Libo

五、遥克課(蒿矢格・弾射格)

清 · 佚名(吴师青手抄本) · 第3巻 / 16

作盤ガイド: 大六壬起課, 金口訣起課

遙克課 蒿矢格 彈射格 歌曰:四課無克賊,如何取用神?先取神剋日,蒿矢課之名。如是日克神,彈射課之名。總名為遙克,禍患此中生。

遥克課は、蒿矢・弾射の両格に分かつ。歌訣に曰く:四課の上下神の間に克もなく賊もなければ、それなればどのように発用を取るか。まず四課の上神の裏に日干を克する有りや否やを看、有ればすなわちそれを取りて発用とし、課の名を「蒿矢」(蒿杆で作れる箭)という。もし反って日干が去りて四課上神を克すれば、克されたるその上神を取りて発用とし、課の名を「弾射」(弾弓が丸を射る)という。両格を合わせて遥克と称す——「遥」は遠の意なり。克力は同一課の上下の間に直接発生せずして、課を隔てて日干を克し、あるいは日干より課を隔てて克するが故に、禍患はこの一層の隔空の克より生出ず。

又曰:陰陽上下無相剋,其中擇取遙相賊,賊日之神為用初,課名蒿矢似無力。如無神遙於今日,日有克神是彈射。有如日遙克於神,後有兩神亦剋日。用比用涉是為良,依此課之情不失。

また曰く:四課の陰課・陽課・上神・下神の間に皆相克なければ、その中に隔空相賊の一箇所を挑出す。日干を賊する神を以て初伝と為し、課の名は蒿矢。その克力は綿軟無力の如く見ゆ。もし上神の隔空して日干を克するなくして、日干が去りて某箇の上神を克すれば、それすなわち弾射なり。もし日干の隔空して上神を克する有り、後面にまた二箇の上神が反って日干を克する有らば、それなればまさに「神克日」を以て先と為し、仍りて蒿矢を取る。两三箇所の并見に遇上せば、すなわち比用・渉害の法に照らして取舎し去れば、乃ち妥当と算す——この次第に依りて定めれば、この課の情理は判じ誤らざるなり。

四課上下並無克賊,則前四體俱不入,須看四課之神有克今日干否,以有克者為用,課名蒿矢。如無神剋日,看今日干有克四課之神,如有克,則以受克者為用,課名曰彈射。如有神剋日,又有日克神,則取神剋日為用。如有二三神剋日,則如前比用取用,俱比俱不比者,則以涉害取用。其日克神,亦依此例。總名曰遙克課。遙者,遠也。神所加臨處為近,視日干則遠矣。日之陽為近,於二三課之視日又益遠矣。此遙之謂也。

四課の上下の間に克もなくまた賊もなければ、それなれば前面の元首・重審・比用・渉害の四体は皆用い得ず。必ず四課の上神の裏に当日の日干を克する有りや否やを看る:日干を克する有ればすなわちそれを取りて発用とし、課の名は蒿矢。もし日干を克する神なければ、日干に四課上神を克する有りや否やを看る:有れば、すなわちあの克されたる上神を取りて発用とし、課の名は弾射。もし神の日干を克する有り、また日干の神を克する有れば、すなわち「神克日」を以て先と為し、それを取りて発用とす。もし两三箇の神皆日干を克せば、すなわち前面の比用の法に照らして日干と相比するを取る。もし皆相比しあるいは皆相比せざれば、すなわち渉害の法に照らして受害の深きを取る。日干の神を克する情形もこの規矩に照らして弁ず。これらを統名して遥克課という。「遥」はすなわち遠なり:上神が己の臨む所の下神の上に加臨するは近なり。日干に相対して言えばすなわち遠なり。日干の陽神(第一課上神)は近しと算し、第二・第三・第四課はさらに日干を看ればさらに遠し。これすなわち「遥」字の含義なり。

斷曰:蒿矢有吉凶,先看吉凶神,吉將朝天去得吉將生身,主功名遠利,上謂朝覲,遠求財利吉,凶將禍到身材從外來。彈射得吉將,求財得相親。若值凶將加,出入值仇人。利動陰謀竊刑害並則主陰謀竊害傷人矣,相生各有伸。凶刑劫盜賊,合成喜自頻相合則吉。分明是兩課,休斷一般陳。吉合主允歡喜,凶將勿來迎。三刑妨賊害,六害殺傷人交射乃傷人之物,加以刑害金土則刑傷必重矣。

断語に曰く:蒿矢課は吉有り凶有り、まず乗る所の天将の吉凶を看る。吉将を乗ればすなわち天に朝し去るが如し——原注に曰く、これは吉将を得て来りて自身を生扶するを得、功名は遠方において求め可きを主り、「上」は入朝して覲見するを指し、遠処に財を求むるも吉なり。凶将を乗れば禍患身に臨み、しかも外面より来るなり。弾射課もし吉将を得れば、財を求むるに人の親附を得るを得。もし凶将の加臨に遇えば、出入に皆仇家に碰上す。この課は暗中に事を行うに利あり——原注に曰く、もし刑と害と并見すれば、すなわち人の陰謀を以て竊かに害し人を傷る有りを主る。彼此相生すれば、各方皆舒展を得。もし凶神と三刑に逢えば、劫掠・盗賊を主る。もし六合を成せば、喜事は頻頻なり——原注に曰く、相合すればすなわち吉なり。蒿矢・弾射は本より両課なるを分かち清め、一様と作して断ず可からず。吉合に逢えば心に称い欢喜するを主り、凶将なればそれを迎えに往く勿れ。三刑は賊害を防ぐ要し、六害は殺傷有らん——原注に曰く、箭矢・弾丸は本より人を傷る物、さらに刑害と金土の神を加えれば、刑傷は必ず加重す。

又曰:神遙剋日名蒿矢,射我雖端必當畏。日克天神名彈射,縱饒得中還無利。貴人逆治子無良,天乙順行臣不義。家有客來不可容,每憂口舌西南至。起事因外至本身,心意悠悠無所止。比用他意非本心,用力向前須得喜。中間尤恐有防人,暗箭傷殘禍不已。喜得或同歲上並,經涉朝遷歲月計。若見凶神多詭詐,外事收來知謹備。吉凶皆主艱辛事,若將言將禍庶幾此蒿矢彈射總斷也。

また曰く:上神が隔空して日干を克するを蒿矢と言う。箭は我に対準して射来るといえども、終に提防すべし。日干が去りて天盤の神を克するを弾射と言う。たとえ射中すとも実利なし。貴人が逆行布将すれば子孫不肖、天乙が順行布将すれば反って臣下の不義を主る。家裏に客の来る有れば收留す可からず、常に西南方向より来る口舌是非を憂う。事は外面より引起されて自身に落ち、心緒悠悠として落着なし。もし比用に因りて取れば、それは他人の意に随うにして本心に非ず。力を出し向前するを肯んずれば乃ち喜を得。当中尤も要するに人の悪を為し暗箭して人を傷る有るを提防し、禍事は接連して断えず。もし太歳と并臨し得れば、暦官・遷転を望む可し、ただ歳月を以て計算す。もし凶神を見れば多く欺詐、外来の事には収斂して謹慎し防備すべし。総じて吉なりとも凶なりとも、皆辛苦費力を主る。もし単に乗る所の天将に就きて禍福を言えば、また大致差ならず——原注に曰く、この一段は蒿矢・弾射両格の総断なり。

又曰:彈射之課日克神,事從內起干他人。凡事艱難須勉力,雖成不免有爭嗔。望信不來人未至,出行一去沒回音彈射蒿矢同斷。三傳終始干支合,吉將來並喜事新。三刑又見諸凶將,劫盜須防禍及身。若是庚辛而得吉,信來行人卻欣欣。 又曰:彈射有丸傷痛苦,占病死人傷命焚。三傳辰戌丑未土,有土諸事皆有阻。

また曰く:弾射課は日干が去りて上神を克するもので、事は内部より発起して他人に牽扯す。凡事艱難にして、必ず勉力して為さざればならず。たとえ弁成すとも、争執・嗔怨を免れず。消息を等てば消息来らず、人を等てば人至らず。出門して一たび去れば回音なし——原注に曰く、この一点は弾射と蒿矢の断法相同じ。もし三伝の首尾が日干・日支と相合し、また吉将の并臨有れば、すなわち新たなる喜事有り。もし三刑と各種の凶将と并見すれば、すなわち劫掠・盗賊を防ぎ、禍の自身に及ぶべし。もし庚辛の日に逢いて課体が吉に転ぜば、書信到来し行人は家に帰り、人人欣喜す。 また曰く:弾射は弾丸の人を傷る痛苦有り。病を占えば人死に命を傷り、甚だしきは焚焼の厄すら有り。三伝もし皆辰戌丑未の四土なれば、土有ればすなわち諸事皆阻滞有るを主る(土性凝滞す、故に留難を主る)。

孔明曰:“神遙剋日,緩而輕。其象如蒿矢之輕,遠射則力弱也。蒿者,草之杆。矢者,箭持蒿草之杆而作之箭。直將射物也,雖有射物之心,卻無射物之名,雖有中物之具,而無獲物之功。縱射雖中而輕不入也。故禍福俱輕,主外人欺己,禍從外來,其始如雷之吼,未免驚憂,後卻無事,愈遠愈小,漸久漸消也。

諸葛孔明曰く:「上神が隔空して日干を克するは、来勢緩くして力量軽し。取象は蒿杆の作れる箭の如く、射ること遠ければ力道を失う。『蒿』は草の杆子、『矢』は箭なり。蒿草の杆子を拿りて箭と為し、径直に去りて物を射るに、射るの心思有れども射るの名分なく、射中するの家伙有れども獲物の功效なし——たとえ射中すとも、太だ軽きに因りて扎り入らず。ゆえにこの課は禍福皆軽く、外人の己を欺凌するを主り、禍は外より来る。起初は雷声の轟響の如く、驚憂の一陣を免れざれども、後来は事なし。離るること遠ければ弥々軽く、拖るること久しければ弥々消ゆ。

神為客,日為主,神遙剋日,是客來欺主,故言客來不可容之,必有是非及身也。但以蒿為矢,雖射中不深入者,以其無簇也。若見傳送白虎發動,則有金加於矢上,必能傷人,故曰仍憂口舌西南起傳送白虎乃西南隅,申地之神。經曰‘蒿矢見金為利簇。’是見金之為凶也。或有金而金落空,一名空矢,亦曰亡矢,一曰季矢 ,亦不能為凶也。”

上神は客、日干は主なり。上神が隔空して日干を克するは、すなわち客の来たりて主を欺くなり。ゆえに来たる客は收留す可からずと言う。否ざれば必ず是非纏身有り。ただし蒿杆を以て箭と作れば、たとえ射中すとも扎ること深からず、それは箭鏃無きが故なり。もし「伝送」(申)と白虎とが発動すれば、それはすなわち箭杆の上に金属の箭頭を装えたるに等しく、必ず人を傷る能し。ゆえになお西南方向より来る口舌を憂慮すべしと言う——原注に曰く、伝送と白虎は皆西南方に在り、申位の神なり。《経》に曰く『蒿矢は金を見れば利鏃と成る』、まさに金を見るを凶と為すを言う。あるいは金有るといえどもこの金が旬空に落入すれば、それを『空矢』と言い、また『亡矢』『季矢』とも言う。同じく凶と為り得ず。」

李衛公曰:“蒿矢之課,主有不測之憂忽來相干。若有吉將,主不虞之喜不期而至。有金則主血光。經云‘三傳地下申酉是,公人持捧應無禮。’是也不論是金神,但發用是地下申酉上神者,亦有外來是非出於禮法之外相加。故曰‘蒿矢有金,主驀然有災’也。不必金將,只有傳送從魁河魁金神而作朱雀勾陳者,亦主有官非口舌從外驀然而來也。

李靖曰く:「蒿矢課は意表に出ざる憂患が忽然と来たりて干擾するを主る。もし吉将を乗れば、思いもよらざる喜事が期せずして至るを主る。課中に金を帯びればすなわち血光を主る。《経》に曰く『三伝の落つる地盤が申酉なるは、公人が棍を持ちて来る、全然礼無し』——原注に曰く、これは金神に限らず、ただ発用が地盤の申・酉の上に加わる神であれば、また外来の是非有りて、礼法を超出して人の身上に加わる。ゆえに曰く『蒿矢に金を帯びれば、突然災有るを主る』。また必ずしも金将を要せず、ただ伝送(申)・従魁(酉)・河魁(戌)のこれら金神が朱雀・勾陳を乗れば、同じく官非口舌が外面より突如として来るを主る。

大抵此課主利主而利客,利後動。不利他人,利小不利大,主人害己,事由官非鬥訟之害,加以陰神賊日,則憂從外來,驀然而至矣。水火神動加金將,主水火之厄,酉陰刑刃動主暗傷之災,小心防備得吉。凡事不利己身。”

大体に言えば、この課は主方にも利あり客方にも利あり、而も後動を以て宜とす。他人には不利、小事に宜しく大事に宜しからず。それは別人の来たりて己を害するを主り、事由は多く官非・闘訟の害なり。もしさらに陰神が日干を賊克すれば、憂患は外面より突然襲来す。水神・火神が発動してまた金将を乗れば、水火の厄を主る。酉位の陰刑・羊刃が発動すれば、暗中に傷を受くるの災を主る——小心して防備すればすなわち吉に転じ得。総じて凡事は自身に不利なり。」

孔明曰:“日遙克神,其象如彈射之近,不射遠,事則難中也。主自己謀害他人,事從內起。但有近射遠射之異,所占勢大者近射,凶重,忌先動;勢小者遠射,凶輕,但不可出頭。一二課發動為近射,三四課發動為遠射。又發用之神之將相剋名近射,主有傷害,更陰虎乘金神,尤凶。若神將比和,名遠射,雖有口舌惡意,亦不至傷害矣。”

諸葛孔明曰く:「日干が隔空して上神を克するは、取象は弾弓が丸を射るが如く、ただ近くを射る能くして遠くを射る能わず、事は射中し難し。それは己が他人を謀害するを主り、事は内部より発起す。ただその中に近射・遠射の別有り:占する所の勢い大なるは近射に属し、凶重く先動を忌む。勢い小なるは遠射に属し、凶軽く、ただ頭を出す可からず。第一・第二課の発用は近射と算し、第三・第四課の発用は遠射と算す。この外、発用の神と乗る所の天将とが相克するもまた近射と言い、傷害有るを主る。もしさらに太陰・白虎が金神を乗れば、尤其凶险なり。もし本神と天将とが比和して相安んずれば、あれを遠射と言い、たとえ口舌・悪意有るとも、真に人を傷るに至らず。」

又曰:“彈射見土為彈丸,則彈中有傷,驀然有災。若有土而土落空亡,謂之遺丸,縱彈皆不為凶。若是彈射又是知一課,尤為無力,雖凶無畏。但欲用事者遇之其力輕,多費力不成也。經曰‘彈射憂事立散,若見太陰元武天空發用,主虛詐欺誕之事,禍從內起。’”

また曰く:「弾射課は土を見ればすなわち弾丸なり。一旦弾中すれば傷損有りて、突然災を生ず。もし土有るといえども土が旬空に落つれば、これを『遺丸』と言い、たとえ弾を発すとも凶と為らず。もし弾射と同時にまた知一課を兼ねれば、それはさらに力なく、凶なりとも必ずしも怕るるに足らず。ただそれを借りて事を弁ぜんとする人がこの課に遇えば、力道太だ軽く、多く気力を白費して弁成せず。《経》に曰く『弾射課の憂事は立時に消散す。もし太陰・玄武・天空の発用を見れば、虚詐・欺騙の事を主り、禍は内部より生起す』。」

袁天罡曰:“遙克課主事遙動不定,人情倒置,禍 福皆輕,求事難成,吉凶皆主不實,來意雖有惡而不至傷殘也。第二課為用乃是日上兩課相戰,作事不力,外事不干,內事不可出頭。第三課為用,是辰陰自戰,兩陰相競,凶重有力,不可先動。第四課為用,尤為無力。

袁天罡曰く:「遥克課は事の隔空して動き飄忽として定まらざるを主り、人情は顛倒錯置し、禍と福と皆軽く、事を求めて成り難く、吉凶皆実処に落ちず。来たる人は悪意を存すといえども、真に傷残を造成するに至らず。もし第二課を取りて発用すれば、それは日干の一辺の両課が自ら交戦するもので、事を為すに力を得ず、外に対する事は管するに足らず、内に対する事も頭を出す可からず。もし第三課を取りて発用すれば、それは日支の陰陽両課が自ら交戦するもので、両陰相争い、凶重くして力有り、先動す可からず。もし第四課を取りて発用すれば、すなわち尤も力なし。

若日干克兩神名曰一箭中兩鴻,又名一箭射兩鹿格。若兩神遙克,一曰一鹿含兩矢,皆主心貪望大,遠交近攻,近交遠攻,費力並取之兆。故曰‘兩神剋日,主二事合為一事;日克兩神,主一端分為兩端。’”

もし日干が同時に二箇の上神を克すれば、これを『一箭中両鴻』と言い、また『一箭射両鹿格』とも言う。もし二箇の上神が同時に隔空して日干を克すれば、これを『一鹿含両矢』と言う。これらは皆心貪りて望む所過大なるを主り、遠交近攻あるいは近交遠攻なり、気力を費尽して両頭を兼得せんとする兆頭なり。ゆえに曰く:『両神が日を克すは、両件事が并せて一件と成るを主る。日が両神を克すは、一件事が分かれて両頭と成るを主る。』」

遥克課・分類占断

占行人 第一第二課為用,行人立歸。第三第四課為用,行人未歸。若三傳沖剋歲建,占行人主凶。一曰“彈射不來,蒿矢課歸矣。遠出未歸,或中途有阻。” 占出行 若遠出至不至所往之地而回,不可西南行,恐人是非。 占訪人 彈射課主訪人不見,蒿矢課主訪人即出見矣。

行人を占う:第一・第二課を取りて発用するは、行人は立刻に回る。第三・第四課を取りて発用するは、行人は未だ回らず。もし三伝が太歳を冲克すれば、行人を占うに凶を主る。また一説に曰く:「弾射課は人の来らざるを主り、蒿矢課は人の已に帰れるを主る。もし遠出して未だ帰らざれば、すなわち中途に阻碍を受けたるなり。」 出行を占う:もし遠門に出づれば、多く目的地に到らずして折り返す。尤も西南方向に往く可からず、人に是非を惹くを恐る。 訪人を占う:弾射課は往きて人を訪うも見えざるを主り、蒿矢課は一たび往けば便ち人有りて出でて相見るを主る。

占公訟 蒿矢課利小不利大,利後不利先;彈射課利上不利下,利先不利後。蒿矢主人害己,事由官司鬥訟之害也。 占國朝 值蒿矢課主事自外來,草寇弄兵,邊鄙生事,有使命來闕。值彈射課主有頒命遠出。 占身命 神剋日害從外入,日克神身他人,有刑害受驚,帶官貴祿馬主武途出身,但福力不大,無長遠之事業,多虛詐或夭折。

官司を占う:蒿矢課は小に利あり大に利なく、後動に利あり先動に利なし。弾射課は上位に利あり下位に利なく、先動に利あり後動に利なし。蒿矢は本より別人の己を害するを主り、事由は多く官司・闘訟の害に出ず。 朝廷国事を占う:蒿矢課を得れば事の自ら外より来るを主り、草莽の盗寇が兵を興し、辺地に事端を生出し、あるいは使臣の入朝有り。弾射課を得ればすなわち朝廷に詔命有りて遠方に頒発するを主る。 身命を占う:上神が日干を克するは、禍害は外より入る。日干が上神を克するは、この人は身を他人の事に渉らす。皆一生に刑害・驚恐有るを主る。もし官星・貴人・禄神・駅馬を帯びれば、武途より出身するを主るも、ただ福力大ならず、長久の事業なく、多く虚詐の行あり、あるいは長寿を得ず。

占疾病 蒿矢有金見白虎,彈射見從魁有血光、脾胃之疾,其病難療。歌曰“占病小兒與老人,蒿矢彈射有災迍。一彈一矢俱不存,須知性命在逡巡。” 占求財 彈射課是朱雀主爭財口舌,或與妻爭,輕求則遂心,重求則無矣。

疾病を占う:蒿矢課もし金を帯びてまた白虎を見、弾射課もし「従魁」(酉)を見れば、皆血光の災と脾胃の疾有るを主り、病は医し難し。歌訣に曰く:「小児と老人の病を占うに、蒿矢・弾射に遇上すれば便ち災難有り。もし弾丸箭矢が皆落空して存せざれば、須らく性命は旦夕の間に在るを知るべし。」 財を求むるを占う:弾射課もし朱雀を乗れば、財のために争吵して口舌を生じ、あるいは妻子と争執するを主る。軽描淡写に求めれば反って心に称い、逼ること緊過ぎれば反って求め得ず。

遥克課・占例二則(蒿矢・弾射各一)

假如甲午日申時巳將占,四課無克賊,先取神克干,惟取申金克甲木為用,課名蒿矢,三傳巳申寅,將得白勾蛇,天乙順行,主君臣不信,亦憂男子病。此時不可出行,有客不可納,有內讒之事,禍從西南來,主有爭鬥來害,以蒿矢見金作虎勾也。加以年命見鬼,鬼置元武,定主賊盜謀殺也。

例を挙ぐ:甲午日申時、巳を用いて月将として課を起こす。四課の上下の間に克もなく賊もなし。ここにまず上神に日干を克する有りや否やを看るに、ただ申金が甲木を克する一箇所のみあり、すなわち申を取りて発用とし、課の名は蒿矢。三伝の原文は「巳申寅」と書くが、乗る所の天将「白虎・勾陳・螣蛇」の次序および附する課盤を按ずれば、実は申・巳・寅(申は白虎を乗り、巳は勾陳を乗り、寅は螣蛇を乗る)なり。天乙貴人は順行して将を布く。君臣の間相信じ得ざるを主り、また男子の病を生ずるを憂う。この時出行す可からず、客来る有れば收留す可からず、内部に讒を進むの事有るべし。禍は西南方より来り、人の争闘を挑起して来たりて加害する有りを主る——蒿矢課が金を見、また白虎・勾陳を乗るの緣故なり。もしさらに本命・行年の上に官鬼を見、この鬼がまた玄武を乗れば、それなれば盗賊の殺害を図謀する有りと断定す。

殺申白 子巳勾 兄寅螣 后 朱 白 陰 子 卯 申 亥 卯 午 亥 甲 寅卯辰巳 丑 午 子 未 亥戌酉申

これは上例甲午日の課盤。最上の三行は三伝:初伝申は甲日の七殺(官鬼)で白虎を乗る。中伝巳は子孫爻で勾陳を乗る。末伝寅は兄弟爻で螣蛇を乗る。中間の三行は四課で、右より左へ第一課より第四課まで:最下の行の下神は順に甲(甲は寅に寄宮)・亥・午(午すなわち日支)・卯。中間の行の上神は順に亥・申・卯・子。最上の行の天将は順に太陰・白虎・朱雀・天后。四課の上下皆相克せず、ただ第二課の上神申金が隔空して日干甲木を克すのみあれば、故に申を取りて発用として蒿矢と成す。最下の四行は天地盤:外枠の十二格は固定の地盤巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰の十二宮。本課は巳将を申時に加え、天盤は地盤に比べ三位退後するので、巳宮の上は寅、午宮の上は卯、未宮の上は辰、申宮の上は巳、余は類推す可し。盤により査し得るに、申の上神は巳、巳の上神は寅なれば、三伝は遂に申・巳・寅と排成す。

假如九月將己卯日午時占,四課並無克賊,先取神遙剋日,四課上神又無遙剋日;次取日遙克神,惟神后受己日所克,以神后為用,三傳子酉午,將得貴元空,課名彈射,神后作天乙,作初傳,主婦女事,有貴人徵召之喜,但以死氣所勝,主憂人死及官訟墳墓事。

さらに一例を挙ぐ:九月に月将を用い、己卯日午時に課を起こす。四課の上下皆克賊なし。まず上神に隔空して日干を克する有りや否やを看る——四課上神の裏に并びて無し。さらに日干に隔空して上神を克する有りや否やを看るに、ただ「神后」(子水)が己土に克せらるるのみあり。ここに神后子を取りて発用とす。三伝は子・酉・午、乗る所の天将は順に貴人・玄武・天空、課の名は弾射。神后子は天乙貴人を乗りて初伝と作る。婦女方面の事を主り、貴人に徴召せらるる喜慶有り。ただそれが当令の死気に勝たるるに因り、ゆえにまた人の喪亡および官司・墳墓の類の事を憂うを主る。

財子貴 子酉元 父午空 玄 貴 螣 勾 酉 子 丑 辰 子 卯 辰 己 寅卯辰巳 丑 午 子 未 亥戌酉申

これは上例己卯日の課盤。最上の三行は三伝:初伝子は己日の妻財爻で貴人を乗る。中伝酉は子孫爻で玄武を乗る。末伝午は父母爻で天空を乗る。中間の三行は四課で、右より左へ第一課より第四課まで:最下の行の下神は順に己(己は未に寄宮)・辰・卯(卯すなわち日支)・子。中間の行の上神は順に辰・丑・子・酉。最上の行の天将は順に勾陳・螣蛇・貴人・玄武。四課の上下皆相克せず、ただ第三課の上神子水が日干己土に隔空して克せらるるのみあれば、故に子を取りて発用として弾射と成す。最下の四行は天地盤:外枠の十二格は固定の地盤巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰の十二宮。本課は月将を午時に加え、天盤は地盤に比べ三位退後するので、巳宮の上は寅、午宮の上は卯、未宮の上は辰、申宮の上は巳、余は類推す可し。盤により査し得るに、子の上神は酉、酉の上神は午なれば、三伝は遂に子・酉・午と排成す。

六、昴星課(仰視・伏視;虎視・転蓬・冬蛇掩目)

昴星課 仰視 伏視 歌曰:無克又無遙,昴星理可知。陽日看酉上,發用立根基。辰作中傳日,末傳日上依。柔日看從魁,中日末辰支。仰視總名昴星矣。

昴星課は、また仰視・伏視の両式に分かつ。歌訣に曰く:四課に上下相克もなく、また隔空の遥克もなければ、それすなわち昴星課なり。道理はかく明白なり:陽日(甲丙戊庚壬)は地盤酉位の上に臨む所の天盤神を看て、それを取りて発用とし、以て課を立つる根基と為す。中伝は日支上神を取り(辰すなわち日支)、末伝は日干上神を取る。陰日(乙丁己辛癸、すなわち柔日)は則ち天盤の「従魁」(酉)が地盤のどの一宮に落つるかを看て、あの一宮の地盤の支を取りて発用とす。中伝は日干上神を取り、末伝は日支上神を取る。陽日は頭を仰いで酉上を看るを「仰視」と言い、陰日は身を俯せて酉下を看るを「伏視」と言う。両者を総名して昴星課という。

又曰:四課又無遙相剋,須當仰伏觀昴星。剛日酉上神為用,柔視酉下度何之。假令從魁居亥地,用神端的是登明。中傳乃附日辰上,剛日先辰後日呈。柔日中日末辰上,虎視如何不免驚。

また曰く:四課すでに相克なく、また遥克もなければ、まさに仰視・伏視の法を用いて昴星を看るべし。陽日(剛日)は地盤酉宮の上の天盤神を取りて発用とす。陰日(柔日)は則ち天盤の従魁(酉)がどの一宮に落ちて行ったかを看る。たとえば従魁酉が地盤亥位の上に落つれば、それなれば発用は便ち「登明」(亥)と確定す。中伝・末伝は皆日干・日支の上神の上に附して取る:陽日はまず日支上神を取りて中伝と為し、後に日干上神を取りて末伝と為す。陰日は則ち中伝は日干上神を取り、末伝は日支上神を取る。この課の取象は虎視なり。何ぞ驚恐を免れ得んや。

凡四課上下全無克賊,又克遙克,曰昴星課。夫昴星者,乃酉是昴日雞之宿也。位鎮西方,為日月之門戶,分居兌極,作天地之關梁,其居心也虛靈,有以剖決事端 之吉凶,其秉悸也英銳,有以擅掌殺伐之威儀。

およそ四課の上下全く克賊なく、また遥克の取る可きなければ、これを昴星課と言う。いわゆる昴星とは、酉位を指す——二十八宿の中「昴日鶏」のこの一宿がまさに酉に配す。酉位は西方を鎮守し、日月出入の門戸なり。それは兌卦の極に分居し、天地を溝通する関梁なり。その居心に就いて言えば虚静霊明にして、因りて事端の吉凶を剖判する能し。その秉性に就いて言えば英鋭果決にして、因りて粛殺刑伐の威権を執掌する能し。これすなわち本課が酉位を借りて名を立て、并せて関梁阻隔と驚懼殺伐を主るの緣由なり。

陽日則仰視酉上所見者為用,陽從地起,故中傳用辰上,辰為地也,本乎天者親上,故末傳歸日上,日者,天也。其象如虎之視轉蓬而動也。陰日是伏視酉上所臨者為用,陰從天降,故中傳從日,日天也,本乎地者親下,故末傳歸辰,辰為地也。其象如冬蛇掩目而匿也。

陽日はすなわち頭を仰いで地盤酉宮の上に見える所の天盤神を看て、それを取りて発用とす。陽気は地より上昇すれば、ゆえに中伝は日支上神を取る——日支は地に属す。また「本乎天者親上」に因り、ゆえに末伝は日干上神に帰る——日干は天に属す。その取象は、老虎が風に随い転ずる飛蓬を盯着して機を伺い動くが如し。陰日は則ち身を俯せて天盤酉(従魁)の臨む所の地盤の位を看て、それを取りて発用とす。陰気は天より下降すれば、ゆえに中伝は日干上神に跟う——日干は天に属す。また「本乎地者親下」に因り、ゆえに末伝は日支上神に帰る——日支は地に属す。その取象は、冬眠の蛇が目を閉じて藏るが如し。(「本乎天者親上、本乎地者親下」は《周易・乾卦・文言》より出ず。)

是昴星一課而有四名也。但四名亦有時義,春曰虎視,夏曰轉蓬,秋曰昴星,冬曰科蛇掩目。春占白虎,與酉金逢,春令死絕,謂之死虎,卯月沖酉,辰月合酉,謂之死虎遭合,不能傷人,但以目視人而驚人耳。夏月金囚,如以草為蓬,隨風不定也。秋月金旺,昴星主事,故曰昴星。冬月金休,如蛇掩目不能傷人也。

ゆえに昴星の一課にして四箇の名目有り。この四名はまた各々時令の含義有り:春は「虎視」と言い、夏は「転蓬」と言い、秋は「昴星」と言い、冬は「冬蛇掩目」(底本「科蛇」はまさに「冬蛇」と作るべし)と言う。春に占い得て白虎と酉金と相逢すれば、金は春令に死絶の地に処れば、ゆえに「死虎」と言う。卯月は酉を冲し辰月は酉に合すれば、また「死虎遭合」と言い、それは人を傷る能わず、ただ眼を拿りて人を盯めて人を嚇かすのみなり。夏月は金気囚廃し、蓬草を拿りて扎れる球の如く、風に随い滾動して定処なし。秋月は金気旺に当たり、昴星はまさにその事を主る。ゆえにすなわち昴星と言う。冬月は金気休歇し、蛇の目を閉じ蟄伏し、人を傷る能わざるが如し。

斷曰:用起昴星為虎視,秋兮在酉知生死,出入關梁日月門,舉動稽留難進止。剛日出行自不歸,柔日伏匿憂難起。女多淫泆問何因,此地私門難禁止。

断語に曰く:発用が昴星に起これば、すなわち虎視の象なり。秋に占い得れば、関鍵は全て酉位の上に生死を看るに在り。この課は人の関梁・日月の門に出入するを主り、一挙一動皆拖延して阻まるるを受け、進退両難す。陽日の占は出門遠行して己は回らざるを主る。陰日の占は藏匿して出でず憂患は解除し難きを主る。もし女子に何を以てか淫乱多きを問わば、それは酉のこの方位が本より私門なるが故に、禁絶し難きなり。

又歌曰:昴星轉蓬並虎視,冬蛇掩目異名求,剛日出頭而閉塞,柔日藏身不自由,事多勾陳非本意,搖擺不定將出遊,文字不明多恐感,關梁阻滯事多留,更變反覆多不定,全家疾病傳梁周,引惹官事皆失理,淫泆畏布伏藏憂。 又曰:冬蛇掩目課,萬事不相從,伏罪何須出,莫勞西與東,出行遭禁繫,淫泆敗家風。

また歌訣に曰く:昴星・転蓬・虎視・冬蛇掩目は、名目異なれども実は一課なり。陽日の占は頭を出さんと欲するも処処閉塞すを主り、陰日の占は身を藏るも自由を得ざるを主る。事は多く勾牽・糾纏を受け、本意に出づるに非ず。心思は揺擺して定まらず、外出して遊走せんと欲す。文書・契約は含糊にして清からず、多く疑懼を生ず。関梁・道路は阻滞し、事は多く耽擱有り。変故は反覆して定準なく、一家上下疾病相伝す。官司に惹かれて皆理を占め得ず、淫乱に因りて畏縮藏匿し、憂愁は解し難し。 また曰く:冬蛇掩目のこの課は、万事皆人意に順わず。すでに罪に伏せば、何ぞ必ずしも再び頭を出さん。また東奔西走して気力を白費するに足らず。出門遠行すれば拘禁・系累に遭い、縱欲淫乱すれば家風を敗壞す。

又歌曰:轉蓬柔日見螣蛇,冬蛇掩目有欺遮,不獨憂疑有怪夢,屈指闇昧有怨嗟。事縱在內多淫泆,閉留在外不歸家。剛日昴星見白虎,白虎耽耽定有驚。事從外來憂在內,勾牽刑獄有稽留。伏藏在外不欲出,疑悲文字不分明。 經曰:“昴星為用,孤立、狐疑、疾病、進退、囚繫、文墨。”若值吉將,相親可得。

また歌訣に曰く:陰日に占い得て転蓬にしてまた螣蛇を見れば、便ち冬蛇掩目なり。人の欺瞞・遮掩する有るを主る。ただ憂疑定まらず常に怪夢を為すのみならず、また屈指して暗算し心に怨嘆を懐く。事はたとえ家内に発生するも、多く淫乱と関有り。人もし外に在れば困られて家に回る能わず。陽日に占い得て昴星にして白虎を見れば、白虎は眈々として虎視し、必ず驚有り。事は外面より来りて憂いは裏に在り、勾連・刑獄の事に拖住せらる。人は外に藏して出でんと肯んぜず、疑慮悲愁し、文書は含糊にして明ならず。 《経》に曰く:「昴星発用すれば、孤立無援・狐疑不決・疾病纏身・進退失拠・囚禁系累・文書筆墨の事を主る。」もし乗る所が吉将なれば、彼此親近の事は求め得べし。

孔明曰:“昴星課,若非春占,但值陽日如虎視不息轉蓬而已。陰日如冬蛇蟄藏伏身不動也。虎視者,虎以爪牙害人,視則覷我而有意也。苟無先見之知,而輕舉妄動,無有不傷者,故行者宜止,動者宜靜也。疑者宜精意思維,寬懷省事,則虎雖視我,亦安能害我哉?

諸葛孔明曰く:「昴星課もし春に占い得たるに非ざれば、それなればおよそ陽日に遇えばただ虎視止まず・飛蓬転ずるのみ、陰日に遇えばすなわち冬蛇の蟄伏し身を藏して動かざるが如し。いわゆる虎視とは、老虎が爪牙を凭りて人を害し、それが盯めて看るは、すなわち我に意を起こしたるを言う。仮に預め看清したる見識なくして軽挙妄動せば、傷を受けざるはなし。ゆえに正に走る所の者はまさに停下すべく、正に動く所の者はまさに静下すべし。心に疑慮を存する人はまさに精心に思量し、胸懐を放寛し事端を減省すべし。それなれば老虎は我を盯むといえども、また何ぞ能く我を害せんや?

夏曰轉蓬者,如以草為蓬,因風而起,旋轉不定也,其斷略與虎視同,若三傳見白虎乘申酉剋日辰及行年上神,名曰真虎視,來意主見凶禍傷損,見血光有火憂之事。若行年見神將吉,更見生旺,則不為凶。剛日虎視,靜則有官災病患暴驚,在家防火驚,動則有盜賊風濤虎獸驚恐。凡舉事皆有憂驚,先有憂驚後有破家也,凡事又主稽留伏匿。柔日虎視主伏匿於內,事多闇昧,進退猶豫,靜則有幽暗徒流逃匿,內有婦人小口災病。”

夏は転蓬と言うは、蓬草を以て扎れる球の如く、風に遇えば起こり、転転として定処なきを言う。断法は大略虎視と同じ。もし三伝中に白虎が申・酉の金神を乗りて去りて日干・日支および行年上神を克するを見れば、これを『真虎視』と言い、来意は凶禍・傷損・血光の災と火患の憂いを見るを主る。もし行年上の見る所の神将が吉で、また生旺の気に逢えば、凶と算せず。陽日の虎視は、安坐して動かざれば官災・病患と突発の驚嚇有り、家に在りては火驚を防ぐ要し。一たび動けば盗賊・風浪・虎獣の類の驚恐有り。およそ挙動有れば皆憂驚を帯び、先に驚憂を受け後に破家に至る。諸事また拖延と藏匿を主る。陰日の虎視はすなわち内に藏匿するを主り、事は多く曖昧不明、進退猶豫す。安静にして動かざれば幽禁・流放・逃亡藏匿の事有り、家内に婦女・小孩の災病有り。」

袁天罡曰:“一課而有四名,雖有四時之名,但亦不可執一,其占惟通用,特有剛日柔日之異耳。陽掩陰,所以謂虎視;陰掩陽,所以為昴星,皆主有舉動稽留、進退猶豫。剛日昴星不利男人,有渡越關梁、遠行之事,事起於外。更值秋占,出行主不歸。柔日昴星太陰主事不利婦人,主隱匿伏藏,不欲見人,有憂懼之事。

袁天罡曰く:「一課にして四箇の名目有るは、四時を按じて名を立つといえども、また一端に拘執す可からず。占断する時はただ一法を通用し、同ならざるはただ陽日と陰日の別に在るのみ。陽は陰を掩えば、ゆえに虎視と言う。陰は陽を掩えば、ゆえに昴星と言う。両者は皆挙動の拖延・進退の猶豫を主る。陽日の昴星は男子に利なく、関隘を渡越し遠門に出づるの事有らん、事は外部より起こる。もしまた秋に値りて占い得れば、出行すれば一たび去りて帰らざるを主る。陰日の昴星は太陰の事を主るより出で、婦女に利なく、隠匿・藏伏して人に見えんと肯んぜざるを主り、憂懼の事を懐く。

若後陰為用,則是倚其門,立其戶,占婦人必淫邪不正之人。凡事多阻隔,主潛伏不欲見人而隔,或人心不相照而隔。剛日主道路關梁有阻而隔。春占主雨雪,冬占主霜雪阻隔。故曰昴星有閉塞,行者有稽留。若是稽留停止久者,則有復行之兆。” 又曰:“剛日男人遠行未返,恐鬧死於外。柔日伏藏女子淫泆,深憂不解,行者藏止不來,居者在家不欲見人。”

もし天后・太陰が発用すれば、それすなわち門に倚り戸に立つの象なり。婦人を占えば必ず淫邪にして正しからざる人なり。凡事多く阻隔有り:あるいは人の潜伏して見えんと肯んぜざるに因りて隔たり、あるいは彼此心相照らさざるに因りて隔たる。陽日は則ち道路・関隘の阻有りて隔たるを主る。春に占えば雨雪の路を阻むを主り、冬に占えば霜雪の路を阻むを主る。ゆえに昴星課は閉塞の象有り、路を行く人は拖延有りと言う。もし拖延停頓して久しきを得れば、反って再度起行の兆頭有り。」 また曰く:「陽日は男子の遠行して未だ帰らざるを主り、外に在りて事に出で命を喪うを恐る。陰日は藏伏を主り、女子は淫乱にして深憂解し難し。門を出でたる人は藏れて回らず、家に在る人は門を閉じて人に見えんと願わず。」

邵氏曰:“柔日昴星憂在婦女小口。又有空亡,主久病不起,或以事逃亡徒流。至殺陰主靜,宜藏伏也。又主事欲舉終難起。占謀事有亂常廢弱。若神將相戰主不正奸惡之事。又以日辰決之。水日防水災,火日防火災 ,金日防殺傷,木日防跌墜,土日主傾壓。又主家亡男女奔逃,皆主死亡在外及門戶閉塞不通也。發用在四孟主求事遲得,發用在仲季則陰少驚恐。”

邵康節曰く:「陰日の昴星は、憂患は婦女と小孩の身上に在り。もしまた旬空に逢えば、久病して起きざるを主り、あるいは事に因りて逃亡し・流放に遭う。この課は至陰にして静を主り、藏伏に宜し。また事は弁ぜんと欲して終に弁起こり得ざるを主る。事を謀るを占えば常規を敗乱し廃弛衰弱の象有り。もし本神と乗る所の天将と相戦せば、正当ならざる奸悪の事を主る。また日干の五行を按じて定むる要し:水日は水災を防ぎ、火日は火災を防ぎ、金日は殺傷を防ぎ、木日は跌墜を防ぎ、土日は傾覆・圧傷を主る。また家中の男女逃散し、皆外に死すと門戸閉塞して通ぜざるを主る。発用が寅申巳亥の四孟に落つれば、求むる所の事は遅く得るを主る。発用が仲位・季位に落つれば、すなわち女子・小孩の驚を受くるを主る。」

劉誠意曰:“冬占名冬蛇掩目之瞑而不能開,口含土而不能食,蟠側而不能仲,伸而不能蟠,受氣時也。名蛇者,凶之兆也。名冬蛇者,升騰變化未能出見,亦不能害人也。他人為蛇,或亦不懼,我若為蛇,又當隱形身晦也。若勉強趨走,必貽其咎也。凡占主伏匿潛藏,闇昧不明,人不能見,事因女子,亂從內起,主虛驚不明之事。但值剛日,亦有晴光不息,轉蓬不已,欲動難動耳。柔日則主蟄藏掩目不動,宜持防,闇昧驚恐耳。若見空亡,則伏藏者出見也。”

劉伯温曰く:「冬に占い得るを冬蛇掩目と言う:眼は閉じて睜き得ず、口は土を含みて物を食い得ず、盤曲して伸直し得ず、伸直してまた盤し回り得ず。まさに気を受けて蟄伏する時なり。名を取りて『蛇』と為すは凶兆なり。名を取りて『冬蛇』と為すは、則ちそれがなお昇騰変化して顕現する能わざるを言うにして、すなわち人を害する能わざるなり。別人は蛇なれば、我は必ずしも怕るるに足らず。我自己は蛇なれば、まさに形を隠し晦を韬すべし。もし強いて奔走すれば、必ず過咎を留む。およそこの課を占えば伏匿・潜藏・曖昧不明・人の見る能わざるを主り、事は女子に起因し、禍乱は内部より生出す。多くは虚驚不明の事なり。ただしもし陽日に逢えば、また陽光息まず飛蓬停まらざるの象有り、動かんと欲するも動く能わず。陰日は則ち蟄藏掩目・静にして動かざるを主り、持守・防備に宜しく、ただ曖昧驚恐のみなり。もし課中に旬空を見れば、それなれば潜藏の人は反って身を現して出ず。」

李衛公曰:“柔日昴星名冬蛇掩目,憂在陰小,事主伏匿而闇昧多驚。在家則猶豫難動也。蓋四課既無克又無遙克,是陰陽閉塞不通,故者皆主驚危,惟利空亡以解之。若虎視逢視,則至驚至危矣,故不拘剛日柔日,但傳見白虎傳送皆名虎視轉蓬,傳見太乙螣蛇皆名冬蛇掩目,若冬蛇無力,須防驚蟄後方有力。”

李靖曰く:「陰日の昴星を冬蛇掩目と言う。憂患は婦女・幼小の身上に在り、事は藏匿して曖昧多驚を主り、家に在れば猶豫して動き難し。四課すでに相克なくまた遥克なきが故に、まさに陰陽閉塞して通ぜざるの象なれば、ゆえに皆驚懼・危険を主り、ただ旬空を靠りて化解するのみ有り。もし虎視がさらに虎視と相逢せば、それなれば驚くこと極点に至り危きこと極点に至るなり。ゆえに陽日陰日を拘わず:ただ三伝中に白虎・伝送(申)を見れば、皆虎視・転蓬と言う。三伝中に太乙(巳)・螣蛇を見れば、皆冬蛇掩目と言う。もし冬蛇が力なきと断定せば、なお驚蟄の後蛇の醒め起きたるを提防する要し。あの時它は乃ち真に力有り。」

占國事 未有涯際,狐疑無所適從,忽有剛毅果敢之人,出身為國,制裁急務,剖決不回。但勢必至於傷,然後濟事,或有不願與論,特立獨行,任怨舉事,則事舉矣,亦宜剛日方妙。 占病 歌曰:“虎視傳中有螣蛇,占病絕食事堪嗟。不是咽喉不相嗟,滿口生瘡火上奢。”剛日不利男子占,夏秋占男子外病者死,加凶將主殺傷,冬日占,柔日女子小口病將死。 占六甲 剛日昴星生女,柔日虎視生男。

国事を占う:局面は漫として辺際なく、人人狐疑して従う所を知らず。忽然として剛毅果敢の人有りて身を挺し国のためにし、急務を裁断し、剖決して回頭せず。ただ勢い必ず損傷有らんことを要し、然る後乃ち事を済す可し。あるいは人の彼と共に議せんことを願わざる有りて、彼は特立独行し、人に埋怨せらるるを任じて毅然として事を挙げ、事もまた弁成す。この象はなお陽日に占い得て乃ち妙なり。 疾病を占う:歌訣に曰く:「虎視課の三伝中にまた螣蛇有れば、病を占えば飲食進まず、実に嘆く可し。咽喉に毛病出ずるに非ざれば、便ち満口に瘡を生じ、火気太だ盛んなり。」陽日は男子の占に利なし。夏秋に占い男子は外に在りて病を得るは死せん。さらに凶将を加えれば殺傷を主る。冬に占い陰日に占えば、則ち女子と小孩の病将に治せざらんとするを主る。 六甲(胎孕)を占う:陽日の昴星は女を生ずるを主り、陰日の虎視は男を生ずるを主る。

七、八専課(またの名を帷簿不修課・蕪淫課;独脚課を附す)

八專課 歌曰:日辰同一位,此是八專名,五日陰陽見,三傳順逆存,陽日順數去,陰日逆後奔,復看日辰上,終傳此處輪。

八専課。歌訣に曰く:日干の寄宮と日支とが同一の地盤位置に落つるを、これを八専と言う。六十甲子の中ただ五日のみかくの如し。それらは陰陽の両類に分かち、三伝を取る時もまた順数・逆数の両法に分かつ:陽日は地支の次序に順って三位を数えて発用を取り、陰日は逆らいて三位を数えて発用を取る。然る後さらに日干上神を看、中伝・末伝は皆ここに輪取す。(八専日は干支同位にして四課は并せて两課と成り、前面の元首・重審等の取用法は多く用い得ず、ただ別に順逆の三辰を数ふるの法を立つるのみ。)

又曰:八專之日是無淫,有克比並涉害深,無克須當涉害數,陰日還陰逆數尋,陽日便從陽起順,順逆三位用為真,中末傳歸日干上,依此用之是為精。有時順到日辰上,三傳飛散莫重臨。正月己未酉時占,酉作三傳獨腳名。

また曰く:八専の日は本称「蕪淫」(底本は「無淫」と作る)。課中もし克有れば、仍りて比用・渉害等の法に按じて深きを取りて発用とす。もし克の取る可きなければ、乃ち渉害の数を照らして推す。陰日は仍りて陰に帰し、逆らいて数えて尋ね往く。陽日はすなわち陽より起こり、順って数えて往く。順数あるいは逆数して三位に満てば、取り到ったあの天盤神こそ真の発用なり。中伝・末伝は皆日干上神に帰す。時に順数して正に日干・日支同位の処に落つれば、三伝はすなわち散じて聚まらず。それを重復して位に臨ましむる勿れ。たとえば正月己未日酉時に課を起こせば、三伝は全て酉なり。これを「独脚課」と言う。

六十甲子中有五日支干同位,及專祿日,名曰八專,乃丁未、癸丑、甲寅、己未、庚申是也。此五日干支同位,陰陽只有二課,其取用若有克賊,則依克賊、比用、涉害、遙克取用,如前例取三傳;如無克賊則看日辰之陰陽,陽日就干上第一課上所得之神順數三辰,看天盤得何神,為初傳;中末俱於日上取。

六十甲子の中に五個の日子の日干寄宮と日支とが同じ一位に在るのが有りて、兼ねて専禄の日に属し、名を八専といい、すなわち丁未・癸丑・甲寅・己未・庚申なり。この五日は干支同位にして、陰課陽課が合併してただ两課のみ残れば、ゆえに取用は別に规矩有り:もし課中に克有り贼有れば、仍りて前面の贼克・比用・渉害・遥克の各法に照らして発用を取り、さらに前例に依りて三伝を排す。もし克なく贼なければ、日干の属する所が陽か陰かを看る。陽日は日干上神(第一課上神)より起こり、地盤の上に順って三辰を数え、あの一位の地盤の上に臨む天盤神が何なるかを看て、それを取りて初伝と為す。中伝・末伝は皆日干上神を取る。

陰日就日後第二課上所得之神逆數三辰,看天盤上落得何神為用,中末俱在日上取也。此名八專課,有時逆到日辰上而中末與初傳同空,則謂之獨腳課,皆八專課內。又八專課一名帷簿不修課。

陰日は則ち第二課上神より起こり、逆らいて三辰を数え、どの天盤神の上に落つるかを看て、それを取りて発用と為す。中伝・末伝も同じく皆日干上神を取る。これを八専課と言う。時に逆数して正に日干・日支の在る所に落ち回り、中伝・末伝がまた初伝と同一の字(あるいは同じく旬空に落つ)となれば、あれを「独脚課」と言い、仍りて八専課の内に帰す。八専課はまた一つの別名有りて、「帷簿不修課」と言う——帷幕・帳幔を整飭せざるは、家内の男女の別無きを喻る。

斷曰:帷簿丑聲亂,不修更難管,順陽妻有謀,逆陰夫目反,陰邪驚怪起,出門須迴轉。 歌斷曰:一神二神號八專,陰陽不備向乾坤,帷簿不修逆失理,婦懷他婿外人傳,陽不備兮男不足,占身定是病相侵,公事不成災自散,出入求財枉用心,事多駁什無分別,淫泆難明偽與真,陰日只為家法懷,悖亂乖違因婦人。

断語に曰く:八専課は帷帳の内に醜聞の伝わり出づるを主り、家法整わざれば尚更管束し難し。陽日の順数取用は、妻子の別に図謀有るを主る。陰日の逆数取用は、丈夫の反目を主る。陰邪・驚怪の事はこれに由りて起こり、出門の人は須らく中途にて折り返すべし。 歌訣の断に曰く:ただ一神両神の成す課のみあれば、すなわち八専と言い、陰陽残欠して全からずして乾坤の両隅に偏す。帷帳修まらざるは、常理に背逆す、主として婦人の心に別の男子を懐きて外人の伝揚するを主る。陽課備わらざれば男子に欠缺有り、身命を占えば必ず疾病に侵擾せられん。官事は弁成らず、災禍は却って自ら散去す。出入・求財は皆心思を白費す。事は駁雑にして頭緒を分かち得ず、淫乱の情は真偽明ならず。陰日の占は則ちただ家法敗壞に因り、悖乱乖違は皆婦人に由りて起こる。

又曰:獨腳八專皆丑課,陰陽並雜火淫泆,陰私出入無門戶,淫泆交通事可嗟。亂欲於內外不見,獨在無人便有邪。 又曰:日之陽神還不備,事有兩頭報君知。陽是男兮男不足,父占子息子不備。子若占父父不足,三心二意阿誰知?若然父子二俱足,莫須內有一人夷。若占家宅不完備,縱使德兮財無支。陰人坎坷陰私撓,謀望出入進退疑。無非狹隘必損害,人口奴婢啾唧悲。日辰年上添鬼賊,更加凶將禍難醫。

また曰く:独脚課と八専課と皆醜事の課なり、陰陽混雑して欲火淫佚す。暗中の往来は門戸の防無しと謂う可く、男女私通の事実は嘆く可し。淫乱の欲は内に発して外人の見る能わざるも、一旦独处して人無ければ邪念を生ず。 また曰く:日干の一辺の陽課残欠して全からざれば、事は両頭有り、この点は占者に告ぐる要し。陽は男子を代表し、陽課備わらざればすなわち男丁に欠缺有り:父が子息を占えば子息全からず、兒子が父を占えば父足らず、三心二意は誰か知る能わんや。倘若父子の両課皆斉全なるとも、家にも受傷の一人有るを免れず。もし家宅を占えば、宅舎は完整せず、縦令德行有るも銭財は支うに足らず。婦人は坎坷にして順わず、暗中に人の攪擾を受く。謀望と出入と皆進退疑惑す。総じて局面狹隘にして必ず損害有り、家口奴婢は啾啾として悲鳴すに外ならず。もし日干・日支と本命・行年の上にさらに官鬼・贼克を添え、また凶将を加えれば、この禍は医し難し。

又歌曰:日值八專帷簿課,陰陽並雜不分明。不修帷簿何為禮?內外占之總丑聲。厭醫合門元武當,嫂通於叔妹淫兄。人間察事難推測,元女留經鑑此情。 又曰:陰陽不備是蕪淫,夫婦奸邪有二心。二女爭男男不足,二男共女是單陰。上之克下緣夫過,反此誠為婦不仁。陽既不終陰取合,陰來陽處畏刑臨。

また歌訣に曰く:日辰が八専に値りて帷簿課と成れば、陰陽混雑して分辯し清からず。帷帳整わざれば、なんぞ礼法を談ぜんや。占内・占外を問わず、帰するところ醜聞なり。もし六合が門に当たりて玄武がこれに臨めば、便ち嫂子の小叔と私通し・妹妹の兄長と淫乱するを主る。人間のこの類の事は尤も推測し難く、ただ《元女留経》(六壬の旧籍)のみ能くこの様の情形を照見す。 また曰く:陰陽不備はすなわち「蕪淫」なり、夫婦の間は奸邪にして各々二心を懐く。両個の女子が一個の男子を争うは、男丁の不足なり。両個の男子が一個の女子を共にするは、孤陰の独り存するなり。上神が下神を克すれば、過錯は丈夫に在り。反って下神が上神を克すれば、あれは確かに婦人の賢ならざるなり。陽課すでにその位を終わる能わざれば、陰課は往きて別に配合を尋ぬ。陰神が陽位の上に走り来たれば、刑克の身に臨むに逢うを恐る。

孔明曰:“八專,日干支同位,彼此不分,陰陽混處,如男女合體之象。一名帷簿不修,課言房屋不備而破損,被人窺覷,有無恥不正之事。又名蕪淫,課乃陽不與陰合,陰不與陽親,外無不淫,奸生於內,發用陽神,終不見陰神。以此占人,必有淫泆。陽多陰少,起於男子;陽少陰多,起於女人。兩陽夾陰,男爭女;兩陰夾陽,女爭男。

諸葛孔明曰く:「八専の日は、日干寄宮と日支と同じく一位に処り、彼此分かたず、陰陽混雑し、男女合体の象の如し。それ一名を『帷簿不修』といい、これは房屋完备せずして破損有り、人に外より窺看せられ、家中に無恥不正の事有るを言う。又名を『蕪淫』という:陽は陰と相合せず、陰は陽と相親しまず、外面に淫ならざる無しといえども、奸情は内部に生ず。発用に取る所は陽神にして、始終陰神を見ず。それを以て人を占えば、この人必ず淫佚の行有り。陽神多く陰神少なきは、事は男子に起こる。陽神少なく陰神多きは、事は女人に起こる。両個の陽神が一個の陰神を挟むは、男子の女子を争うなり。両個の陰神が一個の陽神を挟むは、女子の男子を争うなり。

更見天后六合元武作初傳,或合後傳見元武,決主淫亂。元武又見夜神,則淫穢甚矣。若陰合在傳,主室家不正,婦婢不順理。陽不備事起於外,陰不備事起於內。凡事必干婦人,阻塞不通。居多淫泆,事多彰露,姦淫外暴,當謹厚修省,閉於家,而以理自律,遠奸邪而勿狎於近小,則免貽羞辱之事矣。凡有占只於日辰上神將決之。”

もしさらに天后・六合・玄武の初伝と作るを見、あるいは六合・天后の伝に入りてまた玄武を見れば、それなれば淫乱有りと断定す。玄武さらに夜将の当値に逢えば、淫穢さらに甚だし。もし太陰・六合が三伝に入れば、家室正しからず、妻妾婢僕の规矩を守らざるを主る。陽課不備なるは、事は外に起こる。陰課不備なるは、事は内に起こる。凡事必ず婦人に牽渉し、処処阻塞して通ぜず。この課は家中に淫佚多く、事はまた暴露多く、奸情は外に張揚すを主る。これに遇えば謹厚に自省し、門を閉じて家を守り、道理を以て己を約束し、奸邪を遠ざけて身辺の小人と親暱せざれば、乃ち羞辱を招くを免れ得。凡そ占う所有れば、ただ日干・日支上神の乗る所の天将に就きて判定すべし。」

邵氏曰:“八專之課,事多重疊。外不隔而內不遏,憂喜二來,干涉婦人,久而反蔽。若后合入傳則男不知恥,女不知羞,淫穢之事尤恐太陰六合臨日辰。” 劉伯溫曰:“八專如人專執不分之意。無通變之義也。”經曰:“求望則不愛八專。”以人己不分,上下之情不通故也。剛日主進趨欲出,凡事機急速;柔日主退縮欲歸,凡事機遲緩。”

邵康節曰く:「八専課の事は多く重重畳畳たり。外面は挡えず、裏面も攔えず、憂と喜と一斉に涌来し、皆婦人に干連し、日子久しければ反って遮蔽せらる。もし天后・六合が三伝に入れば、すなわち男は恥を知らず女は羞を知らざるを主る。淫穢の事に至りては、尤も太陰・六合の日干・日支の上に臨むを怕る。」 劉伯温曰く:「八専は人の己見に固執し彼此分かたざるに比す、通権達変の意無し。」《経》に曰く:「求望する所有る人は八専課を喜ばず。」これは人我分かたず上下の情通ぜざるの緣故なり。陽日は進取して外出せんと欲するを主り、凡事機勢急速なり。陰日は退縮して回帰するを主り、凡事機勢遅緩なり。

獨腳課斷曰:課名獨腳主憂驚,不宜占病問行人,占賊不來被人殺,任是險危三日平。主自己家之事,不能移,動之則費力,占逃亡去不遠遭獲,陰入自歸家。

独脚課の断語に曰く:課名独脚、憂愁驚懼を主り、用いて疾病を占い行人を問うに宜しからず。盗賊を占えば賊は来らず、反って人に殺害せらるるの虞有り。縦令險危なるも、三日の内に便ち平復す。この課が主る所は皆自家の事にして、挪動する可からず、一たび動けば便ち力を費やす。逃亡を占えば、人は遠からずして捕獲せらる。もし陰神の主る所に属せば、すなわち自ら家に回り来たる。

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