が陳に出奔した。冬、齊侯・衛侯・鄭游速が安甫で會見した。叔孫州仇が齊に至った。宋公の弟辰と仲佗・石彄が陳に出奔した。
【傳】十年春,及齊平。
【伝】十年春、齊と講和した。
夏,公會齊侯於祝其,實夾谷。孔丘相。犁彌言於齊侯曰:“孔丘知禮而無勇,若使萊人以兵劫魯侯,必得志焉。”齊侯從之。孔丘以公退,曰:“士,兵之!兩君合好,而裔夷之俘以兵亂之,非齊君所以命諸侯也。裔不謀夏,夷不亂華,俘不幹盟,兵不逼好。於神為不祥,於德為愆義,於人為失禮,君必不然。”
夏、公が祝其で齊侯と會見したは實に即ち夾谷なり。孔丘が相禮を任じた。犁彌が齊侯に對して曰わく、「孔丘は禮を知れども勇なし。もし萊人を遣わして兵器を以て魯侯を劫持せば、必ず志を得ん」。齊侯が聽き從った。孔丘が公を帶びて後退して曰わく、「士、兵器を挙げよ!兩國の君が合好するに、裔夷の俘虜が兵器を以て擾亂するは齊君の諸侯に命令する做法にあらず。裔は夏を圖謀せず、夷は華を擾亂せず、俘虜は盟を冒犯せず、兵器は和好を逼迫せず。神に對しては不祥、德に對しては義に違背、人に對しては禮を失す。君は必ずこの如くあらじ」。
齊侯聞之,遽闢之。
齊侯が聞き、立刻に彼らを避けさせた。
將盟,齊人加於載書曰:“齊師出竟,而不以甲車三百乘從我者,有如此盟。”
將に結盟せんとし、齊人が載書に加寫して曰わく、「齊師が境を出でるに、卻って甲車三百乘を以て我に從わざれば、この盟の如くあらん」。
孔丘使茲無還揖對曰:“而不反我汶陽之田,吾以共命者,亦如之。”齊侯將享公,孔丘謂梁丘據曰:“齊、魯之故,吾子何不聞焉?事既成矣,而又享之,是勤執事也。且犠象不出門,嘉樂不野合。饗而既具,是棄禮也。若其不具,用秕稗也。用秕稗,君辱,棄禮,名惡,子盍圖之?夫享,所以昭德也。不昭,不如其已也。”乃不果享。
孔丘が兹無還をして揖して對えて曰わく、「卻って我らの汶汶陽の田を歸還せざれば、我らの以て命令に供給するも、またこの如し」。齊侯が將に公を宴享せんとし、孔丘が梁丘據に對して曰わく、「齊・魯の舊例は、吾子は何で聞かざるか。事は已に完成し、又宴享するは執事を勤勞せしむるなり。況んや犧象は門を出でず、嘉樂は野地で合奏せず。饗禮して器物が已に齊備せば、是れ禮を拋棄す。もし齊備せざれば、是れ秕稗を用うるなり。秕稗を用いれば君は辱を受け、禮を拋棄すれば名聲は惡し。あなたは何で考慮せざるか。宴享は以て德を昭明するなり。昭明する能わざれば、停止するに如かず」。ここに終に宴享せず。
齊人來歸鄆、歡、龜陰之田。
齊人が來りて鄆・歡・龜陰の田を歸還した。
晉趙鞅圍衛,報夷儀也。
晋趙鞅が衛を包圍したは夷儀を報復するなり。
初,衛侯伐邯鄲午於寒氏,城其西北而守之,宵熸。及晉圍衛,午以徒七十人門於衛西門,殺人於門中,曰:“請報寒氏之役。”涉佗曰:“夫子則勇矣,然我往,必不敢啟門。”亦以徒七十人,旦門焉,步左右,皆至而立,如植。日中不啟門,乃退。反役,晉人討衛之叛故,曰:“由涉佗、成何。”於是執涉佗以求成於衛。衛人不許,晉人遂殺涉佗。成何奔燕。君子曰:“此之謂棄禮,必不鈞。《詩》曰:‘人而無禮,胡不遄死。’涉佗亦遄矣哉!”初,叔孫成子欲立武叔,公若藐固諫曰:“不可。”成子立之而卒。公南使賊射之,不能殺。公南為馬正,使公若為郈宰。武叔既定,使郈馬正侯犯殺公若,不能。其圉人曰:“吾以劍過朝,公若必曰:‘誰也劍也?’吾稱子以告,必觀之。吾偽固,而授之末,則可殺也。”使如之,公若曰:“爾欲吳王我乎?”遂殺公若。侯犯以郈叛,武叔懿子圍郈,弗克。
当初、衛侯が寒氏で邯鄲午を攻打し、彼の西北の城を築きて以て防守するに、夜に即ち潰散した。晋が衛を包圍するに及び、午が徒衆七十人を率いて衛の西門を攻打し、門中で人を殺して曰わく、「寒氏のあの一戰を報復せんを請う」。涉佗が曰わく、「あの夫子は勇敢と算す可し。しかし我が往けば、彼らは必ず敢えて門を開けざらん」。も徒衆七十人を率い、朝に門を攻め、左右兩邊に走り至り、皆到達して立ち、栽種の樹木の如し。中午に至るも門を開けず、ここに退回した。役より歸り、晋人が衛の背叛する故を追究して曰わく、「涉佗・成何により」。ここに涉佗を捉えて衛に和を求めた。衛人が許さず、晋人が即ち涉佗を殺した。成何が燕に逃奔した。君子が曰わく、「これを禮を拋棄すと曰う。必ず能く均等ならじ。《詩經》に曰く、『人を為して禮なくば、何で速く死せざらん』。涉佗もまた快きかな!」。当初、叔孫成子が武叔を立てんと欲し、公若藐が堅決に進諫して曰わく、「不可なり」。成子が彼を立てて然る後に卒した。公南が賊を遣わして彼を射たが殺す能わず。公南が馬正を為し、公若を郈宰とせしめた。武叔が已に安定し、郈の馬正侯犯を遣わして公若を殺さんとするも能わず。その圉人が曰わく、「我が劍を帶びて朝廷を經過せば、公若は必ず曰わん、『誰の劍ぞ』。我があなたの名字を稱して彼に告げれば、彼は必ず觀看せん。我が笨拙を偽りて劍尖を彼に遞せば、即ち殺す可し」。彼にこの如く為させるに、公若が曰わく、「あなたは我を以て呉王と為さんと欲するか」。ここに公若を殺した。侯犯が郈を帶びて叛變し、武叔懿子が郈を包圍したが克たず。
秋,二子及齊師復圍郈,弗克。叔孫謂郈工師駟赤曰:“郈非唯叔孫氏之憂,社稷之患也。將若之何?”對曰:“臣之業,在《揚水》卒章之四言矣。”
秋、兩人が又齊師と再び郈を包圍したが克たず。叔孫が郈の工師駟赤に對して曰わく、「郈は叔孫氏の憂慮のみにあらず、社稷の禍患なり。將にどうせん」。對えて曰わく、「臣の職事は《揚水》末章の四個字の中に在り」。
叔孫稽首。駟赤謂侯犯曰:“居齊、魯之際,而無事,必不可矣。子盍求事於齊以臨民?不然,將叛。”侯犯從之。齊使至,駟赤與郈人為之宣言於郈中曰:“侯犯將以郈易於齊,齊人將遷郈民。”眾兇懼。駟赤謂侯犯曰:“眾言異矣。子不如易於齊,與其死也。猶是郈也,而得紓焉,何必此?齊人慾以此逼魯,必倍與子地。且盍多舍甲於子之門,以備不虞?”侯犯曰:“諾。”乃多舍甲焉。侯犯請易於齊,齊有司觀郈,將至。駟赤使周走呼曰:“齊師至矣!”郈人大駭,介侯犯之門甲,以圍侯犯。駟赤將射之。侯犯止之,曰:“謀免我。”
叔孫が叩頭した。駟赤が侯犯に對して曰わく、「齊・魯の間に處るに、卻って事奉なければ、必ず行けず。あなたは何で事奉齊を求めて以て民を臨治せざるか。然らざれば、將に叛變せん」。侯犯が聽き從った。齊の使者が到達し、駟赤と郈人が郈中で放話して曰わく、「侯犯は將に郈を以て齊と交換し、齊人は將に郈民を遷走せんとす」。衆人が喧鬧恐懼した。駟赤が侯犯に對して曰わく、「衆人の話は已に相同せず。あなたは齊と交換するに如かず。死に比べて强し。依然この塊の郷なるに、卻って能く紓緩せん。何で必ずしもここを守らん。齊人はこれを以て魯を逼せんと欲し、必ず加倍にあなたに土地を給せん。況んや何であなたの門裏に多くの甲を放さざらん。以て意外を防備せん」。侯犯が曰わく、「善し」。ここに多く甲を放った。侯犯が齊と交換するを請い、齊の有司が郈を看に來り、將に到達せんとす。駟赤が人をして到處に跑りて喊せしめて曰わく、「齊師到れり!」。郈人が大驚し、侯犯の門裏の甲を穿著し、來りて侯犯を包圍した。駟赤が將に彼らを射んとした。侯犯が彼を攔住して曰わく、「我を脫身せしむるを謀れ」。
侯犯請行,許之。駟赤先如宿,侯犯殿。每出一門,郈人閉之。及郭門,止之,曰:“子以叔孫氏之甲出,有司若誅之,群臣懼死。”駟赤曰:“叔孫氏之甲有物,吾未敢以出。”犯謂駟赤曰:“子止而與之數。”駟赤止,而納魯人。侯犯奔齊,齊人乃致郈。
侯犯が出走を請い、許した。駟赤が先に宿に至り、侯犯が殿後した。門を一出するごとに、郈人が關上した。郭門に至り、彼を攔住して曰わく、「あなたが叔孫氏の甲を帶びて出ずれば、有司がもし責問せば、群臣は死を怕れん」。駟赤が曰わく、「叔孫氏の甲には標識あり。我は敢えて帶出せず」。犯が駟赤に對して曰わく、「あなたは留下して彼らと點算せよ」。駟赤が留下し、魯人を放進した。侯犯が齊に逃奔し、齊人はここに郈を送還した。
宋公子地嬖蘧富獵,十一分其室,而以其五與之。公子地有白馬四。公嬖向魋,魋欲之,公取而朱其尾鬛以與之。地怒,使其徒抶魋而奪之。魋懼,將走。
宋公子地が蘧富獵を寵愛し、家産を十一份に分成し、五份を取りて彼に與えた。公子地に四匹の白馬あり。公が向魋を寵愛し、魋が欲し、公が取りて馬尾と馬鬣を紅に染めて彼に與えた。地が發怒し、徒衆を遣わして魋を鞭打して再び奪回した。魋が害怕し、將に逃走せんとした。
公閉門而泣之,目盡腫。母弟辰曰:“子分室以與獵也,而獨卑魋,亦有頗焉。
公が門を關上して彼のため哭泣し、眼睛が皆腫れた。同母弟辰が曰わく、「あなたは家産を獵に分給し、卻って單單に魋を看不起するは、亦偏頗あり。
子為君禮,不過出竟,君必止子。”公子地奔陳,公弗止。辰為之請,弗聽。辰曰:“是我吾兄也。吾以國人出,君誰與處?”冬,母弟辰暨仲佗、石彄出奔陳。
あなたは君に禮を守るに、出境を過えず。君は必ずあなたを攔住せん」。公子地が陳に逃奔し、公が攔らず。辰が彼のため請うも、聽かず。辰が曰わく、「これは我が兄を害せり。我が國人を帶びて出ずれば、君は誰と相處せん」。冬、同母弟辰と仲佗・石彄が陳に出奔した。
武叔聘於齊,齊侯享之,曰:“子叔孫!若使郈在君之他竟,寡人何知焉?屬與敝邑際,故敢助君憂之。”對曰:“非寡君之望也。所以事君,封疆社稷是以。敢以家隸勤君之執事?夫不令之臣,天下之所惡也。君豈以為寡君賜?”
武叔が齊に聘問し、齊侯が彼を宴享して曰わく、「子叔孫!假如に郈をして君のもう一一處の邊境に在らしめば、寡人はどこに知らん。ただ敝邑と交界するを因りて、ゆえに敢えて君の分憂を幫助せり」。對えて曰わく、「これは寡君の希望する所にあらず。君に事奉する所以は封疆社稷のためなり。敢えて家臣を以て君の執事を勤勞せしめんや。不好の臣は天下の惡む所なり。君はどこにそれを以て寡君への恩賜と為せん」。
◇定公十一年
◇定公十一年
【經】十有一年春,宋公之弟辰及仲佗、石彄、公子地自陳入於蕭以叛。
【経】十一年春、宋公の弟辰と仲佗・石彄・公子地が陳より蕭に入りて叛變した。
夏四月。秋,宋樂大心自曹入於蕭。冬,及鄭平。叔還如鄭蒞盟。
夏四月。秋、宋樂大心が曹より蕭に入った。冬、鄭と講和した。叔還が鄭に至り結盟に參加した。
【傳】十一年春,宋公母弟辰暨仲佗、石彄、公子地入於蕭以叛。秋,樂大心從之,大為宋患,寵向魋故也。
【伝】十一年春、宋公の同母弟辰と仲佗・石彄・公子地が蕭に入りて叛變した。秋、樂大心が彼らに跟從し、大いに宋の禍患と為ったは向魋を寵愛する故なり。
冬,及鄭平,始叛晉也。
冬、鄭と講和し、始めて晋を背叛した。
◇定公十二年
◇定公十二年
【經】十有二年春,薛伯定卒。夏,葬薛襄公。叔孫州仇帥師墮郈。衛公孟彄帥師伐曹。季孫斯、仲孫何忌帥師墮費。秋,大雩。冬十月癸亥,公會齊侯盟於黃。十有一月丙寅朔,日有食之。公至自黃。十有二月,公圍成。公至自圍成。
【経】十二年春、薛伯定が卒した。夏、薛襄公を葬った。叔孫州仇が師を率いて郈を拆毀した。衛公孟彄が師を率いて曹を伐った。季孫斯・仲孫何忌が師を率いて費を拆毀した。秋、大雩を行った。冬十月癸亥、公が黃で齊侯と會見し結盟した。十一月丙寅朔、日食發生す。公が黃より歸った。十二月、公が成を包圍した。公が成を包圍してより歸った。
【傳】十二年夏,衛公孟彄伐曹,克郊。還,滑羅殿。未出,不退於列。
【伝】十二年夏、衛公孟彄が曹を伐ち、郊を攻克した。歸り、滑羅が殿後した。まだ國境を出でず、行列の中より後に退かず。
其御曰:“殿而在列,其為無勇乎?”羅曰:“與其素厲,寧為無勇。”
その御者が曰わく、「殿後するに卻って行列の中に在るは、おそらく勇なきか」。羅が曰わく、「空しく猛厲あるよりは、寧ろ勇なしと看成されん」。
仲由為季氏宰,將墮三都,於是叔孫氏墮郈。季氏將墮費,公山不狃、叔孫輒帥費人以襲魯。公與三子入於季氏之宮,登武子之臺。費人攻之,弗克。入及公側。仲尼命申句須、樂頎下,伐之,費人北。國人追之,敗諸姑蔑。二子奔齊,遂墮費。將墮成,公斂處父謂孟孫:“墮成,齊人必至於北門。且成,孟氏之保障也,無成,是無孟氏也。子偽不知,我將不墮。”
仲由が季氏の宰を為し、將に三都を拆毀せんとし、ここに叔孫氏が郈を拆毀した。季氏が將に費を拆毀せんとし、公山不狃・叔孫輒が費人を率いて魯を襲撃した。公と三子が季氏の宮に入り、武子の臺に登った。費人が攻打するも克たず。公の身邊に進入した。仲尼が申句須・樂頎に下りて彼らを攻打するを命令し、費人が敗逃した。國人が追趕し、姑蔑で彼らを敗った。兩人が齊に逃奔し、ここに費を拆毀した。將に成を拆毀せんとし、公斂處父が孟孫に對して曰わく、「成を拆毀せば、齊人は必ず北門に至らん。況んや成は孟氏の保障なり。成なくば、即ち孟氏なし。あなたは知らざるを偽れ。我は將に拆毀せじ」。
冬十二月,公圍成,弗克。
冬十二月、公が成を包圍したが克たず。
◇定公十三年
◇定公十三年
【經】十有三年春,齊侯、衛侯次於垂葭。夏,築蛇淵囿。大蒐於比蒲。衛公孟彄帥師伐曹。晉趙鞅入於晉陽以叛。冬,晉荀寅、士吉射入於朝歌以叛。
【経】十三年春、齊侯・衛侯が垂葭に駐した。夏、蛇淵囿を修築した。比蒲で大搜を行った。衛公孟彄が師を率いて曹を伐った。晋趙鞅が晋陽に入りて叛變した。冬、晋荀寅・士吉射が朝歌に入りて叛變した。
晉趙鞅歸於晉。薛弒其君比。
晋趙鞅が晋に歸った。薛がその君比を弑した。
【傳】十三年春,齊侯、衛侯次於垂葭,實郹氏。使師伐晉,將濟河。諸大夫皆曰:“不可。”邴意茲曰:“可。銳師伐河內,傳必數日而後及絳。絳不三月,不能出河,則我既濟水矣。”乃伐河內。齊侯皆斂諸大夫之軒,唯邴意茲乘軒。齊侯欲與衛侯乘,與之宴,而駕乘廣,載甲焉。使告曰:“晉師至矣!”齊侯曰:“比君之駕也,寡人請攝。”乃介而與之乘,驅之。或告曰:“無晉師。”
【伝】十三年春、齊侯・衛侯が垂葭に駐したは實は郹氏なり。軍隊を遣わして晋を伐ち、將に河を渡らんとした。諸大夫が皆曰わく、「不可なり」。邴意兹が曰わく、「可なり。精銳を以て河內を伐てば、傳車は必ず數日して乃ち絳に至らん。絳は三個月なくして河を出でず。その時我らは已に水を渡れり」。ここに河內を伐った。齊侯が諸大夫の軒車を皆收起し、ただ邴意兹のみが軒車に乘坐した。齊侯が衛侯と同乘せんと欲し、彼と宴飲し、卻って乘廣を駕し、甲を裝上した。人を遣わして報告して曰わく、「晋師到れり!」。齊侯が曰わく、「君の車を駕するに及び、寡人をして代りて辔を執らしむるを請う」。ここに甲を披いて彼と同乘し、驅馳した。或る人が報告して曰わく、「晋師なし」。
乃止。
ここに停止した。
晉趙鞅謂邯鄲午曰:“歸我衛貢五百家,吾舍諸晉陽。”午許諾。歸,告其父兄,父兄皆曰:“不可。衛是以為邯鄲,而置諸晉陽,絕衛之道也。不如侵齊而謀之。”乃如之,而歸之於晉陽。趙孟怒,召午,而囚諸晉陽。使其從者說劍而入,涉賓不可。乃使告邯鄲人曰:“吾私有討於午也,二三子唯所欲立。”遂殺午。趙稷、涉賓以邯鄲叛。夏六月,上軍司馬籍秦圍邯鄲。邯鄲午,荀寅之甥也;荀寅,範吉射之姻也,而相與睦。故不與圍邯鄲,將作亂。董安於聞之,告趙孟,曰:“先備諸?”趙孟曰:“晉國有命,始禍者死,為後可也。”安於曰:“與其害於民,寧我獨死,請以我說。”趙孟不可。秋七月,范氏、中行氏伐趙氏之宮,趙鞅奔晉陽。晉人圍之。範皋夷無寵於範吉射,而欲為亂於范氏。梁嬰父嬖於知文子,文子欲以為卿。韓簡子與中行文子相惡,魏襄子亦與範昭子相惡。
晋趙鞅が邯鄲午に對して曰わく、「衛の進貢の五百家を我に還せ。我は晋陽に安置せん」。午が答應した。歸りて父兄に告ぐるに、父兄が皆曰わく、「不可なり。衛はこれにより邯鄲を看重するに、卻って晋陽に安置するは衛の路を斷絕するなり。齊を侵襲して再び謀劃するに如かず」。ここに照做して人を晋陽に送った。趙孟が發怒し、午を召して晋陽に囚禁した。その隨從に劍を脫ぎて入れよとするに、涉賓が答應せず。ここに人を遣わして邯鄲人に告げて曰わく、「我が私に午を討伐す。あなたら几位はただ自ら想う立つ所に按って立てよ」。ここに午を殺した。趙稷・涉賓が邯鄲を帶びて叛變した。夏六月、上軍司馬籍秦が邯鄲を包圍した。邯鄲午は荀寅の外甥、荀寅は范吉射の姻親にして互相親睦す。ゆえに邯鄲包圍に參加せず、將に亂を作さんとした。董安于が聞き、趙孟に告げて曰わく、「先に防備せよか」。趙孟が曰わく、「晋國に命令ありて、先に禍亂を發動するは處死せよ。後發を為れば即ち可」。安于が曰わく、「民を害するよりは、寧ろ我が獨自に死せん。我を以て解釋せしむるを請います」。趙孟が答應せず。秋七月、范氏・中行氏が趙氏の宮を攻打し、趙鞅が晋陽に逃奔した。晋人が彼を包圍した。范皋夷が范吉射の所で寵なく、范氏で亂を作さんと欲した。梁嬰父が知文子に寵愛され、文子が彼を卿と為さんと欲した。韓簡子と中行文子が互相憎惡し、魏襄子もまた范昭子と互相憎惡した。
故五子謀,將逐荀寅而以梁嬰父代之,逐範吉射而以範皋夷代之。荀躒言於晉侯曰:“君命大臣,始禍者死,載書在河。今三臣始禍,而獨逐鞅,刑已不鈞矣。
ゆえに五人が謀劃し、將に荀寅を趕走して梁嬰父を以て代替し、范吉射を趕走して范皋夷を以て代替せんとした。荀躒が晋侯に對して曰わく、「君が大臣に命令して、先に禍亂を發動するは處死せよと、載書を河に沈めたり。今三個の臣が先に禍亂を發動するに、卻ってただ鞅を趕走するは刑罰已に均等ならず。
請皆逐之。”
皆彼らを趕走するを請います」。
冬十一月,荀躒、韓不信、魏曼多奉公以伐范氏、中行氏,弗克。二子將伐公,齊高強曰:“三折肱知為良醫。唯伐君為不可,民弗與也。我以伐君在此矣。
冬十一月、荀躒・韓不信・魏曼多が公に事奉して往きて范氏・中行氏を攻打したが克たず。兩人が將に公を攻打せんとし、齊高强が曰わく、「三たび胳膊を折斷して乃ち誰が良醫かを知る。ただ君を伐つのみは不可なり。民は親附せず。我らは君を伐てばこそここに在るなり。
三家未睦,可盡克也。克之,君將誰與?若先伐君,是使睦也。”弗聽,遂伐公。
三家はまだ親睦せず。全部戰勝す可し。戰勝せば、君は將に誰に親附せん。もし先に君を伐てば、是れ彼らを親睦せしむるなり」。聽かず、ここに公を伐った。
國人助公,二子敗,從而伐之。丁未,荀寅、士吉射奔朝歌。
國人が公を幫助し、兩人が戰敗し、跟著して往きて彼らを攻打した。丁未、荀寅・士吉射が朝歌に逃奔した。
韓、魏以趙氏為請。十二月辛未,趙鞅入於絳,盟於公宮。
韓・魏が趙氏のため請い、十二月辛未、趙鞅が絳に入り、公宮で結盟した。
初,衛公叔文子朝而請享靈公。退,見史鰍而告之。史鰍曰:“子必禍矣。
当初、衛公叔文子が朝見し、かつ靈公に宴享を請うた。退き、史鰌に見えて彼に告げた。史鰌が曰わく、「あなたは必ず禍あらん。
子富而君貪,其及子乎!”文子曰:“然。吾不先告子,是吾罪也。君既許我矣,其若之何?”史鰍曰:“無害。子臣,可以免。富而能臣,必免於難,上下同之。
あなたは富みて君は貪なり。おそらくあなたに延及せんか!」。文子が曰わく、「是なり。我が先にあなたに告げざるは我が罪なり。君は已に我を許可せり。將にどうせん」。史鰌が曰わく、「妨害なし。あなたが臣道を守れば、免る可し。富みて能く臣道を守れば、必ず禍難を免れん。上下皆同じなり。
