Libo

五燈会元 巻第一

宋 · 普济 · 第11巻 / 144

一日在法堂後坐禪。馬祖見。乃吹師耳。兩吹師起。見是祖。卻復入定。祖歸方丈。令侍者持一椀茶與師。師不顧。便自歸堂。

一天法堂の後に禪に坐す。馬祖は見て、乃ち老師の耳を吹くこと兩吹す。老師は起きて、是れ祖を見て、却って復た定に入る。祖は方丈に歸りて、侍者をして一碗の茶を持せて老師に與えしむ。老師は顧みず、便ち自ら堂に歸る。

澧州茗谿道行禪師

澧州茗溪道行禪師

甞曰。吾有大病。非世所醫(後僧問曹山。古人曰。吾有大病。非世所醫。未審是甚麼病。山曰。攢簇不得底病。曰。一切眾生還有此病也無。山曰。人人盡有。曰。和尚還有此病也無。山曰。正覔起處不得。曰。一切眾生為甚麼不病。山曰。一切眾生若病。即非眾生。曰。未審諸佛還有此病也無。山曰。有。曰。既有。為甚麼不病。山曰。為伊惺惺)。僧問。如何脩行。師曰。好箇阿師。莫客作。曰。畢竟如何。師曰。安置即不堪。問。如何是正修行路。師曰。涅槃後有。曰。如何是涅槃後有。師曰。不洗面。曰。學人不會。師曰。無面得洗。

嘗て說いた、「吾に大病有りて、世の醫する所に非ず。」(後に僧は曹山に問うた、「古人は說く、『吾に大病有りて、世の醫する所に非ず。』未だ審かならず是れ什麼の病ぞ。」山は說いた、「攢簇するを得ざる底の病。」說いた、「一切衆生は還って此の病有るや無きや。」山は說いた、「人人は盡く有。」說いた、「和尚は還って此の病有るや無きや。」山は說いた、「起處を正しく覓めて得ず。」說いた、「一切衆生は什麼の爲に病せざる。」山は說いた、「一切衆生は若し病せば、即ち衆生に非ず。」說いた、「未だ審かならず諸佛は還って此の病有るや無きや。」山は說いた、「有。」說いた、「既有れば、什麼の爲に病せざる。」山は說いた、「伊が惺惺なるを爲る。」)僧は問うた、「如何にしてか修行す。」老師は說いた、「好き箇の阿師、客作する莫れ。」說いた、「畢竟は如何。」老師は說いた、「安置すれば即ち堪えず。」問うた、「如何なるか是れ正修行の路。」老師は說いた、「涅槃の後に有。」說いた、「如何なるか是れ涅槃の後の有。」老師は說いた、「面を洗わず。」說いた、「學人は會せず。」老師は說いた、「面無きが洗を得る。」

撫州石鞏慧藏禪師

撫州石鞏慧藏禪師

本以弋獵為務。惡見沙門。因逐鹿從馬祖庵前過。祖乃逆之。師遂問。還見鹿過否。祖曰。汝是何人。曰。獵者。祖曰。汝解射否。曰。解射。祖曰。汝一箭射幾箇。曰。一箭射一箇。祖曰。汝不解射。曰。和尚解射否。祖曰。解射。曰。一箭射幾箇。祖曰。一箭射一群。曰。彼此生命。何用射他一群。祖曰。汝既知如是。何不自射。曰。若教某甲自射。直是無下手處。祖曰。這漢曠劫無明煩惱。今日頓息。師擲下弓箭。投祖出家。一日。在廚作務次。祖問。作甚麼。曰。牧牛。祖曰。作麼生牧。曰。一回入草去。驀鼻拽將回。祖曰。子真牧牛。師便休。師住後常以弓箭接機(載三平章)。師問西堂。汝還解捉得虗空麼。堂曰。捉得。師曰。作麼生捉。堂以手撮虗空。師曰。汝不解捉。堂卻問。師兄作麼生捉。師把西堂鼻孔拽。堂作忍痛聲曰。太煞。拽人鼻孔。直欲脫去。師曰。直須恁麼捉虗空始得。眾參次。師曰。適來底甚麼處去也。有僧曰。在。師曰。在甚麼處。僧彈指一聲。問。如何免得生死。師曰。用免作甚麼。曰。如何免得。師曰。這底不生死。

本來弋獵を務めと爲して、沙門を見るを惡む。因って鹿を逐いて馬祖の庵の前より過ぎ、祖は乃ち之を逆う。老師は遂に問うた、「還って鹿が過ぐるを見たか。」祖は說いた、「お前は是れ何人。」說いた、「獵者。」祖は說いた、「お前は射るを解すか。」說いた、「射るを解す。」祖は說いた、「お前は一箭は幾個を射る。」說いた、「一箭は一個を射る。」祖は說いた、「お前は射るを解せず。」說いた、「和尚は射るを解するか。」祖は說いた、「射るを解す。」說いた、「一箭は幾個を射る。」祖は說いた、「一箭は一群を射る。」說いた、「彼此は生命、何ぞ他の一群を射るを用いん。」祖は說いた、「お前は既に如是を知れば、何ぞ自ら射ざる。」說いた、「若し某甲をして自ら射らしめば、直に是れ手を下す處無し。」祖は說いた、「此の漢は曠劫の無明煩惱、今日は頓息す。」老師は弓箭を擲下して、祖に投じて出家す。一天、廚に在りて務を作す次、祖は問うた、「什麼を作す。」說いた、「牛を牧う。」祖は說いた、「作麼生に牧う。」說いた、「一回草に入りて去れば、鼻を驀りて拽將りて回る。」祖は說いた、「子は真に牛を牧う。」老師は便ち休む。老師は住後常に弓箭を以て機に接す(三平章に載す)。老師は西堂に問うた、「お前は還って虛空を捉得するを解するか。」堂は說いた、「捉得す。」老師は說いた、「作麼生に捉う。」堂は手を以て虛空を撮む。老師は說いた、「お前は捉るを解せず。」堂は却って問うた、「師兄は作麼生に捉う。」老師は西堂の鼻孔を把りて拽く。堂は痛みに忍ぶ聲を作して說いた、「太く人の鼻孔を拽くに、直に脱し去らんと欲す。」老師は說いた、「直に須らく恁麼に虛空を捉えて始めて得べし。」衆參の次、老師は說いた、「適來の底は什麼の處に去れり。」僧有りて說いた、「在。」老師は說いた、「什麼の處に在る。」僧は指を彈くこと一聲。問うた、「如何にしてか生死を免るを得ん。」老師は說いた、「免るを作して什麼を用いん。」說いた、「如何にしてか免るを得ん。」老師は說いた、「此の底は生死せず。」

江西北蘭讓禪師

江西北蘭讓禪師

湖塘亮長老問。承聞師兄畫得先師真。暫請瞻禮。師以兩手擘胷開示之。亮便禮拜。師曰。莫禮。莫禮。亮曰。師兄錯也。某甲不禮師兄。師曰。汝禮先師真那。亮曰。因甚麼教莫禮。師曰。何曾錯。

湖塘亮長老は問うた、「聞くに師兄は先師の真を畫き得たと承れり、暫く瞻禮を請う。」老師は兩手を以て胸を擘きて之を開示す。亮は便ち禮拜す。老師は說いた、「禮する莫れ、禮する莫れ。」亮は說いた、「師兄は錯れり。某甲は師兄を禮せず。」老師は說いた、「お前は先師の真を禮する那。」亮は說いた、「因って什麼に禮する莫れと教う。」老師は說いた、「何ぞ曾て錯らん。」

袁州南源道明禪師

袁州南源道明禪師

上堂。快馬一鞭。快人一言。有事何不出頭來。無事各自珍重。僧問。一言作麼生。師乃吐舌雲。待我有廣長舌相。即向汝道。洞山參。方上法堂。師曰。已相見了也。山便下去。明日卻上。問曰。昨日已蒙和尚慈悲。不知甚麼處是與某甲已相見處。師曰。心心無間斷。流入於性海。山曰。幾合放過。山辭。師曰。多學佛法。廣作利益。山曰。多學佛法即不問。如何是廣作利益。師曰。一物莫違。僧問。如何是佛。師曰。不可道你是也。

堂に上りて、「快馬は一鞭、快人は一言。事有れば何ぞ頭を出せざる、事無ければ各自珍重せよ。」僧は問うた、「一言は作麼生。」老師は乃ち舌を吐きて說いた、「我に廣長舌の相有るを待ちて、即ちお前に向かいて道わん。」洞山は來り參す、方に法堂に上れば、老師は說いた、「已に相見了れり。」山は便ち下去す。明日に却って上りて、問いて說いた、「昨日は已に和尚の慈悲を蒙りて、什麼の處か是れ某甲と已に相見せし處を知らず。」老師は說いた、「心心は間斷無くして、性海に流入す。」山は說いた、「幾い合して放過せん。」山は辭す。老師は說いた、「佛法を多く學び、利益を廣く作せ。」山は說いた、「佛法を多く學ぶは即ち問わず、如何なるか是れ利益を廣く作す。」老師は說いた、「一物も違う莫れ。」僧は問うた、「如何なるか是れ佛。」老師は說いた、「お前は是れ也と道う可からず。」

忻州酈村自滿禪師

忻州酈村自滿禪師

上堂。古今不異。法爾如然。更復何也。雖然如此。這箇事大有人罔措在。僧問。不落古今。請師直道。師曰。情知汝罔措。僧欲進語。師曰。將謂老僧落伊古今。曰。如何即是。師曰。魚騰碧漢。階級難飛。曰。如何免得此過。師曰。若是龍形。誰論高下。僧禮拜。師曰。苦哉。屈哉。誰人似我。上堂。除卻日明夜暗。更說甚麼即得。珍重。問。如何是無諍之句。師曰。喧天動地。

堂に上りて、「古今は異ならず、法爾として如然、更に復た何ぞ。然りと雖も如此なり、此の個の事は大いに人の罔措する有りて在り。」僧は問うた、「古今に落ちざるを、師に直に道うを請う。」老師は說いた、「情に知るお前が罔措するを。」僧は語を進めんと欲す。老師は說いた、「老僧が伊の古今に落つと將に謂わんとす。」說いた、「如何にしてか即ち是れ。」老師は說いた、「魚は碧漢に騰り、階級は飛び難し。」說いた、「如何にしてか此の過を免れん。」老師は說いた、「若し是れ龍形ならば、誰か高下を論ぜん。」僧は禮拜す。老師は說いた、「苦哉、屈哉、誰人か我に似たらん。」堂に上りて、「日明夜暗を除却して、更に什麼をか說いて即ち得。珍重。」問うた、「如何なるか是れ無諍の句。」老師は說いた、「天に喧く地に動く。」

朗州中邑洪恩禪師

朗州中邑洪恩禪師

每見僧來。拍口作和和聲。仰山謝戒。師亦拍口作和和聲。仰從西過東。師又拍口作和和聲。仰從東過西。師又拍口作和和聲。仰當中而立。然後謝戒。師曰。甚麼處得此三昧。仰曰。於曹谿印子上脫來。師曰。汝道曹谿用此三昧接甚麼人。仰曰。接一宿覺。仰曰。和尚甚處得此三昧。師曰。我於馬大師處得此三昧。仰問。如何得見佛性義。師曰。我與汝說箇譬喻。如一室有六窻。內有一獼猴。外有獼猴從東邊喚猩猩。猩猩即應。如是六窻俱喚俱應。仰山禮謝。起曰。適蒙和尚譬喻。無不了知。更有一事。祇如內獼猴睡著。外獼猴欲與相見。又且如何。師下繩床。執仰山手作舞曰。猩猩與汝相見了。譬如蟭螟蟲。在蚊子眼睫上作窠。向十字街頭呌雲。土曠人稀。相逢者少(雲居錫雲。中邑當時若不得仰山這一句語。何處有中邑也。崇壽稠雲。還有人定得此道理麼。若定不得。只是箇弄精魂腳手。佛性義在甚麼處。玄覺雲。若不是仰山。爭得見中邑。且道甚麼處是仰山得見中邑處)。

每に僧の來るを見ては、口を拍ちて和和の聲を作す。仰山は戒を謝す、老師も亦た口を拍ちて和和の聲を作す。仰は西より東を過ぎ、老師は又た口を拍ちて和和の聲を作す。仰は東より西を過ぎ、老師は又た口を拍ちて和和の聲を作す。仰は中に當りて立ちて、然して後に戒を謝す。老師は說いた、「什麼の處に此の三昧を得た。」仰は說いた、「曹溪の印子の上に於いて脱し來れり。」老師は說いた、「お前は道え曹溪は此の三昧を用いて什麼の人を接する。」仰は說いた、「一宿の覺を接す。」仰は說いた、「和尚は甚の處に此の三昧を得た。」老師は說いた、「我は馬大師の處に於いて此の三昧を得た。」仰は問うた、「如何にしてか佛性の義を見るを得ん。」老師は說いた、「我はお前に箇の譬喻を說かん。一室に六窗有りて、內に一獼猴有り、外に獼猴有りて東邊より猩猩を喚べば、猩猩は即ち應ず。如是六窗は俱に喚び俱に應ず。」仰山は禮謝して、起きて說いた、「適來和尚の譬喻を蒙りて、了知せざる無し。更に一事有り。只だ內の獼猴が睡着せば、外の獼猴は與に相見せんと欲す、又た且く如何。」老師は繩牀を下りて、仰山の手を執りて舞を作して說いた、「猩猩はお前と相見了れり。譬如ば蟭螟蟲の、蚊子の眼睫の上に窠を作して、十字の街頭に向かいて叫びて說く、土は曠く人は稀にして、相逢う者は少し。」(雲居錫は說いた、「中邑は當時若し仰山の此の一句の語を得ざりせば、何の處に中邑有らん。」崇壽稠は說いた、「還って人の此の道理を定め得る有るか。若し定め得ざれば、只是れ箇の精魂の脚手を弄す。佛性の義は什麼の處に在る。」玄覺は說いた、「若し是れ仰山ならざれば、爭いで中邑を見るを得ん。且く道え什麼の處か是れ仰山が中邑を見得せし處。」)

洪州泐潭常興禪師

洪州泐潭常興禪師

僧問。如何是曹谿門下客。師曰。南來燕。曰。學人不會。師曰。養羽候秋風。問。如何是宗乘極則事。師曰。秋雨草離披。南泉至。見師面壁。乃拊師背。師問。汝是阿誰。曰。普願。師曰。如何。曰。也尋常。師曰。汝何多事。

僧は問うた、「如何なるか是れ曹溪門下の客。」老師は說いた、「南來の燕。」說いた、「學人は會せず。」老師は說いた、「羽を養いて秋風を候す。」問うた、「如何なるか是れ宗乘の極則の事。」老師は說いた、「秋雨に草は離披す。」南泉は至りて、老師が壁に面するを見て、乃ち老師の背を拊す。老師は問うた、「お前は是れ阿誰。」說いた、「普願。」老師は說いた、「如何。」說いた、「也た尋常。」老師は說いた、「お前は何ぞ事多き。」

汾州無業禪師

汾州無業禪師

商州上洛杜氏子。母李氏聞空中言。寄居得否。乃覺有娠。誕生之夕。神光滿室。甫及丱歲。行必直視。坐即跏趺。九歲。依開元寺志本禪師受大乘經。五行俱下。諷誦無遺。十二落髮。二十受具戒於襄州幽律師。習四分律疏。才終。便能敷演。每為眾僧講涅槃大部。冬夏無廢。後聞馬大師禪門鼎盛。特往瞻禮。祖覩其狀貌奇偉。語音如鐘。乃曰。巍巍佛堂。其中無佛。師禮跪而問曰。三乘文學。粗窮其旨。常聞禪門即心是佛。實未能了。祖曰。祇未了底心即是。更無別物。師曰。如何是祖師西來密傳心印。祖曰。大德正閙在。且去。別時來。師才出。祖召曰。大德。師回首。祖曰。是甚麼。師便領悟。乃禮拜。祖曰。這鈍漢禮拜作麼(雲居錫雲。甚麼處是汾州正閙)。自得旨後。詣曹溪禮祖塔。及廬嶽天台。徧尋聖跡。後住開元精舍。學者致問。多答之曰。莫妄想。唐憲宗屢召。師皆辭疾不赴。暨穆宗即位。思一瞻禮。乃命兩街僧錄靈阜等齎詔迎請。至彼作禮曰。皇上此度恩旨。不同常時。願和尚且順天心。不可言疾也。師微笑曰。貧道何德。累煩世王。且請前行。吾從別道去矣。乃澡身剃髮。至中夜告弟子惠愔等曰。汝等見聞覺知之性。與太虗同壽。不生不滅。一切境界。本自空寂。無一法可得。迷者不了。即為境惑。一為境惑。流轉不窮。汝等當知。心性本自有之。非因造作。猶如金剛不可破壞。一切諸法。如影如響。無有實者。經云。唯此一事實。餘二則非真。常了一切空。無一物當情。是諸佛用心處。汝等勤而行之。言訖。跏趺而逝。荼毗日。祥雲五色。異香四徹。所獲舍利璨若珠玉。弟子等貯以金缾。塟於石塔。當長慶三年。諡大達國師。

商州上洛の杜氏の子。母李氏は空中に言を聞く、「寄居するを得るか。」乃ち娠する有るを覺う。誕生の夕、神光は室に滿つ。甫ねく童年に及ぶに、行は必ず直視し、坐は即ち跏趺す。九歲にして、開元寺志本禪師に依りて大乘經を受け、五行は俱に下り、諷誦は遺無し。十二にして髮を落し、二十にして襄州幽律師に於いて具戒を受く。《四分律疏》を習い、纔かに終わるに、便ち能く敷演す。每に衆僧の爲に涅槃の大部を講じて、冬夏は廢無し。後に馬大師の禪門が鼎盛なるを聞きて、特に往きて瞻禮す。祖は其の狀貌が奇偉、語音が鐘の如きを睹て、乃ち說いた、「巍巍たる佛堂、其の中に佛無し。」老師は禮跪して問いて說いた、「三乘の文學は、粗く其の旨を窮めたり。常に禪門の即心是佛を聞くも、實に未だ了する能わず。」祖は說いた、「只だ未だ了せざる底の心が即ち是れ、更に別物無し。」老師は說いた、「如何なるか是れ祖師の西來に密傳する心印。」祖は說いた、「大德は正に鬧れり在り。且く去れ、別時に來れ。」老師は纔かに出づれば、祖は召して說いた、「大德。」老師は首を回す。祖は說いた、「是れ什麼。」老師は便ち領悟して、乃ち禮拜す。祖は說いた、「此の鈍漢は禮拜して作麼。」(雲居錫は說いた、「什麼の處か是れ汾州の正鬧。」)自ら旨を得る後、曹溪に詣りて祖塔を禮し、及び廬岳・天臺に至りて、遍ねく聖跡を尋ぬ。後に開元の精舍に住す。學者は問いを致して、多く之に答えて說いた、「妄想する莫れ。」唐の憲宗は屢ば召すも、老師は皆な疾を辭して赴かず。暨ち穆宗が位に即きて、一たび瞻禮せんことを思いて、乃ち兩街僧錄靈阜等に詔を齎えて迎請せしむ。彼に至りて禮を作して說いた、「皇上の此の度の恩旨は、常時と同じからず。願わくは和尚は且く天心に順い、疾と言う可からず。」老師は微笑して說いた、「貧道は何の德ぞ、世王を累で煩わす。且く前行を請う、吾は別道より去らん。」乃ち身を澡い髮を剃りて、中夜に至りて弟子惠愔等に告げて說いた、「お前等の見聞覺知の性は、太虛と壽を同じくして、生じず滅せず。一切の境界は、本自に空寂にして、得一べき法無し。迷う者は了せず、即ち境に惑わされん。一たび境に惑わされば、流轉して窮まらず。お前等は當に知るべし、心性は本自に之有りて、造作に因らず、猶ほ金剛の壞る可からざるが如し。一切の諸法は、影の如く響の如くして、實有る者無し。經は說く、『唯だ此の一事は實、其の餘の二は則ち真に非ず。』常に了一切空、一物も情に當る無し、是れ諸佛の心を用うる處。お前等は勤しんで之を行ぜよ。」言を訖えて、跏趺して逝く。荼毗の日、祥雲は五色にして、異香は四徹す。所獲の舍利は璨として珠玉の若し。弟子等は金瓶を以て貯えて、石塔に葬す。當に長慶三年。諡して大達國師と曰う。

澧州大同廣澄禪師

澧州大同廣澄禪師

僧問。如何得六根滅去。師曰。輪劒擲空。無傷於物。問。如何是本來人。師曰。共坐不相識。曰。恁麼則學人禮謝去也。師曰。暗寫愁腸寄與誰。

僧は問うた、「如何にしてか六根を滅し去るを得ん。」老師は說いた、「劍を輪して空に擲てば、物に傷無し。」問うた、「如何なるか是れ本來の人。」老師は說いた、「共に坐するも相識らず。」說いた、「恁麼ならば則ち學人は禮謝して去る。」老師は說いた、「愁腸を暗に寫して誰に寄與せん。」

信州鵝湖大義禪師

信州鵝湖大義禪師

衢州須江徐氏子。唐憲宗嘗詔入內。於麟德殿論義。有法師問。如何是四諦。師曰。聖上一帝。三帝何在。又問。欲界無禪。禪居色界。此土憑何而立。禪師曰。法師祇知欲界無禪。不知禪界無欲。曰。如何是禪。師以手點空。法師無對。帝曰。法師講無窮經論。祇這一點。尚不柰何。師卻問諸碩德曰。行住坐臥。畢竟以何為道。有對。知者是道。師曰。不可以智知。不可以識識。安得知者是乎。有對。無分別者是。師曰。善能分別諸法相。於第一義而不動。安得無分別是乎。有對。四禪八定是。師曰。佛身無為。不墮諸數。安在四禪八定邪。眾皆杜口。師卻舉順宗問尸利禪師。大地眾生如何得見性成佛。利曰。佛性猶如水中月。可見不可取。因謂帝曰。佛性非見必見。水中月如何攫取。帝乃問。何者是佛性。師對曰。不離陛下所問。帝默契真宗。益加欽重有一僧乞置塔。李翱尚書問曰。教中不許將屍塔下過。又作麼生。僧無對。僧卻問師。師曰。他得大闡提。元和十三年歸寂。諡慧覺禪師。

衢州須江の徐氏の子。唐の憲宗は嘗て詔して內に入れて、麟德殿に於いて義を論ず。法師有りて問うた、「如何なるか是れ四諦。」老師は說いた、「聖上は一帝、三帝は何處に在る。」又た問うた、「欲界は禪無く、禪は色界に居す。此の土は何に憑りて立つ。」禪師は說いた、「法師は只だ欲界に禪無きを知りて、禪界に欲無きを知らず。」說いた、「如何なるか是れ禪。」老師は手を以て空を點ず。法師は對無し。帝は說いた、「法師は無窮の經論を講ずるに、只だ此の一點も、尚ほ奈何ともせず。」老師は却って諸の碩德に問うて說いた、「行住坐臥は、畢竟何を以てか道と爲す。」對する有りて、「知る者是れ道。」老師は說いた、「智を以て知る可からず、識を以て識る可からず、安んぞ知る者を得ん是れ乎。」對する有りて、「分別無き者是。」老師は說いた、「善く能く諸法の相を分別して、第一義に於いて動かざる、安んぞ分別無きを得ん是れ乎。」對する有りて、「四禪八定是。」老師は說いた、「佛身は無爲にして、諸數に墮せず、安んぞ四禪八定に在らん邪。」衆は皆な口を杜す。老師は却って順宗が尸利禪師に問うを擧げた、「大地の衆生は如何にしてか性を見て佛を成ずるを得ん。」利は說いた、「佛性は猶ほ水中の月の如く、見る可くして取る可からず。」因って帝に謂って說いた、「佛性は見るに非ずんば必ず見る、水中の月は如何にしてか攫取せん。」帝は乃ち問うた、「何の者か是れ佛性。」老師は對して說いた、「陛下の問われる所を離れず。」帝は默かに真宗を契し、益々欽重を加ふ。一僧有りて塔を置くを乞う。李翱尚書は問いて說いた、「教中は尸を將りて塔の下を過ぐるを許さず、又た作麼生。」僧は對無し。僧は却って老師に問う。老師は說いた、「他は大闡提を得た。」元和十三年に寂に歸す。諡して慧覺禪師と曰う。

伊闕伏牛山自在禪師

伊闕伏牛山自在禪師

吳興李氏子。初依國一禪師。受具後參馬祖發明心地。祖令送書與忠國師。國師曰。馬大師以何法示徒。曰。即心即佛。國師曰。是甚麼語話。良久又問曰。此外更有何言教。師曰。非心非佛。或曰不是心。不是佛。不是物。國師曰。猶較些子。師曰。馬大師即恁麼。未審和尚此間如何。國師曰。三點如流水。曲似刈禾鎌。師後居伏牛山。上堂曰。即心即佛。是無病求藥句。非心非佛。是藥病對治句。僧問。如何是脫灑底句。師曰。伏牛山下古今傳。示滅於隨州開元寺。

吳興の李氏の子。初め國一禪師に依る。具を受けて後に馬祖に參して心地を發明す。祖は書を忠國師に送るを令す。國師は說いた、「馬大師は何の法を以て徒に示す。」說いた、「即心即佛。」國師は說いた、「是れ什麼の語話。」良久して又た問いて說いた、「此の外は更に何の言教有る。」老師は說いた、「非心非佛。或いは曰く心に非ず、佛に非ず、物に非ず。」國師は說いた、「猶ほ些子を較ぶ。」老師は說いた、「馬大師は即ち恁麼、未だ審かならず和尚は此の間は如何。」國師は說いた、「三點は流水の如く、曲りて刈禾の鐮に似たり。」老師は後に伏牛山に居す。堂に上りて說いた、「即心即佛は、是れ病無きに藥を求むる句。非心非佛は、是れ藥と病と對治する句。」僧は問うた、「如何なるか是れ脱洒の底の句。」老師は說いた、「伏牛山の下は古今に傳わる。」隨州開元寺に於いて滅を示す。

京兆興善寺惟寬禪師

京兆興善寺惟寬禪師

衢州信安祝氏子。年十三。見殺生者。衋然不忍食。乃求出家。初習毗尼。修止觀。後參大寂。乃得心要。唐貞元六年。始行化於吳越間。八年至鄱陽。山神求受八戒。十三年。止嵩山少林寺。僧問。如何是道。師曰。大好山。曰。學人問道。師何言好山。師曰。汝秖識好山。何曾達道。問。狗子還有佛性否。師曰。有。曰。和尚還有否。師曰。我無。曰。一切眾生皆有佛性。和尚因何獨無。師曰。我非一切眾生。曰。既非眾生。莫是佛否。師曰。不是佛。曰。究竟是何物。師曰。亦不是物。曰。可見可思否。師曰。思之不及。議之不得。故曰不可思議。元和四年憲宗詔至闕下。侍郎白居易嘗問曰。既曰禪師。何以說法。師曰。無上菩提者。被於身為律。說於口為法。行於心為禪。應用者三。其致一也。譬如江湖淮漢。在處立名。名雖不一。水性無二。律即是法。法不離禪。云何於中妄起分別。曰。既無分別。何以修心。師曰。心本無損傷。云何要修理。無論垢與淨。一切勿念起。曰。垢即不可念。淨無念可乎。師曰。如人眼睛上。一物不可住。金屑雖珍寶。在眼亦為病。曰。無修無念。又何異凡夫邪。師曰。凡夫無明。二乘執著。離此二病。是曰真修。真修者不得勤。不得忘。勤即近執著。忘即落無明。此為心要雲爾。僧問。道在何處。師曰。祇在目前。曰。我何不見。師曰。汝有我故。所以不見。曰。我有我故即不見。和尚還見否。師曰。有汝有我。展轉不見。曰。無我無汝還見否。師曰。無汝無我。阿誰求見。元和十二年二月晦日。陞堂說法訖。就化。諡大徹禪師。

衢州信安の祝氏の子。年十三にして、生を殺す者を見て、衋然として食に忍びず、乃ち出家を求む。初め毘尼を習い、止觀を修す。後に大寂に參して、乃ち心要を得る。唐の貞元六年、始めて呉越の間に化を行ず。八年に鄱陽に至りて、山神は八戒を受くを求む。十三年、嵩山少林寺に止まる。僧は問うた、「如何なるか是れ道。」老師は說いた、「大好の山。」說いた、「學人は道を問う、師は何ぞ好山と言う。」老師は說いた、「お前は只だ好山を識る、何ぞ曾て道に達せん。」問うた、「狗子は還って佛性有るか。」老師は說いた、「有。」說いた、「和尚は還って有るか。」老師は說いた、「我は無。」說いた、「一切衆生は皆な佛性有る、和尚は因何に獨り無き。」老師は說いた、「我は一切衆生に非ず。」說いた、「既に衆生に非ざれば、莫し是れ佛か。」老師は說いた、「佛に非ず。」說いた、「究竟は是れ何の物。」老師は說いた、「亦た物に非ず。」說いた、「見る可く思る可きか。」老師は說いた、「之を思うに及ばず、之を議るに得ず、故に不思議と曰う。」元和四年に憲宗は闕下に詔す。侍郎白居易は嘗て問いて說いた、「既に禪師と曰う、何を以て法を說く。」老師は說いた、「無上菩提は、身に被せば律と爲り、口に說けば法と爲り、心に行えば禪と爲る。應用するは三、其の致は一也。譬如ば江・湖・淮・漢の、處に在りて名を立つるが如し。名は一ならずと雖も、水性は二無し。律は即ち是れ法、法は禪を離れず、如何にしてか中に於いて妄りに分別を起さん。」說いた、「既に分別無ければ、何を以て心を修む。」老師は說いた、「心は本來損傷無し、如何にしてか修理を要せん。垢と淨とを論すること無く、一切は念を起す勿れ。」說いた、「垢は即ち念ずべからず、淨は念ずべき無きか。」老師は說いた、「人の眼睛の上の如く、一物も住する可からず。金屑は珍寶と雖も、眼に在りて亦た病と爲る。」說いた、「修無し念無し、又た凡夫と何の異ぞ邪。」老師は說いた、「凡夫は無明、二乘は執著。此の二病を離るるは、是れ真修と曰う。真修する者は勤を得ず、忘を得ず。勤は即ち執著に近く、忘は即ち無明に落つ。此を心要と爲す云爾。」僧は問うた、「道は何の處に在る。」老師は說いた、「只だ目前に在る。」說いた、「我は何ぞ見ざる。」老師は說いた、「お前は我有るが故に、見ざる所以也。」說いた、「我が我有るが故に即ち見ざれば、和尚は還って見るか。」老師は說いた、「お前有り我有れば、展轉して見ず。」說いた、「我無しお前無きは還って見るか。」老師は說いた、「お前無し我無ければ、阿誰か見るを求めん。」元和十二年二月晦日、堂に升りて法を說き訖えて、化に就く。諡して大徹禪師と曰う。

鄂州無等禪師

鄂州無等禪師

尉氏人也。出家於龔公山。密受心要。出住隨州土門。一日謁州牧王常侍。辭退將出門。牧召曰。和尚。師回顧。牧敲柱三下。師以手作圓相。復三撥之。便行。後住武昌大寂寺。一日大眾晚參。師見人人上來師前道不審。廼謂眾曰。大眾。適來聲向甚麼處去也。有一僧竪起指頭。師曰。珍重。其僧至來朝上參。師乃轉身面壁而臥。佯作呻吟聲曰。老僧三兩日來。不多安樂。大德身邊有甚麼藥物。與老僧些。小僧以手拍淨缾曰。這箇淨缾甚麼處得來。師曰。這箇是老僧底。大德底在甚麼處。曰。亦是和尚底。亦是某甲底。

尉氏の人也。龔公山に於いて出家して、密かに心要を受く。出でて隨州土門に住す。一天州牧王常侍に謁して、辭退して將に門を出でんとす、牧は召して說いた、「和尚。」老師は回顧す。牧は柱を敲くこと三下。老師は手を以て圓相を作し、復た三たび之を撥りて、便ち行く。後に武昌大寂寺に住す。一天大衆は晩參に、老師は人人が上りて老師の前に不審を道うを見て、乃ち衆に謂って說いた、「大衆、適來の聲は什麼の處に向かいて去れり。」一僧有りて指頭を豎起す。老師は說いた、「珍重。」其の僧は來朝に至りて上參す、老師は乃ち身を轉じて壁に面して臥し、佯りて呻吟の聲を作して說いた、「老僧は三兩日より來る、多からず安樂。大德の身の邊に什麼の藥物有るか、老僧に些を與えよ。」小僧は手を以て淨瓶を拍ちて說いた、「此の個の淨瓶は什麼の處に得來れる。」老師は說いた、「此の個は是れ老僧の底。大德の底は什麼の處に在る。」說いた、「亦た是れ和尚の底、亦た是れ某甲の底。」

潭州三角山總印禪師

潭州三角山總印禪師

僧問。如何是三寶。師曰。禾.麥.豆。曰。學人不會。師曰。大眾欣然奉持。上堂。若論此事。眨上眉毛。早已蹉過也。麻谷便問。眨上眉毛即不問。如何是此事。師曰。蹉過也。谷乃掀倒禪床。師便打(長慶代雲。悄然)。

僧は問うた、「如何なるか是れ三寶。」老師は說いた、「禾、麥、豆。」說いた、「學人は會せず。」老師は說いた、「大衆は欣然として奉持す。」堂に上りて、「若し此の事を論ぜば、眉毛を眨ぐ上、早已に蹉過せり。」麻谷は便ち問うた、「眉毛を眨ぐ上は即ち問わず、如何なるか是れ此の事。」老師は說いた、「蹉過せり。」谷は乃ち禪牀を掀倒す。老師は便ち打つ。(長慶は代わって說いた、「悄然。」)

池州魯祖山寶雲禪師

池州魯祖山寶雲禪師

僧問。如何是諸佛師。師曰。頭上有寶冠者不是。曰。如何即是。師曰。頭上無寶冠。洞山來參。禮拜。起。侍立。少頃而出。卻再入來。師曰。祇恁麼。祇恁麼。所以如此。山曰。大有人不肯。師曰。作麼取汝口辯。山便禮拜。僧問。如何是不言言。師曰。汝口在甚麼處。曰。無口。師曰。將甚麼吃飯。僧無對(洞山代雲。他不飢。吃甚麼飯)。師尋常見僧來。便面壁。南泉聞曰。我尋常向師僧道。向佛未出世時會取。尚不得一箇半箇。他恁麼驢年去(玄覺雲。為復唱和語。不肯語。保福問長慶。祇如魯祖。節文在甚麼處。被南泉恁麼道。長慶雲。退己讓於人。萬中無一箇。羅山雲。陳老師當時若見背上與五火抄。何故為伊解放不解收。玄沙雲。我當時若見。也與五火抄。雲居錫雲。羅山.玄沙總恁麼道。為復一般。別有道理。若擇得出許上座佛法有去處。玄覺雲。且道玄沙五火抄。打伊著不著)。

僧は問うた、「如何なるか是れ諸佛の師。」老師は說いた、「頭の上に寶冠有る者は不是。」說いた、「如何にしてか即ち是れ。」老師は說いた、「頭の上に寶冠無し。」洞山は來り參して、禮拜し、起きて、侍立す。少頃にして出づ、却って再び入り來る。老師は說いた、「只だ恁麼、只だ恁麼、如此する所以也。」山は說いた、「大いに人の肯んぜざる有り。」老師は說いた、「作麼にしてお前の口辯を取る。」山は便ち禮拜す。僧は問うた、「如何なるか是れ不言の言。」老師は說いた、「お前の口は什麼の處に在る。」說いた、「口無し。」老師は說いた、「什麼を將りて飯を喫する。」僧は對無し。(洞山は代わって說いた、「他は飢えず、什麼の飯を喫する。」)老師は尋常僧の來るを見ては、便ち壁に面す。南泉は聞きて說いた、「我は尋常師僧に向かいて道う、佛の未だ世に出でざる時に會取して、尚ほ一個半個を得ず。他は恁麼に驢年に去れ。」(玄覺は說いた、「爲に復た唱和の語か、肯んぜざるの語か。」保福は長慶に問うた、「只だ魯祖の如く、節文は什麼の處に在りて、南泉に恁麼に道わる。」長慶は說いた、「己を退きて人に讓る、萬の中に一個無し。」羅山は說いた、「陳老師は當時若し見ば、背上に五火抄を與えん。何の故ぞ。伊が解する放するも解せず收を爲る。」玄沙は說いた、「我は當時若し見ば、も亦た五火抄を與えん。」雲居錫は說いた、「羅山・玄沙は總て恁麼に道う、爲に復た一般か、別に道理有るか。若し擇し出すを得ば、上座の佛法に去處有るを許す。」玄覺は說いた、「且く道え玄沙の五火抄は、伊に打ち著く著かざる。」)

常州芙蓉山太毓禪師

常州芙蓉山太毓禪師

金陵范氏子。因行食到龐居士前。士擬接。師乃縮手曰。生心受施。淨名早訶。去此一機。居士還甘否。士曰。當時善現。豈不作家。師曰。非關他事。士曰。食到口邊。被他奪卻。師乃下食。士曰。不消一句。士又問。馬大師著實為人處。還分付吾師否。師曰。某甲尚未見他。作麼生知他著實處。士曰。祇此見知。也無討處。師曰。居士也不得一向言說。士曰。一向言說。師又失宗。若作兩向三向。師還開得口否。師曰。直是開口不得。可謂實也。士撫掌而出。寶曆中。歸齊雲入滅。諡大寶禪師。

金陵の范氏の子。因って食を行じて龐居士の前に到れば、士は接せんと擬す。老師は乃ち手を縮めて說いた、「心を生じて施を受くるは、淨名は早く訶す。此の一機を去りて、居士は還って甘んずるか。」士は說いた、「當時の善現は、豈に作家ならざらん。」老師は說いた、「他の事に關せず。」士は說いた、「食は口の邊に到れど、他に奪却さる。」老師は乃ち食を下す。士は說いた、「一句を消さず。」士は又た問うた、「馬大師の實に人に爲る處を著く、還って吾が師に分付するか。」老師は說いた、「某甲は未だ他を見ず、作麼生に他の實處を著くを知らん。」士は說いた、「只だ此の見知も、亦た討處無し。」老師は說いた、「居士も亦た一向に言說するを得ず。」士は說いた、「一向に言說すれば、師は又た宗を失う。若し兩向三向を作さば、師は還って口を開くを得るか。」老師は說いた、「直に是れ口を開くを得ず、實と謂う可し。」士は掌を撫して出づ。寶曆の中、齊雲に歸りて滅に入る。諡して大寶禪師と曰う。

唐州紫玉山道通禪師

唐州紫玉山道通禪師

盧江何氏子。隨父守官泉南。因而出家。詣建陽。謁馬祖。祖尋遷龔公山。師亦隨之。祖將歸寂。謂師曰。夫玉石潤山秀麗。益汝道業。遇可居之。師不曉其言。是秋遊洛。回至唐州。西見一山。四面懸絕。峰巒秀異。因詢鄉人。曰。紫玉山。師乃陟山頂。見石方正。瑩然紫色。歎曰。此其紫玉也。先師之言懸記耳。遂剪茅構舍而居焉。後學徒四集。僧問。如何出得三界去。師曰。汝在裡許。得多少時也。曰。如何出離。師曰。青山不礙白雲飛。於頔相公問。如何是黑風吹其船舫。漂墮羅剎鬼國。師曰。於頔客作漢。問恁麼事作麼。於公失色。師乃指曰。這箇便是漂墮羅剎鬼國。公又問。如何是佛。師喚相公。公應諾。師曰。更莫別求(藥山聞曰。噫。可惜於家漢生埋向紫玉山中。公聞。乃謁見藥山。山問曰。聞相公在紫玉山中大作佛事。是否。公曰。不敢。乃曰。承聞有語相救。今日特來。山曰。有疑但問。公曰。如何是佛。山召於頔。公應諾。山曰。是甚麼。公於此有省)。元和八年。弟子金藏參百丈回。師曰。汝其來矣。此山有主也。於是囑付訖。筞杖徑去襄州。道俗迎之。至七月十五日。無疾而終。

廬江の何氏の子。父に隨いて官を泉南に守りて、因って出家す。建陽に詣りて、馬祖に謁す。祖は尋いで龔公山に遷りて、老師も亦た之に隨う。祖は將に寂に歸らんとして、老師に謂って說いた、「夫れ玉石は山を潤して秀麗なり、お前の道業を益す、遇うべくして之に居れ。」老師は其の言を曉えず。是の秋に洛に遊びて、回りて唐州に至りて、西に一山を見て、四面は懸絕して、峰巒は秀異なり、因って鄉人に詢ぬ。說いた、「紫玉山。」老師は乃ち山頂に陟りて、石が方正にして、瑩然として紫色なるを見て、歎じて說いた、「此れ其の紫玉也。先師の言は懸記のみ。」遂に茅を剪りて舍を構えて而るに居す。後に學徒は四集す。僧は問うた、「如何にしてか三界を出で得て去らん。」老師は說いた、「お前は裏許に在りて、多少の時を得た。」說いた、「如何にしてか出離せん。」老師は說いた、「青山は白雲の飛ぶを礙えず。」于頔相公は問うた、「如何なるか是れ黑風が其の船舫を吹きて、漂いて羅刹の鬼國に墮つ。」老師は說いた、「于頔の客作の漢、恁麼の事を問いて作麼。」于公は色を失う。老師は乃ち指して說いた、「此の個は便ち是れ漂墮して羅刹の鬼國。」公は又た問うた、「如何なるか是れ佛。」老師は相公を喚ぶ。公は應諾す。老師は說いた、「更に別に求むる莫れ。」(藥山は聞きて說いた、「噫、惜しむべし于家の漢は紫玉山の中に向かいて生きたるまま埋めらる。」公は聞きて、乃ち藥山を謁見す。山は問いて說いた、「相公は紫玉山の中に在りて大いに佛事を作すと聞く、是れ否。」公は說いた、「敢えず。」乃ち說いた、「語有りて相救すると承聞して、今日は特に來れり。」山は說いた、「疑有れば但だ問え。」公は說いた、「如何なるか是れ佛。」山は于頔を召す。公は應諾す。山は說いた、「是れ什麼。」公は此に於いて省有り。)元和八年、弟子金藏は百丈に參して回る。老師は說いた、「お前は其れ來れり。此の山は主有り。」是に於いて囑付して訖えて、杖を策して徑ちに襄州に去る。道俗は之を迎う。七月十五日に至りて、疾無くして終わる。

五臺山隱峰禪師

五臺山隱峰禪師

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