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易冒 · 第1巻

清 · 程良玉 · 第1巻 / 16

作盤ガイド: 六爻納甲の立卦, 大衍筮法

本書は新安(今の安徽歙県)の人程良玉の撰著で、彼は五歳の時天然痘を患って失明したため、自ら「瞽目」と署した。銭唐(今の浙江杭州)の人胡介・号…

六爻納甲典籍

まず体例書で装卦の手順を握り、それから卦例集へ進む。取用神は断法全体の要となる一手であり、書ごとの処理の違いを対照する価値がある。

易冒

新安瞽目程良玉著,錢唐旅堂胡介定。

本書は新安(今の安徽歙県)の人程良玉の撰著で、彼は五歳の時天然痘を患って失明したため、自ら「瞽目」と署した。銭唐(今の浙江杭州)の人胡介・号は旅堂なる者が点定して付梓した。「定」とは删削点校の意である。

易冒王序

餘在長安時,即聞程君元如賢,後十年而始得訪君於家,元如辭以疾,餘因鬍子旅堂為介紹,過從者再,元如始出。聆其言論,蓋君平公時之流也。自時厥後,餘數過其家,元如雖臥病,必強起為餘坐談弗倦。一日謂余曰:吾五歲而瞽於痘,不能習舉子業,學醫不成,始學易;初從星元先師遊,晚遇枯匏老人,互相質證,有所悟,命人筆記,歷年成書,而但慮辭多煩冗,意或重複,因托旅堂為餘商訂,書成公其為我序之。

私が京城に任職していた頃、程元如先生が賢能であると聞いていた。十年の後、やっとその家に訪ねることができた。元如は初め病をもって辞したが、私が胡旅堂先生の紹介を得て二度往き来すると、元如はやっと出て会ってくれた。その談論を聞いて、彼が漢代の厳君平の流の隠者であることを知った。それ以後私はたびたび門に登り、元如は病床に臥しながらも、必ず無理に起きて私と長談して倦むことを知らなかった。ある日彼は私に言った。私は五歳で天然痘を患い両目を失明し、常人のように科挙の業を習うことができず、医を学んでまた成らず、ここに転じて《易》を学んだ。初めは星元先師に随いて游學し、晩年に枯匏老人に遇い、彼此に質疑し印证して悟るところがあり、人に代筆させて記録し、年を積み月を累ねてこの書を成した。ただ文辞が繁冗に過ぎ、意あるいは重複するを慮り、ゆえに胡旅堂に托して我のために去取を商定せしめた。書成りて世に公にせんとするに、どうか序を作ってほしい。

餘應諾。未幾旅堂歿,余竊慮無有贊助此書於成者矣。元如益傷悼痛哭,病日深,餘往問疾,不能出,然猶異其必起也。無何而元如亦下世矣,嗚呼痛哉!甫浹旬,有人衣縗絰衣,面深墨,持易冒一書,長跪而涕泣曰:吾父易簀時,執手叮嚀,謂所著書為我也,序者必楚中王先生,我是以恪遵遺命,來求先生,先生幸勿辭。餘聞其言而悲,又何忍辭。

私は承諾した。まもなく胡旅堂が世を去り、私は密かに憂えた。もう彼のためにこの書を成し得る者がいないと。元如はこれにますます悲痛に哭泣し、病勢は日ごとに重くなった。私は見舞いに赴いたが、彼はもう屋を出て会うこともできず、私はなお彼が必ず愈えると望んでいた。まもなく元如もまた世を去り、実に痛惜すべきことであった。ちょうど十日を過ぎた頃、粗麻の喪服を身に纏い、面色黎黒の者が、一編の《易冒》を捧げて長跪し涙を流して言った。我が父は終の際(「易簀」は曽子が終に席を換えた故事を用う)、私の手を握りて重ねて叮嚀し、この書は我のために作られたもので、序を作る者は必ず楚の王先生を請えと言い残した。私はゆえに遺命を恪遵し、前に来りて先生に懇請する、どうか決して辞さないでほしいと。私はこの言葉を聞いて甚だ悲愴で、どうして辞するに忍びよう。

余竊嘆易學至今日,不絕於不學易,而絕於學易者,恆多矣。夫學易宜未絕也,絕於不易,其易而竊異端之術以為易,其為絕也,孰甚焉。程子傳易,本之王弼,弼則出之費直,朱子本義,本之呂伯恭,古易則本之田何,未嘗以非易言易也。

私は窃かに嘆息する。易学が今日に至るまで、決して《易》を学ばぬ者の手で断送されたのではなく、却って常に《易》を学ぶ者の手で断送されてきた。《易》を学ぶは本来易学を断絶せしむべきではないのに、悪いのは学ぶ所が《易》にあらざること——異端の方術をもって《易》に冒充する、この断絶はこれより甚だしきがあろうか。宋代の程頤は《易》を伝え、魏人王弼に取法した。王弼の学はまた漢人費直に出づ。朱熹は《周易本義》を作り、呂祖謙(字は伯恭)に取法したが、呂氏の定めた古本《易》は、また漢初に《易》を伝えた田何に本づく。歴代の大儒は未だかつて《易》ならざるものをもって《易》を講じたことがない。

元如之學易也,謂其辭有盡而其象無窮,每占一卦,觀其爻象貞悔陰陽動靜,而人之終身吉凶悔吝洞若觀火,以是聲名藉甚,甚有越千里以來求一言而去者。而元如益不敢自多也,日惟觀象玩占以自體驗。

元如の《易》を研治するは、卦爻辞は有限にして卦象の変化は無窮なりと主張した。彼が一卦を占うごとに、ただ爻象の「貞」(内卦・本卦)と「悔」(外卦・変卦)を看、その陰陽・動静を審らかにすれば、一人の一生の吉凶悔吝は火を観るがごとく明白であった。ゆえにその名声は極めて大きく、千里を遠行してただ彼の一句の断語を求めて去る者すらあった。而るに元如は却っていよいよ自満せず、毎日ただ卦象を観察し占例を玩味して、もって自ら学ぶ所を印证した。

嗟乎,吾黨有人致身通顯,侈然以名士自居,人有舉其所治經大義以問,而尚不能默數其章句者,況能悉意義之精微乎?元如之所以不可及也。且今日之患,學士大夫以通經學古為迂,而好馳騖於詞章聲華,以鳴得意。即學易者不泥於數,則拘於理,未有得於意,言象數之外者。夫儒者不能傳其易,而使傳易者乃在一肓廢之人,是尤可悲也。

嗚呼、我々の輩のうち、ある者は高官顕位に至りて、大様に名士を以て自ら任じ、他人がその本経の大義をもって問えば、章句すら誦することができず、いわんやその精微の義理を領会せむや。これまさに元如の旁人に高出る所なり。当今の病は、士大夫が経を通じ古を学ぶを迂腐と看なし、却って辞章声名を追逐して自ら鳴るを得とするに在り。《易》を学ぶ者に至っても、象数に死抠するか、義理に拘泥するかで、真にその意を得て象数の外に一言を出す者なし。儒者自ら《易》を伝え得ず、却って両目失明の廃疾の人をして《易》を伝えしむとは、これ更に悲しむべきなり。

已書將成,旅堂與元如相繼殂謝,人以為奧義密理,不能為天地秘藏,或其洩機已甚。余謂學易寡過,思慮所及,通於鬼神,未聞天道禁人之覺酣於義理也。書將成而溘然長逝,亦朝聞夕可之義也哉,不然元如之終也,語不及私,拳拳以此書為念,豈好名哉?其平日心力之所至,竊恐後世不得其傳,故不自為慮,而為人慮也。然則元如諄切屬餘之意於是乎,慰矣。康熙三年仲秋楚江安史氏王澤弘撰。

書まさに成らんとするに及んで、旅堂と元如は相継いで世を去った。ある人はこれを、書中の奥義密理はもともと天地の秘蔵を容れず、あるいは天機を洩らすこと過ぎたるによると思う。私は思うに、《易》を学ぶは過ちを減ぜんがためであり、思慮の及ぶ所は鬼神に通ず。天道が人の義理に沈酣するを禁ずとは未だかつて聞かざるなり。書まさに成らんとして溘然として逝くは、正に孔子の「朝に道を聞かば夕に死すとも可なり」の意に合うのであろう。さもなくば、元如が終の時、私事を一句も言わず、念々忘れざるはただこの書のみとは、名を好むがためであろうか。彼は平生の心力の在る所が後世に流伝を得ざるを惧れたのであり、ゆえに自らのために計らず、ただ人のために計らったのだ。このように観れば、元如が私に序を作らむことを懇切に托した心は、ここに至ってまた慰められる。康熙三年(公元一六六四年)仲秋、楚江安史氏王沢弘撰。

易冒顧序

嘗閱史至管公明善易者,不論易之說,謂是答何鄧之邙訑言耳,今觀程子著書而始信。夫程子垂簾虎林市上,辨吉凶論悔吝無非易也,而易冒一書,則不盡論易,無非易者理從易出,易之外無理。不盡論易者,易從數顯,數之用非易,然則何云易冒哉?悉是書者,可以善易,書蓋為易而說也。

私はかつて史書を読み、三国の管輅(字は公明)が《易》に精しくして《易》説を談らざるに至り、人は彼が何晏・鄧颺に答えた語をただ夸誕の辞に過ぎぬと言っていた。今程元如の著書を見て、初めて管輅が実にこのような人であったことを信じる。程先生は杭州(虎林)の市上に垂簾して肆を設け、吉凶を辨え悔吝を論じて、《易》ならざるものなし。而るに《易冒》という書は、全て《易》を談ずるにあらず。それを《易》ならざるものなしと言うは、義理が《易》の中より生じ、《易》の外に別に義理なきがゆえ。それを全て《易》を談ぜずと言うは、《易》は「数」をもって顕れ、数の運用はまた《易》に等しからざるがゆえ。このように然らば、なぜ書の名を「易冒」と曰うか。この書を読み透せば《易》を善く用いることができ、この書はもともと《易》のために作られたものと見うべし。

若夫生生之謂,易通變無方,而引伸觸類以窮神達化。聖人原不使人枯槁於彖辭爻象間,而遂謂之易也,故繫辭曰:冒,天下之道,冒,覆也。天覆乎上,而七曜五行春秋寒暑人物化育散見於中,皆不謂之天,而莫非天之事。易統其綱,而甲子六神變互反伏與諸星世應九十一之旨,皆未始耑言易,而莫非易之事。是程子之書不論易,而精於言易者也。

いわゆる「生生生之を易と謂う」は、《易》の通変に定まる方所なく、引申推衍・触類旁通を俟ちて、乃ち神妙を窮め造化に通ずることを言う。聖人はもともと人をして枯乾に彖辞・爻象の間に困守せしめんことを欲せず、之を《易》と曰いたり。ゆえに《繋辞》に曰く「《易》は天下の道を冒す」と。「冒」は覆うなり。天は上に覆い、日月五星(七曜)・五行・春秋寒暑・人物化育は皆天の下に散布し、これらは皆「天」と曰わざるも、天の事ならざるなし。《易》はその綱領を統攝し、本書の講ずる所の「甲子」「六神」「変互」「反伏」および「諸星」「世応」の九十一章の旨趣は、皆《易》を専らに講ぜず、《易》の事ならざるなし。ゆえに程先生のこの書は表面《易》を論ぜず、実は最も《易》を講ずるに精しいと言うなり。

今人不察,每得焦氏諸人之書,秘諸帳中,遂謂道在是矣,烏知此中奧衍有若是哉。程子為當今管郭,有勿占,占則應,如鄉戶外趾相錯,日既昳,有不及叩而返者,如是二十餘年以為嘗。至四十時抱痾鍵戶,忽忽機動於中,遂得數見兆,因而發憤著書,窮極要妙,自謂能補前聖之所未備,極深研幾,蓋三年而書始成。書成,程子即謝世去。

今の人は分辨せず、いったん焦延寿《易林》の一流の書を得れば、帳中に秘蔵して道は尽く此に在りと思い、どこで《易》学の深奥広博がこのような境地に至るを知らむや。程先生は当今の管輅・郭璞なり。占わざれば則ち已み、一占すれば必ず応ず。占を求むる者は門外に満ち、脚尖相接し、太陽は西に偏して門を叩くに及ばずして帰る者もあり、このようにして二十余年、以て常となす。四十歳に至り、彼は病を抱き門を閉ざし、心中忽然として触るる所あり、ここに兆象を予見すること能く、因而発憤して書を著し、その中の要妙を窮究し、自ら前代聖人の未備を補い得べしとし、極精微に至るまで鑽研し、三年を用いて書成る。書一成れば、程先生は即座に世を謝した。

然則占墨視拆,程子雖欲秘之,有所不能秘。昔郭參軍有青囊書九卷,門人趙載竊去,未及讀而火焚之。似乎獨得之秘,為造物所忌,程子不死於未著書之前,適死於方成書之日,苟非天以此道絕續之,會令程子繼往哲,開來學,惡觀其有傳書乎?餘友文翎高子於程最稱服膺,餘因得盡讀其所著書,且以嘆程子之善易,而又天縱之以論易也,則視易冒一編,雖謂程子未嘗死亦可矣。康熙甲辰秋七月既望錢塘且巷顧豹文撰。

このように観れば、「占墨」「視拆」の類の兆を観て事を断ずる独門の本事は、程先生は秘したくともついに秘し得ざるなり。昔晋人の郭璞(参軍を歴任)に《青嚢書》九巻あり、門人の趙載が之を窃み去り、未だ読むに及ばず火に焼かれた。ここに独得の秘は造物の忌恨を受くべきを見る。程先生は未だ書を著さざる前に死せず、偏偏として書成りて日なきに死せり。もし上天がこの門の学問をして断じて復た続がしめ、程先生をして上は往哲を継ぎ下は来学を開かしめむと欲せずんば、どうして彼に書の世に伝わるを見せむや。我が友高文翎は程先生に最も佩服し、私は之に因りて彼の著す所の書を遍く読み得て、因而程先生は《易》を善く用いるのみならず、また上天が特に彼をして《易》を講せしめたと感嘆す。このようにして《易冒》の一編を視れば、程先生は未だ死せずと曰うもまた可なり。康熙甲辰年(公元一六六四年)秋七月十六日、銭塘且巷顧豹文撰。

易冒陸序

餘總角時聞新安有元如程先生者善卜,隱居吾杭城西今,車馬闐駢如市,日既晡,不得下簾休息。餘友旅堂鬍子亟稱其人,嘗從而竊窺之,其狀貌魁梧,言談若河注,心知其非日者卜筮之流矣。此元如徙郭外與餘比閭居,交益密,時時過從聞其緒論,雖老生宿儒不能及,私念京焦管郭精易數,有聲著述,元如以瞽目博洽若此,非夙有神解,何以至是?

私がまだ総角の少年の頃、新安に程元如先生という占に善い者ありて、我が杭州城西に隠居し、門前の車馬は市集のごとく擁挤し、太陽は西に偏しても簾を下ろして休むに遑あらずと聞いた。我が友胡旅堂はこの人を極口に称賛し、私はかつて随いて窃かに見た。相貌魁偉、談吐は江河の奔注するがごとく、心中に彼が尋常に卜筮をもって生を謀る者にあらざるを明白に知った。後に元如は城外に遷り、我と隣居を為し、交はいよいよ密に、常に過訪してその議論を聞くに、老成宿儒も及ばざるなり。私は暗に思う。京房・焦延寿・管輅・郭璞は易数に精しく、皆著述の世に伝わるあり。元如は一人の盲人をもって博洽この地步に至るとは、素より神悟あらずんば、どうして能くせむや。

餘攻舉子業,所習僅易書訓詁,每觀元如卜,其稱引繇詞與本義無殊旨,靡不奇中。人曰:元如精於數,秘而不洩,特廋其辭於常談耳。元如笑應曰:聖人窮理數,為理用,後賢極數理,以數彰,理數豈有二哉?考亭謂孔子以義理說易,是象數已明,不須要說,今人不知象數而妄言易理,亦復何當?

私は科挙の業を攻読し、学ぶ所はただ《易》の書本訓詁に過ぎぬ。元如の占を見るごとに、彼の称引する繇辞は《周易本義》の意旨と両様ならざるも、奇中せざるなし。ある人曰く、元如は易数に精通し秘して宣せず、ただ要訣を尋常の談論の裏に蔵するのみと。元如は笑いて答えて曰く、聖人は義理と象数を窮究して「数」をして「理」が用う所と為し、後世の賢者は象数と義理を推極して「理」をして「数」に由りて彰ると為す。理と数は豈に両回事ならむや。朱熹(考亭)は孔子が義理をもって《易》を講ずと曰うは、象数既に明白にして言うに及ばざるがゆえ。今の人は根本より象数を知らずして妄りに易理を談ず、またどうして対せんや。

然人知理之示人者顯,數之告人者微,不知數之微者,其變有定,而理之顯者,其應無窮;吾幼遭廢疾,不獲探索聖人窮理之原,以極數之委,幸遇星元師及枯匏老人,深究聖賢書數而尋諸理,庶幾幽明,死生進退存亡之道,其亦可坐而照也。餘知元如殆得道之士,雖季主君平未必能過。

人はただ「理」が人に示す啓発は明らかなり、「数」が人に告ぐる消息は幽微なりと知るのみ。幽微の「数」はその変化に定則あり、明らかなる「理」はその感応に窮尽なきを知らず。私は幼年にして残疾に遭い、聖人の理を窮むる本原・象数を推極する委曲を探索するに由なし。幸いに星元先師と枯匏老人に遇い、聖賢の書中の象数を深入研究して再び回りて義理を尋求せば、さすればあるいは幽明の際・死生進退存亡の理も、皆安坐して洞照すべし。私は之に由りて元如はおそらく道を得たる士なりと知る。漢代の司馬季主・厳君平も未だ必ずしも彼を超えず。

辛丑夏元如夢青衣吏二人,以樶召之去,元如曰:去無難,第卜筮之道,沿習糟粕,而未窮其奧,餘得師傳,欲立言以問世,操是心幾二十年,而卒未就,奈何?吏人曰:吾為君請之,足了君事。比覺,遂發憤著書,越三年而書成,屬旅堂點次,點次甫定而旅堂逝,以其書授之梓,梓成而元如亦逝。

辛丑年年(公元一六六一年)の夏、元如は夢に二人の青衣の吏人を見、捕牒を持ちて彼を帯ち去らむとした。元如曰く、汝らに随い行くは難しからず、ただ卜筮の学は世人の沿襲する所皆糟粕にして、未だその奥義を窮究する者なし。我は師伝を得て書を著し説を立て以て世に問はむと欲し、この念を存することほぼ二十年、ついに成らず、どうせむやと。吏人曰く、我が汝のために寛限を請わむ、汝の事を办するに足らむと。覚めての後、彼は発憤して書を著し、三年を過ぎて書成り、胡旅堂に托して点校編次せしめた。剛く点定すれば旅堂世を去り、書を刻版に付せば版成りて元如もまた世を去った。

嗚呼,立言傳世,其功在人,元如抱斯志垂二十年,蓋成之,若斯之難也。朝聞夕死,不可謂非天為之,其書傳,其人不死矣?餘因是益嘆數之有定,而聖人作易以前民用者,不可誣也。若元如者,其為得道之士,而非日者卜筮之流,讀易冒者,自有會心知,非餘一人交深而私許之矣。康熙甲辰仲秋西冷陸進藎思父拜撰。

嗚呼、書を著し説を立て後世に伝うるは、功德は人に恵むに在り。元如はこの志を抱くことほぼ二十年にして成し得たり、その難きを見るべし。いわゆる「朝に道を聞かば夕に死すとも可なり」は、上天の安排にあらずと曰うべからず。書伝われば、人もまた死せざるなり。私は之に因りてますます「数」の定則あるを感嘆し、聖人が《易》を作りて以て百姓の日用を指導すとは、誣妄すべからざる言なり。元如のごとき人は、道を得たる士にして、卜筮をもって糊口する一流にあらず。《易冒》を読む者は自ら心領神会あらむ。我一人が交情深きに因りて私に称許するにあらざるなり。康熙甲辰年(公元一六六四年)仲秋、西泠陸進・字は荩思、拝撰。

易冒自序

予世家新安之蟾谿,父映源公,業賈吳興;母謝氏,生予多蹇,五歲而瞽於痘,先君謂予母曰:是兒早慧,今得廢疾,不能受書學舉子業,莫若令習醫。遂授醫書,耳聽心受,手訓點畫,到十歲,予告父母曰:為醫之要在望聞問切,既不能望,術能神乎?乃棄而學卜,從日者家五六人,粗得其概。

我が家は代々新安の蟾渓に住み、父は映源公で呉興にて商い、母は謝氏なり。私は生まれながら命途多舛にして、五歳にして天然痘を患い両目を失明す。先父は我が母に対して曰く、この子は早慧なれど、今残疾を得て書を読み科挙に応ずること能わず、医を学ばしめむに如かずと。ここに医書を我に教う。私は耳をもって聴き心をもって記え、更に人に我が手を握らせて筆画を教はる。十歳の年に至り、父母に告げて曰く、行医の要領は「望・聞・問・切」に在り、我は既に「望」能わず、医術なお高明たり得むやと。ここに医を棄てて卜筮を学ぶことに改め、前後して五六位の卜者に随い、粗略して大概を得たり。

最後從星元先師遊,獨盡其傳,朝夕問訊,記憶控討,相隨五載,猶若茫然。乃漸遷心音律奕棋之戲,將墮厥,業師戒予曰:夫學易之道,專則純,純則業,精乃入神,分則雜亂,雜亂則疏,疏乃不入;今汝學,分而不專,其能達耶?

最後に星元先師に随いて游學し、独り彼の全部の伝授を得、朝夕請教し、記憶に凭りて推究討論し、相随五年、心は依然として茫然たり。ここに漸々心思を音律・囲碁の類に移し、学業まさに荒廃せんとす。先師は我に誡めて曰く、《易》を学ぶ路数は、専一なれば純粋にして、純粋なれば乃ち学業を成就し、精熟なれば乃ち神妙に入る。心を分かてば雑乱にして、雑乱なれば浅疏にして、浅疏なれば門に入ること能わず。今汝の学ぶは心を分かちて専一ならず、なお通達し得むやと。

於是益發憤研求,屏絕外嗜,竭思廢寢,以為天下之事億兆紛紜,何以得一理貫通其吉凶,而後不惑?年登十八,始悟用爻是此是彼,隨大隨細,惟一用爻而求,諸吉凶乃得其柄。如所謂老奴占幼主,必用父母,少君占衰僕,必用妻財,此以分不以年也;詞訟憑官而後世應,以勝負決於聽訟也;壽命憑用而後父母,以其享年也;科目先文而後官,廷試先官而後文,各有所重。由此引申,則左之右之,無不宜之矣。

ここに私はいよいよ発憤して鑽研し、他の嗜好を断絶し、精を殫し慮を竭し寝食を廃して、心に思う。天下の事は千頭万緒なり、どうすれば一条の吉凶を貫く理を得て、此より迷わざらむやと。十八歳の年に至り、始めて「用爻」は占う所の事に随いて定まるを悟る。あるいは此の爻を取り、あるいは彼の爻を取り、事の大小一ならず、ただこの一つの「用爻」を把りて求めば、一切の吉凶始めて把柄あり。たとえば老僕が年幼の主人を占えば必ず「父母」爻を用い、年少の主人が衰老の僕人を占えば必ず「妻財」爻を用う。これ名分に按じて取用するので、年紀に按じて取用するにあらず。詞訟を占うは先ず「官鬼」に凭りて而る後「世応」を看るは、勝負は官府の聴訟に取决するがゆえ。寿命を占うは先ず用神に凭りて而る後「父母」を看るは、父母は人の享年を主るがゆえ。科挙は先ず文書(父母)を看て而る後官を看、殿試は則ち先ず官を看て而る後文書を看、各々偏重する所有り。この原則に由りて引申すれば、左右源に逢い、適用せざるなし。

於是集舊聞,秉師說,本以心得,參以占驗,纂述成書,為筮類五十篇,而內詳三百七十有七問;復考聖人立法之所由,參研三載未得。己卯之冬,偶遇楚來枯匏老人,聚首三月,請益焉,乃曰:聖人不妄立法以教人,皆必有本,而具陳於百家之書,汝未能遍考,我一一授之子,子其秘之。

ここに我は旧日の見聞を彙集し、師説を秉承し、自ら心得たる所を本と為し、更に実際の占験に参照して、編纂して書と為す。「筮類」五十篇に分かち、その中に詳しく三百七十七の問目を列す。此の後また聖人の立法の来由を考究せんと欲し、参研三年にして得る能わず。己卯年(公元一六三九年)の冬、偶然に楚より来たる枯匏老人に遇い、相聚まること三箇月、彼に請教す。彼曰く、聖人は随意に一法を立てて人に教うるあらず、一法ごとに必ずその本原あり、しかも皆諸子百家の書に陳述す。ただ汝が遍く考索する能わざりしのみと。我は一々汝に伝授せむ、汝之を保守すべしと。

予曰:聖人立法,將以開後世之蒙,受而復秘,獨得之亦何益耶?枯匏曰:是心可以為人師矣!前言探子爾;立言傳世,功孰大焉。於是復究先賢闡易之書數十種,立法四十一篇,計九十一章,卷分有十,列成卦成爻之由,立世立應之法,諸星何事而名,六神何事而司;隨墓助傷,本凶而有弗凶也,絕生本吉,而亦有弗吉也;空破絕散,有真偽之分,飛伏互變,有輕重之取,豈執一義而盡之與?

我曰く、聖人の立法は、本より後世の蒙昧を開かんと欲するなり。我は受けて而も秘し、独り占有せんは、また何の益あらむと。枯匏老人曰く、この存心あれば、以て人の師たるべし。さっきの言はただ汝を試みしのみ。書を著し説を立て後世に伝うる、これより大なる功德あらむやと。ここに我はまた先賢の《易》理を闡発する書数十種を研究し、立法四十一篇、合計九十一章、十巻に分かつ。成卦・成爻の由来を列し、「世」「応」の方法を確立し、「諸星」が何事に因りて名を得たか、「六神」が何の事を司るかを説く。「随墓」「助傷」は本より凶を主るも、また凶ならざる時あり。「絶処逢生」は本より吉を主るも、また吉ならざる時あり。「空・破・絶・散」に真假の別あり、「飛伏」「互変」に軽重の取りあり——豈に一条の義例を死守して即ち講じ尽くし得むや。

故黃金策言用化用則有用無用,其云化去是神忒也,伏吟之故爾,若化進神,安得無用乎?復曰太過者損之斯成,非雲吉凶,斷事之成合時也。若曰用爻太過為不吉,則生扶拱合之語非矣。卜易闡幽雲伏藏不論旬空,可以言輕重,豈言不空耶?亦長於彼而短於此也。卜筮元龜晴雨以世為地,應為天,京房以父母為天地,亦是於此而非於彼也。

ゆえに《黄金策》に曰く「用神用神を化出すれば、則ち用ある者有り用なき者有り」と。それが講ずる「化去」は実は神明の失あるなり、これは「伏吟」の致す所なり。もし化出する所が「進神」ならば、どうして用なからむや。又曰く「太過する者は之を損して斯く成る」と。これは吉凶を論ずるにあらず、事を断ずるは合時に成るを要すを説くなり。もし用爻の太過は不吉と曰わば、「生・扶・拱・合」の一流の話は説き通さざるなり。《卜易闡幽》に曰く「伏蔵は旬空を論ぜず」と。ただ軽重の別あると説くべきのみ、豈に伏神は則ち空を算せずと曰い得むや。これまた此に長じて彼に短し。《卜筮元亀》は晴雨を占うに「世」を以て地と為し「応」を以て天と為し、京房は則ち「父母」爻を以て天地と為す。同じく是れ此に於いて説きて対り彼に於いて説きて対らず。

補遺飛伏其七世皆伏本宮,而京房獨以游魂飛伏不相侔合,如晉外伏艮而內伏乾,己酉世爻以丙戌為飛伏;如需外伏兌而內伏坤,戊申世爻以丁亥為飛伏,占之屢驗。然先師成書時,未得此學也。即搜決鬼神多載,湖下之聖,六合之內,有土風名俗之相異,百世而下再成之神,但能以義理相揆,豈可實指其姓字乎?先師每謂予曰:生平之學,補遺缺是二端甚矣,著書之難也。

《卜筮全書・補遺》は飛伏を講じ、一宮の中の七つの卦位皆本宮の爻を伏すと曰う。独り京房のみ游魂卦の飛伏は此と合せずと為す。たとえば《晋》卦は、外卦は「艮」を伏し内卦は「乾」を伏し、己酉世爻は丙戌を以て飛伏と為す。又如《需》卦は、外卦は「兌」を伏し内卦は「坤」を伏し、戊申世爻は丁亥を以て飛伏と為す。この弁法に照らして占断すれば屢々応験す。しかるに先師が書を成す時、未だこの門の学問を得ず。又如鬼神を占問するは、我は多年搜求判断せり。江湖郷野の奉ずる神祇は、天地の間、各地風土名号互いに相同じからず、百代の後また不断に新立の神あり。ただ義理に凭りて揣度するのみ、どうしてその姓名を指実し得むや。先師は常に我に対して曰く、我が一生の学問は、補缺と存疑の二事に難き在り——著書は実に難しとなす。

予荒陋管窺,敢言能備與惟所知者載之,不知者以待高賢之教我也。予常終日凝思,久而不悟,春秋相繼而未得。逍遙子謂予曰:致虛守靜,以觀其復,靈明生焉。密雲禪師謂予曰:但會取本有。吾於二師有默契,雲古之人有以風占鳥占諺占,言語卜威儀卜政事卜是無卜,筮而知吉凶也,況著草金錢木丸之占,而必執同異相非乎?愚以為易者,象也,象也者,像也,其辭則異,其象則符,但告於著則以著占,告於五行則以五行占,告於焦氏則以焦氏占可也,其成卦成爻一也。

我は学識荒陋・見識は管中より豹を窺うがごとき、どうして能く備わるを敢えて曰わむや。ただ知る所を記し、知らざる所は高明の士に留めて我に教えむを待つのみ。我常に終日神を凝らし思索するも、久しく開悟する能わず、年を経ても得る所なし。逍遥子は我に対して曰く、「虚を致すこと極め、静を守ること篤くして、以て万物の復を観る」を要すと、霊明自然に生ず。密雲禅師は我に対して曰く、ただ本来有るものを領会せよと。我はこの二師の言に心の默契あり。知るべし、古人に風占・鳥占・諺占を用うる者有り、また言語に凭りて卜る者・威儀に凭りて卜る者・政事に凭りて卜る者有り。これらは皆蓍筮を用いずして吉凶を知る。いわんや蓍草を用い・金銭を用い・木丸を用いて占うるは、豈に異同を執著し彼此非難せむを要せむや。我は為すに、「易」は即ち「象」にして、「象」は即ち「像」なり。辞句は各々相同じからざれど、卦象は彼此相合す。神明が蓍草の上に告示すれば則ち蓍を用いて占い、五行の上に告示すれば則ち五行を用いて占い、焦延寿《易林》の上に告示すれば則ち焦氏を用いて占う。皆な可なり——それらの成卦・成爻の理は一なり。

久思著書問世,以造門之問,日晐不遑。年四十而疽發於背,始得杜門謝客,而草創之,歷三年之久而撰藁粗成,就正於故人旅堂先生,先生與其同學見而亟稱之,乃下榻草堂,重加刪定為梓以行世。嗟乎,苟有小補於世,則安敢逃於妄述之罪哉。康熙甲辰歲仲夏朔旦新安瞽目程良玉敘。

我は早くより書を著して世に問はむと欲すれど、ただ門に上る占を求むる者の多きに因り、終日忙しく空閑なし。四十歳に至り背部に毒瘡を生じ、始めて門を閉ざし客を謝絶し、手を動かし草を起こし、三年を歴て稿は大致成る。持ちて老友胡旅堂先生に就きて指正を請えば、先生とその同学は見て力めて称賛し、ここに我が草堂に住み、重ねて删削点定を加え、刻版に付して世に行はしむ。嗚呼、世人に対して稍や補益あらば、我またどうして「妄述」の罪名を担ぐを怕れて避けむや。康熙甲辰年(公元一六六四年)仲夏初一日、新安瞽目程良玉叙。

易冒巻之一

甲子章第一

天干有十,地支有十二。(幹猶本也,象天生物,故曰天干;支猶枝也,象地成物,故曰地支。干有十:甲乙丙丁戊己庚辛壬癸;支有十二:子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥。)用甲乘子,取乙駕丑,干支終始而循環,天地之數六十而盡矣。(甲子之法,以天干順佈於地支之上,始自甲子至癸酉,幹終而始甲戌,支終而始丙子,若枝本之不離,並盡於癸亥,計有六十也。)

天干は十あり、地支は十二あり。(注:「干」は樹の幹のごとく、天が物を生ずるに取象す、ゆえに「天干」と曰う。「支」は枝條のごとく、地が物を成ずるに取象す、ゆえに「地支」と曰う。天干十は甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸。地支十二は子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥。)甲をもって子に配し、乙を取りて丑に配し、干と支は各々循環し首尾相接し、天地の数は六十に至りて即ち窮尽す。(注:甲子を排する法は、天干を順次地支の上に布く。甲子より癸酉に排し、十干用い尽くせば甲戌より重ねて起こる。十二支用い尽くせば、丙子より重ねて起こる。干支は樹枝と樹幹のごとく相分離せず、最後に同時に癸亥に終結し、共に六十組を計す。)

天分五運,地分六氣,以造化萬物於其中,乃作甲子以記歲時,使日月四時之有經也。(五運謂東南西北中,十干動運乎上;六氣,謂十二支六陰六陽之氣,司寒暑春秋升消長之權,靜成乎下,而吉凶禍福,由是以兆。)自漢武從寅,則無復四同之甲子,迨婁景補韻,則始傳分象之五行。(周正建子,則以甲子年起甲子月,甲子日起甲子時;夏正建寅,漢武帝述之,退三位而取丙寅,所以無復有四甲子也。古納音但有甲子乙丑屬金,丙寅丁卯屬火之法,及婁景先生推五行之理作歌,始有海中金爐中火之說。)

天は「五運」に分かれ、地は「六気」に分かれ、万物はその中に在りて造化を受け生成す。ここに聖人は甲子を制作して歳月時令を記し、日月の運行・四時の更替に常軌あらしむ。(注:「五運」は東・南・西・北・中の五方を指し、十の天干は上に於いて運行して息まず。「六気」は十二地支の六陰六陽の気を指し、寒暑春秋・升降消長の権柄を主管し、下に於いて静かに万物を成就し、吉凶禍福は此に由りて征兆を顕す。)漢武帝より夏正建寅に改用してより、再び年・月・日・時の四者同じく甲子たるの情形なし。婁景先生の歌韻を補作するを及びて、始めて象に按じて分属する五行納音を流伝す。(注:周暦は子月を以て歳首と為す、ゆえに甲子年は甲子月より起こり甲子日は甲子時より起こる。夏暦は寅月を以て歳首と為し、漢武帝は之を採用して月建を三位後退して丙寅を取る、ゆえに再び四柱皆甲子たるの情形なし。古代の納音はただ「甲子乙丑は金に属し丙寅丁卯は火に属す」のごとき説法あるのみ。婁景先生が五行の理を推究して歌訣に編成するに至り、始めて「海中金」「炉中火」の類の名目あり。)

納音之法,以干支之數,合大衍之用四十有九,去其本數復考其零,以五行相生而納諸屬也。(納音所屬之法,大衍之數五十,其用四十有九,考其干支所屬之數幾何,於四十九數內,去其干支本數,而所零者以五除之,其餘復以水一、火二、木三、金四、土五,數至四十有九,得水則納音是木,得土則納音是金也。)

納音の方法は、干支各自の定数を取り、大衍の数の用数四十九に合し、干支本身の数を減じ、再び余る所の零数を考察し、五行相生の関係に按じて納する所の属を定む。(注:納音の所属を定むる弁法は、大衍の数は五十にして、実際に用うる所は四十九なり。先ず占う所の干支各自の定数の共有多少を算し、四十九の中よりこの本数を減ず。余る所の数を再以て五を以て除し、除後の余数は「水一・火二・木三・金四・土五」に按じて配し、数は四十九に満ずるを以て止とす。水を得れば、則ち納音は木に属す。土を得れば、則ち納音は金に属す——皆五行相生の義を取る。)

(法曰,六旬甲子妙尤元,七七中除地與天,五減零求生數立,納音得此幾人傳。夫干支之數,謂甲己子午九、乙庚丑未八、丙辛寅申七、丁壬卯酉六、戊癸辰戌五、巳亥四為則,此干支定數也,以萬物闢子而合申,故甲己子午,自子至申得九,乙庚丑未,自丑至申得八,如甲乃九數,子亦九數,乙乃八數,丑亦八數,計三十有國,於四十九內除之,其餘十五,復減其十,所零五數,五為土,土生金是也,餘仿此。)

(注:口訣に曰く「六旬甲子妙尤元、七七中除地与天、五減零求生数立、納音得此幾人伝」。いわゆる干支の数は、甲・己・子・午は九と為し、乙・庚・丑・未は八と為し、丙・辛・寅・申は七と為し、丁・壬・卯・酉は六と為し、戊・癸・辰・戌は五と為し、巳・亥は四と為す。これ即ち干支の定数なり。その来歴は万物が子に於いて開闢し申に於いて会合するに在り。ゆえに甲己子午は、子より数えて申に至り九を得。乙庚丑未は、丑より数えて申に至り八を得。例を挙げて曰わば、甲は九数にして子もまた九数、乙は八数にして丑もまた八数、甲子乙丑の四者は合計三十四(原文は「三十有国」と作る、「国」は「四」字の誤りに当たる)。四十九の中より之を減ぜば、余は十五。再び十を減ぜば、零る所は五。五は土に属し、土は金を生ず、ゆえに甲子乙丑の納音は金に属す。其余は此に依りて類推す。)

復引申其用,渾甲同此而作,三式由此而成。(渾甲,以六十甲子納八卦之下也,三式,謂太乙統宗,天之數也,奇門遁甲,地之數也,大六壬神,人之數也。)幹乃天,虛而無形,故不專禍福,支乃地,實而有象,則有旺衰生死進退消長破沖刑害,以曲成萬物之能。(天無形,故干神之用,專於五化,謂甲己化土,乙庚化金之類;地有象,則成能萬物,吉凶以昭,故支神之用,有當生者旺,所生者相,四生四死,進神退神,升降消長,三刑六害之類。)

再び一歩を進めてその用途を引申すれば、「渾甲」の法は此に拠りて作られ、「三式」もまた此に由りて成る。(注:「渾甲」は、六十甲子を八卦の下に納配するなり。「三式」は《太乙統宗》を指し、講ずる所は天の数なり。「奇門遁甲」は、講ずる所は地の数なり。「大六壬神課」は、講ずる所は人の数なり。)天干は天に属し、虚にして形無し、ゆえに禍福を専らに主らず。地支は地に属し、実にして象有り、ここに旺衰・生死・進退・消長および破・冲・刑・害の種種の変化あり、以て万物成就の能を曲尽す。(注:天に形体無し、ゆえに干神の作用は専ら「五合化」に在り、甲己合化土・乙庚合化金の類のごとし。地に形象有り、万物を成就し吉凶を昭示すること能く、ゆえに支神の作用は、当令する者を「旺」と為し我が生ずる者を「相」と為し、四生四死の地有り、「進神」「退神」有り、升降消長有り、三刑六害の類有り。)

是以位之四方,納之八卦,立星煞之神,生生不已,新新不停,咸備五行之用,通書所謂三大三小,諺語所謂無水無金、上古天皇地皇人皇,皆資是始,萬化之用,豈能外此哉。(以干支列於四方,謂壬子癸、丑艮寅、甲卯乙、辰巽巳、丙午丁、未坤申、庚酉辛、戌乾亥是也;以干支納於八卦之下,義見後篇。立吉星凶煞之神,吉凶咸備。他如通書所謂六甲下納大金小金大火小火大水小水之法,諺語謂甲子甲午旬中全無水,甲申甲寅旬中不見金之說,即上古天王君起甲子,地王君起甲申,人王君起甲寅,莫不造端於此,故曰甲子不立,則五行不神,五行不神,則吉凶不著矣,是以著易,必首明甲子。)

此に因りて干支を四方に布き、八卦の下に納配し、拠りて種種の吉星凶煞を確立し、生生已まず日新停まらず、五行の功用は全て具備す。通書の説く所の「三大三小」・諺語の説く所の「无水無金」および上古天皇・地皇・人皇の紀年のごとき、皆此を以て発端と為す。天地万化の運用、どうして之を離れ得むや。(注:干支を四方に排列するは、即ち壬子癸・丑艮寅・甲卯乙・辰巽巳・丙午丁・未坤申・庚酉辛・戌乾亥のこの一圈の方位なり。干支を八卦の下に納配するは、その義は後の《納甲章》に見る。吉星と凶煞を確立すれば、吉凶は皆な備わる。其他通書の説く六甲の下に「大金・小金・大火・小火・大水・小水」を納する弁法、諺語の説く「甲子・甲午の両旬中全く水無く、甲申・甲寅の両旬中金を見ず」の説法、および上古天皇君は甲子に起こり地皇君は甲申に起こり人皇君は甲寅に起こる、発端せざるなし此に。ゆえに曰く、甲子立たざれば、五行は神ならず。五行神ならざれば、吉凶は明らかならず。此に因りて《易》を著す書は、必ず先ず甲子を講明す。)

成爻章第二

以錢代蓍,但求奇偶。(上古以蓍揲而成爻,後因揲蓍之煩,故以錢代蓍,不必分二掛一,揲四歸奇,但求奇偶,所謂舍四營而減為一擲者也。)奇者陽也,像天之覆,偶者陰也,像地之載,觀覆載而奇偶得矣。(錢分奇偶,以形測之,錢覆者如天之覆懸於上,故屬陽而為奇,錢仰者如地之仰載於下,故屬陰而為偶。)

銅銭を以て蓍草に代え、ただ奇と偶を分かつを求む。(注:上古は蓍草を用いて分揲して爻を成す。後に揲蓍の手続き繁瑣なるに因り、則ち銅銭を用いて代替し、再び「分二・掛一・揲四・帰奇」を必ずせず、ただ奇偶を得出すを求むるのみ。これ即ちいわゆる「四営」を舎去して一擲に簡化するなり。)奇は陽に属し、天の覆うに取象す。偶は陰に属し、地の載するに取象す。覆と載を観察すれば、奇偶は即ち定まる。(注:銅銭の奇偶を分かつは、形状に凭りて判断す。背面が上に向く(覆)者は、天が覆い上に懸かるに象る、ゆえに陽に属して奇と為す。字有る眉面が上に向く(仰)者は、地が下に載するに象る、ゆえに陰に属して偶と為す。)

得‥奇則曰單,謂之少陽,得-偶則曰拆,謂之少陰,三覆曰重,謂之老陽,三仰曰交,謂之老陰,重乃三奇,交乃三偶,陰陽老少既成,而八卦由此生也。(奇圓圖三,偶方圖四,三用其全,四用其半,故得一奇二偶是七,而為少陽,得一偶二奇是八,而為少陰,三覆是三奇而為九,乃老陽也,三仰是三偶而為六,乃老陰也,九名重,六名交,七為單,八為拆。)

一奇を得る(「‥」と記す)を「単」と曰い、即ち少陽なり。一偶を得る(「-」と記す)を「拆」と曰い、即ち少陰なり。三枚の銭全て覆なるを「重」と曰い、即ち老陽なり。三枚の銭全て仰なるを「交」と曰い、即ち老陰なり。「重」は三奇、「交」は三偶。陰陽老少既に定出すれば、八卦は此に由りて生ず。(注:奇は円に属し、円の図数は三なり。偶は方に属し、方の図数は四なり。三はその全数三を取り、四はその半数二を取る。ゆえに一奇二偶は三加二加二して七を得、少陽と為す。一偶二奇は二加三加三して八を得、少陰と為す。三枚全て覆は三奇、三つの三は九を得、老陽と為す。三枚全て仰は三偶、三つの二は六を得、老陰と為す。九は「重」と曰い、六は「交」と曰い、七は「単」と曰い、八は「拆」と曰う。)

法云:向上言眉,向下言背,亦謂如乾坤之形耳。(法曰:兩背由來拆,雙眉本是單,渾眉交定位,總背是重看,謂乾形覆背在上,坤形仰眉在上是也。近俗有以笤辯陰陽者則異是,以竹中剖,其心向上為陽,向下為陰,錢以體成,其形覆為陽,仰為陰,各有取義也。)

占法の上に曰く、「向上」を講ずるは眉面が上に向くを指し、「向下」を講ずるは背面が上に向くを指す。説く所は即ち乾・坤両卦の形象のみなり。(注:口訣に曰く「両背由来拆、双眉本是単、渾眉交定位、総背是重看」。意思是し、一眉二背を「拆」と為し、二眉一背を「単」と為し、三枚全て眉面を「交」と為し、三枚全て背面を「重」と為す。乾の形は背覆して上に在り、坤の形は眉仰して上に在り。近来民間にも竹箒を用いて陰陽を辨うる者有り、此と同じからず。竹片は中より剖開し、剖面が上に向くを陽と為し下に向くを陰と為す。銅銭は則ち整体に就きて形を成し、覆を陽と為し仰を陰と為す——両者各々その取義有り。)

成卦章第三

既成三象,始有二老。(一畫而分陰陽,二畫而分太少,三畫而備三才,三才備而二老交,二老交而六子立矣。)純陽曰乾,純陰曰坤,剛柔交而得一陽曰震,乾坤蕩而得一陰曰巽,再磨而成坎,復媾而為離,三索奇偶而生艮兌,六子備而八卦立矣。(八卦從二老而生六子,三單純陽為乾父,三拆純陰為坤母,二老始交,陰獲陽為震,陽得陰為巽,再索之坤中爻獲陽為坎,乾中爻得陰為離,三索之坤上爻獲陰為艮,乾上爻得陰為兌,於是乾兌離震之順,巽坎艮坤之逆,首尾交接而成圓圈,先天八卦備矣。)

三画の象既に成立して、始めて乾坤の「二老」有り。(注:一画を画きて即ち陰陽を分かち、両画を画きて即ち太陰太陽と少陰少陽を分かち、三画を画きて即ち天地人三才を具備す。三才具備すれば則ち二老相交わり、二老相交われば則ち震・巽・坎・離・艮・兌の「六子」確立す。)三画純陽なるを「乾」と曰い、純陰なるを「坤」と曰う。剛柔相交わりて一陽を得るを「震」と曰い、乾坤激盪して一陰を得るを「巽」と曰う。再び一番交感して「坎」を成し、再び一番交媾して「離」と為す。第三次に奇偶を求索して「艮」「兌」を生出す。六子斉備すれば、八卦は即ち確立す。(注:八卦は二老に由りて六子を生出す。三画皆単・純陽なるは乾父、三画皆拆・純陰なるは坤母。二老初めて交われば、坤は乾の陽を得て震を成し、乾は坤の陰を得て巽を成す。再び索むれば、坤の中爻は陽を得て坎を成し、乾の中爻は陰を得て離を成す。三たび索むれば、坤の上爻は陽を得て艮を成し(原文は「獲陰」と作る、「獲陽」の誤りに当たる)、乾の上爻は陰を得て兌を成す。ここに乾・兌・離・震は順行し、巽・坎・艮・坤は逆行し、首尾相接して一圈を囲み、先天八卦は即ち斉備す。)

因而重之,坤始震而至純乾,左旋之三十二象也,乾配巽而至純坤,右轉之三十二象也,是故聖人以象義而名卦,以變次而成章焉。(八卦之上,重加八卦,以坤獲一陽之初,而坤加於震,從此始左逆行,以坤艮坎巽震離兌乾配於震上,次而離,次而兌,次而乾,此左旋三十二卦也;以乾得一陰之初,而乾加於巽,從此始右順行,以乾兌離震巽坎艮坤配於巽上,次而坎,次而艮,次而坤,此右轉三十二卦也。)

八卦を両両相重ね、坤の中より初めて一陽を得る震より起こり、一路排して純陽の乾に至る。これ左旋の三十二卦象なり。乾の中より初めて一陰を得る巽より起こり、一路排して純陰の坤に至る。これ右転の三十二卦象なり。ゆえに聖人は卦象・卦義に依りて卦に命名し、変化の次第に依りて篇章を編成す。(注:八卦の上に八卦を重加す。坤が最初に一陽を得て震を成すに因り、則ち坤を震の上に加え、此より左に向かい逆行して、坤・艮・坎・巽・震・離・兌・乾を順次震の上に配す。震宮排し終わりて離宮を排し、再び兌宮を排し、再び乾宮を排す。これ即ち左旋の三十二卦なり。乾が最初に一陰を得て巽を成すに因り、則ち乾を巽の上に加え、此より右に向かい順行して、乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤を順次巽の上に配す。巽宮排し終わりて坎宮を排し、再び艮宮を排し、再び坤宮を排す。これ即ち右転の三十二卦なり。)

(易卦次由十六變而成,謂乾一變姤,二變遁,三變否,四變觀,五變剝,上爻天也,故不變,而復下變四爻為晉,易章成有七焉,三變旅,遊入離宮,故聖人以火地晉為游魂,二變鼎,一變大有,不序他卦,還入本宮,易章始成八卦,故聖人以大有為歸魂也。蓋凡九變,萬物歸還,理數以極,自然之象,復二變為離,三變噬嗑,四變頤,五變益,復四變無妄,三變同人,二變仍乾,乃十六變也。後天八宮易章之成如此,此卦變非動爻變也。)

(注:八宮卦の次序は「十六変」に由りて排出す。乾宮を以て例と為す。乾の初爻が一変して《姤》を成し、二変して《遯》を成し、三変して《否》を成し、四変して《観》を成し、五変して《剥》を成す。上爻は天に属し変わらず、ここに回頭して再び第四爻を変じて《晋》を成し、一宮は已に七卦を成す。もし再び第三爻を変じて《旅》を成さば、則ち游びて離宮に入り去る。ゆえに聖人は火地《晋》を「游魂」卦と定めたり。此の後二変して《鼎》を成し、一変して《大有》を成し、再び他宮に排入せずして本宮に帰り、一宮八卦は此に至りて排し全うす。ゆえに聖人は《大有》を「帰魂」卦と定めたり。合計九変にして万物は本位に復帰し、理数は此に至りて窮極す。これ自然の象なり。再び下れば、二変して《離》を成し、三変して《噬嗑》を成し、四変して《頤》を成し、五変して《益》を成す。また第四爻を変じて《无妄》と為し、第三爻を変じて《同人》と為し、第二爻を変じて旧に依り《乾》に帰る——合わせて正に十六変なり。後天八宮の篇次はこのように排せられて成れり。注意すべし、ここに言う所の「卦変」は宮を排する次序の変にして、占卦の時動爻の変ずる所にあらず。)

夫大衍之數,成一為奇,成二為偶,周奇而後周偶,四營為一,三扐為爻,老少乃得,然則經文卦序,不由象而由義也。(此言爻與卦殊也,如大衍之數,單奇雙偶,先有奇而後有偶,四營為一變,一變為一扐,三扐為一爻,始見老少皆從奇偶而成,若經之名卦序卦,皆以義起也。)

再び大衍揲蓍の数を見るに、「一」を成すを奇と為し「二」を成すを偶と為し、先ず奇数を周遍して而る後偶数を周遍す。「四営」は一変と算し、三たびの「扐」にして乃ち一爻を成し、老陽老陰・少陽少陰は此に由りて得出す。このように観れば、《易経》経文の卦名と卦序は、卦象に依りて排するにあらず、卦義に依りて排するなり。(注:これは「爻」と「卦」の成立の方式の同じからざるを説くなり。大衍の数のごとき、単を奇と為し双を偶と為し、先ず奇有りて而る後偶有り。「四営」は即ち分二・掛一・揲四・帰奇にして、一変と算し、一変して一扐を得、三扐して一爻を成す。老少四象の皆奇偶より推出せらるるを見るべし。経文の卦を命名し卦を排序するに至りては、皆な義理に依りて起こるなり。)

若一生二,二生四,四生八,八生十六,十六生易,此易之窮於象也。(象與義雖異而不相離,故一畫陰陽為二儀,則生二畫之四象,二畫老少為四象,則生三畫之八卦,八卦再重而十六,十六四重而成天地雷風水火山澤之易,則易之道,從象而終也。)

一生二・二生四・四生八・八生十六・十六にして全部の易卦を生出するに至りては、これ《易》の「象」上の窮尽なり。(注:象と義は同じからざれども、相分離せず。ゆえに一画の陰陽を「両儀」と為し、両儀は二画の「四象」を生出す。二画の老少は四象にして、四象は三画の「八卦」を生出す。八卦は再び重叠して十六を成し、十六は再び四重して天・地・雷・風・水・火・山・沢の交錯する全部の卦象を成す。《易》の道は「象」上に収結するを見るべし。)

一與九,二與八,三與七,四與六,五與十,此圖之終於數也。(此言單拆交重之數,盡於河圖中也。)蓋以數以象以義而成易,則數象義相乘,而吉凶出矣。(此言象不離數,義不離象,以成卦斷吉凶也。)

一と九・二と八・三と七・四と六・五と十の両両相配するは、これ《河図》の「数」上の収結なり。(注:これは「単・拆・交・重」の四象の数が皆な《河図》の中に尽くるを説くなり。)総じて言えば、「数」に凭り「象」に凭り「義」に凭りて《易》を成就し、数・象・義の三者は相乗じ互いに発して、吉凶は即ち顕現す。(注:これは象は数を離るべからず、義は象を離るべからず、此に拠りて卦を成して吉凶を断ずを説くなり。)

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