Libo

昭公(元年~三十二年)

春秋 · 左丘明(旧题) · 第55巻 / 56

【傳】十四年春,西狩於大野,叔孫氏之車子鉏商獲麟,以為不祥,以賜虞人。仲尼觀之,曰:“麟也。”然後取之。

【伝】十四年春、大野の西で打獵し、叔孫氏の車士鉏商が麒麟を獲得し、不祥と以為して虞人に賜えた。仲尼が看て曰わく、「是れ麟なり」。これ乃ち取り來た。

小邾射以句繹來奔,曰:“使季路要我,吾無盟矣。”使子路,子路辭。季康子使冉有謂之曰:“千乘之國,不信其盟,而信子之言,子何辱焉?”對曰:“魯有事於小邾,不敢問故,死其城下可也。彼不臣而濟其言,是義之也。由弗能。”

小邾射が句繹を帶びて前來して投奔して曰わく、「季路をして我と約定せしめよ。我は即ち盟約を用いざらん」。子路を遣わすに、子路が推辭した。季康子が冉有を遣わして彼に對して曰わしめ、「千乘の國がその盟約を相信せずして、卻ってあなたの話を相信す。あなたに何の屈辱かあらん」。對えて曰わく、「魯國が小邾と戰事あれば、敢えて故を問わず、城下に死するも皆可なり。彼が臣道を守らずしてその話を兌現せしむるは、彼の行為を以て義と成すなり。由は能くこの如く為さず」。

齊簡公之在魯也,闞止有寵焉。及即位,使為政。陳成子憚之,驟顧諸朝。

齊簡公が魯國に在る時、闞止が寵を得た。即位するに及び、彼を執政せしめた。陳成子が彼を忌憚し、朝廷上で屢々頭を回顧した。

諸御鞅言於公曰:“陳、闞不可並也,君其擇焉。”弗聽。子我夕,陳逆殺人,逢之,遂執以入。陳氏方睦,使疾,而遺之潘沐,備酒肉焉,饗守囚者,醉而殺之,而逃。子我盟諸陳於陳宗。

諸御鞅が齊侯に對して曰わく、「陳・闞は並列すべからず。君はなお選擇せよ」。聽かず。子我が傍晚に朝見するに、陳逆が人を殺し、彼に遇い、ここに捉えて帶入した。陳氏が正に和睦し、彼をして病を裝わせ、淘米水を送りて頭を洗わせ、酒肉を備え、看守の人を請いて飲食せしめ、灌醉して後に彼らを殺し、逃走した。子我が陳氏と陳宗で結盟した。

初,陳豹欲為子我臣,使公孫言己,已有喪而止。既,而言之,曰:“有陳豹者,長而上僂,望視,事君子必得志,欲為子臣。吾憚其為人也,故緩以告。”

当初、陳豹が子我の家臣を為さんと欲し、公孫に自己を介紹せしめたが、喪事あるを以て停下した。後に又説いて曰わく、「陳豹ありて、高くして駝背にして仰視す。君子に事奉すれば必ず志を得ん。あなたの臣を為さんと欲す。我はその為人を怕れ、ゆえに晚く告げた」。

子我曰:“何害?是其在我也。”使為臣。他日,與之言政,說,遂有寵,謂之曰:“我盡逐陳氏,而立女,若何?”對曰:“我遠於陳氏矣。且其違者,不過數人,何盡逐焉?”遂告陳氏。子行曰:“彼得君,弗先,必禍子。”子行舍於公宮。

子我が曰わく、「何の妨害かあらん。これは我に在り」。彼をして臣を為さしめた。後に彼と政事を談じ、喜歡し、ここに寵を得、彼に對して曰わく、「我が陳氏を全部趕走し、あなたを立つるは如何」。對えて曰わく、「我は陳氏を離るること已に遠し。況んや違抗するは不過幾個人のみ。何で必ずしも全部趕走せん」。ここに陳氏に告げた。子行が曰わく、「彼が國君を得て、先に動かざれば、必ずあなたを禍害せん」。子行が公宮に住んだ。

夏五月壬申,成子兄弟四乘如公。子我在幄,出,逆之。遂入,閉門。侍人御之,子行殺侍人。公與婦人飲酒於檀臺,成子遷諸寢。公執戈,將擊之。大史子餘曰:“非不利也,將除害也。”成子出舍於庫,聞公猶怒,將出,曰:“何所無君?”子行抽劍,曰:“需,事之賊也。誰非陳宗?所不殺子者,有如陳宗!”乃止。子我歸,屬徒,攻闈與大門,皆不勝,乃出。陳氏追之,失道於弇中,適豐丘。豐丘人執之,以告,殺諸郭關。成子將殺大陸子方,陳逆請而免之。以公命取車於道,及耏,眾知而東之。出雍門,陳豹與之車,弗受,曰:“逆為餘請,豹與余車,餘有私焉。事子我而有私於其仇,何以見魯、衛之士?”東郭賈奔衛。

夏五月壬申、成子兄弟四人が車を乘りて齊侯の所に至った。子我が帳中に在り、出でて迎接した。ここに進入し、門を關上した。侍人が抵御し、子行が侍人を殺した。齊侯が婦人と檀臺で酒を飲むに、成子が彼を寢宮に遷した。齊侯が戈を持ちて將に撃打せんとした。太史子余が曰わく、「不利せんと欲するにあらず。禍害を除去せんと欲するなり」。成子が出でて庫裏に住み、齊侯がなお發怒するを聞き、將に出走せんとして曰わく、「どこに國君なからん」。子行が劍を抽出して曰わく、「遲疑は事の賊害なり。誰が陳氏宗族にあらざらん。もしあなたを殺さざれば、陳宗を證と為すあり!」。ここに停下した。子我が歸り、徒衆を集合し、宮牆の小門と大門を攻打するも、皆能く取勝せず、ここに逃出した。陳氏が追趕し、弇中で路を迷い、豐丘に到った。豐丘人が彼を捉え、來りて報告し、郭關で彼を殺した。成子が將に大陸子方を殺さんとし、陳逆が彼を免れんを請いした。公命を以て路上で車を取り、耏に到達し、衆人が知りて彼を東行せしめた。雍門を出で、陳豹が彼に車を給うも接受せず、曰わく、「逆が我のため情を求め、豹が我に車を給う。我は彼らと私交あり。子我に事奉して卻ってその仇人と私交するは、何を以て魯・衛の士人に見ゆるか」。東郭賈が衛國に逃奔した。

庚辰,陳恆執公於舒州。公曰:“吾早從鞅之言,不及此。”

庚辰、陳恒が舒州で齊侯を捉えた。齊侯が曰わく、「我が早く鞅の話を聽從せば、この歩に到らざらん」。

宋桓魋之寵害於公,公使夫人驟請享焉,而將討之。未及,魋先謀公,請以鞍易薄,公曰:“不可。薄,宗邑也。”乃益鞍七邑,而請享公焉。以日中為期,家備盡往。公知之,告皇野曰:“餘長魋也,今將禍餘,請即救。”司馬子仲曰:“有臣不順,神之所惡也,而況人乎?敢不承命。不得左師不可,請以君命召之。”

宋國桓魋が寵を得て、宋公に妨害するに至り、宋公が夫人をして屢々宴享を請求せしめ、將に彼を討伐せんとした。まだ及ばざるに、魋が先に宋公に對付するを謀劃し、鞍を以て薄と交換するを請うた。宋公が曰わく、「不可なり。薄は宗邑なり」。ここに鞍に七邑を增加し、宋公を宴享するを請うた。日中を期と為し、家裏の武裝が全部前往した。宋公が知り、皇野に告げて曰わく、「我が魋を撫養して長大せしめたに、今將に我を禍害せんとす。即ち來りて救うを請います」。司馬子仲が曰わく、「臣の順從せざる有るは神の厭惡する所なり。況んや人をや。敢えて命令を接受せざらん。左師を得ざれば行かず。君命を以て彼を召すを請います」。

左師每食擊鐘。聞鐘聲,公曰:“夫子將食。”既食,又奏。公曰:“可矣。”

左師は飯を食するごとに皆鐘を撃つ。鐘聲を聞けば、宋公が曰わく、「夫子は將に飯を食せん」。食畢して又樂を奏す。宋公が曰わく、「可なり」。

以乘車往,曰:“跡人來告曰:‘逢澤有介麇焉。’公曰:‘雖魋未來,得左師,吾與之田,若何?’君憚告子。野曰:‘嘗私焉。’君欲速,故以乘車逆子。”

車を乘りて前往して曰わく、「迹人が來りて報告して曰く、『逢澤に一隻の單獨の麇あり』。公が曰く、『たとえ魋がまだ來らずとも、左師を得れば、我は彼と打獵せん。如何』。君は直截にあなたに告げるを怕れ。野が曰く、『我が往きて私に説かん』。君は快くせんを想う。ゆえに乘車を以てあなたを迎えに來れり」。

與之乘,至,公告之故,拜,不能起。司馬曰:“君與之言。”公曰:“所難子者,上有天,下有先君。”對曰:“魋之不共,宋之禍也,敢不唯命是聽。”司馬請瑞焉,以命其徒攻桓氏。其父兄故臣曰:“不可。”其新臣曰:“從吾君之命。”遂攻之。子頎騁而告桓司馬。司馬欲入,子車止之,曰:“不能事君,而又伐國,民不與也,只取死焉。”向魋遂入於曹以叛。六月,使左師巢伐之。欲質大夫以入焉,不能。亦入於曹,取質。魋曰:“不可。既不能事君,又得罪於民,將若之何?”乃舍之。民遂叛之。向魋奔衛。向巢來奔,宋公使止之,曰:“寡人與子有言矣,不可以絕向氏之祀。”辭曰:“臣之罪大,盡滅桓氏可也。

彼と同一車に乘り、到れば、宋公が故を告げ、彼が拜して起き上がらず。司馬が曰わく、「君が彼と說話せよ」。宋公が曰わく、「あなたを難ずるは、上に天あり、下に先君あり」。對えて曰わく、「魋の不恭は宋國の禍なり。敢えて命に唯聽せざらん」。司馬が符節を請求し、その部下に桓氏を攻打するを命令した。その父兄と舊臣が曰わく、「不可なり」。新臣が曰わく、「我ら國君の命令に聽從せよ」。ここに攻打した。子頎が馬を馳せて往きて桓司馬に告げた。司馬が城に入らんと欲し、子車が彼を攔住して曰わく、「國君に事奉する能わず、又國都を攻打するは百姓が親附せず。ただ死を找うのみ」。向魋はここに曹に入りて叛變した。六月、左師巢を遣わして往きて彼を伐たせた。大夫を以て人質と為して再び城に進入せんと欲するも能わず。も曹に入り、人質を取った。魋が曰わく、「不可なり。已に能く國君に事奉せず、又百姓に罪を得るは將にどうせん」。ここに彼らを放した。百姓はここに彼を背叛した。向魋が衛國に逃奔した。向巢が前來して投奔し、宋公が人を遣わして彼を攔住して曰わしめ、「寡人はあなたと話有りき。向氏の祭祀を斷絕すべからず」。推辭して曰わく、「臣の罪は大なり。全部桓氏を滅掉するも可なり。

若以先臣之故,而使有後,君之惠也。若臣,則不可以入矣。”

(向巢が続いて説く:)もし先臣の故に因りて、而して彼に後嗣あらしめば、是れ君の恩惠なり。臣に至りては、即ち再び進入すべからず」。

司馬牛致其邑與珪焉,而適齊。向魋出於衛地,公文氏攻之,求夏后氏之璜焉。與之他玉,而奔齊,陳成子使為次卿。司馬牛又致其邑焉,而適吳。吳人惡之,而反。趙簡子召之,陳成子亦召之。卒於魯郭門之外,阬氏葬諸丘輿。

司馬牛がその城邑と珪を交出し、齊國に到った。向魋が衛地に出現し、公文氏が彼を攻打し、彼に向かい夏后氏之璜を索取した。別の玉を給えて、齊國に逃奔し、陳成子が彼を次卿とせしめた。司馬牛が又城邑を交出し、呉國に到った。呉人が彼を厭惡し、又返回した。趙簡子が彼を召し、陳成子もまた彼を召した。魯國郭門之外で死に、阬氏が彼を丘輿に葬った。

甲午,齊陳恆弒其君壬於舒州。孔丘三日齊,而請伐齊三。公曰:“魯為齊弱久矣,子之伐之,將若之何?”對曰:“陳恆弒其君,民之不與者半。以魯之眾,加齊之半,可克也。”公曰:“子告季孫。”孔子辭。退而告人曰:“吾以從大夫之後也,故不敢不言。”

甲午、齊國陳恒が舒州でその國君壬を弑した。孔丘が齋戒三日し、三次齊を伐つを請求した。哀公が曰わく、「魯は齊に削弱せられて已に久し。あなたが往きて齊を伐てば、將にどうせん」。對えて曰わく、「陳恒がその國君を弑するに、百姓の親附せざるは半あり。魯國の衆人を以て、齊國の半を加上せば、戰勝す可し」。哀公が曰わく、「あなたは往きて季孫に告げよ」。孔子が推辭した。退きて人に告げて曰わく、「我は大夫の後に忝隨せば、ゆえに敢えて説かざるを得ず」。

初,孟孺子洩將圉馬於成。成宰公孫宿不受,曰:“孟孫為成之病,不圉馬焉。”孺子怒,襲成。從者不得入,乃反。成有司使,孺子鞭之。秋八月辛丑,孟懿子卒。成人奔喪,弗內。袒免哭於衢,聽共,弗許。懼,不歸。

当初、孟孺子泄が將に成で馬を養わんとした。成宰公孫宿が接受せず、曰わく、「孟孫は成の已に困病するを以て、ここで馬を養わず」。孺子が發怒し、成を襲擊した。跟從の人が進入する能わず、ここに返回した。成の有司が出使するに、孺子が彼を鞭打した。秋八月辛丑、孟懿子が去世した。成人が奔喪するに、進入せしめず。袒免して衢上で哭し、命を聽き役に供することを表示するも、許さず。害怕して歸らず。

◇哀公十五年

◇哀公十五年

【經】十有五年春王正月,成叛。夏五月,齊高無出奔北燕。鄭伯伐宋。

【経】十五年春、周天子の暦の正月、成が背叛した。夏五月、齊國高無が北燕に出奔した。鄭伯が宋を伐った。

秋八月,大雩。晉趙鞅帥師伐衛。冬,晉侯伐鄭。及齊平。衛公孟彄出奔齊。

秋八月、大雩を行った。晋國趙鞅が軍を率いて衛を伐った。冬、晋侯が鄭を伐った。齊國と講和した。衛國公孟彄が齊國に出奔した。

【傳】十五年春,成叛於齊。武伯伐成,不克,遂城輸。

【伝】十五年春、成が背叛して齊國に歸附した。武伯が成を伐つも攻克する能わず、ここに輸で城を築いた。

夏,楚子西、子期伐吳,乃桐汭。陳侯使公孫貞子吊焉,及良而卒,將以屍入。吳子使大宰嚭勞,且辭曰:“以水潦之不時,無乃廩然隕大夫之屍,以重寡君之憂。寡君敢辭。”上介芋尹蓋對曰:“寡君聞楚為不道,薦伐吳國,滅厥民人。寡君使蓋備使,吊君之下吏。無祿,使人逢天之戚,大命隕隊,絕世於良,廢日共積,一日遷次。今君命逆使人曰:‘無以屍造於門。’是我寡君之命委於草莽也。且臣聞之曰:‘事死如事生,禮也。’於是乎有朝聘而終,以屍將事之禮。又有朝聘而遭喪之禮。若不以屍將命,是遭喪而還也,無乃不可乎!以禮防民,猶或逾之。今大夫曰:‘死而棄之’,是棄禮也。其何以為諸侯主?先民有言曰:‘無穢虐士。’備使奉屍將命,苟我寡君之命達於君所,雖隕於深淵,則天命也,非君與涉人之過也。”吳人內之。

夏、楚國子西・子期が呉を伐ち、桐汭に到達した。陳侯が公孫貞子を遣わして弔唁せしめ、良に至れば即ち死し、將に尸体を城に運入せんとした。呉子が太宰嚭を遣わして慰勞し、かつ推辭して曰わしめ、「雨水が時ならざるを以て、ただ怕れて突然に大夫の尸体を毀壞し、寡君の憂慮を加重せん。寡君は謹んでここに推辭す」。上介芋尹蓋が對えて曰わく、「寡君は楚國が行事無道にして、一再に呉を伐ち、そこの人民を滅絕せりと聞く。寡君が蓋を遣わして使臣を充任せしめ、君の下吏を弔問せしむ。不幸にして、使人が上天の悲痛に遇い、大命が墜落し、良地で世を棄れり。時日を廢棄して以て斂具を積聚し、一天に一次遷徙す。今君が命令して使人を迎接して曰く、『尸体を門前に帶る勿れ』。これは我が寡君の命令を草莽裏に丢るなり。況んや臣は聞くに、『死者に事奉するに生者に事奉するが如く、これは禮なり』。ここに朝聘して死し、尸体を以て使命を完成する禮あり。又朝聘して喪事に遇う禮あり。もし尸体を以て致命せざれば、即ち喪事に遇いて返回するに等し。ただ怕れて不可かもしれぬ!禮を以て百姓を防範するに、なお越過する人あり。今大夫が曰く、『死せば即ち拋棄せよ』。これは禮を拋棄するなり。なお何を憑って諸侯の主を為さん。先民に話ありて、『死者を污穢する勿れ』。使臣を充任して尸体を奉じて致命するに、もし我ら寡君の命令が君の所に到達せば、たとえ深淵に墜落するも、是れ天命にして、君と擺渡人の過錯にあらず」。呉人が彼らを接納した。

秋,齊陳瓘如楚。過衛,仲由見之,曰:“天或者以陳氏為斧斤,既斫喪公室,而他人有之,不可知也。其使終饗之,亦不可知也。若善魯以待時,不亦可乎?何必惡焉?”子玉曰:“然,吾受命矣,子使告我弟。”

秋、齊國陳瓘が楚國に至った。衛を經過し、仲由が往きて彼に見えて曰わく、「上天は或いは陳氏を以て斧斤と為し、已に公室を砍喪せしめて、卻って他人に占有せられ、知る可からず。彼をして終に享有せしむるも、また知る可からず。もし魯國を善待して以て時機を等待せば、また可ならずや。何で必ずしも交惡せん」。子玉が曰わく、「是れ然り。我は命令を接受せり。あなたは人を遣わして我が弟弟に告げよ」。

冬,及齊平。子服景伯如齊,子贛為介,見公孫成,曰:“人皆臣人,而有揹人之心。況齊人雖為子役,其有不貳乎?子,周公之孫也,多饗大利,猶思不義。利不可得,而喪宗國,將焉用之?”成曰:“善哉!吾不早聞命。”

冬、齊國と講和した。子服景伯が齊國に至り、子贛が副使を為し、公孫成に會見して曰わく、「人は皆他人の臣なるに、卻って他人を背叛する心あり。況んや齊人は雖もあなたのため役使するも、あえて二心なからんや。あなたは周公の子孫にして、多くの大利を享受するに、還想不義の事を為さんと欲す。利は得る可からずして、卻って宗國を喪失するは將にどこに用いん」。成が曰わく、「善きかな!我は早くこの話を聞かざりき」。

陳成子館客,曰:“寡君使恆告曰:‘寡君願事君如事衛君。’”景伯揖子贛而進之。對曰:“寡君之願也。昔晉人伐衛,齊為衛故,伐晉冠氏,喪車五百,因與衛地,自濟以西,禚、媚、杏以南,書社五百。吳人加敝邑以亂,齊因其病,取讙與闡。寡君是以寒心。若得視衛君之事君也,則固所願也。”成子病之,乃歸成。公孫宿以其兵甲入於嬴。

陳成子が客人を安置して曰わく、「寡君が恒を遣わして告げて曰く、『寡君は君に事奉するを衛君に事奉するが如くせんを願う』」。景伯が子贛に向かい揖して彼を上前せしめた。對えて曰わく、「これは寡君の願望なり。昔晋人が衛を伐つに、齊國は衛の故のため、晋國冠氏を攻打し、兵車五百輛を喪失し、これにより衛國に土地を給し、濟より以西、禚・媚・杏より以南、書社五百。呉人が禍亂を敝邑に加え、齊國が我らの困病に乘り、讙と闡を奪取せり。寡君はこれにより寒心せり。もし衛君に比照して君に事奉する能くば、本より願望なり」。成子がこれに對して愧疚を感じ、ここに成を歸還した。公孫宿が兵甲を帶びて嬴に入った。

衛孔圉取大子蒯聵之姊,生悝。孔氏之豎渾良夫長而美,孔文子卒,通於內。

衛國孔圉が太子蒯聵の姉を娶り、悝を生下した。孔氏の豎渾良夫が高大美麗にして、孔文子が死した後、孔姬と私通した。

大子在戚,孔姬使之焉。大子與之言曰:“苟使我入獲國,服冕乘軒,三死無與。”

太子が戚に在り、孔姬が彼をそこに遣わした。太子が彼に對して曰わく、「もし我を國に歸りて國家を獲得せしめば、冕を服し軒に乘り、三次の死罪をあなたに加えざらん」。

與之盟,為請於伯姬。

彼と盟約を訂立し、彼のため伯姬に向かい請求した。

閏月,良夫與大子入,舍於孔氏之外圃。昏,二人蒙衣而乘,寺人羅御,如孔氏。孔氏之老欒寧問之,稱姻妾以告。遂入,適伯姬氏。既食,孔伯姬杖戈而先,大子與五人介,輿豭從之。迫孔悝於廁,強盟之,遂劫以登臺。欒寧將飲酒,炙未熟,聞亂,使告季子。召獲駕乘車,行爵食炙,奉衛侯輒來奔。季子將入,遇子羔將出,曰:“門已閉矣。”季子曰:“吾姑至焉。”子羔曰:“弗及,不踐其難。”季子曰:“食焉,不闢其難。”子羔遂出。子路入,及門,公孫敢門焉,曰:“無入為也。”季子曰:“是公孫,求利焉而逃其難。由不然,利其祿,必救其患。”有使者出,乃入。曰:“大子焉用孔悝?雖殺之,必或繼之。”且曰:“大子無勇,若燔臺,半,必舍孔叔。”大子聞之,懼,下石乞、盂黶敵子路。以戈擊之,斷纓。子路曰:“君子死,冠不免。”結纓而死。孔子聞衛亂,曰:“柴也其來,由也死矣。”孔悝立莊公。莊公害故政,欲盡去之,先謂司徒瞞成曰:“寡人離病於外久矣,子請亦嘗之。”歸告褚師比,欲與之伐公,不果。

閏月、良夫と太子が進入し、孔氏の外圃に住んだ。黃昏、二人が衣を蒙りて車に乘り、寺人羅が駕車し、孔氏に到った。孔氏の家老欒寧が詢問するに、姻親の妾の來りて禀告するを托稱した。ここに進入し、伯姬の所に至った。飯を食畢して、孔伯姬が戈を持ちて前に在り、太子と五人が甲を穿著し、車を以て公豬を載せて跟著した。廁上で孔悝を逼迫し、結盟を强迫し、ここに彼を劫持して臺に登らせた。欒寧が將に酒を飲まんとし、烤肉がまだ熟せず、變亂を聞き、人を遣わして季子に報告せしめた。召獲が乘車を駕し、走りながら酒を飲み烤肉を食し、衛侯輒を奉じて前來投奔した。季子が將に城に進入せんとし、子羔が將に出でんとするに遇い、曰わく、「門は已に關上せり」。季子が曰わく、「我は姑くそこに至らん」。子羔が曰わく、「及ばず。往きて禍難を踐踏する勿れ」。季子が曰わく、「その俸祿を食みて、その禍難を躲避せず」。子羔はここに出た。子路が進入し、門前に至り、公孫敢が門を守りて曰わく、「進入して何を為さんとする勿れ」。季子が曰わく、「これは公孫なり。利を求めて卻って禍難を逃避す。由はこの如くあらず。その俸祿を以て利と為し、必ずその患難を救わん」。使者の出るあり、ここに進入した。曰わく、「太子はどこに孔悝を用いん。たとえ彼を殺すとも、必ず接替する人あらん」。かつ曰わく、「太子に勇氣なし。もし臺を燒けば、半に燒き至れば、必ず孔叔を釋放せん」。太子が聞き、害怕し、石乞・盂黶を遣わして臺を下りて子路を抵擋せしめた。戈を以て撃打し、帽纓を斷った。子路が曰わく、「君子は死するも、帽子は免れざる可からず」。纓を結好して死んだ。孔子が衛國の變亂を聞きて曰わく、「柴はおそらく來らん。由は已に死せり」。孔悝が莊公を立てた。莊公が舊政を忌恨し、全部去らんと欲し、先に司徒瞞成に對して曰わく、「寡人は外で禍難を遭受すること久し。あなたにも嘗せしめんを請う」。歸りて褚師比に告げ、彼と一起に莊公を攻打せんと欲するも、成功せず。

◇哀公十六年

◇哀公十六年

【經】十有六年春王正月己卯,衛世子蒯聵自戚入於衛,衛侯輒來奔。二月,衛子還成出奔宋。夏四月己丑,孔丘卒。

【経】十六年春、周天子の暦の正月己卯、衛世子蒯聵が戚より衛國に入り、衛侯輒が前來投奔した。二月、衛子還成が宋國に出奔した。夏四月己丑、孔丘が去世した。

【傳】十六年春,瞞成、褚師比出奔宋。

【伝】十六年春、瞞成・褚師比が宋國に出奔した。

衛侯使鄢武子告於周曰:“蒯聵得罪於君父君母,逋竄於晉。晉以王室之故,不棄兄弟,置諸河上。天誘其衷,獲嗣守封焉。使下臣肸敢告執事。”王使單平公對曰:“肸以嘉命來告餘一人。往謂叔父,餘嘉乃成世,復爾祿次。敬之哉!方天之休,弗敬弗休,悔其可追?”夏四月己丑,孔丘卒。公誄之曰:“旻天不弔,不憖遺一老。俾屏餘一人以在位,煢煢餘在疚。嗚呼哀哉!尼父。無自律。”子贛曰:“君其不沒於魯乎!夫子之言曰:‘禮失則昏,名失則愆。’失志為昏,失所為愆。生不能用,死而誄之,非禮也。稱一人,非名也。君兩失之。”

衛侯が鄢武子を遣わして周王に報告して曰わしめ、「蒯聵が君父君母に罪を得て、晋國に逃竄せり。晋國は王室の故を以て、兄弟を拋棄せず、彼を河上に安置せり。上天がその心意を誘導し、承繼して封地を守住するを得たり。下臣肸を遣わして謹んでここに執事に報告せしむ」。周王が單平公を遣わして回答して曰わしめ、「肸が好消息を帶びて來りて余一人に告げり。往きて叔父に告げよ。我はあなたの世代を完成するを嘉許し、あなたの祿位を恢復す。敬慎せよ!正に上天の賜福を承受す。敬せざれば賜福なく、後悔はどこに及ばん」。夏四月己丑、孔丘が去世した。哀公が誄して曰わく、「旻天が吊恤せず、肯んじて一位の老人を留下せず。彼をして余一人を位に屏蔽せしむ。煢煢余は病痛の中に在り。嗚呼哀哉!尼父。以て自律する可きなし」。子贛が曰わく、「君はおそらく魯國で善終する能わざらんか!夫子がかつて曰く、『禮を喪失すれば即ち昏亂し、名を喪失すれば即ち過錯す』。心志を失去するは昏、身份を失去するは愆なり。生きて用いず、死して卻って彼を誄するは禮に合わず。自ら一人と稱するは名に合わず。君は兩樣を皆失せり」。

六月,衛侯飲孔悝酒於平陽,重酬之,大夫皆有納焉。醉而送之,夜半而遣之。載伯姬於平陽而行,及西門,使貳車反祏於西圃。子伯季子初為孔氏臣,新登於公,請追之,遇載祏者,殺而乘其車。許公為反祏,遇之,曰:“與不仁人爭,明無不勝。”必使先射,射三發,皆遠許為。許為射之,殪。或以其車從,得祏於囊中。孔悝出奔宋。

六月、衛侯が平陽で孔悝に酒を請い、重重に彼を酬謝し、大夫に皆賞賜あり。醉らせて彼を走らせ、半夜に彼を打發して去らせた。平陽で伯姬を裝上して出發し、西門に到達し、副車を遣わして西圃に回り祏を取らしめた。子伯季子は当初孔氏の家臣にして、新近に衛侯に進用され、追趕を請い、祏を載せる人に遇い、彼を殺し、その車に乘坐した。許公為が返回して祏を取るに、彼に遇い、曰わく、「不仁の人と爭うに、勝たざるの道理なし」。必ず相手をして先に射せしめ、三發を射るも、皆許為を遠離した。許為が彼を射て、射死せしめた。或る人があの車を駕して跟上し、囊中で祏を得た。孔悝が宋國に出奔した。

楚大子建之遇讒也,自城父奔宋。又闢華氏之亂於鄭,鄭人甚善之。又適晉,與晉人謀襲鄭,乃求復焉。鄭人復之如初。晉人使諜於子木,請行而期焉。子木暴虐於其私邑,邑人訴之。鄭人省之,得晉諜焉。遂殺子木。其子曰勝,在吳。

楚太子建が讒言を遭受し、城父より宋國に逃奔した。又華氏之亂を躲避して鄭國に至り、鄭人が彼を待ること甚だ善し。又晋國に至り、晋人と鄭を襲撃するを謀劃し、ここに鄭に歸るを請うた。鄭人が当初の如く彼を安置した。晋人が間諜を遣わして子木の所に至り、動身と日期を約定するを請いた。子木が自らの私邑で暴虐し、邑人が控告した。鄭人が考察し、晋國間諜を得て、ここに子木を殺した。その兒子を勝と曰い、呉國に在り。

子西欲召之,葉公曰:“吾聞勝也詐而亂,無乃害乎?”子西曰:“吾聞勝也信而勇,不為不利,舍諸邊竟,使衛藩焉。”葉公曰:“周仁之謂信,率義之謂勇。

子西が彼を召して歸らせんと欲し、葉公が曰わく、「我は聞くに、勝は狡詐にして又亂を作す。ただ怕れて害あらんか」。子西が曰わく、「我は聞くに、勝は誠信にして又勇敢にして、不利の事を為さず。邊境に安置して、彼をして藩籬を保衛せしめん」。葉公が曰わく、「仁に親近するを信と曰い、義に遵循するを勇と曰う。

吾聞勝也好復言,而求死士,殆有私乎?復言,非信也。期死,非勇也。子必悔之。”弗從。召之使處吳竟,為白公。請伐鄭,子西曰:“楚未節也。不然,吾不忘也。”他日,又請,許之。未起師,晉人伐鄭,楚救之,與之盟。勝怒,曰:“鄭人在此,仇不遠矣。”

(葉公が続いて説く:)我は聞くに、勝は諾言を實踐するを好み、又死士を尋求す。おそらく私心あらんか。諾言を實踐するは信にあらず。期死するは勇にあらず。あなたは必ず後悔せん」。聽從せず。彼を召して來りて呉國邊境に住まわせ、白公と稱した。鄭を伐つを請うに、子西が曰わく、「楚國はまだ節制あらず。然らざれば、我は忘れざらん」。後に又請い、答應した。まだ兵を出ださざるに、晋人が鄭を伐ち、楚國が救援し、鄭と結盟した。勝が發怒して曰わく、「鄭人は即ちここに在り。仇人は遠からず」。

勝自厲劍,子期之子平見之,曰:“王孫何自厲也?”曰:“勝以直聞,不告女,庸為直乎?將以殺爾父。”平以告子西。子西曰:“勝如卵,餘翼而長之。

勝が自ら劍を磨き、子期の兒子平が見て曰わく、「王孫は何で自ら劍を磨くか」。曰わく、「勝は直を以て聞こゆ。あなたに告げざれば、どこに直を算せん。將にそれを以てあなたの父を殺さん」。平が子西に告げた。子西が曰わく、「勝は蛋の如く、我は翅膀を以て彼を覆い長大せしめたり。

楚國第,我死,令尹、司馬,非勝而誰?”勝聞之,曰:“令尹之狂也!得死,乃非我。”子西不悛。勝謂石乞曰:“王與二卿士,皆五百人當之,則可矣。”

(子西が続いて説く:)楚國の班次に、我が死せば、令尹・司馬は勝ならずして還將に誰ぞ」。勝が聞きて曰わく、「令尹は太に狂せり!能く好死を得れば、即ち我にあらず」。子西が改めず。勝が石乞に對して曰わく、「楚王と兩位の卿士は皆五百人を以て抵擋すれば、即ち可なり」。

乞曰:“不可得也。”曰:“市南有熊宜僚者,若得之,可以當五百人矣。”乃從白公而見之,與之言,說。告之故,辭。承之以劍,不動。勝曰:“不為利諂,不為威惕,不洩人言以求媚者,去之。”

乞が曰わく、「得る能わず」。曰わく、「市南に熊宜僚あり。もし彼を得れば、五百人に抵上す可し」。ここに白公に跟著して往きて彼に見え、彼と說話す。甚だ悅服せり。故を告ぐるに、推辭した。劍を以て彼に對るも、動かず。勝が曰わく、「利のため諂媚せず、威のため懼懼せず、他人の話を泄漏して以て媚を求めざる人は、彼を離れよ」。

吳人伐慎,白公敗之。請以戰備獻,許之。遂作亂。秋七月,殺子西、子期於朝,而劫惠王。子西以袂掩面而死。子期曰:“昔者吾以力事君,不可以弗終。”

呉人が慎を伐ち、白公が彼らを打敗した。戰備を献上するを請い、答應した。ここに亂を作した。秋七月、朝廷で子西・子期を殺し、惠王を劫持した。子西が衣袖を以て臉を遮住して死去した。子期が曰わく、「昔我が力を以て國君に事奉せり。到底に至るまで為さざる可からず」。

抉豫章以殺人而後死。石乞曰:“焚庫弒王,不然不濟。”白公曰:“不可。弒王,不祥,焚庫,無聚,將何以守矣?”乞曰:“有楚國而治其民,以敬事神,可以得祥,且有聚矣,何患?”弗從。葉公在蔡,方城之外皆曰:“可以入矣。”

豫章樹を拔起して以て人を殺し、然る後に自らも死んだ。石乞が曰わく、「府庫を燒掉し、楚王を殺掉せよ。然らざれば成功する能わず」。白公が曰わく、「不可なり。王を殺すは不祥、府庫を燒けば即ち積聚なし。將に何を憑って守らん」。乞が曰わく、「楚國を有して百姓を治理し、恭敬して神明に事奉すれば、吉祥を得る可き、かつ積聚あらん。何を擔心せん」。聽從せず。葉公が蔡に在り、方城以外の人が皆曰わく、「城に進入す可し」。

子高曰:“吾聞之,以險僥倖者,其求無饜,偏重必離。”聞其殺齊管修也而後入。

子高が曰わく、「我は聞くに、冒險に憑りて僥倖を求める人は、欲望に滿足なく、偏重すれば必ず離心せん」。彼が齊國管修を殺して後に乃ち城に進入したを聞いた。

白公欲以子閭為王,子閭不可,遂劫以兵。子閭曰:“王孫若安靖楚國,匡正王室,而後庇焉,啟之願也,敢不聽從。若將專利以傾王室,不顧楚國,有死不能。”遂殺之,而以王如高府,石乞尹門,圉公陽穴宮,負王以如昭夫人之宮。

白公が子閭を立てて王と為さんと欲し、子閭が答應せず、ここに兵器を以て脅迫した。子閭が曰わく、「王孫がもし楚國を安定し、王室を匡正し、然る後に我を庇護せば、是れ啟の願望にして、敢えて聽從せざらん。もしその利を專有して以て王室を傾覆し、楚國を顧ざらば、死あるも能く從わず」。ここに彼を殺し、楚王を帶びて高府に至った。石乞が門を守り、圉公陽が宮牆を挖開し、楚王を背負いて昭夫人の宮裏に至った。

葉公亦至,及北門,或遇之,曰:“君胡不胄?國人望君如望慈父母焉。盜賊之矢若傷君,是絕民望也。若之何不胄?”乃胄而進。又遇一人曰:“君胡胄?國人望君如望歲焉,日日以幾。若見君面,是得艾也。民知不死,其亦夫有奮心,猶將旌君以徇於國,而反掩面以絕民望,不亦甚乎?”乃免冑而進。遇箴尹固,帥其屬,將與白公。子高曰:“微二子者,楚不國矣。棄德從賊,其可保乎?”乃從葉公。使與國人以攻白公。白公奔山而縊,其徒微之。生拘石乞而問白公之死焉,對曰:“餘知其死所,而長者使餘勿言。”曰:“不言將烹。”乞曰:“此事克則為卿,不克則烹,固其所也,何害?”乃烹石乞。王孫燕奔頯黃氏。諸梁兼二事,國寧,乃使寧為令尹,使寬為司馬,而老於葉。

葉公もまた到り、北門に至るに、或る人が彼に遇いて曰わく、「君は何で胄を戴かざるか。國人は君を盼望するに慈愛の父母を盼望するが如し。盜賊の箭がもし君を傷せば、即ち百姓の希望を斷絕す。何で胄を戴かざるか」。ここに胄を戴きて前進した。又一人に遇いて曰わく、「君は何で胄を戴くか。國人は君を盼望するに收成を盼望するが如く、日日に期待す。もし君の面を見れば、即ち安寧を得ん。百姓は死せざるを知りて、亦皆奮起の心あり。還將に君を表彰して國中を巡行せしめんとするに、卻って反って臉を遮住して民望を斷絶するは、太に過分ならずや」。ここに胄を免れて前進した。箴尹固に遇い、部屬を率いて將に白公に跟從せんとす。子高が曰わく、「この兩位なくば、楚國は國と成らず。德行を拋棄して賊人に跟隨すれば、あえて能く身を保たんや」。ここに葉公に跟從した。彼をして國人と一起に白公を攻打せしめた。白公が山裏に逃げて自縊し、その黨羽が尸体を藏起した。石乞を活捉し、白公の死處を問う。對えて曰わく、「我は彼が死する所を知るも、長者が我に説かざれとせり」。曰わく、「説かざれば即ちあなたを烹せん」。乞が曰わく、「この事は成功すれば即ち卿を為し、成功せざれば即ち烹さる。本よりこの如し。何の妨害かあらん」。ここに石乞を烹った。王孫燕が頯黃氏に逃奔した。諸梁が二職を兼任し、國家が安定し、乃ち寧をして令尹を為らせ、寬をして司馬を為らせ、自ら葉地で養老した。

衛侯占夢,嬖人求酒於大叔僖子,不得,與卜人比而告公曰:“君有大臣在西南隅,弗去,懼害。”乃逐大叔遺。遺奔晉。衛侯謂渾良夫曰:“吾繼先君而不得其器,若之何?”良夫代執火者而言,曰:“疾與亡君,皆君之子也。召之而擇材焉可也,若不材,器可得也。”豎告大子。大子使五人輿豭從己,劫公而強盟之,且請殺良夫。公曰:“其盟免三死。”曰:“請三之後,有罪殺之。”

衛侯が夢を占し、寵臣が太叔僖子に向かい酒を要するに、得ず、卜人と勾結して衛侯に告げて曰わく、「君に大臣ありて西南角に在り。除去せざれば、怕れて害あらん」。ここに太叔遺を驅逐した。遺が晋國に逃奔した。衛侯が渾良夫に對して曰わく、「我が先君を繼承するに卻ってその器物を得ず。どうせん」。良夫が執火の人に代りて進言して曰わく、「疾と逃亡の國君は皆君の兒子なり。召して有才を選擇すれば即ち可。もし才なくば、器物は得る可し」。豎人が太子に告げた。太子が五人を遣わして公豬を抬がせて自らに跟著せしめ、衛侯を劫持して結盟を强迫し、かつ良夫を殺掉するを請求した。衛侯が曰わく、「あの盟約は三次の死罪を免去す」。曰わく、「三次の後に、罪あれば再び彼を殺さんを請います」。

公曰:“諾哉!”

衛侯が曰わく、「善きかな!」。

◇哀公十七年

◇哀公十七年

【傳】十七年春,衛侯為虎幄於藉圃,成,求令名者,而與之始食焉。大子請使良夫。良夫乘衷甸兩牡,紫衣狐裘,至,袒襲,不釋劍而食。大子使牽以退,數之以三罪而殺之。

【伝】十七年春、衛侯が藉圃で虎幄を做り、做成して後、好名聲ある人を尋求し、彼と一起に用餐を開始した。太子が良夫を遣わすを請求した。良夫が衷甸兩牡に乘り、紫衣狐裘を穿著して到來し、外衣を敞開し、劍を解かずして食した。太子が人を遣わして彼を拉き退下せしめ、三樁の罪を數說して然る後に彼を殺した。

三月,越子伐吳。吳子御之笠澤,夾水而陳。越子為左右句卒,使夜或左或右,鼓譟而進。吳師分以御之。越子以三軍潛涉,當吳中軍而鼓之,吳師大亂,遂敗之。

三月、越子が呉を伐った。呉子が笠澤で抵御し、水を隔てて列陣した。越子が左右句卒を設け、彼らに夜に忽ち左忽ち右にして鼓噪して前進せしめた。呉軍が分開して抵御した。越子が三軍を率いて祕密に水を渡り、呉國中軍に對著して鼓を撃ち、呉軍が大いに亂れ、ここに彼らを敗った。

晉趙鞅使告於衛曰:“君之在晉也,志父為主。請君若大子來,以免志父。

晋國趙鞅が人を遣わして衛國に告げて曰わしめ、「君が晋國に在る時、志父が主人を為せり。君あるいは太子の前來するを請い、以て志父の罪過を免除せん。

不然,寡君其曰,志父之為也。”衛侯辭以難。大子又使椓之。

(趙鞅が続いて説く:)然らざれば、寡君はおそらく説かん、これは志父の為したなり」。衛侯が禍難を以て推辭した。太子が又人を遣わして彼を構陷せしめた。

夏六月,趙鞅圍衛。齊國觀、陳瓘救衛,得晉人之致師者。子玉使服而見之,曰:“國子實執齊柄,而命瓘曰:‘無闢晉師。’豈敢廢命?子又何辱?”簡子曰:“我卜伐衛,未卜與齊戰。”乃還。

夏六月、趙鞅が衛國を包圍した。齊國國觀・陳瓘が衛を救い、前來挑戰の晋人を俘獲した。子玉が彼に本服を換えさせて來りて見えて曰わく、「國子は實に齊國の權柄を掌握し、瓘に命令して曰く、『晋軍を躲避する勿れ』。怎で敢えて命令を廢棄せん。あなたは又必ずしも何で屈尊して挑戰せん」。簡子が曰わく、「我が占卜せしは衛を伐つなり。齊と交戰するを占卜せず」。ここに退還した。

楚白公之亂,陳人恃其聚而侵楚。楚既寧,將取陳麥。楚子問帥於大師子谷與葉公諸梁,子谷曰:“右領差車與左史老,皆相令尹、司馬以伐陳,其可使也。”

楚國白公が亂を作す時、陳人が積聚に仗恃して楚國を侵犯した。楚國が安定して後、將に陳國の麥を奪取せんとした。楚子が太師子穀と葉公諸梁に向かい主將を詢問した。子穀が曰わく、「右領差車と左史老は、皆かつて令尹・司馬を輔佐して陳を伐てり。おそらく任用す可し」。

子高曰:“率賤,民慢之,懼不用命焉。”子谷曰:“觀丁父,鄀俘也,武王以為軍率,是以克州、蓼,服隨、唐,大啟群蠻。彭仲爽,申俘也,文王以為令尹,實縣申、息,朝陳、蔡,封畛於汝。唯其任也,何賤之有?”子高曰:“天命不謟。令尹有憾於陳,天若亡之,其必令尹之子是與,君盍舍焉?臣懼右領與左史有二俘之賤,而無其令德也。”王卜之,武城尹吉。使帥師取陳麥。陳人御之,敗,遂圍陳。秋七月己卯,楚公孫朝帥師滅陳。

子高が曰わく、「將帥は出身が低賤にして、百姓が彼を輕慢す。怕れて命令を聽かざらん」。子穀が曰わく、「觀丁父は鄀國の俘虜にして、武王が彼を用いて軍帥と為し、これにより州・蓼に戰勝し、隨・唐を歸服せしめ、群蠻の地を大開せり。彭仲爽は申國の俘虜にして、文王が彼を用いて令尹と為し、申・息を縣と設け、陳・蔡を朝見せしめ、封疆が汝水に到達せり。ただ彼が能く勝任するや否やを看るのみ。何の低賤かあらん」。子高が曰わく、「天命は疑わず。令尹は陳國に遺憾あり。上天がもし陳を滅亡せんと欲せば、必ず陳を令尹の兒子に給せん。君は何で舍棄して用いざるか。臣は怕れて右領と左史にただ兩個の俘虜の低賤あるのみにして、卻って彼らの令德なからん」。楚王が占卜し、武城尹が吉利せり。彼をして軍を率いて陳國の麥を奪取せしめた。陳人が抵御し、戰敗し、ここに陳を包圍した。秋七月己卯、楚國公孫朝が軍を率いて陳國を滅亡した。

王與葉公枚卜子良以為令尹。沈尹朱曰:“吉,過於其志。”葉公曰:“王子而相國,過將何為?”他日,改卜子國而使為令尹。

楚王が葉公と逐一に占卜し、子良を以て令尹と為さんと欲した。沈尹朱が曰わく、「吉利せり。その志向を超過せり」。葉公が曰わく、「王子にして國家を輔相するは、超過して還將に何を為さん」。後に、改めて子國を卜し、彼をして令尹を為らせた。

衛侯夢於北宮,見人登昆吾之觀,被髮北面而噪曰:“登此昆吾之虛,綿綿生之瓜。餘為渾良夫,叫天無辜。”公親筮之,胥彌赦占之,曰:“不害。”與之邑,置之,而逃奔宋。衛侯貞卜,其繇曰:“如魚赬尾,衡流而方羊。裔焉大國,滅之將亡。闔門塞竇,乃自後逾。”

衛侯が北宮で夢を做り、或る人が昆吾之觀に登上し、披頭散髮して北に向かい喊叫して曰くを見たり、「この昆吾之虚に登上せば、綿綿生長の瓜。我は渾良夫にして、天に向かい冤を喊す」。衛侯が親しく占筮し、胥彌赦が占斷して曰わく、「妨害せず」。彼に城邑を給うに、彼が安置下るも、卻って宋國に逃奔した。衛侯が又卜筮を貞問するに、繇辭に曰わく、「魚の尾を紅くするが如く、水流の中に横たわり彷徨す。大國に靠近すれば、それを滅ぼさば即ち將に滅亡せん。門を關め洞を塞げば、卻って後面より翻越せん」。

冬十月,晉復伐衛,入其郛。將入城,簡子曰:“止。叔向有言曰:‘怙亂滅國者無後。’”衛人出莊公而晉平,晉立襄公之孫般師而還。十一月,衛侯自鄄入,般師出。

冬十月、晋國が再び衛を伐ち、外城に攻入した。將に城に入らんとし、簡子が曰わく、「停下せよ。叔向に話ありて曰く、『亂に乘じて國を滅ぼす人は後嗣なし』」。衛人が莊公を趕走して晋と講和し、晋國が襄公の孫子般師を立てて然る後に歸った。十一月、衛侯が鄄より城に入り、般師が出た。

初,公登城以望,見戎州。問之,以告。公曰:“我姬姓也,何戎之有焉?”翦之。公使匠久。公欲逐石圃,未及而難作。辛已,石圃因匠氏攻公,公闔門而請,弗許。逾於北方而隊,折股。戎州人攻之,大子疾、公子青逾從公,戎州人殺之。公入於戎州己氏。初,公自城上見己氏之妻發美,使髡之,以為呂姜髢。

当初、衛侯が城に登りて眺望し、戎州を見た。是れ何處ぞと問うに、或る人が彼に告げた。衛侯が曰わく、「我は姬姓なり。どこに戎かあらん」。それを翦滅した。衛侯が工匠を役使すること久し。衛侯が石圃を驅逐せんと欲するに、まだ及ばずして禍難が發生した。辛巳、石圃が工匠を借りて衛侯を攻打し、衛侯が門を關めて請うも許さず。北邊より牆を翻して墜落し、大腿を折れた。戎州人が彼を攻打し、太子疾・公子青が牆を翻して跟隨し、戎州人が彼らを殺した。衛侯が戎州己氏の家裏に進入した。当初、衛侯が城上より己氏の妻子の頭髮の美なるを見て、人をして剃下せしめ、呂姜のため假髮を做らせたり。

既入焉,而示之璧,曰:“活我,吾與女璧。”己氏曰:“殺女,璧其焉往?”遂殺之而取其璧。衛人復公孫般師而立之。十二月,齊人伐衛,衛人請平。立公子起,執般師以歸,舍諸潞。

已に屋子に進み、彼に璧を看せて曰わく、「我を救活せよ。我は璧をあなたに給えん」。己氏が曰わく、「あなたを殺せば、璧はなおどこに往かん」。ここに彼を殺し、その璧を取走した。衛人が又公孫般師をして歸りて君に立てらせた。十二月、齊人が衛を伐ち、衛人が講和を請うた。公子起を立て、般師を捉えて帶ち歸り、潞に安置した。

公會齊侯,盟於蒙,孟武伯相。齊侯稽首,公拜。齊人怒,武伯曰:“非天子,寡君無所稽首。”武伯問於高柴曰:“諸侯盟,誰執牛耳?”季羔曰:“鄫衍之役,吳公子姑曹。發陽之役,衛石魋。”武伯曰:“然則彘也。”

哀公が齊侯に會見し、蒙で盟約を訂立し、孟武伯が相禮を為した。齊侯が叩頭し、哀公はただ拜すのみ。齊人が發怒した。武伯が曰わく、「天子にあらざれば、寡君に叩頭する由なし」。武伯が高柴に問うて曰わく、「諸侯が結盟するに、誰が牛耳を執るか」。季羔が曰わく、「鄫衍のあの一戰は呉公子姑曹なりき。發陽のあの一戰は衛國石魋なりき」。武伯が曰わく、「然らば即ち彘なり」。

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