Libo

蹇卦

明 · 释智旭 · 第10巻 / 18

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

(艮下 坎上)蹇:利西南,不利東北,利見大人,貞吉。大凡乖異不合,則所行必多阻難,然正當阻難時,豈無拯難良策哉。往西南,則說也,順也,明也,拯難之要道也;往東北,則止也,險也,益其蹇而已矣。惟大人能濟蹇,惟正道能出蹇。蹇故可以動心忍性增益其所不能而吉。

(下卦艮・上卦坎)蹇卦の卦辭は言う。西南に往けば利あり、東北に往けば利ならず。德位あるの大人を見に往くに宜しく、正を守れば則ち吉。——智旭は解說す。大凡人事の乖違不合なれば、行動起來すれば必定として阻難重々なり。然るに正に阻難の時に當りて、豈に卽ち難を救ふの良策無からんや。西南に走り往けば、あの邊は兌の和悦・坤の柔順・離の光明にして、正に難を救ふの要道なり。東北に走り往けば、あの邊は艮の止・坎の險にして、只だ跛蹇の處境を更に重く加ふるのみ。只だ德位あるの大人のみ能く蹇難を救濟し、只だ正道を走って始めて能く蹇難を走出す。亦正に身に蹇難に處するに因って、始めて以て心志を震動し・性情を堅忍して、自己の原來做し得ざりしを一并に增長起來する可し。ゆえに是れ吉なり。

彖曰:蹇,難也,險在前也。見險而能止,知矣哉。蹇利西南,往得中也;不利東北,其道窮也。利見大人,往有功也;當位貞吉,以正邦也。蹇之時用大矣哉。愚者汨於情慾之私,雖有不測之險臨其前,盲無見也,況能止哉。能止,不惟不陷於險,從此必求出險之良策矣,安得非智。本以東北之坎艮,往就西南之離兌與坤,故剛柔相濟而得其中;若守此東北,則終於險,終於止而已矣。

《彖傳》は言う。蹇は卽ち難にして、險陷は前面に橫はる。險陷を看見して能く脚步を停住するは、これ是れ智慧あるなり。蹇卦は西南に往けば利あるは、前往すれば以て中道を得る可きを以てなり。東北に往けば利ならざるは、あの條の路は盡頭に走り到るを以てなり。大人を見に往くに宜しきは、前往すれば能く功業を建立するを以てなり。各爻は位に當りて正を守りて吉なるは、以て邦國を端正するに用ゐるなり。蹇の此の一時勢の功用は、眞に大なり。——智旭は解說す。愚昧の人は情欲私心の裏に沉溺して、卽使測り透す能わざるの危險の眼前に臨到する有るとも、亦瞎子のごとくして看見せず。況んや彼をして停住せしめんを叫ばんや。能く停住すれば、不但險の裏に陷り入らざるのみならず、此より還た一定として險を脱するの良策を尋求しに往かん。これ怎んぞ智慧と算せざらんや。本來是れ東北の坎・艮の地より、西南の離・兌と坤との地に走向す。ゆえに剛と柔と互相調劑して中道を得着す。若し死守して東北に動かざれば、則ち終身險の裏に困り・終身原地に停るのみ。

惟九五陽剛中正,當大人之位,以拯邦國之蹇,故往見之者,必有拯蹇之功。然爻中獨上六明利見大人,餘不言者,見大人亦待其時。時止則止,時行則行,蹇之時用,即全體大易之時用也,六十四卦皆爾,每於人所忽者一提醒之云爾。

《彖傳》の「利見大人」を説くは、本卦は只だ九五の陽剛にして又中に居り正を得、正に大人の位に當りて、能く邦國の蹇難を救濟するを以てなり。ゆえに前に往きて彼を見るの人は一定として濟蹇の功を收受する能くす。不過六爻の中に只だ上六は明説して「利見大人」とし、其の餘の各爻は皆提せず。これは大人を見るも亦當に合適の時機を等到るを要するを以てなり。時機は止すべければ則ち止み、時機は行ずべければ則ち行ず——蹇卦の講ずる所の「時」の功用は、其實卽ち整部の《易》の講ずる所の「時」の功用にして、六十四卦は一も例外無し。聖人は只だ每每に人們の忽略し易きの地方に於いて一句を點醒するのみ。

象曰:山上有水,蹇。君子以反身修德。山本毓泉,宜涵而不宜泛。今水流於上,使人不能厝足,此乃山有缺陷,非水之過也。君子知一切險難境界,惟吾心自造自現,故不敢怨天尤人,但反身以修其德。如治山者,培其缺陷,則水歸澗壑,而不復橫流矣。

《大象傳》は言う。山上に水ある是れ蹇卦なり。君子は此に取法して、反って來りて自己の身上に工夫を下し・德行を修養す。——智旭は解說す。山は本是泉水を孕育するの地方にして、泉水は當に山の中に含蓄して、漫溢出來すべからず。今は水流は山上に在りて、人をして落脚する處無からしむ。これ是れ其實山本身に缺陷有るにして、竝びに水の過錯に非ず。君子は明白に一切の險難の境界は皆只だ自己の此の一念の心の造る所・現ずる所なるを知り、ゆえに敢えて老天を埋怨せず・旁人を責怪せず、只だ回りて來りて自己の德行を修養す。山を治するの人が山上の缺陷を培補起來せば、水は自然に山澗溝壑に歸入して再び到處に橫流せざるに似たり。

初六:往蹇來譽。象曰:往蹇來譽,宜待也。蹇以見險能止為知,故諸爻皆誡其往而許其來,來即反身修德之謂也。初六見險即止,知機而不犯難,其反身修德功夫最早,故可得譽。夫豈逡巡畏縮也哉,理宜修德以待時耳。

初六の爻辭は言う。前往すれば蹇難に遇はん、回り來れば則ち美譽を得ん。《小象傳》は言う。往きて難に遇ひ・來りて譽を得るは、當に時機を等待すべきを説くなり。——智旭は解說す。蹇卦は「險を見て能く止まる」を以て智慧と爲す。ゆえに六爻は皆往かざるを告誡して而も其の回り來るを肯定す。此處に説く所の「來」は、卽ち《大象傳》の説く所の反身修德なり。初六は一たび險陷を見れば立刻に停住して、能く幾微を察知して難を冒さず。それが反身修德の工夫を下ること最早し。ゆえに能く美譽を得。これ豈に首を畏れ尾を畏れ・逡巡退縮せんや。道理の上は本來當に先に德行を修養して以て時機を等待すべきのみ。

六二:王臣蹇蹇,匪躬之故。象曰:王臣蹇蹇,終無尤也。陰柔中正,反躬無怍,而上應九五陽剛中正之君,方居險地,安得不蹇其蹇以相從事。然諸爻皆以能止為知,而此獨不然者,正所謂事君能致其身,公爾忘私,故雖似冒險,終無尤也。易讀曰:匪躬正本反身來。平日能反身以體蹇,才能臨時匪躬以濟蹇。

六二の爻辭は言う。王の臣子は國難の爲に艱險に奔走す。是れ自己の一身の緣故の爲に非ず。《小象傳》は言う。王臣の難を冒して奔走すは、終竟過失無し。——智旭は解說す。六二は陰柔を以て下卦の中位に居りて、又位に當りて正を得て、反躬自省して毫も愧怍無し。それは上面に九五の此の位の陽剛中正の君主と相應して、然るに君主は正に坎險の地に陷在せり。それ怎んぞ能く蹇難を冒して君の爲に憂を分かたずんばや。六爻は本來皆「能く止まる」を以て智慧と爲す。唯獨此の一爻は然らず。正に《論語》の説く所の「君に事ふるに能く其の身を致す」にして、一心に公の爲にして私身を忘掉す。ゆえに冒險に似たると雖も、終竟責怪すべきの地方無し。《易讀》の一書は言う。「匪躬」は正に「反身」の上より來るなり。平日に能く反身修德して・蹇難を體察せば、事に臨みて始めて能く身を舍て私を忘れて蹇難を救濟しに往く。

九三:往蹇來反。象曰:往蹇來反,內喜之也。九三為艮之主,剛而得正,見險能止者也。既知往則必蹇,故來而反身修德,則內二爻無不喜之。六四:往蹇來連。象曰:往蹇來連,當位實也。已入坎體,其蹇甚矣。然設能來而反身修德,則猶可連於艮之三爻而獲止也。陰本不實,故來連於當位而實之九三也。

九三の爻辭は言う。前往すれば蹇難に遇はん、回り來れば則ち本位に返歸せん。《小象傳》は言う。往きて難に遇ひ・來りて返歸すは、內卦の兩爻皆それを歡喜するを以てなり。——智旭は解說す。九三是れ下卦艮の主爻にして、剛健にして又正を得。正に險を見て能く止まるの人なり。それは旣に前往すれば必ず蹇難に陷るを知れば、卽ち回りて來りて反身修德す。于是內卦の初六・六二の兩爻はそれを歡喜せざる無し。六四の爻辭は言う。前往すれば蹇難に遇はん、回り來れば則ち連屬する所有らん。《小象傳》は言う。往きて難に遇ひ・來りて連屬すは、それ位に當りて能く充實の陽爻に靠着するを以てなり。——六四は已に上卦坎體に進入して、蹇難更に重し。但だ假如も能く回りて來りて反身修德せば、還た以て下卦艮の三爻に連屬して止息を得る可し。陰爻の本性は虛にして實ならず。ゆえに回り來りて旣に位に當り又充實の九三に連屬す。

九五:大蹇朋來。象曰:大蹇朋來,以中節也。居坎之中,蹇之大者也。剛健中正,六二應之,故得朋來共濟大蹇。然非朋之能來助我,實由我之中道足為拯蹇節則,故上下諸爻皆取節則於我耳。釋迦出五濁世,得無上菩提,為一切眾生說難信法,其真能為甚難希有之事者乎。

九五の爻辭は言う。大蹇難の中に處して、同道の朋友は前に來りて相助す。《小象傳》は言う。大蹇にして朋來あるは、九五の中に居りて能く法度と成るを得るを以てなり。——智旭は解說す。九五は上卦坎の中位に居る。これ是れ蹇難最も重きの地方なり。但だそれは剛健中正にして、又六二はそれと相應す。ゆえに能く同道の前に來りて大難を共濟するを得。然るに竝びに朋友に本事ありて來りて我を幫すに非ず。實在是れ我の守る所の中道は以て蹇難を救濟するの準則法度を做すに足るに因りて、ゆえに上下の各爻は皆我を拿って準則と作す。——彼は隨に佛法を以て比と作す。釋迦牟尼佛は劫濁・見濁・煩惱濁・衆生濁・命濁の此の「五濁」の惡世に出現して、「無上菩提」(究竟圓滿の覺悟)を證得して、一切衆生の爲に信受し難きの法門を宣説す。あれは始めて眞に能く極めて得難き・極めて希有の事を做すの人と做す可きならん。

上六:往蹇來碩吉,利見大人。象曰:往蹇來碩,志在內也;利見大人,以從貴也。陰柔居險極,豈可更有所往,亦惟來而反身修德則碩吉耳。碩者,實也,大也。吉之所以能實大者,以利見九五大人故也。君子求諸已,故志在內則吉;輔世長民莫如德,故利見為從貴,此指天爵為貴,非徒以人爵也。須跋陀羅最後見佛得度,其碩吉之謂乎。

上六の爻辭は言う。前往すれば蹇難に遇はん、回り來れば則ち碩大にして吉。大人を見に往くに宜し。《小象傳》は言う。往きて難に遇ひ・來りて碩大なるは、心志の內に在るを以てなり。大人を見るに宜しきは、尊貴者に隨從するを以てなり。——智旭は解說す。上六は陰柔を以て險陷の最上頭に居る。何處に還た能く再び前に往き走らんや。亦只だ回りて來りて反身修德して、始めて碩大の吉を得ん。「碩」の意思是れ充實・是れ廣大なり。此の吉の能く又實に又大なる所以は、九五の此の位の大人を見に往くに宜しきの緣故なるが爲なり。君子は凡事に自己に反求す。ゆえに心志は內に向かへば則ち吉。世道を輔助し・百姓を養育するは德行より更要緊なる無し。ゆえに「利見大人」は卽ち尊貴者に隨從すと叫ぶ——此處に説く所の尊貴是れ孟子の所謂上天の賦與するの爵位卽ち德行を指して、竝びに只だ人間の官爵に非ず。——彼は末了に佛法を以て比と作す。須跋陀羅は佛の將に入滅せんとする時に最後に佛を見て度を得。大概是れ此の種の「來碩吉」ならん。

解卦

(坎下 震上)解:利西南,無所往,其來復吉;有攸往,夙吉。世間之局,未有久蹇窒而不釋散者。方其欲解,則貴剛柔相濟,故利西南;及其既解,則大局已定,更何所往,唯來復於常道而已。設有所往,皆當審之於早,不審輒往,凶且隨之,寧得吉乎。此如良將用兵,只期歸順;良醫用藥,只期病除;觀心修證,只期復性,別無一法可取著也。

(下卦坎・上卦震)解卦の卦辭は言う。西南に往けば利あり。往かんとするの地方無ければ、原處に回れば則ち吉。若し往く所有れば、趁早に行動して始めて吉。——智旭は解說す。世間の局面は、長久に蹇塞して然るに松开解散せざる無し。正に解開せんと要するの時に當りて、最も剛柔の互相調劑を貴ぶ。ゆえに「利西南」と言う。已に解開するを等って、大局旣に定まれば、還た何の往かんとするの地方かあらん。只だ不過平常の正道上に回るのみ。假使眞に往く所有るとも、皆當に趁早に時機を審察すべし。審察せずして貿然として前往せば、凶險は跟って卽ち來らん。何處に還た能く吉を得んや。——彼は隨に三事を以て比と作す。これは良將の兵を用ふるに只だ對方の歸順を求め・良醫の藥を用ふるに只だ病症の去掉せんを求め・修行の人の「觀心」(自己の當下の一念心に返照す)の修證も亦只だ本有の心性の回復を求むるに似たり。此外は竝びに執取貪著すべきの一法無し。

彖曰:解,險以動,動而免乎險,解。解利西南,往得眾也;其來復吉,乃得中也;有攸往夙吉,往有功也。天地解而雷雨作,雷雨作而百果草木皆甲拆。解之時大矣哉。險在前則宜止,險在下,則可動以免之,此皆時節因緣之道,不可得而強也。西南為坤,故往則得眾;來復東北,不過於柔,故乃得其中;早鑑事機,故往可有功。如天地之雷雨作,亦因夙得其時,故百果草木皆甲拆耳。

《彖傳》は言う。解卦是れ身に險境に處して能く行動して、一動すれば卽ち險境を脱離す。これ卽ち解なり。解卦は西南に往けば利あるは、前往すれば衆を得るを説くなり。原處に回れば則ち吉は、かくして始めて中道に合するを説くなり。往く所有りて趁早なれば則ち吉は、前往すれば能く功を建つるを説くなり。天地の氣は一たび舒解すれば、雷雨は卽ち發作す。雷雨は一たび發作すれば、各種の果樹草木の種子は皆外殼を脹破して・芽を抽きて出づ。解の此の一時勢は、眞に大なり。——智旭は解說す。險陷は前面に橫はれば卽ち當に停住すべし(あれ是れ蹇卦)。險陷は自己の脚下に在れば、卽ち以て行動して而も它を擺脱する可し(これ是れ解卦)。皆是れ時節因緣の決定する所にして、勉强は來らず。西南は坤に屬し、坤は衆と爲す。ゆえに前往すれば能く衆を得。回りて來りて東北に向かへば、卽ち至らずして柔弱に偏す。ゆえに始めて中道に合す。能く及早に事情の機兆を看淸すれば、ゆえに前往すれば以て功ある可し。天地間に雷雨發作するに似たり。亦因って早くあの節令に趕上したるを以て、ゆえに百果草木は始めて一齊に殼を脹し芽を抽く。

觀心釋者:兼修禪定,為利西南;萬行顯發,為往得眾;不舍正觀,名為來復;證於法身,為乃得中。有攸往而利生,必須夙能鑑機則吉;說法不虛,為往有功;性修融合,為天地解。悲體戒雷震,澍甘露法雨,則世出世果,三草二木,各得以時生長熟脫,非佛菩薩何能用此解之時哉。

以下智旭は改めて「觀心」(自己の當下の一念心に回觀す)の角度より會通す。兼帶して禪定を修習するは、卽ち「利西南」なり。布施持戒等の萬種行門は一齊に顯發するは、卽ち「往得衆」なり。始終實相を直照するの「正觀」を舍棄せざるは、卽ち「來復」と叫ぶ。「法身」を證得するは(諸佛は眞如實相を以て體と爲すの法性の身)、卽ち「乃得中」なり。往く所有りて而も衆生を利益せんと要すれば、必ず早早に能く衆生の根機を鑒察して始めて吉。法を説く句句は實處に落りて然るに落空せざるは、卽ち「往有功」なり。本具の心性と後天の修行と融成一片するは、卽ち「天地解」なり。大悲を以て體と爲すの戒德は雷のごとく震動して、普く甘露のごときの法雨を降す。于是世間の人天果報と出世間の三乘聖果とは、小草・中草・大草と小樹・大樹との此の「三草二木」に譬えば、各おのが時節に按って生長し・成熟し・解脫す——佛と菩薩に非ざれば、誰か能くかくのごとく「解」の時機を善用せんや。

象曰:雷雨作,解。君子以赦過宥罪。誤犯之過,則直赦之,令其自新;輕重諸罪,亦寬宥之,令得末減。佛法釋者:即作法、取相、無生三種懺法,令人決疑出罪。又觀心釋者,即是端坐念實相,銷滅眾罪也。

《大象傳》は言う。雷雨發作する是れ解卦なり。君子は此に取法して、過失を赦免し・罪罰を寬減す。——智旭は解說す。心無くして誤犯するの過失は、卽ち乾脆として赦免して、彼をして自ら改過更新せしむ。輕重同じからざるの各種の罪も、皆從寬に處置して、處罰をして最輕に減到せしむ。——接いで佛法を以て會通す。これ正に「作法懺」(戒律儀式に依って僧衆に向かって發露懺悔す)・「取相懺」(禮拜觀想して瑞相を見るに至るまで)・「無生懺」(罪性の本空・無生無滅を觀ず)の此の三種の懺法に相當して、能く人をして疑悔を斷除し・罪垢を出離せしむ。若し再び觀心の上より説かば、卽ち《普賢觀經》の講ずる所の端身正坐して・實相を觀念せば、一切罪業は自然に消滅す。

初六:無咎。象曰:剛柔之際,義無咎也。解則陰陽和矣,而以六居初,上應九四,適當其際,故義無咎。九二:田獲三狐,得黃矢,貞吉。象曰:九二貞吉,得中道也。以剛中而上應六五,本自無可狐疑。六三不中不正,意欲乘我,象如三狐,我田獵而獲除之,得與六五柔中相合,此正而吉者也。黃為中色,失喻直道,得其中直之道,故除疑而應乎貞矣。

初六の爻辭は只だ言う。過錯無し。《小象傳》は言う。剛柔交接の際に處して、理に按りて過錯無し。——智旭は解說す。局面旣に已に解開せば、陰陽は卽ち調和せり。初六は陰爻を以て初位に居り、上は九四の陽爻と相應して、恰好として剛柔交接の地方に當る。ゆえに理に按りて過錯無し。九二の爻辭は言う。田獵に三隻の狐狸を捕獲して、黃色の箭を得たり。正を守れば則ち吉。《小象傳》は言う。九二の正を守りて吉を得るは、中道を得着したるを以てなり。——九二は陽剛にして中に居り、上は六五と相應して、本來何の猜疑すべきも有らず。只だ六三は旣に中に居らず亦位に當らずして、一心に我の頭上を凌駕せんと想ふ。あの形象は卽ち狐狸に似たり。ゆえに我は當に田獵のごとくして它を捕獲除去して、始めて能く六五の柔順守中と相合す。これ卽ち正を守りて而も吉を得るなり。黃是れ五色の中に於いて中に居るの顏色にして、箭は筆直の道を比喻す。又中に又直なるの道理を得着せば、ゆえに能く疑忌を除去して正に合す。

六三:負且乘,致寇至,貞吝。象曰:負且乘,亦可醜也;自我致戎,又誰咎也。陰柔不中不正,自無應與,上思負四,下欲乘二,不知其非道也。是故二以為狐而田之,四以為拇而解之,五以為小人而退之,上以為隼而射之,不亦至可羞乎。

六三の爻辭は言う。東西を背負ひて卻って又車上に坐す。强盜を招來せり。卽ち正を守るも亦羞吝を免れ難し。《小象傳》は言う。東西を背負ひて又車に坐すは、實在は看るに堪へ難し。是れ自己に兵戎を招來して、還た誰を怪まんや。——智旭は解說す。六三は陰柔を以て旣に中に居らず亦位に當らず、本身に相應するの爻無くして、上に向かって九四に攀附せんと想ひ、下に向かって又九二を凌駕せんと想ふ。然るに此れ正道に非ざるを知らず。ゆえに九二はそれを拿って狐狸と當てて獵取し、九四はそれを拿って脚趾のごとくして甩脱し、六五はそれを拿って小人のごとくして斥退し、上六はそれを拿って鷂鷹のごとくして射下す——これ豈に羞恥の極點に到るに非ずや。

九四:解而拇,朋至斯孚。象曰:解而拇,未當位也。三在四下,欲負於四,故四以三為拇。四未當位,不如九二剛中,故二自能田獲三狐以從五;四必待二之至,始信拇之宜解也。二與四皆陽類,故名為朋。

九四の爻辭は言う。爾の大脚趾を解脱掉せば、同道來到して始めて信實あらん。《小象傳》は言う。大脚趾を解脱せんと要するは、九四の居する所の位置不當なるを以てなり。——智旭は解說す。六三は九四の下面に在りて、九四に攀附し九四を背靠せんと想ふ。ゆえに九四は六三を看做自己の身上に黏着するの大脚趾と做す。九四は陽爻を以て陰位に居りて位に當らずして、九二の陽剛得中に及ばず。ゆえに九二は自己卽ち能く田獵捕狐のごとくして六三を除去して而も六五を追隨しに往く。九四は卻って九二の來到を待つに非ざれば、始めて此の「脚趾」は確實に甩掉すべきを相信す。九二と九四とは同じく陽爻の一類に屬す。ゆえに「朋」と稱す。

六五:君子維有解,吉,有孚于小人。象曰:君子有解,小人退也。五與二為正應,而三且思乘二,則五不能無疑於二矣。賴九二之君子,剛而得中,決能解去六三,上從於我而吉。但觀六三之退,則信九二之有解矣。

六五の爻辭は言う。君子若し能く解除する所有れば、卽ち吉。これは小人の身上に於いて驗證を得る可し。《小象傳》は言う。君子の解除する所有るは、小人は自然に退去す。——智旭は解說す。六五は九二と本是れ一對の正應なり。然るに六三は又一心に九二を凌駕せんと想ふ。六五は九二に對して能く疑を起さざるを得ず。幸ひに九二是れ位の君子にして、陽剛にして中に居り、一定として能く六三の此の牽累を解除して、上に向かって六五を追隨せん。ゆえに吉。六五は只だ六三の退去したるを看れば、卽ち以て九二の確實に已に牽累を解開したるを相信する可し。

上六:公用射隼于高墉之上,獲之,無不利。象曰:公用射隼,以解悖也。隼高飛而善摯,以喻負且乘之六三也。當解之時,人人樂為君子,獨六三悖理飛摯。二雖田之,四雖解之,以皆各有正應,不同上六之在局外;又陽與陰情必相得,故或以為狐,或以為拇;不如上六之絕無情繫,直以為隼。且居卦終,則公侯之位也;柔而得正,則藏器於身,待時而動者也,故獲之而無不利。

上六の爻辭は言う。王公は高牆の上に於いて鷂鷹を射て、射中せり。利あらざる所無し。《小象傳》は言う。王公の鷂鷹を射るは、以て悖亂を解除せんが爲なり。——智旭は解說す。鷂鷹は飛ぶこと高くして又搏擊に善し。以てあの「東西を背負ひて又車に坐す」の六三を比喻す。正に難を解くの時に當りて、人人は皆君子を做るを樂意とす。唯獨六三は常理に違背して凌空して搏擊す。九二はそれを拿って狐狸と當てて獵取すと雖も、九四はそれを拿って脚趾と當てて甩脱すと雖も、但だ此の兩爻は各おのが正應ありて、上六の完全に局外に站立するに似ず。況んや陽と陰と情態の上に於いて必然として多少相牽あれば、ゆえに九二は只だそれを看て狐狸と做し・九四は只だそれを看て脚趾と做す。皆上六の毫も情感牽掛無くして、徑直にそれを看て射るべきの鷂鷹と做すに如かず。加ふるに上六は一卦の終位に居りて、正に公侯の地位なり。陰爻を以て陰位に居りて正を得て、正に《繫辭傳》の説く所の才器を身上に藏して・時機を等待して而も後動するの人なり。ゆえに一射すれば卽ち中てり。利あらざる所無し。

觀心釋六爻者:六三即所治之惑,餘五爻皆能治之法也。初以有慧之定,上應九四有定之慧,惑不能累,故無咎。九二以中道慧,上應六五中道之定,而六三以世間小定小慧,乘其未證,竊思亂之,故必獵退狐疑,乃得中直正道。六三依於世禪,資於世智,起慢起見,妄擬佛祖,故為正道之所對治。九四有定之慧固能治惑,以被六三見慢所負,且未達中道,故必待九二中道之慧,始能解此體內之惑。六五以中道定,下應九二中道之慧,慧能斷惑,則定乃契理矣。上六以出世正定,對治世禪世智邪慢邪見,故無不利。

以下智旭は專ら觀心の角度より逐爻に會通す。六三卽ち對治せんと要する所の迷惑にして、其の餘の五爻皆是れ能く對治するの法門なり。初六是れ智慧を帶びたるの禪定にして、上は九四のあの禪定を帶びたるの智慧と相應す。迷惑は便ちそれを牽累する能わず。ゆえに「無咎」。九二是れ中道の智慧にして、上は六五の中道の禪定と相應す。然るに六三は只だ世間の小定小慧にして、人の未だ證悟せざるに趁って、暗に來りて攪亂せんと想ふ。ゆえに必ず打獵のごとくして此の「狐疑」を趕走して、始めて又中に又直なるの正道を得着す。六三は世間禪定に依傍し・世間聰明を憑藉して、因って我慢を生起し・邪見を生起して、胡亂に佛祖を比擬す。ゆえに正道の對治せんと要する對象と成れり。九四のあの定を帶びたるの智慧は本來能く迷惑を對治す。只だ六三の邪見我慢に攀附せられしに因りて、加ふるに自己は還た未だ中道に通達せざれば、ゆえに九二の中道の慧の來到を待つに非ざれば、始めて能く此の自身內部に生長せる迷惑を解開す。六五是れ中道の禪定にして、下は九二の中道の智慧に應ず。智慧は能く迷惑を斷じ、禪定は始めて理に契合す。上六是れ出世間の正定にして、正好として世間禪定・世間小智の生ずる所の邪慢邪見を對治す。ゆえに「无不利」。

損卦

(兌下 艮上)損:有孚,元吉,無咎,可貞,利有攸往。曷之用?二簋可用享。難既解矣,相安於無事,必將剝民以奉君,此世道之損也;惑既治矣,從此增道損生,此觀心言損也。且以世道言之:凡為上者,必其勞而不怨、欲而不貪,真足以取信於民,則雖損之而元吉無咎;凡為下者,必以可貞之事益上,勿貢諛,勿獻異,勿開勞民傷財種種弊端,則利有攸往。

(下卦兌・上卦艮)損卦の卦辭は言う。心中に誠信あれば、大吉・過錯無く・以て正を守る可く・往く所有るに宜し。何を用いて祭享せんや。兩簋の薄物を以て卽ち祭享する可し。——智旭は先に世法と佛法との兩層に分かちて講ず。蹇難旣に已に解開し、上下相安無事なれば、卽ち必然として百姓を削減して以て君上を奉養せん。これ是れ世道上より説くの「損」なり。迷惑旣に已に對治せられ、此より道業は日に增して生死の因は日に減ず。これ是れ「觀心」の上より説くの「損」なり。先に世道に就いて言わば。凡そ上位に在るの人は、必ず自己は操勞して然るに抱怨せず・欲求する所有りて然るに貪得せずして、眞に能く百姓の信を取るに到らば、則ち卽使百姓を削減して以て上に奉ぐとも、亦是れ大吉にして過錯無し。凡そ下位に在るの人は、必ず以て正を守る可きの事を拿って君上を利益して、諂諛を進獻せず・奇技異物を進獻せず・民を勞し財を傷ふるの種種の弊端を開かずして、始めて「利有攸往」なり。

蓋下事上,猶人事天地鬼神祖宗也,享以其誠,不以其物,雖二簋便可用享,豈以多物為敬哉。觀心者,信佛界即九界,故元吉無咎;知九界即佛界,故不動九界而利往佛界,不壞二諦而享於中道也。

下位に在る者の上位に在る者に侍奉するは、人の天地鬼神祖先を祭祀するに譬ゆるを以てなり。憑る所是れあの份の誠意にして、献ずる所の物品に非ず。卽使只だ兩簋の薄物を用ふるも亦以て祭享するに足れり。何處に供物の多きを以て恭敬と爲さんや。——以下改めて觀心より會通す。觀心を修するの人は、深く「佛界」(佛の境界)は當下に卽ち「九界」(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・聲聞・緣覺・菩薩の此の九種の境界)なるを信ず。ゆえに是れ大吉にして過錯無し。又九界は當下に卽ち佛界なるを了知す。ゆえに必ずしも九界の現實身心を舍離せずして、卽ち佛界に趣向するに利ありて、「二諦」(世俗諦と眞諦)を破壞せずして中道實相に祭享す。

彖曰:損,損下益上,其道上行。損而有孚,元吉,無咎,可貞,利有攸往。曷之用?二簋可用享。二簋應有時,損剛益柔有時,損益盈虛,與時偕行。下濟為益,上行為損,此聖賢觀於天下萬世不易之道而立此名也。上必有孚,乃可損下而元吉無咎;下必可貞,乃利有攸往以益上。雖二簋亦可用享,蓋不過各論其時,但貴與時偕行而已。

《彖傳》は言う。損卦是れ下に在るを減損して以て上に在るを增益す。其の道是れ上に向かって行ず。「孚」有りて損すれば則ち大吉・過錯無く・以て正を守る可く・前往すに宜し。何を用いて祭享せんや。兩簋の薄物を以て卽ち可なり。不過兩簋を用ふるも亦時候を看るを要し、剛爻を減損して柔爻を增益するに去るも亦時候を看るを要す。總之減損と增益・盈滿と虛虧とは、皆當に時勢に隨って一同に推移すべし。——智旭は解說す。下に向かって施與するを「益」と叫び、上に向かって輸送するを「損」と叫ぶ。これ是れ聖賢の天下萬世不變の道理を觀察して始めて立下せし名目なり。上位に在るは必ず心に誠信を懷いて、始めて以て下面を減損して然るに仍お大吉無過なる可し。下位に在るは必ず以て正を守る可きの事を進獻して、始めて前往して君上を增益するを談ずるに足る。卽使只だ兩簋の薄物を用ふるも亦以て祭享する可し——これ不過各おのが當時の情形に就いて論ずるのみ。貴ぶべきは只だ能く時勢に隨って推移するに在り。

象曰:山下有澤,損。君子以懲忿窒欲。山下有澤,則山必日損。君子以為吾心之當損者莫若忿欲,故懲忿則如摧山,窒慾則如填壑,俾復於平地而後已也。初九:已事遄往,無咎,酌損之。象曰:已事遄往,尚合志也。初與四為正應,宜損我以益四者也。四方陰柔有疾,故宜已我之事,而速往益之,則得無咎。然以剛益柔,但使斟酌得中可耳,勿令過也。以剛正而應柔正,故往則合志。

《大象傳》は言う。山の下面に澤ある是れ損卦なり。君子は此に取法して、忿怒を懲戒し・嗜欲を堵塞す。——智旭は解說す。山下に澤水の浸蝕あれば、山は必定として一天一天損蝕せらる。君子は此に由りて想到す。我が心の中の最も減損すべきは忿怒と嗜欲より若くは無し。ゆえに忿怒を懲戒するは高聳の山頭を摧平するに似たり。嗜欲を堵塞するは深陷の溝壑を塡滿するに似たり。一定として心地をして重新に一片の平坦に回復せしめて始めて罷まん。初九の爻辭は言う。自己の手頭の事を停下して趕快に前往せば、過錯無し。但だ當に斟酌して自己を減損すべし。《小象傳》は言う。自己の事を停下して趕快に前往すは、上下の心志相合するを以てなり。——智旭は解說す。初九は六四と一對の正應なり。本來當に自己を減損して六四を增益すべし。六四は正に陰柔の質を以て而も病痛あり。ゆえに初九は當に自己の事を放下して、趕快に前に往きてそれを幫助して、始めて過錯無し。不過陽剛を以て陰柔を補益するは、只だ斟酌當を得・恰好の處に到れば卽ち行くべくして、補すること頭を過ぐるを可とせず。初九は陽剛にして正を得て六四の陰柔得正に應ず。ゆえに前往すれば卽ち對方と心志相合す。

九二:利貞,征凶,弗損益之。象曰:九二利貞,中以為志也。九二剛中而不過剛,六五柔中而不過柔,各守其貞可矣,又何須更往益之,以成過猶不及之凶哉。弗損而益,其益乃大,故五有或益以十朋之龜者。

九二の爻辭は言う。正を守るに宜しく、前往すれば則ち凶。自己を減損しに往かざれば、反って是れ對方を增益せり。《小象傳》は言う。九二の正を守るに宜しきは、中を守るを以て心志と爲すなり。——智旭は解說す。九二は陽剛にして中に居りて、竝びに剛に過ぎず。六五は陰柔にして中に居りて、亦柔に過ぎず。兩邊は各おのが正を守れば卽ち足れり。何を必ずしも再び前に往きて增益して、反って「過猶不及」の凶險を弄成せんや。自己を損しに往かずして然るに對方は自然に益を得。かくのごときの增益は始めて大なり——ゆえに六五の爻辭は始めて「或は十朋の龜を以て之を益す」有りて、別人の價値十朋の大寶龜を拿って來りてそれを增益するを説くなり。

六三:三人行則損一人,一人行則得其友。象曰:一人行,三則疑也。六三與下二爻,皆損下以益上者也。初二仍陽,三獨變而為陰,三人行損一人矣。今以一陰上行而益上九,在我固為國爾亡家,而上九陽剛,反能以弗損之益益我,不亦得其友乎。所以凡事宜專一也。

六三の爻辭は言う。三箇の人は同行すれば卽ち一箇の人を減ずるを要し、一箇の人は獨行すれば反って伴侶を得。《小象傳》は言う。一箇の人は獨行して始めて行く可し。三箇の人は同行すれば卽ち疑を生ぜんと要す。——智旭は解說す。六三は下面の初九・九二の兩爻と、同じく是れ自己を減損して上位を增益するなり。初九・九二は仍お陽爻にして、唯獨第三爻は陰爻と變成せり。これ正に「三人行一人を減ず」なり。今六三は一箇の陰爻を以て上行して上九を增益しに往く。六三の此の一邊に於いては固より是れ國の爲に家を忘るるなり。然るに上九は陽剛にして、反って能く「自己を損せずして然るに對方自ら益す」の方式を用いて六三を增益す。これ豈に正に「其の友を得」に非ずや。見る可し凡事は專一を貴ぶを。

六四:損其疾,使遄有喜,無咎。象曰:損其疾,亦可喜也。陰柔不中,疾也。初九已遄來益我,我但資初九以自損其疾,則初有喜而我無咎矣。遄指初九。六五:或益之十朋之龜,弗克違,元吉。象曰:六五元吉,自上祐也。柔中虛己以應九二,九二守貞,弗以有形之物益之,故能使天下歸心,罔不來益以重寶也。蓋人君能虛心用賢,則合於上天,而自上祐之矣。

六四の爻辭は言う。自己の病痛を減損して、人をして趕快に來りて幫助せしめば卽ち喜慶あり。過錯無し。《小象傳》は言う。其の病痛を減損するは、亦是れ喜ぶ可きなり。——智旭は解說す。六四は陰柔を以て中に居らず。これ本身卽ち病痛なり。初九は已に趕快に前に來りて我を增益せり。我は只だ初九を借助して自己の病痛を減損せば、初九は卽ち喜ありて、我も亦卽ち過錯無し。爻辭の裏の「遄」(趕快)の指す所は正に初九なり。六五の爻辭は言う。人あるいは價値十朋の大寶龜を拿って來りて彼を增益す。推辭して掉れず。大吉。《小象傳》は言う。六五の大吉は、上天より來るの保祐なり。——六五は陰柔を以て中に居りて能く虛心に人を待ち、下に向かって九二と相應す。九二は正道を守着して、有形の財物を拿ってそれを增益するをせず、反って能く天下の人心をして歸附せしむ。人人は皆貴重の寶物を拿って前に來りて我を增益す。君主を做るの能く虛心に賢才を任用すれば、卽ち上天の道に合して、自然に上天の保祐を得るを以てなり。

上九:弗損益之,無咎,貞吉,利有攸往,得臣無家。象曰:弗損益之,大得志也。上九受六三之益極矣,苟不有以報之,三雖無怨,人必不服,安能無咎,安能貞吉,安能利有攸往。然欲益三,正不必損我也。蓋三之為臣,固所謂國爾亡家者,但深鑑其一人獨行之誠,則大得其志,而三以為得友矣,是謂弗損益之。

上九の爻辭は言う。自己を減損せずして而も對方を增益せり。過錯無く・正を守れば則ち吉・前往すに宜し。一箇の公の爲に家を忘るるの臣子を得たり。《小象傳》は言う。自己を減損せずして能く對方を增益するは、大大に心志を實現したるなり。——智旭は解說す。上九は六三の增益を受くること已に頂點に到れり。假如も何の回報も無からば、六三は埋怨せずと雖も、旁人は一定として服せず。あれ怎んぞ過錯無く・正を守りて吉を得・前往すに宜しきを談ずるに足らんや。然るに六三を增益せんと要するは、其實自己を減損するを用ゐず。六三の此の臣子は、本是れ國の爲に家を忘るるの人なり。上九は只だ深くそれが一人獨行して前に來るの一片の誠心を體察すれば、それの心志は卽ち大大に滿足せられて、六三も亦卽ち自ら以て「其の友を得」と爲さん——これを「弗損益之」と叫ぶ。

益卦

(震下 巽上)益:利有攸往,利涉大川。損而有孚,則與時偕行,可以致益,此世間盈虛消息之理也;增道損生,則日進於自利利他之域,此觀心成益也。攸往以處常,涉川以處變,苟得其益之道,則無不利矣。

(下卦震・上卦巽)益卦の卦辭は言う。往く所有るに宜しく、大河を渡るに宜し。——智旭は解說す。減損して心に誠信を存せば、便ち能く時勢に推移して、因って增益を招來す。これ是れ世間の盈滿・虛虧・消退・生長の常理なり。至って道業は日に增して生死の因は日に減じ、因って一天一天自利にして又利他なるの境地に進入するは、これ是れ觀心の上より成就する所の增益なり。「有攸往」是れ常態に處するに就いて説き、「涉大川」是れ變局に處するに就いて説く。只だ增益の道を掌握せば、常態變局を論ぜずして皆往いて利ならざる無し。

彖曰:益,損上益下,民說無疆;自上下下,其道大光。利有攸往,中正有慶;利涉大川,木道乃行。益動而巽,日進無疆;天施地生,其益無方。凡益之道,與時偕行。中正,指九五六二言之。震巽皆屬木,故其道可涉川。天施,故坤得其初爻而為震;地生,故乾得其初爻而為巽。然不止於震巽而已,舉凡坎離艮兌等,無非天施地生之益,故其益無方,而與時偕行也。益即全體乾坤,全體太極,全體易道,其餘六十三卦無不皆然,聖人姑舉一隅,令人自得之耳。

《彖傳》は言う。益卦是れ上面を減損して以て下面を增益す。百姓は喜悦して邊際無し。高位に居るの人は肯んじて身を屈して下面に來れば、此の條の道は卽ち大いに光明を放つ。前往すに宜しきは、九五・六二の中正相應して而も喜慶あるを以てなり。大河を渡るに宜しきは、木船の道の通行するを得るを以てなり。增益の卦は下は震を動と爲し・上は巽を順と爲す。ゆえに一天一天進步して止境無し。上天は施與し・大地は生長して、其の增益は到らざるの處無し。凡そ是れ增益の道は、皆當に時勢と一同に推移すべし。——智旭は解說す。「中正」の二字是れ九五と六二とに就いて説くなり。震と巽とは五行に於いて皆木に屬す。ゆえに此の條の道は以て河を渡る可し。「天施」は、乾の自己の初爻を坤に施與して而も震と成れるなり。「地生」は、坤の自己の初爻を乾に給ふて而も巽と成れるなり。然るに止まらずして震・巽のみかくのごとし。擧凡坎・離・艮・兌等の卦は、一として天施地生の增益に非ざる無し。ゆえに其の增益は指す可きの方所無くして、而も時勢と一同に推移すと言う。益卦は卽ち整箇の乾坤・整箇の太極・整箇の易道なり。其の餘の六十三卦も亦此のごとくならざる無し。聖人は不過一角を擧出して、人をして自ら領會せしむるのみ。

佛法釋者:損佛界之上,以益九界之下,損己利人,故民說無疆;本高跡下,故自上下下,而其道大光。天行、聖行,名為中正;梵行起於嬰病二行,名為木道乃行。放光現瑞以動之,四辯說法以巽之。開圓解以顯性德,名為天施;立圓行以成修德,名為地生。種而熟,熟而脫,番番四悉,名為與時偕行。

以下智旭は改めて佛法を以て會通す。佛界のあの至高の一頭を減損して、九界の此の至下の一頭を增益するに往く。亦卽ち己を損して人を利するなり。ゆえに「民説无疆」と言う。佛の本地は至高にして垂下するの行迹は極卑なり。ゆえに「自上より下下して、其の道大いに光なり」と言う。《涅槃經》の説く所の五行の中、「天行」(第一義天の理に順って行ず)と「聖行」(戒定慧に依って修するの聖者の行)とは「中正」と叫ばれ、「梵行」(慈悲淸淨の心を以て他を利す)は「嬰兒行」(人天の小善に同じを示現す)と「病行」(煩惱病苦有るに同じを示現す)との二行より生起す。「木道乃行」と叫ぶ。佛の光を放ちて瑞相を現出して以て衆生を震動するは、卽ち震卦の「動」なり。法・義・辭・樂説の四種無礙辯才を以て法を説きて以て衆生をして順入せしむるは、卽ち巽卦の「巽」なり。圓頓の正解を開示して以て本具の「性德」を顯發するを、「天施」と叫ぶ。圓頓の修行を建立して以て後天の「修德」を成就するを、「地生」と叫ぶ。衆生の根機は下種よりして成熟し、成熟よりして解脫す。一番一番に「四悉檀」(世界・爲人・對治・第一義の四種の衆生を化導するの方式)を施す。これを「時と偕に行ず」と叫ぶ。

象曰:風雷益。君子以見善則遷,有過則改。風以鼓之,遷善之速也;雷以動之,改過之勇也。陸庸成曰:風之入也最微,故片善不遺,纖過必剔;雷之發也最迅,故遷無留留念,改無停機。初九:利用為大作,元吉無咎。象曰:元吉元咎,下不厚事也。居益之初,受上益最厚者也。以下位受此厚益,可安然無所事乎。然剛正而為震主,必能大作以致元吉,則無咎矣。蘇眉山曰:益之初九,損之上九,皆正受益者也。彼自損而專益我,將以厚責我也,我必有以塞之。故損上九利有攸往,益初九利用大作。然上之有為也其勢易,有功則其利倍,有罪則其責薄;下之有為也其勢難,有功則利歸於上,有罪則先受其責。故元吉而後無咎,以所居者非厚事之地也。

《大象傳》は言う。風と雷と相益する是れ益卦なり。君子は此に取法して、善を見れば卽ち趕緊に靠攏して過ぎ、過失有れば卽ち趕緊に改掉す。——智旭は解說す。風は來りて鼓蕩するは、善に遷るの快を象徵す。雷は來りて震動するは、過を改むるの勇を象徵す。彼は又陸庸成の言を引く。風は滲入すること最も細微なり。ゆえに再び小さきの善も亦遺漏せず、再び細かきの過も亦必定として剔除す。雷は發作すること最も迅疾なり。ゆえに善に遷るの時に半點の滞留の念頭無く、過を改むるの時に一刻の停頓の間隙無し。(按:此の句の底本「遷無留」の下に一「留」字を衍す。今は照録す。)初九の爻辭は言う。大いに作爲あるに宜しく、大吉して始めて過錯無し。《小象傳》は言う。大吉にして過錯無きは、下位に居るの人は本來厚重の事を擔當すべからざるを以てなり。(按:《小象》此處の底本は「元吉元咎」と作す。第二箇の「元」は當に是れ「无」の形訛ならん。今は原字を照録す。)——智旭は解說す。初九は益卦の開頭に處して、是れ上面の增益を承受すること最も厚きの一爻なり。在下の位を以てかくのごときの厚きの增益を承受して、還た能く安安穩穩に什麼の事も做さざらんや。好在それは陽剛にして正を得て又是れ下卦震の主爻にして、必定として能く大いに作爲して以て大吉を招致せん。これ始めて過錯無し。彼は又蘇軾(眉山)の言を引く。益卦の初九と損卦の上九とは、皆是れ正に益を受くるの一方に當る。對方は自己を減損して專意に我を增益すれば、將來は當に重重に我に責成せんと要す。我は必ず成績を拿出して以て此の份の人情を塡補せんと要す。ゆえに損卦の上九は「利有攸往」と説き、益卦の初九は「利用爲大作」と説く。不過上位に在るの人は事を做すの勢頭順にして、功あれば則ち利益加倍し、罪あれば則ち責備較輕し。下位に在るの人は事を做すの勢頭難にして、功ある時は功勞は上面に歸し、罪ある時は自己は先に責備を受く。ゆえに必ず先に大吉を得て、然る後に始めて過錯無きを談ずるに足る——只だ其の處する所は竝びに以て厚重の事を擔當すべきの地位に非ざるを以てなり。

六二:或益之十朋之龜,弗克違,永貞吉。王用享于帝吉。象曰:或益之,自外來也。陰柔中正,以受九五陽剛中正之益,惠我以心,而不惠我以物,故能使天下歸心,罔不來益我以重寶也。為臣則永貞吉,不可因天祐人助而異其心;為王則用享于帝吉,自新新民而其命維新。象曰自外來者,明其非心所期,以本無計功謀利之私故也。

六二の爻辭は言う。人あるいは價値十朋の大寶龜を拿って來りて彼を增益す。推辭して掉れず。長久に正を守れば則ち吉。君王はそれを用いて上帝を祭享するも亦吉。《小象傳》は言う。人の來りて彼を增益する有るは、外面より來るを以てなり。——智旭は解說す。六二は陰柔を以て中に居り正を得て、九五の陽剛中正の增益を承受す。九五は心意を以て惠を施して、是れ財物を以て惠を施すに非ず。ゆえに能く天下の人心をして歸附せしめて、人人皆貴重の寶物を拿って前に來りて我を增益す。臣子に就いて言えば、當に長久に正を守って始めて吉にして、天祐人助を得たるに因って本心を改るべからず。君王に就いて言えば、此の份の所得を用いて上帝を祭享すれば則ち吉にして、自己は日新にして又新たにして而且百姓をして日新ならしめば、于是天命も亦之に隨って更新す。《小象傳》の「自外來」を説くは、此の份の增益は竝びに自己の心裏の指望する所に非ざるを點明するにして、本來卽ち功勞を計較し・利益を圖謀するの私心無きを以てなり。

六三:益之用凶事,無咎,有孚中行,告公用圭。象曰:益用凶事,固有之也。不中不正,居下之上,而受上九之擊,其擊我也,正所以益我也。知凶事之真能益我,則無咎矣。位雖不中,而有孚則為中行,可以告公用圭。公指上九,圭以通信,信通則圭仍還公,不取公之物益我,但取公之擊以益我耳。恆人每以凶事為非益,故聖人特明凶事之益固有之。能信凶之為益,則不凶矣。

六三の爻辭は言う。凶險艱難の事を拿って來りて彼を增益す。過錯無し。心に誠信を存して而も中道を行じ、王公に稟告するの時に手に圭玉を執て以て信と爲す。《小象傳》は言う。凶事を用いて增益するは、これ本來是れ有るの事なり。——智旭は解說す。六三は旣に中に居らず亦位に當らずして、然るに下卦の最上頭に居る。因って上九の打擊を挨ねたり。但だ上九の我を打擊するは、恰恰として正に是れ我を增益するなり。凶險艱難の事は眞に能く自己を增益するを明白せば、亦卽ち過錯無し。其の爻位は中に居らずと雖も、但だ只だ心に誠信を存せば、行事は卽ち中道に合乎して、因って以て圭を執りて往きて王公に稟告する可し。此處の「公」は上九を指し、圭玉是れ用いて信實を通達するなり。信實は一通ぜば、圭玉は仍舊として王公に歸還す——見る可し我は竝びに王公の財物を拿って來りて自己を增益するに非ずして、只だ王公の此の一擊を拿って來りて自己を增益するのみ。常人は總て以て凶事は增益に非ずと爲す。ゆえに聖人は特意に點明す。凶事の中の含む所の增益は本來卽ち有るなり。眞に能く凶事は正に是れ增益なるを相信せば、あれは亦卽ち凶ならず。

六四:中行,告公從,利用為依遷國。象曰:告公從,以益志也。六四與上二爻,皆損上以益下者也。五上仍陽,四獨變而為陰,是直以身殉民,豈非遷國之象,豈非中行之道乎。初爻既受我益,剛而得正,有大公之心,方將利用大作以報我,我即以之為依可矣。由其志在益民,故民皆以公心從之。

六四の爻辭は言う。中道を行じて、王公に稟告して然るに聽從を得。他人に依託して以て國都を遷移するに宜し。《小象傳》は言う。王公に稟告して而も聽從を得るは、心志は下民を增益するに在るを以てなり。——智旭は解說す。六四は上面の九五・上九の兩爻と、同じく是れ上位を減損して以て下位を增益するなり。九五・上九は仍お陽爻にして、唯獨第四爻は陰爻と變成せり。これは自身を舍出去りて以て百姓の爲に效命するに等し——これ豈に正に都を遷すの形象に非ずや。豈に正に中道を行ずるの做法に非ずや。初九は旣に我の增益を受け、又陽剛得正にして心に大公を存し、正に大いに作爲して以て我に報答せんと欲す。我は卽ちそれを當てて依靠と做せば好し。正に六四の心志は百姓を增益するに在るを以て、ゆえに百姓は皆公心を以てそれに隨從す。

九五:有孚惠心,勿問元吉,有孚惠我德。象曰:有孚惠心,勿問之矣;惠我德,大得志也。陽剛中正,應於六二,真實以益下為心者也。惠之以心,則惠而不費,天下咸被其澤,其元吉何必問哉。故能感六二永貞之吉,大得其志,而還報我以好德也。

九五の爻辭は言う。心に誠信を懷きて而も心意を以て惠を施す。問はずとも亦是れ大吉。下面も亦誠信を以て我が德澤に回報す。《小象傳》は言う。心に誠信を懷きて而も心意を以て惠を施すは、再び問ふを必とせず。下面の我が德澤に回報するは、大大に心志を實現したるなり。——智旭は解說す。九五は陽剛にして中に居り正を得て、六二と相應す。是れ眞心實意に下民を增益するを以て本心と做すの人なり。心意を以て惠を施しに往くは、卽ち《論語》の説く所の「惠而不費」なり。天下は皆其の恩澤を蒙受す。かくのごときの大吉は還た何を問はんや。ゆえに能く六二を感動してあの「永貞の吉」を得しめて、九五の心志は大大に滿足せられ、六二も亦回りて來りて美好の德行を以てそれに報答す。

上九:莫益之,或擊之,立心勿恆,凶。象曰:莫益之,偏辭也;或擊之,自外來也。上九本宜損已以益六三者也,因六三不中不正,故不與其益而反擊之。三固得其凶事鉗錘之益,然在上九,豈可恆以此立心哉。以此立心,則舉凡在下者,皆亦莫益於我,而或擊於我矣,故誡以立心勿恆,恆則必凶。上九不中不正,不仁而在高位元,但思益我,不料擊我。思益而不得益,故曰偏辭;不料擊而得擊,故曰自外來也。

上九の爻辭は言う。彼を增益しに來るの人無く、倒れて彼を打擊しに來るの人あり。存心は能く老しくかくのごとくする能わず。凶。《小象傳》は言う。彼を增益するの人無きは、これ是れ一邊に偏したるの話なり。彼を打擊するの人あるは、外面より來るを以てなり。——智旭は解說す。上九は本來當に自己を減損して六三を增益すべし。只だ六三は旣に中に居らず亦位に當らざるに因って、ゆえに不但それに增益を給ふことなく、反ってそれを打擊す。六三は固より此の場の凶事の鉗鎚鍛煉の中より益を得たり。然るに上九の此の一邊に於いては、豈に以て老しく此の種の存心を抱く可けんや。此の種の存心を抱かば、則ち凡そ下位に在るの人も亦皆來りて我を增益せずして、反って來りて我を打擊せんと要す。ゆえに爻辭は告誡して「立心勿恒」と曰く——老しくかくのごとく存心すれば必定として凶を招く。上九は旣に中に居らず亦位に當らず。正に孟子の説く所の不仁にして高位に居るなり(底本「高位」の下に一「元」字を多くす。當に是れ「无」の形訛にして、文義に於いて取る無し。今は照録す)。それは一心に只だ別人の來りて我を增益せんを想着して、沒料到反って打擊を被れり。增益を指望するに然るに增益を得ず。ゆえに《小象傳》はこれ是れ「偏辭」なりと言う。沒料到打を挨けるに然るに打を挨けたり。ゆえに「自外來也」と言う。

周易禪解卷第六 下經之二

周易禪解卷第五。周易禪解卷第六,北天目道人蕅益智旭著。下經之二。

《周易禪解》卷第五は此に到りて結束す。以下是れ《周易禪解》卷第六にして、仍お北天目山道人蕅益智旭の撰著に由る。本卷の解する所是れ「下經之二」にして、卽ち《周易》下經の第二段、夬卦より講起す。

夬卦

(乾下 兌上)夬:揚于王庭,孚號有厲,告自邑,不利即戎,利有攸往。約世道,則民說無疆,坐享豐樂,而所行必決;約佛法,則損己利他,化功歸己,決當進斷餘惑,證極果也。夫世間豈容有陽而無陰、有男而無女、有君子而無小人。然陰居陽上,女占男先,小人據於君子之上,則必將共決去之,必將至王庭以揚之,必將相約相信而聲明其罪以號之,凡此皆有厲之道也。吾謂宜反身修德而告自邑,不宜以力爭而即戎,但使以德往化,則無不利矣。佛法釋者:體惑法界,即惑成智,名告自邑;敵對相除,名為即戎。

(下卦乾・上卦兌)夬卦の卦辭は言う。王庭の上に於いて公らかに其の罪を宣揚して、誠心に呼號して然るに危厲あるを知れり。先に自己の城邑より告誡して起きて、兵戎を動用するに宜しからず。往く所有るに宜し。——智旭は先に兩層に分かちて解說す。世道に就いて言わば、上一卦の益卦の「民説无疆」に承接して來りて、百姓は安く豐足の樂を享けて、事を做起來すれば卽ち必ず決斷せんと要す。佛法に就いて言わば、前面に己を損して他を利し・教化の功は還て自身に歸せり。接下來は自然に當に進みて殘餘の迷惑を斷除し・究竟の極果を證得すべし。世間は何處に只だ陽有りて而も陰無く・只だ男有りて而も女無く・只だ君子有りて而も小人無きを容下得んや。然るに當に陰爻の陽爻の上頭に壓え・女子の男子の前面に搶え・小人の君子の上に盤踞するに當りては、則ち必ず力を合力して彼を決去せんと要し、必ず王庭上に到りて公らかに宣揚せんと要し、必ず彼此約定し・彼此取信して而も其の罪を聲明して呼號せんと要す——凡そ此の種種は、皆是れ危險を含むの路數なり。我は以て當に反身修德して、自己の城邑より先に告誡して起くべし。力量を憑って相爭して而も刀兵を動かすべからず。只だ德行を以て前に往きて感化すれば、卽ち往いて利ならざる無し。——彼は接いで佛法を以て會通す。煩惱迷惑の當體は卽ち「法界」(諸法實相)なるを體認して、迷惑本身に就着いて智慧と轉成す。これを「告自邑」(自家の心地の上に於いて手を下す)と叫ぶ。煩惱を當てて敵人と做して正面に剿除せば、則ちこれを「卽戎」(刀兵を動かす)と叫ぶ。

彖曰:夬,決也,剛決柔也。健而說,決而和。揚于王庭,柔乘五剛也。孚號有厲,其危乃光也。告自邑,不利即戎,所尚乃窮也。利有攸往,剛長乃終也。健而說,決而和,正明應以德化,不應以力爭也。知危則光,尚力則窮。利有攸往,則以德化小人,小人皆為君子,而剛長乃終也。

《彖傳》は言う。夬は卽ち決斷にして、是れ陽剛の陰柔を決去するなり。下卦は乾健にして上卦は兌悦にして、決斷の中に和順を帶ぶ。王庭の上に於いて公らかに宣揚するは、一箇の柔爻の五箇の剛爻の上に凌駕するを以てなり。誠心に呼號して而も危厲を知るは、惟れ其の危險を自知すれば、道は始めて光大なり。先に自己の城邑より告誡して起きて・兵を動かすに宜しからざるは、一味に武力を崇尚すれば卽ち盡頭に走り到らんと要するを以てなり。往く所有るに宜しきは、陽剛は終點に生長到るを以てなり。——智旭は解說す。「健而説・決而和」の此の兩句は、正に當に德行を用いて感化すべく・武力を用いて相爭すべからざるを説明す。危險を自知すれば、德は卽ち光大なり。一味に力を尚べば、路は卽ち走り絕えん。所謂「利有攸往」は、卽ち德行を用いて小人を感化しに往きて、小人は個個として君子と變成して、陽剛も亦卽ち一直に終點に生長到れり。

象曰:澤上於天,夬。君子以施祿及下,居德則忌。祿宜施,德宜居;祿不施則恩枯,德不居則本喪。又以此施祿,則及下而可以化人;以此居德,則自滿而為人所忌。初九:壯于前趾,往不勝為咎。象曰:不勝而往,咎也。重剛不中,不宜進,而壯於進步,徒自折耳,何能勝哉。九二:惕號,莫夜有戎,勿恤。象曰:有戎勿恤,得中道也。剛而得中,知懼知警,居德既周,則有戎可無患矣。

《大象傳》は言う。澤水は天上に升る是れ夬卦なり。君子は此に取法して、俸祿を把って下面に施與して、而も德を自身に蓄積するは則ち忌憚する所有らんと要す。——智旭は解說す。俸祿は當に散出去すべく、德行は當に蓄積起來すべし。俸祿は散せざれば、恩澤は卽ち枯竭す。德行は蓄へざれば、根本は卽ち喪失す。反って來りて言わば、此の一份の心を用いて俸祿を施與しに往けば、卽ち能く下面に惠及して而も人を感化す。若し此の一份の心を用いて其の德に自居せば、則ち自滿と成りて、反って人の忌恨を招く。初九の爻辭は言う。脚趾頭は强を逞しして前に衝らんと要す。前往して而も能く取勝せざれば卽ち過錯と成れり。《小象傳》は言う。能く取勝せざるを明知して還た前往するは、則ち是れ過錯なり。——智旭は解說す。初九は陽爻にして陽位に居りて而も重剛にして、又中に居らず。本來前進すべからざるに、卻って歩を邁むの上に於いて强を逞しす。只だ白白に自己を折斷するのみ。何處に還た能く取勝せんや。九二の爻辭は言う。警惕して呼號す。傍晚に兵戎の事あり。憂慮するを必とせず。《小象傳》は言う。兵戎ありて而も憂慮するを必とせざるは、中道を得着したるを以てなり。——九二は陽剛にして下卦の中位に居りて、旣に戒懼を知り又警覺を知り、平日に德を蓄ふること已に周備せり。則ち縱然兵戎の變あるとも亦以て患無からん。(爻辭の「莫夜」は卽ち「暮夜」にして、傍晚を指す。)

九三:壯于頄,有凶。君子夬夬,獨行遇雨,若濡有慍,無咎。象曰:君子夬夬,終無咎也。過剛不中,怒且悻悻然現於其面,太剛必折,有凶道也。君子於此,何不自夬其夬,舍上下四陽,而獨行其與上六應之正理,則以德相化,陰陽相和,庶遇雨而若濡。雖彼群陽不知我心、不諒我跡,或有慍者,然化小人之道必應如此,終無咎也。言夬夬者,群陽以決去小人為夬,今吾以決不同彼群陽為夬夬也。

九三の爻辭は言う。强を逞しすること顴骨の上に到るまで皆露出せり。凶あり。君子は決して又決して、獨自前行して雨に遇ふ。被淋濕せられて而も人の慍怒を招くに似たれど、然るに過錯無し。《小象傳》は言う。君子の決して又決するは、終竟過錯無し。——智旭は解說す。九三は過ぎたる剛强にして中に居らず、怒氣忿忿として全く顏上に寫せり。太だ剛なれば必ず折る。これ是れ凶を招くの路子なり。君子は此の位置に處して、何不ぞ自己のあの股の「小人を決去する」の勁頭を先に一層決掉せざるや。上下の四箇の陽爻の成見を撇開して、獨自往きて自己と上六との本有正應の道理を實行して、德行を用いて感化して、陰陽をして彼此調和せしめば、則ち差不多として以て「雨に遇ひて濡るるがごとし」と成る可し。あの一群の陽爻は我が心を了解せず・我が行迹を體諒せずして、或は還た我に對して發怒すと雖も、然るに小人を感化するの辦法は本來當にかくのごとくすべくして、終竟過錯無し。所謂「夬夬」は、群陽の小人を決去するを以て「夬」と做すを説く。今は我は則ち「決然としてあの群陽の做法と同じからず」を以て又一重の「夬」と做す。

九四:臀無膚,其行次且,牽羊悔亡,聞言不信。象曰:其行次且,位不當也;聞言不信,聰不明也。九四以下爻為臀,下爻純剛無柔,如有骨無膚。臀既無膚,行必次且不前。若讓彼羊在前,而隨其後,則羊仍屬我所牽,便可悔亡。但以剛不中正,聞此善言,決不相信也。羊指上六,為兌之主,四宜牽之,不宜決之,亦不宜與之爭前後也。

九四の爻辭は言う。臀部に皮肉無くして、走り起來れば趑趄として行き難し。羊を牽いて後面に走れば、悔恨は卽ち消失す。可惜として此の話を聽き了せども肯んじて相信せず。《小象傳》は言う。走ること趑趄たるは、處する所の位置不當なるを以てなり。話を聽き了せども相信せざるは、耳目の聰明ならざるを以てなり。——智旭は解說す。九四は下面の幾箇の爻を當てて臀部と做す。下面は全是剛爻にして而も柔爻無し。只だ骨頭有りて而も皮肉無きに似たり。臀部旣に皮肉無ければ、走り起來れば必定として趑趄不前す。倘若もあの隻の羊をして前面に走らしめて、自己は後面に跟へば、あの羊は仍舊是れ我の牽く所なり。悔恨は卽ち以て消失する可し。只だ九四は陽剛にして中ならず正ならずして、かくのごときの善言を聽き了せば、決計として肯んじて相信せず。此處の「羊」は上六を指して、它是れ上卦兌の主爻なり。九四はそれに對して當に牽引すべく、決去すべからず、亦それと誰が前誰が後かを爭ふべからず。

九五:莧陸夬夬,中行無咎。象曰:中行無咎,中未光也。上六柔脆如莧,而在五剛之上,如莧在陸,人人得踐踏之。嗟嗟,彼獨非坤德乎,彼獨非太極全體所成、還具太極全體者乎。是宜夬彼群陽所夬而護養之,乃為中行之道,可無咎耳。然在夬時,終不免以君子小人二其心,未肯忘於大同,故曰中未光也。聖人於復,則諄諄以保護微陽;於夬則諄諄以保護殘陰。陰陽豈可偏廢哉。上六:無號,終有凶。象曰:無號之凶,終不可長也。下之五爻,聖人所以勸誡群陽者至矣。以六居上,雖得其正,而陰柔才弱,不能惕號以自周備,故終不可長,不若反乎下以為姤耳。

九五の爻辭は言う。馬齒莧のあのごときの柔脆の東西も、亦當に決して又決すべし。中道を行ぜば卽ち過錯無し。《小象傳》は言う。中道を行じて而も過錯無きは、守る所の中道の還た未だ光盛大ならざるを以てなり。——智旭は解說す。上六は柔脆にして馬齒莧に似て、然るに五箇の剛爻の上に壓在す。馬齒莧の路面の上に生長して、人人は皆以てそれに一脚を踩む可きに似たり。可嘆なり。それ豈に亦是れ坤の柔順の德に非ずや。それ豈に亦是れ太極全體の生成する所にして、并且本身は還た完整に太極全體を具足するに非ずや。ゆえに九五の做すべき所は、あの群の陽爻の「それを決去せんと要す」の念頭を先に決掉して、轉じて來りてそれを保護養育するなり——これ始めて是れ中道を行ずるの做法にして、始めて以て過錯無からん。然るに身に夬卦の時に在れば、終竟不免として君子と小人とを兩截に分作して看待して、還た肯んじて彼此を忘懷して大同に歸せず。ゆえに《小象傳》は「中未光也」と言う。聖人は復卦の裏に於いて諄諄として囑咐してあの一線の初生の微陽を保護せんと要し、夬卦の裏に於いて又諄諄として囑咐して此の一點の殘存の孤陰を保護せんと要す——陰と陽とは何處に以て一邊を偏廢する可けんや。上六の爻辭は言う。呼號するを必とせず。終竟凶あり。《小象傳》は言う。呼號するに由無きの凶險は、それ終竟能く長久せざるを以てなり。——智旭は解說す。下面の五爻の中、聖人のあの一群の陽爻を勸誡するの話は已に説くこと很だ盡せり。上六は陰爻を以て上位に居る。當位得正と説くと雖も、然るに陰柔にして才力薄弱にして、能く九二のごとく警惕呼號して・自己を防護周全する能わず。ゆえに終竟能く長久せず。倒れて反轉過來りて下面に落去れば、則ち接著するの姤卦と成れり。

The original text is in the public domain. The Japanese is a machine-assisted translation of this library’s own Chinese paraphrase, checked against a fixed glossary so that technical terms match the definitions used elsewhere on this site. It is a reading aid and does not replace the original.

Hexagrams in this volume