射覆章第二十六・増補課例二(己卯年酉月辛卯日午時辰将)
占驗二、己卯年酉月辛卯日午時辰將,氣功弟子楊明業來,妻上集買菜,回來問所買何物。 空虎 青 卯辰巳午 常 蛇六 常陰 丑 六 勾 寅 未 玄 亥丑 午申 亥 蛇 六 丑 申 陰 丑卯 申辛 酉 后 朱 子亥戌酉 后 蛇貴
第二例。己卯年酉月辛卯日午時、辰将を以て午時に加えて課を起こす。気功を練るの弟子楊明業は前来し、妻子の集市に上りて菜を買い・回り来るの後彼に何を買い了れしかを判断せしむと要すと説く。課中の天盤は地盤に比して両位を退す。四課は自ら右より左に向かい是れ、日干辛は戌に宮を寄り・戌上に申を得、申上に午を得、日支卯上に丑を得、丑上に亥を得。四課上神亥・丑・午・申は依次に螣蛇・六合・太常・太陰を乗ず。三伝は初伝丑は六合を乗じ、中伝亥は螣蛇を乗じ、末伝酉は天后を乗ず、丑・亥・酉は逆行して位を隔てて下る。辛卯日は甲申旬に属し、空亡は午・未両支に在り、三伝皆な空に落ちず、故に射る所の物は是れ実有の東西。此の一則は上一則と一様、是れ注者の増補するの近人課例、用いて射覆の法の今日に於いて仍然用うべきを説明す。
斷曰:丑為大腹,加卯之架,必是架上之物,斷是絲瓜或是冬瓜。“亥繩帶細長”,蛇亦為長物,亥又為水,加丑溼土之上,應是水菜。酉為辛味,上下皆水,不敢妄斷。 將出時,乃一冬瓜,一袋豆芽,一份芥末小油菜。
判断して曰く、丑は大腹の物を主り、卯木の成す所の棚架の上に加わる、必ず是れ架子上に結するの東西、丝瓜或いは冬瓜と断ず。中伝亥、口訣に曰く「亥は是れ縄索帯子、細くして而して長し」、螣蛇も亦た細長の物を主る。亥又た水に属し、丑此の塊の湿土の上に加わる、当に是れ水生の菜蔬なるべし。末伝酉は辛辣の味を主り、上下又た皆な是れ水、此の一件は則ち敢えて妄りに断語を下さず。東西の拿出せらるるを待つに、果たして是れ一個の冬瓜・一袋の豆芽、還た一份の芥末拌の小油菜有り。
欽差章第二十七
欽差章第二十七・占験一(己巳二月乙巳日辛巳時)
占驗一、己巳二月乙巳日辛巳時,楚黃江半石先生占差出,一成課已為何姓者批定大同餉部,重審、斬關,寅卯空、未申落空。 蛇貴 朱 戌亥子丑 后 玄朱 陰六 兄 甲寅 陰 六 酉 寅 陰 卯戌 巳酉 財 丁未 龍 勾 申 卯 玄 戌巳 酉乙 父 壬子 貴 龍 未午巳辰 常 空虎
第一例。己巳年二月乙巳日辛巳時、楚地黄岡の江半石先生は自己の将に何の差事の上に派せられんとするかを占問す、当時一份の已に写成せしの名単有り、説く是れ大同の餉部の一缺を某位の姓は何の人に批給せしと。此の課は戌将を以て巳時に加えて布成し、課体は「重審」に属し、兼ねて「斬関」の格を帯ぶ。本旬の空亡は寅・卯に在り、天盤の未・申二神は正に地盤寅・卯の両個の空位の上に落つ。四課は自ら右より左に向かい是れ、日干乙は辰に宮を寄り・辰上に酉を得、酉上に寅を得、日支巳上に戌を得、戌上に卯を得。四課上神は依次に玄武・朱雀・太陰・六合を乗ず。三伝は初伝寅は太陰を乗じて而して兄弟、中伝未は青龍を乗じて而して妻財、末伝子は貴人を乗じて而して父母と為る。
斷曰:此南行數也。彼以祿臨戌上,故云北差,不知守土官則論祿,欽差官只論馬。今驛馬長生居午,必是南差。曰:明日堂上該先拈後拈?予云:後拈得利。蓋以初傳中傳空亡,末見貴人生日故也。次早關中張主政先拈得大同差,暴存九江鈔關洪先生得之。
判断して曰く、此れ是れ南辺に往くの定数。別人は日禄の戌上に臨むに因りて、則ち当に是れ北に往くの差事なるべしと説く、却って一方を鎮守するの地方官乃ち禄神を論じ、而して命を奉じて使いに出るの欽差は只だ駅馬を論ずるを知らず。如今駅馬は午上に臨みて而して長生の位に居る、必定に是れ南に往くの差事。江先生問う、明天は堂上に於いて鬮を拈る、我は当に先に抢りて拈るべきか還た後面に在りて拈るを待つべきか。我曰く、後に拈る乃ち利を得。初伝・中伝皆な空亡に落ち、唯だ末伝に貴人の来りて日干を生ずるを見るの縁故。第二天一早、関中の張主政は先に拈り、大同の差事に拈着し、暴存此の一缺は則ち九江鈔関の洪先生に由りて拈得せられり。
欽差章第二十七・占験二(辛卯二月戊子日戊午時)
占驗二、辛卯二月戊子日戊午時,同鄉親友胡尹二兄:占淮陽巡撫差可復否,吏書缺可照舊否?重審、鑄印,午未空、亥子落空。 朱蛇 六 戌亥子丑 貴 六常 陰六 父 癸巳 常 勾 酉 寅 后 戌巳 卯戌 比 丙戌 六 龍 申 卯 陰 巳子 戌戊 官 辛卯 陰 空 未午巳辰 玄 虎常
第二の例:辛卯年二月戊子日戊午時、同郷の親友である胡・尹両氏が、淮陽巡撫という役職が回復できるかどうか、衙門内の吏員・文書の欠員をそのまま維持できるかどうかという二つの事を占いに来た。この課は亥将を午時に加えて布したもので、課体は「重審」に属し、「鋳印」の格を兼ねる。本旬の空亡は午・未にあり、天盤の亥・子の二神がちょうど地盤の午・未という二つの空位を押さえている。四課は右から左へ:日干の戊は巳に寄宮し、巳の上に戌を得、戌の上に卯を得る。日支の子の上に巳を得、巳の上に戌を得る。四課の上神・戌・巳・卯・戌はそれぞれ順に六合・太常・太陰・六合を乘る。三伝は、初伝が巳で太常を乘り父母となり、中伝が戌で六合を乘り比肩となり、末伝が卯で太陰を乘り官鬼となる。
斷曰:巡方官可復,吏缺未能如舊也。何也?蓋因鑄印乘軒,主遷官轉職而啟奏事。喜日祿臨支發用,末傳太歲作官,定有差遣,代天子巡狩之官也,且官居奎婁,是鳳廬有官之兆。又格合迴環,四墓加生,去而復來、已廢復興之象,未幾工科上疏題復。不復吏書者,以課不全,故占二得一也。
判断して曰く:巡方の官は回復できるが、吏員・文書の欠員はそのまま維持できない。なぜか。課が「鋳印乘軒」の格を得ており、昇進・転任と奏事の上達を主るからである。喜ばしいのは、日干の禄が日支の上に臨んで発用して初伝となり、末伝がまた太歳をもって官星とした点で、必ず別の差遣があり、まさに天子に代わって四方を巡行する官である。しかも官星が奎・婁二宿の分野に落ちているのは、鳳陽・廬州一帯に官職がある兆しである。この課はまた回環の格を成し、四墓が長生の上に加わっており、まさに去ってまた帰り、廃れてまた興る形象である。ほどなく工部が果たして上疏してこの職の回復を奏請した。吏員・文書の欠員が回復できないのは、この課が四課不全だからで、二つの事のうち一件だけしか応じなかったのである。
章奏章第二十八
章奏章第二十八・占験一(己巳正月己未日庚午時)
占驗一、己巳正月己未日庚午時,閩中張少司空諱維樞者索占,無祿、無路,子丑空、未申落空。 后陰 貴 子丑寅卯 玄 六陰 六陰 子 辛酉 六 蛇 亥 辰 常 酉寅 酉寅 兄 丙辰 常 朱 戌 巳 虎 寅未 寅己 財 癸亥 蛇 六 酉申未午 空 勾龍
第一の例:己巳年正月己未日庚午時、福建の少司空・張維枢先生が私に課を占わせた。この課は丑将を午時に加えて布したもので、課体は「無禄」に属し、「無路」の格を兼ねる。本旬の空亡は子・丑にあり、天盤の未・申の二神がちょうど地盤の子・丑という二つの空位を押さえている。四課は右から左へ:日干の己は未に寄宮し、未の上に寅を得、寅の上に酉を得る。日支の未の上にやはり寅を得、寅の上にやはり酉を得る。己未日は日干の寄宮と日支がともに未位にあるので、四課は二課しか成らず、上神の寅・酉はそれぞれ六合と太陰を乘る。いわゆる「無禄」とは、四課がすべて上神が下神を克し、日干が生扶を得られないことをいう。「無路」とは干支が阻まれて行き先が通じないことをいい、どちらも吉課ではない。三伝は、初伝が酉で六合を乘り子孫となり、中伝が辰で太常を乘り兄弟となり、末伝が亥で螣蛇を乘り妻財となる。
斷曰:正時勝光,值事天空,此為章奏占。曰:吉凶若何?余曰:四課克下,名為無祿,況貴乘旬空,龍神克下,主在上者不足,輕則降罰,重則削權。又財官祿馬俱入墓絕之鄉,急流勇退為佳,否則必有意外之虞。曰:上書旨意如何?余曰:朱雀乘天喜,陰神見天馬,還得好旨歸里,後唯冠帶閒住,回家未久仙遊矣。
判断して曰く:課を起こした正時は勝光の午で、値事の神は天空、この課は奏章の占として見るべきである。張公が尋ねた:一体吉か凶か。私は言った:四課がすべて上神が下神を克しており、名を「無禄」という。まして貴人は旬空を乘り、青竜はまた逆に下を克しており、上の人があなたに満足していないことを主る。軽ければ降職の処罰、重ければ権柄の削奪である。また財・官・禄・馬がすべて墓絶の地に落ちるのに逢い、激流勇退するのがよい。さもなければ必ず思いもよらぬ禍がある。張公はまた尋ねた:この奏疏が上がったら、旨意はどうなるか。私は言った:朱雀は「天喜」を乘り、陰神にまた「天馬」が見えるので、なお良い旨意を得て故郷に帰ることを許されるであろう。のちに彼は果たして冠帯の虚銜だけを残して在郷で閑居し、帰郷してまもなく亡くなった。
章奏章第二十八・占験二(癸酉七月庚子日丙戌時)
占驗二、癸酉七月庚子日丙戌時,雲間董兌之為乃祖董玄宰太史辭大宗伯課,重審、潤下,辰巳空、子丑落空。 空虎常玄 丑寅卯辰 龍 子 巳 陰 玄蛇龍玄 子 庚子 龍 勾 亥 午 后 辰申申子 兄 丙申 蛇 戌酉申未 申子辰庚 印 甲辰 玄 六朱蛇貴
第二の例:癸酉年七月庚子日丙戌時、松江の人・董兌之がその祖父・太史董玄宰のために礼部尚書の職を辞する課を占った。この課は午将を戌時に加えて布したもので、課体は「重審」に属し、三伝の申・子・辰が水局を結んで「潤下」と称する。本旬の空亡は辰・巳にあり、天盤の子・丑の二神がちょうど地盤の辰・巳という二つの空位に落ちている。四課は右から左へ:日干の庚は申に寄宮し、申の上に辰を得、辰の上に子を得る。日支の子の上に申を得、申の上にやはり辰を得る。三伝は、初伝が子で青竜を乘り子孫となり、中伝が申で螣蛇を乘り兄弟となり、末伝が辰で玄武を乘り印綬となる。
斷:此課不能升遷,請告亦不能退位,卻有加銜恩蔭之兆,何用辭為?蓋因三傳全脫,遞生空亡,雖有公卿推薦,不受已頭虛譽,且日祿歸支,印綬逢空,故不得掌篆正官;惟喜皇詔德祿居中乘旺,必有加銜恩蔭之徵。又課傳回環,進旺之氣,豈退位之象,明年春末龍祿傳墓,則當請告。次年春,晉宮銜,馳驛歸里。
判断して曰く:この課は昇進することもできず、上疏して退こうとしても退けない。かえって官銜を加えられ、子孫に恩蔭が及ぶ徴候があるのだから、どうして辞官する必要があろうか。三伝がすべて脱気の神で、層々に相生しながら空亡に生じ入るため、公卿の推薦があっても得られるのは頭上に加わるだけの実惠のない虚名にすぎない。しかも日干の禄が日支に帰し、印綬がまた空に逢うので、実職の正印を握ることはできない。喜ばしいのは「皇詔」が徳神・禄神とともに中伝に居り旺気を乘っているので、必ず加銜と恩蔭の応験がある。この課の課伝はまた回環の格を結び、気機は進んで転じて旺となる。どこが退位の象であろうか。来年の春末に青竜と禄神が墓地に伝わるのを待って、はじめて上疏して退くを請うべきである。翌年の春、彼は果たして宮銜を晋加され、駅馬に乘って故郷に帰った。
董玄宰(1555——1636),名其晶,上海淞江人,乙卯年生,丙子年死,萬曆十七年(己丑)進士,返翰林院編修,精於書畫,多才而無行,終南京禮部尚書。
注者が董玄宰の生平を附記する:その名は其昌(原刻は「其晶」と作る)、上海松江の人。一五五五年乙卯に生まれ、一六三六年丙子に卒す。万暦十七年己丑科の進士で、翰林院に入り編修を任じ、書法・絵画ともに極めて精妙であった。才華は高かったが行事はかなり譏議を受け、最後は南京礼部尚書に至った。
三傳遞生,故公卿舉薦。但初陷末空,中傳日祿德蛇相加,祿有變化。化而入玄武空地,故不吉。日祿歸支,主遙受官職,公獻斷為虛譽,亦一義也。 明年春末,辰月上龍神洩我之氣,主官祿離我而去。龍者去也,故馳驛而去。
注者が補って言う:三伝が層々に相生するので、公卿が出面して挙薦したのである。ただし初伝が陥落し末伝が空に逢い、中伝の上で日禄と徳神・螣蛇が相加わっているので、禄位に変化が起こることが分かる。変化の結果は玄武の居る空地に落ち込むので、決して吉ではない。日禄が日支に帰するのは、遠くから遥かに官職を受けることを主り、陳公献がこれを虚名と断じたのも一つの言い方である。来年春末というのは、辰月に天盤の青竜が日干の気を泄らし、官と禄がともに我を離れ去ることを主るからである。竜には離去の義があるので、駅馬に乘って京を離れ郷に帰るという事に応じたのである。
章奏章第二十八・占験三(丁丑八月壬寅日癸卯時)
占驗三、丁丑八月壬寅日癸卯時,浣中劉退齋太史索占:汝看此是何如人?重審、斬關,辰巳空、午未空。 六勾 朱 未申酉戌 龍 蛇后 陰常 鬼 辰 后 蛇 午 亥 空 午辰 卯丑 財 午 蛇 貴 巳 子 虎 辰寅 丑壬 印 申 六 后 辰卯寅丑 常 陰玄
第三の例:丁丑年八月壬寅日癸卯時、浣中の太史・劉退斎が私に課を起こさせて尋ねた:この人はどのような人物か見てほしいと。この課は巳将を卯時に加えて布したもので、課体は「重審」に属し、「斬関」の格を兼ねる。本旬の空亡は辰・巳にあり、天盤の午・未の二神がちょうど地盤の辰・巳という二つの空位に落ちている。四課は右から左へ:日干の壬は亥に寄宮し、亥の上に丑を得、丑の上に卯を得る。日支の寅の上に辰を得、辰の上に午を得る。四課の上神・丑・卯・辰・午はそれぞれ順に太常・太陰・天后・螣蛇を乘る。三伝は、初伝が辰で天后を乘り官鬼となり、中伝が午で螣蛇を乘り妻財となり、末伝が申で六合を乘り印綬となる。
餘玩之良久,斷曰:此近君陰貴人也,太歲常官臨日,陰見夜貴,太陰又居歲位,必近君之陰貴人也。曰:“此公主也。然有何事?曷一決之。”曰:此必請封蔭子之事。蓋末傳皇詔長生,六合為孩兒,是以知之。倘旨意不允。余曰:傳將六陽登天,必事達天廷至尊之前。但嫌初中空亡,必須兩次方許封蔭。果如其言。
私は長い間繰り返し揣摩して、判断して曰く:占われているのは君上に近い女貴人である。太歳の上の太常が官星を作して日干に臨み、陰神にまた夜貴人が見え、太陰がさらに太歳の位に居るので、必ず君王に接近した女貴人だと分かる。劉公が言った:これはまさに一人の公主である。では彼女にどんな事があるのか、決断してほしい。私は言った:これは必ず封贈を請い、子嗣に恩蔭が及ぶ事であろう。末伝の上に「皇詔」と長生があり、六合がまた孩児を主るので知れるのである。劉公は旨意が許されないのではと心配した。私は言った:三伝の天将は六陽の気が青天にまっすぐ上るので、この事は必ず至尊の前に上達できる。ただ惜しいのは初伝・中伝がともに空亡に落ちることで、二度請うてはじめて封蔭が許されるであろう。のちに果たして私の言った通りになった。
章奏章第二十八・占験三(戊寅三月丙寅日丙申時)
占驗三、戊寅三月丙寅日丙申時,予謁兵垣孫魯山先生,有工垣姚永言先生、戶垣諱朝薦辜父母在座,魯山先生占請告,重審、登天,戌亥空、子丑落空。 六朱 勾 未申酉戌 蛇 青虎 朱勾 子 戊辰 白 龍 午 亥 貴 午辰 酉午 比 庚午 青 空 巳 子 后 辰寅 未丙 財 壬申 六 虎 辰卯寅丑 陰 常玄
また一つの例:戊寅年三月丙寅日丙申時、私は兵科給事中の孫魯山先生を訪ねた。工科の姚永言先生・戸科の辜朝薦先生も座にいた。魯山先生は、上疏して退くを請うことが許されるかを占い問うた。この課は戌将を申時に加えて布したもので、課体は「重審」に属し、「登天」の格を兼ねる。本旬の空亡は戌・亥にあり、天盤の子・丑の二神がちょうど地盤の戌・亥という二つの空位を押さえている。四課は右から左へ:日干の丙は巳に寄宮し、巳の上に未を得、未の上に酉を得る。日支の寅の上に辰を得、辰の上に午を得る。四課の上神は順に勾陳・朱雀・白虎・青竜を乘る。三伝は、初伝が辰で白虎を乘り子孫となり、中伝が午で青竜を乘り比肩となり、末伝が申で六合を乘り妻財となる。
斷曰:請告不允,更主升遷。蓋因官登三天,又傳將進引,安得退居林下乎?況龍神乘相氣,太歲卯行年又生青龍、日干,將來功名遠大。後吏部復疏,旨意不允,旋歷任宣大制臺。
判断して曰く:請退は許されず、かえって昇官を主る。官星が歩々高く登り、三伝と天将がまた層々に前へ推し進めているのだから、どうして林下に退けられようか。まして青竜が当令の相気を乘り、太歳の卯と行年がまた来て青竜と日干を生ずるので、将来の功名はなお非常に远大である。のちに吏部がこの奏疏を覆議し、旨意は果たして許さず、まもなく彼は宣府・大同一帯の総督に任じられた。
章奏章第二十八・占験四(丁丑六月乙未日甲申時)
占驗四、丁丑六月乙未日甲申時,安慶張癢友占九江職方趙光汴先生請纓行邊,昴星、周遍,辰巳空、卯辰落空。 龍空 勾 辰巳午未 虎 青空 朱六 財 戊戌 陰 六 卯 申 常 巳午 寅卯 兄 癸卯 六 朱 寅 酉 玄 午未 卯乙 子 甲午 空 蛇 丑子亥戌 陰 貴後
第四の例:丁丑年六月乙未日甲申時、安慶の張姓の同窓が、九江の人・兵部職方司の趙光抃先生のために、自ら命を請うて辺関に出鎮する事を占い問うた。この課は未将を申時に加えて布したもので、課体は「昴星」に属し、「周遍」の格を兼ねる。本旬の空亡は辰・巳にあり、天盤の卯・辰の二神がちょうど地盤の辰・巳という二つの空位に落ちている。四課は右から左へ:日干の乙は辰に寄宮し、辰の上に卯を得、卯の上に寅を得る。日支の未の上に午を得、午の上に巳を得る。四課の上神・卯・寅・午・巳はそれぞれ順に六合・朱雀・天空・青竜を乘る。三伝は、初伝が戌で太陰を乘り妻財となり、中伝が卯で六合を乘り兄弟となり、末伝が午で天空を乘り子孫となる。
斷曰:凡陰陽昴星,雖無蛇虎入傳,只宜靜守,不利動用。蓋因貴居本位,驛馬旬空,守舊為上。況河魁渡亥,中傳斷橋,凡事阻隔難行。且赤鳥犯歲君,上疏必攖上怒。後果謫戍,壬午歲授燕遼總督,失機建逮問典刑。如占詞訟,名達朝廷,坐死。
判断して曰く:およそ陰日・陽日に起こした昴星課は、たとえ螣蛇・白虎が伝に入らなくても、ただ安静に守成するのが宜しく、挙動するのに利さない。貴人が自分の本位に居て動かず、駅馬がまた旬空に落ちるので、やはり旧を守るのが上策である。まして「河魁」の戌が亥の上に渡り、中伝がまた「断橋」に逢うので、万事が隔たり阻まれて行い難い。加えて朱雀が太歳の君位を犯すので、この奏疏が上れば必ず皇上を触怒させる。のちに彼は果たして辺境に戍りに贬られ、壬午年にまた起用されて薊遼総督となったが、軍機を貽誤したために逮問されて処刑された。このような課で词訟・官司を占っても、名声が朝廷に上達しながら遂に死を判されることを主る。
《明史》:趙光抃,字彥清,九江德化人。舉天啟五年進士。崇禎初,服闋,除工部都水主事,歷兵部職方郎中。十年秋,遣閱薊、遼戎務,盡得邊塞形勢,戰守機宜,列十二事以獻。明年冬,大清兵入密雲,總督吳阿衡敗歿,廷議增設巡撫一人,駐密雲,遂擢光抃右僉都御史任之。至即發監視中官鄧希詔奸謀。帝召希詔還,而令分守中官孫茂霖核實。茂霖為希詔解,光抃反得罪,遣戍廣東。十五年,兵事益棘,廷臣薦光抃復官。光抃家素饒,聞命,持數萬金入都為軍資。 既至,召見德政殿。奏對稱旨,拜兵部右侍郎兼右僉都御史,總督薊州、永平、山海、 通州、天津諸鎮軍務。而大清已克薊州,分兵四出,命光抃兼督諸路援軍。諸援軍觀望,
注者が『明史』の本伝を引く:趙光抃は字を彦清、九江徳化の人。天啓五年に進士に及第した。崇禎初年に守喪が満ちて工部都水主事に任命され、のちに兵部職方郎中まで至った。崇禎十年秋、朝廷は彼を遣わして薊州・遼東一帯の軍務を査閲させ、彼は辺塞の地形と攻守の急所をすべてよく踏査し、十二か条の建議を列して上呈した。翌年冬、清兵が密雲に攻入り、総督呉阿衡が兵に敗れて死んだ。朝議は巡撫一員を増設して密雲に駐守させることに決め、そこで趙光抃を右僉都御史に昇進させてこの職に当たらせた。彼は到任するや監視太監・鄧希詔の奸謀を摘発した。皇帝は鄧希詔を京に召し返したが、分守太監の孫茂霖に核実させるよう命じ、孫茂霖はかえって鄧希詔を弁護し、趙光抃は却って罪を得て広東に戍边に流された。崇禎十五年に辺事がいよいよ逼迫し、朝臣が推薦して彼を復官させた。彼の家はもとより富裕で、命令を受けるや数万両の銀を携えて京に入り軍資に充てた。到京後、徳政殿で召見され、奏対が皇帝の意にかなったので、兵部右侍郎兼右僉都御史に拝され、薊州・永平・山海・通州・天津の各镇の軍務を総督した。しかし清兵はすでに薊州を攻め落として兵を分かち四出しており、朝廷はまた彼に各路の援軍を兼管させたが、各路の援軍はいずれも观望して進まなかった。
河間迤南皆失守,光抃不敢救,尾而南。已,聞塞上警,又驅而北。廷臣交章劾光抃, 謂列城被攻不救,退回高陽,坐視淪覆。明年,復論光抃及範志完。四月,大清兵北旋, 光抃、唐通、白廣恩等八鎮兵邀於螺山,皆敗走。帝聞,大怒。既解嚴,與志完並獲譴。 帝召見雷縯祚,縯祚詆志完,而稱光抃。帝曰:“志完、光抃逗遛河間,獨罪志完,渠 服其心乎?”遂並逮光抃。光抃嘗薦廣恩,廣恩抗不赴召,帝以是益惡光抃,卒與志完 同日斬西市。十六年(1643癸未),十一月癸丑,範志完、趙光抃棄市。)福王時,太僕萬元吉奏復其官。
『明史』は続けて記す:河間以南の各城が相次いで失守し、趙光抃は救いに行くことを敢えてせず、ただ尾行して南に下った。続いて塞上の告急を聞いて、また向きを変えて北に向かった。朝臣は次々に章を上げて彼を弾劾し、各城が攻められるのを坐視して救援せず、高陽に退いて城の陥落を見ているだけだと言った。翌年にまた彼と范志完を併せて弾劾した。四月に清兵が北に撤ると、趙光抃・唐通・白広恩ら八鎮の兵馬が螺山で遮撃したが、みな敗走した。皇帝が聞いて大いに震怒し、戒厳を解除したのち、彼は范志完とともに譴責を受けた。皇帝は雷縯祚を召見し、雷縯祚は范志完を毀りながら趙光抃を称賛した。皇帝は言った:范志完は趙光抃とともに河間に逗留して進まなかったのに、范志完だけを罪に治めて、彼が心服するだろうか。そこで趙光抃も併せて逮捕した。趙光抃はかつて白広恩を挙薦したことがあったが、白広恩は命に抗して召しに応じず、皇帝はこのためいっそう彼を悪み、遂に范志完と同日に西市で斬られた。崇禎十六年すなわち一六四三年癸未十一月癸丑日、范志完・趙光抃は棄市に処された。福王が南京で即位したとき、太僕の万元吉が上奏して彼の元の官職を回復させた。
凡事不宜進者,一隙之明也,告人將有禍矣。若不知幾機時強進,罹禍宜矣。
およそ課象が進むべきでないと示すのは、それが天意の漏らす一筋の光であり、この人に禍が臨もうとしていると予め告げるのと等しい。もしこの兆しを読み取れず、動くべきでない時に強いて進めば、災禍を招くのも当然のことである。
章奏章第二十八・占験五(辛未六月癸卯日乙卯時)
占驗五、辛未六月癸卯日乙卯時,臺中王旋官父師占上疏,從革、絕嗣,辰巳空、申酉落空。 龍空 勾 酉戌亥子 虎 空朱 勾貴 父 丁酉 勾 六 申 丑 常 亥未 酉巳 鬼 辛丑 常 朱 未 寅 玄 未卯 巳癸 財 乙巳 貴 蛇 午巳辰卯 陰 貴後
第五の例:辛未年六月癸卯日乙卯時、台省の王旋官老師が上疏の事を占い問うた。この課は未将を卯時に加えて布したもので、三伝の巳・酉・丑が金局を結んで「従革」と称し、「絶嗣」の格を兼ねる。本旬の空亡は辰・巳にあり、天盤の申・酉の二神がちょうど地盤の辰・巳という二つの空位に落ちている。四課は右から左へ:日干の癸は丑に寄宮し、丑の上に巳を得、巳の上に酉を得る。日支の卯の上に未を得、未の上に亥を得る。四課の上神・巳・酉・未・亥はそれぞれ順に貴人・勾陳・朱雀・天空を乘る。三伝は、初伝が酉で勾陳を乘り父母となり、中伝が丑で太常を乘り官鬼となり、末伝が巳で貴人を乘り妻財となる。
斷曰:傳將遞生,有疏薦人乎?曰:非也,有疏參人耳。余曰:雖三傳遞生,嫌初末逢空,獨存中傳 ,歲破為鬼。又朱雀乘太歲剋日;太歲君也,歲破相也,恐得罪於君相,於公不利。後果以上章薦人,下獄擬配。
判断して曰く:三伝と天将が層々に相生する。もしや上疏して誰かを挙薦するのであろうか。王公が答えた:いや、人を弾劾する上疏である。私は言った:三伝は递相に生ずるけれど、惜しいのは初伝と末伝がともに空亡に落ち、中伝の一つだけが独り残り、しかもその中伝の丑はまさに歳破で、また官鬼に化している。加えて朱雀が太歳を乘って日干を克する。太歳は君王を象徴し、歳破は宰輔を象徴するので、この一疏はおそらく君王と執政に同時に怨まれることになり、あなたにとって大いに不利であろう。のちに彼は果たして他人を挙薦する章を上げたために獄に下り、発配の拟判を受けた。
章奏章第二十八・占験六(丁丑四月丁酉日乙巳時)
占驗六、丁丑四月丁酉日乙巳時,浣中劉退齋先生請假省親占,元首、九丑、曲直,辰巳空、申酉落空。 蛇貴 朱 酉戌亥子 后 空陰 常青 鬼 己亥 貴 六 申 丑 陰 巳丑 卯亥 父 癸卯 常 勾 未 寅 玄 丑酉 亥丁 子 乙未 勾 龍 午巳辰卯 常 空虎
第六の例:丁丑年四月丁酉日乙巳時、浣中の劉退斎先生が仮を請うて故郷に帰り親を見舞う事を占った。この課は酉将を巳時に加えて布したもので、課体は「元首」に属し、「九丑」を兼ね、三伝の亥・卯・未が木局を結んで「曲直」となる。本旬の空亡は辰・巳にあり、天盤の申・酉の二神がちょうど地盤の辰・巳という二つの空位に落ちている。四課は右から左へ:日干の丁は未に寄宮し、未の上に亥を得、亥の上に卯を得る。日支の酉の上に丑を得、丑の上に巳を得る。四課の上神・亥・卯・丑・巳はそれぞれ順に青竜・太常・太陰・天空を乘る。三伝は、初伝が亥で貴人を乘り官鬼となり、中伝が卯で太常を乘り父母となり、末伝が未で勾陳を乘り子孫となる。
斷曰:此奏不允所請,必有溫旨相留。何以知之?蓋天驛二馬加臨年命,理應行動之象。但發用官貴,德馬夾克,又戀長生,主不由己而動。曰:朱雀又空,為文書不就,中傳卯與支上太歲相剋,主君上隔阻,有溫旨相留也。後果不允假旋。
判断して曰く:この奏疏はあなたの請いを許さず、必ず穏やかな旨意があってあなたを留めるであろう。何をもって知るか。天馬・駅馬の両馬がともに本命と行年の上に加臨するので、理の上では動きの象があるはずである。しかし初伝に発用したのは官星と貴人で、徳神と駅馬が両側から挟んで克し、また長生の地に恋着するので、動きたくても身が由にできないことを主る。さらに朱雀がまた空亡に落ちるのは、文書が成り立たない象である。中伝の卯が日支の上の太歳と相克するのは、君上がその間に阻ることを主る。だから温旨で挽留されるのである。のちに果たして彼の告假・帰郷は許されなかった。
章奏章第二十八・占験七(癸酉二月丁丑日丙午時)
占驗七、癸酉二月丁丑丙午時,松江太僕沈雲生先生被京營曹大司禮參劾占回奏吉凶。重審、鑄印(申酉空,丑寅落空。) 貴后 蛇 戌亥子丑 陰 貴青 空后 比 辛巳 空 朱 酉 寅 玄 亥午 巳子 子 甲戌 蛇 六 申 卯 常 午丑 子丁 印 己卯 常 勾 未午巳辰 虎 龍空
第七の例:癸酉年二月丁丑日丙午時、松江の太僕寺の官・沈雲生先生が京営の大司礼・曹某に弾劾され、上疏して回奏することの吉凶を占い問うた。この課は亥将を午時に加えて布したもので、課体は「重審」に属し、「鋳印」の格を兼ねる。本旬の空亡は申・酉にあり、天盤の丑・寅の二神がちょうど地盤の申・酉という二つの空位を押さえている。四課は右から左へ:日干の丁は未に寄宮し、未の上に子を得、子の上に巳を得る。日支の丑の上に午を得、午の上に亥を得る。四課の上神・子・巳・午・亥はそれぞれ順に天后・天空・青竜・貴人を乘る。三伝は、初伝が巳で天空を乘り比肩となり、中伝が戌で螣蛇を乘り子孫となり、末伝が卯で太常を乘り印綬となる。
斷;天空發用,主為章奏而占。曰:何以知之?蓋有官君子占得鑄印,必面君奏事、遷官轉職(且天空乃奏書之神)。曰:看回奏如何?曰:日祿之陰制祿,罰俸止矣,官何礙乎?交仲夥時,天吏皇詔生日,青龍日祿居丑,必然榮擢吳越斗牛之分。雖嫌四課上下沖害,又喜交車合祿,先雖參差,而後和好。及回奏,果罰俸,秋升閩撫,有功,尋授兩廣總督。
判断して曰く:天空が発用して初伝となるので、占われているのは奏章の事だと分かる。相手が尋ねた:どう見て分かるのか。私は言った:官職のある人が鋳印の課を得たら、必ず君王に面して事を奏し、しかも官を昇め職を転ずる(まして天空はもともと奏書を主る神である)。彼はまた尋ねた:今回の回奏の結果はどうか。私は言った:日禄の陰神が逆に禄神を制しているので、禄を少し罰されるだけで、官位に何の妨げがあろうか。仲秋の時に交われば、天吏と皇詔がともに日干を生じ、青竜が日禄とともに丑の上に居るので、必ず呉越斗牛分野一帯の官職に栄升する。四課の上下が相冲・相害するのは好ましくないが、喜ばしいのはまた交車合禄を結んでいることで、初めは参差があっても後にはついに和好する。回奏したのち、果たして禄を罰されただけであった。秋に至って福建巡撫に升任し、功を立てたのでまもなくまた両広総督を授かった。
章奏章第二十八・占験八(丁丑十一月丁亥日戊申時)
占驗八、丁丑十一月丁亥戊申時,東省戶垣諱三傑孫科長代同鄉丁科長占守科失紅本回奏。重審、反吟。(午未空,子丑落空) 后陰 貴 亥子丑寅 玄 貴空 勾陰 比 癸巳 空 蛇 戌 卯 常 亥巳 未丑 鬼 丁亥 貴 朱 酉 辰 虎 巳亥 丑丁 比 癸巳 空 六 申未午巳 空 勾龍
第八の例:丁丑年十一月丁亥日戊申時、山東戸科の孫三傑科長が同郷の丁科長のために、本科を值守する際に紅本を紛失し、上疏して回奏する事を占った。この課は寅将を申時に加えて布したもので、月将と占時がちょうど相冲し、天地両盤が一つ一つ向かい合い、課体は「重審」に属して「反吟」を兼ねる。本旬の空亡は午・未にあり、天盤の子・丑の二神がちょうど地盤の午・未という二つの空位を押さえている。四課は右から左へ:日干の丁は未に寄宮し、未の上に丑を得、丑の上に未を得る。日支の亥の上に巳を得、巳の上に亥を得る。四課の上神・丑・未・巳・亥はそれぞれ順に太陰・勾陳・天空・貴人を乘る。三伝は、初伝が巳で天空を乘り比肩となり、中伝が亥で貴人を乘り官鬼となり、末伝はやはり巳で天空を乘る比肩である。
斷:官必降罰,職必更改。曰:目今朝廷責之,已過當矣,矧又重其責乎?曰:龍神克戰,課將返吟,居官定難滿任,況巳為驛馬,上乘皇詔,主一任未了,二任又臨。曰:比更職無疑。及以降三級回首,不准;降五級,又不准;擬降別衙門,然後依擬。
判断して曰く:官階は必ず降罰され、職務は必ず変更される。相手が言った:いま朝廷の責罰はすでに重すぎる。まさかさらに加重されるのか。私は言った:青竜が克を受けて交戦し、課体がまた返吟に逢うので、この位では任期を満たして坐っていられない。まして巳は駅馬で、その上に皇詔を乘せており、一任がまだ終わらないうちに第二任の差遣がまた臨んでくることを主る。これを見ると、改職は疑いない。のちにまず三級降格の回話を拟したが朝廷は許さず、再び五級降格を拟してもやはり許されず、最後に別の衙門への降調を拟してやっとこの議処に照じて批准された。
章奏章第二十八・占験九(戊辰十二月戊申日庚申時)
占驗九、戊辰十二月戊申庚申時,予在燕京會高仁齋、夏客還、張環玉邀,蜀中禮部李載溪先生座索占。(寅卯空,未申落空) 朱蛇 六 戌亥子丑 貴 白貴 陰六 官 乙卯 陰 勾 酉 寅 后 午丑 卯戌 子 戊申 龍 龍 申 卯 陰 丑申 戌戊 兄 癸丑 貴 空 未午巳辰 玄 虎常
第九の例:戊辰年十二月戊申日庚申時、私は北京で高仁斎・夏客還と会い、張環玉が東道となって相招した席上、四川籍の礼部の官・李載渓先生が座にいて私に課を起こさせた。この課は丑将を申時に加えて布したものである。本旬の空亡は寅・卯にあり、天盤の未・申の二神がちょうど地盤の寅・卯という二つの空位を押さえている。四課は右から左へ:日干の戊は巳に寄宮し、巳の上に戌を得、戌の上に卯を得る。日支の申の上に丑を得、丑の上に午を得る。四課の上神・戌・卯・丑・午はそれぞれ順に六合・太陰・貴人・白虎を乘る。三伝は、初伝が卯で太陰を乘り官鬼となり、中伝が申で青竜を乘り子孫となり、末伝が丑で貴人を乘り兄弟となる。
仁齋斷曰:卯與戌合,為大六合,六合加戌為小六合,喜末傳月將貴人,定然片言入相。予反其意曰:太陰臨卯,空即不能成名,此乃舊事又舉行者,二月還宜慎重。曰:何以知其舊事:曰:舊太歲發用,且四墓覆生,主已廢復行,沉而又舉也。嫌初中龍官空戰,朱雀陰見玄墓(亥乘朱陰神見辰也),若上疏,旨意不佳。果後以改授上疏見駁,幾至察處。
高仁斎が判断して曰く:卯と戌が相合するのは大六合であり、六合の将がまた戌の上に加わるのは小六合である。喜ばしいのは末伝が月将と貴人を乘ることで、必ず二言三言で参政の要に入れる。私はかえって反対の意を言った:太陰が卯の上に臨み、卯がまた空に落ちるので、事は名を成せない。これは旧事の再提起にすぎず、二月に至ってはなお慎重を要する。相手が尋ねた:旧事だとどうして分かるのか。私は言った:初伝に発用したのは去年の旧太歳であり、しかも四墓が逆に覆って日干を生ずるので、すでに廃置された事がまた推し行われ、沈んだものがまた挙げられることを主る。惜しいのは初伝・中伝で青竜と官星が空に落ちて相戦い、朱雀の陰神にまた玄武と墓神が見えること(亥の上に朱雀を乘せ、その陰神は辰の上に落ちる)。もし上疏すれば旨意は良くない。のちに彼は果たして官職の改授のために上疏して駁回され、ほとんど査処を受けるところであった。
兵斗章第二十九
兵斗章第二十九・占験一(甲申四月庚申日庚辰時)
占驗一、甲申四月庚申日庚辰時,如皋銓部李大生先生占燕京安危,八專,子丑空,巳午落空。 朱蛇 六 戌亥子丑 貴 白貴 白貴 財 乙卯 陰 勾 酉 寅 后 午丑 午丑 父 乙丑 貴 青 申 卯 陰 丑申 丑庚 父 乙丑 貴 空 未午巳辰 玄 虎常
第一の例:甲申年四月庚申日庚辰時、如皋の吏部の官・李大生先生が北京城の安危を占い問うた。この課は酉将を辰時に加えて布したもので、庚申日は干支がともに申位に同居し、課体は「八専」に属する。本旬の空亡は子・丑にあり、天盤の巳・午の二神がちょうど地盤の子・丑という二つの空位を押さえている。四課は右から左へ:日干の庚は申に寄宮し、申の上に丑を得、丑の上に午を得る。日支の申の上にやはり丑を得、丑の上にやはり午を得る。四課は二課しか成らず、上神の丑・午はそれぞれ貴人と白虎を乘る。三伝は、初伝が卯で太陰を乘り妻財となり、中伝と末伝はともに日干の陰神・丑を取り、貴人を乘って父母となる。
斷曰:賊自西山出奇,用騾車木韞,先攻西南後攻東北,且有凶變之虞。蓋因賊符自戌發用,克中末干支貴人,而天空臨寅,此地疏虞,賊必乘虛而入,兩陰神虎鬼克干支及歲君,左右獻城之象。後聞李賊明攻張掖,暗逾東直,城中鼎沸,開門出降,先帝自縊。
判断して曰く:賊兵は西山から奇兵を出し、騾車と木製の攻城器械を用いて、先に西南方を攻め、後に東北方を攻める。しかも凶险で巨大な変動の憂いがある。「賊符」が戌の上から発用して中伝・末伝の干支と貴人を克し、天空が寅位に臨んでいるので、この一帯は防守が空疎で、賊衆は必ず虚に乘じて入る。二重の陰神の上の白虎と官鬼が同時に日干・日支と太歳を克傷するのは、まさに左右の近臣が城を献じる形象である。のちに聞くと、李自成は表向き張掖門を攻め、暗に東直門を越え、城中は大乱し、守将が門を開けて投降し、崇禎皇帝は自ら縊れて国に殉じた。
兵斗章第二十九・占験二(乙酉正月丙午日丙申時)
占驗二、乙酉正月丙午日丙申時,總漕部院田百原老師住淮清江聞高鎮睢州被許定國圍困,占吉凶,重審、從革,寅卯空、午未落空。 蛇貴 朱 酉戌亥子 后 玄蛇 陰朱 財 己酉 朱 六 申 丑 陰 寅戌 丑酉 子 癸丑 陰 勾 未 寅 玄 戌午 酉丙 比 乙巳 空 青 午巳辰卯 常 空虎
第二の例:乙酉年正月丙午日丙申時、漕運を総督する部院・田百元老師が淮安の清江浦に駐在し、高傑の軍が睢州で許定国に包囲されたと聞いて吉凶を占い問うた。この課は子将を申時に加えて布したもので、課体は「重審」に属し、三伝の巳・酉・丑が金局を結んで「従革」となる。本旬の空亡は寅・卯にあり、天盤の午・未の二神がちょうど地盤の寅・卯という二つの空位を押さえている。四課は右から左へ:日干の丙は巳に寄宮し、巳の上に酉を得、酉の上に丑を得る。日支の午の上に戌を得、戌の上に寅を得る。四課の上神・酉・丑・戌・寅はそれぞれ順に朱雀・太陰・螣蛇・玄武を乘る。三伝は、初伝が酉で朱雀を乘り妻財となり、中伝が丑で太陰を乘り子孫となり、末伝が巳で天空を乘り比肩となる。
斷曰:興平公必被戮。課傳從革,合中刑干害支。春占金局為返射肅殺之氣;戌命長生被其克盡,全無一點化解,況干乘死氣,支乘干支之墓,不惟主墮客計,而主亦自被其愚矣。又干支命年上神俱遭刑剋墓害,死又何疑乎?三日後果應。
判断して曰く:興平伯・高傑は必ず殺される。この課は三伝が従革の金局を結び、合局の中でまた日干を刑し日支を害する。春に金局を得るのは、反射して戻る粛殺の気である。彼の戌年の本命のある長生の地が金気に克されてすっかり尽き、少しの化解の余地もない。まして日干は死気を乘り、日支はまた干支の墓神を乘っているので、その人が相手の罠に嵌っただけでなく、主人自身も人に愚弄されたことを主る。加えて日干・日支・本命・行年の各所の上神がすべて刑克・墓害に遭っているのだから、何を疑うことがあろうか。三日後に果たして応じた。
1645年2月8日夜,由於高傑與許定國從前有仇隙,兩人素來互相忌恨。現在兩人都表示友好與寬宏。但是,1645年2月8日夜,許定國在他的睢州駐地宴請高傑,將他殺害。隨後他渡過黃河投奔清軍,在他們眼中,他的殺害高傑大大提高了他的身價。同時這一行動使高傑的大軍陷入憤怒與混亂之中。其他各鎮將領對高傑的怨恨和南京的政治陰謀,挫敗了史可法重建高傑軍的領導的企圖。當他們不受管束地進入南直隸向揚州潰退時,守住黃河防線的希望就破滅了。
注者が史事に拠ってこの課の応験を補述する:高傑は許定国と早くから怨みを結び、互いに長く忌恨していたが、その時表面上はともに友好で寛厚な姿を見せていた。一六四五年二月八日の夜、許定国は自分の駐守する睢州で宴を設けて高傑をもてなし、席中に彼を殺し、続いて黄河を渡って清軍に降った。清側から見れば、高傑を殺したことは彼の身の値打ちを大いに高めた。この変故は高傑の大軍を憤怒と混乱に陥れ、しかも残りの各镇の将領はもともと高傑を怨み、南京の朝中にはまた政争と暗算があったので、史可法が高傑の旧部を再び整頓して別に主帥を立てようとする計画は水泡に帰した。この統制を失った軍隊が南直隷に流れ込み揚州へ潰退したとき、黄河の防線に拠り守る望みもまた徹底的に潰えた。高傑はすなわち前の課にいう興平伯で、彼が殺されたのはまさに占課後の三日目で、「興平公必ず戮されん」「三日の後果たして応ず」の断語と完全に吻合する。
兵斗章第二十九・占験三(乙酉四月丁丑日辰時・揚州城破)
占驗三、乙酉四月丁丑日辰時,大兵用銃攻揚州,守西門將士索占吉凶,重審、鑄印,申酉空、丑寅落空。 貴后 蛇 戌亥子丑 陰 貴青 空后 兄 辛巳 空 朱 酉 寅 玄 亥午 巳子 子 甲戌 蛇 六 申 卯 常 午丑 子丁 父 己卯 常 勾 未午巳辰 虎 龍空
第三の例:乙酉年四月丁丑日辰時、大軍が火銃で揚州を攻め、西門を守る将士が吉凶を占うよう請うた。この課は酉将を辰時に加えて布したもので、課体は「重審」に属し、「鋳印」の格を兼ねる。本旬の空亡は申・酉にあり、天盤の丑・寅の二神がちょうど地盤の申・酉という二つの空位を押さえている。四課は右から左へ:日干の丁は未に寄宮し、未の上に子を得、子の上に巳を得る。日支の丑の上に午を得、午の上に亥を得る。四課の上神・子・巳・午・亥はそれぞれ順に天后・天空・青竜・貴人を乘る。三伝は、初伝が巳で天空を乘り兄弟となり、中伝が戌で螣蛇を乘り子孫となり、末伝が卯で太常を乘り父母となる。
斷曰: 游都建旺發用,忌臨畏地,主敵人迫於不得已而死戰也。今日干支雖旺相,然旺相之氣在於外,休囚之地在於內,城安能保乎?嫌中傳被支所刑,辰時又來沖破鑄印,見刑沖則為破印矣。且戌為州城牢獄,勾陳又剋日上神,屠城放獄,應在咫尺。飯後步入舊城,城已破。
判断して曰く:敵方の主将を表す「游都」がちょうど旺して発用して初伝となり、しかも自分の畏れる受克の地に落ちているので、敵軍が止むを得ず追い詰められて死に物狂いで戦うことを主る。いま日干・日支は旺相に属するが、旺相の気はみな城外にあり、休囚の気がかえって城内にある。城をどうして保てようか。憂慮すべきは中伝が日支に刑され、占時の辰がまた来て鋳印の格を冲破することで、鋳印は刑冲に逢えば破印となる。まして戌は州城と牢獄を主り、勾陳がまた日干の上神を克するので、城を屠り獄を開く禍が眼前にある。食後に歩いて旧城に入ると、城はすでに攻め破られていた。
兵占之法,以支為城為守,干為敵為攻。 干支旺相則旺氣在於外,守難攻易;干支休囚則旺氣在於內,守易攻難。 初傳為攻,末傳為守,中傳為守禦陣地。
注者が兵事の占法の綱領を帰納する:戦事を占うには日支をもって城を表し守方を表し、日干をもって敵を表し攻方を表す。日干・日支が旺相に処すれば、旺気が城外にあることを示し、それなら守方は力を費やし攻方は力を省く。日干・日支が休囚に処すれば、旺気が城内に蓄えられていることを示し、それなら守方は安穏で攻方は得手にできない。三伝の中では、初伝は進攻する方を表し、末伝は防守する方を表し、中伝は双方が争う守御の陣地を表す。
此課,丁壬日游都在巳,巳為發用,加於受克之子地,為忌臨畏地,主困獸猶斗,無退路而人人奮死。因發用為敵為攻,枚主敵迫不得已而死戰。 中傳戌為城牆,受支丑之刑,辰時之沖,主城破。 末傳卯生初傳巳,城內有內奸;卯克戌,主有人偷降,破壞城守。
本課について言えば:丁日・壬日の游都は巳の上に定めて安いているが、巳がちょうど発用して初伝となり、しかもそれを克する子位の上に加わっている。これを「畏地に臨むを忌む」といい、敵軍が困獣のなお闘うがごとく、退くに退けず人皆命を賭することを主る。初伝が敵方を表し進攻を表すので、敵がやむなく死戦を強いられると断ずる。中伝の戌は城牆を表し、日支の丑の刑を受け、また占時の辰の冲を受けるので、城牆が攻め破られることを主る。末伝の卯が初伝の巳を生ずるのは、城里に内応する奸者がいることを示す。卯がまた戌を克するのは、密かに投降する者がいて内部から城防を破ることを主る。
課得交車合、鑄印,都是城門緊閉之意。但交車合而干支上下互沖,鑄印又被沖破,旺氣又在於外,故城不守。 占時沖破鑄印,故城破在咫尺,言極速也。 又戌為州城牢獄,受沖剋則城陷獄開也。 勾陳又剋日上神,勾陳為將,乘未克子也。干上神為敵,敵受克為何講屠城放獄,不知何因,請高明指教。
この課はまた交車合と鋳印の二つの格を兼ね、もともとどちらも城門を閉ざして堅く守り出ない意である。ところが交車合でありながら日干・日支の上下が互いに冲击し、鋳印がまた占時に冲破され、旺気がまたみな城外にあるので、城はついに守れない。占時が鋳印を冲破するのは、城破が眼前にあることを示し、いかにも速いことを極言したものである。さらに戌は州城と牢獄を主り、一旦冲を受け克を受ければ、城が陥ちて獄門が大きく開くことを示す。勾陳が日干の上神を克するというのは、勾陳が武将の神で、それは未来を乘って子を克するからである。ただし日干の上神はもともと敵方を表し、敵方が克を受けるのにどうしてかえって屠城開獄と説くのか、注者にもその故が分からないので、高明の人のご指教を願う。
