注解大六壬指南 明・陳公献ら著
注解大六壬指南 明・陳公献ら著
大六壬典籍
まず起課と三伝を発する機械的な流れを確実にしてから、課体と神煞に入る。起課を飛ばして断語だけ読んでも、書中の例を自分で再現できない。
巻首語
邵康節先生詩云:“一物從來有一身,一身還有一乾坤。能知萬物備於我,肯把三才別立根。天心一中分造化,人於心上起經綸。仙人亦有兩般話,道不虛行只在人。”此易斷之總綱也。季銀國先師亦以易宜活用,觀其見水流至隴頭知病人將死,騎門限問考知必委培二例,斯得易髓者也。學壬者不可不知之。
宋代の邵康節先生に一首の詩がある。曰く、およそ一物は本来それ自体が一つの完整たる身を成し、その一身の中にまた一つの天地を含む。万物の理が本来備わって我が心に具わっていることを悟れば、天・地・人の「三才」を心外に別立する根源とはしなくなる。天心は正中に居て種々の造化を分かち、人はみずからの心の上に経綸の事業を起こす。仙家の言にも真偽両般の説があり、道術は決して空しく自ら験するものではなく、霊験か否かは全てそれを用いる人に存する。この詩こそ易学が事を断ずる総綱領である。季銀国先師も同じく易は活学活用すべしと主張した。彼は水が田畝の果てまで流れるのを見て病人が間もなく死ぬと断じ、門の敷居に跨がって試験を問う者を見て必ず委託代培の身で自ら取ること能わざると断じた——この二例はいずれも真に易学の骨髓を得た者にしかできないことである。「六壬」を学ぶ者はこの一層を知らざるべからず。
目録
自序、程序、卷一 註釋心印賦、卷二 註釋指掌賦、卷三 六壬會纂占驗指南、卷四 大六壬神煞指南。
全書の篇目の次第は次の通りである。まず作者の自序を掲げ、次いで程氏の作った序を載せる。巻一は《心印賦》の逐句の注釈、巻二は《指掌賦》の逐句の注釈、巻三は《六壬会纂》に収めた占験実例の指南、巻四は専ら「大六壬」に用いる神煞の体系を講じる。
自序
六壬之術,傳之甚古,周、漢、唐、宋迄於明季,名家輩出,而今式微矣。餘出身隴畝,世業耕讀,非今慕古,雅愛五行。庚戌季秋,以百七十元,貿得上海民國江東書局《改良大六壬全書三種》,三十年間,苦讀不綴,間為人占,而實求理自娛也,雖多有應者,亦不過好之耳。
「六壬」という術数が流伝して久しく、周代・漢代・唐代・宋代から明末に至るまで、代々名家が輩出したが、今日に至ってはすでに衰微した。私は田間に出で、家中代々耕田と読書を業とし、古を厚くし今を薄くするのではなく、ただ生来五行の学を愛するのみである。庚戌の年の秋の末、私は百七十元を費やして、上海民国年間の江東書局の印行した《改良大六壬全書三種》を買い求め、それより三十年のあいだ苦読して輟めず、時折人のために占算もしたが、実のところその中の理を探求して自ら楽しんだに過ぎない。応験することも少なくなかったが、個人のささやかな愛好と数えるほかない。
然觀今者納甲、星命之書,充棟汗牛,而壬學之書,屈指可數,為之可懼,故有意將所得所感,成一帙而濫芋於壬書中,以副尊壬之意,以消永日之閒。但賢如孔聖,尚且述而不作,吾輩後生,焉敢自題曰某某著耶?
しかし今日の市面を見れば、「納甲」六爻と星命を講ずる書は屋に満ち、牛車をも圧し潰さんばかりに多いのに、六壬を講ずる書は指を屈して数えるほどしかない。これは実に憂うべきことである。そこで私は自己の得たる所・感じたる所を一冊に書き成し、濫竽充数ながら六壬の著作のあいだに列しようと思う。一には我が六壬を尊崇する心に背かぬため、二にはこれをもって長き闲日を消磨せんがためである。ただし孔子のごとき聖賢でさえ整理と闡述をなすのみで創作を自ら居らなかったのに、我ら後輩のごとき、どうして書上に「某甲著」と自ら題することが敢えてできようか。
竊謂所閱書中,以《大全》、《指南》最為壬學圭臬,而《大全》匯類總集,繁複不可驟讀;《指南》則言簡意賅,發人深省,但引而不發,未盡細故,令後學無由而致其道,餘因之簡注之,僭參己意,並引少許實例,稍著翼論之功,以求拋磚之效。壬學廁身,未得其徑,南畝農夫,言辭陋鄙,徒汙明家之目,訛漏必多,方家指正。是為序。北海張洪於庚辰年秋。
私が私淑するに、読んだ書のうち《六壬大全》と《六壬指南》が最も六壬の学の準繩に足る。《大全》は分類彙編の総集で、条目が煩複し、一気に読了し得ない。《指南》は言葉が簡練で意が完備し、人の深き思いを発するに足るが、惜しいことに弓を引き絞るばかりで箭を射出さず、細節の交代が尽きず、後学は入門する途がない。そこで私はそれのために簡要の注解を作り、僭越ながら幾分かの自家の見解を織り込み、また少量の実例を引用して、略々補助し申論する力を尽くし、抛磚引玉の作用を発揮せんことを願う。私は六壬の門外に栖身し、未だ門径をも摸さず、また南畝のあいだの農夫であって、言葉は粗陋、徒らに行家の眼を汚し、錯誤遺漏は必ず少なからざらん。どうか方家の指正を仰ぎたい。以上が我が序である。北海張洪、庚辰年の秋に書す。
原序
余初習制舉業,先大人諭以八股,投時美技也。然而窺天人奧、存帝王師,非異書不為功。每有奇聞,輒欣賞之。以故閱九流陳言,間廢寢食。一日讀三式帙,知自九天玄女,為滅蚩尤授之軒轅,內六壬更饒繁劇,非九年面壁,莫竟其源。食精蘊可以養性全身,吐餘緒可以料敵知勝,上六千百年問,周有子牙,越有少伯,漢有子房,三國迄今,僅蜀孔明、明青田而已。豈尋常章句之士,隨處不立人哉!
私は早年に科挙の挙業を攻めた。先父は八股文こそ時尚に迎合する好い才学であると教えた。しかし天人の際の奥密を窺い、帝王の師となるには、奇異の書を読まずして成し得ない。そこで私は奇聞を聞くごとに欣然として賞玩し、九流百家の旧説を遍覧し、寝食をも顧みぬことさえあった。ある日「三式」の書を読み、初めてこの学問が九天玄女に出で、蚩尤を誅滅せんがために軒轅黄帝に伝えられたことを知った。その中で「六壬」はことさら繁難で、九年面壁の苦功を下さざれば、その源頭を窮究するに至らない。その精華を吸収すれば、性を養い身を保つことができる。その余り一点の緒余を吐き出せば、敵情を料定し、勝負を預知するに足る。上下幾千百年のあいだ、周朝には姜子牙、越国には范少伯、漢朝には張子房がいて、三国から今に至るまでは、蜀汉の諸葛孔明と明の劉青田の両人あるのみである。これを見れば、章句訓詁のみを能くする尋常の読書人は、至る所で人物を立て得るものではないことが分かる。
崇禎甲申,督師史元輔羽檄徵餘,再及而應,置之禮賢前席,題授中州司理,取道淮陰,得逅陳子公獻。印證所學,相嘆伯樂不常有也。公獻以維揚將家子,自祖父及昆季,文苑武虎,著聲海內,又生而膂勇,耽習奇技,《太公》、《陰符》諸篇以及黃老之術,瞭然胸次。向請纓於大司馬王霽宇先生,出門上書屯田,見知受任,勞有成效。忽為讒阻,功志未竟,識者惜之。
崇禎甲申の年、督師史可法元輔は羽を挿した緊急文書をもって私を徴召し、二度目の催促に至って初めて命に応じた。彼は私を礼賢の前席に置き、奏請して中州司理の職を授けた。私は淮陰を取り道して赴任し、そこで陳公献先生に遇った。互いに所学を印証したのち、世に伯楽が常にあらがたきことを共に嘆じた。公献は揚州の将門の子で、祖父から兄弟の輩に至るまで、文には文名、武には武功があって、声誉は海内に遍し。彼は天賦の膂力が人に過ぎ、また奇技を钻研することを酷愛し、《太公兵法》《陰符経》の類の書および黄老の術は、胸に了然とせぬはなし。かつて大司馬王霽宇先生に縄を請い、屯田の事を議論する上書を出して、よって賞識され任用され、事を弁ずるに成効があったが、忽然として讒言に阻まれた。功業と志向はともに実現せず、識者は皆彼のために惜しんだ。
潛究六壬,寒暑不輟,訪學燕京,與塗松亭、何半鶴二公齊名。由是冠蓋問奇者,日無虛晷,縱口而談,無不翩翩奇中。好事者為嘉賞,分類纂編,摘計百數有奇,乞以盡事之概。外《心印賦》、《指掌賦》為之註解,更歷試諸經,成《會纂》一冊,並付剞劂,以廣其傳,加閱《心鏡》、《畢法》、《互變》、《中黃》,約而可徵,管而能遠,指南捷徑,無踰於此。此蓋迷津之筏,夜行之炬也。精而研之,理入牛毛,響應桴鼓。又奚必泛求諸篇。以滋惑也耶?特為首引。今上元仲夏穀旦,南州吾弟周元曙龍隨氏題於邗之甓湖社。
その後彼は潜心して「六壬」を钻研し、寒来暑往に断絶せず、また燕京に師を訪ね学を問うて、声名は涂松亭・何半鶴の両先生と並んだ。それより冠を戴き車に乗って疑难を請いに来る者が、一日中暇な時なく、彼は口を随うて談ずれば、従容として奇中せぬはなかった。此の道を好む者は彼を賞賛し、彼のために占例を分類編纂し、百条余りを摘録して、これを藉りて事理の大概を説き尽くさんことを請うた。そのほか彼はまた《心印賦》《指掌賦》のために注解を作り、さらに逐一実占において各家の経書を検験し、《六壬会纂》一冊に編み成し、併せて刻版に交付し、もって広く流伝せしめんとした。私はまた《六壬心鏡》《畢法賦》《互変》《中黄》の諸書を読み、この書が簡要にして検験能く、一端を執って遠きに推及し得るを覚え、入門の捷径としてこれより好きはなし。これ実に迷津の中の渡筏、夜行の時の火炬である。精研して読めば、理は牛毛に入るほど細かく、応験は鼓槌が鼓を撃つがごとく迅捷なり。何ぞ泛泛と遍く各家の篇章を求めて、かえって迷惑を増さんや。特にこの文字を写して巻首に置く。今上元年仲夏の吉日、南州の小弟周元曙龍随氏、揚州甓湖社に題す。
世之談壬式者,靡不自矜神哲,口吐長河,膚徵其應驗,不能無相左焉!餘潛心此術幾二十載,恆嘆其奧妙難窮。雖占斷之後,頗有奇中,每以未獲異人指點為歉。凡君子至斯,未嘗不造庭相謁,叩其所長。庚寅仲春,因訪公獻陳君於邗上。公獻縱口而談,悉本於理,及考其事,應如左券。然洵當世之管郭,後起之李袁詹歟!
世上六壬式法を談ずる者は、神明叡智を自誇せぬはなく、説き起こせば滔々として長河のごとし。しかし応験をもって印証すれば、往々にして浮浅なる表面の文章に過ぎず、事実に相違するを免れない。私はこの術数に潜心することほぼ二十年、常にその奥妙無窮なるを嘆じた。占断の後は頗る奇中の時もあったが、高人の指導に遇わざるを以て憾みとした。およそ此の道に精通せる君子が本地に至れば、私は登門して拜访し、その長ずる所を教え請わぬはなかった。庚寅年仲春、私はこの因りて揚州に陳公献君を拜访した。公献は口を随うて談じ、句句皆義理に本づき、占う所の事を核対するに及んで、応験は左券を合わすがごとく分毫差なし。彼は実に当今の管輅・郭璞、後起の李淳風・袁天罡の一流の人物である。
因語之曰:與其藏之匱中,無寧懸之國門乎?公獻曰唯唯。爰簡占驗百餘條,與所作之分門會纂,播諸梨棗。其所增注先賢之《心印》、《指掌》二賦,易知簡能。及公遠莊君所著之《神煞圖位》,闢訛定誤,皆指南捷徑。仍因合併付梓,公諸同好,亦吉凶同患之遺意云爾。噫!斯道久湮,絕學難繼,神而明之,存乎其人矣。順治壬辰陽月,新安程起鸞翔雲氏,題於白下之崇德堂。
私はかくて彼に言った。これらの心得を柜の中に鎖するよりは、書を国門に懸けるがごとく衆に公布するに如かず、と。公献は声を連ねて承諾した。そこで占験百余条を選定し、彼の編んだ分門会纂とともに、一括して付印刊行した。彼が前賢の《心印賦》《指掌賦》の两篇に増加した注解は、浅顯易懂にして簡要可行である。また荘公遠君の著す所の《神煞図位》は、訛伝を辨正し錯誤を訂定し、皆入門の捷径である。ここにそれらを合併して刻印し、同好に公開するは、すなわち《易経》の言う人と吉凶を同じく憂うる遺意に過ぎない。嗚呼、この学問の湮没せること久しく、絶学は継ぎがたし。心領神会して運用自在たり得るや否や、終にそれを学ぶ者を視んのみ。順治壬辰年十月、新安程起鸞翔雲氏、南京崇徳堂に題す。
邗,揚州古稱;陽月,亥月;白下,南京舊稱。
上文の序中の「邗」は揚州の古称、「陽月」は農暦十月すなわち亥月を指し、「白下」は南京の旧名である。
巻一 注釈大六壬心印賦
按:《六壬大全》亦有《心印賦》,諸書常曰“經云”者,蓋出諸此賦,如“歲破加臨月破中,上下相逢財物空。”等。與此心印不同,不可相混。
注者按:《六壬大全》の中に別に一篇の《心印賦》があり、各家の書に常に言う「経云」は多くあの一篇に出る。例えば「歳破は月破の中に加臨し、上下相逢えば財物空し」といった句がそれである。それは本巻に注するこの《心印賦》と同一篇ではなく、読者は決して混同してはならない。
六壬如入,先明日辰。六壬運式,先以日辰為根本也。日尊,故曰天干;辰卑,故曰地支。亥子丑應於北方,寅卯辰應於東方,巳午未應於南方,申酉戌應於西方,即地盤也。天干者甲乙東方木,丙丁南方火,戊己中央土,庚辛西方金,壬癸北方水。入式之法:甲課在寅乙課在辰,丙戊課在巳,丁己課在未,庚課在申,辛課在戌,壬課在亥,癸課在丑。而不居卯午酉子者,以正位不敢當,故陽干居祿神所在,而陰干居祿神前一位也。
「六壬」の門に入るには、まず「日辰」を弄清せねばならぬ。すなわち占日の天干と地支である。六壬課式を推演するに日辰を以て根本とす。天干は上に在りて尊なり、故に「日」と曰う。地支は下に在りて卑なり、故に「辰」と曰う。地支のうち、亥子丑は北方に対応し、寅卯辰は東方に対応し、巳午未は南方に対応し、申酉戌は西方に対応し、この十二支は固定して動かず、これを「地盤」とす。十天干は甲乙は東方木に属し、丙丁は南方火に属し、戊己は中央土に属し、庚辛は西方金に属し、壬癸は北方水に属す。起課の時に天干が地支に寄居する規矩は、甲は寅に寄り、乙は辰に寄り、丙戊は巳に寄り、丁己は未に寄り、庚は申に寄り、辛は戌に寄り、壬は亥に寄り、癸は丑に寄る。それらをして各々卯・午・酉・子のこれら本方正位に居らしめぬ所以は、正位は太尊くして占むるを敢えてせざればなり。故に陽干は自己の「禄神」の在する宮に寄せ、陰干は禄神の前一位に寄せる。
此“入”字切著《大全》“入手法”之“入”字,蓋言起課以干支各二課以成四課也。又,日辰為兩儀,斷課先觀日辰上下之乘臨,以見事態之表現。又,來意多應於日上及發用,嘗有一人己巳日來,進門不言所事,餘以丑將加辰時,寅木自支上遙克發用乘朱雀,斷有橫禍發於家中,果驗。此亦占來意之良方也。
注者按:賦文のこの「入」の字は、正に《六壬大全》の「入手法」の「入」を扣す。これは起課が日干・日支より各々両課を排し、「四課」を合成することを言う。又、日と辰は陰陽両儀に相当し、課を断ずるに先ず日上・辰上に各々何の神将を乘せ、哪一宮に臨むかを看て、始めて事が外に表現する様子を見出し得る。さらに、来人の来意は多く日干上神と「発用」すなわち初伝に応ず。嘗て一人が己巳の日に来り、入門して問う所の何事かを言わず、我は丑月将を以て辰時の上に加えて課を起こし、寅木が日支の上より日干を遥克して発用を成し、また「朱雀」を乘ずるを見て、彼の家中に意外の禍出づと断じ、果して応験せり。これも来意を占測する一つの好法なり。
以月將加占時之上。月將,即日宿太陽也。正月雨水後日躔娵訾之次入亥宮,乃登明將也;二月春分後日躔降婁之次入戌宮,乃河魁將也;三月穀雨後日躔大梁之次入酉宮,乃從魁將也;四月小滿後日躔實沈之次入申宮,乃傳送將也;五月夏至後日躔鶉首之次入未宮,乃小吉將也;六月大暑後日躔鶉火之次入午宮,乃勝光將也;
起課の第一歩は、当月の「月将」を来人の占う時辰の上に加えることである。いわゆる月将とは、太陽が当時在る星宿の位で、中気に随いて更換する。正月雨水以後、太陽は娵訾の次に行き、すなわち亥宮に入る。本月の月将は「登明」と曰う。二月春分以後は降婁の次に行き、戌宮に入り、月将は「河魁」と曰う。三月穀雨以後は大梁の次に行き、酉宮に入り、月将は「従魁」と曰う。四月小満以後は実沈の次に行き、申宮に入り、月将は「伝送」と曰う。五月夏至以後は鶉首の次に行き、未宮に入り、月将は「小吉」と曰う。六月大暑以後は鶉火の次に行き、午宮に入り、月将は「勝光」と曰う。
七月處暑後日躔鶉尾之次入巳宮,乃太乙將也;八月秋分後日躔壽星之次入辰宮,乃天罡將也;九月霜降後日躔大火之次入卯宮,乃太沖將也;十月小雪後日躔析木之次入寅宮,乃功曹將也;十一月冬至後日躔星紀之次入丑宮,乃大吉將也;十二月大寒後日躔玄枵之次入子宮,乃神后將也。
続いて下に数うるに、七月処暑以後、太陽は鶉尾の次に行きて巳宮に入り、月将は「太乙」と称す。八月秋分以後は寿星の次に行き、辰宮に入り、月将は「天罡」と称す。九月霜降以後は大火の次に行き、卯宮に入り、月将は「太衝」と称す。十月小雪以後は析木の次に行き、寅宮に入り、月将は「功曹」と称す。十一月冬至以後は星紀の次に行き、丑宮に入り、月将は「大吉」と称す。十二月大寒以後は玄枵の次に行き、子宮に入り、月将は「神後」と称す。見るべし、月将の行度は月建と方向相反し、正に太陽視行の在する位置なり。
每以此值月之將而加來人所占之正時上順布十二宮辰,即天盤也。假令正月雨水後日躔娵訾乃亥將登明也,如午時則用亥加午,子加未,順行十二辰是也。占時以正時最佳,次報時,報數之法不可從。
課を起こすごとに、当月に値事するこの月将を来人の占う正時の上に加え、再び十二支の次序に依りて順行し十二宮に布き満たす。この一層の転動し得る十二神がすなわち「天盤」である。例を挙げて言えば、正月雨水以後に太陽は娵訾に在り、月将は亥にして名を登明と曰う。もし来人の占うが午時ならば、亥を以て地盤の午の上に加え、子を未の上に加え、順に順行して十二辰せよ。注者按:時を取るは来人の実際に到来した正時を以て最上とし、其の次は来人の自報する時辰とす。人をして随に数字を報じて時辰を定めしむる作法は、採信すべからざるなり。
視陰陽為四課之分。天干陽也,干上得者曰日,干上陽神為第一課,乃陽中之陽也;地支陰也,支上得者曰辰,支上陽神為第三課,乃陰中之陽也;干上陰神為第二課,乃陽中之陰也;支上陰神為第四課,乃陰中之陰也。夫月將加時則無極而太極也;加時而有天盤動而生陽,地盤靜而生陰,乃太極生兩儀也。至於干支分而四課布,非兩儀生四象乎!故曰:一陰一陽之謂道,陰陽不測之謂神。陽主外而陰主內,陽主顯而陰主晦,不可不知。凡占日陰克干,支陰克支者,以內賊及思慮自傷斷之,必無差池。
「四課」の分別は陰陽を按じて看るべし。天干は陽に属し、干上の得る所を「日」と曰い、日干の上に乘ずる陽神は第一課にして陽中の陽なり。地支は陰に属し、支上の得る所を「辰」と曰い、日支の上に乘ずる陽神は第三課にして陰中の陽なり。第一課の上に更に一層の陰神を取るを第二課とし、陽中の陰なり。第三課の上に更に一層の陰神を取るを第四課とし、陰中の陰なり。象数を以て言えば、月将未だ時に加えざるの前は無極、一たび時を加えれば便ち太極を成す。時を加えた後に天盤有り、動にして陽を生じ、地盤は動かず、静にして陰を生ず。これすなわち太極の両儀を生ず。干・支分かれて四課排定せらるるに及び、豈に両儀の四象を生ずるに非ざらんや。故に《易・繋辞》に曰く「一陰一陽之を道と謂い、陰陽測り難き之を神と謂う」と。注者按:また知るべし、陽は外を主り、陰は内を主り、陽は顕露を主り、陰は隠晦を主ることを。およそ占に第二課の陰神が日干を克し、第四課の陰神が日支を克するを見れば、内部の暗害および自己の思慮過度にして自ら傷るとして断ずべし。必ず差錯あらじ。
賊克為初用之始,相因作中末之身。四課既布,則八卦生矣。四課陰陽既具,須求三傳以為發用,則以四課上下審之。若有一下克其上神者,雖有二三之上克下,不論矣,名曰重審課;若四課中並無下克,唯一上神克下,取而用之名曰元首課。重審者重複審詳也,元首者別無下克而亭亭然有首出庶物之象也。俱以所得發用為初傳,以初傳地盤上所乘者為中傳,以中傳地盤上所乘者為末傳,故曰相因也。
「三伝」を取るには先ず「賊克」を看る。賊有り克有るのあの一課を取りて来て初伝と做し、すなわち発用の起点とす。中伝・末伝は則ち初伝より順次に相因じて成る。四課排定の後、陰陽の数は已に具わり、八卦の理もまた其の中に在り。此の時に三伝を求め出して発用と為さんとすれば、办法は逐課に上下神の生克を審視するに在り。若し一課に下神が上神を克すること有れば、之を「賊」と曰う。たとえ別に两三課の上克下有りと雖も、一概に論ぜず、就中この一賊を取りて用と為し、課名を「重審」と曰う。若し四課中に並びて下克上無く、只だ一課の上神が下神を克する有れば、之を取りて用と為し、課名を「元首」と曰う。所謂重審とは、反復審察詳究の意なり。所謂元首とは、別に下賊無く、亭亭然として首出万物の象有るなり。両者は皆取得の発用を以て初伝と為し、再び初伝の地盤の哪一宮に落つるを看て、其の上に乘ずる天盤神を中伝と為し、また中伝の落つる所の宮に乘ずる天盤神を看て末伝と為す。これを「相因」と謂う。
克者動也,不克則不動。課中有幾克,即有幾事。又事之應期,亦在克中求,蓋克者,轉折也。元首主速,重審主遲;元首主喜,切防樂極生悲;重審主憂,亦詳自暗而明。
注者按:「克」はすなわち動なり。克無くんば動かざるなり。課中に幾処かの克有れば、則ち幾事かを主る。事の応験の日期もまた克の処に到りて求むべし。克は正に事態の転折点を以てなり。元首課を得れば事の来ること速きを主り、重審課を得れば事の遅緩を主る。元首課は本として喜慶を主れども、楽極めて悲を生ずるを提防すべし。重審課は本として憂疑を主れども、事の暗より明に転ずるを留意すべし。
克多比用涉害,重審不過一下賊,若四課中有二三四下賊者非審矣;元首不過一上克,若四課中有二三四上克者非首矣。上克下曰克,下克上曰賊。今賊克紛紛,則以甲丙戊庚壬為陽日,而用一子寅辰午申戌之神陽與陽比,雖二三陰勿論也;若乙丁己辛癸為陰日,而用一丑卯巳未酉亥之神陰與陰比,雖二三陽勿論也,故曰比用也。
若し相克の処多ければ、則ち「比用」と「渉害」の両法に改め用いるべし。重審課は只だ一処の下賊あるのみ能くし、若し四課中に両処・三処・四処の下賊有れば、重審と算せず。元首課は只だ一処の上克あるのみ能くし、若し四課中に両処以上の上克有れば、亦た元首と算せず。上神が下神を克するを「克」と曰い、下神が上神を克するを「賊」と曰う。如今賊克紛然として並び見ゆれば、則ち日干の陰陽を看る。甲丙戊庚壬は陽日なり、便ち子寅辰午申戌のこれら陽支の中に一つを取りて発用と為し、其の陽と陽と同類相比するを取る。たとえ別に两三処の陰支相克有りと雖も理せず。乙丁己辛癸は陰日なり、便ち丑卯巳未酉亥のこれら陰支の中に一つを取りて発用と為し、其の陰と陰と同類相比するを取る。たとえ別に两三処の陽支相克有りと雖も理せず。これを「比用」と謂う。
然又曰知一者何也?蓋陽知用一陽爻而不知有陰也,陰知用一陰爻而不知有陽也。若夫陰日只知用一陰,今而有二陰三陰四陰矣;陽日只用一陽,今而有二陽三陽四陽矣,則名之曰涉害課,先以寅申巳亥上乘之神為用,則涉之深而建名曰見機,蓋有害者不可不見機,明哲保身之義也。
比用は又「知一」と曰う。何を以てか。陽日は只だ一個の陽神を認め取りて用と為し陰有るを管せず、陰日は只だ一個の陰神を認め取りて用と為し陽有るを管せず、一味に一処を認定するを以て、故に知一と称す。至りて陰日は本当に只だ一個の陰神を取るべきに、如今却て両個・三個乃至四個の陰神が皆相克するを現ず。陽日は本当に只だ一個の陽神を取るべきに、如今両個・三個甚至四個の陽神が皆相克する有り。同類相比しても高下を分かち難し。此の時課名は則ち「渉害」と曰う。用を取るには先ず寅申巳亥の四孟の上に乘る所の神を看る。孟位は害を受けること最も深く、渉害底に至るを以てなり。此の一格は又「見機」と曰い、意は身に害を受くる之地に処りて見機に作さざる能わずと謂い、取る所は明哲保身の義理なり。
若孟神上無克賊,則以子午卯酉上乘之神為用,此涉之淺而又名曰察微,蓋見於明者不可不究其精微,履霜堅冰至之意也。其中末必如賊克之相因。涉害取法,只以孟仲季為準,不以涉害深淺為義,此《指南》所用之法,切記!又涉害者,克多也,主事體紛紛,事體繁則曲折多,曲折多則遲慢矣。觀涉水者,豈非小心翼翼,步覆惟艱乎?以婚姻言之,無不“好事多磨”也。故涉害統坎之體,歷盡風霜也。凡見涉害課,宜取《易》需之卦義,坐待詳察,則不涉於險也。
若し四孟の上に克賊無ければ、則ち改めて子午卯酉の四仲の上に乘る所の神を取りて用と為す。此の一層の渉害は較淺し。故に又「察微」と曰い、意は已に明処に顕現する事にして其の精微の処を推究せざる能わずと謂い、正に《易経》の「霜を履めば堅氷至る」の用意に合す。中伝・末伝は仍お賊克課の如く依次に相因じて取得す。注者按:本書の渉害を取るは只だ孟・仲・季の位次を以て準と為し、並びて真に害を受くるの深浅を比較せず。これは《六壬指南》の用うる所の办法にして、務めて記住すべし。再び言う、渉害はすなわち克多きなり。事の頭緒紛雑を主る。頭緒一たび多ければ則ち曲折多く、曲折一たび多ければ則ち必ず拖延迟慢す。人の水を渉り河を過ぐるを看よ、哪一個か小心翼々・歩歩艱難ならざる。婚姻を以て言えば、渉害課を得れば「好事多磨」ならぬは無し。故に渉害は総じて坎卦の体性を帯び、風霜を歴尽すべし。およそ渉害課に遇わば、《易経》需卦の卦義を取るを宜しとす。安坐して等待し、詳らかに審察を加えれば、険境に陷入せじ。
無克是以遙嗔。若四課上下全不相剋賊,則以日干為主而與第二、三、四課上神相對較之。若有一上神剋日干者取以為用,名神遙剋日,曰蒿矢課,以彼能遙傷於我而似矢也。何以蒿矢名之?蓋上下相剋力勇,而有賊克之稱,斯遙遠力綿,雖克而猶蒿而已。若無剋日干者,則視日干遙克彼三上神矣。若有一上神被日干克者取以為用,名曰遙克神,曰彈射課,以我能遙傷於彼而似射也。何以彈名之?蓋亦因其射遠力薄,取象於彈丸而已。如有二克或克二者,亦如比用之法。三傳相因亦如賊克之法。
四課の上下に皆克無くんば、則ち「遥克」を用いて用を取るべし。若し四課の上下全く相克相賊せざれば、便ち日干を以て主と為し、第二・三・四課の上神を拿りて之と対比す。若し一個の上神有りて遥々と日干を克するに至らば、則ち之を取りて発用と為し、之を「神遥克日」と謂い、課名を「蒿矢」と曰う。対方が遠処より能く我を傷るを以て、箭の射来る有るがごときなり。何を以てか蒿矢と謂うや。上下贴近に相克するは力量剛猛を以て、才だ賊克と称す。遥遠に相克するは力量綿軟、克と雖も、亦不過蒿草の做す箭のみ。若し上神の日干を克する無ければ、則ち反転して日干の能くどの上神を遥克するを看る。若し一個の上神有りて日干の克する所と為らば、之を取りて発用と為し、「日遥克神」と曰い、課名を「弾射」と曰う。我より遠処に対方を傷るを以て、弾弓の射出すがごときなり。何を以てか弾と謂うや。亦た射ること遠く力量薄しを以てなり。只だ弾丸の象を取るのみ能くす。若し両処の日を克し或いは日が両処を克すること有れば、仍お比用の法を照じて一つを擇びて取れ。中末二伝の相因もまた賊克課と相同じ。
遙克遠來之事,然不可拘蒿彈之名,雖篙矢亦可我干涉於人,而彈射亦有人干涉於我。惟以課傳神將斷之而已。又遙克者,斜交也,亦有另闢他徑之理。若昴星當俯仰於酉上。
注者按:遥克は遠処より来る事を主れども、蒿矢・弾射の名目を死守すべからず。蒿矢課を得るも亦た我の往きて别人を干涉する有り得べく、弾射課を得るも亦た别人の来りて我を干涉する有り得べし。究竟如何なるかは、只だ三伝の乘る所の神将に憑りて断ずべし。再び言う、遥克は斜めに相交るが故に、別に蹊迳を闢き繞道して行くの道理を含有す。以下「昴星課」を講ず。其の取用は地盤酉宮の上に一俯一仰して尋ぬべし。
若四課既無克而復無遙,則為昴星矣。蓋遙克力輕,取象於蒿取象於彈,況無遙克而獨天地盤之酉金作用,其力尤輕之至,而應事則未免明之微矣,故以酉中之昴星為名,言其明之微,雖七星相聚,非至明之目不能辨也。陽日則取酉上所得之神為發用,有日將出而雞鳴仰首之義也;陰日則取酉下所得之神為發用,有日將墓而虎視俯首之意也。陰則日作中傳辰作末傳,陽則辰作中傳日作末傳。不唯陰陽迭遷,而終有返本之象也。
若し四課に既に上下相克無く、又遥克無くんば、則ち是れ「昴星課」なり。遥克の力量は已に甚だ軽し、只だ蒿箭・弾丸に比するのみ能くす。況んや遥克すら無きに於てをや。只だ天地盤上の酉金に単頼して作用を起こすほかなく、力量は則ち更に軽微極点に至り、事に応ずる時は暗弱不明を免れず。故に酉宮中の昴星を借りて命名す。説く所は正に其の光明微弱なり。昴宿は七星有りて一処に聚ると雖も、極好の眼力ならずして分別し出だす能わず。取法は、陽日は地盤酉上の乘る所の天盤の神を取りて発用と為し、太陽将に出づる・雄鶏仰首して鳴くの義を取る。陰日は天盤酉下の臨む所の地盤の神を取りて発用と為し、日将に墓に入る・虎視俯首の意を取る。陰日は日干上神を以て中伝と為し日支上神を末伝と為し、陽日は則ち日支上神を以て中伝と為し日干上神を末伝と為す。此の如くすれば不特陰陽交替変換するのみならず、最終には又回帰本位の意思を含有す。
昴星者蛇虎當道之象,得此課必不自安。七星者,昴宿也,今稱昴宿星團,西方稱七姊妹星團。返本者,以柔日末傳支上,剛日末傳干上,總有迴歸之意,判斷宜參考之。若別責取干支之合神。
注者按:昴星課は蛇虎当道の象有り。此の課を占得する人は必ず心中安からず。所謂七星はすなわち昴宿、今天は昴宿星団と謂い、西方は七姊妹星団と称す。所謂「返本」とは、柔日すなわち陰日の末伝に日支上神を取り、剛日すなわち陽日の末伝に日干上神を取るを指し、総じて自身の本位に回帰するの意思を帯ぶ。課を断ずる時は此の点を参考すべし。以下「別責課」を講ず。其の取用は日干の合神或いは日支の三合の神に靠るべし。
假如四課有首尾相同為三課者,有二三相同而為三課者,名曰不備,言四課不全,不完備也。其不備課中無賊克無遙克,不可以昴星取例。四課昴星,三課別責也。若陽日得之以天干之合位上乘者取為用神。合者,甲己、乙庚、丙辛、丁壬、戊癸相合也。干陽尚有動用之機也。若陰日得之以地支之三合前一位用之,而不用乘神,靜之機也。三合前一位者,如巳酉丑、亥卯未,酉日用丑,丑日用巳,未日用亥是也。中末不問陰日陽日,並以干上所乘者為之。
假如四課の中に第一課と第四課と相同じく、或いは第二課と第三課と相同ずれば、四課は則ち只だ三課を残す。これを「不備」と謂い、意は四課斉全ならずと謂う。此の類の不備の課は若し既に賊克無く又遥克無くんば、昴星課を按じて取用する能わず。四課斉全にして克無き者は才だ昴星を用い、只だ三課を残す者は「別責」を用いるべし。陽日に別責課を得れば、日干と相合する干の寄る所の宮の上乘の神を取りて用神と為す。所謂合とは、甲と己と合し、乙と庚と合し、丙と辛と合し、丁と壬と合し、戊と癸と合す。陽干に尚ほ主动出击の機有るの意思を取るなり。陰日に別責課を得れば、則ち日支の三合局中の前一位の地支本身を取りて用と為し、其の上に乘る所の神を取らず、其の静守の機を取る。所謂三合前一位とは、巳酉丑・亥卯未の此の類の三合局の如く、酉日は丑を用い、丑日は巳を用い、未日は亥を用うを説く。中伝・末伝は陰日陽日を分かたず、一律に日干の上に乘る所の神を以て充当す。
伏返以刑沖為定。若諸神歸於本位,如子加子、午加午之類,乃伏吟之象也。有克者取克,不過癸乙二干而已。無克者陽日自干上發傳,陰日自辰上發傳,迤邐三刑而為三傳也。若初傳值自刑則中傳陽日用支、陰日用干,仍取刑為末傳也。倘逢中傳自刑者,末傳以沖神為之矣。夫刑有三者:一字刑乃午刑午、辰刑辰、酉刑酉、亥刑亥,自刑也。二字刑乃卯刑子、子刑卯也。三字刑乃丑刑戌、戌刑未、未刑丑也;寅刑巳、巳刑申、申刑寅也。
伏吟と返吟の両種の課は、三伝を取るに皆「刑」と「衝」を以て定む。およそ天盤の各神が皆自己の本宮に回帰し、例えば子を子上に加え午を午上に加えるの類は、すなわち伏吟の象なり。伏吟課中に若し克有れば則ち克を取れ。但だし癸・乙の両個の日干のみ有り得べきなり。克無き者は、陽日は日干上神より発用し、陰日は日支上神より発用し、再び三刑の関係に順いて依次に三伝を取出す。若し初伝恰好自刑の支ならば、中伝は則ち改めて用いる。陽日は日支上神を取り、陰日は日干上神を取り、末伝は仍お刑神を取れ。倘若中伝又自刑に逢えば、末伝は則ち改めて相衝の神を用いる。三刑は三類に分かつ。一字刑はすなわち自刑、午刑午・辰刑辰・酉刑酉・亥刑亥を為す。二字刑は卯刑子・子刑卯なり。三字刑は丑刑戌・戌刑未・未刑丑、および寅刑巳・巳刑申・申刑寅なり。
反吟乃子加午、卯加酉,十二神各臨沖射之位也。克之少者重審、元首取之,多則知一涉害取之。三傳初末相同而沖乎中傳。若夫丁未、己未、辛未、丁丑、己丑、辛丑六課無克,乃名無依,以支神之井欄沖射上所得之神以為初用,而日支所乘為中傳,日干所乘為末傳。夫井欄者,丑沖未、巳沖亥也。返伏之課,雖較靜動之意,還當以神將取之。若“任信丁馬須言動。”、“來去俱空豈動移。”,舉其一端,餘可推矣。
返吟課は則ち子を午上に加え卯を酉上に加え、十二天盤神各々本宮と相衝する位置に臨む。返吟課は克少なき者は仍お重審・元首を按じて取用し、克多き者は則ち知一・渉害を按じて取用す。三伝は往々初伝と末伝と相同じくして中伝と相衝す。至りて丁未・己未・辛未・丁丑・己丑・辛丑の此の六個の日辰の起こす返吟課は克無し。課名は「無依」と曰い、取法は日支「井欄」の相衝する位の上に得る所の神を用いて初伝と為し、日支の上に乘る所の神を中伝と為し、日干の上に乘る所の神を末伝と為す。所謂井欄とは、丑と未と相衝し、巳と亥と相衝するを指す。注者按:返吟・伏吟の両課は分別して動と静とに比擬すと雖も、判断の時は仍お乘る所の天将と結合して以て定むべし。「任信丁馬須言動」「来去倶空豈動移」の此の類の口訣の如きは、不過各々一端を挙ぐるのみ、其の余は類推すべし。
八專以逆順為真。若干支同處一位,則四課中只得二課矣。有克仍從賊克、比用、涉害三法取用。無克不復取遙矣。蓋遙,遠也,干支同位何遠耶?只用八專之法而用之。陽日則順從干上陽神得三而止;陰日則逆從支上陰神得三而止,是為發用也。中末二傳概用干上所乘神為之。“得三而止”者,剛日自干陽連根順數三神,干上丑,以丑為一,順數至三,取卯;柔日自支陰連根逆數三神,第四課酉,以酉為一,逆數至三,取未。凡得八專,多以雙論。
「八専課」の取用は順数と逆数に靠る。およそ日干の寄る所の宮と日支と同じく一位に在れば、四課は只だ両課を排出し得るのみ。此の時若し克有れば、仍お賊克・比用・渉害の三法を按じて取用せよ。若し克無くんば、則ち再び遥克を取らず。遥は遠の意なり。干支既に已に一宮に同じく在り、哪裏に還た遠を談ずるを得んや。只だ八専の法を用うるのみ能くす。陽日は日干上神より起こり、順数して第三位に至るまで止まる。陰日は日支の陰神より起こり、逆数して第三位に至るまで止まる。数え到るあの一神がすなわち発用なり。中伝・末伝は一概に日干の上に乘る所の神を用いて充当す。注者按:所謂「三を得て止まる」とは、剛日は日干上の陽神より連ねて本位を順数三位し、譬えば干上は丑ならば、則ち丑を以て第一と為し、順数して第三に取りて卯に到る。柔日は日支の陰神より連ねて本位を逆数三位し、譬えば第四課は酉ならば、則ち酉を以て第一と為し、逆数して第三に取りて未に到る。およそ八専課を得れば、多くは成双成対の事情を按じて断ずべし。
十二天将・天乙貴人
天乙居中,後六前五。天乙乃貴人也,此神居紫微垣之門,住持上帝征伐以行令於人間,應己丑之土,有止戈之武,統馭十二神。在天門之前、地戶之後則順行;若居地戶之前、天門之後則逆行。其神后有六位,乃天空、白虎、太常、玄武、太陰、天后也;前有五位,乃騰蛇、朱雀、六合、勾陳、青龍也。夫課中有涉及天乙前與後者,俱以此例推,若此支乘天將為前神則在前,所乘天將為後六神則在天乙後也。不必校其他也。此斷前後之簡法。
「天乙」は十二天将の中心に居り、其の後に六位の天将有り、前に五位の天将有り。天乙はすなわち「貴人」なり。此の神は紫微垣の門口に住し、上帝の征伐の令を主持して人間に頒行す。五行は己丑の土に応じ、武を以て戈を止むるの徳性有り、其の余の諸神を統轄す。貴人若し天門亥の前・地戸申の後の半辺に落つれば、十二天将は則ち順時針に排布す。若し地戸の前・天門の後の半辺に落つれば、則ち逆時針に排布す。貴人の後の六将は、依次に「天空」「白虎」「太常」「玄武」「太陰」「天后」なり。貴人の前の五将は、依次に「螣蛇」「朱雀」「六合」「勾陳」「青竜」なり。注者按:課中におよそ某神の貴人の前か後かを分別せんと欲せば、皆此の次序を照じて推せ。某支の乘る所の天将は前五将に属せば、則ち貴人の前に在り。後六将に属せば、則ち貴人の後に在り。再び別に他を考究するを須いず。これは前後を判断するの簡便办法なり。
解紛必囑事於童僕。貴人居子曰解紛,曰解除紛紜擾攘也。蓋子乃夜半安居之神,故得解去紛擾而坦腹。然既為至貴,日有萬機,雖無君象,貴臣宰輔代天宣化事,亦同天子之勞,恐其蕪脫遺漏,故囑事於有用之童僕,庶不負國漠民矣。
貴人が子に臨むを「解紛」と曰う。此の時必ず事情を童仆に交託して弁ぜしむべし。所謂解紛とは、紛乱扰攘を解除するなり。子は夜半安居の神、故に貴人此に到れば紛扰を解去して安然と袒腹休息し得るなり。然るに貴人の身分極めて尊く、一天到晚万機叢集し、其は君主の象に非ずと雖も、却て天子に代わりて教化を宣布する貴臣宰輔なり。労碌は天子と相同じ。只だ事の荒廃脱漏するを怕る。故に事務を得力の童仆に嘱託して経弁せしめ、此の如くして始めて国家に辜かず百姓に辜かざるなり。此の象を占得すれば、事は下属・晩輩或いは傭仆の代弁に靠りて始めて成るを主る。
此判辭與易之爻相仿,間有巧合可照讀之,但易道活潑,多與事不親,故當活斷。但潛心推究,可明五行之理。五行之理者,易占之根本,真秘訣也,故不可不細玩之。一、此課十二天將臨十二位,有乘有臨。二、判詞之理解,不可全有生克論,有以神將之象連綴而成其意者,不可不知。此大六壬與六爻不同處。三、十二宮之本意,壬學關節也。
注者按:これらの判辞は《易経》の爻辞に相仿り、偶々巧合の処有りて対照して読むべし。但だ易理は活霊にして、往々具体の事情と那嚢贴切せず。故に活看活断すべし。只だ肯んじて潜心推究すれば、則ち五行の道理を明白し得べく、而るに五行の理は正に易占の根本・真正の秘诀、細々と玩味せざるべからず。此処に三点を提す。第一、本篇の講ずるは十二天将の分別して十二地支の位に落つるなり。既に天将の某支の上に乘る有り、亦た天将の某宮の中に臨む有り、両者は分かち清めんことを要す。第二、判辞の理路は全て生克を用いて解釈する能わず。不少は神と将の取象を連綴して以て文意を成す有り。此の一点は必ず知るべし、亦た正に「大六壬」と「六爻」の同じからざる処なり。第三、十二宮の本身の含義こそ、六壬学問の関節の在る所なり。
貴人居子,子者子民,貴人治下嚴謹,惡人不興,禍事不起,故可曰解紛。切記:解紛者,必非無紛也,先有紛始有解紛之事。升堂宜投書於公府。貴人居丑曰升堂,乃本位屬己丑故也,升堂則有泰山岩巖之象,非可私干,必欲見之,宜持書或移文,必以正大光明,然後可於公堂府第見之。一云,貴人居本家不治事。
再び説く、貴人が子に臨む。子は以て子民と看做すべし。貴人は属下を治理するに厳謹にして、坏人は敢えて風浪を興し作さず、禍事も亦た発生せず。故に解紛と称す。切記すべし、既に「解紛」と曰えば、則ち必ず本来紛無きに非ず、而も先に紛乱有り、然る後に解紛の此事有るなり。貴人が丑に臨むを「升堂」と曰う。此の種の課に遇いて事を弁ぜんと欲せば、官府に往きて文書を投逓すべし。之を升堂と謂う所以は、丑は正に貴人己丑の本位を以てなり。既に已に升堂せば、則ち泰山巖巖・荘厳犯すべからざるの気象有り。私下に求告する能わず。一定に彼を見んと欲せば、則ち書状を遞呈し或いは公文を行移し、必ず正大光明にして、然る後に公堂官府の中に於て彼を見るべし。別に一説有り、貴人の自己本家の宮に居る時は事を弁ぜず、と。
憑几可謁見於其家。貴人居卯曰憑几,蓋功曹乃案牘碎瑣之象,貴人有暇必親於典籍也。當此可乘之機,雖細務亦可相干,可就私第謁之,而非公堂之比也。寅為幾象,草文書所用,故貴人臨之當有公事要辦。親於典籍者,一例而已。我遇此象,多以有公事論,多驗。卯酉日月門也,故貴人加於地盤卯酉之上發用,亦主貴人臨門或主顧、客人上門也。又經云“貴加門戶,意總不足。”,以有欲而外求,故亦為搖動之象。
貴人が寅に臨むを「憑几」と曰う。此の時は彼の家中に到りて拝見すべし。原文は此処に居卯と写す。但だ下文に明らかに寅を以て几と為すと説く。知るべし、当に寅位を指すべし。寅は「功曹」、文書案牘瑣碎の象なり。貴人に閑暇有れば必ず典籍に親近す。此の可乘の機に趁りて、たとえ小事なりと雖も打搅するに妨げず、彼の私宅に到りて拝謁すべし。升堂の如く必ず公堂に於て相見るを須いざるがごときなり。注者按:寅は几案の象、文書を起草するに用うる所の物なり。故に貴人が寅に臨むは当に公事の弁ずべき有るべし。「典籍に親近する」は只だ其の中の一例のみ。我は此の種の課象に遇うや、多くは公事有りを按じて断じ、屢々応験せり。卯と酉は日月出入の門。故に貴人の地盤卯・酉の上に加えて発用と為すや、亦た貴人の門に上るを主り、或いは主顧・客人の登門を主る。経文に又曰く「貴の門戸に加わる、意総じて足らず」と。心の中に欲求する所有りて外に向かい奔走するを以て、故に亦た心神揺動の象なり。
登車宜訴詞於路。貴人居卯曰登車,卯乃軒車之象,既升車則非私家又非公署,若非緊急事,豈可唐突於貴人之前耶?若被屈或遭豪暴,非陳於有位之正人,何得雪斯沉辱哉?不得不俯於路而哀達其情也。卯酉為門戶,故貴人加於地盤二分之上,亦主主顧來臨。巳午受貢兮君喜臣歡。貴人居巳午曰受貢,乃相生助,非不遂之方,既貢則以賤事貴,以貴下賤,君喜臣悅忘其授受之私,貢者受者俱不越度之象。
貴人が卯に臨むを「登車」と曰う。此の時冤情有れば只だ路上に攔えて陳訴するのみ。卯は軒車の象。貴人既に已に登車せば、則ち既に私宅に在らず亦た官署に在らず。若し緊急の事に非ざれば、怎麼して好く冒昧に貴人の面前に攔えんや。但だし若し冤を含み屈を受け或いは豪強の凌暴に遭わば、職位有る正人に陳述せざれば、又た何を靠りて此の沈重の耻辱を洗刷せんや。只だ路旁に俯身し、情由を哀告し上ぐるほかなし。注者按:卯酉は門戸。故に貴人の地盤春分・秋分の此の両個の宮位の上に加わるや、亦た顧客の登門を主る。貴人が巳に臨み午に臨むを「受貢」と曰う。君臣両方皆歓喜す。巳午の火は貴人の土を生ず。是れ相生扶助の地にして、遂心せざる方位に非ず。既に受貢と称せば、則ち卑を以て尊に事え、尊を以て卑に接し、君上歓喜し臣下悦服し、彼此授受のあいだの私念を忘掉し、進献する人と接受する人と皆分寸を失わず。
辰戌懷怒兮下憂上辱。貴人居辰曰天牢,居戌曰地獄,非法之地,必非法之人,而後入之,何貴人而居此乎?文王羑里亦莫非天所使耳。在上者有此非常之辱,則俯仰於彼者,烏得不憂乎?貴居辰戌,是加於地盤上。貴人不乘此二神。判辭舉事之一端耳,干貴則貴入羅網不吉,而履獄錄囚之理亦不可不知。《畢法》云“貴雖在獄宜臨干”是也。但貴人臨干,不免操勞。身入公門之人,有不殫精竭慮以副其職乎?正所謂“人人愛當官,當官不自由”也。
貴人が辰に臨み戌に臨むを「懐怒」と曰う。下に在る人は憂懼し、上に在る人は辱を受く。貴人が辰に臨むは「天牢」、戌に臨むは「地獄」、皆刑法の地、本当に法を犯す人のみ進入すべき所。貴人は怎麼して此処に落ち到らんや。周文王の羑里に囚わるるがごとき、亦た天意の安排に過ぎず。上位者此の如く非同尋常の羞辱に遭えば、彼を仰仗して日子を過ぐる下属、怎麼して憂愁せざるを得んや。注者按:貴人の辰戌に居ると説くは、貴人の地盤の辰・戌宮の上に加わるを指す。天将の中、貴人本身は辰・戌の此の両個の神に乘らず。判辞は不過其の一端を挙ぐるのみ。日干上の貴人の辰戌羅網に落入るは固より不吉なり。但だし貴人の牢獄を巡視し囚犯を复核するの道理も亦た知らざるべからず。《畢法賦》に曰く「貴は獄に在りと雖も干に臨むを宜しとす」と、正に此の意なり。但だし貴人の日干に臨むも、亦た操労を免れず。身に公門に在る人、哪一個か精慮を殫さずして其の職に称えんや。正に所謂「人人官を当るを愛し、官を当れば自由ならず」なり。
移途則有求干之榮。貴人居申為移途,蓋傳送乃道路之神,貴人在嬉遊衍時也,因而獲便以求其進用之私,乘間而行,必榮遂矣。此言有二說:一、貴人加申之上,申者車也,若生我,是貴人乘車下顧,有求皆應。二、申為貴人,動中有利。
貴人が申に臨むを「移途」と曰う。此の時干求する所有れば反って栄顕を得るを能くす。申は「伝送」、道路の神なり。貴人此に到れば正に外出游行の際に在り。求告する人は便ち此の方便に乗じて自己進用の私を謀り、隙に乘じて行えば、必ず栄耀意を遂ぐ。注者按:此の句は両種の講法有り。其一、貴人の地盤申の上に加われば、申は車馬、若し申が能く我方を生助せば、則ち是れ貴人の車に乘りて駕を屈して顧うなり。およそ請求有れば皆応允す。其二、申宮の乘る所を以て貴人と看做せば、走動の中に於て利を獲るを主る。
列席則有酒筵之娛。蓋未為夜貴,二貴相會入貴家,故有筵會之象。托貴干貴事無不遂矣。還絳宮坦然安居。居亥又曰登天門,此時六凶俱藏。蓋蛇雀之火而伏於水,勾陳天空之土而伏於木,白虎之金伏於火,玄武之水而伏於土,且亥乃夜方,日之勞擾者至此而坦然安居矣。貴登天門,萬禍皆消。但當以課體為主,較量得輕也。若課體凶,則貴登天門,乃宣旨屠戮之詔,何以為福?故常人占不喜也。
貴人が未に臨むを「列席」と曰う。酒宴の楽しみ有るを主る。未は夜貴人の本家、昼貴此に到れば便ち両位の貴人の貴人の家に相会するなり。故に筵席聚会の象有り。此の時人情を托して貴人に事を弁ませれば、弁まざるは無し。貴人が亥に臨むを「還絳宮」と曰い、能く坦然として安居す。此の一格は又「登天門」と曰う。此の時六個の凶将は皆蔵伏す。螣蛇・朱雀は火に属して亥水に伏し、勾陳・天空は土に属して亥中の木に伏し、白虎は金に属して火に伏し、玄武は水に属して土に伏す。況んや亥は夜半の方位、白天労碌奔忙の人も此に到れば則ち坦然として安居す。注者按:貴の天門に登れば、万禍皆消す。然れども仍お整個の課体を以て主と為し、権衡した後に始めて吉凶軽重を知る。若し課体本凶ならば、則ち貴の天門に登るは反って旨を奉じて屠戮の詔書を宣読するがごとき、哪裏ぞ福と算するを得んや。故に平常人の占得は喜ぶべからず。
入私室不遑寧處。蓋酉為日月出入之門,有私門之號也。夫貴達而在上,致君、澤民、律身、行已,自當持正,以至難進易退。趨謁於私門則律己不正,而清議所不容矣,豈遑寧處也?貴人臨酉,乃貴人自後門而入之象,宜私不宜公。占託人辦事,無不利。又酉者,媚也,少女也,至尊為其所迷,則失其持正之心,宜慎之。
貴人が酉に臨むを「入私室」と曰う。此の時心神安からず、安居する暇無し。酉は日月出入の門、故に私門の称有り。貴人は顕達にして上位に居り、君主を輔佐し、百姓に恵を施し、自身を約束し、行事を検点せんことを要す。本当に正道を持守し、進取すること難く引退すること易きを致すべし。如今却て私門に奔走して見を求むれば、便ち己を律すること正しからず、清議の容るる所と為らず。哪裏に還た能く安然として自ら処るを得んや。注者按:貴人が酉に臨むは、貴人の後門より入り来るの象。私下に事を弁ずるに宜しくして公開に進行するに宜しからず。人を托して事を代弁せしむるを占えば順利ならぬは無し。再び言う、酉は又た嫵媚を主り、少女の象なり。至尊の貴人彼女の迷惑する所と為らば、則ち持正の心を失掉せん。此の一点は当に謹慎すべし。
