占訟章・占験三
占驗三、丙子三月己酉丁卯時,粵東少伯陳秋桃太史,為宗藩建言被逮刑部,占出獄。驀越、重審。(寅卯空,酉戌落空) 后陰 貴 子丑寅卯 玄 蛇常 六陰 財 辛亥 蛇 蛇 亥 辰 常 亥辰 酉寅 印 丙午 空 朱 戌 巳 虎 辰酉 寅己 兄 癸丑 后 六 酉申未午 空 勾龍
丙子年三月己酉日丁卯時に占す。広東人少伯陳秋桃太史は、宗藩の為めに書を上げて言を進むに因りて刑部に逮え進められ、何れの時能く獄を出るかを占問す。課体は「驀越」に属し兼ねて重審。本旬の空亡は寅・卯に在り、天盤の酉・戌両神は空亡の宮に落つ。以下是是れ当日の課盤。方格中の十二支は是れ天盤、格外に十二天将を注し、中間の両列は自ら右より左に向かいは四課、最も右の一列は自ら上より下にして初・中・末の三伝及び其の六親・遁干と天将。此の課の初伝辛亥は是れ財爻にして螣蛇を乗じ、中伝丙午は是れ印綬にして天空を乗じ、末伝癸丑は是れ兄弟にして天后を乗ず。初伝の亥は正に是れ駅馬、却って辰墓の上に坐す、此れ是れ全課の関鍵、故に獄を出るは須く墓庫を冲開するの月を待つべし。
斷:目今不能脫難,交四月甲戌日巳時方出獄。同難諸縉紳皆曰:指日即出,余曰;不然,發用驛馬坐墓(驛馬亥坐辰上也),且赤鳥犯歲君(朱雀戌克太歲子也),如上疏旨意必駁。眾不然其說,三月馮大司寇上疏,旨意駁下,四月上疏,依擬脫離。因四月建沖初傳墓中驛馬,方有出獄之應也。
陳公献の断じて曰く、眼下還た難を脱する能わず、須く四月甲戌日巳時に到りて乃ち能く獄を出づべし。一同に獄に下るの士紳皆な日ならずして則ち能く出来ると説く、我曰く然らず。初伝の駅馬は正に墓上に坐す(駅馬亥は辰上に坐す)、朱雀又た太歳を冲犯す(朱雀の乗ずる所の戌は去りて太歳子を克す)、此の時に疏を上げて申弁すれば、旨意必定に駁回せらるべし。衆人皆な然りと為さず。三月の裡刑部尚書馮某は疏を上げ、旨意果たして駁下せられ。四月に到りて再び疏を上げ、乃ち擬する所に依りて罪を脱せり。四月の月建は初伝墓中の駅馬を冲动するを以て、此れ乃ち獄を出るの応験有るなり。
可見脫難之事,馬星十分重要,以其亦逃脫之意也。凡坐墓則不能動也,合亦然;受沖為動機。 宗藩,皇家宗室,為分封到各處的各代皇帝子孫,如福王朱常洵、桂王朱由榔、唐王朱聿建等。為宗藩建言者,上書請為某宗藩聽某件事說好話,如請求增加封地、提高官階等等。
注解者は指出す、以て難を脱する此の類の事は、馬星十分要緊を見るべし、馬も亦た逃脱の意思を含着するを以てなり。凡そ墓上に坐すれば則ち動く能わず、合住せらるるも亦た一様、冲を受くる乃ち是れ動くの契機。注解者又た「宗藩」を解釈す。宗藩は則ち是れ皇家宗室、各地に分封せられしの歴代皇帝子孫を指す、福王朱常洵・桂王朱由榔・唐王朱聿建等の如し。謂う所の宗藩の為めに建言するは、則ち是れ書を上げて某位の宗藩の某件の事の為めに好き話を説く、譬えば封地を增加し・官階を提高するを請求するの類。
占訟章・占験四
占驗四、壬午七月甲午日庚午時偶有一客至埂子街寓中,坐定時餘為袖傳課。退茹。(辰巳空,卯辰落空) 勾龍 六 辰巳午未 空 六勾 后貴 父 庚子 后 朱 卯 申 虎 辰巳 子丑 父 己亥 陰 蛇 寅 酉 常 巳午 丑甲 財 戊戌 玄 貴 丑子亥戌 玄 后陰
壬午年七月甲午日庚午時に占す。偶然に一位の客人有りて埂子街の寓所に来り到り、坐定するの後、陳公献便ち袖中に於いて掐算して課を起こせり。課体は「退茹」に属し、三伝節節後退す。本旬の空亡は辰・巳に在り、天盤の卯・辰両神は空亡の宮に落つ。以下は是れ当時の課盤。方格中の十二支は是れ天盤、格外に十二天将を注し、中間の両列は自ら右より左に向かいは四課、最も右の一列は自ら上より下にして初・中・末の三伝及び其の六親・遁干・天将。此の課の初伝庚子と中伝己亥とは皆な是れ父母、末伝戊戌は是れ財爻、分別に天后・太陰と玄武とを乗ず。子・亥・戌は節節後退し、正に是れ退茹の象、謀る所の事は退有りて進無きを主る。
斷:公科第中人,非田姓即王姓也,然有朝廷事連累。蓋臨身貴人,必科甲中人;然貴被干克,歲破發用,課傳退茹,是以有獲罪朝廷事。喜初中後陰為恩赦,然而無大咎也。後知為荊州知府王承曾,甲戌進士,以失城逮問,賊破燕京始出。
陳公献の断じて曰く、您是れ科挙出身の人、姓は田に非ざれば則ち姓は王、只だ是れ朝廷の案子の牽累有るのみ。貴人の自身に臨むを以て、必ず是れ科甲中の人。然而貴人は日干に克せられ、歳破又た初伝を作り、四課三伝皆な是れ退茹の象、故に朝廷に於いて罪を獲るの事有り。喜ぶべきは初伝・中伝と天后・太陰と皆な恩赦の神を作る、因りて并びに大禍無し。後来乃ち彼是れ荊州知府王承曽・甲戌科の進士・城池を失守するに因りて逮問を被り、直に流寇の北京を攻破するに到りて乃ち身を脱するを得たるを知る。
占訟章・占験五
占驗五、癸酉四月癸亥丙辰時,宜興周首輔因陳科長彈論,命醫者周誠生來占,重審。(子丑空,巳午落空) 空虎 龍 戌亥子丑 常 勾后 空蛇 財 戊午 蛇 勾 酉 寅 玄 酉辰 亥午 兄 癸亥 空 六 申 卯 陰 辰亥 午癸 官 丙辰 后 朱 未午巳辰 后 蛇貴
癸酉年四月癸亥日丙辰時に占す。宜興人の周首輔は、陳科長に弾劾議論せられしに因りて、医師周誠生を命じて前来せしめて占問せしむ。課体は重審に属す。本旬の空亡は子・丑に在り、天盤の巳・午両神は空亡の宮に落つ。以下是是れ当日の課盤。方格中の十二支は是れ天盤、格外の注する所は是れ十二天将、中列は自ら右より左に向かいは四課、右列は自ら上より下にして初・中・末の三伝及び其の六親・遁干・天将。此の課の初伝戊午は是れ財爻にして螣蛇を乗じ、中伝癸亥は是れ兄弟にして天空を乗じ、末伝丙辰は是れ官星にして天后を乗ず。日干癸と日支亥と同じく一宮に處を同じくし、全課の貴人・禄神・財爻・馬星の落つる處は、正に是れ下文の断語の着眼の所在す。
斷:朝官占此,必主去位。蓋因傳將遞克,德不勝刑(德在巳而刑在亥,亥克巳太耳。),主小人進用而君子退位。且貴祿財馬俱逢空陷(貴、財、馬俱在巳,臨子落空;祿子旬空,臨未非落空。),豈能善後乎。又夜貴臨行年(行年必在戌,卯臨之。),即不仕閒官也。六月後,年上日祿天馬沖動身命,是其行期矣。喜四墓覆生,仍有復起之象。果六月準辭,馳驛回里。
陳公献の断じて曰く、朝に在りて官を為すの人此の一課を占うに、必定に須く位を去らんと要す。三伝と天将と層層逓克し・日徳は刑神に敵す能わざるを以て(徳は巳に在りて而して刑は亥に在り、亥は来りて巳を克する太甚なり)、小人の用を得て而して君子の位を退くを主る。況んや貴人・禄神・財爻・馬星の統統空に落ちて陥を受くるをや(貴人・財・馬皆な巳に在り、子上に臨みて而して空に落つ。禄神子は本身旬空なれども、未上に臨むは却って落空と算さず)、怎んぞ能く好き結局有らんや。又た夜貴の行年に臨む有り(行年は必ず戌に在り、卯に由りて来临す)、便ち官を做すとも只だ是れ閑職。六月以後、行年上の日禄と天馬と身命を冲动するは、彼れ則ち彼の動身するの日期。喜ぶべきは四墓の反覆相生し、還た再起の象有り。果たして六月の裡朝廷は辞呈を准し、彼は駅の車馬を乗りて郷に回れり。
十四年辛巳九月,復入閣,十六年賜死。
注解者は補記す。崇禎十四年辛巳九月に到りて、此の位の周首輔は又た内閣に召回せられ、十六年に死を賜せられり。
占訟章・占験六
占驗六、丙子二月乙未日己卯時,東省登州戚都司諱司宗者因失機已定重闢八載,占吉凶若何。重審。(辰巳空,亥子落空) 后陰 貴 子丑寅卯 玄 六陰 空蛇 子 甲午 空 蛇 亥 辰 常 酉寅 午亥 財 辛丑 后 朱 戌 巳 虎 寅未 亥乙 官 丙申 勾 六 酉申未午 空 勾龍
丙子年二月乙未日己卯時に占す。山東登州都司戚司宗は軍機を貽誤するに因りて、已に死罪に定成せられて八年を関わり、吉凶如何を占問す。課体は重審に属す。本旬の空亡は辰・巳に在り、天盤の亥・子両神は空亡の宮に落つ。以下是是れ当日の課盤、形制は前一課と相同じ。方格中の十二支は是れ天盤、格外に十二天将を注し、中列は自ら右より左に向かいは四課、右列は自ら上より下にして初・中・末の三伝及び其の六親・遁干・天将。此の課は前面の第二課と同じく是れ乙未日己卯時、排出する所の課盤完全に一様。初伝甲午は是れ子孫にして天空を乗じ、中伝辛丑は是れ財爻にして天后を乗じ、末伝丙申は是れ官星にして勾陳を乗ず。同様の一副の課盤、問う所の事の同じからざるに因りて断法各々異なり。
斷曰:六月遇赦,轉凶為吉。緣長生臨身(亥為木長生,臨日故也,此不以長生坐墓看。),天赦加支,況太歲貴人俱作恩星,罪雖重,亦減輕矣。尤可喜者,傳將遞生,初末暗拱未命(此又不以拱上神論。),仍有公卿推薦,他日出仕之象也。果六月奉命熱審,豁罪謫戍,發京營立功處贖,後辛巳年升甘肅鎮中軍參將。
陳公献の断じて曰く、六月に赦免に遇い、凶を転じて吉と為さん。長生の自身に臨むを以て(亥は是れ木の長生、又た日干上に臨む、此の處は長生の墓に坐するに按じて看ざるなり)、天赦は日支上に加わり、況んや太歳と貴人と皆な恩星を作るをや、罪名雖も重しとも亦た須く減軽すべし。尤も喜ぶべきは三伝と天将との層層相生し、初伝末伝暗中に未年の本命を夹拱す(此の處も亦た上神を拱住するに按じて論ぜず)、仍ほ公卿の推薦・日後に再び出仕するの気象有り。果たして六月に命を奉じて熱審し、罪を免れて谪戍に改め、京営に発して功を立てて罪を贖わしめ、後来辛巳年に甘肅鎮中軍参将に升任せり。
占訟章・占験十五
占驗十五、辛未四月戊午辛酉時,山東吏垣宋太斗先生相召占課,雲非己占、代占,玄胎、伏吟。(子丑空,子丑落空) 蛇貴 朱 巳午未申 后 蛇蛇 朱朱 父 丁巳 朱 六 辰 酉 陰 午午 巳巳 子 庚申 后 勾 卯 戌 玄 午午 巳戊 鬼 甲寅 龍 青 寅丑子亥 常 空虎
辛未年四月戊午日辛酉時に占す。山東籍の諌官宋太斗先生は相い邀ねて課を占う、声は是れ自己に替わりて占うに非ず、而して人に代わりて来りて占うなりと明かす。格は玄胎を成し、課体は是れ伏吟。本旬の空亡は子・丑に在り、天盤の子・丑両神も亦た正に空亡宮の上に落つ。以下は是れ当時の課盤。方格中の十二支は是れ天盤、格外に十二天将を注し、中列は自ら右より左に向かいは四課、右列は自ら上より下にして初・中・末の三伝及び其の六親・遁干・天将。此の課の四課上下皆な是れ午の午に加わり・巳の巳に加わる、天地盤同位、正に是れ伏吟。初伝丁巳は是れ父母にして朱雀を乗じ、中伝庚申は是れ子孫にして天后を乗じ、末伝甲寅は是れ官鬼にして青龍を乗ず。伏吟の課は事の伏して動かざるを主り、須く冲開を待ちて乃ち転機有らん。
斷:在朝官占此提防臺諫而回還得好 旨歸里。蓋因傳將互克,伏吟丁馬,且太陽無光矣(月將酉臨酉地,是西墜之象也),豈能久居廊廟乎?然喜朱雀德祿生日(朱乘巳作日德日祿臨日),故得好旨歸里。後知為四明諱象坤錢相公所占。果因人言請告而去。
陳公献の断じて曰く、朝に在りて官を做るの人此の一課を占うに、須く台諌の弾劾を提防すべし、不過還た能く一道の好き旨意を得て郷に回るを得。三伝と天将と互相克戦し・課は伏吟を成して又た丁神駅馬を見、加うるに太陽已に光無きを以て(月将酉は酉宮に臨み、正に是れ日の西方に落つるの象)、怎んぞ能く久しく朝廷に居らんや。幸いなるは朱雀は日徳・日禄を帯びて来りて日干を生ず(朱雀は巳を乗ず、巳は既に是れ日徳にして又た是れ日禄、正に日干に臨む)、故に能く好き旨意を得て里に帰るを得。後来乃ち知る、此れ是れ四明人銭象坤相公に替わりて占う所なり。彼果たして人に議論せらるるに因りて假を請い職を離れり。
錢象坤(1559——1640),崇禎二年(1629,己巳)十二月丁丑日以禮部侍郎入閣,四年六月丁未,與周延儒爭吵而致仕。
注解者は附注す。銭象坤は一五五九年に生れ、一六四〇年に卒す。崇禎二年己巳十二月丁丑日に礼部侍郎を以て閣に入り、崇禎四年六月丁未に、周延儒と争吵するに因りて官を辞し里に帰れり。彼正に是れ此の一課の占う所の当事者。
占訟章・占験十六
占驗十六、丙子二月乙酉日辛巳時,淮陽巡撫諱振纓浙湖吳公祖,因賊焚鳳靈被逮,刑部已定重闢索占,涉害、天獄,午未空、亥子落空。 蛇貴 朱 戌亥子丑 后 龍陰 陰六 財 乙未 龍 六 酉 寅 陰 未寅 寅酉 父 戊子 貴 勾 申 卯 玄 寅酉 酉乙 子 癸巳 虎 青 未午巳辰 常 空虎
丙子年二月乙酉日辛巳時に占す。淮陽巡撫・浙江湖州人呉振纓は流寇の鳳陽皇陵を焚焼するに因りて逮捕を被り、刑部已に死罪に定め、因りて占うを求む。課体は渉害に属し、格は「天獄」を成す。本旬の空亡は午・未に在り、天盤の亥・子両神は空亡の宮に落つ。以下是是れ当日の課盤。方格中の十二支は是れ天盤、格外に十二天将を注し、中列は自ら右より左に向かいは四課、右列は自ら上より下にして初・中・末の三伝及び其の六親・遁干・天将。此の課の初伝乙未は是れ財爻にして青龍を乗じ、中伝戊子は是れ父母にして貴人を乗じ、末伝癸巳は是れ子孫にして白虎を乗ず。中伝の子は正に是れ丙子年の太歳、故に下文は太歳を以て恩星を作りて来りて断ず。
斷:目今必遇赦,在六月便有出獄之徵。蓋因皇恩臨干,天赦居支,又中傳太歲作貴人生日,罪雖至重,亦能轉凶為吉。但嫌戌臨孟位,又為本命,謫戍未能免。後曹大司禮奉命熱審,開豁謫戍。
陳公献の断じて曰く、眼下必定に赦に遇い、六月に則ち獄を出るの征兆有らん。皇恩の日干に臨み・天赦の日支に居り・中伝の太歳又た貴人を作りて来りて日干を生ずるを以て、罪名雖も極めて重しとも、亦た能く凶を転じて吉と為す。只だ是れ戌の孟位に臨むを嫌う、戌又た正に是れ彼の本命、辺を戍るを贬谪せらるるは免る能わず。後来司礼監の曹某は命を奉じて熱審し、果たして死を免れて谪戍に改む。
熱審,明代錄囚制度,重新審理,一般從輕發落,《明史》載:“每年熱審自小滿後十餘日,司禮監傳旨下刑部,即會同都察院、錦衣衛題請,通行南京法思,一體審擬具奏,京師自命下之日至六月終止,南京自部移至日為始,亦滿月而止。”
注解者は「熱審」を解釈す。熱審は是れ明代の囚を録る制度、暑天に於いて案件を重新審理し、一般に軽より発落す。『明史』に記載す、毎年の熱審は小満以後の十几天より開始し、司礼監に由りて旨を伝えて刑部に給し、随即に都察院・錦衣衛と会同して疏を上げて請示し、南京各法司に通行して一体審擬して奏を具す。京師は命令の下達するの日より起し六月の底に到るを以て止め、南京は部文の移して到るの日より起算し、亦た一個月に満つるを以て止む。
《明史》八年正月,流賊陷鳳陽,毀皇陵。巡撫楊一鵬,(王)應熊座主;巡按吳振纓,(溫)體仁姻也。二人恐帝震怒,留一鵬、振纓疏未上,俟恢復報同奏之,遂擬旨令撫按戴罪。後一鵬棄市,振纓謫配。
注解者は『明史』の記載を引く。崇禎八年正月、流寇は鳳陽を攻陥し、皇陵を毀れり。当時の巡撫楊一鵬は是れ王応熊の座主、巡按呉振纓は是れ温体仁の姻親。両人は皇帝の震怒を怕れ、便ち楊一鵬・呉振纓の奏疏を把りて扣下して上せず、失地を收复するの捷報と一并に奏聞せんことを想い、於是に旨を拟して巡撫・巡按に罪を戴きて事を辦せしめり。後来楊一鵬は処死せられて市に棄てられ、呉振纓は贬谪せられて軍に充てられり。
此課發用死氣,斗繫日本,為天獄課,甚符問課之意。 三傳遞克,必有人參劾。支加干而克干,為上門亂首,必有人落井下石。焚鳳靈者,明帝之祖墳在鳳陽,專設廬鳳總督以護之,張獻忠、李自成兵發鳳陽,焚其祖墓,守土官失責,被參拿問,應是死罪。 此課之關節,在於太歲作恩星乘貴人,雖臨空害之地,不以凶論也。可見壬學於太歲甚重視,而月建則否。
注解者は分析す。此の一課は初伝は死気を乗じ、斗罡は日干本身に係わり、天獄課を成り、問う所の獄訟の事と極めて吻合す。三伝層層逓克す、必定に人の章を上げて参劾する有らん。日支は日干上に加わりて又た来りて日干を克す、是れ「上門乱首」の象、必ず人の井に落ちて石を下す有らん。謂う所の鳳霊を焚くは、是れ明朝皇帝の祖墳の鳳陽に在るに因り、朝廷は専ら廬鳳総督を設けて以て之を守護す。張献忠・李自成は鳳陽に兵を発し、明室の祖墓を焼き、土を守るの官は職を失し、参劾を被りて拿問せられ、本より当に処死すべし。此の一課の関節は、太歳の恩星を作りて又た貴人を乗ずるに在り、雖も落空して害を受くるの地に臨むとも、亦た凶に按じて論ぜず。此に由りて六壬の学は非常に太歳を看重し、月建に対して反って彼れほど重視せざるを見るべし。
占訟章・占験十七
占驗十七、癸未七月丁未丁未時,丹陽葺村盛順因逮進京,舟泊邦關請占,八專、斬關。(寅卯空,亥子落空) 勾龍 六 寅卯辰巳 空 朱龍 朱龍 鬼 辛亥 貴 朱 丑 午 虎 丑辰 丑辰 子 甲辰 龍 蛇 子 未 常 辰未 辰丁 子 甲辰 龍 貴 亥戌酉申 玄 后陰
癸未年七月丁未日丁未時に占す。丹陽葺村の人盛順は逮捕押解して京に進むに因りて、船は邦関に停泊し、陳公献に占卜を請う。課体は是れ八専、又た斬関を犯す。本旬の空亡は寅・卯に在り、天盤の亥・子両神は空亡の宮に落つ。以下是是れ当時の課盤。方格中の十二支は是れ天盤、格外に十二天将を注し、中列は自ら右より左に向かいは四課、右列は自ら上より下にして初・中・末の三伝及び其の六親・遁干・天将。此の課の初伝辛亥は是れ官鬼にして貴人を乗じ、中伝と末伝と皆な是れ甲辰・是れ子孫にして青龍を乗ず。八専課は干支同位、三伝往往にして重出す。月将辰は青龍を乗じて干支の上に加わる、正に是れ下文の断語の本とする所。
斷:其事定然辯雪,到京公訟前休。蓋因月將青龍加臨干支(八專課,月將辰乘龍臨干支),勾陳生日(勾乘卯生日干丁),官鬼空陷(亥子官鬼臨寅卯落空也),是以公訟辯雪白休息矣。
陳公献の断じて曰く、此の件の案子は一定能く弁白昭雪し、京城に到ると、訟事則ち先行して了結せん。月将は青龍を帯びて日干日支の上に加臨するを以て(八専課中は月将辰は青龍を乗じて干支に臨む)、勾陳又た来りて日干を生ず(勾陳は卯を乗ず、卯木は日干丁火を生ず)、官鬼は則ち空に落ちて陥を受く(亥・子両個の官鬼は寅・卯上に臨みて而して空に落つ)、故に官司は能く弁白清楚にして而して平息を告ぐ。
自為周相公占課何如,手取棋子三十二枚,以十二除之,餘八枚,亦是此課。曰:己丑命見日墓(丁墓戌臨丑),年乘三刑(命上戌,太歲未,三刑故也),與寅命相去甚遠,烏能無罪?後相國賜死,李賊破北京,盛脫自歸。
陳公献又た周相公に替わりて一課を占いて結局如何を看る。手に随いて棋子三十二枚を抓起し、十二を用いて之を除す、余りは八枚、起き出すも亦た正に是れ此の一課。我曰く、周相公は己丑年に生れ、本命上は日墓を見(丁火の墓は戌に在り、戌は丑に臨む)、流年又た三刑を乗ず(本命上は是れ戌、太歳は是れ未、戌未は相刑す)、寅年の命と相去ること甚だ遠し、怎んぞ能く罪無からんや。後来此の位の相国果たして死を賜せられ。李自成の北京を攻破するの時、盛順乃ち身を脱して自ら郷に回れり。
周相公者,前述之周延儒也,《明史莊烈帝紀》曰:“十六年,賜周延儒死。”盛順,周延儒之門客,故為盛順占而想起周延儒。
注解者は説明す、此の處の周相公は則ち是れ前面の提到する所の周延儒。『明史・荘烈帝紀』に崇禎十六年に周延儒に死を賜るを記載す。盛順は是れ周延儒の門客、故に盛順に替わりて課を占うに便ち周延儒を連想す。課を占う時の此の一番の連想は、往往正に是れ応験の線索。
占訟章・占験十八
占驗十八、丁丑五月甲子日巳時申將,浙上虞顧友與徽友吳子達為人代占吉凶,重審、玄胎,戌亥空、丑寅落空。 龍勾六朱 申酉戌亥 空 未 子 蛇 虎陰龍常 鬼 壬申 龍 虎 午 丑 貴 午卯申巳 父 乙亥 朱 巳辰卯寅 卯子巳甲 比 丙寅 后 常玄陰后
丁丑年五月甲子日・巳時申将に占す。浙江上虞の顧姓の朋友と徽州の呉子達とは、別人に替わりて吉凶を代占す。課体は重審に属し、格は玄胎を成す。本旬の空亡は戌・亥に在り、天盤の丑・寅両神は空亡の宮に落つ。以下は是れ当時の課盤。方格中の十二支は是れ天盤、格外に十二天将を注し、中列は自ら右より左に向かいは四課、右列は自ら上より下にして初・中・末の三伝及び其の六親・遁干と乗ずる所の天将。此の課の初伝壬申は是れ官鬼にして青龍を乗じ、中伝乙亥は是れ父母にして朱雀を乗じ、末伝丙寅は是れ比肩にして天后を乗ず。月将・青龍と官星と同時に出現す、是れ下文の宰輔内鬥を断ずるの根拠。
斷:月將龍官內戰,必因宰輔窩裡生非而敗事。但龍官與年神生合,斷非尋常可比,嫌干乘飛符,支見游魂,目今人宅必有災非之事。且年命勾神為祟,又丁動刃逢,貴履地網,公訟拘繫必見。喜勾陰生日,事可辨雪。曰:日後何如?予云:喜德神祿馬會入天門,定然位居顯要,忌見旬空,難以久遠。後知為常熟錢牧齋太史也,甲戌(申)歲官至大宗伯。
陳公献の断じて曰く、月将は青龍・官星と内戦を発生し、必定に是れ宰輔の間の窩裡争鬥に因りて事を壞し了る。但だし青龍官星又た流年の神と相生相合す、断ずる所は絶対に是れ尋常の小事に非ず。嫌うべきは日干上は飛符を乗じ、日支上は游魂を見、眼下人と宅と皆な必ず災禍是非有らん。加うるに本命行年上は勾陳の祟を為し・丁神発動して又た羊刃に逢い・貴人は地網上に踏むを以て、官司拘押は是れ必定要して遇上する所。幸いなるは勾陳と太陰と来りて日干を生ず、事は以て弁白する可し。彼問う、日後如何。我曰く、喜ぶべきは日徳・禄神・馬星皆な天門に於いて会聚す、将来必定に顕要に居るを位せん。忌む所は又た旬空を見る、恐怕らくは以て長久なり難し。後来乃ち占う所は是れ常熟人銭牧斎太史にして、彼は甲申年に礼部尚書に做到せりと知る。
錢牧齋,錢謙益(1582—1684年)字,1628年曾罷官消籍,1637年遭溫體仁誣陷而被下獄,東林黨人救之,迫使溫於1637年七月辭職,錢於甲申年為南明禮部尚書,次年降清。本命午,行年酉。
注解者は附注す。銭牧斎は是れ銭謙益の字、彼は一五八二年に生れ、一六八四年に卒す。一六二八年に曽て官を罷め名を除かれ、一六三七年に温体仁の誣陷を遭りて獄に下り、東林党人は力を出して営救し、温体仁をして此の年の七月に職を辞さしむを迫れり。銭謙益は甲申年に於いて南明の礼部尚書に出任し、第二年に清に降れり。彼の本命は午に在り、行年は酉に在り。此らの経歴は、正に課中の断ずる所の顕要に居るも能く久長ならざると相合す。
占訟章・占験十九
占驗十九、丁丑七月丁亥日甲辰時,太倉中翰錢是奄占常熟陳南洲逮問事,重審、進茹,午未空、未申落空。 勾六 龍 午未申酉 朱 空 巳 戌 蛇 陰后朱六 財 甲申 六 虎 辰 亥 貴 丑子酉申 財 乙酉 朱 常 卯寅丑子 后 子亥申丁 子 丙戌 蛇 陰后
丁丑年七月丁亥日甲辰時に占す。太倉の中書舎人銭是奄は、常熟人陳南洲の逮問を被るの一事に替わりて占卜す。課体は重審に属し、三伝順進して進茹と為す。本旬の空亡は午・未に在り、天盤の未・申両神は空亡の宮に落つ。以下是是れ当日の課盤。方格中の十二支は是れ天盤、格外に十二天将を注し、中列は自ら右より左に向かいは四課、右列は自ら上より下にして初・中・末の三伝及び其の六親・遁干・天将。此の課の初伝甲申と中伝乙酉とは皆な是れ財爻、分別に六合と朱雀とを乗じ、末伝丙戌は是れ子孫にして螣蛇を乗ず。申・酉・戌は順次にして進む、故に進茹と叫ぶ、事の歩歩逼近するを主る。
斷曰:占訟最凶,全無救解。蓋因發用皇詔坐空,又蛇虎二墓加臨卯酉,此為冢墓門開,必主重重死喪也。又傳將純劫殺,丁火病死墓絕俱見,原何有救?且年上勾刃帶木,是用刑人執杖,定遭凶死。其後果奉旨廷杖,枷死二人。
陳公献の断じて曰く、官司を占いて此の一課を得るは最も凶、完全に救解無し。初伝の皇詔は空亡上に坐し、螣蛇・白虎両個の墓神又た卯・酉の上に加臨するを以て、此れを冢墓門開と叫ぶ、必ず連続の死喪を主る。再び言う、三伝と天将とは純に是れ劫殺、丁火の病・死・墓・絶は一斉に出現す、何の處に還た救い有らんや。加うるに行年上は勾陳の羊刃を帯びて又た木を帯ぶるを以て、正に是れ行刑人の手に杖棒を執るの象、一定要して凶死に遭わん。後来果たして旨を奉じて廷杖し、両人有りて枷号して打死せられり。
占訟章・占験二十
占驗二十、丁丑十一月癸未日日丙辰時,山東撫臺諱懋芳與興化李父母被總鎮劉澤清參劾逮問,占何日脫難,元首,申酉空空、巳午落空。 朱蛇 六 寅卯辰巳 貴 勾 丑 午 后 勾蛇陰虎 官 丙戌 虎 龍 子 未 陰 丑辰未戌 鬼 乙未 陰 空 亥戌酉申 玄 辰未戌癸 官 壬辰 蛇 虎常
丁丑年十一月癸未日丙辰時に占す。山東巡撫(名は懋芳)と興化知県李某とは、総鎮劉沢清に参劾逮問せられ、何れの日能く難を脱するかを占問す。課体は「元首」に属す。本旬の空亡は申・酉に在り、天盤の巳・午両神は空亡の宮に落つ。以下是是れ当日の課盤。方格中の十二支は是れ天盤、格外に十二天将を注し、中列は自ら右より左に向かいは四課、右列は自ら上より下にして初・中・末の三伝及び其の六親・遁干・天将。此の課の初伝丙戌・中伝乙未・末伝壬辰、三伝全て官鬼の一類に属し、分別に白虎・太陰と螣蛇とを乗ず。辰・未・戌は皆な是れ墓庫の地、故に断語は最も弁白し難しと説き、只だ初伝末伝に於いて凶を以て凶を制する處に一線の生機を留む。
斷曰:占訟最難辨雪,後卻虎頭蛇尾。蓋課傳蛇虎鬼賊,又太歲歲破剋日,主君相見責;所喜者,支上皇恩,命乘天赦;又以初末觀之,以凶制凶,反無凶矣。但只今行年恩星洩鬼之氣,明春太歲為救,脫難出禁當在彼時。丑年冬月上疏,新正下旨謫戍。
陳公献の断じて曰く、官司を占うに最も弁白し難し、但だし後来は却って是れ虎頭蛇尾。四課三伝中は螣蛇・白虎と官鬼・賊神と倶に全く、太歳・歳破又た来りて日干を克するを以て、君王と宰輔と皆な須く責罰せんとするを主る。喜ぶべきは日支上は皇恩有り、本命上は天赦を乗ず。再び初伝末伝より来りて看れば、凶を以て凶を制し、反って大凶無きなり。只だ是れ眼下行年上の恩星は正に官鬼の気を泄し、明年の春天太歳の来りて救うは、難を脱し獄を出るは当に則ち彼の時に在るべし。果たして丑年の冬月に疏を上げ、新年の正月に旨を下して谪戍に改む。
占訟章・占験二十一
占驗二十一、辛未四月癸亥日戊午時,商城諱奮渭熊兵長垣為戊寅命人代占,斬關、稼穡,子丑空、卯辰落空。 勾龍 六 申酉戌亥 空 朱 未 子 虎 貴玄朱后 官 丙辰 后 蛇 午 丑 常 巳寅未辰 鬼 己未 朱 貴 巳辰卯寅 玄 寅亥辰癸 官 壬戌 龍 后陰
辛未年四月癸亥日戊午時に占す。商城の名は奮渭の熊公と長垣人とは、一位の戊寅年命の人に替わりて代占す。課は斬関を犯し、三伝皆な土にして而して稼穡を成す。本旬の空亡は子・丑に在り、天盤の卯・辰両神は空亡の宮に落つ。以下是是れ当時の課盤。方格中の十二支は是れ天盤、格外に十二天将を注し、中列は自ら右より左に向かいは四課、右列は自ら上より下にして初・中・末の三伝及び其の六親・遁干・天将。此の課の初伝丙辰は是れ官星にして天后を乗じ、中伝己未は是れ官鬼にして朱雀を乗じ、末伝壬戌は是れ官星にして青龍を乗ず。辰・未・戌の三字皆な土、既に稼穡を成し、又た是れ三伝純鬼の象、故に断語は先ず課象雖も凶なりともと説く。
斷:課象雖凶,終不為畏。曰:較張逢玄課何如?予曰:張公課好,太歲剋日,君上不喜,須得木姓人求解,方可釋荷也。三傳純官鬼,又關墓覆日,豈不為凶?喜兩貴拱身,福德儀神臨支;又丁馬貴德居命,且是皇恩天詔,定轉凶為吉。其後刑長垣諱覺斯李先生上疏救之,減死謫戍,後知為雲間錢相公也。
陳公献の断じて曰く、課象雖も凶険なれども、終竟に畏懼に足らず。来るの人問う、張逢玄の彼の一課に比ぶれば如何。我曰く、張公の彼の一課は更に好し。此の一課は太歳の来りて日干を克す、君上は彼を喜ばず、須く一位の木に属するの姓の人の出面して解を求めて、乃ち能く罪責を卸下するを得。三伝純に是れ官鬼、関格と墓神と又た日干を覆蓋す、怎んぞ凶ならざるを得んや。喜ぶべきは両重の貴人の其の身を夹拱し、福徳・儀神は日支に臨む。又た丁馬・貴人・日徳は本命に居り、而且皇恩・天詔を帯び、一定能く凶を転じて吉と為す。後来長垣の李覚斯先生は疏を上げて営救し、死罪に由りて谪戍に減ぜらる。事の後乃ち知る、占う所は是れ雲間銭相公なり。
雲間,今上海,明稱松江府。 《明史》(丁卯年)十二月,前南京吏部侍郎錢龍錫(1575——1645)、禮部侍郎李標、禮部尚書來宗道、吏部侍郎楊景辰、禮部侍郎周道登、少詹事劉鴻訓俱禮部尚書兼東閣大學士,預機務。二年(1629)十二月壬申日罷官,三年九月己卯逮下獄,四年五月甲戌朔,庚辰謫戍定海衛,十二年中,兩逢大赦而不宥,弘光間方回鄉,尋卒,年六十有八。
注解者は説明す、雲間は則ち是れ今天の上海、明代は松江府と称す。又た『明史』を引く。丁卯年十二月、前南京吏部侍郎銭竜錫(一五七五年に生れ、一六四五年に卒す)と礼部侍郎李標・礼部尚書来宗道・吏部侍郎楊景辰・礼部侍郎周道登・少詹事劉鴻訓と、一并に礼部尚書兼東閣大学士の身份を以て機務に参預せり。崇禎二年十二月壬申日に官を罷め、三年九月己卯日に逮捕して獄に下し、四年五月甲戌朔の庚辰日に定海衛に谪戍せり。十二年間に两度大赦に遇上して皆な寛宥を得ること無く、直に弘光年間に到りて乃ち郷に回り、久しからずして去世し、年を享くること六十八歳。注解者の此の一段を引くは、須く課中の断ずる所の死を減じて谪戍し・久しく困って寛宥を得ざるを坐実せんとするなり。
隠遁章第十九
天羅地網欲何之,塞鬼登天可遁馳。傳將見凶干上吉,逃生無困不須疑。 干上子孫傳鬼賊,患門有救便無傷。丁馬最喜加年命,虎鬼臨身禍急防。 有墓昏迷忌兩蛇,無遙混沌防蛇虎(即昴星是蛇虎)。長生月德避之佳,天目直符逃者佳。 暗鬼剋日災患侵,明犬當門(戌加亥上)禍自深。斬關遊子天涯去,內戰天心途路禁。 遠近發用憑休旺(休囚遠旺相近),傳將最嫌逢墓空。天地兩儀須細玩,避凶趨吉用無窮。
隠遁章の歌訣に曰く、課は天羅地網に落つ、還た能く何の處にか往かん。只だ塞鬼・貴人の天門に登る有れば、乃ち以て遁走して馳逃すべし。三伝と天将とは凶神を見ると雖も、只だ要するに日干上神の是れ吉なれば、生を逃るるは困を受けず、疑慮するに及ばず。日干上は是れ子孫にして而して三伝は是れ鬼賊なれば、患難の門便ち救援有り、亦た則ち人を傷るに到らず。丁神駅馬は最も流年・本命の上に加わるを喜ぶ。白虎は鬼を帯びて身に臨むは、則ち須く急急に禍を防ぐべし。墓神有れば便ち昏迷して行き難し、両重の螣蛇を見るを忌む。遥克無きの混沌の課は、須く螣蛇白虎を防ぐべし(昴星課は則ち是れ蛇虎頭に当たる)。長生・月徳の方に往きて躲避するを佳と為し、天目・直符に靠りて出逃するも亦た好し。暗鬼の来りて日干を克するは、災患則ち須く身に侵さんとす。明犬の門に当たる、則ち戌の亥上に加わるは、禍事自然に深重なり。斬関・游子の両格は、人の天涯に遠走するを主る。内戦・天心の両格は、則ち路途の阻まるを主る。逃るるの遠か還た近かは、休旺に憑りて以て定む。休囚すれば則ち遠く、旺相すれば則ち近し。三伝と天将とは最も墓に落ち空に落つるを嫌う。天盤地盤此の両儀は須く細細に玩味すべし、凶を避け吉に趨るの用處無窮無尽なり。
隠遁章・占験一
占驗一、甲申五月乙未癸未時,東省費縣諱四知張相公因高鎮兵馬屯北城外,借住府河廳公署,占進退行,蒿矢、連茹,辰巳空、巳午落空。 虎常 空 午未申酉 玄 玄常 空龍 鬼 丁酉 玄 青 巳 戌 陰 酉申 午巳 財 戊戌 陰 勾 辰 亥 后 申未 巳乙 父 己亥 后 六 卯寅丑子 貴 朱蛇
甲申年五月乙未日癸未時に占す。山東費県人の張四知相公は、高鎮の兵馬の北城外に屯駐するに因りて、府河庁の公署裡に借住し、当に進むべきか当に退くべきか・当に走るべきか当に留まるべきかを占問す。課体は「蒿矢」に属し、三伝相連なりて「連茹」を成す。本旬の空亡は辰・巳に在り、天盤の巳・午両神は空亡の宮に落つ。以下是是れ当時の課盤。方格中の十二支は是れ天盤、格外に十二天将を注し、中列は自ら右より左に向かいは四課、右列は自ら上より下にして初・中・末の三伝及び其の六親・遁干・天将。此の課の初伝丁酉は是れ官鬼にして玄武を乗じ、中伝戊戌は是れ財爻にして太陰を乗じ、末伝己亥は是れ父母にして天后を乗ず。酉・戌・亥は相連なりて断えず、故に連茹と叫ぶ。
曰:東南水鄉居住安穩。蓋因歲貴劫殺臨支,賊符驛馬加干,此地異日還有兵戈擾攘。幸日上羅網逢空,相公必當解脫而去。然昴星乘玄武剋日來年太歲,革故從新,應在酉年必矣。相公遂渡江而南。
陳公献は説く、東南方の水郷に往きて住して乃ち安穏なり。太歳貴人と劫殺と日支に臨み、賊符・駅馬又た日干上に加わるを以て、此の地は日後還た兵戈騒擾有らん。幸いなるは日干上の天羅地網は正に空亡に逢う、相公は一定能く身を脱して去らん。不過昴星は玄武を乗じて来りて日干と来年の太歳とを克す、是れ故を革めて新に従うの象、応期必ず酉年に在らん。張相公於是に江を渡りて南下せり。
張四知,山東費縣人,天啟二年進士,貌甚丑,嘗患惡瘍。崇禎十一年廷推閣臣忽及之,得薛國觀援,於十二年入閣為相。庸劣充位而已經,執政四年,為人所謐,十五年致仕,後降於清。
注解者は張四知の小伝を附す。張四知は是れ山東費県人、天啓二年の進士、相貌甚だ醜く、曽て悪瘡を患えり。崇禎十一年朝廷は閣臣を推挙するの時忽然として彼を提到し、又た薛国観の援引を得、崇禎十二年に於いて閣に入りて相と為れり。彼不過庸劣の才を以て位子を占め、執政四年、人に譏議せられ、十五年に官を辞し、後来清に降れり。
隠遁章・占験二
占驗二、乙酉四月癸亥戊午時,予住淮陰,欲回揚州搬家眷,田百原恩師占課看該城住鄉住,元首、斬關。(子丑空,卯辰落空) 勾龍 六 申酉戌亥 空 貴玄 朱后 官 丙辰 后 朱 未 子 虎 巳寅 未辰 鬼 己未 朱 蛇 午 丑 常 寅亥 辰癸 官 壬戌 龍 貴 巳辰卯寅 玄 后陰
乙酉年四月癸亥日戊午時に占す。陳公献は当時淮陰に住し、揚州に回りて家眷を搬取せんと想い、恩師田百原に課を占いを請い、是れ城裡に住するを好しとするか還た郷下に住到るを好しとするかを看る。課体は元首に属し、又た斬関を犯す。本旬の空亡は子・丑に在り、天盤の卯・辰両神は空亡の宮に落つ。以下是是れ当時の課盤。方格中の十二支は是れ天盤、格外に十二天将を注し、中列は自ら右より左に向かいは四課、右列は自ら上より下にして初・中・末の三伝及び其の六親・遁干・天将。此の課の初伝丙辰は是れ官星にして天后を乗じ、中伝己未は是れ官鬼にして朱雀を乗じ、末伝壬戌は是れ官星にして青龍を乗ず、三伝皆な土。辰は日干に加わりて発用す、正に是れ斬関の象。
斷曰:此課正宜歸隱住鄉安穩,住城雖有眾賊飛攻,亦不足畏。因遊子斬關(魁罡加日辰發用為斬關課,此正辰加日發用也;而遊子必三傳皆土,見天驛二馬方的,蓋此時仍在辰月,天馬在戌也),發用陽將傳入陰位,理應歸隱之象。住城雖有賊攻,賴支上寅木以敵之(正所謂一人當關,萬夫莫開也。),不若就西北水鄉卜居安穩。及到邦關,船被兵據,入城,史閣部命守西城,城破一家投水未死。
断じて曰く、此の一課は正に当に郷間に帰隠して乃ち安穏なり。城裡に住するは雖も大批の賊兵の飞速に来り攻める有らんとも、亦た畏懼に足らず。課は游子・斬関を成するを以て(魁罡は日辰に加わりて発用するは便ち是れ斬関課、此の課は正に是れ辰の日干に加わりて発用す。游子に至りては、必ず須く三伝皆な土にして、又た天馬・駅馬両馬を見て乃ち真と算す、此の時は還た辰月に在り、天馬は戌に在り)、初伝は是れ陽将にして而して陰位に転入す、理に按じ正に是れ帰隠の象。城中に住するは雖も賊の来りて攻打する有るも、全靠日支上の寅木の抵当す、正に謂う所の一人関に当たれば万夫も開く莫し。但だし終竟に西北の水郷に到りて卜居する安穏に如かず。後来邦関に到り、船は兵丁に占拠せられ、只好く城に進めり。史閣部は彼に西城を防守せしめ、城破れるの後全家水に投ずも而して死せず。
田百原,原名田仰,南明漕運總督。
注解者は附注す。田百原は原名田仰、是れ南明の漕運総督。
逃亡章第二十
追尋達士詳日德,捕捉逃奴看支刑。德克刑神必易獲,刑剋日德定難尋。 父子夫妻屬六親,還將逐類細詳因。酉婢戌奴觀異姓,空陰兩魁落處真。 盜竊姦淫論賊邪,伏吟主近無依遐。裡數多寡測魁坐(看戌臨何宮上下數乘之),課格善惡定凶嘉。
逃亡章の歌訣に曰く、走失せしの賢士を追尋するは、須く細看して日徳を見るべし。逃走せしの奴仆を捕捉するは、須く日支の刑神を看るべし。日徳能く刑神を克せば、必定に捉うること易し。刑神反って日徳を克すれば、則ち一定に尋ね難し。父子・夫妻各々同じからざるの六親に属す、還た須く類別に按じて逐一に其の中の縁由を細究すべし。酉は婢女を主り・戌は奴仆を主る、若し是れ異姓の人なれば便ち此の両支を看る。天空・太陰と河魁・天罡との両個の魁神の落つる所の處は、乃ち最も真確なり。若し盗窃・奸淫の一類に属せば、則ち賊邪に按じて来りて論ず。課は伏吟を成すは、人の逃るること近く、依拠無きも亦た走ること遠からずを主る。逃げ了りし多少の里路は、以て河魁の坐する所の處より推測すべし。戌の何れの一宮に臨むかを看、上下両数を把りて相乗すれば則ち得。凶吉に至りては、則ち課格の善悪に由りて来りて定む。
