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乾卦・文言

清 · 尚秉和 · 第3巻 / 19

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

此卦爻辭全為文王作之證也。彖傳申彖意,故曰彖曰;大象申卦義,小象申爻義,故曰象曰;此則合卦爻辭總述之,而制此乾坤之卦爻辭者,文王也,故曰文言,繹文王所言耳,仍彖曰象曰之例,並無其它深奧。乃劉獻曰:依文而言其理,故曰文言。姚信曰:乾坤為門戶,文說乾坤,六十二卦皆放焉。訖不得解。揆其因皆由王充馬融等,謂文王制卦辭,周公制爻辭,後儒惑其說,疑但言文王,或遺周公故也。

これはまさに卦辞・爻辞が全て文王の手に出た証である。『彖伝』は彖辞(卦辞)の意を申するから「彖曰」と称し、『大象』は一卦の義を申し『小象』は一爻の義を申するから「象曰」と称する。この一篇は卦辞・爻辞を合わせて総述するもので、乾坤両卦の卦爻辞を制した者がまさに文王だから「文言」と称する――ただ文王の言ったことを推繹するにすぎず、「彖曰」「象曰」と同じ体例で、別の深奥な意味はない。ところが劉献は「文に依って其の理を言う。故に文言と曰う」と言い、姚信は「乾・坤は『易』の門戸であり、この文は専ら乾坤を説き、残りの六十二卦は皆これに倣う」と言う――ついに解を得られない。その因を揆するに、皆王充・馬融らが卦辞は文王の作・爻辞は周公の作と言ったためで、後儒がその説に惑わされ、文王だけを言えば周公を遺すかと疑って、別の解を求めたのである。

曰:元者善之長也,亨者嘉之會也,利者義之和也,貞者事之乾也。君子體仁足以長人,嘉會足以合禮,利物足以和義,貞固足以乾事。君子行此四德者,故曰乾元亨利貞。李鼎祚云:元為善長,故能體仁,仁主春生,東方木也;亨為嘉會,足以合禮,禮主夏養,南方火也;利為物宜,足以和義,義主秋成,西方金也;貞為事乾,以配於智,智主冬藏,北方水也。李氏此詁,最為透徹,與《太玄》罔直蒙酋冥理合,識周易真諦。

『文言』は言う。「元は善の長なり、亨は嘉の会なり、利は義の和なり、貞は事の幹なり。君子は仁を体すれば以て人を長するに足り、嘉会すれば以て礼に合するに足り、物を利すれば以て義を和するに足り、貞固なれば以て事を幹するに足る。君子は此の四徳を行う。故に曰く、乾・元亨利貞。」李鼎祚は釈して言う。「元は善の長だから、能く仁を体す。仁は春の生発を主り、方位は東方木である。亨は嘉美の会だから、以て礼に合するに足る。礼は夏の長養を主り、方位は南方火である。利は物をして其の宜を得しめることだから、以て義を和するに足る。義は秋の成熟を主り、方位は西方金である。貞は事の幹で、智に配する。智は冬の蔵納を主り、方位は北方水である。」李氏のこの詁はもっとも透徹しており、『太玄』の「罔・直・蒙・酋・冥」の義理に合し、『周易』の真諦を識ったと言える。

蓋此八句,為最古之易說。梁武帝、任釣臺謂為文王所言,固無根據,然穆姜即述之,可見其為舊說,故孔氏複述之。而歐陽公謂左氏著書,亦欲信今傳後,若本孔子之言,而以為穆姜,其誰傳信之,謂文言非孔子作。按左氏所紀古人言行,皆古人實有是言,有是行,而後紀之,非並無是事是言,盡左氏所造作也。觀穆姜述是語已曰:然,因不可誣也。即謂古易說之可信,而不我欺也。且周易之興,至春秋已數百年,所傳古訓,必已多矣。然則穆姜述之,孔氏複述之,事之常耳,必謂甲述之為真,乙再述之即偽,似不然也。左氏非傳易者,其是否見十翼,未可知也。蓋文言皆雜採古易說,薈萃而成之,故此處以四德釋元亨利貞,下又曰元亨者,始而亨者也,利貞者性情也,又為二德,與前不同,顯為採集古說之證。不過古人質,不似後人之必曰某某云耳。

この八句はもっとも古い易説である。梁武帝と任釣台は文王の言としたが、根拠はない。しかし『左伝』で穆姜がすでに引述していたから、伝来久しい旧説であることが見え、だから孔子もまたこれを繰り返し述べたのである。欧陽修は、左丘明が書を著して当时の信を取り後世に伝えようとしたのに、もしこれが本来孔子の言なのに穆姜の身上に置けば、誰がこれを信じようか、と考えて『文言』を孔子の作ではないとした。按するに左丘明の記した古人の言行は、皆古人が確かにその言・その行を有した後で記したもので、こうした事・言がもともとなかったのを悉く左氏が虚構したのではない。穆姜がこの語を述べ終えて続けて言う。「然り。因に誣う可からざるなり」と――これは古易説が確かに信じるべく我を欺かないという意味である。しかも『周易』の興りから春秋までにはすでに数百年あり、伝わった古訓は必ず多かった。然らば穆姜が引述し、孔子が再び引述するのは、ことの常である。必ずや甲が引述すれば真で乙が再び引述すれば偽とするのは、通らないようだ。左丘明は『易』を伝える者ではなく、彼が十翼を見たか否かは知る由もない。『文言』はもともと古代の易説を雑採して荟萃して成ったものだから、ここでは四徳をもって元亨利貞を釈し、下文にはまた「元亨とは始めて亨るなり。利貞とは性情なり」と言って、四徳を二徳に併せて前と異なる。これは明らかに古説を採集した証である。ただ古人は質朴で、後人のように必ず「某某云」と注記するようなことはないだけである。

初九曰:潛龍勿用,何謂也。子曰:龍德而隱者也,不易乎世,不成乎名,遁世無悶,不見是而無悶,樂則行之,憂則違之,確乎其不可拔,潛龍也。吳先生曰:易,當讀如論語丘不與易之易。按孟子易其田疇,趙歧云:易,治也。初潛在下,與世無涉,故曰不易世、不成名。遁世無悶者,言甘於隱遁;不見是而無悶者,言人不知亦不慍也。樂則行,憂則否,緊決自守,利祿不能移,威武不能屈,故曰確乎其不可拔。莊子應帝王確乎能其事,注確堅也。

初九爻辞に「潜龍勿用」とあるが、何を謂うか。子曰く。龍の徳にして隠れる者なり。世に易えられず、名を成さず、世を遯れて悶えず、是と見られざるも悶えず、楽しければ則ち之を行い、憂うれば則ち之に違い、確乎として其れ拔く可からざるは、潜龍なり。呉先生(呉汝綸)は言う。「世に易えられず」の「易」は、『論語』の「丘与に易わらざるなり」の「易」と読むべし。按するに『孟子』の「其の田疇を易す」は趙岐の注に「易は治なり」。初九は下に潜伏して世の事に渉らないから、世を治めず・名を成さずと言う。「世を遯れて悶えず」は隠遁に甘んずるを言い、「是と見られざるも悶えず」は人に知られなくても慍らぬを言う。楽しければ道を行い、憂うれば行わず、堅く決して自ら守り、利禄も彼を移すことができず、威武も彼を屈することができない。だから「確乎として其れ拔く可からず」と言う。『荘子・応帝王』に「確乎として其の事を能くす」とあり、注は「確は堅なり」と言う。

九二曰:見龍在田,利見大人,何謂也。子曰:龍德而正中者也。庸言之信,庸行之謹,閒邪存其誠,善世而不伐,德博而化。易曰:見龍在田,利見大人,君德也。二居下卦之中,故曰正中。庸言庸行中也,中則言必信,行必謹矣。閒邪使不入,則中不亂;存誠使不出,則中可守。善世中也,善世而伐,則偏而不中;不伐若己無所與者,則時中矣。人能如是,其德必博,而化必廣。二雖未升五為君乎,然君德已具,必升五也。

九二爻辞に「龍を田に見る、大人を見るに利あり」とあるが、何を謂うか。子曰く。龍の徳にして正中なる者なり。庸言は之を信し、庸行は之を謹み、邪を閑して其の誠を存し、世を善くして伐らず、徳博くして化す。『易』に曰く「龍を田に見る、大人を見るに利あり」は、君徳なり。九二は下卦の中に居るから「正中」と言う。庸言・庸行は中である。中ならば言は必ず信で、行は必ず謹である。邪を閑して入らしめなければ中は乱れず、誠を存して出さしめなければ中は守る可し。世を善くするも中である。世を善くして伐れば偏にして中ならず、伐らずして己れ与る所なきがごとくなれば、時中である。人がかくのごとく能けば、其の徳は必ず博く、其の化は必ず広い。九二は未だ五位に升って君とならないけれど、君の徳はすでに具わり、終に五位に升るのである。

九三曰:君子終日乾乾,夕惕若厲無咎,何謂也。子曰:君子進德修業,忠信所以進德也,修辭立其誠,所以居業也。知至至之,可與言幾也;知終終之,可與存義也。是故居上位而不驕,在下位而不憂,故乾乾因其時而惕,雖危無咎矣。修辭者立言也,誠者法則也,居者蓄也、積也,業以積而高大也。爻至三而極,其境至高,識其高而必達其境,故曰可與言幾。《說文》幾微也。繫云:幾者動之微,吉之先見者也。爻至三而終,其道已窮,識其窮而必赴之,故曰可與存義。義者宜也。

九三爻辞に「君子は終日乾乾として、夕に惕れし若く厲しけれども咎なし」とあるが、何を謂うか。子曰く。君子は徳を進め業を修む。忠信は以て徳を進める所以なり。辞を修め其の誠を立つるは、以て業を居る所以なり。至るを知りて之に至るは、与に几を言う可し。終るを知りて之に終るは、与に義を存する可し。是の故に上位に居りて驕らず、下位に在りて憂えず。故に乾乾として其の時に因りて惕れ、危うけれども咎なし。「修词」とは立言であり、「誠」とは法則であり、「居」とは蓄・積で、業は積によって高大となる。爻が三に至れば下卦の極に達し、その境は最も高い。その高を識って必ずその境に達するから、「与に几を言う可し」と言う。『説文』は「几は微なり」と言い、『繋辞』は「几とは動の微、吉の先見なり」と言う。爻が三に至ればまた下卦の終わりで、その道はすでに窮まる。その窮を識ってなお赴かんとするから「与に義を存する可し」と言う。「義」とは合宜である。

九四曰:或躍在淵,無咎,何謂也。子曰:上下無常,非為邪也;進退無恆,非離群也。君子進德修業,欲及時也,故無咎。欲及時用其學,以濟天下,故不避其嫌。四與初相上下,初潛四躍,初退四進。

九四爻辞に「或いは淵に躍る、咎なし」とあるが、何を謂うか。子曰く。上下常なく、邪を為すに非ざるなり。進退恒なく、群を離るるに非ざるなり。君子は徳を進め業を修め、時に及ばんと欲するなり。故に咎なし。時に及んで其の学を用い、以て天下を済わんと欲するから、「上下无常・進退无恒」の嫌疑を避けない。四と初はもともと相い上下を為す一対の爻で、初九は潜み九四は躍り、初九は退き九四は進む。

九五日:飛龍在天,利見大人,何謂也。子曰:同聲相應,同氣相求。水流溼,火就燥。雲從龍,風從虎。聖人作而萬物睹。本乎天者親上,本乎地者親下,則各從其類也。此與象辭之大人聚義同也。乾坤初爻交震巽,故曰同聲相應;上爻交艮兌,故曰同氣相求;中爻交坎離,故曰水流溼、火就燥。溼燥以方位言,荀爽謂坤溼乾燥者是也。坤原居北方,北方涸陰冱寒,故曰溼;乃乾自南往交坤成坎,故曰流溼。乾原居南方,南方炎熇焦灼,故曰燥;乃坤自北往交乾成離,故曰就燥。此於先天南北之乾坤,變為後天之離坎,至明白矣。乾若不在南,如何流北;坤若不在北,如何就南。故夫方位不明,易本立失,所關至巨。

九五爻辞に「飛龍天に在り、大人を見るに利あり」とあるが、何を謂うか。子曰く。同き声は相い応じ、同き気は相い求む。水は湿に流れ、火は燥に就く。雲は龍に従い、風は虎に従う。聖人作りて万物睹る。天に本づく者は上に親しみ、地に本づく者は下に親しむ。則ち各々其の類に従うなり。この節は『小象』の「飛龍天に在り、大人聚まるなり」の意と同じである。先天卦位で言えば、乾坤両卦の初爻が相い交じて震・巽を成し、震・巽はみな声を主るから「同き声は相い応ず」と言う。上爻が相い交じて艮・兌を成し、艮・兌は一気相通ずるから「同き気は相い求む」と言う。中爻が相い交じて坎・離を成すから「水は湿に流れ、火は燥に就く」と言う。「湿」「燥」は方位に就いて言うので、荀爽が坤は湿・乾は燥と言うのが正しい。坤はもともと北方に居り、北方は陰気が凝結して寒冷凍涸するから「湿」と言う。乾が南より往って坤に交じて坎を成すから「湿に流る」と言う。乾はもともと南方に居り、南方は炎熇焦灼するから「燥」と言う。坤が北より往って乾に交じて離を成すから「燥に就く」と言う。これによって先天に南北に居る乾坤が、後天の離坎に変ずることが至って明白である。乾が南に在らざれば、どうして北に「流るる」と言えよう。坤が北に在らざれば、どうして南に「就く」と言えよう。ゆえに方位が明らかでなければ、『易』の本は立たず、関係するところは至って大きい。

坤為雲,《易林》困之泰云:陰雲四方。又未濟之升云:雲興蔽日。皆以泰升上坤為雲。乾為龍,故曰云從龍。坤為風,《易林》訟之剝云:烈風雨雪。大壯之剝云:乘風駕雨。皆以剝下坤為風。陸績云:風土氣也,巽坤之所生,故為風。按陸說是坤本為風也。乾為虎,故曰風從虎。風雲者陰,龍虎者陽,言陰必從陽也。乾虎之象,《易林》師之乾云:三奸成虎。小畜之乾云:東遇虎蛇。皆以乾為虎。此象昔儒無知者,後會稽茹敦和始發之,近師俞樾襲其說,謂虎陽物,君象。京虞以坤為虎,馬以兌為虎,皆不如九家以艮為虎之義長。艮何以為虎,以得乾之上爻,猶震得乾初亦為龍也。是乾本為虎也,故履革皆以乾為虎,說與《易林》闇合。

坤に「雲」という逸象がある。『焦氏易林』の困之泰は「陰雲四方」と言い、未済之升は「雲興りて日を蔽う」と言う。いずれも泰卦・升卦の上体を坤として坤を雲としたのである。乾に「龍」の象あり、だから「雲は龍に従う」と言う――雲は坤に属し龍は乾に属し、まさに陰が陽に従うことである。坤にまた「風」の象がある。『易林』の訟之剥は「烈風雨雪」と言い、大壮之剥は「風に乗り雨を駕す」と言う。いずれも剥卦の下体を坤として坤を風としたのである。陸績は「風は土気なり、巽と坤と生ずる所、故に風と為る」と言う。按するに陸績のこの説によれば、坤はもともと風の象を有することになる。乾に「虎」の象あり、だから「風は虎に従う」と言う。雲と風は陰に属し、龍と虎は陽に属し、これは陰が必ず陽に従うことを言う。乾が虎の象であることは、『易林』の師之乾に「三奸虎を成す」、小畜之乾に「東に虎蛇に遇う」とあるのに見える。いずれも乾を虎とする。この象は従前の学者には知る者がなく、後に会稽の茹敦和が初めて発明し、近代の師・兪樾はその説を襲って、虎は陽物で人君の象とした。京房・虞翻は坤を虎とし、馬融は兌を虎としたが、いずれも九家易が艮を虎とするほどに講じ通らない。艮はなぜ虎たり得るか。艮は乾の上爻を得たからであり、ちょうど震が乾の初爻を得てまた龍たり得るのと同じである。これで乾がもともと虎の象を有することが分かる。だから履卦・革卦はともに乾を虎とするのであり、この説は『焦氏易林』と暗合する。

聖人作者,乾為聖人,坤為萬物,聖人作而萬物睹,即比象也,仍陰從陽也。天地者陰陽,本乎天者親上,謂陽性上升順行,故乾二必上升坤五,以與陰類;本乎地者親下,謂陰性下降逆行,故坤五必下降乾二,以與陽類,故曰各從其類。陰陽相遇方為類,與朋友同。若陰遇陰陽通陽,則為敵矣,不朋不類也。頤六二曰:行失類也。以所遇皆陰,至明白也。乃由漢迄今,無有察覺者。

「聖人作」の句。乾に「聖人」の象、坤に「万物」の象あり、「聖人作りて万物睹る」はまさに比卦の取る象で、言う所はやはり陰が陽に従うことである。「天地」とはすなわち陰陽。「天に本づく者は上に親しむ」とは、陽性が上昇して順行するを言い、だから乾の九二は必ず坤の五位に上昇して、陰と配して類を成す。「地に本づく者は下に親しむ」とは、陰性が下降して逆行するを言い、だから坤の六五は必ず乾の二位に下降して、陽と配して類を成す。だから「各々其の類に従う」と言う。必ず陰と陽が相い遇って初めて「類」となり、これは「朋」と称すのと同じ理である。もし陰が陰に遇い陽が陽に遇えば、それは敵対となり、朋でも類でもない。頤卦六二の『小象』は「行きて類を失うなり」と言う。まさにその遇う所が皆陰爻だからで、これは明白の至りである。ところが漢代から今日まで、この点に察する者はいなかった。

按此節舊解所以不明徹者:一由於類字義失,二由於乾虎、坤雲、坤風象失,三由於不知此說陰陽相感之理,以著大人聚及利見之義,四由於不知此言先天象,故兩兩對舉。震巽對故相應,陰陽相應也;艮兌對故相求,陰陽相求也;水流溼,陽求陰,火就燥,陰求陽也,水火對也;雲從龍,風從虎,言陰陽不相離,乾坤對也。皆所以著陰陽類之理也。二千年以來,惟一茹敦和識虎為陰象之非,其功過荀虞遠矣。又親上親下二語,使人識陰陽交之所以然也。親上者居上,親下者居下,則陰陽氣不交而為否矣;親上者居下,親下者居上,則陰陽氣接而為泰矣。各從其類,統相應相求各語而言之也。

按するにこの一節の旧注が明徹を欠いた原因は四つある。一は「類」の字の訓義が失伝したこと、二は乾が虎・坤が雲・坤が風の逸象が失伝したこと、三はここが陰陽相感の理を講じて『小象』の「大人聚」と爻辞の「利見」の意を明らかにするのを知らなかったこと、四はここが先天卦象を言うのを知らなかったこと。ゆえに両両対を挙げたのである。震と巽が対を成すから「相い応ず」と言う。それは陰陽の相応である。艮と兌が対を成すから「相い求む」と言う。それは陰陽の相求である。「水は湿に流る」は陽が陰を求めること、「火は燥に就く」は陰が陽を求めること、水火の対である。「雲は龍に従い、風は虎に従う」は陰陽が相い離れぬを言う、乾坤の対である。皆陰陽同類相従の理を明らかにする所以である。二千年以来、ただ茹敦和一人が虎を陰象とするの誤りを見抜いた。その功は荀爽・虞翻を遥かに超える。また「天に本づく者は上に親しみ、地に本づく者は下に親しむ」の二句は、人に陰陽がいかにして交わるかを識らせるものである。上に親しむ者が果たして上に居り、下に親しむ者が果たして下に居れば、陰陽二気は交わらず否卦となる。反対に、上に親しむ者が下に居り、下に親しむ者が上に居れば、陰陽二気は接合して泰卦となる。末句の「各々其の類に従う」は、上の「相応」「相求」の諸語を統括して言うのである。

上九曰:亢龍有悔,何謂也。子曰:貴而無位,高而無民,賢人在下位而無輔,是以動而有悔也。在上故貴,失正故無位,失位故無民。乾為賢人,既非九五之位則臣下也。三無應,故曰無輔。有此三因,故動而有侮。

上九爻辞に「亢龍悔あり」とあるが、何を謂うか。子曰く。貴くして位なし、高くして民なし、賢人は下位に在りて輔くことなし。是を以て動けば悔あるなり。上にあるから「貴」と言い、陽で陰に居りて其の正を失うから「位なし」と言い、すでに位を失えば臣民もない。乾に「賢人」の象あり、上九は九五の君位に在らざれば臣下に属する。九三と上九は同じ陽爻で相応せず、だから「輔なし」と言う。この三重の因があって、動けば悔が生ずるのである。

潛龍勿用,下也。見龍在田,時舍也。終日乾乾,行事也。或躍在淵,自試也。飛龍在天,上治也。亢龍有悔,窮之災也。乾元用九,天下治也。舍發也,詩舍失如破,《易林》家人之大有云:仲春孟夏,和氣所含。皆以舍為發。作舍棄者固非,以舍舒之葭(無草)字者亦非也。自試者試其可否,上治者居上治民,天下治申用九之故也。用九者剛變柔,言天下未治,治之以剛;若天下已治,則當濟以柔。明用九之故,因天下已治也。此治字與上治治字相呼應。後人因不識用九真諦,故籠統解說,多誤者。○王弼曰:此一章全以人事明之。

『小象』は言う。「潜龍勿用」は下位に在るからであり、「龍を田に見る」は時機がすでに発動したことを言い、「終日乾乾」は事に勤しむを言い、「或いは淵に躍る」は自ら試すを言い、「飛龍天に在り」は上に居りて民を治めるを言い、「亢龍悔あり」は窮極して招来した災いであり、「乾元用九」は天下が治められるを言う。ここの「舎」は「発」の意である。『詩経』の「舎矢ことごとく破る」(源文は「舎失如破」と作る)の「舎」はすなわち発射であり、『焦氏易林』の家人之大有に「仲春孟夏、和気の舎する所」と言うのも、いずれも「舎」を発とする。「舎」を捨棄に釈するのはもとより誤りで、それを「舒」の假借字(「葭」の草冠を去った「叚」)とするのも誤りである。「自試」は自分で可なりや否かを試すこと、「上治」は上位に居りて百姓を治めること、「天下治」は用九の所以を申すことである。用九は剛が柔に変ずること。天下が未だ治まらぬ時は剛をもって治め、天下がすでに治まれば柔をもって調済すべきである。ここに用九の由を点明するのは、まさに天下がすでに治まったからである。この「治」の字は上文「上治」の「治」の字と前後に呼応する。後人は用九の真義を知らないから、籠統に解説するほかなく、誤ることが多い。王弼は言う。この一章は全て人事をもって明らかにする。

潛龍勿用,陽氣潛藏。見龍在田,天下文明。終日乾乾,與時偕行。或躍在淵,乾道乃革。飛龍在天,乃位乎天德。亢龍有悔,與時偕極。乾元用九,乃見天則。王弼云:此一章全以天氣明之。彖傳曰:時乘六龍以御天。即乾乘六陽時也。初乘子,陽氣雖生而未出,故曰潛藏。二乘寅,陽出地上,百物思奮,故曰文明。三乘辰,百果草木,長養興起,故曰與時偕行。四乘午,陽盈於巳,消於午,陰起用事,代有終,故曰乾道乃革。其以二上變成革為說者,非也。五乘申,百果草木,至秋成熟,乾德乃見,故曰位乎天德。《廣雅》位正也,言正當天德之時也。上乘戌,陽氣將盡矣,故曰與時偕極。陽極反陰,陰極反陽,乃天道之自然,故曰乾元用九,乃見天則。則者法也,一定之理也。

「潜龍勿用」は陽気が潜伏蔵匿である。「龍を田に見る」は天下に文采光明が煥然とすること。「終日乾乾」は時序に倣って運行すること。「或いは淵に躍る」は乾道がここに変革を生ずること。「飛龍天に在り」はまさに天徳の位に当たること。「亢龍悔あり」は時序に倣って極点に至ること。「乾元用九」はこれによって天道の法則が見えること。王弼は言う。この一章は全て天時の気をもって明らかにする。『彖伝』は「時に乗じて六龍に乗りて以て天を御す」と言う。すなわち乾が六つの陽時に乗ることである。初爻は子時に乗り、陽気はすでに萌したがまだ地面に出ないから「潜蔵」と言う。二爻は寅時に乗り、陽気が地上に升出して万物が奮発するから「文明」と言う。三爻は辰時に乗り、百果草木が長養興起するから「時と偕に行く」と言う。四爻は午時に乗り、陽気が巳に盈満して午に消退し始め、陰気が起こって事を用いて、陽に代わって終わらせるから「乾道乃ち革す」と言う――九二と上九が変じて革卦を成すと説く者は誤りである。五爻は申時に乗り、百果草木が秋に成熟して乾徳が顕現するから「天徳に位す」と言う。『広雅』は「位」を「正」と訓じ、まさに天徳の時に当たるを言う。上爻は戌時に乗り、陽気が尽きんとするから「時と偕に極まる」と言う。陽は極まれば陰に反し、陰は極まれば陽に反する。これは天道の自然で、だから「乾元用九、乃ち天則を見る」と言う。「則」とは法であり、一定不易の理である。

乾元者始而亨者也,利貞者性情也。乾始能以美利利天下,不言所利,大矣哉。大哉乾乎,剛健中正,純粹精也。六爻發揮,旁通情也。時乘六龍,以御天也。雲行雨施,天下平也。性之與情,清惠棟阮元姚配中洪震烜胡縉諸儒說之,可謂詳盡矣,而利貞何以謂之性情,只以六爻正成既濟為說,無能瞭解者,則以自東漢以來,於利貞之真諦不明也。《易林》中孚之坤云:符左契右,相與合齒,乾坤利貞,乳生六子。合齒者交也,即乾坤利貞也。蓋貞之為義屬冬,消息卦坤起午,至亥而為純坤,與原居亥之純乾相遇,陰牝陽,天地合德,陰陽和姤,萬物本以出生,故曰乾坤利貞,乳生六子。然則利貞之為和合明矣。故六十四卦言利貞者,二五無不交,否則卦體自相交,如中孚小過者也。彖傳曰:各正性命,保合太和。正《易林》所本也。

「乾元」とは万物が始めて亨ることであり、「利貞」は性と情を言う。乾道は始めるに能く美利をもって天下を利すれども、其の利する所を言わず。大きなりや乾。剛健中正、純粋精なり。六爻の発揮変動は、万物の情に旁通するなり。時に乗じて六龍に乗りて、以て天を御するなり。雲行き雨施りて、天下平なり。「性」と「情」については、清代の恵棟・阮元・姚配中・洪震烜・胡縉の諸儒が詳尽に論じたと言うべきだが、「利貞」がなぜ「性情」と謂われるかについては、彼らはただ六爻が各々其の正を得て既済を成すと説くだけで、真に解せた者はいない――その因は、東漢以来「利貞」の真義が明らかでないことにある。『焦氏易林』の中孚之坤は「符左契右、相い与に合歯す。乾坤利貞、乳して六子を生ず」と言う。「合歯」とは交合であり、すなわち「乾坤利貞」である。もともと「貞」は義理上冬に属する。十二消息卦で坤は午月に起こり(垢)、亥月に至って純坤となり、もともと亥位に居る純乾と相い遇う。陰は牝として陽を承け、天地が徳を合わせ、陰陽が交和相遇して、万物はこれによって出生する。だから「乾坤利貞、乳して六子を生ず」と言う。然らば「利貞」とは和合であることが明白である。ゆえに六十四卦で「利貞」と言う者は、二五両爻で交じらぬものはなく、さもなければ卦体自身が交じる、中孚・小過のごときである。『彖伝』は「各々其の性命を正し、太和を保合す」と言う。まさに『易林』のこの説の本拠である。

且夫陽之喜陰,陰之喜陽,乃天地自然之性。本其性之所喜,以陽求陰,以陰承陽而和合焉,則由性而入於情矣。情者欲也,感也。利貞者性情,即謂陰之凝陽,變化和合,乃天地固有之性情,感之極正者也。崔覲云:不雜曰純,不變曰粹。精者專一,極形容乾德之大。

さて、陽が陰を喜び、陰が陽を喜ぶのは、天地自然の「性」である。その性の喜ぶ所に本づいて、陽をもって陰を求め、陰をもって陽を承けて交和すれば、「性」から「情」に入る。「情」とは欲であり、感である。「利貞とは性情なり」とは、すなわち陰が陽に凝り、変化して和合することで、天地固有の性情であり、感通のうち最も正なるものである。崔覲は言う。雑らざるを「純」と曰い、変らざるを「粋」と曰う。「精」とは専一である――この数字は皆乾徳の大を形容し尽くしたものである。

發揮者變動也,言六爻遇九六即變動也。旁,《玉篇》云:非一方也。通者感也,應也,陰陽相感故相通。《繫辭》云:探賾索隱,鉤深致遠。又曰:旁行而不流。皆謂正象之旁,尚有伏象,故曰索隱,曰鉤深,曰旁行。而震與巽相對,艮與兌相對,陰與陽絕異也,而文言曰同聲相應,同氣相求。蓋陰陽未合,有陰陽之分;陰陽既合,則和同混一而不分矣,故曰同。同則通。故易辭與易林用象,正伏常不分,而其所以能旁通之故,則仍陰陽相求相感固有之理,故曰旁通情也。時乘六龍義見前。雲行雨施,萬物亨通,故曰天下平。

「発揮」とは変動であり、六爻が九・六の数に遇えば変動することを言う。「旁」の字は『玉篇』に「一方に非ず」とあり、「通」とは感であり応であり、陰陽が互いに感召するから相通じる。『繋辞』は「賾を探り隠を索め、深を鉤き遠を致す」と言い、また「旁行して流れず」と言う。いずれも正象の旁にさらに別の一重の象(伏象)が伏することを言い、だから「索隠」・「鉤深」・「旁行」と称す。震と巽は相対し、艮と兌は相対し、陰と陽はもともと截然と異なるのに、『文言』は「同き声は相い応じ、同き気は相い求む」と言う。これは陰陽が未だ合せぬ時は陰陽の分かれがあるが、陰陽がすでに合せば渾然和同して再び分かれぬから「同」と称し、同なれば通じる。ゆえに『易』辞と『焦氏易林』の用象は、正象と伏象を常に分かたない。そしてそれらが旁通し得る所以は、やはり陰陽が相い求め相い感ずる固有の理によるから、「情を旁通するなり」と言う。「時に乗じて六龍に乗る」の義は前文を見よ。雲気が流行し雨沢が施降して、万物はこれによって亨通するから「天下平」と言う。

侯果日:下繫雲兼三才而兩之,謂兩爻為一才也。初兼二地也,三兼四人也,五兼六天也。四是兼才,非正,故言不在人。朱子疑四非重剛,豈知重剛與卦位無涉,乃謂上下爻也。疑則慎,慎故無咎。

侯果は言う。『繋辞下』に「三才を兼ねて之を両にす」と講ずるのは、二爻ずつを一才とすることである。初爻は二爻を兼ねて地、三爻は四爻を兼ねて人、五爻は六爻を兼ねて天。九四はちょうど両才の交わって兼ねる位にあり、正位ではないから、『文言』はそれを「中にして人に在らず」と言う。朱熹は九四が「重剛」ではないと疑うが、思うに「重剛」は卦位と関わりなく、上下二爻がともに剛爻であることを言う。疑いがあれば慎み、慎むから咎なしである。

夫大人者,與天地合其德,與日月合其明,與四時合其序,與鬼神合其吉凶。先天而天弗違,後天而奉天時。天且弗違,而況於人乎,況於鬼神乎。大人者五,五天位,二地位,上下昭列,尊卑判分,而五與二相往來,故與天地合其德。五坎位,坎月;二離位,離日;火為水妃,東西終始,故與日月合其明。夫天地日月,先天四中象也,惟大人能則之。元亨利貞,即春夏秋冬,四時之序,將來者進,成功者退,已用則賤,當時則貴,循環往來,不差不忒,故曰與四時合其序。夫震春離夏兌秋坎冬,即後天之四中象也,惟大人能兼之。

いわゆる大人とは、天地と其の徳を合わせ、日月と其の明を合わせ、四時と其の序を合わせ、鬼神と其の吉凶を合わせる者である。天に先んじても天は彼に違わず、天に後れても天の時を奉る。天ですら違わないのに、まして人においてをや、鬼神においてをや、である。ここの「大人」は九五を指す。五は天位、二は地位で、上下が昭然と列立し、尊卑が判然と分かれ、しかも五と二が互いに往来交感するから「天地と其の徳を合わす」と言う。先天方位で言えば、五は坎位に当たり坎は月、二は離位に当たり離は日、火は水の妃配で、一東一西、互いに終始を成すから「日月と其の明を合わす」と言う。天・地・日・月は先天八卦の四正の象であり、ただ大人のみがこれらに則ることができる。元亨利貞はすなわち春夏秋冬で、これが四時の序である。将に来る者は進み、功を成した者は退き、已に用いられし者は賤く、時に当たる者は貴い。循環往来して絲毫も差わないから「四時と其の序を合わす」と言う。そして震が春を主り、離が夏を主り、兌が秋を主り、坎が冬を主るのは後天八卦の四正の象で、これもただ大人のみが兼ね有ることができる。

消息卦,乾生於東,神也;坤死於西,鬼也。生則吉,死則凶。乃乾雖主生,不殺亦不能成歲功,故生死遞嬗,吉凶代更,亦惟大人能合之。先天之象,天地日月,牝牡雌雄,二儀肇分,法象自然如此,雖天亦不能違。後天之象,震兌坎離,互興迭廢,時而生,時而壯,時而老病死。人如此,物亦如此,天地亦如此。夫事而至於天不能違,人與鬼神,不待言矣。

十二消息卦で言えば、乾(陽)は東方に生じて「神」に属し、坤(陰)は西方に死して「鬼」に属する。生すれば吉、死すれば凶である。しかし乾は生を主るとはいえ、粛殺なくしては一年の歳功を成せないから、生と死は互いに禅代し、吉と凶は代々更る。これもまたただ大人のみがこれと合することができる。先天の象は天・地・日・月で、牝と牡・雌と雄、二儀が始めて分かれ、法象はもともと自然にこうであるから、天もまたこれに違えない――これが「天に先んじても天違わず」である。後天の象は震・兌・坎・離で、彼此が興廃し、時に萌し、時に壮い、時に老病死する。人もこう、物もこう、天地もこうである――これが「天に後れても天の時を奉る」である。事が天ですら違えないところに至れば、人と鬼神は言うまでもない。

亢之為言也,知進而不知返,知存而不知亡,知得而不知喪。進也,存也,得也,陽之事也;退也,亡也,喪也,陰之事也。六者相對待,相循環。至上九亢極矣,極則宜變而知所返,懵不知返,故有悔也。按此專釋上九亢龍之義,兼申下文用九之故,知退即用九也。

「亢」と言うのは、進むを知って返るを知らず、存を知って亡を知らず、得を知って喪を知らぬことである。進・存・得は陽の事であり、退・亡・喪は陰の事である。この六者は両々相待ち、また循環相生する。上九に至れば亢が極まり、極まれば変ずべきで返る所を知るべきだが、懵然として返るを知らぬから悔がある。按するにこの節は専ら上九の「亢龍」の義を釈し、あわせて下文の用九の所以を申する――退を知ることがすなわち用九である。

其唯聖人乎。知進退存亡,而不失其正者,其唯聖人乎。此專釋用九之故也。知進復知返,知存復知亡,故用九也。見群龍無首,即知退也,即陽變陰也。故夫用之為變,觀此而益明矣。自荀虞以來,不知此節繫專釋用九之義,浮泛解釋。然文言此處舍用九不釋,是其辭未畢也。李鼎柞知此說用九,而以乾元用九,天下治也為解,仍不知知退知亡,即釋用九及無首之義。

其れ唯だ聖人か。進退存亡を知りて其の正を失わざる者は、其れ唯だ聖人か。この節は専ら用九の所以を釈するものである。進を知ってまた返を知り、存を知ってまた亡を知るから、用九とするのである。「群龍を見るに首なし」とは、退を知ることであり、陽が陰に変ずることである。ゆえに「用」とはすなわち「変」であり、これを見ればなおさら明らかである。荀爽・虞翻以来、この節が専ら用九の義を釈するものと知る者なく、浮泛に解釈した。しかし『文言』がここで用九を釈せずに置けば、それは言が尽きていないことになる。李鼎祚はここが用九を説くことを知っていたが、『小象』の「乾元用九、天下治なり」をもって解とし、やはり「退を知る」「亡を知る」がすなわち用九と「首なし」の義を釈するものと明らかにしなかった。

『周易尚氏学』巻二 上経

坤卦

坤。元亨,利牝馬之貞。君子有攸往,先迷後得主(句)利(句),西南得朋,東北喪朋,安貞吉。元亨,謂二五也。乾元亨二五獨吉,坤亦然。元亨並無陰陽之分。虞仲翔謂坤含光大,凝乾之元,終於坤亥,出乾初子,故元亨。案彖傳曰:至哉坤元。是坤亦言元,不專屬乾。坤六五云:黃裳元吉。是其證。乾為馬,坤為牝。貞,卜問也。利牝馬之貞,即利牝馬之占也。牝馬柔順,言陰必順陽也。君子有攸往,言具坤德之君子,有所行也。惠棟端木國湖泥於坤為小人之象,謂君子指陽,非也。地道無成,故不可先,先則迷而失道,惟隨陽之後,以陽為主,則靡不利也。

坤卦卦辞:元亨、牝馬の貞に利あり。君子往く所有り、先ずれば迷い、後れば主を得(句)、利(句)。西南に朋を得、東北に朋を喪う。貞に安んずれば吉。(尚氏は「主」の字の下で句切り、「利」の字の下で句切る。)「元亨」は二・五両爻を指す。乾卦の「元亨」が独り二五両爻に吉を見るのと、坤卦も同じで、「元亨」自体には陰陽の分かれはない。虞翻(仲翔)は坤が光大を含蔵して乾の元気を凝め、坤の亥位に終わってまた乾の初子に出るから「元亨」と言うが、按するに『彖伝』は「至なるかな坤元」と言う。坤もまた「元」を言うのであって乾に専属しない。坤卦六五に「黄裳元吉」とあるのがその証である。乾に「馬」の象、坤に「牝」の象あり、合わせれば牝馬である。「貞」は卜問で、「牝馬の貞に利あり」とは牝馬の占に利ありということ。母馬は柔順で、陰が必ず陽に順うことを言う。「君子往く所有り」とは、坤の徳を具えた君子が行する所あるを言う。恵棟・端木国瑚は坤が小人の象に泥んで、ここの「君子」は陽爻を指すと言うが、誤りである。地道は首創を敢えてしないから、先んずべからず。先んずれば正道を迷い、ただ陽の後に随い陽を主とすれば、利あらざることなし。

西南得朋,東北喪朋。舊解以朋字類字失詁,故鮮得解者。馬融荀爽以陰遇陰為朋,虞翻謂失之甚矣,乃用參同契,月三日出庚,震象;八日見丁方,兌象。兌二陽為朋,庚西丁南,故曰西南得朋。三十日坤象,月滅乙癸,癸北乙東,故曰東北喪朋。苦心搜索以求朋象,豈知兌之為朋,以陰遇陽,非以二陽。陽遇陽同人謂之敵剛,陰遇陰中孚謂之得敵。然則虞說與馬荀背易理等耳,然支離穿鑿,則過於馬荀矣。復曰朋來無咎,蹇九五曰:大蹇朋來。解九四曰:朋至斯孚。皆以陰得陽為朋。而坤逆行,消息卦自西而南陽日增,自東而北陽遞減,增則得朋,減則喪朋。而坤道無成,故安靜貞定則吉也。

「西南に朋を得、東北に朋を喪う」の句は、旧注が「朋」の字と「類」の字の訓義を失したので、解を得た者は稀である。馬融・荀爽は陰が陰に遇うを「朋」とし、虞翻は彼らが大いに誤ったとして、『参同契』を持ち出した。月は初三日に庚方に出て震象、初八日に丁方に見えて兌象、兌は二つの陽爻を有って「朋」とし、庚は西・丁は南だから「西南に朋を得」と言う。三十日は坤象で、月光は乙・癸に滅し、癸は北・乙は東だから「東北に朋を喪う」と言う。彼は苦心して「朋」の象を搜したが、兌が朋たる所以は陰が陽に遇うからであって、二つの陽爻を有るからではないと知らない。陽が陽に遇えば同人卦は「敵剛」と謂い、陰が陰に遇えば中孚卦は「得敵」と謂う。然らば虞翻の説が易理に背くは馬・荀に等しく、しかも支離穿鑿は馬・荀を過ぎる。『復』は「朋来りて咎なし」と言い、蹇卦九五は「大蹇朋来る」と言い、解卦九四は「朋至り斯く孚なり」と言う。いずれも陰が陽を得るを「朋」とする。そして坤は逆行する。消息卦は自西より南へ陽爻が日に増し、自東より北へ陽爻が漸減する。増すれば「朋を得」、減すれば「朋を喪う」である。そして地道は首創を成さないから、安静に貞定すれば吉である。

象曰:至哉坤元,萬物資生,乃順承天。坤厚載物,德合無疆,含弘光大,品物咸亨。何休公羊傳元年注云:元者氣也。萬物資坤元以生,坤元實順天以行,故天道廣大無疆,惟坤之德能合之也。萬物皆孕毓於地,故曰含弘;萬物皆成長於地,故曰光大。光大則咸亨矣。

『彖伝』は言う。至なるかな坤元、万物はこれに資って生まれ、順にして天を承く。坤は厚くして物を載せ、其の徳は疆なきに合わんとす。弘大を含み広遠を光じて、品物咸に亨る。何休は『公羊伝』「元年」の注に「元とは気なり」と言う。万物は坤元の気に凭って生まれ、坤元は実は天道に順って行う。天道は広大にして疆なく、ただ坤の徳のみこれと合し得る。万物は皆地の中で孕毓するから「弘を含む」と言い、万物は皆地の上で成長するから「光の大なり」と言う。光大なれば自ずから「咸に亨る」。

牝馬地類,行地無疆,柔順利貞,君子攸行。陰陽合為類,乾為馬,故馬與地類,而牝馬尤與地類。君子攸行者,謂柔順利貞之德,為君子所法也。九家謂乾來據坤,為君子攸行,失傳旨。

『彖伝』は言う。牝馬は地の類で、地を行きて疆なし。柔順にして貞に利し、君子の行う所なり。陰と陽が相配して初めて「類」となる。乾に「馬」の象があり陽に属し、坤は地で陰に属す。だから馬と地はまさに相配の類であり、牝馬(陰性の馬)はなおさら地と類する。「君子の行う所」とは、柔順にして貞に利するの徳が君子の法る所であることを言う。九家易はこれを乾が来たりて坤を據し「君子の行う所」と成すと言うが、『彖伝』の本旨を失っている。

先迷失道,後順得常。西南得朋,乃與類行。東北喪朋,乃終有慶。夫曰行曰終,乃自西而南,自東而北而逆行也,非以西南東北相對待也,明矣。消息卦自西而南陽日增,故曰西南得朋。陰以陽為類,故曰乃與類行。消息卦自東而北陽遞減,故曰東北喪朋。夫事有終必有始,喪朋之地始於巳,終於亥。坤行至亥,陽喪盡而為純坤,乃反曰有慶者何也。則以周易之位,乾原居亥,純坤與純乾相遇,天地合德,萬物由此出生,故曰有慶。

『彖伝』は言う。先ずれば道を迷い、後れて順けば常を得る。西南に朋を得るは、乃ち類と行くなり。東北に朋を喪うは、乃ち終に慶あり。「行」と言い「終」と言うのは、自西より南へ、自東より北への逆行を言うのであって、西南と東北を二つの相対の方位とするのではないことが明白である。消息卦は自西より南へ陽爻が日に増すから「西南に朋を得」と言い、陰は陽を同類とするから「乃ち類と行く」と言う。消息卦は自東より北へ陽爻が漸減するから「東北に朋を喪う」と言う。およそ事に終あれば必ず始あり。朋を喪うこの段の路は巳位に始まり亥位に終わる。坤が亥に行き着けば陽は喪い尽くして純坤となるのに、なぜかえって「慶あり」と言うか。『周易』の方位では乾がもともと亥に居り、純坤と純乾がここで相い遇い、天地が徳を合わせて万物がこれによって出生するから、「慶あり」と言うのである。

易凡言有慶者,皆謂陰遇陽。大畜晉睽六五,皆上承陽,故皆曰往有慶。《易林》中孚之坤云:符左契右,相與合齒,乾坤利貞,乳生六子。《太玄》玄文云:入冥出冥,新故代更。皆說有慶之故也。後儒皆承用虞氏解,謂坤行至西南,月又將生明為有慶,是不知終為何處也。終者艮象亥方。《周禮》宰夫,及大司徒歲終注,皆日周季冬也。周季冬為亥月。又《爾雅·釋天》云:月在壬曰終。壬亦亥方。是終指亥方甚明。說卦云:艮成終。終於亥也。故夫洞明易理者,莫過於焦延壽與楊子云也。(焦氏易詁,有詳說,可參閱。)安貞之吉,應地無疆。坤道主靜,故曰安。《易林》云:乾坤利貞,乳生六子。安貞即利貞,利貞即天地合德,合則相感,故曰應地無疆。

『易』でおよそ「慶あり」と言う所は皆陰が陽に遇うことを指す。大畜・晋・睽の三卦の六五は皆上に陽爻を承けるから皆「往くに慶あり」と言う。『焦氏易林』の中孚之坤は「符左契右、相い与に合歯す。乾坤利貞、乳して六子を生ず」と言い、揚雄『太玄・玄文』は「冥に入り冥を出づ、新故代々更る」と言う――皆「慶あり」の所以を言ったものである。後儒はみな虞翻の解を承用して、坤が西南に行き月がまた明を生ずるを「慶あり」と言うが、それは「終」が果たしてどこを指すかを知らない。「終」は艮象の主る亥方である。『周礼』の宰夫と大司徒が「歳終」を講ずる所、鄭注はいずれも周暦の季冬と言い、周の季冬はまさに亥月である。『爾雅・釈天』も「月壬に在りて終と曰う」と言い、壬もまた亥方に属する。これで「終」が亥方を指すことはきわめて明白である。『説卦』は「艮は終を成す」と言う。終とは亥に終わることである。ゆえに『易』理を洞明する者は焦延壽と揚雄を超えるものはない。(この説は『焦氏易詁』に詳論あり。参照可。)『彖伝』は「安貞の吉、地に応じて疆なし」と言う。坤道は静を主るから「安」と言う。『易林』は「乾坤利貞、乳して六子を生ず」と言うから、「安貞」はすなわち「利貞」であり、「利貞」はすなわち天地之合徳である。すでに合すれば相い感ずるから「地に応じて疆なし」と言う。

象日:地勢坤,君子以厚德載物。王弼曰:地形不順,其勢順。是王弼之本,作地勢順也。來衷曰:地有上下九等之差,故以形勢言其性。夫曰性則亦讀為順也。而皆未引說卦坤順為詁,是愈證宋王本之皆作地勢順,故不引說卦為證。蓋坤古文作◆。

『大象伝』は言う。地の勢は坤(順)、君子はこれに法りて厚徳をもって物を載す。王弼は「地形は順ならず、其の勢は順なり」と言う。王弼の拠った本は「地勢順」と作っていたことが分かる。来衷は「地に上下九等の差あり、故に形勢に就いて其の性を言う」と言う――「性」と言う以上、それも「順」と読んでいたのである。この二家はいずれも『説卦』の「坤は順なり」を引いて訓解とせず、これで宋衷・王弼の本がいずれも「地勢順」と作っていたことがいっそう証される。引くべき必要がなかったのである。もともと「坤」の字の古文は◆と作る(その形は「甾」の上半で下に「田」がない。以下同じ)。

而◆為順之※字,故宋王皆讀◆為順。自正義改作坤,而順字遂無由識。至清儒王引之等,據說卦乾健坤順之文,謂天行健即天行乾,地勢順即地勢坤。夫乾坤之為天地,不惟說卦言之,彖象傳並言之,故以天代乾,以地代坤。今不從宋王注,以坤為順之訛字(若作◆則不訛),謂天行健即天行乾,地勢順即地勢坤,是天行天、地勢地也,尚可通乎。

そして◆はまた「順」の字の假借字だから、宋衷・王弼はともに◆を「順」と読んだ。孔穎達の『正義』が今体の「坤」の字に改めてから、「順」の層の意は識る由もなくなった。清儒・王引之らに至って、『説卦』の「乾は健なり、坤は順なり」の文句に拠って、「天行健」はすなわち「天行乾」で「地勢順」はすなわち「地勢坤」と言う。しかし乾坤がすなわち天地であることは、『説卦』だけでなく『彖伝』『象伝』も皆このように言う。だから『大象』は「天」をもって乾に代え「地」をもって坤に代えたのである。今、宋・王の注に従わず、かえって「坤」を「順」の訛字と見る(実は古文◆と書けば訛ではない)、「天行健」はすなわち「天行乾」、「地勢順」はすなわち「地勢坤」とすれば、それは「天行天」「地勢地」と言うに等しい。まだ通じるだろうか。

王又謂◆即川字,川與坤順聲近,故借川作坤,是尤不安。夫坤古作◆,是古文作◆也。隸書原以變古文之繁重,若◆字本即簡易,故隸書常因而不改。大戴禮保傅篇:易之乾◆。家語執轡篇:此乾◆之美。後漢輿服志:堯舜垂裳,蓋取諸乾◆。北史太和三年,◆德六合殿成。又坤字之見於漢碑者,無不作◆。再征之金文,周師訇敦銘云:用作◆宮寶。王陶廬云:◆即坤字。由此證◆即坤,非有所借也明矣。

王引之はまた◆はすなわち「川」の字で、「川」と「坤」「順」は声が近いから「川」を借りて「坤」に当てたと言うが、これはなおさら不安である。「坤」は古く◆と作ったから、◆自体が古文の坤の字なのである。隷書はもともと古文の繁重な筆画を改易するために作ったもので、◆のようにもともと簡易な字は、隷書もしばしば因って改めなかった。『大戴礼記・保傅篇』に「易之乾◆」、『孔子家語・執辔篇』に「此れ乾◆の美なり」、『後漢書・輿服志』に「尭舜は裳を垂れ、蓋し乾◆に取る所なり」、『北史』に太和三年「◆徳六合殿」が成ったと載る。さらに漢碑に現れる坤の字を見れば、◆と作らぬものはない。また金文で験すれば、周の師訇敦の銘に「用て◆宮宝を作る」とあり、王陶廬はこの◆はすなわち坤の字と言う。これによって◆はもともと坤であって、別の字を借りたのではないことが明白である。

引之謂順因川而得聲,愚以為順因◆而得聲,推之訓馴巡紃等字皆然。引之蓋泥於說文坤下無重◆之文,謂◆非坤本字。王陶廬云:玉篇◆下注曰古文坤字,廣韻亦曰古文以坤為◆。二書皆胚胎於說文,據此說文必有◆字,後奪之耳,不然二書不敢臆造。又云:釋文原雲◆本又作坤,坤今字;今改為坤本又作◆,◆今字,文理謬戾已極。是皆因孔氏改◆作坤,後人遂並釋文而亦改矣。

引之は「順」は「川」に因って声を得たとし、私は「順」は◆に因って声を得たと考える。推せば、訓・馴・巡・紃などの字も皆同じである。引之は『説文』の「坤」の字の下に◆の重文を収めない文に泥んで、◆は坤の本字でないとした。王陶廬は言う。『玉篇』は◆の字の下に「古文坤の字」と注し、『広韻』も「古文は坤を◆と為す」と言う。この二書は皆『説文』に胚胎する。これによれば『説文』にはもともと必ず◆の字があったのであって、後に脱けたのである。さもなければ『玉篇』『広韻』が空に杜撰するはずがない。彼はまた言う。『経典釈文』の原文はもともと「◆、本は又坤と作る。坤は今の字」とあり、今は「坤、本は又◆と作る。◆は今の字」と改められた。文理の謬戻は極まりない。これらは皆孔穎達が◆を坤に改めたためで、後人はついに『釈文』までも併せて改めたのである。

按王說是也。詩周頌有夷之行,釋文云:◆苦魂反,字亦作坤。此處釋文應同。然則坤本作◆,征之金石傳記無不然;漢本易之作地勢順,征之宋注王注亦無不然。然今本易何以訛作地勢坤,則以漢本易,坤原作◆,乃借◆為順也。何言之,順既因◆而得聲,在古文例常※借,如大壯卦以易為場,夬以次且為趑趄,小畜以血為恤,皆因其得聲之字而※借,今以◆※順,正其例耳。孔氏知◆即坤,不知◆為順之※字,遂竟改作坤矣。若宋王則皆讀作順也,以宋王本皆作◆也,作◆則人易知為順矣。其以說卦為解者,於字之沿革,盡失其義。

按するに王陶廬の説は正しい。『詩経・周頌』に「夷の行あり」の句があり、『経典釈文』は「◆、苦魂反。字亦坤と作る」と言う。ここの『釈文』の体例もこれと同じであるべきである。然らば坤はもともと◆と作り、金石文字と伝記で験すと然らざるはなく、漢代の『易』本が「地勢順」と作ったのも、宋衷注・王弼注で験すと然らざるはない。では今本の『易』がなぜ「地ぜ「地勢坤」と訛ったか。漢本の『易』は坤の字がもともと◆と作り、ここでは◆を借りて「順」の字に当てたからである。なぜそう言えるか。「順」はすでに◆に因って声を得た以上、古文の通例ではしばしばこのように假借する。例えば大壮卦は「易」を「場」とし、夬卦は「次且」を「且趄」とし、小畜は「血」を「恤」とする。皆その声を得る字を借りる。今、◆を「順」に假借するのは、まさに同じ例である。孔穎達は◆がすなわち坤であることは知っていたが、◆がここでは「順」の假借字であることを知らず、ついに直ちに「坤」に改めてしまった。宋衷・王弼については皆「順」と読んでいたのであり、彼らの本は皆◆と作っていたからである。◆と作れば、人はそれが「順」と読むべきを容易に知る。『説卦』を搬して釈とする者は、この字の沿革について、その本義をことごとく失っている。

厚德載物者坤,君子取以為法。虞仲翔必謂君子為乾亦非。又易以◆為大川,焦氏易林以◆為水,為江河淮濟,九家注蠱亦以坤地為水,邵子坤水之象之所本也。蓋◆即川字即水字,故易林復以坎為土,邵子復本之。疑古以水土為一物,能合而不能分。比曰地上有水,師曰地中有水,證以古文,稽之卦象,而益信矣。(金文水作◇,兩旁畫不連。劉澗琴云:效鼎涉作◇,殷契衍作◇,◎作◇。又永字從水,而金文作◇。是皆水字兩旁畫皆不斷,可證◆川水三字,古文皆同。)

厚徳をもって物を載するは坤であり、君子はこれを法と取る。虞翻が必ずここの「君子」は乾を指すと言うのも誤りである。また『易』は◆(坤)を「大川」とし、『焦氏易林』は◆を水・江河淮済とし、九家易が蠱卦に注しても坤地を水とし、邵雍の「坤は水」の象はこれに本づく。もともと◆はすなわち「川」の字であり、すなわち「水」の字である。だから『易林』は反対に坎を土とし、邵雍もこの点を襲う。これによって推すに、古人はおそらく水と土を一物と見て、合し得て分かち得ぬとしたのである。比卦『大象』は「地上水有り」と言い、師卦『大象』は「地中水有り」と言う。古文字をもって印证し、卦象をもって核すれば、なおさら信ずべきである。(金文の「水」の字は◇と作り、両旁の画は連ならない。劉澗琴は言う。效鼎の「渉」の字は◇と作り、殷墟甲骨の「衍」の字は◇と作り、「◎」は◇と作る。また「永」の字は水に従い、金文は◇と作る。これらの字の水旁の両側の画は皆断れないから、◆・川・水の三字が古では同じ一字であることを証する。)

初六。履霜,堅冰至。陽進陰退,陽順陰逆,故陽自七進九為老陽,陰自八退六為老陰。陰極則變,故易用六也。於卦為姤,時當夏至,一陰初生。初震爻故曰履。陰微故以霜為喻。乾為冰為堅,坤行至上當亥方,與乾相遇,故曰堅冰。言五月微陰初見,馴至亥月而極寒,必然之勢,當憬然悟也。干寶以五月無霜,謂陰氣既動,則必至於履霜,必至於堅冰者非也。霜即喻此微陰,微陰見故曰履霜,非有待於後也,其待者乃堅冰也。象日:履霜,陰始凝也(依郭京讀),馴至其道,至堅冰也。乾為堅冰,言陰生於午,至亥純坤與純乾相遇,故曰至。

初六爻辞:薄霜を踏めば、堅い氷がまもなく至る。陽は前進を主り、陰は後退を主り、陽は順行し、陰は逆行する。だから陽は七より九に進んで老陽となり、陰は八より六に退いて老陰となる。陰は極まれば変ずるから、『周易』は六を用とする。消息卦で言えば、この爻は垢卦に当たり、時は夏至で、一陰がようやく萌したばかり。初爻は震爻で、震は足・行を主るから「履」と言う。陰気はなお微弱だから「霜」をもって喩とした。乾に「氷」「堅」の象あり。坤が逆行して上位に至ればまさに亥方で、そこで乾と相い遇うから「堅氷」と言う。これは五月の微陰が初めて現れ、この勢いに従って亥月に至れば極寒となる、必然の勢であり、人は憬然として悟るべきである。干宝は五月に霜がないからと、陰気がすでに動けば必ず履霜に至り、必ず堅氷に至ると言うが、これは誤りである。「霜」はまさにこの時の微陰を喩えたもので、微陰がすでに現れたから「履霜」と言うのであって、後を待つのではない。待つのは「堅氷」の方である。『小象』は「履霜、陰始めて凝るなり」(郭京の読みに依る)、「馴し其の道に至りて、堅氷に至るなり」と言う。乾に堅氷の象あり、陰が午月に生じて亥月に至り、純坤が純乾と相い遇うを言うから「至」と言う。

六二。直方大,不習無不利。二為坤本位,坤二之利,與乾五之利同也。後人泥於乾動為直,及小往大來之文,必以直大屬之乾,於是經義遂迂曲而不得解。豈知直方大皆謂坤,彖傳文言所釋至明。文言云:直其正也。正謂二,二得位中正,故曰直。彖傳云:含弘光大。大謂坤,坤萬物資生,焉得不大。蓋方者地之體,大者地之用,而二又居中直之位,故曰直方大。後儒見象傳未言大,便疑大為衍文。然陸德明時,漢魏六朝本具在,從無謂大字衍者,況文言引亦有大字乎。陰消至二遁,前承重陽,得主有利,故不習無不利。文言釋曰:不疑其所行。正謂二承陽也。象日:六二之動,直以方也。不習無不利,地道光也。六二與九五相上下,故曰動。陰順陽,故曰地道光。

六二爻辞:正直・方正・広大、習わずとも利あらざるなし。第二爻は坤の本位で、坤が二爻に利あるのは、乾が五爻に利あるのと同じである。後人は「乾動は直」の文と泰卦の「小往大来」の文に泥み、必ずや「直」と「大」を乾に帰せしめ、そこで経義は迂曲して解を得なくなった。思うに「直」「方」「大」はすべて坤を言うのであり、『彖伝』『文言』の釈は明らかの至りである。『文言』は「直とは其の正なり」と言う――「正」は六二を指し、六二は中に居り位を得て正しいから「直」と言う。『彖伝』は「弘を含み光の大なり」と言う――「大」は坤を指し、坤は万物を資生せしめるから、大ならざるを得ない。大抵「方」は地の形体、「大」は地の功用であり、六二はまた中正の位に居るから、合わせて「直方大」と称す。後儒は『小象』が「直にして方」とだけ言って「大」を言わないのを見て、「大」を衍文と疑う。しかし陸徳明の時には漢魏六朝の本は具々あり、「大」の字を衍という者はかつてなく、しかも『文言』がこの句を引く時にも「大」の字がある。陰が消長して第二爻に至れば遯卦で、前面に上体の重ねた陽爻を承け、陽を主として利あり。だから「習わずとも利あらざるなし」と言う。『文言』は「其の行う所を疑わざるなり」と釈す。まさに六二が上に陽爻を承けるを言うのである。『小象』は言う。「六二の動くや、直にして方なり。習わずして利あらざるなきは、地道の光なり。」六二と九五は上下相い応ずるから「動」と言い、陰が陽に順うから「地道の光」と言う。

六三。含章可貞,或從王事,無成,有終。坤為文,故曰章。坤閉故曰含章。陰消至三否,正君子儉德避難之時,故雖有文章,含而不露,貞靜自守。荀虞謂三陽位,以陰據其上,故曰含章,後儒多從之,非也。文言釋章為美,仍坤象,非謂陽位也。否上乾為王,三承重陽,故曰從王事。三不當位故或之,與或躍在淵義同,言慎審也。陰順陽,故無敢成。成,法也,式也,言不敢作法也。陰始姤,代乾終事,故曰有終。

六三爻辞:文采を含蔵して貞に居る可し。或いは王事に従うこと有らんに、成すことなく、終り有り。坤に「文」の象あり、だから「章」(文采)と言い、坤はまた閉蔵を主るから「含章」と言う。陰が消長して第三爻に至れば否卦で、まさに君子が才を斂し難を避くべき時だから、文采があっても含んで露さず、貞静に自ら守る。荀爽・虞翻は三は陽位で、その上に陰爻が占めるから「含章」と言うとし、後儒は多くその説に従うが、実は誤りである。『文言』は「章」を「美」と釈し、やはり坤の象であって陽位を指すのではない。否卦の上体は乾で乾に「王」の象あり、六三は重ねた陽爻を承けるから「王事に従う」と言う。六三は陰で陽位に居り当位せず、だから「或」の字を加える。乾九四の「或いは淵に躍る」の「或」と義同じく、皆審慎を表す。陰は陽に順うから、功を成すことを敢えてしない。「成」とは法であり式であり、「无成」とは自ら法式を作ることを敢えてしないを言う。陰気は垢卦に始まり、乾に代わって一年の事を終えるから「終あり」と言う。

○按純坤無乾,王事之象何來乎。須知乾息從復始,坤消從姤始,故復姤亦為小父母。坤消至三,上乾如故也,故曰從王事。彼夫訟三曰從王事,履三曰武人為于大君,皆以上承陽,茲與之同。觀初爻曰:履霜堅冰至。言陽將以次消也。故卦雖無乾,爻辭皆視乾而繫也。先儒坐不明此理,又鮮能以易解易,故說王事皆無著。象日:含章可貞,以時發也。或從王事,知光大也。時不可,故俟時而發。或從王事,知時至矣,故曰光大。

ここで按すべきことがある。純坤卦の中に乾はない。「王事」の象はどこから来るのか。知るべし、乾の陽息は復卦に始まり、坤の陰消は垢卦に始まる。だから復・垢の両卦も「小父母」と称し得る。坤が消して第三爻に至れば否卦で、上体の乾はなお故のごとく存するから「王事に従う」と言う。あの訟卦の六三が「王事に従う」と言い、履卦の六三が「武人、大君に為す」と言うのも、皆上に陽爻を承けるからで、ここもそれと同例である。さらに初六の「履霜堅氷至」を見れば、陽が将に次々に消退せんとすることを言う。坤卦自体には乾がなくとも、爻辞は皆乾を視て係せられたことが分かる。先儒はこの理を明らかにせず、また『易』をもって『易』を解することが稀だったから、「王事」を講じても落ち着き所がなかった。『小象』は言う。「章を含みて貞なる可しは、時を以て発するなり。或いは王事に従うは、光大を知るなり。」時が許さなければ、時を俟って発する。「或いは王事に従う」は、時の至るを知るから、「光大」と言う。

六四。括囊,無咎無譽。坤為囊。楊子方言:括,關閉也。坤閉故曰括囊。陰消至四八月觀,天地將閉塞矣。陰在三否,陰陽平均,故或從王事;至四則陰盛陽衰,時不可矣,故括囊,言無所表著也。無與於世,故無咎譽。象日:括囊無咎,慎不害也。慎故無咎,不害即無咎也。

六四爻辞:嚢を括るのごとく斂して自ら守れば、咎もなく誉れもない。坤に「嚢」の象あり。揚雄『方言』に「括とは閉なり」とある。坤は閉蔵を主るから「嚢を括る」と言う。陰が消長して第四爻に至れば八月の観卦で、天地の気が将に閉塞せんとする。陰が第三爻の時は否卦で、陰陽の数が相等しく勢力が均平だから「或いは王事に従う」ことができた。第四爻に至れば陰盛にして陽衰え、時が許さないから「嚢を括る」。すなわちもはや表着する所がないことを言う。世の事に与らないから、咎も誉れもない。『小象』は「嚢を括りて咎なしは、慎みて害なきなり」と言う。慎むから咎なし、「害なし」はすなわち「咎なし」である。

六五。黃裳元吉。坤為裳,色黃,故曰黃裳。坤為下,裳得下飾。五位正中,黃者中色,故曰黃裳元吉。元者善之長,五位極尊,故曰元。元謂五,大有鼎皆曰元吉,皆謂六五。毛奇齡謂五降二承乾為元吉,以元專屬乾,非也。象曰:黃裳元吉,文在中也。坤為文,黃裳文飾,言所以吉者,以居中位也。

六五爻辞:黄裳、元吉。坤に「裳」の象あり、坤はまた黄色を主るから「黄裳」と言う。坤は下で、裳はまさに下身に着ける服飾である。第五爻は上卦の中に居り、黄は五色の中色だから「黄裳元吉」と言う。「元」は衆善の長で、第五爻は位極めて尊いから「元」と称す――「元」はすなわち五爻を指す。大有卦・鼎卦は皆「元吉」と言い、指す所も皆六五である。毛奇齢は六五を二位に降して上に乾陽を承けしめてこそ「元吉」だと言い、「元」を乾に専属したが、誤りである。『小象』は「黄裳元吉、文中に在るなり」と言う。坤に「文」の象あり、黄裳はまさに文采の服飾であり、これはその吉たる所以が中位に居ることにあるを言う。

上六。龍戰于野,其血玄黃。陰至上六,坤德全矣,故萬物由以出生,然孤陰不能生也。荀爽云:消息之位,坤在於亥,下有伏乾,陰陽相和,故曰龍戰于野。坤為野,龍者陽。說文壬下云:易曰龍戰于野,戰者接也。乾鑿度云:乾坤合氣戌亥。合氣即接。九家云:玄黃天地之雜。言乾坤合居。夫曰相和,曰合氣,曰合居,則戰之為和合明矣,皆與許詁同也。而萬物出生之本由於血,血者天地所遺氤氳之氣,天玄地黃,其血玄黃者,言此血為天地所和合,故能生萬物也。易林說此云(中孚之坤):符左契右,相與合齒,乾坤利貞,乳生六子。夫曰符契,曰合齒,則乾坤接也,即龍戰于野也。消息卦,坤亥下即震子出,故曰乳生六子。彖傳云:乃終有慶。慶此也。

上六爻辞:龍が野において交じ合い、流れた血は青黒と黄色とが相い雑じる。陰気が上六に至れば坤徳はすでに全く、だから万物はこれによって出生する。しかし孤陰は物を生じ得ない。荀爽は言う。消息卦の方位では、坤は亥位にあり、その下に乾が伏する。陰陽がここで相い和するから「龍野に戦う」と言う。坤に「野」の象あり、「龍」は陽を指す。『説文』の「壬」の字の下に「『易』に曰く龍野に戦う。戦とは接なり」とある。『乾鑿度』は「乾坤、戌亥に気を合す」と言い、「合気」とはすなわち交接である。九家易は「玄黄とは天地の色の雑なる」と言い、乾坤が合居することを言う。「相い和す」と言い、「気を合す」と言い、「合居す」と言う以上、「戦」とは和合の義であることは明白で、皆許慎の訓解と一致する。そして万物が出生する根本は「血」にある。血は天地の遺した氤氲の気である。天色は玄、地色は黄であり、「其の血玄黄」とは、この血が天地によって和合して成ることを言い、だから万物を生じ得るのである。『焦氏易林』の中孚之坤はこの爻を解して、「符左契右、相い与に合歯す。乾坤利貞、乳して六子を生ず」と言う。符契の相合い・歯の咬合いと言う以上、それは乾坤の交接であり、すなわち「龍野に戦う」である。消息卦で言えば、坤が亥位にあって、その下に続いて震が子位に出生するから「乳して六子を生ず」と言う。『彖伝』は「乃ち終に慶あり」と言う。慶するのはまさにこの事である。

惟荀與九家,皆以血為陰,仍違易旨。易明言天地雜,則血非純陰可知,純陰則離其類矣,胡能生物。至侯果謂陰盛似陽,王弼干寶謂陰盛逼陽,陽不堪故戰,以戰為戰爭。後孔穎達朱子,因經言戰又言血,疑陰陽兩傷者,皆夢囈語也。清儒獨惠士奇用許說謂戰者接也,陰陽交接,卦無傷象,識過前人遠矣。象日:龍戰于野,其道窮也。陰至上六而極,故曰窮。窮盡也。

ただ荀爽と九家易はともに「血」を陰としたが、やはり『易』の本旨に背く。『易』は明らかに天地の色が雑ると言うから、血は純陰ではないことが分かる。純陰ならばその配偶の類を離れて、どうして物を生じ得ようか。侯果に至っては陰が盛んにして陽に似ると言い、王弼・干宝は陰が盛んにして陽を逼め、陽が堪えられず戦うと言い、「戦」を戦争とした。後に孔穎達・朱熹は、経文が「戦」と言いまた「血」と言うので、陰陽が両方傷ついたのではと疑った。これらは皆寝言である。清代の学者の中で、恵士奇だけが許慎の説を採って「戦」とは接であるとし、陰陽がここで交合し、卦には傷の象がないとした。見識は前人を遥かに超える。『小象』は「龍野に戦う、其の道窮まるなり」と言う。陰が上六に至って極まるから「窮」と言う。「窮」とは尽きることである。

用六。利永貞。此亦明筮例也。八六皆陰,今遇陰,胡以只言六不言八,則以六為用而變七也。利永貞,申用六之故也。六何以必變,六為老陰,陰極不返,則太柔矣。又言曰:貞固足以乾事。永貞則健而陽矣,故象曰以大終。大者陽,言陰極則變陽也。象曰:用六永貞,以大終也。陽大陰小,以大終者,言陰極必返陽也。舊解因不知用六義意,故說大終,無有當者。

用六:永く貞に利あり。これもまた筮法の通例を明らかにしたものである。八と六はともに陰数で、今、筮して陰爻に遇うに、なぜ六だけを言って八を言わないのか。『周易』が六を用として変するからで、六に遇えば変じ、八に遇えば変じない。陽が九に遇えば変じ、七に遇えば変じないのと同じ理である。「永く貞に利あり」は用六の所以を申したものである。六はなぜ必ず変ずるのか。六は老陰で、陰が極まって返らなければ柔に過ぎる。『文言』は「貞は固くして以て事を幹すに足る」と言う。永く貞に守れば剛健にして陽となる。だから『小象』は「大を以て終るなり」と言う――「大」は陽を指し、陰が極まれば陽に変ずることを言う。『小象』は言う。「用六永貞、大を以て終るなり。」陽は大と称し陰は小と称す。「大を以て終る」とは、陰が極まれば必ず陽に返るを言う。旧注は用六の意義を知らないから、「大終」を釈して妥当なものがなかった。

文言曰:坤至柔而動也剛,至靜而德方,後得主而有常,含萬物而化光。坤道其順乎,承天而時行。坤柔動剛,義與用六大終同,言坤雖至柔,遇六則變陽矣,故曰動剛。後得主而有常者,言最後變六為陽,以陽為主也。

『文言』は言う。坤は至柔にして動けば剛なり、至静にして徳方なり、後れて主を得て常有り、万物を含みて化は光なり。坤道は其れ順なりか、天を承けて時に行う。「坤は至柔にして動けば剛なり」の意は、「用六、大を以て終る」と同じである。坤は至柔なれども、筮して六に遇えば陽に変ずることを言い、だから「動けば剛」と言う。「後れて主を得て常有り」とは、最後に六が陽に変じて、陽を主とすることを言う。

積善之家,必有餘慶;積不善之家,必有餘殃。臣弒其君,子弒其父,非一朝一夕之故,其所由來者漸矣,由辯之不早辯也。易曰:履霜堅冰至。蓋言順也。坤為積為殃為惡,故曰不善。坤多故曰餘。又為臣子為弒為夕,君父則指乾也。坤消陽故曰弒君父。此正申明履霜堅冰至之理。陰在姤至微耳,積之不已,則陽可全消,其禍有不可勝言者,故曰餘殃。餘者多也,此本世界之公理,人事之自然,而李鼎祚忽以夫子不語怪力亂神為疑,若餘慶餘殃,有類於神道感應之說者,真可謂汙衊聖言,不識語旨矣。

『文言』は言う。善を積む家は必ず余慶あり、不善を積む家は必ず余殃あり。臣が其の君を弑し、子が其の父を弑するは、一朝一夕の故に非ず。其の由来する所は漸なり。辨ずるに早く辨ぜざるに由るなり。『易』に曰く「履霜堅氷至」。蓋し順を言うなり。坤に「積」「殃」「悪」の象あり、だから「不善」と言い、坤は多を主るから「余」と言い、また「臣」「子」「弑」「夕」の象があり、「君」「父」は乾を指す。坤は陽を消すから「君父を弑す」と言う。これはまさに「履霜堅氷至」の理を申明するものである。陰気は垢卦の時に至って微であるが、積みて已まなければ陽を全く消し尽くすことができ、その禍は言い尽くせぬものがある。だから「余殃」と言う。「余」とは多いことである。これはもともと天下の公理、人事の自然であるのに、李鼎祚は忽然として夫子が怪力乱神を語らないことを以て疑問とし、「余慶」「余殃」が神道感応の説に類するかのごとく見做す。まことに聖人の言を汚衊し、語中の旨を識らぬと言うべきである。

漸,孔疏云:徐而不速謂之漸。辯,說文判也,別也,謂宜別之於先也。順與循同義,蓋言順者,仍循其道則至堅冰之意。荀爽謂臣順君命而成之,背經旨,不可從。(文言釋初六噓吸經髓,超妙絕倫,使人惕然省,憬然悟。釋上六祇以陰凝陽天玄地黃,逗露坤地生物之本,由於天地交,而總不明言,仍還經文崑崙語氣。由此見聖人之言,寧使人不易知,而不能不文。太玄云:不約則其旨不詳,不要則其應不博,不沈則其意不見。真能窺見載道之故者哉。)

「漸」の字は、孔穎達の疏に「徐々にして速ならざるを漸と謂う」とある。「辨」の字は『説文』が判・別と訓じ、事が萌芽の時に分辨しておくべきを言う。「順」と「循」は義同じく、「蓋し順を言うなり」とは、なおその道を循して行けば堅氷に至るを言うのである。荀爽はこれを臣が君命に順って其の事を成すとするが、経の本旨に背くので、従う可からず。(『文言』が初六を釈するのは、一呼一吸も経文の精髄に扣ち、超妙絶倫で、人をして惕然として省り、憬然として悟らしめる。上六を釈するには、ただ「陰陽に凝る」「天玄地黄」の数句で、坤地が物を生ずる根本が天地の交にあることを逗露しながら、ついに明言せず、なお経文の崑崙渾淪たる語気に還す。これによって聖人の言は、人に知られ難くすることを寧にしても、文を修めないわけにはいかないことが分かる。『太玄』は言う。「約せざれば其の旨詳ならず、要せざれば其の応博からず、沈せざれば其の意見えず。」まことに文辞が道を載せる所以を窺見した言である。)

直其正也,方其義也。君子敬以直內,義以方外。敬義立而德不孤。直方大,不習無不利,則不疑其所行也。直則不撓,故曰直其正,言二中正也,方則不詭隨,放曰方其義,言不苟同也。正直發於心,故曰直內。內直則必敬矣,故曰敬以直內。義方以接物,故曰方外。外方則無不宜矣,故曰義以方外。敬義之德立於下,五陽應於上,故德不孤。蓋陰消至二遁,前承重陽,二五應予,乾先坤後,陽唱陰和,得主有利,故不疑其所行。(舊解祇惠棟知以二五相應說不孤,最為卓識。)

『文言』は言う。「直」とは其の正を言い、「方」とは其の義を言う。君子は敬を以て内を直くし、義を以て外を方くす。敬義立ちて徳孤ならず。「直方大、習わずして利あらざるなし」は、則ち其の行う所を疑わざるなり。正直なれば撓まず、だから「直とは其の正」と言い、六二が中に居り正を得るを指す。方正なれば詭随せず、だから「方とは其の義」と言い、苟同せざるを指す。正直は心より発す、だから「内を直くす」と言い、内直ければ必ず敬なり、だから「敬を以て内を直くす」と言う。義の方正を以て物に接す、だから「外を方くす」と言い、外方ければ宜ならざるなし、だから「義を以て外を方くす」と言う。敬義の徳が下(六二)に立ち、九五の陽が上に応ずるから「徳孤ならず」と言う。陰が消して第二爻に至れば遯卦で、六二は前面に重ねた陽爻を承け、二と五が相い応じ、乾が先・坤が後で、陽唱えて陰和す。陽を主として利あり、だから其の行う所を疑わない。(旧注の中で恵棟だけが二五相応をもって「孤ならず」を説き得た。もっとも卓識である。)

陰雖有美,含以之以從王事,弗敢成也。地道也,妻道也,臣道也。地道無成,而代有終也。陽革於午,陰代陽用事,以訖於亥,故曰代有終。凡終皆謂亥。彖傳曰:乃終有慶。說卦曰:萬物之所成終。終皆謂亥。內經與莊子,所謂天門者此也。自復子至乾巳皆成事,陽主之,故地道無成。自姤午至坤亥皆終事,陰主之,故曰代有終,言代陽終事也。終字從冬,言一年之事,至亥冬而終也(子即陽復)。故艮居亥而艮即為終。成者法也式也。周禮天官太宰,五曰官成以經邦治。注:官成謂官府之成事品式。又秋官士師掌士之八成。注:八成猶八法。然則成者法也。地道無成者,謂坤柔不敢先創為法式,只能代陽終事也。成與終虛實先後,絕對不同。漢宋衷以成名為說,清惠棟謂成與終同義。夫成與終義誠可通,但此曰無成,曰有終,則判然二事,不得混同也。

『文言』は言う。陰は美あると雖も、含みて以て王事に従い、成すを敢えてせざるなり。地道なり、妻道なり、臣道なり。地道は成すことなくして代わりて終り有り。陽気は午月に変革し、陰気が陽に代わって事を用い、亥月に訖るまで行うから「代わりて終り有り」と言う。およそ「終」と言うのは皆亥位を指す。『彖伝』は「乃ち終に慶あり」と言い、『説卦』は「万物の成終する所」と言う。「終」は皆亥を指す。『内経』と『荘子』のいう「天門」はまさにこれである。復卦の当たる子月から乾卦の当たる巳月までは、皆「事を成ず」の段階に属し、陽がこれを主る。だから「地道は成すことなし」と言う。垢卦の当たる午月から坤卦の当たる亥月までは、皆「事を終る」の段階に属し、陰がこれを主る。だから「代わりて終り有り」と言う。陽に代わって事を終えるを言うのである。「終」の字は「冬」に従い、一年の事が亥月の冬に至って終わるを言う(子月はすなわち陽気の来復)。だから艮は亥位に居り、艮に「終」の義がある。「成」とは法であり式である。『周礼・天官』太宰の職に「五曰官成、以て邦治を経る」とあり、鄭注は「官成とは官府の事を行う成例品式」と言う。また『秋官』士師に「士の八成を掌る」とあり、注は「八成は猶お八法のごとし」と言う。これで「成」とは法であることが分かる。「地道は成すことなし」とは、坤の性が柔順で、率先して法式を創ることを敢えてせず、ただ陽に代わって事を終えるのみを言う。「成」と「終」は一虚一実・一先一後で、絶対に同じではない。漢の宋衷は「成名」で解とし、清の恵棟は「成」と「終」は義同じと言う。「成」と「終」の義は確かに相通じ得るが、ここでは「成すことなし」と言い「終り有り」と言い、判然として二つの事であり、混同してはならない。

天地變化,草木蕃;天地閉,賢人隱。易曰:括囊無咎無譽。蓋言謹也。陰消至四八月觀,由元亨而入利貞,天地之氣將變易矣。觀下坤為茅茹為草,巽為木,坤閉艮止,故曰草木蕃。蕃與藩通,詩大雅四國於蕃是也。又周禮地官大司徒,九曰蕃樂。注:杜子春讀蕃樂為藩樂,謂閉藏樂器而不作。賈疏:藩謂藩閉。然則草木蕃者,言草木至八月而生氣藩閉也。自漢以來,無不以蕃息為解,豈知此與下天地閉賢人隱,平列為證,以釋括囊之義,若作蕃息,與括囊何涉乎。乾彖傳云:乾道變化,各正性命,保合太和乃利貞。言元亨時過,利貞時至也,故曰變化,此變化與彼變化同也。變化之徵,在物則草木黃落,在天則陽氣閉藏,在人則賢哲隱遁。謹,慎也,釋括囊之故也。

『文言』は言う。天地の気が変化すれば草木もまた蕃閉し、天地が閉塞すれば賢人は隠れる。『易』に曰く「嚢を括りて、咎なく誉れなし」。蓋し謹を言うなり。陰が消長して第四爻に至れば八月の観卦で、「元亨」の段階より「利貞」の段階に入り、天地の気が将に変易せんとする。観卦の下体は坤で、坤に「茅茹」「草」の象あり、上体は巽で、巽に「木」の象あり、そして坤は閉を主り艮は止を主る。だから「草木蕃」と言う。「蕃」と「藩」は通じ、『詩経・大雅』の「四国于蕃」がこの用法である。また『周礼・地官』大司徒に「九曰蕃楽」とあり、注に杜子春は「蕃楽」を「藩楽」と読み、楽器を蔵して奏でざるを言う。賈公彦の疏は「藩とは藩閉」と言う。然らば「草木蕃」とは、草木が八月に至って生気が收敛閉蔵するを言う。漢代以来「蕃息」(繁茂滋生)と解せぬはなく、知らざりしことに、この句は下の「天地閉、賢人隠」と平列して挙げて、「嚢を括る」の義を釈するものである。もし繁茂滋生と釈すれば、「嚢を括る」と何の関係があろうか。乾卦『彖伝』は「乾道変化、各々其の性命を正し、太和を保合す。乃ち利貞なり」と言う。これは元亨の時が過ぎて利貞の時が至るを言い、だから「変化」と言う。ここの「変化」はあの「変化」と同じである。変化の徴は、物においては草木の黄落、天においては陽気の閉蔵、人においては賢哲の隠遁である。「謹」とは慎みで、「嚢を括る」の所以を釈したものである。

君子黃中通理,正位居體,美在其中,而暢於四支,發於事業,美之至也。地色黃,黃中色,五中位,故曰黃中。玉篇理文也,坤為文,故曰理。黃中通理者,言由中發外,有文理可見也。正位居體,即體居正位。坤為體為事業,言有黃中之德者,身必潤,事業必成也。

『文言』は言う。君子は黄中の徳を懐いて文理に通じ、正位に居りて其の体を体し、美徳を中に蘊えて四支に暢び、事業に発す。美の至りなり。地の色は黄、黄は五色の中色、第五爻はまた上卦の中位だから「黄中」と言う。『玉篇』は「理とは文なり」と言い、坤に「文」の象あり、だから「理」と言う。「黄中通理」とは、内より外に発して文理の見える有るを言う。「正位居体」とはすなわち身体が正位に居ること。坤に「体」「事業」の象あり、黄中の徳を有する者は、身体は必ず潤沢し、事業は必ず成就するを言う。

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