冉求未對。仲尼曰、已矣(いい)。未應矣(みおうい)。不以生生死(ふいせいしょうし)。不以死死生(ふいししせい)。死生有待邪(しせいゆうたいや)。皆有所一體(かいゆうしょいったい)。有先天地生者物邪(ゆうせんてんちせいしゃぶつや)。物物者非物(ぶつぶつしゃひぶつ)。物出不得先物也(ぶつしゅつふとくせんぶつ)。猶其有物也(ゆうきゆうぶつ)。猶其有物也无已(ゆうきゆうぶつむい)。聖人之愛人也終无已者(せいじんのあいじんえんしゅうむいしゃ)。亦乃取於是者也(えきなんしゅうこうぜしゃ)。
顏淵問於仲尼曰(がんえんもんこうちゅうにわく)。回嘗聞諸夫子曰(かいじょうぶんしょふうしわく)。无有所將(むゆうしょしょう)。无有所迎(むゆうしょげい)。回敢問其遊(かいかんもんきゆう)。
知北遊於玄水之上,登隱弅之丘,而適遭無為謂焉。知謂無為謂曰:「予欲有問乎若:何思何慮則知道?何處何服則安道?何從何道則得道?」三問而無為謂不答也。非不答,不知答也。
仲尼曰、古之人外化而內不化(このじんげかえんないふか)。今之人內化而外不化(こんのじんないかえんげふか)。與物化者(よぶつかしゃ)。一不化者也(いちふかしゃ)。安化安不化(あんかあんふか)。安與之相靡(あんよのそうび)。必與之莫多(ひつよのぼくた)。狶韋氏之囿(きいしのゆう)。黃帝之圃(こうていのほ)。有虞氏之宮(ゆうぐうしのきゅう)。湯武之室(とうぶのしつ)。君子之人(くんしのじん)。若儒墨者師(じゃくじゅぼくしゃし)。故以是非相齎也(こいぜひそうせい)。而況今之人乎(えんこうこんのじんこう)。聖人處物不傷物(せいじんしょぶつふしょうぶつ)。不傷物者(ふしょうぶつしゃ)。物亦不能傷也(ぶつえきふのうしょう)。唯无所傷者(ゆいむしょしょうしゃ)。爲能與人相將迎(いのうよじんそうしょうげい)。山林與(さんりんよ)。皋壤與(こうじょうよ)。使我欣欣然而樂與(しがきんきんぜんえんらくよ)。樂未畢也(らくみひつ)。哀又繼之(あいゆうけいし)。哀樂之來(あいらくのらい)。吾不能禦(がふのうぎょ)。其去弗能止(ききょふのうし)。悲夫(ひふ)。世人直爲物逆旅耳(せじんちょくいぶつぎゃくりょじ)。夫知遇而不知所不遇(ふちぐうえんふちしょふぐう)。知能能而不能所不能(ちのうのうえんふのうしょふのう)。无知无能者(むちむのうしゃ)。固人之所不免也(こじんのしょふめん)。夫務免乎人之所不免者(ふむめんこうじんのしょふめんしゃ)。豈不亦悲哉(きふえきひさい)。至言去言(しげんきょごん)。至爲去爲(しいきょい)。齊知之所知則淺矣(せいちのしょちそくせんい)。
知不得問,反於白水之南,登狐闋之上,而睹狂屈焉。知以之言也問乎狂屈。狂屈曰:「唉!予知之,將語若,中欲言而忘其所欲言。」
(底本附注、経文に非ず)この字の正字は「敕」が「韭」の上にある形だが、「束」は「朿」に換えるべきである。UTF-8にこの正字がないため、類似字で代用した。
知不得問,反於帝宮,見黃帝而問焉。黃帝曰:「無思無慮始知道,無處無服始安道,無從無道始得道。」
庚桑楚
知問黃帝曰:「我與若知之,彼與彼不知也,其孰是邪?」
庚桑楚第二十三
黃帝曰:「彼無為謂真是也,狂屈似之;我與汝終不近也。夫知者不言,言者不知,故聖人行不言之教。道不可致,德不可至。仁可為也,義可虧也,禮相偽也。故曰,『失道而後德,失德而後仁,失仁而後義,失義而後禮。禮者,道之華而亂之首也。』故曰,『為道者日損,損之又損之以至於無為,無為而無不為也。』今已為物也,欲復歸根,不亦難乎!其易也,其唯大人乎!
老聃之役(ろうたんのえき)有庚桑楚者(ゆうこうそうそしゃ)。偏得老聃之道(へんとくろうたんのどう)。以北居畏壘之山(いほくきょいるいのざん)。其臣之畫然知者去之(きしんのかくぜんちしゃきょし)。其妾之挈然仁者遠之(きしょうのけつぜんじんしゃえんし)。擁腫之與居(ようしゅのよきょ)。鞅掌之爲使(おうしょうのいし)。居三年(きょさんねん)。畏壘大壤(いるいだいじょう)。畏壘之民相與言曰(いるいのみんそうよごんわく)。庚桑子之始來(こうそうしのしらい)。吾洒然異之(がさんぜんいし)。今吾日計之而不足(こんがにっけいのえんふそく)。歲計之而有餘(さいけいのえんゆうよ)。庶幾其聖人乎(しょききせいじん)。子胡不相與尸而祝之(しこふそうよしえんしゅくし)。社而稷之乎(しゃえんしょくのこう)。
生也死之徙,死也生之始,孰知其紀!人之生,氣之聚也;聚則為生,散則為死。若死生為徙,吾又何患!故萬物一也。是其所美者為神奇,其所惡者為臭腐。臭腐復化為神奇,神奇復化為臭腐。故曰:『通天下一氣耳。』聖人故貴一。」
庚桑子聞之(こうそうしぶんし)。南面而不釋然(なんめんえんふしゃくぜん)。弟子異之(でいしいし)。庚桑子曰、弟子何異於予(でいしかいこうよ)。夫春氣發而百草生(ふしゅんきはつえんひゃくそうせい)。正得秋而萬寶成(せいとくしゅうえんばんぽうせい)。夫春與秋(ふしゅんよしゅう)。豈无得而然哉(きむとくえんぜんさい)。天道已行矣(てんどういこうい)。吾聞至人(がぶんしじん)。尸居環堵之室(しきょかんとのしつ)。而百姓猖狂不知所如往(えんひゃくせいしょうきょうふちしょじょおう)。今以畏壘之細民(こんいいるいのさいみん)。而竊竊焉欲俎豆予于賢人之間(えんせっせつえんよくそうとうよこうけんじんのかん)。我其杓之人邪(がきしゃくのじんや)。吾是以不釋於老聃之言(がぜいふしゃくこうろうたんのごん)。
知謂黃帝曰:「吾問無為謂,無為謂不應我,非不我應,不知應我也。吾問狂屈,狂屈中欲告我而不我告,非不我告,中欲告而忘之也。今予問乎若,若知之,奚故不近?」
弟子曰、不然(ふぜん)。夫尋常之溝(ふじんじょうのこう)。巨魚无所還其體(きょぎょむしょかんきたい)。而鯢鰌爲之制(えんげいそういのせい)。步仞之丘陵(ほじんのきゅうりょう)。巨獸无所隱其軀(きょじゅうむしょいんきく)。而孽狐爲之祥(えんげっこいのしょう)。且夫尊賢授能(しょふそんけんじゅのう)。先善與利(せんぜんよい)。自古堯舜以然(じこぎょうしゅんいぜん)。而況畏壘之民乎(えんこういるいのみんこう)。夫子亦聽矣(ふうしえきちょうい)。
黃帝曰:「彼其真是也,以其不知也;此其似之也,以其忘之也;予與若終不近也,以其知之也。」
庚桑子曰、小子來(しょうしらい)。夫函車之獸(ふかんしゃのじゅう)。介而離山(かいえんりざん)。則不免於網罟之患(そくふめんこうもうこのかん)。吞舟之魚(とんしゅうのぎょ)。碭而失水(とうえんしっすい)。則蟻能苦之(そくぎのうくし)。故鳥獸不厭高(こちょうじゅうふえんこう)。魚鱉不厭深(ぎょへつふえんしん)。夫全其形生之人(ふぜんきけいせいのじん)。藏其身也(ぞうきしん)。不厭深眇而已矣(ふえんしんびょうえんいい)。且夫是二子者(しょふぜにししゃ)。又何足以稱揚哉(ゆうかそくいしょうようさい)。是其於辯也(ぜきこうべん)。將妄鑿垣牆而殖蓬蒿也(しょうぼうさくえんしょうえんしょほうこう)。簡髮而櫛(かんぱつえんしつ)。數米而炊(すうべいえんすい)。竊竊乎又何足以濟世哉(せっせつこうゆうかそくいさいせいさい)。舉賢則民相軋(きょけんそくみんそうあつ)。任知則民相盜(にんちそくみんそうとう)。之數物者(のすうぶつしゃ)。不足以厚民(ふそくいこうみん)。民之於利甚勤(みんのこうりじんきん)。子有殺父(しゆうさつふ)。臣有殺君(しんゆうさつくん)。正晝爲盜(せいちゅういとう)。日中穴阫(にっちゅうけつがい)。吾語女(がごじょ)。大亂之本(だいらんのほん)。必生於堯舜之間(ひつしょうこうぎょうしゅんのかん)。其末存乎千世之後(きまつそんこうせんせいのこう)。千世之後(せんせいのこう)。其必有人與人相食者也(きひつゆうじんよじんそうしょくしゃ)。
狂屈聞之,以黃帝為知言。
南榮趎(なんえいちゅう)蹴然正坐曰(しゅくぜんせいざわく)。若趎之年者已長矣(じゃくちゅうのねんしゃいちょうい)。將惡乎託業以及此言邪(しょうおこうたくぎょういきゅうしごんや)。
天地有大美而不言,四時有明法而不議,萬物有成理而不說。聖人者,原天地之美而達萬物之理。是故至人無為,大聖不作,觀於天地之謂也。
庚桑子曰、全汝形(ぜんじょけい)。抱汝生(ほうじょせい)。无使汝思慮營營(むしじょしりょえいえい)。若此三年(じゃくしさんねん)。則可以及此言矣(そくかいいきゅうしごんい)。
今彼神明至精,與彼百化。物已死生方圓,莫知其根也,扁然而萬物自古以固存。六合為巨,未離其內;秋豪為小,待之成體。天下莫不沉浮,終身不故;陰陽四時運行,各得其序。惛然若亡而存,油然不形而神,萬物畜而不知。此之謂本根,可以觀於天矣。
南榮趎曰、目之與形(もくのよけい)。吾不知其異也(がふちきい)。而盲者不能自見(えんもうしゃふのうじけん)。耳之與形(じのよけい)。吾不知其異也。而聾者不能自聞(えんろうしゃふのうじぶん)。心之與形(しんのよけい)。吾不知其異也。而狂者不能自得(えんきょうしゃふのうじとく)。形之與形亦辟矣(けいのよけいえきへきい)。而物或間之邪(えんぶつわくかんのや)。欲相求而不能相得(よくそうきゅうえんふのうそうとく)。今謂趎曰(こんいちゅうわく)。全汝形。抱汝生。勿使汝思慮營營(ふつしじょしりょえいえい)。趎勉聞道達耳矣(ちゅうべんぶんどうたつじい)。
齧缺問道乎被衣,被衣曰:「若正汝形,一汝視,天和將至;攝汝知,一汝度,神將來舍。德將為汝美,道將為汝居,汝瞳焉如新生之犢而無求其故!」
庚桑子曰、辭盡矣(じじんい)。曰(わく)。奔蜂不能化藿蠋(ほんぽうふのうかかくちょく)。越雞不能伏鵠卵(えつけいふのうふくこくらん)。魯雞固能矣(ろけいこのうい)。雞之與雞(けいのよけい)。其德非不同也(きとくひふどう)。有能與不能者(ゆうのうよふのうしゃ)。其才固有巨小也(きさいこゆうきょしょう)。今吾才小(こんがさいしょう)。不足以化子(ふそくいかし)。子胡不南見老子(しこふなんけんろうし)。
言未卒,齧缺睡寐。被衣大說,行歌而去之,曰:「形若槁骸,心若死灰,真其實知,不以故自持。媒媒晦晦,無心而不可與謀。彼何人哉!」
南榮趎贏糧(なんえいちゅうえいりょう)。七日七夜至老子之所(しちじつしちやしろうしのしょ)。
舜問乎丞曰:「道可得而有乎?」
老子曰、子自楚之所來乎(しじそのしょらいこう)。南榮趎曰、唯(ゆい)。
曰:「汝身非汝有也,汝何得有夫道!」
老子曰、子何與人偕來之衆也(しかよじんかいらいのしゅう)。南榮趎懼然顧其後(くぜんこうきこう)。
舜曰:「吾身非吾有也,孰有之哉?」
老子曰、子不知吾所謂乎(しふちがしょいこう)。
曰:「是天地之委形也;生非汝有,是天地之委和也;性命非汝有,是天地之委順也;孫子非汝有,是天地之委蛻也。故行不知所往,處不知所持,食不知所味。天地之強陽氣也,又胡可得而有邪!」
南榮趎俯而慚(ふえんざん)。仰而嘆曰(ぎょうえんたんわく)。今者吾忘吾答(こんじゃがぼうがとう)。因失吾問(いんしつがもん)。
孔子問於老聃曰:「今日晏閒,敢問至道。」
老子曰、何謂也(かいい)。
老聃曰:「汝齊戒,疏𤅢而心,澡雪而精神,掊擊而知!夫道,窅然難言哉!將為汝言其崖略。
南榮趎曰、不知乎(ふちこう)。人謂我朱愚(じんいがしゅぐ)。知乎(ちこう)。反愁我軀(はんしゅうがく)。不仁則害人(ふじんそくがいじん)。仁則反愁我身(じんそくはんしゅうがしん)。不義則傷彼(ふぎそくしょうひ)。義則反愁我己(ぎそくはんしゅうがき)。我安逃此而可(があんとうしいか)。此三言者(しさんごんしゃ)。趎之所患也(ちゅうのしょかん)。願因楚而問之(がんいんそえんもんの)。
夫昭昭生於冥冥,有倫生於無形,精神生於道,形本生於精,而萬物以形相生。故九竅者胎生,八竅者卵生。其來無跡,其往無崖,無門無房,四達之皇皇也。邀於此者,四肢彊,思慮恂達,耳目聰明。其用心不勞,其應物無方。天不得不高,地不得不廣,日月不得不行,萬物不得不昌,此其道與!
老子曰、向吾見若眉睫之間(こうがけんじゃくびしょうのかん)。吾因以得汝矣(がいんいとくじょい)。今汝又言而信之(こんじょゆうごんえんしんの)。若規規然若喪父母(じゃくききぜんじゃくそうふぼ)。揭竿而求諸海也(けいかんえんきゅうしょかい)。女亡人哉(じょぼうじんさい)。惘惘乎(もうもうこう)。汝欲反汝情性而无由入(じょよくはんじょじょうせいえんむゆうにゅう)。可憐哉(かれんさい)。
且夫博之不必知,辯之不必慧,聖人以斷之矣!若夫益之而不加益,損之而不加損者,聖人之所保也。淵淵乎其若海,(巍巍)[魏魏]乎其終則復始也。運量萬物而不匱。則君子之道,彼其外與!萬物皆往資焉而不匱。此其道與!
南榮趎請入就舍(なんえいちゅうしょうにゅうしゅうしゃ)。召其所好(しょうきしょこう)。去其所惡(きょきしょお)。十日自愁(じゅうじつじしゅう)。復見老子(ふくけんろうし)。
中國有人焉,非陰非陽,處於天地之間,直且為人,將反於宗。自本觀之,生者,喑醷物也。雖有壽夭,相去幾何?須臾之說也,奚足以為堯桀之是非!果蓏有理,人倫雖難,所以相齒。聖人遭之而不違,過之而不守。調而應之,德也;偶而應之,道也;帝之所興,王之所起也。
老子曰、汝自洒濯(じょじたくたく)。熟哉郁郁乎(じゅくさいいくいくこう)。然而其中津津乎猶有惡也(ぜんじきちゅうしんしんこうゆうゆうあく)。夫外韄者不可繁而捉(ふげかくしゃふかはんえんそく)。將內揵(しょうないけん)。內韄者不可繆而捉(ないかくしゃふかびゅうえんそく)。將外揵(しょうげけん)。外內韄者(げないかくしゃ)。道德不能持(どうとくふのうじ)。而況放道而行者乎(えんこうほうどうえんこうしゃこう)。
人生天地之間,若白駒之過郤,忽然而已。注然勃然,莫不出焉;油然寥然,莫不入焉。已化而生,又化而死。生物哀之,人類悲之。解其天弢,墮其天袟,紛乎宛乎,魂魄將往,乃身從之,乃大歸乎!不形之形,形之不形,是人之所同知也,非將至之所務也,此眾人之所同論也。彼至則不論,論則不至。明見無值,辯不若默。道不可聞,聞不若塞。此之謂大得。」
南榮趎曰、里人有病(りじんゆうびょう)。里人問之(りじんもんの)。病者能言其病(びょうしゃのうごんきびょう)。然其病病者猶未病也(ぜんきびょうびょうしゃゆうみびょう)。若趎之聞大道(じゃくちゅうのぶんだいどう)。譬猶飲藥以加病也(ひゆういんやくいかびょう)。趎願聞衛生之經而已(ちゅうがんぶんえいせいのけいえんい)。
東郭子問於莊子曰:「所謂道,惡乎在?」
老子曰、衛生之經(えいせいのけい)。能抱一乎(のうほういつこう)。能勿失乎(のうふつしつこう)。能无卜筮而知吉凶乎(のうむぼくせいえんちきつきょうこう)。能止乎(のうしこう)。能已乎(のういこう)。能舍諸人而求諸己乎(のうしゃしょじんえんきゅうしょきこう)。能翛然乎(のうしょうぜんこう)。能侗然乎(のうどうぜんこう)。能兒子乎(のうじしこう)。兒子終日嗥而嗌不嗄(じししゅうじつごうえんあくふしゃ)。和之至也(わのし)。終日握而手不掜(しゅうじつあくえんしゅふげい)。共其德也(きょうきとく)。終日視而目不瞚(しゅうじつしえんもくふしゅん)。偏不在外也(へんふざいげ)。行不知所之(こうふちしょし)。居不知所爲(きょふちしょい)。與物委蛇而同其波(よぶついいえんどうきは)。是衛生之經已(ぜえいせいのけいい)。
莊子曰:「無所不在。」
南榮趎曰、然則是至人之德已乎(ぜんそくぜしじんのとくいこう)。
東郭子曰:「期而後可。」
曰、非也(ひ)。是乃所謂冰解凍釋者能乎(ぜなんしょいひょうかいとうしゃくしゃのうこう)。夫至人者(ふしじんしゃ)。相與交食乎地而交樂乎天(そうよこうしょくこうちえんこうらくこうてん)。不以人物利害相攖(ふいじんぶつりがいそうえい)。不相與爲怪(ふそうよいかい)。不相與爲謀(ふそうよいぼう)。不相與爲事(ふそうよいじ)。翛然而往(しょうぜんえんおう)。侗然而來(どうぜんえんらい)。是謂衛生之經已(ぜいえいせいのけいい)。
莊子曰:「在螻蟻。」
曰、然則是至乎(ぜんそくぜしこう)。
曰:「何其下邪?」
曰、未也(み)。吾固告汝曰(がここくじょわく)。能兒子乎(のうじしこう)。兒子動不知所爲(じしどうふちしょい)。行不知所之(こうふちしょし)。身若槁木之枝而心若死灰(しんじゃくこうぼくのしえんしんじゃくしかい)。若是者(じゃくぜしゃ)。禍亦不至(かえきふし)。福亦不來(ふくえきふらい)。禍福无有(かふくむゆう)。惡有人災也(おゆうじんさい)。
曰:「在稊稗。」
南伯子葵(なんぱくしくい)が女偊(じょく)に尋ねて言った。「あなたは年を重ねているのに、顔色は幼子のようだ。どうしてですか」。言った。「道を聞いたのです」。南伯子葵が言った。「学ぶことができますか」。言った。「いや、できるものか。あなたはそういう人ではない。卜梁倚(ぼくりょうい)は聖人の才はあるが聖人の道はなく、私には聖人の道はあるが聖人の才がない。私が彼を教えれば、あるいは彼は本当に聖人になれるかもしれない。そうでなくても、聖人の道を聖人の才に告げるのはたやすい。私は守りながら教えて、三日で天下を外に置けるようになり、天下を外に置いてからまた守り、七日で物を外に置けるようになり、物を外に置いてからまた守り、九日で生を外に置けるようになった。生を外に置いてから、朝が徹するように清明になり、朝徹してから独り(独・絶対者)を見ることができ、独を見てから古今が無くなり、古今無くなってから死なず生まれずの境地に入ることができた。生を殺すものは死なず、生を生むものは生まれない。それは物として、送らないものはなく、迎えないものはなく、毀さないものはなく、成さないものはない。その名を攖寧(えいねい)という。攖寧とは、撹乱に触れて(攖)から成るのである」。南伯子葵が言った。「あなたはどこからそれを聞いたのですか」。言った。「副墨(ふくぼく)の子から聞き、副墨の子は洛誦(らくしょう)の孫から聞き、洛誦の孫は瞻明(せんめい)から聞き、瞻明は聶許(じょうきょ)から聞き、聶許は需役(じゅえき)から聞き、需役は于謳(うおう)から聞き、于謳は玄冥(げんめい)から聞き、玄冥は参寥(さんりょう)から聞き、参寥は疑始(ぎし)から聞いたのです」。
曰:「何其愈下邪?」
子祀(しし)・子輿(しよ)・子犁(しれい)・子来(しらい)の四人が互いに言った。「誰か、無を首とし、生を脊とし、死を尻とすることができるか。死生存亡が一体であることを知る者がいれば、私はその人と友になろう」。四人は顔を見合わせて笑い、心に逆らうことなく、そこで互いに友となった。まもなく子輿が病気になり、子祀が見舞いに行った。言った。「偉大な造物者が、私をこのような拘攣(ぐつかん)した者にしようとしている」。背骨は曲がり、上に五管があり、顎は臍に隠れ、肩は頭の上に高く、項椎は天を指し、陰陽の気が乱れていたが、その心は閑かで何事もなく、よろめいて井戸に臨み、言った。「ああ、造物者はまた私をこのような拘攣した者にしようとしている」。子祀が言った。「あなたはそれを憎むか」。言った。「いや、何を憎もうか。次第にもし私の左臂を鶏に化したなら、私はそれで時を告げてもらおう。次第にもし私の右臂を弾丸に化したなら、私はそれで鴞(きょう)を炙って食べよう。次第にもし私の尻を輪に、神を馬に化したなら、私はそれに乗る。さらに車駕を求める必要があるだろうか。そもそも得るは時であり、失うは順である。時に安んじ順に処れば、哀楽は入ってこられない。これを古えに懸解(けんかい)と言った。自ら解けないのは、物の纏結があるためだ。そもそも物が天に勝てないのは久しい。私は何を憎もうか」。まもなく子来が病気になり、喘ぐように死に瀕した。その妻子が取り囲んで泣いた。子犁が見舞いに行き、言った。「ああ、退きなさい。化を驚かせてはいけない」。門によりかかって言った。「偉大な造化は、またあなたを何にしようとしているのか。あなたをどこへ連れて行こうとしているのか。あなたを鼠の肝にするのか。あなたを虫の臂にするのか」。子来が言った。「父母が子に対して、東西南北、ただ命に従う。陰陽が人に対するのは、父母だけではない。それは私を死に近づけているのに、私が従わないなら、私が抗っていることになる。それに何の罪があるだろうか。大地は形で私を載せ、生で私を労わせ、老で私を安らかにし、死で私を休ませる。だから私の生をよくするものが、すなわち私の死をよくするものである。今、大冶が金を鋳れば、金が跳ね上がって『私は必ず鏌鋣(もや)にならねば』と言えば、大冶は必ずそれを不祥の金と見なす。今、人の形に遇うや『人だ人だ』と言えば、造化者は必ずそれを不祥の人と見なす。今、ひとたび天地を大炉とし、造化を大冶とするなら、どこへ行ってよくないことがあろうか」。
曰:「在瓦甓。」
子桑戸(しそうこ)・孟子反(もうしはん)・子琴張(しきんちょう)の三人が互いに友となり、言った。「誰か、交わることなく交わり、助けることなく助けることができるか。誰か天に登り霧に遊び、無極を環り、生を以て相忘れ、終わりなく窮まらないか」。三人は顔を見合わせて笑い、心に逆らうことなく、そこで互いに友となった。黙然としているうちに子桑戸が死んだ。まだ葬られていない。孔子がこれを聞き、子貢を遣わして丧事を助けさせた。ある者は曲を編み、ある者は琴を鼓し、互いに唱和して言った。「ああ桑戸よ、ああ桑戸よ。あなたはすでに真に帰ったのに、私はまだ人をしている」。子貢が急ぎ足で進み、言った。「敢えて問う。屍に向かって歌うのは、礼に合いますか」。二人は顔を見合わせて笑い、言った。「これは礼の意をどこに知ろうか」。子貢が帰って孔子に告げ、言った。「彼らは何者ですか。修行はないのに形骸を外に置き、屍に向かって歌い、顔色を変えず、名づけようがありません。彼らは何者ですか」。孔子が言った。「彼らは方の外に遊ぶ者であり、丘は方の内に遊ぶ者である。外と内は相い及ばないのに、丘があなたに弔わせたのは、丘が浅陋だったのだ。彼らはまさに造物者と伴い、天地の一気に遊んでいる。彼らは生を附贅懸疣(ふぜいけんゆう)と見なし、死を瘡の潰れ破れると見なしている。このような者が、またどこに死生の先後を知ろうか。異物を仮借し、同体に託寄し、肝胆を忘れ、耳目を遺落し、終始を反覆し、端倪を知らず、茫然と塵垢の外に彷徨し、逍遥と無為の業に遊んでいる。彼らがまたどうして昏々と世俗の礼をなして衆人の耳目に見せようか」。子貢が言った。「では夫子はどちらの方に依るのですか」。孔子が言った。「丘は天の戮民である。そうであっても、私はあなたと共にそれに向かう」。子貢が言った。「敢えてその方を問う」。孔子が言った。「魚は水に相適い、人は道に相適う。水に相適う者は、池を穿って養い給足り、道に相適う者は、事なくして生が定まる。だから言う、魚は江湖に相忘れ、人は道術に相忘れる、と」。子貢が言った。「敢えて畸人を問う」。言った。「畸人とは、人には畸(き)でありながら天に合う者である。だから言う、天の小人は人の君子であり、人の君子は天の小人である、と」。
曰:「何其愈甚邪?」
顔回が仲尼に尋ねて言った。「孟孫才は母が死んだとき、哭泣して涕なく、心中戚しくなく、居喪して哀しまなかった。この三つがないのに、善く喪をすることで魯国を覆うほどの名を得ました。本当にその実がなくてその名を得るものがあるのでしょうか。回は実に怪しいと思います」。仲尼が言った。「孟孫氏は尽くした。知よりもさらに進んでいる。ただ簡化しようとして得られなかったのに、彼はすでに簡化したところがある。孟孫氏は生のゆえんを知らず、死のゆえんを知らない。先に趨ることを知らず、後に趨ることを知らない。化物のようになって、彼の知らない化を待つだけである。そもそも化している最中に、どうして化しないと知ろうか。化していない最中に、どうしてすでに化したと知ろうか。私とあなたは、おそらく夢であってまだ覚めないのだろう。そもそも彼は駭人の形はあっても損心はなく、旦宅はあっても真の死はない。孟孫氏は独り覚めていて、人が哭けば彼も哭く。彼自身がそうあるだけである。そもそも互いに『我』と称するだけで、どうして私のいわゆる『我』を知ろうか。そもそもあなたは夢で鳥となり天に飛び、夢で魚となり淵に没する。今話しているのが、覚めているのか夢なのかを知らない。適意を造れば笑いに及ばず、笑いを発すれば安排に及ばない。安排に安んじて化に随う。これが寥天(りょうてん)の一に入るのである」。
曰:「在屎溺。」
意而子(いじし)が許由に会い、許由が言った。「堯は何をあなたに資したのか」。意而子が言った。「堯は私に言った。『あなたは必ず身をもって仁義を履み、是非を明らかに言いなさい』」。許由が言った。「あなたはまた何のために来たのか。堯はすでに仁義であなたの顔に黥(けい)を刻み、是非であなたの鼻を割った。あなたは何を以て遥蕩恣睢(ようとうしすい)・輾転遷徙の途に遊ぼうか」。意而子が言った。「そうであっても、私はその藩籬に遊びたい」。許由が言った。「そうではない。盲人は眉目の美しさに与らず、瞽人は青黄黼黻の観賞に与らない」。意而子が言った。「無荘はその美を失い、据梁はその力を失い、黄帝はその知を亡くした。みな炉鎚のあいだにあるだけです。どうして造物者が私の黥を平らげ、私の劓(ぎ)を補い、私を完整に乗せて先生に従わせないと知ろうか」。許由が言った。「ああ。まだ知れない。私はあなたに大略を言おう。我が師よ、我が師よ。万物を調和しながら義とはせず、恩沢を万世に及ぼしながら仁とはせず、上古に長けて老とはせず、天地を覆載し衆形を刻彫しながら巧とはしない。遊ぶところはここにある」。
東郭子不應。莊子曰:「夫子之問也,固不及質。正獲之問於監市履狶也,每下愈況。汝唯莫必,無乎逃物。至道若是,大言亦然。周徧鹹三者,異名同實,其指一也。
顔回が言った。「回は進益しました」。仲尼が言った。「どういうことか」。言った。「回は仁義を忘れました」。言った。「それでよい。まだ至っていない」。数日して再び会い、言った。「回は進益しました」。言った。「どういうことか」。言った。「回は礼楽を忘れました」。言った。「それでよい。まだ至っていない」。数日して再び会い、言った。「回は進益しました」。言った。「どういうことか」。言った。「回は坐忘(ざぼう)しました」。仲尼が蹴然として言った。「坐忘とは何か」。顔回が言った。「肢体を堕壊し、聡明を廃黜し、形を離れ知を去り、大通(だいつう)に同ずる。これを坐忘という」。仲尼が言った。「同ずれば偏好がなく、化すれば常執がない。あなたは果たして賢い。丘も後ろに従うことを請おう」。
嘗相與遊乎無何有之宮,同合而論,無所終窮乎!嘗相與無為乎!澹而靜乎!漠而清乎!調而閒乎!寥已吾志,無往焉而不知其所至。去而來而不知其所止,吾已往來焉而不知其所終;彷徨乎馮閎,大知入焉而不知其所窮。物物者與物無際,而物有際者,所謂物際者也;不際之際,際之不際者也。謂盈虛衰殺,彼為盈虛非盈虛,彼為衰殺非衰殺,彼為本末非本末,彼為積散非積散也。」
子輿と子桑が友となり、陰雨が十日降った。子輿が言った。「子桑はおそらく病んだだろう」。飯を包んで彼に与えに行った。子桑の門前に着くと、歌うような泣くような声で、琴を鼓して言っていた。「父か、母か。天か、人か」。声が支えられずに詩を促して唱い出していた。子輿が入って言った。「あなたの歌詩は、どうしてこのようなのか」。言った。「私は私をこの極みに至らせたものを思い求めて得られない。父母は私を貧しくしようと思うだろうか。天は私なく覆い、地は私なく載せる。天地は私を貧しくしようと思うだろうか。その為す者を求めて得られない。しかるにこの極みに至るのは、命である」。
妸荷甘與神農同學於老龍吉。神農隱幾,闔戶晝瞑。妸荷甘日中奓戶而入,曰:「老龍死矣!」神農隱幾擁杖而起,嚗然放杖而笑,曰:「天知予僻陋慢訑,故棄予而死。已矣夫子!無所發予之狂言而死矣夫!」
応帝王
弇堈弔聞之,曰:「夫體道者,天下之君子所繫焉。今於道,秋豪之端萬分未得處一焉,而猶知藏其狂言而死,又況夫體道者乎!視之無形,聽之無聲,於人之論者,謂之冥冥,所以論道,而非道也。」
齧缺(けつけつ)が王倪におうに四回尋ねて、四回とも知らなかった。齧缺はそこで跳び上がって大いに喜び、蒲衣子(ほいし)に告げに行った。蒲衣子が言った。「あなたは今知ったか。有虞氏は泰氏に及ばない。有虞氏は、まだ仁を蔵して人を邀結し、人を得ても、まだ非人に出ていない。泰氏は、眠れば徐徐として、覚めれば于于(うう)として、あるいは己を馬とし、あるいは己を牛とした。その知は信実で、その徳は真で、まだ非人に入っていない」。
於是泰清問乎無窮曰:「子知道乎?」
肩吾(けんご)が狂接輿に会った。狂接輿が言った。「日中始は何をあなたに告げたか」。肩吾が言った。「告げた。『人君たる者は己で経式義度を出して、人は誰か敢えて聴かずして化しないか』」。狂接輿が言った。「これは欺徳である。それを天下を治めるに用いれば、海を渉って河を鑿(ほ)り、蚊虻に山を背負わせるようなものだ。聖人の治は、外を治めるのか。自ら正してから行い、確然としてその事を為すだけである。そもそも鳥は高く飛んで矰弋(しょうよく)の害を避け、鼷鼠(けいそ)は深く穴って神丘の下に煙熏と掘削の患を避ける。あなたはこの二虫の知さえもないのか」。
無窮曰:「吾不知。」
天根(てんこん)が殷陽に遊び、蓼水(りょうすい)の上に至り、ちょうど無名人に遇って尋ねた。「請う、天下を治めること」。無名人が言った。「去れ。あなたは鄙陋な人だ。問いのなんと不愉快なことか。私はまさに造物者と伴い、厭きればまた莽眇(ぼうびょう)の鳥に乗り、六極の外に出て、無何有の郷に遊び、圹埌(こうろう)の野に処る。あなたはまた何を以て天下を治めることを私の心に感じさせるのか」。再び問うた。無名人が言った。「あなたは心を淡に遊ばせ、気を漠に合わせ、物の自然に順い私を容れないなら、天下は治まる」。
又問乎無為,無為曰:「吾知道。」
陽子居(ようしく)が老聃に会い、言った。「ここに一人、敏捷で強悍で、事事に徹明であり、道を学んで倦まない者がいます。このような者は、明王に比べられますか」。老聃が言った。「これは聖人から見れば、胥(しょ)に役せられ技に繋がれ、形を労し心を驚かす者である。そもそも虎豹は文のために田猟を来し、猿猴は便のために、狗は狸を執るがために縄縛を来す。このような者は、明王に比べられるか」。陽子居が蹴然として言った。「敢えて明王の治を問う」。老聃が言った。「明王の治は、功が天下に蓋(おお)うも己によることなく、化を万物に貸して民は恃まず、あって名を挙げず、物に自ら喜ばせ、測りがたきに立ち、無有に遊ぶ」。
曰:「子之知道,亦有數乎?」
鄭に神巫の季咸(きかん)がいて、人の死生存亡・禍福寿夭を知り、これを歳月旬日に期して神のようであった。鄭人は彼を見て、皆棄てて走った。列子は彼を見て心に酔い、帰って壺子(こし)に告げた。「初め私は夫子の道は至りと思った。しかしさらに至るものがあった」。壺子が言った。「私があなたに与えたのは、すでに文であって、まだ実に至っていない。あなたは道を得たと思っているのか。衆雌あって雄なければ、どうして卵があろうか。あなたは道を以て世に勝を争い、必ず人の信を求める。だから人にあなたを相させることができるのだ。試みに彼と来て、彼に私を見せよう」。翌日、列子が彼とともに壺子に見えた。出て列子に言った。「ああ。あなたの先生は死ぬ。生きられない。十日を持たない。私は怪異を見た。湿灰を見た」。列子が入り、涕泣して襟を沾(うるお)して壺子に告げた。壺子が言った。「さきに私が彼に見せたのは地文である。萌して動かず正さない。彼はおそらく私が徳機を杜塞したのを見たのだ。試みに彼と再び来い」。翌日、また彼とともに壺子に見えた。出て列子に言った。「幸いだ。あなたの先生は私に遇った。瘳(い)える。全く生がある。私はその杜塞の中の権変を見た」。列子が入り、壺子に告げた。壺子が言った。「さきに私が彼に見せたのは天壤である。名実は入らず、機は踵(きびす)から発する。彼はおそらく私の善者機を見たのだ。試みに彼と再び来い」。翌日、また彼とともに壺子に見えた。出て列子に言った。「あなたの先生は斉(せい)がない。私は相するに由がない。試みに斉えて、再び相しよう」。列子が入り、壺子に告げた。壺子が言った。「私がさきに彼に見せたのは太冲莫勝(たいちゅうぼくしょう)である。彼はおそらく私の衡気機を見たのだ。鯢(げい)の桓(まわ)る審(したた)かなるを淵とし、止水の審かなるを淵とし、流水の審かなるを淵とする。淵に九つの名がある。ここに三つを用いた。試みに彼と再び来い」。翌日、また彼とともに壺子に見えた。まだ立ち定まらないうちに、色を失して走った。壺子が言った。「追え」。列子は追い及ばず、帰って壺子に報告した。「すでに滅し、すでに失われた。私は及ばなかった」。壺子が言った。「さきに私が彼に見せたのは、未曾だ我が宗に出ざるである。私は彼と虚して委蛇(いい)し、誰を以て彼を知ることなく、故に弟靡(ていび)の如く、故に波流の如く、故に逃げたのだ」。ここにおいて列子は、自ら未だ学んだことがないと思って帰り、三年出ず。妻のために炊き、豕に食わせること人の如く、事に於て親しむところ無く、彫琢(ちょうたく)して朴に復し、塊然として独りその形を以て立ち、紛(ふん)として封(こ)え、一にして是を終えた。
曰:「有。」
名の尸主とならず、謀の府庫とならず、事の任当とならず、知の主宰となるなかれ。無窮に体を尽くし、朕兆(ちんちょう)なきに遊び、天の受くるところを尽くして、得るを見ず、ただ虚なるのみ。至人の心を用いること鏡の如し。送らず迎えず、応じて蔵せず、故能く物に勝てて傷を受けず。
曰:「其數若何?」
南海の帝を儵(しゅく)とし、北海の帝を忽(こつ)とし、中央の帝を渾沌(こんとん)とした。儵と忽はしばしば渾沌の地で相遇し、渾沌は彼らを善く遇した。儵と忽は渾沌の徳に報いることを謀り、言った。「人は皆七竅を有し、以て視聴食息を為す。これ独り無い。試みにこれを鑿(ほ)ろう」。日に一竅を鑿つ、七日にして渾沌は死んだ。
無為曰:「吾知道之可以貴,可以賤,可以約,可以散,此吾所以知道之數也。」
駢拇(へんぼ)
泰清以之言也問乎無始,曰:「若是,則無窮之弗知與無為之知,孰是而孰非乎?」
趾が駢(あわ)さり指が枝(えだ)出るは、性に出づるか、徳の有すべきに多し。附贅懸疣(ふぜいけんゆう)は形に出づるか、性の有すべきに多し。仁義に多方に駢枝してこれを用いるは、五蔵に列なるか、道徳の正には非ざるなり。故に足の駢さるは、連に無用の肉を垂れ、手の枝出ずるは、樹に無用の指を樹て、五蔵の情に多方に駢枝して、仁義の行に淫僻し、又聡明の用に多方す。故に明に駢枝するは、五色を乱し、文章を淫せしめ、青黄黼黻(ふふ)の煌煌たるを以て、非か。離朱(りしゅ)これなり。聡に多きは、五声を乱し、六律を淫せしめ、金石・絲竹・黄鐘・大呂の声を以て、非か。師曠(しくう)これなり。仁に枝るは、徳を擢(ぬき)んで塞(ふさ)ぎ、名を収め、天下を簧鼓して奉ずる法に及ばざらしむるは、非か。曾参・史鰌(しぐ)これなり。駢の辯は、累瓦・結繩・竄句を為し、堅白・同異のあいだに心を遊ばしめ、敝に跬誉(きよ)して無用の言を誉むるは、非か。楊朱・墨翟これなり。故にこれ皆多駢旁枝の道にして、天下の至正に非ざるなり。
無始曰:「不知深矣,知之淺矣;弗知內矣,知之外矣。」
彼の正至なるは、その性命の情を失わざるなり。故に合するは駢と為さず、枝るは跂と為さず、長くは余りあるに非ず、短くは足らずに非ず。故に鳧(ふ)の脛は短きも、之を続けば則ち憂え、鶴の脛は長きも、之を断てば則ち悲しむ。故に性長きは断たるべきに非ず、性短きは続がるべきに非ず、去るべき憂え無し。意(おも)うに仁義は人情に非ざるか。彼の仁人は何ぞ多く憂えるか。且つ足の駢さるは、之を決せば則ち哭し、手の枝るは、之を齕(か)れば則ち啼く。二者或いは数に余り、或いは数に足らず、其の憂えるに於て一なり。今世の仁人は、蒿目(こうもく)して世の患いを憂え、不仁の人は、性命の情を決裂して貴富を饕(とう)り貪る。故に意うに仁義は人情に非ざるか。三代より已降、天下は何ぞ囂囂(ごうごう)たるか。且つ鉤・縄・規・矩を待ちて正すは、是れ其の性を削るなり。縄約・膠漆を待ちて固するは、是れ其の徳を侵すなり。屈折を礼楽に、呴俞(くゆ)を仁義に、以て天下の心を慰むるは、是れ其の常を失うなり。天下に常然あり。常然とは、曲るは鉤を以てせず、直るは縄を以てせず、円なるは規を以てせず、方なるは矩を以てせず、附するは膠漆を以てせず、約するは纆索(ぼうさく)を以てせず。故に天下は誘然として皆生まるも、其の生まる所以を知らず、同然として皆得るも、其の得る所以を知らず。故に古今は二つに非ず、虧(か)くべからず。則ち仁義は又奚(なん)ぞ連連として膠漆纆索の如く、道徳の間に遊んで、天下を惑わさんや。
於是泰清中而歎曰:「弗知乃知乎!知乃不知乎!孰知不知之知?」
小惑は方を易え、大惑は性を易う。何を以て其の然るを知るか。虞氏が仁義を招きて天下を撓(た)がめしより、天下は仁義に奔命せざる莫し。是れ其の性を仁義を以て易うるに非ずや。故に嘗試(しょうし)して之を論ず。三代より已降、天下は外物を以て其の性を易えざる莫し。小人は則ち身を利に殉じ、士は則ち身を名に殉じ、大夫は則ち身を家に殉じ、聖人は則ち身を天下に殉ず。故に此の数子は、事業は同からず、名号の異なりも、其の性を傷り身を以て殉ずるに於て一なり。臧(そう)と穀(こく)と二人相与(あいとも)に羊を牧して、倶(とも)に其の羊を亡(うしな)う。臧を問うに、則ち筴(ささ)を挟みて書を読む。穀を問うに、則ち博塞(はくさい)して遊ぶ。二人の事業は同からず、其の羊を亡うに於て均し。伯夷は名の為に首陽の下に死し、盗蹠は利の為に東陵の上に死す。二人の死する所は同からず、其の生を残り性を傷るに於て均し。奚ぞ必ず伯夷を是とし盗蹠を非とせんや。天下は尽く殉ず。其の殉ずる所は仁義なれば、則ち俗に之を君子と謂い、所殉ずるは貨財なれば、則ち俗に之を小人と謂う。其の殉ずるは一なりも、則ち君子あり、則ち小人あり。若し夫の生を残り性を損るを見ば、則ち盗蹠も亦た是れ伯夷。又惡(なん)ぞ君子小人を其の間に取らんや。
無始曰:「道不可聞,聞而非也;道不可見,見而非也;道不可言,言而非也。知形形之不形乎!道不當名。」
宇泰定者(うたいじょうしゃ)は、乎(こ)天光(てんこう)より發(はっ)す。天光より發する者は、人是れを見て人と爲(な)る。人有脩(ゆうしゅう)して、乃(だい)今恒(こう)有り。有恒(ゆうこう)者は、人之舍(しゃ)し、天助(てんじょ)之。人之所舍は、之を天民(てんみん)と謂う。天之所助は、之を天子(てんし)と謂う。
無始曰:「有問道而應之者,不知道也。雖問道者,亦未聞道。道無問,問無應。無問問之,是問窮也;無應應之,是無內也。以無內待問窮,若是者,外不觀乎宇宙,內不知乎大初,是以不過乎崑崙,不遊乎太虛。」
學(がく)する者は、其の學ぶ能はざる所を學び、行(こう)する者は、其の行ふ能はざる所を行い、辯(べん)する者は、其の辯ずる能はざる所を辯ず。知(ち)は其の知らざる所に止(し)まれば、至(し)矣。若(も)し不以是(ふいぜ)有らば、天鈞(てんきん)之を敗(はい)す。
光曜問乎無有曰:「夫子有乎?其無有乎?」
物を備(び)して以て形を養(やしな)い、不虞(ふぐ)を藏(ぞう)して以て心を生(しょう)じ、中(ちゅう)を敬(けい)して以て彼(ひ)に達(たっ)す。若是(じゃくぜ)にして而(なん)萬惡(ばんあく)至(し)る者は、皆天(てん)也、而(なん)而非(ひ)人也。以て亂(らん)成(せい)するに足らず、靈臺(れいたい)に納(のう)す可からず。靈臺者持(じ)する所有(ゆう)して、而(なん)其の持する所を知(ち)らず。而(なん)且(まさ)不可持(ふかじ)也。
光曜不得問,而孰視其狀貌,窅然空然,終日視之而不見,聽之而不聞,搏之而不得也。
其の誠(せい)を見ざる而して發する者は、發する每(ごと)に而(なん)不當(ふとう)。業(ぎょう)入りて而(なん)不舍(ふしゃ)。毎(まい)更(こう)失(しつ)す。明(めい)之中に不善(ふぜん)を爲(な)す者は、人之を誅(ちゅう)す。幽(ゆう)之中に不善を爲す者は、鬼之を誅す。人に明(めい)、鬼に明(めい)せば、然る後に能く獨行(どっこう)す。
光曜曰:「至矣,其孰能至此乎!予能有無矣,而未能無無也。及為無有矣,何從至此哉!」
其の內に契(けい)する者は、名(めい)無きに行(こう)す。其の外に契する者は、志(し)期費(きひ)す。名無きに行する者は、唯(ただ)庸(よう)にして光(こう)有り。志期費(きひ)する者は、唯(ただ)賈人(こじん)也。人其の跂(き)するを見れば、猶(な)ほ魁然(かいぜん)と爲(な)す。物與(とも)窮(きゅう)する者は、物入(にゅう)焉(えん)。物與且(しょ)する者は、其身(きしん)尚(な)を容(よう)する能はず。焉(なん)ぞ能く人を容せん。人を容する能はざる者は无親(むしん)。无親(むしん)者は盡人(じんじん)。兵は志(し)より慘(さん)なるは莫(な)し、鏌鎁(もや)之を下(げ)す。寇は陰陽より大なるは莫し、无(な)所(しょ)於(お)天地之間に逃(とう)る。非(ひ)陰陽賊之(ぞくし)、心則使之然(しんそくしのぜん)也。
大馬之捶鉤者,年八十矣,而不失豪芒。大馬曰:「子巧與?有道與?」
道通(どうつう)是(ぜ)。其分(きぶん)也、其成(きせい)也、毀(き)也。其の分に惡(お)む所以(しょい)者は、其の備(び)を以て分(ぶん)と爲(な)せばなり。其の備に惡む所以者は、其の備あるを以て備(び)と爲せばなり。故に出(しゅつ)で而(なん)不反(ふはん)すれば、其の鬼(き)を見(けん)す。出で而(なん)有所得(ゆうしょとく)は、是れを得死(とくし)と謂う。滅(めつ)して而(なん)有實(ゆうじつ)は、是れ鬼(き)之一(いち)也。有(ゆう)形(けい)を以て而(なん)无(む)形(けい)に象(しょう)すれば、則ち定(じょう)矣。
曰:「臣有守也。臣之年二十而好捶鉤,於物無視也,非鉤無察也。是用之者,假不用者也以長得其用,而況乎無不用者乎!物孰不資焉!」
出(しゅつ)无(む)本(ほん)に、入(にゅう)无竅(むきょう)に。有實(ゆうじつ)而(なん)无乎處(むこしょ)。有長(ゆうちょう)而(なん)无乎本末(むこほんまつ)。有所出(ゆうしょしゅつ)而(なん)无竅者(むきょうしゃ)有實(ゆうじつ)。有實而(なん)无乎處者(むこしょしゃ)は、宇(う)也。有長而(なん)无本剽(むほんひょう)者は、宙(ちゅう)也。有乎生(ゆうこうせい)、有乎死。有乎出、有乎入。入出(にゅうしゅつ)而(なん)不見其形(ふけんきけい)は、是れを天門(てんもん)と謂う。天門者(てんもんしゃ)は、无(む)有(ゆう)也。萬物出乎无有(ばんぶつしゅつこうむゆう)。有不能以有爲有(ゆうふのういゆういゆう)。必出乎无有(ひつしゅつこうむゆう)。而无有一无有(えんむゆういちむゆう)。聖人藏(ぞう)焉(えん)。
冉求問於仲尼曰:「未有天地可知邪?」
古之爲人者(このいじんしゃ)、其(き)知(ち)有所至(ゆうしょし)。惡乎至(おこうし)。有以爲未始有物者(ゆういいみしゆうぶつしゃ)。至矣(しい)。盡矣(じんい)。弗可以加矣(ふつかかいい)。其次以爲有物矣(きじいいゆうぶつい)。將以生爲喪也(しょういせいいそう)。以死爲反也(いしいはん)。是以分已(ぜいぶんい)。其次曰始无有(きじわくしむゆう)。既而有生(きえんゆうせい)。生俄而死(せいがえんし)。以无有爲首(いむゆういしゅ)。以生爲體(いせいいたい)。以死爲尻(いしいこう)。孰知有无死生之一守者(たくちゆうむしせいのいっしゅしゃ)。吾與之爲友(がよのいゆう)。三者雖異(さんしゃすいい)。公族也(こうぞく)。昭景也(しょうけい)。著戴也(ちゃくたい)。甲氏也(こうし)。著封也(ちゃくほう)。非一也(ひいつ)。
仲尼曰:「可。古猶今也。」
有生(ゆうせい)は黬(あん)也。披然(ひぜん)として移是(いぜ)を曰う。請(しょう)移是を言はん。是れ言(げん)ふべき所に非ざるなり。然(しか)りと雖も、是れ知(ち)るべからざるなり。腊(せき)の人は膍臄(ひきゃく)有りて、散(さん)す可きも、而して散す可からざるなり。室屋を觀(かん)ずる者は、寢廟(しんびょう)に周(あまね)き、又其の偃溲(えんしゅう)に之(ゆ)く。是れの爲に移是を擧(きょ)す。
冉求失問而退。明日復見,曰:「昔者吾問『未有天地可知乎?』夫子曰:『可。古猶今也。』昔日吾昭然,今日吾昧然。敢問何謂也?」
請(しょう)嘗(こころ)みに移是を言はん。是れ以生(いせい)爲本(いほん)し、以知(いち)爲師(いし)し、因(よ)りて以て是非に乘(じょう)す。果(か)名實(めいじつ)有りて、因りて以て己を質(しつ)と爲(な)す。人以て己節(きせつ)と爲(な)さしめ、因りて以て死を償(しょう)節(せつ)す。若然(じゃくぜん)の者は、用(よう)を以て知(ち)と爲(な)し、不用(ふよう)を以て愚(ぐ)と爲(な)す。徹(てつ)を以て名(めい)と爲(な)し、窮(きゅう)を以て辱(じょく)と爲(な)す。移是は、今之人(こんのじん)也。是れ蜩與學鳩(ちょうよがくきゅう)之同(どう)於(お)同(どう)也。
仲尼曰:「昔之昭然也,神者先受之;今之昧然也,且又為不神者求邪?無古無今,無始無終。未有子孫而有子孫,可乎?」
市人の足(しじんのそく)を臑(じゅう)せば、則ち放驁(ほうごう)を以て辭(じ)す。兄(けい)なれば則ち嫗(おう)を以てし、大親(だいしん)なれば則ち已(い)矣。故に曰く、至禮(しれい)人(じん)と爲(な)さざる者有り、至義(しぎ)物(ぶつ)と爲さず、至知(しち)謀(ぼう)せず、至仁(しじん)親(しん)無(な)し、至信(ししん)金(きん)を辟(へき)す、と。
冉求未對。仲尼曰:「已矣,末應矣!不以生生死,不以死死生。死生有待邪?皆有所一體。有先天地生者物邪?物物者非物,物出不得先物也,猶其有物也。猶其有物也,無已。聖人之愛人也終無已者,亦乃取於是者也。」
徹志之勃(てっしのぼつ)。解心之繆(かいしんのびゅう)。去德之累(きょとくのるい)。達道之塞(たつどうのそく)。貴富顯嚴名利六者(きふけんげんめいりろくしゃ)。勃志也(ぼっし)。容動色理氣意六者(ようどうしょくりきいろくしゃ)。繆心也(びゅうしん)。惡欲喜怒哀樂六者(おくよくきどあいらくろくしゃ)。累德也(るいとく)。去就取與知能六者(きょしゅうしゅよちのうろくしゃ)。塞道也(そくどう)。此四六者(ししろくしゃ)。不蕩胸中則正(ふとうきょうちゅうそくせい)。正則靜(せいそくせい)。靜則明(せいそくめい)。明則虛(めいそくきょ)。虛則无爲而无不为也(きょそくむいえんむふい)。道者德之欽也(どうしゃとくのきん)。生者德之光也(せいしゃとくのこう)。性者生之質也(せいしゃせいのしつ)。性之動謂之爲(せいのどういのい)。爲之僞謂之失(いのぎいのしつ)。知者接也(ちしゃせつ)。知者謨也(ちしゃぼ)。知者之所不知(ちしゃのしょふち)。猶睨也(ゆうげい)。動以不得已之謂德(どういふとくいのいとく)。動无非我之謂治(どうむひがのいち)。名相反而實相順也(めいそうはんえんじつそうじゅん)。
顏淵問乎仲尼曰:「回嘗聞諸夫子曰:『無有所將,無有所迎。』回敢問其遊。」
羿工乎中微(げいこうこうちゅうび)。而拙乎使人无己譽(えんせっこうしじんむきよ)。聖人工乎天而拙乎人(せいじんこうこうてんえんせっこうじん)。夫工乎天而俍乎人者(ふこうこうてんえんりょうこうじんしゃ)。唯全人能之(ゆいぜんじんのうし)。唯蟲能蟲(ゆいちゅうのうちゅう)。唯蟲能天(ゆいちゅうのうてん)。全人惡天(ぜんじんおくてん)。惡人之天(おくじんのてん)。而況吾天乎人乎(えんこうがてんこうじんこう)。
