Libo

山木

战国 · 庄周 · 第6巻 / 17

山木第二十

天下有至樂無有哉?有可以活身者無有哉?今奚為奚據?奚避奚處?奚就奚去?奚樂奚惡?

莊子、山中を行(こう)す。大木を見る。枝葉盛茂(せいも)なり。伐木者(ばつぼくしゃ)其の傍(ぼう)に止まりて而して取らず。其の故を問ふ。曰く、無所可用(むしょかよう)、と。莊子曰く、此の木不材(ふざい)を以て、其の天年を終(しゅう)うるを得たり、と。

夫天下之所尊者,富貴壽善也;所樂者,身安厚味美服好色音聲也;所下者,貧賤夭惡也;所苦者,身不得安逸,口不得厚味,形不得美服,目不得好色,耳不得音聲。若不得者,則大憂以懼,其為形也亦愚哉!

夫子、山に出(い)づ。故人之家(こじんのか)に舍(しゃ)す。故人喜(き)し、竪子(じゅし)に命じて雁(がん)を殺(さつ)して而して烹(ほう)せしむ。竪子請(しょう)うて曰く、其一(そのいち)は能く鳴(めい)す、其一は能く鳴せず。請問、奚(なに)をか殺さん、と。主人曰く、能く鳴せざるを殺せ、と。

夫富者,苦身疾作,多積財而不得盡用,其為形也亦外矣。夫貴者,夜以繼日,思慮善否,其為形也亦疏矣。人之生也,與憂俱生,壽者惽惽,久憂不死,何苦也!其為形也亦遠矣。烈士為天下見善矣,未足以活身。吾未知善之誠善邪?誠不善邪?若以為善矣,不足活身;以為不善矣,足以活人。故曰:「忠諫不聽,蹲循勿爭。」故夫子胥爭之以殘其形,不爭,名亦不成。誠有善無有哉?

明日(みょうじつ)、弟子莊子に問うて曰く、昨日の山中之木は、不材を以て其の天年を終うるを得たり。今主人之雁は、不材を以て死せり。先生將(まさ)に何(いず)れに處(お)らん、と。

今俗之所為與其所樂,吾又未知樂之果樂邪,果不樂邪?吾觀夫俗之所樂,舉群趣者,誙誙然如將不得已,而皆曰樂者,吾未之樂也,亦未之不樂也。果有樂無有哉?吾以無為誠樂矣,又俗之所大苦也。故曰:「至樂無樂,至譽無譽。」

莊子笑うて曰く、周將に乎材與不材之間(ざいふざいのかん)に處らん。材與不材之間は、之に似(じ)て而(なん)して非(ひ)也。故に未免乎累(みめんこるい)也。若(にゃく)夫の道德(どうとく)に乘(じょう)して而して浮遊(ふゆう)するは、則ち不然(ふぜん)。无譽无訾(むよむし)にして、一龍一蛇(いちりゅういちだ)して、時に與(とも)に化(か)して、而して一爲(いちい)に專(せん)せず。一上一下(いちじょういちげ)して、和を以て量(りょう)と爲(な)す。浮遊乎萬物之祖(ばんぶつのそ)。物を物(ぶつ)して、而して物に物せられず。則ち胡(なん)ぞ累(るい)有るを得んや。此れ神農黃帝之法則(ほうそく)なり。若(にゃく)夫の萬物之情(じょう)・人倫之傳(でん)は、則ち不然。合(ごう)すれば則ち離(り)し、成(じょう)ずれば則ち毀(き)す。廉(れん)すれば則ち挫(ざ)し、尊(そん)すれば則ち議(ぎ)す。有爲(ゆうい)すれば則ち虧(き)し、賢(けん)すれば則ち謀(ぼう)られ、不肖(ふしょう)すれば則ち欺(ぎ)せらる。胡ぞ必(ひつ)を得ん哉。悲(ひ)夫(ふ)。弟子志(し)せ、其の道德之鄕(きょう)のみ、と。

天下是非果未可定也。雖然,無為可以定是非。至樂活身,唯無為幾存。請嘗試言之。天無為以之清,地無為以之寧。故兩無為相合,萬物皆化生。芒乎芴乎,而無從出乎!芴乎芒乎,而無有象乎!萬物職職,皆從無為殖。故曰,天地無為也而無不為也,人也孰能得無為哉!

市南宜僚(しなんぎりょう)、魯侯を見る。魯侯憂色(ゆうしょく)有り。市南子曰く、君憂色有る。何(なん)ぞ也、と。

莊子妻死,惠子弔之,莊子則方箕踞鼓盆而歌。

魯侯曰く、吾先王之道を學び、先君之業を修(しゅう)す。吾鬼を敬(けい)し賢を尊(そん)び、親(しん)而行(こう)し、無須臾(むしゅゆ)離居(りきょ)す。然(しか)も不免於患(ふめんこかん)。吾是(ぜ)を以て憂(ゆう)う、と。

惠子曰:「與人居,長子老身,死不哭亦足矣,又鼓盆而歌,不亦甚乎!」

市南子曰く、君之除患(じょかん)之術(じゅつ)淺(せん)矣。夫の豊狐文豹(ほうこぶんぴょう)は、山林に棲(せい)し、岩穴(がんけつ)に伏(ふく)す。靜(せい)也。夜行晝居(やこうちゅうきょ)は、戒(かい)也。飢渴困約(きかつくんやく)すと雖も、猶お旦(たん)胥(そ)して乎江湖之上(こうこのじょう)に疏(そ)して而して食(しょく)を求む。定(じょう)也。然も且つ不免於罔羅機辟之患(ぼうらきへきのかん)。是(か)れ何罪之有(なんのざいのゆう)。其の皮爲之災(がいしのわざわい)なり。今魯國は獨(ひと)り非(ひ)君之皮邪(や)。吾願(がん)君刳形(くけい)去皮(きょひ)し、灑心(さいしん)去欲(きょよく)して、而して无人之野(むじんのや)に遊ばん。南越有邑(なんえつゆうえつ)、名を建德之國(けんとくのこく)と曰う。其の民愚(ぐ)而(なん)朴(ぼく)、少私而寡欲(しょうしえんかよく)し、作(さく)を知りて藏(ぞう)を知らず、與(よ)して而して其の報(ほう)を求めず。義之所適(しょてき)を知らず、禮之所將(しょしょう)を知らず。猖狂妄行(しょうきょうぼうこう)して、乃ち大方(だいほう)を蹈(とう)む。其の生は樂(らく)す可(か)し、其の死は葬(そう)す可し。吾願君國を去(きょ)り、俗を捐(えん)して、道與(とも)相輔(あいほ)して行(こう)せん、と。

莊子曰:「不然。是其始死也,我獨何能無概然!察其始而本無生,非徒無生也,而本無形,非徙無形也而本無氣。雜乎芒芴之間,變而有氣,氣變而有形,形變而有生。今又變而之死。是相與為春秋冬夏四時行也。人且偃然寢於巨室,而我噭噭然隨而哭之,自以為不通乎命,故止也。」

君曰く、彼其道遠(どうえん)而(なん)險(けん)、又有江山(ゆうこうさん)有り。我无舟車(むしゅうしゃ)。奈何(いか)せん、と。

支離叔與滑介叔觀於冥伯之丘,崑崙之虛,黃帝之所休。俄而柳生其左肘,其意蹶蹶然惡之。

市南子曰く、君無(む)倨形(こけい)、無留居(るきょ)せよ。以て君之車輿(しゃよ)と爲(な)せ、と。

支離叔曰:「子惡之乎?」

君曰く、彼其道幽遠(ゆうえん)而(なん)无人(むじん)。吾誰(たれ)と與(とも)隣(りん)と爲(な)らん。吾无糧(むりょう)、我无食(むしょく)。安(なん)ぞ得(え)て而至(し)せん邪、と。

滑介叔曰:「亡,予何惡!生者,假借也。假之而生生者,塵垢也。死生為晝夜。且吾與子觀化而化及我,我又何惡焉!」

市南子曰く、君之費(ひ)を少(しょう)にし、君之欲を寡(か)にせば、雖无糧(すいむりょう)而(なん)乃(だい)足(そく)せり。君乎江に涉(しょう)して海に浮(ふ)せば、之を望(ぼう)むに崖(がい)を見ず。愈往(ゆおう)して而して其の窮(きゅう)を知らず。君を送る者、皆崖に自(よ)りて反(かえ)る。君此れ自り遠(えん)矣。故有人者(ゆうじんしゃ)累(るい)有り。見(けん)有於人者(ゆうこじんしゃ)憂(ゆう)有り。故堯は人を有せず、人に有せられず。吾願君之累を去り、君之憂を除(じょ)して、而して獨(ひと)り道與(とも)大莫之國(だいばくのこく)に遊ばん。方舟(ほうしゅう)して而して河を濟(せい)す。虛船(きょせん)來りて觸(しょく)舟(しゅう)す。雖(すえど)褊心(へんしん)之人、不怒(ふぬ)す。有一人(いちにん)其上(じょう)に在れば、則ち呼(こ)張歙(ちょうきゅう)を呼(こ)す。一呼(いっこ)して而して聞(ぶん)ぜざれば、再呼(さいこ)して而して聞ぜざれば、於是(ここ)に三呼(さんこ)す。則ち必ず惡聲(あくせい)を以て之に隨(ずい)す。向(きょう)も不怒、而(なん)今怒(ぬ)。向も虛(きょ)、而今實(じつ)。人能(あた)は虛己(きょき)して以て世に遊ばば、孰(たれ)か能く之を害(がい)せん。

莊子之楚,見空髑髏,髐然有形,撽以馬捶,因而問之,曰:「夫子貪生失理,而為此乎?將子有亡國之事,斧鉞之誅,而為此乎?將子有不善之行,愧遺父母妻子之醜,而為此乎?將子有凍餒之患,而為此乎?將子之春秋故及此乎?」

北宮奢(ほくきゅうしゃ)、衛靈公の爲(な)めに賦斂(ふれん)して以て鐘(しょう)と爲(な)す。乎(こ)郭門之外(かくもんのそと)壇(だん)を爲(な)す。三月(さんげつ)して而して上下之縣(じょうげのけん)成(じょう)ず。

於是語卒,援髑髏,枕而臥。夜半,髑髏見夢曰:「子之談者似辯士,視子所言,皆生人之累也,死則無此矣。子欲聞死之說乎?」

王子慶忌(おうしけいき)之を見て而して之に問うて曰く、子何術(なんのじゅつ)之設(せつ)けしや、と。

莊子曰:「然。」

奢曰く、一之間(いちのかん)无(な)敢へて設(せつ)けず。奢聞(ぶん)く、既(き)彫(ちょう)既琢(たく)、復(ふ)于朴(ほく)に歸(き)す。侗乎(どうこ)其(き)無識(むしき)、儻乎(とうこ)其の怠疑(たいぎ)。萃乎(すいこ)芒乎(ぼうこ)、其の送往(そうおう)而迎來(げいらい)。來る者勿禁(もっきん)、往く者勿止(もっし)。其の彊梁(きょうりょう)に從(じゅう)い、其の曲傅(きょくふ)に隨(ずい)い、其の自窮(じきゅう)に因(いん)す。故に朝夕賦斂(ちょうせきふれん)して、而して毫毛(ごうもう)挫(ざ)せられず。而(なん)して況(いはん)や大塗(だいと)有る者をや、と。

髑髏曰:「死,無君於上,無臣於下,亦無四時之事,從然以天地為春秋,雖南面王樂,不能過也。」

孔子、陳蔡之間(ちんさいのかん)に圍(い)められて、七日不火食(ふかしょく)。

莊子不信,曰:「吾使司命復生子形,為子骨肉肌膚,反子父母妻子閭裡知識,子欲之乎?」

大公任(たいこうにん)往きて弔(ちょう)して曰く、子幾(き)死(し)せんとす、と。曰く、然(ぜん)、と。

髑髏深矉蹙頞曰:「吾安能棄南面王樂而復為人閒之勞乎!」

子惡(お)む邪死を、と。曰く、然、と。

顏淵東之齊,孔子有憂色。子貢下席而問曰:「小子敢問,回東之齊,夫子有憂色,何邪?」

任曰く、予嘗(こころ)みに不死之道を言はん。東海鳥有り、名を意怠(いだい)と曰う。其(き)之爲(な)る鳥也、翂翂(ふんふん)翐翐(てつてつ)して、而(なん)无(な)能(のう)の似(じ)たり。引援(いんえん)して而して飛(ひ)し、迫脅(はくきょう)して而して棲(せい)す。進(しん)みて敢へて前(ぜん)と爲(な)らず、退(たい)して敢へて後(こう)と爲らず。食(しょく)して敢へて嘗(しょう)せず、必ず其の緒餘(しょよ)を取る。是故(ぜふ)其の行列(ぎょうれつ)不斥(ふせき)して、而して外人卒(そつ)不得害(ふとくがい)。是以(しぜ)於患(おかん)を免(めん)す。直木(ちょくぼく)先(せん)に伐(ばつ)せられ、甘井(かんせい)先に竭(けつ)す。子其の意(い)は、知(ち)を飾(しょく)して愚を驚し、身を修して汚を明にし、昭昭乎若(ごと)く日月を揭(けい)して而行(にこう)す。故に不免(ふめん)なり。昔者吾聞く大成之人(だいせいのじん)に曰く、自伐者(じばつしゃ)无功(むこう)、功成者堕(こうせいじゃだ)、名成者虧(めいせいじゃき)、と。孰(たれ)か能く功與名を去(きょ)りて、而して還(かん)衆人(しゅうじん)に與(よ)せん。道流(どうりゅう)して而(なん)明居(めいきょ)せず、得(とく)て而して名(めい)に處(お)らず。純純常常(じゅんじゅんじょうじょう)として、乃ち狂(きょう)に比(ひ)す。削迹捐勢(さくせきえんせい)して、功名(こうみょう)を爲(な)さず。是故无責於人(むせきこじん)、人亦无責焉(じんえむせきえん)。至人(しじん)不聞(ふぶん)。子何(なに)をか喜(き)と爲(な)す邪、と。

孔子曰:「善哉汝問!昔者管子有言,丘甚善之,曰:『褚小者不可以懷大,綆短者不可以汲深。』夫若是者,以為命有所成而形有所適也,夫不可損益。吾恐回與齊侯言堯舜黃帝之道,而重以燧人神農之言。彼將內求於己而不得,不得則惑,人惑則死。

孔子曰く、善(ぜん)哉、と。其の交遊(こうゆう)を辭(じ)し、其の弟子を去(きょ)り、大澤(たいたく)に逃(とう)す。衣裘褐(いきゅうかつ)、食杼栗(しょくしょりつ)。獸に入りて其の羣(ぐん)を亂(らん)せず、鳥に入りて其の行(こう)を亂せず。鳥獸不惡(ふお)人、而(なん)況(いはん)や人乎、と。

且女獨不聞邪?昔者海鳥止於魯郊,魯侯御而觴之於廟,奏九韶以為樂,具太牢以為膳。鳥乃眩視憂悲,不敢食一臠,不敢飲一杯,三日而死。此以己養養鳥也,非以鳥養養鳥也。夫以鳥養養鳥者,宜棲之深林,遊之壇陸,浮之江湖,食之鰌䱔,隨行列而止,委虵而處。彼唯人言之惡聞,奚以夫譊譊為乎!咸池九韶之樂,張之洞庭之野,鳥聞之而飛,獸聞之而走,魚聞之而下入,人卒聞之,相與還而觀之。魚處水而生,人處水而死,彼必相與異,其好惡故異也。故先聖不一其能,不同其事。名止於實,義設於適,是之謂條達而福持。」

孔子、子桑雽(しそうこ)に問うて曰く、吾魯に再逐(さいちく)せられ、宋に樹(じゅ)を伐(ばつ)せられ、衛に迹(せき)を削(さく)せられ、商周に窮(きゅう)し、陳蔡之間に圍めらる。吾此の數患(すうかん)を犯(おか)し、親交益(えき)疏(そ)し、徙友(しゆう)益散(さん)ず。奚(なに)に與(か)、と。

列子行食於道從,見百歲髑髏,攓蓬而指之曰:「唯予與汝知而未嘗死,未嘗生也。若果養乎?予果歡乎?」

子桑雽曰く、子獨り假人(かじん)之亡(ぼう)を聞かざりし邪。林回(りんかい)、千金之璧(せんきんのへき)を棄(き)て、赤子(せきし)を負(ふ)して趨(すう)す。或(ある)曰く、其の布(ふ)を爲(な)しや。赤子之布寡(か)矣。其の累(るい)を爲しや。赤子之累多(た)矣。千金之璧を棄て、赤子を負して趨す。何(なに)をか爲(な)す也、と。林回曰く、彼は以利合(いりごう)するなり、此れ以天屬(いてんぞく)するなり、と。夫の以利合する者は、窮禍患害(きゅうかかんがい)に迫(せま)れば、相棄(あいき)す。以天屬する者は、窮禍患害に迫れば、相收(あいしゅう)す。夫の相收與(あいしゅうよ)相棄とは、亦(ま)た遠(えん)矣。且(まつ)し君子之交(こう)は淡若水(たんじゃくすい)の若く、小人之交は甘若醴(かんじゃくれい)の若し。君子淡(たん)して以て親(しん)し、小人甘(かん)して以て絕(ぜつ)す。彼无(な)故(こ)を以て合(ごう)する者は、則ち无故を以て離(り)す、と。

種有幾,得水則為㡭,得水土之際則為鼃蠙之衣,生於陵屯則為陵舄,陵舄得鬱棲則為烏足,烏足之根為蠐螬,其葉為胡蝶。胡蝶胥也化而為蟲,生於灶下,其狀若脫,其名為鴝掇。鴝掇千日為鳥,其名為乾餘骨。乾餘骨之沫為斯彌,斯彌為食醯。頤輅生乎食醯,黃軦生乎九猷,瞀芮生乎腐蠸,羊奚比乎不箰,久竹生青寧,青寧生程,程生馬,馬生人,人又反入於機。萬物皆出於機,皆入於機。

孔子曰く、敬(けい)して命(めい)を聞く矣、と。徐行翔佯(じょこうしょうよう)して而(なん)して歸(き)す。學を絕(ぜつ)し書を捐(えん)す。弟子無挹學(むゆうがく)於(お)前(ぜん)、其の愛(あい)益(えき)加進(かしん)せり。

異日(いじつ)、桑雽又曰く、舜之將(まさ)に死せんとする也、乃(だい)禹(う)に命(めい)して曰く、汝(なんじ)戒(かい)之。形(けい)は若(にゃく)緣(えん)に莫(な)し、情(じょう)は若率(そつ)に莫し。緣すれば則ち不離(ふり)、率すれば則ち不勞(ふろう)。不離不勞、則ち文(ぶん)を求めて形(けい)を待(たい)せず。文を求めて形を待たざれば、固(もと)より物(ぶつ)を待(たい)せざるなり、と。

匠石が斉に行き、曲轅に至って、櫟の社の木を見た。その大きさは牛を蔭蔽し、量れば百囲あり、山に臨んで十仞にして後に枝があり、船に造れる旁枝は十数本あった。見る人は市に趨くがごとく、匠伯は顧みず、行って止まらなかった。弟子は飽き足りるまで見て、走って匠石に追いつき、言った、「私が斧斤を執って夫子に随って以来、かつてこれほど美しい材を見たことがありません。先生は肯じて見ず、歩いて止まらないのは、なぜですか」と。言った、「もうよい、言うな。散木だ。これで船を作れば沈み、棺槨を作れば速やかに腐り、器を作れば速やかに毀れ、門戸を作れば脂液が滲み出、柱を作れば蠹が生じる。これは不材の木で、用いるところがない。だからこそこのように長寿なのだ」と。匠石が帰ると、櫟の社が夢に託して言った、「あなたは何をもってわれに比すのか。文木をもってわれに比すのか。あの柤・梨・橘・柚、果蓏の類は、実が熟すれば剥がされ辱められ、大枝は折られ、小枝は扯がれる。これは己の能をもって己の生を苦しめるので、天年を終えず中道で夭折する。自ら世俗の打撃を招いたのだ。物で然らざるはない。しかもわれが用いられないことを求めて久しく、ほぼ死ぬところだったが、今やっと得て、われの大用となった。もしわれにも用があれば、なおこのような大きさがあろうか。しかもあなたとわれは、皆物である。どうしてこのように彼此で物を相見るのか。ほぼ死ぬべき散人のあなたが、どうして散木を知ろうか」と。匠石が覚めてその夢を人に告げた。弟子は言った、「それは無用を取ることを趣としているのに、どうして社となったのですか」と。言った、「黙れ。言うな。それはここに寄託して、己を知らない人に詬病されるに過ぎない。社とならなければ、ほぼ翦られていただろう。しかもそれが保つところは衆人と同じでないのに、義をもってこれを称誉するのは、遠く離れすぎではないか」と。

達生之情者,不務生之所無以為;達命之情者,不務知之所無柰何。養形必先之以物,物有餘而形不養者有之矣。有生必先無離形,形不離而生亡者有之矣。生之來不能卻,其去不能止。悲夫!世之人以為養形足以存生;而養形果不足以存生,則世奚足為哉!雖不足為而不可不為者,其為不免矣。

南伯子綦が商丘に遊んで、一本の大木を見た。特異なところがあって、四匹の馬を繋げた車が千乘あっても、その樹蔭に隠庇されようとしていた。子綦は言った、「これは何の木か。これは必ず特異な材があるのだろう」と。仰いでその細枝を見れば、拳曲して棟梁にすべからず。俯いてその大根を見れば、軸心が裂けて棺槨にすべからず。その葉を舐めれば、口が爛れて傷つく。それを嗅げば、人を狂醉させて三日已まない。子綦は言った、「これは果たして不材の木で、だからこそこのように大きくなった。ああ、神人はこの不材を用いるのだ」と。宋に荊氏という地があって、楸・柏・桑に適す。拱把以上のものは、猿を繫ぐ杭を求める者がそれを伐り、三囲四囲のものは、高名な棟梁を求める者がそれを伐り、七囲八囲のものは、貴人富商の家で全边の棺木を求める者がそれを伐る。だから天年を終えず、中道で斧斤に夭折する。これは材の患いである。だから祭祀で牲を解くとき、額の白い牛、鼻孔の上を向いた豚、痔病のある人は、河に沈めてはならない。これは巫祝がみな知っているので、不祥とする。これがすなわち神人の大祥とするところである。

夫欲免為形者,莫如棄世。棄世則無累,無累則正平,正平則與彼更生,更生則幾矣。事奚足棄而生奚足遺?棄事則形不勞,遺生則精不虧。夫形全精復,與天為一。天地者,萬物之父母也。合則成體,散則成始。形精不虧,是謂能移。精而又精,反以相天。

支離疏という人がいて、顎は臍の中に隠れ、肩は頂より高く、髮髻は天を指し、五管は上にあり、両の大腿は肋となった。衣を縫い旧きを洗えば、口を糊するに足り、米を簸き糠を揚げれば、十人を養うに足った。上が武士を徴すれば、支離はその間で袂を捲り臂を伸ばし、上に大役あれば、支離は常疾あるをもって功役を受けず、上が病者に粟を與えれば、三鍾と十束の薪を受けた。あの形を支離する者すら、なお身を養い天年を終えるに足る。いわんや徳を支離する者をや。

子列子問關尹曰:「至人潛行不窒,蹈火不熱,行乎萬物之上而不慄。請問何以至於此?」

孔子が楚に至ると、楚の狂接輿がその門を過ぎて言った、「鳳よ鳳よ、なんとその徳の衰えたことか。来世は待つべからず、往世は追うべからず。天下に道あれば、聖人は事業を成す。天下に道なければ、聖人は世に生き存えるのみ。方今の時、ただ刑を免れるのみ。福は羽毛より軽いのに、これを載せるを知る者なし。禍は地より重いのに、これを避けるを知る者なし。已めよ已めよ、徳をもって人に臨む。危ないぞ危ないぞ、地を畫して走る。迷陽迷陽、わが行を傷つけるな。わが行は郤曲、わが足を傷つけるな」と。山木は自ら寇を招き、膏火は自ら煎ず。桂は食うべきゆえに伐られ、漆は用うべきゆえに割かれる。人は皆有用の用を知るが、無用の用を知る者なし。

關尹曰:「是純氣之守也,非知巧果敢之列。居,予語女!凡有貌象聲色者,皆物也,物與物何以相遠?夫奚足以至乎先?是色而已。則物之造乎不形而止乎無所化,夫得是而窮之者,物焉得而止焉!彼將處乎不淫之度,而藏乎無端之紀,遊乎萬物之所終始。壹其性,養其氣,合其德,以通乎物之所造。夫若是者,其天守全,其神無郤,物奚自入焉!

德充符

夫醉者之墜車,雖疾不死。骨節與人同而犯害與人異,其神全也,乘亦不知也,墜亦不知也,死生驚懼不入乎其胷中,是故𨕣物而不慴。彼得全於酒而猶若是,而況得全於天乎?聖人藏於天,故莫之能傷也。復讎者不折鏌幹,雖有忮心者不怨飄瓦,是以天下平均。故無攻戰之亂,無殺戮之刑者,由此道也。

魯国に脚を断たれた王駘という者がいて、彼に従って游學する者は仲尼とほぼ同じ数だった。常季が仲尼に問うて言った、「王駘は兀者(脚のない人)ですが、彼に従って游學する者は夫子と魯国を半々に分けています。立って教えず、坐って議せず、虚しく往って実りて帰る。本当に言わざる教え、形なくして心のうちに成すものがあるのですか。これは何者ですか」と。仲尼は言った、「あの方は聖人だ。私はただ遅れてまだ往っていないだけだ。私も將に彼を師としようとしている。まして私に及ばない者ならなおさらだ。魯国だけではない。私は天下を引き連れて彼に従わせよう」と。常季は言った、「彼は兀者なのに先生に勝っている。平庸な人とも懸絶しています。このような者の心の用い方は、一体どのようなものですか」と。仲尼は言った、「死生もまた大きいが、彼はそれと共に変じない。天地が覆り墜ちても、それと共に失われない。假借するところのないものを審らかにして、物と共に遷徙せず、物の変化に任せてその宗を守るのだ」と。常季は言った、「これは何を言うのですか」。仲尼は言った、「相異なる面から見れば、肝と胆も楚と越ほど違う。相同じき面から見れば、万物は皆一である。あのような人は、耳目が宜しいとする所を知らず、心を徳の和に遊ばせ、物を見てその同一の所だけを見て、その喪失する所を見ない。己の足を失ったのを見ること、土の塊を落としたようである」と。常季は言った、「彼は己を修め、その知をもってその心を得、その心をもって常心を得た。ではなぜ物は彼にこれほど歸附するのですか」。仲尼は言った、「人は流水に姿を映さず、止水に映す。ただ止まるものだけが、止まろうとする衆を止められる。命を地に受けて、松柏だけが独り冬夏青青としている。命を天に受けて、舜だけが独り正しい。幸いにも己の生を正し得て、もって衆人の生を正した。あの始初を保つ徵驗、惧れぬ充実は、勇士一人でも雄々しく九軍の中に入る。名を求めようとして自ら求められる者でさえこのようだ。まして天地を主宰し、万物を府藏し、六骸にただ寄寓し、耳目を以て迹象とし、知の知る所を一にして、心がかつて死んだことのない者ならなおさらだ。彼は將に日を擇んで高遠に登らんとする。人はすなわちこれに従う。彼がどうして肯んじて外物を事としようか」と。

不開人之天,而開天之天,開天者德生,開人者賊生。不厭其天,不忽於人,民幾乎以其真!」

申徒嘉は兀者であるが、鄭の子産と共に伯昏無人に師事していた。子産が申徒嘉に言った、「私が先に出ればあなたは留まり、あなたが先に出れば私が留まる」と。その翌日、また同じ堂の同じ席に坐った。子産が申徒嘉に言った、「私が先に出ればあなたは留まり、あなたが先に出れば私が留まる。今私は出ようとしている。あなたは留まりますか、それともまだですか。しかもあなたは執政を見ても回避しない。あなたは執政と対等であろうとするのか」と。申徒嘉は言った、「先生の門下に、執政のこのような者がもともといるのですか。あなたは自分の執政を喜んで他人を後に退ける人ですか。聞くに、『鏡が明るければ塵垢は留まらず、留まれば明るくない。久しく賢人と共に居れば過ちがない』と。今あなたが大とするところは先生なのに、なおこのような言を出すとは、あまりに過ぎるではありませんか」と。子産は言った、「あなたはすでにこのようだ。それなのに堯と善を争おうとする。あなたの徳を量れば、自ら反省するにも足りないのではないか」。申徒嘉は言った、「自分の過ちを陳べて足を失うべきでなかったと思う者は多い。過ちを陳べず足を保つべきでなかったと思う者は少ない。奈何すべからざるを知って安んじて命のごとくするのは、ただ徳ある者だけだ。羿の彀中(弓の射程内)に游ぶ。中央は必中の地だ。それでも中たらないのは命である。人がその両足の全きをもって私の両足の全からざるを笑う者は多く、私は怫然として怒った。だが先生のもとに来れば、怒りは廃然として返る。知らず、先生が善をもって私を洗ったのだろうか。私は夫子と游んで十九年になるが、かつて私が兀者であることを知らなかった。今あなたと私は形骸の内に游んでいるのに、あなたは形骸の外で私を求める。あまりに過ぎるではないか」と。子産は蹵然として容を改め貌を更えて言った、「あなたはもう言わないでください」と。

仲尼適楚,出於林中,見痀僂者承蜩,猶掇之也。

魯国に兀者の叔山無趾という者がいて、踵で歩いて仲尼に見えた。仲尼は言った、「あなたは謹まず、先にすでに患いを犯してこのような境地に至った。今來ても、どうして間に合おうか」と。無趾は言った、「私はただ時務を識らずに我が身を軽く用いたので、足を失いました。今私が来たのは、なお足より尊いものが残っているからです。だから務めてそれを全うしようと思う。天に覆わないものなく、地に載せないものなし。私は夫子を天地と思っていた。どうして夫子がまだこのようだとは知らなかった」と。孔子は言った、「丘は実に浅陋だった。夫子よ、どうか入って、聞いたところを教えてください」と。無趾は出て行った。孔子は言った、「弟子たちよ、勉めよ。あの無趾は兀者だ。なお務めて學んで、前の行いの惡を補おうとする。まして全徳の人ならなおさらだ」と。無趾が老聃に語って言った、「孔丘は至人に対して、まだ至っていないのではないでしょうか。彼はなぜ賓賓然として學子をもって自ら居するのですか。彼はまた詭譎幻怪の名をもって世に聞こえようと求めている。至人がこれを己の桎梏とするのを知らないのですか」と。老聃は言った、「どうして直接、彼に死生を一條とし、可不可を一貫とさせ、その桎梏を解かせないのか。できるだろうか」と。無趾は言った、「天が彼を刑した。どうして解けよう」と。

仲尼曰:「子巧乎!有道邪?」

魯哀公が仲尼に問うて言った、「衛に醜い人がいて、哀駘它という。丈夫が彼と居れば、思慕して離れられず、婦人は彼を見て父母に請うて『人の妻となるよりは、むしろ夫子の妾となりたい』と言う者が、すでに十数人いても止まらない。かつて彼が何かを唱道したと聞かず、常に人に應和するだけだ。人君の位がなくて人の死を救済するでもなく、積聚の祿がなくて人の腹を望ませるでもなく、しかも醜陋をもって天下を驚駭させ、和して唱えず、知は四域を出ないのに、雌雄は皆その前に集まる。これは必ず人と異なるところがある。寡人が召して見れば、果たして醜陋をもって天下を驚駭させる者だった。寡人と居ること一月に至らずして、寡人はその為人に意あるを覚え、一年に至らずして、寡人は彼を信じた。国に宰相がなく、寡人は国を彼に伝えようとしたが、彼は悶然として後になって應え、泛然として辭した。寡人は自分が醜く思えて、ついに国を授けた。ほどなくして、彼は寡人を去って行った。寡人は憂恤して、何かを失ったようで、この国を共に樂しむ人がいないようだ。これは何者だろうか」と。仲尼は言った、「丘もかつて楚に使いして、たまたま豚の子が死んだ母の上で乳を飲んでいるのを見た。しばらくして皆それを棄てて走り去った。己を見なくなったからだ。その類を得なくなったからだ。彼らが母を愛するのは、その形を愛するのではなく、その形を動かすものを愛するのだ。戦死した者は、その葬に棺飾りを用いない。刖刑を受けた者の履物は、これを愛する理由がない。みなその本を失ったからだ。天子の侍御となる者は、爪を剪らず、耳を穿たない。妻を娶った者は外に止まり、再び使われることはない。形の全きですらこのようだ。まして徳を全うする者をや。今哀駘它はまだ言わないうちに信じられ、功なくして親しまれ、人にその国を授けさせ、ただ彼が受けないのを恐れる。これは必ず才が全くして徳が形われない者だ」と。哀公は言った、「何を才全というのか」。仲尼は言った、「死生・存亡・窮達・貧富・賢と不肖・毀譽・飢渴・寒暑は、事の変、命の行である。日夜、目前で相代わるが、知はその始めを窺うことができない。だからあの和を滑らかに乱すには足らず、靈府に入れるべきではない。それを和豫に通じて悦を失わせず、日夜に隙なく物と春となるようにする。これは物に接して時を心に生ずることだ。これを才全という」。「何を徳不形というのか」。言った、「平とは、水が停まることの極みである。それを法度とすることができる。内に保って外に盪れない。徳とは、和を成す修養である。徳が形われないとは、物がそれを離れることができないことだ」。哀公は他日、閔子に告げて言った、「初め私は南面して天下に君臨し、民の紀綱を執ってその死を憂えた。私は至通だと思っていた。今、至人の言を聞いて、おそらく私はその実がなく、軽く我が身を用いて我が国を亡ぼすのではないかと恐れる。私と孔丘とは、君臣ではない。徳友であるだけだ」と。

曰:「我有道也。五六月累丸二而不墜,則失者錙銖;累三而不墜,則失者十一;累五而不墜,猶掇之也。吾處身也,若厥株拘;吾執臂也,若槁木之枝。雖天地之大,萬物之多,而唯蜩翼之知。吾不反不側,不以萬物易蜩之翼,何為而不得。」

闉跂支離無脤が衛靈公を説いた。靈公は彼を悦び、全き人を見れば、その頸はかえって細々と小さく見えた。瓮盎大癭が齊桓公を説いた。桓公は彼を悦び、全き人を見れば、その頸はかえって細々と小さく見えた。だから徳に長ずる所があれば、形に忘れる所がある。人がもし忘るべき所を忘れず、忘るべからざる所を忘れれば、これを誠の忘という。だから聖人には游ぶ所がある。知は孽となり、約は膠となり、徳は接となり、工は商となる。聖人は謀らない。どうして知を用いよう。削らない。どうして膠を用いよう。喪う所がない。どうして徳を用いよう。貨さない。どうして商を用いよう。この四つは天の養いである。天の養いとは、天の食である。すでに食を天に受けた。ならばどうして人を用いよう。人の形はあるが、人の情はない。人の形があるから、人と群を為す。人の情がないから、是非は身に及ばない。眇として小さいのは、人に属する所以である。謷として大きいのは、独りその天を成す所以である。

孔子顧謂弟子曰:「用志不分,乃凝於神,其痀僂丈人之謂乎!」

惠子が荘子に言った、「人は本来、情がないのですか」。荘子は言った、「そうだ」。惠子は言った、「人に情がなければ、どうして人と呼べるのですか」。荘子は言った、「道が彼に貌を与え、天が彼に形を与えた。どうして人と呼ばないことがあろう」。惠子は言った、「すでに人と呼ぶ以上、どうして情がないことがあろうか」。荘子は言った、「それは私の言う情ではない。私の言う情がないとは、人が好惡をもって内にその身を傷つけないことを言う。常に自然(自ら然り、本来然りの意で『大自然』ではない)に因って生を増し益さないのだ」。惠子は言った、「生を増し益さなければ、どうしてその身を保てますか」。荘子は言った、「道が彼に貌を与え、天が彼に形を与えた。好惡をもって内にその身を傷つけるな。今あなたはその神を外に置き、その精を労させ、木に倚って吟じ、枯れた梧桐に據って瞑する。天があなたの形を選んだのに、あなたは堅白の弁をもって鳴く」。

顏淵問仲尼曰:「吾嘗濟乎觴深之淵,津人操舟若神。吾問焉,曰:『操舟可學邪?』曰:『可。善遊者數能。若乃夫沒人,則未嘗見舟而便操之也。』吾問焉而不吾告,敢問何謂也?」

大宗師

仲尼曰:「善遊者數能,忘水也;若乃夫沒人之未嘗見舟而便操之也,彼視淵若陵,視舟之履猶其車卻也。覆卻萬方陳乎前而不得入其舍,惡往而不暇!以瓦注者巧,以鉤注者憚,以黃金注者㱪。其巧一也,而有所矜,則重外也。凡外重者內拙。」

天の為す所を知り、人の為す所を知る者は、至ったと言える。天の為す所を知るとは、天に生まれることだ。人の為す所を知るとは、その知の知り得る所をもってその知の知り得ない所を養い、その天年を終えて中道で夭せないことだ。これは知の盛んである。しかしながら患いがある。知は待つ所があって後に當たるのだが、その待つ所は偏偏まだ定まっていない。どうして私の言う天が人でないと知れよう。言う人が天でないと知れよう。しかも真人あって後に真知がある。

田開之見周威公,威公曰:「吾聞祝腎學生,吾子與祝腎遊,亦何聞焉?」

何を真人というか。古の真人は、寡少に逆らわず、成功をもって雄たらず、事務を謀らない。このような者は、過っても悔いず、當たっても自得しない。このような者は、高きに登っても慄れず、水に入っても濡れず、火に入っても熱くない。これは知が道に升るに至った者がこのようである。古の真人は、寝ても夢を見ず、覚めても憂いなく、食は甘美を求めず、その息は深々としている。真人の息は踵をもってし、衆人の息は喉をもってする。屈服する者は、その咽の言は吐き出すようだ。嗜欲の深い者は、その天機は浅い。古の真人は、生を悦ぶことを知らず、死を惡むことを知らなかった。出ても欣ばず、入っても拒まず、翛然として往き、翛然として来るのみである。始める所を忘れず、終わる所を求めない。受けてこれを喜び、忘れてこれに復る。これを心をもって道を捐てず、人をもって天を助けないという。これを真人という。このような者は、その心は専らで、その容は寂として、その額は寛い。凄然として秋のごとく、煖然として春のごとく、喜怒は四時に通じ、物と宜しくして、その極を知る者はない。だから聖人が兵を用いるとき、国を亡ぼしても人心を失わず、利澤は万世に施しても、人を愛するためではない。だから物に通ずるを樂しむ者は聖人ではない。親疎がある者は仁ではない。天時を待つ者は賢ではない。利害が通じない者は君子ではない。行いを名のためにして己を失う者は士ではない。身を亡くして真でない者は、人を役する者ではない。狐不偕・務光・伯夷・叔齊・箕子・胥餘・紀他・申徒狄のような者は、みな人に役せられる所を役し、人の適う所に適い、自らその適う所に適わない者である。古の真人は、その状貌は巍として朋せず、足りないようでいて承けない。角立っても堅執せず、開かれ空しくして浮華でない。邴邴として喜ぶがごとく、崔として已むべからざるがごとし。色は充実して人を進ませ、徳は寛和して人を留まらせる。厳しく世俗のごとく、高くして制し難いがごとく、連綿として閉藏を好むがごとく、悶然としてその言を忘れたがごとし。刑を以て體とし、禮を以て翼とし、知を以て時とし、徳を以て循とす。刑を以て體とする者は、殺伐もまた綽綽たり。禮を以て翼とする者は、世に行わるる所以である。知を以て時とする者は、事に已むべからざるがある。徳を以て循とする者は、足ある者と俱に丘に至ると言う。しかし人は真に彼を勤行者と思う。だから彼の好む所も一、好まない所も一。その一は一、その不一も一。その一は天と徒を為し、その不一は人と徒を為す。天と人と相勝たないこと、これを真人という。

田開之曰:「開之操拔篲以侍門庭,亦何聞於夫子!」

死生は命である。昼夜の常があるのは天である。人が与ることのできない所は、みな物の実情である。彼らはただ天を父として、その身すらこれを愛する。ましてあの卓然たるものをや。人はただ君が己に勝ると思い、その身すらこれに死する。ましてあの真なるものをや。泉が涸れて、魚が相与に陸に居り、湿気をもって互いに呴き、沫をもって互いに濡らすより、江湖の中で互いに忘れるに如かない。堯を誉めて桀を非とするよりは、両方を忘れてあの道に化するに如かない。大地は形をもって我を載せ、生をもって我を労し、老をもって我を佚にし、死をもって我を息ませる。だから我が生を善くするものは、すなわち我が死を善くする所以である。船を藏して谷に置き、山を藏して沢に置くのは、固いと言える。しかし夜半に力ある者がこれを負って走れば、眠っている者は知らない。小を藏し大を藏しても、それぞれ宜しき所があっても、なお遁げる所がある。もし天下を天下に藏すれば、遁げるべき所はない。これは恒物の大実情である。ただ人の形に遭うだけでなお喜ぶ。人の形のようなものは、萬化してまだ極まりがない。その樂しみはどうして数え尽くせよう。だから聖人は將に物の遁げることのできず皆存する所に游ばんとする。夭を善くし老を善くし、始を善くし終を善くする者を、人はなおこれに傚う。まして萬物の係属する所、一化の待つ所をや。

威公曰:「田子無讓,寡人願聞之。」

道には情があり信がある。為なく形なし。伝えることはできても授けることはできず、得ることはできても見ることはできない。自ら本となり自ら根となる。天地がまだないときから、古より固より存する。鬼神を神とし帝を神とし、天を生じ地を生ず。太極の先にあっても高とせず、六極の下にあっても深とせず。天地に先んじて生まれても久とせず、上古より長くても老としない。狶韋氏はこれを得て天地を挈げ、伏戲はこれを得て氣母を襲い、維斗はこれを得て終古忒らず、日月はこれを得て終古息まず、堪坏はこれを得て崑崙を襲い、馮夷はこれを得て大川に游び、肩吾はこれを得て大山に處り、黃帝はこれを得て雲天に登り、顓頊はこれを得て玄宮に處り、禺強はこれを得て北極に立ち、西王母はこれを得て少廣に坐す。その始めを知る者なく、その終わりを知る者なし。彭祖はこれを得て、上は有虞に及び下は五伯に及んだ。傅說はこれを得て武丁に相い、奄に天下を有し、東維に乘り、箕尾に騎って、列星に比した。

開之曰:「聞之夫子曰:『善養生者,若牧羊然,視其後者而鞭之。』」

莊子は大布(たいふ)を衣て而して補(ほ)す。緳(けい)して係(けい)して魏王を見る。魏王曰く、何(なん)ぞ先生之憊(はい)なり邪(や)、と。

威公曰:「何謂也?」

莊子曰く、貧(ひん)也、非(ひ)憊也。士有道徳(どうとく)有りて而して行(こう)せざるは、憊也。衣弊履決(いへいりけつ)は、貧也、非憊也。此れ所謂(いわゆる)不遭時(ふそうじ)也。王獨(ひと)り夫の騰猿(とうえん)を見ざる邪。其の柟梓豫章(なんしよしょう)を得れば、攬蔓(らんばん)して其の間に王長(おうちょう)す。羿(げい)・蓬蒙(ほうもう)と雖も、不能眄睨(ふのうげいげい)す。其の柘棘枳枸(しゃきょくきく)之間に得ば、危行(きこう)側視(そくし)して、振動悼慄(しんどうとうりつ)す。此れ筋骨(きんこつ)加急(かきゅう)して而(なん)柔(じゅう)ならざるに非ざる也。處勢(しょせい)不便(ふべん)にして、未(ま)だ以て其の能を逞(てい)するに足らざるなり。今夫の昏君亂相(こんくんらんそう)之間に處りて、而して憊れずと欲せば、惡(なん)ぞ可(か)ならん邪。此れ比干之剖心(ぼうしん)に徵(ちょう)する可き也、と。

田開之曰:「魯有單豹者,巖居而水飲,不與民共利,行年七十而猶有嬰兒之色,不幸遇餓虎,餓虎殺而食之。有張毅者,高門縣薄,無不走也,行年四十而有內熱之病以死。豹養其內而虎食其外,毅養其外而病攻其內,此二子者,皆不鞭其後者也。」

孔子、陳蔡之間に窮(きゅう)す。七日不火食。左(さ)は槁木(こうぼく)を據(きょ)し、右(う)は槁枝(こうし)を擊(げき)して、猋氏之風(ぎょうしのふう)を歌う。其の具(ぐ)有りて而して數(すう)無(な)し、其の聲有りて而して宮角(きゅうかく)無し。木聲與人聲(ぼくせいよじんせい)、犁然(れいぜん)として人心(じんしん)に當(とう)る。

仲尼曰:「無入而藏,無出而陽,柴立其中央。三者若得,其名必極。夫畏塗者,十殺一人,則父子兄弟相戒也,必盛卒徒而後敢出焉,不亦知乎!人之所取畏者,袵席之上,飲食之閒,而不知為之戒者,過也!」

顏回端拱(たんこう)還目(かんもく)して而(なん)而(に)之を窺(き)す。仲尼其の己を廣(こう)して造大(ぞうだい)し、己を愛(あい)して造哀(ぞうあい)せんことを恐(おそ)る。曰く、回(かい)、天損(てんそん)を受けざるは易(えき)し、人益(じんえき)を受けざるは難(なん)し。始(し)無(な)而不終(ふしゅう)なり、人與天は一(いつ)也。夫の今之歌う者は其(き)誰(たれ)と爲(な)る邪。

祝宗人玄端以臨牢筴,說彘曰:「汝奚惡死!吾將三月㹖汝,十日戒,三日齊,藉白茅,加汝肩尻乎彫俎之上,則汝為之乎?」為彘謀,曰不如食以糠糟而錯之牢筴之中。自為謀,則苟生有軒冕之尊,死得於腞楯之上、聚僂之中則為之。為彘謀則去之,自為謀則取之,所異彘者何也?

回曰く、敢へて何をか天損を受けざる易しと謂うや、と。

桓公田於澤,管仲御,見鬼焉。公撫管仲之手曰:「仲父何見?」對曰:「臣無所見。」

仲尼曰く、飢渴寒暑(きかつかんしょ)、窮桎(きゅうしつ)不行(ふこう)は、天地之運(うん)行(こう)也、物之泄(せつ)也。言(げん)與之偕逝(かいせい)と謂う之(これ)也。人臣(じんしん)と爲(な)る者は、之を去(きょ)るを敢へてせず。執(しゅう)臣之道(しんのみち)猶(な)ほ若(も)し是(ぜ)。而(なん)況(いはん)や所以待天(しょいだいてん)をや、と。

公反,誒詒為病,數日不出。齊士有皇子告敖者曰:「公則自傷,鬼惡能傷公!夫忿滀之氣,散而不反,則為不足;上而不下,則使人善怒;下而不上,則使人善忘;不上不下,中身當心,則為病。」

何をか人益を受けざる難しと謂う、と。

桓公曰:「然則有鬼乎?」

仲尼曰く、始用(しよう)四達(したつ)して、爵祿竝至(しゃくろくへいし)而不窮(ふきゅう)す。物之所利(しょり)は、乃(だい)己(き)なり。吾之命(めい)の外(げ)に在る者なり。君子不爲盗(ふいとう)、賢人不爲竊(ふいせつ)。吾若(にゃく)之を取らば、奚(なに)爲(い)邪。故に曰く、鳥は知(ち)乎(こ)燕(えん)に莫(な)し。目之所宜(しょぎ)處(お)らざれば、給視(きゅうし)せざる。雖(すえど)落其實(らっきつ)、之を棄(き)て而(なん)而走(そう)す。其の人を畏(い)れて、而して諸(しょ)人間(じんかん)に襲(しゅう)す。社稷(しゃしょく)存(そん)焉(えん)也。

曰:「有。沈有履。灶有髻。戶內之煩壤,雷霆處之;東北方之下者,倍阿鮭蠪躍之;西北方之下者,則泆陽處之。水有罔象,丘有崒,山有夔,野有彷徨,澤有委蛇。」

何をか始無而不終と謂う、と。

公曰:「請問委蛇之狀何如?」

仲尼曰く、化其萬物(かきばんぶつ)而(なん)不知其禪(ふちぜん)之者は、焉(なん)ぞ知(ち)其所終(しょしゅう)を、焉ぞ知其所始を。正(せい)而待(たい)之のみ也。

皇子曰:「委蛇,其大如轂,其長如轅,紫衣而朱冠。其為物也,惡聞雷車之聲,則捧其首而立。見之者殆乎霸。」

何をか人與天一邪と謂う、と。

桓公辴然而笑曰:「此寡人之所見者也。」於是正衣冠與之坐,不終日而不知病之去也。

仲尼曰く、有人(ゆうじん)は天(てん)也。有天は亦(ま)た天也。人之不能有(ゆう)天者は、性(せい)也。聖人晏然(あんぜん)體逝(たいせい)而終(しゅう)矣。

紀渻子為王養鬬雞。

莊周、雕陵之樊(ちょうりょうのはん)に遊ぶ。一異鵲(いちいじゃく)の南より來るを睹(と)す。翼廣七尺(よくこうしちせき)、目大運寸(もくだいうんすん)。周之額(さん)に觸(しょく)して而(なん)栗林(りつりん)に集(しゅう)す。莊周曰く、此れ何(なん)の鳥邪。翼殷(いん)不逝(ふせい)、目大不睹(ふと)。蹇裳(けんしょう)躩步(きゃくほ)して、執彈(しゅうだん)而留(りゅう)す。睹(と)一蟬(せん)方(ほう)に得美蔭(とくびいん)而(なん)忘其身(ぼうきしん)。螳蜋(とうろう)執翳(しゅうえい)而搏(はく)之。得(とく)而忘其形(ぼうきけい)。異鵲從(しょう)而利(り)之。見利而忘其真(ぼうきしん)。莊周怵然(しゅつぜん)曰く、噫(あい)。物固相累(ふつそうるい)、二類(にるい)相召(そうしょう)也。捐彈(えんだん)而反走(はんそう)。虞人(ぐじん)逐(ちく)而誶(すい)之。

十日而問:「雞已乎?」曰:「未也,方虛憍而恃氣。」

莊周反入(はんにゅう)三月(さんげつ)不庭(ふてい)。藺且(りんしょ)從而問之曰く、夫子何爲頃(なんのいきょうけい)甚不庭(じんふてい)邪、と。

十日又問,曰:「未也,猶應嚮景。」

莊周曰く、吾守形(しゅけい)而忘身、濁水(だくすい)を觀(かん)而迷(めい)於清淵(せいえん)。且(まつ)し吾聞(ぶん)諸(しょ)夫子(ふうし)曰く、入其俗、從其令(にゅうごそく、じゅうごれい)也。今吾遊於雕陵而忘吾身、異鵲感吾額(かんががく)、遊於栗林而忘真、栗林虞人以吾爲戮(いがいりく)。吾是以不庭也、と。

十日又問,曰:「未也,猶疾視而盛氣。」

陽子之宋(しそう)、宿於逆旅(ぎゃくりょ)。逆旅人有妾(しょう)二人、其一人美(び)、其一人惡(あく)。惡者貴而美者賤(きせん)。陽子問其故(もんきこ)。逆旅小子對曰く、其美者自美(じび)。吾不知其美也。其惡者自惡(じあく)。吾不知其惡也。

十日又問,曰:「幾矣,雞雖有鳴者,已無變矣,望之似木雞矣,其德全矣。異雞無敢應者,反走矣。」

陽子曰く、弟子記(き)之。行賢而去自賢之行(こうけんえんきょじけんのこう)、安往(あんおう)而不愛哉(ふあいさい)。

孔子觀於呂梁,縣水三十仞,流沫四十里,黿鼉魚鼈之所不能遊也。見一丈夫遊之,以為有苦而欲死也,使弟子並流而拯之。數百步而出,被髮行歌而遊於塘下。

田子方

孔子從而問焉,曰:「吾以子為鬼,察子則人也。請問,蹈水有道乎?」

田子方第二十一

曰:「亡,吾無道。吾始乎故,長乎性,成乎命。與齊俱入,與汩偕出,從水之道而不為私焉。此吾所以蹈之也。」

田子方、魏文侯(ぎぶんこう)に侍坐(じざ)す。數稱(すうしょう)谿工(けいこう)。

孔子曰:「何謂始乎故,長乎性,成乎命?」

文侯曰く、谿工、子之師邪(や)、と。

曰:「吾生於陵而安於陵,故也;長於水而安於水,性也;不知吾所以然而然,命也。」

子方曰く、非也。无擇(むたく)之里人(りじん)也。稱道數當(しょうどうすうとう)。故无擇稱之。

梓慶削木為鐻,鐻成,見者驚猶鬼神。魯侯見而問焉,曰:「子何術以為焉?」

文侯曰く、然則子無師邪、と。

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