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占験四・荘公遠の程翔雲の省に到るを占う

明 · 陈公献(北海张洪注) · 第9巻 / 17

作盤ガイド: 大六壬起課, 金口訣起課

占驗四、辛卯九月辛巳日辛卯時,莊公遠在江寧,占看東翁程翔雲先生何日到省,蒿矢。 后陰 貴 午未申酉 玄 后貴空白 鬼 壬午 貴 蛇 巳 戌 常 未午子亥 印 癸未 后 朱 辰 亥 虎 午巳亥辛 兄 甲申 陰 六 卯寅丑子 空 勾龍

此れ是れ辛卯年九月辛巳日辛卯時の課盤。荘公遠は人は江寧に在り、東家の程翔雲先生の何れの一天省城に到るかを占う、課体は「蒿矢」に属す。四課は自ら右より左に至るは亥の辛に加わり・子の亥に加わり・午の巳に加わり・未の午に加わる。三伝の初伝壬午は是れ官鬼にして貴人を乗ず、中伝癸未は是れ印綬爻にして天后を乗ず、末伝甲申は是れ兄弟爻にして太陰を乗ず。蒿矢課は是れ四課に克無くして外神に由りて遥かに日干を克す、其の力は雖も虚なりと雖も其の来るは甚だ速し、行人を占うに正に人已に途中に在るを主る。

公遠斷曰:行人自宅中已起程,應於丙戌日到。蓋驛馬臨干,貴人入辰。又蒿矢為用,行人速來,故知其起程。丙戌者,因馬臨戌地,又為發用之墓絕,且寅為本命,午為用神,與戌作合也,後果丙戌日至。

荘公遠の断じて曰く、行人已に家中より起程し、応するは丙戌日に到らん。駅馬の日干に臨み、貴人の日支に入り、又た是れ蒿矢課発用するを以て、行人の快来を主る、故に彼の已に動身せるを知る。何を以て丙戌に定むるや。駅馬正に戌地に臨み、戌又た是れ発用の神の墓絶の處を以てなり。再び言う、彼の本命は寅に属し用神は是れ午、寅午と戌とは恰好会して局を合成す。後来果たして丙戌日に到れり。

増補占例一・王懐志の今晚来るか否かを問う

增補占例: 占例一、辛巳二月辛未日丁酉時,問王懷志今晚來否。彈射。 龍空虎常 未申酉戌 玄白 貴后 財 寅 貴 勾 午 亥 玄 亥酉 寅子 父 辰 朱 六 巳 子 陰 酉未 子辛 官 午 勾 辰卯寅丑 朱蛇貴后 斷:彈射課為己謀人,非人謀己,故不來也。 驗:果未來。

以下は是れ今人の増補する占例。辛巳年二月辛未日丁酉時、王懐志の今晚来るか来らざるかを問う、課体は「弾射」に属す。四課は自ら右より左に至るは子の辛に加わり・寅の子に加わり・酉の未に加わり・亥の酉に加わる。三伝の初伝寅は是れ財爻にして貴人を乗ず、中伝辰は是れ父爻にして朱雀を乗ず、末伝午は是れ官爻にして勾陳を乗ず。盤外の一圏は是れ地盤十二宮・加臨の天盤の神と乗ずる所の十二天将。弾射は本より遥克課の一種、日干に由りて遥かに用神を克す、力は我が此の邊より発出す。断語に曰く、弾射課は是れ自己往きて別人を謀り、是れ別人の来りて自己を謀るに非ず、故に彼の人は来らざらん。験証、果たして来らざりき。

増補占例二・陳清雲の能く時に按じて假を銷するか否かを問う

占例二、戌將二月己丑日卯時問:本村小學陳清云耳鳴請假,於校長問按時銷假否。斫輪 貴后陰玄 子丑寅卯 蛇 亥 辰 常 玄勾六陰 卯 玄 朱 戌 巳 虎 卯申酉寅 戌 朱 酉申未午 申丑寅己 巳 白 六勾龍空 斷:斫輪主遲,必不能來也。 驗:果然。

二月戌将・己丑日卯時に占問す。本村小学の陳清雲は耳鳴に因りて假を請う、于校長は彼の能く時に按じて假を銷するか否かを問う、課体は「斫輪」に属す。四課は自ら右より左に至るは寅の己に加わり・酉の寅に加わり・申の丑に加わり・卯の申に加わる。三伝の初伝卯は玄武を乗ず、中伝戌は朱雀を乗ず、末伝巳は白虎を乗ず。盤外の一圏は是れ地盤十二宮と加臨の天盤の神及び十二天将。斫輪の一名は木を砍りて車輪を造るに取れり、斧斤徐徐として下る、事は必定遅緩にして速かなら難し。断語に曰く、斫輪課は遅緩を主る、彼は必定来る能わず。験証、果たして此の如し、彼は期に按じて校に回り假を銷せざりき。

趨謁章第十二

干謁之利三六合,彼我兩儀欲相洽。六陽公事和諧看,六陰私謀素親狎。 舍益就損忌動用,根斷源消防耗失。逼迫旺祿守舊宜,周遍循環所求得。 初空末吉終有獲,首上尾加干何益(旬尾加旬首)。度亥塞鬼二者推,有阻無阻此處繹。 引從告謁往必唔,任信尋訪必難諧。二貴合害分輕重,六親生克吉凶排。 日德陰神見長短,末傳合處是成期。斫輪空亡須圖改,昴星蛇虎安舊宜。

上官に見え・干謁請託を求むるは、三合と六合とに利在り、彼我両儀は須く彼此融洽せんと要す。六陽の課は、看る所は是れ公事和諧。六陰の課は、私下の謀求・素来親狎を主る。「舎益就損」を占得するは、動用するを忌む。「根断源消」を占得するは、須く耗失を防ぐべし。「逼迫」にして日禄旺相なるは、旧を守るに宜し。「周遍」「循環」を占得するは、求むる所皆な手に到るを得。初伝空に落ちて末伝吉なるは、終竟収穫する所有らん。旬尾の旬首の上に加わるは、去りて又た何の益有らん。「魁度天門」と「罡塞鬼戸」との両者は須く分別に推求すべく、此の行の阻有るか阻無きかは、則ち此の處に於いて演繹す。「引従」を占得するは、前に往きて謁を告ぐれば必ず能く会面せん。「任信」を占得するは、往きて尋訪すれば一定に諧い難し。両位の貴人は是れ合か是れ害かは、須く軽重を分かつべし。六親の間の生克は、之に拠りて吉凶を排定す。日徳の陰神の上に於いて求むる所の長短を看出すべし。末伝の相合する處は則ち是れ成事の期。「斫輪」を占得して空亡に逢うは、須く別に図謀改変を作すべし。「昴星」を占得して螣蛇・白虎を乗ずるは、還た是れ旧局を安守するを以て宜と為すべし。

選挙章第十三

簾幕貴逢黃榜策,魁罡將遇青雲客。鬼斗臨干魁可掄,文華克歲犯時責。 從魁生扶亞魁中,辰未來臨解首逢。萬里風雲看龍奮(蛇化龍),一生泉石有蛇封(龍化蛇)。 六陽月將生光輝,兩貴拱夾榮名遂。墓神覆日文理差,羅網纏身書旨晦。

課中に帘幕貴人を見るは、金榜題名を主る。河魁・天罡の二将相遇するは、是れ青雲直上の客。鬼宿・斗宿の日干に臨むは、以て魁を奪うべし。文昌華蓋の神の反って往きて太歳を克するは、則ち須く上を犯して時忌の責を受くべし。従魁酉の来りて生扶するは、以て亜元に中るべし。辰・未の二神の来りて臨むは、以て解元に逢うべし。三伝の螣蛇より化して青龍と為るは、是れ万里の風雲・龍騰奮起の象。青龍より化して螣蛇と為るは、則ち一生只だ能く泉石山林に於いて跡を寄するのみ。六陽の課の月将の生助を得るは、前程光輝有らん。両位の貴人の左右に於いて拱夹するは、栄名成るべし。墓神の日干を覆圧するは、文理則ち差し。天羅地網の身位を纏住するは、書旨晦渋にして明ならず。

德入天門中必崇,河魁度亥失登庸。旬首冠群詳五甲(甲戌甲子甲寅甲辰甲午也),真朱超眾忌三凶(一克太歲,一克幕貴,一榜將出而乘丁馬)。 格見天心貴異常,源消根斷(四下生上也)費商量。雨露潤澤(謂四上生下也)中無慮,刑害空亡取次詳。

徳神の天門に進入するは、中式必然高崇なり。河魁戌の亥上に渡るは、則ち挙用せらるるの機会を失掉せり。旬首の神は冠絶群倫を主り、須く甲戌・甲子・甲寅・甲辰・甲午の此の五甲を詳辨すべし。真朱雀は衆人を超越するを主る、但だし三种の凶象を忌む。一は是れ太歳を克し、二は是れ幕貴を克し、三は是れ榜の将に出でんとして丁神・駅馬を乗ず。課格の「天心」に合するは、貴は尋常に同じからず。「源消根断」は、則ち四課皆な是れ下神の上神を生ず、則ち須く一番の商量を費すを得。「雨露潤沢」を得るは、則ち四課皆な是れ上神の下神を生ず、中式便ち憂うるを須いず。刑・害・空亡に至りては、則ち依次に一一に詳辨す。

占験一・宜陵景兄の入泮を占う

占驗一、庚寅七月甲申日丙寅時,宜陵景兄占府院試可入泮否,交車、重審、玄胎,午未空,酉戌落空。 勾六 龍 申酉戌亥 朱 后朱 龍常 鬼 甲申 龍 空 未 子 蛇 寅亥 申巳 父 丁亥 朱 虎 午 丑 貴 亥申 巳甲 兄 庚寅 后 常 巳辰卯寅 后 玄陰

此れ是れ庚寅年七月甲申日丙寅時の課盤。宜陵の景兄は来りて府試・院試の能く学に進むか否かを占う、課体は「交車」「重審」「玄胎」に属し、本旬の午未空亡、天盤の酉戌は空亡の地盤の上に落つ。四課は自ら右より左に至るは巳の甲に加わり・申の巳に加わり・亥の申に加わり・寅の亥に加わる。三伝の初伝甲申は是れ官鬼にして青龍を乗ず、中伝丁亥は是れ父爻にして朱雀を乗ず、末伝庚寅は是れ兄弟爻にして天后を乗ず。交車は是れ日干日支上下彼此交互に生克し、重審は是れ下の上を賊して発用し、玄胎は事の暗中に於いて成就するを主り、以て科名を占うに最も吉兆を見る。

斷曰:不但府試高取,院考定然首薦。蓋因月建旬首發用。龍朱乘旺相(龍乘申月建旺,朱乘亥相),現於初中,末傳德祿驛馬,又干支交車生合,傳將進引,斗罡天喜加行年(秋三月天喜在辰,加行年丑上),朱雀乘丁神進氣,文字必貼主司之意。且格合天心(年寅、月申、日申、時寅皆在四課之內),主非常喜慶,掀天揭地也,是以首薦無疑。又問:該就府送考,該就司送考?予曰:六合加於辰未酉籍穩妥,後果首進。

断語に曰く、但だ府試の高中するのみならず、院試も亦た一定に名列第一ならん。発用するは正に是れ月建にして又た旬首の神を兼ぬるを以てなり。青龍・朱雀皆な旺相の気を乗ず(青龍は申を乗じて是れ月建の当旺、朱雀は亥を乗じて是れ相気)、初伝・中伝に出現す。末伝は是れ徳神・禄神と駅馬。日干日支又た交車相生相合し、三伝の天将節節進引す。斗柄天罡と天喜と行年上に加わる(秋の三個月の天喜は辰に在り、正に行年の丑上に加わる)。朱雀は丁神を乗じて進気を帯ぶ、写す所の文章必定主考の心意に合せん。加うるに課格の「天心」に合するを以て(太歳寅・月建申・日建申・占時寅皆な四課之内に在り)、非常の喜慶を主り、声勢は天を掀き地を掲ぐ、故に名列第一は疑問無し。彼又た問う、当に府に由りて考を送るべきか、還た是れ司に由りて考を送るべきか。我曰く、六合の辰・未・酉の位に加わるは、官籍を走りて考を送る乃ち穏妥なり。後来果たして第一を考取せり。

占験二・袁友の為めに陸奪翼の考試を占う

占驗二、壬子五月丙戌日己丑時,予住淮安都府前,有江陰六壬袁友,為宿遷陸庠友諱奪翼者占考試,不備、知一、度厄,午未空,丑寅落空。 朱六 蛇 子丑寅卯 勾 蛇空 常蛇 鬼 戊子 蛇 貴 亥 辰 龍 子巳 未子 兄 乙未 常 后 戌 巳 空 巳戌 子丙 父 庚寅 六 陰 酉申未午 虎 玄常

此れ是れ壬子年五月丙戌日己丑時の課盤。我は淮安都府前に住し、江陰の六壬同好袁友有りて、宿遷の庠生陸奪翼の為めに考試を占う、課体は「不備」「知一」「度厄」に属し、本旬の午未空亡、天盤の丑寅は空亡の地盤の上に落つ。四課は自ら右より左に至るは子の丙に加わり・未の子に加わり・巳の戌に加わり・子の巳に加わる。三伝の初伝戊子は是れ官鬼にして螣蛇を乗ず、中伝乙未は是れ兄爻にして太常を乗じて空に落つ、末伝庚寅は是れ父爻にして六合を乗ず。不備は是れ四課に一を缺き、知一は一神を取りて主と為し、度厄は関を過ぎて厄を渡るを主る、三者并び見れば、功名の事便ち取る有り舎る有り。

斷曰;院試必取,科舉省試未能遂志。問曰:史撫臺已升鳳督去否?余曰:必不能去。蓋因驛馬坐墓(寅為馬臨未),干神歸支(不惟歸支,且為支所墓,為在家不動之象),靜象也。 又問女病,余曰:胎鬼發用,血忌加支(血忌者,正月丑二未三寅四申五卯六酉,五月應在卯;血支者正月自丑順行,五月在巳,此血忌乃血支之誤也。),又四課不備,病主脈息虛弱,心胸不利,以致失血,必因胎產所致,冬月不保。

断語に曰く、院試は一定に録取し、省城の郷試は却って願いを遂ぐる能わず。彼の人又た問う、史撫台は是れ已に鳳陽総督に昇任して去りしや否や。我曰く、彼は一定に去り成らず。駅馬の墓上に坐するを以て(寅は是れ駅馬にして未に臨む)、日干の神又た日支に帰す。不只是れ支に帰すのみ、而且日支に墓せらる、正に是れ家に在りて動かざるの静止の象。又た家中の女子の病を問う、我曰く、胎鬼発用し、血忌は日支に加臨す(血忌の排法は正月は丑に在り・二月は未に在り・三月は寅に在り・四月は申に在り・五月は卯に在り・六月は酉に在り、五月は応に卯に在るべし。血支は則ち正月の丑より起こりて順行し、五月は巳に在り、此の處の血忌は其の実是れ血支の誤)、再加うるに四課不備を以て、病象は是れ脈息虚弱・心胸の舒暢ならざるに因りて失血す、必ず是れ胎産に因りて起これり、冬月の裡保つ能わず。

又問:宿遷邊合戰,安堵否?余曰:賊符加干支,冬月必有兵警,然日之陰陽自戰,中傳制初,來兵敗怯而退。干神生支,居守保固,無破城之患(此又不以日祿臨支徒妄作論)。後四事皆驗。

彼の人又た問う、宿遷の辺境上に戦事有り、能く安然恙無からんや否や。我曰く、賊符の日干日支に加臨するは、冬月必ず兵警有らん。但だし日の陰神陽神自ら交戦し、中伝又た初伝を制住す、来犯の兵は怯敗して退くべし。日干の神の日支を生助するは、堅守自固を主り、城を破るの患無し。此の處又た日禄の日支に臨むに因りて、則ち妄りに一味の静守と断ずることなし。後来此の四件の事皆な一一に応験せり。

郷試章又第十三

占験一・癸酉年宗開先の科場を占う

驗一、癸酉七月辛卯日庚寅時,揚州明經宗開先先生偕張向之占科場事,報寅時。(午未空,戌亥落空) 勾龍 六 酉戌亥子 空 涉 龍蛇 貴常 父 乙未 蛇 朱 申 丑 白 害 亥未 午寅 子 丁亥 龍 蛇 未 寅 常 曲 未卯 寅辛 財 辛卯 玄 貴 午巳辰卯 玄 直 后 陰 斷曰;即今中矣。曰:何以報一時即知其中。蓋因先鋒為幕貴(雖寅時,用晝貴,故寅時為幕貴),且臨日上。(寅加戌)月將官貴又加寅命(蓋命在寅,午為月將,乘貴神加之),是以必中無疑。然發用未作旬空,必俟未年太歲填實,方中甲榜。

崇禎六年癸酉七月、辛卯日庚寅時、揚州明経宗開先先生は張向之と同じく一起に来りて郷試科場の事を問う、報ずるは是れ寅時。辛卯日は甲申旬に属し、「空亡」(本旬中に天干の配する可き無き両支)は午未に在り、天盤の戌・亥二神は正に空亡宮の上に落つ。附する所の課盤の中、方框の十二宮に排するは是れ天地盤と十二「天将」(貴人・螣蛇・朱雀・六合・勾陳・青龍・天空・白虎・太常・玄武・太陰・天后)の分布、右辺の三列は依次に是れ「四課」(日干・日支及び其の上神に由りて排成するの四組)と「三伝」(四課より取出するの初・中・末の三個の用神)。此の課の四課は自ら右より左に向かいは寅の辛に加わり・午の寅に加わり・未の卯に加わり・亥の未に加わる。三伝は是れ未・亥・卯、初伝未は「螣蛇」を乗じて父母と為り、中伝亥は「青龍」を乗じて子孫と為り、末伝卯は「玄武」を乗じて妻財と為る、課体は「渉害」に属し兼ねて「曲直」。陳公献の断定す、此の一科便ち能く中る。人有りて彼に問う、何を以て只だ一個の時辰を報じて便ち必ず中るを知るや。彼曰く、占時の寅は正に是れ幕後の貴人。雖も是れ寅時なりと雖も、此の課は昼貴を取る、故に寅は幕貴と成れり。而且其れ又た日干の上に臨む(天盤の寅は辛の寄する所の戌宮に加わる)。再び言う、七月の「月将」午は貴神を帯びて本命寅上に加わる(此の人の本命は寅に在り、午は是れ月将にして貴人を乗じて之に臨む)、官星と貴人と倶に到る、故に彼の必ず中ること疑い無しと断ず。只だ是れ発用の未は旬空の裡に落つ、必ず未年の太歳の此の空を填実するを待つて、乃ち能く甲榜に中る。

占験二・戊子年孫興功の両人の郷試を占う

占驗二、戊子八月丙辰日,餘住金陵時右方伯東省孫興功老師寫本日辰時,又寫酉時,占兩人鄉試。 虎 常 (子丑空,未申落空) 空 巳午未申 玄 玄胎 青青 勾勾 比 丁巳 勾 青 辰 酉 陰 斬關 辰辰 巳巳 財 庚申 玄 勾 卯 戌 后 伏吟 辰辰 巳丙 父 甲寅 六 六 寅丑子亥 貴 朱蛇 斷曰:辰時者前,列酉時者次之。蓋緣天罡為領袖之神,從魁幕貴在後(天罡乘龍為前五,從魁乘陰為後二),故云。及排辰時課,三傳巳申寅,干乘德祿,支見月將青龍(八月將在辰,乘龍臨支),又祿馬入傳(巳祿寅馬),凡士子已試後得伏吟,必中。

清順治五年戊子八月丙辰日、作者は金陵に住す時、山東籍の右布政使孫興功老師は本日の辰時を写し、又た酉時を写し、彼に両個の人の為めに郷試を占わしむを請う。丙辰日の旬空は子丑に在り、天盤の未・申二神は空亡宮の上に落つ。先ず辰時此の一課を看る。月将辰は辰時の上に加わり、天地盤は重畳し、「伏吟」課を成し、兼ねて「玄胎」「斬関」の格。四課は是れ辰の巳に加わり・巳の丙に加わる。「三伝」は是れ巳・申・寅、初伝巳は「勾陳」を乗じて兄弟と為り、中伝申は「玄武」を乗じて妻財と為り、末伝寅は「六合」を乗じて父母と為る。陳公献の断じて曰く、辰時を写す此の一位は名次前に在り、酉時を写すは次の一等。原因は是れ辰則ち「天罡」、是れ十二神の中の領袖の神。酉則ち「従魁」、此の課の裡に於いて幕後の貴人を做し、位置は後に靠る(天罡は青龍を乗じて前の五位に居り、従魁は太陰を乗じて後の二位に居る)、故に先后の分有り。再び辰時の課を排す、日干丙は日徳と禄神巳とを乗じ、日支辰上又た八月の月将辰の「青龍」を乗ずるを見、禄神巳と「駅馬」寅と一斉に伝に入る。凡そ士子の考完じるの後伏吟を占得するは、必定得中す。此の課の外圏十二宮の中、青龍は辰宮に居り・太陰は酉宮に居り、両位の天将は一前に一後にして、名次の先后は正に此の處より看出せるなり。

酉時三傳子未寅也。初傳太歲空戰,墓貴又入墓庫(用夜貴酉,故亥為幕貴,臨辰為入庫),故次之。放榜時,辰時者陸可球中二十二名,酉時者常熟趙姓中副卷,此二者俱以時斷中也。 六勾青空 子丑寅卯 朱 亥 辰 虎 玄朱 陰六 甲子 六 蛇 戌 巳 常 午亥未子 己未 陰 酉申未午 亥辰子丙 甲寅 青 (似應是三傳午丑申) 貴后 陰玄

酉時彼の一課の「三伝」は是れ子・未・寅。初伝子は既に是れ戊子年の太歳にして、又た旬空の地に坐して日と相戦す。幕後の貴人亥又た墓庫に落ち進む(此の課は夜貴酉を取る、故に亥は幕貴と成る、亥は辰宮に臨みて便ち是れ水の辰庫に入る)、故に名次は須く次の一等を要す。榜を放つの時、辰時を報ずるの陸可球は第二十二名に中り、酉時を報ずるの常熟趙姓は只だ副榜に中るのみ、両人皆な是れ報ずる所の時辰に憑りて中るを断ぜられたり。附排の此の張の酉時課盤。月将辰は酉時の上に加わり、天盤の子丑寅卯は上に居り、四課は依次に子の丙に加わり・未の子に加わり・亥の辰に加わり・午の亥に加わる、乗ずる所の天将は是れ六合・太陰・朱雀・玄武、三伝は甲子は「六合」を乗じ・己未は「太陰」を乗じ・甲寅は「青龍」を乗ず。後人の校注は此の處の三伝は応に午・丑・申と作るべしと疑心す。両課を并列して対看すれば、最も時辰の不同なれば則ち吉凶判然として別有るを見るべし。

占験三・丁卯年何伴鶴の兄弟の郷試を占う

占驗三、丁卯八月乙巳日甲申時,浙江金華何伴鶴來揚相訪,予老母求占:汝兄弟鄉場中否?蒿矢、從革,寅卯空、戌亥落空。 朱六 蛇 丑寅卯辰 勾 玄蛇 常貴 鬼 己酉 玄 貴 子 巳 青 酉丑 申子 子 乙巳 龍 后 亥 午 空 丑巳 子乙 財 癸丑 蛇 陰 戌酉申未 虎 玄常 斷:昆弟皆中,午命在前,亥命在後。蓋因蒿矢見金,如箭有簇,自四發用,箭數合式。朱雀翱翔,文事武備皆得之矣。且貴臨貴位,必得兩貴周旋推薦,後果前後一一不爽。問何以分前後,因三傳逆合,又午命甲寅亥命丁未,故知之。(畢法云:兩貴相逢求兩貴,誠不虛也。)

天啓七年丁卯八月乙巳日甲申時、浙江金華の何伴鶴は揚州に到りて拝訪す、作者の老母親は彼に一課を占わしむを請う。你家の兄弟此の一科能く中るか否や。課体は是れ「蒿矢」兼ねて「従革」、本旬の空亡は寅卯に在り、天盤の戌・亥は空亡宮の上に落つ。此の課の四課は是れ子の乙に加わり・申の子に加わり・丑の巳に加わり・酉の丑に加わり、分別に「貴人」「太常」「螣蛇」「玄武」を乗ず。「三伝」は酉・巳・丑は結して金局を成し、初伝己酉は玄武を乗じて官鬼と為り、中伝乙巳は青龍を乗じて子孫と為り、末伝癸丑は螣蛇を乗じて妻財と為る。断語に曰く、兄弟両個皆な能く中らん、午年生の名次は前に在り、亥年生は後に在り。蒿矢課に又た金を見るを以て、箭上に箭鏃を装上げるが如し、而且第四課より発用す、箭の数目は正に規式に合す。「朱雀」高く飛ぶは、文事と武備と皆な斉備せり。加うるに貴人の正に貴人の本位の上に臨むを以て、必ず両位の貴人の中より周旋推薦するを得。後来果たして兄弟先後に中式し、一一差えず。人有りて怎様に先后を分け出すと問う、彼曰く三伝は逆行して相合し、又た午年本命の一位は甲寅を遁得し・亥年本命の一位は丁未を遁得す、先后は則ち分明なり。『畢法賦』の謂う所の「両貴相逢求両貴」は、実に是れ虚話に非ず。課中の貴人と太常とは両端に分居す、亦た正に両位の貴人の先后に援引するの説に応ず。

占験四・丁丑年張公祖の八門生の会試を占う

占驗四、丁丑正月己巳日己巳時子將,滕縣諱盛美張公祖有八門生會試,請六壬諸友所斷之課持出與餘占,無祿,戌亥空、午未落空。 后陰 貴 子丑寅卯 玄 青貴 六陰 子 癸酉 六 蛇 亥 辰 常 未子 酉寅 比 戊辰 常 朱 戌 巳 虎 子巳 寅己 財 乙亥 蛇 六 酉申未午 空 勾龍 斷曰:惟戊戌者必中,其餘皆不然。眾友與餘爭,雲屬牛屬虎者中。予云:放榜時自驗。張公曰:公之斷即與眾不同,此乃吾本房首卷,亦望其中,然昨閱其文,恐未必然。予曰:初末暗拱戌命,月將貴人臨年,是以中甲無疑,朱雀又生墓貴(朱雀乘戌,生幕貴申),其文甚貼主司之意。及放榜果中,始知為常熟蔣畹仙也。(戊戌年生,丁丑年四十歲,行年在巳,貴神乘子臨之,可見,公獻用一歲起丙寅行年法,不用金口訣換旬法。)(又:課名雖為無祿,但亦有中者,可見不可全憑課體。)

崇禎十年丁丑正月己巳日己巳時、子将を用う。滕県の名は盛美の張公祖は八位の門生有りて会試に参加せんと要し、六壬同好らの断ぜし所の課を帯び出して、作者に再び一遍を占わしむを請う。課名は「無禄」、本旬の空亡は戌亥に在り、天盤の午・未は空亡宮の上に落つ。四課は是れ寅の己に加わり・酉の寅に加わり・子の巳に加わり・未の子に加わり、分別に「太陰」「六合」「貴人」「青龍」を乗ず。「三伝」は是れ酉・辰・亥、初伝癸酉は六合を乗じて子孫と為り、中伝戊辰は「太常」を乗じて兄弟と為り、末伝乙亥は「螣蛇」を乗じて妻財と為る。陳公献の断定す、只だ戊戌年生の彼の一位は必ず中る、其の余皆な中らず。衆友は彼と争弁し、牛に属し虎に属する乃ち能く中ると説く、彼曰く榜を放つに自ら分暁有らん。張公祖の講ず、您の断ずるは衆人と皆な相同じからず、此の一巻は是れ我本房の首巻、我も亦た彼の能く中らんことを盼ず、只だ是れ昨日彼の文章を看るに、恐怕くは未だ必ずしもならず。彼答えて曰く、初伝酉と末伝亥とは暗中に一個の戌を拱出し、正に戊戌の命に合し、月将貴人又た彼の行年上に臨む、故に甲榜に中ること疑い無し。「朱雀」は戌を乗じて去りて幕後の貴人申を生ず、彼の文字は甚だ主考の心意に合するを説明す。榜を放つて後果たして中れり、乃ち是れ常熟の蒋畹仙なるを知る。注者曰く、此の人は戊戌年生、丁丑年に到りて四十歳、行年は巳に在り、貴神は子を乗じて之に臨むは以て証すべし、以て陳公献の用うる所は是れ一歳丙寅を起こすの行年推法を見るべく、《金口訣》の換旬法を用いず。又た、課名は雖も無禄と叫ぶと雖も、照様に中式する人有り、以て能く全く課体に憑りて吉凶を定むべからずを見るべし。課中の外圏の青龍は子に居り・太陰は寅に居り・貴人は巳に臨み、几處の貴気皆な戊戌此の一命の上に聚る、別人は自然に沾り到る能わず、故に八個人の裡只だ彼一個を許す。

占験五・甲戌年王公祖の小童を令して字を持して来りて占わしむ

占驗五、甲戌二月戊辰日丙辰時,長興前刑垣禮部諱繼廉王公祖,令小童持字來占,反吟、玄胎,戌戌亥空、辰巳落空。 蛇貴 朱 亥子丑寅 后 玄六 常朱 父 己巳 常 六 戌 卯 陰 辰戌 巳亥 財 乙亥 朱 勾 酉 辰 玄 戌辰 亥戊 父 己巳 常 青 申未午巳 常 空虎 斷曰;素所占者皆不許中,惟此君必中高魁。曰:何也?蓋因戊日返吟是德入天門發用,又丑未兩貴相加,斗鬼相合為魁字,是以必中高魁,不須疑慮沖剋生空,必荷聖恩之象。及發榜后王公祖三公子偕來相顧,乃長興周仲璉先生也。

崇禎七年甲戌二月戊辰日丙辰時、長興人・曽て刑科給事中と礼部の職を任ぜし・名は継廉の王公祖は、小童を叫びて字条を拿了せしめて来りて占うを求めしむ。課体は是れ「反吟」兼ねて「玄胎」、原書は戌亥旬空と記作す(「戌戌亥空」は当に是れ「戌亥空」の誤なるべし)、天盤の辰・巳は空亡宮の上に落つ。四課は是れ亥の戊に加わり・巳の亥に加わり・戌の辰に加わり・辰の戌に加わり、順次に「朱雀」「太常」「六合」「玄武」を乗ず。「三伝」は巳・亥・巳、初末両伝皆な是れ己巳にして太常を乗じて父母と為り、中伝乙亥は朱雀を乗じて妻財と為る。断語に曰く、平素来りて占うを求むる人は彼皆な中るを許さず、唯だ此の一位は必ず高魁に中らん。是れ何を為めにするや。戊日の日徳は巳に在り、反吟課の裡此の徳神は発用して又た亥上に臨む、正に是れ「徳入天門」。丑・未両位の貴人は交相加臨し、斗と鬼の両個の字象は凑して一個の「魁」の字を合成す、故に彼の必ず高魁に中らんと断ず、課中の冲・克・生・空を顧慮するを須いず、此の人必定皇恩を承受せんと要す。榜を発して以後、王公祖の三公子は陪りて一同に来りて道謝し、乃ち占う所正に是れ長興の周仲璉先生なるを知る。反吟の一課は本より動荡反復を主る、此の課は却って日徳の地を得・両貴交加するに因りて、反って高中の象と成れり。

占験六・癸未年宮子玄の会試を占う

占驗六、癸未二月乙丑日己卯時,何九敘為泰州孝廉宮子玄占會試,從革、周遍,戌亥空,午未落空。 朱六 蛇 丑寅卯辰 勾 青玄 常貴 子 己巳 青 貴 子 巳 青 巳酉 申子 財 乙丑 蛇 后 亥玄常午 空 酉丑 子乙 鬼 癸酉 玄 陰 戌酉申未 虎 斷曰:此課占會試,必中無疑。緣傳將遞生,格合周遍,且干支交車生合,文思滔滔,題目合舉干之意。又喜朱雀遁丙乘旺,主文章華藻,正合時宜。主試言推薦高甲,當寄聲卓翁。

崇禎十六年癸未二月乙丑日己卯時、何九叙は泰州の孝廉宮子玄の為めに会試を占う。課体は是れ「従革」兼ねて「周遍」、本旬の空亡は戌亥に在り、天盤の午・未は空亡宮の上に落つ。四課は是れ子の乙に加わり・申の子に加わり・酉の丑に加わり・巳の酉に加わる。「三伝」は巳・丑・酉、初伝己巳は「青龍」を乗じて子孫と為り、中伝乙丑は「螣蛇」を乗じて妻財と為り、末伝癸酉は「玄武」を乗じて官鬼と為る。断語に曰く、此の一課の会試を占うは、必ず中ること疑い無し。三伝と乗ずる所の天将とは節節逓生し、格局正に「周遍」に合す。日干と日支とは交互に車を駕して相生相合す、此の人の文思滔滔として絶えず、考題も亦た彼の長ずる所に合するを主る。更に「朱雀」の丙火を遁得して旺気を乗ずるを喜ぶ、文章辞采華美を主り、恰も当時の風尚に合す。主考必定彼を推薦して高甲に名列せしめん、応に人を托して卓翁に一個の信を捎し去るべし。外圏の青龍は巳に臨み・螣蛇は丑に臨み・玄武は酉に臨む、三伝雖も官鬼を帯ぶるも、却って木火の気に化開せられ、全く阻滞無し、故に彼の断ずること此の様に干脆なり。

占験七・丁丑年孫大宜の口に報ずる午時に会試を占う

占驗七、丁丑二月癸未日戊午時,同鄉孝廉孫大宜先生口報午時,占會試中否,予袖傳一課,涉害、從革,申酉空、子丑落空。 青空 勾酉戌亥子 虎 陰空 勾青 印 乙酉 勾 六申 丑 常 卯亥 酉巳 官 丁丑 常 朱未貴后 寅 玄 亥未 巳癸 財 辛巳 貴 蛇午巳辰卯 陰 斷曰:貴德財馬臨身,且居太歲之位,必應今年甲榜。況年上月將青龍主片言入相,又旬首河魁為官乃文明之宿,二者會於行年定是今年甲榜(月將河魁乘青龍臨於行年午上)。後果然。

崇禎十年丁丑二月癸未日戊午時、同郷孝廉孫大宜先生は口頭に一個の午時を報じ、会試能く中るか否やを問う、作者は則ち袖中に於いて一課を起こせり。課体「渉害」兼ねて「従革」、本旬の空亡は申酉に在り、天盤の子・丑は空亡宮の上に落つ。四課は是れ巳の癸に加わり・酉の巳に加わり・亥の未に加わり・卯の亥に加わる。「三伝」酉・丑・巳、初伝乙酉は「勾陳」を乗じて印綬と為り、中伝丁丑は「太常」を乗じて官星と為り、末伝辛巳は「貴人」を乗じて妻財と為る。断語に曰く、貴人・日徳・財爻と「駅馬」皆な彼の身上に臨み、又た太歳の宮位を占住す、今年必定甲榜に応ずべし。況んや行年上の月将は「青龍」を帯び、正に「月将青龍、片言入相」の説に合す。旬首の「河魁」戌は又た官星を作る、本より是れ文明を主るの星宿、両者は行年の上に於いて会合す、彼の今年甲榜に中らんと断ず。後来果たして応験せり。此の課は行年を以て事を断ずるの枢紐と為り、青龍と河魁と一并に午上に会す、只だ年上の一處便ち全局を定む、是れ六壬の中年命に憑りて応を取るの典型例子。

占験八・丁丑年阮実夫の代わりに劉若宜の会試を占う

占驗八、丁丑二月乙未日丙戌時,安慶保舉明經,阮實夫代劉若宜先生占會試,蒿矢、連茹,辰巳空、巳午落空。 蛇貴 朱 午未申酉 后 后常 朱六 鬼 丁酉 后 六 巳 戌 陰 酉申 午巳 財 戊戌 陰 勾 辰 亥 玄 申未 巳乙 父 己亥 玄 青 卯寅丑子 常 空虎 斷:為人代占,今年必中。蓋發用日鬼皇恩,中傳河魁天喜,末見長生太陽,最利試場之象,支見幕貴官星。又朱雀生太歲(朱乘午生太歲丑故也),文字華藻合時。課名革故從新,更鄉科而中甲榜必無疑矣。但嫌干支上乘互絕,居官未能遠大。後補刑部主政,恬退不仕。又代占會武中兩名亦此課。予曾占病亦死二人。(此以土絕在巳論,以水土同長生。)

崇禎十年丁丑二月乙未日丙戌時、安慶の地方に由りて保挙の明経阮実夫は、劉若宜先生の為めに会試を占う。課体「蒿矢」兼ねて「連茹」、本旬の空亡は辰巳に在り、天盤の巳・午は空亡宮の上に落つ。四課は是れ巳の乙に加わり・午の巳に加わり・申の未に加わり・酉の申に加わる。「三伝」酉・戌・亥は節節相連なり、初伝丁酉は「天后」を乗じて官鬼と為り、中伝戊戌は「太陰」を乗じて妻財と為り、末伝己亥は「玄武」を乗じて父母と為る。断語に曰く、此れ是れ別人の為めに占う、今年一定に中らん。発用の酉は既に是れ日鬼にして又た皇恩を帯び、中伝戌は是れ「河魁」にして又た天喜に値し、末伝亥は既に是れ乙木の長生にして、又た二月の太陽月将に逢う、最も試場に利し。日支上還た幕貴と官星とを見る。加うるに「朱雀」は午を乗じて去りて丁丑年の太歳丑土を生ず、文字華美にして時尚に合乎るを主る。課名は革故従新の意有り、郷科より更に一歩を進めて甲榜に中るは疑問無きなり。只だ嫌うは日干と日支上の乗ずる所の神の互相絶と為る、官を做るに長遠する能わず。後来彼は刑部主政を補し、便ち淡然として引退して再び出仕せず。作者又た同じ一課を用いて人の為めに武会試を占い、両名に中れり。亦た曽て其れを用いて病を占い、両個の人死せり。注者曰く、此の處は是れ土の巳に絶し・水土同じく長生するに按じて推算す。同じ一課を用いて試を占えば則ち中り・病を占えば則ち死す、以て課体の吉凶は必ず問う所の事に随いて転ずべく、一概に論ずべからざるを見るべし。

占験九・丁丑年呉克孝の会試を占う

占驗九、丁丑二月乙未日辛巳時,太倉吳孝廉諱克孝者,偶至安慶阮實夫寓中,相晤間占會試,稼穡、反吟、斬關,辰巳空、戌亥落空。 貴后 蛇 亥子丑寅 陰 龍后 常朱 財 戊戌 朱 朱 戌 卯 玄 未丑 辰戌 財 甲辰 常 六 酉 辰 常 丑未 戌乙 財 戊戌 朱 勾 申未午巳 虎 青空 斷:三傳年命魁罡俱空,如何敢許甲榜?但丑未年丑未日丑未合而為魁,又是必中之象。但中後居官末能滿任,即有丁艱之事。蓋傳課純財,則印爻被克矣,吾鄉閆和陽先生辛未會試,乙丑日占得返吟而中,亦此課也。 (河魁朱雀臨日而發用,亦為關鍵之處。)

同じく崇禎十年丁丑二月乙未日、辛巳時、太倉の呉孝廉名は克孝は、偶然安慶阮実夫の寓所に到り、談話の間に会試を占う。課体は是れ「稼穡」兼ねて「反吟」「斬関」、本旬の空亡は辰巳に在り、天盤の戌・亥は空亡宮の上に落つ。四課は是れ戌の乙に加わり・辰の戌に加わり・丑の未に加わり・未の丑に加わる。「三伝」戌・辰・戌、初末両伝皆な是れ戊戌にして「朱雀」を乗ず、中伝甲辰は「太常」を乗ず、三伝全て是れ財爻。断語に曰く、三伝と年命の上に於いて、「河魁」戌と「天罡」辰とは皆な空に落つ、本より敢えて彼に甲榜に中らんを許さず。但だし丁丑年・乙未日、丑と未とは凑して一個の「魁」の字を合成し、又た是れ必中の象。只だ是れ中るの以後官を做るに任期を満たす能わず、則ち須く父母の喪に遇上せんと要す、三伝四課全て是れ財爻を以て、印綬の爻は便ち克傷せらるるを以てなり。作者の同郷閆和陽先生は、辛未年の会試の時乙丑日に於いて反吟を占得して中式せしも、亦た正に是れ此の一課。注者提醒す、河魁戌は朱雀を乗じて日干に臨みて発用す、亦た是れ此の課の関鍵の處。此の課の看点は是れ落空の未だ必ずしも全然無用ならざるに在り。丑未両支は合して一個の魁の字を成し、空裡反って実を生出す。只だ是れ三伝財多く印を克す、功名と親恩と両全する能わず。

武挙章第十四

蛇蚓(巳)象弓空最忌,觜參(申)如矢要如意。仲為中垛孟角花,午貫正鵠季落地。 一課一矢二課二,三課三矢四課四。 發用箭數課中詳,旺相休囚加減記。

巳は蛇蚓に属し、其の形は弓に像り、最も空に落つるを忌む。申は觜参に属し、其の形は箭に如し、其れの称心得地するを要す。四仲の神子午卯酉は箭の垛に中るを主り、四孟の神寅申巳亥は垛角と花辺とに射中るを主り、午は則ち正鵠を貫穿し、四季の神辰戌丑未は箭の地に落つるを主る。第一課の発用は便ち一箭と算し、第二課は両箭と算し、第三課は三箭、第四課は四箭。発用の處の箭数は須く課中に於いて細看し、再び四時の旺・相・休・囚に按じて加減して記数すべし。

占験一・戊辰年長兄公明の京に進みて会試を占う

占驗一、戊辰八月甲戌日丁亥時,占長兄公明進京會試,炎上、重審、斬關,申酉空、辰巳落空。 虎常 空 丑寅卯辰 玄 白後 后六 財 甲戌 六 青 子 巳 陰 寅午 午戌 子 壬午 后 勾 亥朱蛇午 后 午戌 戌甲 兄 戊寅 白 六 戌酉申未 貴 斷:吾兄必聯捷而去。蓋因河魁臨干發用,貴居命年上下;又太陰臨卯,傳將遞生,格合盤珠,喜朱雀遁乙奇乘長生旺氣,文字甚貼試官之意,傳送加子箭中中垛,是以中甲無疑。放榜時果中三十九名。後官至大元戎,晉官銜,封治安伯。(此課用月將加時法不符課,貴神亦不符課。若照公獻所斷,課體應是: 后陰 貴 丑寅卯辰 玄 后虎 虎六 財 甲戌 六 蛇 子 巳 常 寅午 午戌 子 壬午 虎 朱 亥 午 虎 午戌 戌甲 兄 戊寅 后 六 戌酉申未 空 勾青 太陰乘卯臨未;甲戌旬,亥遁乙乘朱雀。

崇禎元年戊辰八月甲戌日丁亥時、作者は長兄公明の為めに京に進みて会試を占う。課体「炎上」兼ねて「重審」「斬関」、本旬の空亡は申酉に在り、天盤の辰・巳は空亡宮の上に落つ。四課は是れ戌の甲に加わり・午の戌に加わり・午の戌に加わり・寅の午に加わる。「三伝」戌・午・寅は合して火局を成し、初伝甲戌は「六合」を乗じて妻財と為り、中伝壬午は「天后」を乗じて子孫と為り、末伝戊寅は「白虎」を乗じて兄弟と為る。断語に曰く、我が兄長必定連捷して去らん。「河魁」戌の日干上に臨みて発用するを以て、貴人又た本命と行年の上下に居る。「太陰」は卯に臨み、三伝と天将とは層層逓生し、格局は「盤珠」に合す。更に「朱雀」の乙奇を遁得して長生旺気を乗ずるを喜ぶ、文字甚だ主考の心意に合するを主る。「伝送」申の子上に加わるは、正に是れ箭の垛心に中るの象、故に彼の甲榜に中ること疑い無しと断ず。榜を放つの時果たして第三十九名に中れり。此の人は後来官は大元戎に至り、官銜を加晋し、治安伯に受封す。注者指出す、此の一課は月将時を加えるの法に按じて推排せしも、書上の列する所の原盤と対せず、十二天将の排布も亦た合せず。若し陳公献の断語中の説く所の内容に依りて反推せば、課体は当に是れ後面に別に附するの此の一張なるべし。四課は仍ほ戌の甲に加わり・午の戌に加わり・午の戌に加わり・寅の午に加わるを作し、三伝は仍ほ是れ甲戌・壬午・戊寅、只だ是れ乗ずる所の天将を六合・白虎・天后に改成し、外圏十二宮の天将も亦た随いて改排す、此の様にして乃ち「太陰は卯を乗じて未に臨む」及び甲戌旬中の亥は乙を遁得して「朱雀」を乗ずの此の両句の話と対え合うを得。武挙の一門は箭数と弓矢の象とを重んず。此の課の申金は是れ矢、子上に加わりて垛に中り、又た火局の助威を得、故に聯捷と断ず。後来兄長は武功を以て伯に封ぜらる、正に伝送の子に加わるの説と相符す、以て武科の占いは既に課体の旺衰を看るも、亦た須く弓矢箭数の何れの一宮に落つるかを看るべきを見るべし。

仕宦章第十五

欲問前程有與無,日辰虛實定榮枯。臨官帝旺干支遇,爵祿崢嶸任帝都。 六陽數足功名顯,前後引從卿相薦。傳神互克防諍章,課將遍生聲譽遍。 三傳退間蛇倒拔,三傳引進龍飛天。將逢內戰官超轉,德祿天門名顯傳。 鬼曜逢虎號催官,祿神臨支當替役。凶喪羅網返遭遲,富貴日辰丁見疾。

仕途前程に指望有るか無きかを問わんと要すれば、先ず日干と日支の虚実を看て以て栄枯を定む。日干日支の臨官・帝旺の地に遇上するは、爵禄便ち峥嵘顕赫にして、以て帝都に於いて任職すべし。課中の六陽の数斉足するは、功名顕達なり。前に引神有り・後に従神有るは、公卿の挙薦を得。三伝の神の彼此相克するは、須く人の章を上げて争訟弾劾する有るを防ぐべし。三伝の乗ずる所の天将の處々相生するは、声譽便ち四方に伝遍せん。三伝節節後退するを「蛇倒拔」と叫び、節節前進するを「龍飛天」と叫ぶ。天将の内戦に逢うは官職超遷を主り、日徳日禄の天門亥上に落つるは名声遠播を主る。官鬼の爻上に「白虎」を乗ずるは号して催官と為し、禄神の日支に臨むは人に替代せられて差役するを主る。凶喪の神と天羅地網と出現するは、反って遅滞す。富貴の課若し日干日支に丁神を見れば、則ち変動の患有らん。

魁度天門龍化蛇,貴臨鬼戶蛇成龍。吉課殊情分仕庶,大格異用別賢庸。 天乙卯酉號蹉(蹉跎格)微(微服格),朱雀值鬼防黜落。六處生旺遠大推,凡占墓絕虧官爵。 武視太常文視龍,二神切忌怕逢空。龍常克下鴛班憎,丁克龍常災廢從。 帝旺臨官日辰上,城吏龍常仕途暢。遷期干年支月推,內外日用生克量(龍常生日比日剋日升有內,日生龍常克龍常遷在外)。

「河魁」戌の天門亥を度過するは、青龍則ち螣蛇に化成す。貴人の鬼戸上に臨むは、螣蛇反って青龍に変成す。同じく是れ一課、官身と百姓と主る所同じからず。同じく是れ一格、用神別有れば則ち以て賢と庸とを分け出すべし。貴人の卯酉両宮に落つるを、「蹉跎格」「微服格」と叫ぶ。「朱雀」は官鬼に値するは、須く落榜黜退を防ぐべし。課中の六處皆な生旺に逢うは、前程は以て遠大の推断を作すべし。凡そ官を占いて墓・絶を見れば、官爵は総じて須く損を受けん。武職を占うは「太常」を看、文職を占うは「青龍」を看る、此の両位の天将は最も空に落つるを怕る。青龍・太常の下を克するは、同班同僚則ち相憎悪す。丁神の青龍・太常を克するは、則ち災禍廃黜の事有らん。帝旺・臨官の日干日支の上に臨み、加うるに城神・吏神と龍常と俱全すれば、仕途自然に通暢せん。遷転の時期は、年份は日干を看・月份は日支を看て以て推す。是れ内升か還た是れ外放かは、須く日干と用神の生克に按じて衡量すべし。龍常の日干を生じ・日干と比和し或いは日干を克するは、朝内に升る。日干の龍常を生じ或いは龍常を克するは、則ち外任に遷往す。

占験一・辛未年運芝莱王旋官の代わりに昇遷を占う

占驗一、辛未三月甲申日辛未時,萊陽運芝萊、吉安王旋官兩父師代占升遷,重審、玄胎,午未空、酉戌落空。 勾六 青 申酉戌亥 朱 后朱 龍常 鬼 甲申 龍 空 未 子 蛇 寅亥 申巳 父 丁亥 朱 虎 午 丑 貴 亥申 巳甲 兄 庚寅 后 常 巳辰卯寅 后 玄陰 斷:此課大吉,推升官爵必的。何以言之?課中龍常並見,城吏全逢,初傳青龍內戰,必有奇遇趨遷。中傳朱雀生日,公卿交譽。末傳驛馬德祿俱入天門,居官定然顯赫。寅為天吏,天后為恩澤,非天官而可?後屢旨另推七次,終點閔總憲為冢宰。然式中貴履地網,龍神下賊,主自欲退位,次年果請旨歸里。

崇禎四年辛未三月甲申日辛未時、莱陽の運芝莱と吉安の王旋官との両位の父師は、人を托して代わりに昇遷を占う。課体「重審」兼ねて「玄胎」、本旬の空亡は午未に在り、天盤の酉・戌は空亡宮の上に落つ。四課は是れ巳の甲に加わり・申の巳に加わり・亥の申に加わり・寅の亥に加わる。「三伝」申・亥・寅、初伝甲申は「青龍」を乗じて官鬼と為り、中伝丁亥は「朱雀」を乗じて父母と為り、末伝庚寅は「天后」を乗じて兄弟と為る。断語に曰く、此の課は大吉、官爵を推升すれば必定応験せん。何を以て見得するや。課中の青龍・太常は并び現れ、城神吏神斉全す。初伝の青龍内戦するは、必ず奇遇有りて遷転を得。中伝の朱雀の日干を生ずるは、公卿口を交えて称譽せん。末伝の「駅馬」と日徳・日禄とは一斉に天門亥宮に進む、官を做りて必然顕赫なり。寅は是れ天吏、天后は是れ恩沢の神、此れ天の官職を賜うに非ずして何ぞや。後来朝廷は屡次別に推挙し、前后七次、最終に閔総憲を点して冢宰を做らしめり。只だ是れ課式中の貴人は地網の上に踏み、龍神又た下に於いて賊克す、此の人は自己位を退かんと欲するを主り、第二年果たして旨を請いて郷に還れり。此の課は吉中に退を帯ぶ、前半段の昇遷と後半段の去り求むると同じ一課より出ず、関、関鍵は則ち貴人の踏む所の宮位及び龍神上下の向背に在り、読者は只だ初伝の吉象を看るべからず。

占験二・丁丑年楚省楊大司馬の何日に官を罷むを占う

占驗二、丁丑七月戊辰日丁巳時,淮陰蔡熙陽任漢中府時,占楚省楊大司馬何日罷官,連茹、別責,戌亥空、亥子落空。 空虎 青 午未申酉 常 龍勾 空龍 鬼 甲寅 蛇 勾 巳 戌 玄 午巳 未午 印 戊午 龍 六 辰 亥 陰 巳辰 午戊 印 戊午 龍 朱 卯寅丑子 后 蛇貴 斷:司馬尋入相出將矣。而以去任卜之,可乎?蓋因發用驛馬,太歲貴人居命,皆入相之征也。天罡加卯,靜有動機,況課傳天吏天馬全逢,干支上乘羊刃勾陳,出入將相無疑。戊寅六月,思宗召對稱旨,果入相;己卯歲督師討賊,果出將。 本命戊子,行年在卯。 楊嗣昌,(1588—1641年)湖南武陵人,故稱楚省,1641年(辛巳)畏罪自縊。

崇禎十年丁丑七月戊辰日丁巳時、淮陰の蔡熙熙陽は漢中府の任上に在り、湖広の楊大司馬の何れの一天官を罷むを占う。課体「連茹」兼ねて「別責」、本旬の空亡は戌亥に在り、天盤の亥・子は空亡宮の上に落つ。四課は是れ午の戊に加わり・未の午に加わり・巳の辰に加わり・午の巳に加わる。「三伝」寅・午・午、初伝甲寅は「螣蛇」を乗じて官鬼と為り、中末両伝皆な是れ戊午にして「青龍」を乗じて印綬と為る。断語に曰く、此の位の司馬は久しからずして則ち入りて朝に在りて相と為り・出でて将と為らんと要す、官を罷むを拿して彼を占うは、合適ならんや。発用の神は是れ「駅馬」を以て、太歳と貴人と又た彼の本命上に居るを以て、皆な是れ相に入るの征兆。「天罡」辰の卯上に加わるは、静中已に動機を含む。況んや課伝の裡の天吏・天馬は一応俱全し、日干日支上又た羊刃と「勾陳」とを乗ず、出将入相は疑問無きなり。崇禎十一年戊寅六月に到り、思宗は召見して奏対旨に称す、彼果たして閣に入りて相と為る。崇禎十二年己卯には師を督して賊を討ち、果たして出でて大将と為る。此の人の本命は戊子、行年は卯に在り。占う所の楊大司馬は則ち是れ楊嗣昌、万暦十六年(1588)に生れ、湖南武陵人、湖広は古は楚地に属す、故に書中は彼を楚省と称す。崇禎十四年辛巳(1641)、彼は兵敗罪を畏れて自縊せり。来る人の問う所は本より是れ官を罷むの日子、作者の答えるは却って是れ出将入相、此れ正に課象と来意と合せざる時一切は課象を以て準と為るの用法。

占験三・戊辰年少宗伯馬康荘の能く相に入るか否かを占う

占驗三、戊辰十二月庚寅日庚辰時,徽州汪仙民、邵無奇在京,占少宗伯馬康莊能入相否,涉害、顧祖,午未空、寅卯落空。 六勾 朱 卯辰巳午 青 玄后 六龍 鬼 甲午 龍 蛇 寅 未 空 戌子 辰午 印 壬辰 六 貴 丑 申 虎 子寅 午庚 財 庚寅 蛇 后 子亥戌酉 常 陰玄 斷:不但不能入相,且不日歸鄉。凡在朝為官占得顧祖,多不滿仕。又初中空亡,龍化為蛇,只宜猛省退步,且龍神克下,倘欲強進,定遭不足。後果枚卜不就,次年察處歸里。未久棄人間事從赤松子遊矣。 枚卜者,看能否做得宰相之意也。“顧祖空傳歸里門”,此課之謂也,觀陳分獻所占仕宦三課顧祖,皆以凶斷,可見此定論也,不可以末助初官論之。

崇禎元年戊辰十二月庚寅日庚辰時、徽州の汪仙民・邵無奇は京城に在り、少宗伯馬康荘の能く閣に入りて相と為るか否やを占う。課体「渉害」兼ねて「顧祖」、本旬の空亡は午未に在り、天盤の寅・卯は空亡宮の上に落つ。四課は是れ午の庚に加わり・辰の午に加わり・子の寅に加わり・戌の子に加わる。「三伝」午・辰・寅は節節倒退し、初伝甲午は「青龍」を乗じて官鬼と為り、中伝壬辰は「六合」を乗じて印綬と為り、末伝庚寅は「螣蛇」を乗じて妻財と為る。断語に曰く、但だ閣に入る能わざるのみならず、而且多くの日ならずして則ち郷に還らんと要す。凡そ是れ朝に在りて官と為る人の顧祖課を占得するは、多半任期を満たすことを做る能わず。況んや初・中両伝又た空亡に落ち、青龍は螣蛇に化成せるをや、只だ当に猛然として省悟し・早く及びて歩を退くべし。龍神又た下に於いて克す、倘若強いて進取せんと要せば、一定に不足を招来せん。後来果たして枚卜成らず、第二年考察を被りて郷に回り、久しからずして則ち人間の事を抛開し、赤松子に随いて道を学びに往けり。注者曰く、謂う所の枚卜は、則ち是れ能く宰相を做るか否かを看るの意思。「顧祖空伝帰里門」は、講ずる所正に是れ此の一課。陳公献の占う所の仕宦門中に於いて三次顧祖課に遭うを看れば、皆な凶断を作す、以て此れ是れ定論を見るべく、末伝の初伝を生助するを拿して往きて升官と作りて論ずる能わず。顧祖の名は三伝の本宗を回顧するの意を取る、仕途の上に用いれば便ち是れ進まず反って退く。此の課の午辰寅は歩歩倒行し、又た空亡に逢う、退象已に十分明白なり、故に断語一たび口を開けば則ち日ならずして郷に帰ると説く。

占験四・丁丑年楊方壺太史の占いを索む

占驗四、丁丑十一月甲子日己巳時,雲間楊方壺太史自燕京抵揚索占,三交、元首、高蓋,戌亥空、未申落空。 朱六 蛇 寅卯辰巳 勾 龍常 白陰 子 庚午 龍 貴 丑 午 青 午酉 申亥 比 丁卯 朱 后 子 未 空 酉子 亥甲 父 甲子 后 陰 亥戌酉申 虎 玄常 斷:龍神發用無氣,又上克下,是以暫歸林下;明春祿馬生龍神(寅年寅月,寅為日祿驛馬,生龍神勝光),定然出山,由此位踐公卿。太史曰:星家云,十二月久利日,更有當塗雅薦。曰:前此何月不利?余曰:勾龍刑剋申酉,七八月間不利。曰:因何不利?答:嫌德蛇相加(蛇乘日德寅臨巳),有邪正同途之非。又問何如,曰:傳中太歲朱雀遙克年上貴人,必為門戶是非。太史遂默然。次年果起官,歷轉宮詹。 雲間者,上海古為松江府,別稱雲間。

崇禎十年丁丑十一月甲子日己巳時、雲間の楊方壺太史は燕京より揚州に到り、作者に向かい一課を求占す。課体「三交」兼ねて「元首」「高蓋」、本旬の空亡は戌亥に在り、天盤の未・申は空亡宮の上に落つ。四課は是れ亥の甲に加わり・申の亥に加わり・酉の子に加わり・午の酉に加わる。「三伝」午・卯・子、初伝庚午は「青龍」を乗じて子孫と為り、中伝丁卯は「朱雀」を乗じて兄弟と為り、末伝甲子は「天后」を乗じて父母と為る。断語に曰く、龍神発用して気無く、又た是れ上神の下神を克す、故に眼下須く暫時林下に帰隠すべし。明年春天に到りて禄神駅馬は来りて龍神を生ず。戊寅年寅月、寅は既に是れ甲日の禄神にして又た是れ駅馬、正好く初伝の勝光午を生ず。一定に重新して山を出づ、此に由りて公卿の列に躋身せん。太史曰く、星命家の講ず、十二月は長久に利有り、還た当権者の雅意挙薦有らん。作者反って問う、此の以前の何れの几個月か利ならず。自ら答えて曰く、勾陳と青龍とは申酉を刑克す、七八月の間は利ならず。太史は何を以て利ならざるやと問う、彼曰く、日徳と螣蛇と相加するを嫌う(螣蛇は日徳寅を乗じて巳上に臨む)、邪正同行の嫌有り。太史再び以後如何と問う、彼曰く、三伝中の太歳と朱雀とは行年上の貴人を遥克す、必定門戸党争の是非に困せらるるを為めんとす。太史は聴きて黙然として語らず。第二年彼果たして起復し、任を歴えて転じて宮詹の職に至れり。雲間は是れ上海の旧称、此の地は古は松江府に属す。此の課の妙は去・留・起・復の几層の意思を把りて月份と一一に対応するに在り。眼下の龍神気無きを以て当に帰隠すべく、明春の禄馬の龍を生ずるを以て当に山を出ずべく、中間の七八月は刑克に因りて利ならず、全て生克と神将の向背とより推し出す。

占験五・庚午年遅王両父師の入覲の占い

占驗五、庚午十二月丁未日庚戌時遲王兩父師偕予入覲,行到東門索占,八專、斬關,寅卯空、巳午落空。 貴后 蛇 申酉戌亥 陰 常后 常后 官 辛亥 陰 朱 未 子 玄 丑戌 丑戌 子 庚戌 后 六 午 丑 常 戌未 戌丁 子 庚戌 后 勾 巳辰卯寅 虎 青空 斷:所占必是顯宦。蓋發用官貴日德,而式中貴人又居歲君日祿旺位,斷非尋常之官。曰;此公將來何如?曰:不能久任。干支乘墓,祿馬空陷,又太陽入山(月將丑加戌),豈能久居廟堂?次年三月因言請歸。後知為大冢宰王射斗先生也。 干支乘墓,太陽落山,勢力已衰。祿馬空陷,則不可食此祿矣。此辨象而斷事,不以五行生剋為主也。

崇禎三年庚午十二月丁未日庚戌時、遅・王の両位の父師は作者と一同に京に進みて朝見し、東門に走り到る時一課を求占す。課体「八專」兼ねて「斬関」、本旬の空亡は寅卯に在り、天盤の巳・午は空亡宮の上に落つ。四課は是れ戌の丁に加わり・丑の戌に加わり・戌の未に加わり・丑の戌に加わる、日干日支同宮なり、故に八專を成す。「三伝」亥・戌・戌、初伝辛亥は「太陰」を乗じて官星と為り、中末両伝皆な是れ庚戌にして「天后」を乗じて子孫と為る。断語に曰く、占う所必定に是れ位の顕貴なる大官。発用の神は既に是れ官星貴神にして又た是れ日徳、課式中の貴人は還た太歳と日禄の旺位を占む、決して尋常の官職に非ず。人有りて問う、此の公は将来如何。彼曰く、能く久任する能わず。日干日支皆な墓神を乗じ、禄神駅馬又た空陥し、加うるに太陽の山に入るを以て(十二月の月将丑は戌上に加わる)、怎様に能く廟堂に久居せんや。第二年三月、此の人果たして事を言うに因りて里に帰るを請えり。後来乃ち占う所是れ大冢宰王射斗先生なるを知る。注者曰く、干支は墓を乗じ・太陽は山に落つるは、是れ勢力已に衰えたるの象。禄馬空陥すれば、則ち此の份の俸禄を喫い成る能わず。此れ是れ課象に憑りて来りて事を断ず、五行生克を以て主と為さず。官貴を占うに最も須く太陽月将の高下を看るべし。月将丑の戌上に加わるは、太陽已に山に入れり、縱令官星と徳神有りとも、亦た不過一時の光景、此の一層最も玩味するに値す。

占験六・丁丑年阮実夫の燕京に在りて事を言わざるの占い

占驗六、丁丑四月丙申日丁酉時,安慶阮實夫在燕京索占,不言所事,伏吟、玄胎,辰巳空、辰巳落空。六朱 勾 巳午未申 蛇 蛇蛇 勾勾 兄 乙巳 勾 青 辰 酉 貴 申申 巳巳 財 丙申 蛇 空 卯 戌 后 申申 巳丙 父 壬寅 虎 虎 寅丑子亥 陰 常玄 曰:仕途得此,主有臺省參劾,秋解任去,然繫何命?曰癸酉。此公必居相位,但不久矣。以太陽日貴臨命(月將從魁乘貴人居酉命),非相而何?獨嫌遞克伏吟丁馬,定有參劾行動之事。況太陽西墜,揮戈返景有幾人乎:後知為烏程溫首揆,占後果被論,秋月準馬驛而歸。(任信丁馬須言動,三傳遞克眾人欺,所以斷為參劾行動。) 首輔溫體仁,1628年誣陷錢謙益,1629年誣陷處死袁崇煥,入閣,《明史》列入奸臣類。

崇禎十年丁丑四月丙申日丁酉時、安慶の阮実夫は燕京に在りて占うを求む、却って問う所は何事なるかを説かず。課体「伏吟」兼ねて「玄胎」、本旬の空亡は辰巳に在り、天盤の辰・巳も亦た空亡宮の上に落つ。天地盤は重畳し、四課は是れ巳の丙に加わり・巳の巳に加わり・申の申に加わり・申の申に加わる。「三伝」巳・申・寅、初伝乙巳は「勾陳」を乗じて兄弟と為り、中伝丙申は「螣蛇」を乗じて妻財と為り、末伝壬寅は「白虎」を乗じて父母と為る。作者曰く、官を做る人の此の一課を得るは、台諌参劾有るを主り、秋天便ち任を解きて去らんと要す。占う所の人は是れ何の本命なるかを知らず。答えて曰く癸酉。彼便ち曰く、此の公必定に位は宰相に居らん、但だし長久するを做る能わず。太陽月将は日貴を帯びて本命上に臨むを以て(月将「従魁」酉は貴人を乗じて酉命に居る)、是れ宰相に非ずして何ぞや。只だ嫌うは三伝の逓相克害し、又た是れ伏吟にして丁馬を帯ぶ、必定に参劾せられて奔走するの事有らん。況んや太陽已に西墜せるをや、能く戈を揮い日影を倒転せしむるの人は几人有らん。後来乃ち占う所是れ烏程の温首揆なるを知る、占うの後彼果たして弾劾を被り、秋天は駅馬の期に照らして帰去せり。注者曰く、丁馬は言語行動を主り、三伝逓克は衆人に欺凌せらるるを主る、故に参劾行動の事と断ず。此の位の首輔は則ち是れ温体仁、彼は崇禎元年(1628)に銭謙益を誣陥し、崇禎二年(1629)に袁崇煥を誣陥殺害し、因りて閣に入る、『明史』は彼を奸臣の一類に列入す。作者は并びに占う所何人なるかを知らざれども、却って先ず彼の位は宰輔に居るを断定す、憑る所正に是れ太陽月将と日貴との同じく本命の一處に落つる。

占験七・丙子年陸金吾の陳東明の江東に出師するを占う

占驗七、丙子二月辛巳日辛卯時,湖州陸金吾占總鎮陳東明奉命出師江東,元首、炎上,申酉空、辰巳落空。 勾六 青 丑寅卯辰 朱 玄青 勾貴 官 壬午 貴 空 子 巳 蛇 酉丑 寅午 財 戊寅 勾 虎 亥 午 貴 丑巳 午辛 印 甲戌 常 常 戌酉申未 后 玄陰 斷曰:春得炎上進氣,又合元首三奇,高爵宰官不復言矣。但干敗支墓且乘火鬼,天魁合中犯煞,易旅九三旅焚其次,喪其童僕,貞厲。不惟興師無濟,且有他虞。即官至卯年亦不見利。由卯上乘白虎驛馬,名為回馬。雖是剝官之煞,幸結貴木局生起初傳官星,故僅撤回討賊。庚辰太歲受克,子水司令制傷火局退位俱驗。 此課之切入點,在於合中犯煞,發用午火刑干害支,為凶兆。而吉凶之兆,不可全憑此處,看此蜜中之砒毒性如何。干敗支墓,貴履地網,驛馬加臨三合之地,不宜行動,故以凶斷之。 陳東明,總兵陳洪範。

崇禎九年丙子二月辛巳日辛卯時、湖州の陸金吾は総鎮陳東明の命を奉じて江東に出師するを占う。課体「元首」兼ねて「炎上」、本旬の空亡は申酉に在り、天盤の辰・巳は空亡宮の上に落つ。四課は是れ午の辛に加わり・寅の午に加わり・丑の巳に加わり・酉の丑に加わる。「三伝」午・寅・戌は合して火局を成し、初伝壬午は「貴人」を乗じて官星と為り、中伝戊寅は「勾陳」を乗じて妻財と為り、末伝甲戌は「太常」を乗じて印綬と為る。断語に曰く、春天に炎上課を得るは正に進気に当たり、又た元首と三奇とに合す、高官顕爵は本より更に説くを須いず。只だ是れ日干敗地・日支の墓に入り、又た火鬼を乗ず。「天魁」は合局の中に於いて凶煞を犯す、正に『周易・旅卦』の九三の説く所の「旅に次を焚き、童仆を喪い、貞にして厲なり」の如し。但だ出兵功無きのみならず、還た別に意外の患有らん、則ち官を做るも卯年に到りて亦た利を見ざらん。「回馬」と名づくるは、卯上に「白虎」と駅馬とを乗ずるを以て、本より是れ官職を剥奪するの凶煞。幸いなるは結成するの貴局木気は初伝の官星を生起す、故に只だ是れ撤回されて賊を討つるのみ。庚辰年に到りて太歳は克を受け・子水当令して火局を制傷して以て位を退く、皆な一一に応験せり。注者曰く、此の課の切入の處は合局の中に於いて煞を犯すに在り、発用の午火は日干を刑し日支を害す、是れ凶兆。但だし吉凶は只だ一處に憑るべからず、還た須く此の蜜中の砒の毒性の大小を看るべし。日干敗し・日支墓し、貴人は地網の上に踏み、駅馬又た三合の地に加臨す、皆な行動するに宜からず、故に凶と断ず。説く所の陳東明は、則ち是れ総兵陳洪範。此の課は是れ吉象の中に凶機を蔵するの様板。炎上火局は本より顕達を主る、一旦官星の乗ずる所の神の日干日支を刑冲せば、再び好き格局も亦た大きく打折扣を要す、軍旅の事を占うに尤も須く合局の中に於いて煞を尋ぬべし。

占験八・丁丑年阮胤平の八年講官枚卜を占う

占驗八、丁丑八月己未日戊辰時,經筵講官阮胤平曰:先日吳門申相公以八年講官拜相,吾今亦八年,枚卜如何,八專,子丑空、丑寅落空。 虎常 空 午未申酉 玄 玄常 玄常 比 己未 虎 青 巳 戌 陰 酉申 酉申 子 庚申 常 勾 辰 亥 后 申未 申己 子 庚申 常 六 卯寅丑子 貴 朱蛇 斷:太史雖有公卿推薦,恐不能也。蓋因日比虎刃自他處發用,突有秦人,任風憲兵刑之職者,不由詞館入閣;且中末干支年命俱見羅網,是秦晉梁益之人在中阻隔。又夜貴居本命,太史必賦歸來矣。後果黜。秦中薛國觀先生、蜀中劉宗伯入閣。

崇禎十年丁丑八月己未日戊辰時、経筵講官阮胤平曰く、従前呉門の申相公は八年の講官を做りて便ち相を拝せり、我如今亦た八年を満たせり、此の回の枚卜如何。課体「八專」、本旬の空亡は子丑に在り、天盤の丑・寅は空亡宮の上に落つ。四課は是れ申の己に加わり・酉の申に加わり・申の未に加わり・酉の申に加わる。「三伝」未・申・申、初伝己未は「白虎」を乗じて兄弟と為り、中末両伝皆な是れ庚申にして「太常」を乗じて子孫と為る。断語に曰く、太史は雖も公卿の推薦有るも、恐怕くは成らざらん。日の比肩は白虎羊刃を帯びて別處より発用し、突然一個の陜西人を冒出し、是れ風憲と兵刑の職を任ず、翰林院を経ずして径直に閣に入るを以てなり。加うるに中末両伝と日干日支・行年本命の上に皆な天羅地網を見るを以て、秦・晋・梁・益の一帯の人有りて中より阻隔するを説明す。又た夜貴は本命上に居る、太史必定に帰去来を賦せんと要す。後来果たして黜落せられ、閣に入りしは是れ関中の薛国観先生と蜀中の劉宗伯。八專課の要領は比肩の他處より発用するに在り、事は則ち別人の身上に帰す。再び未申両支の分野を以て推し出す阻隔の人は秦晋梁益より来れり、籍貫すら断出する能くするを連れり、此れ是れ六壬の分野を用いて人を推すの典型手法。

吳門申相公,申時行,長洲人,以萬曆年間繼張居正為首輔。 蓋仕宦忌羅網,以羅網為丁憂之象,主退職也。 八專課不從四課上發傳,而自他處發用,有驀然之意。未分秦地雍州,申分晉地(晉地為今山西地)梁州(為今陝西漢中、安康二地區及四川省),後梁又分出益州。 《六壬粹言》一例可參看。

説く所の呉門申相公は、則ち是れ申時行、長洲人、万暦年間に張居正の後を接ぎて首輔を做せり。仕途を占うに最も天羅地網を忌む、羅網は是れ丁憂守喪の象、退職離任を主る。八專課は四課上より三伝を取らずして、而して別處より発用す、事の突然より出ずるの意思を含有す。分野に按ずるに、未は秦地雍州に対応し、申は晋地(今の山西一帯)と梁州(今の陜西漢中・安康及び四川一帯)に対応す、後来梁州は又た益州を分出せり、故に秦・晋・梁・益の人の中より梗を作す有るを断ず。下面に『六壬粹言』中の一課を附録して以て参看すべし。

附例・庚辰年蕭季思の嵩太守の能く首府に調するか否かを占う

庚辰十二月己未日寅時子將,紹友蕭季思占施南府嵩菽圃太守能調首府否。 比 空丑 勾 父 丁巳 常 父 丁巳 常 空 常 空 常 卯 巳 卯 巳 巳 未 巳 己 空虎常玄 卯辰巳午 龍 寅 未 陰 勾 丑 申 后 子亥戌酉 六朱蛇貴 首府必為吳越人所得,太尊未必能調。然卻有別缺署理。且不至一次。蓋因日比月建自別處發用,丑為揚分,是以知為吳越人所得也。中末干支行年得五驛馬,又係皇恩,命上貴登天門,太歲月建,又生其命上神,是以有署理別缺。不止一次也,後果署理鹽法及督糧道事。首府丁公兆祺,江蘇人。

庚辰年十二月己未日寅時、子将を用い、紹興の友人蕭季思は施南府の嵩菽圃太守の能く首府に調任するか否かを占う。此の課は日干日支同宮にして八專を成し、四課は是れ巳の未に加わり・卯の巳に加わり・巳の未に加わり・卯の巳に加わる、天将は「太常」と「天空」とを見。「三伝」丑・巳・巳、初伝丑は既に是れ日の比肩にして又た旬空に逢りて「勾陳」を乗ず、中末両伝皆な是れ丁巳にして父母を作りて太常を乗ず。断語に曰く、首府の一職は必ず呉越人に得去せらるべし、此の位の太尊は未だ必ずしも調し成る能わず、但だし別に別の空缺有りて以て署理すべく、而且一次に止まらず。日の比肩又た月建を兼ぬるを以て、別處より発用す。丑は是れ揚州の分野、故に呉越人に得去せらるべきを知る。中末両伝は日干日支と行年の上に於いて五重の駅馬を凑成し、又た皇恩に系り、本命上の貴人は天門に登上し、太歳と月建と又た彼の本命上の神を生ず、故に別缺を署理するの事有り、且つ一回に止まらず。後来果たして鹽法と督糧道の事務を署理せり。首府の一職を得るは是れ丁兆祺公、江蘇人。此の一課は阮胤平彼の一課と機杼完全に相同じ、皆な是れ自己空に落ちて而して別人に由りて位を得る、正好く両相対看して、其の中の分別を参詳すべし。

據此課推,嵩太守為亥年生,行年在未。以上二課,皆是八專,比肩不從四課發用,故斷事屬他人。與納甲官臨應爻同斷,《畢法云》“兩貴皆空虛喜期”,亦有此意。 此二課,皆宜分兩段觀之。日比自別處發用,一段也,主己不得此職。中末之神,為干上神,則應己事矣。阮課中末太常洩氣,嵩課中末太常生我,太常者貴官也,形勢異矣。加之年命,高下立判。 嵩課亦末助初傳,但初空亡且是日比,故己無成而預於他人穎。故凡末助初傳者,或二次方成,或當時不得也。 此課宜深思之。

此の一課に照らして推算すれば、嵩太守は是れ亥年生人、行年は未に在り。以上の両課皆な八專に属し、比肩は四課より発用せず、故に事の別人に帰するを断ず。此れと納甲六爻中の官星の応爻に臨むの断法と相同じ、『畢法賦』の説く所の「両貴皆空虚喜期」も、亦た此の層の意思を含有す。此の両課は皆な応に分かちて両段と作りて看るべし。日の比肩の別處より発用するは是れ一段、自己此の職位を得る能わざるを主る。中末両伝は是れ日干上の神、則ち応に自己身上に在るべし。阮胤平彼の一課の中末の「太常」は我が気を泄す、嵩太守此の一課の中末の太常は却って来りて我を生ず、太常は本より是れ貴官の神、形勢則ち大きく相同じからず。再び年命を参照すれば、高下立刻に分明なり。嵩課も亦た是れ末伝の初伝を生助する、但だし初伝は既に空亡に落ち又た是れ日の比肩、故に自己は成らずして別人を成全せり。凡そ是れ末伝の初伝を生助するは、或いは須く第二次に乃ち成る、或いは当時得る能わず。此の一課は深思するに値す。学者は尤も当に初伝と中末両伝との断法上の分工を細辨すべし。

占験九・辛未年仇庸足の功名を占う

占驗九、辛未四月己未日戊辰時,東省兵長垣仇庸足先生占,八專、曲直,子丑空、辰巳落空。 朱蛇 六 酉戌亥子 貴 玄蛇 玄蛇 財 癸亥 蛇 勾 申 丑 后 卯亥 卯亥 鬼 乙卯 玄 青 未 寅 陰 亥未 亥己 兄 己未 龍 空 午巳辰卯 玄 虎常 斷:此課占功名,將來遠大,非常格也。傳將木局,官星崢嶸,喜本命丁馬恩星以化之,為逢凶化吉也。且木逢初夏,正在榮旺之時,又蛇化為龍,將來事業日新,功名顯赫,不待言矣。後歷任通州,擢南大司農、大司馬,請告歸里。

崇禎四年辛未四月己未日戊辰時、山東長垣の武官仇庸足先生は来りて占う。課体「八專」兼ねて「曲直」、本旬の空亡は子丑に在り、天盤の辰・巳は空亡宮の上に落つ。四課は是れ亥の己に加わり・卯の亥に加わり・亥の未に加わり・卯の亥に加わる。「三伝」亥・卯・未は合して木局を成し、初伝癸亥は「螣蛇」を乗じて妻財と為り、中伝乙卯は「玄武」を乗じて官鬼と為り、末伝己未は「青龍」を乗じて兄弟と為る。断語に曰く、此の一課の功名を占うは、将来必定遠大、是れ尋常の格局に非ず。三伝と天将とは結して木局を成し、官星高聳す。又た本命上に丁神駅馬と恩星と来りて化解するを喜ぶ、凶に逢いて吉に化するの象と成れり。況んや木の初夏に到るは正に栄旺の時に当たり、螣蛇又た青龍に変作す、将来事業日新・功名顕赫、彼れは是れ説くを用いざるなり。後来此の人は通州を任歴し、南京大司農・大司馬に擢升し、最後に辞を請いて郷に帰れり。此の課の留意すべきは両處有り。一は是れ八專雖も雑課に属すも、木局に逢りて時を得れば反って大器を成就す。二は是れ官鬼の玄武を乗ずるは本より善象に非ず、全く本命上の丁馬恩星に靠りて凶気を把りて化開す、以て年命の六壬断法の中に於ける分量の重きを見るべし。

占験十・癸酉年陳龍正の銭士升の能く相に入るか否かを占う

占驗十、癸酉七月甲寅日壬申時,浙嘉善諱龍正陳先生在京會試時,占同鄉少宗伯諱士升錢太史可能入相否,元首,子丑空、戌亥落空。 六勾 朱 卯辰巳午 青 玄后 玄后 財 壬戌 玄 蛇 寅 未 空 戌子 戌子 鬼 庚申 虎 貴 丑 申 虎 子寅 子甲 子 戊午 龍 后 子亥戌酉 常 陰玄 斷:發用干支旬空日敗,本不許入相。然餘終以入相許之。因中傳驛馬皇詔,末傳月將青龍,又歲建乘太常作官星加臨年命。經曰;太常入官鄉當朝執政,月將乘青龍片言入相。非宰執而何?嫌龍神克歲君(龍乘午克太歲酉),將來未必不獲意於君上而退位。後如其占。 據《明史》,南京禮部侍郎錢士升(1575—1652年)、以九月庚戌日升禮部尚書、東閣大學士,丙子年致仕。禮部尚書的職責類似於古代的“宗伯”,故尚書稱大宗伯,其副手侍郎稱少宗伯。

崇禎六年癸酉七月甲寅日壬申時、浙江嘉善の名は龍正の陳先生は京城の会試の期間、同郷の少宗伯・名は士升の銭太史の能く閣に入りて相と為るか否やを占う。課体「元首」、本旬の空亡は子丑に在り、天盤の戌・亥は空亡宮の上に落つ。四課は是れ子の甲に加わり・戌の子に加わり・子の寅に加わり・戌の子に加わる。「三伝」戌・申・午、初伝壬戌は「玄武」を乗じて妻財と為り、中伝庚申は「白虎」を乗じて官鬼と為り、末伝戊午は「青龍」を乗じて子孫と為る。断語に曰く、発用の神は日干日支上に於いて既に旬空に逢い又た日敗に値す、本より彼に相に入るを許すべからず、然而作者は終竟に入相を以て相許す。中伝は是れ駅馬にして又た皇詔を帯び、末伝は是れ月将にして青龍を乗じ、太歳又た「太常」を乗じて官星を作りて彼の年命上に加臨するを以てなり。経書の講ず、太常の官郷に入れば則ち当朝執政し、月将の青龍を乗ずれば則ち片言以て相に入るべし、此れ宰執に非ずして何ぞや。只だ嫌うは龍神の太歳を克する(青龍は午を乗じて太歳酉を克す)、将来難く君上の意に合せずして位を退かん。後来果たして彼の占うが如し。『明史』に拠れば、南京礼部侍郎銭士升(1575—1652)は九月庚戌日に礼部尚書・東閣大学士に升任し、丙子年に到りて致仕せり。礼部尚書の職掌は古の宗伯に近し、故に尚書は大宗伯と称し、彼の副手侍郎は便ち少宗伯と称す。此の課の最も功夫を見るの處は、是れ発用既に空且つ敗なるも而して作者は仍ほ敢えて以て入相を許す。彼は初伝の衰を取らずして、而して中末両伝の駅馬皇詔と月将青龍とを取り、再び太歳の太常を乗じて年命に加臨するを以て憑と為す。先ず用神の所在を看、再び年命の会する所を看、両相権衡して而る後に断を落とす、此れ正に陳公献の仕宦を断ずるの一貫の路数。

占験十一・癸酉年賀中怜の朝官去留を占う

占驗十一、癸酉二月甲子日己巳時,丹陽賀中憐先生居大寅臺時請占,反吟、玄胎、見機,戌亥空、辰巳落空。 蛇貴 朱 亥子丑寅 后 蛇虎 后龍 兄 丙寅 后 六 戌 卯 陰 子午 寅申 鬼 壬申 龍 勾 酉 辰 玄 午子 申甲 兄 丙寅 后 青 申未午巳 常 空虎 斷:朝官占此必主去位。賀曰:未去。曰:是何年生。己丑日。此必會狀之命,但不能久居於朝堂矣。蓋見任得夜貴即為不仕閒官也。況干支乘死絕,又德喪祿絕,四月尚有溫旨留,交秋必馳驛而去。朱雀月將加巳生日,我知其四月有溫旨相留。課傳二馬沖我,知其秋交馳驛而去。後知為宜興周首揆占。

崇禎六年癸酉二月甲子日己巳時、丹陽の賀中怜先生は大寅台の任上に在りて占うを請う。課体「反吟」兼ねて「玄胎」「見機」、本旬の空亡は戌亥に在り、天盤の辰・巳は空亡宮の上に落つ。四課は是れ申の甲に加わり・寅の申に加わり・午の子に加わり・子の午に加わる。「三伝」寅・申・寅、初末両伝皆な是れ丙寅にして「天后」を乗じて兄弟と為り、中伝壬申は「青龍」を乗じて官鬼と為る。断語に曰く、朝に在りて官と為る人の此の課を占得するは、必ず位を去るを主る。賀曰く、彼は還た走らず。作者は是れ何れの一年に生まれたるかと問う、答えて曰く己丑。彼便ち曰く、此れ必ず是れ会元・状元の一流の命、但だし能く朝堂に久居する能わず。現任の官員の夜貴を占得するを以て、則ち事を任任ぜざるの閑官と成れり。況んや日干日支皆な死絶の気を乗じ・日徳喪失し・禄神の絶に入るをや、四月の裡還た温言の聖旨の挽留有らん、一たび秋天に交れば必定駅を馳せて去らん。「朱雀」は月将を乗じて巳上に加わりて来りて日干を生ず、故に四月に温旨の相留する有るを知る。課伝中の両重の駅馬は我を冲す、故に秋天に駅を馳せて京を離るるを知る。後来乃ち占う所是れ宜興の周首揆なるを知る。此の一課は位を去るの月份すら断出せり。留まるは四月、去るは秋に交る、憑拠は分別に是れ巳上の朱雀の日を生ずると課伝中の両重の駅馬、以て同じ一課の裡の不同の神将は各々一段の時日を管するを見るべし。

由此例可知斷月令之法,學者識之。 宜興,縣名,在江蘇省。 周首輔,周延儒,公訟章占驗五亦是為此人所占,生年己丑,萬曆四十一年(1613)癸丑狀元,癸酉年行年在午。此課是歸鄉之占,因同黨溫體仁打擊,後復出仕,因欺上瞞下,於1643年癸未被賜死。 此課斷秋交,而公訟章斷六月後,說法略有不同,不知以何為是。據《明史》莊烈帝紀,六月庚辰日,周延儒致仕。 此課大勢,為德喪祿絕的四絕體,主凶。雖龍神居於日上,但不以吉論。且變體門中,未為幕貴,加於年上與加於日上同斷,在朝官不宜。 巳上朱雀亥水生日,故主有溫旨相留,雖乘月將但空,故只是虛與恩澤,溫旨而已。但為何突然說四月?以巳為占時先鋒,故言之,若巳不為之,則不可此斷矣。 二馬者,寅為驛馬沖干上龍神,申為天馬沖日干寄宮,干與干上神皆我之象也,故曰二馬沖我。

此の個の例子より月令を断ずるの方法を看出すべし、学者は当に記取すべし。宜興は是れ県名、江蘇省に在り。説く所の周首輔は則ち是れ周延儒。彼は己丑年に生れ、万暦四十一年癸丑(1613)に状元に中り、癸酉年の行年は午に在り、本書の公訟章占験五も亦た是れ彼の為めに占う所なり。此の一課の占う所は是れ郷に帰るの事、彼は同党温体仁の打撃に因りて職を去り、後来又た復出して官と為る、終に上を欺き下を瞞するに因りて、崇禎十六年癸未(1643)に死を賜えられり。此の課は秋に交ると断ず、公訟章は却って六月以後と断ず、両處の説法略々出入有り、何れの説か是と為すかを知らず。『明史・荘烈帝紀』に拠れば、六月庚辰日に周延儒は致仕せり。此の課の大勢は是れ日徳喪・日禄絶の四絶の体、凶を主る。雖も龍神の日干の上に居る有りとも、亦た吉論を作る能わず。而且変体門の説法に照らせば、未は是れ幕貴、行年上に加わるは日干上に加わると同じく断ず、朝に在るの官員は遇上すれば皆な相宜ならず。巳上の「朱雀」下の亥水は来りて日干を生ず、故に温旨の挽留有るを主る。只だ是れ其れ雖も月将を乗ずるも而して又た空に落つ、故に不過虚しく一点の恩沢・一道の温旨を給うのみ。何を以て忽然として四月に指定するや。巳は是れ占時の先鋒を以て、故に之に拠りて月を言う。若し巳は先鋒を作らざれば、便ち此の様に断ずる能わず。謂う所の両重の駅馬は、是れ寅は是れ駅馬にして日干上の龍神を冲し、申は是れ天馬にして日干の寄する所の宮を冲す。日干と日干上神と皆な是れ自身の象、故に両馬の我を冲すと説く。注者は両處の断法を把りて比对して講ず、正に人に応期は只だ一法に拠るべからずを明白せしめんと要す。

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