知北遊第二十二
知北遊於玄水之上(ちほくゆうこうげんすいのじょう)。登隱弅之丘(とういんぷんのきゅう)。適遭无爲謂焉(てきそうむいいえん)。知謂无爲謂曰(ちいむいいわく)。予欲有問乎若(よよくゆうもんこうじゃく)。何思何慮則知道(かしかりょくそくちどう)。何處何服則安道(かしょかふくそくあんどう)。何從何道則得道(かじゅうかどうそくとくどう)。三問而无爲謂不答也(さんもんえんむいいふとう)。非不答、不知答也(ひふとうふちとう)。
田子方侍坐於魏文侯,數稱谿工。
知不得問(ちふとくもん)。反於白水之南(はんこうはくすいのなん)。登狐阕之上(とうこけつのじょう)。而睹狂屈焉(えんときょうくつえん)。知以之言也問乎狂屈(ちいのごんえんもんこうきょうくつ)。狂屈曰(きょうくつわく)。唉(あい)。予知之(よちし)。將語若(しょうごじゃく)。中欲言而忘其所欲言(ちゅうよくごんえんぼうきしょよくごん)。
文侯曰:「谿工,子之師邪?」
知不得問、反於帝宮。見黃帝而問(けんこうていえんもん)。黃帝曰(こうていわく)。无思无慮始知道(むしむりょしちどう)。无處无服始安道(むしょむふくしあんどう)。无从无道始得道(むじゅうむどうしとくどう)。
子方曰:「非也,無擇之里人也;稱道數當,故無擇稱之。」
知問黃帝曰(ちもんこうていわく)。我與若知之(がよじゃくちし)。彼與彼不知也(ひよひふち)。其孰是邪(きたくぜや)。
文侯曰:「然則子無師邪?」
黃帝曰、彼无爲謂眞是也(ひむいいしんぜ)。狂屈似之(きょうくつじし)。我與汝終不近也(がよじょしゅうふきん)。夫知者不言言者不知(ふちしゃふごんごんしゃふち)。故聖人行不言之教(こせいじんこうふごんのきょう)。道不可致(どうふかち)。德不可至(とくふかし)。仁可爲也(じんかい)。義可虧也(ぎかき)。禮相僞也(れいそうぎ)。故曰(こわく)。失道而後德(しつどうえんこうとく)。失德而後仁(しつとくえんこうじん)。失仁而後義(しつじんえんこうぎ)。失義而後禮(しつぎえんこうれい)。禮者道之華而亂之首也(れいしゃどうのかえんらんのしゅ)。故曰、爲道者日損(いどうしゃじつそん)。損之又損(そんのゆうそん)。以至於无爲(いしこうむい)。无爲而无不为也(むいえんむふい)。今已爲物也(こんいいぶつ)。欲復歸根(よくふくきこん)。不亦難乎(ふえきなん)。其易也其唯大人乎(きえききゆいだいじん)。
子方曰:「有。」
生也死之徒(せいえんしのと)。死也生之始(しえんせいのし)。孰知其紀(たくちきき)。人之生氣之聚也(じんのせいきのじゅう)。聚則爲生(じゅうそくいせい)。散則爲死(さんそくいし)。若死生爲徒(じゃくしせいいと)。吾又何患(がゆうかかん)。故萬物一也(こばんぶついつ)。是其所美者爲神奇(ぜききびしゃいしんき)。其所惡者爲臭腐(ききおしゃいしゅうふ)。臭腐復化爲神奇(しゅうふふくかいしんき)。神奇復化爲臭腐(しんきふくかいしゅうふ)。故曰(こわく)。通天下一氣耳(つうてんかいっきじ)。聖人故貴一(せいじんこきいつ)。
曰:「子之師誰邪?」
知謂黃帝曰(ちいこうていわく)。吾問无爲謂(もんむいい))。无爲謂不應我(むいいふおうが)。非不應我(ひふおうが)。不知應我也(ふちおうが)。吾問狂屈(がもんきょうくつ)。狂屈中欲告我而不我告(きょうくつちゅうよくこくがえんふがこく)。非不我告(ひふがこく)。中欲告而忘之也(ちゅうよくこくえんぼうし)。今予問乎若(こんよもんこうじゃく)。若知之(じゃくちし)。奚故不近(きこふきん)。
子方曰:「東郭順子。」
黃帝曰、彼其眞是也(ひきしんぜ)。以其不知也(いきふち)。此其似之也(しきじし)。以其忘之也(いきぼうし)。予與若終不近也(よよじゃくしゅうふきん)。以其知之也(いきちし)。
文侯曰:「然則夫子何故未嘗稱之?」
狂屈聞之(きょうくつぶんし)。以黃帝爲知言(いこうていいちごん)。
子方曰:「其為人也真,人貌而天虛,緣而葆真,清而容物。物無道,正容以悟之,使人之意也消。無擇何足以稱之!」
天地有大美(だいび)ありて言(げん)わず。四時有明法(めいほう)ありて議(ぎ)せず。萬物有成理(せいり)ありて說(せつ)せざる也。聖人は、天地之美を原(はら)して、萬物之理に達(たっ)す。是故至人无爲(むい)、大聖不作(ふさく)。是れ天地を觀(かん)ずる之謂(い)也。
子方出,文侯儻然終日不言,召前立臣而語之曰:「遠矣,全德之君子!始吾以聖知之言、仁義之行為至矣。吾聞子方之師,吾形解而不欲動,口鉗而不欲言。吾所學者直土梗耳,夫魏真為我累耳!」
今夫神明至精(しんめいしせい)、與彼百化(ひゃっか)あり。物已死生方圓(しせいほうえん)、莫知其根(ぼくちきこん)。而扁然(へんぜん)萬物、自古以固存(じこいこそん)。六合爲巨(りくごういきょ)、未離其內(みりきない)。秋豪爲小(しゅうごういしょう)、待之成體(たいしせいたい)。天下莫不沈浮(てんかぼつちんふ)、終身不故(しゅうしんふこ)。陰陽四時運行(いんようしじうんこう)、各得其序(かくとくきじょ)。惛然若亡而存(こんぜんじゃくぼうえんそん)。油然不形而神(ゆうぜんふけいえんしん)。萬物畜而不知(ばんぶつちくえんふち)。此之謂本根(しのいほんこん)。可以觀於天矣(かいかんこうてんい)。
溫伯雪子適齊,舍於魯。魯人有請見之者,溫伯雪子曰:「不可。吾聞中國之君子,明乎禮義而陋於知人心,吾不欲見也。」
齧缺(げっけつ)問道於被衣(ひい)。被衣曰く、若正汝形(じゃくせいじょけい)、一汝視(いちじょし)、天和將至(てんわしょうし)。攝汝知(しょうじょち)、一汝度(いちじょど)、神將來舍(しんしょうらいしゃ)。德將爲汝美(とくしょういじょび)、道將爲汝居(どうしょういじょきょ)。汝瞳焉如新生之犢(じょどうえんじょしんせいのとく)、而无求其故(えんむきゅうきこ)。
至於齊,反舍於魯,是人也又請見。溫伯雪子曰:「往也蘄見我,今也又蘄見我,是必有以振我也。」
言未卒(ごんみそつ)。齧缺睡寐(げっけつすいび)。被衣大說(だいえつ)、行歌而去之(こうかえんきょし)。曰く、形若槁骸(けいじゃくこうがい)、心若死灰(しんじゃくしかい)。真其實知(しんきじつち)。不以故自持(ふいこじじ)。媒媒晦晦(ばいばいかいかい)。无心而不可與謀(むしんえんふかよぼう)。彼何人哉(ひかじんさい)。
出而見客,入而歎。明日見客,又入而歎。其僕曰:「每見之客也,必入而歎,何耶?」
舜問乎丞曰(しゅんもんこうじょうわく)。道可得而有乎(どうかとくえんゆう)。
曰:「吾固告子矣:『中國之民,明乎禮義而陋乎知人心。』昔之見我者,進退一成規,一成矩,從容一若龍,一若虎。其諫我也似子,其道我也似父,是以歎也。」
曰、汝身非汝有也(じょしんひじょゆう)。汝何得有夫道(じょかとくゆうふどう)。
仲尼見之而不言。子路曰:「吾子欲見溫伯雪子久矣,見之而不言,何邪?」
舜曰、吾身非吾有也(がしんひがゆう)。孰有之哉(たくゆうしさい)。
仲尼曰:「若夫人者,目擊而道存矣,亦不可以容聲矣!」
曰、是天地之委形也(ぜてんちのいけい)。生非汝有(せいひじょゆう)。是天地之委和也(ぜてんちのいわ)。性命非汝有(せいめいひじょゆう)。是天地之委順也(ぜてんちのいじゅん)。孫子非汝有(そんしひじょゆう)。是天地之委蛻也(ぜてんちのいぜい)。故行不知所往(こうんふちしょおう)。處不知所持(しょふちしょじ)。食不知所味(しょくふちしょみ)。天地之强陽氣也(てんちのきょうようき)。又胡可得而有邪(ゆうこかとくえんゆうや)。
顏淵問於仲尼曰:「夫子步亦步,夫子趨亦趨,夫子馳亦馳;夫子奔逸絕塵,而回瞠若乎後矣!」
孔子問於老聃曰(こうしもんこうろうたんわく)。今日晏閒(こんじつあんかん)。敢問至道(かんもんしどう)。
夫子曰:「回,何謂邪?」
老聃曰、汝齊戒(じょさいかい)。疏瀹而心(そやくえんしん)。澡雪而精神(そうせつえんせいしん)。掊擊而知(ほうげきえんち)。夫道窅然難言哉(ふどうようぜんなんごんさい)。將爲汝言其崖略(しょういじょごんきりゃくりゃく)。
曰:「夫子步,亦步也;夫子言,亦言也;夫子趨,亦趨也;夫子辯,亦辯也;夫子馳,亦馳也;夫子言道,回亦言道也;及奔逸絕塵而回瞠若乎後者,夫子不言而信,不比而周,無器而民滔乎前,而不知所以然而已矣。」
夫昭昭生於冥冥(ふしょうしょうしょうこうめいめい)。有倫生於无形(ゆうりんしょうこうむけい)。精神生於道(せいしんしょうこうどう)。形本生於精(けいほんしょうこうせい)。而萬物以形相生(えんばんぶついけいそうしょう)。故九竅者胎生(こきゅうきょうしゃたいせい)。八竅者卵生(はっきょうしゃらんせい)。其來无迹(きらいむせき)。其往无崖(きおうむがい)。无門无房(むもんむぼう)。四達之皇皇也(したつのこうこう)。邀於此者(ようこうししゃ)。四枝彊(ししきょう)。思慮恂達(しりょしゅんたつ)。耳目聰明(じもくそうめい)。其用心不勞(きようしんふろう)。其應物无方(きおうぶつむほう)。天不得不高(てんふとくふこう)。地不得不廣(ちふとくふこう)。日月不得不行(じつげつふとくふこう)。萬物不得不昌(ばんぶつふとくふしょう)。此其道與(しきどうよ)。
仲尼曰:「惡!可不察與!夫哀,莫大於心死,而人死亦次之。日出東方而入於西極,萬物莫不比方,有目有趾者,待是而後成功,是出則存,是入則亡。萬物亦然,有待也而死,有待也而生。吾一受其成形,而不化以待盡,效物而動,日夜無隙,而不知其所終;薰然其成形,知命不能規乎其前,丘以是日徂。
且夫博之不必知(しょふはくのふひつち)。辯之不必慧(べんのふひつけい)。聖人以斷之矣(せいじんいだんしい)。若夫益之而不加益(じゃくふえきのえんふかえき)。損之而不加損(そんのえんふかそん)者。聖人之所保也(せいじんのしょほう)。淵淵乎其若海(えんえんこうきじゃくかい)。魏魏乎其終則復始也(ぎぎこうきしゅうそくふくし)。運量萬物而不匱(うんりょうばんぶつえんふき)。則君子之道(そくくんしのどう)。彼其外與(ひきげよ)。萬物皆往資焉而不匱(ばんぶつかいおうしえんふき)。此其道與。
吾終身與汝交一臂而失之,可不哀與!女殆著乎吾所以著也。彼已盡矣,而女求之以為有,是求馬於唐肆也。吾服女也甚忘,女服吾也甚忘。雖然,女奚患焉!雖忘乎故吾,吾有不忘者存。」
中國有人焉(ちゅうごくゆうじんえん)。非陰非陽(ひいんひよう)。處於天地之間(しょこうてんちのかん)。直且爲人(ちょくしょいじん)。將反于宗(しょうはんこうそう)。自本觀之(じほんかんし)。生者喑醷物也(せいしゃいんあいぶつ)。雖有壽夭(すいゆうようよう)。相去幾何(そうきょきか)。須臾之說也(しゅゆのせつ)。奚足以爲堯桀之是非(きそくいいぎょうけつのぜひ)。果蓏有理(かれいゆうり)。人倫雖難(じんりんすいなん)。所以相齒(しょいそうし)。聖人遭之而不違(せいじんそうのえんふい)。過之而不守(かのえんふしゅ)。調而應之德也(ちょうえんおうのとく)。偶而應之道也(ぐうえんおうのどう)。帝之所興(ていのしょこう)。王之所起也(おうのしょき)。
孔子見老聃,老聃新沐,方將被髮而干,慹然似非人。孔子便而待之,少焉見,曰:「丘也眩與?其信然與?曏者先生形體掘若槁木,似遺物離人而立於獨也。」
人生天地之間(じんせいてんちのかん)。若白駒之過郤(じゃくはっくのかげき)。忽然而已(こつぜんいい)。注然勃然(ちゅうぜんぼつぜん)。莫不出焉(ぼつふしゅつえん)。油然漻然(ゆうぜんりゅうぜん)。莫不入焉(ぼつふにゅうえん)。已化而生(いかえんせい)。又化而死(ゆうかえんし)。生物哀之(せいぶつあいし)。人類悲之(じんるいひし)。解其天弢(かいきてんとう)。墮其天袠(だきてんちつ)。紛乎宛乎(ふんこうえんこう)。魂魄將往(こんぱくしょうおう)。乃身從之(なんしんじゅうし)。乃大歸乎(なんたいきこう)。不形之形(ふけいのけい)。形之不形(けいのふけい)。是人之所同知也(ぜじんのしょどうち)。非將至之所務也(ひしょうしのしょむ)。此衆人之所同論也(ししゅうじんのしょどうろん)。彼至則不論(ひしそくふろん)。論則不至(ろんそくふし)。明見无値(めいけんむち)。辯不若默(べんふじゃくもく)。道不可聞(どうふかぶん)。聞不若塞(ぶんふじゃくそく)。此之謂大得(しのいだいとく)。
老聃曰:「吾遊心於物之初。」
東郭子(とうかくし)問於莊子曰(もんこうそうしわく)。所謂道(しょいどう)。惡乎在(おこうざい)。
孔子曰:「何謂邪?」
莊子曰、无所不在(むしょふざい)。
曰:「心困焉而不能知,口闢焉而不能言,嘗為汝議乎其將。至陰肅肅,至陽赫赫;肅肅出乎天,赫赫發乎地;兩者交通成和而物生焉,或為之紀而莫見其形。消息滿虛,一晦一明,日改月化,日有所為,而莫見其功。生有所乎萌,死有所乎歸,始終相反乎無端,而莫知乎其所窮。非是也,且孰為之宗!」
東郭子曰、期而後可(きえんこうか)。
孔子曰:「請問遊是。」
莊子曰、在螻蟻(ざいろうぎ)。
老聃曰:「夫得是,至美至樂也。得至美而遊乎至樂,謂之至人。」
曰、何其下邪(かきげや)。
孔子曰:「願聞其方。」
曰、在稊稗(ざいていはい)。
曰:「草食之獸不疾易藪,水生之蟲不疾易水,行小變而不失其大常也,喜怒哀樂不入於胸次。夫天下也者,萬物之所一也。得其所一而同焉,則四支百體將為塵垢,而死生終始將為晝夜而莫之能滑,而況得喪禍福之所介乎!棄隸者若棄泥塗,知身貴於隸也,貴在於我而不失於變。且萬化而未始有極也,夫孰足以患心!已為道者解乎此。」
曰、何其愈下邪(かきゆげや)。
孔子曰:「夫子德配天地,而猶假至言以修心,古之君子,孰能脫焉?」
曰、在瓦甓(ざいがぺき)。
老聃曰:「不然。夫水之於汋也,無為而才自然矣。至人之於德也,不修而物不能離焉,若天之自高,地之自厚,日月之自明,夫何脩焉!」
曰、何其愈甚邪(かきゆじんや)。
孔子出,以告顏回曰:「丘之於道也,其猶醯雞與!微夫子之發吾覆也,吾不知天地之大全也。」
曰、在屎溺(ざいしでき)。
莊子見魯哀公,哀公曰:「魯多儒士,少為先生方者。」
東郭子不應。莊子曰、夫子之問也(ふうしのもん)。固不及質(こふきゅうしつ)。正獲之問於監市履獮也(せいかくのもんこうかんしりせん)。每下愈況(まいげゆきょう)。女唯无必(じょゆいむひつ)。无乎逃物(むこうとうぶつ)。至道若是(しどうじゃくぜ)。大言亦然(だいげんえきぜん)。周遍咸三者(しゅうへんかんさんしゃ)。異名同實(いめいどうじつ)。其指一也(きしいつ)。
莊子曰:「魯少儒。」
嘗相與游乎无何有之宮(しょうそうよゆうこうむかゆうのみや)。同合而論(どうごうえんろん)。无所終窮乎(むしょしゅうきゅう)。嘗相與无爲乎(しょうそうよむい)。澹而靜乎(たんえんせい)。漠而清乎(ばくえんせい)。調而閒乎(ちょうえんかん)。寥已吾志(りょういがし)。无往焉而不知其所至(むおうえんえんふちきしょし)。去而來不知其所止(きょえんらいふちきしょし)。吾已往來焉而不知其所終(がいおうらいえんえんふちきしょしゅう)。彷徨乎馮閎(ほうこうこうひょうこう)。大知入焉而不知其所窮(だいちにゅうえんえんふちきしょきゅう)。物物者與物无際(ぶつぶつしゃよぶつむさい)。而物有際者(えんぶつゆうさいしゃ)。所謂物際者也(しょいぶつさいしゃ)。不際之際(ふさいのさい)。際之不際者也(さいのふさい)。謂盈虛衰殺(いえいきょすいさつ)。彼爲盈虛非盈虛(ひいえいきょひえいきょ)。彼爲衰殺非衰殺(ひいすいさつひすいさつ)。彼爲本末非本末(ひいほんまつひほんまつ)。彼爲積散非積散也(ひいせきさんひせきさん)。
哀公曰:「舉魯國而儒服,何謂少乎?」
妸荷甘(あかかん)與神農同學於老龍吉(しんのうどうがくこうろうりゅうきち)。神農隱几闔戶晝瞑(しんのういんきこうこちゅうめい)。妸荷甘日中奓戶而入(あかかんにっちゅうしゃこえんにゅう)。曰、老龍死矣(ろうりゅうしい)。神農隱几擁杖而起(いんきようじょうえんき)。嚗然放杖而笑(はくぜんほうじょうえんしょう)。曰、天知予僻陋慢訑(てんちよへきろうまんい)。故棄予而死(こきよえんし)。已矣夫子(いいふうし)。无所發予之狂言而死矣夫(むしょはつよのきょうげんえんしいふ)。
莊子曰:「周聞之,儒者冠圜冠者,知天時;履句屨者,知地形;緩佩玦者,事至而斷。君子有其道者,未必為其服也;為其服者,未必知其道也。公固以為不然,何不號於國中曰:『無此道而為此服者,其罪死!』」
弇堈弔(えんこうちょう)聞之曰(ぶんしわく)。夫體道者(ふたいどうしゃ)。天下之君子所繫焉(てんかのくんししょけいえん)。今於道(こんこうどう)。秋豪之端萬分未得處一焉(しゅうごうのたんばんぶんみとくしょいつえん)。而猶知藏其狂言而死(えんゆうちぞうききょうげんえんし)。又況夫體道者乎(ゆうこうふたいどうしゃこう)。視之无形(しのむけい)。聽之无聲(ちょうのむせい)。於人之論者(こうじんのろんしゃ)。謂之冥冥(いのめいめい)。所以論道而非道也(しょいろんどうえんひどう)。
於是哀公號之五日,而魯國無敢儒服者,獨有一丈夫儒服而立乎公門。公即召而問以國事,千轉萬變而不窮。
於是泰清問乎无窮曰(ぜたいせいもんこうむきゅうわく)。子知道乎(しちどう)。
莊子曰:「以魯國而儒者一人耳,可謂多乎?」
无窮曰、吾不知(がふち)。
百里奚爵祿不入於心,故飯牛而牛肥,使秦穆公忘其賤,與之政也。有虞氏死生不入於心,故足以動人。
又問乎无爲(ゆうもんこうむい)。无爲曰、吾知道(がちどう)。
宋元君將畫圖,眾史皆至,受揖而立;舐筆和墨,在外者半。有一史後至者,儃儃然不趨,受揖不立,因之舍。公使人視之,則解衣般礡臝。君曰:「可矣,是真畫者也。」
曰、子之知道亦有數乎(しのちどうえきゆうすう)。
文王觀於臧,見一丈夫釣,而其釣莫釣;非持其釣有釣者也,常釣也。
曰、有。
文王欲舉而授之政,而恐大臣父兄之弗安也;欲終而釋之,而不忍百姓之無天也。於是旦而屬之大夫曰:「昔者寡人夢見良人,黑色而劔,乘駁馬而偏朱蹄,號曰:『寓而政於臧丈人,庶幾乎民有瘳乎!』」
曰、其數若何(きすうじゃくか)。
諸大夫蹴然曰:「先君王也。」
无爲曰、吾知道之可以貴(がちどうのかいき)。可以賤(かいせん)。可以約(かいやく)。可以散(かいさん)。此吾所以知形之數也(しがしょいちけいのすう)。
文王曰:「然則卜之。」
泰清以之言也問乎无始曰(たいせいいのごんえんもんこうむしわく)。若是(じゃくぜ)。則无窮之弗知與无爲之知(そくむきゅうのふつちよむいのち)。孰是而孰非乎(たくぜえんたくひこう)。
諸大夫曰:「先君之命,王其無它,又何卜焉!」
无始曰、不知深矣(ふちしんい)。知之淺矣(ちのせんい)。弗知內矣(ふつちないい)。知之外矣(ちのがいい)。
遂迎臧丈人而授之政。典法無更,偏令無出。三年,文王觀於國,則列士壞植散群,長官者不成德,斔斛不敢入於四竟。列士壞植散群,則尚同也;長官者不成德,則同務也,斔斛不敢入於四竟,則諸侯無二心也。
於是泰清中而嘆曰(ぜたいせいちゅうえんたんわく)。弗知乃知乎(ふつちなんちこう)。知乃不知乎(ちなんふちこう)。孰知不知之知(たくちふちのち)。
文王於是焉以為大師,北面而問曰:「政可以及天下乎?」臧丈人昧然而不應,泛然而辭,朝令而夜遁,終身無聞。
无始曰、道不可聞(どうふかぶん)。聞而非也(ぶんえんひ)。道不可見(どうふかけん)。見而非也(けんえんひ)。道不可言(どうふかごん)。言而非也(ごんえんひ)。知形形之不形乎(ちけいけいのふけい)。道不當名(どうふとうめい)。
顏淵問於仲尼曰:「文王其猶未邪?又何以夢為乎?」
无始曰、有問道而應之者(ゆうもんどうえんおうのしゃ)。不知道也(ふちどう)。雖問道者(すいもんどうしゃ)。亦未聞道(えきみぶんどう)。道无問(どうむもん)。問无應(もんむおう)。无問問之(むもんもんの)。是問窮也(ぜもんきゅう)。无應應之(むおうおうの)。是无內也(ぜむない)。以无內待問窮(いむないだいもんきゅう)。若是者(じゃくぜしゃ)。外不觀乎宇宙(げふかんこううちゅう)。內不知乎太初(ないふちこうたいしょ)。是以不過乎崑崙(ぜいふかこうこんろん)。不游乎太虛(ふゆうこうたいきょ)。
仲尼曰:「默,汝無言!夫文王盡之也,而又何論剌焉!彼直以循斯須也。」
光曜問乎无有曰(こうようもんこうむゆうわく)。夫子有乎(ふうしゆう)。其无有乎(きむゆう)。
列禦寇為伯昏無人射,引之盈貫,措杯水其肘上,發之,適矢復沓,方矢復寓。當是時,猶象人也。
光曜不得問(こうようふとくもん)。而孰視其狀貌(えんじゅくしきじょうぼう)。窅然空然(ようぜんくうぜん)。終日視之而不見(しゅうじつしのえんふけん)。聽之而不聞(ちょうのえんふぶん)。搏之而不得也(はくのえんふとく)。
伯昏無人曰:「是射之射,非不射之射也。嘗與汝登高山,履危石,臨百仞之淵,若能射乎?」
光曜曰、至矣(しい)。其孰能至此乎(きたくのうししこう)。予能有无矣(よのうゆうむい)。而未能无无也(えんみのうむむ)。及爲无有矣(きゅういむゆうい)。何從至此哉(かじゅうししさい)。
於是無人遂登高山,履危石,臨百仞之淵,背逡巡,足二分垂在外,揖禦寇而進之。禦寇伏地,汗流至踵。
大司馬(だいしば)捶鉤者(すいこうしゃ)。年八十矣(ねんはちじゅうい)。而不失豪芒(えんふしつごうぼう)。大司馬曰、子巧邪(しこうや)。有道邪(ゆうどうや)。
伯昏無人曰:「夫至人者,上闚青天,下潛黃泉,揮斥八極,神氣不變。今汝怵然有恂目之志,爾於中也殆矣夫!」
曰、臣有守也(しんゆうしゅ)。臣之年二十而好捶鉤(しんのねんにじゅうえんこうすいこう)。於物无視也(こうぶつむし)。非鉤无察也(ひこうむさつ)。是用之者(ぜようのしゃ)。假不用者也以長得其用(かふようしゃえいちょうとくきよう)。而況乎无不用者乎(えんこうこうむふようしゃこう)。物孰不資焉(ぶつたくふしえん)。
肩吾問於孫叔敖曰:「子三為令尹而不榮華,三去之而無憂色。吾始也疑子,今視子之鼻間栩栩然,子之用心獨柰何?」
冉求問於仲尼曰(ぜんきゅうもんこうちゅうにわく)。未有天地可知邪(みゆうてんちかちや)。
孫叔敖曰:「吾何以過人哉!吾以其來不可卻也,其去不可止也,吾以為得失之非我也,而無憂色而已矣。我何以過人哉!且不知其在彼乎?其在我乎?其在彼邪?亡乎我;在我邪?亡乎彼。方將躊躇,方將四顧,何暇至乎人貴人賤哉!」
仲尼曰、可(か)。古猶今也(こゆうこん)。
仲尼聞之曰:「古之真人,知者不得說,美人不得濫,盜人不得劫,伏戲黃帝不得友。死生亦大矣,而無變乎己,況爵祿乎!若然者,其神經乎大山而無介,入乎淵泉而不濡,處卑細而不憊,充滿天地,既以與人,己愈有。」
冉求失問而退(ぜんきゅうしつもんえんたい)。明日復見曰(みょうじつふくけんわく)。昔者吾問未有天地可知乎(せきじゃがもんみゆうてんちかち)。夫子曰(ふうしわく)。可。古猶今也。昔日吾昭然(せきじつがしょうぜん)。今日吾昧然(こんじつがまいぜん)。敢問何謂也(かんもんかいい)。
楚王與凡君坐,少焉,楚王左右曰凡亡者三。凡君曰:「凡之亡也,不足以喪吾存。夫『凡之亡不足以喪吾存』,則楚之存不足以存存。由是觀之,則凡未始亡而楚未始存也。」
仲尼曰、昔之昭然也(せきのしょうぜん)。神者先受之(しんしゃせんじゅし)。今之昧然也(こんのまいぜん)。且又爲不神者求邪(しょゆういふしんしゃきゅうや)。无古无今(むこむこん)。无始无終(むしむしゅう)。未有子孫而有子孫可乎(みゆうしそんえんゆうしそんか)。
